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1997-06-11 第140回国会 参議院 臓器の移植に関する特別委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年六月十一日(水曜日)    午前十時五十三分開会     —————————————    委員の異動  六月六日     辞任       補欠選任      尾辻 秀久君     河本 英典君      大島 慶久君     真島 一男君      塩崎 恭久君     中原  爽君      中島 眞人君     谷川 秀善君  六月九日     辞任       補欠選任      河本 英典君     尾辻 秀久君      谷川 秀善君     中島 眞人君      中原  爽君     塩崎 恭久君      真島 一男君     松村 龍二君  六月十日     辞任       補欠選任      松村 龍二君     大島 慶久君      笹野 貞子君     千葉 景子君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         竹山  裕君     理 事                 加藤 紀文君                 関根 則之君                 成瀬 守重君                 木庭健太郎君                 和田 洋子君                 照屋 寛徳君                 川橋 幸子君                 西山登紀子君     委 員                 阿部 正俊君                 石渡 清元君                 尾辻 秀久君                 大島 慶久君                 小山 孝雄君                 塩崎 恭久君                 田浦  直君                 田沢 智治君                 中島 眞人君                 長峯  基君                 南野知惠子君                 宮崎 秀樹君                 大森 礼子君                 木暮 山人君                 山崎 順子君                 山本  保君                 渡辺 孝男君                 大脇 雅子君                 菅野  壽君                 千葉 景子君                 中尾 則幸君                 橋本  敦君                 佐藤 道夫君                 末広真樹子君                 栗原 君子君        発  議  者  大脇 雅子君    委員以外の議員        発  議  者  猪熊 重二君        発  議  者  竹村 泰子君        発  議  者  朝日 俊弘君        発  議  者  堂本 暁子君    衆議院議員        発  議  者  中山 太郎君        発  議  者  自見庄三郎君        発  議  者  山口 俊一君        発  議  者  福島  豊君        発  議  者  矢上 雅義君        発  議  者  五島 正規君    政府委員        厚生省保健医療        局長       小林 秀資君    事務局側        常任委員会専門        員        吉岡 恒男君        常任委員会専門        員        大貫 延朗君    衆議院法制局側        第 五 部 長  福田 孝雄君    説明員        警察庁刑事局刑        事企画課長    岡田  薫君        警察庁交通局交        通指導課長    大和田 優君        警察庁交通局運        転免許課長    吉田 英法君        法務省民事局参         事官       揖斐  潔君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○臓器移植に関する法律案衆議院提出) ○臓器移植に関する法律案猪熊重二君外四名  発議)     —————————————
  2. 竹山裕

    委員長竹山裕君) ただいまから臓器移植に関する特別委員会を開会いたします。  臓器移植に関する法律案(第百三十九回国会衆第一二号)及び臓器移植に関する法律案(参第三号)、以上両案を一括して議題とし、前回に引き続き質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  3. 田浦直

    田浦直君 自由民主党の田浦直でございます。  両法案提出者皆さん方には本当に日ごろから御苦労さまでございます。もうしばらくですので、最後までひとつ頑張っていただきたいというふうに思っております。  きょうは両法案について質問をするということになるんですけれども、その前に、実は六月七日の新聞各紙で、参議院自民党移植法修正案を用意しているというのが各紙に載っておるわけでございます。その内容についてもある程度具体的に書いてございます。私が言わなくても先生方はお読みになっていると思いますけれども、そのポイントだけ申し上げますと、臓器提供者については脳死を人の死とするというところが大きく先生方の案と違っているんじゃないかなというふうに思うわけでございます。  これはもちろん完全な法案ではまだ出ていないわけですから、いろいろ御感想もあると思いますが、この新聞をごらんになって、私もいろいろ感想を持ったんですが、先生方はどういう御感想を持たれたのかなということをまず初めにお尋ねしたいと思います。
  4. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 田浦委員から修正案についてどう思うのかという話でございますが、私も新聞は読ませていただきましたけれども、今修正案内容自体が確定していない現段階におきまして、先生からもまだ正式に委員会提出をされていないというふうなお話があったわけでございますが、その内容について意見を申し上げるのは果たして適当かどうかということは、今の時点では問題があると思います。  いずれにいたしましても、本委員会におきまして、修正案の作成、そして各会派で多数の合意に向けての大変真剣な取り組みがなされていることは承知しておりまして、その努力には本当に頭が下がる思いでございます。  ただし、提案者といたしまして、脳死臨調の答申にも述べられておりますように、脳死は人の死であるという社会的合意を前提にして本法案提出した次第でございます。また、臓器移植とは無関係に、客観的に医学上の見地から、既に先生御存じのように救急医学現場においては脳死判定が、この前、新聞によりますと、大変能力のあると申しますか、ある大学の救命救急センターでも約六〇%は脳死判定をしているというふうな報道もあったわけでございます。既に救急医療現場においては脳死判定が行われているという医療現状があるわけでございますから、この法律提出によって、そういった人を救おうという救急医療の最前線において現在でも行われている脳死判定についてはいささかも影響を受けるものであってはならないというふうに思っているわけでございます。  そういった点について強い関心を持って、二案を今御審議いただいているわけでございますから、この審議の過程を見守っているところでございます。
  5. 田浦直

    田浦直君 猪熊案提出者の方の御意見もお尋ねいたします。
  6. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) お答え申し上げます。  私ども新聞紙上では修正案を拝見しておりますし、また修正案をおつくりになる御努力については敬意を表したいと思いますけれども、まだ内容委員会に付託されていないので、ここでお答えを申し上げることは大変難しいことかとは存じます。また、私ども、実際に修正案が出された場合に賛成なさる発議者も反対の者もいろいろあると思いますので、その意味からもお答えしにくいという立場におります。  ただ、新聞で見ます限りでは、中山原案と今度出される修正案法律的な根拠を全く異にしている新しい法案であるというふうに認識はしております。これから時間をかけて十分に審議をしなければいけない。今までに審議されたことの小さい修正というのではなくて、死というものについての大変根本的な差があるということでございましたらば、やはり時間をかけてきちんと審議をし、そして国民理解を得るべきだと思っております。  新聞紙上で見る限りではまだ疑問が残ることが多々ございます。臓器移植以外の目的脳死判定について、判定されたものについては一体どうなるのかとか、それは生体なのか死体なのかというようなことがまだ法案が出てくるまで私ども議論できないわけでございますので、十分に議論の時間をとっていただきたいというふうに思っております。
  7. 田浦直

    田浦直君 お立場もよくわかりますし、これから法案が、今のところまだ細部にわたって調整をしているということだと思いますので、先生方もまだ御検討は十分必要だというふうに、私もその点については理解をするところでございます。  それで、今の堂本先生からのお話の中に、中山案と随分違うというような御意見があったんですが、僕の感触では中山案に近いのかなという感じを持っているんですよ。中山案の一部を制限しているというか、そういうふうな感触を持っているわけですが、先生が抜本的な意味で違うというようなことをおっしゃったその理由はどんなことでございますか。
  8. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) あくまでもまだ委員会修正案が出されていないので、ここで余り意見を言うべきではないというふうに認識しておりますけれども、もし申し上げるとすれば個人的な私見としか申し上げようがございませんが、その場合にはむしろ猪熊案の方に近くなったのかなとさえ個人的な感想としては持っております。  と申しますのは、やはり臓器移植目的以外の脳死についての問題が残っている、その点が大変不明であるということは否めないような気がしておりますし、それから実際に治療方針の変更などのために脳死判定をする場合には、家族や本人同意が必要なのか、あるいは拒否ができるのかといったような、臓器移植目的としない脳死の場合のことがはっきり規定されていないというあたりについてはこれから十分に議論をしたいという意味で申し上げました。
  9. 田浦直

    田浦直君 わかりました。この問題は、もう間もなく法案が出てくると思いますから、その中で慎重に審議をしていただきたいというふうに思っております。それに少し関連するんですが、今こういうふうな脳死を人の死とするかしないかということで世界各国ではいろんな見解が出ておると思うんですけれども、もう法案と無関係で結構ですが、このような例えば臓器移植と関連して人の死を決める決めないというところがよその国ではあるのかどうか、どなたか御存じでしたらお尋ねをしたいと思います。
  10. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 私の知識の範囲内では、死というものの定義を、アメリカでは法律で、大統領委員会のもとで作成いたしました。脳死は人の死であるというふうに決めてあるというふうに認識をいたしております。  また、デンマークでは、脳死は人の死であるということと臓器移植を一緒に法律にしてあるというふうなことを聞いているわけでございます。  先生御存じのように、脳死は人の死であるということを、これは法律あるいは下位法令、あるいは法律がなくても、まさに社会通念上と申しますか、専門集団でございます医師を中心とした医師会学会等々がございますが、そういったところの基準でやっている国もございます。  法律のある国は、これは法令による死の定義がはっきりあるという国は数の方においては多いのでございます。例えばイタリアだとかスペインだとか、アメリカ合衆国のうち三十九州及びワシントンDC法律上に死の定義がございます。下位法令政省令では、例えばサウジアラビアだとかノルウェーだとかブラジルというような国が下位法令で決めております。医学的に脳死を人の死と認定して、法律上の定義はないけれども移植医学をやっているところは、イギリスドイツ、タイ、インド、それとアメリカ合衆国の三十九州及びワシントンDC以外の州ということでございます。  逆に、脳死を人の死としていない国はどれくらいあるのかと申しますと、私ども前回お答えをいたしましたように、実はパキスタンとルーマニアと日本でございます。昨年まではポーランドも実は世界四カ国のうちに入っておったわけでございますけれども、これは昨年の十月に法律ができまして、ことしの三月から移植医学法律上行えるようになったと、こういう状態なんだというふうに思っております。
  11. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) 一言、今アメリカのことが出ましたので。私もアメリカの、一九六八年にその死の定義がなされたことは知っておりますけれども、そのときの目的が、理由と申しますかは、ICUのベッドが重症の患者でふさがれていること、そして臓器移植のために新鮮な臓器を必要とするという二点が挙げられております。こうした目的が、三十年たった現在、アメリカでは、ドナーが大変不足している、そして待ち望む人の数ばかりがふえているので臓器移植に関して見直さなければならないという意見も出ているということもつけ加えさせていただきたいと思います。
  12. 田浦直

    田浦直君 わかりました。  今、各国の事情を御説明いただいたんですけれども、その中に、確かに医学界等の判断によって決めているというところもあるんですね、法律じゃなくして。これはドイツだとかイギリスだとかオーストリアとか、結構先進国といいますか、そういったところでもそういうことを決めておるようでございます。  これは猪熊案先生にちょっとお尋ねしたいんですが、こういった医学界で決めているというぐらいのことで告発とか訴訟とかが実際その移植を行ったときに起こっていないのかなという気がするんですね。日本で今心配になっているのは、やっぱり法律で決めないと、とった場合に告発が起こって移植医が非常に困るんじゃないかという意見が結構強いと思うんです。  この前、日本医大に行きまして、あそこで救急責任者の方が、やっぱり生きている人からの移植は拒否しますというような強い言葉を言われたのを非常に私は印象強く覚えておるんですけれども、これは告発されたり訴訟になったりするのが困るということだろうと思うんです。しかし、よその国では医学界で認めて、法律では決めなくてもできているというところは結構あるので、この辺はどうなっているのかなというのがわからないんですが、何か御存じでしたら教えていただきたいと思います。
  13. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 田浦先生の御質問はもっともなものだと思います。実は脳死臨調におきましても、臓器移植法律がなければ実施できない性質のものではない、こうする一方、肝臓、心臓等移植を行っていくためには臓器移植関係法律の整備を図ることが望ましいということでございます。  これはもう先生御存じのように、約三十年前に札幌医大和田教授心臓移植をされまして、これが医学的にも大変厳しい批判を浴びまして、それ以来三十年、日本移植医学のレベルは結構高いと私は思うわけでございますけれども、どなた様も実は移植医療をされないという現実があるわけでございます。  今、先生の御指摘のとおり、もし法律なくして移植医学をやりますと殺人罪あるいは承諾殺人罪と申しますか、そういったことで訴えられる可能性もありますし、また、そういった臓器移植をすると必ず訴えるようにという実はグループがあるというふうに私はお聞きしておりますので、やはり移植医学をすれば必ず、言うなれば警察に呼ばれるとか、あるいは大変大きなマスコミの渦に巻き込まれるとか、こういったことが一つの大きな壁になっていると私は思っています。  また、救急医学会は、先生御存じのように、この移植医学法律ができなければ実は臓器移植に協力しないというふうな決議も理事会でしておるようですから、日本現状を考えて、臓器を提供しようという人と受けたいという人の橋渡しをする、臓器移植はやはり法律がなければ日本の今現在の医療あるいは社会状態を考えてなかなかスムーズに実施できないんではないかと、我々はそういった気持ちで実は法律提出させていただいたということでございます。
  14. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) 私は、田浦先生の今おっしゃったような方式、医学界の中での倫理規程が先行することの方がはるかに大事だという認識でおります。法律で先に決めて行う性格のものではないという認識でおります。
  15. 田浦直

    田浦直君 私がぜひお尋ねしたいのは、先生方の方は脳死は死でないという観点でやっておられるわけですね。そのときに、移植をした場合、これはもう随分質問が出ておりますけれども違法性阻却ということでこれは免れ得るんだということを言われておられるんです。この辺が僕たちは、私も医者ですが、素人ですからこういうことはよくわからないんですね。  先ほど話がありましたように、札幌医大和田教授がやはり告発をされて、結果的には不起訴になっているんですけれども、その間、実にマスコミからの攻勢だとかいろんなことで根掘り葉掘り私的なことまでやられます。こういうことがあれば、例えば阻却されても、結果的に言えば、もう大変痛めつけられるというか、耐え切れないような状況になると思うんです。そこで、その違法性阻却というのは、告発ができないようになるのか、告発をした結果、いろんな裁判所でこれは阻却をするんだというふうになるのか、その辺はどういうふうになっておるんですか。
  16. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 先生お話は大変難しいんですけれども、私たちの出した法案条項によって、この行為法律的に犯罪を構成するようなものではない。要するに、違法性阻却するという言葉で申し上げますが、違法でないということを私たちの出した法文条項自体規定している、こういうつもりでおります。  違法性阻却するということの実質的な理由としては、今いろいろ申し上げましたような脳死判定基準の問題だとか脳死判定だとか、それに対する同意だとか臓器提供承諾だとか、ほかの要件がいろいろありますが、そういう状況において、私が脳死状態に陥ったら私の臓器摘出して結構ですと、こういう本人の究極的な意思を尊重して臓器移植をするということになったときに、結果として、いわゆる自然死を招来するといった場合であっても、殺人罪とかあるいは承諾殺人罪構成要件、要するにそのような犯罪にはならない。  違法阻却というのは、例えばよろしくないですけれども、いろんな法律上に、殺人罪にしても違法阻却ということが規定されているわけです。例えば死刑囚に対する死刑執行も、別にそれを世の中の人が違法だと思う人はいないし、あるいは正当防衛において侵害者に対する殺人行為があったとしても別にそれは殺人というわけでもない。ですから、私たち法文条項の七条によって違法性阻却する。この七条の規定法令による行為ということで、摘出医師に対して殺人とか承諾殺人とか、そういうものは成立しない。ですから、先生が今おっしゃられたように、仮に、それにもかかわらず殺人だ、承諾殺人だということで告発がなされたとしても、これはもう警察検察庁において当然に、もちろん法律が定めている要件に合致していないような状況における摘出行為というのは、これは別な話でございます。そうでなくして、法律が定める要件に適合しての摘出だったらば、別に犯罪として責任を負わなければならないというふうな事態は起こり得ない。  ですから、もう少しいろんな方々、国民皆さんがこの法文をきちんとお読みいただけば、告発する人も出てこなくもなるだろうし、お医者さんの立場においても別にそのことを全然御心配いただく必要はない。ただ、この法律要件に従ってもらわないと違法阻却というわけにはいきませんよということは申し上げなければなりません。  そういう意味で、違法阻却というのは、違法性がないということですから犯罪を構成しない。こういうことで、私たちとしては、法律条文ですから皆さんは非常に難しいかもしれませんが、お医者さんにしても、そういう意味での御心配は全然ありませんというふうに申し上げたいと思います。  以上です。
  17. 田浦直

    田浦直君 そこら辺を明確にしてほしいんです。  告発はできるわけですね、やろうと思えば。それは殺人罪でできるわけでしょう。この法案ができたとして、先生がおっしゃられるように、厳格にきちんとやったと本人は思っている、その場合であってもどこかの弁護士さんがこの人を告発するということはできるわけなんでしょう。そこまで抑えることはできないんでしょう。その辺について。
  18. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 何人も犯罪があると思料すれば告発できるわけですから、御本人犯罪があると思料すれば告発するのをやめさせることはできません。  しかし、犯罪があると思料するといった場合に、この条項があるにもかかわらず、そしてこの要件を全部充足した上での摘出手術にもかかわらず、なおそれを犯罪であると考えて告発する人がいたとしても、これは私たち法案をよく読んでいただければ、これによって法律摘出することができますよと書いてある。  摘出することは別に社会的に非難されたり、あるいは公共秩序に反することだというふうなことじゃなしに、そこまで言っていいかどうかあれですが、摘出直接的医療行為と言えるかどうかは別にして、医療に付随する行為ですね。そういう意味で、私たちとしては、これは違法でない行為なんだから別に犯罪とかそういうものとは無関係なことだというふうに考えています。  ただ、先生がおっしゃるように、この条文を読んだだけで、法律家じゃないんだからこれが違法阻却条項になるかどうか、もう少しきちんと違法じゃないよと書いておいた方が安心するということはあるかもしれませんけれども。  告発の問題にすれば、今申し上げたような形できちんと法文を読めば告発する人もいないだろうし、告発したところで、検察庁でこれはきちんと要件に従ってやっているということになれば別に何も問題は生じない、このように考えています。
  19. 田浦直

    田浦直君 そこら辺なんですが、要するに和田教授だって告発されて、不起訴にはなっているんですが、しかし日本じゅうだれでも知っているぐらいにその不起訴までの間にいろいろ言われるわけなんですね。それではちょっとたまらない。結果的には阻却になるかあるいは不起訴になるか知りませんけれども、その間が大変だなという気がするわけなんです。そこら辺がやっぱり僕としてはこの法案の弱点じゃないかなという気がしてならないんです。  告発するのはだれもの権利であるということになれば、例えば本当に厳格にこの条件が行われておったかどうかということをめぐって裁判を起こしていってもいいわけです。結果的に不起訴になったにしても、その間は、今言ったようなことで社会的にあるいはマスコミからも批判される可能性が強いというふうな気がして、そこら辺は非常に僕としては心配になるわけなんです。  この脳死臨調のを読みましてもちょっとそこら辺が書いてあるんですけれども、  刑法は人の「嘱託ヲ受ケクハ其承諾ヲ得テ」その生命を断ったものを処罰している。この規定の下においても、例えば人工呼吸器をはずして自然死に委ねるような消極的な行為状況により違法でないとされることもあるだろう。しかし、生きている人の心臓摘出してその人の生命を断つような積極的な行為は到底違法でないとは言えない。と書いてあるんです。これは脳死臨調に書いてあるんです。弁護士さんも脳死臨調の中には四名か五名入っておられるんですね。  こんなのを読みますと、死でなくて移植をした場合に本当に大丈夫かなという気がするわけですけれども、だからその辺をこの法案の中にも明文化してもらえば一歩前進するんじゃないかなと思うんです。そういうことは法律的にはできないわけなんですね。その辺はいかがですか。
  20. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 今、先生おっしゃられた脳死臨調の報告書の問題ですが、この間もほかの委員先生からもお話がございましたけれども、要するに生きている人であるということを前提にして臓器摘出することが違法性阻却するということは認められないと言う刑法学者ももちろんおられます。  一番最初、著名な刑法学者がそういうふうなことを言われまして、今ちょっとここへ資料を持ってこなかったのですが、現在だと、人数でいうのはおかしいですけれども違法阻却で十分に刑法理論として耐え得ると言う学者と、それから違法阻却理論で通すわけにはいかないと言う刑法学者と、数でいうわけじゃないけれども、ほとんど同じかあるいは違法阻却で法理論的に十分通るというふうな意見の学者の方がやや多いぐらいの状況には現在なっております。  ですから、今、生者から摘出してもいろんな要件を充足すれば殺人罪にも何にもならないよという見解をとるわけにはいかぬというふうな脳死臨調意見だけじゃなくして、刑法学者の意見も今申し上げたように半分ぐらいの先生方がそうおっしゃっておる。しかし、それじゃ脳死を死としてやっていくということの社会的な法的な混乱の問題と比較した場合に、やっぱり違法阻却理論で処置する方が妥当だなという御意見も半分以上の刑法学者が言っておられるんです。その点を一つ申し上げておきたい。  ですから、私は別にこの違法阻却理論が刑法学会の通説であり定説になっているということは申し上げません。しかし、半数以上の学者の支持も得ているし、それから日本弁護士連合会の法律実務家の集団としても違法阻却理論で十分だと、理論的に十分だというふうな意見もある。  そのような点で、確かに見解の対立があるからいろいろ問題になっているんですけれども、問題はお医者さん自身の気持ちの問題で、法律の問題というよりも気持ちの問題だろうということは私も十分に理解はできます。  以上です。
  21. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 自民党の小山孝雄であります。引き続き質問をさせていただきます。  両法案提案者先生方、本当に御苦労さまでございます。特に中山先生におかれましてはもう十数年来、参議院におられるころから本当に心血を注いで御努力をなさってこられたことに深く敬意を表しつつ質問をさせていただくわけでございます。  私自身も実は脳死になりかかったというか、なる寸前の経験をいたしております。大体、臓器移植等のドナーになるのは交通事故が多いようでございますが、四年ほど前に大交通事故を私自身が起こしました。スピードが百三十キロも出ておりましたから即死になる寸前でございました。車はぺしゃんこでございます、関越高速道路でございましたけれども。そして、気を失いまして、病院に担ぎ込まれて、どうもほっぺたをたたかれたような記憶がありますが、目が覚めたときに最初に医師が私に言った言葉は、あの事故であれば間違いなくあなたは即死、まあよくて脳死だったなと。  今言われている脳死という言葉は前々から知っておりましたけれども、我が身に降りかかってくるところだったわけでありまして、そのとき以来、脳死という問題は、これは一人称で絶えず考えなければいけない、どこかよそで起こることじゃないということ。自分の身、そしてまた自分の家族、あるいは自分の子供、特に臓器提供にふさわしいと言ったら大変失礼ですが、求められるのは若い人の臓器だということで、自分の親というよりも息子や娘あるいは若い人であれば自分の兄弟がそうなるんだ、そうなる可能性があるんだということを、絶えずそのことを思いながら私はこの問題を勉強してまいりましたということをまず最初に申し上げて、質問に入らせていただきます。  最初に、衆議院法制局お見えでしょうか。お尋ねをいたしますが、中山案の六条第一項後段に「死体(脳死体を含む。)」と、こう規定しております。これは死体の意義を創設的に拡張したものでしょうか、お答え願います。
  22. 福田孝雄

    ○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 今、いわゆる中山案の解釈のお尋ねでございます。本中山案でございますが、これは臓器移植に関する法律でございまして、人の死の判定一般について定めたり、また人の死を定義したりする性格のものではございません。  お尋ねの六条の規定でございますけれども、これは脳死臨調の答申にもございます、脳死をもって人の死とすることについてはおおむね社会的に受容され合意されているという社会的合意を前提に、脳死体が死体に含まれることを確認的に、また別な言葉で申しますと、解釈に疑義が生じないように規定しているというものでございまして、この規定によりまして人の死を改めて定義するとか、また死体の意義を拡張するというようなものではございません。
  23. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 確認的に規定したものだと、これもこれまでもたびたび提案者先生方から御答弁があったことですが、確認規定というものはどういうものですか。
  24. 福田孝雄

    ○衆議院法制局参事(福田孝雄君) これは今申し上げましたように、この言葉を置かなくても大丈夫ではございますけれども、解釈に疑義が生じないように規定をするというような性格のものでございます。
  25. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 脳死臨調社会的な合意がおおむね成立しているということを前提にしてこの法案をつくられたと、こういうふうにこれもたびたびお聞きしたことでありますけれども、大体、脳死臨調自体が少数意見が併記的に答申された極めて異例のものだと私は思っております。  この国会はちなみに九十二の内閣提出法案がございますけれども、その中で審議会等々の議を経て法案がつくられたものも相当多いわけでございます。例えば、健康保険法の改正問題あるいは男女雇用機会均等法の改正等々いろいろございますが、少数意見は付記はされていますけれども併記はされていない。併記されて法改正に臨んだものは一つもないわけでございまして、脳死臨調の答申自体非常に異例のものと私は受けとめているところでございます。少数意見が併記されたこと自体が社会的合意が成り立っていないんじゃないか、私はこういう考えを持つわけでございます。  最近の世論調査等におきましても、五月の末に行われた朝日新聞の調査なんかでは、脳死を人の死と認める人は四〇%、認めないという人は四八%にも及んでいる。そして、法律脳死を人の死と定めること、これは賛成四〇%、反対四二%と、こうなっているわけでございます。  中山先生のお出しになられた法案でいきますと、脳死は人の死なりということがはっきりと新しい法律として制定されるというふうに解釈をするわけであります。これは法務省刑事局が調べたところでいきますと、死または死亡という規定があるのは法令でいうと六百三十三、条項で四千五百五十三もあるそうでございますけれども、これらの解釈がすべてそれに、新法が旧法に優先するという原則に従って改正されるものとみなされると解釈をするわけでございます。  平成五年五月二十日の臓器移植法が発表されたときの各新聞のコピーを取り寄せてみますと、見出し自体がさまざまなんですね。毎日新聞なんかは「「脳死は人の死」明記せず」と大きな見出しがございます。朝日新聞は「脳死、「死」と前提」と書いてあります。読売は「「脳死は人の死」前提」。すなわち、この見出し一つを見ましても、この法案のいろいろな宿命的なものがこの中に盛り込まれてあるように思うわけでございまして、決して社会的な合意が成り立っているものとは私は思わないわけでございます。  この現状に対して、まず提案者はどういうふうにお考えでございましょうか。
  26. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 脳死状態という救急現場の患者の状況というものに立ち会ったあるいは治療した経験者というものは、医師の中でも相当限定された数の方であると思います。だから、医師のライセンスを持った人全部が脳死患者を扱ったというふうに私自身、医師としては考えておりません。  また、先生の御指摘のように、国民の中で人間の死というものが社会的に受け入れられてきた過去の三徴候と違った意味で、脳死判定によって人間の死というふうに竹内基準基準に合った場合に判定されるという救急現場に立ち会っている一般国民は極めて少ないわけでございますから、そういう意味では国論が多く分かれているということは当然のことと私は思っております。
  27. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 法制局にお尋ねしますが、こうした状況の中でも確認規定、確認した規定なんだと、こういうふうにお考えになりますか。
  28. 福田孝雄

    ○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 私ども中山先生法案提出をお手伝いしたという立場でございますけれども、この法律は、今申し上げましたような脳死社会的に受容され合意されているというような脳死臨調立場に立って取りまとめられたものというふうに理解をしております。
  29. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 先ほど竹内基準お話がございましたけれども、竹内先生のお言葉で、これは脳死臨調で述べられたとお聞きしておりますが、私は自分の体験で、私が脳死だと思った人たちは死んでいると思います、しかし家族の人がまだ死んでいないと言っている場合に、それは間違いだと言う勇気は私にはありませんとも述べておられるわけでありまして、非常に含蓄のある竹内先生言葉だけに非常に重みを持って胸に響いてくるのでございますけれども中山先生、この点いかがお考えでしょうか。
  30. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 立派な医学者としての竹内先生のいわゆるみずからの研究あるいは学問上の判断、あるいは世界医学界の考え方、こういうものを踏んまえての医学者としての御発言と、人の気持ちを大切にするという人間竹内先生のお気持ちというものがそこにあわせて述べられていると私は思っております。
  31. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 私もそのように思うわけでございますが、竹内先生がおっしゃった、自分は医者として自分の体験で脳死だと判断したものは本当にもう死んでいると思う、思うけれども、近親者の人がまだ死んでいないと言っている場合は、それは間違いだと言う勇気は私にはないという、その後段の部分の尊重というものが、中山先生先生方の御提案なさってこられた法案の中に欠如しているんじゃないかという指摘が各方面で見られたわけであります。その御指摘に対してどんなふうにお考えでございましょうか。
  32. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 脳死による死の判断というものは、患者の御生存中のみずからの意思が明確に文書で記載されている場合、そして家族が同意をされる場合というものに限定されておりまして、もし御家族が反対をされた場合には、この死の判断は医学的にあっても、それは当然御家族の気持ちを尊重して、当分の間、医療保険の対象としてできる限りの治療をしてさしあげる、こういうことが私どもの考え方の基本にございます。
  33. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 私ども、九日に日本医大救急医療センターに行っていろんな症状にある患者さんを見せていただいてまいりました。お一人、五十八歳になる女性の方が五月の末に脳溢血で倒れられて、つい先般脳死判定を受けたという方が病室におられました。お許しをいただきまして、私はその方の手を握らせていただきました。反応はございませんでしたけれども、まさしくぬくもりもあり、そして呼吸はもう人工呼吸器をのどから差し入れてやっておられましたが、心臓が動いているのがはっきり外見からも見えるわけでございます。  そうした状況を見させていただいたときに、脳死は死なりという法律をあの方に適用したとすると、あの方は既に亡くなっているわけでございますから、あそこに置かないで霊安室にお運びをして、御灯明をともしてお線香を上げてもだれも何とも言わないわけでございます。あるいは、もしあのとき近親者が付き添っておられたとすれば、お見舞い申し上げますよりも、お悔やみ申し上げますと言ってもだれも非難をされることではない。そういったことも考えられます。  そしてまた、脳死判定に基づいて死亡診断書が書かれ、二十四時間さらにたてば、その時点で心臓が鼓動いたしておりましても、だびに付した場合、何ら罪にならないということも法律的には言える。あるいはあの患者さんをぶすっと刺して心臓の鼓動をとめても、死体損壊罪にはなっても殺人罪にはならないのだなという推測が成り立つわけでございますが、そのあたりどんなふうにお考えでございましょうか。
  34. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 医師というものは、医の倫理に基づいて、いかなる状況にある患者さんにも、その方の生命が一刻でも長く維持されるように医学的なあるいは精神的にも全力を尽くして治療をするというのが医の倫理の原則でございます。  そういう観点に立ちますと、私どもは、この医の倫理の上に立って行う医療行為、そういう中で、医学の分野における技術の進歩によって人間の脳幹を含む全脳の不可逆的な機能の停止というものが人間の死になるという認定がありましても、御本人の御意思とかあるいは家族の御同意がなければ、やはり治療を続けよう、こういうところに私は人間の社会医師のあり方というものがあると思うんです。  今、先生も極端な例をわざわざお引きになったわけですが、その人をスイッチを切って霊安室へ運ぶというようなことは極めてあり得ないことだろうと私は思います。あくまでも御家族に十分患者さんの状況を説明して、そして御家族の反対がないということがすべての条件の原点でございますので、私はそういう意味では理論と現場のいわゆる人間そのものの感情というもの、これを十分勘案した上でこのいわゆる臓器の問題あるいは脳死判定の問題というものは行われてしかるべきものと信じております。
  35. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 それだけに、「死体(脳死体を含む。)」という今の原案のままでは、法律として効力を発したときにそういった問題が起こってくる。現実に起こるとかなんとかというその前に、法解釈として起こるんだろうと私は推測するわけでございます。法制局は社会的な合意が成り立っていると、脳死臨調をもとに社会的な合意、だから確認規定なんだと、こういうふうにおっしゃいましたけれども、これは私はどうしたって新しい創設的規定としか思わないわけでございますけれども社会的な合意が成り立っているという前提であれば、わざわざその規定を設けなくてもいいんじゃないですか。どうでしょうか。
  36. 福田孝雄

    ○衆議院法制局参事(福田孝雄君) これは先ほども少し申し上げましたけれども、確かに確認規定というのは、仮にその規定がなくてもその意味内容は当然変わらないということでございますけれども、ただ念には念を入れて解釈に誤りがないように規定するというのが確認規定ということでございまして、今回の中山案にはそういう意味でこの規定を置いておるということでございます。
  37. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 どうもその辺がよく理解できないんですが、これは中山先生は御努力をなさったやにお聞きいたしておりますけれども、昭和六十年当時、死の判定に関する法律案というのを勉強された記録がたまたま手元にございます。昭和六十年というと十二年前でございますが、この第一に「死の判定」、「死の判定は、(2)の場合を除き、」、(2)というのはいわゆる脳死判定を受けた場合ですね、「社会の一般的慣行に従ってなされるものとすること。」と、こういうふうに書かれているのを見ました。脳死判定で死だと判定された以外の死は、社会の一般的慣行に従ってなされる。  今、法制局お答えいただきましたけれども、確認規定ということであれば、そしてこの「死の判定」の中には「社会の一般的慣行に従ってなされる」ということしか書いてないんです。あえて三徴候死だとか、瞳孔がどうしたとか、それすら書いていない。それはいわゆる自然死、三徴候死というのはだれもがわかることであるし、一々確認しなくてもみんなが見ればわかる。脳死というのはそういうものじゃないから大変御苦労をなさっておられるんだろうと思いますけれども、確認規定だというのであれば、法制局の方、本当に規定なしでもやったらいいじゃないかという議論になっちゃうんです。その辺もう一遍考えて言ってくれますか。
  38. 福田孝雄

