○椎名素夫君
総理には本当に毎日お疲れさまです。非常に時間が短いので、釈迦に説法とは思いますが、私は、きょうは
政府のアカウンタビリティーということに関して私の考えを申し上げて、ひとつ御所感を伺いたいと思います。
今の
改革のゴールというのは、ビッグバンのときにも言われておりますが、フリー、フェア、グローバルということで、まことにこれはもう我々が達成しなければならないゴールだと思います一が、同時に、それを達成するプロセスの中でもこの三原則というのは刻々と守らなければいけないと思うわけです。特にフェアの点、これをきちっとやっていかないと、
国民の信頼を持った構造
改革というのはできない。そういう意味で
政府のアカウンタビリティーというのが非常に私は重要になると考えております。
ビッグバンの後、
日本の構造
改革ができ上がる形をとったときには、
家計も
企業もこれは全部、全部というか自己責任という範囲でやれということが非常に強調されているわけです。しかし、考えてみると、自由なマーケットの中での自己責任ということを言うためには、マーケットが
資源の最適配分に近い状態に少なくともなっていなきゃいかぬ。そういう意味からいうと、今の
日本のマーケットというのは必ずしもそうなっていない、幾分それからほど遠いところがあると私は思います。極端に言えば、いわば不適正な配分による被害に目をつぶってしまってはいけないというのが私の
考え方であります。
ここで、ちょっとバブルの時期の幾つかの数を挙げたいと思いますが、一九八六年に
日本の国土面積は
世界の〇・三%、人口は二・五%、これに対して
日本のGNPは三百五十兆円です。これは
世界の一六%。ところが、同じ一九八六年、
日本の株式の時価総額が
世界の四四%、土地は六〇%というような非常に異常な状態でした。
さらに見ると、次の年、一九八七年ですが、この一年間での土地価格の値上がりが四百十六兆円。同じ年のGNPは三百五十兆円です。この年にアメリカの国土の価格というのは四百十四兆円で、
日本の一年の値上がりの方が大きかった。まさに異常な状態だったわけです。
これはこの一、二年だけでなしに、一九八九年までの四年間で土地資産が増加した額というのは千百三十兆円に上っております。この四年間のGNPは約千五百兆円、そして税収の総額は三百十兆円、GNPの約二〇%がこの税収の総額になっている。ところが、この三百十兆円の税金のうち、土地の固定資産税は八兆五千億、税収の三%にしかなっていないという数があります。したがって、税金の九七%というのはGNPに寄与するような正常な
経済活動で稼ぎ出したところから負担をされたという勘定になります。もっともこの中には、少し減らさなきゃいけないんですが、バブルに関連してふえた所得というのがありますから、それが幾分寄与していることはありますが、ざっと見ると九〇%以上はそういうようなことになっている。
普通、正常な
経済活動で資産をふやそうと思いますと、これは所得なり会社で言えば収益の中から取り分けて貯蓄に回すという以外、それを積み上げていく以外資産の形成というのはないわけですけれども、それを逆算して考えますと、千百三十兆円の土地値上がりによる資産形成というのがこの四年間で行われた。これを普通の
経済活動で積み上げようと思ったら、所得なり収益なりの二〇%と考えると、この間に五千六百兆円の所得が必要であったということになりますね。それに対して納めた税金が十兆円弱であるということになるわけです。
この過程で、非常に少数の個人とそれから大きな土地を保有する
企業あるいは金融
機関がその所得や収益とは比較にならないほどの資産を形成した。大多数の
国民、特に勤労者は税金の大半を先ほど申し上げたように負担した上に、高い住宅取得のためにローンを負担するというようなことをやり、購買力も圧縮された。また、こういうことが
日本経済全体のコスト高の構造の要因になったということも見逃すことはできないと思います。
今
金融システムを
中心としていろいろな混乱が起こっておりますが、こういうふうに見てみると、
国民の大半が営々として築いてきたGNPの
世界とは別の、
国民経済計算の中では調整勘定ということであらわされておりますけれども、その中で起きたことであって、その調整勘定の
世界でこぶができてつぶれて、その過程で起きた後遺症に
国民全体が巻き込まれているということが言えるだろうと思うんです。
これは、今バブルのときのことだけを申しましたけれども、もともと
昭和三十年代からずっと始まっていることでありまして、いわゆる土地本位制というのがある、これは私は直していくべき
日本の病弊だと考えております。
家計とかあるいは
企業というものには選択の余地がない、政策の面での間違いがあった場合にはその被害をこうむる。それを無視して、あとは自己責任だといって突っ放してしまうというのはやっぱりやっちゃいけない。この
認識をきちっと持っていただくということが私は
政府のアカウンタビリティーというものだろうと思うんです。
私も、バブルの時期には自民党におりまして、政務
調査会におりまして、幾分こういうことに加担したというようなことだと思うんですが、いわば善良な
管理者の注意義務を怠ったという気がいたします。その悔恨の念も込めて
総理にぜひその点をお考え願いたい、これが私の申し上げたいことでありますが、御所感を伺わせていただきたいと思います。