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1997-05-20 第140回国会 衆議院 文教委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年五月二十日(火曜日)     午前九時三十四分開議 出席委員   委員長 二田 孝治君    理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君    理事 栗原 裕康君 理事 田中眞紀子君    理事 佐藤 茂樹君 理事 藤村  修君    理事 山元  勉君 理事 石井 郁子君       岩永 峯一君    栗本慎一郎君       佐田玄一郎君    阪上 善秀君       戸井田 徹君    山口 泰明君       渡辺 博道君    井上 義久君       池坊 保子君    旭道山和泰君       西  博義君    西岡 武夫君       三沢  淳君    鳩山 邦夫君       肥田美代子君    山原健二郎君       保坂 展人君    粟屋 敏信君  出席政府委員         文部政務次官  佐田玄一郎君  委員外出席者         参  考  人         (理化学研究所         理事長)         (元東京大学学         長)      有馬 朗人君         参  考  人         (国際基督教大         学教養学部教         授)      勝見 允行君         参  考  人         (沖縄大学法経         学部教授)   宇井  純君         参  考  人         (一橋大学名誉         教授)     浜林 正夫君         文教委員会調査         室長      岡村  豊君     ————————————— 五月二十日  スポーツ振興投票実施等に関する法律案(島  村宜伸君外十二名提出衆法第二一号)  日本体育学校健康センター法の一部を改正す  る法律案島村宜伸君外十二名提出衆法第二  二号)  スポーツ振興法の一部を改正する法律案島村  宜伸君外十二名提出衆法第二三号) 同日  大学教員への任期制導入法制化反対に関する  請願山原健二郎紹介)(第二七八六号)  同(石井郁子紹介)(第二八九四号)  同(大森猛紹介)(第二八九五号)  同(金子満広紹介)(第二八九六号)  同(木島日出夫紹介)(第二八九七号)  同(穀田恵二紹介)(第二八九八号)  同(瀬古由起子紹介)(第二八九九号)  同(春名直章紹介)(第二九〇〇号)  同(山原健二郎紹介)(第二九〇一号)  同(山元勉紹介)(第二九〇二号)  地域スポーツ環境整備充実のためのスポーツ  振興くじ制度早期樹立に関する請願麻生太  郎君紹介)(第二七八七号)  同(加藤六月紹介)(第二七八八号)  同(柿澤弘治紹介)(第二七八九号)  同(栗原裕康紹介)(第二七九〇号)  同(島村宜伸紹介)(第二七九一号)  同(白保台一君紹介)(第二七九二号)  同(中村正治紹介)(第二七九三号)  同(西岡武夫紹介)(第二七九四号)  同(藤本孝雄紹介)(第二七九五号)  同(町村信孝紹介)(第二七九六号)  同(松沢成文紹介)(第二七九七号)  同(愛野興一郎紹介)(第二八六四号)  同(加藤六月紹介)(第二八六五号)  同(福島豊紹介)(第二八六六号)  同(藤本孝雄紹介)(第二八六七号)  同(前田武志紹介)(第二八六八号)  同(今村雅弘紹介)(第二九〇三号)  同(衛藤征士郎紹介)(第二九〇四号)  同(遠藤利明紹介)(第二九〇五号)  同(小川元紹介)(第二九〇六号)  同(小澤潔紹介)(第二九〇七号)  同(越智伊平紹介)(第二九〇八号)  同(越智通雄紹介)(第二九〇九号)  同(大石秀政紹介)(第二九一〇号)  同(太田昭宏紹介)(第二九一一号)  同(奥田幹生紹介)(第二九一二号)  同(鹿野道彦紹介)(第二九一三号)  同(木部佳昭紹介)(第二九一四号)  同(熊谷市雄紹介)(第二九一五号)  同(熊代昭彦紹介)(第二九一六号)  同(栗原裕康紹介)(第二九一七号)  同(小坂憲次紹介)(第二九一八号)  同(古賀一成紹介)(第二九一九号)  同(河野洋平紹介)(第二九二〇号)  同(斉藤斗志二君紹介)(第二九二一号)  同(坂井隆憲紹介)(第二九二二号)  同(自見庄三郎君紹介)(第二九二三号)  同(鈴木俊一紹介)(第二九二四号)  同(関谷勝嗣君紹介)(第二九二五号)  同(田中和徳紹介)(第二九二六号)  同(田中慶秋紹介)(第二九二七号)  同(高橋一郎紹介)(第二九二八号)  同(谷畑孝紹介)(第二九二九号)  同(玉沢徳一郎紹介)(第二九三〇号)  同(中尾栄一紹介)(第二九三一号)  同(中島洋次郎紹介)(第二九三二号)  同(中山正暉紹介)(第二九三三号)  同(西川知雄紹介)(第二九三四号)  同(能勢和子紹介)(第二九三五号)  同(畑英次郎紹介)(第二九二六号)  同(日野市朗紹介)(第二九三七号)  同(平林鴻三君紹介)(第二九二八号)  同(前田武志紹介)(第二九二九号)  同(松浪健四郎紹介)(第二九四〇号)  同(村山達雄紹介)(第二九四一号)  同(横内正明紹介)(第二九四二号)  同(吉田公一紹介)(第二九四三号)  同(渡辺具能紹介)(第二九四四号)  同(綿貫民輔紹介)(第二九四五号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  大学教員等任期に関する法律案内閣提出  第八三号)      ————◇—————
  2. 二田孝治

    二田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出大学教員等任期に関する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人として理化学研究所理事長・元東京大学学長有馬朗人君、国際基督教大学教養学部教授勝見允行君、沖縄大学法経学部教授宇井純君、一橋大学名誉教授浜林正夫君、以上四名の方々に御出席をいただき、御意見を賜ることにいたしております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお聞かせをいただき、審査参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いします。  次に、議事の順序について申し上げます。  有馬参考人勝見参考人宇井参考人浜林参考人の順に、お一人十五分程度意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えいただきたいと存じます  なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。  それでは、有馬参考人お願いいたします。
  3. 有馬朗人

    有馬参考人 きょうは、ここに、任期制の御議論をなさるに際しまして、参考人として意見を述べさせていただく機会を与えてくださったことに心より感謝申し上げます。  高等教育及び科学技術に関係しております人間といたしまして、先生方の御尽力に心より感謝申し上げます。この数年、大学教育研究環境研究所研究環境がかなり改善してまいりました。また、科学研究費を初め研究費もかなり増大しつつあります。これはまさに先生方のお力であると我々は感謝をしている次第であります。  一方、我々教育研究者も、一生懸命すぐれた教育を行おう、秀でた研究をやろうと努力はいたしております。事実、そのかいがございまして、自然科学論文数世界で第二位ないし第三位を占めるに至りました。各分野によって二位か三位か違いはありますけれども、大体二位ないし三位の地位を占めるようになりました。  お手元に資料を差し上げてあるかと思いますが、資料一にその総論文数を掲げておきました。総論文数日本が第二位であるということで、大変我々は努力をしていると自画礼賛をしたいところなのですが、しかし、その右側の方に黒い線でかいてございますが、引用度、何回ぐらい一つ論文が引用されるかということにおきましては、残念ながら先進諸国の中で一番低い程度である。アメリカの六割程度しか引用されないという状況でございます。  それからまた、研究者一人当たり論文数はどのぐらいかというと、その次の表にお示ししてございますが、一人当たり日本人は十年に一回しか書かない。〇・一回である。それに対して、アメリカもそれほど威張れたものではありませんが、〇・二個。すなわち日本の二倍ぐらい。あるいはイギリスはどうかというと、イギリスが非常に強くて、日本の四倍ぐらいの論文を一人一人が書いているわけであります。この点、日本研究者の一層の努力が必要であると私たちは思っているわけであります、  もっと日本人研究者が、今でも努力はしていると思うけれども、もう一層活性化する方法というものがあるだろうかということを長年考えておりますが、その一つは、教育研究に従事する人々の流動化を図るということであろうと思います。  私自身素粒子グループに属しておりまして、このグループは、湯川秀樹先生朝永振一郎先生坂田昌一先生という世界先駆者の伝統を我々は受け継いでいるわけであります。一九五三年に京都大学湯川先生を所長とした基礎物理学研究所が創立されました。この研究所ではごく当初より教授助教授助手の全所員に任期制導入されております。そのことによってこの研究所活性化流動化というのは非常に進んでいるわけであります。それに倣って、多くの大学研究所は自発的に任期制導入してまいりました。  その公募の例を二、三、私の分野参考資料としてつけさせていただいた次第であります。既に一九六〇年代に方々の学科あるいは研究室、講座で公募をし、かつ、その公募の際に任期制をつけた形で公募をしているという例がそこに幾つか差し上げてございますので、御参考までにごらんいただければ幸いであります。  このような自発的努力をしております大学あるいは大学共同利用研究所等々は随分たくさんございますし、文科系でも多くの学部が既に任期制を自発的に導入しているわけであります。東京大学の法学部は戦前から助手には任期をつけていたと聞いております。戦後はもちろんのことであります。  しかしながら、問題は、任期つき採用は、厳しく見ますと公務員法に矛盾する部分がないわけではない。そのために、もし紛争が生じれば、雇用側、すなわち大学ないしは研究所側が不利でございます。そこで、自主的なやり方だけの運営では不完全であると私どもは考えているわけであります。  大学審議会は、教育研究の一層の活性化を図るため、その一つ方策として長年任期制導入を慎重に検討してまいりましたが、各大学自主的判断に基づいた選択的導入が適切と判断して、一昨年には審議の概要を公開し、関係各方面の御意見を聞き、さらに審議を重ねて、昨年十月に答申した次第でございます。  先ほども御礼を申し上げましたけれども、本日は、国会において任期に関する法律を御審議なさる際に私にも参考人として意見を発表する機会をお与えくださいましたことに、改めて感謝申し上げます。  そこで、以下少し詳しくこのいきさつを申し上げたいと思います。  まず、任期制提言の背景でございます。  答申において任期制を提言いたしましたのは、大学における教育研究活性化が必要であるということであります。  今日、社会は急激に変化しております。このような時代にあって、人材育成学術研究の中核を担う大学の役割はますます重要なものになってきております。しかし、我が国の大学については、社会経済発展に寄与してきたことの評価がありますが、一方、教育研究現状に対して、学生の要求や社会要請を踏まえた教育が十分には行われていない、国際的な競争にも耐え得ない面があるということが問題になっております。先ほど既に国際的な面での論文については申し上げたとおりであります。  こうした批判にこたえていきますためには、大学改革を進め、大学における教育研究活性化しなければならないと思っております。そのためには、第一に、大学教員能力を上げていくということが必要でございます。教員流動性が高まり、異なる経験や発想を持つ多様な人材が交流して相互学問的刺激を与え合うということは、教員教育研究能力を高める上で有効であると私は信じております。  各大学におきましては、公募制の活用などの採用方法改善や弾力的な教育研究組織・体制の工夫など、教員流動化を高める取り組みが行われております。  例えば、私自身のことを申し上げて恐縮でありますが、私が属しておりました東京大学理学部物理教室では、助手からこの教室講師助教授には昇任させないという強い合意がございます。もっとも例外がないわけではありませんけれども、よっぽどの場合にのみ助手から助教授ないしは講師に昇任するという一つのルールを内規で決めております。あるいはほかの大学の例で申しますと、助教授までは比較的楽に進んでまいりますけれども、教授への昇進は極めて難しいといった方針をとっているところもございます。  そこで、任期制目的でございますが、任期制はこのような教員流動性を高めるための方策一つであります。任期制導入できるようにすることは、回内外を問わず、他の大学研究機関等との人材交流を一層促進することになり、教員能力を高め、大学における教育研究活性化を図る上で大きな意義を持つものであると私は確信しております。また、任期制導入により多くの教育研究機関教育研究に従事することになることから、教員としての創造的な能力と幅の広い視野が養われ、若手教員育成に資することができるかと思います。  答申においては、大学学問分野ごとに実情が異なっておりますので、各大学判断により任期制導入し得る選択的任期制が適切であると考えた次第であります。  任期制対象となる教員といたしましては、制度上は教授から助手まですべての職を対象とし得ることといたしました。実際にどの職に導入する かについては各大学判断にゆだねることにいたしております。  すべての職を対象とし得るようにいたしましたのは、各大学においてそれぞれの教育研究上の必要性に基づいて任期制導入しようとする場合に、特定の職には任期を定められないというふうなことがあると困りますので、各大学判断を尊重できるようにしようという配慮によるものであります。先ほど申しました京都の基礎物理学研究所は、助手助教授教授全員に対して任期が現在つけられているわけであります。  任期満了後に再任を妨げない運用とするか否かも各大学判断に任せられております。しかし、再任を決定する際には、新任の教員と同じように厳しく教育研究上の業績評価すべきであると考えております。  任期制導入の有無にかかわらず、教育研究活性化を図る上で教員業績評価が適時適切に行われることが極めて重要でございます。特に、任期制導入により業績評価機会がふえることになりますので、従来にも増して信頼性妥当性のある評価方法を各大学で工夫することが必要不可欠でございます。  その場合、研究面評価に偏ることなく、私は大いに教育面でも評価をしてほしいと思っております。また、大学管理運営地域社会への貢献、特に地域社会への貢献といったことについても適切に評価をしていくことが必要でございます。  また、研究面評価当たりましても、長期的な視野に立った研究がおろそかにされることのないよう、仮に研究途上のことでありましても、研究途上業績について詳しく、きめ細かく検討し、論文の数だけでなく、その質を重要視した評価方法を工夫することが重要であると考えております。  最後に、法案について私の考えを申し上げます。  今回の法案答申の内容を十分に踏まえたものになっていると考えております。  例えば、法案においては、各大学判断により任期制導入し得る選択的任期制考え方がとられております。また、任期制の恣意的な運用を避けるために、教員任期に関する規則を定めて行うこととしております。さらに、任期制運用透明性を高めるために、教員任期に関する規則を公表するなどの措置がとられております。  今回の法案により、各大学判断任期制導入が可能となれば、大学における教育研究を一層活性化させ、未知の分野を開拓していく創造性にあふれた人材の養成や、世界をリードする独創的な研究が行われるようになるかと考えております。したがいまして、できるだけ早く法案を成立させていただきたいものとお願いを申し上げます。  最後に、教育は国家百年の将来を保障するものでございますことは先生方に申し上げるまでもないことであります。そこで、ぜひお願いは、任期制からちょっとずれて申しわけありませんけれども、教育研究に対しましては十分研究費教育費を御配慮いただければ幸いでございます。  最後に、先生方のますますの御活躍を祈りつつ、私の意見発表を終わらせていただきます。まことにありがとうございました。(拍手)
  4. 二田孝治

