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1997-02-05 第140回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年二月五日(水曜日)    午後一時開会     ―――――――――――――    委員氏名     会 長         林田悠紀夫君     理 事         板垣  正君     理 事         南野知惠子君     理 事         益田 洋介君     理 事         赤桐  操君     理 事         武田邦太郎君     理 事         上田耕一郎君                 尾辻 秀久君                 笠原 潤一君                 木宮 和彦君                 北岡 秀二君                 塩崎 恭久君                 馳   浩君                 林  芳正君                 山本 一太君                 石井 一二君                 今泉  昭君                 寺崎 昭久君                 直嶋 正行君                 水島  裕君                 山崎  力君                 大脇 雅子君                 田  英夫君                 笠井  亮君                 田村 公平君     ―――――――――――――    委員異動   一月二十日     辞任         補欠選任      水島  裕君     魚住裕一郎君      武田邦太郎君     本岡 昭次君      寺崎 昭久君     齋藤  勁君      田  英夫君     菅野 久光君   一月二十一日     辞任         補欠選任      本岡 昭次君     武田邦太郎君     ―――――――――――――    出席者は左のとおり。      会 長        林田悠紀夫君      理 事                 板垣  正君                 南野知惠子君                 益田 洋介君                 赤桐  操君                 武田邦太郎君                 上田耕一郎君      委 員                 尾辻 秀久君                 笠原 潤一君                 木宮 和彦君                 北岡 秀二君                 塩崎 恭久君                 馳   浩君                 林  芳正君                 山本 一太君                 今泉  昭君                 魚住裕一郎君                 直嶋 正行君                 山崎  力君                 大脇 雅子君                 齋藤  勁君                 菅野 久光君                 笠井  亮君                 田村 公平君    事務局側        第一特別調査室        長        入内島 修君    参考人        神戸大学教授   五百旗頭真君        法政大学教授   鷲見 友好君        東京大学助教授  田中 明彦君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○参考人出席要求に関する件 ○委員派遣承認要求に関する件 ○国際問題に関する調査  (「アジア太平洋地域の安定と日本役割」の  うち、アジア太平洋地域における安全保障の在  り方について)     ―――――――――――――
  2. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日までに辞任されました委員は、小川勝也君、松前達郎君、田英夫君でございます。委員辞任に伴いまして、新たに大脇雅子君、齋藤勁君菅野久光君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 理事補欠選任についてお諮りいたします。  本調査会理事の数は今国会より六名になりましたが、委員異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事武田邦太郎君を指名いたします。     ―――――――――――――
  5. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国際問題に関する調査のため、今期国会中必要に応じ参考人出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  8. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 次に、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。  安全保障及び経済協力等に関する実情調査のため、沖縄県に委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員等の決定は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ―――――――――――――
  11. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会のテーマである「アジア太平洋地域の安定と日本役割」のうち、アジア太平洋地域における安全保障の在り方について三名の参考人方々から御意見をお伺いした後、質疑を行います。  本日は、参考人として、神戸大学教授五百旗頭真君、法政大学教授鷲見友好君、東京大学助教授田中明彦君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、御多用中のところ本調査会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  参考人方々から忌憚のない御意見を伺い、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、五百旗頭参考人鷲見参考人田中参考人の順序でそれぞれ三十分程度意見をお伺いいたします。その後、二時間三十分程度質疑を行いますので、御協力をよろしくお願い申し上げます。  なお、意見質疑及び答弁とも、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず五百旗頭参考人から御意見をお述べいただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。五百旗頭参考人
  12. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) どうもありがとうございます。難しい名前の参考人で恐縮でございます。  私は、基本的に歴史家でありますので、きょうは大きな輪郭の中で、現在の日本、現在の安全保障問題がどういう位置にあるのか、どういう方向性を持った問題状況なのかといったマクロの観点からお話しさせていただきたいと思います。  戦後の出発点から振り返りたいと思いますが、あの戦争に次ぐ戦争体験、それが敗戦に終わった状況で我々は現在の憲法第九条を持つに至ったわけでありますが、その際、三つ戦争というのが意識されておりました。侵略戦争自衛戦争、そしてもう一つ国連憲章ができておりましたので国際安全保障集団安全保障の発動としての戦争、つまり侵略戦争が行われた場合に国連加盟国共同でこれを抑止し、そして制止し制裁するという役割加盟国任務として記されていたわけであります。日本としてはこの三つ戦争侵略戦争自衛戦争、そして国際安全保障国連加盟国責務としての戦争、それにどうかかわるかということが、第九条をつくるに当たってGHQの側でもそして日本国会の側でも論議されました。  この三つ戦争三つとも否定したという解釈もありました。侵略戦争はもちろんのこと、自衛戦争国連の行う戦争日本はかかわらないという解釈は有力な解釈でありました。しかし、否定したのは侵略戦争だけであって、自衛戦争はそうではない、また国連加盟国責務としての戦争もあれで禁じられたものではないという解釈もありました。  実は、当初はマッカーサー自身全部否定に近い観点をとっておりました。つまり、マッカーサー原則のもとで、民政局憲法の原案をつくるようにと指示しましたときのマッカーサーのメモの第二原則は、国際紛争解決手段のための戦争のみならず自国安全保持のための戦争をも放棄するということを明記して、侵略戦争自衛戦争も否定するようにと指示しておりました。しかし、それを受け取りました実務レベルケーディス民政局次長が、独立後までを展望に入れるならば、しかもこの憲法占領下でつくられるということを考えるならば、自国安全保持のための戦争まで否定することは無理であろうと考えまして、マッカーサーの指示のうちの後段を削除いたしまして、国際紛争解決手段としての戦争を放棄するというのみにして上に上げましたところ、マッカーサーもホイットニーも、二人の上司はそれを了承いたしました。その瞬間から実はGHQ内において、侵略戦争は否定したが自衛戦争は必ずしも否定されていないということで共通了解に向かったわけであります。  ただ、それでもなお、すべての戦争について慎重な否定的な、すべての戦争を放棄するような意向日本政府が持っているということは好ましいと。したがって、一般の印象としては、戦争について全面的に否定的な対応と徹底した平和主義を望むとしながら、しかし実際の扱いとしては、かたいところ、侵略戦争だけを否定するというやり方でやらなければならないというふうに考えたようであります。それはGHQ側意向でありましたが、芦田均などはややそれに近い立場をとったというふうに思われます。  吉田首相は、すべての戦争を事実上放棄することが望ましいという国会答弁を当初はいたしました。自衛のための戦争は容認されるべきではないという共産党の議員からの質問に対して、そのような考えは近年自衛の名において侵略戦争が繰り返されたことにかんがみると有害である、すべての戦争を放棄するという観点を示し、後にこれが社会党革新勢力の支持する、多くの人の解釈になりました。  ところが、吉田首相自身はその三年後から、あの第九条のもとで必ずしも自衛権を否定したものではない、自衛のための措置は残されているということを強調するようになり、大きな論争を呼ぶことになりました。保守政党はその吉田解釈の変更、さらに鳩山内閣ができるときにいたしました解釈、否定したのは侵略戦争のみであって自衛のための措置はとり得る、限定されたものであればいいんだという解釈をとりまして、五五年体制下ずっとそれを続け、そして五五年体制終了後、村山内閣のときに社会党もその立場を支持することになったということは御承知のとおりであります。  ともあれ、憲法制定解釈をめぐる議論は以上のようでありましたけれども、戦後日本安全保障をいかに図るかという広い観点に立ちますと、吉田サンフランシスコ講和を結び、独立するときにとりました選択は、基本的に日米安保条約日本自身限定的軍備を結び合わせて行うというものでありました。吉田は、戦前日本軍事第一主義に対して商人的国際政治観に立つ批判を持っておりまして、経済復興、まず立派な下部構造、体をつくることが大事であって金ぴかの武器を振りかざすのは慎むべきであるという観点から、経済復興を最優先する観点に立って、限定的な軍備国際環境を生かしながら日米安保によってそのような経済復興を可能にする枠組みをつくるという点を優先したわけであります。  以後、五〇年代後半には自主軍備を強調する政権も二、三ございましたけれども、六〇年安保を経て吉田の路線が池田内閣佐藤内閣時代にむしろ定着いたします。そのもとで、日本高度成長を遂げまして経済大国となります。六〇年代が終わるころには自由世界西側の二番目の経済大国になっておりました。そういうふうな経済大国化したところで七〇年代の国際環境の激変に直面したわけであります。  その七〇年代の変化は、一方で日本軍事的役割安全保障上の役割を拡大するような要因もありました。例えば、沖縄返還を許す、得たというのは日本安全保障上の責務の拡大であるということが日米の首脳の間で了解されていたところもありますし、アメリカベトナム戦争に敗れてアジアから軍事的撤退を行う、ニクソン・ドクトリンはそういうことを表明いたしまして、そのことは日本アジア全域において何らかの役割を担わなければならないのかというふうな状況変化とも考えられたわけであります。  他方、二番目に、むしろ日本軍事的役割をそう拡大する必要はない、抑制されていていいという様相も出てまいりました。七〇年代は米ソデタント時代でありましたし、特に七〇年代前半でありますが、同時に米中関係も、頭越し接近日本ショックを与えましたけれども、しかしながら米中が了解するということは日本にとっても悪くない、安定的なアジア国際環境である、その意味アジア地域デタントも進んだと。  そして、高度成長を誇っていた日本経済は、ドルショックあるいは石油ショックによって激しく波間に翻弄されまして、経済財政事情が悪化する、軍備予算の拡張ということも国内的に非常に難しいと。加えて、長期一党優位を誇ってまいりました自民党が単独過半数を失う方向に七〇年代向かいまして、保革伯仲になる。そういう中で、軍事予算を拡大するということは極めてタッチーなイシューでありまして、そういうことは国会上、内政上難しいと。そうした抑制的な要因もありました。  そういう中で結局とられましたのが、基盤的防衛力というふうな考え方です。日本大国のような抑止力は持たなくてもよい、抑止力というのは相手がこちらを刺し貫くならばこちらもまたそちらの脳天をかち割ることができる、必ずそちらもやられるのだから手は出せないはずだろうというのが殺伐たる抑止考え方でありますが、日本はそのような抑止能力は持たない。しかし、もし通常兵力によって侵攻しようとするならばその指をかみ切ってみせると。そういう意味拒否力は持つ、限定的な抵抗力を持つという基盤だけを持っておけばいいし、それには意味があるというのが基盤的防衛力考え方でありまして、その線に沿って大綱をつくり、そして一九七八年には日米間でどのように分担するかという日米ガイドラインがつくられたわけであります。  それは、安保の第五条、日本侵攻を受けた場合に、ソ連を想定しながら、例えば北海道に侵攻があった場合にどう対応するかということを主として想定したものでありまして、最初安保のときに日本日米安保プラス限定的軍備という基軸を据えたといたしますと、七〇年代においてこれをもう一度再確認したと。既に経済大国になり、国際環境は大きく動いたけれども、その中でなお日本は自前の軍事大国化をとるのではなくて、日米安保あるいは七〇年代にスタートいたしました米欧日の三極、G7サミット国際協調システム、そうした国際協調システムの枠内で限られた軍事安全保障努力を行うと。  ドイツはヨーロッパというNATOやEC、EUのような国際地域共同体の中に組み込まれている、日本にはそれはないという違いがよく指摘されますけれども、大きく見ますと、日本もまた日米安保、さらには米欧日トライラテラリズムという協調システムの中で自国の進路をとっているという意味で同じ選択をしたと。  そういう意味で、日米安保は七〇年代にある意味で再定義され、延長されたと思います。八〇年代の新冷戦の時期には、特に西側の一員ということが大平内閣以後あるいは中曽根内閣のときに強調されたわけであります。  そういう七〇年代の体験を通しまして、日本総合安全保障論というのをはぐくみます。狭い意味での国防安全保障軍事安全保障だけではなくて、外交努力友好関係努力同盟関係努力が必要である。そういうものを全部合わせてもなお三分の一である、あえて言うならば。経済資源エネルギーを失ったら国民生存は全うできない。安全保障というのは、簡単に言えば国民に対するさまざまな脅威から守ることである。もし石油が来なくなれば国民生存は全うできない。そういう意味経済資源エネルギー安全保障も劣らず大事であるし、そして大災害国民が生命を失い財産を失う事態というのは安全保障上の脅威であるということが、大平首相がつくりました九つのブレーン研究会の中の一つ報告書の中でこの三つの分野が強調されているところであります。七〇年代の体験を経て、そうした総合安全保障という観点をいわば理論化した。  大災害の分は、幾らか経験にもよりますが、かなり先読み的であって、私の家も阪神大震災で全壊いたしましたけれども、既にあそこでは理論的に予期されていたところであったと、その後読み返して思った次第です。  さて、この七〇年代の経験はここにおられる田中明彦さんも指摘しておられますように、冷戦後における日米安保定義のいわば前表、前奏曲のような意味合いを持ちました。七〇年代の危機、試練を越えて日本は八〇年代の相対的安定期を持ちましたけれども、八九年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦終結とともにもっと本格的な新しい流動的事態を迎えることになりました。ソ連の崩壊によって脅威が失われたから日米安保歴史的任務は終了したという議論も行われました。  しかしながら、それはヨーロッパにおいてNATOも同じような議論が行われましたけれども、ほどなく余り主張されなくなりました。湾岸危機のようなことが起こる、ユーゴのようなことが起こる、アジアにおいては北朝鮮が核問題を絡めての動きを示す、あるいは台湾海峡ミサイル実験のようなことが行われる。冷戦後、共通の敵に対するいわば攻守同盟としての安全保障枠組みというふうなものというよりは、必ずしも特定できない不安定要因に対する一つシステムとして、安定装置としてNATO日米安保条約も再評価されるようになったと言えるかと思います。  最近の衝撃的な事件から日米安保定義へのプロセスについては、次の鷲見先生がお話しくださるようでありますので、私は時間の関係もありまして割愛させていただきます。  そういうふうにこれまでの経緯を顧みますと、軍事大国化を慎んで敗戦後の枠組みである日米安保プラス限定的軍備を守って新しい状況に対応してきたと言えるかと思います。最初の、憲法制定のときの議論からいいますと、三つ戦争のうち侵略戦争を否定するという点について、日本国内には広いコンセンサスがあると思います。他方自衛戦争は容認されるということについても、今では極めて広い了解があると思います。はっきりしないのが国際安全のための軍事的役割はどうなのかという点でありまして、この点については、湾岸戦争経験からPKOについては行うというふうに展開いたしました。しかし、多国籍軍のようなものに参加することについては、そのような決断をまだ持たない。一般的に政治外交的な努力、場合によったら軍事上の措置を含めて秩序構築のための貢献は必要ではないか、それを国際社会みんなでやっていくことは必要ではないかということについて、原理的に理解されながら、しかし具体的措置についてはなお首をかしげているというのが今日の状況かと思われます。  それで、アジア太平洋における安全保障状況の特徴ということを最後に申し上げたいと思います。  アジア太平洋においては、ヨーロッパNATO型と違いまして、ハブ・アンド・スポークと呼ばれる、つまりアメリカが車輪の軸のような位置を占め、それが同盟条約網を至る方向に投げ出す。韓国日本フィリピン、あるいは東南アジア、SEATO、そしてオーストラリアニュージーランド、ANZUSというふうにスポークをたくさん投げ出して、アメリカ中心とする二国間のバイのネットワークによって全体としての安全保障システムアメリカが主宰しているというのが戦後の基本的な型でありました。  その型は今も続いているわけですが、しかし冷戦が終わってみますと、フィリピンの基地は既に引き揚げましたし、タイにかつてあったものもありませんし、ニュージーランドは核の問題に敏感になって変化するというわけで、韓国という前線に位置する国を別にしますと、オーストラリア日本のみがアメリカとの二国間安保条約を強く維持している。  特に、考えられる不安定要因との関連で言えば、実は日米安保枢軸型、日米安保が太い軸で、たくさんのスポーク一つというのではなくて主要な軸になっている。といって、ASEAN諸国が例えばアメリカ安全保障上の役割をもう要らないと考えているかといいますと、そうではなくて、非常に重要であると考えておりまして、シンガポールやタイ軍事同盟条約というふうな型ではなくて、柔軟な方式によって協力関係あるいは情報の行き来をよくするというふうな措置をとっております。そういうふうな変化をもってスポーク型というアメリカから投げ出すものが存在する。  二番目に、「パックス・シニカの復活」と書きましたけれども、中国はその存在自体が巨大過ぎるゆえに、地域と地球の運命をどちらに転ぼうと左右し得る存在であります。中国台湾海峡をめぐる問題あるいは南沙諸島をめぐる問題を経て、改革・開放のために平和を必要としている、協力を必要としている、これは本気である。しかしながら、同時にパワーポリティックスをも併用しなきゃいけない。そして、長期的には経済力軍事力も高めて総合国力を高めることによって中国の望むような国際関係秩序というものをじわじわと築いていくことが望ましいと考えているようであります。  二十年後、三十年後、中国経済国力軍事国力も高めたときにどういう存在になるかということが二十一世紀人類史中心問題の一つであろうかと思います。そのときに、戦前日本のように強くなった軍事力を振りかざして冒険的な対外政策をとるかというと、多分そうではないだろうと思います。じゃ、今日の日本のように、もはや軍事力を振りかざす時代ではないといって非軍事的なシビリアンパワーとしてやっていくかというと、そうでもないだろうと思います。恐らくどちらでもない。  前者のような軍事手段を振りかざすような行き方というのは、中国の中でも例えば華人、華僑の役割ということは中国経済にとって、中国社会全般にとって極めて重要でありますが、決してそういう人たちの支持するものではない。これだけ開放され、内外の行き来が多くなったときに、そのような手段を容易にとり得るものではないし、また中国というのは、歴史的に文明の中心として世界を支配する経験と訓練を積んできた国でありますから、単純な軍国主義というのを簡単にやるものではない。しかし、他方、伝統に根差した国として、力、軍事力というものの役割、これを決して軽視もしないという中で、息詰まるような問題として二十一世紀は続くのだろうと思います。  さて、アメリカ中心とするハイのネットワーク、伝統的地域中心としての中国存在、それともう一つ非常に重要なのが、国際政治アクターが多元化する中で地域主義の重要性が冷戦後高まってまいりました。特にASEANが、それが発足したときにはだれも想像しなかったほどの発展を遂げ、緩やかな協力体制、自発的な協力体制、つまり上からの制度化よりも緩やかな協力体制を自発的に結ぶということのおいしさを味わうようになった。  それがモデルになって、開かれた地域主義としてのAPECというのが今やアジア太平洋を覆うシステムとして発展し、それは基本的に経済の問題でありますが、安全保障面でASEANリージョナルフォーラムも活動し、これは政府間のものでありますが、民間レベルでCSCAP、アジア・太平洋地域安保協力会議、こういうのがいわば民間の水先案内として行われ、さまざまなシンポジウムや研究会、フォーラムが行われる。  このような緩やかな、制度化は不十分だけれども多様な要素を内に含んだ地域主義というのが案外二十一世紀状況に適合的であるかもしれない。冷戦の崩壊したのが一九八九年ならば、APECが発足したのも一九八九年であります。冷戦後の緩やかな秩序の受け皿としてこれを育てることができるかどうかというのが大変重要である。  このような自発的な、マルチの協調システムというのは好ましい面があるわけですが、もし大国がここで激突をしてしまえばすべてはおしまいであります。その意味で、日本役割として極めて重要であり続けるのが日米安保アジア側出口を適切に管理するということでありまして、かつてのベトナム戦争のときのように、アメリカがやる気があり過ぎてアジアに過剰介入するというのは迷惑であります。  現在のアメリカはそれではなくて、むしろギングリッチの共和党に代表されるように内向きになって返りたがっている。孤立主義的傾向が強い。そのアメリカの、しかしなお持ち続けている圧倒的な力というのをアジア太平洋秩序構造に生かし続ける、背骨としてこれを残すということが大事であります。ただ、背骨は見えないから大事なので、見えるというのは異常な事態。その意味で、桐の箱におさめて恭しく置いておくということが味でありまして、そういうものとして大事にしながら筋肉の活動を活発にしていくということではないかと思います。  それから、日本が行い得る役割、国際貢献のうち一番大きいもの二つを言いますと、一つは、そういうふうに日米安保アジア側の出口の管理であり、もう一つは、地球環境やグローバルな問題、あるいは途上国の開発を支えるODAを中心とした協力活動であります。これは非常に重要である、忘れてはならない。今ODAは転機に差しかかっておりますけれども、今後の世界においてポジティブな役割日本が持ち続けようと思うならば、これは大事にしなきゃならないと思います。  そして三番目に、アジア太平洋協力枠組み日本中心になって続けるということははばかられるというので、APECをつくるときにもあるいはARFのときにも、日本があるイニシアチブをとりながら人様に手柄を差し上げるということをやってまいりました。それは、過去の問題もありますし、また大国が出しゃばり過ぎないと。ASEANから見ますと、アメリカが引いた後、他の大国日本中国やインドやロシア、それがかわってのさばるということは好ましくないという感覚があります。  そういう状況の中で、日本は必ずしも自分が前面に出て仕切るというのではなくて、しかしながらこの枠組みをつくる、太平洋文明というのを築くことが、これは地域にとって世界にとって望ましいだけではなくて、実は日本の長期的、根本的国益であります。日本という国は戦いの中で決して自己実現できない宿命を負っております。経済活動のあり方一つを見ても、国際的な平和と協力関係の発展、その意味で、アジア太平洋が対立てはなくて協力関係が進むということが日本生存の条件でありますので、実はこれはきれいごとではなくて国益である。そのための政治的、外交的努力を活発化するということが極めて重要だと思っております。  その意味で、政治の回復を一日も早く望みたい。個別分野に縦割りされた官僚機構、それを超える総合的な国家戦略を持って進んでいくということがこのような流動化した状況では極めて重要でありますが、そのための政治システムの回復を望みたいところであります。  そして、政府だけではなくて、この時代、民の役割は非常に大事であります。その意味で、日本は例えばAPEC大学のようなものをつくるべきではないか。アジア太平洋文明をどういうふうに方向づけ、どうつくるのかというふうなことの知的創造の営みというものを持たなければ日本は決してよきリーダーにはなれないだろう。知的サーチライトとしてのAPEC大学、民間を含めてそれを支えるというふうなことが今後極めて重要ではないかと思っている次第です。  どうも時間が長くなりました。ありがとうございました。
  13. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) ありがとうございました。  次に、鷲見参考人にお願いいたします。鷲見参考人
  14. 鷲見友好

