○
上田耕一郎君 この間の
視察の
議論で、なかなかいろいろな中身のある
議論もあったので、その
報告と若干の
意見も加えて述べたいと思うんです。
沖縄は、
日本の中でただ
一つ悲惨な
地上戦闘が行われたところで、戦後二十七年間
アメリカの
単独占領下にあったという点で非常に不幸な
歴史をたどって、
世界でも珍しい
基地の島になっているわけです。そういう
沖縄の戦後の
歴史の深刻なことを、今度行って三日間の
視察でもいろんなところで私
感じたんです。
最初に
自衛隊那覇基地に行ったんですが、食事のときにハッスルした
事態が生まれたんです。
陸上自衛隊の幹部だと思うんだけれ
ども、
ヘリコプターで患者さんを輸送することをやっていたとき、石垣島だったかな、事故が起きて
自衛隊員とお医者さん
たちが四人亡くなったというんです、かなり前に。その七周忌があったのに
県知事がその七周忌に来なかったというので、
自衛隊員を
虫けらのように思っているのか、
自衛隊員だって傷つけば血が流れるということで非常にハッスルして怒り始めたんです。
そうしたら、
照屋理事がいらっしゃるでしょう、
照屋さんが今度はハッスルして反論を始めたんですよ。私は当時
県会議員で、あのとき県議会でその
犠牲者に対する哀悼、黙祷、そういう提案をしたのは私だと言い始めまして、決して
自衛隊員を
虫けらなんて思っていない、そんなことを言うのなら
沖縄戦のときに
日本の軍隊は
沖縄県民をどんな扱いしたんだということで、それで
自衛隊の方も黙っちゃうし、
照屋さんもそれだけハッスルしておさまったんですけれ
ども。
視察に行って御飯のときにああいう
状況が起きたのは私も初めてで、これは、
沖縄戦のときに
米軍と戦ったんだけれ
ども、同時に、軍が部分的には
集団自決を強要したり、いろんなことがあったでしょう、そういうことがいまだに半世紀たってこういうときにも出てくるんだな、そういう
印象を
一つ持ちました。
それから、
防衛施設局に行って
一つ驚いたのは、当時ちょうど
大田知事と
橋本首相が会った直後で、五・一五
メモの公表問題で
知事が
首相に申し出て、
首相が前向きに対処しようという非常に
肯定的返事が出た時期なんです。五・一五
メモというのは七二年の五月十四日に
施政権返還があって、その翌日の五月十五日に、この間ほぼ発表をされましたけれ
ども、
沖縄のすべての
基地に対してどういうふうにするかということを取り決めた
文書で、全部で二百何十ページか、今度公表になって、七十数項目あって、それで
国会でも何回も問題になって、二十何項目かは公表されているという
メモなんです。
何でこういう
メモが必要だったかというと、
沖縄の
基地というのは非常に特別な
基地で、私が
印象強いのは、
アイゼンハワー大統領が指示して
世界じゅうの
基地を調べさせて、その
調査の結果
大統領に
勧告が出ているんです。その中で、
沖縄の
基地についての
勧告というのは非常にこれはおもしろい
勧告で、こんなに
基地が集中しているのはまずい、脆弱だというんです。一遍にやられちゃうというわけだ、これだけ集まっちゃってると。脆弱なので東南
アジアに分散すべきだというのが、当時
世界じゅうの
基地を調べて
アイゼンハワー大統領に
勧告された内容なんです。
ところが、その
大統領の命令で調べた
調査団が、
基地が集中し過ぎている、脆弱なんで分散しろという
勧告を出すような
基地が何でできたんだろうと、私は当時非常に不思議に思って調べてみたら、これはやっぱり
沖縄戦と
関係があって、
沖縄戦の直後に十二の
収容所に全
県民を山狩りして、
鉄条網で囲って入れて、
人っ子一人いなくなったところに白地図に線を引くようにしてつくった
基地なんですね。
アメリカの
文書では、