    ○衆議院法制局参事(福田孝雄君) その辺は私どもが答えるべき問題かどうかもちょっとわからないんですが、私どもとしては、これは法制の依頼者のお立場というか、そういうことに立って法制に当たったものでございます。そういう意味で、この規定はもともと臓器移植法ということで死の一般的な定義法という意味ではございませんけれども臓器移植法の中に確認的な規定を置いた方がいろいろ解釈の上でも誤りがなくて適当なのではないかというようなお考えでこれが置かれたというふうに私どもは解釈しております。
  39. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 中山案提案者先生方に申し上げますが、参議院自民党というか、参議院のこの問題にかかわっている先生方が今鋭意研究中である、勉強中であるというのが、そのポイントも実はそこにあるわけでございまして、全体に脳死は死なりということを及ぼさないぎりぎりのところで臓器移植にか細いながら道を開いたらどうだというのが、大体私ども議論をしている中でおのずから集約されてきた点でございます。  田浦委員からも質問があって、両案の提案者の方から御回答があったことでございますけれども、そうした観点から修正案が出てきたらどんなふうに臨まれるおつもりでしょうか。
  40. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 参議院の当委員会におきましていろいろ御討議の結果、中山案と申しますか、私ども十四名が提案いたしました法律案につきまして御意見があり、御審議が行われるということにつきましては、その修正の案文が提案されました時点で私どもはそれを真摯に受けとめたいと考えております。
  41. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 これは質問通告をいたしておりませんでしたが、猪熊先生お答えいただければと思います。
  42. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 伝えられる修正案というのは、結果的にいわゆる中山案修正案ということでございますので、私たちは先ほどから申し上げている違法阻却による法案を出しておりますので、この修正案について直接どうこうという意見を今申し上げる立場にはないんです。  ただ、先ほど衆議院法制局の方からもいろいろ答弁ありましたけれども、私たちはいわゆる中山案脳死を人の死と一般化しているということはどうしても納得できないという前提に立って私たちの案を出しましたので、もしそのような脳死を人の死として一般化するようなことでない方向での何らかの打開策というふうなものがあれば、それはそれなりに大いに検討させてもらって、私たち自身の考えも、またそこで修正案に対する意見等も検討させてもらいたいと思っております。  以上でございます。
  43. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 次に進みますが、私は、自由の最たるものは思うことの自由だと、これだけは拘束されても絶対に拘束されない、この自由だけは奪われてはならない、こう思うわけでございます。先ほど竹内先生脳死臨調お話しになったということを私聞きましたが、医学的にはそうだけれども、しかしおのれ一人一人の個人の信条あるいは思想として、これは死んでいないんだという人も、それを受容していく社会というのは大変大事なことだと私は思うわけでございます。そのためにこそ、憲法の十三条で生命に対する国民の権利の尊重もうたい、十九条で思想、信条の自由もうたい、そして二十条一項では信教の自由をうたっている、こんなふうに理解をしているのでございますが、中山先生、いかがでございましょうか。
  44. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 憲法のこの規定というものは、基本的な法律として私どもはこれを尊重する義務を持っているものと思っております。
  45. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 時間がなくなってまいりましたが、NHKのたしか土曜日でございましたか、エマージェンシールーム、「ER・緊急救命室」というテレビドラマが大変人気があるようでございます。私も先般見させてもらいました。心臓を手に入れろというテーマでございました。あれを見ますと、米国の医療の末期患者への対処の仕方というものは非常にすごいものがあるなという感じをいたしたわけであります。  大変失礼な言い方になるかもしれませんが、この日本医療を考えたときに、そんなものじゃないよと怒られるかもしれませんが、いまだにまだ山崎豊子さんの「白い巨塔」の域、イメージから変わっていないんじゃないかとすら思う面もあるわけでございます。  特に、田浦委員から御専門の医師のお立場もこれあってるる質問がございましたけれども医療現場の情報が国民に開示される、これが大変大事なことだと思うわけでございます。緊急医療の体制、そしてまたその医療のあり方などの情報が国民に十分に開示されて、そしてこんなに命を長らえるように医師は頑張っているよということを多くの国民にわかっていただいて、初めて臓器移植というものもあるいは臓器提供ドナーの申し出もたくさん出てくるんだ、こう思うわけでございます。  法案ができたらそれでよしじゃない、たくさんのドナー、提供者が出てくることによってこの法律も可決成立したときには生きてくるんだ、こう思うわけでございますが、そのあたりについて中山先生に最後にお伺いして、終わりといたします。
  46. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 小山委員から極めて適切なお尋ねがございました。  日本社会も車社会というような社会が現出いたしまして、救急医療現場というものが大変混雑をしているような時代がやってまいりました。全国的に救急の施設をいかに整備していくかということは、私ども国民の利益を代表する国会議員立場で極めて重要なポイントであると考えて、この整備に一層努力をしなければならないと考えております。  何にも増して先生が御指摘のように、一番大切なものは人間の倫理、医の倫理でございまして、医療現場に携わる医療のスタッフはすべて倫理を基本にして、そして人の命を尊重し、人の命を救うということに徹する。その姿が国民に情報として開示されるということによって、私は、国民がこの医の倫理の問題、そして医療現場の問題に対する信頼感が深まるものと信じておりまして、大変適切な御指摘をいただいたことを感謝申し上げます。
  47. 小山孝雄

    ○小山孝雄君 どうもありがとうございました。以上で終わります。
  48. 南野知惠子

    南野知惠子君 自由民主党の南野でございます。  今ほど多くの人が生死または死生観というものについて考えたことはなかったのではないかと思います。死生観はそれぞれ国民一人一人が自分の立場に立った価値観、そういったものを持っていると思います。ある人の体の一部を他者に移植し自分の死をもって他者の生となす臓器移植については、慎重に審議をし過ぎることはないというふうに思っております。  私は、看護婦、助産婦である立場から多くの誕生または多くの死というものに接してまいりました。生は喜びであり死は荘厳であります。私は、臓器移植を前提とした脳死が今議論の最中でございますけれども中山案猪熊案もともに臓器移植を可とする共通点を持っていることはこの席の議論で確認できていたことでございます。  まず、中山先生は師と仰ぐ先生でございますが、その先生方がおつくりになられた今の案に対しましてもお尋ねさせていただきたいと思っております。  脳死を人の死と認めることについて、医師または看護婦、それにかかわる臨床検査技師など医療従事者は、それぞれにどのぐらいの割合で認めているのでしょうか。また、これまで医学界などにおいてそのことをインフオームドしてこられだ経緯がございましたら教えていただきたいと思います。
  49. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 南野委員お答えをいたします。  まず、生は喜びであり死は荘厳であるという先生の長い看護婦さん、助産婦さんの経験を通じての大変貴重なお言葉に感動したものでございます。  質問に答えさせていただきます。  これまで医学界においては、日本医師会生命倫理懇談会におきまして、昭和六十三年に「大脳および脳幹をふくめた脳全体の機能の完全な喪失をもって、個体の死とする」ということをまず提言したのを初め、救急医療をやっております日本救急医学会、また日本医学会などにおいても脳死を人の死と認める見解を発表されてきたと承知をいたしております。医学界全体としては脳死が人の死であるというふうに大宗として認められると思っております。  また、さっきも発言をさせていただきましたが、欧米あるいはいろいろな国においても、脳死が人の死であるということによりまして、この移植医学、現実にはヨーロッパ、アメリカでは年間、心臓あるいは肝臓は九千八百例行われているという状態、日常的な医療行為の一環として行われているということはもう先生御存じだと、こう思うわけでございます。  また、医療従事者がどの程度脳死を人の死と認めるかということにつきましては、厚生省の研究班が行いました日本救急医学会の認定医に対するアンケートによると、医学的及び現実的に見た場合、脳死を人の死とすることについては、大多数、全回答者のちょうど八五%の救急医が認めているというふうな結果が出ております。  それから、実は看護婦さんの意識調査をしたのが、これは脳死臨調が始まったころというふうなことでございますから少し古いアンケートかと思いますけれども、広島大学医学部保健学科の中西睦子教授が、これは主に婦長さんクラスの、看護婦の指導者層の意識調査をやっております。それによりますと、六百六十三人アンケートをいたしまして、脳死を認めるという方が四八・一%、認めないという人が四・二%でございます。ちょっと説明の仕方があれでございますが、現時点では認められないという方が実はこの中に四七・七%、認めるが四八・一ですね。現時点では認められないという人は四七・七%いるという結果でございます。  現時点では何で認められないのかと申しますと、その理由は、一番が脳死判定は技術的に困難と思うというのが三六・一%、当時、脳死臨調ができた時代でございますから約五年前でございます。脳死判定の公正さが信用できぬというのが五七・九%、脳死状態患者の回復があると思うということが二八・二%でございます。  こういう結果でございまして、御存じのように今度の法案では、この脳死判定の公正さが信用できぬと、こういった婦長さんクラスの意識調査でもございますから、二人以上の医者が、移植医学をする人と判定する人は別にしなさいと、そういったことをきちっと踏まえて法律をつくらせていただいたということも御理解をいただければと思うわけでございます。
  50. 南野知惠子

    南野知惠子君 脳死は人の死であり、これは医学的な死でありということで、全脳の機能が不可逆的に停止の状態であるというふうにされておりますけれども社会的、文化的概念では脳死は人の死と認めないという人たちもまだ我々サイドにもたくさんいる、医師または医療従事者、看護婦もそうですが、いると思います。脳死心臓死と異なって、体の変化をじかに客観的に認めにくいからであろうかと思っております。したがって、脳死に至るまでの経緯や脳死判定するときの公正、公明性、インフォームド・コンセントの徹底さに欠ける点が少し出てくるのではないのかなと思っております。  そういう意味では、まだ受容できない人の死または脳死に対する概念が死への不安につながっており、いつの間にかドクターまたは我々に対しての不信や信頼性の欠乏ということにつながりを見せていることもあるのではないか。そういう現状の中で、国民全員に脳死というのは人の死ですよという法案を今つくるということは少し強引だと思われるのですが、いかがでございましょうか、簡単に教えていただきたいと思います。
  51. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 臓器を提供したいという人が一方におられまして、臓器の提供を受けなければもう生命を維持することができないという方もおられるのも現実でございます。日本法律がございませんから、日本人で今まで二十六人が心臓の場合外国に行っております。百二十五人の方が肝臓移植に行って、自分の命を、他人からまさに善意の贈り物として臓器移植を受けて生きておる方もおられるわけでございますから、そういった方々にやはり橋渡しをさせていただこうということがこの法律の基本的精神でございます。  さっきからも申しておりますように臓器移植、この国において、死でございますから、客観的事実とそれを受容する人間の方に大変なギャップがあるのも一面事実でございます。そこら辺御理解をいただいて、移植が円滑に実施できるような法律をつくらせていただこう、こういう趣旨だと思っております。
  52. 南野知惠子

    南野知惠子君 では、猪熊案にお尋ねいたします。猪熊案臓器移植は認めておられるということは確認させていただきましたが、脳死を人の死としない時点での移植は死体移植ではなく生体移植なのですね。それなら、医師殺人者とならないのですか。先ほど御議論もございました。さらに、自分の手によって人の死を招くということになる執刀医、手術をされる方の医師の心情はどうお考えでございましょうか。また、その摘出術はドクター一人ですることはございません。必ず介助をする人がいるわけですが、それも看護職が当たるのかもわかりません。看護婦など医療従事者も殺人幇助罪とはならないのでしょうか。  もしならないとすれば、その法整備はどうされるのでしょうか。法体系上難しいのではないかという御議論も出ております。法体系上困難であるとすれば臓器移植も断念されるおつもりですか、お伺いいたします。
  53. 大脇雅子

    大脇雅子君 本案におきましては、生体、死体という概念ではなくて、脳死状態にある者というふうに考えまして、臓器提供というのは個人の自己決定、生命の尊厳、社会的影響等を慎重に考慮した結果認められるとするものであります。  したがいまして、移植に際しては最大限厳密な基準を用いて実施された場合は違法性阻却される、したがって殺人罪とか殺人幇助罪には該当しない、こういう方向性をとっております。
  54. 南野知惠子

    南野知惠子君 では、また法制化された時点で検討させていただきたいと思っております。  植物人間だとか脳死状態、または脳低体温療法、蘇生限界点、不可逆的な状態である等々の言葉が多く論じられております。これは国民の耳に本当に理解されて入ってくるのかどうかということについて御意見を伺いたいと思っていたのでございますが、時間もございませんので、もっと大切な方に移らせていただきたいと思っております。  脳死を人の死と認める本人と家族の同意が意思表示されている書面またはカード、そういったものを所持している人に限り脳死判定を受けて臓器移植をする、すなわち臓器提供をする意思を表明した書面を持つ人のみが脳死判定を受けるとすることについてはいかがでしょうか。中山案にお尋ねいたします。
  55. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 南野先生御存じのように、臓器移植の適用は本人の生前の署名と家族がそれを拒否しないということでございますから、臓器移植に限れば、まさにこの臓器移植の前提として脳死状態ということをきちっと医学的に、御存じのようにこれは二回ほどやりますけれども、基本的に六時間の間隔を置いて二回ほど竹内基準を満たしたときに脳死だと、こう判定するわけでございますから、原則的には家族が拒んだ場合には脳死判定できませんし、またその先の臓器移植にも行き着かないわけでございます。基本的にはそういうことだというふうに思っております。  ただし一点、脳死判定というのは臓器移植を前提としたときにだけ行うのではなくて、現在でも六割近い救急現場で行っておるわけでございますから、そういった医療の自由な裁量といいますか、そういったことを妨げるものではないということで御理解をいただきたいと思います。
  56. 南野知惠子

    南野知惠子君 次は、厚生省の方にちょっとお尋ねしたいんですが、臓器移植を適正に行うためにはコーディネーターが重要視されていると思います。どのような人がコーディネーターとして適任でしょうか、またその人たちをどのように確保していかれるおつもりでしょうか、お伺いします。
  57. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 臓器移植コーディネーターにつきましては、その業務内容から見まして看護婦やMSWなどの医療資格者及びそれに準ずる者が行うことが望ましいと考えております。  ちなみに、現在、腎臓移植ネットワークにおいて活動している腎臓移植コーディネーターの資格要件に関しましては、厚生省保健医療局長通知を平成七年の五月二十四日に発しておりまして、腎臓移植ネットワークに対してこれを示し、具体的には、原則として医療有資格者または四年制大学卒で、腎臓移植ネットワークが開催する研修会を受講し、コーディネーター試験に合格した者としているところでございます。  今後の心臓や肝臓の移植におけるコーディネーターにつきましては、当面は、既に移植についての相当の知識、経験を有します腎臓移植を担当したコーディネーターにつきまして脳死や心肝移植についての集中的な研修を行いまして、その活用を考えながら養成を行っていくことが適当ではないか、このように思っております。
  58. 南野知惠子

    南野知惠子君 看護婦も入っているのでございますね。
  59. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 入っております。
  60. 南野知惠子

    南野知惠子君 では、もう一つお尋ねしたいんです。  これは中山案にお尋ねしたいんですが、秘密保持義務、いわゆる守秘義務というものは両案とも、これは猪熊案もそうでございますが、臓器あっせん機関、その役員、職員であった者を指しているというふうに明記されておりますが、脳死判定するグループまたはコーディネーターを含む移植チームに及ぶ必要はないのでしょうか。ちょっと通告を差し上げていなかったので御迷惑かなと思いますが。
  61. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 医師及びそのチームに秘密保持をする義務があるのかということでございますが、これはもともと刑法百三十四条に、医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産婦、先生もそうでございますが、弁護士、それから公証人等々にあった者が、「正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する」ということがございますから、これは当然守秘義務があるというふうに考えております。
  62. 南野知惠子

    南野知惠子君 では、単なる臓器あっせん機関その他の役員とかそういう者でなく、コーディネーターや移植チーム全体を含むと解釈してよろしいということで了解させていただきます。  次は、また厚生省にちょっとお尋ねしたいんですが、臓器移植が行われます場合、ドナー側またはレシピェント側それぞれにどのくらいの費用がかかると推計しておられますか、また医療保険の適用はどのようになりますか、お伺いします。
  63. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 国内で臓器移植にかかる費用につきましては、日本胸部外科学会の試算によりますと、移植費用を含む心臓移植の初年度の費用は約九百万円から一千二百万円、また肝移植研究会の試算によりますと、肝臓移植につきましては約九百万円といった推定がなされておるところでございます。この場合、腎臓移植の事例から見まして、ドナー側の費用負担というものについては考えておりません。ですから、レシピエント側が負担をするということでこの計算ができております。  現在、これらの脳死体からの心臓、肝臓等の移植につきましては我が国で実施されていませんので現在は医療保険の対象となっておりませんが、角膜及び腎臓の移植は既に保険適用になっておりますし、また生体肝移植につきましては、高度先進医療という制度がございまして、その制度の適用として移植医療の一部が医療保険から給付されているところでございます。  心臓、肝臓等の臓器移植が行われることになった場合には、その状況を見つつ、できるだけ速やかに中央社会保険医療協議会において医療保険の適用について検討を行ってまいる所存でございます。
  64. 南野知惠子

    南野知惠子君 今緊縮財政の折から大分締めつけがあると思いますが、そういう場合にはぜひぜひ不安のない状態での移植が展開されることを望んだりいたしております。また、それを判定するのに中医協がかかわるというお話でございますので、中医協がかかわるときには看護職も入っていることを期待いたしております。  さらに、次の質問でございますが、書面による意思表示、両サイドにお尋ねしようと思っていたんですが、時間がなくなりまして中山案の方にお尋ねしたいんですが、書面による意思表示というのはドナーカードによってしようというふうにされています。その場合、本人の意思表示とともに本人の指定する家族一名の承諾欄を設けるという考えはあるのでしょうか、いかがでしょうか。
  65. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 本法案で遺族の承諾を得るということを臓器摘出要件の一つとしております。  遺族の範囲でございますが、死亡した者の近親者のうちから、個々の事案に即して、習慣や家族構成に応じて定まるものだというふうに考えております。  ですから、本人のドナーカードによる指定によって遺族の範囲を画することは、逆に遺族の死体に対する敬けんな感情に配慮するという規定がもともとございますが、その趣旨に照らして適当かどうか。  もう一点、臓器摘出承諾の意思表示を、実際に臓器摘出が行われるかどうかもわからない時点、半年だとか一年とか二年、十年ということもあると思いますが、そういったことをあらかじめ行わせることが適当かどうかということは問題点としてはあるというふうに思っています。  しかし、生前本人が指定した近親者がいる場合にはその者の意見が尊重されることになるというふうには考えておりますが、委員御存じのように、やはり御家族といいますか、基本的に喪主あるいは祭祀主宰者でございますが、それはその遺族の周りの家族的状況によって、本当にそこは法律等として定めなくて、そこはある程度社会的慣例に任せた方が現実には、先生よく家族をめぐる状況はおわかりでございますから、そこら辺は法律できちっと規定するよりも、やはりそういった社会的通例の中でやった方が現実的ではないかというふうに考えております。
  66. 南野知惠子

    南野知惠子君 日本の文化に従うことは大切なことだろうというふうに思っております。そういう意味でも、自分は臓器提供したいんだと、だからドナーカードをつくるのよというときにはやはり家族の承諾もとっておいていただけるような、日常の会話の中に臓器移植というものが示されていくことが望ましいというふうに思っております。  また、次は脳死判定についてでございますが、中山案では厚生省令で定めるところにより行うものとされております。また、猪熊案は二人以上の医師により行われるものというふうにされておりますが、複数の医師となっております。そこのところを私は、複数の医師と看護婦、さらに脳死判定に関与する臨床検査技師、看護婦と臨床検査技師一名ずつを加えて行うべきだというふうに思いますが、両者の御意見を簡単にお聞かせください。
  67. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 我々の法案でも脳死判定は竹内基準を基本的に省令にいたしますから、神経内科医としてしっかりした資格がある方を二人にしなさい、こういうことになるわけでございます。  また、後段の御質問でございますが、看護婦さんあるいは臨床検査技師等を加えて脳死判定をしたらどうかということでございます。これは看護婦さんを初め臨床検査技師、典型的に、これはもう先生御存じのように、臓器移植というのはチームプレーでやらないとできないものでございますね。いろいろ専門家がいるわけでございますが一脳死判定医学判定行為そのものであり、やはり医師そのものが診断、判断をしていくものではないかというふうに考えております。
  68. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) 御指摘のように、実際、医療現場では医者だけじゃなくて看護婦さん、それから臨床検査技師、さらには放射線技師、多くのコメディカルスタッフと一緒にこの行為を行うということは言うまでもない現実だというふうに思っています。ただ、脳死判定というのはかなり高度かつ専門的な判断行為あるいは診断行為でありますから、ここは法律上最低限クリアしなければいけない要件として、脳死状態判定を的確に行うために必要な知識及び経験を有する、移植術を行うこととなる医師を除く二人という最低限の要件法律で定めたということでございます。
  69. 南野知惠子

    南野知惠子君 両案ともやはり医師というところに固執されておられるようでございますけれども、看護婦は長い間本人を観察させていただいております。また、脳死ということについての学も全くないわけではございません。そういう観点からと、それからもう一つの臨床検査技師というのは機械を用いて脳死をクリアカットに出してくださり、その問題とあわせてドクターは診断を下されるのです。診断を下されるドクターは必要だと思いますが、そういう資料を提供する者を同席させ、ともに認定をするということはいかがなものでしょうか。もう一度お聞きします。
  70. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) さっき申し上げましたように、これは本当にチーム医療でございまして、看護婦さんあるいは臨床検査技師の方が脳波をとったり、いろいろな医療機械を操作していただくということでございます。そういったことを十分に御助言をいただくあるいはディスカッションする中で、そういった意見は十分に私は尊重されるべきだと思います。しかし、やはりこの脳死判定というのは医療行為でございますから、基本的には医師が二人以上、専門的知識に従って脳死判定をするというのが、今のこういった状況の中でそうする必要があるんじゃないかというふうに私は思っております。
  71. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) 主張なさりたい点はよくわかるのでございますけれども、やはり現実にチームの皆さんから材料をいただく、あるいは教えていただくこともあると思います。しかし、法律上どうしてもこれが必要な要件だというふうに定めるとすれば、現在のさまざまな資格法の規定も含めて考えますと、最低限二人以上の医師というふうに書くのがぎりぎりのところではないかなと思っています。
  72. 南野知惠子

    南野知惠子君 自見先生におっしゃっていただきましたが、やはりチーム医療というところの中から周りの医療従事者は尊重されるべきだということを申し添えておきたいと思っております。  さらに、今まで数多くの議論を踏まえてきた上で、この法案中山案では三年をめどとして検討するということでございます。これから以後、医療または医療事情の変化、進歩、社会における臓器移植の環境の変化、またはそういったものをどのようにとらえていこうとするか、いわゆる常識的な変化というものもあり、また臓器移植を展開していく中で評価、反省というものもあるだろうと思います。  そういった意味では、三年を目途に一回きりで終わるのかどうかということでございますが、私が御提案させていただきたいのは、五年ごとに時限立法をこの中に加えてはどうかというふうに思っておるのでございます。それほどに大切な法案だと私は信じておりますので、御意見中山案の方からいただきたいと思います。
  73. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 南野委員の言われたことに基本的には賛成でございます。やはりこの法律は、でき上がった後、医療水準、さっきやりましたように、移植医学が定着するのか、あるいはいろいろな移植の実績あるいは国民臓器移植に対する意識の変化等々もあると思いますが、その辺を絶えず国民に広く受け入れられるように努力をして、移植医療の実施に資する法制度としていきたいというふうに思うわけであります。  ただし、五年ごとに見直す時限立法はどうかという話でございますが、そういたしますと、時限立法でなくてもそういった基本的な精神、南野先生御指摘の精神も踏まえて、本法の附則にあるように、改善すべき点が明らかになれば、三年を目途として全般的な検討を加えて必要な措置を講ずる旨の規定を持っているわけでございますから、やはり今法律がもし成立したら三年で見直しということが適当であるのかなと、こういうふうに思っております。
  74. 南野知惠子

    南野知惠子君 では、猪熊案の方からもよろしく。
  75. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) 大変に見直しが大事なことだと認識しております。特に、日進月歩の医学現状の中におきまして、法律ができてそれで終わりというのではなくて、むしろスタートだというふうに認識しております。  ということで、単に臓器移植ということだけではなくて、実際に移植を受けた方からの報告を含、めて、先ほどおっしゃった、まさに私はチーム医療と申しますか、ドクターの職能というものは十分理解した上で、やはり看護婦さんとか、そこに立ち会うほかのパラメディカルの方たちの存在が非常に大事だと思います。  特に、移植を受けた後どういう生存の仕方をしているか、そういった臓器移植の評価というようなことは今まで法案にも入っておりませんけれども、そういったところできちっと報告を受け、そして医療の日進月歩の中で状況が刻々と変わっていく中で、果たして五年がいいのかどうかわかりませんけれども、私たちは随時見直していくということが立法者の責務であるというふうに認識しております。
  76. 南野知惠子

    南野知惠子君 そのような真摯なマインドで医療というものが展開されていくように願っております。法の中でもやはり足らざるは補完していくというところが大切なことだろうと思っております。  我が国におきましては、死の文化というものは歴然と奥深く残っております。死後の旅立ち、または次の世界に送り出す家族は死出の旅に送り出している。そういう死者への愛情をあらわす習慣というものが長く伝承されてきておるのが我が国日本だろうと思っております。  死者に対する敬意の念を持ってドナーの方に接するということ、また感謝の念を持ってそういった意義を高めていこうとする、医の倫理を高めていく、看護婦の倫理を高めていく、医療従事者のそういった人格、倫理を高めていくことが一番大切なことではないかなと思っております。  移植により生が与えられた人とともに人類の幸せを求め、さらにこれは国際的なことでもありますので、国際人としての日本人のあり方を注視していかなければならないと思っております。  以上でございます。
  77. 竹山裕

    委員長竹山裕君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時二十分に再開することとして、休憩いたします。    午後零時二十四分休憩      —————・—————    午後一時二十三分開会
  78. 竹山裕