    二田委員長 有馬参考人におかれましては、御苦労さまでございました。ありがとうございました。  次に、勝見参考人お願いいたします。
  5. 勝見允行

    勝見参考人 委員長並びに委員各位、本日は、文教委員会会議におきまして、大学教員任期制導入に関し私の意見を申し上げる機会を与えられましたことを大変光栄に存じます。日ごろの、大学あるいは教育全般の事柄について、皆様方の絶大なる御協力を大いに感謝申し上げる次第でございます。  私は、任期制導入に賛成の立場から意見を申し上げたいと思います。  このたび、大学審議会答申に基づいて議会に提案されようとしております法案では、任期制二つのカテゴリーがあるように思います。すなわち、一つは、任期のある教員ポストを設置するというアイデアであり、もう一つは、現在の教員任用のシステムの中で任期制を置くというものであります。この二つは、必ずしも同一レベルでその功罪を論じることはできないと考えますので、別々に取り上げて意見を申し上げます。  まず、任期のあるポストを置くという考えであります。このような教員ポストに関しましては、既に多くの国公私立大学において何らかの形で実行されてきているものであります。例えば、外国人教員採用客員教授任命、定年後の教員特任教授等の名称で再雇用する、あるいはポストドクトラル・フェロー、あるいは先ほど有馬氏が紹介されましたように、一部の助手採用、そういうような形で行われております。しかし、これらの現在運用されている制度は、このたびの法案基礎にある大学現状についての認識、すなわち、「大学等において多様な知識又は経験を有する教員等相互学問的交流が不断に行われる状況を創出することが大学等における教育研究活性化にとって重要である」という認識から運用されているとは言いがたいと思われます。  任期を決めた契約、私は六年前後が適当であると考えておりますけれども、この任期による教員または研究者任命は、プログラムセンタード、つまりプログラム中心教育研究プロジェクトを遂行するには極めて有効な手段であると考えます。大学が従来の伝統的な学問分野を守り、その維持発展に力を注ぐことは重要でありますけれども、他方、時代の変化や要請、新しく展開しつつある学術流れに積極的に対応するようなことも必要であります。このようないわば新しい試みに対して大学は柔軟であることによって、みずからのうちに活力を養うことができるものであります。  しかし、既存の学術流れを一挙に更新することはできませんし、また、望ましいかどうかも問題であります。というのは、新しい流れ学問の主流となり得るものかどうかわからない面もあるからであります。大学教員の一部に、常時プログラムセンタードプロジェクトに携わる者を含むということは、大変望ましいことであります。これらの教員が新しい研究分野を開拓し、また教育に従事するということは、教員相互の励みとなるばかりでなく、学生に対しても絶大なる教育効果をもたらすものと信じます。  ただ、任期のある教員ポストを新しく増設するのか、現在の教員枠の一部を転用してそのような枠をつくるのかということは問題があることかと思います。しかし、私は、たとえ現在の教員枠の一部を転用するにしても、このようなポストを創設することは意義のあることであり、大学活性化に大いにつながるものと考えております。  さて、次に、教員職任期制をしくというアイデアについて意見を申し上げます。ただし、この制度は、大学教員への就任は必ずしも終身在職の権利を保障するものではないという制度として考えたいと思います。  これまで、大学で行われてきた教育研究活動は、文部省による統制はありましたけれども、基本的には各大学自治に任されておりました。これは、日本国憲法第二十三条に明記されております「学問の自由は、これを保障する。」という精神を学問の府たる大学が堅持しているからであります。先般の教育カリキュラム大綱化によりまして、教育面での大学自由裁量の枠は大幅に拡大されております。これは文教面でのいわば規制緩和と言うことができるかもしれません。この措置によって、もちろん大学に課せられた責任はますます重くなったのは言うまでもありませんが、各大学は、それぞれに教育研究活動において特色を出すべく努力してきましたし、しております。  しかし、大学教育研究活動を担う主体である教員についてはどのような改革がなされたでありましょうか。魅力のない授業研究偏重採用に当たっての身内の優先、教員間の相互批判の欠 如、研究のマンネリ化、教員流動性の欠如、年功序列制、さまざまな問題点が指摘されておりますけれども、残念ながら改善されたとは言いがたい状況にあります。しかし、自然科学の一部の分野では、国際的競争が激しいこともあって、徐々にではありますけれども、望ましい方向に向かっているのも事実であります。私は自然科学の中の生物学分野に属しますけれども、そこの分野ではこのような点に対しての改善がなされつつあるということを感じております。  このたびの法案にありますような教員任期制導入というのは、こういった問題点に役立つということを考えてなされているものだと思いますし、私もその可能性に大いに期待するものであります。  さて、学校教育法第五十二条によりますと、「大学は、学術中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的」としております。このことはとりもなおさず、大学教育というものは、人格の陶冶を補助して、創造的、知的活動を通して世界人類の生存に資するという、非常に高邁な仕事を託されているということをまた意味しているかと思います。このような重大な任務を与えられている教員ではありますけれども、果たして大学教員は、それを自覚して、それにこたえるべくみずからを厳しく律してきたでありましょうか。そこに問題があると思います。また、国立の大学は国民の税金によって支えられておりますし、私立の大学学生の高い授業料や国庫の補助によって支えられているわけであります。  これらのことを考えますときに、教員人事が、大学自治の名のもとに、保守的で閉鎖的であることは望ましいことではありません。任期制導入は、自治が許されている大学の中で、教員の集団がみずからを厳しく律する方策としてぜひ必要であると私は思います。  私は、ここで米国型のテニュア制度終身在職権について少しコメントしたいと思います。  私は、アメリカ大学大学院で学位を取ってまいりまして、またその後いろいろ研究する機会を得たりいたしまして、幾つかの教育機関においてこの制度をつぶさに見てきた経験がございます。一般に、大学院で学位を取って高等教育機関に就職した若い学者の卵が、果たして当該の機関で期待されるような教育者、研究者として適格であるかどうかということは、当初からはわからないのが普通であります。したがって、就職してからの活動をしかるべきときに評価して、終身在職を認めるかどうかを判断することが望ましいわけであります。何年も在職して、結局当該機関では満足のいく教員とはなれなかったとしたら、これは大学にとってのみならず本人にとっても極めて不幸なことであります。転職の機会は早ければ早いほど、その可能性は高いと考えます。  米国では、一般に助手という専任の制度はございません。大学における教員の最低のランクは講師でございます。講師助教授、准教授、アソシエートプロフェッサー、そして正教授という四つの段階があるわけです。助手は主として大学院の学生が担当することになっております。講師あるいは助教授として就任いたしましてから、その教員教育研究の面で果たして十分な任務を、あるいは責任をとってきたかどうかということがしかるべき委員会によって評価されまして、そして終身在職権を与えていいかどうかという判断を行うわけであります。  こういう評価は形式的であってはいけませんし、また身内でのみ行われても意味がありません。客観的に行われるような制度がなければならないわけであります。私は、米国の二、三の州立大学から、助教授のテニュアに関して評価意見を求められたことが数回あります。このように、学問評価というのは、広く世界に求めて、客観的であるというのがよろしいかと思います。  任期制導入の理由の一つに、一度教授になれば研究活動は低迷してもそのまま居続けられるのは極めてよろしくないという批判がございました。このことに関して、私はこのように考えます。終身在職権を与えるに当たっては、むしろそのような可能性のないことをよく吟味して与えるべきであると思います。米国ではテニュアを得た教員教育研究活動の面で低迷することはないかといいますと、そうではございませんで、確かにそういう例がございます。しかし、このような場合には、給与の昇給のストップとか研究室の召し上げとか、そういうようなことで大学はそれらの教員に対応いたします。私も何度も、そういう目に遭い、肩たたきの目に遭っている教員を目にした経験がございます。  なお、テニュアの評価は、研究論文の数だけによるのではなく、その質が重んぜられなければなりません。かつて、パブリッシュ・オア・ペリッシュという表現がありまして、論文を数出さなければだめになるということで、ただ数だけが問題になったことがございます。しかし、現在は、私は、少なくともやはり論文は数だけではなくて、その質によって評価されていると信じております。そしてまた、評価は、少なくとも教育活動と大学への奉仕というようなものが重要な項目として取り上げられます。米国のテニュアを審議する委員会では、この三つが重要な項目として取り上げられます。私の知っている優秀な州立大学のある教員が、教育大学の奉仕に対することが熱心でなかったために、研究はすぐれていたけれどもテニュアを取れなかったという例を知っております。ともすれば日本では、研究業績だけが大学教員の十分条件のように考えられているのは、改められるべきであると思います。  以上、結論としまして、大学教員任期制導入は、ぜひ行われる必要があると私は考えます。しかし、その運用に当たっては、決して形式的にならないような方策を十分に考慮するという努力をすべきであるというふうに考えております。  以上でございます。ありがとうございました。(拍手)
  6. 二田孝治

