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参考人(
山崎福寿君)
上智大学の
山崎です。
今、
石先生から、大所高所の観点から
社会資本整備の
あり方について
お話があったわけですけれども、私はそれをもう少し焦点を絞って、もうちょっと具体的な
生活関連投資の
あり方と、それからどういう
生活関連投資が必要なのかということについての、よくいろいろむだな
投資が行われているというふうに言われていますけれども、本当に効率的な
投資というのはどういう
投資なのかということについての、それを選別するような基準といいますか、
市場メカニズムを使ってどういうふうに最も
生産性が高いあるいは効率的な
投資を選別していくかという問題についての
一つの提案をしてみたいと思います。
最初にまず、昨年の十月に、
経済審議会の
行動計画委員会というのがございまして、そこで
土地・
住宅ワーキンググループというのがありまして、そこのメンバーの
上智大学の
岩田先生や東大の
西村先生、法政大学の
福井先生と私と四人でこの
報告書をまとめたんですけれども、
土地・
住宅の問題について考えていく上では、どうしても
社会資本整備、特に
生活関連投資をどうするかということについて触れないわけにはいかないわけです。
今、
石先生がおっしゃいましたように、
住宅自体は私的な財なんだから
民間部門にゆだねていいだろうという
お話がありましたけれども、全くそのとおりで、ただ
住宅そのもの、我々は
住宅を選ぶときに必ず
住環境というものを考えるわけです。例えば、都心まで出てくるのに何分かかるかとか、あるいは
道路がどれだけ
整備されているかとか、
周りに子供を育てるのにいい
環境があるかどうかとか、あるいは音楽や美術やなんかを鑑賞するような機会に恵まれているかどうかとか、そういうことを見て我々は立地というかどこに住むかを決める。特にそういう
意味で、
生活関連投資の
充実度といいますか、それがどこに行けば魅力的な
公共投資があるのかということが我々いつも関心になっているわけです。
そういう
意味で、
住宅の問題、あるいは我々の衣食住の問題で言えば住の問題が依然として諸
外国と比べて非常に貧困な
状態にある。それは
住宅自体の質が悪いということと同時に、
住環境、その
周りの
インフラがうまく
整備されていないということがかなり大きな問題になるのではないかというふうに考えております。それは後で
お話ししますように、実は
土地問題の本質なわけです。
よく言われますように、
日本の
住宅は遠くて高くて狭い、遠高狭という話がありますけれども、
毎日往復で三時間かかるという
人たちがもう半分以上いるわけです。
通勤に三時間以上かける、それも非常に込んだ非人間的な扱いを受けてひどい鉄道で通ってこなきゃいけない、あるいは
首都高に乗ればいつも渋滞であると、そういう
状態が続いている。そういう
通勤地獄というような問題や、それから
中央線なんかに乗りますと、ごらんのように
マッチ箱のような家がばあっと並んでいる。非常に醜い
土地利用環境をつくっている。
アメリカやヨーロッパに行って
都市の
環境を見てみるとそういうことはほとんどないわけです。非常にきれいな
田園地帯と
都市環境とが確実に分離されている、そういうことがどうして
日本でできないのかというのが我々の一番の問題なのではないかと思います。
それから、神戸の地震があったときにおわかりになりましたように、震災に対して非常に弱い、脆弱な
都市環境だというのが明らかになったと思います。
例えば、神戸で地震が起こったときにテレビで見ていて、火災がどんどん広がっていくのに手もつけられないで見ているというような、非常に危機感を持った人がたくさんいると思います。そういうことはやっぱり
土地利用の問題、ライフラインといいますか、
土地利用と非常に密接な
関係があるわけです。
それでは、安全で快適な
都市というのはどういうものなのかというのにこたえなきゃいけないわけです。そういう町づくりをするためにはどういうような
社会資本を
整備していけばよいのかということで、次に考えなきゃいけない問題が出てくる。
そこで、いろんなことが言われるわけですね。本当にたくさん、例えば、東京の首都圏ではまだまだ
道路を広くしなければいけない、あるいは歩道を
整備しなければいけない。安全に子供たちが学校に通うのに、ヘルメットをかぶって通うなんというのは非常に異常な事態だという認識が多くの人にあると思いますけれども、それは歩道というか街路といいますか、それの質が非常に悪いということですね。そういう子供たちやお年寄り、それからハンディキャップを負っている
人たちが自由に町を歩けるようにするためにはどういう公共資本が必要なのかということが問題になってくるわけです。
そうしますと、これはもう百家争鳴に近いわけで、こっちの方が大切だとか、
地方ではもう絶対
公共投資が足りないんだからとにかくここに