    委員長竹山裕君) ただいまから臓器移植に関する特別委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、臓器移植に関する法律案(第百三十九回国会衆第一二号)及び臓器移植に関する法律案(参第三号)、以上両案を一括して議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  79. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 私からは、まず最初に中山先生に、お尋ねというよりはこれまで取り組んでこられた経緯、考え等をお聞かせ願いたいと思います。  それは、昭和六十年の二月に生命倫理研究議員連盟が発足いたしましてもう十二年たつわけであります。私も昭和六十一年から参画させていただいておりますが、これまで六十数回討議を重ねてまいりました。また、我が自民党内におきましても、脳死生命倫理及び臓器移植問題に関する調査会を発足させまして、今までにも三十数回の議論を重ねてまいりました。  この間十年以上たっておるわけでありますけれども、その間委員先生方も入れかわり立ちかわりいたしました。かつて一生懸命この問題に取り組んだ高木健太郎先生ももう故人となられました。そういうことを考えると、ここまでやっと来たなという感慨があろうかと思います。  また、時代背景と申しましょうか、それもだんだん変わりまして、国連加盟国の中で今臓器移植のできない国はパキスタンとルーマニアと日本の三つの国だけであります。  つい最近も、私、ある患者さんにたまたま間接的にお会いしたときにびっくりしたんですが、何と中国へ行って臓器移植を受けてきたと。これを聞いてちょっと私は愕然といたしました。そこで、あなただけなんでしょうかと言ったら、いやもう何人も中国へ行って臓器移植を受けていると。それを聞いて、これはちょっと問題があるんではないかというふうに思っております。  観光ビザで行って向こうで受けてくればわからないわけでありますから、その後の処理はやはり日本医療機関でやるわけであります。しかし、その方が万が一いろんな免疫拒否反応を示したときに飛び込んできた医療機関が、いや、おまえは外国でやってきたから知らないよとほっぽり出すわけにはいきません。人間の生命がかかっております。こういうことを考え合わせたときに、この法案の成立に関する今大変な岐路に来ているのではないかというふうに私は思っております。  そういうことを考え合わせまして、先生が一番長くこの問題に取り組んでいるわけでありますから、先生の御所感をお聞かせ願いたいと存じます。難しいことだと思いますけれども、これまでの取り組みの経緯を踏まえてよろしくお願いします。
  80. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 宮崎先生から経過についていろいろと話をしてみろというお話でございますが、ちょうど私が参議院議員でこの院に席をいただいておったころに、自由民主党の幹事長をしておりましたが、当時、公明党の高木健太郎先生から、やがてこの問題は日本も避けては通れない、そこで超党派でこの生命倫理の研究をやるような議員連盟をつくったらどうかというお申し出がございまして、本委員会委員でいらっしゃる田沢智治先生にも御相談をして、超党派で生命倫理研究議員連盟というものができ研究が始まったわけでございますが、その後、各党でもいろいろとこの問題について御勉強が始まりました。  自民党でも脳死及び臓器移植に関する調査会が政務調査会に設置されまして、私どもも勉強させていただいたんですが、その間、国内の移植を受けてこられた方、あるいは患者の御家族、あるいはまた関係の医療機関の専門家から意見をちょうだいいたしましたが、やはりなかなか難しい問題でございまして、法律で決めてやるのか、法律なしでやれるのか、いずれも世界の国々ではいろんな形でこの問題に取り組んできている。  そういう中で、海外調査も、宮崎先生とはフィリピンに参りまして腎臓移植現場を見てきたわけでありますし、オーストラリアのシドニーのセント・ビンセントホスピタルとか、あるいはイギリスとかアメリカの病院とかをいろいろ回ってみて、日本がこれからどういうふうにこの問題に取り組んだらいいのかということを考えてきたのがこの十二年間の経過でございました。  脳死及び臓器移植ということについて、法律をもってこの問題を解決するという以前に、これはやはり国民各界各層の代表者から成る政府の諮問機関というものを設置して、そこで御議論をいただいた上で、その報告を政府か国会が受けるということがまず第一に必要であろうと判断をいたしました。  各党の先生方と一緒に超党派の形で臨時脳死及び臓器移植に関する調査会の設置法案を提案させていただき、両院で可決を見た後に内閣にその調査会ができました。その調査会で二年間の審議の結果、政府及び国会に対して報告が行われたことは御承知のとおりでございます。  しかし、政府の方はなかなかこの問題を解決しようという姿勢を示せない状態が続いておりまして、一方では海外へ移植を受けに行く人たちが次第に増加をする中で、各国とも自国民優先の原則を立て始めてまいりました。  結局、日本はやがて世界から、臓器移植に関しては自分の利益ばかりを考えてやっていくという国家になる可能性が強いという判断に立って、これはやはり法律をつくることも必要だし、脳死臨調の答申も出たことでありますので、これを踏まえて、各党と一緒に国会の場で、国民に見えやすい形で議論をすることが必要であると、こういう形で今回法案提出に踏み切ったわけでございますが、最初の法案についていろいろと国民から御議論がございました。家族のそんたくということについて十分これは国民が納得できない場合もあり得るということで、この条項を削除して、現在、提案、御審議をいただいている法案に変更させていただいて、再提出をさせていただいたと、これが経過でございます。  参議院におきましても、この法律案の扱いにつきまして各党でいろいろと御協議をいただいていると思いますが、私どもはその御協議の結果を踏まえて、この法案目的が達成できますように、今後とも努力をいたしたいと考えております。
  81. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 ただいま極めて簡潔的にお話を伺いました。中山先生の大変な努力には敬意を表するわけでありますが、今ここべ来て、私はこの審議をずっと見ておりまして、死という問題、すなわち脳死という問題と臓器移植という問題、この二つを無理やりくっつけるということがやはり無理があるのかなと。しかし、これをくっつけないと日本における臓器移植現場がスムーズに動かない、こういう大変相矛盾した二つのものがあるなというふうに感じております。  紀元前の三百年に、中国の荘子という方とその友人の恵子、この二人が橋の上から下の川の中でコイが泳いでいるのを見て、荘子が、大変楽しそうにコイが泳いでいるなあと言ったら、恵子が荘子に向かって、何でそんなことがわかるか、あなたはコイになっていないんだからわからぬじゃないかと。こういったことを湯川秀樹さんが理論物理学へ応用しまして、ある、ないというのはやはり実証しなければわからないんだと、こういうことを言っておるわけであります。  そこで、人間の死というものは一体どういうふうにみんな考えるだろうかといったら、アインシュタインは、死というものはモーツァルトが聞けなくなるのが死であると、こう言ったそうであります。そうかと思うと、平知盛は、見るべきものはすべて見た、やり尽くしたと、よろいを二枚着て海の中へ飛び込んでいったと。こういうことであり、ある人は自分自身との別れであると。こういうふうに、死に対しても人それぞれ全部価値観が変わるわけですね。  その死というものをこういうものだというふうに決めつけて考えるのもいかがなものか。ですから、私は、今度の議論の中で人それぞれが考え、そしてそれぞれの人が意思を持って臓器移植に対する考え方をきちっとわきまえて、そして脳死をみずから認め、そして臓器移植を認めるということは尊重してあげなきゃいけないと思うんですね。それを全く死生観の違う人がそうじゃない、ああじゃないと言っても、これは観念論でありまして、全く進まないわけであります。ですから、具体的な例でもありますけれども、例えば脳死になった場合、治療を続行しても全く回復する見込みがないということをやっても、これは客観的に見れば価値がないんですね。しかし、本人、それから周囲の人たちがそれに対していろいろな思惑を持っているということになりますと、これはまたいろいろ変わってまいります。しかし、これは客観的に見て、意味のない治療を続けることに対してどういうふうに考えていらっしゃるか、中山先生側と猪熊先生側からそれぞれお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  82. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 非常に難しい御質問でございますから答えにくい点もございますが、私の私見として申し上げれば、今回の附則につけてある、脳死判定が行われて死亡診断が行われましても御家族の希望があればいわゆる医療保険の対象として治療行為を継続していくと、こういういわゆる人間の情を中心にこの法律に附則をつけてあるということは明確に申し上げなければならないと思います。  動転された御家族の感情、また亡くなっていかれる方への追慕と申しますか、そういうお気持ちは日本人の心の中にはどうしても消しがたいものがあります。私も一人子供を失いましたが、同じような気持ちがやっぱりございます。  そういう中で、この間大阪の現場へ行きまして担当のドクターに聞いてみました。医療費の面で見た場合にどうなのか。つまり、保険で見るわけでございますから、保険財政から見ると人間の一番コストのかかるのは人間が死ぬ前の三カ月でございます。これは厚生省の報告に出ているとおりでございまして、相当高額な医療費が実は消費される。しかし、それもあえて、いわゆる臓器移植の問題について法律案審議する場合に、当分の間附則でそれを認めることによってこの法律案が家族の心情というものを尊重するということで、もしこの法律案が成立するならば臓器移植以外に助からない人たちの命を新しく助けることができるという観点から、私はこのような法律案のあり方を当分の間続けざるを得ないものというふうに判断をいたしております。
  83. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 今の御質問は、結局脳死状態になればその後の治療はほとんど回復の見込みのない治療で、医学的に見たら全く無意味なことだ、これをどう考えるかと、こういうお話なんですが、御承知のとおり私たちの方は、どういう状態でか脳死状態に陥ったとしてもまだその人は生者であると、こういうふうな立場に立っておりますので、医療効果がどのくらいあるかないかということは別にして、治療行為として継続していただくということを前提にしております。  先生はお医者さんですから御承知のとおり、医療行為というのは患者ないし家族とお医者さんとの契約関係というふうに考えます。ただ、この場合の契約関係というのは全く対等な当事者の契約関係じゃなくて、片方は医療の専門家としてのお医者さん、片方は全部お願いしますという患者さんあるいは家族と、こういう立場ですから、そこで一番重要なことは、専門家であるお医者さんの立場からの種々の説明、納得させるための義務というか、お医者さんがそごを頑張ってもらわなきゃならない。  ですから、どういう状態かで判定した結果脳死状態に陥ったといった場合に、実際の治療の効果が医学的な意味においてどういうものかというふうなことは、患者本人脳死状態ですからわかりませんけれども、お医者さんが家族の方にいろいろ御説明いただいた上での、納得の上での治療打ち切りなりなんなりという方向に行く、それまではやはり生者に対する効果の有無は別としての治療行為の継続ということでやっていっていただくと、このように考えております。
  84. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 今インフォームド・コンセントのお話がございました。私ども医師としまして、やはり現場におきましてはインフォームド・コンセントというものを重視して、その結果、お話し合いの中でこれは決定をしていくべきものであるというふうに考えておるわけであります。  そこで、尊厳死の問題をちょっとここで取り上げてみたいと思います。  故人の意思は尊重すべきであるというのが、この法案の中でも趣旨に生かされておるのは御承知のとおりであります。そこで、尊厳死の宣言書、リビングウイルでございますが、それは一つは、私の傷病が現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための手術は一切お断りいたします。二番目は、ただしこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください、そのため、例えば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても一向に構いません。三番目として、私が数カ月以上にわたっていわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生命維持装置を外してください。このようなことが文章化されてリビングウイルにあるわけでありますが、ここでちょっと問題なのは、三番目の植物状態。植物状態脳死ではありませんので、これはよみがえる可能性はあります。しかし、アメリカなんかにおいてはこれさえ今、安楽死で裁判になるというような状況がございます。  私がここで取り上げたいのは脳死判定でございます。家族の方がこの判定を拒否するといったときに、生前に本人が尊厳死ということを表示しておりまして、そこは家族の方がそんたくをするということになりますと、これはたまたま尊厳死を希望し臓器移植を望んでいたと、しかし家族の人が拒否したら、臓器移植は拒否してもいいですけれども、尊厳死までここで拒否してしまう、こういうことも生まれてくるわけですね。そういうことを考えたときに、いろいろなことが考えられるわけであります。  この尊厳死に対して、中山先生それから猪熊先生、どういうふうにお考えでございましょうか。
  85. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 故人の生前の御意思ということで尊厳死が認められているというふうに私は理解しておりますので、私は生存中のリビングウイル、これがやはり原則であろうと考えております。
  86. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 私は尊厳死をどう取り扱ったらいいのか自分自身ではっきり結論を出せません。安楽死についても、いろんな要件のもとにならば認められるということを前提にしての判決等はありますけれども、尊厳死に関しての直接の問題はまだ勉強しておりませんので、よくわかりません。  それから、先ほど先生お話の中で、家族が脳死判定を拒否すると、本人がいいと言ったにもかかわらず家族が判定を拒否すると結局脳死状態判定ができない、したがって、また本人が生前臓器移植ということを認めていたとしてもそれもできない。こういうお話なんですが、それはやっぱりやむを得ない結果で、確かに本人の生前におけるあるいは健全な状況における臓器提供意思があったというだけではなくして、やはり脳死判定とそれから臓器の提供については、家族、中山先生の方で言えば遺族ということになるのかもしれませんが、その同意が必要だと。これは本人の自己決定の問題とは別個な、人間が家族という枠内で生きているということで、やはり別の観点からの家族の意思の尊重ということで私たちとしてはやむを得ない結果だろうと、こう考えております。
  87. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 今、猪熊先生お話、ちょっと誤解されていると思うんですが、臓器移植を家族は拒否する、しかし脳死判定まで拒否してしまうと尊厳死が生きてこないんです、本人の意思が。そこが問題だということを私ちょっと御提案申し上げたわけでありまして、非常にこれは難しい問題が内在している。  ですから、私は今度の法案の中で、やはり臓器移植というものにかかわる法律でありますから、それだけに限定をして、絞って、一般論はここへは書き込まない方がより国民にわかりやすいんじゃないか。ただ、そのときに、じゃここで縛ったからそれは一般の方もそうですよと言うことが果たしてできるのか。逆に、ここだけですよということで縛りがかかっちゃってほかの方はもうだめなんですよ、こうなるとまたそこに問題点も内在するわけでありますから、ここは質疑の中で明確にしていく必要があるのではないかということであります。  それで、厚生省の方にお尋ねしたいんですが、臓器移植の一段階ではやはりコーディネーター、もう外国ではこの制度がきちっとしております。また、マンパワーとしてもコーディネーターというものが相当おるわけであります。ドナーとそれからもう一つはレシピエント、この両方の専門のコーディネーターが今おります。  日本でも名古屋の第二日赤病院とかそういうところにはコーディネーターがおります。しかし、アメリカなんかの場合ではナースであったりコメディカルの、いわゆる日本で言うと、日本にはMSWの制度はまだありませんけれども、そういう方がやっているというようなことであります。現状は一体どのくらいその数があるか、また養成というものに対して今どの程度のことをなさっているか。厚生省、データがあったらお知らせ願います。
  88. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) まず、現在コーディネーターと言われるものが、ただいま先生質問のように、医療機関に所属して医療をやる場合に、患者さんとの関係、家族の方との関係を調整するためのコーディネーターという方と、それからもう一つはこの臓器移植、特に今の場合は腎臓移植を進めるために、患者さん側でもない、医療機関側でもない、中立の立場に立って、そして両方にとって最善を求めるためのコーディネートをしている人たちと、実際両様あるわけでございます。  それで、厚生省が今国庫補助金を出して、各ブロックにあります腎臓移植ネットワークにいる人たちの数は、地方ブロックにチーフコーディネーターと申しまして、この方々が現在十七名おります。それから、都道府県コーディネーターという形でありまして、都道府県ごとに各救命救急センターにコーディネーターが現在四十八名おるところでございます。  コーディネーターにつきましては、どういう人をしているかということは、まだ法律はございません。それで、私どもの方の厚生省保健医療局長通知でもちまして、実際には腎臓移植ネットワークに対して、こういう人を雇ってください、こういう人をコーディネーターとして使ってくださいというお願いをしておるわけでございまして、その資格要件は原則として、医療有資格者、または四年制大学卒であっせん機関が開催する研修会を受講しコーディネーター試験に合格した者を雇っていただきたい、このようにしているわけでございます。  また、腎臓移植のコーディネーターに対しましては、腎臓移植ネットワークによって、毎年、移植医療にかかわる医学的な基礎知識を初め、実際の家庭への説明等を想定した実践的な教育など幅広い研修事業が行われておりまして、これは昨年から始まっておりますが、昨年は四十五名の方がコーディネーターの研修を受講したと聞いておるところでございます。まだ始まって間がないという状態でございます。  今後につきましては、心臓、肝臓のことはまだ日本で行われておりませんが、今まで腎臓移植ということではやっていらっしゃいますので、その方々にもう少し脳死の問題だとか心臓移植や肝臓移植の問題、そういうことについての知識を増していただいて、その人をベースに今後は研修をしてコーディネーターの拡充を図っていこうと考えておりますし、また一部にはアメリカの方の移植施設へ派遣研修という形も現在は行われておるところでございます。ただ、経費として私どもの方から助成をしているということは、まだそこには至っておりません。  以上の状況です。
  89. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 ありがとうございました。  このコーディネーターは非常に私は重要だと思うので、やはりもうちょっと外から見えるすっきりしたものをきちっとつくらないと、これは問題が出てくる可能性があります。そこがこれからの課題だと思いますけれども、よろしく取り組み方をお願い申し上げたいと思います。  それから、臓器移植ネットワークでございますけれども、私も中部臓器移植情報センターというところで理事をやっておりまして、これは民間からお金をいただいてやっているわけです。一銭も国からもお金が出てこない、これは半分ボランティアみたいなものなんですがYこれこそきちっとやっておかないと問題が出てくるんじゃないかというふうに思っています。アメリカのUNOSみたいなきちっとした組織にしないと、これは大変なことになる。  そこで、今、各地区にそれぞれございます。そういうものをつないで、それで西に一つか東に一つかそれはわかりませんけれども、将来どういう構想を厚生省はお持ちなのか、お聞かせ願いたいと思います。
  90. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 今、先生お話しされましたように、臓器移植を進めるためには、このネットワークというものがきちっと整備をされて、待っていらっしゃる患者さん方に公平公正に臓器が渡るようにすることが非常に大切だと思っておるわけであります。  現在、腎臓移植につきましては、腎臓移植ネットワークという組織がございまして、社団法人になっております。これに対しては国庫補助金も出しまして、それから民間からの御寄附もいただいて運営がされているところでございます。  問題は、今度は心臓、肝臓になるわけでございますけれども、私どもとしては、現在、日本臓器移植ネットワーク準備委員会において検討を進めておるところでございまして、その検討の中で考えていこうと考えておりますが、いずれにいたしましても、腎臓移植ネットワークというものが既にありますので、それを基盤として他臓器も実施できるネットワークにしていきたい、今そのように考えているところであります。
  91. 宮崎秀樹

    ○宮崎秀樹君 恣意的なことが一切入らない公平公正な機関というものを構成していくことを要望しておきます。  終わります。ありがとうございました。
  92. 木暮山人

    ○木暮山人君 平成会の木暮でございます。  臓器移植に関する法律案については、私は基本的には中山案理解を示すものであります。同時に、今なお脳死を人の死とすることにためらいを感じている人が少なくない現状で、猪熊案提出者皆さんが何とかして脳死を人の死とせず脳死者からの臓器摘出を実現したいとして大変な努力をされているのに対して、深く敬意を表したいと思います。  いずれにせよ、この問題は人間の生死をどう考えるかという根本的な問題にかかわっています。中山案猪熊案も、いずれがすぐれているかという単純な優劣比較の決着のつく問題ではありません。むしろ、両案の提出者に対し、歩み寄れるところは歩み寄り、それぞれ法案が抱える問題点を克服し、より大多数の国民に受け入れられて、なおかつ臓器移植が実際に進んでいくための方策を模索していくことを求めたいと思います。  こうした立場から、まず猪熊案提出者にお伺いします。  猪熊案では、生きている脳死状態の人から臓器摘出することとしております。しかし、医療に携わってきた者の立場としてこれには大きな抵抗を覚えざるを得ません。猪熊案提出者脳死を人の死とすることに社会的合意はないと主張されていますが、生きている脳死状態の者から臓器摘出することについて社会的合意はあるとお考えなのでしょうか。あるとすれば、その根拠をお示し願いたいと思います。
  93. 大脇雅子

    大脇雅子君 平成四年一月にNHKが実施した世論調査によりますと、脳死は限りなく死に近いが人の死とは認めない、しかし移植は厳しい条件つきで認めると回答したものが全体の六二%に上ったと聞いております。今後、さらにこの問題について国民各層による十分な論議を行いまして、社会的合意の形成を図るべきだと考えております。
  94. 木暮山人

    ○木暮山人君 先日、佐藤委員からも指摘がありましたが、生きている人からの臓器摘出要件を満たさない限り殺人罪に当たります。このため、臓器摘出した医師殺人罪告発を受ける懸念は十分にあると思います。現時点で医師殺人罪告発を受けること自体を恐れ、移植に踏み切れずにいるのが現状です。仮に猪熊案が成立したとしても、医師殺人罪告発されることそれ自体を恐れ、結局、現状の膠着状態が続くのではありませんか。このことについてお伺いいたしたいと思います。
  95. 大脇雅子

    大脇雅子君 医師の職務は人の命を救うことが確かに第一義であります。人の命を短縮することが一般的に許されているわけではありません。  しかし、問題の性格は異なりますが、安楽死の場合も、これまでの判例において一定の厳格な要件のもとで医師の手による命の短縮が認められているのも事実であります。医師の関与によりまして、提供者本人の自己決定を実現するということも医師の倫理として認められるべきではないかと考えます。  したがって、厳格な要件を課して行うという点に本案の特徴があります。移植に関する法律の枠組みが明示された後は、現状から一定の進展が図られるものと思っております。
  96. 木暮山人

    ○木暮山人君 猪熊案では、臓器摘出の意思を表示する書面について本人の署名及び作成年月日を必須とし、より厳格な要件を求めています。作成年月日を必須とした理由、その効果について猪熊案提出者にお尋ねいたします。また、一定期間より前に作成された書面についてはその有効性が疑問視されることになると思いますが、この点についていかがお考えでしょうか。また、具体的に作成されてからどの程度の期間のものであれば有効であるとお思いになっておりますか、お伺いします。
  97. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) お答えいたします。  本案では、本人の意思を表示する書面、おっしゃいましたとおり署名及び作成年月日を記載することを求めております。また、その意思については十分な調査と慎重な確認を関係者に求めることとしております。  したがって、提供の意思表示が比較的古い時点でなされた場合はどうかということですけれども、古ければ古いほど調査、確認も慎重に行われなければいけないというふうに思っております。その後、その提供の意思を万一本人が撤回したりあるいは変更したような場合には、速やかにその旨をしかるべき組織に連絡することが肝要かと存じます。  意思表示の書面ですけれども、今ドナーカードも言われております。これは脳死状態になる前にみずからの意思を表明するシステムでございますけれども、提供を希望する臓器あるいは組織の名称などをあらかじめ指定しておくのも大事かというふうに思います。今回言われている修正案でそのようなことも漏れ伺っておりますけれども、そのことも大事なことではないかというふうに思っております。  あくまでもインフォームド・コンセントをきちっとした上で実際に本人の意思を確認するというプロセスは、猪熊案では何よりも大事だというふうに思っております。
  98. 木暮山人

    ○木暮山人君 猪熊案のように作成年月日及び署名を要件に加えることについて、中山案提出者はどのようにお考えでしょうか、お尋ねいたします。
  99. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) お答えいたします。  脳死臨調の答申でも、臓器の提供に当たりましては本人の意思が最大限に尊重されなければならないとされております。また、本法案の基本理念におきましても、本人意思の尊重について規定を設けております。本法案の第六条におきましては、本人臓器提供の意思が書面により表示されていることを臓器摘出要件の一つとしておりますが、本人の瑕疵のない真正な意思表示があることが臓器摘出要件であると私どもは考えております。  それにつきましては、作成年月日及び署名を要件に加えるという委員の御指摘でございますが、本人の瑕疵のない意思表示を確認する手段としては確かに先生御指摘の点は大切なことであるかと思いますけれども提案者といたしましては、仮に作成年月日等の記載がなくても本人の瑕疵のない真正な意思表示に基づく書面であれば有効であり、本人の瑕疵のない真正な意思表示があるかどうか個々具体的に判断することが重要である、そのように考えております。
  100. 木暮山人

    ○木暮山人君 猪熊案では、第七条の二項において、書面により表示された意思についての調査、慎重な確認を規定していますが、調査、確認の義務を負うのはだれでしょうか、また具体的にどのような調査を要求しておられるのでしょうか。特に、一定の期間以上前に作成された書面についてどこまでの調査を想定されているのか、お伺いいたします。  あわせて、調査、確認が行われなかった、あるいは調査、確認に誤認があった場合、医療関係者が罪に問われる可能性はあるのか否かについてお尋ねしたいと思います。
  101. 大脇雅子

    大脇雅子君 本案第七条二項において義務づけられております調査、確認は、医師、看護婦、あっせん機関、コーディネーター、家族など、すべての関係者に課せられるものと考えます。内容は、書面の真実性、作成年月日、本人の自署などによりまして本人の意思であるかどうかということ、及び家族、知人の証言などの意思確認となると思われます。一定期間以上前に作成されたものにつきましては、変更、取り消しなどの書面、発言がなかったかなどの調査が加えられることになると考えます。  また、十分かつ慎重な調査の上で臓器摘出ということになりますれば、医療関係者は基本的には罪を問われないものと考えております。
  102. 木暮山人

    ○木暮山人君 脳死判定とその基準について、猪熊案提出者にお伺いします。  猪熊案提出者は、脳死判定について、臓器摘出を行うときのみ行うべきであると考えておられるのか、あるいは、本人あるいは家族の明確な拒否の意思がない限り、通常の医療行為の一環として臓器摘出のいかんにかかわりなく脳死判定が行われると考えておられるのか、お伺いしたいと思います。  また、特に後者をとる場合、生きている脳死患者に侵襲性を伴う無呼吸テストを行うことは問題がないかどうか、お伺いしたいと思います。
  103. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) 私たち提出した法律案では、御指摘のように、脳死状態判定はあくまでも臓器移植を前提とした場合で、その厳密な規定法律の中に盛り込んでおります。  具体的には、恐らく臨床的に十分に脳死状態が疑われるような場合に、しかも本人の書面による意思表示と家族による了解、承諾がある場合にのみ厳密な意味での脳死状態判定を行うことになるというふうに思います。  お尋ねの後半の部分は、じゃ、それ以外の場合に脳死判定あるいは脳死状態判定を行うことを認めるのかどうか、こういう趣旨であろうと思いますが、臓器移植を前提としないで日常の医療の一環として、例えば現在の臨床状態を正確に把握するという意味で、ある意味では診断行為の一環として脳死判定あるいはそれに準じた臨床上の検査を行うことはあり得ると思います。しかし、私ども法律ではそのような場合にあれこれという規定は決めておりません。日常の臨床行為の中で、当然インフォームド・コンセントの徹底を含めて、それぞれ担当医と家族の間の相談あるいは説明あるいは了解に基づいて行われていくことになるだろうというふうに思います。  そこで、特に問題となりますのは、無呼吸テストがかなり侵襲性を伴うのではないかということであろうと思います。先日、日本医科大学にお邪魔したときにもお尋ねをしましたが、やはり現実には、実際に無呼吸テストを始めても、患者さんの容体が急に悪くなるような場合にはすぐにそれを中止せざるを得ないというふうにおっしゃっておりました。やはりそういう臨床場面でのやりとりが当然行われるものと理解をしております。
  104. 木暮山人

    ○木暮山人君 これまでの質疑で、猪熊案提出者は脳血流停止等の補助検査の必須要件化に前向きの姿勢を見せておられます。しかし、聴性脳幹誘発電位の測定については聴覚障害者への適用に困難があると考えますが、この点はどうお考えでしょうか。また、脳血流の測定について、果たして侵襲性がなく、かつベッドサイドで精度の高い検査が可能なのか、疑問なしとしませんか。これについて御意見をお伺いしたいと思います。  さらに、幾つかの医療機関によって異なった基準が設けられていることについて両案の提出者はどのような御所見をお持ちか、お伺いしたいと思います。
  105. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) 確かに、私たちはこれまでの答弁の中で、竹内基準に加えて、竹内基準では補助的な検査となっております聴性脳幹反応の測定あるいは脳血流量の測定についてぜひとも必須の項目に加えるべきだと考えておりますというふうにお答えいたしました。  ただ、その際、実際にこれを臨床の場面、救命救急センターの場面で行っていただく場合には、そういう現場先生方の御意見も踏まえて一定の結論を出すべきというふうに考えておりまして、私どもの考え方は今申し上げたような考え方でございますが、今後さらに専門家あるいは臨床の先生方の御意見を踏まえながら検討させていただきたいというふうに思います。  なお、先生御指摘の、例えば具体的に聴覚障害があった場合どうなのか。おっしゃるように、少なくとも聴覚障害のある事例のうちの幾つかのタイプはこの検査の対象から除外しておかなければならないというふうに思います。そういう点を十分に留意した上で、しかしベッドサイドでは比較的簡便に聴性脳幹誘発電位の測定が行われるものというふうに理解しておりますし、先日視察をしたところでも、そこではこれを必須の項目というふうにされておったように思います。
  106. 木暮山人

    ○木暮山人君 厚生省の方にお伺いしたいと思うのでございますけれども臓器移植に関する保険の適用も課題であると考えます。この点、厚生省は法案成立後のどの時点で臓器移植への保険適用を行うお考えか、保険適用の条件についてお示しいただきたいと思います。  また、両案の提出者及び厚生省は、脳死判定後、臓器摘出に至るまでのドナーの医学的管理費や検査費についてはだれがどのように負担すべきとお考えになっているでしょうか、あるいは、臓器摘出を前提に臓器の保存のための処置を行ったが移植には至らなかった場合の費用負担についてどのようにお考えになっているか、お聞かせいただきたいと思います。
  107. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) お答えいたします。  脳死体からの心臓、肝臓などの移植につきましては現在我が国では実施されていませんので、医療保険の対象とはなっておりません。しかしながら、現在、臓器移植につきましては、行われているのは角膜及び腎臓の移植が保険適用となっております。また、生体肝移植については高度先進医療の適用として移植医療の一部が医療保険から給付されているところでございます。心臓、肝臓の臓器移植につきましては、これが行われることになった場合、その状況を見つつ、できるだけ速やかに中央社会保険医療協議会において医療保険の適用について検討を行ってまいりたいと考えております。  今、先生はどのような時期、どの時点だとおっしゃいましたが、実際にまだ一例も行われていない状況で、今の段階ではそこはお答えできないところでございます。また、要件については、高度先進医療については法律で決められているわけではないのですけれども、従来新しい医療が出てきた場合には通例は五例程度は実際に保険外として行われて、その医療のできぐあいを見て、それで判断をするというのが多かったわけであります。その五例というのを臓器移植、特に心臓、肝臓の移植に適用するかどうかについても、これも中医協の御審議の中の話だろうと考えておるところでございます。  次に、脳死判定後の臓器移植の費用の話でございますが、現在行われている腎臓移植につきまして保険適用がなされているわけですが、この点数のことを少し御説明いたしたいと思います。その説明が実は将来の肝臓と心臓移植の話の土台になるものですから、そこを御説明させていただきます。  まず、死体から腎臓を摘出し保存することにつきましては、診療報酬上六万五千点という点数になっております。それから、腎臓を実際に移植する経費については七万四千八百点という点数になっております。これは今一点十円ということですから、摘出費用は六十五万円、移植の方は七十四万八千円、こういうことになるわけであります。これはすべて臓器を受けるレシピエント側の費用という形でそれぞれ保険請求がされておるわけであります。  それで、問題は、腎臓をとりましてその腎臓が、腎臓は二つありますので、二つおとりになって二つとも使われる場合と一つ使われる場合、それからとってはみたけれども御病気があって二つとも使えない場合と、そういうことが生じてきて、それをどうするかということであります。  実際には先ほど申しました社団法人腎臓移植ネットワークの方で調整をいたしまして、先ほど言いました死体からとった場合六万五千点、六十五万円、あと検査関係の費用をあっせんいたします腎臓移植ネットワークに渡し、その腎臓移植ネットワークの方が臓器摘出を行ったところの医療機関である検査センターの方に検査分として七万円程度、それから摘出するチーム、お医者さんグループに六十二万円、それからその臓器をとることをやらせていただいた病院、そこは手術室等を使いますのでその提供病院に六十二万円というようなぐあいでお金をお払いしております。  実際使えない臓器が出た場合には、今度はレシピエントの方からはお金が出ません。出ませんので、実際にはネットワークの方でうまくいった場合のところから少し、一部お金の配付をカットいたしまして、カットというか、ためておきまして、それでその他のそういういろんなトラブルがあったときに分けるという仕組みをとって、摘出医療機関についても若干お金は減りますけれども、調整ができるような仕組みをとっておるところでございます。  それで、今後の費用ですけれども、先ほど申しましたように、この細かいことは全部、心臓、肝臓についても中医協の方で御議論をいただいて具体的に決められるということだと思っておるところでございます。
  108. 木暮山人

    ○木暮山人君 せっかくの機会ですので、この際警察庁にお伺いしたいと思います。よろしゅうございますか。三点。  まず第一に、ドナーカードの普及及び関連して運転免許証の活用が多方面から指摘されておりますが、この点について警察庁の御見解をお伺いしたいと思います。  二点。仮に中山案が成立した場合には当然に脳死段階での検視が行われることになると理解してよろしいでしょうか。また、脳死体では死斑や死後硬直が生じないことから、従来の検視の基準が妥当しない部分も相当想像されます。脳死体に対する検視のあり方についての御所見をお伺いしたいと思います。  第三点に、仮に猪熊案が成立した場合、脳死状態の患者に対する検視はどのように行われるのか、また事実上支障は生じないのかについて御見解をお伺いいたしたいと思います。
  109. 吉田英法

    説明員(吉田英法君) 第一点目の御質問お答えいたします。  臓器提供の具体的な意思確認の方法、ドナーカードの普及方法全般に関する検討にあわせ、その一環として運転免許制度の趣旨、運用等を踏まえつつ、運転免許証を活用することの可能性について検討を行っていくべきものと考えております。  なお、これまでもドナーカードの普及に関しては、厚生省や関係団体からの協力要請に基づき、都道府県警察の運転免許試験場の窓口に腎臓移植に関するパンフレットを備え置くなどの協力を行っているところであります。
  110. 岡田薫

    説明員(岡田薫君) 検視関係の二点について私から御説明を申し上げたいと存じます。  申し上げるまでもございませんけれども、検視と申しますのは、刑事訴訟法の二百二十九条の規定に基づきまして、死亡が犯罪に起因するものであるかどうかを判断するために、五官の作用によりまして、死体の損傷の部位、形状その他の変異、特徴等の死体の状況を調べることでございます。  脳死が人の死であることを前提といたしました臓器移植法が成立、施行されますれば、脳死体に対しても検視等に対する警察活動が行われることになるというふうに考えております。  また、臓器摘出が予定される脳死体に対する検視におきましても、先ほど、死斑、硬直等のお話がございましたが、検視の方法そのものには大きな変化はないものと考えております。ただし、速やかにかつ適切にこれを行うために、医師等との連絡を緊密にし、脳死判定が行われる施設において検視の準備を行う必要がある場合、そのようなことはあり得るのではないかと考えております。  また、警察としては、司法解剖の要否の判断等を行うための時間を十分確保するために、脳死体に係る医師からの警察への連絡についてもできる限り速やかに行っていただきたいというふうに考えております。  それから、脳死が死ではない猪熊案成立の折、脳死状態の患者に対する検視はどのように行われるのかという御質問でございますが、調べる対象が死体でないということでございますれば、これは検視ということにはならないと思います。ただし、いわゆる猪熊案におきましても、脳死が人の死であることを前提とした法律案と同様、刑事訴訟法第二百十八条の規定に基づく身体検査等の犯罪捜査に関する手続が終了した後でなければ臓器摘出してはならない旨の、犯罪捜査と臓器摘出との調整規定等があるものと承知しておりますので、警察としては当該法律に従い適切な警察活動を行ってまいるということになろうかと思います。
  111. 木暮山人

    ○木暮山人君 どうもありがとうございました。これで質問を終わります。
  112. 山本保

    ○山本保君 平成会の山本保です。  私は、これまでにいろいろ御質問があった中から、自分でも興味のあるところをお聞きしようかなと思っております。  最初に、先ほどほかの先生からも、また中山先生からもお話しございましたように、この間大変なところを、この中山案をまとめられた先生方に敬意を表したいと思います。また、猪熊先生を初め、国民の前にこの法案の重要性、また課題などを明確にわからせるために、きちんとした対案をつくられた先生方にも敬意を表したいと思います。  先ほど、私の選挙区の先輩であります高木健太郎先生のお名前が出まして、私も御家族から応援をいただいたこともありますので、あの先生以来こういうことをやっていたんだなということをまた新たにしたわけでございます。  そこで、実は、少し残念なんですが、新聞等、その他の報道で修正案ができてくると。残念といいますのは、早く審議がしたいという意味で残念ということなんですが、それはまだ出ていないということでございます。  ただ、このように衆議院の審議が一応、形上は多数をもって割と圧倒的な多数である案が決まったというものに対しまして、参議院の先生方が実際の現場もごらんになって、そしてこの両案の問題点というのを考えて、勘案されて、その問題点をできる限り少なくするような案をつくろうということで努力されたということは、私は新しい参議院の一つの審議のあり方として非常に意味のあるものではないかなというような気がいたします。  つまり、中山先生を目の前に置いてあれでございますけれども、やはり私も初めて脳死の方をおととい見せていただきまして、これはいろんなことを考えちれる方もおられると思いますので、全体の私の個人的な印象でございますけれども、ああいう方をまず法律が死であるというふうに断定してしまうというのはなかなか難しいのかなと。説明の先生、お医者さんからも、家族などは同意といってもなかなか、実際それに立ち会った家族は脳死が死であるということについては少し不安がふえてきているというデータもお話がありました。  ですから、こういう法案を出すための方法として、合意は既にできているという言い方をされるというのはわからないわけではありませんけれども、かといってそれは、例えば衆議院の先生方でも、提案者の方は皆さん御存じだと思いますが、まさか実際に脳死ということを見たこともない方もたくさんおられて、そして判断をされたということだとすれば、これはちょっと審議の方法としては余り好ましいことではなかったのではないかなという気もいたします。  ですから、中山先生の案では、言うならば私ども一般の庶民の感覚でまだ死んでいるとは思えないような方も法律が死であると言い、そうなればもちろんお医者さんの先生方はきちんとした対応をされるということはわかりますけれども、しかし法律がそこで死であるとして、それ以後は死体に対するいろんな措置であるということになってまいりますと、いろんな面で社会的な問題が起こってくるのではないかなという気もいたします。  一方、猪熊先生の案は、死体ではない、死んでいるのではないというその感情面を非常に重視された案でよくわかるのでございますけれども、やはりこの委員会でいろいろお話がありましたように、そうなりますと、実際上、言うならば科学技術の問題としてもとらえられる脳死移植術というものがより進んでいくといいますか、逆に進むことによってもう必要がなくなってくるようなことになるのかもしれませんが、こういう進歩というものにどうしても事実上道を狭くしてしまうというようなおそれがあるという指摘があったというふうに思っております。これ以上は、また修正案が出されたときにいろいろお話をお聞きしたいと思っております。  そこで、私は、自分自身としましては、もう申し上げましたように、やみくもにこういうものをある感情といいますか、ということで全然やらない方がいいというふうには思いませんで、やはりそのとき自分の体を提供したいという方の意思というのは一番重要視されるべきではないかなというふうに考えております。  それは、一昨日の見学でもお話があったんですけれども、私も福祉をやってきた人間としますと、こういう問題が家族などに起こりますと、家族は非常に精神的に不安定になりますので、その段階でどうするかという判断を家族に求めること自体なかなか難しい、それのためにもぜひ御本人の意思というものをはっきりさせておくということが必要だと思います。  また、死体というような形で、物と同じようなものであるから、自分にぴたっと合うものがあればそれをつくるべきだというような感情というものは、そんなものはないと思いますが、もしそういうものがあるとすれば、これは不遜な考えという気がするわけでありまして、その方が自分の身体をなげうって他の方の命を救おうというその気持ちはやはり最大限尊重されるべきだと思うわけであります。  また、もう一つ、三番目に、法律社会的な目的としまして、もし法的に脳死者が死であるというふうにいたしますと、これは国民感情の中で自分の体を提供しようという方をふやすというよりは、いかに合理的にその脳死体をつくり出すかという方に動いてしまうのではないかというおそれを感ずるわけであります。もし御本人の意思を尊重するという法律ができれば、先生方はもちろん、お医者さんたちは、それはそんなことをすればほとんどいなくなってしまうという議論をよく聞いたわけであります。しかし、それは逆だと考えるべきであって、そうであるからこそ自分の体を提供したいという方をいかにふやすかということが政策的な目標になってくるということがありますので、その意味で三つ目の意義というのが本人の意思を基本にすることからできてくるという気がするわけであります。  そこで最初に、この本人の意思表示に関しまして三点ほどお伺いしたいと思います。順序はもう不同になります、申しわけありませんが。  最初に年齢でございます。竹内基準では六歳未満の方は判定をしない、できないというふうになっているということとか、または厚生省の見解として十五歳以上の方が臓器提供の意思を言うことができるというようなことがございました。  この辺につきましてもう少し細かく言いますと、先回の議論を聞いておりますと、注意深く、厚生省の方も中山案の方もたしか基本的には十五歳ですとか、原則的には十五歳というような言い方をされておられました。これはどういう意味なのか。つまり、場合によっては親権者が代行すればいいというような意図なのかどうかという気もするんですけれども、この辺の年齢がいろいろばらついていることについてどう考えたらよろしいのか。中山案猪熊案、両案の先生からお答えをいただきたいと思います。
  113. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) ただいま山本委員より、臓器提供の意思表示が何歳からできるのか、その根拠等についてのお尋ねがございました。  そこでお答えいたしますが、臓器提供に当たっては、臓器提供及び臓器移植に対する正しい知識と理解が前提となり、有効な意思表示を行うことができる意思能力がまず必要でございます。また、臓器提供の意思表示の有効性が認められるかどうかについては、個々具体的に判断されるべきものであり、年齢等により画一的に判断することは難しいと考えられますが、実際に法律の運用における具体的な取り扱いについては、民法上の遺言可能な年齢が十五歳以上であることや、その他の諸制度を参考に、目安となる年齢について今後とも精力的に検討を進めていく次第でございます。  以上でございます。
  114. 竹村泰子

