○
参考人(
渡邊顯君)
渡邊でございます。
私のごとき一介の弁護士が参議院の議員の先生方にどれほどお役に立てるか、いささか自信がございませんが、ずっとこの種の実務に携わってきた者として、実務家の目で
意見を申し上げたく存じます。
お
手元に
意見陳述の要旨をお配りしてございます。まず
結論から申し上げますと、今回の
法律案については全面的に
賛成でございます。
ただ、
総会屋の根絶のためには、単に法定刑を引き上げるということにとどまらず、
企業の意識改革あるいは
警察の警備力の増強など、
関係当事者の取り組むべき課題が多いと考えております。特に、
企業の意識改革のためには、取締役あるいは監査役を有効に機能させるということが必須でございます。この意味で、最近コーポレートガバナンスということで
株主代表訴訟制度の
改正論議が起こっておりますが、この
改正については慎重にお進め願いたい、このように考えております。
今回の
法律案の主な点は、法定刑の引き上げと新たな
犯罪の新設でございますが、まずこの法定刑の引き上げでございます。
昭和五十六年
改正当時、法定刑が低過ぎないかという議論は当然ございました。ございましたが、片や
商法の四百九十四条というのがございまして、これは従前からあった条文でございますが、
会社荒らし等に関する贈収賄罪というのがございました。これが一年以下の懲役、五十万円以下の罰金となっておりましたので、この法定刑とのバランスから、
利益供与罪については六月以下、三十万円以下、このようになったという経緯がございました。
ところが、五十六年
改正後間もなく
利益供与
事件が摘発されましたけれども、いわゆる
総会屋が執行猶予判決を受けるというようなことになりまして、案の定、法定刑が低過ぎたのではなかったかということが実務界では専ら言われておりました。
ただ、ここで法定刑の問題でございますが、ある意味で
総会屋は懲役三年でも一向に構わないという部分があるんですね。つまり、彼らにとってみますと、前科前歴というのが実は勲章なんですね。それだけ恐れられるということになるので、ある意味で
経済効果として、費用対効果、バランスみたいなところがございます。片や
企業の担当者はサラリーマンでございますので、仮に一月の懲役、執行猶予でも、彼らにとっては大変な痛手でございます。
その意味で、単に法定刑を引き上げるということがいいのか悪いのか、ましてや重罰主義で国家というものを
運営していくということもいかがなものかといった議論も当然ありましょう。しかしながら、今回の一連の
事件を見ておりますと、やはりある程度の引き上げはやむを得なかろうというのが私の
意見でございます。
それから、新たな
利益供与要求罪などの新設が今回ございます。これは大
賛成でございます。と申しますのは、決して
会社が好んで
利益供与をしているわけではないのであります。この意味で、要求する行為があれば直ちに
警察に通報するなどして未然に防止できるという意味では大変抑止力になるのかな、このように考えております。その他、所要の
改正が盛り込まれておりますが、これも相当のものと考えております。
さて、法定刑を引き上げれば済むというものではないというふうに私先ほど申し上げましたが、そもそも
総会屋というのはいつ
発生したのかというのが実はどなたも正確にはわかっておられないのではないかと思います。かく申します私もいつごろから
発生したものかというのはよくわかりません。ただ、この種の事案に、
株式会社の
株主総会指導という実務に携わってまいりました十五年間の経験から思いますのに、どうやら
日本の
株式会社の上場制度というものができて恐らく間もないころからいわゆる
総会屋らしき特殊な
株主とのつき合いが始まっているのではないか、このように思います。
よく言われますような、
銀行、
証券の裏口通用門に参りますと実体のない領収書を持ってくる
総会屋に協賛金と称して
利益供与されておったというのは五十六年までの現象です。極めて異様な現象があったわけです。このような異様な事態が短時間の間にできたとは思えません。恐らく相当長い年月を経てきている。そうしますと、
企業と
総会屋の癒着というのは、つき合いというのは、恐らく世代を超えたおつき合いだったのだろうと思います。したがいまして、五十六年当時の
利益供与罪の制定で、一遍の
法律でなかなか単純には切れなかったのかなというふうに思っております。
とはいうものの、五十六年当時、絶縁に各
企業は動いたと思われます。思われますが、これが間もなく復活してしまった。御承知のとおり超マラソン
総会、マラソンの
世界記録というのは今どのくらいか私も正確には存じませんが、二時間そこらですね。ところが四時間、五時間というふうにかかる
総会が毎月のようにあった。御高承のとおり、ソニーでは十三時間半という長時間
総会があった。このようなことから腰砕けになってしまいましてつき合いが復活してしまったんですね。これは
総会運営のふなれも
原因だと思います。
それで、