    二田委員長 勝見参考人におかれましては、御苦労さまでございました。ありがとうございました。  次に、宇井参考人お願いいたします。
  7. 宇井純

    宇井参考人 委員長委員の皆さん、参考人として意見を述べる機会を与えてくださったことに感謝いたします。  私は、不幸にして、大学の管理の立場に立ったことはございません。そこで、この問題については、自分の体験したことをもとに意見を申し述べることになるかと思います。大学についての大所高所からの立場というものとは別に、私が体験しました研究の経過の中で、任期制採用したときにどうなるかということを考えてみたいと思います。  振り返ってみますと、人によって早い遅いの差はかなりございますけれども、多くの研究者が自分の生涯をかけて取り組む研究テーマに直面し。それと格闘を始めるのが、大学院のドクターコースから助手にかけての時期、二十代の後半から三十代が普通であります。私も、その時期に公害問題という一生かかっても解き切れないような大きなテーマにぶつかりまして、そしてその中で自分の結論を少しずつ手探りを始めました。その中で新しいものが見つかり、既存の学問で全く説明のつかないような現象にぶつかるたびに大変な恐ろしさを感じだというのが、今振り返って覚えておることであります。  既存の学問に対して、それは違うという意見を言わなければならなかったこともあります。また、水俣病の経過を調べてみますと、私が働いておりました東京大学が事件のもみ消しのために大きな役割を果たしたというふうな事実もわかってまいりました。そういう中で、大学院から助手にかけて研究を進めておりますときに、なぜああいう勝手な研究をやっている助手をやめさせないのだというふうな声が聞こえてきたこともございます。その中で辛うじてどうにか研究を続けさせてくれたのは、教育公務員特例法にある身分保障の 制度のおかげでありまして、ようやく苦しい時期を乗り切って、一九七〇年ごろから自主講座「公害原論」という形で自分の研究を世に問うことができるようになりました。  そういう経験を振り返ってみますと、最も不安定で、かつ研究の第一線で勤務するような生活をしておりました助手の時期に、もし任期制導入されておったら、私の研究は続かなかったであろうということを今振り返って感じます。  これは私だけではございません。東大あるいはその周辺には、やはりそのときの時流に合わない研究をやったために昇進の道を断たれたという研究者はたくさんおります。古くは、牧野富太郎先生のように、用務員から出発して、ついに教職の立場には立てなかった方もおられます。しかし今日、自然科学を学ぶ者のほとんどは、牧野先生の植物図鑑から出発して自然科学を勉強する経験をしております。あるいは、東大では松島栄一さんのように、やはり中世の歴史学者としては世界的に知られた人でありながら、助手で定年までおられた方もおります。私の同僚では、中西準子、後に横浜国大の教授になりましたが、やはり助手として非常に苦しい時期を過ごしたのを見ております。公害の研究者の中には、ほかにも大勢助手の期間が長かったという人たちがおります。  そういう、時流に合わない研究、あるいは、いつか後の世に役に立つような、しかしそのときには目立たない研究をしている人間は、このような任期制採用された大学の中では生き残ることは不可能だろうと感じます。  大学流動性あるいは活性化を図るのには、まだまだほかにやらなければならないことがたくさんあるだろうと大学の中で暮らして感じます。  例えば、採用、昇進の不透明性。これは、私がおりました東大工学部の中でも、なぜ採用されたのか、なぜ昇進していくのかがほとんど説明されたことがございませんでした。そういう不透明性を残したまま、助手のところに主として任期制のような制度採用する。しかも、その過程で助手意見はほとんど聞かれていないようであります。つまり、当事者の声を聞くことなくして制度がつくられるというのは、やはり大学の中におって、これは甚だしく不当であるというふうに感じます。  もう一つ、今、沖縄大学という小さな私立大学に身を置いて感じますことは、こういう新しい制度を一種のインセンティブとして導入しました場合に、大学の政策に対する一種の誘導にならないだろうか。いろいろな許認可業務などの際に、こういう制度採用することが、やはり大学にとって一つの経営の優先順位になるような危険はないだろうかということを感じます。  ただでさえ私立大学の場合には、理事者側、経営者側と教授会の間にはある種の緊張関係がございまして、力関係は多くの場合経営者側の方が有利であります。教員の人事等においても、やはり経営の立場が優先する場合がしばしばあります。これは、残念ながら、私立大学で働いておりまして身の周りに数多く見ることができます。ここにさらに任期制導入することが、教授会と理事会の間の力関係をさらに経営に有利にするようなことにならないか、これをやはり大学の中にあって危惧するものであります。  既に事実上任期制が成立している例があるというお話をきょう伺いました。私の仕事でも、理科大などでは事実上任期制が成立していると聞いております。しかし、そういうところで働いている助手立場というものは極めて不利であり不安定なものであるという苦情をまた人づてに聞く機会もあります。  こういういろいろな問題を持っている任期制を急いで今導入することについては十分慎重に考えて御審議をいただきたいというのが、私の極めて狭い体験からいたしますこの法案に対する結論でございます。もっと広い立場からの意見はまた別にあるかと思いますが、私の場合はこういう自分の狭い体験の中からの判断を申し上げまして、皆さんの御参考に供したいと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  8. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  次に、浜林参考人お願いいたします。
  9. 浜林正夫

    浜林参考人 浜林でございます。  最初に文教委員先生方におわびをいたしますけれども、二カ月ぐらい前だったと思いますが、全私学新聞という新聞に「世界の大勢に逆行する大学教員任期制」という私の原稿が載りまして、それを突然皆様方にファクスでお送りをいたしまして、大変失礼をいたしました。御了解をいただきたいと思います。  と申しますのも、実は、大学教員任期制の問題はずっと前から出ておりますが、私それを見ておりまして、もしこれが実現をされると日本大学はめちゃくちゃになってしまうだろうという危機感にとらわれて、何と申しますか、いても立ってもいられない思いがいたしまして、いろいろなところに原稿も書き、しゃべり、あるいは文教委員の諸先生方にもお訴えをしてまいったところです。  それで、大学審議会答申を拝見いたしまして、私はこれは、日本の例えば東大とか京都大学とか、一流の大学にいらっしゃる先生方がおつくりになった、いわば机上のプランだという感じがいたしました。私は二十年ばかり北海道の小さな大学に勤めておりましたけれども、地方の大学におりますと、こういうものが実現をされたら地方の大学はめちゃくちゃになってしまうという実感でございます。  それは、お手元にこの資料がございましたら、資料のうちに、私立大学団体連合会それから大学基準協会、そういうところから出された意見が後ろの方に付録で載っておりますので、後でごらんをいただきたいと思います。そこでも指摘をされておりますけれども、現在でも既に流動性は極めて高い、これ以上流動性が高くなったら、地方の大学教員を確保することが困難だという意見が載っております。  ぜひ文教委員の諸先生にお願いをしたいのですけれども、地方のそういう大学の、特に私立のいわゆる弱小大学の実情を十分にお調べをいただきたい。その際に、学長だけではなしに平の教員やあるいは学生などの意見を聞いて、そういういわゆる弱小大学がどういう困難を抱えて悪戦苦闘しているのかということをぜひごらんいただきたいと思います。そういう点では、今、宇井さんもおっしゃいましたけれども、早急にこの法案を成立させるのではなくて、十分に実態を踏まえた御審議をいただきたいというふうに思います。  実は、私自身がそうでありますのでちょっと大きなことは言えないのですが、私も、地方の大学に二十年近くおりまして東京へ出てまいりました。そのときに私の大学の学長に皮肉を言われたのですけれども、せっかく東京から優秀な若い者を連れてきても、十年あるいは十数年するとみんなまた戻ってしまう、これでは、ざるで水をすくっているようなものだということを学長に言われまして、もう恐縮をしたのでありますが、実は、これも個人の名前を出すと申しわけないかもしれないのですが、今は一橋で学長をしております阿部謹也さんも私と同じ大学に勤めて、私よりも十年ぐらい後で彼もまた東京へ四十過ぎに出てきて、そういうのが続くわけであります。  したがって、現在でも、日本大学の流動というのは、横に動くのではなくて、縦型に、ピラミッド型に上昇していくという志向がありまして、地方大学は一番底辺部分にあるわけですが、そこから、変な言い方ですが、少しでも東京に近いところ、少しでも格の上の大学へという、そういう上昇志向がありまして、そのこと自体、私は大変問題だとは思いますが、実態としてそういうことがあるので、流動性が低いので任期制という議論は全く成立をしないというふうに私は思っております。  それで、研究のことでありますけれども、これは分野によって違いがあるかもしれませんが、若いうちに十年、十五年、じっくりと落ちついて基礎的な研究をするということが大事でありまし て、それをやって、四十過ぎといいますかに、文科系の場合には特にそうですけれども、その時期になって一遍にいろいろな成果が花開くものだというふうに思っております。  若いうちからぐるぐる回るということは、私にとっては決して好ましいことではないというふうに思いますし、まして、本人の意思で動く場合は別でありますけれども、任期を切られて、五年なり七年なりというふうな話を聞いておりますが、そういうことで、いわば強制的に異動をするということは、決して研究上プラスにはならないというふうに思っております。例えば、五年任期としますと、大学教員、平均勤続期間は三十年というふうに言われておりますが、三十年間に六回動くということになりますね、大変機械的な計算ですけれども。これでは落ちついてじっくり勉強する暇がないのではないか。  しかも、ついこの間、朝日新聞に九州大学の方がお書きになっておられましたけれども、移動に伴うさまざまな負担があって、例えば、これも皆さん方、意外に思われるかもしれませんが、私どもは文科系でありますので引っ越すときには本だけ持っていけばいいのですけれども、実験系の方は機械を持って彩られるし、この間朝日に書いておられた方は大学院生まで引き連れて九州大学に彩られたという話でありまして、そうなると、そう簡単に移れることではありません。機械の引っ越しに百万円かかったというお話でありますが、そういうお金はどこからも出てまいりません。しかも、落ちついた先で今までの研究がすぐ継続できるかというと、そういうことにはなりませんで、やはり、その研究がその場所で再開をされるまでには半年なり一年なりがかかって、結局は研究上マイナスが大きいということであろうかというふうに思います。  さらに、しょっちゅう動いておりますと、自分の大学をよくしようという気持ちがなくなってまいります。それよりも、自分が次にどこへ移るかということの方が頭にあるものですから、私も、ある大学で、一やがてその大学はつぶれるという……そうなりますと、大学の図書館を充実しようとか、あるいは、こういう設備を備えておこうとか、そういうことは全く考えません。自分の行く先ばかり念頭にあるという、いわば浮き足立った状態になってしまうだろうと思います。  それからもう一つは、教育の問題でありますけれども、学生に対する教育が、これは現在、私も、決して十分だとは思っておりませんけれども、任期制のもとでは一層教育は手抜きになるのではないかということを心配いたします。教育業績評価研究業績の方も必ずしも公平に行われるかどうかわかりませんけれども、特に教育業績評価をどうするかということは、これは国大協の見解でもその点の指摘はございますけれども、教育業績評価は極めて困難であります。休講回数が少ないとか、そういう形式的なところでは出るかもしれませんけれども、本当に学生に力をつけたのかどうかというのは、これはなかなか判断の難しい問題であります。学生による授業評価ということも行われておりますけれども、私は、学生による評価教員参考にして自分の授業方法改善するということは結構だと思いますが、それが身分に結びつくということになりますと、それはさまざまな問題が起こってくるだろうというふうに思います。  それからもう一つは、これは大学審の答申法案も、あるいはどなたもおっしゃらないことですけれども、任期満了で退職される人をどうするのかということでありまして、私は、学術会議のシンポジウムがありましたときに、そのことを質問をいたしました。例えば、三十歳で大学へ勤める、もう少し早いかもしれませんが、五年任期だ、三十五歳で退職ということになるわけです。そうしたら、そのときにお答えをいただいた先生は、これは大学審議会の専門委員をされておった先生ですけれども、定年が早くなったのだと思ってくださいと言う。三十五歳で定年ということでは、大学へ勤めようという人がなくなってしまうのではないかと思います。  それから、これも案外知られていないことでありますけれども、公務員には失業保険もございません。公務員は失業しないという前提で現在の制度がつくられております。したがいまして、もし退職で失業ということになるのであれば、まず公務員に失業保険制度を先に導入をすべきだ。つまり、そういう条件整備なしに真っ先に任期制が出てくるということは、私には全く不可解でございます。  最後に、任期制は選択的であるから、大学にとって好ましくなければやらなくてもよろしいということでございますけれども、これも大学関係者の中では周知のことでありますが、文部省のプレッシャーというものがございます。実は、私、きょうは一橋大学名誉教授という肩書で出ておりますけれども、現職は某私立大学に勤めておりますが、そちらの名前を出すと大学に迷惑がかかるのではないか、今新しい学部をつくろうと思っておるものですから、まあ、はっきり言って文部省に意地悪をされますので、いずれわかることかもしれませんけれども、古い名前で出ております。  それからもう一つは、私立大学の場合には、これはどこが決めるかと申しますと、理事会が決定をいたします。私は、教授会との間にトラブルが起こるのではないかという感じがしております。大学審議会答申では、教学側の意見を十分に踏まえてとなっておりますけれども、この法案では、学長の意見を聞いてと大変軽くなっていまして、これは大学自治の根本問題でありますけれども、教授会を無視して任期制が私学の場合には導入をされる。その場合には、現に悪用されている例もあるわけでありますけれども、経営者にとって好ましくない人をいわばパージするために任期制が乱用されるという可能性は大変に大きいというふうに私は思います。  それから、選択的任期制でありますので、ごく少数の大学だけが導入をするとなりますと、そこを退職をした人が移る先がございません。つまり、教員のマーケットが非常に狭いわけで、といって、全部の大学任期制をやりますと、私は、これまた大混乱が起こるだろうと。大学教員が職を移るというのは、会社にいる人間の配置転換とは違いまして、手続的にも大変なこと、新任人事の採用というのは、私ももう何度もやりましたけれども、少なくとも半年はかかる仕事であります。そういうことを五年なり六年なりに一回繰り返していたのでは、採用される方も大変ですが、審査をする方も大変でありまして、日常業務のかなりの時間をそういうことにとられてしまうのではないかというふうに思います。  私は、こういうふうに任期を限って研究をさせるということは、日本科学技術発展の上でもマイナスだろうと。やはり十年、二十年落ちついた研究の中で、先ほど有馬先生もおっしゃいましたけれども、本当に独創的な研究というのは、そういう状況の中で出てくるものだというふうに確信をしておりますので、この任期制には反対ですということを申し上げて、私の方からの意見にさせていただきます。(拍手)
  10. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 二田孝治

