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1997-11-19 第141回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年十一月十九日(水曜日)     午前九時開議 出席委員   委員長 高橋 一郎君    理事 稲葉 大和君 理事 小川  元君    理事 河村 建夫君 理事 田中眞紀子君    理事 佐藤 茂樹君 理事 藤村  修君    理事 肥田美代子君 理事 石井 郁子君       岩永 峯一君    大野 松茂君       奥山 茂彦君    佐田玄一郎君       下村 博文君   田野瀬良太郎君       中山 成彬君    柳沢 伯夫君       渡辺 博道君    池坊 保子君       古賀 正浩君    西  博義君       西岡 武夫君    原口 一博君       三沢  淳君    吉田 幸弘君       安住  淳君    鳩山 邦夫君       山原健二郎君    保坂 展人君       粟屋 敏信君  出席国務大臣         文 部 大 臣 町村 信孝君  出席政府委員         文部政務次官  鈴木 栄治君         文部大臣官房長 小野 元之君         文部大臣官房総         務審議官    富岡 賢治君         文部省生涯学習         局長      長谷川正明君         文部省初等中等         教育局長    辻村 哲夫君         文部省教育助成         局長      御手洗 康君         文部省高等教育         局長      佐々木正峰君         文部省学術国際         局長      雨宮  忠君         文部省体育局長 工藤 智規君         文化庁次長   遠藤 昭雄君         厚生省児童家庭         局長      横田 吉男君  委員外出席者         大蔵省主計局主         計官      佐々木豊成君         文教委員会調査         室長      岡村  豊君     ――――――――――――― 委員の異動 十一月十九日  辞任         補欠選任   愛野興一郎君     古賀 正浩君   旭道山和泰君     原口 一博君 同日  辞任         補欠選任   古賀 正浩君     愛野興一郎君   原口 一博君     吉田 幸弘君 同日  辞任         補欠選任   吉田 幸弘君     旭道山和泰君     ――――――――――――― 十月二十日  行き届いた教育充実に関する請願石垣一夫  君紹介)(第一号)  同(赤松正雄紹介)(第五号)  同(石垣一夫紹介)(第六号)  同(西博義紹介)(第七号)  同(赤松正雄紹介)(第一二号)  同(石垣一夫紹介)(第一三号)  同(二見伸明紹介)(第一四号)  同(二見伸明紹介)(第一九号)  同(三沢淳紹介)(第九〇号)  同(三沢淳紹介)(第一〇六号)  同(三沢淳紹介)(第一三五号)  小・中・高校三十人学級早期実現私学助成  の大幅増額に関する請願河村たかし紹介)  (第三号)  同(平田米男紹介)(第四号)  同(島聡紹介)(第二〇号)  同(青山丘紹介)(第二九号)  同(三沢淳紹介)(第九一号)  同(赤松広隆紹介)(第一〇七号)  同(鈴木淑夫紹介)(第一〇八号)  スポーツ振興くじ実現に関する請願麻生太  郎君紹介)(第八七号)  同(濱田健一紹介)(第八八号)  同(藤井孝男紹介)(第八九号)  同(赤松広隆紹介)(第一〇九号)  同(麻生太郎紹介)(第一一〇号)  同(石川要三紹介)(第一一一号)  同(大野功統紹介)(第一一二号)  同(奥田幹生紹介)(第一一三号)  同(濱田健一紹介)(第一一四号)  同(目片信紹介)(第一一五号)  同(保岡興治紹介)(第一一六号)  同(岩永峯一紹介)(第一三六号)  同(大野功統紹介)(第一三七号)  同(鹿野道彦紹介)(第一三八号)  同(粕谷茂紹介)(第一三九号)  同(川端達夫紹介)(第一四〇号)  同(木村隆秀紹介)(第一四一号)  同(松下忠洋紹介)(第一四二号)  同(山本有二紹介)(第一四三号)  公立小中学校事務職員及び栄養職員義務教育  費国庫負担法適用除外反対に関する請願古賀  誠君紹介)(第一〇五号) 同月二十八日  スポーツ振興くじ実現に関する請願(逢沢一  郎君紹介)(第一七三号)  同(江口一雄紹介)(第一七四号)  同(奥野誠亮紹介)(第一七五号)  同(海部俊樹紹介)(第一七六号)  同(近藤昭一紹介)(第一七七号)  同(坂本剛二君紹介)(第一七八号)  同(中山利生紹介)(第一七九号)  同(森山眞弓紹介)(第一八〇号)  同(山下徳夫紹介)(第一八一号)  同(山元勉紹介)(第一八二号)  同(粟屋敏信紹介)(第一九五号)  同(池田行彦紹介)(第一九六号)  同(金子原二郎紹介)(第一九七号)  同(川崎二郎紹介)(第一九八号)  同(河井克行紹介)(第一九九号)  同(木部佳昭紹介)(第二〇〇号)  同(岸田文雄紹介)(第二〇一号)  同(坂本剛二君紹介)(第二〇二号)  同(櫻内義雄紹介)(第二〇三号)  同外十二件(鈴木俊一紹介)(第二〇四号)  同(谷垣禎一紹介)(第二〇五号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第二〇六号)  同(虎島和夫紹介)(第二〇七号)  同(中川秀直紹介)(第二〇八号)  同(西岡武夫紹介)(第二〇九号)  同(能勢和子紹介)(第二一〇号)  同(畑英次郎紹介)(第二一一号)  同(藤本孝雄紹介)(第二一二号)  同(堀之内久男紹介)(第二一三号)  同(前田武志紹介)(第二一四号)  同(松岡利勝紹介)(第二一五号)  同(持永和見紹介)(第二一六号)  同(麻生太郎紹介)(第二二七号)  同(衛藤晟一紹介)(第二二八号)  同(小里貞利紹介)(第二二九号)  同(大原一三紹介)(第二三〇号)  同(岡田克也紹介)(第二三一号)  同(奥田幹生紹介)(第二三二号)  同(奥山茂彦紹介)(第二三三号)  同(古賀一成紹介)(第二三四号)  同(櫻内義雄紹介)(第二三五号)  同(田野瀬良太郎紹介)(第二三六号)  同(橘康太郎紹介)(第二三七号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第二二八号)  同(中井洽紹介)(第二三九号)  同(藤本孝雄紹介)(第二四〇号)  同(前田武志紹介)(第二四一号)  同(伊吹文明紹介)(第二五七号)  同(小里貞利紹介)(第二五八号)  同(柿澤弘治紹介)(第二五九号)  同(旭道山和泰紹介)(第二六〇号)  同(住博司紹介)(第二六一号)  同(田村憲久紹介)(第二六二号)  同(高木義明紹介)(第二六三号)  同(橘康太郎紹介)(第二六四号)  同(玉置一弥紹介)(第二六五号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第二六六号)  同(原田義昭紹介)(第二六七号)  同(桧田仁君紹介)(第二六八号)  同(保利耕輔君紹介)(第二六九号)  同(渡辺具能紹介)(第二七〇号)  同(奥田幹生紹介)(第二九四号)  同(小坂憲次紹介)(第二九五号)  同(斉藤鉄夫紹介)(第二九六号)  同(住博司紹介)(第二九七号)  同(谷川和穗紹介)(第二九八号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第二九九号)  同(中野正志君紹介)(第三〇〇号)  義務教育費国庫負担制度堅持に関する請願  (桜井新紹介)(第二二五号)  私学助成制度堅持に関する請願桜井新君紹  介)(第二二六号)  すべての子供たちに行き届いた教育に関する請  願(石井紘基紹介)(第二九一号)  行き届いた教育充実に関する請願小野由利  子君紹介)(第二九二号)  小・中・高校三十人学級早期実現私学助成  の大幅増額に関する請願古川元久紹介)(  第二九三号)  十一月十一日  小・中・高校三十人学級早期実現私学助成  の大幅増額に関する請願江崎鐵磨紹介)(  第三一四号)  同(三沢淳紹介)(第一三五号)  同(草川昭三紹介)(第三三三号)  同(山中燁子君紹介)(第四五六号)  スポーツ振興くじ実現に関する請願江藤隆  美君紹介)(第三一八号)  同(川内博史紹介)(第三一七号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第三一八号)  同(石橋一弥紹介)(第三三四号)  同(川内博史紹介)(第三三五号)  同(久間章生紹介)(第三三六号)  同(小坂憲次紹介)(第三三七号)  同(自見庄三郎紹介)(第三三八号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第三三九号)  同(中西績介紹介)(第三四〇号)  同(細田博之紹介)(第三四一号)  同(森喜朗紹介)(第三四二号)  同(森田一紹介)(第三四三号)  同(衛藤征士郎紹介)(第三五五号)  同(自見庄三郎紹介)(第三五六号)  同(竹下登紹介)(第三五七号)  同(棚橋泰文紹介)(第三五八号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第三五九号)  同(平林鴻三君紹介)(第三六〇号)  同(武藤嘉文紹介)(第三六一号)  同(森喜朗紹介)(第三六二号)  同(森田一紹介)(第三六三号)  同(衛藤征士郎紹介)(第三六七号)  同(小川元紹介)(第三六八号)  同(鹿野道彦紹介)(第三六九号)  同(櫻内義雄紹介)(第三七〇号)  同(島村宜伸紹介)(第三七一号)  同(竹下登紹介)(第三七二号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第三七三号)  同(鳩山邦夫紹介)(第三七四号)  同(森喜朗紹介)(第三七五号)  同(甘利明紹介)(第三八八号)  同(飯島忠義紹介)(第三八九号)  同(石破茂紹介)(第三九〇号)  同(臼井日出男紹介)(第三九一号)  同(小川元紹介)(第三九二号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第三九三号)  同(仲村正治紹介)(第三九四号)  同(浜田靖一君紹介)(第三九五号)  同(原田一博紹介)(第三九六号)  同(平林鴻三君紹介)(第三九七号)  同(松永光紹介)(第三九八号)  同(井奥貞雄紹介)(第四三三号)  同(臼井日出男紹介)(第四三四号)  同(古賀正浩紹介)(第四三五号)  同(下地幹郎紹介)(第四三六号)  同(関谷勝嗣君紹介)(第四三七号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第四三八号)  同(西田司紹介)(第四三九号)  同(原田一博紹介)(第四四〇号)  同(相沢英之紹介)(第四五七号)  同(石井一紹介)(第四五八号)  同(小野晋也君紹介)(第四五九号)  同(岸田文雄紹介)(第四六〇号)  同(河野洋平紹介)(第四六一号)  同(佐藤静雄紹介)(第四六二号)  同(島津尚純紹介)(第四六三号)  同(関谷勝嗣君紹介)(第四六四号)  同(田中慶秋紹介)(第四六五号)  同(竹下登紹介)(第四六六号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第四六七号)  同(中野寛成紹介)(第四六八号)  同(中山正暉紹介)(第四六九号)  同(野田聖子紹介)(第四七〇号)  同(松本純紹介)(第四七一号)  同(村井仁紹介)(第四七二号)  行き届いた教育充実に関する請願河合正智  君紹介)(第三三二号)  すべての子供たちに行き届いた教育に関する請  願(鳩山邦夫紹介)(第三七六号)  同(佐々木陸海紹介)(第四四一号)  同(中島武敏紹介)(第四四二号)  同(不破哲三紹介)(第四四三号)  同(山花貞夫紹介)(第四四四号)  同(吉田公一紹介)(第四四五号)  同(伊藤達也紹介)(第四七三号)  同(石井紘基紹介)(第四七四号)  学校教育の改善に関する請願山元勉紹介)  (第三八七号)  サッカーくじ法案廃案スポーツ予算大幅  な増額に関する請願石井郁子紹介)(第四  一一号)  同(大森猛紹介)(第四一二号)  同(金子満広紹介)(第四一三号)  同(木島日出夫紹介)(第四一四号)  同(児玉健次紹介)(第四一五号)  同(穀田恵二紹介)(第四一六号)  同(佐々木憲昭紹介)(第四一七号)  同(志位和夫紹介)(第四一八号)  同(瀬古由起子紹介)(第四一九号)  同(辻第一君紹介)(第四二〇号)  同(寺前巖紹介)(第四二一号)  同(中路雅弘紹介)(第四二二号)  同(春名眞章紹介)(第四二三号)  同(東中光雄紹介)(第四二四号)  同(平賀高成紹介)(第四二五号)  同(藤木洋子紹介)(第四二六号)  同(藤田スミ紹介)(第四二七号)  同(古堅実吉紹介)(第四二八号)  同(松本善明紹介)(第四二九号)  同(矢島恒夫紹介)(第四三〇号)  同(山原健二郎紹介)(第四三一号)  同(吉井英勝紹介)(第四三二号)  同月十七日  行き届いた教育充実に関する請願神崎武法  君紹介)(第四九〇号)  スポーツ振興くじ実現に関する請願古賀正  浩君紹介)(第四九一号)  同(島津尚純紹介)(第四九二号)  同(菅義偉君紹介)(第四九三号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第四九四号)  同(中島洋次郎紹介)(第四九五号)  同(中山正暉紹介)(第四九六号)  同(堀込征雄紹介)(第四九七号)  同(遠藤利明紹介)(第五一九号)  同(小此木八郎紹介)(第五二〇号)  同(古賀正浩紹介)(第五二一号)  同(船田元紹介)(第五二二号)  同(江口一雄紹介)(第五二七号)  同(田中和徳紹介)(第五六八号)  同(高村正彦紹介)(第六一六号)  同(滝実紹介)(第六一七号)  同(野田聖子紹介)(第六一八号)  同(武藤嘉文紹介)(第六一九号)  同(谷津義男紹介)(第六二〇号)  サッカーくじ法案廃案スポーツ予算大幅  な増額に関する請願佐々木陸海紹介)(第  四九八号)  同(中島武敏紹介)(第四九九号)  同(不破哲三紹介)(第五〇〇号)  すべての子供たちに行き届いた教育に関する請  願(保坂展人君紹介)(第五二三号)  同(城島正光紹介)(第五六九号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 十一月十日  中学校社会科歴史教科書における従軍慰安婦  の記述是正に関する陳情書  (第一七号)  国立博物館の設置に関する陳情書  (第一八号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 高橋一郎

    高橋委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大野松茂君。
  3. 大野松茂

    大野(松)委員 おはようございます。自由民主党の大野松茂でございます。  現下の教育問題について何点かお尋ねをさせていただきます。  教育改革が叫ばれて久しいものがございます。教育改革は、橋本内閣の掲げる六つの改革一つに位置づけられまして、教育改革こそ歴代内閣が最優先課題として取り組んできた言うなれば国家事業でもございます。折しも神戸の中学生による連続殺傷事件が発生して以来、最近では、心の教育充実が新たな課題として浮上してまいりました。  神戸での事件は、犯行者が少年だったので大きく取り上げられましたが、青少年犯罪はまさに目を覆うばかりでございまして、毎日の新聞報道を見るまでもなく、最近の激増ぶりは異常であります。しかも、罪悪感にも欠ける最近のさまざまな様子、例えば援助交際おやじ狩りや、さらには薬物拡散、こうしたことがごく日常化している状況にありまして、非常な危機感を持っているところであります。こうした青少年犯罪激増の原因として、第一に、学校での教育という問題が率直に言ってある、こう思っております。  核家族化の進行と少子化による言うなれば甘やかし、家庭教育力低下テレビ週刊誌などが蔓延させる無責任な個人主義の強調、あるいは表現の自由に代表される社会風潮社会地域教育力低下がここにあるように思うわけであります。一部のテレビ番組週刊誌などのグラビアページ社会的責任をうかがうことができない様子がありますことは、まことに嘆かわしい事態でもございます。こうした問題には、学校家庭社会もともに取り組むべきものである、こう思っております。こうした急激な社会変化の中で、子供たち青少年の心のありようが、今のままでは危険な気配が募るだけに心の教育が問われている、このように思っております。  かつて昭和四十一年に、第七期の中央教育審議会答申で「期待される人間像」が示されました。多くの議論を呼んだ記憶があるわけでありますが、当時の有田文部大臣は、この「期待される人間像」について、国家社会を形成する主体としての人間理想像を示すものとして、広く国民人間のあり方を考えるために、また教育関係者は十分に参考にされたい、このような談話を発表しておられました。  今、「期待される人間像」を読み返してみましても、個人として、家庭人として、社会人として、国民としてのこの四つの心構えは、今の世情を見ますとき、一層その重みを増している、こう思います。いま一度見直されるべきもの、こうも思っております。  さきに小杉文部大臣は、中央教育審議会に「幼児期からの心の在り方について」諮問をされました。既に審議が進んでいるようでございますが、改めて町村文部大臣に心の教育についてお伺いをいたします。
  4. 町村信孝

    町村国務大臣 ただいま大野委員から、大変貴重な、また大変深刻な、日本教育があるいは日本子供たちが直面をしております問題について御指摘をいただきました。  八月に前小杉大臣中教審諮問をした心の教育、私も改めてその諮問の文章なりあるいはその背景にあります、例えば昭和四十一年の例の「期待される人間像」の提言、あるいはさらにさかのぼりますと、昭和二十年代の後半に、当時の天野文部大臣からのそういう御提言というのもあります。そういうことをいろいろ学ぶにつけて、しかし心の教育というのは、確かに皆さん、物より心とか心の大切さというのを言われます。そのとおりだと思います。ただ、心の教育という形で、ある意味では、政治あるいは行政というものがどこまで立ち入ることができるのか、非常に難しい問題を諮問されたな、実はそういう思いを率直に言って私は持ったわけであります。ある意味では、そこまで本当は入ってはいけないのかもしれない、しかし、さりとてほっておくことはできないという非常に悩ましい問題なのかな、こう受けとめております。  したがいまして、今中教審でもさまざまな御議論を多岐にわたっていただいているようでありまして、その御議論をいただいている最中でございますから、余り私どもから、こうあるべきだとか、こうあつてほしいということを予断を持って言うのもいかがかな、こう思っております。  ただ、何でこういう問題が出てくるかということにつきましては、ただいま委員指摘のとおり、少子化あるいは核家族化といったよう背景、過保護あるいは干渉のし過ぎとか、あるいは極端な無関心というケースがございます。そういう意味家庭の問題、家庭教育力が非常に低下をしているという問題。私は、やはり家庭教育というのは非常に重要だ、特に子供が小さければ小さいほど、家庭重要性というのは強調し過ぎても過ぎることはないというふうに認識はいたしております。  ただ、それでは、家庭の中にどこまで我々政治家があるいは行政が入り込めるかというと、先ほど申し上げましたように、大変難しさとか制約は感ずるのではありますが、しかしこの問題はほっておけない問題だな、このようにも思っております。また、御指摘のあった暴力シーンでありますとか性的な行き過ぎ、そういった情報のはんらんというようなこともございまして、非常に憂慮すべき状態であるな、こう思っております。  でありますから、言い古されたことではございますが、結局、心の教育というのは、家庭地域社会学校と、この三位一体になって、どのようにして総合的に健全な青少年が育成できるのかということを考えていくことなのだろうと思います。そういたしますと、家庭家庭で、地域社会地域社会で、学校学校でそれぞれのしっかりとした役割を果たしつつ、今度はその間の相互連携をどう図っていくのかということが内容になってくるのかな、こう思っております。  いずれにいたしましても、文部省も一生懸命考えてまいりますし、中教審の方でも一生懸命御議論をいただいている最中でございます。また当委員会においても、貴重な御示唆、御提言、また御忠告をいただければありがたい、かように考えておりますが、この心の教育、よりよい答えが一歩でも出るように最大限の努力をしてまいりたいと考えております。
  5. 大野松茂

    大野(松)委員 今までの経緯もございますので、実効のある答申が得られるように私ども期待をいたしております。  ところで、さる六月に、第十六期の中教審から「二十一世紀を展望した我が国の教育在り方について」答申がありました。また、一昨日は、教育課程審議会中間まとめが発表されましたが、現状の把握、将来の展望に立って新しい時代への提言として評価されるものである、こう思っております。  そこで、人づくり国家社会基盤づくりであり、その意味で、学校教育のありようは極めて重要であると考えておりますが、学校教育現状を見ますときに、多くの知識を一方的に教え、子供たちがそれを必死で覚え込むよう教育になっている、こう感じております。二十一世紀国家社会を担う人材を育てるためには、子供たち個性を生かして伸び伸びと学び、創造性チャレンジ精神を身につけるようにすることが最も重要であると考えておりますが、これからの学校教育について御所見を承りたいと思います。
  6. 町村信孝

    町村国務大臣 十一月十七日に、教育課程審議会中間取りまとめの御報告を私は受け取りました。これからさらにその中身をより具体的な形で審議会には詰めていただこうかなと。概要につきましては、新聞その他で報道されているとおりでございます。  これからの教育で非常に重要なことは、何といっても子供たち個性をより伸ばしていく、創造力を発揮していく、自分で考え、自分で学んでいく、こういう能力を高めていくというようなこと。ひいては、やはり子供たちがこれから、いろいろな変化の多い社会でありますから、その社会の中にあって、いかなる環境変化があろうとも生き抜いていく力を持ってもらうということなのだろうと思います。  今、先生御指摘ように、今までややもすると、知識を一方的に記憶させるという、記憶力がすぐれている子供が何かできる子供といったような、実際には試験や何かというのは、ある種記憶力という一つ能力を見るには適していたかもしれませんが、記憶力がすぐれているからその子がすぐれているというわけではないと思います。  実は、私も先般新宿区のある中学校の現場を見に行ったのでありますが、そこでどういうことをやっていたかといいますと、たまたま選挙制度の授業をやっておりました。そうしますと、日本には三百の小選挙区があり、二百の比例議席がありと。要するに、その三百とか二百とかいうところを四角で囲って、我々の今直面している選挙制度がもう暗記物の対象になっているのですね。正直言ってこれには愕然といたしました。  そんなことは五百だって千だっていいんですよね。例えば、なぜ小選挙区という仕組みというものが出てきたかとか、あるいはそもそも選挙というのはどういうものかということを少しく考えてもらいたいのに、もう三百、二百ということを暗記の対象にしているという実情を短時間ですがかいま見まして、これではだめだなと、正直言って率直に思いました。でも、ある意味では、現場の先生にしてみると、そういうことを覚えなさいと言う方が教育の指導の仕方としては簡単なのかもしれない。  私どもも、これから学校の現場により多くのことをゆだねていこう、こう考えているわけでありますが、やはりそこは受けとめる先生たちの方も、今までの指導のあり方、指導方針といったようなものも相当抜本的に考え直してもらわないといけないのだなということも痛感をした次第でございます。  いずれにいたしましても、これからの学校教育、今御指摘ような方向に沿って大転換を図っていくべきまさにその時期にある、このように考えております。
  7. 大野松茂

    大野(松)委員 今、率直なお話もいただいたところでございますが、教育の基本というのは、みずから学び、みずから考える力を育てることにある。多くの知識を教え込むことになりがちであった教育から、好奇心やあるいは探求心を持たす、さらには学ぶ喜び、学ぶ楽しさ、学ぶ厳しさを身につけることこそ大事であると思います。読むこと、書くこと、計算することを基本にいたしまして、問題を解決する能力を育てることが欠かせないこれからの課題であります。  急激な社会変化の中で、これからの時代は、問題あるいはまた難題に直面したときに、それを解決するためにはどうしたらよいかのその能力が問われるはずであります。昔は、読み書きそろばんのできないことを文盲という言葉で言ったわけでございますが、これからの時代は、解決のすべ、解決の能力のない者をもってあるいはこのように言うのではないか、こう思います。いかに知識はあっても、解決のすべや解決の能力を持っていなければならないはずであります。  学習への意欲は、生涯学習時代を迎えるに当たりましても、そのまま一番大事な基本であると思っているわけでございますが、今後の教育課程の改善に当たりまして、私はこのことが一番重要なことだと思っているのですが、いかがでしょう。
  8. 町村信孝

    町村国務大臣 全く御指摘のとおりであると私も思っております。  いろいろな新しい困難な課題というのが、今大野委員指摘のとおり、日本社会にこれから直面してくると思いますし、そういう中にあって、個々人も今まで考えられなかったような問題、例えば、今までは一たん一つの会社に入ってしまえばそれでずっといく。しかし、これからはもう少し自由な職業選択があってもいい。しかし、職場を変わるというのはなかなか大変なことであります。  例えば、今までは終身雇用、これからは転職がある。そういう環境が大きく変わったときにどのように対応していくかとか、個々人のレベル、社会のレベル、いろいろなレベルでそういう大きな変化に直面をする際に、今まさに御指摘ような、みずから問題を設定し、みずからその問題を解いていく能力、またそういう変化に対応できるたくましい心とでもいいましょうか、精神力とでもいいましょうか、そういうことが、でき得れば学校教育の中でしっかりとその基礎が培われていくということが大切なんだろう、このように思っております。
  9. 大野松茂

    大野(松)委員 そうした基本的なことを前提にもするわけでございますが、我が国がこれからもさらに活力ある社会を築いていくためには、どの地域でも質の高い学校教育が受けられることを大事にしながら、それぞれの地域学校の実態を踏まえて、もっと学校の創意工夫を生かした特色ある教育活動が展開できるようにする必要があるのではないか。もちろん、それには教育委員会や教員の意欲を伴うことが当然でありますが、地域学校の特色を生かしたカリキュラムの編成についてお伺いいたします。
  10. 町村信孝

    町村国務大臣 先ほど申し上げましたように、教育課程審議会で中間報告がなされ、来年のいつごろになりましょうか、夏ごろになりましょうか、答申をいただけるのかな、もちろん時間はちょっと幅があるかもしれませんが。それから、それに基づいて指導要領をつくり、教科書をつくりという過程に入ってまいります。そしてその中で、完全週五日制というものを一応私どもは念頭、前提に置いているわけであります。  先般なされました中間報告の中で、一つは、できるだけ小学校の段階から、そしてより中学では多く、高校ではもっと多く選択の時間というものをとっていくということによって、子供たちが発展の過程でみずから学びたいことを主体的に学べる、そういうチョイスをより多く与えていくということが一つの特色だと思います。  それからもう一つは、何か総合的な時間とでもいいましょうか、ちょっと今正確な言い方はまだあれですが、その中で、まさに地域の問題でありますとか、あるいはその時代が今直面している、例えば環境の問題とか、あるいは例えば介護とか福祉とかいった問題、そういう問題を幅広くとらえることができるような時間をつくっていこう、総合的な学習の時間とでもいいましょうか、そんなような形でこれからのカリキュラムというものをつくり上げていくということも一つのこれからの方向になってくるだろう、こう思っております。  そして、その前提としては、今まではややもすると、これはもう全部必修ですよ、これだけの時間は全部しっかり各学校でやってくださいよということをかなりかたく文部省の方で決めていたのを、これからはできるだけ都道府県段階、市町村段階、もっといえば個々の学校のレベルにおりていって、その学校に合ったカリキュラムを自由につくれる。  時間の配分も、何もそんな、例えば四十五分が一こまといわずに、場合によったら、毎日例えば英語を十五分ずつやるとかいうような、時間の配分すらも四十五分とか五十分とかいうことをかたく決めないで、自由にその学校でお決めくださいということがあってもいいのではないだろうかというようなこと。逆にしかし、そのことは当然、現場の校長先生とか教頭先生とか個々のクラスを担任する先生方の責任も重くなる。しかし、その責任においてカリキュラムもつくっていく、個々の学校のカリキュラムをつくってもらうというような方向でこれから考えていってはどうだろうかなと。  もちろん、それに見合った形の責任、権限あるいは人事権とか予算とか、そういうものをできるだけ現場に近い、生徒に近いところに持っていくという方向でこれから対応をしていくべきではないだろうか。これは、カリキュラムのみならず、地方の教育、現場の教育制度の活性化、教育委員会の活性化といったようなことも含めて、今中教審などでも検討をいただいているという段階であります。
  11. 大野松茂

    大野(松)委員 今、学校五日制のことあるいは総合時間のことについてもお触れいただいたところでございますが、このたびの中間まとめの一番核となっておるのは、この学校五日制のことであります。  このたびのまとめの中で、平成十五年を目途に実施を目指す完全学校週五日制のもとでの教育課程について審議の結果を明らかにされた、こう思います。完全学校週五日制は、子供たちにゆとりを持たせ、家庭地域社会における生活の比重を高めることになります。その教育内容のありようはまさに教育の大改革につながるものだ、私はこう認識をしております。五日制に合わせて単に各教科・科目の授業時間を一律に減らすだけでは、詰め込みと言われてきた従来の教育は変革できないと思います。それでは、週五日制のねらいであるゆとりと生きる力の確保に反することにもなると私は思っております。  昨年の日本PTA全国協議会のアンケート調査を見ますと、塾通いが増加する、また、学力の低下が心配、こうしたことが大勢を占めておりまして、言うなれば五日制に反対が賛成を上回る結果にもなってきているわけであります。こうした不安に対する答えを明確に示すこともこの大変革を進めていく上では大事なことであろうと思うのですが、もう平成十五年ということを前提にしての取り組みでありますし、大臣の御決意もそこにありと思うわけでございますが、これからの進め方についてお尋ねをいたします。
  12. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま先生が御指摘になられましたように、学校完全週五日制は、これまでの学校教育のあり方を見直しつつ、もう一度学校家庭地域社会教育環境というものを再構築する、その中でさらに子供たち一人一人の豊かな成長を図ろう、そうするものでございます。ただ学校での授業時間というものが減る、そのことだけをとらえて、したがってそれは学力低下に通ずるのではないか、こういう御指摘があるということは私どもも承知いたしております。  したがって、ただいま大臣からも今回の教育課程の趣旨等については御説明があったわけでございますけれども学校教育で取り扱う部分はこういうものだ、具体的には、社会生活を営む上で必要な基礎、基本、これはしっかり学校教育で培います。さらに、たくさんのことを覚えるということではなくて、基礎、基本をベースにしてみずから解決していく、みずから考える、そういった力をこれから伸ばしていく、そのためには、学校のみならず、家庭地域社会とが一体となって子供たちの成長をはぐくむ、こういう考え方で学校完全週五日制を実施していくことであるわけでございまして、そういう趣旨を、私どももこれからいろいろな機会をとらまえまして、保護者あるいは広く社会に十分に理解を求めるような努力をしてまいりたい、こんなふうに考えております。
  13. 大野松茂

    大野(松)委員 この完全学校週五日制に合わせた教科の時間数の削減だけではなくして、新たに総合的な学習の時間、教科の内容の厳選で時間を生み出し、従来の教科の枠を超えた総合学習時間を設けることとされたのも今回の中間まとめの大きな特徴であろうと思っております。  昭和五十二年に改訂実施された学習指導要領で、学校が創意工夫をもっと生かす、こういう趣旨で設けられたゆとりの時間があります。五日制が月一回、月二回と実施されるうちに、このゆとりのなくなったカリキュラムがゆとりの時間を侵食して、いつの間にか教科の時間に侵食されているような感じさえあるわけでございます。総合学習時間についても同様のことが危惧されるわけでありますが、その効果的な授業展開こそまさに新しい教育の取り組みである、こう思っております。そのためには、もちろん教員の資質の発揮や学校の特徴づくりにもつながると思うわけでございますが、総合的な学習の時間についてお伺いいたします。
  14. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 総合的な学習の時間でございますけれども、これは昨年の中教審答申を受けまして、教育課程審議会でその趣旨、ねらい等の具体的な実施のあり方について検討をしているものでございますが、先ほどの御説明にもございましたけれども、これは各学校地域学校の実態に応じまして、教科の枠を超えまして、その学校として必要と思われる、大事だと思われる、それをカリキュラムとして実施しようとするものでございます。  従来の裁量の時間あるいはゆとりの時間というのは、どのように使われようとそれは各学校の自由だ、したがって、例えば休憩時間に使われるとか、あるいは教科の延長のような形で使われるとか、いろいろな使われ方があったわけでございますけれども、今回の総合的な学習の時間は、各教科、道徳、特別活動と並ぶもう一つ別途の領域として、その趣旨やねらい等をさらに明確にいたしまして、各学校での創意工夫を促そう、こんなふうに考えております。  例示として、国際理解、情報、環境、福祉といったものが挙げられているわけでございますけれども、この中間まとめを受けました各界の意見を聞きながら、最終答申に向けまして、この総合的な学習の時間がよりょく各学校で活用されるような方途というものをさらに検討してまいりたいと思います。  そして、今先生が御懸念になりましたような、何といいましょうか、あいまいなままに、その目的、趣旨を達せないままにこの時間が使われることのないように十分に留意をしてまいりたい、こんなふうに思っております。
  15. 大野松茂

    大野(松)委員 中間まとめをもとにいたしまして、今後本答申に向けての審議がさらに一層進むものと思うわけでございますが、具体論にこれから入ってくるわけであります。さらに幅広い意見を求めまして、教育改革の実効を上げるものにされるよう、強く期待をさせていただきます。  最後になりますが、大臣にお尋ねしたいのですが、最近、焼却炉でのごみ処理に伴うダイオキシン類の有害物質の排出問題について環境衛生上危惧される事態となっておりまして、市民生活にも大きな不安を生じ、社会問題化いたしております。文部省においては、こうした状況に対しまして、学校に設置されている焼却炉を廃止する方針を打ち出した、こう聞いております。  廃棄物問題を解決する上では、物を大切に長く使うこと、使い捨て製品を使わないことなど、ごみの発生量を減らすこと、再利用やごみの分別、リサイクルを進めていくことが重要であります。言うなれば、ごみ問題は一人一人の取り組みによって解決できる課題でもございます。ダイオキシンは物を燃焼する過程で発生するものでありますから、ごみの減量化こそダイオキシンの発生が抑制されることになります。また、塩素を多く含まれるものの不完全燃焼が原因であることも既に明らかになっております。  焼却炉の廃止をもってダイオキシン対策とすることにとどまらずに、環境教育の機会とすべきではないか、こう思っているのですが、現段階における学校ごみ焼却炉の取り扱いの状況、またこの問題に対するところの大臣の御所見を承りたいと思います。
  16. 町村信孝