責任の一端は私ども弁護士にあるというふうに実は反省をしております。つまり、五十六年まではしゃんしゃん
総会で終わりますから、弁護士も
会社法をしっかりと勉強しておらぬのですね。したがって、弁護士にとっても初めての経験でございました。そんなことで、大変に我々も反省しなきゃならぬのでありますが、そういったことも背景にございましてつき合いが復活してしまいました。摘発されている
会社にいわゆる名門
企業が多いというのは、長い歴史が背景にあったということを推定できる
一つの事情だろうと思います。
しかし、片や一生懸命取り組みまして、現在では
総会運営のノウハウというものが確立していると思います。当時、議事整理規則、つまり
総会を荒らす者を退場させるというようなことを、議事整理規則といったものを法務省令でできないかという議論もございました。それから、
説明義務というものの範囲が大変広うございます。
株主総会でございますので当然一年間の営業報告をいたします。これについても
説明義務がある。貸借対照表についても
説明義務がある。損益計算書についても
説明義務がある。そういたしますと、一年間の
会社のいろいろな森羅万象の現象について
説明義務があるのかといった誤解にいっとき陥りまして、そのために十三時間半もかかってしまった。
現在は、議事整理規則につきましては一括上程審議方式、議長権限を最大に行使する、あるいは
説明義務の範囲の問題につきましては決議事項に集中すればいいんだといったような議論がなされておりまして、これは既に判例の支持、追認などがございますので確立しておるわけでございます。したがって、五十六年直後に大変苦労してノウハウを確立したところが片やございます。片やイージーについて従来のつき合いを復活させてしまった。こういうことだろうと思います。
さて、ではこれを根絶できるかということでございますが、私はなかなか難しいと思います、正直言いまして。
日本の
会社の
構造というのが、違反とわかっていても繰り返してしまう
構造があるんですね。これはなかなか言えません、つまり既につき合いが始まってしまった場合に切るべきだと。当然正論でありますが、切るのはいいけれども、今度の
総会が荒れたらおまえが
責任とるのかと、こう言われますと自信がない。つまり
責任回避ですね。ということで、先例に従っておれば無難、保身につながる、こういったサラリーマンの考え方というのは根深くあろうかと思います。
しかし、この保身の気持ちを惰弱だといってなかなか責められないなという気がいたします。それは、終身雇用制のもとで、一遍退職してまた中途採用ということをいたしますと生涯の獲得賃金からいって明らかに不利だとされるということであればなかなか難しいですね。そうすると、やはり上司に逆らうこともしたくないということになってきます。このようなかばい合い
構造が違反を繰り返させていると思います。
それと、あとは
経営トップですね。この方がうまく対処しろというような指示をするんですね。うまくやれと、こう言うんです。うまくやれというのはどういうふうにうまくやれというのかはっきりしないんです。何時間かかってもいい、
法律違反は絶対してはならぬと、こういうふうに明確な指示を出されればいいんですが、うまく対処しろと。そうすると、サラリーマンのさがでございますから、社長は何とかしろと言っているんだろう、すれすれのことをやって何としてでもやればいいんだろうと、こういうふうに思ってしまうんですね。ですから、今回の一連の
事件の中でも、
経営トップが知らなかったとおっしゃっています。確かに私は知らなかったんだろうと思います。しかし、それはある意味では不作為犯なのかなというふうにも思います。
それともう
一つ、店頭公開
会社とそれから上場
会社、これ三千社あるんです。そうしますと、
総会担当者というのは各社平均十人やそこらおりますので、実は三万人もいるんです。この〇・一%ですと三十人なんです。そうすると、
経営トップからうまくやれと言われるとついついイージーにつく人が出てきてもおかしくはない、三万人もおれば、と思います。
ということになりますと、大変嫌な
言葉でありますが、これは
企業性悪説に立たざるを得ないのかな、少なくともそう思って対処せにゃいかぬのかな、このように思います。そうしますと、今の
日本の法制度の中では、この
株主代表訴訟というのが実は最大にして唯一と言ってもいいぐらいのコーポレートガバナンスの方法だろうと思います。
取締役会というのがございます。この取締役会というのは本来代表取締役を監視するんですね。重要な
会社の業務を決定して業務執行する役員を監視するというのが法の建前でございます。しかし、実際に
日本の取締役会は社長が取締役のけつをたたく、こういうふうになっております。その意味で今は機能しておらぬのです。代表訴訟が乱訴の傾向があり、そして
企業経営者のマインドが萎縮していると、このように申しますが、現実に役員が敗訴したケース、これは汚職とかあるいは
利益供与罪、明確な違法行為で、