    二田委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。粟本慎一郎君。
  12. 栗本慎一郎

    ○栗本委員 自由民主党の栗本慎一郎でございます。  大学に関しましては、浜林先生と違う理由で、ただ書いていないだけでございますが、現在、東京農業大学任期のついた教授でもございます。私の場合には、むしろ任期を、要求というとおかしいのでございますが、お願いいたしまして、それも更新もされておりますので、ただ腰かけというつもりではないわけでございます。  今、るるお伺いいたしました四先生とも大変お 忙しい中、衆議院に御意見の御開陳をいただきまして、本当にありがとうございました。お伺いしておりまして、宇井先生、浜林先生の御指摘、まことにそれぞれもっともであると思いまして、この点に関しまして、今後とも、そうした新制度導入によって、あるいは社会的ないわば普遍化といいますか、進展によって起き得る危険ということについては、重々運営の上で気をつけなければならないというふうに思っているわけでございます。  浜林先生のお言葉にちょっとお話しさせていただけると、浜林先生ほどの高名な方が隠しておられても、どこに行ってもわかりますから、文部省がもしも嫌がらせをしよう、あるいはする構造があればできると思いますが、そういったことはないだろう。万々一そんなことがありましたら、そこは社会的に厳しく、また衆議院でも指弾をさせていただきたいというふうに思っております。  また、宇井先生のお話の中では、私は、モラルが大学において、研究に対して、教育に対して、社会的責任に対して下がっている場合には、任期制あるなしにかかわらず、いわば非常に大きな、そうした真剣でまじめな研究者に対する、あるいは時流、あるいは体制に合っていない研究者に対する攻撃といいますかがあり得ることだ。これは今後もいかなる制度のもとでも注意しなければならないことだというふうに思っております。  私もいわゆる弱小大学というところにおりましたことがありまして、正式に二度、転学というか転職をいたしました。また、自分の分野が、文部省が相変わらずカリキュラム上認めていない、といってもこれもおかしいのです、大学がつくればいいわけですけれども、社会的にまだ、はっきり言って認められていない分野をやっておりましたので、ほかの分野教授として合計十二科目を教えたとか、大学も十二大学教えました。そのうち、弱小の、まあはっきり言いまして弱小ですね、地方の大学から東京に移りますとき、いわゆる割愛状を最後最後まで出されないという嫌がらせを受けたことがございました。  この場合、戦いでございました。割愛状の法的意味とは何だとか、それがないと採らないということなのかというふうなことをいわば戦いまして、それはいいというふうなことがありまして、任期制あるなしにかかわらず、日本大学には極めて陰湿なそうしたいじめといいますか、それを通じての支配の意思というのがあるということは重々承知しております。しかし、最終的に、選択的な任期制に関しては慎重に運営をすべきだということを含めて、賛成でございます。  そこで、その立場から、自由民主党からお呼びいたしました有馬参考人に、代表的に質問をさせていただきます。  まず、やや細かいところから。自然科学技術の論文数では、日本世界的に二位ないし三位、化学に関して言うと多分一位だったのではないかというふうに思いますが、数は多い。ところが、引用がなされる被引用度が少ない。これはしかし、逆の面で、相互引用を非常に欧米ではいたします。  それから、共同署名の論文というのも、実際研究に加わっていない人間まで入れて書いて、業績にしている、これは日本でもあることなんです。したがいまして、その場合には、一番最初に出てきているファーストオーサーだけを業績として認めるよ、後ろの方にくっついているやつはだめだよといって、実は後ろの方にくっついているやっと称される助手研究しているというケースが多々あったりするというようなことがあるのですが、実は日本の場合、書く場、発表の場は多いのではないでしょうか。だから、この数字というのは実は〇・一というのが出ていまして、十年に一つ、二十年に二本ですから、最初に一本書いて十九年遊んでいて、遊んでいるかどうかわかりませんが、書かずに二十年目に書いてもこの数を満たす。これを満たせばいいわけではないのです。  私が自分で大学に関する評論の中でよく出します例が、二十年一本も論文を書かない教授というのですけれども、それが平均になってしまうという恐ろしい実態でございまして、これはやはり全体からいったらもう少し、ある意味で、義務というか活性化——いい研究をしているかもしれない、自分はわかっているかもしれない。しかし、大学研究者社会に対して還元する必要があるだろう。その辺の問題も私は、有馬先生のおっしゃられたのは少し甘い、甘いというとおかしい、優し過ぎるのではないか。いろいろな条件がいいにもかかわらず、実際、全体としては非常に成果が上がっていないということがある。これは研究者の問題なのか、大学の問題なのか。  大学の数は、現在、短大を含めますと六百に近づいておりますから、実は私は大学であってはならないような大学もあるというふうに思っているわけでございまして、そこでは任期制のあるなしにかかわらず、実に、いわばばかげたことも行われている。これをもっと社会に出していくというきっかけの一つに、選択的任期制があってもいいのではないかと思っております。その点が第一点。  それから、素粒子論の中では五〇年代から、実質、任期制が行われていて、これについての評価を。浜林先生等のお考え、あるいは宇井先生のお考えでいうと、素粒子論は比較的一流の分野だからという言い方ができるのかどうかわかりませんが、そういうこともあるのかもしれません。その辺に関しまして、率直な御判断を賜りたいと思います。  最後に、繰り返したことでございますが、悪用される危険というのは今、宇井先生、浜林先生からおっしゃられたことでございますが、これは私はやはり皆無とは言えないというふうに思っておりまして、この辺に関しまして、どうディフェンスといいますか、すればいいのだろうかということについてお聞き申し上げたいと思います。
  13. 有馬朗人

    有馬参考人 ただいま御質問ありがとうございました。  まず、大学はピンからキリまであることは事実でありますけれども、小さな大学だから業績が上がらないということはございません。私はかつて十年ほど前、十五年ほど前でしょうか、日本大学は活躍していないという、特に産業界あるいはマスコミからの御批判があったことがありました。一方、大学の方は設備費等々が非常に削減され、研究費も伸びが悪かった。このときに、本当に日本大学はだめなのだろうかということをみずからデータバンクを用いまして調査をいたしました。  その結果、大大学は確かに人数が多いですから非常に論文も多いことは事実であります。しかしながら、小さな大学で非常に頑張っているところがあるということがそういう調査をすると如実にあらわれてまいります。したがいまして、成果が上がるかどうかということに関しては、やはりその大学、その研究グループ大学ではなくてむしろグループと申し上げた方がいいと思いますが、そこにいる研究者がいかに一生懸命教育をし、研究をするかということによって論文数あるいは論文の質というものが変わってくるのではないかと思います。  ただ、残念なことに、一九七〇年の終わりごろから、国公私立大学というものがかなり低く評価された時期のあったために、研究費とか設備費が非常に悪くなったということが事実としてありました。それに対しまして、私は、今申し上げたような調査をしてみたわけでありますが、決して大学が弱いわけではないということを論文数からは確信をいたしましたし、その論文が発表されている雑誌にはそれぞれ、自然科学系でありますと雑誌にインパクトパラメーターというものがついておりまして、ある雑誌だと非常に評価されるし、ある雑誌は評価されないというようなことがありますから、どういうところに各大学論文を発表しているかまで細かく調べた結果、決して大学は弱いわけではない、大学は大いに活躍しているということを身をもって体験をいたしたわけであります。  しかし、いずれにしても、まだまだ研究費等々、世界に比べますと、国としての研究費への寄与というのは二〇%前後にしかすぎない、ドイツが三五%。民間も含めた全部の研究費でありますが、その研究費はGNP比にしますと日本は第一位、三%まで出しておりますけれども、その中で国が占め各割合というのが極めて低い、先進諸国の中では最低に近いということがありまして、最近、科学研究費等々がふえてはまいりましたけれども、なお今後も大学状況を、研究環境教育環境をよくしていかなければならないだろうと思います。  二番目に、素粒子論グループ任期は有効であったかということでございますけれども、有効でございました。  基礎物理学研究所あるいは私がかつて属しておりました東京大学の原子核研究所、これは今高エネルギー研究所に合併いたしましたけれども、あるいは高エネルギー研究所、こういう国公私立のすべての大学の人たちが行って研究をすることができ、教育をすることができる共同利用研究所はほぼ任期制がついておりまして、こういうところの研究活性化を増進するという意味で、任期制は大変有効であったと思います。素粒子論グループというのは理論でございますので、引っ越しするなんて、わけないということもありますけれども、継続をして研究することは十分できるわけであります。  ただ、悪用される危険というのは、これは任期制をつけようとつけまいと、この問題はあるわけでありまして、先ほども御議論出ておりましたけれども、やはり大学の教職にある人々が十分注意をして、悪用されないよう努力をしていく必要はあろうかと思っております。  以上、お答え申し上げました。
  14. 栗本慎一郎