    参考人鷲見友好君) 鷲見でございます。  私は、専門が財政学でありまして、財政学の重要な一部分としての軍事費、したがってそれとかかわる軍事産業をやってまいりました。そのかかわりで軍事問題に幾らか関係するものを書いたし、そういうことできようここでお話しする機会を与えていただいたわけであります。  私は、これからのアジア太平洋地域の安全と、その中で日本はどういうことをすればいいかということを中心にお話しさせていただきたいというふうに考えております。  まず一番最初に、ソ連崩壊後のアメリカアジア太平洋地域についての情勢分析であります。  一九九三年の発足以来、クリントン政権はソ連崩壊後の新戦略の推進を図ってきました。九三年一月、就任と同時に、アスピン国防長官のもとで新世界戦略の構築に向けた米軍事力の徹底的見直し、いわゆるボトムアップ・レビューと言われているものが行われ、十二月には核拡散対抗戦略が公表されました。九四年夏、この構想に基づくと言っていいと思いますが、北朝鮮の核疑惑が大きな問題となったことは御承知のところであります。  九四年秋からは、ナイ国防次官補が中心になっていわゆるナイ・イニシアチブと言われる世界地域の戦略の立案、具体化の作業が開始されました。その結論は、アジアについては、一九九五年二月の東アジア・太平洋地域における安全保障戦略、これを東アジア戦略と普通言っておりますけれども、それを初めとしまして、九月までに五つの地域戦略として発表されました。  東アジア戦略では、アジアは依然として不確実性と緊張が存在し、軍事大国が極めて集中している地域としておりますが、アジア太平洋ではもはや覇権主義的なソ連脅威に直面することはないが、我々はいまだに朝鮮半島での挑発的な軍事的な脅威、並びに再発する緊張の複雑な配列、一連の複雑な緊張と言った方がいいかもしれません、と対決しているというのが基本的な情勢分析であります。  冷戦下ではソ連が仮想敵国であったわけですが、ソ連が崩壊した後、ソ連脅威論にかわるものとして北朝鮮の危険がクローズアップさせられてきました。私も、北朝鮮というのは何かいろいろ困ったことをする国だというふうには思っております。しかし、そのことと、北朝鮮がクリントン政権が言うように軍事脅威であるということとは別であると考えております。  クリントン政権の戦略では、ソ連脅威論にかわってローダ・ステーツとかあるいはアウトロー・ステーツという敵が登場してきております。悪党国家、ならず者国家、無法者国家でありますが、この言葉はクリントン大統領が日本へ来たときも使っております。どこがならず者国家であるかを決めるのはアメリカであります。今、アメリカが挙げているのは、北朝鮮、イラン、イラクなどであります。ならず者国家の潜在的脅威が本格的脅威になるのを阻止するために、予防的防衛がアメリカの利益を守るための我々の最も重要な手段だとしているのであります。  これがローダ・ドクトリンでありますが、極めて危険な戦略であると考えております。こういう戦略をやめさせることがアジア安全保障にとって極めて重要でありますが、それができないとしても、アメリカの言うことに従っていればいいということから脱却することが必要であると考えております。  北朝鮮の核疑惑も、こうした脈絡の中で大きな問題となりました。今どき核兵器を開発するなどというのは異常と言わなければなりません。まして国民の多くが飢えているときに、そうしたことに乏しい金を使うのは常軌を逸していると言わなければなりません。しかし、アメリカが言うように、軍事施設に対するIAEAの査察を拒否したことをもって制裁に値するかのように言うのは、これも問題であります。正確に調べてはおりませんが、IAEAの査察を受け入れていない国は十カ国を超えていると記憶しております。軍事施設の査察を受けている国はどれだけあるかを調べておりませんが、珍しいことではないのではないかと思います。それを誇大宣伝とも言えるように脅威をあおるのは、決してアジアの安全のためから見ても望ましいことではないと言わなければなりません。  ナイ・イニシアチブを総括するものとして、先ほど触れました東アジア戦略など、そのほか幾つかの報告書が出されておりますが、そこで提起されている戦略の柱は、同盟国の力を最大限利用しながらも大規模な軍事作戦を一国だけでできる能力を今後も維持し続けること、アメリカ自国の利益を防衛し、増進させ、自己の誓約を実行するための軍事手段を維持することによってのみ世界における自己の卓越した立場を維持することができる、これは九六年の国防報告でありますが、という言葉に見られるように、従来もそうでありましたけれども、アメリカが常に第一人者であり続けることと同時に、アメリカの国益が従来より一層強調されていることであります。  我々が追求する具体的な安全保障上の目的には以下のものがあるとして、第一に、我々が共同地域的、地球的規模の安全を促進するための基本的なメカニズムとしての役割を果たしている日本との二国間のパートナーシップを強化するとして、日本に従来の東アジア地域だけではなく地球的規模の安全に役立てる役割を担わせようとする方向であり、在日米軍は防衛だけではなく米世界戦略の前進基地であることを、あけすけにと言っていいと思いますが、語っているわけであります。  去年、アメリカ国防総省の国防大学研究部次長をやっていたコッサという方が来られて話をされたようでありますが、そこではもっとこれを極端な形で、日米共同宣言の後に来られたわけですが、共同宣言について、米軍の日本駐留が日本の国益を守るものであるという神話を壊す上であの日米共同宣言は役立った、米軍は日本の利益を守るために日本に駐留しているという見方は間違っているということさえも、これは個人の発言といえばそれまでですが、そういうことも言っている。そういう中で、国防報告でも先ほど言ったようなことが述べられているわけであります。  このようなナイ・イニシアチブが出された背景を見ておく必要があると思います。ソ連崩壊とともにソ連脅威がなくなった状況のもとで、軍事費支出と軍事同盟維持の新たな理由づけと軍事同盟そのものの再検討が迫られているということがあると言えます。  そのほかに、日米経済摩擦とのかかわり、あるいはアメリカ国内での安保見直し、解消論の登 場、それに加えて日本の国内状況なども考慮されているかとも思われます。  アメリカでは、例えばケイトー研究所は、冷戦の終結により、アメリカの利益という観点から政策の変更が可能であるとして、日本はもはや深刻な脅威に直面しておらず、アメリカ政府は在日米軍の段階的撤退を早急に実施すべきである、在日・在韓米軍は向こう三、四年のうちに全面撤収すると言っております。この主張は、アメリカ軍事費負担を少なくし、貿易パートナーにみずからの防衛コストを全額負担させるという趣旨からのものでありますが、そのほかにも、違った立場からではありますけれどもいろいろな日米安保解消論がアメリカの国内で登場してきております。  こうした見直し論に対抗するために構築されたのがナイ・イニシアチブであり、したがって唯一の大国であるアメリカの国益の強調、もちろん今までもアメリカの国益の強調は行われておりましたが、ナイ・イニシアチブ以降その強調が一層強くなっております。それと、アジアアメリカにとっての意義であります。アジアがいかにアメリカにとって必要であるか。また、日本に対する肩がわり、分担要求の強まりであります。  この東アジア・太平洋地域安全保障戦略では、アジアは今日新たな重要性を持っている、九三年におけるアメリカアジア太平洋地域との貿易額は三千七百四十億ドル以上であった、これはアメリカに二千八百万人分の雇用に当たるというふうに述べて、また下院の国際関係委員アジア・太平洋小委員会で行った証言で、ナイ国防次官補はこのことをさらに繰り返して、貿易額は二〇〇〇年までに、太平洋間の額は大西洋との間の額の二倍になる、アジアアメリカにとっていかに重要か、さらに在日米軍はアメリカが地球的規模で責任を果たすのを助けており、ソ連が崩壊し軍事脅威が減少したにもかかわらず、日本における米軍のプレゼンスはアメリカの地球規模の前進展開態勢にとって死活的に重要であること、新特別協定によって向こう五年間にわたりて米軍駐留経費の七〇%以上を日本が負担することになり、日本は最も気前のいい我々の同盟国であるということを述べており、同じようなことを幾つかの報告書で繰り返して強調しております。ACSAはこうした脈絡の中で締結されました。  最近のアメリカ日本に対する要求、時間があればもう少し申し上げたいのですが、もう一つだけ申し上げておきますと、例えばAWACSのように、直接アメリカの兵器の購入要求、それからF2に見られるような安保をてこにした共同開発の強要であります。ここではその指摘だけにとどめておきます。  昨年行われた日米共同宣言と安保定義は、以上のアメリカ世界アジア戦略を政府間の公式の取り決めとして確認したものであります。この宣言では、これまで少なくとも公式には安保条約第六条でうたわれていたアメリカ軍の作戦範囲を限定した極東の平和の維持というような極東の文言はなく、アジア太平洋という範囲も明確でない地域に拡大し、これは、橋本総理大臣がこの範囲は国際状況によって変わるというようなことを国会答弁されていたと記憶しておりますが、そうした明確でない地域に拡大し、しかもこの同盟を二十一世紀まで引き継ぐことを確認しました。  これは、多くの人たちが指摘しているように、実質的な安保の改定であります。このような重大な問題を国会での十分な議論もなしに日米首脳の話し合いだけで決めてしまうということは、手続的にも民主主義のじゅうりんと言わなければなりません。  この共同宣言に対するアジア諸国の反応、これは大変重要だと思いますが、新聞によりますと、韓国中国は大変警戒を強める発言をしております。台湾やASEAN諸国は歓迎というふうに報道しておりますが、ASEAN諸国は一様ではないと思いますけれども、歓迎しているのは、日本が独自で軍事力を強めていくことに対する危惧があるということがその背景にあります。中国韓国の懸念というものは、これは重視しなければならない問題で、中国にとっては後方支援は違憲だというようなことも言っているわけであります。  次に、もう時間がありませんからごく簡単に述べさせていただきますが、日本軍事費については、「不思議な日本軍事費」と書いておきましたけれども、まず第一に、現在でも公法学者の多くは自衛隊は違憲であるという立場をとっているわけでありますが、違憲の自衛隊が、あたかも憲法などはないに等しいように軍事費が、軍事費というと日本のは軍事費ではなくて防衛関係費だというふうに言われる方もいると思いますが、これはもう明らかに軍事費でありまして、この軍事費が憲法前文、第九条を含めた平和憲法のもとで現在では世界で第二位の大きさになってきてしまっているわけであります。  既にお気づきになっている先生方が多いかと思いますが、防衛白書はずっと三十年以上にわたって世界軍事費を比較する場合にはミリタリーバランスの数字を使ってきておりました。ところが最近は、防衛白書ではこのミリタリーバランスの数字を使わなくなってきているんですね。  八年度の防衛白書の百六十三ページですが、そこを見ますと、これもまた大変な計算をしているんです。ここではもう時間がありませんから数字は申し上げませんが、「国防費については、各国予算書、国防報告などによるものであり、ドル換算については購買力平価(OECD公表)を用いている。」。それによりますと、日本は一ドル百八十一円です。大変な円安で換算していますから、もちろんドル換算では低くなります。  そういうものが載っておりますし、それから附属の資料が載っている三百三十六ページには、「各国国防費の推移」というのが載っております。  これは、それぞれの国の通貨単位で表示してありますから全く比較にはなりません。  ただ、この表を見ますと、日本だけが一回もマイナスになったことがないということだけはわかります。あとは全部どこの国もマイナスになっております。中国はちょっとマイナスになっておりませんが、そのほかの国では全部マイナスになっているわけでありますけれども、各国の通貨単位ですから比較はこの表からだけではできません。  ただ、さすがにミリタリーバランスに全然触れないわけにはいきませんから、「注」に、ミリタリーバランス、一九九五-九六年の第二部、諸表と分析「国防支出と兵力の国際比較」によれば、九四年度の上記諸国の国防費は、米国二千七百八十七億ドル、以下省略しますが、英国三百三十八・六億ドル、ドイツ三百四十八・四億ドル、フランス四百二十七・二億ドル、ロシア千六十九億ドル、中国二百七十六‘八億ドル、日本は四百四十六億ドルですが、ロシアはどうしてこの年にこんなに多いかはよくわかりません。私が調べたところでは、九三年ではロシアは日本よりも低い数字になっております、ミリタリーバランスは。  だから、ロシアというのは統計そのものがはっきりしないということがあると思いますが、そのことは別にしましても、ロシアを別にすれば、日本アメリカに次いで世界で第二位であるということはミリタリーバランスによっても非常に明確なんです。だから、これはNATO基準で計算するとすればもっと日本軍事費は多いと思います。  だから、平和憲法があるにもかかわらずこういう大きさになっていて、さすがにこれでは比較できないものですから、それでこういうような今まで三十年間やってきたような方式を変えてまで日本軍事費を低く見せるということがされている。これはやっぱり日本軍事費がこれだけ多いということを正面切って言いにくい事情があって、日本がそれだけ必要であると堂々と言えるのならそういうことをする必要はないんですが、こういう操作をしているのかなというふうに考えざるを得ない、こういうのが日本軍事費の実態であります。  そのほかについては、ちょっと時間がありませんから省略させていただきたいというふうに思います。  最後に、「アジア安全保障に対する日本役割」とありますが、冷戦崩壊後の今こそ日本は平和憲法の理念に従った話し合い、互恵平等の貿易その他の経済関係、人道的な経済援助等々によって軍事力によらない解決の方法を追求すべきである。したがって、もちろん軍事同盟は結ばないということを追求すべきであります。それにもかかわらず、いたずらに危機をあおり、軍拡を進め、海外派兵の道を進めるのは極めて危険であります。この世界の各地で紛争が起きていることも事実であります。そしてまた、その紛争の原因は複合的な原因でありまして、なかなか難しい問題があります。  しかし、私がここで申し上げたいことは、そうした紛争の場合に兵器の供給が行われるということ、これは私自身がそれをきちっと正確に調べたわけじゃありませんが、紛争が兵器の供給によって激化し長期化する。逆に言えば、兵器の供給をやめればそれをもう少し抑える条件も出てくるというようなことを言っている人もおります。  中国の問題が台湾海峡に関して問題になっておりますが、アメリカはF16を台湾に大量に売り、戦車も三百両売るというようなことも報道されております。ロシアは、中国に戦闘機を売ると。ロシアの戦闘機がどれだけ優秀かどうかわかりません。北海道へ亡命してきた飛行機を見た人は、大変あれは質が悪いというようなことを言われておりました。とにかくロシアは今、大統領命令で中古の武器を世界へ売りまくれというようなことをやっているわけでありますが、そういうロシア、アメリカ中心とする武器輸出、これこそアジアの安定にとっては極めて危険な要因でありまして、こういうのをやめるようにするということが必要ではないかというふうに考えます。  それともう一つ、最後に、軍縮へのイニシアチブですが、日本経済的に大国であることは間違いありません。そして、日本が平和憲法のもとで経済発展したことも間違いありません。したがいまして、日本アジアで軍縮へのイニシアチブをとることができる条件があるわけでありますし、またとらなければならない。それにもかかわらず、先ほど言いましたように、アジアの小国では軍事費をふやしていますけれども、大国では、今まで軍事費が大きい国で減らしていない国がないという状況のもとで日本は一回も減らしたことがない。こういうことではアジアの国々に軍縮を呼びかけることができない。呼びかけてもだれも相手にしない。まず自分からやれと言われるだけであって、呼びかけることができない。  だから、呼びかけるためには、核兵器の被害に遭い苦しんだ日本として、核兵器を廃絶するということ、それから非同盟、軍事同盟を結ばない、そして、軍事費を減らしていくという中で初めてそうしたイニシアチブが発揮できるし、またしなければならない立場に現在日本があるのではないか。しかし、現実はそうなっていないのが非常に残念であるというふうに考えております。  大分時間が超過しましたけれども、これで私は終わらせていただきます。
  15. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) ありがとうございました。  次に、田中参考人にお願いいたします。田中参考人
  16. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 東京大学の田中明彦であります。  本日は、参議院国際問題に関する調査会にお招きいただきましてありがとうございます。私は、ほぼ三十分ぐらいでお配りしてあります項目に従いましてアジア太平洋地域における安全保障のあり方について私見を述べさせていただきたいと思います。  まず第一番目に、現在のアジア太平洋における安全保障問題として具体的にどういう問題があるかということについて簡単に振り返ってみたいと思います。  まず、この地域アジア太平洋地域における際立った特徴は、解決していない領土問題というのが存在するということであります。これは、例えばヨーロッパなどと比べてみますとかなり特徴的なことでありまして、ヨーロッパでは冷戦の最中でありますが、全欧安保協力会議をつくるという過程で国境についての現状凍結ということを合意しておりますけれども、アジア太平洋地域においてはそのような国境を画定するということについて各国間の合意がなかなかできていないという事情がございます。ここでは、我が国に関係するところとして北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題を挙げてありますけれども、それ以外にも中国は、厳密に考えますとほとんどその国境を接する国すべてと国境問題があると言っても過言でないような状況であります。  つけ加えますと、もちろん日本政府立場からすれば、尖閣諸島問題は国境問題というか領土問題ではないということ。つまり日中間に領土問題はないというのが日本政府立場だろうと思いますけれども、現実には中国側、香港の人々、台湾の人々は皆、これは領土問題であるというふうに言っておるわけでありまして、法律的にはともかく、現実的にはそこに日本人と中国人の方々の間に意見の相違があるという点は認めざるを得ない。つまり古典的な国際政治の見方からすれば、まず西欧と比較した場合に国際紛争になり得る要因というものがアジア太平洋にはまだかなりあるということであります。  それから第二に、この領土問題に加えまして、さらに大きな問題としましては、アジア太平洋地域には依然として分裂国家というものが存在するということを指摘させていただきたいと思います。  言うまでもなく、朝鮮半島は依然として南北に分裂したままでありますし、中国は、中華人民共和国政府も台湾にあります中華民国政府も、ともに中国一つであるというふうに言い続けて戦後ずっと推移してきたわけでありますが、依然として台湾海峡を挟んで平和的な統一というような道筋はなかなか難しいという状況が続いております。  香港は本年七月一日に中華人民共和国に返還され、マカオも返還される予定であるということは分裂の様相をやや軽減するということがあり得るかもしれませんけれども、ただ、この香港の返還の過程自体においてもさまざまな不確定性というものが伴わざるを得ないということもあります。  三番目に、この領土問題、分裂国家の問題に加えまして、最近顕著な現象であるというふうにさまざまなところで言われているのが、アジア太平洋地域における軍備軍事力の近代化の問題であります。  各国が、この地域の特徴であります経済ダイナミズムの結果、軍事費を増強するだけの予算的なゆとりができたということが多分一番大きな要因だろうと思いますが、多くの国で軍事力の近代化が行われている。東南アジア諸国の中でも、例えばタイでは空母を購入するという動きがございますし、アメリカ製の戦闘機F16の購入。それからマレーシアでは、アメリカ製の戦闘機のみならずロシアからミグ29を買うというようなこともあります。先ほど鷲見先生がおっしゃいましたように、中国では、ロシアからスホーイ27を購入し、さらにライセンス生産を行うという動きがあります。そして台湾では、F16を百五十機、さらにフランスからミラージュ2000を購入するという動きが続いております。  軍備力を近代化するということを各国が行っているということ自体、これが直ちに紛争につながるということは必ずしも言えないと思います。つまり、紛争を起こすのは国家でありまして、武器があるというだけで紛争が起きるわけではありません。  ただ、懸念されることは、この軍備力の近代化というものが相互に悪循環を来し、一国の軍備力近代化の動きが他国をしてさらなる軍備力近代化を行わないと安全が脅かされるというふうに考え軍事力をふやす、そしてこの軍事力の増大がまたもとの国をさらに不安にさ起て軍事力強大化を図るという軍拡競争の悪循環が始まってしまいますと、これは大変問題であろうと思います。ですから、アジア太平洋の現状において今各国が軍備力の近代化を行っているということは、可能性として将来軍拡競争が起こるかもしれないという危険性を持っているということであります。  ちなみに、現在の段階で各国の軍備力近代化が軍拡競争になっているかどうかというと、私の判断ではまだこれは軍拡競争であるという段階ではないだろうというふうに思っております。  私がやった推計ではありませんけれども、ある経済学者の方が各国の軍備費の伸び率を軍拡競争のモデルというものに当てはめて推計したことがございますけれども、そういう推計の結果、お互いの軍事力が相手の軍事力増大に優位な影響を持っているというのが相互に起こっているという事態は、まだそれほど強く観察されていないということであります。  ついでに申し上げますと、アジア各国の軍備力の増大に対して日本軍備軍事費の増大が促進要因になっているということは全く言えません。  日本軍事力の増強がどこかの国の軍事力増強に優位に働いているということは、その推計をすると言えないという結果になっています。  四番目の問題としますと、そういう具体的な問題、個々の問題に加えまして、最近懸念されることは、主要国間の関係がやや安定性を欠いているということであります。  冷戦が終わった後、アジア太平洋地域の中でロシアの勢力が後退する中、アメリカ中国関係アメリカ日本との関係日本中国関係というものが極めて重要であるとの認識が強くされるようになってきました。  しかしながら、冷戦後のこの六、七年の間、米中、日米、日中、このすべての関係がある種の緊張関係経験したということであります。冷戦直後にはアメリカ日本脅威論というものが盛んに言われ、そして一九九五年の日米自動車交渉に至る過程では、日米経済摩擦こそが新たな冷戦後の対立の焦点であるかのごとく言われるということがありました。この日本脅威論は、日本経済の勢いがかってほどでないということもあって、アメリカ経済が大変うまくいっているということもあって、現在ではほとんど注目されていません。  それに反して、一九九二年ごろからは中国脅威論というものが盛んに喧伝されるようになり、一昨年から昨年にかけての李登輝総統のアメリカ訪問を契機として台湾海峡の緊張が深まり、米中関係も大変緊張するという局面を迎えます。  そして、この日米、米中というふうに緊張関係が生まれたわけですけれども、昨年、一昨年に関して言いますと、日中関係もまたなかなかうまくいかないという状態になりました。これは一面では中国が核実験を継続したということ、これに対して日本人の多くが批判をしたということ。そしてさらに昨年は、中国が、日本との間で歴史認識の問題、尖閣諸島問題、日本の中における台湾との関係を改善したいという動きに対する批判等からその批判を強めたということがあります。  この主要国関係が緊張するということ自体が直ちに安全保障問題になるかというと、そういうことではありませんが、安全保障に最終的に最も影響を与えるのは主要国の動向でありまして、この関係が安定しないということ自体、間接的には大変大きな安全保障問題の背景の領土問題、分裂国家の問題、軍備力近代化の問題をさらに悪化させる可能性を持つ、そういう問題があると思います。  最後に、五番目としまして、アジア太平洋地域においてもいわゆる新しい安全保障問題といったようなものがやはり注目されなければいけなくなってきていると思います。  ぺルーの日本大使公邸の襲撃事件というのは必ずしもアジア太平洋地域というふうにみなしていいかどうかよくわかりませんが、テロというようなものの存在というのはやはり安全保障にとって重要な影響を持ちますし、もし麻薬取引というようなものが無制限に行われるということであれば、その国家、国内の生活が内からむしばまれるということになります。その他、難民とか海賊等、海賊というのはこのごろ余り使わない言葉でありますけれども、実際は海上交通路において古典的に言えば海賊に当たる行為をなすグループというのはいまだに存在するわけであります。もうちょっと大きな範囲で言えば、環境問題ということも広い意味安全保障問題であろうかと思います。  さて、アジア太平洋にはこのようなさまざまな安全保障に関して懸念を呼ぶような問題がありますが、それでは一体安全保障を促進する、より安全な環境をもたらすためにはどうしたらいいかということについて、国際政治学で通常行われる議論を幾つか整理した上で、その観点から今のアジア太平洋はどういう特徴を持っているかということについて触れてみたいと思います。  まず、国際政治学で安全保障に関する見方は、大きく分けますと、リアリズム、現実主義と言われる見方とそれからリベラリズム、訳し方は難しいですけれども、あえて意味をとって訳せば国際協調主義とでも言われる見方の二通りが主流であろうと思われます。  リアリズムというのはおおむね国際政治を対立的なものととらえ、その対立の背後にある力、とりわけ軍事力というものを重視した考え方であります。国際政治はどうやって動くかといえば、つまるところ力と力がどうやって分布しているかによって決まる。この観点からしますと、何が安全保障にとって問題かといえば、どこかの国の力が急速に上昇するということが問題、つまり力の分布の変化というものが不安定化をもたらすという見解になります。力の分布の変化に対してどうすればいいかといえば、どこかの力が上昇したのに対して、ほかの勢力が力を糾合するなり、あるいはみずからの力を上昇させるということによってバランスをさせる、あるいはある種の力の上昇に対して攻撃を抑止するような力をこちら側も持つというような考え方であります。  ただ、リアリズムだけが唯一の考え方ではなく、第二の考え方として最近注目されている見方とすれば、国際協調主義とでもいうような考え方があります。この考え方はおおむね三つ考え方に整理できます。  一つは、平和を達成するために何が望ましいかといえば、各国の国内政治体制が民主主義的になることが望ましいという言い方があります。最近、過去二世紀ぐらいの戦争を観察してみますと、民主主義国と民主主義国が戦った戦争というのは、ある論者によれば一回もない、多くの論者によればほとんどないということになります。ですから、民主主義の体制が広まるということが平和につながる。  第二の考え方は、経済的相互依存が平和をもたらすという考え方であります。お互いに経済が密接に結びついていくようになれば、相手の国に戦争をしかけるということは自分の金もうけのチャンスを失うということになって大変損である。したがって、戦争なぞを起こすはずはないという経済相互依存の効用ということを指摘する考え方であります。  第三は、国際的制度をつくることによって平和を達成しようという見方であります。多くの国が恒常的に安全保障に関して話し合いをする、あるいは集団的安全保障の取り決めを結ぶというようなことをしていけば、相互の国際紛争というものが軍事化するということを防ぐことができるであろうというような見方であります。  さて、このリアリズムとリベラリズムの見方は、多くの場合、学説の中では対立していますけれども、私は必ずしも相互に排他的でどちらかをとったらどちらかが必ずとれないというようなものではないであろうと思っています。この二つの見方からそれではアジア太平洋を評価したらどういうふうになるかということになると、結論はそれほど芳しくないということであります。  まず、リアリズム、現実主義の見方からすれば、アジア太平洋にとってまず何が一番注目されるかといえば、これは大変な経済成長を各国が遂げているわけですが、その中でもとりわけ中国経済力の上昇というものが大変顕著であるということであります。ですから、ここで中国経済力の上昇を軍事力に転化させるということになれば、力の分布が急速に変化することになる。つまり、これは現実主義から見た不安定化の最も重要なもの、それが今アジア太平洋に起きているということになります。ですから、現実主義的な見方、世界の国際政治学者の中で現実主義だと言われる人たちの多くは、アジア太平洋は大変不安定だ、日本人なりアジアの人は経済が発展しているから大丈夫だというふうによく言っているけれども、そんなに安心していてはいけないということを言われます。  リベラリズムの見方、国際協調主義の見方からするとそれではアジア太平洋はどういうふうになるかといいますと、期待は持てる、ただ不確実だというふうなことがリベラリズム、国際協調主義から見た見方であろうかと思います。なぜそうかといいますと、期待は持てる、民主主義による平和論からすれば民主主義国がふえる傾向にあるというのは望ましいと思うんです。アジア太平洋でも韓国、台湾が民主化を遂げ、タイも民主化を遂げ、フィリピンの民主主義もそれなりに安定してきている。したがって民主主義勢力がふえている。これは望ましい。  ただ、期待は持てるわけですが、不確実だというのはなぜかといえば、すべての国が民主主義になったわけではない。とりわけ重要な国家であります中国における民主化の動きというのは、進んでいるにしてもかなりゆっくりとしか進んでいない。悲観的な論者によれば、中国において西側的な意味で民主主義なぞ起こるわけがないというふうに言う人もいます。そうすると、一番重要な国と思われる中国において民主化が進む期待がそれほど持てないとすれば、民主主義による平和が仮に正しいとしても、一番重要な国家との間の関係は依然として不安定になるかもしれないということであります。  経済的相互依存による平和、これも期待は持てる。なぜならば、アジア各国の経済的相互依存の結びつきはますます強まっている。東南アジア諸国に対する日本、台湾、アメリカなどからの直接投資は非常に進展している。したがって、各国の経済はますます密接に結びつくようになっているから、お互いが国際紛争を軍事的に解決しようというような誘因は減っていくであろう。これも期待が持てる。ただ、不確実だということはここでも言えるわけです。つまり、経済的相互依存が深まれば必ず国際紛争が軍事化しないというような保証は全くない。経済的相互依存が深まったら戦争しないのであれば、日本が真珠湾攻撃をするなどということは考えられないということがしばしば言われます。  それから、アジア経済的相互依存の深化は確かですが、それでも例えば西ヨーロッパと比べてみるとまだ相互依存の進展の度合いというのは低いレベルであるということが言われます。  第三の国際的制度による平和という観点から見ると、これもやはり期待は持てる。つまり、アジア太平洋でもAPEC、アジア・太平洋経済協力のための閣僚会議が開催されるようになった。ASEAN地域フォーラムというものも動き出した。ですから期待は持てる。ただ、これも不確実だ。ASEAN地域フォーラムにしても、結局のところ一年のうちASEAN地域フォーラムというのは一日で行う。ここで話し合っていることも信頼醸成措置、重要なことでありますけれども、これだけで軍事的な危機あるいは軍事危機をもたらすかもしれないような事態に対処できるようなメカニズムになっているわけではない。したがって不確実であるということになろうかと思います。  とすると、このどちらの考え方、現実主義考え方をとってもリベラリズムの考え方をとっても、アジア太平洋地域はこのままほうっておいて安心できるというような状態ではないということだけは私は確かなのであろうと思います。ですから、各国とも真剣な安全保障政策ということを追求しなければいけないと思います。  その際、何が基準になるかといえば、私は先ほど申し上げましたように、リアリズムにしてもリベラリズムにしても、必ずしも相互排他的、どちらかをやったらどちらかがやれないというものではないと思うんです。ですから、望ましい政策というのは結局のところこのリベラリズムの言うような積極的な方策、民主主義を伸長させる、経済的相互依存を伸長させる、国際的制度を広めるということを促進するとともに、最悪の事態あるいは想定していなかったような事態が起きたときの安全策として現実主義的な政策、つまりある種の勢力均衡に基づくような政策というものをとっておかなければいけないというふうに思います。  そこで、具体的にはどういうことになるかというと、私はそこの三番に書きました。私が言っていることが必ずしも賢明かどうかはよくわかりませんけれども、私の見方からすれば以下のようなものがアジア太平洋における日本安全保障政策のキーになるであろうと思います。  第一は、日米安全保障条約の重要性であります。  これは、アジア太平洋においてさきに挙げましたようなさま、ざまな問題が存在するという中で、現実主義者が言うような力の分布の急速な変化ということの危険があるという以上、最悪の事態に備える措置として日米安全保障条約というものを堅持するということが非常に重要であろうと思っております。一番望ましいのは、先ほど五百旗頭先生がおっしゃったように、桐の箱にしまっているけれども確固として存在するということであろうと思います。  ただ、日米安全保障条約は軍事同盟、勢力均衡に基づく制度であると、そういう側面だけでとらえるのは私はやや狭い見方であろうと思っております。これは、現在の世界の中での自由主義的な民主制をとる国家の間の連帯を示すというような、よりシンボリックな意味というものも考えなければいけない。日米安全保障条約というのはそういう存在になりつつあると。  これも先ほど五百旗頭先生がおっしゃいましたけれども、NATOというものも、冷戦が終わった後、今その性格は、自由主義的な民主制をとる国家同士の連帯を示す組織、この自由主義的民主制をとる国家に世界の不安定な要素が影響を与えるのをできるだけ低下するための装置であるというような形でとらえ直しが進んでいるというふうに思うわけですが、日米安全保障条約もそういうふうな観点から見ることが重要になってきていると思います。  第二に、日米安全保障条約は重要でありますが一それのみをやっていれば日本の安全は万全だというふうに考えるのも私は間違いであろうと思います。つまり、ここで国際協調主義と言いましたようなさまざまな平和をもたらすための活動というのをやはり日本は積極的に進めていかなければいけない。  第一に、私はプラス志向の経済発展の重要性ということを書きましたが、アジア太平洋地域は幸いなことに、一九七九年の中国のベトナムに対するいわゆる懲罰戦争以来国家間戦争は一度も起きていません。ですから、この十七年に及ぶ平和というのは、アジア太平洋にとってみると大変貴重な時間であります。そして、この大変貴重な平和は何によってもたらされたかといえば、その多くは、やはり多くの諸国がこれからは経済発展をすべての国が共有できるというような見通しがあった、みんなでお互いに金もうけができるというこの期待がその平和の一つの基礎になっていると思います。  ですから、ここの段階でどこかの国の経済発展がどこかの国の経済発展のマイナスになるというような形になりますと、これは大変な紛争要因になりますので、その面から日本経済協力というようなものも、単に経済面における協力というのではなく、アジア太平洋を全般的に安定化させる装置としてプラス志向の経済発展をこの地域にもたらすという観点から評価をしていくことが大事だろうと思います。中国、インドネシアあるいはASEAN諸国、それからベトナムを中心とするインドシナ諸国、こういう国に対する経済協力というのは非常に私は重要だろうと思っております。  このプラス志向と言った場合に、国と国との間の経済発展がすべてプラスになるということも重要でありますが、よりきめ細かく考えますと、経済協力の受け入れ国国内の地域間において経済発展にアンバランスが生まれるというのも望ましくありません。ですから、例えば中国への経済協力ということでいえば、内陸の経済発展というものが安定的に推移するような形の経済協力というのが日本にとっては重要なポイントになろうかというふうに私は思っております。  三番目に、国際的な制度というものをやはり重視していかなければいけない。ASEAN地域フォーラム、APECにおける非公式首脳会談などを重視するということが大事だと思っております。  こういう多角的な枠組みは、先ほど申し上げました日米安全保障条約に代替するものではありませんけれども、このような多角的な信頼醸成の装置というものが全体としての安全保障の底上げに役立つということ、私はそういう認識を持つことが重要であろうと思っております。今後の課題として見れば、やはり北東アジア、朝鮮半島を中心とする安全保障の対話の枠組みというものを重視するということも認識しておかなければいけないというふうに思っております。  最後に、以上のような全体的な見通しの中で、最近のアジア太平洋地域の国際情勢について若干コメントさせていただきたいと思います。  まず第一に、朝鮮半島問題でありますけれども、これは、昨年夏の潜水艦事件に対して北朝鮮が謝罪をしたということでやや改善の方向に動き始めたというふうに思います。ただ、四者協議についての説明会ということに関しては北朝鮮側から延期ということが最近続いております。ですから、まだ楽観はできませんが、北朝鮮の中で食糧についての情報を公開するというような動きも最近見られておりますので、アメリカ日本韓国関係各国が慎重に協議を進めていくということによって最悪の事態に至るということを防ぐ努力がなされなければいけないというふうに思います。  ただ、朝鮮半島のエネルギー開発機構でありますKEDOが今後期待どおりに進むかどうかということについては、まだ若干の懸念材料もあります。韓国内において、KEDOへの全面的協力をするかどうかということについて必ずしも意見が一致していないという面もあります。それから、依然として北朝鮮における食糧問題は大変深刻でありますし、金正日さんの政権確立といったことも依然として不確定要因があります。  ですから、安全保障問題という観点からして、より危機的な状況も想定しなければならないということでいえば、依然として日本安全保障にとって朝鮮半島問題から目を離すということは許されない。安全保障という観点からすれば、朝鮮半島で最悪の事態が起きたときにどういうふうにするかということをないがしろにするわけにはいかない。そのための議論というものを先延ばしにするというのは私は無責任であろうと思っております。  次に、中国をめぐる国際関係でありますが、米中関係は昨年に至るまで緊張を続けましたが、昨年暮れのAPEC首脳会談において米中首脳が会談し、本年から来年にかけて首脳の相互訪問ということが合意され、ゴア副大統領がこの春にも訪中する。その前にオルブライト国務長官が中国を訪問する、日本にも来ますし、世界を回るわけですが。こういうわけで、全般的には改善の方向に向かっていると思います。十二月に中国の遅浩田国防部長がアメリカを二週間ぐらいにわたって訪問しましたけれども、アメリカ側のこの訪米に対する姿勢は大変これを重視したものでありました。  ただ、それでも依然として米中関係にはさまざまな問題があります。とりわけ、以下に述べる台湾海峡の問題、それから香港問題等が本年のやはり重要な点になろうかと思います。  台湾海峡につきましては、御案内のとおり、李登輝総統が選挙に勝利されて就任して以来、特に現在、台湾独立を直ちに言うということはなくなってきていますけれども、外交活動は依然として積極的に行いたいという姿勢であります。北朝鮮に対して核廃棄物を引き受けてほしいというような動きも、一面では中国にとってなかなか好ましくない動きのようにも受け取れると思います。  それからもう一つ、台湾国内で去年の暮れに行われました国家発展会議というところで、台湾省政府というものをやめるということが大体合意されました。つまり、御存じのとおり、台湾というのは、中華民国政府とそれから台湾省政府という二つの政府がほぼ同じところを統治しているわけですね。  これは、建前として、中華民国政府は中国全土を統治していて、台湾省政府は台湾省を統治しているというわけで、台湾にとって、中国一つである、いずれは中国を統一するのであるというその前提からすればこの二つを持っていないといけないわけですが、現実に考えてみますと、実際に統治しているのは、事実上は台湾省だけなわけであります。そこに中華民国政府と台湾省政府の二つがあるというのは、台湾省政府だけで二万八千人役人がいるそうでありまして、納税者の観点からするとむだだということで、これをやめていく方向というのがこの十二月に大体合意されたわけです。  これは、中国観点からしますと、やはり一歩台湾独立の方向に近づいてしまうのではないかという懸念材料にもなります。ですから、このような台湾内部の動きに対して中国がどういう反応をするかというのが一つの注目されるところであります。  最後の香港問題は、七月一日に返還ということでありまして、おおむね準備はそれなりに進んでいるというふうに私は判断しております。ただ、一つ気になりますのは、ここ一、二週間の間に新聞報道になされましたように、香港における基本的人権に関する法律を七月一日以後変えるという動き、デモとかその他の示威活動についての規制を強化するという動きが出ています。これに対して、アメリカの国務省等では懸念が表明されております。ですから、この香港における人権についての規制強化が今後の米中関係の大きな一つの争点になる可能性を持っているということがあろうと思います。ですから、中国をめぐる国際関係につきましても、米中関係の改善の動きがあるといいましても、依然としてそう簡単にいくかどうかはわからないというところであろうかと思います。  以上考えまして、日本にとっての現在の課題というのはどんなことかということを、ここには挙げておりませんでしたが四点ほど申し上げたいと思います。  まず、朝鮮半島の問題が依然として確固たる姿を見せない今の段階において、日米安全保障条約の有効性を高める努力というのは継続的に行わなければいけないというふうに私は思っています。  その際に、詳しくは申し上げませんが、集団的自衛権に関する問題というのも真剣な議論が必要であろうかというふうに思っております。  それから第二に、これはPKO法ができて以来、国連へのPKO活動がある程度一段落してしまったせいかもしれませんが、国際機関を通じた安全保障への貢献ということに関して議論がなされることが少なくなっているということがあると思います。ですから、集団的自衛ではなく集団的安全保障に関連した日本の活動はいかにあるべきかという議論がなされなければならない。私見からいえば、PKO法の見直しということは法律で規定されていたわけですけれども、ほとんどされていないということは問題であろうと思っています。  三番目に、これは先ほど申し上げたことの繰り返しでありますが、多角的な安全保障対話の試みを日本は積極的に進めなければいけないというふうに思っております。  最後に、四番目でありますが、米中関係の改善ということは、さまざまな問題がありながらも進むというふうに私は判断しております。日本にとってアジア太平洋の安定において重要な関係は、日米関係と並んで日中関係であります。日中関係が昨年に至るまでの二年間、大変不安定であったということは望ましくないことであります。中国に対して批判すべき点はかなりあると思いますが、中国に追随するというのではなく、建設的な対話を行うという形を通しつつ日中関係を安定化する。日中関係の安定化がことしの一つの大きな優先課題だというふうに思っております。  以上、四点ほど申し上げました。時間を超過しておりますのでこの辺で終わらせていただきたいと思います。  どうもありがとうございました。
  17. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより質疑を行います。  質疑を希望される方は挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  なお、多くの委員が発言できるよう、質疑答弁とも簡潔にお願いいたします。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  18. 山本一太