道路をつくってくださいというような、あるいはこっちへ新線をつくってくれというようなことが起こってくる。
それでは、魅力的な
公共投資というのはどういうふうにしてはかったらいいのかという問題になってくるわけですね。そこで、
市場メカニズムを使ってみたらどうかというのが私の提案です。最近、
経済学者の多くの
人たちがこの辺について
発言しているわけです。
よく、
通勤新線ができたりあるいは
道路が
整備される、そうすると周辺の地価が上がるという現象が見られます。それを
土地投機だといってマスコミが非難するわけですけれども、これはどういうことかといいますと、新線をつくったりあるいは新しい駅ができてそこが便利になるということです。便利になると
土地としての魅力が高まって、要するにそこにたくさんもっと人が住んでもいいというふうに考えるようになる。その結果、
土地に対する
需要がふえて地価が上がる。これを全部見越して
土地投機が起こるわけですね。言ってみれば、情報が流れた段階で、ここら辺にどうも新しい駅ができそうだ、あるいは
通勤新線がここを走りそうだということがわかった段階でもう地価が上がり始めるというようなことが、特にここ最近は地価が下がってますけれども、二十数年来、戦後ずっとそういうことが起こってきたわけです。
ですから、例えば地価がたくさん上がるということはどういうことかというと、魅力的な公共サービスがそこで生み出されているからだと。つまり、地価がたくさん上がるということは、たくさんそこに住んでもいいということをみんなが考えている。その結果が高い地価になって反映されてくる。だから、例えば地価で、
土地の値段の要因分解といいますけれども、適当にいろんな公共資本の、どの公共資本によって地価が上がったのかということをうまくより分けてやることができれば、どの公共資本から地価が上がったのかということを調べることができる。
そうすると、たくさん地価が上がることは、効率的な
公共事業あるいはみんなが欲しがっている公共サービスがそこに追加されたということを
意味しているわけですから、そういうデータを使って、あるいは地価の上昇分みたいなものをうまくはかってあげれば、それによって魅力的な
公共事業なのかそうでないのかということがわかる。逆に言うと、地価の上がり方が少ない
公共事業というのは魅力的でないということです。多少誤解を恐れずに申し上げているんですが、要するに地価を上げることは決していいことではないと思いますけれども、そういうふうに地価自体を
一つの基準としてやればいいだろうということですね。
簡単に申しますと、例えば十億円の
公共事業をしたときに、費用は十億円ですね、地価が十億円以上上がらないような
公共事業はやるべきではないということです。自由に我々が住むところを決めている以上、魅力的なところに人が集まってくるのは当然なわけです。多くの
都市においてもいろんな地価の差が出ています。それはさまざまな要因によるところがあると思いますけれども、魅力的な公共サービスが多いところと少ないところではかなり地価の差があると思います。そういう
住環境の違いを反映しているわけですから、それをうまく使ってあげて
公共事業の選別の基準にしたらどうかというのがきょうの提案の趣旨です。
もう
一つは、それだったら
公共事業はどれがいいかはわかった、じゃ
財源はどこに求めたらいいんだということですけれども、言ってみれば地価の値上がり分というのは地主のものになってしまうわけです。地価の値上がり分というのは言ってみればその人の努力でもたらされたものではないわけです。今言ったように、
公共事業あるいは魅力的な公共財、公共サービスが提供されたことによって地価が上昇するということがあるわけですから、言ってみればそういう、ウインドフォール・プロフィットといいますけれども、棚ぼた式に落ちてきた利益については公的に利益を還元する必要がある。それを要するに税制の
財源として用いてはどうか。
先ほど申し上げましたように、十億円の
公共事業をやったときに地価が十億円以上上がらなきゃいけないわけですから、その分を全部とは言わないまでにしても相当
部分吸収して、開発利益の還元といいますけれども、開発利益を吸収して、それを
公共事業の
財源に使ってはいかがか。そのための
土地税制としては
土地譲渡所得税というのがありますので、譲渡所得税をうまく
活用してあげてはどうかということです。最近、譲渡所得税は取引を阻害するのでよくないんだという
議論がありますけれども、それはまた
土地含み益税という別の税制を使えばうまく凍結効果は防げますので、譲渡所得税を使うということが
一つの
方法として考えられていいのではないか。
これは、分配上何が公平かということからいえば、公平の観点からも多くの人が認めてくれることではないか。つまり、地価の値上がりというのは地主の努力によってもたらされたものではなくて、多くが
公共事業の便益によって引き起こされたものですから、そういうものは地主の手に渡すよりは、地主から吸収してしまった方が公的な
