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秋葉委員 社会民主党の
秋葉でございます。
きょうは、非常に変わった形で外務
委員会、しかも
核兵器の問題についてこういつた形で
会議を開いてくださったことにお礼を申し上げます。
一つ残念なのは、広島出身の国
会議員がかなりいるわけですけれども、ここで
発言するのは、名簿を見ますと、私だけであるということにちょっと残念な感じを持っております。
まず、その広島について、先ほど藤田議員の方から大変情熱の込もった
意見の開陳がありました。一、二不正確な点がありますので、その点を訂正させていただいてから私の
意見を申し上げたいと
思います。
広島の平和公園にある平和の碑文は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉でございます。これは一九五二年に完成をいたしました。
この文章は、広島市が、市長、浜井市長と言ってもいいのですが、委託をしまして、雑賀忠義先生、当時の広島大学の先生ですけれども、その先生の発案でこういつた文章になりました。ですから、最初からもう既に文章としては、「過ちは繰返しませぬから」という言葉が広島の意思として選ばれた。それは原爆投下後七年間たっていたわけですから、非常に苦しいその七年間の中で広島の人々がこういった言葉を選んだという
意味が私は非常に重要だと思っておりますので、改めてここでそのことを、その事実を申し上げておきたいと
思います。
インドのパル博士も、その他
世界じゅうの著名な方がこの五十三年間広島を訪れていますけれども、パル博士も一九五二年十一月に広島で開かれた
世界連邦
アジア会議という
会議に
出席をされております。そのときにこの碑文を見て、非常に不満を持った。原爆を落とした人間の手はまだ汚れているという趣旨の
発言をされました。しかしながら、それに対して雑賀先生が、そうではないんだ、これは私
たち広島の人間も含めて、過去、現在、未来、すべての人類が望んでいることをこの碑文に託したんだという
説明をされております。
ですから、過ちを繰り返しませんというふうに誓うのは、ただ単に広島の碑文の前に立つ個人だけではなくて、全人類、あるいは
日本政府を代表して、例えば
小渕外務大臣がその前に立たれるのであれば、
日本政府はという、非常に厳かな決意を表明するという
意味があります。一番広くそれをとれば人類ということですから、その人類という点が実は一番大事だということを改めて強調をしておきたいと
思います。広島の哲学というのは、いわばその一言に尽きると言っても過言ではないと
思います。
今回の
インド並びに
パキスタンの
核実験を私
たちが聞いたときに、やはり一番残念に思ったこと、これは人によって少々違いますが、私
たちの世代の人間が非常に残念に思ったのは、ガンジーやネルーといった象徴的な人物を持つ
インド、そして
パキスタンも同じような文化圏にあるわけですが、こういった
地域の
人たちが、広島のこの人類の悲願としての、人類一体の責任としての
核兵器の廃絶といったことを理解してくれていたつもりであったのに、やはり軍事力に屈してしまった、核の力に屈してしまったという点であります。
例えばもう
一つ、第二次
世界大戦中の経験から申し上げれば、ホロコーストを体験したユダヤの人々の中には、残念ながら、人類一体の問題として戦争を考えるという
考え方は、広島あるいは長崎ほど強く育ってはおりません。御存じのように、イスラエルは
核兵器を保有しております。その力によって自分
たちの安全を図るということが、こういったホロコーストを経験した
人たちあるいは
インド、ガンジー、そしてネルーを生んだ
インドの人々の間にまで蔓延をしてしまったということに、実は、人類のこれまで積み重ねてきた知恵ががらがらと崩れ落ちていく、その危機をまさに見ている
思いで、大変残念な気がいたします。その視点から、私は、改めて
日本政府の責任を考えてみたい、こう
思います。
かつて、
インドや
パキスタン、
非核保有国のリーダーとして活発な
外交活動を展開した時期がありました。例えば、一九六〇年代の初めですけれども、
国連で毎年のように核廃絶
決議案が
提案をされた。例えば、時間がありませんので一言だけ申し上げますが、その
決議案に
日本政府はどのような態度をとってきたか。唯一の
被爆国ということは言いながら、こういった核廃絶の
決議案に対しては、先ほどからも言及がありましたような、現実的ではない、その他さまざまな理由をつけて最終的には冷水を浴びせるような行動をとってきた。棄権をした、あるいは反対をしたというのが
日本政府の態度です。
私は、今回の
インド、
パキスタンの
核実験を機に、改めて
日本政府にこういった態度を変えていただきたいというふうに
思いますし、先ほど来何人もの
委員が主張しているように、核超
大国、
インド、
パキスタン以外の既に核を保有している五
大国に対しても、核の廃絶を迫るべきであるというふうに
思います。
しかし、
外務省の現実路線というのは、そういったことは行わない、それどころか核廃絶という言葉に
外務省は必ず究極という言葉をつける。それは、核廃絶がかなり、私
たち現実的に物を見ると、きょうあすじゆうに実現できる事柄だとは