プライス勧告の中に一万八千ヘクタールそのとき取ったと、そう書いてあります。
そうやって生まれた
基地だから、それで本当は対
日戦のための
基地のはずなのに、実際は戦後の対ソ、対中国のそういう
基地にしたわけです。そういう
意味じゃ、
無償で勝手に取り上げたという点でも
ヘーグ陸戦法規違反なんだけれ
ども、対
日戦じゃなくて、戦後の
戦略基地に使ったわけですから、これは
基地にする目的が
ヘーグ陸戦法規にも当たっていない。これはその後
日弁連の膨大な
報告書がありますけれ
ども、
日弁連はもう完全に
国際法違反だという断定をしていますし、七一年の
沖縄返還のときの
委員会で社会党の
川崎寛治議員がうんと追及したら、当時の
佐藤首相も直接の
戦闘行為以外は
陸戦法規違反だということを
国会で答弁したような、そういう特別な
基地なんです。
五三年に
アメリカの
布告二十六号というのには、
書面で
契約を結ぼうとしたけれ
ども成功しなかったと。
書面はないんですよ、
契約は。それは勝手に取ったんだから。だから、これはインプライドリース、黙契、黙った
契約だと書いてある。それで、
無償で取り上げてずっと使っているのは
アメリカ憲法違反だということを
米軍の
布告が認めているぐらいな
基地です。そういう
基地を
施政権返還するときに、さあ
日本の法律を適用しなきゃならない、これは大変なことなんで、無理なんですよ、適用するのは。それで、当時
公用地法というのをつくって、
契約なしでも五年使えるというふうにしたんだけれ
ども、そのとき
基地をそのまま使えるように五・一五
メモというのをつくったわけです。
私が
沖縄の
防衛施設局で
局長に、あなたはじゃその五・一五
メモを見たことがあるかと言ったら、見たことないと言うんです。これには驚いて、
沖縄の
米軍基地全体に責任を持っている
局長さえ見たことないというんだから、ひどい
状況になっているんだと、そう思いましたね。それで、まことに無責任だと思いました。
そういう過程でつくられた
世界にもない
基地の島で、
契約書さえないものだった。それをその後、
施政権返還のときに地代を
日本政府は六倍に上げまして、それで
契約を結ばせたんだけれ
ども、当時三千人
契約を結ぶのを拒否した
反戦地主がいて、その三千人が今は
防衛施設局にかなり切り崩されて百人ぐらいになって、今度は一坪
反戦地主三千人でやっていますけれ
ども、そういう経過があるんですね。だから、
沖縄へ行くと戦後五十年のそういうさまざまな
歴史の
一つ一つが浮かび上がってくるし、
一つ一つの問題の非常な大きさと深さを
感じる。
アメリカの
基地、今度で私二回目なんですけれ
ども、行って非常に
印象強かったのは、いわば大歓迎でしたね、
海兵隊は。とにかく
普天間基地に
KC130から
ヘリコプターから百五十五ミリ
りゅう弾砲もずらっと並べて、
迷彩服を着た
海兵隊を動員して、それでみんなに
説明して、見せてくれるわけです。それから、何を聞いても
質問に答えてくれる。だから、
海兵隊問題が今大問題になっているし、
国会から元法務大臣が団長の
視察団も来るというので、
海兵隊もかなり構えて我々を迎えたんだなと、そう思いましたね。
そういう
意味じゃ、
アメリカ側もかなり真剣に我々の
調査を今度は準備もして受けてくれたと思うんです。案内して、それから
質問に答えてくれた
人たちもかなり権威のある
メンバーで、
普天間飛行場の案内と
説明してくれた方、
キング大佐、この方は
SACOの下にある
普天間実施委員会、FIGの
正式メンバーなんですね。
キング大佐にもいろいろ聞いたんですけれ
ども、
一つ重要だったのは、ちょっと
報告しておきますと、
普天間基地についての
SACOの
最終報告にこういうことがあるんです。「
普天間飛行場の
運用及び