    町村国務大臣 去る十月三十一日に、焼却炉の安全性が確認されない限りは、山間僻地とか特定の場所、どうしても他の手段がないところ以外は原則として使用を取りやめるようにという通達を出したところでございます。  実は、私もこの夏、地元をいろいろ歩いておりまして、父兄の方々から、保護者の方々から、このダイオキシンは心配だ、大人も心配だけれども、特に子供学校でごみを燃やしているのは心配だという声が非常に多かったのです。だものですから、私、大臣に就任してから早速関係者とよく相談をしてそういう通達を出したのでありますが、その原点は、まさに御指摘のとおり、環境教育そのものだと私も思っております。  ただ、いたずらに燃やすなと言うだけでは何の意味もないわけでありまして、これを機会に、今委員指摘のとおりに、ごみをできるだけ出さないようにする、ごみにしないように再利用をする、リサイクルを進めたりごみの減量化を図る、それでもぎりぎりどうしてもなったものはしようがないなということで、まさに教育の機会としてのこのごみ問題というとらえ方をしなければ意味がないだろうし、また本来の目的は達成されない、私はこう思っております。  その上に立って今言ったような通達を出したということでございまして、ぜひ環境問題の重要性というものを現実のものとして考え、そして行動する一番いい教材としてこのごみ問題を各学校で取り組んでもらいたい、このように考えて、その旨を通達の中にも含めて出したところでございます。
  17. 大野松茂

    大野(松)委員 ありがとうございました。  これで質問を終わります。
  18. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、下村博文君。
  19. 下村博文

    ○下村委員 町村大臣、御就任おめでとうございます。これから日本の文部行政、また文部行政のあり方、大きく変わってくるというふうに思います。そういう中で、新しい大臣として前向きにこれから取り組み、御活躍されますことを御期待申し上げたいと存じます。  きょうは、教育の自由化という視点で基本的な認識、方向性についてお伺いをしたいというふうに思っております。  それというのも、橋本内閣の六つの改革のその六番目として、ことしの一月に教育改革を掲げたわけでございます。もちろん、これからいろんな段取り、手法の中でそれが一つ一つ徹底されるのではないかというふうに思いますが、少なくとも、自民党の文教部会や文教制度調査会の中の議論として、この一月に出された教育改革は、これは教育改革というよりは教育制度改革である、そういう認識がございました。  教育制度改革から教育改革に着手するという前提として位置づけるということであれば、やはり我が党としても、もっと掘り下げて本質的な教育改革とは何だろうかと。一月に出された政府の教育改革だけでは、今の登校拒否の問題とかいじめの問題とか、今大野議員からも出されておりましたけれども、心の教育のあり方とか、いわゆる教育の本質的な部分を解決するだけの処方せんがあるようには見えないということで、これに対応して、自民党の中でことしの三月十二日から教育改革推進会議というのを設け、教育制度、内容、行財政の三つの改革ワーキングチームをつくり、九月までそれぞれ十回ぐらいの会合を重ねることによって、また、過去の自民党におけるすべての提案も再検討し直し、今回、教育改革推進の提言ということで先月まとめたわけであります。  これについては既にごらんになっていただいているというふうに思いますが、基本的に今回の橋本内閣の六つの改革のコンセプトというのは、官の仕事を民でできることはいかに民に移譲していくか、あるいは国の仕事を地方分権の中でいかに地方に移譲していくかという中での規制緩和であり、自由化であるのではないかというふうに思うわけであります。  そういう中で、今までの日本教育ということから、この六つの改革のコンセプトという位置づけの中で教育の自由化をどう進めていくかということが今後求められてくるというふうに思いますし、文部省としては、それをいかに徹底できるかどうかということが、ある意味では社会的にも問われてくるというふうに思うわけであります。  教育における自由化あるいは官から民への仕事ということで言えば、具体的には、これから私学のあり方をさらに拡大をしていく、公教育からできるだけ私学にシフトしていく、あるいは、先ほどの学校五日制の問題の中で答弁にもありましたけれども学校教育だけが自己完結をするすべての教育という位置づけから、これから家庭社会、あるいは社会の中でも、六月に答申がされましたが、学習塾とかおけいこごととか、いわゆる民間の活力をトータル的に導入をしながら、日本教育をこれからどう活性化させるかという方向性が教育の自由化の中で問われてくるんだろうというふうに思うわけであります。  その中で、まず、今後の私学のあり方についてお聞きしたいというふうに思いますが、これは自民党の教育改革推進の提言の中の「私学の振興」というところの中でも提案をされていることであるわけですけれども、在学生徒で見れば、既に大学では七割、短大では九割、幼稚園では八割、高校では三割が私立学校の生徒数の比率を占めているわけであります。  しかし、かつての歴史を見ると、私立学校の許認可が戦前から改正されて非常に難しくなってきている。例えば私の選挙区の東京の板橋で新たに私立学校をつくるとすると、その条件に合致するものをそろえるということはなかなか大変なことであります。  そういう意味で、これから私立の小学校とか中学校とか高校とかをふやすことによって、建学の精神に裏づけられた特色のある私学教育を受ける機会を広げるということによる学校教育の選択の自由を拡大する、これは、ひいては公立学校教育の活性化にもプラスになることでもあるというふうに思いますし、そういう意味では、これから私立の学校の設置基準をより緩和することによりさらに私学を活性化させる方向性、そういう自由化、規制緩和というのが方向性としては問われてくるんだろう、また、それがそういう正しい方向性につながるのではないか、こんなふうに考えますが、まず、こういうことに対する基本的な大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
  20. 町村信孝

    町村国務大臣 委員も御参加された中での自民党での大変熱心な御議論の結果を、昨日、御提言という形で総理・総裁にも御提出をいただきました。しかと受けとめさせていただきました。大変貴重な数多くの御提言をいただいたものと、すべてを直ちにというわけにはちょっとまいらない部分もあるようでありますが、基本的には、私ども文部省が進めております教育改革の作業と軌を一にしている部分がほとんどであろかなと思っておりまして、大変貴重な御提言をいただいたということをまず感謝、御礼を申し上げたいと思っております。  そういう中で、今下村委員指摘のとおりに、官から民へ、あるいは国から地方へといった今の行政全体の流れ、政治全体の流れを教育の分野でもこれはしっかりと受けとめていかなければならないということは当然のことであると思います。多分そのことは、例えばこの教育の分野について言うならば、今までは、現場にゆだねようとしてもなかなか大きな壁が幾つもあったと私は思っているんです。  例えば、依然としてまだ一部の地域には相当色濃く残っておりますが、かなりイデオロギーの強い組合というものがあって、それが教育の現場を陰に陽に、支配という言葉はいささか言い過ぎかもしれませんが、コントロールしているという事態があったわけでありますが、そういう一部教職員組合も、そういうイデオロギー過剰の状態からかなり脱イデオロギー的状態に変わってきたというような大きな社会変化も、教育の中でできるだけ現場に物事をゆだねていってもいいではないかというようなことが可能になった一つの大きな背景としてもあろうか、こう私は考えておるわけであります。  そういう認識の上に立って、規制緩和あるいは民間の活力を生かしていくということを私どもも大変重要なテーマと考えておりますし、またそういう方向でいろいろやっていきたい、こう思っているわけであります。  今御指摘の、私学の学校設置についての規制緩和を図ったらどうかというお話でございました。  特に小学校中学校段階を若干見てみますと、学校数あるいは学生数ともに、大体昭和五十年ごろから横ばい状態でございます、小学校の場合は。中学校の方はやや、ちょっとずつふえているかなという、これは多分中高一貫ということもあるのかもしれませんが。小学校の方は基本的には学校数あるいは生徒数、ほぼ横ばい。これは、規制があったかどうかということもあるのかもしれませんが、やはりそれ以上に、多分生徒数がだんだん減ってきている。  需要が減っているところに供給をある意味では無理につけるということが本当にできるのかなというあたりを考えますと、それでもなおかつやろうという方がいらっしゃることを私は何ら否定するものじゃございませんが、基本的に、生徒の数が減ってくるという中でさらにどんどん新設の学校が出てくるということは率直に言って難しいことなんではないのだろうか、私は、ちょっと個人的にはそんな印象を持っております。  ただ、学校の数が横ばいである、生徒の数が横ばいであるということが、もし、文部省の設置認可基準が非常に厳しいからそういう事態なんだということであるならば、これはやはりいささか問題であろう、こう思っておりますので、私どもとしても、どういう審査基準、これは基本的には文部省というよりもむしろ都道府県の設置基準でございますから、都道府県の設置基準のその審査基準をどういう形で決めているか、またどういう内容なのかということを積極的に公表していくということをやっていきたい。ただ、全く基準なしていいのかなというと、やはり子供たちが学ぶに当たって一定の教室の広さとか、一定の先生の数だとか、その程度の、何かある種の基準というものはやはり要るのかな、こんな気がいたしております。  ただ、例えば、昨日政府が決めました、大学の方で校舎と敷地面積の関係というのを、何か六倍とかいうことで非常に大きくとってきたんですね。しかし考えてみると、それは広々としたキャンパスがあるにこしたことはございませんが、都心の学校は高層ビルを建てるということであって、一定のグラウンドがとれているならば六倍ということにこだわらなくてもいいんじゃないのかなというようなこともありまして、その辺は少し、近々、六倍を三倍ぐらいでもいいんじゃないだろうか、そんな方向で今検討を煮詰めているという段階でございます。  いずれにしても、基本的な流れは、下村委員指摘のとおりのそういう流れで私どももこれからの教育改革作業を進めていきたい、こんなふうに考えているところであります。
  21. 下村博文

    ○下村委員 今の大臣の答弁で私はちょっとひっかかるところがありました。需要と供給の関係で教育を考えていいのかどうかということですね。今までの教育が問題ないということであれば今の大臣の御答弁で私も納得するわけですけれども、いや、そうじゃない、教育改革をする。戦後五十二年の中で、ある意味ではこれは教育だけの問題ではありませんけれども、護送船団方式の日本の今までの保護主義的な政策が行き詰まってきた。  第三の開国と言われる中で、大きくこれから改革をしなくちゃいけないということで六つの改革に着手しているわけですね。その中の一つとして教育改革に着手する。着手するというのは、当然、今までの問題点をここで解決しようということであるわけですから、解決するという前提の中で、需要と供給で、バランスで考えるということはいかがなものかというふうに私は思うわけですね。  それというのも、今、教育を受ける側については、子供たちにとっては過当な競争原理の中に実際にさらされているわけですけれども教育をする側でそういう意味での健全な競争原理が、いわゆる公教育の中であるいは学校の先生の中で不足しているのじゃないかというふうに思うわけですね。  ですから、その辺で、文部省が打ち出されたいわゆる公教育の通学区域の緩和もそうですけれども、私立の学校の許認可をもっと緩和することによって、健全な意味での競争原理とすることによって正しいあるいは本当の教育に基づいたことをしなければ、公立の小学校中学校でも廃校になってもこれは仕方がない、そういう時代に私は来ているのではないかというふうに思いますし、そういう観点から改めて大臣には考えていただきたいと思うのです。  きょうは時間がございませんので、その中の例えば私学の問題で、御承知のように、財政構造改革の中で来年私学助成もカットされる、すべてについて聖域がない、こういうことが言われているわけでありますし、また、これからの将来のことを考えると、予算的には大変に厳しくなってくるのではないかというふうに思います。  その中で、もちろんカットされないように求めるわけでありますけれども、しかしそれは本質的な解決にはならないだろうということを考えると、この私学助成については、今までの補助金中心の考え方だけではなくて、これは自民党の提言の中で申し上げているわけですけれども、企業や個人からの寄附金控除など税制上の優遇措置の充実にも力を入れるべきではないかと思いますが、このことについてのお考えはいかがでしょう。
  22. 町村信孝

    町村国務大臣 今ちょうど参議院で財政構造改革法案の大詰めの審議が行われているところでございます。委員御承知のように、その中で私学助成、一般的な経常費助成は横ばいということが法律の中身として実は書かれております。  本当を言うと、私ども、もっと財政にゆとりがあれば、とてもこの横ばいということでいいと思っているわけじゃございませんが、政府全体の予算の厳しい中で、これもある意味では残念ながらやむを得ないのかなと思っておりますが、いずれにしても、前年度横ばいという中での最大限の努力をしていかなければならない、このように思っております。  そして、同時に大切なことは、今委員指摘のとおり、補助金だけではなくて税制の活用ということは、まさに自民党の御提言のとおりであろう、こう思っておりまして、これから党税調でも大いに御議論をいただき、また下村委員初め各委員のお力添えもいただいて、年末に向けての自民党税調でよりよいお答えを出していただきたい、私どもも政府税調の中でできるだけいい答えを出していければと、このように考えております。  特に、企業や個人からの寄附金控除をもう少し自由にしたらどうか。どうもやはり今までの大蔵省の発想というのは、民間同士に任せておくと何をしてかすかわからぬ、一たんお上が全部召し上げて、それを適正配分する能力は大蔵省にしかないという、基本的にそういう発想なものですから、できるだけ民間同士の横のやりとりというのは認めない、制限をしていくという発想であったろうと思いますが、私は、そういう考えでこれからこの社会を乗り切っていけるとはとても思えません。  ですから、できるだけ民民同士といいましょうか、企業、個人学校法人とのやりとりがもっと自由に行われるように、税の制約がないようにしていくという基本的な発想に立って今私どもも二つ三つの要望を大蔵省にしているところでございますが、ぜひ下村委員のお力もおかりをしてこれは実現をしてまいりたい、このように思っておりますので、ひとつよろしくお願いを申し上げます。
  23. 下村博文

    ○下村委員 私どもも頑張りますけれども文部省としても、今の大蔵省のあり方についてぜひ妥協しないで頑張っていただきたいというふうに思います。  ところで、ことしの六月十六日に、これは小杉前文部大臣のときでありますけれども、第四期生涯学習審議会に「青少年の「生きる力」をはぐくむ地域社会の環境の充実方策について」という諮問と「社会変化に対応した今後の社会教育行政在り方について」の諮問が出されました。  この中で、小杉当時の文部大臣が、学習塾、おけいこ塾などの民間教育事業についても、子供たちを取り巻く学習環境の一つとして、その役割や教育行政の対応のあり方等について基本的方向を御検討いただきたい、こういうあいさつがあったということだけで、次の日の新聞、毎日新聞では一面トップで、文部省が、学習塾は無視できぬ存在だ、あるいは学習塾を認知する方向だというふうに大きく次の日のマスコミで報道されました。  実は私自身、大学四年から学習塾をやっておりまして、衆議院議員になる前まで二十年間ぐらい塾をやっておりまして、ある意味ではそういう御支援によって当選できたようなものなんですけれども、今までの文部省が考える塾ということではなくて、既に通塾率が、例えば中学でいえばもう六割ぐらいが通塾している、中学三年生であれば九割ぐらいが通塾をしている。これは、単にいわゆる学歴社会の中で、いい高校、いい大学に少しでも行かせたい、そういう受験過熱的なニーズ、要望があるということだけでなく、あるいは今の学校では落ちこぼれてしまうというふうなことだけでなく、もうちょっと一般化された意味で、御父母の方やあるいは子供たちが学習塾に求めて通っている部分があるからこそそれだけの通塾率があるのではないかというふうに私は思うわけであります。  今まで、基本的に文部省の塾に対する考え方というのは、ある意味では学校教育を侵害するものである、学校教育だけがすべてであって、塾というのは本来あってはならぬものである、そういう意識が文部省の中にあったのではないかというふうに私は思うわけであります。  しかし、この六月に生涯学習審議会に実際諮問されたということの位置づけというのは、最初に申し上げた、これから日本教育そのものが、今までの学校教育を中心とする画一、均一の教育ではなくて、多様化教育の中であらゆる、家庭とか社会とか、民間的なそういうところの多様化の中で教育の自由化をすることにより、子供たち個性的なあるいはさらに多様化した能力を引き出すための潜在的な受け皿の一つとして、これからそれをどう活用していくかということも考えていかなければならないというふうに思いますし、その延長線上の中でこの諮問が出されているのではないかというふうに思うわけであります。  これはまだこれから、この後に神戸のあのおぞましい少年の事件が、後で少年が犯人だったということがわかったということがありましたから、この諮問の後、心の教育のあり方も含めて、これから議論される中で社会教育の位置づけ、民間教育事業の位置づけというのを十二分に議論していくことが必要になってきているのではないかというふうに思います。  町村大臣、お子さん、お嬢さんがお二人いらっしゃると思うのですけれども、塾に行った経験があるのかどうかはわかりませんが、学習塾についてどんなお考えを持っていて、またこの生涯審の諮問について基本的に大臣としてどういうお考えをお持ちなのかお聞きしたいと思います。
  24. 町村信孝

    町村国務大臣 学習塾の問題というのは、今委員指摘ように、現実に非常に多くの、約六割近い、中学三年になると七割近い子供たちが塾に通っているという実態を私どもは無視はできないだろう、こう思っております。それは、基本的には本人なり親なりがどう判断をするか。  もちろんこれは学習塾ばかりではなくて、いろいろなスポーツ教室もありましょう。あるいはいろいろなおけいこ、私も実は六年間もバイオリンをやりまして、一向に身につかなかったのでありますけれども、結構熱心に行ったものでありますがいろいろな、そういう多様な広い意味教育の場というのがあるという実態を踏まえた上で、それがどういう役割を果たしていったらいいのか、どういうあり方がいいのかということを、今御指摘のとおり、生涯学習審議会諮問をしたばかりでございますので、御検討をしていただこう、こう思っているわけであります。  特に学習塾について申し上げますと、うちの娘も確かに一年か二年か行ったのでしょうか、中学生のときに。やはり受験ということが間違いなくあるから行く。よく、これは本当にそうかどうかわかりませんが、学校はむしろ社交の場である、勉強は塾でするのだ、極端に言うとそういう話まで耳にいたしますと、本当にそれはいいのだろうかな、いささかこれは首をかしげざるを得ないなと思わざるを得ないのであります。  しかし、塾で勉強した方がわかりやすいしおもしろいしという話まで聞くと、これはある意味では学校の先生方ももう少し、まあいろいろ忙しいことはわかるのですけれども自分たちの今までやってきた教え方というものが本当にいいのだろうかどうだろうかというあたりを、塾の先生に学べとはあえて言いませんが、やはりそういうノウハウというのはあるのでしょうから、そこでもし子供たちがより学校教育に魅力を感ずるようなことがあるならば、そこはもっと塾の皆さん方に学校の先生方もやはり学ぶべきものは学んでもらってもいいのかなと思います。  ただ、基本的に私は、さはさりながら、やはりこの今の過熱した受験戦争というものが子供たちの健全な発達上いいことかどうかと言われれば、それは理想を言うならば、願わくは、そういう受験戦争に特化した学習塾は私はない方がいいのだろう、こう思っております。できれば学校教育で全部それがカバーされている方がいいのだろうと思います。  ただ、そうはいっても一遍に世の中そう変えるわけにはまいりませんし、現実に各種の学習塾等々が果たしている役割というのも無視できないので、その辺をどう考えるか。余り私も今結論めいたものを持っているわけではございませんが、審議会などで幅広く御審議をいただきたいし、またでき得ればこの委員会などでも、ひとつ委員の先生方同士の率直な意見交換などもまた私どもに貴重な御示唆をいただけるものではなかろうか、こんなふうに考えているところでございます。
  25. 下村博文

    ○下村委員 町村大臣、今のお答えは、基本的な、一般的な塾に対する認識としての御見解だとは思うのです。  ただ私は、この六月に生涯審の中でこの学習塾というのも出すことによって、これも諮問一つとして取り上げたということは、ある意味では文部省が、今大臣がおっしゃったような、塾だけでなく、つまり受験戦争を過熱させる存在としてあるのではなくて、もっといろいろな面で、つまり今の学校教育ではなかなか対応できなくなってきている部分を実は、ダブルスクール化とか言われておりますけれども、そういう民間の部分で、子供たちの支えとして存在している部分もあるのではないかというふうに思いますし、そういう認識があるからこそ、恐らく諮問が出されたのではないかというふうに思うのです。  ですから、実際世の中変わってきて、今親のニーズとしていわゆる学歴信仰みたいな部分が薄れてきている面がある中で、実際、いろいろな多様化した学習塾が存在しているということも事実でありますから、一元的なかつてのような見方ではなくて、これから多様化教育の中で、ある意味ではそこがどう支えているのか、そういう視点から改めて考えていただきたいというふうに思うのです。  それというのも、学校教育というのがある意味では行き詰まってきた。何でも学校にお願いすれば済む、今親も実際そう思っている部分があるというふうに思うのですね。例えば、しつけの面においてもいじめの面においても、何でも学校に依存する。しかし実際は、今の学校教育の中で全部を解決できるわけではないし、また、そもそも学校教育が、日本義務教育が始まってきた経緯と今の時代を考えると、今の学校がすべての部分を対応できるだけの能力をもう実際は超えている部分があるのではないか。  それを考えたら、逆に、学校に対してあるいは学校の先生に対して過大な期待をするというよりも、一定の役割をきちっと果たしてくれればいい、あとはいかにそれ以外の部分で、家庭の中で地域の中で社会の中で、あるいは実際に学習塾とかおけいこ塾とかの民間の教育部分もあるわけですね。そういうことを含めて、トータル的に子供たちをどう教育していったらいいか、育てていったらいいかという、文部省の基本的な学校一元論的な考え方から、まさにそういういろいろなところも既に存在しているわけですから、そこをいかに活用していくかということが一番これからの文部行政のコンセプトとしても求められるし、それが一番最初に申し上げた教育の自由化、まさに橋本内閣の掲げる六つの改革の基本的なコンセプトにもつながる部分があるというふうに思うのです。  そういう中で文部省が、そういうまさに自由化というか意識の変革をこれからどうするかということがこの諮問の結果にも大きく影響してくるかというふうに思うんですが、基本的に、もう一度そのことについて確認をさせていただきたいと思います。
  26. 町村信孝

    町村国務大臣 先ほど大野委員の御質問にもちょっとお答えをしたところでありますが、健全な青少年を育成するというのは、学校が本当に大きい役割を果たしているのは事実でありますが、それだけで自己完結的に全部できるかというと、それは無理であって、やはり例えば家庭教育重要性とか、あるいは地域社会教育重要性、それと学校教育、この三位一体でいかにやっていくかということであろうと思っております。  そして、ややもすると、保護者が学校の先生に、しっかりうちの子供しつけてねとまで言うのは、やはりそれは学校の先生に対するある意味では過大な期待、過大な役割の与え過ぎという気も私はいたします。やはりしつけみたいな部分は相当程度家庭の中でというような、そういう意味で、何でもかんでも全部学校にという発想自体、文部省にも確かに反省すべき点もあろうかと思いますが、また世の中一般、例えば保護者の方々にもそういう意識があることもまた事実でありましょう。その辺をこの際思い切って改めていくという位置づけの中でこれからの教育改革に取り組んでいきたい、かように考えております。
  27. 下村博文

    ○下村委員 ありがとうございました。ぜひ積極的な教育改革をお願いしたいと思います。  終わります。
  28. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、佐藤茂樹君。
  29. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 新進党の佐藤茂樹でございます。町村大臣、御就任おめでとうございます。  大臣とは、安全保障委員会で与野党のそれぞれ理事として、国の防衛、外交という問題について議論に加わらせていただいたことを思い出すわけでございますけれども、そのときから、政策全般をわかっていらっしゃりながら、重箱の隅をつつくよう議論ではなくて非常にバランス感覚のある骨太の議論をされる方だなという印象を私はお受けしているわけでございますが、これから二十一世紀を前にして、非常に大事な教育という分野についても、ぜひ前向きに、大きな視点からの改革をまずお願いしたいな、そのように思っている次第でございます。  特に、きょうは新進党として二時間半、時間をいただいておりますけれども、私以外に、文化の世界で長年過ごされ、女性という立場からの先生の御質問、またスポーツの世界からの御質問、そして教師の経験のある方からの御質問と、我が党も多士済々でございまして、それぞれの角度からこの後同僚議員が質問をするかと思いますけれども、私の方からは概括的な質問をまずさせていただきたいと思うわけでございます。  先ほど来、自民党の先生方からも御質問がありましたけれども、本年の年頭の記者会見で橋本総理が六つの改革という、もともとは五つの改革というのは昨年の臨時国会のときからも言われていましたけれども、それに教育改革を加えた六つの改革を内閣の最重要課題と位置づけて取り組む方針を明らかにされたわけでございます。  その後、さまざまに審議会が行われてまいりました。六月には中教審の第二次答申が出されました。その後、矢継ぎ早に、同じ中教審に八月四日には、「幼児期からの心の教育在り方について」の諮問がなされ、そして九月三十日には、同じく中教審に「今後の地方教育行政在り方について」という諮問もなされている。そして、つい先日の教育課程審議会においては、中間まとめというのが十七日には出されたりしておりまして、そしてさらに大学審議会には、先日の三十一日ですか、「二十一世紀の大学像と今後の改革方策について」という諮問をなされている。  こういう審議会については、答申が出されたり、また新たな諮問がなされている、そういう状況がこの約十一カ月間の間に非常にあるわけですけれども国民から見ていて、一体この橋本内閣、また橋本政権がどういう教育全体としての改革像を持っているのかということが、確かに答申が出されていることは報道されるけれども、二十一世紀を前にして、どういう人材が必要であり、今教育がどういう問題を抱えていて、それをどう変えていかないといけないのかということが見えているのかどうかということをもう一度考えましたときに、なかなかわかりにくいんじゃないのか。確かにキーワードは出てきていると思うのです。中高一貫教育であるとか心の教育というキーワードはそれぞれ出ているけれども橋本内閣教育全体をどういうように変えていこうとしているのかということがいま一つやはり見えにくいのが今の現状ではないのかな。  ぜひそういうところを、まず最初に大臣の口から、橋本政権の教育を預かる大臣として、こういう教育改革の全体像を目指しているんだ、そういう明確な御答弁を最初にいただきたい、そのように思うわけです。
  30. 町村信孝

    町村国務大臣 御激励をいただいたこと、まず感謝を申し上げます。  ざっと概括をしてみますと、戦後の日本教育、量的な拡大、教育の機会均等、教育水準の維持向上という面では相当の成果をまず上げてきたのだろう、こう私は思っております。ただ、その間にいろいろな状況の変化が出てきたのもまた事実であります。  ですから私は、その変化というのはどういうものなのかなというと、一つは、今教育に求められているのは、量的拡大からこれからはむしろ質的向上、充実への転換ということがあろうかと思います。  それからもう一つは、戦後、特に平等ということが教育の世界では言われてまいりました。子供は確かにひとしく能力があり、その能力を全部発揮すると、ひとしく進歩、向上、発展するという部分だろうと思います。ただ私は、ややもすると日本の戦後教育、形式的な平等に流れ過ぎていたのかな、その意味は、意義はあったと思います。ただ、これからはむしろ実質的な平等へと転換をしていくというような観点も必要なんじゃないのだろうか。  それから、ある種の必要性があって偏差値というのが出てきたりしたわけでございますけれども、余りにそれが行き過ぎてしまった。ですから、先ほど自民党の議員からもございましたけれども記憶力中心、暗記中心という教育から、やはり個性を尊重したり生きる力をどう育てていくか、こんなようなあたりが基本的な今次教育改革のコンセプトかな、こう思っております。  もっとも、これは何も今ここで新しく出てきたというわけではございませんで、佐藤委員御承知のように、昭和四十六年のいわゆる四六答申というのがございまして、そこでもう既にそういう問題提起がなされ、さらに中曽根内閣時代の臨教審の答申、五十九年に設置され、四次にわたる答申がありましたが、そこでもやはりそういうよう指摘がなされていたし、その後も進んではきたけれども、なかなかそれが具体化してこなかったので、この時点で今改めて教育改革ということで幅広く取り組もうということなんだろうと思います。  ただ、教育改革プログラム、一月に出されまして、ごらんをいただきますと非常に多岐にわたっております。正確に数えたことはございませんが、百項目以上あるんですね。なものですから、全部見ていきますと、一体何が中心なのかよくわからない。私も、文部大臣に着任をした後つぶさに読んでみたのですが、ちょっと幅が広過ぎるんじゃないのだろうかという感じもして、文部省全体で今生き生きと仕事をしていることはとてもいいことだし、それぞれ重要な仕事をやっていることでいいんですけれども、もう少し焦点を絞れないだろうか。そうしないと、どうも見えづらいという今の御指摘が出てくるわけであります。  まだ十分絞れているわけじゃございませんけれども、柱立てをすればやはり五つあるいは六つかな、こう思っておりまして、一つは、今委員指摘ような、家庭地域、そして学校が一体となった心の教育というものをどう進めていくかというのが一番目。  それから二番目は、中高一貫教育という、これは一つの姿でございますけれども教育制度をより選択肢をふやしていく、弾力化していくということが二番目の柱。  三番目の柱は、これはどういう教育の中身を考えるかという意味で、週五日制というものを近々導入することを前提にして、教育内容を厳選をしつつ、自分で考え自分で答えを見出していくというよう教育に転換をしていく。要するに、教育内容を再構築していくというのが三番目。  それから四番目は、やはり学校の先生だと思います。幾ら立派な教室ができ、幾ら立派な教材ができたとしても、やはりそこにいい先生がいなければいけないということで、使命感のある、そして子供たち個性を育てられるような、そういう先生をどう育てていくのかな。  そして五番目には、その裏打ちとして地方教育、今までややもすると文部省が全部仕切ってきたと言われております。必ずしも実態はそうでないと思うのでありますが、どうしても学校の現場は教育委員会を見、教育委員会文部省を見るという、そういう構図がややもすればあったと思うのでありますが、できるだけ地方の教育委員会を中心に、さらにはできるだけ学校現場を中心にした、そして個々の学校が特色のある教育、責任のある教育ができるようにしていくという、地方の教育行政システムを地方分権の方向に沿って改めていくというのが五番目。  そしてさらに六番目は、大学院の充実でありますとか、世界に冠たる立派な研究ができるようなそういう高等教育システム。また、大学自身そのものもいろいろ改めるべき点がございます。そうした面の大学あるいは大学院、研究、そうしたものの改革。  それだけ挙げてもまた多岐にわたり過ぎているという御批判はいただくかもしれませんが、私の考え方からするとその五つ、六つが中心になるのではなかろうか、こんなふうに考えているところであります。
  31. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 今大臣が、もし最初の御答弁だけなら続けていろいろ御質問しようと思ったことまで含めてお答えになったわけですけれども、そこでもう一つそのことに関連してお聞きしたいのは、今大臣の御答弁の中で、今やろうとしている教育改革、そのもとは四六答申、さらには中曽根内閣のときの臨教審、このあたりからの流れであるというようなお話がありました。  そのときに、特に中曽根内閣以降、いわゆる教育の荒廃なんかを踏まえた上で、学校教育だけが教育の場ではないんだ、生涯学習の教育というものへの移行ということをきちっと考え、またそういう視点から学校教育というものをもう一度見直すんだという流れになってきたと思うのですけれども、そういうものがきちっと根底にあった上での教育改革ということを今考えておられるのかどうかというのをお伺いしたいのですね。  というのは、やはり六つの改革、ほかの五つの改革がありますけれども、その改革をした上で二十一世紀にどういう社会を築いていくのかという、その根底になるのも、どういう人材を教育の場から送り出していくのかということが一つのやはり一番大きな根っこの部分でのポイントになってくるのではないのかな。どの改革、またどの社会の分野にしても、どういう人材が送られていくのかということが非常にポイントになってくると思うのですね。  そういうあるべき人材像を見ていったときに、やはり四六答申であるとか、また臨教審以降のそういう大きな教育改革の底流にある考え方というものを、今回のこの橋本政権で言われている教育改革も踏襲されているという考えなのか。いや、従来とはまた違うんだ、さらにここの部分をきちっと強調しているんだ、そういう考えなのか。そのあたりについてもう一度御答弁をいただきたいと思います。
  32. 町村信孝