    ○栗本委員 ありがとうございました。  では、有馬先生にお聞きしようと思っていたのが、あと二、三分ございますので、浜林先生あるいは宇井先生でも結構でございます、選択的任期制導入に疑問を投げかけられております先生にちょっとお伺いしたいのです。  今先生方がおっしゃられたものは、いろいろな格好で多々あると私も思っております。私のかつておりました大学では、業績がないという理由で、ある研究者を定年まで助教授でそのまま、それはその大学始まって以来のことだったのでありますが、理由は業績がないことであります。私から見ますと、そう言っている教授の方も業績がなかった。  これはいわば全く侮辱であり、本当にヒューミリエーションそのものであったのですけれども、それは今でも、任期制の問題にかかわらず、たくさんある。さまざまな形であって、アカデミックハラスメントという言葉までできた。それは私が導入したりしたのですけれども。そのことの基本的な原因は、やはり大学社会が、多くても六十人とか七十人くらいの教授会で閉鎖的にやっている。そこで、その中で研究とは別に発生する一種の停滞のようなものが物すごく大きいのではないか。  その意味では、この選択的任期制で全部解決すると思っていないわけですけれども、この選択的任期制導入されるとさらに悪くなっていくというふうなことは、先生方のお話を聞いても言えないのではないかと私は思っておりまして、その辺についてのお答えを、どちらでも結構でございますが、賜りたいと思います。
  15. 浜林正夫

    浜林参考人 そのアカデミックハラスメントですか、あることは私も十分承知をしておりまして、私自身ではありませんけれども、私の周辺でそういう経験もございます。  ただ、ハラスメントの場合には、つまり上へ上がれないということなのですが、任期制の場合には退職になりますので、それは上へ上がれないことも問題ですけれども、退職の方はもっと問題で、そのために、ちょっと悪い言葉で言えば、上の人にこびへつらうとか、あるいは業績を稼ぐとか、そういう傾向があらわれることを大変心配しておる次第でございます。
  16. 栗本慎一郎

    ○栗本委員 ありがとうございましたb  私も同じような心配をしておるのです。一つ例を挙げてちょっとお考えいただきたいと思うのですけれども、今日、精神疾患に対する日本人の意識が大分変わってまいりました。精神分裂病といっても、これはちょっときつい言い方をすればきつい風邪と同じであって、治っていく。ましてや第一段階、第二段階なら。ところが、日本では大学教授が精神科医にかかっているというのが認知されている例はほとんどないと思うのです。私の在職しておりました段階で、私は精神疾患に関しても若干の関心がありますので、私の見立てでは、例えば一から十段階くらいあったら、せいぜい二段階目くらいかなという助教授がいられた。やめさせられました。それはハラスメントとかいろいろな格好で結局やめさせるのですね。  したがって、任期制の場合、むしろ五年なら五年とわかっておりますから、まだしもオープンではないかと思うのですけれども、いかがでございましょうか。
  17. 浜林正夫

    浜林参考人 そういうケースも私は、これは精神疾患ではありませんが、知っております。それはかなり議論がありまして、教授会の中でも長期に議論があり、かつ、そのやめさせられた先生が、裁判、人事委員会でしたか、ちょっと忘れましたが、とにかく裁判に訴えて、かなり長い間紛糾をしたというケースがございます。  任期制の場合には、そういういわば救済措置というものが全くございません。どなたかの御意見で、異議申し立て権を認めるべきだというのが条件としてついていたと思いますけれども、やはり救済措置考えないと、任期制の場合にはもっとひどい形で悪用をされるのではないかというふうに思っております。
  18. 栗本慎一郎

    ○栗本委員 ありがとうございました。  途中から任期がつくというケースはないと思いますので、途中から任期がついたら大変でございます、それらを含みまして、きちんと考えていかなければならないと思います。  また、大学教授がたまたま、さまざまな精神疾患等の理由もあって、一、二年、休講があったという場合の救済措置もぜひ考えたいと思っております。  どうもありがとうございました。
  19. 二田孝治

    二田委員長 つぎに、西博義君。
  20. 西博義

    ○西委員 四人の先生方、それぞれ自分自身経験、また豊富な審議を通じての結論をお申し出いただきまして、本当にありがとうございました。ずっとお聞きをいたしておりまして、賛成、反対、それぞれ双方に本当にもっともな面も十分ございますし、これは本当に審議を尽くしていかなければならないなという感想を持たしていただきました。  私は今議論をずっと聞いておりまして、一つは、やはり学問の自由、大学自治というところから来る問題を十分確保していく、もっと言いますと、恣意的な運用がなされないような配慮を十分していくということが基本的な問題としてあるのではなかろうか、。こう思います。  その上で、先旧来、議論の中でずっと私も思いますことは、この任期制が適用されるとするならば、やはりどうしても任期後の、五年間なら五年間は公務員でございますから、もちろん任期が切れればそれで終わりということでございますけれども、やはり何らか任期が切れた後のあり方というものを現実の問題として考えていかなければならないのではないか。個人個人が、適、不適はあるとは思いますが、一たん公務員の仲間となったからには、その後どうするかということがやはり大きな問題ではなかろうか、こう思います。  それからもう一つは、やはり先日も委員会で質問させていただいたのですが、この任期というもののふさわしい職種といいますか、こういうものを、待遇等も含めて、やはり何らか形づくる必要があるのではないかというのが私の基本的な考えでございます。  そこで初めに、有馬先生にお伺いをしたいと思 います。  ちょっと細々としたことを何回かお聞きしますので、御面倒ですが、恐れ入ります。  初めに、この間ずっと大学改革が進められてまいりました。先ほど先生方のどなたかがおっしゃられましたように、大綱化から始まって、自己点検・評価、それで任期制。きのうあたりの新聞を見ますと、学長の権限をもう少し強化したらどうかというようなことも含めて議論がこれから続けられるようでございますけれども、私どもにとってみたら、全体の大学改革の行方というのか、全体像がなかなか見えにくい。一つ出されては審議をして、次、何がと、皆さん方もそういう思いが強いのではないかと思うのですが、せっかくおいでいただきましたものですから、少し、これからの大学改革の先のことについて、もし、先生、個人的な御意見でも結構でございますので、ある程度こういうことを考えてはということがございましたら、お教えを願いたいと思います。
  21. 有馬朗人

    有馬参考人 大変難しい御質問をいただきました。大学改革について、今後どちらの方に行くのかということでございますけれども、私がよく言っておりますことは、やはり大学人、特に学部大学をやっている人々、教員は、もっと教育に重点を置くべきであるということが第一でございます。大綱化が行われる、自己点検というふうなことが行われるようになりましたので、もっと教育の方に少し力を注ぐべきであるということが第一点であります。  しかしながら、大学人というのは、研究をしながらその第一線の成果を学生諸君に教えていく、そういう義務もございますので、やはり研究教育は車の両輪であると思いますけれども、どちらかというと、今まで両輪のうちの研究の方の車輪が大きかったと思っておりますので、もう少し大学改革を通じて教育を、特に学部教育をもう少し熱心にやってもらえるようにしたらいいかと思っております。  このためには、大学教員というのは、大体、どういうふうに学生を教えたらいいかということを一生のうち一回も習うことがないのです、そこで、最近やっと、ファカルティーディベロプメントという言葉がございますけれども、例えば京都大学などは随分熱心にこの問題を、どういうふうに教育したらいいかという問題を今検討しておりますが、こういうふうに、教員がより一層教育をやるように努力をしていくということが大学改革の一番重要なことではないかと思います。  しかしながら、ここでこの機会を使って、またかとお思いかもしれませんが、一つ申し上げておきたいことは、日本高等教育に用いられている国費並びに地方自治体のお金というのは、GNPの〇・六%ないし〇・七%にすぎないわけであります。アメリカがそれの二倍ぐらい、それからドイツが二倍ぐらい、一・二ないし一・四というGNPのパーセンテージを高等教育に費やしているわけです。したがいまして、大学改革を進める際にも、この高等教育費を〇・六から一・二%に増大していただきますと日本大学教育というのはよくなると思っておりまして、改革を進めていく上にやはりあめも必要である、むちだけではなくあめも必要であるということを西先生の御質問に、ちょっとしり馬に乗ってお願いを申し上げておきます。どうぞよろしく。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
  22. 西博義

    ○西委員 もう一つ有馬先生にお尋ね申し上げたいと思います。  先ほどもちょっと申し上げたのですが、今回任期制を適用するに当たって、私は大学審の皆さん方の議論も随分読ませていただいたのですが、その中で、やはりこの任期制教員に対する待遇というものがいかにあるべきか、議論の行き着くところは、別待遇を何とか制度的にできないものだろうかというようなことがずっとあったように思います。そのことと、もう一つは、ではそうなりますと任期制教員評価をどうすべきか、このことについても随分議論があって、特に、教育的な評価はかなり難しいなという議論ではなかったかと思うのですが、今回の任期制を適用するに当たって、大学審の議論をベースにして法案ができ上がってきたわけですが、先ほど、おおむね我々の意思を酌んでというお話がございましたが、私が見るところ、必ずしもあの議論がそのままの形で上がってきているようには見えないわけでございます。その点についての先生の御意見をちょうだいしたいと思います。
  23. 有馬朗人