経営判断そのものが問われて
会社役員が敗訴して多額の賠償金を払わなければいけなくなったというケースは今のところございません。つまり、
経営判断の原則というのがほぼ判例上確立したように考えております。
時間もありませんので多少はしょりますが、次に監査役会のインフラ整備というふうにレジュメに書いてございます。
この監査役会が全然機能していないんですね。希有の例外を除いて機能していないと申し上げていいと思います。これは、監査役が子
会社の社長のポストがあくまでの待合の席になっておるという現象がございます。こんなことでは監査役が監査できるわけがないのでございます。
今度、コーポレートガバナンス法ということで監査役
体制の強化ということを言っておりますけれども、実は現行
商法におきましても監査役の権限は十二分にございます。十二分にあるのにかかわらずこれが機能しない。なぜか。これはインフラであります、予算であります、あるいは報酬であります。つまり、
会社に対してこれだけの監査のための費用が必要だから出してくれと言えば、
会社側は不必要ということを証明しなければ拒否できないというふうになっているんです、
商法上。しかし、現実にはスタッフがいない、あるいは監査役室すらない、あるいは東証一部の監査役は不良債権の回収をやっている、こういう例もあるわけです。これではもうとてもとてもと思います。
そこで、私が申し上げておりますのは、現執行部、
経営トップに物が言えるのは前社長、会長だ、したがって会長が常勤監査役をやるべしと。会長という肩書がなくて寂しいのであれば常勤監査役会長と言ってもいいではないかと。
それから、〇・一%ルールということを申し上げております。つまり、その
企業の年商売上高の〇・一%を監査役室に予算として振り向ける。例えば一千億売っている
会社、これは結構ございます、かなりの規模でございます。その〇・一%であれば一億円なんですね。一億円の監査室の予算があれば独自に弁護士も雇えます、会計士も雇えます、複数名の専属のスタッフも雇える、こういったことをまずやらなければいけない。これを経団連
あたりが自主的なルールで結構でございますから目標として掲げる。抽象的なあいまいな
企業行動憲章では役に立ちません。そのように思います。
同じように、チェックシステム、これもつくればいいというわけではありません。大体、監査役室なり監査役というのは、言ってみればほこりをかぶった消火器みたいなものでありますから、やはり時々チェックをする。これはやっぱり外部でチェックする、こういったふうに組み込んでいかざるを得ません。意識にゆだねるということではだめだろうと思います。
それから、外部監査人制度というのがございます。これは
御存じのとおり、この春に地方自治法の
改正がございまして、公共団体が外部監査人の監査を受けるということになりました。そして、この外部監査人は四年未満ですか、継続してやってはいけない、かえなきゃいかぬということになっていますね。こういった制度を地方自治体でも取り入れている。
企業でもそういったものを意識して取り入れる。しっかりやれば大丈夫だよ、やらないようにしようねと、こういう抽象的な慰め合いではだめだと思うんです。その意味では
企業性悪説に立って物を見るというのも必要だろうと。
それから、
警察との連携と自衛措置というふうに申し上げました。
宮脇参考人のお話のとおり
警察だけに頼っていいという問題ではないと思います。
日本の
社会というのは暴力に対して大変甘い
構造になっていると思います。その意味では、国民各層それぞれがやはり今回の一連の
事件については
責任を負わなきゃいかぬと思っておりますが、担当者の恐怖心というのは実はやっぱりあるんですね、非常にある。おたくのお子さんかわいいねと言われるとぞっとするという話がございます。果たしてそういったおどしの方法があったのかどうかわかりませんが、しかしその気持ちはよくわかります。現実に弁護士夫人殺人
事件といったものも起こっておりますので、人ごとではないなと思います。可能な限りの警備を考えていただきたいなと思います。
しかし、
企業あるいは我々自身、弁護士自身もそれなりの自衛措置を講ずる
社会、時代になったんだなと。今まではそういったことが必要じゃなかったんでしょうね、恐らく。高度成長その他で、追いつけ追い越せということで
日本の株価もどんどん右肩上がりで上がっていく、そういう意味で営業を上げていく、もうけていく、それでよかったのかもしれません。しかし、今はやっぱり時代が変わったんでしょう。ですから
経営トップも、ただ単に効率的な
経営ができるというだけでは
経営トップの資格がないんだと。
株主に向かって、国民に向かって、
自分の
会社はこうですというふうに
説明できるような資質、こんなものが
経営トップに必要になってきた時代になったのかな、このように思います。
いずれにいたしましても、法の
支配なくして国家は成り立たないんだろう、このように思います。
ありがとうございました。