    町村国務大臣 今委員指摘になられました臨教審、三つの柱立てをしておりました。一つ個性重視の原則、一つは生涯学習の体系への移行、三つ目は国際化とか情報化とかそういう新しい社会変化にいかに対応していくかという三つの視点からさまざまな提言がなされまして、それはそれでかなり、初任研の導入とか指導要領の大綱化でありますとか、あるいは大学等の設置基準の大綱化とか、それはそれで私は、随分進んできた面があるし、もちろんそうしたことを踏まえなければ、今回の私ども教育改革の中身はなかったと思っております。  ただ、さはさりながら、やはりこの十年間を見ても新しい変化が現実にまた起きている。先ほど、例えば地方教育の話を申し上げましたけれども、これなどは今まで、ちょっとさっき申し上げましたけれども、余りにもイデオロギー中心的なそういう教育現場があった、それが少しそういうことでもなくなってきたというよう変化も現に起きてまいります。そういたしますと、ある意味では文部省としては、安心してという言い方は変ですけれども、より一層現場に物事をゆだねることができるような、そんな環境も生まれてきたのかなというようなこともあるわけであります。  そのようなことで、あるいは地方分権という流れが、確かに昔からあったわけでありますが、やはりここ数年間の中で、国政全般あるいは日本国家社会全般の中で、大きな地方分権の流れあるいは規制緩和の流れというのがより大きくなってきた、各政党の主張もそういう意味で一致してきた、やはりそれを教育の分野で受けとめていかなければならないだろうといったようなこと、そのような臨教審答申以降の、また大きな社会変化も踏まえながら、今回の教育改革が構成されているというふうに私は理解しているところであります。
  33. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 その中で大臣が、教育改革プログラム、先ほど読んでも三十三ページ立てになっているのですね。非常に文部省の皆さんも力を入れていただいて、一月のときから見ると改訂版は非常に内容的には膨らんだかなという感じがするのですが、ともすれば大臣も言われましたように非常に総花的になっていまして、本当に改革として今重点的に力を入れていかなければいけないものと日常の業務でやればいいじゃないかというものと、どうしてもミスのないようにきちっとおさめてある、そういうプログラムになっているのではないかなという感じがしたわけです。  今大臣から、その中でも特に力を入れたいのは六つの柱なんだ、そういうことを御答弁いただいて非常にすっきりしたわけでございますけれども、その中で特に、別に神戸事件がきっかけではないと思うのですけれども、心の教育ということが、やはりこれから一年ぐらいかかって中教審を中心に審議され、また国民議論を呼んでいくのではないのかなという感じがするのですけれども、そのことについて、大臣が産経新聞の九月二十一日のインタビュー記事で次のように答えておられるのですね。  インタビュアーの「心の教育が注目されていますね」ということに対して、大臣は「学校家庭地域の三位一体で教育が行われ、それぞれの場所で、どうやったらよりょくなるのか考える必要がある。学校の問題では、道徳の時間が有効に活用されているようには私には思えない。」そういうようにお答えになっているのです。  私は、先ほど来、自民党の議員の先生方の御質問に対しても、本当に大臣が見事に答弁されているように、やはり家庭教育地域社会教育力とそして学校、これがきちっと連携をとり合っていかないと、この心の教育という問題についてはなかなか解決しないだろう。ともすれば今学校現場だけに余りにも過度の負担が強いられているのではないかな、そういう感じがするのですね。特に父親がどうかかわっていくのかということが一つのポイントになってくる部分もあるのじゃないかなという感じがします。  その部分について、私も自省の意味を込めて、平日子供とかかわっておりませんのでそういう意味で言っているのですが、大臣のところはお嬢さんは二人とも大変大きくなられておりますが、私のところは下はまだ幼稚園児でございまして、将来どうなるのか心配だという部分はあるのですが、そういう家庭での教育というところも本当に、行政としてどこから立ち入れるかわからないけれども、アピールをされている大臣というのは僕は非常に評価していいのではないかな、そういう感じがしているのです。  もう一つは、やはり文部省として考えていかなければいけないこととして、先ほどのインタビューでもありましたが、道徳の時間が有効に活用されているのかどうか。これは最近のデータではないのですが、九四年の文部省の道徳教育推進状況調査結果というのがあるのですけれども、そこで、道徳の時間の標準年間授業時間数は三十五時間である、しかしながら、その標準時間数を確保した学校は、小学校では五八・〇%、中学校では何と二四・四%となっている。文部省調査自体でこういう数字が出ているのですね。  町村大臣が先ほどのインタビューでも答えられているとおり、この数字自体、中身はともかく、時間数すら道徳の時間が確保されていない。そういう実態がもう九四年の時代で明らかになっているわけでして、まさにインタビューで答えられているとおり、私も大臣のそのまま言われていることに同感なんですけれども、そう言われた以上、大臣として、この道徳教育充実ということについて、何か新たな取り組みというものを考えておられるのかどうか、まずお尋ねをしたいと思います。
  34. 町村信孝

    町村国務大臣 父親の役割の重要性、もう御指摘のとおりだろうと思っておりまして、私自身も、実は自省を込めながらちょっとそういうことを言ったこともございます。  道徳教育につきましては、今御指摘のとおり、一応週一単位時間ということになっておるのでありますが、現実にはそれに到達をしていない。時間数的に見ても不十分であるし、また、その中身を見ても、私も現場の先生あるいは親御さんに聞いてみたのでありますけれども、どうしても、こういうことは大切ですよという形式的な徳目を一方的にしゃべるということにとどまっていて、本当にその人の話を聞いて心底納得をするといいましょうか、心の琴線に触れる、奥底に響くような、何かそういうような魅力ある授業といいましょうか、時間が送られていない。  実は、これは総理から聞いた話でありますけれども、ちょっと道徳の時間ではないのですが、薬物乱用の問題というのが大変大きな問題になってきているのは御承知のとおりでございますが、先般、都内のある高校に総理が行かれて、そこで麻薬取締官のような方がとつとつと一時間しゃべったのです。最初はがやがやしていたけれども、途中からしんとなって、みんながうなずいて聞くようになった。決してこれはしゃべっているその話術が上手だとかそういうことではない、ただ、自分がいかに真剣にこの問題に取り組んできたかというような話をしたらば、みんなが真剣に聞き入ったという、その姿に実は総理は感動を覚えたという印象をこの間私に教えていただきましたが、要するに、例えて言えばそういうことなのではないのかな。  ですから私は、その教え方、授業の持ち方というものをより改善する余地がある。そういうすぐれた、例えば地域の方のお話を聞くとか、あるいは先輩の話を聞くとか、学校の先生だけが教壇に立っている必要はないし、現に先生以外の方も教壇に立てるという制度はできているわけですから、そういうような、教え方を改善をしたりとか、あるいは教材そのものも少し陳腐化しているのじゃないのかな、もう少しいい教材をつくるといったようなことを努力したらどうかな。あるいは、座学ばかりではなくてボランティア活動にもっと参加をしていく。そうすると、やはりおじいちゃん、おばあちゃんがいかに、今、終末を迎える直前にどんな生き方をしているのかということを通じて自分の生き方をもう一度考える、そんなきっかけを持つ、そういう時間にしていくとか、もう少し工夫があっていいのじゃないのだろうか。  先般の教育課程審議会中間取りまとめでもそんな御提言も幾つか入っているようでありますし、また、時間配当をもう少し重点化していくとか、幾つかの提言がございます。そんなようなことを、さらによりよいものを答申として出していただき、実践する。しかし、もう待ったなしですから、私は、その中からできるものはもうできるだけ早く、あしたからと本当は言いたいところでありますが、次の学期から、あるいは来年度からでも、できるものはできるだけ早く現場に取り入れていく、そんな努力を現場に促していきたい、こんなふうに考えているところであります。
  35. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 この問題、本当は時間が許せばさらにいろいろ御議論はしたいわけですが、時間も限られていますので、先ほど大臣が言われた柱項目に沿って一つ一つ概括的にお聞きしたいのです。  もう一つは、教育行政の地方分権化ということにつきまして、冒頭にも申し上げましたけれども、九月三十日に、今御答弁にもありましたが、「今後の地方教育行政在り方について」を諮問された。これは、特に九年度中をめどに、教育長の任命承認の廃止と教育委員会の活性化方策等についてまず答申をしていただく。それ以外にもどんどん引き続きされるかとは思うのですけれども、そのきっかけになったのは、一つは、やはり昨年十二月の政府の地方分権推進委員会の第一次勧告を受けて、どうされるのかということを多分答えを出さないといけないということで審議されたと思うのです。しかし、地方分権というのは、そういう限られた部分だけではなくて大きな視点から、二十一世紀教育行政、特に国と地方の関係のあり方についてやはり考えるべきときに来ているのではないかな。  先ほど大臣の答弁の中にもありましたが、教育行政について、国がはしの上げおろしにまで非常に関与している、そういう上意下達のイメージというか、そういうものを特に文部行政には感じるという声もマスコミなんかではちらほら、この諮問のときなんかの報道で書いている部分があるわけですけれども、そういう瑣末な部分までの関与の見直しはもちろんのこととして、今ちょうど行革会議の集中審議というのが行われております、  私は、行革のやはり一つのポイントは、どう地方分権とセットで考えていくのかということが一つのやはり大きなポイントではないかな。ともすれば、マスコミの報道の仕方もあるのですけれども、今ちょっと省庁の再編の方にだけ光が当たって、一府十二省庁とかいうことだけに、何か数合わせのところだけに光が当たっているように思いますけれども、本来やはりこの行革のときに、例えば文部省なら文部省の中での仕事というものをもう一度見直して、仕事のスリム化、またむだな仕事は省いて、さらにもっと言えば、この部分は地方に権限を移譲してもいいのではないかという、そういう地方分権の部分まできちっとセットで論じられてこの行革というものは進められていくべきものではないかな、そういう感じがするのですね。  特に、今までの学校現場への関与の仕方というのは、教育委員会にしろ文部省にしろ、どちらかというと管理ということがどうしても優先されていたのではないのかな。もう少しやはり学校現場に任せる部分を多くして、そこに光を当てて、文部省とか教育委員会学校現場の創意工夫を支援していく、そういう角度での地方分権というものを考えていってもいいのではないかなという感じがしているわけですけれども、大臣の教育行政の地方分権化についての御所見がありましたら、お伺いしたいと思うのです。
  36. 町村信孝

    町村国務大臣 先ほど委員が御指摘なさいました地方分権推進委員会、既に第一次から第四次までの勧告が出されておりまして、その中で文部省関係の数多くの指摘事項がございます。  先ほどお話が出ました、教育長の任命承認制を廃止する、あるいは教育委員会の活性化の方策について検討する、あるいは文部大臣、都道府県・市町村教育委員会との関係の見直しをする、今まで地教行法上は、指導、助言、援助について、文部大臣はそういうものを行うものとすると書いてあったわけでありますけれども、行うものとするという発想ではなくて、どういうのでしょうか、そういう義務という感じではなくて、してもいいですよぐらいの、何かもうちょっとやわらかい表現にするというようなこと、あるいは、教育課程の編成を文部省が決めるのではなくて、現場で弾力的にやってもらうといったようなことがもう既に第一次勧告で指摘がございますので、私どもとしては、それをどういう形で実現をしていくのか、必ず実現するという前提に立って、今、中教審の方で地方教育行政のあり方全般について御審議をいただいているという段階で、これもできるだけ早くお答えをいただきたい、こう思っております。  その審議していただく中身でございますが、言わずもがなでありますが、教育委員会制度がちょうど来年で五十年という節目の年を迎えるというようなこともあるものですから、今申し上げましたような、要するに、主体的に地方が教育行政をやれるという、その基盤づくりのための、さっき言った承認制の問題とか、あるいは教育行政にもっと地域住民の意向が的確に反映できる方法はないのだろうかといったようなことが一つだろうと思います。  それからもう一つは、学校運営そのものももっと自主的に、校長先生のリーダーシップを発揮できるような体制づくり、さっきちょっと予算とか権限とか人事とか申し上げましたけれども、それが全部校長先生の言いなりになるかどうかは別にして、できるだけ現場の声がそこに反映できるようにするというようなこと、あるいは学校運営そのものについても、PTAというのもありますけれども、もちろん今度は地域住民の方々の声も、その地域の大切な学校なのですから、学校にその地域の方々の声も反映できるようにする仕組みはないのだろうかといったようなことを御検討いただいたり、さらには、やはり文化とかスポーツとか青少年団体とかいろいろありますので、そういったものとの連携協力、こんなようなことで今後の地方教育行政を考えていただければということで諮問をしたわけでございます。  いずれにいたしましても、今の行政改革議論が、委員指摘ように、ただ単に省庁の数合わせに終わっては決してならないと思っておりますし、もしそうであるならば、橋本行革は失敗したという烙印を押されるであろうことはもう目に見えているわけでありますので、私は、少なくとも私の責任において行われるこの文教分野におきましては、最大限の規制緩和でありますとか、あるいはこうした地方分権の推進ということを具体的に進めていく、そしてその結果として文部省がどれだけスリムになっていけるのかということに鋭意取り組んでまいりたいと考えております。
  37. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 今の大臣の決意表明、それをまさに御期待をしたいわけですけれども、その中でちょっと具体論で一つだけ、今後審議会で話し合われるのかどうかは別にしても、考えていかなければいけない視点として、最近、学校教育法というのをちょっと勉強していたのですけれども、その中で「逐条学校教育法」という本、これは文部省のOBの方で、大臣官房長も踏まえ文化庁長官までされた方が書かれている本なんですが、その中で、学校教育法の百六条というのがあるのですね。  それで、それまでの条文、十五の条文を列挙した上で、その百六条というのはどういうことになっているかというと、その十五の条文の「監督庁は、当分の間、これを文部大臣とする。ただし、文部大臣は、政令の定めるところにより、その権限を他の監督庁に委任することができる。」そういうようになっているのですね。  そのことについてこの著者が解説されているのは、   それぞれの条文中にはじめから「文部大臣」又は「都道府県教育委員会」と規定しないで、「監督庁」と規定しておいて、本条でまとめて読み替えているのは、本法制定当初は、地方の教育行政組織が明確に整備されていなかったことと、将来は、地方の監督庁に権限を大幅に移譲しょうとの考えがあったからだといわれている。そういうようにこの書の中で書かれていまして、どういう内容がこの「当分の間、これを文部大臣とする。」 実は、この「当分の間、」ということで、この学校教育法が制定されたのは、御承知のとおり昭和二十二年三月三十一日ですけれども、「当分の間、」といって、五十年間実はこのまま「当分の間、」が引き継がれてきているわけです。  例えば最初の、第三条の学校の設置基準とかいう、これは文部省が国全体として決められることはまたいいかと思うのですけれども、第八条なんかは、校長及び教員の資格に関する事項は、この監督庁、ここでいえば文部省がこれを定める。さらに代表的なものでいいますと、第二十条とか三十八条、四十三条では、それぞれ小学校の教科であるとか中学校の教科に関する事項、さらに高等学校の学科及び教科に関する事項は、これは文部省が全部これを定めるのだ、そういうことでずうっと五十年間やってきているのですね。さらには、四十五条では、高等学校の「通信制の課程を置くことができる。」ということについても、その課程に必要な事項は文部省がこれを定めるという形で、すべて、先ほど言いましたけれども、十五の条文について、「当分の間、」といいながら、五十年間文部省がずうっとこれをやってきておった。  五十年間の流れを踏まえて、例えば、学校教育法を具体的に例に挙げましたけれども、そろそろ見直して、抜本的にやはり地方分権という大きな流れの中で、全部が全部権限を移譲しろとは言いませんが、一つの地方に譲ってもいい部分は権限を移譲してもいいのではないか。  先ほど大臣は、規制緩和という言葉も言われましたけれども、例えば小中学校の教科とか学科に関する部分、こういう部分についても、少しの部分は地方でそれぞれ特色あるそういう教育がなされるような、そういう権限移譲がされていってもいいのではないかな。そういう見直しを抜本的に一つ一つ、法の条文にも「当分の間、」といいながら五十年間ほったらかしにしてきた部分があるんだという、そういう認識に立って見直しをしていただきたいなと思うのですが、大臣の御所見を伺いたいと思います。
  38. 町村信孝

    町村国務大臣 私も、百六条を見てみますと、第一項、確かに御指摘のとおりだな、こういう認識を持ちます。確かに、今委員お話しのとおり、二十二年に学校教育法が制定された当初は、いろいろな法令が整備されていなかった。教育委員会法は昭和二十三年七月、文部省設置法は二十四年五月というぐあいに、だんだん後になってきておりますので、そんなこともあって、こういう学校教育法の規定になってきた部分もあろうかと思います。  いずれにいたしましても、今、中央教育審議会で、国と地方の役割分担、市町村との役割分担について御審議をいただいております。そういう中で、今御指摘の点、最大限地方に権限をゆだねていくという方向で、文部省が本当に持つものは、骨格とか大綱とか、基本にかかわる部分にできるだけとどめる、そういう努力をやっていきたい、こう思っておりますので、基本的には、今委員指摘ような姿勢、取り組み方でこの百六条の見直しもやっていきたいし、また中教審審議もそういう方向で御議論をいただければと期待をしているところであります。
  39. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 時間があと五分になってまいりましたので、あらかじめ質問通告していた分をちょっと飛ばすかもわかりませんけれども一つは、児童のいろいろな最近における行動のことで、文部省としても積極的にいろいろ調査をされて、その報告をされているのですね。  もう時間もありませんので、まとめてお聞きしたいのですけれども一つは薬物の乱用防止教育について、実はこれは本年の通常国会で、まだ大臣が御就任される前でしたけれども、前の小杉文部大臣の時代に私が当委員会で取り上げさせていただきまして、議事録も今見ておりますが、そのときに私が、全国的に実態調査をしてはどうか、一つはその意識調査、もう一つは、どういう教育がなされているのかという実態調査をしてはどうなのかと。  最初、官僚の皆さん初め、なかなか渋っておられたのですけれども、それが一つの考慮の対象となったのかどうかはわかりませんが、結果として三月以降、特に五月ですか、薬物に関する意識調査と薬物乱用防止に関する教育の実態調査が行われたということは、私は非常に評価をしているわけです。  ところが、実際にこれを調査されたら、さらにはっきりしたことは、きょうはもう時間ないので数字を出しませんが、子供たちの間にやはり薬物乱用の危険性が十分に認識されていないということが一つは明らかになったということでもありますし、もう一つは、何らかの指導を行った学校の比率というのは、小学校が二一%、中学校が七六%、高校が八九%という数字でまだとどまっているという、そういう調査結果が明らかになっているわけです。  このそれぞれ薬物というものに対する意識調査また教育の実態調査をどう受けとめておられて、またその後、薬物乱用対策推進本部というのが政府のもとに総理大臣が本部長で置かれていますけれども、そういうところに対してきちっと報告をなさり、開かれたのかどうか。さらには、今後の薬物防止教育にどう役立てていかれようとされているのかということをまずお聞きしたいのが一点。  もう一つは、これはまた薬物とは違う角度なんですが、同じくこの秋口に、特に九月十一日の各紙に、文部省日本学校保健会に委託して実施された保健室利用状況調査の結果を発表されているわけですね。その内容たるや、いろいろあるのですが、基本的には、六年前の調査に比べて、いわゆる保健室登校というのが六年で倍増した、そういう実態が数字として明らかになっているわけです。  そのことを踏まえてどうこうということを簡単には、軽率には言えないかもわかりませんけれども一つのとらえ方としては、登校拒否の子供たちが教室に戻る前のステップとなるケースである、そういうとらえ方もできますし、また、不登校には至らずに保健室までは来る、こういう意思を表明している部分でもある、どちらのとらえ方もできるかと思うのです。  しかし、そうなってくると非常にポイントを握るのが、そこを頼りにしてきている、保健室の中にいる先生、いわゆる養護教諭の先生方の資質の向上、また養護教諭の先生方が本当にそういう子供たちに対応できるだけの複数配置がされているのかどうかということがやはり大事になってくるのではないかな、そういう感じがするのです。  そういう観点から、二つの全然角度の違ったテーマをお聞きするのですけれども、私は、養護教諭というのは本当に、カウンセリングの能力なんかも含めて資質の向上をさせると同時に、必要であればどんどん複数配置していってもいいのではないかな、そういう感じがしているのです。  薬物という問題と保健室登校の問題につきまして、大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
  40. 町村信孝

    町村国務大臣 まず、薬物の問題でございます。  先生に二月に御質問をいただいて、それを受けまして文部省調査、結果を十月に公表いたしました。細かい内容は今省きますけれども、やはり私は、大変これは危ないなと本当に思いました。深刻だなと思いました。どうしようかなということで、しかしまず、指導要領上、中高は位置づけられているのに、それをきちんと指導していない学校があるということは、これはゆゆしき問題であろう、こう思っております。  そのようなこともありまして、去る十月三十一日に事務次官通達というのを各教育委員会に出しまして、この薬物乱用防止に関する指導の徹底を図っていく。さらに、新しいカリキュラムの中では、私は、小学校の段階からもこうしたものを取り組むようにしていってはどうだろうかということを考えたり、さらには、新しいパンフレットをつくったり、こうした面で一生懸命取り組んでいきたい。  なお、対策本部は一月、四月、五月と開かれて以降、実は開かれていないのでありますが、構成メンバーには、我が省の調査結果、あるいはこの通知を出しましたということを徹底して連絡はしてございます。  それから保健室登校、これも私も、実はある学校に行って保健室を訪れて、養護教諭の方と、どうですか、最近忙しいですかと言ったら、いやあ、本当に昔と比べて忙しくなりましたということから、先ほど委員指摘ような実態が本当にそうなんだなということを、私も実際実感を持ったところであります。  そういう意味から、養護教諭のレベルアップ、そのための研修会の開催をしたり、あるいは、これは養護教諭だけに任せるのではなくて、やはり校長先生とか学級担任とか保健主事とか、学校ぐるみでそういう不登校の問題に取り組んでいかないと、せっかく保健室まで来た、それからそれぞれのクラスに行かないというのではやはり困るのでありまして、そこは学校ぐるみで取り組むようにというようなこと。  さらには、学校の養護教諭の育成のカリキュラムというものについても、さらにより高度の内容を含む、そういう育成ができるように、これはカリキュラムの段階にさかのぼって、今教育職員養成審議会で検討を進めていただいているというところでございます。
  41. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 時間が参りましたので、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  42. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、池坊保子君。
  43. 池坊保子

    ○池坊委員 新進党の池坊保子でございます。町村大臣には、大臣御就任おめでとうございます。  私は、いつも申し上げておりますけれども、いつの時代にあっても、政治、経済、文化、科学技術を支えていくのは人間そのものではないかと思っております。ですから、人間教育が抜本的になされなければいい社会を構築することはできない。まして二十一世紀は、国際社会の中にあって民族、文化、宗教の違う人々が共存し、競い合って生きていく時代ですから、その中で、正しい判断力と多様な価値に対応できる人間としての英知、教養がなければ生きていくことができないのではないか。そういう時代を迎えるに際して、教育においては、町村大臣に抜本的な教育改革をしていただきたいと切に希望するものでございます。  専修大学の正村先生は、今の日本教育界にあっては、子供たちに教えるべき教養の体系がなされていない、社会的ルールが身についていない、社会的ルールというのは、自己抑制と自己主張のバランスだとおっしゃいました。私も同じ思いを持っております。何が大切で何が間違っているのか、この価値判断というのが教育の基本ではないかと思っております。  そういう意味でそれが如実にあらわれているのが、社団法人日本PTA全国協議会が発表した子供社会環境についてのアンケート、これは十一月十二日に発表したものでございますけれども、この実情がまさしく今の子供たちをあらわしているのではないかと思います。  この中で、中学三年生とその保護者を対象に、それぞれ約千七百人からの回答を得ております。この結果として、中学三年女子の〇・八%が援助交際をしている、一七%が抵抗感を持っていないということが明らかになりました。また、テレクラやツーショットダイヤルを利用した経験者は、女子の二一%、それから喫煙は五人に一人、テレクラは七人に一人が経験しているわけです。また、シンナーなどの薬物は六十人に一人が経験をしております。また、万引きの経験があるというのが、男子が二三%、女子一九%、全体にすると二〇%でございます。  この万引きに関しましては、親の調査では、親は、うちの子供に限って絶対万引きなどしていないだろうと答えるのに対して、子供は、実際には経験をしたと答えておりますのが一七%にも上っているのです。  私は、この援助交際というのは全く大人がつくり出した責任なのではないかと思います。特にマスコミの影響が大きいのではないか、マスコミの責任も私は大だというふうに思っております。援助交際というのは、これは全く売春そのものでございます。売春は、これは完全な犯罪です。子供たちは、売春というと後ろめたい気がする、何か悪いことをしているような気がする。にもかかわらず、援助交際というと現代的な風潮であるような気がして、罪の意識を感じないでやってしまうというのが大きいのではないかと思っております。  このことについて町村大臣はどのようにお考えか、所見をお伺いしたいと思います。
  44. 町村信孝

    町村国務大臣 今、池坊議員御指摘援助交際を初めさまざまな問題、いずれも本当にゆゆしき問題だ、こう思っております。援助交際というのはまさに、ただ単に言葉をかえた売春そのものだ、こう私も思っております。  実は先般、北海道でも、地元の若手の有力な経営者が援助交際という名目で結局逮捕されたという事件まで北海道の新聞に大きく出たりしておりました。何であんなに若手の優秀な経営者がそういうことをするんだろうかとひとしくみんなショックを受けたわけでありますが、本当に幅広く蔓延しているという事態、本当に残念であるし、どうやったらこの問題を解決できるか、本当に難しい、頭の痛い問題でございます。  もちろん、道徳教育の時間の活用でありますとか、あるいは性教育というものも諸外国と比べるとまだまだ立ちおくれた部分があるようでございますが、そういった面での教育をする、あるいは生徒指導といったようなこと、やはりこれも、最後は家庭地域学校の連携で問題に対処していくしかないのかなと考えておりますけれども、いずれにしても、人間の尊厳にかかわる問題として非常に憂慮すべきことであるし、いかにしてこの問題にしっかりと取り組んでいくかということを、委員の御指摘もいただきながら、これから努力をしてまいりたいと思っております。
  45. 池坊保子

    ○池坊委員 今、大臣は人間の尊厳にかかわるとおっしゃいました。私も、この問題がゆゆしき問題だと思いますことは、ただ男女のフリーセックスだという問題でなくて、これは子供たちの生き方の問題である、人生の問題だと思いますので、文部省にはきちんとした対応をしていただきたいと切に希望しております。  私、大変残念に思いましたことは、この援助交際、売春の実情、子供たちの意識調査というのを文部省は何にも今までなさっていなかった。このPTAの調査によって初めてわかったということに対して、私はとても残念だと思えてならないのです。このような重大な問題に対して何の認識もなかった、対策もとっていない、これは文部省の怠慢なのではないかと思っております。  昨年の十二月二十五日のニューズウイークは、「性風俗に走る青春」と題して、援助交際について報道しております。「経済不振、財政赤字、不良債権問題と、日本の危機的状況についてはさんざん報道されてきた。だが今や、病んでいるのは日本経済だけではない。」精神的にも今日本は病んでいるのだ、今は国家的危機と言っても言い過ぎでないと言って、さまざまなその実情が書かれております。  特に、「ごく一般的な家庭の普通の少女が風俗産業に入り込んでいる」のだ、「家が貧しいからとか、生活を支えるためといった理由で風俗の世界に入るのではない」のだというふうに、日本子供たちの今の気持ちを書いているわけです。「テレクラは東京だけで三百六十四軒ある」、十年前は八十軒であったわけです。今や「女子高生の四分の一が一度はテレクラに電話をかけた経験があり、三〜四%は実際にデートに応じたことがある」というふうに書かれております。  警視庁の調査によると、「今や高校生のセックス経験者は男子より女子のほうが多い。八四年に高校三年生を対象に行った調査では、男子生徒の二二%、女子生徒の一二%が経験者だった。だが今年の調査では、男子二九%、女子三四%と逆転している。」このような記事が書かれた後で、このようなことをほっておくというのは、国全体が、日本の国が今やモラルを喪失しているのではないかというふうな問題を投げかけております。最後に、「日本の風俗産業は、娯楽を提供するためにあるのではない。金儲けのためにあるのだ。儲かるならいいか、と考える風潮が続くかぎり、日本の女子高生はテレクラに電話をかけ」続けるだろうというふうに結んでおります。  これは、もちろん文部省だけの問題ではないと思います。テレクラは通産省になるのか、いろいろな横の行政もあるとは存じますけれども、このニューズウイークだけでなくて、いろいろな週刊誌、いろいろな新聞にも援助交際と題して学生の売春の実情が報じられていたにもかかわらず、今までこのような大切な問題に対して文部省が何ら手を打たれなかったことに対して、大臣はどのようにお考えでございますか。——大臣の御所見を伺いとうございます。調査でしたら、こちらも勉強してまいりました。
  46. 長谷川正明

    ○長谷川(正)政府委員 恐れ入ります。事実関係だけ御報告させていただきます。  今先生が御指摘になりました日本PTA全国協議会の行った調査につきましては、もちろん、その意義にかんがみまして、私どもこれに協力をする、具体的には、平成九年度の社会教育活動振興費補助金の中で、この調査のための経費の一部を負担させていただく形で協力をしております。
  47. 町村信孝

    町村国務大臣 委員指摘ように、文部省が十分な取り組みをしてきたか、あるいは政府全体でどうかと言われると、確かに、これだけ援助交際という名のもとの売春が横行しているのに十分な対応をしてきたかというと、率直に言って、内心じくじたるものがございます。  警察は警察で、刑法に従って取り締まりをしているのでありましょうが、今のお話を聞いておりまして、確かに、テレクラというものの数自体が相当この間ふえているという実態がはっきりしているのに、そのテレクラ自体の存在を何かきちんと規制をするといいましょうか、しかし、それをもっと言いますと、その種のたぐいのものがその辺の繁華街を見るといっぱいあるわけですよね。最近は、何というのですか、トルコぷろとは最近言わないのですか、何とかというのがありますわな。  こういうことごと一つとりましても、それは明らかに売春の場になっていながら、それは、言うならば無視されているといいましょうか、適切な対応がないということが本当に許されるのかどうなのか。結局、今の刑法その他では取り締まれないからあれだけ横行しているということなんでしょうから、その辺は、現在の法規制のあり方、根っこからさかのぼって検討してみなければいけないのかな、そんな印象を持ったところであります。
  48. 池坊保子

    ○池坊委員 テレクラの防止に関しましては、長野県以外の都道府県で淫行条例を今つくってみんなが施行しているようでございますから、多少テレクラの規制はできてくるのではないかと思いますけれども、やはり子供への防止というのは文部省の分野ではないかと思います。  どうしてこのよう子供たち援助交際という名のもとの売春に走っていくのか。単純に原因を一つに絞ることはできませんけれども、もちろん週刊誌のはんらんもある。週刊誌でいろいろな記事が書き立てられると、子供たちはそれに対しての判断力がなくて、自分も背伸びしてそういう体験をしてみたいなというようなこともあるかとは思いますけれども、私は、やはり偏差値優先の画一的な詰め込み教育に問題があるのではないかというふうに思っております。  学校地域、親というのが同一の価値で子供を見るというところに問題があるのではないか。昔でしたら、例えば勉強ができなくても、お父さんにしかられても、受け皿としてそれを祖父母が受けとめてあげる、それから地域にスポーツなんかで発散をすることができるというような受け皿があったけれども、今は、親も地域も、そして教師も、勉強という、偏差値というその成績だけで子供を受けとめる、子供を評価する。そうすると、評価されない子供たちは、自分の欲求のはけ口をほかに持っていくことができなくて、どこかで自分を認めてほしいということになっていくのではないか。  これは、まさしく今、中教審審議していらっしゃる心の教育のあり方ではないかと思っておりますけれども、この偏差値教育の中でこのような問題が起こってくることに対して、どのように政務次官はお考えでございましょうか。
  49. 鈴木栄治

    鈴木(栄)政府委員 池坊先生のおっしゃることは非常によくわかります。実は私、今いじめ問題で各地域に出向いて講演会活動などを行っているのでありますが、子供が勉強勉強といって、成績ばかり気にする、事実、今こういう風潮になっているんですね。  ですから、そうじゃなくて、まず自分のいいところは何か、例えば自分は走るのは遅い、でも、例えば技術ができるとか歌がうまいとか英語ができるとか、そういうところをまず見つけることが大事である。そしてまた、それを伸ばしてあげる教師が必要であり、またそれを認める社会というものをつくっていかなければならない、そのように思っております。
  50. 池坊保子

    ○池坊委員 つくっていかなければいけないということはだれでもわかっていると思います。だけれども、現実にそれはどういうふうにしたらいいのか。言葉で言うのは簡単なんですけれども、じゃ、それについての施策をどうお考えか、ちょっと伺いたいと思います。
  51. 鈴木栄治

    鈴木(栄)政府委員 ですから、先生のおっしゃっているとおり、言うことは簡単だがやるのはどうだと。言うなれば心の教育といっても非常に奥深いところがあるのでございます。ですから、じゃ、この偏差値をどうするか。例えば人と会ったときに、この人はこの大学を出ている、この人はこの大学を出ていない、ぱっと見たときにどうやって判断するか。残念ながら今、日本社会全体の問題がそういうところにあるのでございます。  ですから、私が言うのは、まず小学校中学校、その前に家庭教育から、あなたは、ここは短所だけれども、ここは長所だよ、でも短所の部分はこういうふうに直していこう、でも長所はここなんだからここを伸ばしていこう、言うなればまず家庭が、保護者が自分自身の子供に力をつけてやる、どんな逆境にも負けないような精神力をつけてあげるところから物事が始まらないと、これは言うなればがんと同じように、特効薬はないのですよ、有効手段をかき集めていって、そして一つのものになっていくんではないかな、私はそう思っています。
  52. 池坊保子

    ○池坊委員 大阪府警では、援助交際は売春ですというポスターをつくっております。私は、これぐらいのショック療法で文部省も、小中学校に、援助交際は売春です、これは完全な犯罪です、そのようなポスターをつくっていただきたいと切に希望いたします。  先ほど申し上げましたように、援助交際というのはいろんな問題をはらんでいる。一点は、お金によるフリーセックスによって若いときから安易にお金を得ることを学びますと、堅実な生活を否定するものになって、これは人間形成に多大な影響を与えるのではないかと思っております。警察庁発表の援助交際現状と対策によりますと、今までは好奇心で援助交際をしていた、でもこの五年の間に、遊ぶお金が欲しくてと動機が逆転しているのです。つまり、お金が欲しい、それは労働で得るのは大変である、だから一番いいのは売春だというふうになってきております。  それから二点目には、子供たちは、それによって精神がむしばまれていくだけでなくて肉体もまたむしばまれていっております。昨年一年間、テレクラで知り合った成人男性からわいせつ行為などの被害を受けた少女のうち、中高生は全体の七一%というふうになっております。  それから、広島市で産婦人科クリニックを開いていらっしゃる河野美代子さんの調査によりますと、この五年で二千五百人の少女たちを診察した。援助交際で、パイプカットをしているとだまされて妊娠したり、性感染症をうつされる子供というのも実に多いわけです。  それからまた、援助交際、売春をしたがために暴力団とかかわり合いを持った、あるいはそのために薬物に走ったり、犯罪行為に走るというようなことが起きておりますので、再度、しつこいようでございますが、文部省はどのような対策を具体的にしていただくかをちょっと伺いたいと思います。
  53. 鈴木栄治