    有馬参考人 大変いいポイントを御質問くださいまして、ありがとうございました。  任期制をつけた場合に、特に若手の研究者研究を十分やりやすいようにするための待遇ということについて、私どもは随分議論をいたしました。そして、場合によっては任期制導入した機関に対して何らかの手当てをすべきではないかという議論もありましたけれども、研究機関に対して手当てをすることは、やはりいかにも刺激を与え過ぎますので、これはやらないことにいたしました。しかしながら、特に若手の研究者が、三年なら三年、五年なら五年の間に十分研究ができるためには研究費を少しつけたらどうかというふうなことも議論いたしましたが、今回の答申の中に、そういう任期制導入する際に待遇に関しては考えてほしいというふうな文言をつけておいたと思います。これは将来お考えいただければ幸いでございます。  実は、任期制は既に方々でしかれております。しかも、法律に基づいた任期制が行われているところがあります。一つは、先ほどお話がありましたけれども、外国人であります。外国人からよく非難を受けることは、なぜ外国人には任期がついて日本人にはつかないのですかという非難がありました。今度はそういうことがなくなるという点でありがたいと思っています。  しかし、評価をどうするかということは大変難しいわけですが、いずれにしても、任期制導入されているということは何かというと、ポストドクトラル・フェロー一万人計画というのが走っております。実を申しますと、ポストドクトラル・フェロー、ポスドク等一万人計画等がありますので大学院の方も奨学金などよくしていただいているのですが、このポスドクというのは、二年ないし三年の厳しい任期がついております。再任はほとんど許されない。ですから、ポスドクというのは公務員ではございませんけれども、国の費用で若手研究者が契約制でもう既に、契約制と言ってはいけませんが、任期のついた格好で採用されているということを申し上げておきたいと思います。  そういうことから考えますと、もう既に徐々に任期制というものは若手の間には行われてきているということであります。しかしながら待遇はまだまだ。しかしポスドクの待遇は割にいいと思います。ポスドクの待遇は、文部省とほかの省庁で少し違いはありますけれども、かなり待遇はいい。それからまた研究費もついております。そういうことで、今後大学助手等々に任期がついた場合にも、何らかの格好で研究費をよくしてほしいと私は考えております。  評価が一番問題でありますけれども、くどいようでありますが、仮に論文を書いていない人でも、その人と話をいたしますと、十分研究をしているとか、あるいはその成果が出かかっているとか、いろいろなことがわかります。あるいは教育に熱心であるとか。こういうふうなことを評価することによって、任期制導入されても十分やっていけるのじゃないかと思っています。  ただ、任期制がありますと、なかなか指導教官が大変でございまして、一生懸命就職口を探すという努力をするということはございます。こういう努力も今後さらに進めなければならないのではないかと思っております。
  24. 西博義

    ○西委員 次に、勝見先生にお願いいたします。  きょうはお忙しいところ、ありがとうございました。ちょっと時間が短くなってしまいましたのでたくさんの質問は難しいかもしれませんが、先生には、アメリカにおける長い研究生活を通じてお感じになられたことをぜひともお聞きしたいと 思ってきょうお呼びしたのでございますが、アメリカにおける任期制の問題、再任とかいうのがあるのかどうか、それから、評価が具体的にどういう形で行われて、いつごろ本人に評価が伝わるのか、具体的なプロセスについてもう少し詳しくお教えを願いたいということと、もう一つは、先ほど、ちょっとお話ございましたが、テニュアという、任期制で後半がテニュアといういわば裏表の関係で一つ研究者の生活が行われているわけですが、テニュアそのものの功罪といいますか、アメリカなんかにおける考え方は一体今のところどういうふうな評価になっているのかということについて、二点、お教え願いたいと思います。
  25. 勝見允行

    勝見参考人 御質問にお答えいたします。  テニュアの制度は、ほとんどの米国の大学では採用されております。しかし、その運用と内容についてはかなり違いがありますけれども、基本的には、若い教員大学に就任してからある一定の期間を置いて評価をするという点では、皆共通でございます。  普通、講師ということもございますけれども、大体は助教授という形で大学に就任いたします。そうしますと、それは大学によっていろいろ違うんですけれども、助教授は二年ないし三年、それから場合によってはその上の准教授、アソシエートプロフェッサー、ここでもテニュアの評価がある場合もございますが、多くの場合には助教授から准教授に昇任されるときにテニュアの評価がなされるというのが一般的でございます。その場合は二年ないし三年、これは大学によって違います。そして、それが二回ないし三回までトライアルできるというようなことが考えられております。そして、その評価は大体、私の知っている例では、大学のディーン、これは学部長に当たりますし、場合によっては小さなカレッジであればそこの学長になるかもしれませんけれども、ディーンを中心とした、ディーンの任命によるコミッティーが形成されまして、そして教員評価を行う。これは、まず第一に研究業績、どのくらい研究をしているかということと、それから教育にどのくらい熱心であるか。  これは先ほど来、教育をどう評価するかということは非常に難しいことだと言われておりますし、確かにアメリカでもそのとおりであります。しかし、多くは学生による評価一つ資料となっております。アメリカ大学では、ほとんどの科目、授業は必ず学生評価を伴うということが一般常識になっていまして、それは教員に出して教員参考資料とする場合もございますけれども、多くは所属長、ディーンの方に直接それが渡されて、それに基づいてディーンから各教員に注意が行くとか、あるいは確かに昇任のときの資料になるとかということがいろいろございます。しかしこれは、人気取りの教授がいて、成績をいいのを渡せば学生評価が高いというようなこともなきにしもあらずですけれども、おおむね客観的に機能しているというのが一般的な理解であろうと思います。もちろん、その本人に会って面接をしていろいろ聞くということがあります。  それからもう一つは、大学にはいろいろなコミッティーがございますから、そのコミッティーに対してどれだけ積極的に貢献するか、あるいは社会活動に対してどの程度貢献するかというようなことも重要なことだとして考慮されます。  こういうようにして評価する場合に、教育大学への奉仕については学内でわかりますけれども、研究業績につきましては、先ほど私が申しましたように、時には国外の関連する分野研究者にその業績評価を依頼することがございます。アメリカでは、単なるテニュアだけではなくて、例えばテニュアをもらった准教授がその後教授になるにもかなりの制限のあるところがございまして、准教授任期はマキシマム何年というふうに決められているところもございます。だから、その間にある程度評価があれば教授の職に昇任できる。それから、教授もランクが一から六とか七とかいうふうに細かく分かれておりまして、もちろんみんな給与に反映することでございますけれども、それぞれの評価に対してやはり国外に対しても審査を求めます。私も、カリフォルニア大学のある教授のランクが一ランク上がることに関してディーンから評価を依頼されたことがございます。  こういうように、米国では大体身内で行うというようなことはなくて、非常に客観的な業績評価というものが行われていると思います。  そこでもう一つ、テニュアがアメリカではどうとらえられているかという問題でございます。  中には、テニュア制度研究の進行にとって余りプラスにならないからそれはやめた方がいいという意見も出ていることは確かでございます。それは、私、自然科学分野で出ているのか人文系の分野で出ているのかということはちょっと記憶しておりませんけれども、幾つかのそのようなネガティブな意見があることも事実でございます。そして、そのテニュアをある程度緩くしている大学もあることは事実でございます。  それで、アメリカはユニバーシティーアクレディテーションというシステムがございまして、何年かに一度、ある団体がアメリカの全大学に対して評価を下します。その評価によって、コンペティティブな大学であるとか、あるいはオーディナリーな大学であるとかというようなランクづけをするわけでございます。その中でいわゆるコンペティティブなユニバーシティーと言われているような大学は、これは私立、州立に限らずやはりかなり厳しいテニュアの制度を持っている、そのことによって非常にすぐれた教員を確保しているというのが実情であるのではないかと思います。  以上でございます。
  26. 西博義

    ○西委員 どうもありがとうございました。  あと二人、宇井先生、浜林先生、せっかくでしたけれども、時間がちょっと超過いたしましたので、どうもありがとうございました、失礼いたします。
  27. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 山元勉君。
  28. 山元勉

    山元委員 民主党の山元でございます。  参考人の皆さん、大変御苦労さまでございます。時間が短うございますから、それぞれたくさんお尋ねをしたいわけですけれども、端的にお尋ねをしてお許しをいただきたいというふうに思います。  一つは、この法が成立をいたしますと、それぞれの大学で、まず任期制導入するか否かということ、あるいは導入するとして規則をどう定めるか、あるいはその際に範囲をどうするか、こういう論議がされるわけです。  そこで、そこのところは入り口ですけれども、心配なのは、例えば評議会とかあるいは理事会とかあるいは学長、こういう人たちの専断といいますか恣意といいますか、そういうものが入ってきて、本当の意味の、長い展望の中での活性化ということが難しくなるのではないかという懸念がございます。そういうことが起こらないように、教特法十条の定めもありますけれども、しっかりと管理機関で本当に学内の合意を大事にしながら決定をしていくということが必要なんだろうと思いますけれども、そういうための規制といえばおかしいですけれども、配慮というものは今きちっとしておくべきだというふうに思うのです。  このことについて、まず有馬先生、積極的に導入すべきだというふうに先ほどおっしゃいましたけれども、どういうふうに考えたらいいのか。あるいは、法の中で定めている規則の制定だとか公表だとか、そういうことで十分なのかどうか、お教えをいただきたいというふうに思います。
  29. 有馬朗人

    有馬参考人 山元先生、大変御適切な御質問をいただきまして、ありがとうございました。  まず、私どもの審査報告の中で、恣意的なものが入らないように、特に私立大学に関しては強く要望いたした次第であります。そして、経営側、特に理事長等々の恣意的な判断任期制導入されたり任期制によって首を切るということが起こらないように、学長並びに教員の人たちの意見が十分入るようにということを書いてあります。同じように国公立でもやはり恣意的なことが行われ ないようにすることは極めて重要だと思いますけれども、しかし、国立には評議会というものがあり、それから教授会がかなり強いのでありますから、そういう点で、仮に任期制導入しようとすれば、教授会がきちっと審議をしてくれるものと私は信じている次第であります。率直に言って、学長はその辺にはほとんどリーダーシップをとれないということが普通だと思います。ですから、むしろ教授会がどういうふうな合意を形成していくかということが一番のポイントであろうと思います。  ただし、先ほど申しました例のように、研究室によって既に、私の研究室では、私自身判断助手に対しては任期制を付して公募いたしました。そして、その人々が極めて優秀な人々で、私のところで助手を三年ないし五年やって、しかるべきすぐれた大学助教授で転出するということが行われておりました。しかし、今言った、学校なり大学なり学部なりで決める場合には、やはりきちっと教授会で議論する、あるいはその下部の教室会議で議論して合意を得ていくことが必要であると思います。
  30. 山元勉

    山元委員 私、先生御指摘のように、教授会、いわば教員の団体といいますか、というところがしっかりと論議をしていただくことが大事なんですが、この法には教授会という言葉は一言もないわけでございます。管理機関が定めて、任命権者が任命する、いわゆる文部大臣等が任命する、こうなっておるわけですね。私はやはり、これは文部省にも求めているのですけれども、そこのところの手続についてしっかりと入り口のところでやらないと、長い展望の中で活性化は本当にしていかないような、混乱をかえって招くような気がするわけです。私はやはり、これからも教授会というものについて先生からも声を出していただくようにお願いをしたいと思うのです。  宇井先生にもお尋ねをしたいのですが、今の問題で先ほど先生は大変たくさんの懸念をおっしゃいました。助手を長い間続けることができたのは教特法によって身分を保障されたから、こうおっしゃいました。そういうものも含めて、やはりきちっと保障されないといけないと思うのですね。長期的な研究教育が保障されるという中でこれが決められていかなければいかぬと思うのですが、先生から、今、有馬先生にもお尋ねをしましたけれども、そういう恣意や専断がない、そういうためにはどういうことを求められるというふうにお考えですか。
  31. 宇井純

    宇井参考人 先ほどの西先生のお尋ねにも関連してくるのですけれども、現状では、まず教員の任用、昇進の際の公開性といいますか透明性を高めることはどうしても一つ任期制より前に必要だというふうに感じます。  それと、もう三十年近く前になりますが、極めて生煮えの言葉でしか語られなかったために誤解を招いたのですけれども、学生がやはり大学教育に対していろいろな異議申し立てをした時期がございます。その中には十分聞くべきものがございましたけれども、ただ表現が余りにも舌足らずであったために、ほとんど聞かれなかった。私のおりました東京大学の都市工学科では、事実上学科そのものが壊滅状態になりました。優秀な学生が全部外へ出ていってしまって帰ってまいりませんでした。そういう体験をしますと、もう一つ、やはり大学の中で学生立場というものを尊重すべきではなかろうか、教育を受ける立場学生の発言というものを真剣に聞く姿勢が必要なのではないかということを感じます。  制度的には、そういうわけでどうも今すぐにはっきりした形でお答えできるようなものを持ち合わせていないというのが現状でございます。
  32. 山元勉