    山本一太君 簡潔にいたします。  ちょっと田中先生に御質問したいんですけれども、日本のこれからの課題ということで、日中関係をコンストラクティブェンゲージメントに従ってやるという話がありました。リアリズム、リベラリズム、どっちをとってもやっぱりアジア太平洋安全保障には中国がよくも悪くも最大のファクターだと。先生の論文の中で、特に日米中のトライアングルの中では、日米がやらなければいけないことはりアシュアラソスである、すなわち安心化だと。必ずしも日米安全保障条約というものが中国脅威ではないということを説明することだというお話があって、そのためには指導者レベルのいろんな交流がこれから必要だろうということで、特に政治家の知中派が少なくなったというお話もあったんです。  その中でちょっとおもしろいと思ったのは日中米サミットですね。これはやっぱり時期を見てやるべきだというお話だったんですが、それをもうちょっと詳しく。構想がよくてもなかなか難しい面もあると思うんですね、ASEAN諸国の橋本総理に対する対応から考えても。  いろいろお聞きしたいことはあるんですけれども短くということですから、その一点だけちょっとお聞きしたいんです。
  19. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 今御指摘があったように、昨年の橋本・クリントン日米安保共同宣言に対して中国が非常に大きな懸念を表明したということは、日本安全保障を考える場合でも重視しなければいけないというふうに思っております。  日米安保の再定義という言い方にしても、安保共同宣言にしましても、これは中国を封じ込めるとかというような意味でつくったわけではない、そういうようなことを中国の指導者に理解してもらうということは非常に重要なことだと思うんですね。  ですから、その意味で、アメリカなり日本なりの指導者が個別に首脳会談を行って理解を求める、あるいはこちら側から望むことは率直に中国側に注文をつけるというプロセスをつくることが必要だと思っています。  ただ、個別のものと並んで、やはりアジア太平洋において中国は責任ある大国としてその役割を果たしていただく、積極的な役割を果たしていただくという観点からすると、日米中の三国の首脳による会談というようなことを実現するのが望ましいと私は思っています。  ただ、今御指摘のようにすぐ実現できるかということになりますと、かなり問題はあろうかと思います。つまり、今、米中の首脳会談をアレンジするだけでも結構大変なわけですし、ですからこれを三カ国でやるというのはなかなか難しいかと思います。それからASEAN諸国にしてみると、何だ、日米中で結託するのか、強い者同士で東南アジアに対して圧力を加えるための枠組みなんじゃないかというふうに解釈されるということになるとこれはまた望ましくないわけですから、その点の配慮というものが必要だろうと思います。  ですから、この間橋本さんがASEANを回ったときに、日本とASEANとの対話を深めたいというふうにおっしゃっているのは、一つの方法として見ると、まずASEANとの間の対話を深めておいて、それから日米中の方向に持っていくということが重要かと思います。その観点からいうと、私は、橋本総理のASEAN訪問のときに日本とASEANと一緒にやりたいというふうにおっしゃっているわけですが、その場合に、中国がASEANとおやりになるならそれもぜひどうぞという形で進め、そして一緒に日米中もやりましょうという形でいったらよろしいかと思います。アジア太平洋で何といっても欠けているのは首脳レベルにおける複合的な頻繁な相互交流だろうと思います。
  20. 山本一太