    鈴木(栄)政府委員 池坊先生、これはちょっと私も非常に驚いたことがあったのでございます。実は、これはテレビだったか新聞だったかちょっと忘れましたが、ある高校生の女の子だったと思います。援助交際という言葉、その子がやっているんでしょうけれども、そのときにこういうことを言ったのです。何で他人に私言われる必要があるんだ、私、変な話、その人も喜んで私もうれしいんだ、いいじゃないか、親に言われるんなら私わかるんだ、そういう言葉が返ってきたんですよ。  私は、本当にこれは何とかしていかなきゃいけない。そうなって、私はそれからいろいろなマスコミ等を通じていろいろ勉強していく中において、これは文部省だけがどうこう、例えば、じゃ、家庭をこうしなさい、ああしなさいと言っても非常に難しい部分があるのでございます。  ですから、私はいつも言っているように、文部省家庭がやはり一緒になって、それと学校教育、要するに三位一体となってこれはやっていかなきゃいけない。言うなれば各所連携をとりながらこれを、本当に私たちは子供たちの笑顔のために勇気と情熱と自信を持って取り組んでいかなければならないし、また文部省としてもそのようにやっていくつもりでございます。
  54. 池坊保子

    ○池坊委員 今のお話のように、日本青少年研究所が最近約千人の高校生を対象にした調査で、売春など性を売り物にすることは本人の自由と答えた人が二五・三%にも上っております。今の次官のお話にちょっと補足させていただきます。  それと、おっしゃるように、確かに文部省教育だけの問題ではない、確かに家庭にも大きな問題はございます。でも、子供たちは、ある時期に達しますと、特に中学、高校の思春期では友達とか学校の影響を多大に受けることは確かでございます。親が何を言っても、先生の方が影響は大きいのです。学校から受ける影響が大きいということは絶対に認識していただきたいことでございます。  それと、教育というのはボディーブローのようなもので、すぐに結果があらわれてこないのです。二十年後、三十年後にあらわれてくる。だから私は、怖いのではないか。そしてそれを社会現象として今私たちが受けとめているんです。だから、今の親たちがしつかりと子供教育しないのがいけないとおっしゃるならば、それは二十年前、三十年前の教育のあり方に問題があるのではないか。今の子供たちは、二十年後、三十年後にはお父さんやお母さんになっていくのです。  それからまた、女子保護規定撤廃によって働く女性もふえてまいりました。戦前は確かに地域社会それから家庭からの影響というのが大きかったけれども、今は親との関係が希薄になってきております。確かにそれはいいことではございませんけれども、それが現状なのですから、それを踏まえて文部省も変わって、変化をして、そういう現状を受けとめて対策を講じていただきたいというふうに思います。
  55. 鈴木栄治

    鈴木(栄)政府委員 池坊先生おっしゃるとおり、文部省といたしましても、道徳教育や性教育、生活、生徒指導などを強くこれからも進めてまいりたい、そのように思っています。
  56. 池坊保子

    ○池坊委員 先ほどの佐藤委員の薬物乱用防止教育について、引き続きちょっと私はこのことについてお伺いしたいと思います。  総務庁の調査によりますと、ことしの七月、全国五県の公立中学と高校の二十校に対して、男女合わせて中学生千三十八人、高校生千百八人に対して調査した結果でございます。シンナー、大麻、覚せい剤の三種類の使用について、男子高校生の四人に一人が、本人の考えに任せればいいじゃないか、それはまあいいのではないか。それから、健康に害があるから絶対にいけないと薬物に対して九四・六%の人が答えているにもかかわらず、まあ余り認識がないのではないか、薬物使用を誘われたことがあると答えた生徒は、シンナーで三・一%へ大麻が〇・八%、覚せい剤が一・一%。その中で誘いに応じたのが、それぞれ一三・四%、二七・八%、四・三%というふうになっております。  これを全国約九百万人の中高生総数に単純に当てはめると、誘われた者が約三十二万人もいる、使用者は六万人になるというような、予想もしなかった多い数字となっております。これは、二月にも佐藤委員が厳しく薬物乱用防止教育について御質問をなさいましたけれども、依然としてこういう大きい数字が出ている。  そして、私は、薬物に対しての認識が薄いのではないか、もっと怖いものだという認識をさせなければならない。薬物というのは、言うまでもなく、非行に走る前ぶれと考えていいと思いますので、先ほどちょっと御質問がございましたけれども、具体的にこれからどのような対策をなさるのか。前と同じような対策では、これは減るとは到底思えません。前年度と同じようなポスターをつくるとか、ビデオをつくって教師に指導するのだというようなお答えは私は期待しておりませんけれども、お願いいたします。
  57. 鈴木栄治

    鈴木(栄)政府委員 これは私、思うのですけれども、あと、マスコミ等のいろんなことが非常に今青少年に影響を与えているんじゃないかな、そのような気もいたします。  文部省といたしましては、本年一月に、総理大臣を本部長といたしまして、文部大臣を副本部長とする薬物乱用対策推進本部が設置されましたので、各省庁並びに関係機関、団体と連携をとりまして薬物乱用対策を推進しております。あと、文部省においても、少年担当の警察職員だとかOBだとか、そういう人たちにもぜひいろいろ協力していただきまして、薬物乱用防止教室、そういうようなことをやっております。  それから、いろいろあるのですけれども、喫煙、飲酒、薬物乱用防止に関する手引を積極的に活用するとか、また、各都道府県の教育委員会に対して特に事務次官通知を出しまして、児童生徒の覚せい剤等薬物乱用防止に関する指導をより一層徹底させていかなければいけない。  しかし、先生のおっしゃるとおり、それで本当にどうなるのか、もっと強くやればいいじゃないか、多分そういうお考えがあるのではないかと私は思うのでございます。私も、今の子供たちというのは非常に、テレビなんかを見てもわかるとおり、別に私だけじゃないわ、あの人もやっているからという言葉がよく使われます。その辺を私たちは、今の子たちというのは、活字よりもポスターよりも、それよりも映像が非常に大きな影響を与えるのではないかな、私はそう認識しております。ですから、例えば薬物乱用に関しても映像を重点として子供たちに啓発してまいりたい、そのように思っております。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
  58. 池坊保子

    ○池坊委員 文部省では、児童生徒の覚せい剤等の薬物に対する意識等調査についての結果というのを十月にお出しになったと思います。  この中に、  薬物乱用防止対策を進めていく上で、児童生徒に対して単に薬物に関する知識を教えるだけではなく、現在及び将来にわたり薬物乱用は絶対に行うべきではないし、許されることではないという態度を身につけていくよう指導の充実が望まれる。  また、小学校では「家族」、中・高校生では「学校の授業」が情報源として高い比率を占めている。特に、中・高校生では、薬物の有害性・危険性を学習する場所として「学校」を希望する回答の比率が高いことから、学校における薬物乱用防止に関する指導の充実が期待される。 というふうに書いていらっしゃいます。  私、期待されるって、まるで他人事のようだなと思ったのです。私たちがそれを文部省の方に期待いたしますと言うならまだしも、文部省の当事者が期待されるじゃ困るのであって、具体的にどうしたらいいかを考えていただくのが文部省なのではないか。私は、現実的な現場の声をすくい上げて、それを直接、具体的に行動に移すということをぜひやっていただきたい。  私は、審議会の批判をいたすわけではございませんけれども審議会でいつもいい答申、いつも全部読んでおりますけれども、大変すばらしい答申が出ております。果たしてこれはどれだけ現場の声をすくい上げてきたのか、また、現場に反映することができるのかと、私は時々疑問に思っております。大切なことは、現場の声を聞いて、それを本当に実行するかどうかということなのだと思います。幾らいい答申が出されても、それが実行に移されなかったら何にもならない。  私が先ほども、どうして文部省の方は今までこういう売春の実情に対して無関心でいらしたのですかと申し上げましたことは、本当はこういうことにこそ細やかな目をやって、どうしたらいいか、もし子供たち現状を把握していたならば、こういうことに対しての対策も今までなされていたに違いない。にもかかわらず、そういうことはなされていなかった。いつも作文的に中間報告だ何だとお出しになる、それだけじゃ困るのですということを私は申し上げたいと思います。  この援助交際並びに薬物乱用防止教育の問題は、申し上げたいことはたくさんございますけれども、終わりにさせていただいて、飛び入学について伺いたいのです。  来年は飛び入学は千葉大学で一人というふうに伺っておりますけれども、この現状と今後の方針について伺いたいと思います。簡単にお願いいたします。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  59. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 お答え申し上げます。  千葉大学におきましては、平成十年度から学生の受け入れを行うべく、工学部において、物理学の分野に関し特にすぐれた資質を有する十七歳の者で、物理学及び関連分野における研究を志す者を対象として募集を行うことといたしております。  出願におきましては、出身高等学校長の推薦を含め、教科担当者など複数の者からの推薦の協議を経た上で行うことといたしておりまして、選抜は、できるだけ広く資質を評価する観点から、物理、数学に関する課題から論述させる小論文の作成、物理学に関する実験とレポートの提出、それから面接及び提出書類、これは自己推薦書、推薦書、調査書でございますが、提出書類により総合的に合格者の判定を行うこととしております。  現在、このような動きがございますのは千葉大学だけと承知しております。
  60. 池坊保子

    ○池坊委員 これからも積極的に進めていらっしゃる御方針かどうかを伺いたいと思います。
  61. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 この制度自体は、本年六月の中央教育審議会の第二次答申を踏まえ、本年七月三十一日付で制度改正を行ったものでございます。  その趣旨は、高等学校に二年以上在学した者で、数学または物理の分野において特にすぐれた資質を有する者に対し、教育上の例外措置として大学入学年齢制限の緩和をし、新たに大学入学資格を認めるというものでございまして、その趣旨は、特定の分野において希有な才能を有するごく少数の者に対し、大学において高度で専門的な指導を受けることによって、その才能の一層の伸長を図るためのものでございます。  したがいまして、文部省としては、このような対象者というものが全国的に見て存在をし、かつ大学において適切な対応がなされる、そういうことを前提といたしまして、この制度が円滑に実施されることを期待しておるものでございます。
  62. 池坊保子

    ○池坊委員 私は飛び入学を全面的に否定するものではございませんけれども、今、希有な才能とおっしゃいましたけれども高校二年で、本当に世界的にノーベル賞をとれるようなすぐれた希有な才能だということを果たしてだれが評価できるのだろうか、それがわかるのだろうかと不思議に思っております。スポーツとか音楽というのは客観的にある程度の評価をすることができますけれども、物理とか数学というのは客観的にそのような才能を見きわめるということがなかなか難しいのではないか。これは、入学に対して深い配慮をしていただきたい。  先ほどおっしゃいましたように、担当とか校長等の判断によって大学に推薦する。では、その担当や高校の校長がその才能を、本当はあったにもかかわらず見つけることができなかったら、その子は劣等感を持つし、自分は才能があると思っていたのにそれを否定されたというようなことが起こってくるのではないかというふうに思うのです。それで、高校二年終了でそれがわかるのか、そしてだれが決めるのかというのは、これは大きな問題が私はあると思っております。  申し上げるまでもないことですけれども日本数学会の要望書は、数学に秀でているということだけを理由に飛び入学をすることは、大局的に見て問題点の方が大きいというふうに指摘しております。エリート教育による人間性のゆがみに十分留意しなければならない、また、早期の大学入学より、人間としての知識、教養のバランスのとれた成長が大切なんだというふうに言っていらっしゃいます。と同時に、高校二年で研究者としての才能を判定するのはまず不可能である、数学は早期の専門教育が必要というのは世間一般の誤解である、というふうに言っていらっしゃることに対しては、どのように政務次官はお考えでございますか。
  63. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 お答えさせていただきます。  今回の対象者の判定に当たりましては、大学、民間団体、高等学校関係者間の不断の協力、連携等を通じた対応が必要でございます。現在、教育上の例外措置に関するパイロット事業を実施しているところでございまして、そういった事業を通して、引き続き大学、民間団体、高校関係者との積極的な協力を図りつつ、適正な対応に努めてまいりたいと考えておるところでございます。  また、今回の制度におきましては、受け入れを行う大学は、数学または物理学の分野における特にすぐれた資質を有するか否かとあわせて、その大学の教育を受けるに足る能力、適性を有するかどうか、こういうことを判定して合格者を決定するということとなってございます。  また、希有な才能の伸長とあわせて、それぞれの大学におきましては、専門分野に偏らないバランスのとれた履修について助言を行うなど、全人格的な成長への配慮に向けて指導助言を行う、そういう体制を整えて大学としても適切に対応し、御指摘ような、バランスのとれた成長を助けてまいりたいと考えておるところでございます。
  64. 池坊保子

    ○池坊委員 京大の物理の先生に伺ったお話でございます。  科学者には科学的直観が必要であり、それが独創性とか創造性に関連する能力である。この科学的直観、ひらめきは、ただ科学的思考だけを積み重ねればいいというものではない。広く音楽を聞いたり、読書をしたり、美しいものを見たりする感性によって磨かれていくんだ。今の日本の学生たちは大変優秀である、だけれども、与えられたことの積み重ねはできるけれども、新しい発想ができない、独創性とか創造性がないのだ。世界に羽ばたいて、世界の中で第一人者になるには、このような独創性とか創造性というのを忘れてはならないというふうに私は伺いました。  これこそは、高校二年から、ただ早期にすればいいというものではないというふうに思っているんです。ですから、この飛び入学というのは、よほど考えてこれから推し進めていっていただきたいと思います。  特に、個性を尊重するといいますけれども、今まで私たちが受けてきた教育は平等教育である。平等がいいというふうに私は思っておりませんけれども、そのよう教育の中で突然飛び入学というのが入ってまいりますと、ほかの子供たちは、差をつけられたのではないかというふうな劣等感を持ちますし、また、選ばれた人間は、選ばれたという気負いを持ってしまうのではないか。あるいは、大学に入って、やはり自分は物理は向かない、数学は向かないとドロップアウトするときに、その子の進路というのはどういうふうになっていくのかと私は心配をするものでございます。  私は、一人の希有な人間を大切にすることも大切でございますが、これからの教育は、健全な精神を持った普通の子供たちを育てていくことの方がより大切なのではないかと思います。これからの日本を支えていくのは、普通の子供がどんなに健全な教育を受けるかということではないか、健全な精神を持っていくかということではないかと思いますので、時間が参りましたけれども、最後に大臣にそのことについて御所見を伺って、終わりにさせていただきます。
  65. 町村信孝

    町村国務大臣 飛び級の話でございますが、一般論で申し上げますと、私はさっき、形式的な平等からむしろ実質的なものを考えていったらどうかという一つの例ではないだろうかと。確かに、戦後教育のよかった面、いろいろな意味で平等でやっていくというよかった面は認めます。しかし、そろそろその辺について、もう少し弾力的な考え方を持ってもいいのではなかろうかという一つのこれは例ではないだろうかと思っております。  ただ、エリート育成のためとか、あるいは受験戦争に勝ち抜くためだとか、そういうことになってはならないだろう、こう思って、あるいは青田買いになってはならないということももちろん考えなければなりませんので、したがって、とりあえず七月三十一日付で規則を改正いたしまして、数学とか物理という特定な分野で、しかも、それは試験ではなくてむしろ推薦を行い、さらに、推薦を受けた大学が面接とか小論文等を組み合わせて丁寧な選抜をやってみたらどうだろうかというような考え方で試みてみよう、こう思っているわけであります。  いずれにしても、受験戦争がこれでまた激化をするということになってしまっては本末転倒も甚だしい、こう思っておりますので、そこはよく各大学にも十分注意をしていってもらいたいな。ただ、いずれにしても、十八歳でなければそもそも大学に入れないという、余りにもちょっとその辺がかた過ぎたのではないかなという弾力化の一環だ、このように受けとめていただければと思っております。
  66. 池坊保子

    ○池坊委員 飛び入学とあわせて、役割、構造、作用、分担の違う人々が生きているのがこの社会である。そして、みずからが誇りを持ち、互いを尊重し合う、個性を大切にする、相手を尊重する、そういうよう教育をあわせてしていただきたいと思います。そのような土壌があったときに初めて、飛び入学をする生徒を認めることができ、できない自分に対しても誇りを持つことができるのだということをお願いして、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  67. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、三沢淳君。
  68. 三沢淳

    三沢委員 私は、新進党の三沢淳です。  このたびは、町村議員におかれましては、文部大臣就任おめでとうございます。町村文部大臣は学生時代にラグビーをやっておられたということで、私もスポーツ出身の議員といたしまして、てきぱきと物事を、仕事を進められて、すばらしい業績を上げられることを希望しております。頑張っていただきたいと思います。  さて、きょうは、私はスポーツ振興政策ということで、二月にも少し質問させていただいたのですけれども、一年文教でお世話になりまして、文化、スポーツの面で余り取り上げていないということで、私もスポーツ出身の議員の吉貝として、これからの時代——これまでは、私の年齢以上、五十歳前の方から上の方は、戦後、日本復旧のためにこのすばらしい経済大国をつくっていただきまして、その中には、本当に、家庭も顧みず、体も壊しながらすばらしい国をつくっていただきました。  しかし今、時代は右肩上がりではなくて、これからは家族、地域で、ゆとりのある、そして健康を考えながら生活をしていく、そういう時代になりまして、スポーツ振興政策、これは、ただスポーツが遊びというわけではありませんけれども、そういう観念ではなしに、これからは健康とあわせた、特に今、縦割り行政と言われますけれども、厚生省と並行した政策をとっていっていただきたい、私はそういうふうに思っております。  スポーツの世界というのは本当に、十六日にワールドカップのアジア地区最終予選がありましたけれども国民の皆さんがサッカーで一喜一憂するという、政治の世界もこれだけ一喜一憂してもらったらいいんですけれども、それだけやはりスポーツが国民の皆さんの生活の中に溶け込んでおる。このワールドカップに出場したことによって、これははっきりではありませんが、やはり経済効果が三千億円ぐらいあるんじゃないか、そういうふうに言われていまして、スポーツがこれだけ日本社会に影響しているという、これはしっかりした政策をとっていかなければいけないんじゃないか、そういう観点で今回質問させていただきます。  ましてあのワールドカップは本当に、スポーヅは筋書きのないドラマといいまして、はらはらどきどきしながら、最後はフランスの大会に出場することになって、本当にすばらしい思いを我々国民はさせてもらったと思います。そして来年は、スポーツの大きなイベント、長野オリンピックもあります、ワールドカップもあります。国民の人も、本当にどきどきわくわくしながら期待をしていると思います。  その中で、これらは見て楽しむスポーツということなんですけれども、今は生涯スポーツ、地域スポーツということで、国民の皆さんがみずから健康を考えてスポーツを楽しんでおられるというような、そういう時代になっております。  そこで私は、本年二月十九日の当委員会でお聞きしましたけれども、十三省庁にまたがっているスポーツ関連予算を一本化できないか、そういうことをお尋ねしました。  それに対して、文部省としてはスポーツ振興についての責任を持っている、政府全体の中で、数々の省庁が国民の体力向上という観点からそれぞれの行政目的に応じて政策を行っているが、同じようなことを幾つもの省庁がやっていることは許されない、きちっと統制というか、連絡調整をしてやっていくことが必要、文部省が主体となって各省庁と連携をとって、効率的、効果的行政ができますようにスポーツ振興に取り組んでいきたいと、要旨ですが、当時の小杉文部大臣より御答弁をいただきました。  そこで、町村文部大臣にもお尋ねしますが、その後、文部省といたしましてはどのような連絡調整を行われたのか、御答弁をお願いしたいと思います。
  69. 町村信孝

    町村国務大臣 スポーツ万般にわたって御堪能な三沢委員からの貴重な御意見をいただきまして、どうもありがとうございます。  スポーツ振興、特に体力づくり、健康な生活づくりという観点から各省庁が現実に取り組んでおりますのは事実でございまして、そのようなことから、関係省庁あるいは民間団体から成ります体力づくり国民会議、これは事務局が総務庁の青少年対策本部というところにあるわけでありますが、それが置かれておりまして、定期的な協議などが行われているわけでございます。  我が省といたしましても、こうしたことを踏まえながらスポーツの振興に努力をしていきたい、こう考えておりますが、直ちに全省庁の予算を全部文部省に集めてくるということは正直言いましてなかなか難しいので、これは引き続き検討課題ということで受けとめさせていただきたい。  ただ、いずれにしても、健康づくり、体力づくりということで、密接な各省庁間の連携、連絡調整というものは必要なわけでありまして、この点につきましては、文部省としても引き続き最大限の努力をしてまいりたいと考えております。
  70. 三沢淳

    三沢委員 私も簡単にいくとは思っていませんで、それなりに政治の世界というのはやはり難しさが、いろいろ何年も勉強して初めて国民の皆さんの期待にこたえられるんだ、そういうふうに思っておりますが、やはり今の時代、むだなことはやめてもらいたい。よく言われています縦割り行政というのが弊害になっておりますけれども、その辺のところ、ぜひ文部省が、大臣がリーダーシップをとられて、その辺のお声を出していただければと思います。  そこで、今の十三省庁のお話ですが、予算というのは、やはり効率のよい執行を責任ある行政組織にゆだねるべきじゃないか、私はそういうふうに考えております。  世界を見ましても、皆さんも御承知かもわかりませんけれども、スポーツ振興に全責任を負うスポーツ省というべき専門の行政組織を持っている国があります。例えば、フランスには青年スポーツ省、イギリスには国民文化省、ブラジルにはスポーツ省、このブラジルは、鹿島アントラーズにいましたジーコなんかがスポーツ大臣を経験しております。今、日本も外交の問題が大変重要にもなってまいりまして、各国と本当に仲よくしていかなければいけない。その中で、政治の外交面の難しさもありますけれども、スポーツの外交というのもできるのじゃないか。  特に、名古屋でしたら、昔ピンポン外交ということで中国と外交をいたしまして、スポーツを通じた外交が成立をしておりますので、その辺のことに関しましても、やはりスポーツというのは重要視されるべきじゃないかというように私は思っております。  そこで、一九八九年、文部大臣の諮問機関であります保健体育審議会答申した「二十一世紀に向けたスポーツの振興方策について」の中で、   スポーツは、肉体的存在である人間の、体を動かすこと自体に対する本源的な欲求にこたえるとともに、爽快感、達成感、知的満足感、他者との連帯感等の精神的充足や楽しさ、喜びを与え、また、健康の保持増進、体力の向上、青少年人間形成等にも資するなど、心身の両面にわたって働きかけをするものである点において、人類の文化の中でも極めて重要なものの一つである。 とスポーツの意義が述べられております。スポーツを人類の文化の一つとして高い次元でとらえておられます。  そこで、我が国においても、スポーツを文化として高い次元にとらえるときが来たのじゃないか、そういうふうに確信しております。そのためにも、スポーツ行政、スポーツ振興政策に責任を負うスポーツ省というような独立した行政組織の創設が必要じゃないか、そういうふうに思っております。  一見突拍子もない、今の時代の行政改革に逆行しているのじゃないか、そういうふうにお感じになるかもわかりませんが、十三省庁にまたがっている同じ政策を一本化することによって、やはり効率よい予算の執行ができ、人員の削減にもつながり、行政改革の趣旨に沿うのじゃないか、そういうふうに思っておりますが、文部省の御見解をお伺いしたいと思います。
  71. 町村信孝

    町村国務大臣 文部省を英語にした英文で言いますと、エデュケーション・サイエンス・カルチャー・アンド・スポーツ。英語になると、要するに教育科学文化スポーツ省と。何で英語になるとスポーツが入ってきて、日本語になると一挙に文部省という名前になるのか、どうもよくわからないのでありますが、英文の方がいいなと実は私も思っております。ただ、英文をそのまま日本語に訳しますとえらく長ったらしいので、多分、文部省という長年言いなれた言葉になっているのかな、こう思っております。  私も気持ちとしては委員と全く同じなんでありますけれども、例えば今、行政改革会議、ここ一両日中に答えが出るのでありましょうが、むしろ大くくりにして統合していく、一府十二省庁ですか、そういう姿であるという中でありますので、今の情勢の中でスポーツ省という単独の省をつくることは、正直言うとなかなか難しいのかなという客観情勢であることもまた委員御理解をいただけるのかなと思っております。  ただ、御指摘ように、やはり文化としてのスポーツでありますとか、外交とスポーツのかかわり、スポーツの持つ非常に多面的な意味あるいはその重要性というのはまさに御指摘のとおりだ、こう思っておりまして、文部省の中でもこれからさらにスポーツ行政、力を入れてまいりたいと考えております。
  72. 三沢淳

    三沢委員 大臣は、特別行政組織をつくるというこの案に対しては、これは個人の見解でよろしいですけれども、なかなか簡単にはいかないのは先ほども申されました。これはそんな生易しいものではないと思っておりますけれども、やはりどこかに少しでも第一歩目が進んでいかないとできないのではないかと思いまして、町村文部大臣もやはりラグビーをやったスポーツマンとして、この辺のスポーツの重要性はわかっておられると思いますけれども個人の見解というのをちょっと聞かせていただきたいと思います。
  73. 町村信孝

    町村国務大臣 なかなかこれは、私もまだ新米大臣でございますから、個人の意見というのをどのくらい言っていいのか悪いのか、その辺がどうもよくわからないのでありますが、財政事情が許し、いろいろな諸般の情勢が許すならば、個人としては、それは私、スポーツ省とかあるいは文化省、むしろ文化庁じゃなくて文化省がいいと思ったり、いろいろそういう個人的な思いはありますが、今直ちにじゃあ文部大臣としてどうかと言われると、なかなか難しいのかな、こう思ったりもいたします。  ただ、私は今、さっき委員のお話を聞いていて一つ思ったのでありますが、それぞれの省庁がそれぞれの立場で健康づくり、体力づくりに努力することは、これはむしろ望ましいことだと思っております。ただ、ほぼ同じようなことをやっているのであれば、これは問題だろう。  実は今、事務方の皆さん方に検討を依頼しているのでありますが、ちょっと正式な名称を私は忘れたのでありますが、スポーツ指導者というのを何か文部省昭和六十二年に出したらば、六十三年に厚生省と労働省が、確かに見方というか、観点やら何か資格を取るためのカリキュラムは違うようでありますが、ほとんど結果的には同工異曲の資格制度みたいなものをつくってしまいまして、これなんかはやはり私は端的に言って問題だ、こう思っております。ですから、スポーツ指導者、インストラクターとしていろいろなスポーツクラブや何かで働こうという人たちは、無理してこれを三つ取らざるを得ないのですね。取ったけれども、じゃあそれがどう役立つかというと、余り意味がないというような問題もありまして、これなんかはやはり複数の省庁がやっている余り好ましくない例ではないだろうか、こう思っております。  三省庁で何か調整できる部分はないのだろうかというようなあたりは、重複の排除、むだの排除、あるいは、もっと言うならば、そんなことにそもそも役所が認定だとかいう形で首を突っ込む必要があるのだろうかというところまで実はさかのぼって今検討をしてもらっているという実例もございますので、ちょっと申し上げさせていただきました。
  74. 三沢淳

    三沢委員 ありがとうございます。  ただし、中を見ますと、例えばスポーツ指導者の養成となりますと、これは四省庁ぐらいがかかわっていると思うのですけれども、労働省にしましたら、これは働く人たちの健康のために指導者を雇うんだ。文部省でしたら、子供たちのために指導者を雇うんだ。根本的なものは一緒じゃないかな、ただ大人か子供を教えるという感覚の指導だけで。  だから、そういうところなんかは本当は一つにして、大人も子供も、スポーツの指導者としてどういうところでも総合的に教えられるような、やはりそういう仕組みというのが私は必要になってくるのじゃないか。大人は大人、子供子供だから、これは働く人たちのため、これは子供たちのため、でも実際は一緒のことではないか、それこそ能率が悪いのじゃないかなという感じがいたしますけれども、ぜひまたその辺のところも御検討いただきまして手腕を振るっていただきたいと思います。  さて、スポーツ振興といいますと、どうしても今までは健康ということを余り考えなかったのですけれども、今は本当に健康ということも皆さん考えておられまして、特に、今高齢化時代を迎えまして年間一兆円の医療費がかさんでいくという中で、私はいつもいろいろな地域でも言うのですけれども、元気なお年寄りをつくらなければいけない。寝込んでお金をもらっても、こんなもの何にも役に立たない、そのお金は息子や娘が旅行に使うだけのような、そういうお金をもらってもしようがない。ただ元気で健康である、そのためにやはり国がお金を使ってもらいたいというのをいつも話しているのですけれども、やはりそのためには、運動を通じて、スポーツを通じて健康な老人をつくっていかなければいけない。一年でも二年でも長く、手足や頭が元気で長く生きられる老人をつくっていかなければいけないんじゃないか。そのためにやはりスポーツは、完全にこれは健康イコール、これからは大切な役目になってくるんじゃないか、そういうふうに思っております。  特に、老人ばかりではなしに、子供たちも、今、駅や電車の中で座っておるやつが、やつがと言うと言葉は悪いのですけれども、座っている子供らがいます。こんな子供を見ると情けなくなってくるんですよね。  今は欧米の食事になってきまして、子供たちがハンや動物性の脂肪をとりまして、それで、体を運動で発散しませんから成人病になってくる。これははっきり言ってぜいたく病なんですね、糖尿病というのは。言い方はちょっと失礼かもわかりませんけれども。体を動かさない、エネルギーを体にどんどんためる、それを排出しないからどんどんそういうふうになってくる。  その辺のところで、やはり子供たちが、これから少子化で、日本を支えてくれるのは若者たちです、今の子供たちです。この子供たちが元気で、やはり工場で働いてくれて、大臣にもなってもらって、政治家にもなってもらって、博士になってもらって、頑張ってもらわなければいけない。その根本的なことはやはり健康じゃないか。そのためには、やはり体を動かすということ、スポーツをするということが重要になってくるのじゃないか、そういうふうに思っております。特に今までは、スポーツは勉強の合間とか仕事の合間にやることだ、こう二次的に考えていましたけれども、この辺のところはやはり認識を改めていかなければいけないのじゃないか、そういうふうに思っております。  特に、昔は、私なんかも近所のおやじや父親なんかとキャッチボールをしました。大人のすごさ、野球が好きだったものですから、キャッチボールをすると、ボールをとったら速い球を投げ返してくる、ああすごいな、おやじや近所のおじさんも、これはすごいな、近所のあんちゃん、お兄ちゃんもすごいな、子供ながら、ああ大人ってすごいんだなという、やはりその辺のところで威厳といいますか、そういうものを、大人の威厳、父親の威厳というものを、これはもう微々たるものなんですけれども、その辺のところで感じたことを覚えております。  今は、どちらかといえば、子供も運動をしたがらないこともありますし、特にキャッチボールをしたくても、家の前の路地では車が入ってきてキャッチボールはやめろとか、公園でキャッチボールをしたいけれども、キャッチボールは禁止だとか、これじゃ子供も家に入ってテレビゲームをやって、ますます体を動かさない、不健康な子供がふえてきて、ますます医療費もかさんでくるのじゃないか、そういうふうに思います。まして父親も、日曜日になれば疲れた疲れたと家でごろごろしたり、自分勝手にゴルフをするのはいいですけれども子供と遊ばない、その辺のところでごろんごろんしていると、これも不健康になってくる。  そういうことで、やはり一般の人たちがどこか表でスポーツをしたい、体を動かしたいといってもやはりお金がかかる。そこで、やはり思い立ったらどこでもスポーツができる、運動ができる施設とか場所というのがこれから必要になってくるのじゃないか、そういうふうに思っています。  そこで、本年度のスポーツ関連予算についてちょっとお尋ねしたいのですけれども文部省のスポーツ施設の整備予算が、本年度、平成九年度ですが、二百三十八億四千三百万円、前年度、平成八年度の予算が二百四十二億四千万円、ですから三億九千七百万円マイナスになっています。過去五年間を見ても、平成七年度は前年比よりプラスになりましたが、年々予算額が下がっています。ちなみに、平成五年度の予算は二百五十一億千九百万円でしたので、五年度から見ても十二億七千六百万円のマイナスなんですね。また、社会体育指導者派遣事業費も前年度よりも四億二千百万円マイナスで、やはり平成五年度比では七億二千五百万円のマイナスになっています。また、文部省のスポーツ関連の予算の全体を見ても、本年度予算三百六十四億四千万円は、五年度予算三百七十七億千九百万円から見ても十二億七千九百万円マイナスであります。  スポーツ振興にやはりどうしても必要な施設整備費、指導者派遣事業費などがいずれもマイナスになっていることは、これは施設がますますつくれなくなる、国民が気楽に運動する場所ができなくなる、何もなくなってしまうというような、ますます不健康な国民をつくるのじゃないか、そういうふうに思っておりますが、この点、文部省はどのようにお考えになっているのでしょうか。
  75. 工藤智規