活動は、最大限可能な限り、
海上施設に移転する」と、今度できるはずのところ、「
海上施設の
滑走路が短いため」、これは千五百メートルなんだけれ
ども使えるのは千三百だと。今、
普天間飛行場は二千八百メートルある。「短いため同
施設では対応できない
運用上の
能力及び
緊急事態対処計画の
柔軟性(
戦略空輸、
後方支援、
緊急代替飛行場機能及び緊急時
中継機能等)は、他の
施設によって十分に支援されなければならない」。だから、キャンプ・シュワブの沖に
海上施設ができるが、それ以外に
施設をつくらなきゃならぬことが決まっているわけです。
ここで「
戦略空輸」というのが書かれているので、これまで
新聞報道では、
SACOの
議論で、緊急時には
アメリカ本国から三百機の
ヘリコプターが来るということを
アメリカ側が明らかにしたというんだが、どうかということを聞きましたら、
キング大佐は、私の
メモによりますと、三百機が必ず
アメリカ本国から来るということではない、三百機を受け入れる
装備能力が必要だということだと。今は六十機あるんですけれ
ども、有事のときにはやはり三百機
ヘリコプターが来るわけです。それを受け入れる
装備能力は要ると。それで、
海上施設じゃそれができないのでは、どこにつくるんだと言ったら、
嘉手納につくるという返事をしていました。
それから、これは
普天間飛行場の移転問題で、
海上施設問題、これも大変だけれ
ども、それ以外にもかなりいろんな問題があるということを示していると思いました。
キャンプ
瑞慶覧に行って、
海兵隊の副司令官のヘイズ准将が案内をしてくれて、ビデオ、スライド映写も見て、それからいろいろ
説明もあって
質問がありました。ヘイズ准将の
説明で、これは通訳の間違いでなければ私の
メモじゃこうなっているんですけれ
ども、冒頭でこう言ったんです。日米両国は現在二つの問題を持っている。
一つは
SACOの問題で
普天間基地の返還である。もう
一つは
朝鮮半島の問題が解決した後の
体制はどうあるべきかという問題であると。先ほど
板垣さんも言われたけれ
ども、つまり
朝鮮半島問題が解決した後、日米の軍事
体制をどうすべきかという問題がもう
一つの重要問題なんだと、なかなか率直にずばり物を言うんですね。こういう
説明でした。私の
メモによれば、馳議員が、
アジアの
米軍の十万名の数は
朝鮮半島の
情勢が変わると縮不可能か、そういう
質問をされましたね。ヘイズ准将の答えは、十万名は
朝鮮半島の
情勢いかんで変化する、こういう答えだった。朝鮮だけでなく中国、旧ソ連の
地域の
情勢の問題もあると。大体こういう答えをされたんです。
その後、同じような答えは、朝日新聞三月二十九日付で、
アメリカの太平洋軍司令官ジョセフ・プリアー提督は「
朝鮮半島で和解が成立すれば、当然、
日本での兵力水準について話し合いをすべきだ」という、変わるということを言っているんですね。ところが、今度来る
国防長官は変わらないということを言っているので、どうも
米軍の中にもいろんな
意見があるんだなと。だから、
国防長官で決まりだとは思わない。そのことが、つまり日米間で
普天間飛行場問題とともにもう
一つ持っている問題の
一つだと、こうヘイズ准将が言ったんです。
それから、ヘイズ准将が言ったことの中で、これもなかなか重要だなと思ったのは、
普天間基地の一部が北部に行くんだが、いろんな問題があると。台風が来た場合の安全の問題がある、
ヘリコプターにとって塩分が大きな問題で、その防止に莫大な金がかかるというんです。こうしたいろんな細かな問題を検討しなければならないので、五年から七年というが、七年では済まないかもしれないと、そうはっきり言いましたね。だから、
橋本首相は普天間返還で五年から七年と言い、
SACOの
最終報告にも五年から七年と書いてあるけれ