思いませんけれども、ある程度手の届かないところにあるかもしれないという絶望に打ちひしがれながら頑張っている
立場の
人たちから考えると、その先に、今度は望遠鏡を逆さまにして、もっと遠くに核廃絶を追いやってしまうのが
外務省の究極的という言葉だと
思います。
なぜ
外務省はそういう態度をとるのか、そこのところを実は問題にしたいのですけれども、それに対して非常に端的にいい回答を寄せてくれている人がいます。ポール・ウォーンキという人ですけれども、SALTIの
交渉のときの
アメリカ側の代表です。彼がこの核の問題について、自分の第二の人生はまさに核の問題にかけた人ですけれども、こういうことを言っております。核廃絶をするために一番必要なのは、どのような道をたどれば核廃絶ができるかといった青写真ではない、あるいはどの案が一番実現可能かといった、そういった検討でもない、核を廃絶しようという強い意思が一番大事なのだ、それがないから核の廃絶ができないのだということをSALTIの代表を終えた後に彼は言っています。
私が
日本政府に対して、
外務省に対して申し上げたいのは、今後の
日本政府、
外務省の活動はこの意思を
世界的にどういうふうにつくるかということにかけて、全力を尽くしていただきたい。それ以前の問題として、この意思を全く持っていないかのように見える
外務省並びに
日本政府が、核をどうしても廃絶しなくてはいけないのだという熱い意思を持っていただきたい。そのことをぜひお願いしたいと
思います。
その上で、参考になる事例がございます。
世界じゅうには核をどうしても廃絶しなくてはならないという強い燃えるような意思を五十年以上持ち続けてきた
人たちが、まだ少数ではありますけれども、残っています。昨日、私は広島でそのうちの最低限二人、名前を私が存じ上げていて、しかも親しくしているお二人と話をしてまいりました。一人は笹森恵子さん、原爆乙女として
アメリカの病院で治療を受けた。もう一人は石田明さん、社民党の広島県連合の代表です。お二人とも中学生のとき、十四、五歳で原爆に遭いました。そして、その後、その体験を
世界の平和をつくるために、核廃絶を実現するためにささげてきたと言っても過言ではありません。それだけではなくて、広島市長を初めとする広島市民、多くの広島の人間がさまざまなアイデアを出し、
提案し、行動し、五十三年間頑張ってきた。にもかかわらず、
インドもそして
パキスタンも
核実験をしてしまうという
状況になってしまった。
このギャップを私は何とか埋めたいというふうに
思いますが、その第一歩として
外務大臣にお願いしたいのです。ぜひ広島に行って、こういった貴重な体験を持つ被爆者の
皆さん、そして運動を引っ張ってきた多くのリーダー
たち、そういった
人たちと長い時間かけて、一体何が彼らの中にこういった強い意思を持たせたのかを聞いていただきたい。それを理解していただきたい。御自分のものとしていただきたい。そういった中で、例えば
外務省として、あるいは
日本政府として、今、
日本が
世界に対してなさなくてはならない政治的な動きもありますけれども、より広い見地から考えて二つのことを緊急に実行しなくてはいけないということに気づかれると
思います。
その
一つは、被爆体験の整理とそれから思想化であります。
世界の主要大学では、ユダヤ人のホロコーストの経験についての体験が整理され、心理学や哲学の面で非常に重要な人類の遺産として受け継がれる体制ができております。被爆体験についてはこういつた整理がいまだにできておりません。被爆者援護法の目的の
一つはこういった整理をすることにあったはずですけれども、残念ながら、お金の問題に隠れて人類の遺産としての被爆体験まで目が届かなかった。現在計画されている祈念事業にしても十分な措置が行われているとは言えないと
思います。ぜひこういつたことを御自分の体験としてお気づきいただきたい。
第二点目が、
世界の主要大学における広島、長崎講座の開設です。ユダヤ人のホロコーストの経験については、
世界の主要大学で人類の遺産として若い
人たちに、このユダヤ人の虐殺がどういつだ
意味を持つのか、哲学、心理学、社会学、さまざまな面から若い世代にこの体験が
紹介され、引き継がれています。残念ながら被爆体験にはこれがありません。現在、被爆者が死んでしまえば直接この体験を、どういう
意味があったのか、そしてなぜ核廃絶が行われなくてはならないのかを生の声で伝えることが不可能になってしまいます。緊急な事業であるにもかかわらず、この点についても十分な措置が行われていない。
これを私がここで申し上げるだけではなくて、
外務大臣、ぜひ広島に行かれて、もう広島に行かれた経験はおありだと
思いますけれども、じっくりと、問題意識を持って、できれば数時間何人かの方にお会いいただいて、こういった体験をしていただきたい。それを
小渕外務大臣から始めて、
外務省としての伝統としてぜひ続けていただきたい。そういった中から核廃絶のための力強い意思を、
外務省総体としての意思としてぜひ形成していただきたい。事務次官には、もう既に現在の斉藤駐米大使のときから広島に来ていただくということをやっていますけれども、大臣にもぜひお願いしたい。
外務省全体としてもこの問題を取り上げていただきたい。そのことをお願いいたしまして、私の質問といいますか、
意見の開陳を終わらせていただきます。
大臣、ぜひ一言お願いいたします。