    ○工藤政府委員 いろいろ先生も詳しい数字を挙げられましたけれども、スポーツ・体育関係予算、どう計算するかというのはございますが、トータルで申し上げますと、私ども体育局で所管しております予算の中で、体育・スポーツ関係予算というのは九年度で三百六十六億円でございます。前年度の八年度が三百六十一億円でございますから、トータルでは若干の増でございます。  ただ、細かく見ますと、個別の事業によってでこぼこ、もちろんふえているものもありますし、減っているものもあるわけでございます。しかも、御承知のような財政事情でございますから、なかなかスポーツ関係者あるいは地方自治体の関係者の要望に十分おこたえできているかというと、じくじたるものがございまして、私どもも一生懸命汗はかいているのでございますけれども、来年度の概算要求に当たりましても、三百六十六億円という今の九年度の予算についてやっと二億円増の三百六十八億円を要求するにとどまってございます。  その中でも、学校体育を除く社会体育関係、いわばスポーツ関係予算と言われているものでございますが、これも百七十六億円が百七十八億円という二億円の増に、厳しい中ではございますが、マイナスでなくてせめて増額の努力をさせていただいているという状況でございます。  先生御心配のように、確かに各地のスポーツ事情、需要は多いわけでございますので、私どもだけの予算ではなくて、各自治体での御努力も促しながら、相協力しながら、今後ともスポーツ振興に努めてまいりたいと思っているところでございます。
  76. 三沢淳

    三沢委員 なかなか緊縮財政の折、大変だと思われますけれども、全体の文部省の予算からしても、スポーツ振興のための予算は余りにもマイナス傾向にあり、スポーツ振興の重要性を認識しているのであれば、やはりもうちょっと予算の中にそれを反映させてもいいのじゃないかというふうに考えております。  例えば今、スポーツ振興資金を捻出しようとしておりますスポーツ振興くじ法案につきましても、主体となる文部省が収益の一七・五%をスポーツ振興に使われるということなんですけれども、ひとつこれは私の提案なんですけれども、一年生議員が言ったら生意気かもしれませんけれども、その一部を障害者の方に、障害者の方はどちらかというと厚生省の管轄になって文部省は関係ないというような形になっておりますが、障害者の人のために、この一七・五%のうちの例えば〇・一%でも二%でも、幾らでもいいですから、障害者の人のスポーツ振興のために使うというものを打ち出していかれれば、このスポーツ振興くじがさらに広く国民の皆さんにも御理解していただけるのじゃないかな。これは私の案なんですけれどもへこれは勝手なので大変申しわけありませんけれども、その辺のことを認識されれば、このサッカーくじ法案も、参議院でこれから審議されると思いますけれども、私も賛成の立場としまして、何とか法案が成立いたしまして、やはり皆さんの健康維持のためのスポーツ振興を何とか盛り上げていただきたいなというふうに思っております。その辺のところ、個人の案ではございますが、どういうふうにお考えでしょうか。
  77. 工藤智規

    ○工藤政府委員 お答え申し上げます。  先ほど大臣から申し上げましたとおり、各省庁でそれぞれ関連の施策の推進の中でいろいろなスポーツ関連事業を行っているわけでございますが、障害者のためだけのスポーツ事業ということでありますと、厚生省のパラリンピックでございますとかいう事業も行ってございます。  ただ文部省として、誤解をしていらっしゃることはないのだと思いますが、あえて補足させていただきますと、先生が、文部省は障害者を相手にしていないのじゃないかということではございませんで、私どもは、子供からお年寄りまですべての国民、健常者も障害者の方々も健康な体づくりのためにスポーツを楽しんでいただく、そういう機会の提供、条件の整備ということについては、十分ではないかもしれませんが、努力しているつもりでございます。  文部省予算で十分できないことを、通称サッカーくじ法案、できればそちらで回したらどうかという御提案でございますが、何分議員立法で、私ども必ずしも十分コメントする立場にはございませんけれども、私ども聞き及んでいるあるいは承知している限りでは、うまくこの制度が成立いたしまして軌道に乗りましたならば、その収益金については、スポーツを行うあらゆる団体が少なくともその助成を受けることになることも含めて、法案の成立後さらに細部について検討されるべきものと考えているところでございます。
  78. 三沢淳

    三沢委員 どうかみんなで努力いたしまして、何とか法案が成立てきればと私は思っております。その後でまた御相談できればというふうに考えておりますので、どうかまた頑張っていただきたいと思います。  さて、今、障害者の方のお話が出ましたけれども、身体障害者のスポーツについてここでお尋ねしたいと思います。  本年九月に出されました保健体育審議会答申にありますように、「障害のある人も障害のない人と同様に、誰もが生涯にわたり、それぞれの興味・関心・年齢・体力等に応じてスポーツに親しむことが望まれる」と身体障害者スポーツの普及を求めていますが、一般的には障害者スポーツというのはやはり機能回復、いわゆるリハビリテーションの一環としての役割にとらえられています。  我が国では、先ほども答弁なさいましたとおり、障害者に対する施策は厚生省が主体となっておりまして、障害者の祭典でもあるパラリンピックにおいても、文部省は多少の側面支援をしていることは少しは承知しておりますが、障害者スポーツは、スポーツというよりもリハビリテーションという考えがまだ根強く残っておりまして、私の経験からいいましても、やはりスポーツは機能回復には本当に最良の方策と思いますが、障害者の人たちが望むスポーツの発展にリハビリテーションという考え方は悪影響を及ぼしているのではないかということも事実ではないかなという感じがいたします。  多くの障害者の人たちは機能回復の域を出て、スポーツに生きる喜びと希望を見出しております。私の選挙区でも、さきのパラリンピックで、女性の方ですけれども、金メダルをとられた方がおられます。この方は主婦の方なんですけれども、御主人の理解がありまして、家事もしながら練習をし、苦労されて、自分でお金を使いながらパラリンピックに行って金メダルをとられたというすばらしい方がおられます。  そういう意味でも、私も今回、障害者のためのスポーツということにちょっと真剣に取り組んでいきたいと思うのですけれども、世界の障害者スポーツはアダプティブスポーツと呼ばれています。これは一般のスポーツを同じように行うために、器具や工夫を取り入れたスポーツという意味であります。道具や多少のルールの変更はありますが、全く普通のスポーツと変わりはないのです。別に普通の健常者の方が行ってもいいのですけれども、アダプティブスポーツは、リハビリテーションの期間を経てレクリエーショナルスポーツとなり、そして競技スポーツとなっています。  スポーツだから観客が見に来られるのです。欧米なんかは多くの身障者スポーツ大会は入場料を取って行っているのですけれども、これがリハビリでしたら、お金をもらっても人のリハビリを見たいとはだれも思わないのではないか。だから、スポーツというのはお金を出して見に行くものだということをやはり認識しております。  また欧米では、車いすのバスケットでは、体の不自由な人のバスケットではなく、車いすを使ったバスケット、要するに車いすも、足の不自由な人の道具ではなく、スポーツ器具の一つとして考えております。このような理由から、欧米の車いすバスケットの選手の中には歩ける選手も多く、スポーツとして車いすバスケットを楽しんでいるのです。  日本では車いすスポーツは、車いす常用者しか行っていないのです。健常者、足の健康な方も普通はできればいいのですけれども、どうも下半身の障害を持っておられる方のみということでして、欧米ではこの辺のところを、障害は機器や方法でカバーして健常者と同じスタートラインに立って、残存機能をフルに活用してスポーツを楽しんでおられます。不自由な部分で健常者と比べましたら障害者がまさることはないのですが、道具などを使うことによって障害をカバーできれば、健常者にまさるということもあると思われます。  さきの二月十九日の当委員会におきましても、先ほどの池坊先生からパラリンピックに対する文部省の経済支援の要請がありましたけれども、先ほども言いましたけれども、別に厚生省と縄張り争いをするつもりはありませんが、パラリンピックは、私はスポーツの大会だ、障害者の人の大会じゃなしに、健常者と同様スポーツの大会だ、そういうふうに思っております。スポーツ大会である以上は、やはり文部省が積極的に支援をしてリーダーシップをとるべきじゃないかと思いますけれども、その辺のところのお考えをお伺いしたいと思います。
  79. 町村信孝

    町村国務大臣 今三沢委員指摘のとおり、今までは確かにリハビリという観点でございましたが、先般の審議会答申にもあるように、もうそれから一歩も二歩も進んで、競技力とかそういうより高度な次元へ障害者の方々もスポーツとして参加をしていくということがやはり大切な時代になってきたんだなと思います。  したがいまして、文部省も、例えばいろいろな体育施設をつくる際には必ずスロープをつくったりというようなことを指導を徹底したり、そういう意味の配慮も十分やってきておりますし、最近は、例えばつい先般、沖縄で全国スポーツ・レクリエーション祭というのがございまして、これにはもう障害者と健常者が一緒に競技をやるというようなケースも出てきてございます。実際に四種目、四十三人の障害者が一般の方々、健常者と一緒になって競技をなさったというようなことも出始めておりますので、これからどんどんそういう方向でいろいろな企画その他が進んでいけばいいと思っておりますし、その方向で文部省も最大限の努力をしてまいりたいと考えております。
  80. 三沢淳

    三沢委員 今、文部大臣のお話の中にもありましたけれども、私も昨年、車いすテニス大会とか障害者の方の大会に参加したのですけれども、いろいろなお話を聞きますと、どうしても障害者用の施設が整備されていない。練習をしたくても、グラウンドに入るとタイヤの跡がつくからだめだ、こんなところはだめなんだというように、なかなか障害者の人たちも練習もできないし、施設が整っていないもので、本当に自分たちがスポーツをしたくてもできないということを言われていますけれども、障害者スポーツ振興という観点で、設備に関しての計画なんかがおありになるのでしょうか、お伺いしたいと思います。
  81. 工藤智規

    ○工藤政府委員 基本的には、それぞれの地域のスポーツ施設というのは、民間団体でつくられる場合もありますけれども、都道府県あるいは市町村という自治体が中心でございます。私どもの立場は、少ない予算ではございますけれども、そういう自治体の御努力に幾らかの御援助をしながら支援していくという手法をとっているわけでございます。  したがいまして、各自治体が公共施設をつくられるに当たって、先ほど大臣からお答え申し上げましたように、障害を持った方々にも配慮した施設づくりということをかねてから御指導申し上げているわけでございますが、それぞれの自治体の御判断によってどういう施設をつくられるか、その御要望を受けながら、しかも予算の限度がございますけれども、できるだけの配慮をしていきたいと思っているところでございます。
  82. 三沢淳

    三沢委員 ぜひ御努力をしていただきたい、そういうふうに思っています。現場の方々は本当に心待ちにしておりますので、どうかよろしくお願いいたします。  さて、時間ももう少しになりましたけれども、最後に、学校教育についての質問を一つさせていただきますが、今は時代が違うといえば違うのですけれども、私なんかが育った時代は、おじいさん、おばあさん、大家族でして、それなりのそれぞれの役割がありまして、おじいさんはおじいさん、おばあさんはおばあさんの役割でいろいろなしつけなんかを教わってまいりました。特に母親からは優しさ、今の大切さ、そして父親からは威厳、威厳といえばいろいろありますけれども、勇気とか強さ、正義感、このようなことをやはり父親から学んだことを思います。  小学校でも、学校の先生に、昔はしかられるという言葉でしたね、怒るのじゃなしに、しかられた。何度も悪さをしますと注意されるのですけれども、それを通り越してやりますとびんたの一発も張られた。やはりその辺のところで深い反省をしながら、今でもそういう先生と仲よくさせていただいておりますけれども、僕は、そういう意味ですばらしい人間に育ててもらったと思います。  今思いますのは、確かに時代で、お父さんが働いて、朝行って、夜遅くなって、家にいないという家庭になりましたけれども、父親の姿が家にない。だから、お父さんがお母さんに教育を任せる。本当はお父さんにも任せたいのだけれども、父親の姿がない。だから、お母さんが父親の役目をやらなきゃいけない。  学校へ行っても幼稚園へ行っても、子供たちが女の先生に、例えば小学校でも、今は女性の方が進出されまして七割強ぐらいが多分女性の先生じゃないかと思われますけれども、育てられて、十二歳ぐらいまでがずっと女性の環境の中で育っている。やはり一番は父親、動物の世界でもそうですけれども、雄と雌の役目があってこれが崩れていないと思うのですけれども、どうも今はそれが崩れつつある。その辺のところに根本的な理由が少しあるのではないか。  やはり男というのは、子供を自立させるために教育をする、これが男の役目じゃないか。母親は、包容力といいますか、その辺のところを備えつけさせますけれども、父親は、社会へ出て人に迷惑をかけないで自立して生きるんだというそういう厳しさを本当に教えるのが父親の役、ルールやマナーを守る、そういうときに厳しくしかっていくのが私は父親、男の役目じゃないかと思われます。今、そう言うと女性の方に怒られるかもわかりませんけれども。  どうですか、家でも、父親とキャッチボールしたり、サッカーボールをける父親なんかだれもいません。学校に行きましても、本当にソフトボールやバスケットを汗水垂らしてやってくれる先生もおられません。やはり泥だらけになって体当たりをして、初めて子供というのは育っていくのじゃないか、そういうふうな感じがいたします。  やはり健全な体をつくるのが私はまず第一歩目じゃないか。その後で、健全な体には健全な精神が宿るといいますし、健康であれば、すばらしい案も出ますし、能力も発揮できると思いますので、その辺のところで、文部大臣といたしまして、教育の面で今父親の姿がなくなってきている、学校でも男性の姿がなくなってきているという点に関しまして、どのような意見を持っておられるか。  それと同時に、これは関係ないかもわかりませんけれども家庭における教育上の父親の役目、母親の役目はどのようにとらえられておられるのか、最後にお聞きしたいと思います。
  83. 町村信孝

    町村国務大臣 昔はよく、厳父慈母といいましょうか、お父さんは厳しく、お母さんは優しく、そういう言葉がありました。事実かどうかわかりませんが、最近は厳母慈父というケースがどうも多いという、これはうそかどうか、本当かどうか知りません、それぞれの家庭によって違うと思うのですが、何かそういう家庭がふえているというような報道を見たことがございます。  今は男女共同参画型社会ということでありますから、一方的にこれはお父さんの役割、これはお母さんの役割というのを私どもが、国が、文部省が決めてかかるのはどうかなと思ったりもいたします。ただ、男性と女性の違いがあるので、おのずとそれは父親の役割、母親の役割はやはりあるのかなと思いますが、それを一義的に決め切ることもまた難しい。  むしろ問題は、ただいま委員指摘のとおり、父親が家庭の中で、家庭教育の中で非常に存在感が希薄であるという問題が大きいのだろうと思います。そのことは、昨年の中教審の一次答申でも指摘があるのであります。  どうしたらいいのかな。確かに今までは、お父さんは働きバチで忙しいということも一つあったと思います。でありますから、私は、ここのところ、経済団体のトップの方々とも会ったりして、例えばもっと休みをとりやすくしてくれ、あるいは単身赴任をできるだけやめるようにしてくれ、あるいは残業を少なくしてくれ、今、景気が悪いから、それは残業も余り多くないのかもしれませんが。  いずれにしても、やはり父親が家庭の中で教育に参加をする、積極的な役割を持っていくという意識を持てる、そういう環境づくりを文部省としても各企業に協力を求めていったり、あるいは学校に対しては、保護者の参観日を例えば夜行う、あるいは休みの日にやるというような形で、父親もそこに夫婦ともども参加できるよう学校の方も努力をしてもらう。いろいろな形で父親がしっかりと子供教育に母親ともども参画できるような、そういう環境づくりというものをこれから一生懸命心がけていくべきであろうと思っておりますし、その努力を既に行っているところでございます。
  84. 三沢淳

    三沢委員 町村文部大臣の手腕に期待しておりますので、どうか頑張っていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
  85. 高橋一郎

    高橋委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十分休憩      ————◇—————     午後一時三分開議
  86. 高橋一郎

    高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。西博義君。
  87. 西博義

    ○西委員 大臣、就任おめでとうございます。ともにまた次の教育改革を目指して、私どもも頑張ってまいりたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。  私は、きょうは特殊教育について、大臣並びに関係の皆さんに質疑を申し上げたいと思います。  このきっかけは、実は私は和歌山県の広川町というところに生まれてずっと住んでいて、四年前までおったのですけれども、その出身の小さな中学校、広川町立津木中学校というのですけれども、そこの中学校三年生に二人の障害者がおられます。まさお君とまこと君という二人の障害者なのですが、小さなころからずっと私もよく知っております。  その子供たちがことし卒業に当たって、幸いにして、去年、ことしと文部省の指定研究校、特殊学級教育に関する調査研究の指定校になっておりまして、その発表会が今月の初めにございました。地元だからということで呼んでいただいて一緒に勉強させていただいたのですけれども、大変感動したことがございました。  それをきっかけにして、特殊学級または特殊教育ということについて少し勉強した結果について、大臣並びに関係者の皆さんと討議をさせていただきたい、このように思います。  この学校自体は、一クラス十人から二十数名という非常に小さな規模の学校でございます。そんな学校で、小学校中学校とこの二人はずっと、特殊学級という形で健常者の生徒と部屋は別ですけれども、同じ学校でずっと九年間成長してきました。  そんな中で、きょうちょっと参考のためにということでお持ちしたのが、大臣のところにしおりを二枚お渡ししているのですけれども一つはまこと君の習字でございます。それからもう一つが、これがまさお君の字なのです。こんな小さなしおりにしておりますが、本当は大きな立派なものがありまして、先生が立派な装丁をして展示をしておられました。  お聞きすると、普通の生徒さんの五倍、十倍の時間をかけて先生が教えてくださって、こういう字が書けるようになった、こういうお話でございました。私は正直、この字を見て、私も芸術的なセンスはないのですけれども、本当に感動いたしました。ここまでの字を書けるよう子供に成長したということを、前々からのお二人の姿を知っているだけに、大変感動いたしました。  同時に、ことしうちの小さな田舎に新しい橋ができたのですが、大体両方に銘板を入れますね。その銘板に実は、地元の皆さんの合意のもとに、こちらにまさお君、こちらにまこと君、二人の字を彫り込んだ橋ができたわけです。  そういう意味で、いろいろな出来事をつぶさに聞かせていただき、日ごろ私も実感をしていることを中心にきょうはお話を申し上げたいな、こういうことでございます。  初めに、特殊教育現状について、私の認識と今後特殊教育が目指すべき方向性を若干お話をさせていただき、その後、特殊教育に中高一貫教育を活用できないか、このことについて議論をさせていただきたいと思います。  我が国の特殊教育を概観いたしますと、現在、義務教育段階の児童生徒で、大変重い病気のために就学義務が猶予されたりまたは免除されて教育を受けていない人、この数が平成八年五月で二百二十一名全国でいらっしゃる、こういうことでございます。都道府県に割り当てましても数名ということで、大変充実した教育が展開されているわけでして、訪問教育等も充実されておりますし、特殊教育現状というものを量的に考えてみますと、もうほとんどの人に教育の手が差し伸べられている、すばらしい成果を上げていると思います。関係者の御努力に心から敬意を表したい、このように思うわけでございます。  ところで、私は、今後の特殊教育の目指すべき道、若干先ほども田舎の中学校の例を引かせていただきましたけれども、三つのことを考えているわけでございます。  第一点は、できる限り普通学級で健常者の生徒とともにということでございます。それから第二点が、生まれ育った地域の中で成長することが大事ではないかということでございます。三つ目が、一人一人を大切に教育をしていくことが大事だ。この三占を中心にきょうはお話をさせていただきたいと思います。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕  日本の特殊教育の形としては、盲学校、聾学校、養護学校、いわゆる特殊諸学校という学校群ですが、それに特殊学級、さらには通級による指導、こういう立て分けがあると思います。平成五年度から制度化されました通級による指導、これが導入されておりますことは、私が先ほど申しました健常者とともにという面で大変大きな前進を見ている、こういうふうに思うんです。  文部省では、一人一人を大切に、こういう方針についてはこれまで強く打ち出されてきておりますけれども、初めの普通学級でということと、それから地元で成長する、この二点については、まだ方向性としては十分打ち出されてはいないのではないか、また、制度的にも十分統一されていないのではないかというふうに感じます。  そのことについて、特殊教育を受ける生徒の視点から見ますと、小学校中学校段階と高校段階では、ある種の分断があるような気がしてなりません。それは具体的には、地域が離れてしまう、それから健常者の皆さんとほとんどの人が離れてしまう、さらには教育機会が離れてしまう、こういうことがあるのではないか、こう思うわけです。  小学校中学校の段階では、地域の中でという形で、比較的軽い障害を持っている人は、地元の小中学校に通いながら、特殊学級という形ででも健常者の皆さんと一緒に地元で教育を受けることができます。しかしながら、高校へ進学するときには、高校に特殊学級はありませんから、大部分の人は親元を離れて盲、聾、養護学校に進学していくわけですね。これで第一の分断といいますか、これが起こるというふうに思われます。  平成八年の三月に中学校で特殊学級を卒業した人は七千九百四十六名、約八千名が特殊学級を卒業されております。そのうち、進学の形態を見ますと、普通の高校へ進学した、これが千六百四十名、約二〇%が普通の高校です。特殊諸学校、盲、聾、養に進学した人が四千二百二十四名、五三%ぐらいになります。そういう成り立ちになっているんですが、特殊諸学校というのは、これはいわば障害者だけの学校になりますから、健常者から分断をされていくということになります。  これは、まだ詳しくは、また具体的なことはわからないので若干仮定が入るんですけれども、もし、義務教育と同様に地元の高校に入学できる制度が保障されていれば、進学をしない人でも地元の、親元から高校に通うということがもっとふえるのではないかというふうな感じもしております。そういう意味では、さきの高校におけるいわゆる特殊学級ような形がないために、生徒の教育機会を奪っているのではないかということも危惧されるわけでございます。  全く文部省はこういうことを考えていないかといいますと、そうじゃないと思います。地域に密着するという点では、交流活動や交流教育充実ということで、盲、聾、養護学校の児童生徒と通常の小学校中学校の児童生徒、それから地域の人々との交流が図られておりますけれども、これは障害者と障害のない人とのいわゆる混在化、ノーマライゼーションというものを目指しているわけではなくて、その都度合流するという形のものでしかありません。  私は、盲、聾、養護学校の果たしている役割を否定するというつもりもありませんし、必要がないというふうに極端なことを考えているわけではございません。そうした特殊諸学校の必要性を認めた上で、できる限り健常者とともに学ぶ環境、これを目指していくべきではないか、今後、量から質への特殊教育改革を行っていくべきではないかということを主張申し上げたいわけでございます。  それでは、ノーマライゼーションを具体的に教育の場で進める方法として、私は通級による指導、これがもう大変重要な方策ではないかと思っております。これは、小中学校の通常の学級に在籍している障害の軽い子供、この子供がほとんどの授業を通常のクラスで受けながら、障害の状況に応じて特別の指導の場を設けて、通級指導教室というんですか、そこで授業を受ける、こういう教育形態ですね。対象になるのが言語の障害、情緒障害、それから弱視、難聴、こういう皆さんが、補助的にといいますか、特別クラスでその時間だけ特殊教育を施していただく、こういう形ですが、昨年の統計では、二万人の生徒が全国でこの制度を利用して普通学級で学んでいる、こういうことでございます。  義務教育段階で、全体のこの特殊教育の対象者のうち通級で今授業を受けている生徒は、平成五年に始まりましたときには九・三%であったのが、八年には一四・八%に増加をしてきている、こういうデータがあります。今後とも、この制度の積極的な活用を図るとともに、人員配置など支援体制の整備を文部省当局にお願いをしたいと思います。  私が先ほど指摘しました小学校中学校と高等学校の間の分断、いわゆる小中までは特殊学級として普通の健常者の生徒と同じ学校で勉強できたのが、高校ではそういう機会が事実上ほとんどの人が奪われているというこの問題を解消するために、中高一貫教育の活用が図られるべきではないか、こう考えるわけでございます。  我が党が主張しているように、原則すべての学校で中高一貫教育を導入すれば、今までの中学校において親元を離れることなく高校教育が受けられるということになります。人間は、社会とのかかわりなしに生きていくことはできないわけですから、精神的にも身体的にも大人への重要なステップである後期中等教育、この時期こそ、健常者の皆さんとともに地元で勉強する機会が与えられるべきではないか、こう思うわけです。  平成八年五月の総務庁の、障害者の雇用・就業に関する行政監察の勧告で明らかなように、特殊教育学校のうち、聾学校以外の盲学校及び養護学校の高等部の卒業者の就職は大変厳しい状況にございます。平成八年三月の卒業生の進路を見ると、大学や職業訓練など進学者を除く卒業生の就職率は、盲学校で四一・二%、養護学校で三一・二%、その中でも肢体不自由養護学校は一三・三%、こういうデータがあります。就職で重要なのは学校地域との密着性、ここにかかってくるわけでございます。  さきの総務庁の勧告においても、「現場実習先の確保が就職先の確保に大きな影響を及ぼしている。」こう指摘をしております。現行では、地域障害者職業センターと連携を強化する、こういうふうに言われておりますけれども、現実には、現場実習先を確保することすら大変困難で、ましてや養護学校、聾学校、盲学校から離れている生徒の実家の近くで就職先を確保するということはさらに厳しい状況となっています。生まれ育った地域にある学校であれば、地域の実情もよく知っており、人脈もたくさんあります。そういうメリットを生かして現場実習先や就職先を比較的確保しやすいのではないか、こう思うわけです。地域の中で教育し就職するという環境を提供できる中高一貫教育の推進をこの意味からも進めるべきである、こう再度主張したいと思います。  地域、それから健常者、それから教育機会、この三つの分断の問題について文部省の考えをお伺いしたいと同時に、解消策としての中高一貫教育の活用について当局の答弁を求めたいと思います。
  88. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま先生の御指摘になりました観点というのは、大変重要な観点だと思います。  ただ、障害を持った方々につきましては、小学校中学校、高等学校教育に準ずる教育を提供すると同時に、障害を克服する、修学期間中に社会に出て、社会参加し、社会自立をさせていく、その力を培う、そのための障害を克服するということもまた非常に重要なことであるわけでございます。  そういうことで、今先生が御指摘になりました、障害を持った方々とも障害を持たない人たちとも積極的に交流を図る、あるいは遠く離れることのないような形で教育を受ける、あるいは一人一人を大切にする、いずれも重要な観点であるわけでございますけれども、一方、今申し上げました、障害者の障害を克服する専門機関としての教育のあり方ということ、この両方を、それぞれの観点で、障害を持った子供たちを預け教育をするということが大事だろうというふうに思っているわけでございます。  そういうことで、具体的な高等部の設置につきましては各設置者の判断にゆだねられているわけでございますけれども、それぞれの設置者におきましては、それぞれの地域の実情等を踏まえながら、今のような両面を踏まえつつ整備を図っているというふうに考えるところでございます。  中高一貫教育の具体的な御提言がございましたけれども、中高一貫教育中教審提言されましたものは、現在の中学校と高等学校の接続の改善という視点からなされているものでございまして、これを具体的にどのように実施するかということにつきましては今現在検討中でございまして、ここで云々ということは差し控えさせていただきたいと思うわけでございます。  いずれにいたしましても、障害を持ちました子供たち中学校を卒業後、それにふさわしい教育が与えられる、そういう観点から私どもとしては、先生は、養護学校については遠く離れてしまうという若干消極的なお話でございましたけれども、一面では、指導体制や施設設備の点では大変充実した体制ができ上がっているわけでございますが、その高等部の整備がまだ十分でないというような面もございます。  そういうことで、中学校卒業後の対応につきましては、こうした高等部のより一層の整備といったことも含めまして、障害の種類、程度に応じたより充実した教育を提供するという観点に立って進めてまいりたい、こんなふうに考えております。
  89. 西博義

    ○西委員 十一月三日の新聞に、イギリスのブランケット教育雇用大臣が発表した特殊教育改革案に関する記事が掲載されておりました。  この改革案の骨子は、身体障害や情緒問題などのため特殊教育を受けている児童生徒のうち、三人に一人が普通のクラスで学べるようにしよう、こういう目標を掲げて取り組んでいこう、こういうものでございます。御存じのように、ブランケット氏自身が全盲の方でございます。  新聞によれば、彼は盲学校を卒業したが、その時点では点字タイプ、ピアノの調律、旋盤作業、この三つの職業訓練コースしか選択肢がなくて、夜学に通い、苦労して大学に進んだ、御自身はそういう体験の持ち主だということを新聞で知りました。そうした御自身の体験から、万人に平等な教育機会を、こういう信念に基づいての提案である、こういうふうに考えるわけでございます。  ここでイギリスの例を引用した理由は、イギリスのこの特殊教育改革案において、障害者が障害のない人と同等に生活し活動する社会を目指す、いわゆるノーマライゼーション、こういう理念に沿った方向性を大臣がはっきりと明示された、こういうことに意義があるというふうに思うわけでございます。  先ほど答弁にありましたように、すべての人が普通学級というのは、これはその人その人の障害の程度に応じて大変難しいものがあるわけですから、そういう方向を目指しているわけではないのですが、できるだけの人を普通学級でともに学んでいただく、こういうシステムを考えるべきだというふうに思います。  先ほど述べた三つの方針のような趣旨を、ノーマライゼーションの理念をより一層明確にするために、先ほど申し上げましたといいますのは、一つは健常者とともに、一つ地域の中で、一つは一人一人を大切に、この三つでございます。その三つの趣旨を、ノーマライゼーションの理念をより一層明確にするために、特殊教育の基本方針として位置づけるべきではないかと考えます。その方針のもとに特殊教育の質的な改革を行い、特に後期中等教育における特殊教育について中高一貫教育の活用を図るべきだ、こう考えておりますけれども、大臣の御所見をちょうだいしたいと思います。
  90. 町村信孝

    町村国務大臣 今お二人の児童の字を拝見いたしまして、冗談ではなくて、私と同じぐらいの上手な、私は余り上手ではありませんけれども、大変立派な字を書いておられるなということで感心いたしましたし、また、その指導に当たられた方々の御努力、また御本人の御努力もいかばかりであろうか、このように敬服の念を持った次第であります。  今、先生御指摘の三つの原則、それぞれ大変大切なノーマライゼーションの精神の具体化であろう、こう私も受けとめさせていただきました。そういう考え方のもとでの中高一貫教育、ただいま局長から申し上げましたとおり、今直ちにこれをどんどんという状況であるかどうかはいま少し検討の時間をいただきたいと思っております。  いずれにいたしましても、障害のある方々の中学校を卒業した後の教育は大変重要だ、こう思っております。養護学校高等部の一層の整備を図ること、そしてその他障害の種類や程度に応じて、できるだけノーマライゼーションの精神が生かされたような高等部の、高等段階の教育が行えるよう文部省としても今後心がけてまいりたいと考えております。
  91. 西博義

    ○西委員 学校教育法七十五条にこう書いてあるのですね。「小学校中学校及び高等学校には、」ちょっと略しますが、「特殊学級を置くことができる。」こう規定されております。小中学校までは、特殊教育の形態は、通級による指導、特殊学級、特殊諸学校、この三つの選択肢があるのですけれども義務教育ではないとしても、高校段階では、特殊諸学校という一つの選択肢しか事実上今は存在しない、こういうことになっております。  障害というハンディキャップを背負った生徒に対して、行政として、普通の人より多くの機会や選択肢を整えていくという配慮がどうしても必要な時代になってきているのではないか、こういうふうに思うわけでございます。私は、過去の経緯はいろいろあったと思いますが、現状では、選択肢を狭めるばかりではなくて、かなりの生徒は地域での居場所を失って養護学校などの特殊諸学校へ進学せざるを得ない、こういう実情を生み出していることに問題があるのではないかと思います。  先ほどの話に戻りますが、このお二人のうち、一人は地元のよくふだんからおつき合いをしている人に採用していただいて、来年から働きます。もう一人の人は養護学校に進学をする、こういう二人それぞれの個性を生かした進路をたどるわけですけれども文部省は、高校段階での教育は障害者だけの特殊諸学校で行う、こういう方向を今後も貫いていかれるのか。もしくは、高校段階において、今やほとんどの人が高校までの教育を受けていくわけですから、ノーマライゼーションという大前提に沿って、今の制度で申しますと、特殊学級や通級による指導を行えるよう改革をしていく用意があり得るのか。年間八千人の、中学校の特殊学級に学ぶ生徒の将来にかかわる問題ですので、見解をお示しを願いたい、このように思います。
  92. 町村信孝

    町村国務大臣 委員御承知のように、高等学校に特殊学級を設置すること、これは基本的には都道府県の判断でございますが、現実に今その設置がないという姿になっているわけでございます。  それには確かに現実的な理由もやはりあるのかなと思わざるを得ないわけでありまして、一つには、障害がある生徒でも、普通の高等学校教育課程を修了する見込みがある方々については、高等学校で健常者と同じように受け入れているといったようなことや、あるいは、特殊学級では指導体制とか施設とか設備にいろいろな制約があるため、なかなか個に応じた指導やきめ細かい進路指導というのが難しいという面もあろうし、また、いよいよ高校を出た後の就職、実際社会に出て自立をするというために、ある意味では最後の教育、もちろん大学へ行けばまた別でありますが、そういう意味ではかなり手厚い専門的な教員などを置いて、しっかりと自立てきる、そういう場としての盲学校、聾学校、養護学校の高等部という位置づけが現在あるようでございまして、正直言って、なかなかこの今の姿を変えていくのは困難な面もあるのかなと思いますが、法律上別に禁止をされているわけじゃございませんし、今後こういう姿のものが出てくることもあるのではないか、このようには受けとめております。
  93. 西博義