    山本一太君 ありがとうございました。
  21. 益田洋介

    益田洋介君 三つほど簡潔に質問させていただきたいと思いますが、まず第一は日米安保について三人の先生にそれぞれ御意見を拝聴させていただきたいと思います。  五百旗頭先生は先ほど非常に興味深い表現の仕方をされまして、経済発展に伴って歴史的な今までの常識として必ず軍事的騒乱が起こってきたけれども、これをアジア太平洋地域で乗り越えることができるかどうか、乗り越えるとすればその唯一の保証、可能な方法というのはアメリカ軍事的プレゼンスであると。したがって、日米安保は人間でいえば背骨に当たる部分で、しかしその背骨というのは亡くなるまでは表面に出るものではないので、したがってその背骨の周りの筋肉をどのように生かしていくのか、鍛えていくのかが大事だということをおっしゃいまして、非常に興味深く伺いました。  まず、今、防衛庁の統合幕僚会議で盛んに進めておりますし、さらにそれを追うような形で日米の当事者、事務レベルでの話し合いが進んでいる有事研究の検討項目の中の対米支援を、具体的にどういうふうにしていくのかという話し合いが実務的にはまず急務だろうというふうに私は考える次第でございまして、やはり有事研究とガイドラインの見直しというこの二つの大きな項目を結ぶのはその対米支援の話し合いを詰めていくことだというふうに考えます。  しかし、その一方で、やはり憲法の問題をしっかりと見直してきちっとした形にしておく必要があるのではないか。これは急激に云々できる問題ではございませんけれども、例えば集団的自衛権の論議でありますけれども、国連憲章五十一条で認められていながら、しかし日本憲法九条の第二項においてそれは実際は行使できないんだというのが政府の統一見解で、今まで内閣法制局はずっとそのことを繰り返してまいりましたが、この点はどのように乗り越えるのか。先ほど申しました実務レベルでの話し合いで対米支援の具体的な事例に関して結論を出しておかなきゃいけない一方で、やはりこの憲法問題というのはまとまりのいい形に向けていかないといけない。  一つは、政府の解釈を再検討して見直してみるという考え方もあるでしょうし、あるいは現行法でもできるんだという解釈。それからもう一つは、やはり憲法の改正をすべきなんだ、九条も含めて全体的にもう少し高度な確実性を持った憲法に改正すべきじゃないか、こういった論議があるわけです。また一方では、国際法と憲法、あるいは国際条約と憲法の間でどちらが優位にあるのかという論議もあろうかと思います。もし条約優位説をとるならば、これは簡単に今の政府解釈というのは覆されるわけでございます。  ここにもいろいろありまして、アメリカの合衆国憲法の第六編の第二条には、すべての条約が合衆国憲法より優位に立つんだ、したがって一つの事項について二律背反があった場合にはいつでも条約が優先するんだ、こういうふうな考え方があります。ヨーロッパにおきましてももう既に判例法として条約優位というのが確立しているという国際社会の中で、日本だけ我が国の憲法が優先しているんだという立場もいかがかなという気もいたします。この点につきまして、三人の先生方それぞれの御意見を拝聴させていただきたいと思います。  第二点目は、去年七月、小川和久さんと五百旗頭先生が対談をされておりますが、雑誌「潮」七月号でございました。その中で非常に興味深いことを小川さんがおっしゃっています。  アメリカの外国における基地、特に韓国あるいはNATOの正面といった軍事基地と日本国内における軍事基地というのは意味合いが違うんだと。例えば、ヨーロッパ及び韓国の場合は特定の想定敵を考えた脅威対処型の基地であるけれども、日本の場合はハワイから喜望峰までの、言ってみれば西経百六十度から東経十七度という地球の半分ぐらいをカバーする、そういう守備範囲を持った米軍の重要基点である。したがって、そこに日本は貢献しているのであるから、アメリカにだけいろいろしてもらって日本は何もしないじゃないかというアメリカ内の認識というのは間違いじゃないかというふうに小川さんはおっしゃっている。  それに対して、この対談で五百旗頭先生は余りはっきりと物をおっしゃっていなかったような気がしますので、改めてこの小川さんの意見に対する先生のお考えを伺わせていただきたいと思います。  第三点目は、田中先生にお伺いしたいと思っているんですが、それは中国問題です。先生は、中国の行動論理というのは十九世紀のバランス・オブ・パワーそのものなんだというふうなことをおっしゃっていまして、特に国家の機能が低下していて、国を束ねるためにナショナリズムや軍事力を行使しなきゃいけない国家の一つの典型が中国なんだということをおっしゃっています。  そして、ジョセフ・ナイが東アジア戦略報告の中でも言っておりますが、コンテーンメントとそれからエンゲージメント、この二つの選択があるうち、現在、中国がまだこれから軍拡をするかどうかについては、敵対国になるかどうかについての可能性はまだ時間があるから判断できない、ですから現状においては、コンテーンメントという封じ込めよりは、やはり共同歩調をとっていくといったエンゲージメントの方が得策ではないかというようなことを言っておるようでございます。  これは二十世紀初頭のドイツに対するイギリスの考え方、戦略と非常に似ているんだということをお書きになっていらっしゃいますが、この点をもう少し詳しくお教えいただければという三点でございます。  ありがとうございました。
  22. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) たくさん御質問をいただきましてありがとうございます。  益田委員のまず第一点目の方でありますけれども、最初の話でも申し上げましたが、三つの種類の戦争侵略戦争自衛戦争、そして国際安全保障のための軍事行動、そのうち一と二についてはかなり問題が片づいてきているといいますか、コンセンサスもできてきている。日本日本の国家的発展のために侵略戦争手段として使うということはもはやだれも考えない。田中さんがおっしゃったような、領土紛争がいかに大変であれ、ロシアがもし弱ったら北方領土を武力を使ってとろうかということをおっしゃる日本人は見たことないと。国際紛争を解決し、日本国連を高めるために軍事力を行使するという戦争については、もはや日本人でそれを問題にする人はほとんどいない。  しかし、他方、もし侵略を受けたらこれに対して自衛隊に頑張ってほしい、自衛隊でだめだったらどうしようかというふうなことを思いながら、しかし国際環境を見ればもはやその可能性というのはほとんどない。北海道上陸もあり得ないし、朝鮮半島を通じてという歴史的な問題もあり得ないし、日本が侵略を受けるということはあり得ない。これは、日本がたまたま置かれている位置が島国であり、いわば自然の堀に恵まれて、安全保障上有利な地勢的条件にあるというだけじゃなくて、それに加えて見落としてはならないのは、戦後の国際社会といいますか、二十世紀の二つの総力戦を体験した人類の枠組み侵略戦争を許容しがたくなったということであります。  日本のようなグローバルに重要な社会をどこかの国が力で奪うということは、日米安保があるないにかかわらず国際社会は許せないんです。アメリカは、アフガニスタンのようなほとんどアメリカの国益について何の定義も与えていなかった、そういうところヘソ連が出たときに激しく反発いたしました。朝鮮半島も防衛ラインの外であると一九五〇年の初めにはアチソン国務長官が言っていた。にもかかわらず、軍事的な手段が国家によって不当に発動されるというときに放置しないというのがこれまでの実績であります。ましてや、日本のような国に対してどこかの国が軍事力を発動するということを放置することは絶対にないんです。  そういう意味で、日本自衛のための戦争をどういうふうに準備するかということを前のガイドラインのときには一応考えたわけでありますが、その緊迫性というのは著しく失われてきている。  しかし、それがあったときに対応することは当然であるという了解もできているというわけで、侵略戦争自衛戦争という二つのポピュラーなタイプはもはや余り重要ではない、検討事項として深刻ではない。  むしろ、三番目の国際安全保障日本がどうかかわるかという戦後史で長く忘れられていた側面が非常に重要になってきている。これが突如浮上いたしましたのが湾岸危機であることは御承知のとおりです。イラクという国がクウェートという隣国を軍事的に侵攻したというのに対して、日本はこれに対応する責務があろうとは想像もしていなかった。むしろ、日本は火事やけんかですぐ表へ飛び出す、そういうふうなやくざ者ではないということを戦後誇りとしておりましたので、絶対に私たちは何にもかかわりませんということを、自分たちがいい子であるということの表明だと思っていたわけです。  にもかかわらず、意外にも国際社会からは日本はどうして責任をとろうとしないのか、対応しようとしないのか、我が事と考えないのかという激しい批判の集中砲火を受けることになった。日本敗戦国であり貧しかった、弱かった国である段階を経て、グローバルな国際経済活動、経済のみならず全般的な活動にかかわるようになった。そういう国として国際安全保障上の責任をどうとるのかということを問われたわけです。  いわば三極、G7サミットというのを援用いたしますならば、世界百八十幾つかの大教室に生徒たちがいて、三人の先生が教壇に立っている。これは国際経済の面でございますが、米欧旦二極で先生団をつくっているという状況の中で、教室内に突如乱暴者が立ち上がって隣の者を殴り倒し、踏みつけ首を絞めて殺そうとする。騒然とする状況の中で、他の二人の先生はやめろといって抑えにいこうとする、そのときに日本は教壇の上で荘然とうろたえて何もしない。それに対して教室全体から君は何をしているのかということを問われる状況になったわけです。  日本存在、活動というのがグローバルになればグローバルな責任をとらなきゃいけない。自分がよく勉強ができ、経済はいつも百点とるということを超えて、教室でみんなが生活ができ勉強ができるように世話をしなきゃいけないという責務を問われるようになった、そういうのが湾岸危機以後の日本のテーマであり、したがって三番目のカテゴリーが問題になる。  その点から、益田委員のおっしゃった、もし日本が攻略されるとかいう問題ではなくて、例えば朝鮮半島で有事の際に日本はどのような役割を果たすか、この問題について準備をしておかなければ、湾岸危機のときは、いかに石油をたくさんペルシャ湾から買っているとはいいながら、やはり遠くの問題であり、日本の能力がしょせん及ぶはずもないところであったわけです。象徴的な意味軍事的貢献を日本もするかということは話題になりましたけれども、実はそんなことは国際的に期待されていたわけじゃなくて、それをどうバックアップするか、そして精神的な参加、自分の問題としてどこまで考えるかという点にポイントがあったかと思います。  朝鮮半島の場合にはそれどころじゃない。それに対する日本がなし得ることといいましても、朝鮮半島有事の際に日本自衛隊が派遣されるということは考えられない。当の朝鮮半島の人々、韓国政府も決して望まない。これはもちろん韓国、そして条約によって深いかかわりを法制的にも持っておりますアメリカ、米韓で対応するというのが基本であります。日本が求められた場合には大変な決断を迫られることになりますが、それを事前に日本が準備することはほとんど不可能だろうと思います。私の歴史家としてのやや無責任な推測からいたしますと、体験を経てしかなかなか対応できないだろうと思います。  しかし、できることは、日本が朝鮮半島に自衛隊を派遣するということではなくて、米韓が活動するに当たって日本日本領土内及び公海上で積極的に協力するということだと思います。それについては、集団的自衛権のスコラ学的な神学論争の問題もありますけれども、これは解釈の問題であります。  冷戦後の新しい国際状況、そしてその国際安全保障冷戦期の場合には二人のドンがおりまして、二人のドンが全部取り仕切るという秩序が明確でありまして、それに対して冷戦後は軍事的にはアメリカは非常にぬきんでておりますけれども、しかしながら自前で全部やれるような経済社会的基盤はもはや持たない。  そういうわけで、少しずつみんなが出し合って協力するという体制をとらなければ、アメリカは国際秩序を維持する支えを得られなければ国内的にも責任を全うしがたいという状況があります。  そういうのをサポートすることが非常に大事でありまして、日本自衛隊をそこに戦闘のために派遣するに至らない範囲でできることを詰めていく。  そういうことになりますと、日本は改憲解釈したんじゃないか、憲法改正ということをした方がいいんじゃないかというふうなことが議論になる、御指摘のとおりであります。  理論的に言いますと、私は現在の憲法はすばらしいものであると考えております。平和主義、国際協調主義、極めて正しいものでありまして、今やそれは日本国民に広く受容されていると思います。民主主義はもちろんのことであります。それを継承しながら、しかし新しい状況の中で疑義が生まれやすい。解釈改憲だととめどなくごまかしては拡大していくというふうな疑念も生じますので、平和主義、国際協調主義を鮮明にしながら憲法第九条第一項、これはもちろんいい。  第二項については、否定した侵略戦争にかかわる軍備、戦力、交戦権を否定するという趣旨、今もそのように読んで、法制局は鳩山内閣の初め以来それを続けてきておりますが、そのことを鮮明にする。そして、第三番目に冷戦終結後重要になってまいりました国際安全保障上の役割についてより鮮明な定義を与える、そのことが私は一番望ましいと思っております。  したがって、基本継承、原理継承をしながらこれをはっきりさせるという意味での改憲が実は望ましいと思っております。しかし、それをやろうとすると大変な政治的なジャングルの中に入るというのであれば、国会において解釈を鮮明化するということでやっていくほかないだろうと思っております。  長くなりましたので二番目の点は簡潔に申し上げたいと思いますが、小川さんが指摘されました米軍基地が他の基地に比べて格別に重要な役割を果たしているということは、私は専門家ではなく、田中さんの方がもっと専門家だと思いますが、そういうふうに承知しております。地球の半分あたりをカバーするような情報システム、例えば実際に日本沖縄の基地なんかから戦場へ発信するという場合には事前協議云々の問題が起こり得ますが、それよりも戦略上の作戦指揮だとか情報だとか、そういうシステムにおいて日本は極めて重要なものになっている。そのことについて巨大な貢献であるということは言えるだろう。それを設置しているのはアメリカでありますが、自由と便宜を与えているのは日本であります。  基本的に、冷戦が終わりまして東アジアが猛然と経済発展をし、現状を大きく有利に変えており、また他の地域でも新たな変化が起こっている。そういうときに、アメリカ役割というのは力による現状変更をさせない。先ほども話題に出ておりましたが、新興勢力が出てまいりましたとき、そこでは歴史上絶えず軍拡競争が起こり、ついには戦乱になるというのが常でありました。  もし、今、東アジアの大勃興、団体さんとしての勃興、戦前までは日本一国のアジアにおける勃興でありましたけれども、これでもやはりあのような大戦乱になった。そうではなくて、今、東アジアが集団的躍進を遂げている、これを軍事戦乱に結びつけない英知というものを持たなければ人類の二十一世紀は全うできない。  そういう状況において、アメリカ軍事力が力によってだれも現状変更は許さない。他方において大事なことは、田中さんも示唆されたように経済の面、非軍事の面では勃興勢力に機会を与えるということであります。もし、経済面での機会を封殺しておいて言うことを聞けというのであれば、これは爆破されるほかはない。しかし、非軍事的な躍進には大いに機会を与えるという措置と、軍事手段の行使は許さないということは妥当な対応であります。  ギリシャ神話のテミスの神というのは法と秩序と正義の神様でありますが、彼女は片一方の手にはかりを持っております。目隠しまでしております。つまり、人を裁くに当たって私情を交えないために目隠しをして、厳正にこの人は正しかったか正しくなかったか、はかりをやる。もう一つの手に持っているのは剣でありまして、もし悪であればこれでぶった切る。剣を持っているということがいわば秩序の本質でありまして、それなくしては実は動乱期はなかなか越えられない。  アメリカはめったに使わない桐の箱におさめた力としてそれを持って存在している。そのことが、実は動乱期を力に訴えることなく、自由な経済活動その他では幾らでも機会を与えるという他方措置と相まって、何とか二十一世紀を越えられるのではないかというふうに思っております。  それに日本協力することは好ましいことだと思っております。
  23. 鷲見友好