    委員以外の議員(竹村泰子君) 今お答えがございましたように、臓器の提供を承諾しますには、脳死状態及び臓器摘出意味承諾の効果を認識理解する能力を有することを要すると思います。そのためにはやはり一定の年齢に達していることが必要と考えますが、一定の年齢と申しましても個人差がありますし、現時点におきましては私どもはまだこの点に関する結論を出すに至っておりません。  いずれにしましても、命を保つために必須の臓器を提供するということは、同時に自己の命を絶つということでありますので、この自己決定のためには社会的にも法律的にも十分な判断、決定ができる年齢の者であることが必要と考えます。したがいまして、幼児や承諾能力を持たない者がした場合、または脅迫や欺罔等真意に基づかず強要された場合には有効な承諾があったとはみなされないと考えております。
  115. 山本保

    ○山本保君 もう少しその辺について詳しくお聞きしたいんです。  その場合、問題が二つあると思います。一つは、六歳という数字に科学的、医学的根拠があるかということでありまして、これは他の先生からも、多分専門の先生がおられますので、ここに問題があるということだけ指摘します。  もう一点、先ほどちょっと申し上げたことですが、外国などでは親権者が代行すればよろしいというような国があるようでございますが、こういう考え方はとらないのかとるのか。というか、今回は出ていないと思いますが、将来についてどうお考えなのか、お聞きしたいと思うんです。ちょっと通告していなくて申しわけございません。
  116. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 私も海外のいろんな法律を読んでいる中で、たしかアメリカの州の法律だったと思いますけれども本人が自己の意思を決定できない状態になったときの場合に備えて、あらかじめその方のいわゆる処置の判断について第三者を指名しておくというようなことが法律によって決められている州があるということを読んだことがございます。  そういうふうなことも将来の課題として、きょう先生から御質問ございましたから、私の知り得る限りのわずかな例でございますけれども、そのように私自身が読んだということを申し上げておきたいと思います。
  117. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 先ほどの話の中で六歳未満云々という話は、六歳未満の子供に対する脳死判定の適格の問題ということですから、摘出意思の問題とは別の問題だと思います。  今、先生がおっしゃった親権者ないし後見人による承諾ということは非常に大きな重要な問題を含んでいると思うんです。  と申しますのは、私たちの案では、脳死判定を受忍し、そして脳死状態に陥れば臓器摘出してもよろしいですというのは、まさに当の本人の自己の意思決定、こう考えていますから、そうすると、親権者だとか後見人という立場の、はっきり言えば親とか、親がいない場合はおじさんとか、この方々が本人にかわって結構ですと言うわけにはどうしてもいかない。もし、そういうことになってくると、それこそ脳死判定で六歳以下はだめだといった場合にも、六歳から十二、十五の子供まで親がいいと言ったら臓器提供ということになってきますから、そうなってくると、今私たちが考えている臓器移植法とはまた質の異なる臓器移植法になると思います。  ですから、親権者なり後見人なりの承諾による臓器摘出が絶対だめだと言っているわけじゃなくて、そういうのはどうかというのは、今私たちがあるいはこれは中山先生の方も同じだろうと思うんですが、まさに当の本人の問題としてだけの臓器移植法ですから、親が子供の命を子供にかわってああだこうだと決めるというところまでの問題というのは別次元の話と私は考えます。
  118. 山本保

    ○山本保君 実は私自身もそういう気がしております。  私の一種の体験といいますか、関係の例えばISS、国際社会事業団というところからこの前もいろいろお話を伺ったんですけれども、こういう臓器移植などを前提といいますか、その目的のために国際養子縁組というようなものが使われているのではないかというおそれがいまだにぬぐい切れません。  また、国によりましては、あるとき子供がいなくなって、帰ってきてみたら傷があって腎臓が片方なかったというような国もあるということも、これも複数の方から聞いております。  また、ある国では逆に、もっと言うならば、五体満足な方は困っている方に出すのはそれは美徳であって当然であるという国もあるようでありまして、よく日本と三カ国だけがおくれているというようなことが出ますけれども、それは形だけをとらえてはならない。今申し上げたようないろいろな文化、また医学、それから家族関係というものがありますので、その辺は重視しなければならないと思っているんです。  ここで中山先生にそういう点でお伺いしたいんですけれども、たしか修正案が出る前は家族のそんたくでやってよろしいということがあったというふうに思っておるんです。今、中山先生は、そういうことは考えてないとおっしゃいましたけれども、将来そういう考え方が出てくるというふうな気もするんですけれども、その辺はどうお考えでございますか。
  119. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 現在の法案を御審議いただいている状況の中で、将来の問題についてどうこうするということを現在考えておりません。
  120. 山本保

    ○山本保君 わかりました。  それでは次に、厚生省に少しデータをお聞きしたいと思っております。  何回も出たかもしれませんが、今全国で脳死判定がされている数というようなもの、その場合、竹内基準でということで行われていると思いますけれども、データがあるかないかも含めて、家族の同意判定に使われているのか、必要となっているのかなっていないのか、こういうことがもしおわかりであるならば教えていただきたいと思います。
  121. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 平成五年度に厚生行政科学研究事業で、「脳死体からの臓器摘出に係る臨床的対応手法に関する研究」、先生方が昨日行かれました日本医大の大塚教授に班長をしていただいた研究でございますが、そこで全国の大学病院、それから救急医学会指導医指定施設、それから救命救急センターを対象として全国百八十の施設にアンケート調査票を送り、百三十八施設から御回答をいただきました。そして、そのうち脳死判定を行っている施設は七五・二%の数でございました。また、脳死判定判定基準に何を用いていますかということでは、いわゆる竹内基準を用いているところが五六・二%という状況でありました。  このようなことで、我が国の救急現場においては、臓器移植を行うか否かにかかわらず、患者の予後の判定を行い、治療方針を決めるために脳死判定を行われているところが多く存在するということでございます。
  122. 山本保

    ○山本保君 もう一つ、厚生省の担当にお聞きしたいんですけれども、実はおとといもそういう話をちょっとお聞きしたんですが、何人かの先生から、現在、移植とは関係ない脳死の方ですけれども脳死判定をするということは、実際には御家族に呼吸装置、人工呼吸器を外すための同意を得るような一つの手続として使っているというふうなニュアンスのことがありました。  もし、今現在のことなんですけれども、そのときに、お医者さんがその家族の言葉を聞いて外すというふうなのがあったり、また家族に外させてくれと言って外したりというふうなことを聞いているんですけれども、厚生省として、そういう行為というのは一体医者行為としてどういうふうに考えておられるのかということをちょっとお聞きしたいんですが、おわかりでしょうか。  つまり、それは例えば医者の専門的な裁量であるということなのか、しかしこれはぎりぎり考えますと法に触れる行為ではないかという気もしないでもないんですが、いかがでございますか。
  123. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 大変難しい問題で即答できかねるんですけれども救急現場では、実際に患者さんの経過を見て予後のことを考えるために今過半数以上の施設では脳死判定が行われているということは申し上げたわけです。それによって患者さんと相談して酸素の吸入をとめるとか、または積極的治療はそこで打ち切るとかいろんなことが行われる場合もあろうと思いますが、私どもとしては、それは患者さんサイドとお医者さんのコミュニケーション、そしてインフォームド・コンセントした上での医療の中の判断というふうに今のところは考えておるところでございます。  厳密な意味でいうと、まだ死亡診断書を書いていない、脳死であっても生きていらっしゃる—————書いてあるという事態ですと、それは亡くなっている人に医療保険をやっているというと医療保険上の問題とのかかわりが出てくるし、死亡診断書を出してしまって、後、逆に医療を続けていると、今度は死体損壊の問題というのが出てくるわけですけれども、今のところは、患者さんの納得のもとにそういう医療が行われているということで、特に問題視をする御意見もありませんし、我々は、そういうふうに医療の中で行われている、こう思っているところです。
  124. 山本保

    ○山本保君 私も、現在の段階ではそれに対して明確な判断をしないというのが現実であるという気がいたしております。そういう点からも、脳死を死であるというふうに法的に全部決めてしまうということは、それ以後の手続について、非常に複雑といいますか、じゃどういう後手続をとるのかということなども一挙に解決しなければならないような問題になるんじゃないかという気がしておりまして、逃げるわけではありませんが、この辺はまだ実際の場に任せていく方がいいのではないかなという気が私もいたします。  そこで、今のこととちょっと関連いたしまして、これはたしか中山先生の案にも猪熊先生の案にもあるんですが、ちょっと確認なんですが、附則の十一条に脳死者の医療保険の適用範囲は当分の間医療の給付としてみなすという条文があるわけでございます。今までの議論をお聞きしていまして、この「当分の間」というのが、私などはこれを読みますと、これはある法的な、次の法律改正などをする、もしくは政令等で定める間やるんだというふうに読んでおったんですけれども、ちょっと議論の中で、これは脳死の方がいつ維持装置を外すか、もしくは移植手術に移るか、その間のことだという何か両方にとれるようなお話があったのでございますが、この「当分の間」の意味はどちらの解釈なのか、ちょっと確認をまずさせてください。
  125. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 中山案におきましては、脳死を人の死と認めることをちゅうちょする人に配慮するという観点から、脳死前に継続して行われる脳死判定後の処置につきましては、当分の間の措置として医療の給付とみなすこととしているところでございます。御質問の「当分の間」については、具体的な期限を念頭に置いたものではありません。いずれにしましても、脳死に対する国民理解や我が国の移植医療をめぐる諸状況等を勘案した上で判断されるべき問題ではないかと考えております。
  126. 竹村泰子

    委員以外の議員(竹村泰子君) 委員、ちょっとお考え違いかと思いますが、私ども法案心臓死まで生きておられる人のお体でございますので、そのようなところはございません。
  127. 山本保

    ○山本保君 どうもそれは失礼いたしました。ちょっと勘違いしました。  その前に矢上先生の方からお答えがあって、この「当分の間」というのはまさに法制度的な意味であるということですね。わかりました。それは確認でございます。ですから、脳死というものに対するまさに社会的な合意ができてくる、もしくはその間の措置についてある程度医学界で形が整ってくるそのときまで、これは実際の医療ではないが医療ということとみなす、こういう意味だということでございますね。  それからもう一つ、また話が違うんですけれども移植をする場合、公正にまた適正に公平に使われるかどうか、はっきり申し上げればお金が動くんではないかということについて非常に心配な気がするわけです。先ほどからの外国へ行ってやってくるということなどを考えてみますと、つまり日本人はお金持ちだからやっているわけでありまして、外国に行っても現地の方よりも日本人の方がお金持ちであるからやっているんじゃないか、当然お金の力でやっているんじゃないか、こういう気がするわけですが、この辺についてきちんとそういうことが起こらないように手が打ってあるのかどうか、それについてお聞きします。
  128. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 山本先生おっしゃったお金持ちだけが優遇されるのではないかというおそれは私たち提案者もみんな心配しておりまして、それがないように今回の移植法案におきましてきちんとネットワークを整備する。そういう意味で改めて答弁いたしますが、移植医療に対する国民の信頼の確保のためには、移植機会の公平性の確保と、最も効果的な移植の実施という両面からの要請にこたえた臓器の配分が行われることが必要であり、こうした要請にこたえていくためには臓器移植ネットワークの整備が不可欠であると考えております。  また、提供臓器を適正に使用するためには、提供いただいた臓器に一番適している移植希望者を公平公正に選択するための医学的かつ客観的な基準の作成が不可欠であると考えており、既に厚生省のネットワーク準備委員会としての案が公表されたものと承知いたしております。  さらに、臓器移植ネットワークの体制整備の方向性としては、当面、既存の腎移植ネットワークの活用を検討しつつ、心臓、肝臓等についても対応できる体制の整備を図るとともに、将来の多臓器移植ネットワークシステムの構築に向けて検討を重ねていくべきと考えております。  以上でございます。
  129. 竹村泰子

    委員以外の議員(竹村泰子君) 移植医療臓器の提供があって初めて成り立つものでございまして、臓器本人の自発的、積極的な意思に基づいて提供されるものであります。国民理解を得つつ臓器移植を普及させていくためにもドナーカードの普及が必要であると考えておりますし、また心臓、肝臓等を含めた臓器移植ネットワークにつきましては、移植医療にとって最も重視されるべき移植機会の公平性の確保と効果的な移植の実施のための制度的な枠組みである、これを整備することは大変重要な課題であるというふうに思います。  このため、この点につきましては、臓器移植ネットワークのあり方等に関する検討会の中間報告を受けて、現在、厚生省も先ほどお答えをしておりましたけれども、厚生省に設置された日本臓器移植ネットワーク準備委員会において検討されているところと承知しております。  ただ、これらにつきまして現実に脳死体からの臓器移植が行われるのと並行して検討されるべき面もありますので、政府においてドナーカードの普及及び臓器移植ネットワークの整備のための方策について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる旨の規定を設けることといたしました。
  130. 山本保

    ○山本保君 それでは最後に、両案の提案者からも期せずして同じ言葉が返ってきたわけでありまして、この辺は私も厚生委員の一人として、やはり今後厚生省にも頑張っていただかなくてはならないというふうに思っております。  最初に、自分の体を提供する方がいかにふえてくるのかということを申し上げましたが、その一番大きなネックになっていますのが和田移植以来の移植に対する、また先ほども申し上げたような医療に対する不信感というのが確かにあるのではないかという気もするわけであります。  中山先生、代表されまして、この辺をどのように払拭していかれるのか、その決意といいますかお考えをお聞かせください。  これで質問を終わります。
  131. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 委員お尋ねの医療全般に対する倫理に関しての不信感が国民の間に漂っていることは私は率直に認めなければならないと思います。それだけに、一般の医療におきましても医の倫理の確立ということが今日ほど求められている時代はございません。  特に、移植医療というものが行われるような時代になりました場合には、それに携わる医療スタッフはもちろんのこと、コーディネーター、あるいはまたそれを所管する官庁の職員までも含めて、すべての人たちが人間としての倫理というものを基盤にしてこの問題に対応していかなければならない。それがなければこのシステムというものは成り立つべきではない、私はそのように信じておりますので、今後とも大学の教育を通じましても倫理学の教育というものを徹底して行っていく必要があろうかと考えております。
  132. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございました。
  133. 大森礼子

    ○大森礼子君 平成会の大森礼子です。  きのうのテレビあたりを見ておりますと、十三日修正案提出、十六日本会議と、これは報道ですけれどもされておりました。  それで、きょうは一番最初に田浦委員がちょっと修正案のことを触れられましたけれども修正案というのが出ておりませんので、もちろん中身は聞けません。  ただ、もしできましたらお尋ねしたいのは、中山案の方は今回出されるであろうという修正案を自分たちの案の修正案というふうにして位置づけておられるのかどうか、これをちょっと確認させてください。
  134. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 修正案が出るということを新聞紙上では拝見いたしましたが、具体的にいつお出しになるとか、どういう内容のものかといったことはまだ何も伺っておりません。そういう段階で修正問題について発電を申し上げることは大変僭越だと存じております。
  135. 大森礼子

    ○大森礼子君 わかりました。おっしゃるとおりだと思います。  ちょっとその点で触れたいのは、一番最初に田浦委員の方が、この修正案というのは、事実上、聞いた範囲でということになりますけれども、要するに臓器を提供する意思を表示していて、なおかつ脳死判定を受けるという意思を表示している、それは家族が反対しない場合あるいはいない場合、そのときには脳死判定に入っていって、それから臓器摘出ができる、こういうもののように伺っております。  これを前提とするしかないんですけれども、そうした場合に、中山案の方に近いんじゃないか。中山案ですと、要するに脳死一般を、全体を死としていたものが一部の死になるわけですから、そういう点で共通点があるんじゃないかというふうなことかもしれません。  ただ、一つ、中山案の場合ですと、これは社会的合意がある脳死であることは、先ほど法制局の方がお話しになりましたけれども、だから六条二項の規定は確認規定だとおっしゃる。きょうは確認規定をはっきり御説明いただいてよかったと思うんですが、すなわち社会の中に既に合意があって、そしてそれが社会規範となっていることが前提となると。そして、それを確認したものだから、本当はその法文というのはあってもなくてもいいんだけれども、念のために入れたという、これが確認規定の性質であると私は思うんですね。  そうだとすると、もしそのベースの上に乗っかった修正案が、それを個別的なものに限定したとすると、広く認められていたものを個別的に限定する理由はまた何なのかなと。そうすると、本来であれば脳死者は死者であるべきものが、個別的な場合に限定されるのはほかの死者とのまた差があるんではないかと、いろんな議論が出ると思うんです。  ただ、申し上げたいのは、修正という場合には、大体本体部分が同じで、あと少し変わるというものだと思うんですが、修正案が出ていないからはっきり言えませんけれども、何かもう基盤自体が大きく違うんではないかなという気もするんです。むしろ私は猪熊案の方に近いのかなと。要するに、死とするか生とするかの違いはありますけれども、根本に自己決定権というものを求めれば共通するのかなと、そんな思いもするわけです。  いずれにしましても、これまで中山案猪熊案ということが前提で議論がされ、答弁がされてきて、その旨の議事録は残っております。もし同じ基盤に立つものでないとしたら、これまでの議事録についても、どこまでが修正案についても妥当するのかしないのか、こういうチェックもしなくてはいけないわけで、そういう意味で、委員長にも理事会の方にもお願いしたいんですけれども修正案につきましても、もし出るのであれば、これは大は小を兼ねるの問題ではないと思いますので、法律の解釈とか適用等について、通るか通らないかわかりませんけれども、疑義が生じないように十分な時間を与えていただきたい、これをまず最初に述べさせていただきたいと思います。  それから、きょうは何を質問しようかと思っていたんですけれども中山案の、これは三月十八日、衆議院本会議での山口議員の答弁の中で、脳死を人の死としない立場での臓器摘出に対して四つの見解というのが示されておるんですね。  例えば、要するに殺人承諾殺人罪に当たることになるとか、それからドナーの方の命を奪ってレシピエントの方に命を与えるんだから、生命に軽重をつけることになる。それから、やっぱり法的に生きている人とされる人から臓器摘出することは医のモラルから認められない。それから、検視の場合にも問題があって、証拠が散逸して悪質凶悪犯を見逃すという不正義が発生する、こういう大体四点を示されました。  ただ、これはたしか金田案が提示される前でしたかね、金田案というものが法案として。ですから、今、猪熊案というのは一応金田案の修正で、金田案のベースの上に立っているわけですから、今現在もこの四つの批判が猪熊案に対して当たるとお思いなのかどうなのか、もうイエス、ノーで結構ですが、ちょっと教えてください。
  136. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) お答えいたします。  この四点のうちの第一点目から第三点目につきましては脳死臨調の答申においても指摘されているところでありまして、現在審議されております猪熊案につきましても同様の問題があると考えております。  第四点目につきましては、犯罪捜査の手続と臓器摘出との調整を図る規定が設けられておりますけれども、この規定が十分なものであるのか、さらに検討を加える必要があるものと私どもは考えております。
  137. 大森礼子

    ○大森礼子君 実はそうなんです。論点整理ということもありまして、本当にどこが違うのかということを明らかにするためには、例えば四番目として挙げられた検視のところで不都合じゃないかという御指摘がございますね、中山案。でも、これは金田案も猪熊案も検視の規定をきちっと置いているわけなんですね。それから、刑訴法学者からもよくできた規定であるとも言われている。そうすると、もうここのところは既に論点とならないのかなという気がしたのでお尋ねしたんです。そこら辺のことは、中山案の方は、いや、やっぱりうちの規定じゃないとだめなんだと。金田案それから猪熊案のこの検視に関する規定じゃ、やっぱり凶悪犯人を見逃すようになるんだというふうな論証はされましたでしょうか。されていなかったら結構ですが。
  138. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 現行の検視はあくまで死亡した場合に行われるものでありますことから、脳死を人の死としない場合に犯罪捜査の手続が臓器摘出によって本当に妨げられることがないかどうかということについて検討を加える必要があると私どもは考えておるところでございます。
  139. 大森礼子

    ○大森礼子君 じゃ、この批判についてはまだ十分論証されていないことでちょっとおいておきたいと思います。  それから、私は猪熊案の方の説明も十分じゃないのかなという気もするんですが、違法性阻却説についてやはりよく理解されていないのかなと思います。最初の田浦委員質問で、やっぱり告発のところを非常に気にしておられる。確かに、告発を受けた場合にお医者さんの方が非常にいろんなことで時間をとられる。それはわかるんです。そこら辺がむしろお医者さんとしては御心配なんだろうというふうに思うんです。  それはそれとしましても、猪熊案は、法令による行為として違法性阻却を認めようという考えです。じゃ、この法令による行為というのは、これはお医者さんも御存じのとおり、例えば母体保護法十四条では、医師の認定による人工妊娠中絶は堕胎罪とならないわけです。犯罪そのものが成立しない。それから、角膜及び腎臓の移植に関する法律、これも死体からの腎臓摘出ですが死体損壊罪にならない、犯罪にならない。それから、手術行為でも、これは刑法三十五条の正当業務行為にするんでしょうか、本人承諾にするんでしょうか、違法性阻却するから犯罪は成立しない。この仕組みは御存じだと思うんです。  だけれども、これについて今回のこの件についてのみ批判されるということは、やはり生命を、保護法益の見方については、それは幾ら法令によっても無理なんじゃないかと思うんです。  ですから、もう少しわかりやすく、いやそうじゃありませんと。こういう条件でしたら、もはや社会的相当行為と言っていいんでしょうか、そういう行為について刑罰を与えてまで抑止しようという気持ちには人もならないと思いますよというところをもう少しわかりやすくお話しいただけませんでしょうか。  猪熊案の方にお願いいたします。
  140. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) わかりやすく話をしろといっても非常に難しくて。  ただ、私が申し上げたいのは、ここに脳死状態に陥った方がおられる。この人を生きていると見て、要するに脳死状態に陥っている人から心臓なら心臓摘出するということについては、中山案でも私たちの案でも同じことなんです。  その場合に、心臓だけじゃないんですけれども、端的に申し上げれば、生きていて心臓摘出するという行為違法阻却というので、これは生者なんだから、心臓摘出して自然死に至るといえば殺人罪なんだ、あるいは承諾殺人罪なんだ、だけど違法性阻却するんだというのも、これも行為に対する法的評価の問題なんです。  じゃ、中山案の方で、今ここにいるこの人を、この人だけじゃなくて中山案での対応では脳死一般になりますけれども、ともかくこの人は脳死なんだというのも単なる法的評価にすぎないと私は思うんです。だから、この人はもう死んだ人なんだ、この人に限っては脳死状態イコール、脳死者イコール死者なんだと評価してやるから、死んだ人から心臓を出したんだ、こういうことになるだけの話なんだと私は思うんです。  要は、法的評価の問題なんです。どっちが具体性があるか、妥当性があるか、それはそれぞれの人の判断の問題。ましてや中山案のように、いきなり脳死を死一般に持っていくなんということじゃとんでもない話だと。私たちの案は、生者としておいて、それで心臓摘出する行為殺人罪じゃないよと、違法性阻却すると。違法性阻却というと、何かあるものが後から起こったように思いますけれども違法阻却というのは、違法性がもともとないということなんです。  それで、もともとないということの理論を一生懸命説明しろと言われるんだけれども、要するに、その行為社会の大勢の人が人殺したと見るか、それとも人殺しじゃなくて人助けだと見るのか、この世間の評価の問題なんです。それは少々無理があるとおっしゃるけれども、私たちは、これを死者としてやるよりも生者としておいた方が、御本人にとっても、それから先ほど山本先生がおっしゃったような医療不信、医師不信の現段階において、死者としてしまうよりも間違いが少ないだろうという意味違法阻却と申し上げているんです。  だから、私は、この問題を違法阻却と言うのはとんでもない、だめだだめだとか、あるいは脳死が一から百までだめなんだとかいう問題じゃなくて、法的評価の問題にすぎない。  ですから、先ほどの私たちの案に、殺人罪になるじゃないかとか、先生が今おっしゃった、本来平等であるべき生命の価値に軽重をつけるとか、医師のモラルに反するとか、違法阻却ということは私はできないというお医者さんもおられるでしょうけれども、この人は脳死者だから、死んでいるんだから安心してやってくださいという方が気が楽だという人もいるだろうけれども、要は、法的評価に対する自己の、お医者さん自身の対応の問題なんだと私は思います。  以上です。
  141. 大森礼子

    ○大森礼子君 確かによく言われるんですが、ともかく脳死状態というグレーゾーンをもう素直に認めて、もとへも戻らない、しかし限りなく死に近づいているけれどもまだ死とは言い切れないんじゃないかというグレーゾーン、この扱い方をどう評価するかという問題だと思うんです。  それで、よく中山案の方が、本来平等であるべき生命の価値に軽重をつけることになるというふうにおっしゃるんです。確かに、お医者様とかを含めて第三者がドナーの、脳死状態になった人の意思に無関係に臓器摘出というのを決めるのであれば、それは平等であるべき命の価値に軽重をつけることになると思うんです。  だけれども脳死を死としなくても臓器移植を認めようという根底は、自分がもうもとに戻らない脳死状態になった場合には、自分の残された生命といいますか、それをだれかに差し上げることによってだれかにもつと生きてもらいたいと。その自己決定意思といいますか、これを認めてもいいのではないか、そういう行為に対しては刑罰を与えないようにしてもいいんじゃないかということなのではないかと思うんです。  だから本人が、言いかえればドナーになる人がみずから、生命に軽重をつけてくださって結構ですから私の願いを臓器を差し上げてかなえてくださいと言った場合にも、中山案の方は、それはやっぱり生命の価値に軽重をつけるんだからだめだと言って反対されるんでしょうか。
  142. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 本人の意思を尊重すべきではないかという御意見かと思いますが、臓器摘出するという行為がまさに生命を奪う重大な侵害行為であるということにかんがみますと、私どもはやはり本人の意思があったとしても、生きている状態から臓器摘出を認めるということはできないというふうに考えております。
  143. 大森礼子

    ○大森礼子君 そうしますと、要するに生命の処分といいますか、死の迎え方というんでしょうか、それについては、中山案立場からは自己決定権といいますか、これは認めないというお考えなんですね。もう一度確認させてください。
  144. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) その点につきましてはさまざまな御意見があろうかと思います。例えば尊厳死の問題につきましても、これを認めていいのかどうか、これもさまざまな議論があります。私どもは、そういうさまざまな議論があるということを踏まえますと、本人の意思を尊重するからといって生命を絶つような行為をよしとするには現在において至らないということでございます。
  145. 大森礼子

    ○大森礼子君 そうですが。  ただ、平成七年三月二十八日、横浜地裁で東海大安楽死事件の判決がありまして、積極的安楽死について、緊急避難とか自己決定権とか、こういうことを根拠に一定の要件を認めると、これは適用したわけじゃありませんけれども、こういう判断も示されるようになりましたということです。それからもう一つ、昭和六十三年一月十二日、日本医師会生命倫理懇談会の脳死及び臓器移植についての最終報告というものがございます。この中の五項になるんでしょうか、「脳の死による死の判定と患者または家族の意思」のところで「患者側の意思の尊重」ということで、「脳の死による死の判定を是認しない人には、それをとらないことを認め、是認する人には、脳の死による死の判定を認めるとすれば、それでさしつかえないものと考えてよいであろう。このことはまた、自分のことは自分できめるとともに、他人のきめたことは不都合のないかぎり尊重するという、一種の自己決定権にも通じる考え方であるといえよう。」という、自己決定権ということに実はお医者さんの側も少し触れておられるところもあるんです。  だから、もう全くぐちゃぐちゃ対立するものではない。そうすると、ここの論点はそんなに大事ではないのかなというふうに申し上げたいと思います。  それから、例えば今度修正案で出ます個別的脳死、これも原則が三徴候で、例外的に認めるのは根拠がまた要ると思います。その理由づけが自己決定権になるのかほかの理由なのか、こういうことにも関係してくるんだろうと思います。  それからもう一つなんですが、私が一番よくわからないのは、前回もちょっと触れましたが、医師立場に立って、法的に生きているとされる状態の者から臓器摘出を行うことは医のモラルから見ても到底認められないとおっしゃるんです。たとえ法令で適法とされても絶対できないというふうにおっしゃる方もおられるんです。  だけれども、先ほど言いましたように、月曜日に視察に行きまして、私も脳死判定を受けられた方の患者さんと接してみました。私も司法解剖ということで何件も立ち会っておりますから、もしかしたら死体というものにはなれている者かもしれません。その死体と脳死判定を受けた方の患者さんを比較、比較と言ったら変なんですけれども、見ました。人工呼吸器ですから確かに呼吸自体は不自然なところはあると思います、これは人さまざまでしょうが。ただ、やはり皮膚の色というんでしょうか、それから肌にもさわらせていただいたんですけれども、体温とか、どう考えてもちょっとやはりこれを死体とは見がたいという、こういう印象を私自身も受けました。  そうしてみますと、同じ状態の方を猪熊案の方は生きている領域に入れようとする。ぴんぴん生きているのではなくて、生の領域に入れようとする。お医者様は死の領域に入れようとする。それで一方では、要するに生きのいい、生きのいいという言葉を実際に使うお医者さんがいるんですけれども、生きのいい臓器が欲しいとおっしゃるんですね、心臓ということを言うとき。生きている臓器が欲しいから、その持ち主を死体にしちやっと言っているに等しいんじゃないかなという印象を受けたわけなんです。  そうしますと、医のモラルというのは一体何なのかなと頭が少し混乱するんですが、ここでおっしゃる医のモラルというのは一体どのようなものなんでしょうか。
  146. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 私の個人的な見解をちょっと述べさせていただきたいんですが、脳死体というのは、先生おっしゃられますように、皮膚も温かいし血色もいい。その状態から臓器摘出するに当たりまして、この方はまだ生きておられると。生きておられるということで、またその姿を見れば、確かに皮膚も温かいし血色もいい。非常に抵抗があります。率直に言って、感情的な話ですけれども非常に抵抗があります。その姿が現代の医学技術がもたらした新しい死の姿、部分的な生と言っても私はいいと思っておりますけれども、そういう状態だからこそ実は臓器摘出するということが許されるんだと私はむしろ思っています。生きていると考えれば、臓器摘出するということに対しては大変抵抗があります。  どういうモラルなのかというお話になりますと、医者のモラルというのは、やはり生命に対しての尊厳を大事にするということだと思います。生命をできるだけ長らえさせるために最大の努力をするというのが私は医師のモラルの一番の根本的な部分だというふうに思います。であるからには、生きている状態からその生を断ち切るような臓器摘出をするようなことは到底受け入れることはできない、そのように考えております。
  147. 大森礼子

    ○大森礼子君 だけれども、この中山案の御主張は、脳死というものは広く社会的合意があるんだ、死体だ、死体でいいんだと。医学上も死だし、社会上も死だと。今そういうふうに現に思っておられるわけですね。その状況というのは変わらないと思うんです。また、素人さんと違いまして専門家ですから、素人がどう見ようともやっぱり客観的な状況というのがあるわけです。  それで、その脳死状態、これはだれが見ても同じなわけですよ。お医者様の側は生き返らないということをもって死体に、中山案の側も死体だと見るわけですから、むしろそれに入れるというのは抵抗が少ないんじゃないかなというふうに思うんですけれども、そんなことはないんですか。
  148. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 先生の御指摘を十分理解いたしておりませんが、その方が抵抗が少ないということは決してないというふうに私は思いますけれども
  149. 大森礼子