    ○西委員 御答弁ありがとうございました。  最後に、時間も押し詰まってまいりましたので、一点だけ教員養成のことについてお尋ね申し上げます。  教員養成審議会の第一次答申において、特殊教育にかかわる内容のすべてを小中学校等の教員の養成過程において必修するとともに、盲、聾、養護学校において教育実習の一部を実施させるということを、去る六月に成立したいわゆる介護体験法、私ども審議したあの法律でございますが、この法律に基づいて、教員志望者の介護体験の場として盲、聾、養護学校における積極的な受け入れを行うことが望ましい、こういうふうにされております。  同時に、私は、初任者研修の期間中に全員に特殊学級の副担任につかせるなどの現実の場において特殊教育に携わる機会をぜひつくっていただきたい。また、今後の教育に資することが非常に大きいのではないかというふうに考えておりますが、この点についての御所見を賜りたいと思います。
  94. 御手洗康

    ○御手洗政府委員 お答え申し上げます。  委員指摘の、小中高等学校等の初任者研修の中におきましても他校種の経験を積むということは非常に大事なことでございまして、現在、特殊教育学校での研修を体験させる、そういったプログラムを組んでおりますところは、平成九年度の計画で見ますと、小学校の教員で四十五、あるいは高等学校の教員でも四十五県ということで、これは私どもも指導しておりますけれども、一日程度必ずプログラムを組むという県が多くなってきているところでございます。  今後とも、御指摘の介護等体験特例法によります特殊諸学校における養成段階での介護体験の経験、あるいは免許状取得に当たりまして、教育実習におきましても、小中学校の教員等が特殊諸学校等であるいは特殊学級等で実施するということも大変重要なことでございますので、今後とも意を用いてまいりたいと考えているところでございます。
  95. 西博義

    ○西委員 以上で質問を終わります。ありがとうございました。
  96. 河村建夫

    河村(建)委員長代理 次に、安住淳君。
  97. 安住淳

    ○安住委員 民主党の安住でございます。私も文教委員会はこの国会から初めてでございますので、どうぞよろしくお願いいたします。町村文部大臣、ぜひ文教行政に新風を起こしていただいて、教育行政をさらに推進をしていただきたいと思っております。  最初に、少し意地悪な質問になるかもしれませんが、大臣、教育制度の中でも今行革の議論というのが進んでいるわけです。改革をするという観点でなくて、教育行政の中で、今まで必要であっても今後見直さないといけない点というのはかなり私はあるのでないかなと思うんですけれども、御就任なさってから、そうした今までの行政の中での洗い出しというか見直しについては、文部省内部で御指示をされたり、また気づいた点というのはおありでございますか。
  98. 町村信孝

    町村国務大臣 今、教育改革を各般にわたって進めている、もうほとんど全省的に今その作業が進んでおります。その意味するところというのは、もちろん、今までやってきてよかったことはどんどん伸ばそうということでありますが、一応全部洗い直しをしてみるということなしに教育改革は前に進まないだろう、こう思っております。  そのようなことで一、二の例を挙げるならば、例えばさっき申し上げましたように、地方の教育委員会あるいは学校現場に仕事なり責任なりを持ってもらうためには、文部省が今までやってきた仕事を相当やめていく部分とかあるいは移していく部分というのがなければそれはできないわけであります。  そんなことは一例でございますが、さらに今後行革会議でどういう結論が出るか。例えば、科学技術庁と統合されるというような方向性も今打ち出されているところでございますが、そうしたときに、私は、十二月三日ですか、方向がはっきり出た暁には、省内に改めてそういう検討チームといったようなものを設けまして、我が省がやっておりますすべての行政について、簡素化できるもの、やめられるもの、あるいは地方に移せるもの、あるいは伸ばしていくもの、あるいは新たに取り組むもの、そんな区分をしながらまたさらに見直しをやっていきたい、こんなふうに考えております。
  99. 安住淳

    ○安住委員 ただやみくもに削れ削れという話では、今みんなが改革をしないといけないから文部行政改革するんだというのは、私はちょっと違うのでないかと思っております。つまり、教育環境を取り巻く社会が随分私は変わってきたなと思っている。  私ごとですが、私も七、八年前にNHKにいたときに文部省を随分担当したことがあって、そのときと今と随分変わったなと思うのは、私は、一つのキーワードというのはやはり少子化じゃないだろうかと。少子化時代の中で、教育の設備、施設の問題、それから制度の問題、学校の定員不足、大学の問題、それこそ、必要だった学部が今本当に必要なのかどうか、そういういろいろなことを考えていくと、一番その根っこにある問題というのは、実は、教育の対象者となる子供が減ったことから施設の面でもいろいろな問題が起きてきていて、今本当にもし、文教行政というか教育行政を変えるというか、大臣がおっしゃるようなことを具体的にやるとすれば、じゃ何に向かってそういう改革をするのか、そこの部分が私は認識として非常に大事だと思っているんです。  そうした面からいうと、少子化の時代が来て、例えば大臣の地元もそうかもしれませんけれども学校の統廃合の問題なんというのは、これは地元の市町村長さん大変な苦労をしている。そうした問題、そうしたものがもうすべて私は行き着いていくのではないかと思う。ですから私、この限られた四十分の中で、ひとつ少子化の観点からさまざまな問題について質問をさせていただきます。それについての認識については御答弁は結構でございます。  一つは、私も実は小さい子供がいますが、この間もそうなんですけれども、私のところには、朝起きると、幼稚園から勧誘のビラが必ず郵便受けに入ってきているんですね。随分熱心な誘いが最近になって非常に来るようになりました。ひとえにこれは、少子化時代の中で子供さんをいかに多く幼稚園や保育所が、まあ言葉は悪いですが、奪い合っているかというのは、これはどこの地域でもかなり深刻な問題を引き起こして、幼稚園そのものの経営の悪化等がかなりいろんなところで見られている。  私は一つお伺いしますが、きょうは厚生省からもおいでいただいておりますけれども、大臣、この幼稚園と保育所の本当の違いというのは、行政のサイドからの違いを私は聞いているんじゃないのです。子供を持っている親や子供から見たときに、幼稚園と保育所の違いというのは何か本当にあると思っていますか、それとも本当はないんでしょうか。
  100. 町村信孝

    町村国務大臣 単純な違いを言うと、まず一つは、幼稚園は従前、四歳、五歳、最近は三歳児というのがありますが、保育の方はゼロ歳児からというような違いもそれはあると思います。それからもう一つの設置目的といいましょうか、建前で言えば幼稚園は教育、保育所は、言うならば児童福祉ということの違いだ。  ただ、現実を見たらどうでしょうかと言われれば、もちろん幼稚園の時間の違いというのももう一つあるわけでありますけれども、現実に一人の子供に即して見たときに、じゃ、保育所は福祉だから教育をしないかといえば、当然教育機能は持っています。幼稚園に、じゃ、保育の機能がないかというと、やはりあるんですよね。であるがゆえに、最近はどんどん幼稚園にも預かり保育というものがふえて、幼稚園が終わった後、そのまま引き続き保育機能を持たせるというようなことも現実に出てきておりますから、私は、次第次第にそのものが、だんだん融合化といいましょうか一本化といいましょうか、今そういう方向に機能的には向かってきているのではないだろうかな、こういう認識を持っております。
  101. 安住淳

    ○安住委員 大臣の認識は大変私と近いものがあります。実際、親から見ると、近くに保育所があるか幼稚園があるかぐらいの差でしか私は今はないのではないかと思います。  そういう考え方は別にして、それでは、今実際に幼稚園それから保育所に対する行政というのはどういうふうになっているのかということを、これは事務当局からで結構でございますから少しお答えをいただきたいのですけれども、今まで、確かに両方の行政がそれぞれに足りないものを補ってきたという制度的な利点みたいなものがあったということは認めます。  認める前提で、平成八年の地方分権委員会でも、この共用化、つまり就学前の子供教育というものの今の二本立て制度には、これはいろいろな意味で問題があるという指摘があって、そして、私がいただいた資料では、ことしの四月十六日から厚生省と文部省で検討会を発足させたということは私も認識しているのです。  それで、実際、もうその経緯等は時間がありませんからいいのですが、この一元化、つまり就学前の子供教育、幼保の今の分離の問題、これを本当に解決するいわば意欲といいますか、そういうものが本当におありなのかどうか。  私は、橋本行革で、器だけをかえるとかいろいろなことを今やっていますけれども、しかし本当は、行革会議答申等を待たずしても、こうした問題については、つまり役所の都合ではなくて国民の都合から見れば、直せるものはいっぱい私はあると思っています。その中の一つがこの幼保の一元化ではないかと思うのですが、その点について、各省の担当の局長、お二人おいででございますので、それぞれの立場からお答えをいただきたいと思います。
  102. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 文部省の関係で申し上げたいと思いますけれども、今先生が御指摘になりましたとおり、地方分権推進委員会の勧告等もございまして、それを受けまして、厚生省と私どもとで検討の会議を設けました。そしてその検討の中で、現在の幼稚園と保育所の合築あるいは併設あるいは共用、そういった運用の実態というものを共同で調査をしようということで全国調査を実施いたしまして、今現在急いで集計中でございます。  今後といたしましては、その実態調査の結果を踏まえまして、望ましい運営、あるいは施設のあり方、あるいは教育内容、保育内容のあり方、あるいは、今指導に当たる人は幼稚園教諭あるいは保母ということになっておりまして、かなりの部分、養成の面でもダブっていますけれども違っているところもあるということもございますので、そうした教諭、保母の養成、研修のあり方、こうした点について、この実態調査を踏まえまして検討し、その方向を見出し、共用化に沿った形での推進を図っていこう、こういう状況になっているところでございます。
  103. 横田吉男

    ○横田政府委員 文部大臣の御答弁にもございましたように、幼稚園と保育所、それぞれ教育施設あるいは福祉施設というような施設の設置目的を異にしている施設ということで、これまでそれぞれ制度の中で整備発展が図られてきたわけであります。  ただ、最近におきましては、幼稚園におきましても午後の預かり保育というようなものが出てきておりますし、また保育所におきましても、私的契約児というふうな方が入っておられます。そういったことで、それぞれ垣根が従前より低くなってきております。あるいは地域を見ますと、保育所しかない地域あるいは幼稚園しかない地域というようなものもございますので、そういった地域の実情に即して、どのような連携を図っていくかというのが一つ課題ではないかと思っております。  こういった点につきましては、先生から御指摘のございましたように、昨年の十二月の地方分権推進委員会におきまして、地域の実情に応じてこれら施設の連携強化なり施設の総合化を図る方向で、弾力的な運用を確立するというような御指摘をいただいておりますので、私ども今、文部、厚生共同で検討を進めておりまして、これら施設の共用化につきまして、今年度中にも結論を出したいということで作業を進めておるところでございます。
  104. 安住淳

    ○安住委員 大臣、私はやはりこの先は政治家が決断をすればいいことだと思っています。やはり過疎地に行けば保育所の必要性というのはまさにあるわけであって、しかし都会に行けば幼稚園のこの経営形態、特に私が見ていると、地方都市の幼稚園経営というのは非常に悪化しているのではないかと私は思うのです。  実際、例えば予算の方で見ても、幼稚園の方の施設費というのは、運営費等を含めても年間大体三百四十五億。ところが保育所関係だと、施設整備費の中に含まれますが、その整備費そのものが二千二百億。もうマル一つ違うぐらい、それはその運営が官と民ですから、競争してやっていったって確かになかなか幼稚園が立ち行かないという現実は、私が言わなくても大臣はもうそれはおわかりだと思うんですね。  しかし今、両局長もこういうふうに前向きなお話をなさっていらっしゃって、私は、もうそろそろこの問題は解決の見通しというのはできてきたんだろうなと思うのです。  つまり、役所の側の都合で分けているだけにしかすぎなくて、実は国民の側や私のように小さな子供を持っている側から見ると、そんなものはどうでもいいじゃないかというところまでもう来ている問題であって、そういうときには私は、我々の側の都合に合わせて行政というものはやはり変わるべきものだというふうに信じておりますし、そういうことに耳を傾けて、いわば役所に対してそれをやっていただくように指導するのが大臣の仕事でないかと私は思っております。  特に厚生委員長までお務めになられた大臣でありますから、両省をぜひ取りまとめて、この問題については、失礼な言い方ですけれども、大臣が十年も二十年も大臣やられていればいいですけれども、期間中の大きな実績として、これは行革にも大変つながる話であるし、補助金の問題等についてもかなり絞り込めて、まして共存のできる体制というのはでき得るのではないかと私は思っておりますので、ぜひやっていただきたいと思いますが、いかがでございますか。
  105. 町村信孝

    町村国務大臣 例えば、保育所の方も先般法律を変えて、今までのようにだれだれさんはどこに行きなさいという措置であったのが、情報を提供して、親がそれを選べるような保育のシステム、だんだん実は共通点がふえてきた。合築もいいよとか施設の共用、私は、現実的な方法としてそういう形で統合を進める中から、どこかの時点で一体化あるいは幼保の差をなくすということができてくるのだろうと思いますが、限られた任期の中で今すぐやれと言われても、なかなか率直に言ってこれまでの流れもあるから難しい面もあろうと思います。ただ、流れとしては、今委員指摘の方向に着実に向けておりますし、向かっているし、またそういう方向でこれから施策を展開していくことが必要なのだろうと思います。  実は、本件につきまして小泉厚生大臣とも話をしたことがございますが、あの決断の小泉先生も、さすがにこの点については直ちにとはという御返事はなかったものでありますので、いま少しくこうした両省の努力の積み重ねでまずやっていくことが当面は大切なのかな、このように思っております。
  106. 安住淳

    ○安住委員 しつこいようですけれども、それでは、共同研究をして、辻村局長のお話だと、ことしじゅうぐらいにはその結果というのはある程度出るということでいいのですか、認識として。
  107. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 年度内にはというふうに考えております。
  108. 安住淳

    ○安住委員 横田局長、御苦労さまでした。ありがとうございました。  いずれにしても、残念ながらこれから二十年、三十年子供がふえていくという傾向にはどうもないわけですね。そういう中にあっては、やはりこの幼稚園の経営、それと保育所、つまり官と民がどういうふうに共存をして、我々から見れば、大臣、値段的にもそれはやはり安い方に行ってしまいますから、まして教育の内容なんというのは、本当は字を教えちゃいけないというのに字を教えているのですよ、実際は。私はそうだと思うのですね。  そういうところで、幼稚園に保育所と同じレベルで競争をせいと言う方が無理だし、むしろそれをほったらかしにしたらば、これは私は、決して文部省は責任がないとは言い切れない問題だと思うものですからこの問題を今やりましたが、先ほど話した方向で踏み込んだ結論というのを出していただいて、これは通常国会でも私少しまた質問をさせていただいて、一定の成果をぜひ生んでいただきたい、そう思っています。  次に、少子化の問題に絡んで言いますと、もう一つ、これは私きょうは統計的なものは持っておりませんが、私の何となく見た感じというか、体験論の中から、高校と大学の改革の問題を少し話をさせていただきたいと思います。  私の選挙区では、大体父兄の方はこういうふうな話をするのですね。成績が優秀だから普通高校の進学校に行って、二番目の人は工業高校で、三番目の人は商業高校だと。別にそれは商業をやりたくて、工業をやりたくて行くのじゃない。だからどうも、それは確かにいろいろな人がいます、商業を最初からやりたいから行くのだ、工業を勉強したいから行くのだという人もたくさんいることは私も知っています。しかし全国的に見ても、今の定員で、今の高等学校の数で、受験の中で定員割れを起こしている高等学校、公立学校というのは、大臣、結構多いのですよ。私はそう思うのですね。  ですから、いずれにしても高等学校の再編といいますか、それと、今は何という呼び名かわかりません、普通高校に対してそれは専門高校というのですか、そういうもののあり方というのは、このままでいいわけが私はないと思うのです。ゆがんだ偏差値教育というか、それは点数至上主義とも申しますか、そういうもので割り振りを受けて、結果的には水産学校や工業高校に行かされる生徒の気力のなさ、それはいろいろな意味子供たちにとっても非常にマイナスであるし、社会にとっても決していい影響を与えてないのじゃないか、私はそういうふうな認識をしているものですから、少しこの点について大臣の認識、それからこれは役所の側、初中教育局長の方からも少し認識について話を進めてもらって、それからこの話を少し進めたいと思います。
  109. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま御指摘のいわゆる不本意入学という問題は、高等学校教育あるいは中学校から高等学校への進路をめぐります大変大きな問題であるというふうに認識をいたしております。  この問題につきましては、さまざまな角度から考えなければならないわけでございますけれども一つまず、進路指導の問題ということにつきましては、いわゆる偏差値によって進むべき学校を割り振るということが非常に大きな問題になりました。これは、人生に大きくかかわる進路という問題が余りにも一方的な都合によって振り回されているのではないかということで、文部省もこの点での問題点の克服ということで大きく努力をしてきたわけでございます。  ここに一つ資料がございますけれども、ただいま先生の方からは、普通科高校と専門高校との間に、その点に大きな差があるのではないかという御指摘があったわけでございますけれども、私ども平成六年度に、学校教育と卒業後の進路に関する調査というのを行っております。これは、公私立高等学校の全日制課程三学年の生徒八千九百四十人を対象に行ったものであるわけでございますけれども、その調査結果によりますと、工業高校あるいは商業高校に進んだときの理由、それから普通科高校に行ったときの理由というのは、いろいろありますけれども、そんなにその理由に差はございません。  具体的に申しますと、工業高校の場合には、将来の仕事に役立つ知識や技術を身につけるためという回答をした者が六〇%を超えておりまして一番多く、その次、先ほど先生が御指摘になりました、中学校の成績だとこの学校が適当だったからというのが四四%と続いてございます。それから、商業高校につきましてもほぼ同様でございまして、将来の仕事に役立つ知識や技術を身につけるためと答えた者が六割を超えておりまして、その次に、中学校の成績だとこの学校が適当だったからと言った者が四九%で続いております。同じ調査で、普通科高校につきましても、五四・一%の者がやはり、中学校の成績だとこの学校が適当だったからというふうに答えてございます。  したがいまして、これは普通科高校あるいは専門高校ということではなくて、中学校の進路指導のあり方の問題一般として、なかなか難しい問題ではございますけれども、考えていかなければならない問題なのではないか。少しでもやはり適性、興味、関心というものを踏まえた進路指導が行われるように努力をしていくということが一つです。  それからもう一つは、受け入れる側の高等学校でありますけれども、従来、普通科高校と専門高校という大きく二区分にされておりましたが、普通科、専門高校をあわせた総合高校という制度をつくりまして、来年度にはこれが百校を超えるような状況になってございます。これは、普通科高校からの転換もございますし、専門高校からの転換もございます。いずれにしろ、そういう形でそれぞれの学校が特色を持った形で高等学校教育が運営される、この問題も大変重要なのではないか。  私どもとしては、特色のある高等学校教育というものの実現ということと、生徒一人一人の個性、興味、関心を踏まえた進路指導の実現、この二つの観点からさらに努力を続けてまいりたい、こんなふうに考えております。
  110. 町村信孝

    町村国務大臣 今局長が御答弁を申し上げましたような実態があるようでございます。  ただ、基本的には、いろいろな受験雑誌とか地元の雑誌などを見ると、ばあっと偏差値が書いてあって、高校の名前が書いてあって、それで選ぶというのもやはり少なからずあるわけですよね。やはりそれは本当におかしいのであって、偏差値によらない進路指導、まして今先生御指摘よう少子化という、もう事実上ほっておいても全入状態に近いわけですから、偏差値によらないでの進路指導がよりしやすい環境ができているということが言えるのではないだろうかと思っております。  なお、高等学校の入試のあり方につきましては、相当いろいろな工夫、改善が凝らされてきておりまして、普通科でも推薦入学をやる都道府県がふえたり、あるいは小論文とか作文、実技というものをやる学校がふえたり、あるいは学力検査で傾斜配点をしたりとか、相当いろいろな工夫をやり始めてきているという実情もそうした認識のあらわれではないだろうか、私はこんなふうに受けとめております。
  111. 安住淳

    ○安住委員 とにかくその時代の変化に応じて文部行政というのはころころ変わっていいかといえば、私もそうでない部分というのはかなりあるとは思いますが、しかし、この少子化の問題だけはやはりそれに応じた対策を立てていかないと、正直言いまして、私の地元の高等学校なんかは、寄附金も集まらないので相当大変で、学校のいろんな施設をつくるときにお願いして歩いたり、大変なんですね。  だから、そういう意味では、高校の統廃合の問題だっていずれ現実の問題になってくるわけであって、さっき辻村さんがおっしゃったように、総合高校というものの中でいろんな人が共存をして学べるような制度というものが高等学校には私は必要だと思いますから、それはもうどんどん、かなりピッチを速めて進めていただきたい。  そして、ちょっと時間がないので大学の話に移らせていただきますが、国立大学の問題で、いろいろ質問したいことはありますが、きょうはあと十分ちょっとしかございませんので、一つに絞ってお話をさせていただきます。  今、全国の都道府県の国公立大学にある教育学部、これは平たく言えば、学校の先生を養成する学部として、大変人口がふえて、子供たちの数がふえて、学校の数がふえて、それに対して教師の数が足りないからといってこれは増設を続けてきました。それはそれなりに社会的な観点からいえば私は大変な貢献をしてきたと思います。  しかし大臣、今の定数のままで教育学部をこのままにしておいて、その教育学部で学んだ学生もこれは税金を払って学んでもらっているわけですから、その人たちが本当にそれだけの必要な職場というのがあるかといえば、私は決してそうでないような気がするんですね。ですから、この教育学部等の合理化の問題というのは、大学改革の入り口の入り口。つまり、そういうものが本当にこれから、幾つかは必要です、しかし、今のパイのままで必要だと思っていらっしゃるかどうか、これについてまずお話を聞かせてください。
  112. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 少し数字的なことをお答えさせていただきます。  御指摘ように、教員養成課程を出てもなかなか教員に採用されないという実態が続いております。小中学校の採用状況というものが今後ともしばらくの間好転することが見込まれないわけでございます。そういう状況の中で、教員養成学部の入学定員をどうするかということが一つの大きな課題でございます。  そんなことから、文部省といたしましては、平成十年度から十二年度までの三年間において五千人程度の入学定員の削減を図ることといたしております。平成十年度の概算要求で申しますと、教員養成課程につきましては、先ほどの五千人中千二百六十名の定員削減を行うことといたしておるところでございます。
  113. 町村信孝

    町村国務大臣 国立大学につきましては、今局長が御答弁を申し上げたとおりでございます。これはまさに少子化問題の典型的なケースだろう、こう思っております。  ただ、今までどうやっているかというと、一つの大学ですね、例えば何々教育大学、その教員の方のは減らして、それを他の学問分野の学部・学科に振りかえているんですね。これは私は正直言うとやり過ぎなんじゃないか。これはちょっとまだ十分部内で議論をした話じゃないので高等教育局長は嫌な顔をするかもしれませんが、やはりもうそこは思い切って減らしていく。  実は、大学審議会諮問をいたしました中身にも、国立大学の入学定員というものも、この際どうあるべきか見直すべきではないかということを諮問に実は入れたのでありますが、私は、かなりそういう問題意識を持ってやっていかなきゃならない。  また、私立の大学についても、これは免状を取ればいいのでありますけれども、免状を取っても実際に先生になれる比率というのは、御指摘のとおり非常に低くなってきているわけでありますから、したがいまして、私は、それだけ免状を取るためには実習をしたりなんかしていていろいろコストもかかっているわけですね、やはりこの辺は大いに今後改善の余地があるのではなかろうか、こう思っております。(「二十人学級にすれば」と呼ぶ者あり)
  114. 安住淳

    ○安住委員 確かに二十人学級にすれば、生徒の数はあれですけれども、先生の数は必要かもしれませんが、現実的には、税金使って、大枚かけてというか、全国に、都道府県に教育学部はもう山のようにあって、失礼な言い方ですけれども教育学部だけで成り立っている大学だってそれはあるわけですね。大臣のところの北海道教育大学もそうです。  しかし、私が言っているのは、まさにもっとそういうことに対してメスを入れていくのが行革ではないですかと言っているんです、私は。つまり、それを否定しているわけじゃないんですよ。教育学部を否定しているわけじゃなくて、要するに現実にもう数が見込めないにもかかわらず、教育学部というものの占める割合が非常に高い。ところが、いざ出るとなると、なかなか教員試験に受からない、採用されない。もうそういう人たちが実は職にあぶれて、縁故を頼って政治家の先生のところに就職をお願いに来るとか、そういう人も結構いっぱいいる。  つまり私は、やはりどうも行革の問題とこの少子化の問題と不可欠だと思います。リンク、関連すると思いますよ。しかし、それは科学技術庁と文部省が一緒になるとかそういうこととは違って、大臣が実はきょうからでもあしたからでもできる話なんですね。こういうことに対して文部省が熱心であるかどうかということが、私は実は非常に大事なんじゃないかと思うのですね。つまり、先ほどから前段で私申し上げたように、改革するのは結構です。結構ですが、では、どこに向かうのかという根っこの部分が今までの教育改革の話では出ていないんですね。  つまり、いろんな問題があるから、例えば飛び級の問題も、優秀な生徒をもっと育てるために必要です、私はそれはそれでいいんですが、もっと先を見たときには、この少子化がまさに私は教育行政を変えるときの根底にやはり存在するものであって、そこからもう見通しを立てて、何が必要で何が必要でないのかという話がもっと出てこなければおかしいのではないかな。毎年毎年の予算編成のときばかり、施設費が幾ら削られてここがふえたとか、そういう話ばかりでは、私はちょっと寂しいんじゃないかな、そう思っておるものですから、その辺の認識をきょうは聞かせていただきました。  最後に、あと五、六分ありますので、施設の関係の話をさせていただきます。  これも少子化と不可分で、とにかく昭和三十年代、四十年代につくった学校の、全国至るところで改築の季節というか時期を迎えていると思うんですね。ところが、予算がなかなか限られていて改築ができない。それに輪をかけて一つの問題が、やはり統廃合の問題というのがどうしてもそこに存在をする。今の学校を改築するどころか、どことどこの学校をくっつけて本当は建てなきゃいけないが、しかし地元の市町村長さんや県からいうと、これは大臣は御存じだと思いますが、政治家として、これほど学校の統廃合、特に過疎地の統廃合を進めるぐらい厄介な話はありません。正直言えば、だれも泥をかぶりたがらないぐらい問題がある。  しかし、これをやらなければ、私は、この施設関係の問題だって実際は、今まで以上にお金を使えるんだったら別ですけれども、これからこの限られた予算の中でこの三十年代、四十年代の老朽化した学校施設、先ほどどなたかの質問にありましたけれども、焼却炉の問題、これを解決するためにも、施設関係の整備充実のためにも、いわば小中学校の統廃合の問題というのは避けて通れない問題だと思います。  しかし、これは一義的には市町村や県の教育委員会の問題だと言われてしまえばそれで終わりですが、そこがなかなかやりにくい問題だから、これについては文部省が少し前に出てやはりそれに対する考えというものを、市町村に対して指導すると言うと変ですけれども、市町村のつらい部分は助けてあげるべきではないかな、これについては積極的に国がリーダーシップをとるべきだというふうに私は思っておるのです。このことについて、大臣、いかがですか。
  115. 町村信孝

    町村国務大臣 私の地元の北海道も、多分安住委員の地元宮城同様、かなり問題があります。特に過疎地では、この統廃合というのはもう避けて通れない問題。しかし、かなり面積の広い町村部で、やはり核になる地域があって、それぞれの地域ごとに小学校が配置をされているというのが今までの小学校の姿でありますから、現実、これを統廃合するというのは本当に難しいことであります。  しかしながら、じゃ、だからといって文部省が何々村まで出張っていって、おまえさん、おまえさん、こうやりなさいよと言うのも、これはなかなかいかがなものかなという気もいたします。現実に人手も何も足りません。やはり、それは苦しくとも市町村長の判断ということなのではないでしょうか。何か難しいことがあると国が出ていけというのも一つの考え方かもしれませんが、私は、やはり楽しいこともつらいことも首長さんは一生懸命やるという姿勢でないと、これは本当の意味の地方自治になってこないのではないだろうか。  ですから、我々文部省としては、統廃合に伴う校舎の新増築の場合には補助率を上げますよ、それが過疎地である場合にはもっと補助率を高くしますよという形で誘導を今やっているところでありまして、現実を見ると、大体過去数年間、三十校、二十校、四、五十校という感じで全国的にはそういう統合補助の実績が上がってきておりますが、これで十分かどうか。多分十分ではないと私も想像はいたしますが、それはまさに各地域のリーダーシップをとられる方ができる限り御努力をしていただきたい問題だな、こう念願をいたしております。
  116. 安住淳

    ○安住委員 私も、資金的な面でかなり国が面倒を見るべきでないか。つまり施設の予算の中で、そうしたやはり統廃合にかかわるものについて非常に比重をある意味で高めていくとか、これが少子化社会に向けた教育の設備施策の意外と重要なところかな、そういうふうに私は思ったものですから、そういう質問をさせていただいたというわけであります。  確かに心の問題等々、教育の問題というのは非常に奥が深くて、どこまで議論していいものだか、どこまでが国の責任だかよくわからないところがあります。しかし、一点言えることは、教育施設や教育制度のあり方、その問題についてはやはり文部省が大きな責任を持っているということであります。それはやはり、皆さんの目の前に広がっている小中学校それから子供たちの数、こうした現実を無視して、旧来のやり方をそのまま踏襲するだけでこれからの教育政策がうまくいくわけがないし、やはり映し鏡のように、幼稚園からきょうは大学まで、本当に入り口の話をさせていただきましたけれども、そうした目の前に広がっている変化というものをやはりぜひ大臣には機敏に受け取っていただいて、それを行政の中で、限られた在任中かもしれませんが、ぜひそれを反映をさせて新しい風を吹かせていただきたい、そういうふうに思います。最後は希望を込めて、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  117. 河村建夫

    河村(建)委員長代理 次に、肥田美代子君。
  118. 肥田美代子

    ○肥田委員 町村文部大臣誕生後、初めて質問に立たせていただきます。民主党の肥田美代子でございます。よろしくお願いいたします。  私は、我が国の教育は今重大な転換期を迎えていると思っております。先進国に追いつくことを目指してきた、そういう時代には理にかなっていた教育内容も、やはり今はもう子供のニーズにこたえられなくなっている、そういう思いがしております。ですから、文部省が過去から積み上げてこられたことの中で、何を捨てていくか、そして何を残していくか、洗いざらい見直していく、それが教育改革意味であろうと私は思います。  私は、そういう思いを念頭に置きまして、まず、国民の大きな関心事でございます中高一貫教育について質問させていただきたいと思います。  中央教育審議会は鋭意御努力を積み重ねられて「二十一世紀を展望した我が国の教育在り方について」を答申され、また文部省教育改革プログラムをまとめてこられました。そこで制度改革一つとして提起されたのが中高一貫教育でございます。  そこで、まずお尋ねいたしますが、この中高一貫教育は全国すべての公立中学校、高等学校で実施されるおつもりかどうか、お伺いいたしたいと思います。
  119. 町村信孝

    町村国務大臣 これは、今肥田委員指摘のとおり、ことしの六月の中央教育審議会答申提言を受けたところでございまして、これは、子供や保護者の判断によって現行の中学校、高等学校の制度のほか中高一貫も選択できるようにするということでありまして、すべてのものを中高一貫にしようというわけではございません。その地域のニーズにあって、あるいは保護者のニーズにあって、ここではこういうものをやってみようということであるならばそこは中高一貫も選べる、中学、高校それぞれ選択も選べるという選択肢の多様化であるというふうに御理解をいただければと思っております。  なお、そういう方向に沿いまして、平成十一年度から導入を目指しまして関係法案を次の通常国会に提出をしたい、かように考えております。
  120. 肥田美代子

    ○肥田委員 伺っておりますと、選択の自由でありますとか、地域のニーズでありますとか、自治体の自主性というようなこともおっしゃっていらっしゃるように思います。恐らくこういうことがキーワードであるかと思いますけれども子供の立場に立ってみますと、実は自治体の主体性に任されますと、その子の住む自治体に中高一貫の学校があるかないかでいろいろな不公平が起きてくると私は思うのですけれども、大臣はどう思われます。
  121. 町村信孝

    町村国務大臣 先ほどもちょっと教育改革一つの基本理念のところで申し上げましたが、不公平ということに余りこだわっておりますと教育改革は進まない、むしろ戦後の教育は余りにも公平、平等ということを強調し過ぎたがゆえに、すべてが画一的になり過ぎてきたのではないだろうか、こう思います。でありますから、例えば私の子供あるいは私自身が中高一貫に行きたい、しかし我が町にはない場合どうするかという問題も確かにあります。  一つの例として、適切かどうかわかりませんけれども、今宮崎県に既に中高一貫の学校があります。たしかあれは公立の学校だったと記憶しておりますが、ここには全県の学生が応募資格ありというような形で、狭い学区制というものはとらないというような、これは宮崎県全体に一つですからそうせざるを得なかったのかもしれませんが、実際の応募は全県から学生が応募している、このように聞いておりますので、そういう場合には、通学区域などというものはもちろん弾力的に考えていくということが必要であろうかと思います。
  122. 肥田美代子