    参考人鷲見友好君) 私は、一番最初の問題についてお答えすればいいのかというふうに思います。  私は法律学者ではありませんけれども、現在日本一つ憲法の体系があり、それと別のものとして安保の体系があるというのは大変矛盾があり、そこのところがやっぱり日本の問題点ではないかというふうに考えております。  先ほどアメリカだとかヨーロッパのことをお話しになりましたが、私はやはり憲法がその国の一番の基本になる法律でありますから、したがって安保条約その他でも憲法を前提にして安保条約ができている。アメリカ日本の今までの宣言なり条約なりそういうものは憲法というものを前提にしながらやってきていることは確かなんですから、今ちょっと大分変わりつつありますけれども。アメリカでも日本でもそのことをやっぱり尊重せざるを得ないということを前提にやっているわけですから、これは当然憲法が優先する、しなければおかしいというふうに考えております。
  24. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 私も憲法のことは反応をした方がよろしいのだろうと思うんですが、簡単に申し上げますと、私の立場は、可能であれば憲法第九条第一項を残し、憲法第九条第二項を削除するという憲法改正をするのが望ましいというふうに思っております。  私の日本憲法に対する立場は、平和主義その他について五百旗頭参考人のおっしゃったこととほぼ同じであります。ですから、精神は生かし、国際紛争解決のために日本が武力行使をするなどということはあり得ない、この基本は堅持する必要があると思っております。憲法第九条第二項というのは、もちろん解釈によってはさまざまな形が考えられます。恐らく政府が決断をすれば、集団的自衛権を保持するのみならず行使もできるというふうに読めるというふうに解釈することもでき得ると思いますし、この二つから日本が国際連合その他の集団的安全保障に参加することを妨げる要素は出てこないというふうに解釈することもできると思いますが、理想的に言えば、そういう解釈をするということよりは、第二項を削除してしまうということが一番あいまいさを残さないやり方であろうかというふうに思っております。  この点についてさらに議論せよということであればまた後ほどいたしますが、時間を節約する意味から、私に与えられた中国についての件について簡単にお答え申し上げたいというふうに思います。  益田先生がおっしゃった私の発言というのは、これは日本経済新聞か何かのインタビューではないかというふうに思うんですが、中国が十九世紀的なバランス・オブ・パワーの考え方で行動していて、時に国内の結束を高めるためにナショナリズムに訴える傾向があるということを私はそこで触れたと思います。新聞のインタビューでございますのでやや意を尽くせないという面もあって、若干留保条件をつけさせていただきますと、私は、常に今の中国の指導者が十九世紀のバランス・オブ・パワーで今にも軍事力を使おうというような体制で行動しているというつもりで申し上げたわけではありません。現在の中国の指導者が平和的な国際環境を必要としているであろう、私はそういうふうに認識しております。  ただ、どちらかといえば、今の中国の指導者の方の国際情勢認識というのは、私が先ほど申し上げた国際政治の見方でいえば、現実主義、力を中心とした国際政治認識というものに近い形で行動なさっているというように見られるわけであります。  それに加えまして、この二世紀の間、中国がこうむってきました大変な被害というものがあるわけでありまして、帝国主義勢力あるいは日本から、中国人の目から見れば大変な屈辱を味わわされてきた。そういう面からいって、外部勢力が中国の内部に対していろいろなことを言うというのは大変耐えがたい、まことに許しがたいことであるという認識も中国の指導者の方はお持ちであるわけです。  その結果、現在の二十世紀国際関係が非常に相互依存的に結びつくようになり、他国の内政のこととはいっても、すべて内政不干渉であるから何も言わないで済むという状況ではなくなっているという国際情勢の中でも、中国の指導者の方から見ると非常にかたい、十九世紀的な国家主権というものを何とか堅持したいというようなところが見てとれるということを申し上げたかったというわけです。  そこで、中国に対してどうしたらいいかということで、先ほど御指摘になりましたジョセフ・ナイさんの言っている、コンテーンメントとかエンゲージメントとか。それで、昨年ナイさんが言っていたことでは、コンテーンメントとエンゲージメントという両方の手段があったとして、もちろんコンテーンメントすることはできるけれども、コンテーンメントしてしまったら中国は直ちにもう敵になってしまう。  今は別に敵でもないのをコンテインしてしまったら中国は直ちに敵になってしまう。まだ時間はあるから、中国が、アメリカにとってあるいは西側にとってみずからを敵だというふうにして行動し始めるに至らないときにこちら側からコンテインしてしまうということは、結局のところ、まだ敵でもない存在を敵にしてしまうという予言を自己成就させてしまうという非常に愚かな選択であると。したがって、現在の段階ではエンゲージメントであるということだろうと思います。そこで私は、これが二十世紀初頭のイギリスの対ドイツ政策にやや比較可能であるというようなことも申し上げました。ここもやや意を尽くさないところがございました。  確かに二十世紀初頭のイギリスの外務省の中で、ドイツに対してどうやって対処するかということで、ここで言ったコンテーンメントであるかエンゲージメントであるかというような言葉は使っていませんけれども、同様な発言があった。  ただ、このイギリスの議論のときには、いずれにしてもエンゲージしていったって、最後はドイツが強くなっていけば、最後はコンテインせざるを得なくなってしまうんだからどっちにしろ同じことだというような議論もありました。  私は、インタビューのとき以後を少し思い返していろいろ考えてみますと、やはり二十世紀初頭のドイツと今の中国とを直ちに比較するのはややミスリーディング、誤りをもたらしやすいという感じを持っております。  軍事安全保障的に言うと、やはり十九世紀初頭のドイツの方がはるかに強力であります。確かに、中国の今の経済力をそのまま概想してどんどん伸ばしていった場合に、二十一世紀の中ごろに相当強大な軍事力を持つ能力があるというふうに思うことも可能ですけれども、現在の中国軍の能力を冷静に評価したときに、十九世紀末から二十世紀初頭のドイツ軍がヨーロッパ大陸に持っていたような軍事力と比較するのはやはり誇張があり過ぎるという感じがします。  ですから、その面でいえば、二十世紀初頭のドイツに対してエンゲージメントをやっても結局コンテーンメントになってしまうということが仮に言えたとしても、現在の中国に対しては、少なくともまだかなり長い間エンゲージメントをやっておいても、西側なりアメリカにとって安全が脅かされるということはないだろうというふうに私は思っております。  中国の今の指導者はそういうことをしようと思っていないと思いますけれども、仮に本格的な軍拡路線を歩むというふうに決断したとすれば、恐らくそのときにアメリカなり日本なりが決断すれば済むことである、まだ時間はあるというふうに思っています。この時間のある間に、つまるところ中国指導者がそういう路線をとらないように周辺諸国はできるだけの努力をする。そのための一つ手段は、やはり中国国内におけるプラスサム的な経済発展、均衡のとれた経済発展、周りの諸国との密接な経済相互依存の中での経済発展ということであろうと私は思っております。
  25. 菅野久光