    山元委員 勝見先生に、同じような趣旨ですけれども、諸外国ではそういう入り口のところの手続はどういうふうにされているのか。既に導入されている大学でも、学部の変更だとかポストの変更だとかいろいろあるだろうと思うのですが、そういう導入あるいは規則あるいは範囲というものについて、諸外国ではどのように考えられているんでしょうか。
  33. 勝見允行

    勝見参考人 お答えいたします。  私は米国の場合しか余り存じておりませんけれども、しかもこれもまた大学によって、州立大学とかそれから私立大学によっていろいろ制度は違っていると思いますが、一般に教員公募でございます。これは適当に身内の者を採用するということはまずほとんどございません。これは学会誌等を主体としたところにアナウンスメントがございまして、それに基づいて多くの人が応募してまいります。そして、書類審査と、呼んで講演をさせあるいは授業をさせて、そしてその適格性を判断した上で採用を決める。その採用に当たっては、日本のように教授会全体がやる場合もございますけれども、多くの場合には候補者に関する採用委員会ができるとかというような形で、ディーンを中心として判断を行っていくということがございます。これは、アメリカでは今言いましたようにテニュアというような制度がございますから、もう一度そこで本当に適格であるかどうかということが判断できるようなシステムになっているということでございます。
  34. 山元勉

    山元委員 もう一点だけお尋ねをしたいのですが、確かに今科学技術が恐ろしい勢いで進展をしている、あるいは国際化だとか、よく言われます情報化だとか、そういう中で大学が果たす役割、学生たちの教育だとかあるいは研究だとかいうのは大変急がなければならぬというか、大きな役割を果たしていただかなければならぬわけですが、先ほど西先生から有馬先生にお尋ねがありまして、大学改革について二つの視点がございました。私は、それだけではなしに、やはりもう少し幅広く日本高等教育をどうすればいいのかということを考えるべきだというふうに思うのですね。  この導入をする、しないは別にして、このことはこのことで、私たち、導入されるというふうに思いますけれども、そのことは別にして、今日本高等教育で求められるもの、改革という視点に立って求められるものは何だというふうにお考えなんでしょうか。浜林先生から、申しわけないですけれども、順番にお願いをしたいと思います。
  35. 浜林正夫

    浜林参考人 大変大きな問題ですけれども、科学技術発展と、それからメガコンペディションの時代にいかに生き抜くかというふうなことを財界はしきりにおっしゃいますけれども、私は、大学というのは財界のためにあるものではないというふうに考えております。  もちろん日本科学技術発展ということは大事ですけれども、そうではなくて、本当に長期的な視野を持った人間をどうやって育てていくかということが問題でありまして、メガコンペディションに対応する人間も要るとは思いますけれども、メガコンペディションがどういう意味を持つのかとか、そのありようについて批判をするような、そういう人間も私は必要だと思います。  現在の大学改革は、設置基準の大綱化以来、一般教育科目が軒並み削減ないし廃止をされておりまして、そういう大きな視野というものがなくなってきているということに、私は大変心配をしておりますので、これからの大学改革は、一般教育、今までの一般教育がよかったとは言い切れませんけれども、一般教育の充実ということを基本にした大学のあり方というものを考えなければならないと思っております。
  36. 山元勉

    山元委員 宇井先生にもお願いをしたいと思います。
  37. 宇井純

    宇井参考人 私も今の御意見に全く賛成でして、設置基準の大綱化ということで、実際には一般教養の分割といいますか、専門にのみ込まれるというふうな形が進行いたしまして、その直後に高度の教育を受けた科学者が起こしたオウム真理教の事件が起こったというのは象徴的な感じがいたします。  今後の日本大学に要求されるものは、やはりバランスのとれた世界のイメージをそれぞれが持てるような一般教育の掘り下げた拡充だろうと思います。その上に実際に生産活動に役立つような 専門課程というものが自然についてくるということを感じます。
  38. 山元勉

    山元委員 勝見先生、先ほど、今の大学の中の問題点、例えばマンネリ化だとかずっとおっしゃって、閨閥というのですか、そういうことまで、今大学が抱えている問題について、主に教員のありようについてだったと思いますけれども、おっしゃいました。  確かに、今そういう先生が御指摘の幾つか、六つも七つもおっしゃったと思うのですが、そういう状況を克服しながらといいますか、任期制導入していくに当たって、そういうことがベースにあるままではいけないだろうと思うのですね。そういう、さっき先生が御指摘があったような今の大学問題点をどう変えていかなければいけないのか、あるいは有効な手だてというのは何だというふうにお考えでしょうか。
  39. 勝見允行

    勝見参考人 お答えいたします。  先ほど、私は大学の中の教員大事に関して幾つかの問題点があることを指摘いたしましたけれども、そして、任期制導入がこれを解決する一つ可能性であるということを申し上げましたけれども、これは決して任期制導入することによってすべて解決する問題ではございません。本来日本大学制度自体が抱えているいろいろなそのほかの問題もかかわっていることかと思います。  私は、大学改善に当たって、幾つかの点があるかと思いますけれども、一つは、現在大学が持っております教員制度教授助教授講師助手という講座制でございますね、これは学校教育法によって規定されておりまして、助教授教授を補佐し、講師助教授教授を補佐するというような、そういう規定がございます。これは、私は変えるべきではなかろうか。つまり、そのことによって、教授による研究テーマの制限とか、ある研究室に所属しますと教授のやる研究に全部がからなくてはいけないというようなことがあって、これが一つ学問発展活性化を抑えている原因にもなっているというふうに私は感じます。このことは、最近大講座制という形で一部改善が試みられておりますけれども、私は、やはり根本においてその講座制をもう一度検討するというのが大事であろうというふうに思われます。  それから、もちろん教育に対してもっと大学が真剣であるということと、それから、有馬氏が申されましたように、文教に関する予算が極めて少ないということはやはり大きな問題であろうというふうに思われております。
  40. 山元勉

    山元委員 時間が来ましたけれども、有馬先生、先ほど二つ、今もありましたけれども、予算の問題と教育に力点を置くべきだということをおっしゃいましたけれども、そのほかにもし加えていただくことがあればおっしゃっていただきたいのですが、いいですか。
  41. 有馬朗人

    有馬参考人 大変ありがとうございます。  残念ながら、日本高等教育全般に対して、まだ十分な国からの支持がないと私は思っております。先ほど、GNPの〇・六%、ちょっと今上がりまして〇・七になったのですが、逆に初中教育の方が〇・一%減っている、合わせて余り変わらないという状況でありますので。幸い初中教育の方は世界並みのパーセンテージのお金をいただいておりますので、かなり初中教育は、まあ問題はありますけれども、うまくいっていると思う。大学の方の私学助成にしても何にしても十分でないというのは、まさに国からの費用あるいは県からの費用が少ないことによっている。  それ以外に、大学としてどういう方向に行くべきかということでありますが、先ほど勝見さんが言われたように、大講座制という工夫はありますが、講座制というのは少し見直していく必要があろうかと思っています。お答えになったかどうかわかりませんけれども。
  42. 山元勉

    山元委員 ありがとうございました。  私たちは、この導入について大変幾つかの懸念を持っております。そういうことについては、専門の先生方ですから、これからもぜひ声を出していただきたいと思いますし、予算については私どもの責任でもあろうというふうに思います。予算の中に占める割合がどんどん——下げどまりはしましたけれども、これは私たちが努力する部分だというふうに思います。  どうもありがとうございました。
  43. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 次に、石井郁子君。
  44. 石井郁子

    石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  参考人先生方、きょうは本当にお忙しいところを御出席いただきまして、ありがとうございます。  国公私立に任期制導入するという、これは新規立法で今国会に出されているわけでございまして、私どもは、本当に徹底した審議が求められているし、審議を尽くさなければいけないというふうに考えているところでございます。  時間も余りありませんので早速質問させていただきますけれども、有馬先生にお願いいたしますが、先ほどの先生のお話を伺いまして、任期制幾つかの研究所分野で取り入れられている、特に素粒子論グループ研究活動についてお話がございました。京都大学基礎物理学研究所ですね。  この点につきましては、私もちょっと見る機会がございまして、国際物理学会の元会長の山口嘉夫先生が「任期制をきめた前夜」という文章を書かれておりますので、ちょっと御紹介したいのですけれども、この任期制については、当時「意外にも——というのは我々の若気の至りであろうが——朝永・坂田先生等の素粒子論のリーダーたちから反論があった。」その反論は、「任期があると、次の職を確保するため小さな仕事で論文を乱作する傾向を生じよう。それでは息の長い大きな仕事をするのに妨げとなろう。即ち、学問の一大山脈を形成することは出来なくなろう。それは、素粒子論という若い学問にとって由々しいことである。」というふうに言われたそうでございます。そのことが一点。  それから、当時の事情ですね。どうも一九五〇年代、五三年、四年というのは、若い研究者というのはほとんどが独身であった。それから、大学学部の拡充の時期で、ポストがたくさんあった。それから、先輩の先生方が、次の職については心配しなくていいと、先生方が探してくださったという点があるんですね。だから、任期が来たら自分で職探しをしなければいけないという今言われている事情とは随分違う。しかも、今はポストがないという点でも、山口先生は「ゼロ成長期で空きポストが少なくなれば、任期制をうまく機能させることはむずかしい。」というふうにも書かれていらっしゃいます。  既に、名古屋大では九三年に理学部物理学教室任期制は廃止になっているというふうにも伺っているわけであります。そして、もとに戻りますけれども、京都大学基礎物理学研究所の当時所長の長岡先生は、昨年の学術会議任期制シンポジウムで、今回の任期制については、いろいろありますがちょっと省略いたしますけれども、「結論を一言えば、私は法制化された任期制は基研の「任期制」にはそぐわないと思う。」こういう、長年の経験に立っての御発言がというふうに思われますよね。  そういう点で、私はまず一点お伺いいたしたいのは、紳士協定的に行われてきた任期制と今法制化によって行われようとしている任期制というのは全く違うものではないのかというふうにこの経過から言わざるを得ないわけですが、その点で先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  45. 有馬朗人