意味でも望ましいのではないかというのが分配の公平性という観点からも言えるということです。
最後に、
公共事業の問題で、
地方でももちろん今のような基準を使って、本当に必要な
公共事業というのは地価を高めるような
公共事業でなければいけない、それはどこの
地域についても応用できることですから、魅力的なそういう選別の基準をきちんと設けることが必要であろうというのが基本的なきょうの私のメッセージです。
具体的に、そういう
意味でもう少し
都市を
整備するときに、むしろ
地方よりも私は首都圏を射程に置いて
議論をしますけれども、
都市部でどういうことが必要かというと、きちんと
インフラを
整備するときの
事業としては
土地がまず必要になってくるわけです。先ほどの、子供たちやお年寄りが安全に歩ける歩道や
道路を
整備するためにも、今ある建物を集約的に利用する必要がある。
そうすると、今のような低い容積率のもとでというのは
土地のオープンスペースを出しにくいわけです。オープンスペースを出すためにはどうしても
土地を高度利用しなければいけません。そのためには容積率規制や日影規制という形でのいろんな規制を撤廃して、容積率をどんどん高めて、ちょうどニューヨークのマンハッタンのように山手線の中は高い建物が建つというようなぐあいにしなければいけないのではないかというふうに私は考えております。
要するにその上でオープンスペースができます。つまり、防災上安全で、ライフラインを確保するためにはかなりのオープンスペースを必要とするわけですけれども、そのオープンスペースを拠出する、供給していくためには、今ある
土地利用の
あり方を変えて、低度利用じゃなくて高度利用して高い建物を建ててそこに多くの人が住む。郊外はもうちょっときれいな田園やのんびりと暮らせるような豊かな町をつくっていくということが必要である。そのためにも、どうしても
土地の高度利用というのは欠くことのできない重要なポイントであるというのが私の考えです。
具体的な手段として、容積率規制の緩和や敷地や建物を共同化していくということ、それから神戸の震災のときに問題になりましたけれども、広い
道路を確保するということが延焼を防ぐんです。つまり、火災をみんな見ていますと、
道路のところでかなり火災がとまっています。あるいは高いビルが建っているところで火災がとまっています。そのためにも、高度利用をぜひして、震災に強い町づくりというのをぜひやらなければいけないのではないかというふうに私は思います。
それから、そのほかにここで今問題になっているのは、そういう共同化を進めるときにかなりいろんな問題が起こるわけですけれども、借地借家法が
一つのネックになっているというのが私の認識です。定期借家権の導入とか、それから
土地収用という、ごね得ですね、あなたはここをどいてください、セットバックしてください、ここに歩道をつくりますと言うと、そこに住んでいる
人たちが必ず嫌だと言います。あるいはみんなでビルを建てかえましょう、あるいはアパートはみんな危ないから、もうこのアパートは古いから、地震があったら今度はみんな死んでしまいますよということがあったときに、建てかえましようと言っても、一人でも反対するとアパートは建てかえられないという法体系になっています。
そういうことはぜひやめて、八割ルール、フランスやヨーロッパの国では、七割とか八割の
人たちが賛成したら建物が建てかえられたり、あるいはセットバックをする、つまりそこをどいてもらうというようなことがあります。
ですから、一〇〇%でみんなが合意するなんということは絶対ありませんから、七割あるいは八割の人が合意したらそういうことができるような法体系に改めるべきではないかというのが
土地収用の適正化の問題と絡んでどうしても必要なことだと私は思います。
それから、混雑の問題があるわけですけれども、混雑の問題については、これも
市場メカニズムを使って混雑税を導入してはどうか。朝晩の
通勤ラッシュ時には料金を引き上げて、鉄道や
首都高は混んでいる時間は料金を例えば倍にするというようなことが必要なのではないか。そのかわり、昼間のすいている時間はただみたいにする。それによって
需要がなだらかにされて、企業に対してもフレックスタイム制を導入するような誘因になると思います。
ですから、多くの人はこれについて混雑税を導入するなんてばかげた
議論だというふうな反論がありますけれども、我々の非人間的な扱いを受けるあの混雑した電車を見れば、あながち暴論とは言えないのではないかというふうに考えております。
経済学者は混雑税を積極的に導入しろというふうに言っておりますけれども、なかなか皆さんの
意見は一致しないようです。
もう一度、混雑税を導入して、その
財源は鉄道の拡幅、複々線化とか、あるいは
首都高であれば
首都高のレーンをもっとふやすというような
財源に充てることもできるわけであります。将来的に言えば、それの方がずっと効率的な
公共事業の拡充につながるのではないかと考えております。
時間になりましたので、以上で終わります。