    菅野久光君 民主党・新緑風会の菅野です。  きょうは三名の先生方から大変示唆に富むお話をいただきましてありがとうございました。  私は、五百旗頭先生と田中先生にちょっとお伺いをしたいと思いますが、二十一世紀アジア太平洋地域安全保障のあり方を考えていく上で、中国の動向が大変大きな要素になるというふうに思います。何よりも歴史の古い国であり、また大国であります。改革・開放路線のもとで飛躍的な経済発展を遂げつつありますし、また中国の政治や経済社会の安定が、アジア太平洋地域はもとより世界の安定と発展を大きく左右するというふうに思います。  他方、政治の動向に大変不透明な要因が多々あることも事実だと思うんです。経済発展に伴いまして、人口あるいはエネルギー、環境などいろいろな問題が発生しておりますし、また沿海部と内陸部のさまざまな分野で格差が生じている。台湾との関係をどうしていくか、国際社会との間で開かれた関係をどのように築いていくかなど問題が山積しているというふうに思います。また、アジア地域経済発展の原動力となっている中国系の人々の動向、さらに間近に迫った香港返還の問題も見逃せないことではないかというふうに思います。  そこで、米中、日中関係のあり方も含めて、アジア太平洋地域安全保障のかぎを握る重要な要素であります中国の動向についてどのような見方をされておられるか。また、友好信頼関係を発展させていくべき我が国としてどのように対応していくべきなのか、お考えをお聞かせいただければと思います。
  26. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) 菅野委員の御指摘の点、まさに来世紀、我々及び我々の子孫が息をのんで見守る問題であろうと思います。十九世紀は国際政治のアクターはほとんど西欧列強ばかりでありました。それに対して、二十世紀において新たなるアクターとしてアメリカ日本が登場し、特に日本は非西欧諸国として世界史の主役の一つとして活動したということによって、西欧の世界史が世界世界史に転ずる上で日本は重要な役割を果たしたのだろうと思います。二十世紀の前半においては軍事帝国として、後半においては経済国家としてでありますが、そういう大きな役割を果たしました。  そして、この非西欧のアジアの島国である日本世界史的な役割を担うようになったということが、二十世紀の終幕において東アジアの団体さん的な諸国によってフォローされている。二十一世紀の主要問題は、ドイツとは何か日本とは何かではなくて、東アジアアジアとは何かであり中国とは何かである。そういう意味で、今の御質問、非常に重いものだと受けとめております。  何しろ中国は巨大なものですから、これがどうなるかというのでいろいろな悪夢のシナリオが描ける。しかも、正反対の悪夢のシナリオが同じ時期に語られるという状況であります。例えば、中国は遠からず強大化していく、パクス・シニカをしくであろう、周辺を空母艦隊で押し出して、中国の意志をもって秩序をつくる、そういう超大国中国という見方が欧米でもあります。  これが悪夢として語られるかと思えば、他方で鄧小平後の中国は動乱を免れないであろう。そして、内陸部と沿岸部の今御指摘の格差、さらには中央政府が各省から、一つの統合的、合法的な制度として徴税を必ずしも行使できない。かなり人的なかかわり方によって、上海からはたくさんいただくけれども広東からは余り払ってもらえないとか、こういう状態で果たして近代国家として成り行くだろうかと。そして鄧小平後の権力闘争と絡み合って、これがいずれ分裂、戦乱になるのではないかというシナリオが語られたりします。  そのことは、中国ほどの巨大な存在でありますと、例えば人口のほんの一割が難民として外に吐き出されたということになりますと、日本に来れば日本の人口が直ちに二倍になるというお話でありまして、全く正反対のこうした悪夢が語られる。この二つの極端な悪夢は恐らくどちらも当たらないだろう、多分三つ目の中間的な悪夢ぐらいがあり得るんだろうと。それはジグザグしながらも中国は発展を遂げていく。  その分裂、戦乱型のシナリオが多分当たらないだろうと思いますのは、中国の民衆にとって今の中国の政治が非常に不幸なものかどうかということが、単純化して言えばポイントだと思うんです。中国の人は、五年前、十年前、五十年前と比べて今の境遇が不幸だと思っているかというと、そうじゃないと思うんです。自分たちも豊かさを得る機会を得た。  ある時期、鄧小平が改革・開放を始めた八〇年代には、郡さんの存在中国人民の幸せだというふうな言いぐさが聞こえてきたりいたしました。  つまり、かってだれもが手にすることができなかった豊かさ、それがある。ただ、みんなが得られるわけじゃなくて、沿岸部から得ているわけですね。そこで、内陸部から沿岸部への猛烈な民族移動が行われている、そのとおりです。  しかし、王朝が倒れて易姓革命が起こるというのはこういう事態じゃなくて、民衆が田畑を耕すこともできなくなった、北方民族の侵入であるだとか、あるいは飢饉、水害等々でくわを手にすることもできず、人は荘然と立ち尽くし、それが流民として南の方へ行く、これが易姓革命のときなんですね。やがて、何とかの族の乱が起こってということなんですが、今、中国の内陸部から沿岸部への猛烈な民族移動は、茫然自失してではなくて、目をぎらぎらと、おれにも機会があるかもしれないといって動いているんですね。ということは、基本的に上昇方向にあるというのが中国の人の認識だと思います。  そうであるとすれば、この政府はいろいろ腐敗もあれば問題もあり、山賊、海賊もあるけれども、しかし基本的にそう悪いものではないという受けとめられ方が可能だと思うんですね。そういう意味で多分、内乱、戦乱の悪夢というのではない。といって直ちに軍事大国になるわけではない。そのポテンシャルは十分持っております。  台湾海峡でのミサイル実験というのは非常に大きくて、アメリカへ行きましたときに、あの事件の前と後でアメリカ人の中国認識が全然変わりました。  例えばチャルマーズ・ジョンソンという有名な日本研究者は、あれが起こる前にフォーリン・アフェアーズに日米安保解消論をアメリカ側から唱えておりました。ところが、台湾海峡中国があのような行動を起こしましたら、アメリカの中に大変な教育効果を持ちまして、中国はあんなことをする、これに対応するすべがあるのか。そこで日米安保を再発見したというのが彼らの実情であります。対応するすべがあるんだと。  そうすると、チャルマーズ・ジョンソン氏がどういうふうに台湾海峡事件の後日米安保解消論を維持されるのかと思いまして、ちょうど去年の三月にワシントンの会議でお目にかかりましたので聞きましたところ、日米安保は堅持すべきである、しかし沖縄の海兵隊は撤退すべきであるというふうにポイントを変えておられました。それぐらいアメリカ社会に大きな衝撃を与えたわけです。その意味で、中国はこれは外交上の大きな失敗で、国際的な正当性とか信頼性を失う大きな失敗をしたと思うんですね。  なぜこういうことをやったのかということについて中国の専門家が書かれたものなんかを見ますと、あの事件が起こるころの中国軍事専門雑誌「戦略と管理」というのに歴史の教訓に学べというので、清朝康煕帝のときに台湾が鄭成功のもとで独立宣言をしたことがあった、そのときの故事を検討いたしまして、そこから学ばなきゃいけないと。  どういうことかといいますと、康煕帝の清朝政府は、独立宣言をした鄭成功に対して何度も話し合いを呼びかけて平和的に問題を解決しようとして九次も外交交渉を重ねた。ところが、鄭氏は聞かない。自分たちは独立して鄭王国でやるんだと。最後には、清朝の方が譲歩に譲歩を重ねて、名目上だけちょっと臣下の礼をとってくれと、そうしたら実質的な鄭一族による支配は認めるからとまで譲歩したけれども聞かなかった。  そこで、鄭成功が亡くなって子供の代になって、清朝の方は方策を変えまして武力侵攻の準備をするんです。それを整えて、まず台湾海峡にある膨満列島を攻略いたしました。大して軍備もないからこれは簡単に占領した。そこから台湾本島に攻める態勢をとって、もう一度和平交渉を呼びかけたところ、鄭氏の後継者はそれに素直に応じて、そして話し合いの結果、下ったというんです。  中国の軍略の基本は、やたら軍事力を使うことではなくて、百戦百勝は上策ではないんですね。  戦わずして勝てる形をつくることが大事であって、圧倒的な態勢をつくって、そして相手に戦わずして下らせるというのが理想である。軍事手段によって抵抗してもむだだというふうな環境をつくっておいて、使わずにおろす。清朝の軍隊が無血進駐を遂げて、二十年ほどの台湾独立劇は終わったというのが過去の歴史の教訓として分析された論文が出た。それが恐らく本音だろうと想像します。  ところが、十七世紀の清朝康煕帝の時代とは違った要素が二十世紀末にはあって、一つには、アメリカの空母が台湾海峡にあらわれたわけですね。十七世紀には考えられなかった。もう一つは、台湾における自由な選挙、この民主主義を武力で攻撃するという文脈をつくってしまったわけです。これによって国際的正当性を失う。その上、日米安保定義というメッセージを受けたわけですね。これは、もちろん中国封じ込めではないというのはそのとおりですが、しかし力による現状変更はいかなる国も認めないというメッセージでもあると思うんですね。それを受けて、私は目に見えた変化、効果があったと私なりに観察しております。  それ以後、中国はミサイル射撃を繰り返さなくなっただけではなくて、ARFでの協議にも丁寧になりましたし、米中関係改善にもそれまでよりも、それまでもひそかに進んでおりましたけれども、積極的になった。つまり、協調的な平和を求める姿勢が濃厚になったと思います。それは、やはり力を示すということが一面的にうまくいくものではないということがわかって、落ちついたところが総合国力を時間をかけてつくることだと。  つまり、アメリカの空母も台湾海峡に入ってこれないほどに中国軍事力はもちろん経済力も大きくなる、そのときまで軽はずみな行動をとるべきではないという長期戦略に立っているんであろうと思います。  そういうわけで、今の中国の改革・開放の継続、そして国際協調的なアプローチはそれは本気なんですね、当分平和が必要ですから。それで二、三十年後に総合国力軍事力も大きくなったときにどうか。それは息詰まる問題でありますが、それは中国の問題であると同時に我々の問題でもあるわけです。中国が力に訴えるというリスクを冒さなくても、国際社会の中で責任ある一員として尊敬され大事にされ、いわば冷戦が終わってから自由民主主義と市場経済が人類普遍文明の原理のようになっている。  その中で、中国も名誉ある役割を果たすということは悪くないことだ、中国人民の幸せにもなるし、国際的にもやはりよろしいというふうにいささかでも変わっていくという期待を持って我々が関与するということではなかろうかと思っております。  その路線というのは、大きな影響力を持っております中国外に住む中国人、華人、華僑の人たちがサポートするところだと思うんですね。中国は伝統的に中原を押さえる、農民を基盤にしたあの皇帝権力が圧倒的でありましたけれども、それは例えば陸の中国あるいは陸のアジア、それに対して海の中国、海のアジアがあります。その海の要素というのが激しく出入りするときには一面的に皇帝権力が固定的システムを維持しがたいと。  そういう意味で、基本的に中国人たちは今の政治を支持していると思いますが、それはかつてのような中原を支配した陸のアジアの強権としてではなくて、海のアジアとの交流の中で伸びていくというものなので、変化の希望は結構持てるのだというふうに思って我々外側からも対応していくのが賢明なのではなかろうかと思っております。
  27. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 今、五百旗頭参考人からおおむね私の意見と同じような見解を示されましたので、私は簡単に申し上げたいと思います。  まず、中国の将来で日本や周辺諸国にとって望ましくない二つのシナリオというのは、覇権主義的な軍事的な威圧行動をとるような国家になってもらっては困るということ、それからもう一つの困る状況というのは、国内が内乱、戦乱に陥って非常な不安定化を遂げるということ、この二つは何としても周辺諸国にとってみると避けてほしい。これを避けるために周辺諸国も努力するとともに、中国の将来を決めることができる最大の要因中国自身でありますから、中国人の方にもとにかく最悪を避けるように努力していただくということであります。  ですから、そのためにも、日本あるいは周辺諸国の中国政策というのは、これは必ずしも全部同じというわけにはいかない大変難しい問題がありますけれども、中国の指導者なり中国の人々との交流ということを積極的に進める必要があろうかと思います。  ただ、長期的に言うと、先ほど五百旗頭参考人がおっしゃったような長期的な中国の戦略というものの中に、総合国力でもって最終的には世界の他を圧するような存在になって、アメリカといえども中国の言うことに関しては何も言えなくなるような、つまり戦わずしてアメリカにすら勝てるというような状況になるというのが中国の長期的な目標だというのであればこれは大変困った話であります。  ですから、現在のところの中国の指導者の方向は、仮にそういう長期戦略を持っていても現在はその時期ではないというのは、それは今の我々にとったはいいわけですが、三十年四十年たったときにそうではなくて、戦わずして勝たれてしまったのでは、これは周辺諸国にしてもアメリカにしても困ると。ですから、仮に今の指導者がそういうような長期戦略を持っているのだとすれば、長期的にはそういう考え方は徐々に変更していっていただきたい。つまり、戦わずして勝つのではなくて、共存共栄ということを中国の指導者の方はよくおっしゃいますから、そのおっしゃっているとおりに共存共栄の道に進んでいただきたいということだろうと思います。  日本中国との関係を考える場合に、常々心にとめておかなければいけないことは、当たり前のことなんですけれども、日中関係だけにとどまらず日米関係もそうですけれども、協力とか友好関係を進めるという二国間関係において、完全な信頼とかあるいは完全な不信というようなものを前提にした関係の進め方というのはそもそもあり得ないということを念頭に置かないといけないと思うんですね。  ですから、中国というのは全く信頼に足る国だから何をやっても日中友好ですというのもおかしいし、中国というのは何をやっても信頼できない国だから日中友好なんてとんでもないというのもおかしいわけであります。とりわけこれだけ大きな国、アジア太平洋にとって決定的な動向を持っている国でありますから、先ほど言った二つの悪夢のシナリオを避け、そして中国自身に責任ある大国として世界の中で振る舞ってもらうということが大事だろうと思います。  そのために、私は、アメリカの政府、アメリカの人々もそうですし、日本もそうですけれども、中国自身の中で我々の基準からいってどう考えても受け入れがたい行動、よその国というわけではありませんけれども、例えば台湾は中国の面からいっても自分の一国ですけれども、とりあえずは独立して行っている選挙に影響を与えるために軍事演習をするとかミサイル実験をするというようなことに関しては、こういう行動はいかに内政問題であっても余り望ましいことではないというのは私どもは継続的に指摘する必要があると思います。  ただ、その反面、そういういわば批判的な言動とともに、中国のような重要な大国の指導者に対しては、やはり相手を大国であるというふうな観点から遇するということは私は常に必要だと思います。ですから、そういう両面というものが常になければいけないと思うんですね。  ですから、中国の行動において我々が受け入れがたいという面に関してはそれなりに毅然として指摘するとともに、中国の行動が私どもが望んでいた方向に動いてくるということがあれば、これは進んで評価するという形にいかなければいけないと思います。    〔会長退席、理事板垣正君着席〕  先ほど五百旗頭先生がおっしゃったように、昨年来、中国の行動の中で言うと積極的に見られる面というのはかなり出てきているわけです。例えばASEAN地域フォーラムで信頼醸成に関する議長国を務めるということを約束した、これは一般的に言えば結構な話です。  ですから、そういうことについての評価というものが必要ですし、それから核不拡散条約が延長されたにもかかわらず核実験を継続したのは大変遺憾なことであって、日本からの非難、批判というのがあったのは当然だと私は思います。これは昨年の七月の最後のあたりに最後の核実験をやって、モラトリアムだということを中国は言ったわけですから、その姿勢自体は、それまでの核実験継続は遺憾ではあっても、やめたということはやはり積極的に評価すべきであろうと思います。  ですから、中国のような重要な国に対しては、当たり前の話ですけれども、批判すべきは批判し、評価すべきは評価するという姿勢が必要になろうかと思います。
  28. 齋藤勁

    齋藤勁君 民主党・新緑風会の齋藤でございます。よろしくお願いします。  それぞれ簡潔にお尋ねすることを述べたいと思いますので、峯二万の先生よろしくお願いいたします。  五百旗頭先生に戦後日本の歴史的な経緯について伺いました。国際問題であり国内問題であろうかと思うんですが、在日米軍基地の問題です。これは歴史的経緯の中でそれぞれの基地の存在というか位置づけというのは変化しているんではないかというふうに思います。そういった見方からすれば、一方で今、沖縄の基地返還の問題が、大変な国内問題ですが、クローズアップされているわけでございます。多国間の信頼醸成も必要ですが、国内の信頼醸成が一番大切なわけですね、コミュニケーションが。  今のアジア太平洋一つ枠組みの中での在日米軍基地の存在、ちょっと私も記憶がおぼろげで申しわけないんですが、今やアジア太平洋ということではなくて、もう世界的な枠組みの中で在日米軍基地というのは存在があるんだ、むしろこのことについての国内的な位置づけを高めるべきではないかという、たしかそんな御発言があったのか、もしそうでなかったらこれは訂正しますけれども、これについての位置づけの仕方、そして国内的な合意の仕方、ここら辺について御見解を。  それから、鷲見先生に、朝鮮半島の今の南北の状況をどういうふうに分析するかということですが、アメリカの北脅威論というのがあると思うんです。これもかつてのベトナム戦争終結後の、今は経済交流が非常にどんどん進んでいるんですけれども、どうもそういう方向を北に対してアメリカはとっているんじゃないか、ソフトランディングに向けてそういうような政策を今アメリカというのはとっているんではないかという、実は私は自分自身そんな分析をしているんです。軍事力衝突があっては困るわけですけれども、この朝鮮半島の情勢を今どういうふうに分析されているかということについてお尋ねをしたいと思います。  それから、田中先生にですけれども、これは軍備近代化の問題なんですが、軍拡競争、この危険性は現在その段階ではないということでございましたけれども、いわゆる軍備力を増強するにはどこかから輸入するわけですね。アジアの中で輸出する国があるのかどうか、どこか主要な国が武器輸出なり軍備の増強に向けて対応しているのかということについて、お調べいただいてあればお伺いしたいということで、三点よろしくお願いします。
  29. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) ありがとうございます。余り長い返事をしないようにと御注意いただきながら御質問をいただいたように理解しております。  基地の問題、特に沖縄の問題、これは市民社会の民度というのが高くなってまいりまして、そのことがよき環境を要求する、その要求水準というのはひたひた上げ潮で上がってまいります。同じ市民意識が、例えば金権選挙だとか族議員とかいうのは品が悪い、耐えがたいというふうに、これは直接的に自分の生活にもろには来ないですけれども、やはり耐えがたいという思いをひたひたと上げている。これは先進社会といいますか、社会の成熟とともに当然来る問題だと思うんです。  沖縄の置かれている状況も、私が申し上げるまでもなく、大変な基地の重圧のもとにある。これは耐えがたい。それがあの少女暴行事件というのをきっかけに爆発した。これは言うならば直下型地震のようなものであって、日米安保体制というものが直下型地震の吹き上げによって維持不可能になるんじゃないかというふうな問題だと思うんです。  じゃ、日米安保体制というのを基地の面から維持不可能というのであきらめてよいかということを我々国際政治をやる者として見れば、いやいやそれどころではなくて、昔は例えば中国ソ連日米安保を敵視して困ると言っていたけれども、今や日米安保の国際的承認の程度というのはかつてなく広いわけですね。  日米安保定義が押し出す攻勢的なものになれば、中国はもちろんこれに対して強く反発いたしますけれども、日本日米安保の枠内で、国際協調の枠の中に軍事活動をとどめているということは非常に望ましいし、加えて今、ASEANを含めましてアジア太平洋の安定的推移というためにもやはり日米安保が望ましいという国際的承認が非常に多くて、いわば国際公共財としての程度を高めていると思うんです。一方でそうであり、しかし他方で、基地の方から維持困難というのをどう解決するかというジレンマに我々は今直面しているんだと思います。    〔理事板垣正君退席、会長着席〕  それに対する答えは、一方で合理的な基地縮小を大いに進めるべきであるし、その努力を大いになすべきである。これは普天間の問題等、日米の首脳レベルでの解決努力ということがとりあえず行われましたが、軍事戦略上の変化軍事技術の変化、そしてアメリカ国内の四年ごとの大きな潮流変化ということを考えますと、アメリカの方からも基地縮小、アメリカ軍の撤収に向かってのインパクトというのは強くなってくるだろうと思います。したがって、大事なことは、日米安保の国際公共財を吹き飛ばさないように、耐えながら、長期的縮小に向かって了解を得ながら事を進めることだと思っております。  それから同時に、じゃ、あの基地を日本本土にも、大田知事がたびたび言われるように、日米安保がそんなに大事なものならばどうして我々だけに押しやるのか、皆さんも一緒になって担われてはどうかという正論に対して、一部受けとめたところもありますが、既に演習地が地元にある場合にも、それを時々順繰りに今まで沖縄でやってきたものが回ってくるのにも激しい反発が地域であるというぐらいに嫌がられるわけですね。環境問題の民度の高さというのはそういうふうになってくる。  そうすれば、沖縄が結局それをかぶっている、そのことに対するいわば代替措置として、我々は大変お世話になっている、おかげさまで公共財をこんなに皆さんの負担の中で担うことが可能になっている、それを示すということが非常に大事である。したがって、振興策も本気でやっていかなきゃいけないんだろう。これは二者択一ではなくて、苦しい両立を図る局面だと思っております。
  30. 鷲見友好

    参考人鷲見友好君) 朝鮮半島につきましては、ほとんどの方がと言っていいと思いますが、南の方から北の方に戦争をしかけるという可能性はないというふうに考えておられる。ほとんどの方がそういうふうに考えられておると言って間違いない。問題は、北の方が南の方へ戦争をしかけてくるという可能性があるかどうかですが、先ほどからのいろいろ御意見を聞いておりましても、世界はやっぱりだんだん変わってきておりますね。  中国の問題で、アメリカの航空母艦が出てきたので中国が引っ込んだみたいなお話が先ほどありましたけれども、中国があそこでああいう行為をしたのは、両先生おっしゃっているように、あれは非常に中国にとってマイナスな結果をもたらしたと思いますけれども、しかし何かやればアメリカの航空母艦が出てくるぐらいのことは中国は十分承知の上でやっているわけで、そうでなくてもアメリカは何かあると航空母艦が出ていくわけですから、そういうことを考えないような、それほど中国というのはばかな人間ばかり集まっているところじゃありませんから、当然そういうことを考える。  それにもかかわらず、なぜあんなことをやったかということが問題ですけれども、しかし私は、正確な記憶はありませんけれども、今回とそれから以前の金門・馬祖のときの緊張関係、あの金門・馬祖のときの緊張関係の方がはるかに大きかったと思います。ですから、中国はああいうことをやるけれども、そういう全体状況を考えながらやっているんだと。だから、あそこであの選挙を武力でもってたたきつぶすというようなことを考えているとはとても思えないですね。  それにしてもああいうことをしたのはマイナスだったことは間違いないんですが、問題は、どうしてあの中国が武力行使をするかということはあるんですが、今の御質問に関して言えば、北の方も、確かに潜水艦があんな非常にばかげたことをやりますけれども、しかし先ほどこれは田中先生の方からもありましたように、北朝鮮は謝っていますね。謝ることによってその後の修復を図っている。そういう状況にもうなってきているから、今は武力で攻めていってどういうメリットがあるか考えざるを得ないわけです。北が南を攻めていってどういうメリットがあるか考えないでやることはできない。  しかし、軍隊がありますと、軍人というのは、ここに軍人出身の方がおられたら大変失礼ですが、軍人は独特の発想をしますから、ばかげたことをやりますね。日本のかつての大艦巨砲主義というのはその典型ですけれども、大きな大砲さえ持っていれば勝てるんじゃないかと。あんなものは潜水艦で一発でだめになる。しかし、やっている本人たちはそれが物すごく大事なことだと思い込んでしまっているんです。だから、やっぱりそういう中でああいう潜水艦のようなこともあるんですが、しかしそれは後になって謝罪せざるを得ないという状況にあるわけですから、北朝鮮が。
  31. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 私には、軍備近代化に関連して、そういう軍備近代化の試みに対して武器を供給している国々としてどういう国があるかということの御質問だと思うんですが、私、きょうは、正確なデータでどこの国がアジアのどこの国に幾らほど武器を売っているかというのは、今ここに正確な数字はございません。  現実に言いますと、どこの国がどこの国にどれだけの額の武器を売っているかというのはなかなか統計的につかまえるのが難しいわけです、一体幾らの値段で取引したのかもよくわかりませんし。例えば、有名なところでいいますと、今、私がここで持っているのは、どこの国が外国からどれだけ通常兵器を買ったかというデータはあるんですが、これにしましても、有名な、先ほどミリタリーバランスという話が出ましたが、イギリスにある国際戦略研究所で出しているミリタリーバランスのデータとストックホルムの国際平和研究所のデータは必ずしも整合的でないんです。  それで、ミリタリーバランスだと購入がふえているというふうにされている国が、そのSIPRI、ストックホルム平和研究所のだと減っているとかというようなことがあって必ずしも申し上げにくいんですが、ただおおむね言えるのは、全体の傾向として見ると、ロシア、アメリカ、フランス、中国、イギリス、ドイツといったような国々が大方の武器供給国であるというのは、ここ十年間ぐらいの趨勢として見るとあり得ると思います。  ただ、この武器の供給ということに関して、我が国は武器を供給することはとにかく望ましくないということで武器輸出の三原則を守っておりますけれども、この認識は必ずしも世界じゅうに広く行き渡っている見方とは言いにくい面があります。  つまり、先ほど軍備近代化が必ず安全保障に不安定感をもたらすというわけではないかもしれないというようなことを申し上げましたが、西欧諸国でこれは半ばみずからの国の武器輸出を正当化するために言っている面もあるんですが、軍事力が均衡を欠く場合に弱い側に武器を輸出するのは正しいことだという意見を持つ方々が西欧諸国のみならずほかの国にもかなりいると思います。例えば、ボスニア紛争のときにアメリカヨーロッパの中には、ムスリム人勢力への武器禁輸をしているのは道義的に間違いであるという意見を言う人たちが多かったわけであります。  ですから、私は、アジア太平洋においては武器輸出を今緊急に伸ばさなければならない必要のある国というのはそんなに多くはないと思います。  ただ、それでは台湾海峡で一律に中国と台湾両者が武器を外国から購入するのはやめろということがすぐ言えるかどうかということになると、なかなかこれは難しい問題があるような気がいたします。
  32. 笠井亮