    ○大森礼子君 多分ここは対立するんだろうと思います。よろしいですか、今両方に分かれております。死と見られない人もいるわけです。猪熊案の側に立つ人、脳死状態の人を見てこれは死んでいると見えない人から見れば、こういう状態法律で一挙に一律に死体と決めてしまおうという考え方の方が、何か人のモラルに反するんじゃないかと考えている人もいるということを御理解いただきたいと思います。  それから、医のモラルにつきましては、例えば細かく言いますと脳死移植の問題、これは脳死状態から腎移植をするという、これも大分前かなり問題になったことがあります。これはまだ死体とされていない状態ですから、脳死状態から腎臓を摘出すれば、少なくとも心臓死を早めるという言い方もできるのではないか。それは何らかの刑法に触れるというふうに思うんです。それから、US腎ですか、腎臓ネットワークを通さずしてアメリカから腎臓を輸入したということもございます。それからまた、前回言いましたけれども法律を待たずしても脳死状態から臓器移植をしようと移植学会はしたというふうにありますね。こういうふうに考えますと、医のモラルというのを正面から持ち出されると私たちは非常に混乱するということなんです。  それから、次は条文に入りますけれども中山案の六条の「死体(脳死体を含む。)」というのは、全体死の一%と言われる脳死全部を含むことになるんでしょうか。
  150. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 全体死の一%と言われておりますのは……
  151. 大森礼子

    ○大森礼子君 いわゆる脳死者。
  152. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 現実に死亡される場合に、脳死というものを経て亡くなられる方が統計的には一%だということだろうと思います。
  153. 大森礼子

    ○大森礼子君 じゃ、それも一%という数字じゃなくてもいいんですよ。心臓死と脳死と分かれた場合、脳死が大体一%だろうと言われるから言っただけのことなのでありまして、要するに脳死によって死んでいかれる人というのか、つまりドナーを予定していない脳死者の方も全部含んだ規定でしょうかという御質問です。
  154. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 御指摘のありました第六条につきまして若干御説明いたしますと、本法案の中心的な規定でございますが、これは脳死は人の死であるという社会的合意を前提といたしまして、脳死である人の死体からの臓器摘出についてその要件を定めたものであり、一般的に人の死を定義するような性質のものではございません。  第六条の第一項は、死亡した者が臓器提供の意思を書面により表示している場合で、遺族が拒まないときまたは遺族がないときに当該死体から移植術に使用されるために臓器摘出することができる旨規定してあるのであり、その際、摘出の対象となる死体に脳死体が含まれることを解釈に誤解が生じないように確認的に規定しているものでございます。  第六条第二項、第三項は、第一項で摘出の対象となる脳死体について、その判定に関する事項を規定しているものでございます。もっとも、脳死判定は、臓器提供を予定しない場合についても家族の同意が得られれば行われるものでもございますが、臓器提供とは関係のない一般的な脳死判定については、第六条第二項、第三項の内容となっている一般的に認められた医学的知見であるいわゆる竹内基準によって判定されるわけでございますけれども、それを義務づけるような事柄のものではない。
  155. 大森礼子

    ○大森礼子君 だから、質問は、六条の「医師は、死亡した者が」の「死亡」の中にいわゆる脳死者も含むのかどうか。それから、六条一項のところの「死体(脳死体を含む。)」の中に、臓器のドナーではなくてほかの脳死者も解釈上含まれるのかどうかを聞いているんです。イエス、ノーで結構なんです。
  156. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 含まれると思います。
  157. 大森礼子

    ○大森礼子君 含まれるとしますと、じゃドナーとならない人の脳死判定手続、これはこの法律によって規定されておりますか。
  158. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 脳死判定の手続は竹内基準に基づいて行われるものと考えております。
  159. 大森礼子

    ○大森礼子君 私の質問は、この法律規定されておりますかということなんです。つまりドナーを予定していない、臓器摘出を予定していない脳死者の人も、その判定基準が竹内基準だということをこの法律規定していますか。あるいは、言いかえれば六条三項の規定、これは臓器摘出を予定していない人の脳死にも当てはまるんですかという質問です。
  160. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 本法案は、臓器移植の手続と移植医療の適正な実施に資するために必要な事項について定めたものでございまして、臓器移植とかかわりのない事柄を規定することは適当ではないと考えております。
  161. 大森礼子

    ○大森礼子君 一方で脳死社会的にはもう認められていると、確認規定だと。だから、脳死は死として扱われているわけですよ。そうしたら、臓器に関係しない人の脳死、これを認定する判定基準が決まっていないということがあり得るんでしょうか。  死というのは、例えば民法一条三項では「私権ノ享有ハ出生二始マル」と、こうあります。生まれたときから権利の享有主体となる、これは平等に扱われなくてはいけない強行規定です。死についても平等に同じように扱われることが、たとえ基準心臓死と脳死と二つになろうが、それとの基準ではきちっと決められて、画一的でそして不平等であってはいけないんです。  今の御説明でしたら、あなた方は臓器移植のことだけしか問題にないから、それでほかの脳死者の人も一般に脳死だと引き込んでおいて、その判定基準をきちっと決めてないじゃありませんか。ここにこの中山案の矛盾があるのではございませんかと申し上げて、あとお答えを受けて質問を終わります。
  162. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) 一般に脳死判定というのは医学界の中におけるコンセンサスによって行われるものと考えております。  私どもが、第六条第二項、第三項におきまして、竹内基準に基づいて脳死判定を行うというふうにしてありますのは医学界におけるコンセンサスに基づいたものである、そのように考えております。
  163. 大森礼子

    ○大森礼子君 済みません、もう一問だけ。  結局、死というのは全社会に、生も死も公の秩序に関する規定なんですよ。医学界だけの問題ではない。それを医学界のコンセンサスですべてを決めようという、そこに私はこの法案のおかしさがあると思います。  今、要するに臓器提供を予定していない人だったら、脳死判定基準がどれによるかも法律できちっと決まっていない。ばらばらにやれる。人によって死亡時刻もまちまちじゃございませんか。こんないいかげんな死の決め方があっていいのかどうか。そして、そんないいかげんな扱い方しかできないものが、社会の中において脳死は人の死と扱われているとは私は思いません。
  164. 福島豊

    衆議院議員(福島豊君) いいかげんだというお話でございますが、医学的なコンセンサスとしての脳死判定基準というのは極めて私は明確なものであるというふうに思いますし、医学的な合意というのもなされている。そしてまた、先ほど申し上げませんでしたが、その医学的な判断に対しての社会的な評価、合意というものも踏まえた上でなされるものであると考えております。  この臓器摘出の対象となる脳死体についての脳死判定基準は、六条第二項、第三項で明確に定めておりまして、臓器移植法としてはこれで十分なものであると私どもは考えております。
  165. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 社会民主党・護憲連合の照屋寛徳でございます。  中山案猪熊案、両法案発議者皆さん、長時間大変御苦労さまでございます。また、厚生省を初め関係省庁の皆さんにも、御苦労さまと申し上げたいと思います。  一昨日、当委員会日本医科大学の救命救急センターを視察させていただきました。私も視察に参加をする機会がございまして、救命救急センター脳死が迫っている患者、いわゆる切迫脳死状態にあられる患者さんだとかあるいはまた脳死判定を既に下された患者さんに接する機会を得ました。同時に、担当の各お医者さんから、それらの患者さんに対する熱心な救命治療の現状などについても説明を受けたところでございます。  それらの視察の経験、感想ども踏まえながら再度質問をさせていただくわけでありますが、きょうは最初に厚生省に対する質問をやりたいというふうに思っております。  既に文書で数点にわたって通告をしてございます。通告の順序に従って質問を申し上げますが、当委員会臓器移植に関する両法案審議する過程で、国民医療に対する根強い不信感、要するに中山先生が強調しておられました医療関係者の倫理観との関係、これは非常に重要だろうと私も思います。  そこで、厚生省にお伺いをするわけですが、現在許されているあるいは行われている範囲での臓器移植をめぐる医療訴訟現状はどうなっているのか。特に摘出承諾していない臓器が、家族や本人同意を得ないであるいは十分な説明をなされないままにそれらの臓器摘出をされた、こういうふうな紛争も起こっているやにいろいろな文献に書いてあるわけでありますが、今申し上げました事例、厚生省が掌握しておるのは何件ぐらいあるのか、また差し支えなければその具体的な紛争、訴訟内容をお教えいただきたいというふうに思います。
  166. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) お答えいたします。  筑波大学や大阪大学などにおける事案など、臓器摘出に関して告発または訴訟に至っている事例があることは承知をいたしておりますが、具体的に何件くらい告発または訴訟に至っているかについては、厚生省としては直接の当事者でありませんので把握をいたしておりません。  報道等によりますと、例えば昭和六十年の筑波大学における膵腎同時移植については担当医師殺人罪告発されております。また、平成二年の大阪大学における腎臓摘出の際の人工呼吸器取り外しについて、担当医師殺人罪告発されているものも承知をいたしておるところでございます。  その他の件については具体的に承知をしていない、件数も存じ上げないということでございます。
  167. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 今、筑波大学と大阪大学の事例は厚生省は掌握しておられる、こういうことでございました。その他は知らないということでありますが、この筑波大学と大阪大学の事例に限って厚生省が掌握をする、知るようになった端緒というのはどういうことなんでしょうか。
  168. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) これについては、先ほど申しましたように、報道等で承知をしたという段階でございまして、具体的に細かく承知しているわけではございません。
  169. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 今お答えいただいた筑波大と大阪大の二件の事例については「脳死臓器移植による人権侵害監視委員会弁護士グループが厚生省に公開質問をしたというふうな報道もありましたけれども、そういうことで厚生省が直接知るようになったというふうなケースではございませんか。
  170. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 残念ながら、それは承知しておりません。
  171. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 ともあれ、結論はまだ得られていないわけでありますが、提供を承諾していない臓器摘出をめぐって殺人罪告発をされるようなケースがあるということは重大な事態としてしっかり受けとめていかなければならないだろうというふうに考えております。  次に、川口章東海大学心臓血管移植外科助教授が、ことし四月二十六日の毎日新聞に、心臓移植でしか助からないと言われた心筋症患者の八割が当面移植が必要ない状態に回復をしている、その回復をしているというのはバチスタ手術による回復だと。このバチスタ手術というのはブラジルのバチスタというお医者さんが考案されたもののようでございますが、私もその報道でしか内容を知らないわけで、世界で五百例それから日本でも民間病院で多数実施をされたと川口助教授が語っております。すなわち、臓器移植というのはあくまでも過渡期の治療方法なんだということを川口助教授はおっしゃりたいんだろうと思います。  厚生省、日本の民間病院でも既に実施をされ成果が得られているというんでしょうか、バチスタ手術について、その内容あるいは実施例などどのように掌握をしておられるか、お教え願いたいと思います。
  172. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 従来、心臓移植手術の適用があると言われます拡張型心筋症に対する治療法といたしまして、拡張した左心室の壁を一部切除いたしまして、そして左心室の容積を小さくし、血液を送り出す力を高めるために行われている、いわゆるバチスタ手術についての評価のお尋ねでございますが、アメリカにおいて実際に心臓移植を行っていた日本医師によりますと、心臓移植を行うまでの橋渡しとしての意義はあるが、移植にかわるものとの期待にはこたえられないものかもしれないというのが一般的であると、このように我々は聞いておるところでございます。  なお、現在アメリカにおきましては、一時的にこの手術を中止いたしまして成績等の再評価を行っている施設が多いと聞いておりまして、今後の研究の成果を見守っていく必要があると、このように思っております。  いずれにいたしましても、心臓移植というのはいただく心臓自体もなかなか少ないということから、人工臓器にするとかまたは別の治療法にかわることがあるのかということの研究は絶えずやっていって、臓器移植でなくていけるような方法があればそっちを目指すというのは当然のことだと思っております。
  173. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 五月二十六日の当委員会で橋本委員が法務省に質問をしておりました。それは脳死状態の女性の出産問題でございます。橋本委員質問に対して法務省の説明員は、脳死後出産というような事態があるのかどうかということについて十分承知していない、こういう答弁でございました。  ところが、先日、日本医科大学へ私ども視察をしたときに、医科大学の方ではそのような事例があるんだというふうな説明を私どもにしておりました。また、同大学では、脳死判定基準症例から妊娠二十二週以降または胎児の推定体重五百グラム以上の妊婦を除外する、こういう基準日本医科大学では設けてあるというふうなことでございました。恐らくこれは今申し上げたように脳死後出産ということを想定し、また現にあったということでありますから、そういう対応をしておるんだろうというふうに思います。  どうも脳死を人の死というふうに法律で定めた場合に、少ない事例かもしれませんが、脳死状態から出産をしたということになりますと、いわば死んだ人が子供を産んだということになるわけですね。五月二十六日の委員会で橋本委員から、その場合戸籍はどうなるんだということについても明確な答弁が得られなかったわけで、脳死後出産ということがある以上、素朴な感情として脳死を人の死と認めていいのかなというふうに思わざるを得ないわけであります。  こう考えるのはどうやら私一人ではなくて、ドイツでも一九九二年に交通事故で脳死状態になった主婦をめぐって、脳死状態でも出産し得ることが国民に大変大きなショックを与えて、そのことが法律家や哲学者から脳死を人の死とすることに疑問が出る契機になった、こういうふうなことを書物で見たわけであります。  厚生省、どうなんでしょうか。脳死状態の女性が子供を出産したという事例が日本であるんじゃないでしょうか。その場合に、法務省に私は通告をしておりませんが、まず事例があるかどうか、そのことと脳死を人の死とすることについてどういうふうに考えたらいいのか、お教え願いたい。
  174. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 国内におきまして脳死ではないかと思われる患者からの出産は二例承知をいたしております。しかし、これらの症例に関しまして、出産前に正式な脳死判定は行われていないと承知をいたしております。それは当然のことだろうと思います。無呼吸テストというのをやって脳死となるわけですから、実際に妊娠をしているという状態にあればやっぱり無呼吸テストをやるということは実際上としても行われないのではないかということで、脳死判定は行われていないと承知をしております。  一つは一九八三年の症例、もう一例は一九九一年の症例でございます。これでよろしゅうございましょうか。
  175. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 わかりました。今、正式な脳死判定、国内での二例でやっていなかったということでございましたが、無事赤ちゃんが元気に生まれたんですか。
  176. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) それでは、もう少し詳しく申し上げます。  一九八三年の例では、妊娠三十四週の二十六歳の症例でございまして、この事例はクモ膜下出血、そして髄膜炎を併発されまして、対光無反射、痛覚無反射、脳波平たんとなりまして、臨床的症状とあわせて脳死と診断されました。竹内基準に基づくものではありません。そして、七時間後に経膣出産をしたものであります。胎児がお元気で生まれたかどうかについてはちょっとわかりません。  それからもう一例は、一九九一年でございますが、妊娠二十一週の二十八歳の女性でございまして、この事例もクモ膜下出血で脳死が疑われる状態になりましたが、事前に妊娠が確認されていたため正式な脳死判定は実施せず、家族の意向に沿って母胎の循環の維持を図ったが、妊娠二十八週で胎児に徐脈が出現したため帝王切開にて出産をしたとあります。その後、母親に対して無呼吸テストを含む正式な脳死判定を実施し、脳死判定されたものでございます。生まれられた赤ちゃんについての予後はわかりません。
  177. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 よくわかりました。  脳死移植を既に実施している国でも立法との関係ではいろんな形態があるようでございまして、一つは脳死を人の死と定める法律をしっかりつくってあるスウェーデンやイタリアやデンマークなどのケース、あるいはまた移植に関する法律はあるが死の定義そのものは法律ではなくして政令などで規定をするというフランスやノルウェーなどの例、また三番目には臓器移植法がなく死の定義判定医師会など専門家に任せるというドイツのような事例があるようでございます。  厚生省にお教えいただきたいのは、脳死を人の死と法律で定めないで移植が行われている国々での臓器移植現状と、どのような今日的問題点が起こっているのか、知り得る範囲でお教え願いたいと思います。
  178. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 脳死を人の死とする法律規定をなしでやっている国は、先生お話しになりましたように、タイ、インド、ニュージーランド、イギリス、アイルランド、ドイツ、オーストリア、オランダ、ベルギーと、それからアメリカ合衆国のうちの十一州が実は法律では規定をしていなくて、脳死によりまして臓器移植が行われているということでございます。  これらについては、ただいま先生がおっしゃったように、医学界の方の御判断によって脳死判定が行われ、それを社会の方が受容されてお認めになっているという形で定着しているものと思いますが、特にこれらのところにおいて問題があるという報告は承知をいたしておりません。
  179. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 中山案猪熊案両案が参議院に参りまして、本特別委員会審議が始まりますと、私ども特別委員会委員のところにもいろんな団体から中山案を早期に通してもらいたいとか、あるいはそれはだめだとか、両案ともだめだとか、さまざまな意見が寄せられてくるわけであります。  その中にあって、他者の死を必要とする移植治療というのはもともと異端の医学であって、脳死移植の安易な公認はすべきでない。国は、いわば政府はということでしょうが、人工臓器の開発だとか、あるいは内科的、外科的医療技術の発展など人間と調和できる技術の支援に力を注ぐべきである、こういうふうな意見を寄せてこられる患者団体なんかもあるわけであります。  人工臓器などの開発あるいは人間と調和できる技術支援ということについて、厚生省はどのように受けとめておられるのか、また現にどういうふうな対応、施策をなさっておるのか、具体的でわかりやすいように説明いただければありがたいなというふうに思っております。
  180. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 先ほども少し申し上げましたが、できれば移植医療に頼ることなく、人工臓器だとか、その他の治療法でもって患者さんを救えることができればこれにこしたことはないわけでありまして、それらの研究を一刻も早く進めることが重要だ、このように考えております。現に、人工心臓の開発ということでは私は日本世界のトップレベルにあるような状況ではないかなと、このように思っております。  国の方といたしましては、大阪に国立循環器病センターというナショナルセンターを設置して、そういうところを中心に、そこだけではございませんけれども、いろんな大学でもやられていますが、研究推進を図り、国立病院特会の研究費も流しておりますし、それから科学技術庁からのセンター・オブ・エクセレンスという研究費もいただいて、そこでいわゆる循環器関係の研究を一生懸命やっておるところでございます。我々としては、臓器移植だけの道ではない、もっと別の道を探すということで一生懸命やっておるところでございます。  ただ、現在の段階、医学の水準ではその他の療法に頼るということよりも、現実問題として臓器移植というのはそれなりの有用性を発揮し、そしてそれらの病気にかかっていらっしゃる人にとっては人工臓器の開発を待っておれない、したがって外国へ出かけてでも自分の命は長らえたい、そしてもっと一生懸命世の中で役に立つように努力をしたいとおっしゃっているわけでございまして、そういう意味の中でこの臓器移植の大切さというのがあろうかと、このように思っておるところでございます。  今の先生の御質問、ちょっと私どもの想定したのと違っておりますので細かい数字は申し上げられませんけれども、いずれにしても今の段階では臓器移植というのが必要ではないか、私はこのように思っておるところでございます。
  181. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 どうも厚生省ありがとうございました。私の厚生省に対する質問は終わらせていただきます。  それでは、中山案発議者の方に質問いたします。  前回臓器を提供することが可能な年齢についてどのように考えておられるかということについて、その根拠を含めて質問させていただきました。再質問になります。前回は五島先生お答えいただいたように記憶しておりますので、また先生からお答えいただけるかもしれませんが、前回は、臓器の提供に当たっては、臓器提供及び臓器移植に対する正しい知識と理解が前提であるということを踏まえた上で、民法上、遺言可能年齢十五歳を参考にして、法律の運用において目安を持ちたいという意思能力についての話もございました。  御答弁は御答弁でよく理解はできるのでありますが、私はこの大変大事な臓器を提供することについての意思の確認、あるいは意思能力があったのかなかったのかということに対する重要なことでございますので、法文の中に明定をした方がいいのではないかというふうに考えるわけでありますが、中山案提案者に、法文に明記することについてどういうふうに考えておられるか、質問をさせていただきます。
  182. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) この御質問、照屋先生御指摘のように前回においてもお答えさせていただきました。その内容については変わらないところでございます。  六歳以下の子供については、脳死判定の対象から外されております。また、それ以上の子供につきましても、いわゆる意思能力という点が非常に問題になり、そういう意味においては遺言可能年齢十五歳という点を一つの参考として今後検討される必要があるものだろうというふうに考えているところでございます。  そういうことも含めまして、現状において意思能力の有効性を年齢により画一的に判断するということは極めて困難であるところから、法律規定することについては適当でないのではないかというふうに考えた次第でございます。
  183. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 猪熊案発議者にも前回同じ内容質問をさせていただきました。前回は竹村先生から御答弁いただきまして、脳死状態及び臓器摘出意味承諾の効果を認識理解する能力を有することを要します、ただ猪熊案発議者としては現時点においてはこの点に関する結論を出すに至っておりませんと、こういうふうなことでございました。  先ほど中山案提案者にも御質問申し上げましたように、例えばオランダでは臓器提供の意思確認を明確にした臓器提供法が昨年五月に上院で可決、成立したようでございますが、十八歳以上の全国民を対象にした提供意思の登録制度を始める、こういうふうな内容のようでございます。  猪熊案発議者にお伺いをいたしますが、私はやはりオランダの法案のように臓器を提供する意思能力を有している年齢というのはきちっと法文に明記をした方がいいのではないか、こういうふうに考えますが、いかがなものでございましょうか。
  184. 竹村泰子

    委員以外の議員(竹村泰子君) この前もお答えさせていただきましたが、先ほどからお答えしておりますとおり、まず臓器を提供する意思表示の問題がございます。  次に、脳死判定をしなければならないわけですけれども、先ごろ、五月のある新聞報道にも厚生省が検討を始めたというふうな報道がございました。そのことにつきましては厚生省からお答えいただけばいいと思いますけれども、竹内基準が採用されました一九八五年でも、子供の脳は障害に対する抵抗力が強くて機能を失っても回復する可能性がある。判断基準作成のもとになった症例に子供の数が非常に少ない、五・二%というふうに上げられておりまして、脳死判定から六歳未満の子供を除外している。  厚生省の研究班が設置されるとすれば、十分に症例を検討して慎重に論議を重ねることが必要だと思いますし、私ども法案に具体的に明示しなかったことは、このようなまだ検討の途中にあり、非常に重要な問題であると考えますので、年齢を提示するときではないと考えたからでございます。
  185. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 中山案発議者の方にお伺いいたします。  前回質問通告はいたしておりましたが時間がなくて質問できなかった事項で、提供を承諾していない臓器摘出を防止する具体的な方策は一体あるんだろうかということに対する疑問でございます。  先ほども厚生省の方から答弁をいただきましたように、現在我が国においても、提供を承諾していない臓器摘出をされたということでの医療紛争あるいはまた殺人罪で告訴をされるというふうな事案もあるようでございます。移植医療現場の人権に対する配慮というのは、私はこれはもう十二分に尽くされるべきであるというふうに考えるわけであります。  患者をしてまるで材料のように扱って、同意も説明もされていない臓器保存技術を施行したり、あるいは同意しない血管を摘出したり勝手に利用する目的で保存したりする、このような患者やその家族の尊厳を踏みにじるような行為医療現場であってはならないと思います。  そこでお伺いいたしますが、これら提供を承諾していない臓器摘出を防止するような方策が具体的にあるのかどうなのか、それは専ら当該医師の倫理にまっしかないのか、そこら辺、中山案発議者の方の御意見をちょうだいしたいと思います。
  186. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 本案では、臓器移植に関する基本的な理念として、先生御指摘のように、本人の意思、そして遺族の意思というものが重視されるわけでございます。したがいまして、先生が今御指摘のように、万一承諾のない臓器摘出されたというようなことがあるとするならば、死体損壊罪との関係が問題になってくるというふうに思っております。  また、それだけではなく、万が一にもそのようなことがあってはならないため、この法案においてはこれらに関する記録の作成、保存の義務が規定されており、この記録を閲覧することによって実情を確かめることができるようにしているところでございます。  また、その事実が万一存在した場合、移植ネットワークは個々の移植事例について評価を行い、そしてその事実がはっきりされた場合には、当該摘出にかかわった施設に対しては以後臓器の配分を行わない、すなわちそれらの医療機関においては以後移植という医療は行えないという厳正な措置がとられることになっているものと承知しているところでございます。
  187. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 同様の質問猪熊案発議者にも行いたいと思いますが、「脳死臓器移植による人権侵害監視委員会というのを弁護士グループが組織をしておりまして、この監視委員会が指摘をする事案の中でも、大阪大学の医学部附属病院救急部の処置、これは脳死の確定以前に救命治療を打ち切って、そして臓器保存技術を家族に無断で施行したと、こういうようなおおむね内容の事案、それからその他の大学の附属病院の救急センターでも承諾をしていない血管が摘出をされたということで同人権侵害監視委員会弁護士グループが厚生省に公開質問を求めたりしているわけであります。  先ほど申し上げましたように、患者や家族の人権、尊厳を踏みにじるような事態があってはならない、提供を承諾しない臓器摘出を防止する具体的な方策について猪熊案発議者の方々はどのように考えておられるのか、お聞かせ願いたいと思います。
  188. 大脇雅子

    大脇雅子君 そのような承諾のない臓器摘出ということはあってはならないことだと考えております。そのような状況のもとでの臓器摘出違法性阻却しないということで、状況によっては殺人罪というものが検討されなければならなくなる可能性があります。  しかし、我々はそのためにこそ調査、確認義務を設けているということでありまして、医療現場でそのようなことが起きないためにはさらに施設と体制の整備、それから臓器移植審査委員会の設置など、そうした人権侵害が起きないような体制を組む必要があると思います。さらには、医学界の自己管理、自主的なチェック、そういうチーム体制の整備によるそうした相互チェックというものが必要であると考えております。
  189. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 引き続き猪熊案発議者にお伺いをいたします。  猪熊案法案第五条四項で脳死状態判定に二人以上の医師の判断の一致を明文化いたしております。これは中山案猪熊案の非常に重要な相違点ではないかなというふうに考えておるわけでありますが、この猪熊案の五条四項で二人以上の医師の判断の一致ということを明文化した理由、立法意思について詳しく御説明いただきたいと思います。
  190. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) この条項は、いわゆる中山案においては、一口に言って、前項の判定は厚生省令で定めるところによると、こういう規定になっておるわけです。  しかし、中山案の場合はもとよりのこと、私たちの案の場合においても、この脳死判定によって中山案においては死人にされるし、私たちの案においても臓器摘出という重大な局面を迎えることになる、こういう観点から、すべてを省令に任せるということでいいんだろうかということをいろいろ検討しまして、判定する医師についても法律事項としてきちんと書いておくべきだということ。その場合に、一人の専門的知見を有する医師だけでなくして、少なくとも二人の専門的知見を有する医師判定が必要だと、しかもその判定は二人の判断の一致が必要だと、片方がどうもおかしいとか、片方がいいけれども片方はどうだとか、こんなことじゃ困るということ。そういう意味法律事項にきちんと書くべきであるということ。二人以上の専門的な医師の一致した判断、しかもこの医師については摘出もしくは移植に全く無関係な医師に限ると、こういうことを規定したわけなんです。  もう少し申し上げれば、脳死判定をする医師の資格を、資格というか判定する医師のことについてのみ法律事項にするほかに、判定基準等についても法律事項にするべきではないかと、こうも考えたんですが、ただ判定事項を法律条文に書くとえらい難しいし、ごちよごちよしてくるし、法文の体裁としての問題もあったり、それから時間的な関係もありまして書きませんでしたけれども、私の個人的な考えは、これによって生き死にが決まるような重大なことを厚生省令にすとんとお任せするわけにはいかぬ、国民生命そのものをどうこうするというものを厚生大臣の出す行政命令である厚生省令に一任してしまうというわけにはいかないということで、この条項を記載したわけです。  以上です。
  191. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 よくわかりました。  次に、中山案発議者質問をさせていただきます。  先ほど申し上げましたように、私ども委員会日本医科大学の救命救急センターを視察した際に、切迫脳死の患者さん、あるいはもう既に脳死判定をされた患者さんにじかに接することがございました。そのときに思いましたのは、脳死による臓器移植を成功させようとすれば、切迫脳死の段階で救命治療を打ち切って移植の準備に入らなければならないという要請と、それから切迫脳死が現に救命治療が尽くされているという事実との間に矛盾、衝突が生じておるのではないかと率直に思いました。  そこでお伺いするのでありますが、脳死を人の死と定めますと、脳死直前、いわゆる切迫脳死の患者が移植臓器の生着率、成功率を上げるために救命治療が放棄される危険性があるのではないか、このような危惧、指摘に対して中山案発議者の方々はその対処策を含めてどのようにお考えになっているか、お聞かせください。
  192. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 救急救命医療移植医療というのは医療の機能としてはお互いに相対立するものだろうというふうに私は考えております。  救急救命医療は、その患者の命を救うために持てる知識と技能すべてを最大限利用していく、そして臨死限界点ぎりぎりまで救急救命に努力をする、これが救急救命医療の役割でございます。そして、不幸にして脳死というポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまったという状態、言いかえれば、救急救命医療の敗北という状態においてこの移植医療というものが検討されるわけでございまして、この機能は全く御指摘のような形に、例えば救命医療が放棄されて移植医療が行われるということはあってはならないし、あるはずがないと思います。このあるはずがないということについての御疑念であるかと思うわけでございますが、先ほどの厚生省からの指摘も含めましてそのことの一つの大きな担保といいますか、これは同一の医療機関の中において救急救命患者からドナーを提供してもらい、同じ医療機関の中において移植をさせる、そういうことをした場合そのような疑念が残るだろう。そういう意味で、移植ネットワークにおいて全国的にその患者に対して最もふさわしい重症度別に点数化し、スコア化し、そしてそのことによって最も必要とされる方にその臓器を提供するという形でこの臓器の使用をするという方向に決められているところでございます。  また、脳死判定移植と全く関係のない医師二人によって行われるということでございますので、先生が御懸念になられますように、救命治療が放棄されて移植の生着率を上げる、そういうふうな危険性というものはないものというふうに考えております。
  193. 千葉景子

    千葉景子君 中山案提案者皆さん、そしてまた猪熊案提案者の皆様、それぞれのお立場から案をまとめていただき、そしてこのような議論の場を提供いただいておりますことに本当に感謝を申し上げ、大変お疲れさまですと申し上げたいと思います。  きょうは、冒頭、ちょっと私も気になっておりますので、問題提起といいましょうかさせておいていただきたいと思うんですけれども、先ほどからもお話が出ております。お聞きするところによりますと、今それぞれ審議をさせていただいております中山案そして猪熊案、それにさらに何か修正が加わるというような話を私も耳にさせていただいているところでございます。  内容が提案をされておりませんので、必ずしも詳細にはわかりませんけれども、こういう案ではないかということで多少聞いているところから考えると、本当に単なる修正というふうに受けとめていいのかどうか、やはり新たな対案的な要素も含まれているのではないだろうか、そんな気がいたします。  手続上は修正案というのは、普通、審議が終局をいたしまして、そこで提起をされるということになるようではございますけれども、事の性格上、あるいはその修正と言われる内容、そういうことによっては大変重要な問題ではないだろうか。こういう問題は、何か国会の会期末が近いから云々とか、あるいは政治的な思惑のようなもので議論すべき課題ではございません。そういう意味では、でき得る限り、もし新しいこういう考え方はどうだろうかという案があるのであれば、そういう皆さんに御提案をいただいて、そしてまたそれをもとにしたよりよい議論をさせていただくというのが参議院の役割でもないだろうかというふうに思います。  そういう意味で、今後どういう手続を踏まれるのか、あるいはどういう時点で修正案というものが出されるのか、あるいは出されないのか、私は承知をしておりませんけれども、もしそういうことで何か案が出るというようなことがあれば、それについてまた改めてきちっとした議論ができる、そういう場をぜひとも確保していただきますように、これはどなたに申し上げるということではないんですけれども、この委員会とすれば委員長であろうかというふうに思いますので、ぜひその点については御配慮をいただくように、まず冒頭、お願いを申し上げておきたいというふうに思っております。  さて、きょうは質問の通告をさせていただいておりますけれども、ちょっとその前に、私なりにきようの御議論あるいはこれまでの御議論を踏まえて、頭の整理といいましょうか、それも含めて、私の立場も表明をさせていただいた上で質問をさせていただきたい。その方がわかりやすいのではないか、そういう気がいたします。  実は、この審議でよく言われるのは、生きている人から臓器摘出するのではないか、あるいは片方はもう死んだ方から臓器摘出をするのだ、こういう対立が何かあるような気がしてなりません。対立があるというよりは、そういうふうに見えてしまう議論になっている、こういう感じがするわけです。  ただ、よくよく考えてみますと、実際には、一つはこういう問題であろうと思うんです。脳死、死と言ってしまうので余計わからないかと思いますので、むしろその事実をそのまま表現をさせていただきますと、脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止、こういうふうに言うのでしょうか、長くなるのでなかなか言いにくいんですけれども、そういう状況から一定の要件のもと臓器摘出して、そして移植をする。こういう問題を認めるか否か、是認するかどうかという問題が一つあるというふうに思います。  これについては、中山案提案者皆さんもそれから猪熊案提案者皆さんもいろいろな要件をそれぞれお備えいただいておりますけれども、今の現状、例えば限りなくこれが死に近づいている、そういう状況があるとか、あるいは医学的な技術の進歩、あるいは移植技術の向上、こういうことも含め、あるいはそれが一人一人の自己決定に基づいて提供される、こういう幾つかの要件を踏まえた上で認めていこうではないかということにおいては共通なのではないかというふうに思うんです。  そういう意味では事実は一つなんでございまして、生きている者からとか死んでいる者からとかいう表現だと何か二つ対立しているようですけれども、先ほど申し上げましたような脳死状態というふうに表現させていただければ、そういう者からの移植というものを認めようということではどちらも同じである。そして、医療に携わる人にとってみれば、そういう状況の人を目の前にして直面をした課題になるということでは共通なのではないだろうかというふうに思います。ただ、そういう状態をどう評価するか、法的にどう評価するかということで確かに違いがございます。  中山案の方では、それを一定の、すべてではないにしてもそういうことを認めた者についてはそれを人の死という形できちっと整理をしようということをお考えというふうに受けとめますし、それから猪熊案の方は、それについてはお触れにならないというんでしょうか、それをやること自体は違法行為ではない、正当な行為だということで法的評価をされるということではないかというふうに思います。  そういう整理で私は一応頭を整理させていただいておるんですけれども、ちょっとその点について、この前提が誤っておりますと議論がかみ合わないことになりますので、初歩的な問題で大変恐縮でございますけれども、それぞれの提案者、通告はいたしておりませんけれども、ほぼ私の整理というので誤りでないかどうか。それから、それについてもし何が御指摘、御発言しておいていただくべきことがございましたら、ちょっとお願いをしたいと思います。
  194. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) おおむね千葉先生の御指摘のように私どもも考えております。  すなわち、脳死というのは脳幹を含む全脳の不可逆的な機能の停止でございまして、他の臓器と違いまして脳というのは再生の困難な臓器でございます。また心臓であれば現在の医学の進歩の中において、このポンプ機能というのは早晩機械に置きかえることも可能でございますが、しかし脳をその他の機械に置きかえて維持できるという状況にはあり得ないわけでございます。  そういう意味において、脳死によるポイント・オブ・ノーリターンを超えた状態を私どもは死と考え、そしてそうした脳死体からの臓器を御本人、御遺族の了解のもとに新たな生の維持のために使わせていただくというのがこの法案の趣旨でございます。
  195. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 今、千葉先生がおっしゃられたように、私の方も全く同じにそう考えております。  先ほどもちょっと申し上げましたように、私たちの方で生者と言い、中山案において脳死者イコール死者と言い、現に摘出さるべき対象としてここにおられる方は寸分違わない同一の人間だと、ここのところを物すごく私は申し上げたいんです。それを、片方が生きている、片方が死んでいるという表現の違い、表現の違いというと言葉が軽くなって申しわけありません、法的評価の違いだけだと私は思います。
  196. 千葉景子

