○山本正和君 きょうは少し変わった角度から
大臣の
見解をお聞きしたいと思っておるんですが、私は、実は昭和二十四年に新制高等
学校ができたばかりのときの高等
学校の化学の
教員をやっておったんです。その昭和二十四年に教えたちょうど一番上が昭和六年生まれですから随分古い人を教えたんですけれ
ども、そのときに、実は新制高等
学校ができたばかりのものだから
教科書がなかったんです。初めの半年間、化学を教えるのに
教科書なしで私は教えたんです。
それで、化学というのはどうやって教えたらいいか
自分で考えたら、物質の変化だろうと。物質の変化ということをどう教えたらいいかと
自分で考えて、ガリ版切って
教科書つくって、それから戦争に負けた後ですから実験室にも余り試薬もたくさんそろっていません。あり合わせのもので教えた。
そうしたら、半年たったら高等
学校の新しい
教科書ができまして来たんです。それから教えた。そうしたら、
先生、
教科書で教わるとおもしろくないとこう言うんですよ。ちっともおもしろくないと。あんたが初め
教科書なしでガリ版で教えてくれたときの方が化学がおもしろかったと。
私は、何を教えておったかといいましたら、ちょうど海岸ですから、海の水と井戸の水とどう違うかというやつ。蒸発したら塩が残るわけですね、白く。そうすると、この塩が実験室にある食塩とどう違うかというのをバーナーで火をつけてみせて、いろんなことから
自分で考えて教えた。
そのときの教えた子が昭和六年生まれですから、今幾つになりますか、大変な年です。そして、今度は進
学校に行って、私が教えた子がもう三年ほど前に本省の
審議官で退官しましたけれ
ども、いろんなのを教えたんです、ピンからキリまで、ようできる子もようできぬ子も。
だけれ
ども、実はこの前の
文部大臣の所信をお聞きして、待てよと。今
学校でどういうふうな状況になっているかというのを
自分でも調べようと思って、
学習指導要領をちょっと引っ張り出してみた。そうしたら、ここに小
学校と中
学校の
学習指導要領を持ってきたんですけれ
ども、まず私が思ったのは、私は
高校の
教師ですから、この中
学校の理科をよう教えるかしらんと思った。それぐらい
内容がかなり高度になっています。その当時高等
学校で教えた程度のものがこれにはもう入っているんですね、中
学校で。そうすると、今の中学生がこれ理解できるかしらんと、とこに書いてあるのがね。例えば、原子、分子という
言葉はわかるでしょう。それが一体なぜそういうふうに組み合わされるのかという問題なんかまで含めたことを教えなきゃいけないわけですからね。
そうすると、一体、
学習指導要領を国が示すということはどういう位置づけであるか。これは私は、日本の国民が世界で一番誇っていいのは識字率が世界で最高です。アメリカは一四%ぐらいの人が文字が書けないですね。これは大変なものです、日本の
教育の成果は。
それから、
学習指導要領の中にも、先ほど田村
先生からもお話があったんですけれ
ども、実は日本の国の誇るべきことがたくさん書いてあります。我々はもっと自慢していいよと、日本人として。私は、戦争に負けて二年間中国の国民政府に留用されておったものですから、昭和二十二年に帰ってきました。そうしたら、佐世保に上陸して、こんなすばらしい国はないとつくづく思った。こんなにきれいな美しい国はないと。そしてそのときに、やっぱりこれからは戦争をしない平和な国をつくろうということで、私はそういうふうに
子供たちにもいろいろな話をしてきたし、日本人としての誇りはぜひ持てということを言ってきたつもりなんです。そういう
趣旨もこの中にはちゃんとあるんですね、
学習指導要領に。なかなかよくできているんです。
しかし、こんなにたくさん教えていいかしらんと。孫が今、中学三年生なんです。おまえわかるかいと言ったら、さっぱりわからぬと言うんです。わかろうと思ったら塾へ行って、もうしゃにむに詰め込みをやらぬと高等
学校の試験には合格できないんですよ。
そんなこれに書いてあることを、
局長は頭がいい人ばかりなっておるはずなんだけれ
ども、よう教えますか、
子供にこれ、
学習指導要領。数学から英語から理科から。中
学校は義務
教育ですよ。
局長級の
人たちでもよう教えぬことを中
学校の三年生にみんな教えなきゃいけない。こういうことで今の
子供たちが伸び伸びと生きるだろうか。
しかもこんな、正直言って、わけのわからぬとは言いませんよ、難しいことを勉強しなければいけないといって塾に追い込まれて、勉強勉強で追いやられて、その
子供たちが青春を語ったり、あるいは文学を語ったり この前もちょっと話したんですけれ
ども、あれデンマークですか、ノルウェーですか、「ソフィーの世界」という本出したですね、中
学校で哲学を教える。日本人は哲学というのは難しいと思っているんだけれ
ども、向こうはそうじゃないんですよ。考えることが哲学ですから、考えることを教わるということを中
学校でちゃんとやっておるんです。
我が国の
教育が正直言って知育では世界に冠たる
内容を持って、
文部省がこれを示して、それを国の最低基準として示してもいいんですけれ
ども、ちょっと無理がありはせぬかという感じが私はしてならないんです。
ただ、そうはいっても、私の教えた子が
教員をしておりますし、そうすると
学習指導要領の話になると、英語の
教員は一週間に一時間の
授業を減らすと言ったら大騒動になった。絶対反対ですね、もう
自分の持っている時間を減らしたらかなわぬと。数学もそうです。ところが、そんなことをやって今日の
学習指導要領が私はできているのに影響していると思うんです、そういういろいろな主張が。しかし、それを一遍取り払って、
文部省として、国民の
教育を守っていく役所の責任として、本当に
子供たちにとって何が最低必要なんだろうかということを定めるのが
学習指導要領だと私は思うんです。
そういうことからいって非常に問題があると思うので、
大臣、その辺のお考えを一遍まずお聞かせ願いたいと思うんです。