○水島裕君 それでは、資料を配っておりますうちに、逆に先ほどから、
脳死は人の死でいいか、あるいは
心臓死との
関係はどうかという
お話が出ましたので、私が知っている限りのことを申し上げますと、普通の人は九九%以上、まず
心臓がとまって、
呼吸もとまって、それから
脳死になるわけでございますけれども、その
心臓は何も
心臓死というんじゃなくて、
心臓死からもうその
時点では既に
脳死になっているか、あるいは
心臓死になったときに
脳死判定をすれば
脳死になっているということで、
心臓死と
脳死は非常に近いというようなことを前置きいたしまして、もうお手元に行ったと思いますので、まずこれまでの認識を申し上げて、もしも何らかの修正とかあるいは決議をすれば
一つの
法案で非常に多くの
議員に賛成していただけるというものができれば一番いいわけだと思いますので、そういう論点でいきたいと思います。
まず一は、
脳死体もしくは
脳死状態からの
臓器移植は一定の
条件下ではぜひ行われるべき、あるいは行うことを認める。
それから二番目が、一定の
条件下、今申し上げた
条件などは
法律で定めるということがいいのではないかというおおむねの了解がある。
それから、
医学的に言いますと、
脳死は人の死ということに関しても、これも大体皆さん
理解していただいていると思います。事実そうでございます。
それから四番目として、
脳死が人の死であるという国民的
合意については両論ありまして、私の
意見もそうですが、少なくとも十分の
合意は現
時点では得られていないという
意見の方が多いと思います。
それから、
患者が書面で同意すれば
脳死体あるいは
脳死状態からの
移植は認めてよいが、いろいろわからないところもございますので、将来は別としましても、現在は
移植以外に
脳死判定は余りすべきではない、またはしなくても差し支えないんじゃないか。ほかの死についてはいろいろ余り
最後まで
判定しなくてもいいんじゃないかということでございます。ただ、人の死に二通りあることは好ましくない。この人の場合は
脳死にしよう、この人の場合は
心臓死にしようということはぐあいが悪いのではないかということであります。
この
最後の点につきまして、私は、将来的には
脳死が人の死ということで一本化した方がやりやすいと思いますが、その将来というのが社会的なこと、いろいろなことがありますから、もう来年になるか、再来年になるか、あるいは五年先になるか、十年先になるか、これはわかりません。将来はもう少しすっきりした方がいいんで、その場合は、
移植のことばかりではなくて不必要な
治療はしないとかいろんなこともありますので、
脳死を人の死というふうに定めて、ただ
一般的には、我々
医療のときでも普通は
心臓死で死を
判定しているので、それはもう間違いじゃなくて、
心臓死であるということは
脳死であるということを同時に証明しているようなものでございますので、そういうのは今の
医療と全く矛盾がないわけでございます。こういうことが大体今までの認識ではないかと思いますけれども、
意見を異にされる方もいらっしゃると思いますので、
提案者からそれについてお伺いしたいんです。
それと同時に、私は、先ほど申しましたように、もし修正とかあるいは決議を加えるならばそのポイントはどういうところであろうかということで、それもその一枚の紙に書いてありますけれども、「
臓器を
死体(
脳死体を含む)から摘出する」ということは生かす。これは何も現
段階で
脳死は人の死と決めるとかそういうことではなくて、単純に
脳死、「
臓器を
死体(
脳死体を含む)から摘出することができる」は生かして、そのかわり「
脳死判定は
家族の承諾がある場合に行う。」、あるいは、もう少し今の現状の
医療に合わせて行いますと、「
脳死判定はインフォームドコンセントをとる。」と、そういうふうにしたらよろしいんじゃないかと思います。
確かに、
医療法でもあるいは今後改定される
医療法でも
インフォームド・コンセントというのは
努力規定となっておりますが、その
意味は、
小林局長なんかにもよくわかっていただきたいのですけれども、何から何まで
インフォームド・コンセントをとるというのは実際の
医療では難しいわけですね、ほとんどできないわけでございます。だけれども、なるたけ
努力してそうしろというのが
努力規定でありまして、極めて重要なものは、これはもう今の
医療でも一〇〇%
インフォームド・コンセントをとるべきであります。
例えば、手術していいかどうかというのを
患者さんにも
家族にも聞かないで今手術するということなんか絶対あり得ないわけでございますから、それと全く同じで、先ほどのいろいろ
お話しになりました無
呼吸テスト、そういうものをただ黙ってやるというのは私は現在の
医療でもおかしいと思いますし、
厚生省が進められている
インフォームド・コンセントを
努力目標にするということを法制化なさればますますそうなるというふうに思います。
本当のことを申しますと、もう
一つ、先ほど
関根委員の方からも
お話がありました、たしかそうだったと思いますが、
脳死は人の死と認めた上で自分の
臓器を提供していいというふうにはっきり書けば、もう一番すっきりしているのであります。
ただ、これを余り強く言いますと
猪熊案の方とちょっと違ってきてしまうので、遠慮して紙には書かなかったわけでございますけれども、
猪熊案の方々がそれでいいと言えば、私はそれが一番すっきりしているんじゃないかというふうに思いました。私はその方が賛成なわけであります。
では、ここまでについて両方の
提案者からあるいは
厚生省の方から何か御
意見がありましたらお伺いいたします。