    ○肥田委員 同じ日本に暮らしております子供の中で、例えば町村文部大臣の御出身の北海道には中高一貫教育校が軒並みできたとします。私の出身地であります大阪では皆目できてこない。そうしますと、中高一貫校にどうしても入りたい子は北海道に引っ越しするということも起こり得るかもしれませんね。選択肢が与えられた子供とそうでない子供、そういうことにやはり不公平が起きてくると私は申し上げたいわけで、先ほど大臣がおっしゃった、必ず平等でなければいけないのかというお話とはちょっと私は違うような気がするのですけれども、いかがでしょう。
  123. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 中高一貫教育でございますけれども、中高一貫教育は、その利点といたしましては、高校入試の影響を受けずにゆとりのある安定的な学校生活が送れる、あるいは継続した教育が行われる、こういう利点もあるわけでございますが、一方では、学習集団が固定いたしますから、六年間同じ仲間で学習するという、そのことになじめない生徒が出てくるかもしれないという課題もあるわけでございます。また、六歳の違った異年齢が一つ学校を構成いたしますので、そのことのメリットもありますけれども、そのことに伴いますさまざまな課題もあるというわけでございます。  一方、現在の中学校、高等学校の生徒につきましても、中学校を終えて、その時点で進路を判断して希望する高等学校に進路を向ける、この面のメリット、それから受験競争等に代表されるデメリット、それぞれあるわけでございます。  したがいまして、それぞれの子供を預かっております地方公共団体等がそれぞれの中学校なり高等学校の状況というものをしっかりと見ていただいて、そしてそれぞれの地域、生徒にふさわしい学校の仕組みというものが構築されればよろしいのではないか、そのような判断ができるように国としては準備をする、こういう考え方でこの中教審答申についての実施方を今検討しておる、こういうことでございます。
  124. 肥田美代子

    ○肥田委員 私は、選択肢が与えられた子供と与えられない子供との不平等感についてお尋ねしたのですけれども、今お答えはいただいておりません。それに関してどうですか。町村文部大臣、率直にお答えくださいますか。
  125. 町村信孝

    町村国務大臣 もしそういう希望される保護者がたくさんいるのであれば、当然自治体はそれはっくるはずであります。大阪にたくさんそういう御希望をされる保護者がいて、大阪の教育委員会なりが、そんなの一個もつくる必要がないという判断をするはずがないと私は思います。
  126. 肥田美代子

    ○肥田委員 中高一貫教育が目指すものはゆとりある学校ということでございますが、大臣も、きょうは参議院の財特委とかけ持ちなさって大変お忙しい、本当に毎日お忙しい日程だというふうに私は承知いたしておりますが、その中にあって、ゆとりを感じられるのはどういうときでございますか。
  127. 町村信孝

    町村国務大臣 貧乏暇なしてございまして、余りゆとりを感ずることも少ないわけでありますが、やはりたまの日曜日、今まで大臣になる前は毎週末地元へ帰っておったのでありますが、最近は、日曜日、たまに家にいることがございます。そうすると、娘が二人東京に今いるものでありますから、そういう娘と一緒に夕食などしているときは、本当にありがたいなと思っております。
  128. 肥田美代子

    ○肥田委員 ゆとりというのは、やはり子供たちの場合でも、心のありようと深くかかわってくると思うわけでございます。忙し過ぎる子供たちの暮らしを少しでもゆとりあるものにするために、今回の教育課程審議会中間まとめで、週二時間ないし三時間の時間削減が提起されております。精選が厳選になり、削減ということになったという、この流れに関しては、私は大変評価しております。ただ、それぞれの専門分野から要求されるままにずうっと太り過ぎてまいりましたカリキュラムを根本的に見直すときが今来ているのじゃないかと。  橋本内閣改革の六本柱の重要な一つ教育改革を挙げておられますけれども町村文部大臣は、この教育改革に臨むに当たって、最も大切にしなければいけないものは何だと思われますか。短い言葉でお答えください。
  129. 町村信孝

    町村国務大臣 十字以内で答えを書けという大変難しいこれは質問だな、こう思いますが、一言で言いますと、やはり子供にたくましく生きる力を与えること、つけてもらうことだと思います。
  130. 肥田美代子

    ○肥田委員 百点近く差し上げたいと思います。確かにそういうことではないかと思います。  ゆとりとか心とかということは、先ほど大臣もおっしゃいましたように、政治が関与できないことかもしれません。ちょっとこういう話を聞いていただきたいのです。実は、静岡のある中学校の校長先生のお話でございます。  その学校では、毎朝八時十五分から十五分間、本の読み聞かせをしているのですね。読むのは先生方であったり、お母さん、お父さんであったりするわけでございますけれども、初めは、中学生が本の読み聞かせに応ずるかなという心配があったようでございますけれども、数回重なつでみますと、子供たちが実にしんとして耳を傾けて、思いにふけってその時間を過ごすそうでございます。たった十五分ですけれども学校の中では、やはり子供たちが本を読む数がうんとふえたというふうにも報告を受けているのでございます。それで、子供たちの心のゆとりをつくるということは、現場の先生のほんの少しの工夫でもってできることかもしれないなというふうに私も思うわけでございます。  前国会で学校図書館法の改正案が成立しました。町村文部大臣のお父上は、実は昭和二十八年に学校図書館法を議員立法で出されたときの提案者のお一人であるというふうに伺っております。私は、学校図書館がやはりこれからの教育改革のための重大な場所になるのではないかというふうに思うわけです。だからこそ、文部省としてはもっともっと学校図書館が輝くように力を入れていただきたいと願うわけですが、大臣、いかがでございましょう。
  131. 町村信孝

    町村国務大臣 まず、父のことにお触れいただきまして、どうもありがとうございます。  先ほどの静岡県の学校のケースですか、それこそまさにそれぞれの学校現場で相当考えた成果だろうと思いますが、やはり工夫をしていただくこと、そして、多分思わぬ効果を上げられたことだと思います。  正確な数字は私は忘れましたけれども子供たちの本離れというのが非常に激しい。もう何か一カ月に一冊も本を読まない高校生が何割という、たしかそんな統計もあったと記憶をいたしておりますが、大変にこれはゆゆしき問題だと思います。であるがゆえに、今委員指摘学校図書館、もちろん図書館は学校ばかりではなくて、町の図書館でも国の図書館でも同じだと思いますが、特に身近にある学校図書館をより子供たちが盛んに使う、利用するという環境をどうつくるのかということは非常に私も大切なことだ、このように思っております。  ことしの六月に皆様方の御努力で法律を改正していただき、当分の間置かないことができるとされていました司書教諭を、平成十五年四月一日以降は一定規模以上の学校には必ず置かなければならない、これは私は大変画期的な改正だろうと思います。  ただ、その育成が年間たしか六千人ずつぐらいやっていかないと間に合わないという。現状は今たしか五、六百人、五百二十四人ですか、国公私立別司書教諭発令数という、極めて微々たる数しかない。したがいまして、これはどうやってこれだけの数を、一定の時間の研修を経なければ司書教諭になれないわけでありますから、これは大変なことだなと思いますけれども文部省もありとあらゆる努力をして、例えばこの司書教諭の養成などに一生懸命努力をしていかなければならないと考えております。     〔河村(建)委員長代理退席、小川委員長代理着席〕
  132. 肥田美代子

    ○肥田委員 ぜひ頑張っていただきたいと思います。  また中高一貫に戻りますけれども中教審答申では、中高一貫教育の導入に当たって、学力試験を行わないというふうに明記しております。しかし、学力試験を行わないとしても、小学校からの推薦でありますとか、調査書、面接、実技など実施されることになっております。これでは入学競争が十五歳から十二歳の子供たちにおりてくるだけでございまして、学力試験こそないけれども、十二歳という、心が大変揺れ動くそういう時代に自分の進路を選択しなければならない、そういう過酷な問題が実は子供たちにかかってくるわけでございます。  私は、自分の進路をはっきり決められる小学生はいないと思います。そうなりますと、私立や国立の一貫校に見られますように、やはり子供のニーズというよりは親の判断が優先することになろうと思います。そうすると、やはりこれは子供の未来に関して大変大きな問題を残すのではないかと私は危惧するわけですけれども、大臣はどうお考えになりますか。
  133. 町村信孝

    町村国務大臣 中高一貫の目的が、一部の私立校にありますように、結果的にかもしれませんが、進学に大変すぐれた学校ということであるならば、私は、そういう中高一貫というのはやはり問題だろうと思います。  例えば、ちょっと先ほど申し上げました宮崎県五ケ瀬中学校・高等学校、これは、まさに恵まれた自然の中で自然体験、社会体験ができるという特色を持ってつくられたということでありまして、きっとそれは、何も自然体験のみならず、例えば国際化に対応できる一貫校であったり、あるいは環境教育を一生懸命やる一貫校であったり、あるいは伝統文化を継承するための一貫校であったり、いろいろな特色のある一貫校ができるべきであろうと期待をしているわけでありまして、そういう意味から、受験年齢の低年齢化を招くというようなことは、これは本当に本末転倒も甚だしい。だからこそ、学力試験はやらずに、抽せんとか面接とか推薦とか、そういうような形でこの中高一貫の学校に入れるような、そういう工夫はそれぞれまた必要になってくるのだろう、このように考えております。
  134. 肥田美代子

    ○肥田委員 その宮崎の五ケ瀬中・高等学校のことですが、競争率はどのぐらいでございますか。
  135. 町村信孝

    町村国務大臣 ちょうど手元に資料がございましたが、志願倍率は平成九年度九・三倍、平成八年度八・九倍、かなり高いようであります。
  136. 肥田美代子

    ○肥田委員 すごいですねという声が出ましたけれども、確かにすごい競争率だと私は思います。しかし、この競争率の高さは当然のことだと思います。都道府県単位で中高一貫校が一校か二校設立された場合には、こういうことというのは必ず起こるわけでございます、県内全域から受験してくるわけでございますから。  それで、五ケ瀬中・高等学校に対して、公立のエリート校ではないかという指摘もあるわけでございますが、それはやはりこういう十倍近い競争率からきたものではないかと私は思います。抽せんであれ面接であれ、その手続を通過できた者に対して、選ばれた者であるとかエリートであるとかという見方が生まれてもやむを得ないことだと私は思っております。  そして、それが、中高一貫の新設はエリート校を全国に広げることにつながるのではないかという皆さんの懸念を生んでいるわけでございます。これは、文部省の意図と大変異なるかもしれません。しかし、そうした国民の懸念がある以上、やはりこれを払拭する義務は文部省にあると思うのですが、どういうふうにこれから取り組んでいかれようと思っていらっしゃいますでしょうか。大臣、お答えください。
  137. 町村信孝

    町村国務大臣 確かに、県下一校ということでありますと、そういう問題になるのでしょう。ですからスタートは、それは一校から始まるのかもしれませんけれども、例えば県南に一つ、県北に一つとか、あるいは数校とかいうぐあいになってくればいいんだろうと思っておりますし、あるいは今申し上げましたように、いろいろな特色を持たせるということの方がむしろ重要なんだろう、こう思っております。  しかし今御懸念の向きはわかりますので、そういう懸念が現実のものにならないように、これからさらにいろいろな対応というものはより具体的なケースに沿って考えていきたい、こう思っております。
  138. 肥田美代子

    ○肥田委員 中高一貫教育を提案された文部省の立場からいたしましても、やはりできるだけたくさんつくりたいというふうに思っていらっしゃると思います。当然のことながら、自治体の自発的な動きを待つだけではなく、推進するための方策を既にお考えだと思いますけれども、具体的にどういうことがございますでしょうか。
  139. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 現在、さまざまな角度から検討いたしておりますけれども、まず、中高一貫教育がどのような目的、目標を持ったものとするかということ、その場合には、カリキュラムのあり方というのが大変重要であるわけでございまして、それが一つございます。  それから、中高一貫ということになりますと、現在は都道府県立の中学校というのは、ただいま御議論がありますように、宮崎に一件だけでございますが、一般化するということになりますと、都道府県立の中学校に対します国の助成のあり方ということにつきましても、これは検討しなければならないテーマだと思っております。  そのほかさまざまございますけれども、主として、そのソフトの面、教育内容の面と、それからハードの面、財源措置の問題、どうあるべきか、この二つが主要な検討課題で、検討いたしているところでございます。
  140. 肥田美代子

    ○肥田委員 くれぐれもお願い申し上げたいのは、子供の立場に立って、子供の心に立って進めていただきたいということでございます。この件についてぜひよろしくお願いいたします。  あと、環境教育について一、二間お伺いいたしたいと思います。  夏休みに子ども国会が参議院で開かれました。その子ども国会の中で子供たちが一番興味を持ったのが環境問題でございます。自然と環境委員会というところに入りたいという子供たちが圧倒的な数でございました。  それで、その子供たちが発表した意見の中で、こういうのがございました。子供たちは、木と人間というテーマの中で、木は安らぎを与えてくれる、動物のすみかになっている、セミやカブトムシなどがいて、それと人間が触れ合うことで命の大切さ、自然のとうとさがわかるなどです。  私は、委員会を傍聴しながら、子供が自然と触れ合うことの大切さを痛感いたしましたが、子供たちがテーマにした木といいますのは、これは、そのそばで遊んだり木陰で話したりという仲間としての木なんですね。  それで、私はひとつ大臣にぜひ提案させていただきたいのですけれども学校は今緑が少な過ぎると思います。学校は、子供たちのためだけでなく、災害のときには皆様の避難の場所にもなりますので、平成十年というような区切りのいいときを学校緑化元年というふうに位置づけまして、例えば子供たちに苗木を植えさせてはどうかと思うのです。子供たちは、大きな木がいずれはこの庭に育つということを夢見ながら植えるでしょう。そういう姿を私は想像するとわくわくするのですけれども、大臣はわくわくされますか。
  141. 町村信孝

    町村国務大臣 私の通っておりました小学校にも、大変大きなフジ棚の木があったのを私は今でも覚えておりますし、そのフジ棚の下で幼いころ大変遊んだり、転んでけがをしたりしたというような、やはりその木というものの記憶というのは、先生の顔や名前は忘れてしまうことがありますが、あのフジ棚の木だけは、いまだに印象に大変強く残っております。  そんなことから、学校の中のそういう教育環境整備、なかんずく樹木をできるだけ多くということで、文部省では従来から屋外教育環境整備事業というのをやってきておりまして、そこで樹木も当然補助対象となっておりまして、この事業を推進することによって、少しでも多くの木が植えられ、学校の緑化が進められるようにということをやっております。  さらに、もうちょっと広い意味の環境を考慮した学校づくり、施設づくりというようなことで、まだパイロットモデル事業でございますけれども、エコスクールというようなものを今年度から始めまして、こうしたものも含めて、環境のいい学校づくりということに努力をしてまいりたいと思っております。
  142. 肥田美代子

    ○肥田委員 もう一つ子供たちから注文がございましたのが、子ども環境会議を開いてほしいということなんですね。子供たちは、自分たちが環境のために何ができるかという思いを大変持っております。例えば来年のこどもの日前後にそういう子ども環境会議というのを開かれるというような、そういう思いがあればお答えください。
  143. 町村信孝

    町村国務大臣 五月五日、こどもの日にということですね。五月五日がいいかどうか、ちょっと私も、連休最後の日でありますから、本当にその日が適切かどうかわかりませんが、いずれにしても、子供たちが集まって活発に環境の問題を議論する、そういう会議、場というものがそれぞれの学校の中にあってもいいし、地域にあってもいいし、あるいは全国レベルでもあっていい、県単位でもいい、いろいろなレベルでそういった環境問題を子供たちが率直に語り合う場というものが本当にさまざま設けられていたらいいな、こんなふうには考えております。
  144. 肥田美代子

    ○肥田委員 アメリカでは全米環境教育法というのがございます。これが各地域の環境教育に大変大きな影響を与えているわけでございますけれども、我が国の環境教育はやはりまだ欧米に比べておくれているのではないかというふうに私は感じます。  それで、子供たちはこんなに関心を持っているわけですから、もっと文部省が率先して教育の中に環境を取り入れていただきたい。それは、ただ総合学習の中に入れるということではなくて、教科の中、例えば算数とか国語と同じように環境教育という教科をつくるほどの熱意であっても私はいいのではないかと思うわけでございますが、大臣は環境教育についてどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
  145. 町村信孝

    町村国務大臣 私もいろいろ不十分なものでございますので、先生からの御指摘があって、全米環境教育法という法律があることを実は今回学ばせていただきました。なるほど、環境先進国というのは違うなという率直な印象を持ったわけでございます。  大学その他では随分環境問題の学科ができたりというようなこと、あるいは教師の養成段階でも、環境問題を勉強してそれで学校の先生になるといったような面でいろいろ進んではきているのかな、大分充実はされてきているのかな、こんなふうにも思っておりまして、さらに一層そういう面で努力をしていきたい。  ただ、教科にする必要があるかどうか、ちょっと私もそこまでの知識経験がございませんので何とも申し上げかねますが、今一応、教育課程審議会の中では、いわゆる総合学習の時間といったような中で、大きな一つのテーマとしての環境教育、環境問題を取り上げるというようなことも議論されて、たしか先般の中間報告にそれが掲載をされていたというふうに記憶をいたしております。
  146. 肥田美代子

    ○肥田委員 これで最後の質問にさせていただきますが、やはり教職課程の中でしっかりと先生に環境の大切さを教えていくことは大事だと思いますので、もう少し積極的に教員養成プログラムの中に入れていただきたいとお願い申し上げます。いかがでしょうか。
  147. 御手洗康

    ○御手洗政府委員 お答え申し上げます。  去る七月に教育職員養成審議会から、教員養成の改善について第一次の御答申をいただいたわけでございますけれども、その中に、新しく総合演習という時間が二単位必修科目と提言されておりまして、これは御指摘ように、地球環境問題を初めといたしまして、人権問題あるいは社会福祉の問題、少子・高齢化の問題、そういった人類共通のテーマ、あるいは我が国が抱えておりますこれからの大きな課題につきまして、主としてディスカッションを中心にいたしまして演習形式の授業、さらにはフィールドワーク等の実際の体験、そういった指導方法を含めて、新しい必修科目という形で御提言をいただいたところでございます。  また、このほかにも、各大学の創意工夫によりまして、教職課程のあらゆる授業、体験等で、自然体験やボランティア等にかかわる体験的な実習を重視したり、環境教育に関します体験の充実を図るというようなことで御提言されているわけでございまして、これにつきましては、この答申を踏まえまして、次期通常国会に教育職員免許法の改正をお願いしたいということで準備をしてまいっているところでございます。何分よろしく御理解をいただきたいと思います。
  148. 肥田美代子

    ○肥田委員 ありがとうございます。  終わります。
  149. 小川元

    小川委員長代理 次に、石井郁子君。
  150. 石井郁子

    石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  一昨日、教育課程審議会中間まとめが発表されました。私はまず、この中間まとめに関して一問お聞きをしたいというふうに思います。  二〇〇三年をめどにということで出されていますように、小中高校が、学校教育内容がどのように変わるのかという点では大変国民の関心、期待の高いものがあるというふうに思います。その内容は大変多岐にわたっておりますので、本当はじっくり伺いたいことがいっぱいございますけれども、きょうはその一点だけお尋ねをしたいわけであります。  この中間まとめ、大変膨大というのか、これを一読いたしまして、実は私大変驚いた箇所がございます。ちょっと読み上げますと、「児童生徒の発達段階等を考慮し、」ちょっと省略しますけれども、「学習内容の理解や習熟の程度に応じ、弾力的に学習集団を編成したり、学級編成を弾力的に行う」という文言でございます。一方で、まとめの骨子というものがございますけれども、この中にはこういう表現は見当たらないわけですね。  質問ですけれども、まとめにありますこの文言どおり考えますと、小学校から能力別、習熟別の学級編制を行うというふうに読めるわけですが、そういうふうに読んでいいのでしょうか。
  151. 町村信孝

    町村国務大臣 不登校とかいじめとかいろいろな学校の中の問題、特に、もう学校に行きたくないという子供たちのいろいろな原因があろうかと思いますが、一つは、わからない授業にずっと縛りつけられて座っているというのは大変つらいものがあるだろうと思います。したがいまして、できるだけその児童の進度に応じた、できるだけその個々の生徒の言うならば習熟度に応じた教育ができた方が親切だろうし、例えば不登校の原因の一つをそれで取り除くことができるならばその方がいいのかな、私はこう思っております。  したがって、先般の中間まとめにおきまして、基礎、基本の確実な定着を図るということとあわせて、児童の発達段階などを考慮しながら、一人一人の興味、関心を生かした指導をする、あるいは学習内容の理解や習熟の程度に応じて弾力的に学習集団を編成したり、学級編制を弾力的に行うという表現があるわけです。  しかし、これは実は小学校から高校までのをぽんと一括して書いてございますので、この中間まとめが出たからといって、直ちに小学校の段階から習熟度別の学級編制を取り入れるべきである、そういう御提言をいただいたものとは理解をいたしておりませんので、この辺はまた、中間まとめでございますから、今さまざまな形で御意見をいただいておりますので、きょう委員の御指摘もいただいて、最終答申はよりしっかりしたものをつくり上げていっていただきたいな、このように思っております。
  152. 石井郁子

    石井(郁)委員 文言どおりですと、「児童」とあるわけですから、これはやはり小学校というふうに読めるわけです。私は今、重大な内容だというふうに考えていますし、小学校段階からできる子と理解の遅い子に応じて学級編制をするということですから、「学級編成」というふうに打ち出したのは初めてではないかというふうに思いますし、クラスによって教える内容、水準が違うということになるわけですね。  この点はさらに中学校へ行くと、こうもあるわけです。中学校の選択教科の拡大というところでは、「さらに学習を進めたいと考えている生徒に対するより進んだ内容を含む発展的な学習も含め一層多様な学習活動ができるようにする。」ですから、義務教育の段階から学ぶ内容、水準は違っていいというふうに読めるし、明確に打ち出している。  ちなみに、この文言もまとめの骨子にはないわけです。ですから、中間まとめそのものを本当に丁寧に読まないと出てこない内容ではないのかというふうに思わざるを得ません。  私は、きょうはここではちょっと議論する時間がございませんので、やはり義務教育というのは、すべての子供に、人間としてあるいはまた未来の主権者として成長発達する権利を保障する教育のことだというふうに思います。また、社会生活をしていく上での教養、あるいは労働に必要な技術、情操、体育、いろいろなものを多面的に育てなきゃいけないわけですね。  そういうふうに考えますと、できる者に進んだ内容をというふうに踏み出しているこの中間まとめは大変重大で、私は、義務教育の理念をいわば変更する、あるいはそれを放棄するということまで言わざるを得ないわけです。この点で、これは中間まとめですから、本答申に向けて、今大臣から御答弁いただきましたように、もっと再検討あるいは慎重な議論を、国民的な議論をぜひ進めていただきたいということを、これは要望申し上げたいと思います。  次の問題に移りますけれども、財政構造改革法案ですね、あさってにも参議院の特別委員会で採決かというふうに言われているわけでありますけれども、向こう三年間を集中期間として、国民生活に関係する予算が抑制されるわけですね。特に教育の分野で、大学の授業料などがどうなるのかという不安が今だんだん広がっているわけであります。その点で、もう文部大臣と総括質問で論戦をさせていただきましたけれども、私は、この法案は、前年度予算を、総額を上回らない、抑制するということになりますと、やはり学費引き上げの引き金を引くことになるのではないかということで御質問をいたしました。  一昨日には参議院で、我が党の阿部議員もやはり学費の問題で質問をいたしました。ところが、いずれの質問にもこの不安を払拭をするというような御答弁はいただけませんでした。きょうは、再度文部大臣に、国立大学の学費の問題を中心にちょっとお聞きしたいというふうに思います。  私が先日特別委員会で申し上げたのは、今日の大学の学費が学生、父母にとってやはりもう限界に来ている。それから、私立大学に子供を進学させた場合に、可処分所得の四割もの学費負担が必要となる。これはもう二人子供を私学にやれないという中身でしょう。また、教育費を要因として自己破産という事態まで生じているということなんですね。  だから、こういう実態の中で、国立も私立もさらに学費が上がっていくということになればどういうことになるのか。もう既に低所得層の進学率が激減している、このことは学生生活白書の中でも指摘されています。ですから、教育の機会均等が掘り崩されるのではないか、これが一層加速するのではないかというふうに言わざるを得ないわけであります。  そこで、文部大臣にお伺いしますけれども、この国立学校特別会計の繰り入れを抑制するということになれば、授業料、入学金の大幅な値上げということが余儀なくされるのではないかということで、お答えいただきたいと思います。
  153. 町村信孝

    町村国務大臣 それは、私も願わくは文教予算、何倍にもふやしていきたいし、国立大学であれ、私立、私大に対する助成であれ、財政が許すものならばと、こう思っておりますが、現実問題として、財政構造、今のような状況でありますので、向こう三年間に限って抑制をするというのは、文部省としても決して、何も喜んで、好きこのんでやっているわけではございませんが、現状、やむを得ない選択であったのかな、このように思っております。  特に、国立学校一つの目的というのは、私立大学と比べた場合には、その地域の学生、しかも、どちらかというと所得の余り高くない子弟でも入れるというのが全国にある国立学校一つの意義ではないだろうか、こう思っておりますので、その辺を考えながら、特にまた、国立大学の入学金あるいは学納金などを考えた場合に、私立学校とのバランスみたいなのも見てきたのも事実なんですね。かつては五倍、六倍もあったのが、かなり国立大学の授業料を上げてきたものですから、今やもう一・六倍というところになってまいりました。  私大関係者から言わせると、いやいや、まだまだと、こういうお声もありますが、私は、これは一体どこまで行くのだろうか。私立と同額まで上げるのが一つの考え方なのかもしれません。そういう割り切りもあるのかもしれませんが、それは私はいささかどんなものだろうかというふうに考えておりますので、今や一・五、六倍までの水準に来たときでありますので、その辺をいかに考えるべきかということを、先般、大学審議会の方にも実は諮問をさせていただきました。どのように授業料の水準、現在の姿、そしてもう一つは、委員指摘ように親の負担能力といったようなことを考えたときに、国立大学の授業料のあるべき姿について、ひとつ学識経験者の皆さん方にも御議論をいただきたいということで諮問を行ったところでございます。  なお、国立大学について、まだまだ事務の合理化、改善といったような余地が実際にあるようでございますので、そうした面のさらなる節減努力ということをやって、抑制をしたからといって、それがストレートに学生納付金のアップにできるだけつながらないような努力をやっていくのは、私学のみならず、国立大学もまた同様であろうというふうに考えております。
  154. 石井郁子

    石井(郁)委員 国立大学の授業料は二十五年前に比べますと、三万六千円から四十六万九千二百円ですよ。入学金に至っては、四千円から二十七万円。だから、本当に物すごい上がりようなんですね。その公私の格差というか、私学にどんどん近づけていくというのがこれまでの理由だったと思いますけれども、私学と同じになったら、国立の意味はないわけですよ。だから、大臣がお触れになりましたように、やはり国立大学の意義、存在の意義があるわけですから、そういうやり方は、本当にとんでもないという話だというふうに私は思っています。  はっきり御答弁ありませんので、重ねてなんですけれども、来年度は国立大学の入学料の値上げは決まっているわけです。九九年度は授業料はどうなるのかという点では、今、上げないで頑張るというふうにお考えでしょうか。
  155. 町村信孝

    町村国務大臣 過去のパターンでいうと、おっしゃるとおり、再来年度には授業料という順番にどうもなってくるのでありますが、本当にそれでいいのかという問題意識を私は持っておりますので、したがって、さっき申し上げましたように、審議会の方に諮問をしたというのは、そういう問題意識からでございます。  したがって、この年末、再来年のその問題を議論をすることになるのかもしれませんが、その辺につきましては、私どもなりの考え方は、財政当局とはっきり議論を闘わせなければいけない、このように考えております。
  156. 石井郁子

    石井(郁)委員 もう一点、やはり学費に関して伺わせていただきます。  学部別の授業料の導入という問題が言われているわけでありまして、文部省はこれまで、教育の機会均等を保障する上で学部別授業料は導入すべきでないという態度を一貫してとってこられました。私は当然のことだというふうに思いますし、評価をしたいと思いますけれども、これからもこの態度を堅持されるのかどうか。これはぜひ文部大臣の御決意を伺いたいと思います。
  157. 町村信孝

    町村国務大臣 結論を申し上げますと、私は、国立大学の学部別授業料導入についてはやるべきではない、このように考えております。  理由は、一つには、国立大学の場合はやはり理工系の学生が私学と比べると多いのは事実であります。そうすると、さなきだに理工系離れという声がある中、そういう風潮がある中で、これに一層拍車をかけてしまうというおそれがございます。また、医学部とか歯学部、こういう関係は実際相当コストがかかるのは事実なのでありますが、これを実際、コストをはね返したような学部別の授業料ということになりますと、お医者さんあるいは歯医者さんになるのは、もう本当に高所得者の子弟しか進学できないということになってしまいますので、それはそれで大変問題であろう、こう思いますので、学部別授業料の考え方、まあ絶対に未来永劫やらないとは申し上げませんが、私は、少なくともそこは極めて極めて慎重に考えるべき課題であろう、こう思っております。
  158. 石井郁子

    石井(郁)委員 文部大臣のその御決意でぜひ頑張っていただきたいというふうに思います。  しかし、きょうは大蔵省にも実はおいでいただいているのですが、大蔵省にお聞きしたいと思いますが、九九年度の国立大学の授業料については、学部別導入ということで検討されていると、これは「官庁速報」の十一月五日にございますね。いかがですか、大蔵省。
  159. 佐々木豊成

    ○佐々木説明員 国立大学の授業料につきましては、従来から、社会経済情勢の変化等に応じまして、逐次改定を行ってきたところでございます。また、国立学校につきまして、「財政構造改革の推進について」ということしの六月三日の閣議決定の中で、文教予算につきまして、受益者負担の徹底等の観点から、全般的に見直し、抑制を行うとされております中で、集中改革期間中においては、授業料の見直し等により、国立学校特別会計繰り入れを対前年度同額以下に抑制するという旨の決定をされております。これらを踏まえましてただいま議論をしているところでございます。  なお、学部別授業料につきまして申し上げますと、さらに、昨年暮れにございました財政制度審議会の報告におきまして、「学部別授業料の問題についても検討を進めるべきである。」という御指摘をいただいております。そういうことを踏まえまして、今後とも幅広く議論をさせていただきたいと考えております。
  160. 石井郁子

    石井(郁)委員 確かに、これまでも学部別授業料というのは大蔵省あるいは財政制度審議会からたびたび持ち出されてまいりました。ですから、当委員会でも衆参で審議議論をされてきたところだというふうに思うのですね。しかし、今回はやはり今までとちょっと意味合いが違うのではないかということで、私は大変危惧を感じているわけであります。この財政構造改革法案、これが縛りとなったらどういうことになるのかというふうに思うのですね。  しかし、先ほど御紹介しました「官庁速報」では、かなりそういう方向でもう決まっているかのように報道されているのですね。この報道の真意はともかくですけれども、大蔵省はそういう方針を固めた、近く文部省と調整に入るというふうにあるのです。もう一度、重ねて伺います。
  161. 佐々木豊成

    ○佐々木説明員 大蔵省が方針を固めたという報道がありますのは、私も承知いたしておりますが、先生も御存じの予算編成は、財政を担当しております大蔵省と、それぞれの行政を担当しております各省がいろんな議論を闘わせながら、最終的には政府として決定されるわけでございます。  そういう中で、先ほど申し上げましたように、財政制度審議会指摘もございますので、学部別授業料も含めて幅広く、文教行政を担当しておられます文部省議論を進めてまいりたいと考えております。
  162. 石井郁子

    石井(郁)委員 今の段階でそう確たることは御答弁できないかと思いますが、文部大臣に重ねて、大蔵省が学部別授業料を導入するというような方針で攻められたとき、本当に政治生命をかけてでもこれを阻止するという立場で臨まれますか。再度御決意を伺っておきたいと思います。
  163. 町村信孝

    町村国務大臣 財政制度審議会からの御指摘があることは承知をいたしております。したがいまして、私ども、すべての問題について議論をしないというわけにはまいりません。聖域なく議論をしてまいります。  ただし、文部省として、あるいは文部大臣の立場から申し上げるならば、学部別の授業料の導入というのには反対であるという明確なポジションを持っていることだけは申し上げておきます。
  164. 石井郁子

    石井(郁)委員 残りの時間で、私、きょうは奨学金の問題でちょっと御質問させていただきます。  これは先般文部大臣の方から、学費の負担が重いということは一方でお認めになるというか、そういう現実だということの中で、やはり奨学金の充実ということも大事なことではないかというふうな御答弁もございましたので、きょう短い時間でちょっとお尋ねをして、また本格的には次の通常国会でいろいろ考えたいというふうに思っています。  一点、具体的な数字で伺いますけれども高校から四年制大学に進学する、そして博士課程まで進まれるという場合、その奨学金の貸与の総額は今幾らになるでしょうか。また、大学から博士課程へ進んだ場合と、二つのケースについて数字をお知らせいただきたいと思います。
  165. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 お答え申し上げます。  国公立と私立ては奨学金の貸与額が違いますので、分けてお答えを申し上げます。  まず、高校から大学院博士課程まで貸与を受けた場合の貸与総額は、国公立の場合は八百九十五万八千円です。私立は九百九十七万五千円でございます。次に、大学から大学院博士課程までであれば、国公立は八百二十万二千円、私立は八百七十八万七千円でございます。
  166. 石井郁子