    千葉景子君 私も今のそれぞれの法に対する趣旨というのは明らかであろうかというふうに思います。  私自身は、やはり人の死というものが非常に個人的な側面もあり、あるいは宗教的な側面もあり、非常にそれぞれの生き方、死に方にもかかわる、そういう問題であろうというふうに思っております。  そういう意味では、この脳死状態の人からの臓器移植ということについては厳格な要件で認める立場ではございますけれども、それを法的に死というふうに評価をしてしまう、あるいは規定してしまうということにはいささか違和感を持つものでございます。そういう意味では、立場としては猪熊案とほぼ同じくしているというふうに考えてもよいかなというふうに思っているところでございます。  それを前提にさせていただいて質問した方がよろしいかというふうに思っております。  ただ、この法案というのは、今申し上げましたように、片方では人の生き方とか死に方とかあるいはいろいろな倫理観、宗教観などにもかかわることですから、一面非常に割り切りにくい内容、それぞれの思いというものが込められる法律になりがちでございます。  しかし反面、大変冷静な判断をしませんと事を誤るという、非常に私は率直に言って大変悩ましいというか難しい問題だなということを感じておりまして、悩んでいる者が質問させていただくというのも大変恐縮ですけれども、逆に、その悩みをともに分かち合っていただければというような気持ちで質問させていただいているところでございます。  そこで、まずお尋ねをさせていただきたいと思います。  中山案提案者の方にお尋ねをいたします。  脳死をもって人の死とするということについては社会的な合意が形成をされているということがほぼ基本におありのように私は受けとめておりますが、これは、ちょうど平成七年六月十三日の衆議院の厚生委員会で柳田邦男参考人が述べられていることを参照させていただきながら、ちょっと私も疑問という女本当にそういうふうに割り切れるのだろうかという気がするんです。  そこでは、脳死というのは死のプロセスの最初の段階にすぎず、言うならば、死が始まっているけれどもまだ完結はしていない、そういう状態ではないか。死というのはだんだん死んでいく、あるいはプロセスとして最終段階を迎えるというものではないか、こういう意見表明をされているようでございますけれども、私もなるほど、こういうのが確かに自然の人間としての感覚かな、こういう感じがいたしております。  中山案提案者の皆様、こういう率直な感覚というのはどう受けとめておられるでしょうか。
  197. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 死をプロセスとしてとらえるという御意見でございます。  この御意見には二つの側面があるのだろう。すなわち死の受容という側面からのプロセスのお話と、もう一つはより生理学的、医学的な側面からのプロセスという両者があってのお話だというふうに考えます。  御遺族の感情としては、これは十分にプロセスの問題というのは理解できるものでございますが、医学的には死は客観的なものであり、また法的にも多元性は認められないものだろうというふうに思っております。  今、先生が死の始まりとおっしゃいました。まさに生を維持するための努力がもう不可能であり、そこから先は復活であり、生の創造でしかないような医学の行動に移る段階は死だろうと私思っております。そして、死のプロセスというものを医学の側面から、例えば現在の死体腎移植というのはやられておりますが、当然、心停止の後に腎臓は取り出され生着いたします。組織としての人体の一部分は、その段階においてもまだそういう表現を使うとするならば生の領域にありますから、これは他の人体に生着するわけでございます。しかし、取り出された人としては、その段階においては完全に死であることについての疑いはありません。  まさに脳死の場合におきましても、そういう死というものを先生は死の始まりとおっしゃいました。その死の始まりということが死に至る前との間の決定的なところであり、そういうものとして脳死というものが存在するというふうに考えております。
  198. 千葉景子

    千葉景子君 医学的にそういうものだろうかなというのは私もわからないではないんですけれども、事、死というのがやっぱり医学領域だけの判断で本当に法的に決められてしまっていいのだろうかというのが多くの方の率直な気持ちでもあるのではないかというふうに私は思うんです。  そういう意味で、脳死状態というのが現実には限りなく本当にもう決して戻らない状況に入った段階だという医学的な見地というのは、確かに現状ではそういうことだろうというふうに思うんですけれども、ただ法的に死というものを位置づけるときに、本当にそれだけで足りるものだろうかということに多少私は疑問を感じているところでございます。  そうすると、同じような質問といいますか考え方になってしまうのかもしれませんけれども、やはり同じような指摘で、人の死を考えるときに一人称の死、二人称の死、三人称の死というか、自分はどう生きるか、どう死ぬかという問題。それから、近親者あるいは愛している者、そういう者がどういう死に方をするか、あるいはそれに対して近親の者がどういうかかわり合いをするか、こういう問題もあるのではないか。それから、三人称の死というのはそれ以外、これはドクターなどもそういう立場になるのかもしれませんけれども、それぞれのかかわり方あるいは受けとめ方、こういうことが指摘もされております。  これも医学的見地ということとは異なるかと思いますけれども、やはりこれを社会的な合意として法的に死として規定をするということになるとすれば、こういう問題も決して避けて通れない、あるいは心にとめておかなければいけない問題ではないかと思うんです。  これも大変恐縮ですが、中山案提案者の方、いかがでしょうか。
  199. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 先生の御指摘でございますが、死というものの客観性というものが医学的な診断、判断というものを抜きにして存在しないということは明らかだろう、客観的なものだというふうに思います。  でありながらも、脳死の問題ということを考えた場合に、個々の人の倫理観や死生観といったような問題と密接にかかわる問題でございます。そういう意味では、基本的には個々の人の死の受けとめ方というものがどういうものかというふうなこと、あるいは社会全体がそれをどう受けとめるかということは極めて重要であるというふうに考えております。  そうした意味におきまして、今、先生のおっしゃった表現を使いますと、一人称つまり本人に対してはドナーカードの普及啓発というようなことを通じて、また脳死あるいは臓器移植ということについての理解を深めていただく努力をいたし、また家族などの二人称の方に対しては、脳死を受け入れることに対してちゅうちょする人への配慮としての脳死後の措置やそうしたものについても規定する。さらに、三人称すなわち客観的な死の判定としては、脳死判定要件や記録の保存を厳格に規定して脳死判定が信頼を得られるようにするという方法でこの問題に対処しているところでございます。
  200. 千葉景子

    千葉景子君 ただ、そういうものが積み重なって、社会的にみんながこれはもう人が亡くなったと認識できるのであれば、逆に言えば脳死は人の死であるということを改めて規定するということは要らないのではないか。逆に、やっぱり今は社会的なあるいはそれぞれのコンセンサスというのがなかなかまだそこまで至っていないからこそ、脳死は死であるということを法的に規定せざるを得ないということになるんじゃないかという感じもいたします。  これについては論争いたしておる時間もありませんので、私のちょっと感想を述べさせていただきました。ただ、この議論というのは、そういうことも含めてぜひ中身のある議論にしてまいりたいというふうに思っております。そこで、ちょっと一つお聞きをしておきたいんです。  これがひょっとして修正案と言われるものの内容に近いのかなと、漏れお聞きすることからは感じるんですけれども脳死状態はまだ死んでいないが死につつある状態と見て、患者が自己決定による選択によって脳死を死と認めて臓器を提供するという場合には、その限りでその人の死を認定する、そういう考え方もある、そういう考え方に立つ方もいるというふうに私もいろいろな資料などを拝見して聞いているところでございます。  これは、本人の自己決定があればそれを尊重して、その限りだけで脳死を死と認めようということのようでございますけれども、これにはそれぞれ批判の声もあるようでございます。この考え方、これが修正案かどうかは私は定かではありませんからわかりませんけれども、もしこういう考え方があるとすれば、中山案提案者の方、それから猪熊案提案者の方、それぞれこういう考え方についてはどういう見解をお持ちでしょうか。
  201. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 先ほどから繰り返しておりますように、脳死ということについては、千葉議員が今おまとめいただきましたように、ポイント・オブ・ノーリターンを超えた状態ということで存在しているということについて、猪熊先生もそれについては御異議がないようでございます。そうしますと、同じ状態を一方我々は死の状態と考えておりますし、死んでいないということであれば生を維持するという医療に課せられた任務が存在する状態とお考えになっている、その違いが違いなんだろうと思います。  しかし、一方において、死というものは基本的に客観的なものであり、したがって、その死の状態本人なり家族が任意的にどちらかを選ぶという内容であるとするならば、脳死臨調にも、人の死というものは本来客観的事実であるべきその概念にはなじみにくい、社会規範としての死の概念としては不適当という指摘もございます。そういう意味においては、本人がそれを選択するということについてはいかがかと思うわけでございます。  その一方におきまして、現状において、今この時点で脳死に達したということについての診断技術があるわけではございません。基本的には脳死に既に到達していたというその確認技術があるわけでございまして、その確認技術の、具体的には竹内基準の中には、万一脳死に到達していなかった場合、一定の侵襲性のおそれのある無呼吸テストというものを伴ってまいります。そういう医療の処置というものに対してはインフォームド・コンセントが必要であり、結果において、臓器移植を希望されない方については脳死の診断が終結しない場合が当然あり得る。そういう意味において、我々も家族なり御本人の意思というものがその部分において結果的に反映されることはあり得ると考えているところでございます。  いずれにいたしましても、この問題については本院での御議論を十分に見守ってまいりたいというふうに考えております。
  202. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 部分的なあるいは個別的な脳死説というようなものに対する見解はどうかということなんですが、その前にちょっと私たちの今の法案立場を申し上げれば、私たちは、個人の生命の尊厳というものは憲法原理の中でも中核的な原理であるという前提に立って、このことから逆に個人の自己の生命に対する決定権も最大限に尊重されるべきである、こういう立場に立って法案をつくっているつもりでございます。  この法案でどのような意味で当人の自己決定が完結されているかといえば、まず判定において、確定されている脳死判定基準による脳死判定を私は受け入れますという意思を表明していること、そして脳死状態判定されたときは、自分がこの臓器は結構です、提供しますといった、臓器を提供する意思が表明されていることをその自己決定の内容としております。  その場合に、脳死状態になったときに私の臓器を提供しますという意思と、脳死状態判定されたときに私の死でよろしいです、それを私の死としますというふうな意思決定は、私たち法案では別に記載していません、また記載する必要もないと思います。ですから、脳死状態に陥って私の臓器を提供しますという意思の表明、それは死の概念とは何も関係ないものとして私たちは考えています。ですから、そのままで生者なんだということを考えております。  ところで、先生が今おっしゃったような、言葉が適当かどうかは別として、個別的脳死説というものについて見解はどうかとおっしゃられれば、これは発議者全体じゃなくて私の個人的な見解ですけれども、個別的脳死説といった場合にも、結局死の二つの概念が出てくるんじゃなかろうかということの疑念が一つ。個別的脳死というのは法律で決めることなのか、それとも本人がそういうことを受忍したから個別的な脳死とするのか、その辺はよく検討してみなきゃならないと思います。  本人がそんな気持ちはないのに、臓器提供の意思を書面に表示したというだけで、それで私は脳死を私個人の死として受け入れますというところまで読み込んでしまうのか。そうじゃなくて、そういうふうな表示があり、かつ脳死状態を私に限っての死であって結構ですという本人の自己決定に基づくのか、その辺も究明されなきゃなりません。  仮に自己決定に基づく個別的脳死ということで、他のいろんな要件を満たし、臓器移植という極限的場面にだけ限定し、そして本人の自己決定に基づく個別的脳死ということならば、私たち法案と全くかけ離れているというものではないんだろうと、こう考えます。
  203. 千葉景子

    千葉景子君 それぞれ御見解を伺わせていただきましたが、何か今、正直言ってなかなかわからない部分もございました。  というのは、この考え方のよしあしてはなくて、中山案提案者の方から考えますと、脳死状態というのを、ノーリターンの状態で死というふうに基本的にお考えになるとすれば、個人の意思決定云々ということとは別に、やはり脳死状態というのはもう死であるということにつながっていくだろう。  そういう意味では、この第三の案といいましょうか、こういう考え方とはちょっと相入れないところがあるのかなという感じがいたしますし、それから猪熊案提案者の側もまた、確かに自己決定というところはありますけれども、あくまでもそれを死と認定してしまうのか、あるいは死ということについてはあくまでもこれまでの心臓死を中心として考えていくということでは、やはりそこには違いがかなりあるのかなという感じもいたします。  もしこういう考え方というのがとり得るのであるとすれば、これも相当な議論の材料なんだろうなという感じがいたしております。これだけ、今二つの案を出していただいておりますけれども、それ以外にもこういう考え方があったり、さらに基本的に移植自体が疑問なんだという御意見もまだまだございますし、これは本当になかなか時間がかかる課題だなというふうに率直に思っております。  次にお聞きいたします。  脳死状態についての判定には竹内基準基準がそれぞれございますけれども脳死判定にまで一体どうやって至るのかというところが意外と不明確ではないかというふうに思うんです。どういうことをきっかけに脳死判定に至るのか、そこが私は率直に、医療関係の者でもありませんので、実際どういうときにこういうことになるのかなというのが正直言ってよくわからないところがございます。  それぞれの提案者では、脳死判定に至るきっかけといいますか契機をどういうふうに考えておられるのか、御答弁をお願いしたいと思います。
  204. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 脳死判定の着手時期につきましては、竹内基準の中に判定を行う前提条件として、器質的脳障害によって深昏睡及び無呼吸を来しており、そして原疾患が確実に診断されておって、それに対して行われるべき適切な処置をすべて尽くしても回復の可能性が全くないと判断される症例と規定されております。  具体的には、担当医のもとにおいてあらゆる手段を尽くした上において、竹内基準規定されております所見の中で無呼吸テスト以外のいわゆる脳幹死等々を見ていく所見というのは、これは一般観察でございます。深部反射の消失とか瞳孔散大等々ございますが、そういうふうな一般的に脳死と認められる臨床所見がすべてそろった段階において、無呼吸テストを含む竹内基準の検査を家族に対して脳死の疑いが強いという説得のもとで理解を得て行うということが脳死に入っていくという時期だと思います。  したがいまして、無呼吸テストを行うまでもなく何らかの形においてその脳幹死の所見後にいささかでも疑義を来すような所見がある段階において、この脳死判定を行うということはあり得ないというふうに考えております。
  205. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) 途中までの答弁は全く一緒でありまして、きっかけというか流れの中で、臨床的に見てこれは脳死状態に陥ったのではないかと十分に疑われる状態になって、そこで初めて本当にそうなのかどうか、正式に脳死判定あるいは脳死状態判定をしようかどうか、こういうことになるだろうと思います。  ただ、私たちの場合は、そのときに、当然本人臓器提供の意思表示の書面があることを確認し、さらにそのことを家族に説明し、承諾を求め、そういう要件が整ったときに初めて正式な、あるいは厳密な脳死状態判定を行うということでありまして、臨床的な流れの中でそういう脳死状態を疑わざるを得ない状態になったときというのが一つのポイント、きっかけであろうというふうに思います。  その上で、さらにつけ加えますと、その脳死状態判定をより的確にあるいは厳密に行うために、あえて法律上、必要な知識及び経験を有する医師で、しかも移植術を行うこととなる医師を除く二名以上の医師の判断の一致ということを定めたわけであります。
  206. 千葉景子

    千葉景子君 そこで、次にお尋ねをするんですけれども、きょうは法務省にも来ていただいておりましょうか。  今、法律の中で、死とか死亡という用語が使われているのは、私も自分で数えたわけではないので大変申しわけございませんが、それを弁護士会などで調査したようでございますが、法律の数では六百三十三、法律条項でいうと四千五百五十三、これほどの数の規定があるようでございます。そして、死や死亡というのが法律上の権利義務の発生にかかわっているという規定もございます。  ところで、これを全部一つ一つどうかとやっていましたら大変なことなんですけれども、例えば相続のような問題を考えてみますと、民法上相続は死亡によって発生をすることは規定されておりますけれども、死というのは何ぞやということが書かれているわけではないわけです。そうすると、例えば脳死を人の死と法的に認めるということになりますと、例えば相続というのは、その開始において二種類というんでしょうか、脳死で死亡したことによる相続と、それからこれまでの基準でほぼ社会的に通念になっております心臓死とまとめて申し上げますけれども、それを基本にした相続の開始と、一つの死によって相続を開始するというけれども、事実としてはこの二種類のような発生形態が生ずるということになるんでしょうか。
  207. 揖斐潔

    説明員(揖斐潔君) 脳死を人の死とするということによってどのような問題が生じてくるのかというお尋ねであろうかと思いますが、議員の方からも今御指摘がございましたように、民事法上、人の死というものを定義した法令というのは存在しないところでございます。  したがいまして、人の死というものの概念あるいは意義というものにつきましては、医学的知見というものを基礎といたしまして、社会通念によって定まるべきものと考えられているところでございます。そういたしまして、また社会通念に応じて死の意義が定まっていくということ自体につきましては変更がないと考えられるところでございます。したがいまして、法令の手続に従いました脳死というものの判定によって人の死を判定するということになりますと、相続など民事上の分野におきましても、これに応じて同様に解されていくということになろうかと思うところでございます。
  208. 千葉景子

    千葉景子君 ということは、こういうことだと思うんですね。一人の死については二つの相続が発生するわけはありませんね。ただ、ある人の相続は脳死状態の死によって発生をし、ある人の相続は心臓死という死亡によって発生をすると。そうすると、こういうケースはほとんどないんだろうなとは思うんですけれども、同時死亡のような規定などには影響などはないでしょうか。ちょっと、もし解説がいただければ。
  209. 揖斐潔

    説明員(揖斐潔君) 今御指摘のように、同時死亡というような場合に問題とならないかという御指摘でございましたが、例えば心臓死の場合でも、同じような同時死亡が問題となり得る場合、あるいはそれがならない場合というような問題は生じてこようかと思います。そういう意味では、今の、例えば脳死といった場合と、心臓死といったものが問題となる場合というものも同じような問題になろうかと思うところでございます。
  210. 千葉景子

    千葉景子君 これはいずれ何か図解でもしないと、なかなか言葉だけではわからないところがありますけれども、ちょっとそれをさらなる問題にいたしまして警察庁にもお尋ねをしておきたいんですけれども、この脳死ということを人の死ともし認定するということになりますと、例えば交通事故の現場等で混乱が起きやしないか。  というのは、これも実際にはそんなにおかしなことにはならないと思うんですけれども、できるだけ早く臓器移植に寄与しようという力と、やっぱりそうじゃないと、従来の治療を中心にというような力がせめぎ合ったり、あるいは検視の問題などで混乱を生じたり、そういう懸念などはございませんでしょうか。
  211. 大和田優

    説明員(大和田優君) 警察におきましては、現在、心臓の停止を中心に考えます三徴候説による死の判定後に検視等の死体に対する警察活動を行っております。  脳死が人の死であることを前提とした臓器移植法案が成立、施行された場合、犯罪捜査に関し、脳死体に対しても検視、実況見分などの警察活動が行われることとなりますが、検視等の方法そのものには大きな変化はないものと考えております。  また、現在審議中のいずれの臓器移植法案におきましても、犯罪捜査に関する手続が終了した後でなければ臓器摘出してはならない旨の規定が置かれており、医療機関から捜査機関への連絡などが適切に行われれば、捜査活動に支障を生ずることはないと考えております。  警察におきましても、脳死体に対する検視などを的確に実施できますよう、所要の体制を整備してまいる所存でございます。
  212. 千葉景子

    千葉景子君 時間になりましたので。
  213. 橋本敦

    ○橋本敦君 私は、きょうは主として脳死判定基準に関連をして質問させていただきたいと思っております。  果たして脳死判定によって判定された方が人の死であるかどうか、この社会的合意の形成がまだまだこれからの重要な課題だと思っておるわけですが、わけてもその脳死判定基準そのものが公正かつ厳密に、しかも、今日の医学の急速な進歩のもとで厳正に行われる必要があることは言うまでもありません。  そういったことを考えますと、両案とも、この脳死判定基準について厚生省の省令に任せておくということでいいのだろうかという疑問を払拭し切れないわけですね。先ほどもこの点について猪熊先生の方から、本来ならばこれは厚生省に任さずに、法規範としてあるいは要件を決めるという必要があるだろう、しかしなかなか面倒な部分というお話がございました。  この点について、面倒ではあるけれども、きちっと要件なり基準の基本なりを決めるという必要があったのではないかと私は依然として思うのですが、その点の御意見はいかがでしょうか。
  214. 猪熊重二

    委員以外の議員猪熊重二君) 先ほど私が、もし面倒なということを言ったとすればそれは非常に失言ですので、面倒じゃありません。  結局、私の個人的な見解を申し上げれば、先ほども申し上げましたように、人の生き死ににかかわることを厚生省令なんかに任せるわけにはいかないというのが基本的な立場です。ただし、脳死判定基準は、判定基準の各項目自体が非常に技術的、医学的な用語であって、だから法文にはなじまぬというわけじゃないんですが、そういう非常に専門的な医学的な用語であって、ちょっと法文に書き込むのにどうなのかなというような点。  それからもう一つは、この脳死判定基準が時に時代というか医学、科学技術の進歩によって変更するという可能性もある。それを法律事項にしておくのと省令にしておくのとの変更の手続の問題等も考えてみたら、省令でもやむを得ないのかなとか、そんなような点を考えました。  ただ、理念的には、この判定基準判定方法を法律事項にしないというのは余り適切ではないと、今でも私個人としては思っております。
  215. 橋本敦

    ○橋本敦君 猪熊案につきまして、判定基準は省令ということで、実際は竹内基準ということになる、これは中山案と同じですね。ただ、その竹内基準について、朝日先生からも御答弁があったんですが、できれば脳血流の停止あるいは聴性脳幹誘発反応の消失、補足的にこれを入れるということが望ましいというお話がございました。これは補足的に入れるべきだというお考えは今も変わりないわけですか。
  216. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) そのとおりです。変わっていません。
  217. 橋本敦

    ○橋本敦君 そこで、厚生省にお伺いいたしますが、厚生省は竹内基準ということでおやりになる。今、朝日先生から答弁があったこの二つの補足的な補充については、厚生省としては仮に猪熊案が通ればどうなさいますか。あるいは、中山案のままであればどうなさいますか。
  218. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 脳血流の停止それから聴性脳幹誘発反応等のいわゆる検査は、その客観性や記録性の保障という点から有意義であります。他方、竹内基準の必須検査以上の情報が得られない。旧竹内基準では必須項目がありまして、それにある情報と同じ情報の価値しかないという意味ですね、この二つにつきまして。そういうものが得られないことや信頼性に問題があるなどの理由から、竹内基準においては必須検査としては取り上げられなかったものと解釈をいたしております。  一方、脳死判定に対する安心感を強め、判定の結果をよりよく目に見えるようなものとするという見地からは、これらの検査の実施は意義があると考えております。特に、聴性脳幹反応については可能な限り実施されることが望ましいという考え方をしておりますが、今のところ必須項目として入れる考え方にはなっておりません。
  219. 橋本敦

    ○橋本敦君 お聞きのように必須項目に入らないわけですね。だから、そういう意味で、省令に任せると厚生省の判断ということで歩いていくわけですから、非常にこの問題については厳密な判定基準ということを本当に客観的に法規範化する上では問題があるわけですね。  特に、最近の医学の急速な進歩の中で、この竹内基準そのものが果たしてこのままでよいかどうかという問題が大きく提起をされてまいりました。それが、言うまでもありませんが、衆議院でも参考人としてお越しになりました日本大学の林教授が進めておられるところの脳低温療法の問題でございます。  その林教授のお書きになった「脳低温療法」という本の中での実例を拝見いたしますと、急性硬膜下血腫と重症頭部外傷患者二十例。そして、もう一つは全脳虚血患者十例。これについて全例が両側瞳孔散大、対光反射消失状態という状況で、これまでの治療では機能回復がほとんど期待できない症例ということでしたが、これをこの脳低温療法でおやりになりましたところが、まず最初の二十例中十四例、七〇%が機能回復をした。そのうち十三例は日常会話、思考に支障なく生活できるまで回復したという報告がございます。そしてまた、第二番目の問題については、心停止が十五ないし四十五分続いて瞳孔散大あるいは対光反射を消失した全脳虚血性患者であったけれども、その十例中四例までが救命をできた、いずれも知能障害、運動障害を残すことなく社会復帰した、こういう報告がなされているわけですね。  したがって、林教授は、こういった例を踏まえて、これまでの脳浮腫や頭蓋内圧高進を中心に管理してきた経験からでは予想しがたい治療成績が得られたということをおっしゃっています。これは一般的には医学界でも承認されている結果だと思いますが、厚生省もこれはお認めになりますね。
  220. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 脳低温療法についてはすばらしい治療法の一つだと思っています。
  221. 橋本敦

    ○橋本敦君 一つの考え方として、脳死状態という状態に入っていくという患者は確かにありますけれども、私は一つの倫理規範としては、そういう患者も現代医療の最高水準の治療を受ける、そういう権利が人間としてあるいは患者としてあるということがこれは基本でなきゃならぬと思うんですね。  そういう考え方から今日の現代の医学の発達ということとの考え方で見きわめていかなきゃならないのは、蘇生限界点が一体どうなるか、こういうことだと思うんです。この林教授の脳低温療法の進化によりまして、明らかにこれまで脳蘇生の不可逆点、ポイント・オブ・ノーリターンと言われていたこのポイントについてもこれはやっぱり延びていくという、そういう蘇生可能性ということが出てきているということに私は注目をする必要があると思うんですね。  この点について、蘇生限界のこういった変化ということと竹内基準との関係について、まだまだ私は研究しなきゃならないと思っておりますが、この治療法の進歩と蘇生限界の変化ということ、これに今本当に注目しなきゃならないという意識はこれはみんな共通だと思います。この点については、中山案の御提案者猪熊案の御提案者もそういう見解については、これは同様に反対ではないと思いますが、いかがでしょうか。
  222. 山口俊一

    衆議院議員(山口俊一君) 橋本先生おっしゃるとおり、脳低体温療法というのは確かにすばらしい成果を上げておられます。衆議院で参考人として林先生がお見えになったときも、そのようなお話をるるされておりました。  ただ、これは先ほど局長の方からも御答弁がありましたが、いわゆる脳死に至らないための治療であって、決して脳死いわゆるポイント・オブ・ノーリターンに至った方をこちら側へ引き戻すための治療じゃない。これは林先生御自身もそのようにおっしゃっておられるわけであります。  ですから、いわゆる脳死判定とは別に救急医療としてはぜがひともこれはもっともっと研究をし開発をし、どんどんやっていただかなければいけないというふうに考えますが、ただ、いわゆる脳死判定に関してはまたこれは別の問題であろうというふうに考えております。
  223. 朝日俊弘

    委員以外の議員(朝日俊弘君) 基本的には議員のおっしゃるとおりだというふうに思います。  ただ、今もお話がありましたが、私の理解では、脳低体温療法についてはかなり適用すべき症例も限度があるというふうに聞いておりますし、そういう意味で、しかも脳低体温療法が蘇生限界点そのものをぐっと動かしたというふうには今のところ私は理解しておりません。  その辺についてはそういう留保をしておきたいと思いますが、基本的なお考えはおっしゃるとおりだと思います。
  224. 橋本敦

    ○橋本敦君 若干の見解の相違点が出てきているわけですが、私も問題を指摘しておりますのは、すべての患者に脳低体温療法が適用されるとは言っていないんです。もしすべての患者に適用されるならば、竹内基準の一つの条件として、すべての患者に脳低体温療法をまず施すべきだというふうに基準づけるべきだと思います。しかしそうではない。しかし、この治療が可能である範囲の患者についてはこれはまたふえる可能性もあります。その患者については、いわゆる蘇生限界点問題というものを考慮に入れますとこの治療は非常に大事だと思うんです。  現に、林教授自身は、蘇生限界として瞳孔散大、対光反射消失あるいは脳幹電位が一時的に消失したり出現したり変動する重症度までは後遺症なしに回復させた臨床例があって、瞳孔散大、対光反射消失やこういった臨床症状は必ずしも植物状態になるとか回復不可能であるとの決定位置にならない。これらの蘇生限界は、現在ではないけれどもさらに治療法の進歩によって変わるものと思われる、こう言っておられるわけです。  ですから、この点については、衆議院で参考人として来られた柳田邦男さんも、この脳死の問題について、低体温療法がこれまで進んできたということを考えてきますと、脳死状態というものに対して今後医学の進歩があるとどういう蘇生の可能性があるかわからない、そのことをしっかりと踏まえていかないと人の死をみなし死にしてしまう、あるいは死の青田刈りになってしまうということを指摘されているのは私はもっともだと思うんです。  そこで、具体的に蘇生問題として入っていきたいんですが、いわゆる竹内基準判定によりまして六時間の経過を見るというこの問題でございます。  竹内教授の指摘によりますと、深い昏睡状況、それから自発的呼吸の停止、脳幹反射の消失、そして脳波の平たん性、そしてこのことが六時間経過をするということの判定が必要だと、こういうことでございますが、その六時間という問題についても当の竹内教授自身がどうおっしゃっているかといいますと、その六時間の間というのは蘇生の可能性がゼロではないという考えを持っておりますということをはっきりおっしゃっているわけです。確かにそうですね。  したがって、竹内教授は、その場合でもこのB点というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎると蘇生の可能性はゼロにはなりますけれども、この六時間というものも、それを見きわめるためには症例によっては六時間で足らない、もっと長く見なきゃならないという場合もあるということをおっしゃっておるんです。  厚生省は、この点は私は非常に慎重に受けとめるべきだと思いますが、どうですか。
  225. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 先生のおっしゃるとおりだと思います。
  226. 橋本敦

    ○橋本敦君 ですから、竹内基準そのものも現時点でも既に厳密に検討を要する課題を持っているわけですね。  それからもう一つは、無呼吸テストの問題があるわけであります。  この問題について林教授は、脳にはグリコーゲンを貯蔵する機能が低いために、酸素やグルコースが欠乏するとたちどころに脳細胞の機能障害を起こして死滅をする、こういう心配がある。そういうところから、医学的にこの無呼吸テストというこの判定については、林教授は参考人意見でも重大な疑問を呈せられました。  こう言っておられます。この判定法は、正確には脳の不可逆性といいますか、戻らない状態を正確に判断するために考え出されている。こういうことですが、救急医にとってはジレンマを感じる点が一つありますと。それは、自発呼吸の判定をするために無呼吸テストというのが絶対条件になっているということです。この無呼吸テストをやりますと、酸素をたくさん供給しておいても、血中の炭酸ガス濃度がどんどん上がっていきますので、そういうような状況になっていきますと、途中で不整脈や血圧の低下を招いて、その無呼吸テストによって脳蘇生の可能性を断ち切ってしまうのではないかという、こういう葛藤をみずからぬぐい切れないんだと、こうおっしゃっているわけですね。  だから、そういう意味では、この無呼吸テストが蘇生限界を縮めてしまうという危険性がありますよということをおっしゃっているわけで、この問題についてももう少し形を変えた方が、やめろとはおっしゃっていません、形を変えた方がいいのではないかと、こういう指摘をなさっておるんですね。  この点について厚生省はしっかり検討を深めてもらいたいと思いますが、どうですか。
  227. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 竹内基準につきましては、皆さん御案内の平成四年の脳死臨調答申の際にも見直しをいたしました。それから、その後、厚生省が設置をいたしました臓器提供手続に関するワーキンググループ、平成六年でございますが、この際にも見直しをいたしました。それから、つい最近も、ちょうど一年ぐらい前になりましょうか、竹内基準が適正かどうかということの見直しをいたしております。  そういう意味では、林先生の御意見もあったことは承知をいたしておりますけれども、私ども絶えず見直しということはやっていく。見直しというんですかね、検証していくということは大切なことですけれども、私どもはこれまで三回もきちっと竹内基準が出てからやっているところでございまして、科学者、専門家がいろいろ集まってディスカッションした結果として、現時点、竹内基準で結構ですというふうに了解をしているところであります。
  228. 橋本敦