    笠井亮君 三人の参考人方々、どうもありがとうございました。  私は、端的に一問ずつ伺いたいと思うんですけれども、まず五百旗頭参考人に伺います。  憲法九条を初めとする平和原則を貫くことがこのアジア太平洋安全保障にとっても極めて大事だと私は思うんです。先ほど、日米安保定義の問題でその前提にお考えとしてあるということで、ソ連崩壊後の今日、アメリカが安定保障装置の役割を果たしているという認識があるとおっしゃったんですけれども、果たしてそうなのかということについてちょっと伺いたいというふうに思うんです。  先ほど鷲見参考人の方から、アメリカが、ローグステーツですか、ならず者国家制裁論をとっていて、例えば去年のイラクヘの軍事行動がありましたけれども、あれを見ましても、国連などは無視する形でアメリカが勝手なことをやるというんでかなり問題になったと思うんです。国連憲章の五十一条で、国連加盟国が武力攻撃を受けた場合に限って国連による安全保障措置がとられるまでの間の個別的な自衛権並びに集団的な自衛権の行使を妨げないということがあると思うんですけれども、武力攻撃を受けたわけでもないのに、いわば勝手な形で他国を武力攻撃することはあの中身でも許していないというふうに思うんです。そうであるのに、ああいうイラクヘの軍事行動のようなことが許されたら国際秩序が成り立たなくなる、まさにその秩序は崩壊するということにつながるんじゃないかというふうに思うんですけれども、そういうアメリカのねらいと意図を持っていることに手をかしていくのがいいのか悪いのかということが問題になるんじゃないかと思うんです。  参考人がおっしゃった、過剰介入の危険の減退したアメリカの圧倒的な力をアジア太平洋秩序構造として活用するということでおっしゃったんですけれども、実際のそのアメリカの考えでいる意図といわば無関係に活用するというふうに言ってみても、結局は逆にそのアメリカに活用されることにならないかという危惧があるんですけれども、その点について伺いたいと思います。  それから、鷲見参考人に伺いたいのは、ちょっと角度が違う問題なんですが、重油流出事故に関連して、日本国民の命と安全、暮らしにとって極めて重大ということでありますし、それから日本だけじゃなくて、これは地域にとってもかかわる問題になっていると思うんですけれども、そしてその対応が迫られていると思うんですけれども、この間自民党の幹事長代理も、いまだにひしゃくですくっている姿を見て国民はどうなっているんだと思う、防衛関係では一機何百億円もする飛行機や戦車を買っている、こうした飛行機や戦車を買うよりも、直ちに処理できる船を買っておく必要があるというふうな発言もされたというのが紹介されていたわけですが、それとのかかわりですね。  それから、おととしの暮れだと思うんですけれども、財政制度審議会の答申で、日本の財政状況危機状況ということで大きな時限爆弾を抱えたような状況という分析をしながら、解決のためにこれまでの聖域と見られた分野についても制度の根本にさかのぼった再検討、大胆な見直しが必要だ、不可欠だというふうなことも言っていたと思うんですけれども、財政学が御専門ということなので、こういう問題についてどう考えていらっしゃるか。それから、歳出の緊急性、効果性の見地から見ても、この日本の防衛費、軍事費の問題をどうお考えかを伺いたいと思います。  それから、最後に田中参考人に伺います。  先ほど日米安全保障条約が民主主義諸国の連帯を示す存在でもあるということをおっしゃって、そして日本の課題との関係で、安保の有効性を高めるということで挙げられた問題があったと思うんです。ガイドラインの見直しとのかかわりもあると思うんですが。  今度新しくなったオルブライト国務長官が指名承認公聴会の証言をやっているのを私は読んだのですけれども、あの中でも基本的にクリントン政権の考えでいることが改めて言われていると思うんです。我が国の死活的利益を守ってアメリカの安全を維持するためには武力及びそれを行使する確かな可能性が不可欠だということで、ヨーロッパだとかアジアでも同盟機構を通じていわば覇権を維持する方針というのを改めてそこで強調していると私は受けとめたんですが、アメリカが米軍を日本に駐留させて、そして安保の再定義アメリカのそういう戦略に協力を求めてきてガイドライン見直しという流れがあるということで、まさにそういう立場アメリカの側が見ているんではないか。  そうしますと、アメリカがこういう考えを持って、意図を持ってやっている問題に対して、そこのところにいわば私としては勝手なねらいを持っているなという気がするんですが、そういうアメリカに連帯をして、日本もそれに合わせてガイドラインを見直して集団的自衛権の行使もできるような方向で考えていくんだというふうになると、果たしてそういうことが必要なのか、連帯というのは本来そういうことじゃないんじゃないかという気がするんです。  そんなことで日米軍事一体化が図られて、憲法の平和原則が崩されていって、そして日本戦争に巻き込まれるということになりますと、これは極めて大きなことになるし、重大だし、そういう点では、アメリカが国益、死活的利益と言うのに対して、我々としても日本の国益であり、国民の利益、アジア国民の利益というのも多いにやっぱり言わなきゃいけないという感じがするんですけれども、その点についての御見解をいただければと思います。
  33. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) アメリカ存在あるいはその強大な軍事力アジア太平洋安定装置としていわば国際的な警察機能のようなものにとどまり得るのか、むしろ危険な逸脱をアメリカが巨大なパワーを持ってする、その危険性が高いのではないかという御指摘ではないかと思います。  その危険性はもちろんあります。アメリカは神様でも聖人でもなくしみもしわもない存在ではなく、よきにつけあしきにつけ、いいところも悪いところも非常にたくさん持った、しかも振幅の大きな国だと思います。いかなる国もこの地上にある限り神様、聖人ではないし、間違いを犯す。  それは大国も小国も陣営のいかんを問わず、かつ国際組織、国連すらも誤りを犯し得る。そういうのが我々の与えられた状況であり、有限性と移り変わりの中でしか生きていけないというのが人間個人と同様に国際政治の現実だと思います。  一般論はさておき、アメリカが間違いを犯すということは決してまれではありません。最近でもあのソマリアのていたらくはどうなのか。湾岸で一応サダム・フセインをとめ、そして自信を持って国連の正当性付与機能を活用しながら行動した成功の後、ソマリアでいわば平和強制ということもやるんだと停戦合意がない中でやったところ、思わぬ抵抗をされて十八名のアメリカ兵士が亡くなった、そうしたらやめたというふうな姿。ハイチはどうだったのか。以前であれば、パナマヘの介入はどうだったのか。カリブ海、ラテンアメリカでのアメリカ軍事関与はかなり悪名高いものがございます。それからベトナム戦争への介入、これはやはり誤りであり、失敗であったということは明らかであると私は思います。  しかし、他方においてアメリカは大変いいこともしております。アメリカなしにはこの世界秩序は維持できなかっただろう、むちゃくちゃになっただろうと思うことも少なくありません。  大きな話で言えば、第一次世界大戦におけるドイツの現状打破の試み、これはヨーロッパで支え切れずに結局アメリカの介入を得たわけですが、力をつけた者がその力を存分に発揮して、旧大国あるいは既成の諸国をつぶして自分の平和秩序をつくろうと。それに対する対抗力としてどうもアングロサクソンはアイデンティティーを持っているようですね。イギリスで務まらなくなったらアメリカと。  第二次大戦では、ドイツ、日本という現状打破の膨張政策に対して、結局アメリカはそれを受けとめ、そして抑える側に回った。力による現状変更の対抗者としての役割。これは、もしそれが行われなければ、アメリカの支配の欠点がいろいろ言われますけれども、もう少し迫力のある凄惨な野蛮なものになったのではなかろうかという危惧を感じます。  いずれにせよ、現状を力で変えるということは国際社会で慎むという了解が、第一次大戦後の国際連盟、不戦条約、あるいは第二次大戦後の国連憲章で明らかになってきたわけでありますが、それのいわば最後の担保としての役割を果たしてきている。戦後で言えば朝鮮戦争、計画された軍事侵攻というのを食いとめる。そして、湾岸におけるイラクのクウェート侵攻をとめる。双方とも国連の正当性付与機能を絡ませながら、結局、力による旧秩序の破壊ということは通らないということを示したわけで、そういうのは必要な役割を果たしたんだと思います。  そうしますと、いいことも悪いこともあるというのですが、四捨五入すると言うと大ざっぱな話になり過ぎますが、アメリカという国は自国の国益とそれから秩序、国際的な必要ということを結び合わせる天才だと思うんです。そういう才能が非常にある。それを乱用して時々変なこともします。そのときには大変国際的反発を買ったり、あるいは自分で後で反省したりいたしますけれども、大きく見ますと国益ともちろん反することをしてはいない。けれども、多くの国にとっての国際的必要もやる。  それで、それが勝手じゃないかという反発はいっぱいあって、例えば我々の先人で言えば、近衛文麿さんは「英米本位の平和主義を排す」で、イギリス、アメリカらのアングロサクソンが平和だ秩序だと言っているのは持てる者の自己利益であって、それをきれいな言葉で、持たざる我々、これから得ようとする日本やドイツに挑戦させないための装置として使っているんだと言ってやったわけです。  そうすると、意外にも世界を敵とする戦争になる。アメリカ、イギリス、アングロサクソンの身勝手をたたくつもりが、実は世界を敵としてしまう。そのことは、英米本位の平和主義と近衛が批判したものが、英米の国益ももちろん反映していますが、広い国際的な必要、利益をも案外取り込んでいるということだと思うんです。  それ以上のこと、国際公共益をも取り込んだ国益の展開以上のことを、実はこの世において国際社会はなかなか追求しがたい。それを超えるものは、相互依存の制度化というものがもっと進んだ段階、WTOとかAPECとか、少しずつそのような可能性がありますが、国連もまだまだジグザグの中である。  そういう状況の中で、冷戦後のアジア太平洋に関する限りは、アメリカの危険な野心の発動よりは大きなパワーの勃興というものが、それを力で訴えて変えないという方向に機能するというふうに私は見ております。
  34. 鷲見友好

    参考人鷲見友好君) 今の御質問にお答えする前に、今までの議論の中で、最悪の事態を予想して事柄を考える必要があるということも言われてきておりますし、あるいはアメリカは悪いこともやったけれども全体としてはよかったんじゃないかというような御意見もありましたけれども、まず後の方から述べますと、湾岸戦争、あれは確かにイラクがああいうことをしたことに対しては、もう全くこれを許しておくことはできないんですが、あの湾岸戦争のときにも言われたのは、もう少し経済制裁を続ければ武力によらなくてもイラクは手を上げざるを得なかったということがあのころ言われていたんですが、それにもかかわらず武力を行使してしまった。日本は国際貢献ということでそういうふうにお金を出してしまった。  しかも、お金の出し方は、多少財政学をやっている人間から見ますと、国会で予算を決めるときにはちゃんと根拠が明確になっていて初めてこれを認めるわけです。ところが、百二十億ドルという何のために使うか全然わからないお金を、国際貢献だからぽんと出すと決めてしまった。これ自身もう財政民主主義違反もいいところだと思います。  しかし、常に武力をできるだけ使わないという方向を追求していかなければいけないのに、どうもアメリカはすぐ武力に訴える。ベトナム戦争でもそうですけれども、湾岸戦争でも訴えるとかいう危険が絶えずあるということもやっぱり考えておく必要があるのではないかというふうに思います。  それから最後の、最悪の事態といいますと、どこかで紛争が起こる、あるいは攻めてくるということも最悪の事態でしょうけれども、これは以前、福田首相が万々々が一というふうに言ったような、そういう議論をすれば、これはもうあらゆる可能性はゼロではないということは言えますね。ゼロではないから、それに際して備えておかなきゃならないという議論をすれば、これは際限がないわけであって、例えば先ほど五百旗頭先生が言われた神戸の震災、あれは理論的には予知できたというふうに言われているわけですね。そういう理論的に予知できて、実際に万々々が一よりももっと可能性が高いというのに対してどういう対策をとっていたかということが問題ですね。  重油流出事故でも、これは今回が初めてじゃなくて世界じゅうあちらこちらでありますね。そうだったら、やっぱりそういうのに対してどうするかということも考えなきゃいけない。こちらの方が優先順位としては非常に高いと思います。しかしながら、そういう点については日本は優先順位は非常に低いですね。震災対策なんというのは、あれだけ震災が起きてもその後ろくなことをやっていない。そして、軍事費はとにかく世界で第二位だという国で、さらに伸ばそうとしているということ。やっぱり政策の判断基準を根本的に変えることが必要だろうというふうに考えております。  それで、今の日本の財政状況は、私がここで申し上げるまでもなく先生方も御承知ですけれども、やはり大変な危機的な状況であることは間違いない。なぜそうなったかとか、そういうことは別にしましても危機的な状況であることは間違いない。そうだとすれば、今差し当たり削減できる経費はできるだけ削減するということに全力を挙げるべきですね。公共事業を見ると、これは大変なものであって、日本の公共事業費は国際的にアメリカと比べても二、三割高いというふうに言われていて、しかも官需は民需よりも二、三割高い。そうすると、官需の場合はアメリカよりも五割も高いようなお金で公共事業のばらまきが行われている。  今度の予算でどうかといえば、そういうことを全然検討しないで、今までの単価を見直すということもしないで公共事業費をただわっと上積みしている。補正予算を含めれば一〇%以上の公共事業費の上積みです。これで果たして財政再建ができるのかなというふうに思います。  現在の軍事費の問題に戻りますと、先ほど言いましたように、日本はもう絶対額で世界で第二位の軍事費でありまして、したがって日本の武器というのは最新鋭の武器です。AWACSなんというのは、かなり前にサウジアラビアがオイルマネーがたくさん入ったときに二機アメリカから買った。アメリカはこのオイルマネーを取り上げたいために二機売ったということがあったと思いますが、あのときはアメリカ自身でもこんな優秀な性能のものを売っていいかどうかというのが議論されたんだけれども、それを売りましたけれども、日本はそれを四機でしょう。イージス艦でもそうですね。それはアメリカ以外にないんじゃないですか。  それから、今度はF2ですね、最新鋭の支援戦闘機と言っていますが、あれは戦闘爆撃機です。  あのF2について言えば、日本の技術が安保を理由に全部アメリカに囲い込まれるというような形で共回生産が行われてきたわけですけれども、そのために日本が払う軍事費の中ではアメリカが取る方が最近ふえてきています。  先ほど言いましたように、アメリカの兵器を買わせたり、共回生産、共用するという形でアメリカの方に流れていく部分がだんだんふえてきているというのが現状ですけれども、そうしたような兵器は先ほどからの議論から見ても日本には必要ないんです。安保を認める方でも日本はそれだけの軍事力を持てというふうには言われていないわけでありまして、こういうのはやっぱりやめなければいけない。  だから、現在でも日本は国際的に見ても決して小さな軍事力じゃなくて大変大きな軍事である。  これは、自衛隊は違憲であるというふうに私は思いますけれども、しかしそれを今すぐなくせということではないにしても、少なくとも新規の装備、これはもう発注をやめる。それともう一つは、新たな兵員の募集を停止するということをやれば五年間たったら毎年今の半分に減らすことができる、二兆五千億円ぐらい減らすことができます。  そういうことをやって、先ほどの公共事業なども含めてできるだけむだなお金を使わないようにしていく。そして財政再建に向けなければ、日本の財政は幾ら消費税を上げてもとてもそれでは追いつかないような危機的な状況に進んでいく以外にないというふうに考えております。
  35. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 私への御質問は、安保条約が大事だと言うけれども、アメリカが追求しようとしているのはアメリカの利益であって、特によその国の利益ということを考えているんじゃなくて、先ほどの五百旗頭先生への質問にも関連させて言えば、時にアメリカは国際的なルールに反するようなこともする、そういうみずからの利益のみに基づいた行動をする国に日本の根本的な安全保障を託していいだろうかというような御趣旨の御質問だというふうに理解します。  私はまず第一に、これは観察でありますけれども、アメリカの政治家なり国務長官なりが、アメリカの外交政策は、これはアメリカの死活的利益に基づいて行っているのだというふうに言ったときの半分ぐらいの意図は、アメリカの国内にある、ある種の孤立主義的な感情を和らげるためといいますか、アメリカ世界で果たす役割を正当化するときに使う言い方であろうというふうに私は思っております。  ですから、往々にして、アメリカにおける孤立主義者の意見あるいはアメリカにおけるかなり極端な現実主義者の意見からすると、アメリカの政府は、とりわけ民主党政権の場合、みずからの国益に基づかないで、世界のためとか国際秩序のためとかいうようなことだけでアメリカ軍を動かし過ぎる、世界のためと言ってみずからの利益にもならないのに世界の物事に関与し過ぎるという見解がアメリカの国内においては大層多うございます。  ですから、ボスニア紛争への介入に当たってアメリカのクリントン政権は大変慎重だったわけです。これは世界にとってみると、私は、少なくとも今までのところはアメリカがデイトン合意を達成してくれたおかげでボスニアにおける人命の損失というのはかなり低くここ一、二年食いとめられてきているんだと思うんです。  しかしながら、このボスニアヘの介入は、アメリカにおいてはこれがアメリカの利益のどこに関係するんだ、どうしてアメリカの兵隊をボスニアまで連れていかなきゃいけないのかという意見が大変多いわけです。ですから、そういうときに、国際秩序を維持することが長期的にはアメリカの利益につながるのだという言い方をするというのが、アメリカの政権担当者の一種の知恵になってきているんだろうと思います。  ただ、そうは申し上げましても、そこにアメリカの死活的利益があるのは当然であります。アメリカの政策担当者というのはアメリカ人に対して責任を負っているわけですし、アメリカの安全、繁栄、生命に関して責任を負っているわけですから、アメリカが軍を動かすに当たってアメリカの死活的利益を考えないなどということはあり得ようはずがないわけであります。  そこで、問題は、日本あるいはアメリカ協力する諸国にとって何が問題になるのかといえば、そのアメリカの死活的利益と我々の死活的利益がどこまでオーバーラップし、どこが相反するのかということであります。  先ほどの笠井先生の御発言では、日本アジアの死活的利益とアメリカの死活的利益というのはほとんどオーバーラップしないというような印象を私は受けたのですが、そうだとすると、もしその判断が間違っているとすればお許しいただきたいのですが、私の見解では、アメリカの死活的利益と少なくとも日本の死活的利益のほとんどは一致すると思います。  ここにナイさんが中心になってまとめた東アジア戦略報告というもののコピーがありますけれども、ここでアメリカのバイタル・ナショナル・インタレストと言っているものは何かというふうにいえば、当然のことでありますけれども、まずアメリカ生存することである、それから第二にアメリカ経済が健全で発展していることである、それから第三に安定し安全な世界が実現し、そこでは政治的・経済的自由、人権、民主主義的制度が発展することであるというふうに三つ挙げています。  日本にとってアメリカの安全が脅かされるというのは、これは死活的な問題だろうと私は思います。日本アメリカ経済関係から考えて、アメリカの安全が脅かされるなどといったら日本も一緒に沈んでしまいます。  第二に、アメリカ経済が健全で増大しているということ。アメリカ経済が健全でなくアメリカ経済が不況に悩むなどということになれば、これは日本にとってやはり死活的な問題だろうと思います。  それから第三に、安定し安全な世界、そこで政治的、経済的自由が伸長し、人権が守られ民主的制度が発展する、これも日本にとって大変望ましいことです。  ですから、もしアメリカの国務長官なりなんなりが、アメリカの政策というのはアメリカの死活的利益に基づいて行っているのだとすれば、そしてその死活的利益が日本の死活的利益とかなりオーバーラップするのであれば、これは歓迎こそすれ、それを勝手であると言う必要は私は全くないというふうに思います。
  36. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) ちょっとお願い申し上げます。  まことに恐縮ですが、予定時間が迫ってまいりましたので、質疑答弁ともできるだけ簡潔にお願い申し上げます。
  37. 直嶋正行