    石井(郁)委員 どうでしょう、大変な額だということに私改めて驚くのですね。  実はこのことは、私、先日東北大学を訪れる機会がありまして、そこで大学院生から伺ったのですね。その方は、貸与の総額はいろいろ違いますからあると思うのですけれども、大学院を終えると七百二十万円のいわば借金を背負うことになる、これは何とかならないのだろうかと。免除職につかない限り、これはもういわば借金でしょう。これの減免措置のようなことを本当に何か考えられないのだろうかという切実なお話を伺ったものですからお尋ねしているわけです。  それ以上の額が今示されているわけでありまして、私はもう本当に、日本の奨学金制度というのは何か受けることを足踏みせざるを得ないというか、こういう借金を背負うということのいわばリスクを考えなきゃいけないような中身になっているのじゃないかというふうに思うのですね。  大体、欧米諸国の中でも、奨学金を返済しなければならないという国は日本だけだというふうになっているわけです。利子をつけて返済するわけですから、すごい額になるわけですね。その利子ですけれども、第二種の奨学金の利子は三%近いのですね。公定歩合をはるかに超えているということです。  ここでちょっと具体的に踏み込んで文部大臣にお尋ねをしたいのですけれども、本当に奨学金制度を充実させるということだったら、学生のトータルで一割ぐらいしかこの奨学金制度を受けていないわけですけれども、まず、その奨学金の枠をふやすという問題、それから、利子をつけて返済をさせるような措置というのはどうなのだろうか、もうやめるべきではないかということまで含んで考えるべきだし、少なくとも公定歩合を上回る現在の利子を検討されないのかどうか。検討していいのではないかというふうに考えますけれども、いかがでしょうか。
  167. 町村信孝

    町村国務大臣 日本育英会の奨学金の事業というのは、基本的にはお金が返ってくるという、それをぐるぐる回すという建前で長年やってきているわけですので、全部差し上げますという仕組みにはどういうわけかといいましょうか、はるか昔から、この日本育英会奨学事業が始まって以来ずっとそれでやってきております。  ただ、御承知のように、それは無利子のケースもあるし有利子のケースもある。むしろ有利子制度を導入して枠を拡大してきたというのが日本の育英会奨学事業の歴史である、こう思っておりますし、また、有利子の場合でも、さっき金利は最高年三%と。だから、今みたいな低金利時代になると、現実には、平成九年十一月現在では二・二%ということで、三%よりは下がっております。それでも高いではないかという御指摘があると、いささかそういう気もしないでもありませんけれども、しかし、これが仮に今度高い利子率になってきたときには、最高三%というのはある意味では大変なメリットになる。だから、たった今の瞬間だけを見て高い低いと言われても、なかなか難しい面もあるのかなというふうに思っております。  ただ、全体として見たときに、委員指摘ように、日本の奨学金制度が十分であるか否かと言われた場合に、私は、さらに充実を図る余地は十分あるような印象は持っております。
  168. 石井郁子

    石井(郁)委員 時間が参りましたので、一言だけ最後にですけれども日本の奨学資金を受給している学生数は四十六万人という、これは九五年なんですけれども、全体の人口比でいうと〇・三七%なんです。ところが、アメリカは九百九十万人ですよ。人口比でいうと三・九三%。ドイツでもイギリスでも一%以上になっているんですよ。だから、いかに奨学金を受けている学生がまだ少ないかということがあると思います。  私がずっと申し上げたかったのは、大体、大学に進学をするときに多くの家庭教育ローンを背負う、それをまず持っているわけでしょう。そして授業料が高い。そして、奨学金には利子をつけて返さなければいけない。だから卒業しても、さらにローンを抱えて卒業して、結婚をしても、今度、子供教育ローンのときにまだ親が奨学資金の返済をしているということだってあるんですよ。何かとんでもない話になってきているなというふうに思うのですね。  そういう意味で、やはりこれは異常な状況になっているということを率直に見ながら、何とかしてこういう状況を打開していきたい、これは私は政治家としてしたいと思うわけですけれども、大臣も先ほどそういう御答弁をいただきましたので、ぜひ前向きに取り組んでいただきますようにお願いを申し上げまして、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
  169. 小川元

    小川委員長代理 次に、山原健二郎君。
  170. 山原健二郎

    ○山原委員 これは私の県のことですが、高知県土佐山田町の山田小学校におきまして、在校生二十二名、入学予定の一年生が十名、およそ三十二名が他の学校に転校するという事態が発生しております。事態の改善がなければ、来年度の入学も考えると父母たちが言っております。結局、子供たち学校を嫌ったわけですね。  高知県の宮地教育委員長が、山田小学校の原因は、学校の対応と同和教育のあり方にあると県議会で認めておりますが、文部省の見解はどうでしょうか。基本的な考えはそういう認識でございましょうか。  十月十六日に私も文部省の中澤小学校課長補佐にお会いしまして、集団転校の原因が同和教育と教頭に対する保護者からの不信によるもので、学校家庭相互連携で成り立っている学校において、学校不信によって転校生が出たことを残念に思っていると言明をされたのでございます。  学校側の対応と同和教育の問題が存在するわけでございまして、その原因を改めなければ問題の解決にはなりません。それは教育行政の責務でありますし、私の現地調査では、その同和教育の原因を具体的に説明せよという問いに対しまして、町の教育長は、皆さんがおっしゃるような立場宣言とフィールドワークが問題である、こういうふうに言っておられるわけです。  それで、立場宣言というのはどういうものなのかと思って聞いてみますと、四年生になりますと、特定の地域子供に、クラスの子供の前で、解放子ども会に参加しています、部落差別をなくするために勉強していますなどと宣言をさせるわけでございます。  町が配った「同和広報あけぼの」を見ますと、これは数日前に出たものでありますが、現在言われている立場宣言とは、自分が被差別部落出身であるとか、いろいろな差別を受けている立場を表明し、差別に負けないようしつかり生きていくことを自分の具体的な生活をもとに語っていくことでございます、と書いております。これが立場宣言というものだ、こういうわけですね。こんなことをなぜ学校教育でやらなければならないのか。しかも、教師が家庭訪問までしまして、旧身分を明らかにするよう、宣言を行うよう説得しているというのが実態でございますが、この事実について文部省はどういう見解を持っておられますか。お聞きをしたいです。     〔小川委員長代理退席、委員長着席〕
  171. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま先生から二点の御指摘がございました。  まず一点は、土佐山田町立山田小学校におきまして、その学校におきます教育のあり方について不満を持ちます一部の保護者の児童の中から、住居移転の方法によりまして、本年四月、多数の転校生が出たということでございます。この御指摘を受けまして、私どもも、県の教育委員会を通しましてその事実を確認いたしておりますが、そういう事実があったということでございます。  そして、その理由でございますけれども、県の教育委員会から聞いておりますが、当該学校の同和教育のあり方、それから生徒指導の方法に対しまして一部の保護者の不満にその原因があったというふうに私ども教育委員会から聞いておりまして、まことに残念なことだと考えております。  それからもう一点でございますが、立場宣言ということでございますが、今御紹介がございましたが、同和地区出身者がみずからその出身を公表する、これをいわゆる立場宣言と言われているようでございますけれども、こうしたものを行うかどうかにつきましては、本人がみずからの意思に従って判断すべき問題であるというふうに考えております。  こうした観点に立ちますと、みずからの意思で宣言するといったような場合はともかくといたしまして、学校が児童生徒に強制的に宣言をさせるというようなことは適切でないというふうに私どもは考えております。
  172. 山原健二郎

    ○山原委員 この問題は、同和担当の先生が家庭へ何遍も来るわけですよ。立場宣言は必要で、宣言するまでお宅に来ますと言って父母を説得するわけですが、三日間で十二時間あるいは十三時間も一律に教師が立場宣言をするように説得するわけでございます。  ある母親はこう言っています。先生にしょっちゅう来られて、家庭訪問を繰り返され、仕事場にも毎日来る。どうして立場宣言をしなければいけないのかと問えば、部落の子ということを自覚させて、差別に立ち向かっていく子にするためせぬといかぬ、一人が反対したらみんなの足を引っ張るからそういうわけにはいかない、こう言うわけですね。だから結局、強要でなくて何かと言いたいぐらいの説得が続けられるわけでございます。  御承知のように、憲法十四条では、差別されないことになっていますね。教育基本法第三条も、「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」こういうふうになっているわけです。この問題は、結局、判断能力のない子供に、差別されておるんだということを言わすわけでございますし、法律上も教育上も資料がないわけです。ないのが今の教育なんですね。それをあえて掘り返して旧身分を暴くようなことはやめてもらいたい、これが父母の見解でございます。  私は、教師が、この子供は被差別部落出身と判断すること自体が人権侵害ではないか、こう思っているわけでございますが、さらにそれを強要するということになりますと、これは旧身分暴きだというふうに思うわけでございまして、だから、こういう問題はいつまでたっても解決しない。こんなことが幾つもあるのですね。だから文部省も、きっぱりした態度をとって、教育の観点から一体どうなんだということを明確にすべきだと思いますが、その立場はとれないのですか。お伺いします。
  173. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 先ほどもお答えしたことでございますけれども、立場宣言につきましては、これを行うかどうかにつきましては、本人がみずからの意思に従って判断すべき問題であると考えております。したがって、みずからの意思で宣言する場合はともかく、学校が児童生徒に強制的に宣言させるというようなことは適切でないと考えております。  私ども、県の方からの情報確認等いたしておるわけでございますけれども、あくまで、こうした立場宣言のあり方も含めまして、学校と保護者との間の理解、信頼関係というものが大変大事だと思います。そういう観点に立ちまして県の方に指導してまいりたいというふうに考えております。
  174. 山原健二郎

    ○山原委員 もう一つ、いわゆるフィールドワークというのですが、変な言葉が次から次へ教育界に出てくるものだと思ってびっくりしているのですけれども、これはどういうことかといいますと、土佐山田の小学校の生徒が六年生になりますと全員やることになっているわけです。これも「広報あけぼの」によりますと、どんなことかといいますと、被差別地域の人との直接的出会いを通して、地域の人々の思いや願い、生きざまに触れるための現地学習というものなんだそうです。六年の三学期に同和地区に連れていかれて、同和地区の改良住宅、竹工場、納骨堂などを見て回りまして、そして、ここが同和地区だよ、差別されている地区だよと、こう教えられるわけですね。  それで、その日は、親たちはそのことを知っておりますから、洗濯物を隠すのですよ。それから、顔を見られないように外へ出ないのです。A子ちゃんは、あるいはB子ちゃんはここの地域の出身と、こういうふうに子供たちが聞くわけですね。だから、アパートでもいいから引っ越したいと親たちは言っている。これでは人権侵害の何物でもないわけで、被差別地域とだれが判定するのかも問題なんですね。  このような人権侵害の何物でもないフィールドワーク、こういうものはやめさせるべきです。教育上の指導ですか、これは。教育基本法に基づいてやる、それを忘れてこんなことが野方図に教育の現場でのさばっておるなんということは、絶対に許されないことですね。多くの父母は本当に反対しているわけですが、同和地区、被差別地区と教えて回ることこそ人権侵害ではないか、こう思われるわけでございますが、そういう意味で、私はこんな教育のやり方はやめてもらいたい。みんな父母は望んでいるのです。一部の、どういう思想を持った、思想でも何でもないのですけれども、そういうメンバーが強制的にやる、これに反論できない、とんでもないことだ。  今この三十二名の子供たち、昔でいったら、領主が税金を取り上げるために逃げるので逃散と言いますが、私は子供たちの姿を見ますと、本当に逃散の悲惨な姿だなと思うわけでございまして、このような事態がどうしても起こらないように県を指導すべきだと思います。そして、それを改善していく内容について、私どもにも、その途中におきましても報告をしていただきたいと思います。  ここに工科大学ができた。工科大学といって、今はもう大変な学校ですよ。お金だけじゃないのです。これは知事の意図によってつくられておるのですが、それができることに反対はだれもしていません。工科大学が、すばらしいものができる、そういうことで皆賛意を表明しておりますけれども、ところが、この工科大学の先生方の子供はどこに行っているか、目の前の山田小学校に行かないのです。公然と他の学校へ行っている。そういうことまで起こるわけです、不正常なことが。  だから、そういうことを考えますと、この問題の解決に文部省としても力を入れていただいて、見事に解決をしてください。そのことを要請しますが、この点については町村文部大臣の見解を伺いたいと思います。
  175. 町村信孝

    町村国務大臣 同和問題につきましては、日本国憲法によりまして保障された基本的人権にかかわる課題である、この面で教育が果たす役割は大切なものがあると考えております。  そのために、学校教育においては、日本国憲法及び教育基本法の精神にのっとって、教育の中立性が確保されるよう留意しつつ、人権尊重の意識を高め、一人一人を大切にした教育を推進しているところでございます。  文部省といたしましては、昨年五月に出された地域改善対策協議会の意見具申、あるいは法務省に設置されました人権擁護推進審議会における審議の動向にも留意しながら、今後とも人権尊重の意識を高める教育の推進に努めてまいりたいと考えております。
  176. 山原健二郎

    ○山原委員 今の御答弁でほぼ結構ですけれども、本当にこういうことがもう起こらないようにぜひ努力をしていただきたいと思いますので、委員長にもよろしくお願い申し上げまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  177. 高橋一郎

  178. 保坂展人

    保坂委員 社会民主党の保坂展人です。  本日は、委員長のお許しも得まして、実は私の知人で、長らく心理カウンセラーをされている三沢直子さんという方がいらっしゃるのですが、その方が、ちょうど一九八一年、今から十六年前でしょうか、小学校六年生、東京の子供ですけれども、一クラス分、家と木とそして人をかいてください、そういうHTP法という、心のありようを見ていく方法なのですが、八一年にやったものと、そしてことしやったものをここでちょっと御紹介、ちょっと見えにくいかもしれないのですが、後で回しますので追って見ていただきたいと思います。  早速、説明をしていきますけれども、八一年の、これは男の子のから入るのですけれども、庭があって、そして子供がいて、犬が遊んでいてという牧歌的な絵ですね。そして、その次も、大きな家がありまして、お父さんに連れられて、恐らく家の中へ帰っていくというような絵があります。  それから、木登りをして遊んでいたり、あるいは、もう一枚めくりますと、野球をしている絵ですね、家があって、木があって、人がいる。そして、まためくりますと、大きな二階建ての家がありまして、その家よりも大きな木があって、その中に人がいるというような絵。結構家が大きいというのが特徴ですけれども子供らしい絵なのかな、我々自身も子供時代にこんな絵をかいたかなといったぐいの絵が多いです。  そして、しばらくめくっていきますと、ちょっと寂しい絵もあって、これはちょっとわかりにくいのですけれども、木が一本あって、そこに腰かけてしょんぼりとしている男の子がいたり、家も本当にすごく小さくかいてあるのですけれども、さらに、記号化された感じの絵もあります。  たくさんあるので、これを全部説明していると時間がなくなってしまうので、ちょっとめくりまして、次に女の子の絵が出てくるのですけれども、この女の子の絵はとても丁寧にかかれていて、絵に安定感があって、しかもバランスが割といいというのが特徴です。  そして、こうやって、トンボ取りか虫取りか、子供同士で遊んでいる絵があったり、虫取りが多いので、これはきっと夏にかいた絵だと思いますけれども、読書をしている女の子がいたり、縁側にたたずんでいる子供がいたりという感じです。そして、しばらくめくっていきますと、この時代、十六年前にもやはり泣いている姿の女の子がいたり、そういった絵もあります。  さて、では次のブロックのことしの絵の方にちょっと移ってみたいと思います。  これは、ことしの小学校六年生、同じ一クラス分にかいてもらった絵だそうです。これはちょっと説明のしようがないのですね。ほとんど落書きのようにも見えるのですけれども、確かに人のようなものはいます。しかし、全体的にバランスがなくて、むちゃくちゃのように見えます。  二枚目の絵はさらにひどくて、ナイフが上から落ちてきたり、それからナイフが刺さって死んでいる子がいたり、あるいは食べたり排せつしたりという絵があって、本人自身だと思うのですけれども、手足に刃物を持って、スーパーマンみたいな形で描いている。それから、うんと高い塀があって、そこの前にぽつっと人がいるというような、何か寂しさを感じる絵。  あと、これも自分があって木があって家があるのですが、このビルの方は阪神大震災のように裂けていて、空洞化しています。それから、木は根っこからぶつ倒れている状態で、何か笑っている人がいるというような絵です。  そして、次の絵になりますと、これは台風なのかあらしなのか、もう窓が全部木でふさがれていて、人はいるのですけれども、宙を舞っているのですね。風に乗って宙を舞っている絵です。  そして、ちょっと女の子の方にも移りますけれども、実に絵の方が記号化されて、丁寧にかかれているのではなくて、もう本当に記号になっている絵が男の子も女の子も多くなっているというのが特徴です。  そして、女の子の絵の中で、ああ、楽しかったというせりふがある絵もあるのですけれども、楽しかったというような構図、そのものの描き方としては、表現は非常に乏しい中で、楽しかったと書かざるを得なかったのかなという気もいたします。  その後も、ずっとめくっていくと、男の子の絵と女の子の絵の差が大分なくなってきて、しかも、こうやってしゃがんで泣いている女の子、バケツがあって、そして家があって、小学校六年生の絵なんですけれども、こういった感じになっています。  本当は全部お手元に行くとよかったのですが、今から来ると思うのでよく見ていただきたいと思います。  町村文部大臣に、率直のところ、これは特別のクラスというのではなくて、東京の西部の六年生の絵なんですが、ごらんになってどういうふうに、この十六年間やはり変化はあるというふうに思うのですけれども、どのようにお感じになるか。  この絵を調べた三沢さんという方は、とても記号化してきている、それから、特に近年の絵に攻撃性といいますか、そういうものが目立っている、それから、安定感というのが十六年前の絵にはあったし、安心感、安定感、そして遊びの楽しさ、こういったものはほとんど、無表情になってきているということを指摘されているのですけれども、大臣の見解というか御感想を率直にお願いします。
  179. 町村信孝

    町村国務大臣 今委員がお示しになった絵、確かに十六年で随分違うものだなという印象を受けました。十六年前の絵はもう少し明るい感じがしますし、あるいはやはり家というものが一つの安心材料といいましょうか、安定感という言葉をお使いになりましたけれども、やはり家が一つの中心的な存在として描かれている。  それに対して、最近の絵は、家が壊れていたり、風に吹き飛ばされるようになっていたりして、何となく家そのものというか、家庭といいましょうか家族といいましょうか、そういうものが揺らいでいるということが感じられまして、何とはなしにやはり今の社会情勢がその絵の中に反映されているのかな、そんな印象を受けたところであります。
  180. 保坂展人

    保坂委員 それでは、いつもお答えいただいているのですが、初中局長に、これはもうそのものの肉声で、どう思われたか。
  181. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 全くの感想でございますけれども、前の絵の方が静かと申しましょうか、静的な、よく言えば安定感があるといいましょうか、それから、新しい方は非常に動きの激しい、そういう印象を受けました。
  182. 保坂展人

    保坂委員 子供は生まれてきたときには環境を選べないわけで、恐らく、今小学校六年生、クラスもなかなか難しいというふうに言われています。学校の先生によってはもうまとめ切れない、授業を聞いている子もほとんどいなくなってしまうぐらいに荒れているクラスも出てきている。その中で、私、この絵を踏まえて触れていきたいのは、いわゆる早期教育の問題なんです。  実は、おとといの教育課程審の中間取りまとめの中にも、私が見るところでは初めて遊びの役割ということをかなりきちっととらえた文章が出てまいりました。子供が遊びの中で培っていく、友達同士ぶつかったりけんかしたりしながらつくっていく人間関係を調整する力、そういったところが今回の取りまとめの中には、ここのところをきちっと注目しなければだめだと。  一方で、早期教育の産業、いろいろな塾等々あるわけですけれども、先ほどいろいろDMが来るというお話がこの質疑の前の議員からもありましたけれども、実はそういった早期教育というのがここ五年ぐらいで大変浸透してしまったわけです。したがって、子供たちの遊び体験というものが恐ろしいくらいに今減少しているわけなんですが、この点について実態をきっちり調べていくということを考えていただきたいと思うのです。  この絵の問題とその早期教育の問題の結びつきというのが、実は子供たちの乳幼児のころの形成の過程で、楽しさとか安心感とかそれから信頼感みたいなことを日々の中で身につけてこれなかったのではないかということに絡んで、文部大臣にちょっと伺いたいと思います。早期教育の問題と実態調査の問題についてお願いします。
  183. 町村信孝

    町村国務大臣 今早期教育のお話がございました。私も先般ある報道を見ておりましたらば、お受験という言葉がありまして、それももう一歳、二歳、まだやっとおむつがとれたかどうか、やっとちゃんと歩けるようになったぐらいの子供たちを集めて、ある種のトレーニングをしているのを見まして、これは一体何なんだろうかと。これはごく最近の事象かなと思ったら、結構昔からあるということを聞いて実は大変びっくりしたわけであります。しかし、どう考えても、私が幼稚園かあるいはその前だった昭和二十年代にはまず絶対にあり得なかったことであろうな、こう思いました。  実は、平成九年十一月四日、つい先般、文部省に設けておりました、時代の変化に対応した今後の幼稚園教育在り方に関する調査研究協力者会議の最終報告というのが出まして、実はそこでもこういう指摘がございます。「受験などを念頭におき、専ら文字や数量などの知識を獲得することを先取りするような早期教育は、将来にわたり幼児の知的発達を促すことにはつながらず、むしろ調和のとれた発達を阻害するとの懸念を抱かざるを得ない。」こういう指摘もあるとおりでありまして、当たり前の表現をすれば、やはり子供のときは子供らしく、その年齢年齢に応じた生き方、遊び方、学び方というのが当然あるんだろう、こう思います。  ただ、幼児教育あるいは早期教育というのは、これは間違いなく本人の意図ではなくて親の考えであります。だから今の、言うならば二十代から三十代にかけての若いお父さん、お母さんがそういうことになぜ走るんだろうかと。いろいろな理由があるのかもしれません。立派な幼稚園に入るとそのまますうっとエスカレーターで大学まで行ける、そうすると多分立派な会社に入れる、いろいろなことがあるのかもしれませんが、しかし、どう考えてもそれはまともだとは私には考えられません。  それで、そういう実態を少し調査したらどうかというお尋ねでございました。今まさに心の教育ということで中央教育審議会で御議論をいただいているところでございまして、そうした議論の過程の中でまた必要があれば、また先生の御指摘もございますので、今その調査をすぐやります、やりませんということを申し上げる状況にはちょっとございませんが、審議会などの審議をも見定めながら対応を考えてまいりたいと思っております。
  184. 保坂展人

    保坂委員 実は今、産婦人科に行きますと、無料でどうぞということで、あなたのお子さんが英才児になるにはというような本をもらえるのですね。そういうところが多いのです。それをめくっていくと、やはり業者の英才児教室やあるいは通販のそういったセットを買うような営業につながっているわけなんですけれども、それが物すごく浸透しているのです。  私は早期教育をめぐる本を二冊書いていますが、読者カードのお母さんの中には、二十八歳のお母さんから、うちの息子は四歳と八カ月で、方程式がまだできておりません、もう手おくれかと思い悩んでいたところ本書に出会いました、こういう記述があるのです。娘は二歳半で、学業には不向きとあきらめていたところ励まされましたとか。ですから、この分野は全く、別に文部省が親たちにどうこう言えということではないですけれども、しかし実態がいかにすごいかということは、これは大臣としても、中教審ももちろんですけれども、緊急に調査をやはりしていただきたいということを申し上げて、次のテーマに移ろうと思うのです。  今、早期教育もそうなんですけれども、絵をかく前に字を書いてしまう、あるいは記号を覚え込むという中で、やはり子供たちがその分遊んでいないわけですね。そして、遊んでいない中で友達もいない、そして親子の関係も非常に希薄であるということで、極めて孤立をして訴える場がないというところで、先般、文部省、国立オリンピックセンターで電話相談に関するシンポジウムということを主催していただきまして、イギリスからチャイルドラインのジョン・ホールさんほかが来日をして議論があったわけでありますけれども、ぜひ町村文部大臣としても、こういった、子供がSOSを上げたときに、どうしていいかわからなくなったときにすぐ呼応できるような、そしていわゆるお役所だけではなくて民間ボランティアの参加も、むしろそっちを主体にしながら推進していくというイギリスの試みに対する御感想と、今後の取り組みをぜひ一歩進めていただきたい、そういう民間の活動の環境整備を進めていただきたいという点でお答えいただきたいと思います。
  185. 町村信孝

    町村国務大臣 先般、委員も御参加をされての、チャイルドラインの担当者ホールさんを講師としてお招きをいたしまして、文部省の主催シンポジウムを開かせていただきました。大変有意義であったというふうに聞いております。  また、実はもう既に全国からいろいろな形の電話相談のシステムが、主として学校とかあるいは児童相談所とか、どちらかというと官を中心にしてそういう仕組みがそれなりにできておりますし、現実に相当の電話相談なども受けているようであります。それは、子供であると保護者であるとを問わずですね。  ただ、委員指摘ように、もちろんこういう面でのボランティアの皆さん方の御努力というのがあってもいいと思いますし、何でもかんでも官がやるのじゃなくて、むしろ民間の自主的な取り組みということは大変に重要なことだ、こう思っておりますので、その辺これから連携強化をしながら、民間でもそういうイギリスのような仕組みができれば、ぜひそれは大いに頑張っていただきたい、このように考えているところでございます。
  186. 保坂展人

    保坂委員 どうもありがとうございました。ぜひ今の御決意と、そして本当にしなやかな連携で、子供第一の立場に立って新しい取り組みを進めていきたいものだと思います。  御質問を続けさせていただきますけれども、民間が主体になって、そして教育委員会だとかあるいは児童相談所だとか、いわゆる今まである機関とも連携をしながら何らかの相談体制をつくっていこうという試みを東京の世田谷区でも実験的に行いつつあるわけですけれども、こういった取り組みについて、これから物すごく大事になってくると思うのですけれども、前回のシンポジウムを踏まえて、これからの取り組みについて一言お考えをいただきたいと思います。
  187. 長谷川正明

    ○長谷川(正)政府委員 お答えを申し上げます。  今先生がおっしゃられましたフォーラム、十一月四日に私どもと国立オリンピック記念総合センターの共催で行ったわけですけれども、私を含めて文部省の職員も、イギリスのチャイルドラインの責任者の基調講演あるいは分科会に参加をし、学んだところでございます。  その中で私どもが非常に印象強く受けましたことを一、二申し上げますと、一つは、電話相談というものが非常に子供の悩みの相談を受ける形として大きな役割を果たすということ、それから、電話相談をする場合には、耳を傾ける、子供たちの率直な声を十分聞くということが非常に大事なんだ、説教調にならないというようなことも伺いました。さらには、相談を実際担当する担当者の資質、これが大変大事であって、そのための訓練といいますか研修というものに非常にイギリスは努力されているということも強く感じました。  さらに、最も強く感じましたことが、今先生もおっしゃられましたけれども、民間が行っておる電話相談ということで、子供たちにとって、官が行っているものに比べると非常に近づきやすい、率直に相談しやすい、こういうことがあるのかなということを感じた次第でございます。  したがいまして、そういうことも踏まえて、民間の取り組みとして行われる、企画されるこういう試みについては、私ども文部省といたしましても、その取り組みを、先ほども大臣が申し上げましたとおり、それをできるだけ支援する方向でいろいろ考えてまいりたい、このように考えております。
  188. 保坂展人

    保坂委員 それでは、次の点に移りたいと思いますが、先ほどの教育課程審のいろいろな発表されたものの中で、ホームルームあるいは生徒会、児童会ですか、これに触れている部分があります。  要するに、日本子供自分の意見を言わないわけですね。君の意見はと言うと黙ってしまう。国際交流なんかをやると、そこが相手の子供にとってみれば何かとてもカルチャーショックで、何で日本子供は意見を言ってくれないんだろうかという声が出るのです。ここの点についてやはり改善すべきだ。どんどんホームルームや、子供のある種の自治活動ですね、生徒会活動もやって、大いに活発にやった方がいいという、これは大賛成で、そうしてほしいと思う。  私なんかは、多分、そういった戦後教育の中で生徒会とか児童会が意見を言っていたころの最後の世代かと思いますね、自分たちで席の順番も決めてしまったり、先生と交渉したりしていましたから。ところが、非常に今そこが低調なんですね。  ところが、最近、例の内申書の問題で、例えば東京都なんかは、推薦枠の中に生徒会活動の評価を含むんだ、生徒会活動とかを熱心にやった子は内申評価がよくなるということで、突然生徒会の立候補者がふえたのですね。そうすると、どうも内申書をねらっているためにそうやってやっているんじゃないかといううがった視点も出てまいります。ですから、ここは、生徒の自主的な活動という意味では、そこのところを本当に内申書ということに含んでいっていいのかどうか、この点どう考えられるのか。  それから、もうある意味では、大胆な変革ということで言うならば、内申書の廃止ということもこの際考えたらいかがかと思うのですけれども、特にその二点について初中局長にお願いします。
  189. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 まず第一点の内申書の廃止の問題でございますけれども、内申書は、言うまでもなく入学者選抜における合否の資料に使われるものでございますが、これは一回の学力検査だけでははかれない生徒の多面的な能力とか適性とかよさを日常の生活の記述をされた内申書から見出そうという趣旨でつくられているものでございまして、私は、選抜方法の多元化とか選抜尺度の多様化、つまり一つの尺度で、その合否を点数によって決めるというのではなく、さまざまな面から見ていくという、そういう方向からいきますと、やはり内申書は意義を持っているものではないかな、こんなふうに思っています。  それからもう一点の、では内申書にどういうことが書かれるべきかということでございますけれども、これも学習の記録で国語、数学、理科、社会がどうということだけでなく、その生徒が、今お話にありましたホームルーム活動とか生徒会活動とかその他部活動とか、さまざまな活動でどんなふうに活躍したかといったようなことを記述して、それも考慮に入れるということも、私は多面的にその生徒のよさを見るという点では意義のあることなのではないかなと思っています。  ただ問題は、具体的にどうするかということだろうというふうに、さまざまな工夫は必要かもしれませんけれども、基本的に内申書の意義、それから今言いましたホームルーム活動等を内申書に記述すること、そういうことについては今のように考えております。
  190. 保坂展人

    保坂委員 前半で見ていただいた絵なんですけれども、これは多分、今日本の小学生、中学生が、個々、例えばA君、B君がいわゆる問題児なんだという問題ではなくて、時代そのもの、子供たちの生活基盤や日常基盤そのものがもう大きく変わったということを示したものだと思うのですね。そういう中で、だれもが意見を言い合い、そして自由に議論をし合うという、いわば討論をしたりディベートをしたりする習慣を日本子供たちにもう一回回復していけるような条件を整えるためには、それを一生懸命やると点数が上がるんだというところをやはり外していただかないと、これは余り自由な、要するに点取りのためにやっている。子供はシャイですからね、そういう反感の目もある。ここはもう一回再考していただきたいと思うのですが、いかがですか。
  191. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいまの点でございますけれども、よくボランティア活動の活動状況というものを記述するということになった、そうしますと、これまで思いも寄らなかった人たちがみんなボランティア、ボランティアと、それは本当の意味のボランティアなのかというような御指摘も受けるわけでございます。  ただ内申書に、先はどのように、多面的に一人一人の生徒の活動を記述して参考に資するというのは先ほど申し上げたような趣旨であるわけでございます。したがいまして、記述すること自体はいいだろうと思うのですけれども、それをどんなふうに評価するか、実際に入試に当たってどんな形でその記述されたものを評価して活用するか、これが問題だろうというふうに思っております。  ただいまのように、ためにする発言、ためにするボランティアということであれば、全くそれは意味がないと言ったら言い過ぎかもしれませんけれども、本来の趣旨を逸脱したというふうに言わざるを得ないわけでございまして、そういう点は十分に私ども、これからどういうふうに、真に生かす方途はないものかということで、これからも研究をしていきたいなというふうに思っております。
  192. 保坂展人

    保坂委員 もう時間が来てしまったのですが、教育課程審の中で、少なくとも個性化だとか自由な討論ということがせっかく出てきたわけですから、そこのところはもう一個、ブレーキというのですかね、障壁になっているものを外していただきたいのです。  最後に、いわゆる学習指導要領からは実験的に外れていろいろな形で、国立だとか私立て実践がある、これについては大胆に進めていいということが恐らく書かれていると思うのですが、今始めているところ以外にもどんどんそういう新しい教育の試みをやっていくおつもりかどうかということだけ聞いておしまいにします。
  193. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 一人一人の子供個性を生かすよう教育をいかに展開するかということで、そういう視点に立った教育課程の改訂が行われているわけでございますけれども、そのためには、まず各学校が創意工夫を生かした、各学校の特色を生かした教育課程を編成して実施することが大事だということでは教育課程審議会の意見も一致しておると思います。その具体的な工夫の一つが総合的な学習の時間ということで、それは、各学校が創意工夫を生かしてその教育内容を決めて子供たちに提供するというような時間も一つあるわけでございます。  それから、今御指摘になりました学習指導要領によらない研究開発学校、これはそういうルールができているわけでございますので、積極的にその制度も活用していく、これは従来どおりでございまして、こういった研究開発学校の制度の活用とか、あるいは今後創設される総合的な学習の時間による各学校の創意工夫ある教育課程の編成、実施といったものはこれからも生かす方向で検討していきたいな、こんなふうに思っております。
  194. 保坂展人

    保坂委員 それでは、内申書を使わない研究実験校もぜひやっていただきたいし、地方からもそういう声を上げていただきたいと思います。  私の質問、これで終わります。
  195. 高橋一郎

    高橋委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午後三時五十六分散会