    ○橋本敦君 簡単に結構ですと了解するというところに私は本当に信頼性の点で問題があると指摘しているんです。  現に、八五年に竹内基準ができたときには、脳の血管血流を判定する方法も装置もなかったというんです。これは科学的事実です。だから、加賀乙彦医師も、その当時はなかったけれども、しかし、今はMRIという方法もある。そうすることによって無呼吸テストをやらなければならない必然性はなくなっているという、そういう言い方もされているわけですよ。  それからさらに、衆議院の厚生委員会へお越しになった竹内教授自身も、  脳波学会基準をつくりました当時と厚生省基  準をつくりました当時で大きな違いは、CTと  いう装置が広く使われたという、殊に日本はC  Tの普及率が非常に高くて、全国津々浦々で重  症脳障害の患者さんの検査に使われておる。し  たがいまして、器質性の脳障害をCTによって  確認するということがぜひ必要であるというこ  とが我々の基準にもうたわれておりますと、こうおっしゃっておりますね。だから、CTなりMRIなり、こういった医学の機材やテストの方法の発達によって、無呼吸テストを必ずしもやらなければならないわけではない。もしやって、蘇生限界を引き戻すようなことがあっては大変だという指摘は、なお今後とも私は真剣に厚生省として検討していただくことを切に希望しますが、もう一遍答えてください。
  229. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 今、先生からのおただしもありましたし、ほかの委員先生からも大変御心配をいただいておるところでございまして、厚生省がこの法案ができて省令を出すに当たりましては、再度、もう一遍検証してみたいと、そう思います。
  230. 橋本敦

    ○橋本敦君 各種の大学の倫理委員会もございますが、各種の大学の倫理委員会でもこの脳死判定基準として、六時間じゃなくて二十四時間を採用しようということをやっている大学もありますね。  先ほど局長は、同僚委員質問に対して、平成五年度の実態調査で、脳死判定をした大学あるいは医学部の中で竹内基準によっているものが五六・三%だとおっしゃいました。この竹内基準によらないで、ほかはどういう基準によってやっているんですか。
  231. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 先ほど申し上げた数字は、竹内基準によっているところの数字のパーセントを申し上げたので、それ以外は、私どもで承知しているのは竹内基準プラスアルファの検査をやっていらっしゃるところが結構あるということでございます。
  232. 橋本敦

    ○橋本敦君 私もそう理解しておるんです。ですから、各種の大学での現在の脳死判定でも竹内基準プラスアルファのテストを補助的に入れて、それで判定されているわけでしょう。だから、したがって、この法案が通った場合に厚生省の政令で竹内基準によると、それだけで決めては、これはやっぱり今の医学の進歩の現状にも合わないし、実態に合わないということですよ。どうですか。
  233. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) いろいろ御意見をいただきまして、ありがとうございました。  それで、私どもとしてはこの法案が成立すれば、私どもの出す省令につきまして、それを出すに当たって再度検証してみたいと存じます。
  234. 橋本敦

    ○橋本敦君 竹内基準も重ねて検証するという、そういうことの御答弁がありましたから、ぜひやっていただきたいと思います。  そこで、さらに進んで言いますと、現在脳死判定基準がどうあるべきかという問題について、林教授は重要な指摘をされております。「脳死はこれまで、細胞レベルまで含んでいない概念でとらえられてきた歴史がありますが、脳の低体温療法の治療成績とか、その前進の結果を見ますと、やはり医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきたんだというふうに思うわけです。」と、こうおっしゃっているわけです。  これは非常に重要な指摘でありまして、脳幹を含む全脳の機能停止という、そのことだけではなくて、まさに器質死を含む脳の神経細胞レベルまでの状況をよく調べなければ、今日の進んだ時点において脳死判定を軽々しくやるということは言えない状態に入ってきているということの指摘だと思うんです。この点について厚生省はどう考えていますか。
  235. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 脳死につきましては、一般に脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止と定義をされておりまして、この考え方は世界的にも広く認められているところでございます。  実際問題といたしましても、脳死状態で病理学的検査を通じて細胞の状態をつぶさに観察するということはできるわけじゃありませんし、不可能でございます。脳細胞の死を臨床的に確認することは不可能と考えられます。また、心臓死においても、心停止という機能に着目しているのであって、心筋の細胞の段階まで死の確認を行っているわけではないということも御承知のとおりだと存じます。
  236. 橋本敦

    ○橋本敦君 私は今の答弁には納得できません。例えば、脳の器質死という問題について本当にこれが論ぜられてくるようになったのは最近なんですから。脳死臨調が出た八五年の時代にはなかった、医学の進歩と機材の発展の中で出てきたんです。だから、本当に真剣に考えていかなくちゃなりませんよね。  ですから、何度か見直したけれども器質死までは考えないと、こうおっしゃったけれども、脳を解明する医学の進歩には、今お話ししたように目覚ましいものがあるんです。器質死は直接調べられなくても、あなたがおっしゃるように調べるのは難しい、これは私もよく調べましたが、そうなっています。直接調べられなくても、脳の血流が停止しているか否かを調べる方法はいろいろある。酸素、グルコースの補給がなければ、間接的だけれども器質死と判断できるわけですから、それが行くかどうかということはやっぱり脳血流に関係しますからね。これの判定ということを含めて、今の後年発達した医学でやればそこまで厳密に検査ができる可能性が出てきている。八〇年代と九〇年代は違うんだと、こういう観点に立って本当に真剣に研究してみたらどうですか、厚生省。
  237. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 脳死判定に当たりましては、絶えず科学、医学というのは進歩していくことは承知をいたしております。  それで、先ほども申し上げましたように、この法律ができますれば、その関連の脳死判定の省令については再度検証してみましようということをきょう申し上げさせていただいたわけでございます。ただ、具体的に今の中身を私ども細かく全部検証しているわけではございませんので、今どこをどう直すかという話にはまだなりませんけれども、いずれにしても科学の進歩というものを無視して物を考えようなんということは考えておりませんので、そこは御理解をいただきたいと思う次第です。
  238. 橋本敦

    ○橋本敦君 おっしゃる方向は、私の願っている方向を踏まえておっしゃっていただいているのでそれは結構ですが、現在脳死判定をするということに課せられた課題として、具体的にこうやりますというそこまでの研究と、そして基準を今つくれていないわけですから、これからの課題として研究する、これを本当にやらなければ脳死が人の死であるという国民合意を進める上で、国民の信頼や社会通念を形成する上で重大な課題が残ったままになると私は思います。  そこで、林教授はこの問題にも触れて衆議院でおっしゃっているのは、もしも、「医学の進歩によりまして、現在の脳死状態判定でも万一助かる患者さんが出た場合は」、今は竹内基準で経過した後ではないと言うんですが、万一出た場合には、「その時代における医療で蘇生できないという条件から外れできますので」、つまり蘇生してくるわけだから外れてくる。「その時点で改めて脳死状態判定を見直す道を確立しておくべきだ」と、こうおっしゃっていますが、これは私は医の倫理として、また生命を尊重する医学のあり方として当然だと思うんですね。だから、そういう意味では脳死判定状態を見直す道を開いておく、こういうことについて厚生省は真剣にそのことは認識しておりますか。
  239. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 仮にも、省令で出した脳死判定によって亡くなられたとされた方が、また再度生き返られたというような事態があれば当然それは省令の見直しにつながると、そのように認識をいたしております。
  240. 橋本敦

    ○橋本敦君 局長は衆議院の厚生委員会でもこうおっしゃっていますね。「医学というのはまだ進歩する、どこで進歩がとまるなんという限界はだれも言明できないものであります。したがいまして、厚生省としても絶えず研究を重ねて、新しい脳死判定ができればまたそれについての判断、そのときの判断をしていこうと思っておりますが、」というようにおっしゃっていますね。だから、将来、そういうようなものだということを本当に踏まえて、脳死判定基準は今の竹内基準が絶対最高だという認識脳死判定をするという、もう八〇年代、九〇年代の発展を考えればそういう時代ではないということを改めて私は指摘して、竹内判定基準の見直し作業もともに進めていかなければ国民の期待と信頼にこたえられない、そういう状況に今医学の発達も進んでいるということを申し上げておきたいと思うんです。  それで、もう一つの問題は、この臓器移植の問題、そして人命救助、こういうことを考える上で、先ほどからも議論が出ておりましたけれども、私は二つあると思うんです。  一つは、人工臓器の普及と研究開発にさらに一段と努力をしていく必要があると思うんですね。この点はこの委員会でも論ぜられました。局長も衆議院でも答弁をされておりますが、我が国の人工臓器の開発研究というのは、非常に高い水準にあるというお話でございましたが、現在どういう時点にあるのか、今後の課題は何なのか、お話しいただけますか。
  241. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 今の心臓の方の研究でいきますと、短期間人間の心臓のかわりをする人工心臓まではできております。ところが、それが長期間ずっと人間の心臓のかわりとして機械が働くというところまでは至っていないということでございます。
  242. 橋本敦

    ○橋本敦君 その研究開発のために、厚生省としては研究機関への補助あるいは予算、人員の配置等、今後とも全力を挙げていただくことがひとつ大事だと思いますが、その点は方針として厚生省はお持ちですか。
  243. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 国民皆さんが御期待をされている科学技術の進歩というのはいろんな方面がございます。私どもの局でもほかの難病の患者さんも抱えている、いろんな方がいらっしゃいます。  そういう意味で、限られた財源の中で研究投資をしているわけでございまして、政府の中では研究費のむだな使い方があればそれは是正していくということは大変大切でありますけれども、研究費をどこへ使うかということについては、可能な限り研究費の枠の中でより有効な使い方を目指して今後とも頑張っていこうと、そのように思っています。
  244. 橋本敦

    ○橋本敦君 大蔵省主計官のような答弁しないで、積極的に予算をとって研究する、こう言わなきゃだめですよ、あなた。
  245. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 心臓の研究は、人工心臓とかほかの人工臓器を少しでも開発して臓器移植につながらずに治せるような努力をしたいと、それは先ほど申し上げたところでございます。
  246. 橋本敦

    ○橋本敦君 もう一つは、治療技術の進歩のために厚生省も医学界も奮闘していただくことですね。  これも先ほどありましたが、拡張性心筋症についての新しい手術が成功した例のお話がありました。これはお話によりますと、NHKの報道にもありましたけれども日本心臓移植を必要としている患者の七割がこの病気だそうですね。今この手術はアメリカで一時停止されているというお話もありましたが、現にこの手術が日本で四例成功しているということで、この研究をさらに続けるなど、今の臓器移植でなければ治癒できないという患者の皆さんの切実な気持ちはわかりますが、その治療技術そのものもこれも大いに研究開発、発展させていくという努力がもう一つ要るわけですね。  この点について、総合的に厚生省としてはこの点についても一段の努力をする必要があるということは私は当然と思いますが、いかがですか。
  247. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 人工臓器だけでなくて治療法の開発ということも当然重要な研究課題でございます。
  248. 橋本敦

    ○橋本敦君 私は、今の行革その他いろいろ健保の改悪ありますが、こういう人命を救助するという点では、患者の人命もそしてまた臓器移植を待っておられる人たちの人命も、まさに人間の生命を救うために国は予算を惜しんではならぬと思うんです。厚生省は本当にその立場を貫いて頑張ってもらいたいと思うんです。  私は軽々に、脳死判定が仮に厳密な判定じゃなくて移植を急ぐというそのことから判定が適正に行われないということになれば、それはまさに国家的にあるいは法的に人間の死を早めることになりますから、本当に大事だと思います。そのためにも、脳死が人の死であるということについての国民的な合意を形成する上で医療に対する信頼は本当に大事ですからこういうことをお話ししているわけであります。  法律脳死を人の死とするかどうかは私はまだまだ合意が得られていないと思うんですが、御存じの京大医学部の星野名誉教授、この方はバイオエシックスの国際的権威として知られておりまして、京大医学部の倫理委員会委員長までされた方ですが、「医療の倫理」という本の中でこうおっしゃっているのが私は非常に印象的なんです。   今から四十年ちょっと前に私が医師になった当時、臨床現場には脳死という現象はなかった。その後に脳死という現象が起こるようになったので、それまでは脳死について誰も知らなかったのである。すべての医療技術が科学技術の進歩向上につれて変わっていくように、死の判定の技術も医療技術の進歩によって変わらないとは誰もいえない。将来のことは誰も知らないのであるから。もし、脳死判定法が画期的に変わって、現在想像もできないような、簡便で誰にも判定結果が納得のいくような実用的な方法で脳死を診断できるようになれば、一般の人々の死についての考え方も変わっていくかもしれない。つまり、社会的、国民合意が進むと。  つまり、医学医療技術の変化によって、わが国の社会的な死生観、生命観も急速に大きく変わる可能性を誰も否定できないわけである。それゆえ、死の現象などについての法制化は好ましくないと考える。という趣旨のことをおっしゃっている。私はこれは本当に聞くべき大事な課題だと思うわけであります。  私はこの後こういう課題を踏まえて、これからの問題として全国的なネットワークや、あるいはコーディネートシステムの整備や、あるいは人命の軽重を貧富の差によってつけてはならぬという課題やいろんな問題を質問するつもりでおりましたが、私の質問時間が十七時二十九分までということでございますので、一分過ぎてしまいましたので次の機会にさせていただいて、質問を終わります。
  249. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 最初に、例によりまして三点ほど感想を述べさせていただきたいと思います。  第一は、前回質疑の際にさる同僚議員から、この法律は関係者の善意を前提としてつくられているように思うがそのように考えてよろしいか、こういう御質問に対しまして、提案者の方から、まさにそのとおりである、提供者の善意、家族の善意、あるいはまた医者の善意、そういう人たちのヒューマニズムに支えられて臓器移植を今後推進していきたい、その手がかりになる法律だという趣旨の御答弁があったように伺っております。  大変美しい言葉で結構なことだとは思いますけれども法律というものは少しくまた違うのではないかという気もいたすわけであります。世の中、善意の人だけでしたら法律は要らないわけでありまして、いろんな人がおるわけですから、紛争が起きる、それはもう防ぎようもない、その場合にどうするか。人々は法律に手がかりを求めますけれども法律はそれで何も書いていないと一体これは何だと、こういうことにもなりかねないわけです。  これから問題にしようと思いますけれども、家族のことをこの法律は何も範囲を指定していないわけでありますから、集まってきた人たちにどうかと聞いたら、皆結構ですよと言うので、家族の同意を得たと思っておりましたら、後から二人、三人出てきまして、おれたちは知らなかったと、よってもってこれは殺人だ、こういう話にもなりかねないわけであります。その辺を一体どう考えたらよろしいのか、これは大事な問題だろうと思います。それから、医者の善意もやはり前提にしておるようでありますけれども、お医者さんにもいろんな人がいるわけであって、百人おれば九十五人ぐらい立派なお医者さんだと思いますけれども、五人ぐらいは変な人がいる。国会議員にも一人、二大変な人がいるわけですから、必ずしも全員が全員立派ではないわけであります。そうして、利欲に駆られてこういうことをやる、あるいはまた功名心に駆られまして科学者としてどうしてもやってみたい、おれが一番乗りしたいということで、脳死判定を多少おろそかにして臓器移植に突入しちゃうということもないわけじゃないんですね。こういうことをどうやって防ごうか、この法律はこれで十分なんだろうかということも我々は考えていく必要があろうかと思います。  それからもう一つ大事なことは、我々は法律を今つくっているわけであって解釈をやっているわけじゃないんです。中山案の第六条のいつも問題になっております「死体(脳死体を含む。)」、これは法制局の解釈によると確認規定である、こう言っております。私はそうじゃない、創設規定だろうと思うんです。  この前、我々は日本医科大学に視察に行きまして、脳死の御婦人が生命維持装置につながれておりましたが、あれは我々の考えでは現在生きている人です。死体とは言いません。ところが、この法律が施行されると同時にあのお方は死体になるんでしょう、恐らく。これは確認か創設か、やっぱり創設だろうと思います。今まで生きていた人を死体とするんですから創設だろうと思います。確認ですよといったら、じゃいつから確認していたんだということにもなりかねないわけですからね。よってもって、我々は今法律をつくっている。ですから、確認か創設か争いがあればきちっと法律で書けばいい、それだけのことなんです。私は結論はどちらでもいいと思っているんです、本当は。  それから最後に、三点目は、けさほどの朝日の投書で、ごらんになった方も多かろうと思います。ちょっと要旨だけ読み上げてみますけれども、表題が「妻の”奇跡”で脳死に疑問が」と。こういうことで、一昨年妻を脳出血で亡くした、病院に運び込まれたらレントゲン写真判定によって脳幹部出血であることが判明した、担当医師からこれはもう脳死状態だと言われた。自分もあきらめて覚悟を決めておったけれども、三週間ぐらいたったころから少しずつ何かよくなってきたような気がして、一カ月後ごろには多少反応するようにもなってきた。この方は結局亡くなっておるんですけれども、別の病気で。そこでもって、自分は脳死に多大な疑問を持っておると。  私が思うには、恐らく脳死であることの判定のミスだろうと思うんですよ、最初の。しかし、そんなことは抜きにして、これは脳死だから臓器摘出しますよといって手術をしたら、一体どういうことになるのか。我々、もう少し慎重に、そういう事態のないようにあらかじめこの法律で対応を考えておくべきではなかろうかと、こう思うわけであります。そう簡単には物事進まないだろうと。  そこで、最初に中山案についてお尋ねいたします。  先ほども取り上げましたけれども、「死体(脳死体を含む。)」というこの言葉の解釈なんです。この前、私は説明の便宜で、本当は適切な例じゃないんですけれども、「人(猿を含む。)」という法律ができたとします、ある特殊な分野でね。後法は先法を排斥する、優位するということで、あらゆる法律で人と書いてあればそれは猿を含むことになるのかと。そんなことはないんです。特殊な分野だけなんです、猿を含んで解釈する、含むということは。それとこれと全く同じことなんで、今度は臓器移植という分野での法律ですから、これが一般にまで拡大していきまして、脳死は人の死だと、そういうふうに本当になるんだろうか。  刑法、民法は基本法でありまして、これには人の死について定義はしておりませんけれども、過去五十年、百年の間で、人の死は三徴候死によるということで確定した考え、解釈があるわけで、これはもう言うなれば慣習法だと言ってもいい、基本法であります。  先ほど後法は先法を排斥すると言いましたけれども、また法律の考えには、上位法と下位法という考えもあるように偉い法律は偉いんですよ。末端の偉くない法律が何か言葉を変えてみましても、偉い方の法律は全然びくともしないわけです。これは当たり前、基本法でありますから。  死についての刑事に関する基本的な考え方は刑法です。それから民事に関しては民法ですから、相続なんかはすべて従来の解釈どおりで私はいくんだろうと思います。いや、ここにこういう規定があるから、今後相続についてはすべて脳死も含むんだと言いましても、法律家はなかなか疑い深い人種ですから、はいとは言いません。  特に裁判官は、いやそんなことはない、我々は従来どおり三徴候説でいくんだ、こういう脳死と、聞いたこともないような法律で我々の伝統的な解釈が変わるとは夢思えないと、こう言うと思います。でも、注意深い裁判官は、じゃちょっと立法議事録を取り寄せてみようかと、こう言って取り寄せますと、何か知らぬけれども、今後はもう脳死が一般だということをしきりにおっしゃっておる。それならそれでそれらしい書き方をしてほしいと、解釈に疑義の生ずる余地のないように。  どう書くかといえば、基本的に人の死は今後は脳死も含むんだということを第一条か何かで、あるいはまた別な法律で人の死に関する基本法でもつくりまして、そういうことをうたいとげる。そうしましたら、さすが頑迷固陋な裁判官も従わざるを得ない、なるほど、これからはこれでいこうと。ただ、これだけのことで、条文の中でちょっと「死体一脳死体を含む。)」とつぶやいているぐらいで、従来の伝統的なあの考え方、解釈を変える力は私はないと思いますよ、率直に言いまして。  そういたしますと、何のことはない、自民党が今しきりに修正案を出そうとしているあれと同じことになるのか。要するに、臓器移植という限られた分野でだけ脳死は人の死だと、こういうことになる。相続あるいは死体損壊罪、伝統的な刑法の考え方は私はこれには影響されないと思いますよ。  先ほど法務省の若い官僚が、社会通念と維持基準によるんだと、何か要領を得ないようなことを言っておりましたけれども社会通念というのは、世の中の人たちの百人中九十九人までが脳死は人の死だと認めて初めて社会通念と言えるんですよ。今のところ五〇%を超えるか超えないかでありまして、こういう事態をとらえて社会通念という言葉は使えません、明らかに。  ですから、基本的にもう脳死臓器移植に関する法律の枠内で人の死と認める、それしかないんだろうと私は思います。自民党の修正案と結論において同じことになるのかなという気もしておりますけれども、ちょっとその点につきまして、簡単で結構ですけれども提案者のコメントをいただければと思います。
  250. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 本法案中山案ですけれども、あくまでも臓器移植にかかわる手続を定めたものでありますので、この法律によって新たに人の死を定義したりそういうことをするものではない。また、脳死につきましても……
  251. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 大丈夫ですか、確認規定で。
  252. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 確認規定だということです。
  253. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 二つの死を認めるの。
  254. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) ちょっと待ってください。ちゃんとお聞きください。  なお、委員御指摘の点につきましても、脳死臨調においても一応検討の対象になりました。そこでの結論は、先生が御指摘になられたような考え方は、本来客観的であるべき人の死の概念にはなじみにくく、法律関係を複雑かつ不安定にするものであり、社会規範としての死の概念としては不適当なものと考えられ、採用することには大きな問題があるとされたところであります。提出者としてもこれと同様の考え方に立っており、臓器移植に限って脳死は死とみなすという議員御指摘のお考えについては、今申し上げたように、脳死臨調が指摘した問題をどのように解決すべきかという難しい問題があると考えております。
  255. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 何か全然わからなくなったんですけれども。  私が言っているのは、臓器移植に関してだけ脳死を含む、それしかこの法案からいうと読めないんだと。相続についても刑法の死体損壊についても、従来の解釈を変えるだけの力がこの条項にはないということを言っておるわけです。脳死臨調がどうしたこうしたという問題じゃない。もっと簡単なもので、もしそれを否定して、これを一般的に刑法にも民法にも持ち込もう、こうお考えならば、それらしい規定の仕方をすべきであるということを言っている。おわかりですか。
  256. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 佐藤先生は、先ほど三徴候死はこの五十年間にわたって慣習法によって成立されてきたと。そうなりますと、先生は、今そこの立場で五十年間という慣習法の歴史によって自信を持って三徴候死であるとおっしゃっておるわけでございますが、もし三徴候死というものを、人の死というものが慣習法で定められるべきものだと先生が先ほどおっしゃったことによりますと、まさしくこの脳死は人の死かということもある程度、その慣習法のルールにのっとれば、ここ数年、三十年間の議論の上で積み重ねられてきたものだと考えております。
  257. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 ちょっと私の考えに誤解があるようなんです。五十年どころか百年もしかり、わかり切った話ですから、法律はその三徴候死を規定していないだけで。今のところはだれが見てもこれは死んだなということがわかるわけですから、法律規定するまでもなかったわけです。  今度はそれを規定したいわけでしょう。しかも脳死をもって大原則にしたいと。相続につきましても何につきましても、すべて脳死を原則にするんだということをどうもおっしゃりたいようなんですね。それならそれで規定の仕方があるだろうと。基本的に人の死を定義する、それには脳死を含むんだということをはっきり書いて、私のような誤解する者のないようにしてほしい、そういうことを私は言っているんです。
  258. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 私たち提出しておるのはあくまでも臓器移植法案という手続法でございますから、脳死を人の死と規定する法律ではございません。
  259. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 それではわかりました。  今の御意見を承りまして、それでいくということらしいですから、相続とか刑法とかにつきまして、それから先ほど警察の方が死体検視は今後脳死でいくんだということをちょっと言っていましたけれども、ああいうことももう従来どおりでいいということをはっきり宣明してください一そうしたら誤解は起きません。これ以上はもうすべて臓器移植の関係だけでいくんだということを宣明してください。お願いしますよ。
  260. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 私どもは、脳死臨調の答申において、脳死をもって人の死とすることについておおむね社会的に受容され合意されているという社会的合意を前提にして、あくまでも確認する規定として申し上げている法律でありまして、私ども法律が直接人の死を規定したり、また直接他の法律に影響を及ぼすものではありません。参考にはなりましても、直接影響を及ぼすものではありません。
  261. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 この問題は、そもそも脳死が人の死だというところから出発して、自民党の修正案も出てきているのではないでしょうか、あるいはまた先生の言うような案も出てきているのではないでしょうか。議論の出発点はここにあったように思うんですけれども、そうじゃないんでしょうか。はっきりさせてほしいと思います。  極めて簡単なことを私は言っているわけですから、難しいことを言っているわけじゃなくて。相続とかそういうことは全然別だ、これだけでいきたい、臓器移植の関係だけでいきたいと言えばそれでいいんですから、それをはっきり言ってください。
  262. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 私はあくまでも今私たちが出しておる法案についての御説明をしておるわけでございまして、その中で、ここで御審議いただいて修正案が出るであろうということは私も十分知っております。
  263. 山口俊一

    衆議院議員(山口俊一君) 私からも補足をしてお答えさせていただきたいと思います。  まず、先ほど佐藤先生は、いわゆる修正案云々というふうな前段のお話の中にそういったこともありましたので、それにもお答えすべきかというふうなことであのような答弁になったわけであります。いずれにしても、ただ御確認を賜りたいのは、この法律というのは臓器移植法案である、死の定義というものを前面に出した法律ではない、いわゆる確認規定として、そのために括弧ということでやらせていただいたというふうなことであります。  ただ、お話しのとおり、こうした規定を設けておりますので、恐らく他の法律にもいろいろ影響は行くであろう、そしてそれぞれその法律に関して合目的的にそれぞれがその場で御判断をなさるであろうと思っております。
  264. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 極めて大事なことですけれども、いずれにしろそういう理解でよろしいんですね。刑法は刑法、刑事訴訟法は刑事訴訟法、もう勝手にそれぞれ判断してほしいと。ですから、従来の解釈のとおりならそれはそれでよろしいと。これはとりあず臓器移植の関係だけだ。これがほかの法律に影響して、ほかの法律がそれを受け入れて脳死も含む、それはほかの法律の自由である、我々の関知したことではないと。そういう理解でよろしいんですね。  それならそれでこの議論終わります。
  265. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) さっき答弁がございましたように、これは移植医学を現実に日本で行おうというのが一番の目的でございます。しかしながら、脳死は人の死であるという、いろいろお話がございましたが、客観的事実、生物学的事実と申しますか、医学的事実と申しますか、やはり脳死というのは一つのきちっとした死の概念である。客観的な事実でございますから、それをこの脳死体ということに含んでいるわけでございます。  しかしながら、さっき言いました、アメリカでは死の統一法案がございます、またスウェーデンでもそういった法律があるというふうにお聞きをいたしておりますが、このことは一つの法律ではございましても、そのことは参考にはされるでしょうけれども、これは死を統一的にひとえに規定した法律ではないというふうに我々は認識をいたしております。  ただし、いろいろ法律で死というものが四千何項かあるという話がございましたね。これがやはり、脳死は人の死でございますから、一つの法律ができれば、科学的概念であると同時に社会的にもある程度受け入れられた概念でございます。御存じのように、脳死というのは大体百人に一人起こるわけでございますから、脳出血だとかあるいは交通事故によって脳部に外傷を受けた、そういったときには脳死ということが医学的概念、生物学的概念として起こるわけでございますから、そういったものをひとつ世の中の受け入れる側も認めていただきたい。  もう一回言いますけれども、統一的概念ではございませんから、死を全部変えてしまうというふうな法律ではございません。しかし、参考にはされるだろうというふうに我々は思っております。
  266. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 唯一の立法府である国会がつくる法律ですから、ほかの法律にどういう影響をするのか、相続法には及ぶとか、刑法には及ばないとか、刑事訴訟法には及ぶとか、そういうことぐらいは提案者として示してもらわないと国民も行政も迷ってしまうわけですよ。警察は一体どっちに従ったらいいんだろうかと、医学のことは何もわかりませんからね。警察検察庁もあるいはまた裁判所も一体どうすればいいんだということになりまして、幾ら立法時の記録を読み返してみてもよくわからない、一体これは何だということになってしまうわけですよ。やっぱり立法府として責任を持って、ここまで及ぶんだ、いやここは及ばないんだというけじめをつける必要があるんじゃないか、こういう気がいたします。  どうもこの議論を余りしておると私の持ち時間が幾らもなくなるわけで、もう結構であります。私の希望は希望として聞いていただきたいと思います。いずれにしろはっきりさせてほしい、こういうことであります。  それから次に、時間がなくなりましたが、遺族の範囲につきましてまことに不明確、これは遺族全員とは書いてないんですね。ですから、三人遺族がおるとそのうちの一人でもいいのか。三人のうち二人が反対、賛成の者だけ連れてきて、おまえさん判こ押しなさいよといってそれでオーケーなのか。規定上はそれでいいんだろうと思います。何か遺族同士で喪主を中心に話し合って解決してほしいということも言われているようですけれども、解決できなかった場合にどうなるかということが法律の問題なんですから、話し合いで解決できればそれはそれで結構なんですけれども、どうもその辺がよくわからない。遺族全体の同意を得るのかどうか。  それから、肝心かなめの遺族というと、普通は親、それから配偶者、子供、これと住んでいるわけです。親が同居していればまず遺族に入る、家族に入るんだろうけれども、じゃ町内に住んでいてしょっちゅう行ったり来たりしている親は遺族なのか、家族に入るのかどうか。それじゃ隣町はどうだ、外国にいる場合はどうだとか、ややっこしいことになってくるわけです。  角膜腎移植法は遺族という言葉を確かに使っております。この前も言いましたけれども、あれはもう死体ですから。三徴候で明らかに死んだ人から角膜だけをとるわけですから、皆さん余り抵抗はしないんです。ところが、今回はもう半分の人が脳死は死とは認めないと言っておるわけですから、どうしても家族の間でごたごたが起きる。配偶者や子供はもういいですよと言っているのに、遠くの町にいる親がすっ飛んできて、おれは頭が古いからこんなものは認めないと言って反対したら一体どうなるのか。その辺もきちっと立法の上で解決しておく責務があるのではなかろうか、こう思うんです。
  267. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 今、先生の御指摘の点はごもっともな御指摘だと思います。  原則として葬祭を主宰する者、これを中心に家族が協議するということが通常我々の社会では行われていることでございます。その範囲で合意が形成されるということを原則にとらえていくべきではなかろうか、私はこういうふうに考えております。
  268. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 また繰り返したくないんですけれども、従来のように、御臨終ですと、みんながこうやって手を合わせて拝む、そうしたら自然な形であなたが喪主になりなさいよと、こう自然に決まっていくんです。今度はもう目の前で、今までの考えでは半ば生きていた人につきましてどうしようかと。それはそう簡単に喪主なんか決まりません。明らかなことです。決まらなかったらどうなるのか。こういう問題もあります。  いずれにしろ、法律ですから、決まらないことを想定して対応を考えておくのが法律だということを強調しておきたいと思います。  それから、最後になりますけれども脳死判定をするお医者さんの数が一人だ二人だ、いや専門医だ、いろいろ言っておりますけれども、大事なことは公正な人、中立的な人、客観的な人を連れてきて診てもらう。そうしたら、あの先生が来たんだから大丈夫だなと世間も思うでしょう。ところが、同じ病院の科が違う先生が来てどうだと言ったら、同じ病院の医者で話し合いで、なれ合いでやっているんだな、こういうふうに世間は思うでしょう。  ですから、その辺の客観性、中立性、公正をどうやって担保するか。私の提案は、もう思い切って各都道府県に審査会をつくって、そこに十人ぐらいあるいは二十人ぐらいの専門医を置いておいて、その中の一人、二人が出かけていって主治医と相談して公平な判断をする。これなら世間も、ああ、あの先生が言ったんだからこれは大丈夫だろうな、問題ないだろうな、こういうことになるのではないかという気もいたしますけれども、いかがでございましょうか。
  269. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 脳死判定の専門医制度というものをどうするかという問題がその前にあろうかと思います。  この問題につきましては、先生からの御提言を、今後この法案審議され、さらに成立した過程におきまして以後も、各党それぞれ各国議員の間において協議をしなければならない問題と思います。また、厚生省も所管官庁として脳死判定医を都道府県で指定制にするのかどうか、研修してきた医師のいわゆる経歴をどの程度尊重してそういう認定をするのか、こういうことがこれからの協議事項になろうかと考えております。
  270. 佐藤道夫