    ○直嶋正行君 三人の参考人の皆さん、本日はどうもありがとうございます。  私は、五百旗頭先生と田中先生にお聞きしたいんですが、今まで余り議論が出ていなかったんですが、イスラムの問題です。  最近、国際世界の中でやはりイスラムの台頭といいますか、人によっては昔の十字当時代の再来かみたいなとらえ方をされるケースもあるんですけれども、アジアにも、例えばマレーシアとかインドネシアとか、こういうイスラムの国もございます。ですから、これを特にアジア太平洋も含めてこれからの国際情勢の中でどういうふうに見ておられるのか、あるいはどういう見方をしていけばいいのかというようなことで御意見がございましたらお聞きしたいと思うんです。  それから、五百旗頭先生にちょっと恐縮なんですがもう一点。  ちょっと参考資料でいただきました、これは五百旗頭先生と小川さんの対談の中で、日米安保の再定義について、安保条約には極東条項というのがあるんですが、お二人の話の中では、今度の日米共同宣言は地球の半分という言い方で、カバーするといいますかそういうことが言われているわけなんですけれども、今の田中先生のお答えの中にもかなりあったんですが、今申し上げたようなイスラムのこういう台頭なんかも含めて、まさに地球の半分をカバーする、こういうとらえ方をされているこの日米安保定義日本の国益という視点で考えたときに、どういうふうにとらえておけばいいのかという点、ここをちょっとお聞きしたいと思うんです。  それで、念のために申し上げますと、私は日米安保条約についてはやはり必要だと思っていますし、今回の再定義についても肯定的に受けとめている立場なんですけれども、今申し上げたようなことで、少し頭の整理も含めて御意見をお聞かせいただければと思うんです。
  38. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) イスラムの問題これは容易ならぬ問題でございます。ただ、今、直嶋委員が出されましたように、マレーシア、インドネシアというアジア太平洋諸国でも最大手のイスラム国と、人口的に言いますと。そこでのイスラムというのは、我々が普通持っております原理主義的なイスラムというイメージと必ずしも一緒じゃないんですね。今でも例えばマレーシアへ行きますと、マレーシアでは女性はこれをちゃんとかぶった方がいいとかいうふうなある種の原理主義的な運動みたいなものがあるし、マハティールさんがそういうのを意識した発言をしたりすることもあるわけです。あるいはアメリカに対して発言するときには、そういう国内の支持基盤というものを意識していらっしゃることもあるだろうと思うんです。  我々が、例えば和魂洋才ということを申しましたですね。黒船が来て、攘夷の民族的プライドからいえば、何で我々の国是である鎖国というのをそんな黒船四杯で変えなきゃいけないかという猛然たる反発が出てきた。しかし、国際環境に通じた人は、新しい時代のグローバルな波乗りということをしなくてはサーバイブもできないんだ、インドを見なさい、中国を見なさいということになるわけです。  そうすると、やはりすぐれた力強い文明があるとすれば、その力の秘密は学ばなきゃいけない、学習しなきゃいけない、しかしそれは魂まで捨てるんじゃないと。洋才を学ぶのであって、魂は和魂なんだということを我々の先人はみずからに言って聞かせて、だから尊皇攘夷に狂う人、少し落ちつきなさいと言い、自分もある納得いかない気持ちを捨てて、今ではみんな洋服を着て活動するようになったというところへ来たわけです。しかし、和魂の要素というものを大事にしなければ、とてもじゃないがグローバルな波乗りに耐えていけないという心理的現実があると思うんですね。  イスラムの人というのはそれがもっと強いんだと思います。もっと体系化されたドクトリンとしてそれをお持ちなんだと思います。しかし、基本的なファンクションは私は同じだと思っております。今グローバルなこういう市場経済の中でしか生きていけないところで、聡明なマレーシアやインドネシアの指導者は、やはりそういう国際経済の自由化の波でやっていかなきゃいけない、国民を連れていかなきゃいけない。しかし、それにカウンターバランスするようにイスラムは大事にしましょうということを言い、そういう運動も起こる。それをこなしながら、両立させながら、しかし新しい状況の中で経済を発展させ、そしてそれに一テンポおくれながらも民主主義的な制度というのを定着させていくほかはないというプロセスに、アジア太平洋のイスラムは明らかにあると私は見ております。  中東方面はもっと大変です。それは、東アジアは幸いにして団体さんで経済発展の波に乗れました。しかし、中東方面では容易ではない、難しい問題が山積している。そして、冷戦終結とともに市場経済をやはり我々もやるほかないんだという認識は以前より広がりましたけれども、その実績というのは東アジアのようではない。そうすると、まだまだ容易ではないけれども、大状況の中での使われようというのは、やはり伝統原理を大事にする、しかしボーダーレス化する国際社会に対応するというジレンマでの問題だと思っております。  それからもう一つの、極東条項を超えて地球の半分、アジア太平洋と。私の場合、政治外交史家でありますので、条文上のどこから超えたらというのか、法学部の同僚たちはそういうことに非常に関心があり、日本でもまたその関心が非常に強いと思いますが、私の基本的観点というのは、政策的な合理性、状況が移り変わっていく、その中で日本が妥当な対応をするにはどういうふうにかじを取っていったらいいかという観点で考えます。  その観点からいいますと、日米安保条約が、これは田中さんも指摘されましたように、経済的な協力関係も重視しておりますし、自由民主主義協力関係も重視している。そういうふうなものが促進されるという役割を果たすことは大変に望ましいと。特に、アジア太平洋に逆流が起こらないということのための根幹的な意味を持っている。  このことは極めて大事であって、何物にもかえがたい、ほかの手段がありませんから。  大躍進が騒乱、動乱にならないというために日米がなすべき国際的な貢献だと思っておりますので、そういう意味で新しいアジア太平洋全体に持つインプリケーション、これが日米安保の厳密な意味での活動だということは全く言っておりません。日本がやることは、結局は日本の基地の問題とその領域にかかわる問題以上ではない。朝鮮有事の際に公海上で何をするかということを検討課題にしておりますが、日本がやることは相変わらず限定されたものであります。  しかし、アメリカ軍の活動のいわば基盤を提供しているという意味で広がりが随分ある。日米安保上の行動ということになりますと、そこで軍事行動をする場合に、極東条項から外れる行動が事前協議上どうなるかという問題が起こりますけれども、そういうものを与えていることによって、今、インプリケーションはアジア太平洋の力による変更はないということの安定装置、保障の意味があり、地球半分にインパクトを及ぼすというインプリケーションがあるわけです。  日本がそれに一緒になって地球の半分に軍事行動をするとかそういうような大それた問題、そういうことをいいと言っているわけじゃありませんが、日本が限られた領域の中でやっていることがそのようなグローバルなインプリケーション、それはいい意味合いですから、秩序維持の、これはサポートすべきであろうと思います。
  39. 田中明彦

    参考人田中明彦君) 私にも恐らくイスラムの件についてコメントをせよということだろうと思うのですが、私は、イスラムという宗教それ自体が安全保障世界の国々にとって問題を与えるというようなことは余りないのではないかというふうに思っております。  安全保障上問題があるとすれば、それはいわゆる原理主義という問題でありまして、これはイスラムのみにとどまらず、キリスト教であれ仏教であれ、原理主義的な運動は安全保障上にかなり問題を与えます。ですから、イスラムの原理主義だけが問題なのではないと思います。ですから、宗教的な過激主義、これはイスラムであれキリスト教であれ仏教であれ、問題を起こす可能性があります。果たしてオウム真理教は仏教なのかどうかよくわかりませんけれども、あれも一種の過激主義、原理主義的な運動、そういうふうにみなすことができると思います。ですから、イスラムのみを原理主義のゆえに問題があるのではないかという問題の立て方は余り望ましくないのではないかというふうに私は思っております。  現実に、私は専門家ではありませんから何とも権威を持って申し上げられませんけれども、イスラムの歴史の中で、イスラムが非常に軍事的に拡張したことはありますが、他の宗教その他に対して、例えばキリスト教と比べてとりわけ過激であったというようなことは言えないと思います。ですから、イスラムの教義の中には、私ども日本人からすると大変なじみの薄いものはありますけれども、だからといって、安全保障面において全く脅威を与えるというようなものではないのではないかと私は思っております。  原理主義は、イスラムであれほかの宗教の原理主義であれ、やはりかなり問題があります。ですから、どうやって原理主義の動きを安全保障面からいって問題を起こさないようにするか、あるいは安全保障上問題のあるような原理主義が起こらなくなるようにするにはどうしたらいいかということを考えることが必要であろうかと思います。  そして、これは私の浅はかな見解かもしれませんけれども、多くの場合、宗教というよりは経済的・社会的困難、社会的な秩序の乱れ、そういうものが原理主義基盤を形成しているわけです。ですから、この経済的・社会的困難が解消していく過程において、私は、希望的観測かもしれませんけれども、原理主義的な運動というものは存続するにしても、安全保障面においてそれほど大きな脅威をもたらさなくなる可能性はあるというふうに思っております。
  40. 林芳正

    ○林芳正君 自由民主党の林でございます。時間も迫ってまいりましたので、お二人の先生方にちょっとお聞きしたいと思います。  まず、五百旗頭先生には、先ほど、レジュメの最後の方でアジア太平洋協力枠組みという中で太平洋文明世界の構築というお話があったんですが、よく言われておりますように、アングロサクソンと、先ほどもそれに類したお話があったんですが、違った形でのまさに和魂洋才の和魂の方の部分といいますか、現代に引き直しますと、アジア型の資本主義なりアジア型の民主主義ということを少し考えてはどうかということが時々聞かれるわけでございます。  CSCEの議論でもあったように、ヨーロッパは比較的粒のそろった、キリスト教というベースで同じころに市民革命を経てきた国というベースがあったわけでございますけれども、アジアの場合は、今のイスラムの話もあったように宗教もばらばらでありますし、国家体制も割とそろっていないし、経済発展の度合いもなかなかばらばらであるという中で、太平洋文明というものをもし本当にアングロサクソンに対置して考えていくとした場合のコモンイシューといいますか、そういうものが果たしてあり得るのか。もしくは、アジアも成熟社会というか、発展途上国から発展した国の仲間入りをするにつれて、アングロサクソンの普遍的理念の中にだんだん入っていくのか、その辺のことに関してお考えがあればお聞かせを願いたいと思います。  それから、田中先生にお伺いしたいのは、先ほどリアリズムとリベラリズムのプラスサム思考というお話がありまして、我々もリアリズムとリベラリズムというのは対立概念であるというふうに習ってきたわけでございまして、お互い両方やっていけるのが現実的な手法としてはあり得ると思うんですが、やはりお互いのイクスクルーシブなところも出てくるのではないかなという気がいたします。先ほど台湾海峡の話があったときに、中国がこれをどうとらえたかというお話の中で、ああいうことをするとこういうことになるからそっちはやめてリベラリズムにいこうというふうに思ったのか、もしくは臥薪嘗胆であると。  先ほど五百旗頭先生からあったように、今はじっとしておいて、そのうち黙っていても勝つようになるというのはまさにリアリズムの考え方と、こういうふうに思うんですけれども、どこまでは両方とっていけて、最後は相入れない現実のケースの中でお互い両方とれないというところが出てくるのではないかなという気がするんですが、それについてコメントがあればお聞かせ願いたいと思います。
  41. 五百旗頭真

    参考人(五百旗頭真君) アングロサクソン型、西洋型、アジア型というふうな言葉は、実はわかるようで余り正確であり得ないというのが実情かと思いますけれども、例えば冷戦後の中東での雰囲気の変化についてこういうことを言ってくれた人がおりました。ハムレット的世界からチェーホフ的世界に変わってきていると。  ハムレットにおいては、ハムレットを初めすべての人々は個性豊かでしかもある種の原理を持ち、それに殉ずるという切れ味鋭い行動を応酬するんです。しかし、行われることは何かというと、結局全部破壊的活動になって、母を殺し、恋人を狂わせ、おじを殺し、みんな殺して自分も最後に死んで、その死の向こうに何か夜明けの明るさが見えてくるのだろうかという世界です。これは非常に我々が西洋的と言っているもの、原理をはっきりさせて、正邪をはっきりさせて、文明の原理を貫徹するんだといって進んでいったときに起こり得る世界だと思うんです。  チェーホフも同じくヨーロッパ産でありますけれども、ロシアですけれども、ここではみんなが好きなことをわいわいがやがやとかなり無秩序に言って、ある世界をつくっている。一向に筋が通らないみたいだけれども、結局最後までだれも死ぬわけじゃなく、それなりに共存した世界である。そういうチェーホフ的世界を受け入れる心理的基盤のようなものが冷戦後中東にもできてきたという観察を語る人がいたんですが、これは大変おもしろいと思うんです。  もしそうだとすれば、それは西洋的とアジア的ではなくて、西洋の中にも両方の原理があるし、アジアにも実は両方あるんだろうと思いますが、ASEAN・APEC型というのはかなりそこで言うチェーホフ的な世界だろうと思うんです。ばらばらで、多様で、先進国、途上国だけじゃなくて、宗教原理も実にさまざま。  しかし、それがそれぞれに場を持って共存していくような新しい秩序というのか、ある種の世界でしょうね、文明世界。こういうものをつくっていくということが、実は冷戦以後根本的に多元的、多極的であらざるを得ない二十一世紀世界にとって必要じゃないか。冷戦という二つのしっかりした秩序の衝突、対抗という状況から押し出されてしまったそれ以後の世界で、案外APECのようなふしだらなチェーホフ的な生き方というのは可能性を持っているんじゃないか。  しかし、全然共通性がないかというとそうではない。実はアジアは昔から言われてきた、アジア一つと岡倉天心は麗しくうたって、あのヒマラヤの氷壁もアジア一つになる精神を分かつことはできなかったと、読んだらほろっとすることが書いてありますが、しかし現実にはアジア一つではなくて、インドであり中国であり日本であり、一つ一つの国は大変違っていたわけです。それが初めて今共通性というのを急速に築きつつある。それをもたらしているのは工業化だと思います。  青木保さんという友人の表現で言えば、東アジアを飛び交う、首都を飛び交う飛行機に乗ってビジネスクラスに乗ればいい、そこには小ざっぱりしたビジネススーツに身を包んで、そしてパソコンをぱあっと打っていると。あの人たちはみんな、それを見たらわかるんだけれども、どこの国籍の人かだけはわからない。日本人かもしれない、台湾かもしれない、中国かもしれない、マレーシアかもしれない、シンガポールかもしれないという現実ができてきたんです。共通の中産階級というのが工業発展の中で出てきた。これは非常に大きな現実だと思うんです。  その人たちは、しかしまた共通のカルチャーもつくり出している。かつては西洋のものを、日本のアニメを通してとかあるいは日本のスタイルを通して、映画だとかあるいは芸能関係、ファッションもそういうのであったが、今はもう直接にやっている。そういうものを持つようになってきております。  そこで追求されているのは工業化、経済発展という共通基盤がもたらす変化であり、そしてある種自由な感覚を持った西洋をモディファイしたものなんでしょうね。ですから、これをアングロサクソン、西洋の支配がアジアに及んだというふうに被虐的に考える必要もないし、ある種の展開、日本を八〇年代まではてこにしながら、そして今は自前で旺盛にバイタリティーを持って展開していく。それはある意味で西洋を我々がこなし、克服したということでもあるし、ある意味では西洋は広がったと見てもいい。それをハンテントンのように文明の衝突としてとらえるのは僕は短見であると思います。  そういうものとしてアジア太平洋文明というのがもし破局を迎えずに旺盛な活動を応酬していくならば、二十一世紀の可能性だと思っております。
  42. 田中明彦

    参考人田中明彦君) リアリズムとリベラリズムで排他的な面もあるのではないかという御質問だと思います。  確かに相入れない局面というのは存在すると思います。例えば、いいのか悪いのか自信はないんですが、リアリズムとリベラリズムはどちらかというと西洋医学と東洋医学というようなものと言ったらいいか、あるいは外科手術とそれから漢方内服薬と言ったらいいか、そういうようなもので、恐らく漢方薬と西洋医学は相入れないところというのがあるのかもしれませんが、おおむね賢明に使えば両者なかなか補う面もあるような気もします。  ただ、先ほど台湾海峡の問題をおっしゃられましたけれども、その例えで言えば、やはり手術が要るときには漢方内服薬だけで済ませなさいといっても、これはなかなか難しい。手術が要るときは手術をしないといけないということはあると思います。  具体的な台湾海峡の問題で言いますと、果たして中国がこの台湾海峡危機で何を学んだか。そもそもどういう意図でやって、やめたのはどういう意図かというのは、これは何とも言えない面があるんですが、私は、これは非常に現実主義的な、リアリスト的な軍事的な観点と、それからある種リベラルな影響があった。両方の側面があると思うんです。  というのは、まず第一に、軍事主義的な側面で言えば、先ほど五百旗頭先生のアネクドート、清の時代の話です。そういうこともあって、恐らく中国の指導者の頭の中には、台湾が独立と言うのをやめさせるためには何としても断固たる措置を示さなければいけないというふうに思った。それから、特にそういう台湾の態度に対して、やれやれと言っているかに見える米国議会の議員さんたちに対して、これは深刻な問題なんだぞということを明確に示すためには、アメリカの議員の人にもよくわかるような形で中国の決意を示さなければいけない。つまり、軍事演習のみならず、ミサイル実験もやはりやらなければいけないというふうに思った。  ところが、出ていったところ、アメリカの反応は思っていたよりもかなり厳しかった。空母が二隻も来たということは、今後もし中国が仮にこういう軍事的な対応をするにしても、アメリカ軍事的対応をやはり予想しなければいけないから軽々には動けないぞということです。  ただ、その前提として見ると、中国の指導者からしてみると、あの台湾海峡危機以後、台湾で独立独立という言い方はやや減った。それから、アメリカの議会の中でも何でも台湾支持だという動きもやや減ったということからすれば、中国側からしてみると、これはうまくいったという面もあるわけです。ただ、うまくいったという面もあるけれども、アメリカがひょっとしたら軍事介入をするかもしれないから軽々に動けないから、これからは気をつけなければいけないという面もレッスンとして学んだと。  ただ、このリアリズム的な観点のみならず、やはりある種リベラルな観点というものも徐々にではあれ影響を与えていると思うんです。つまり、ここで軍事演習をやるといっても、中国側は大変慎重に計算をして、ここでとにかく軍事衝突が起きないようにということに一生懸命気を配ったわけです。なぜかといえば、それは台湾と中国との間の経済関係というのが密接になって、これで本当に軍事衝突を起こしてしまったら、上海にしても福建にしても経済発展がみんな御破算になっちゃうわけです。ですから、そういうこともやはりある程度は計算している、その両方今のところ進んでいると思うんです。  ですから、周辺諸国にとってみると、時に必要な場合は外科手術的なもの、現実主義的に見えるものも利用することはもちろんですけれども、やはり中国国内制度がより開放的になるとか経済的相互依存が進むとか、中国を国際的な多角的な枠組みに導き入れるというようなある種の漢方薬的なものも一緒に処方するということは、これは特に大きな矛盾ではないのではないかと思います。
  43. 林田悠紀夫

    会長林田悠紀夫君) まだ質疑を希望される委員もあるのですが、残念ながら予定した時間が参りましたので、参考人に対する質疑はこの程度といたします。  五百旗頭参考人鷲見参考人田中参考人に対しまして一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変お忙しい中、長時間御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時一分散会