○前田(武)
委員 前田武志でございます。
中心市街地の
活性化問題等を
中心に
質疑をさせていただきたいと思います。
既に
同僚議員から、いろいろな角度からこの問題について、もちろん大店舗法の改正と、そしてまた町づくりの観点からいろいろあったわけで、私自身も用意していたいろいろな
質疑について、
同僚議員からかなり突っ込んでお話がありました。もう時間も迫っておりますので、余り同じことで退屈させてもいかぬと思いますので、若干観点を変えて、私なりの
質疑をさせていただきます。
要するに、町のあり方論と申しますか、そういったことから考えるわけでございますが、大分
地域構造、
社会構造が変わってまいりました。私の地元に引き戻して考えてみると、例えば私が住んでおります地元の町は、その
地域では
中心になる中核都市なんですね。奈良県というのは、奈良市という北の方に県庁がございまして、これは京都との境でございます。北の端に中枢機能が全部寄っている。それに対して、私の住んでいるところ橿原市、これは神武天皇御即位の歴史発祥の地でございまして、ここが中南部の、南の方、五分の四を占めるぐらいの山岳地帯があるわけですが、そういったところから出てきた明日香、橿原、この
中心になっておりまして、ここに中枢機能がかなり集積されてきているのですね。
ここは実は大阪の都心から三十分のところなんですよ。もう非常に便利なところでありまして、東京でいえば、都心から三十分なんというと山手線を出たあたりのところですから。それなのに町そのものは、その三十分の駅前がまだ、戦後に、多少高度成長期に町並みがちょっとその当時のモダンなものになった、それ以降、基本的には余り変わっていないのですね。大きなかんがい排水の池もあるのですよ。これは用水としてはもう機能は必要でなくなって、いよいよ町の再開発をやるということで、かなり放置されているわけですね。なぜ進まないのかな、こう思うのですね。そこは、面積的にいうと奈良県の五分の四ぐらいのヒンターランド、これを持っているところなんです。
それと対照的に、橿原市の駅のある、八木と申しますが、そこに、歩いて十分ぐらいのところに実は今井町という、これまた、陸の今井、海の堺、こう言われたような自治都市が、環濠都市がそのまま残っているのです。堺の方はもう跡形もないわけですが、今井町なんというのは、実は国の
調査なんかも入れて、歴史的な評価というものも出てきて、今、結構観光客なんかもにぎわうような環濠がありまして、もともと寺内町みたいなところで、大和の富の三分の二は集まるというぐらいに一時にぎわいを見せた商都でもあったのですね。これは全部、その当時のまさしく地元の人
たちがみずからつくった町なんですね。立派な大和建てのなまこ塀のすばらしい町並みが残っているのですね。
私が言いたいのは、国も自治体も、行政がいろいろやってきたのですが、今の町づくりに比べると、かつての、必然性があって、みんなで
協力し合ってみずからつくった自治都市の町の方が、はるかに風格もあれば今に残っている。そして、こんなに便利な、本来中枢都市にならなければいかぬところがなかなか町づくりが進まない。そこにどういう問題があるかということなんですね。これは、大店舗法だとかあるいは町づくりの
中心市街地の
活性化方策だとか、いろいろ今検討はされておられるのでしょうが、そこに
対応し切れないような問題があるのじゃないのかなと思うのですね。
一つは、例えば、私どもの持っている問題といいますのは、その橿原からもう少し南の、それこそ吉野の山に入っていくその拠点になるようなところにも、五條というこれまた古い町がありまして、本来ならばそこで全部用が足りたのです。吉野の山林王でもみんなそこへ来て、買い物をし、私がまだ小学生、中学生のころ、ちょっと遊んで夜遅くなると、三味線の音が聞こえ、芸者衆が歩き、というような町だったのですね。それも今はもう全く
空洞化しているのですね。これは大店舗法のおかげでそうなったのじゃないのですよ。高度成長、いろいろ過疎化というような問題、もう今までさんざん、国土庁であり、全総
計画であり、もう
政府を挙げてやってきたが、なかなか
対応し切れていない。
ところで、それはもう大きな
経済の動きというものがあったのでしょうが、いよいよここへ来て、年齢構成なんかは随分と変わってまいりました。そして、この過疎の山村なんというのは、これはやがて、もう時間がないのではしょっていきますと、定年退職した第二の人生を送るような人
たちでも、住めるならふるさとへ戻りたいという人も結構おりますし、また戻っていただく方々もたくさんいます。
そして、そこで育ってくる次の世代の方々、みんな、老いも若きも中枢都市機能がなければ生きていけない
時代であるし、ライフスタイルはそうなってきているわけです。そして、NPO活動であったり、あるいは生涯教育であったり、あるいは自分の職を生かして、第二の人生でも役に立つことがあったらちょっと働きたいということもあるでしょう。多様な
ニーズ、そして人口の年齢層の構造というのもどんどん変わってきている。そういう
ニーズにこたえ得るような多様な都市機能といいますか、そういったものを持った
中心市街地というものは、やはり各所に必要なはずなんですね。
そういうものが
連携し合って、中核都市的あるいは中枢都市的な、拠点都市的なものもあり、その周りに
中心市街地機能を備えたまた中
規模の都市があり、そういうものが農山村すべてにそういう都市機能をサービスする。出てくる場合もありましょうし、
商店街のお兄さんが、その辺の、近所のいろいろな商店の御用を聞いて、山奥の方までおじいちゃん、おばあちゃんのところに御用聞きに行くというような、そういう商売の仕方まで出始めているのです。
ここは幹線道路体系あるいは通信のネットワークというものがきちっと整備されてくれば、まあ一時間前後で
全国どこでもそういう
中心市街地機能を享受するということが可能になれば、これからの
時代というのはすばらしい環境の中で、何も朝八時半ぐらいから夕刻五時まで都会のオフィスで、毎日通勤ラッシュにぎゅうぎゅう詰めになって通って、そんなところで仕事をする必要のない
時代でありますから、むしろ自分のふるさとを一つの拠点として、そしてそういう通信ネットワークも駆使して住んでいくという若い人だって出てきつつありますね。
そういった意味においては、
中心市街地の機能を再
活性化させ、復活させていくというのが、非常にこれからの
時代重要な、最も重要なことであって、大店舗法に対して、商店だけを守れとかいうことを超えてもっともっと、構造的に言うと——何か演説だけでこんなに長くなってしまったので、質問の方に入らなければいかぬわけでございますが、まさしく大きな意味で言うと、二十一
世紀の
日本の
地域社会そのものを、住みよい、本当に住んでいいなというふるさとにしていく一つのポイントになっていくと思います。
そういった観点から、
大臣がこの
中心市街地の
活性化あるいは町の再開発、そういうものに対してどういうようなお考えをお持ちなのか、まずお聞きをいたします。