ども、
海兵隊の副司令官は七年で済まぬかもしれぬということを言うんですね。
それから、
嘉手納で私が失敗したのは
劣化ウラン弾の問題で、
嘉手納弾薬庫にあるので
嘉手納へ行って聞けばいいかと思って聞いたら、空軍は、あれは我々の問題じゃないんだ、空軍じゃないんだというので、しまったやっぱり
海兵隊に聞くべきだったなと思って、これはうまくいかなかったんです。
太平洋空軍の守備範囲を聞いたら、
アメリカ西海岸から東アフリカまでだが、必要に応じてその外にも行くと、こう言いました。
海兵隊の守備範囲は、
もとに戻りますけれ
ども、ヘイズ准将はこう言いましたよ。
沖縄の
海兵隊は西はアフリカ東部から東はハワイまで、南はニュージーランドから北はロシアまで受け持ち範囲で約五千平方マイル、
アメリカ本土の十七倍だと、これだけやっていると。それで、
海兵隊というのは小規模の部隊だけれ
ども、陸海空三軍の機能をすべて持っているのが我々
海兵隊だということは何度も強調して言いました。
もう
一つ私が聞いたのは、今度本土に百五十五ミリ
りゅう弾砲の射撃訓練が移ることになっているんだけれ
ども、
沖縄では金武連山に撃ち込むときに全然不発弾の処理をしていないんです。それで、金武町の町長が一昨年の共産党の
調査団に述べたところによりますと、
大田知事と一緒にハワイに寄って、ハワイのスコーフィールド演習場へ行ったと。そうしたら、ここは住宅地から四千二百も離れていて緑の山は撃たない。それで、着弾地点とガンポイントの数を数えて不発弾があればきちんと処理していると。キャンプ・ハンセンは住宅地から七百メートル、撃ちっ放しで不発弾がごろごろしているということで、ちゃんと不発弾の処理をすべきだということを言われていたので、そのことを聞きましたら、いやあそこは撃ち込むだけにしか使わないから処理しないんだと。
それで、東富士なんかは撃ち込む場所を別な演習にも使うので不発弾を処理している、ハワイも別に使うので処理しているんだと。それで、これは全部日米間の基準に従ってやっていると。だから、百五十五ミリ
りゅう弾砲の実射撃というのは東富士ではもう既にやっているし、
沖縄ではずっとやってきているんだが、これもその基準が決まっていると。これは案外五・一五
メモにあるいはあるのかもしれませんけれ
ども。我々もちょっとどういう基準か知らないんですけれ
ども、とにかく司令官はそういう答弁をしたということがありましたので、これも
報告しておきます。
沖縄問題は、特措法が今問題になっていますけれ
ども、やっぱり
海兵隊の撤去が一番当面の根本問題だと思うんです。
沖縄の二つの新聞、琉球新報、
沖縄タイムスは社説として
海兵隊撤去をずっと主張し続けていますしね。だから、
アクションプログラムで
県知事が公表したというだけではなくて、やっぱり
沖縄の世論は、事故を起こすのも
海兵隊だし、
日本を守る軍隊でもないし、やっぱり
海兵隊の撤去なしには
基地問題の当面の縮小の解決というのはないと。そうでないと、この
海上施設の移転問題でもああいうことが起きますし、今度の特措法の改正は
憲法違反にさらに
憲法違反を重ねるものだと。収用
委員会も全く空洞化して何の役割も果たさないことになるんじゃないかということで、怒りがいよいよ高まっていると思います。
やっぱり我々としては、政府も問題をきちんと正面から見て、
佐藤首相はかつて核抜きをあれだけ言ったんだから、密約を結んで妙なことがあったんだけれ
ども、
佐藤首相でさえ、当時不可能だと思われていた核抜きを一応
アメリカ政府にぶつけてやろうとしたわけなんで、
日本政府も
海兵隊撤去、せめて縮小ぐらいは言う態度を示すべきだと、そう思います。
この間の
視察でも、そのことを痛感したということをつけ加えておきたいと思います。
以上です。