    ○佐藤道夫君 終わります。
  271. 末広まきこ

    末広真樹子君 自由の会の末広真樹子でございます。皆様お疲れのところ、しばらくの間おつき合いいただきたいと思います。  初めに、臓器提供者が必要だからこの法律をつくるとか、あるいは医師の正当性を確保するために脳死を死とする規定を定めるとかというようなイメージが払拭されるような法案に成熟していくことを私は願っております。  ところが、今国会中に結論を出さなきゃいけないかのような唐突な変化と急激な審議日程が組まれております。新聞を拝見しますと、十六日には修正案で参議院可決と、ここまで出ております。そういったことに私は大変危惧を感じます。  この法案は参議院の良識にゆだねるということで、付託されたのが五月十九日でございます。まだわずかな時間しかたっておりません。国民がこの問題について十分理解を深めるまで審議は継続すべきではないのかな、国会だけが先走っていいのかなと。これは全体の死に関する話でございますので、そういう配慮が必要なのではないかなと思います。臓器提供者と遺族の気持ちを双方の立場から考えなければ、後々痛恨を残すことになりかねない。  私たち日本医科大学の救急現場脳死の患者さんに面会いたしました。表情といい、上下する胸の呼吸は私以上のものがありました。まさに眠っている姿そのものでございまして、五日前に脳死宣告された、つまり中山案でいきます死体とはどう見ても思えない。この法案が通過した暁に、これはこのまま臓器摘出のため手術室に行きますよと。私がもしあの方の妹であったとしたら、とても承知できません。うそと思います、生きているんじゃないのと思います。  それでお聞きしたいんですが、そういう目で脳死の方をごらんになったことがございますでしょうか。双方にお伺いします。
  272. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 先生日本医大での患者を実際にごらんになったことからお尋ねでございますが、私も何遍か脳死患者の状態を見てきております。そして、御家族が脳死状態に入った最初の判定を受けた後ずっと付き添われて、その病人の体をさすってお別れされている姿に現場で何遍も立ち会ってきました。  こういう立場に立って申しますと、先生の今言われたように、そのまま脳死判定を受けて、死亡診断書を書かれて連れていかれるようなことはできないなというお考えはごもっともだと思います。  あくまで国会は国民の代表者で構成されている院でございますから、特別委員会先生方がそれぞれの政治家としての信念と良識に基づいてこの法案について御判断をされるために国会がございます。国会は委員長の指揮のもとに委員会中心で運営されていきますので、どうぞ慎重な御審議の上で、先生方それぞれが御判断されるべき組織であろうと私は考えております。
  273. 竹村泰子

    委員以外の議員(竹村泰子君) 初めに、末広委員の拙速な審議に危惧を感じるとおっしゃったことにつきまして、本当に私どもも、参議院が審議に入りました五月十九日から、時間にして本日の七時間を入れましても十三時間三十分でございます。一カ月も経ておりません。人の生死という哲学、文化、宗教とも深く結びついた問題であり、人の命の終えんをどう考えるかについて国民合意形成がまだできているとは考えませんので、おっしゃるとおり衆議院の審議や、あす、あさっての公聴会での御意見を参考にしながら、十分慎重な審議をするべきと考えます。  それから、脳死の人をどう見るかということで、私たちも先日、日本医科大学の救急医療センターへ参りました。大変な状況の中で命を救うために尽くしておられる医師や看護婦さんの姿に本当に心を打たれました。  末広委員の御質問に私がストレートにここでお答えすることになるかどうかわかりませんけれども、先ほどから委員会の中で何回かお名前が出ております、例えば阪大の移植の事件、これは裁判にもなりまして、そして証拠として裁判所に提出され、判決後、検察庁に保管されておりましたカルテを一人の医師、これは阪南中央病院の有馬先生という医師が検討をされて、そしてその脳死状態の方にどういうふうな処置が施されたかと。先ほどからお話も出ておりますから詳しいことは省きますけれども、その主治医が脳死と判断をした。一人で判断をしたときから、阪大の判定基準にもよらず、大学も認めていないにもかかわらず、移植用ドナー臓器を持ったしかばねとして重篤な脳浮腫の患者に大量の輸液投与とか脱水療法とは正反対の水付加、抗利尿ホルモンの使用とか、いわゆる臓器をフレッシュに保つためのいろいろな処置が行われた。このような例は幾つもございます。  臓器移植に関する法律がまだ成立しておりません現時点でさえこうした医師の勇み足が見られるわけで、私どもは対案を提出いたしましたけれども、それは臓器移植に全面的に反対をするよりも、対案を出して、こうした例が現実に起きていることを踏まえ、厳しい条件のもとに十分な慎重な審議を重ね、国民皆さんにも合意を得られるような善意の自己決定に基づく移植医療に到達するよう願ったものでございます。  お尋ねの、脳死状態にある方々が人間としてその尊厳を何よりも大切にされ、その最期のときまで生きている人として最良の医療が受けられることを心から望んでおります。
  274. 末広まきこ

    末広真樹子君 ノンフィクション作家である柳田邦男さんの息子さんが脳死状態に陥った後に亡くなられております。柳田氏は、その著書の中でその経験を振り返ってこういうふうに述べていらっしゃいます。私は今までノンフィクション作家として、科学的、合理的に考えれば脳死は人の死だと理解していたつもりでした。しかし、息子が脳死状態に陥って、一体脳死とは何なのか、脳死を本当に人の死としてよいのだろうか全くわからなくなったと述べていらっしゃいます。理論的には脳死は人の死だと考えていても、感情的に本当に脳死は人の死なのだろうかと疑問に感じてしまう。科学的、専門的知識を持っている柳田さんでさえこうなんですから、私ども一般の者はなおさらだと思うんです。  また、柳田氏は、息子さんが脳死状態に陥り、やがて心停止に至る十一日間を見詰めて、死とはだんだんに訪れてくるもの、あるいは人はだんだんと死んでいくものという実感を持ったと述べていらっしゃいます。それはこういうことなんですね。脳が死ぬと、たとえ心臓が動いて人工呼吸器で酸素を供給していても、やがて体のあちこちには浮腫や壊死が起こり始めます。そして、心臓がとまると体温は失われて各種の臓器や組織が死んでいきます。そう考えると、脳死とは人間が死んでいくプロセスの一つの段階にすぎない。  そうしますと、従来は心臓が停止した段階で死としておりました。本来、死というものは時間的に幅のあるものではないのか、死は点としてとらえるものではなくプロセスとしてとらえるものではないだろうかという考え方もできるわけでございます。  そこで、中山案発議者にお尋ねいたします。  脳死をもって人の死とするとございますが、死は点としてとらえてよいものでしょうか。それとも、時間的に幅のあるものとして考えるべきものなのではないでしょうか、お答えをお願いします。
  275. 山口俊一

    衆議院議員(山口俊一君) お答えをさせていただきます。  柳田先生の大変ある意味で文学的といいますか表現、私も衆議院の参考人のときに聞かせていただきました。実は私も典型的な文科系でございまして、大学時代はフランス文学をやっておりまして、そうした意味合いから非常に表現的にはよくわかるわけであります。  同時に、これはもう柳田さんの言をまつまでもなく、ある意味で生まれたときから人間というのは死に向かうプロセスを歩いておるというふうな話もあるわけであります。確かに死というのは一つのプロセスということも考え方としてあろうかと思います。ただ、やはりいわゆる不可逆点といいますか、ポイント・オブ・ノーリターン、ある点でそれを判断せざるを得ない。心臓死にしても、私はそのような判断でやられておるものと思っておるわけであります。ですから、死をプロセスとしてとらえるというふうな御意見につきましては、確かに感覚的、感情的、心情的には非常に理解できるわけでありますけれども、死というのは医学的にあるいは生物学的に客観的なものでありますし、また法的にも死亡時刻があいまいでありますと大変混乱も生ずるというふうなことで、これもまさに慣習法的といいますか、ある点でとらえるというふうなことになっておるんではなかろうかと思っております。
  276. 末広まきこ

    末広真樹子君 では、猪熊案発議者にお尋ねいたします。  猪熊案では脳死患者から臓器摘出をすることができるとございますが、それは先ほど私が述べましたように、死とは点ではなくてプロセスであるという考え方に基づくものというふうに解釈してよろしいんでしょうか。
  277. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) まさに私どもは、点ではなくプロセス、そして今までの三徴候死と言われていたその死は、ある種、点ではあるかもしれません。しかし、そこまでの間に別の脳死という点をつくらないという意味で、私どもは点ではなくプロセスだということを、まさにおっしゃるとおりだと思っております。  もう一つ、先ほど竹村さんもおっしゃいましたが、ドイツなどでは例えば十年、二十年というような歳月、国会で議論をするようなこともあると聞いております。まさに人間の生死というような問題を法律という形で決めるときには、私は一カ月とかそういう時間の短さではなくて、十分に国民の一人一人が納得するまで議論すべきだというふうに思っておりますので、そのこともつけ加えさせていただきたいと思っております。
  278. 末広まきこ

    末広真樹子君 十分に時間をかけて国民皆さん合意をというところは全く一致する点でございますが、ここでちょっと脳死患者の家族の立場に立って考えてみていただきたいと思います。  例えば、子供が交通事故に遭って病院に担ぎ込まれた。警察から電話があったので急いで病院に行くと、危篤状態。懸命に看病したけれども努力のかいなく手おくれ。医者はこう言います、脳が死んでいる状態です、患者さんは生前に臓器提供の意思を表明されていました、御家族として臓器摘出同意なさいますか。これは、そう言われても突然過ぎて、事故に遭ったこと自体でもう気は動転しておりますから、何をどう考えてよいのか、よくわからないと思うんですね。本人臓器提供の意思を明らかにしていたことも知らなかった。そのようなときに、家族としてはどうすればよいのか。ただ混乱してしまって、何も考えられない。安易に臓器摘出同意してしまうと後で後悔することにもなりかねないし、一方、いや、これは御本人の意思だったんですよ、それをあなたは無視するんですかと言われると、ああ、本人の意思も尊重してあげたいと。  そのようなときに必要になってくるのは、第三者的な中立的立場から家族を精神的にサポートしたり、適切なアドバイスやカウンセリングを行う人間ではないのかなと思います。そのようなアドバイザーやカウンセラーを育成する必要はないのかどうか、それからそれらの人の法律上の位置づけはどうすればよいのか、この点についてお伺いしたいと思います。
  279. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) お答え申し上げます。  混乱する家族に対しまして、中立的な立場から精神的な支援及び助言を行うことは非常に重要だと考えておりまして、そのような業務を担う者としては、今よく出てまいります移植コーディネーターがふさわしいと、このように考えております。  この移植のコーディネーターにつきましては、現在、腎臓移植のためのコーディネーターが腎臓移植ネットワーク及び都道府県に設置をされておりまして、救急医療現場において実際に家族に対し腎臓移植の説明などを行っておるところでございますが、このコーディネーターというのは、病院側の立場でもないし、移植だけのためでもなく、あくまでも中立の立場でやっております。腎臓移植ネットワークのブロックセンターには、国庫補助金でチーフコーディネーターというのを置いておりまして、このチーフコーディネーターは国の補助金でもってその担当者がそういう対応をしておるところでございます。  今後、心臓や肝臓の移植についてはそれに必要な研修をやっていただいて、腎臓移植をやっているコーディネーターの再教育というんですか、もっと研修を増して対応していただこうと、このように思っておるところでございます。  また、コーディネーターの身分とか法的な義務とか資格のお話でございますけれども、いわゆる移植に対応できるコーディネーターは、今言いましたようにこの養成が大変重要でございます。現在のところはコーディネーターの資格等については特に法律で定めることは考えておりませんが、コーディネーターの法的な位置づけの必要については今後の業務の推移等を見ながら慎重に検討すべき課題だと、このように思っております。
  280. 末広まきこ

    末広真樹子君 全然違うんです。コーディネーターというのは、臓器を欲しがっている方に提供するのを仲介する方なんですね。  私が申し上げているのは、遺族といいますか家族といいますか、その方に、具体的に言いますと、臓器提供本人の意思がある、それであなたのおっしゃるコーディネーターが一生懸命説得した、本人の意思を尊重なさいよと。その説得の効果かどうか知らないけれども、ああっと混乱しているところへ、本人の意思を尊重しないなんて、あなたはどういう家族ですかとまで責められる場合もあると聞いていますよ。そこで乗っちゃって、わかりましたと、じゃ本人の意思を尊重しますといって出ていって、帰ってきたときに変わり果てた姿を見たときに、同意した遺族は、こんなことならするんじゃなかったと、生涯悔いが残って本当に後々夢見が悪いんですよね。死んだ人より残った遺族の方が夢見が悪い、常に何かついてくる。そういう方のために、そうならないためにケアリング、カウンセラー。だから、コーディネーターとは全然違います。  もういいです。全然違うということだけは申し上げて、最後の質問に入らせていただきたいんです。  今ちょっと申しましたように、残された遺族の精神的サポートやケアというのがまことに重大な問題になってくるということが予想されるわけですね。  例えばアメリカでは、臓器の一部を提供しますといってお受けしたものが、皮膚から神経から何から一切合財抜き取られて、包帯でぐるぐる巻きにされて着物を着せられて、どうなったかというのはもう遺族も確認はできない。着物は縫いつけてあるという状態で、亡きがらを持ったら軽い、ええっと思うようなケースもあるんだそうです。  そういうふうになってきたときにケアが要る。遺族としてはたまらない、生きてそういう思いを引きずる人間はたまらないと思うのでございます。そういうふうにならないような防止策というのを何か考えていらっしゃるのかどうか、これは双方にぜひお聞きしたいんです。
  281. 山口俊一

    衆議院議員(山口俊一君) 先生お話しのいわゆる御遺族のケア、心のケア、大変大事な話であろうと思います。  ただ、アメリカの例でありますが、このコーディーネー夕ーというのが必ずしも臓器移植のみのコーディネートじゃなくて、やはり精神的ケアも含めて取り組んでおるやに私は聞いております。術後もそのドナーのいわゆる御遺族のところへ行っていろんなお話をしたり、あるいはまたレシピエントの方に行っていろんなお話を聞いたり等々の活動もしておるやに聞いておるわけでありまして、我が国においても極力そういう格好でコーディネーターが機能してくれればなというふうにも思っておりますが、大変大事なお話であろうと思っております。  もう一つは、いわゆる同意した臓器以外も一切合財とられちゃうんじゃないかというふうなお話でありますが、本法律案におきましては、臓器移植に関する基本理念として、本人が生前に有していた臓器提供に関する意思は尊重されなければならないというふうに定めております。ですから、承諾のない臓器摘出などはもちろんあってはならないことでありますが、万が一そうしたことがあれば、当然この臓器移植法案に該当しておらない行為でありますので、いわゆる死体損壊罪等刑法の問題になってくるんではなかろうかと思っております。  また、この摘出の適正化を図るためには、本法律案におきましては臓器摘出等に係る記録の作成、保存の義務が規定されておりまして、この記録を閲覧することによって実情を確かめることができる。また、臓器移植ネットワークでは個々の移植事例について承諾手続の適否を含めて評価、審査を行いまして、万が一にも承諾なしの臓器摘出というふうな問題事例が発見されました場合には、当然先ほど申し上げました死体損壊罪等々もありますが、同時に当該摘出にかかわった施設に関しましては以後臓器の配分を行わない、あるいはまた社会的制裁といったふうなこともありまして、厳正な措置がとられていくものと考えております。
  282. 堂本暁子

    委員以外の議員堂本暁子君) 私も末広委員心配なすっていらっしゃることの危惧は非常にございます。  と申しますのは、今、法律をつくる段階では確かに本人の意思ということを確認した上でというふうに明示されているわけです。そして、その前提として、脳死状態ではない前に事前に意思の表明をする、そういったシステムをつくるということになっているわけですが、だれがどういう形でその意思を確認するのかという最後のぎりぎりのところがやはり問われてくるというふうに思います。今おっしゃったことで申しますと、どの臓器とどの臓器、それを明記できることが一つ大事かというふうに思います。  それから、家族が同意するということについてですけれども、本当ならば、ドナーカードをつくるときにドナーになる人が、自分はこういう意思を持ってドナーカードに登録するのだということを家族に言っていることが一番望ましいと思います。必ずしもそうならないかもしれませんが、そうなることがとても大事だと思います。  また、そこで家族が同意をするということは、単に家族が同意をするのではなくて、臓器を提供するということを家族が納得する、その一つのプロセスでもあろうかと思います。そういった場合に、どれだけそこで医師が、あるいは第三者がいることもとても大事だと思いますが、完全にその家族とのインフォームド・コンセントをとり切れるか、完全にとったかどうか、動転していないかどうかということが確認できるまでは、私は幾ら急ぐからといって医療の都合で臓器摘出をすべきではないというふうに思うんです。  したがいまして、やはりここで問われますのは医療の倫理だろうと思います。世の中で五〇%の人が今この法案に対して、脳死を死とすることに対して不安を抱いているのは、日本医療に対しての不安でもある。今、外科のドクターや何かが臓器移植をしたがっているそうだというようなちまたの噂もございます。そういったものを払拭するためには、臓器移植をするその施設は、大変高度に、技術だけではなくて、確実にその脳死状態が把握できるだけの設備があるということ、もちろんそれは科学的にも医学的にもそうですが、同時に精神的、倫理的な面でも大変高度な設備である必要がある。したがって、どこでもやっていいというようなものでは決してない、そういうふうに思っております。
  283. 末広まきこ

    末広真樹子君 時間が参りましたので、終わります。
  284. 栗原君子

    ○栗原君子君 新社会党・平和連合の栗原君子でございます。  まず、たくさんの質問の項目を出させていただきましたけれども、時間の関係で、昨日になりまして印をつけたものから質問をさせていただきたいと思います。  まず、脳死判定判定基準についてでございますけれども中山案提案者にお伺いをさせていただきたいと思います。  脳死判定基準は厚生省令に従うとされており、具体的には竹内基準が挙げられております。中山案ではこれに、中山先生は聴性脳幹反応を加えることを述べておられます。また、一方で無呼吸テストの実施が患者に及ぼす致死的弊害も指摘をされておられます。  これらの点に関し、この間の質疑の中で、提案者側の見解とそして厚生省側の見解は必ずしも一致をしていないと思います。再度、判定基準として、現段階で何を採用しようと考えていらっしゃるのか、明らかにされたいと思います。それはまさに明文化されるべきだと思いますけれども、いかがでございましょうか。
  285. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 栗原委員お答えをさせていただきます。  さっきからもいろいろ論議になっておりましたけれども、本法案における脳死判定は「一般に認められている医学的知見に基づき厚生省令で定めるところにより、行うものとする。」と六条の三項に書いてあるわけでございますが、厚生省令については、さっきからいろいろお話がございましたように、いわゆる竹内基準に準拠して脳死判定基準が策定されるものと承知をいたしております。  お尋ねの聴性脳幹反応などのいわゆる補助検査についてでございますが、その客観性、記録性の保証という点からは有意義でございますが、他方、侵襲性が認められたりまた信頼性に問題があるなど、さっきもほかの委員かち、少し聴力障害のある場合なんかは信頼性に問題があるというような話も出ておりましたけれども、そういったことで竹内基準においては必須検査として取り上げなかったものと理解をいたしております。  しかしながら、ここが大変大事なところでございまして、脳死判定に対する安心感を強めるためには判定の結果がよく目に見えるように、特にインフォームド・コンセントは大変大事でございますから、そういった見地からも補助検査の実施は意義があると考えており、このようなことから、特にこの聴性脳幹誘発反応については可能な限り実施することが望ましいと考えております。現実には救急医療では九三%の施設でこの聴性脳幹誘発反応が利用されているという報告もございます。大変一般に普及をしているという検査でございます。  また、竹内基準で実施することとされている無呼吸テストにつきましては、何度も出た話でございますが、竹内基準で定める他の検査の実施によってもう既に脳機能の回復の可能性がないと判断される症例に対して最後に行われる検査でございまして、適正に実施される限りこれによって死に至らしめることはないというふうに考えております。  また、具体的な脳死判定に係る判定基準判定方法等については、その性格上、専門的、技術的な事項でございまして、これらはさっきからいろいろな論議がございましたけれども、必ずしも法律規定することが適当ではないのではないかというふうに考えております。医学の進歩もございまして、そういった移植医療等々の国民に対する認知度合いあるいはそれぞれ環境の整備等々によりまして厚生省令に規定することが適当ではないかと、そういうふうにさせていただいたところでございます。
  286. 栗原君子

    ○栗原君子君 もしもそれが竹内基準であるとするならば、衆議院での竹内参考人の発言からも大きな問題点が浮かび上がってきていると、こう思います。  実はここに、脳神経外科医でございまして現代医療を考える会の代表をなさっていらっしゃいます山口研一郎先生が、この間の衆議院の審議状況をいろいろ報告してくださっています。その文書をいただいておりますけれども、「竹内氏は厚生省脳死判定基準作成にかかわった責任者として、「脳死定義は、心臓死や窒息死のように人の死と直結している概念ではなかった」と述べた。また、脳死判定時刻に関し、第一回目(A点)から第二回目(B点)の間にはまだ回復の可能性があるが、B点以降は可能性が皆無になるという考えを示した。加えてA点とB点の間を六時間にすることについても、症例によっては長く設定する必要性を述べた。」と、このようにおっしゃっています。  だから、これらからすると、私は竹内基準に揺れがあるんではなかろうか、こういうことを感じ取ることができます。そうした第一回目の脳死判定以降も蘇生の可能性は全くなしとはしない旨の発言をしていらっしゃるわけでございます。そうであれば、この時点で行われる無呼吸テストは、まさに二酸化炭素の濃度の上昇や血圧の降下により脳障害をさらに悪化させることを初め、患者には致死的事態をもたらすわけでございます。救命という観点からは実施すべきではないと考えます。この点について、提案者並びに厚生省の見解を伺いたいと思います。
  287. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 竹内基準についての御質問でございます。やはりいろいろな御意見はあるかと思いますが、竹内先生、私も直接聞かせていただいたわけでございますが、竹内基準というのは世界の、アメリカ大統領委員会、あるいはイギリスドイツ等々の王立医学会を初め世界脳死判定基準があるわけでございますが、その基準と大体横並びで一致をしているというふうに私は認識いたしております。また、世界の学者の中でも竹内基準は、アメリカ脳死判定基準、あるいはイギリス脳死判定基準ドイツ脳死判定基準等に比べて厳しい診断基準だというふうな評価をいただいているということも聞くわけでございます。  そうはいいましても、先生さっきから論議がありますように医学が進歩するわけでございます。そういった中で、無呼吸テストについては竹内基準で決める他の検査の実施によって、既にこれも御存じのように、深い昏睡状態、これはほかの意識障害で一番ひどい状態でございますが、あるいは瞳孔が散大をしている、あるいは脳幹反射の消失がある、あるいは脳波が平たんである、そういったある意味では最後の検査として行われるものと考えておられ、適正に実施される限り危険性はないというふうに我々は考えております。
  288. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 竹内基準につきましては、今自見先生からお話がありましたとおりでございますが、自見先生からはそのほかに聴性脳幹反応の実施がたくさんされているというお話もございました。先ほども申し上げましたが、この法案が成立した場合に私どもが新しい省令を出すに当たっては、再度この竹内基準については検証をするということをお約束したいと思います。
  289. 栗原君子

    ○栗原君子君 それで、今慌てふためくほどのこともないと思いますのは、ことしの六月二十七日なんですけれども、まさに第十回の脳死・脳蘇生研究会というのが東京で行われることになっておりまして、全国のそうした専門家の医師あるいは研究者が集まられましての研究会をなさることになっております。ここでかなりそうした議論が出るであろうといった報告も受けているわけでございまして、御報告をさせていただきます。  さらに続きまして、本人同意に関してお伺いをいたしますが、同じく中山案提案者にお伺いいたします。  中山案にありましては、脳死判定後の臓器提供には本人の意思を示すドナーカード等が必要とされています。一方、心臓死後の角膜それから腎臓は家族の同意のみで可とされているわけでございます。もしも脳死が人の死であるとするならば、死後の臓器提供における条件になぜこのような違いがあるのか。また、例えば角膜、腎臓であれば脳死状態でも死体であるから家族の同意のみで摘出し得るのか。また、この相違は今後どちらかの方向に統一をされるお考えがあるのか、お伺いをいたします。
  290. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 栗原先生御存じのように、この臓器移植法案は、従来からございました角膜と腎臓の移植に関する法律を一緒にした部分がございます。  先生御存じのように、旧角膜・腎臓移植法については、本人の生前の提供意思が書面により明らかな場合でなくても、御遺族の御了承により眼球または腎臓の摘出を認める、こういうふうにしておったわけでございます。この法律成立以来実施をさせていただいて、それほど法律上困ったことあるいは実施上困ったことがあるというふうにはお聞きをいたしていませんから、この法律は実はそのままこの法律の中に入れまして、今申しました遺族の承諾により眼球または腎臓の摘出を認めるというふうにさせていただいたわけでございます。  その中で、今度はこの法律の中に入りましたが、心臓死の状態で従来眼球あるいは腎臓を取り出していたわけでございますが、この脳死法律に入りましたので、したがって眼球、腎臓につきましては、心臓死体以外の脳死体から遺族の承諾のみでは摘出することができない、生前の本人の書面もないと実はできない、そういうふうに変わるというふうに思っております。  先生の御質問は、御遺族の御意思が、一方は、心臓、肝臓は書面が必要であって、これは要件の一つでございますが、眼球あるいは腎臓は一体必要でないのか、こういうことで、どちらの方に、一方に寄せるのかという話でございますが、もしこの法律を成立させていただければ、それからの移植医療の実施状況あるいは移植医療を取り巻く環境等の変化を踏まえて検討されるべきものであり、現在においてはどちらの方に、本人承諾それと御遺族の御承諾、こういったことがあるわけでございますが、そこら辺は今具体的にどうだというふうに考えておりません。
  291. 栗原君子

    ○栗原君子君 将来的にはどちらかに統一されそうでございますか、今はそうでございましても。
  292. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) それは将来、まさにもし法律が通った後、これはいろいろ御論議があるところでございます。従来、御存じのように、角膜あるいは腎臓に関する移植はもう大体定着してきておりますから、そこら辺を踏まえて、最終的には国会で御判断をいただくことだというふうに思っております。
  293. 栗原君子

    ○栗原君子君 続きまして、現在移植現場の混乱は著しいと思います。とりわけ、死亡時刻の判断や移植準備体制の開始時期のことで大阪大学で事件が起きています。あるいはまた、承諾書の不備とか家族の理解のずれが千里救命センターでの事件となっております。組織等の無断の摘出、これは関西医大での事件となっております。などなどあるわけでございますけれども提案者側並びに厚生省は一」ういったことをどのように把握していらっしゃるのでございましょうか。  ここに一枚のファクスがございますけれども、刑事告発事例及び民事告発事例等を挙げたものがございます。かなりの件数になっておりますけれども、こういった点、どのようにお考えでございましょうか。
  294. 自見庄三郎

    衆議院議員(自見庄三郎君) 先生の御質問でございますが、こういった大阪大学の事件あるいは千里救命救急センターの事件等々の御指摘があったわけでございます。現在、腎臓移植一例をとりましても、腎臓移植の提供者が大変少なくなっているというふうな現象があるわけでございますが、そういった死体腎の提供者数の減少の背景にはやはり国民医療不信があるのではないかという御指摘は否定することはできないと考えております。  私たちといたしましては、この移植法案を成立させていただきまして一つのルールを確立し、各規定を一つ一つ着実に実施していくことが、先生御存じのように、この中にはきちっと二人のお医者さんで脳死判定をしなさい、従来は一人の医師でほとんどのことは診断できたわけでございますが、これを二人にしなさい、あるいは五年間きちっと記録を残しなさい、閲覧に供しなさいと。ましてや臓器の販売やあっせん等々、これは金銭が絡めば大変厳しい罰則があるわけでございますから、そういったチェックをするところもございますし、従来の医療とは違ってやはり国民の前にオープンにしてもらう、国民の前に御理解をいただかなければならない、そういったところで、従来の法律に比べると私はそういった意味で大変オープンでチェックがきちっときいた法律だ、こういうふうに思うわけでございます。常に一つ一つ国民の前でそういった規則を守りつつ、そして着実に移植医療を前進させていくということが、結局は広い意味国民の不信を取り除いていくということになるのではないか、こういうふうに思っております。
  295. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 今、栗原先生から移植現場で混乱があるというお話でございました。臓器移植救急医療現場に混乱があるというふうには私ども余り認識をしておりません。それは私の認識不足かもしれませんが、実際に救急医療現場では、救急医療そのもので大変忙しいということがあるということは先生御存じだと思います。  それで、実際に救急現場で、来た患者さんを、初めからこの人は脳死臓器提供いただくんだということを決めているわけではなくて、まず救急現場では先生方は患者の命を助けるために必死な思いで皆さん努力をされる。そして、どうやってもこれは治療後回復が不可能であるという段階で初めて次のことが議論され、また先生方はお考えになるものだと思っておりまして、臓器移植のために救急現場が混乱するというふうには私ども余り認識をしておらないのであります。もしそれが違っているようでしたら、おしかりをいただければと思う次第でございます。  それからもう一つ、組織の無断摘出について混乱したのではないかということでございますけれども、これは実は国立循環器病センター、私どもが所管をしている病院にも関係をしている事件でございまして、これについては家族の御了解が得られない状態で組織の一部、血管ですけれども、それをいただいてしまったということでございまして、まことに残念、遺憾なことだったと私ども思っておるところでございます。  いずれにいたしましても、医療研究では患者さんとの関係、特にインフォームド・コンセントをし、そして、ただ組織をもらうにしても家族に了解を得て、その了解の範囲内でするということを適切にやっていくことが大変大事だと思います。それから、個々の現場の混乱につきましても、自見先生がおっしゃったようにきちっと現場で説明をし、御了解をいただいてやっていくという医療をしていくことが大変大切だろうと私どもも思っておるところでございます。
  296. 栗原君子

    ○栗原君子君 混乱があるとは思っていない、こういった厚生省の御答弁でございました。しかし、混乱がなければこんな刑事告発事件とか民事告発事件なんて起きないはずでございますけれども、混乱があるからこういう事件が起きているのではないか、こういうことを思いました。  さらに、この間、新たに最も重大な事態が組織採取として明らかになったわけでございます。各国立病院等での組織、血管とか皮膚とか弁を、心臓弁ですね、これを中心とする無断摘出も含めまして、組織は全く法的根拠なく採取され、既に組織バンクにも組み込まれています。ちなみに、これらは欧米では医療材料として既に商品化されているといった報告も来ているわけでございます。  法案にも全く触れられていないこれらの組織採取の現状について厚生省はどのように承知していらっしゃるのか。ちなみに、今回大きな問題となっている国立循環器病センターをも含めた近畿スキンバンクの実態についてもどのように関知していらっしゃり指導をしていらっしゃるのか、お答えいただきたいと思います。
  297. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) まず、組織の摘出でございますけれども、御遺体からの組織の摘出というのは、実際に脳死の段階でいただくのではなくて、従来の心臓死の後に遺族の御了解を得て、承諾を得て行われているものでございます。今、栗原先生がおっしゃいましたように、血管だとか皮膚とか心臓弁などを御遺体からいただいているわけでございます。この摘出されました組織は人工的に製造されたものに比べまして生着率等においてすぐれていると承知をいたしておりまして、特段の法令規定はございませんけれども、組織の摘出を遺族の承諾要件として行うのであれば問題がないものと理解をいたしておるところでございます。  なお、循環器病センターにつきましては、まことに残念なことでございますけれども、御遺族の了解がなく、無断でと言うとちょっと語弊がありますが、正確に言えば御了解のない状態で血管をいただいたということで、まことに遺憾なことでございます。そして、これにつきましては、既に国立循環器病センターから血管をお返しするようにということを私の方で指示をいたしまして、循環器病センターで御遺族にお返しをするということでやっていますが、いまだに相手の方に引き取っていただけないという状況で、今は国立病院でまたその組織をお預かりいたしておるところでございます。  次に、近畿バンクの御質問をいただきました。  私ども、近畿バンクという名前では承知していなくて、実は近畿スキンバンクというので承知をいたしておるわけでございますが、これは近畿地区の十一の医療機関で構成されておりまして、提供を受けた皮膚を重症の熱傷患者の救命治療に使用するために凍結保存をしていると承知をいたしております。  この運営につきましては、運営委員会において近畿スキンバンクマニュアルが策定されておりまして、適用基準承諾書の様式、また一連の皮膚の冷凍保存までの手順、さらに倫理委員会などを設けるなど、適正な運営のためのさまざまな工夫がなされているものと承知をいたしております。
  298. 栗原君子

    ○栗原君子君 近畿スキンバンクの実態なども承知していらっしゃるようでございますが、それではこの皮膚の摘出とか冷凍保存行為は現行法の死体解剖保存法や献体法、角膜及び腎臓の移植に関する法律、どれにも該当しない行為でありますけれども、放置してこられた根拠はなぜでございますか、お伺いいたします。
  299. 小林秀資

    政府委員(小林秀資君) 今おっしゃいましたように、皮膚を御遺体から家族の承諾のもとにいただくという行為自体は何ら法律には書いてございません。ただ、これは今、皮膚だけですけれども、皮膚のほかにも骨をいただくとかいうのもあります。いろんな臓器をいただいているわけでございますが、これ自体については、家族の了解のもとでやられていることで、特に法律に明定する必要性があるのかということについては、我々としては特にその必要はなく、それはお医者さんと御遺族の話し合いのもとで適正に行われているものと了解をしているところでございます。  たまたま今回、御遺族の了解をとらずに実施されてしまったということ、これはよくないことで、そういうのは死体損壊罪との関連が出てくるということでございます。
  300. 栗原君子

    ○栗原君子君 もう時間も参りましたけれども、やはり脳死患者から摘出したさまざまなものがあるわけでございまして、心臓弁とか血管とか膵臓とか皮膚とかあるいは骨とか、もう本当にありとあらゆるものを摘出しているわけですね。それを冷凍保存しておいてはまたほかで使うといったようなことがもう既に行われている。そうした実態調査をきちんとしていただきたいということを最後に申し上げて、終わりたいと思います。  ありがとうございました。
  301. 竹山裕

    委員長竹山裕君) 本日の質疑はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後六時四十六分散会      —————・—————