○萱野茂君 明治の初めにそれぞれの藩が廃止されて何々県というふうに県が設置され、それに伴い本州から大勢の
日本の人たちが北海道に渡って開拓を始めたのは明治時代以降のことであります。そのころ、私たちアイヌはまだ生活のほとんどを狩猟とか漁労に依存し、農耕文化の恩恵を知らずに暮らしていました。
津軽海峡を隔てた北海道において、明治の初期にあってもアイヌがいまだ農耕を知らずに暮らしていたわけは幾つかあります。それは、北海道がいまだ開発の手から遠く、シカやクマ、サケ、マスなど、山や川などの豊富な自然、豊富な資源に恵まれ、農耕を知らずとも容易に主食を手に入れることができたことであります。
もう
一つの背景には、松前藩が二百年にわたってアイヌに農耕の禁止を押しつけてきたことにあります。このころ稲作が普及していなかった北海道においては、松前藩が幕府から認められていた石高は北海道のニシンやサケなどの豊かな漁業資源とこれらの交易によるものであります。この漁場の経営に当たる松前藩は、アイヌをただ同然の労働力として徴用するため、アイヌから一切の農耕の手段を奪いました。アイヌたちが主食の一部として既に普及していたヒエやアワ、キビの耕作も禁じられたのであります。本州にあっては縄文から弥生と農耕文化の歴史をたどるのに対し、北海道のアイヌたちはこのように明治の時代まで農耕文化を受け入れることなく過ごしてきたのであります。
明治の中期に入って旧土人保護法を制定した
日本政府は、一方でアイヌから狩猟や漁労を奪うかわり、農耕を全く知らないアイヌに突然農耕を押しつけてきたのであります。このとき既に北海道の土地の多くは本州から渡ってきた人たちのものとなっており、アイヌに与えられた土地の大半は湿地であったり傾斜地であるなど農耕には余り適さない山間地でありました。
そんなことで、私たちアイヌが農業という生産手段を手にしてからまだほんの七、八十年、二世代になるかならないかの歴史しかありません。私も先代からわずかばかりの土地を引き継ぎ、農業を生業の一部として数十年を過ごしてきたわけであります。しかし、そのわずかな土地を明治
政府がアイヌから収奪し、それに今度は農業をやれといって付与した土地は、再び
政府がダムをつくるといって私から没収し、今は二風谷ダムの底へ沈んでしまったわけであります。
私のような新参者のアイヌの農家が、ガット、関税
貿易一般協定という言葉を初めて知ったのは
日本が戦争に負けてからずっと後、昭和三十年代のことであります。しかも、私はこのガットなるものは
日本の農業や私たち農家の生活を守ってくれる制度なのだとまじめに
考えていたものであります。農産物の輸入の割り当て量を決めるとか関税率を決めることは
政府が農家を保護するための政策の
一つと思っていたのであります。
しかし、昭和三十年代後半に入りますと、
日本の
経済は戦後復興を遂げ、
経済成長の時代を迎えるわけですが、その時期を待っていたかのようにアメリカの食糧
戦略、アメリカの農産物の輸出攻勢が本格化したのであります。世界の食糧国としてのアメリカは、その市場を
日本に求め、ガットへの圧力をかけ始めたわけであります。
政府は、自由化の時代に対応し、国際競争に勝てる農業として、選択的拡大と称して専業農家の育成を柱にした農業基本法を制定したのであります。しかし、ガットの農業分野の
交渉が持たれるたびに自由化が進められ、私たちの身の回りからはさまざまな農作物が姿を消していきました。特に、競争力に乏しい原料供給型の農作物はどんどん姿を消し、その結果、穀物自給は急速に低下したのであります。山間地の農家にとってガットとは怖いものであり、ようやくガットなるものが自由
貿易体制の国際的
枠組みをつくる制度であったことに気づいたわけであります。
米を初めとする農業への圧力はウルグアイ・ラウンドでさらに強化され、
日本の農業は崩壊の危機に瀕しているのであります。農水省もさまざまな施策を講じつつありますが、農家の所得向上に反映しない施策は農家を農業にとどめることができず、将来に展望のない農業なのであります。
日本の農業は、結局、世界
経済の浮沈、国際収支の動向、
国内の
経済成長の谷間で犠牲を強いられてきた数十年であったのではとの感がいたします。
今、世界の動向はあらゆる分野にわたって規制緩和、自由
貿易体制へと移行しており、それは新たな
貿易秩序へ向けたものであります。ガット体制に変わり、権限や機能が大幅に強化され、世界
貿易機関はその
枠組みの象徴であるとされています。この世界
貿易機関の役割と機能は
経済に関する国際機関としてはかつてない機能を有するものと
考えられ、この運用は世界の
貿易秩序形成そのものになるものでありますが、それだけに、資源を持つ国とか市場を専有する国、技術を専有する国など、特定の大国のために利することなく運用されることがより公平な市場原理、市場競争に向けての国際秩序を確立する道であると思います。
また一方、
国内においても、この運用に当たって、特定な地域や産業に一方的な犠牲を負わすことのない
国内施策が必要であるのは当然であります。
今、この機関には中国、
ロシアなど、さまざまな国が加盟の途上にあります。ガットがアメリカの市場支配を優先して運用されてきたのに対し、この世界
貿易機関に将来どのような役割を期待するのか、そして
日本はどのような役割を担うのか。単に大国と歩調を合わせるだけでなく、途上国や中小国、おのおのの国益やおのおのの国が置かれている立場に配慮しながら、自由
貿易体制における公平な世界市場を形成させていくことが
日本に課せられた役割と思いますが、
政府の見解を伺っておきたいと思います。