    有馬参考人 山口さんにせよ長岡さんにせよ、すべて私の仲間であります。湯川先生アメリカからノーベル賞をもらって帰ってこられた直後に、基礎物理学研究所で、当時の山口氏を中心とした若手とそれから坂田、朝永先生たち、湯川先生は中立でおられたと思います、そこで任期制をめぐって論議があったことは事実であります。しかしながら、そこで坂田先生は初めは慎重論を唱えておられたけれども、納得された上でいち早く名古屋大学では任期制導入されたということを 申し上げておきましょう。しかしながら、今、石井先生おっしゃられたように、流動性が最近悪くなってきたということで名古屋大学では廃止したことも事実であります。  長岡さんの御説は私はよくわかるのでありまして、もし今までどおり法制化しなくても運用がうまくいっていれば、それはそのやり方でいいと思います。しかしながら、先ほど申しましたように、法律によってきちっと裏づけされていない場合には、仮に人事院に提訴する、文部省を通じてでありますが、提訴すれば、明らかに大学なり研究所が負けるわけであります。この辺に対しては、裏づけがきちっと法律化されている、それを利用するかしないか、利用しなくても任期制導入できる、これは明らかでありまして、ただし、今言ったような問題が今だとありますけれども、今後きちっと任期制というものが法律的に許されるようになれば、これは、仮に紳士協定、淑女協定でも任期制を十分やれると思います。そこでは差がないと思う。  それからもう一つ、物性研の例を申しますと、物性研では、自分のところの助手を採るときに大変努力をしていい人を採りますが、同時に、三年なりの、五年でありましたか、任期が終わるころには、大変一生懸命本人とともに指導教官、指導研究員が一緒になって場所を探すというふうな努力をしております。  ですから、今後、特に若手に対して任期制導入する場合には、そこの教員たちは責任を持っていい人を選び、そして、その人がさらに発展する職場が見つかるよう努力をするべきであると私は思っております。私は、ある自分の任期をつけた助手を就職させるために三十通の自筆の手紙を書きました。幸いその人はあるいい大学に就職できた。二、三できた例があります。やはり、そのくらい研究者任期制の人を採るとぎにはよい人を、そして、その人の一生に対しての、少なくとも退職後の、任期終了後の就職に対してはともに努力をしていかなければならないと思っています。  そういうことでございますので、お答えになったかどうかわかりませんけれども、一応申し上げておきます。
  46. 石井郁子

    石井(郁)委員 もう一点有馬先生に御質問させていただきますが、大学答申が出されましてまだ少しですけれども、ずっと答申が相次ぎましたけれども、この任期制をめぐってはこの間やはり情勢が随分変わってきたのではないかという私は認識を持っているんです。この任期制は、大学のあり方、研究教育のあり方から本来考えていかなければいけないわけですけれども、それをじっくり考える余裕というのがむしろ大学の側になくて、今、いわば民営化ですとか財政改革という形で国立大学民営化のおどしで導入を競わされようとするというこういう事態が進行しているんではないかというふうに思うわけですね。  そのことは、昨年十一月に国大協の正副会長が財政制度審議会に呼ばれて国立大学の民営化を強く言われている。そして、各学長が、任期制導入しなければ国立大学は民営化されてしまうのではないか、そういう強い印象を受けておられるわけであります。これはいろいろ文章にも残っておりますから。  ですから、教育研究活性化という話でこれは始まっているはずですけれども、事態は、そういう大学審の建前がどこか投げ捨てられているのではないかというふうに言わざるを得ないわけであります。  有馬先生、国大協の元会長として、そして今いろいろな役職をおやりと思いますけれども、こういう国立大学の民営化についてきっぱりと反対すべきだと思いますが、いかがでしょうか。
  47. 有馬朗人

    有馬参考人 どうも任期制でないところについて御質問でありますけれども、まず、最初の方からちょっと感想を申し上げます。  実は、大学審議会はこの問題については既に四年ぐらいかけてずっと議論しておりまして、特に一昨年、審議の内容を公開し、国立大学協会その他と十分の協議をしたわけであります。しかしかなり大学の対応がゆっくりしていることは、私も国大協の会長であったこともありましてよく知っております。そこで大学の議論が非常にゆっくりだったということはありますけれども、かなり早い段階からこういう議論をして、その内容については直接間接に国大協等々ともお話をしていた次第であります。  さて、国立を私学化するかどうかという今の石井先生の御質問でございますが、私の見解を申し上げてよろしいでしょうか。  既に新聞等々でその内容が公開されておりますので、あえて申し上げていいと思いますが、行政改革会議の席上、私は、高等教育というのは国がやるべきであるということを主張いたしました。  それはなぜかというと、アメリカはさておいて、ドイツ、イギリス、フランス、オランダ等々の先進諸国を見ますと、全部国立大学と言っていいくらいです。イギリスに一校か二校、ドイツに一校、二校私立はありますけれども、全部公立か国立。ドイツは公立ですね、イギリスは国立であります。そういう面から見て、むしろ日本としては、私学助成をふやすというふうな格好で私学の研究環境教育環境をよくするという方向の方が正しい方向ではないかということから、私は国立大学の私学化に対しては反対をいたしました。  そういう面で、今でも、国立大学のみならず、公立、私立を通じて国として高等教育をよりよくすべく努力をしていただきたいと強く念願をしている次第でございます。お答えになりましたでしょうか。
  48. 石井郁子

    石井(郁)委員 どうもありがとうございました。  それでは、残りの時間ですけれども、浜林参考人に一点御質問をしたいと思います。  今議論をいたしましたように、任期制法案がいろいろなそういう流れの中で提案されているわけですけれども、もう一点、五月十八日付の朝日が一面トップで、文部省が、大学の組織運営について「合理的、効率的な組織運営」と称して教授会の権限縮小ということを考えているという報道がございました。これは、大学の管理法案ともいうべきものを数年がかりで準備するという動きかというふうに思います。この任期制法案でも大学の自主性ということを絶えず言われるわけですが、実際には、そういう自主性を根こそぎにするようなこういう道が準備されているのではないかと考えざるを得ないわけでありまして、こうした大学自治をめぐる問題と任期制法案との関連について、先生の御意見をお聞かせいただければと思います。
  49. 浜林正夫

    浜林参考人 私も朝日の記事を見てびっくりいたしまして、まあニュースソースがどこなのかよくわかりませんけれども、あり得ないことではないというふうに思いました。と申しますのは、もう終戦の直後から大学管理法案というのは何度も出たり、そのたびにつぶれてきたわけです。  文部省流に言いますと、大学自治というのは大学が決めることなんだから、大学の中でどういうふうに決めようとそれは大学自治だというのが文部省流の解釈のように思いますが、私どもが大学自治と言っておりますのは教授自治です。教授自治について批判もいろいろございますけれども、現在の制度教授自治でありまして、それは、学校教育法で、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」という法的な規定がございます。「重要な事項」というのは何かという範囲はいろいろあるかもしれませんけれども、教授会が大学運営中心であって、そこで自主的に物事を決めていくことが大学自治だ、現在はそういうふうに理解をすべき。  それを、教授会権限を縮小して、学長、あるいは私立大学の場合には理事会の方が、それこそ先ほどどなたかの御意見でございましたけれども、独断先行的に決めていくという形になりますと、形の上では、いや大学が決めているというふうに 言われるかもしれませんけれども、内容的には、やはり事実上大学自治の剥奪だというふうに私は考えておりまして、もし任期制がそれの突破口になるのであれば、これは、日本の戦後の大学制度をもう根底からひっくり返す大問題だというふうに思っております。
  50. 石井郁子

    石井(郁)委員 時間が参りましたので、以上で終わりにさせていただきます。  どうもありがとうございました。
  51. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 次に、保坂展人君。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  52. 保坂展人

    ○保坂委員 大変貴重な御意見をありがとうございました。じゃ早速御質問させていただきたいと思います。  まず有馬先生にお願いしたいと思うんですけれども、非常に素朴なところからなんですが、やはり今の日本社会、いろいろなひずみがあります。その中で、子供の数がどんどん少なくなってきている。これは大学の経営も直撃する問題だろうと思います。十八歳人口がここのところピークの二百七万人から百二十万までこれから落ちていく。そういう、大学経営の問題と任期制の問題が絡んでいるかどうかという点についてちょっと御意見をいただきたいのと、そこに関連をして、確かに、いろいろ聞いてみますと、大学の先生という非常に安定した身分の中で研究あるいは論文等の努力がないという方が事実いらっしゃるというのは私もよく聞くわけなんですが、しかし、そういういわば特権にあぐらをかいてきた方々のツケを若い研究者が負わなければいけないというのは、どうも、世代間の不公平感といいますか、そういうことを招くのではないか、こんなことを考えるわけなんです。  その点と、もう一点は、やはり任期制で、私もフリーのジャーナリストでいろいろ、任期制どころか一回制というか、そういう世界で生きていたわけで、やはり仕事を得ていくためには人脈、いろいろなシンポジウムや研究会などでいろいろな編集者や同業の者と知り合いになって仕事を獲得していくということがあるわけですけれども、そうなると、地方の大学に赴任をした場合にやはり非常に不利になるのではないか、なるべく首都圏に近いところにいたいという心理が働くのではないか。  この二点について、お願いしたいと思います。
  53. 有馬朗人

    有馬参考人 保坂先生、ありがとうございました。  少子化に関しては、私も非常に心配をしています。ただ、少子化の問題と今回の任期制は絡んでいるかということに関しましては、完全に無関係です。  しかしながら、少子化の時代をどうするかというのは、実は中央教育審議会の方でも大変心配をしておりまして、このことを申し上げますとまた一時間ぐらい使ってしまうので、これは御無礼いたしますけれども、日本の将来にとって少子化は極めて重大問題でありますので、いかにある程度子供たちの数を保持するか、むしろふやした方がいいかもしれません、そういうことはひとつ、ぜひとも政治の方からも御検討賜れれば幸いでございます。  ただ、もう一つ、おもしろい御指摘がありました。身分安定をしているために、少し年をとった人々は論文を書かなかったりサボっていて、そのツケが若い人におりてこないかという御心配がございました。  実は、これは大学審議会ではなく、もう一つ文部省に置かれております学術審議会で、先ほど既に申し上げましたけれども、このごろ大勢になりました若手研究者ポストドックという人々、二年ないし三年の任期制を持っている人々を五、六人呼んだと思いますが、意見を聞きました。驚いたことは、彼らの方がはるかに朗らかでありまして、自分たちは任期が切られていることを大変喜んでいる、そこで自分がいろいろな束縛を離れて三年間真剣に研究をして、そしていい仕事をして外に行くチャンスが与えられているというふうなプラスの評価をしているのに驚きました。ですから、少子化だからということではないと思います。若い者、なかなか気概があると、そのときの委員長と驚いた次第であります。  さて、地方大学の問題でございますけれども、確かに日本ほど中央集権のところは少ないように思います。しかし、地方大学と言っていいかどうか、田園都市にあるような大学は、余り雑用にとらわれずにじっくりと研究できるいい点があるのです。先ほど私は、論文を調べ上げたということを申し上げましたけれども、地方の大学とよく言われる大学の人々が、いい研究室は非常に活躍をしています。私は、将来の人材というのは田園地方から出ると信じて、方々で話している次第であります。  さて、地方大学が不利になるかどうか。これは、任期制運用の仕方であると思います。むしろ、もし任期制が非常に大きな不利になるようなことがあれば、地方にある大学任期制をしかなければいい。そして、いい人を迎え入れたらばいい。ただ、それが逆に、その大学に人々が沈殿してしまうことがまずいとなれば、そこで任期制導入されたらばいいかと私は思っております。
  54. 保坂展人

    ○保坂委員 大変ありがとうございました。  では次に、宇井先生に伺いたいのですが、私ごとになりますが、二十五年前ですが、私は十六歳のときに宇井先生と、教育とは何か、大学学問とは何かという対談をさせていただいたことを思い出しながらお話を聞いていたのですけれども、先ほどのお話の中で、宇井先生がかつて助手時代に、それこそ公害の問題についてその後に展開をされたような世論が起きてくる前に、いわばパイオニアとしていろいろな未踏の分野に踏み込まれたということを非常に尊敬をしているわけなんです。  まず、現在、やはり環境問題は日々深刻になっております。そして、宇井先生のそういった志を継ぐような若い研究者大学教員の方が続々と生まれているかどうか、そしてまた、そういう方から見て今回の任期制ということがどのように受けとめられるのか、この点について伺いたいと思います。よろしくお願いします。
  55. 宇井純

    宇井参考人 実は、私が東大で開きました自主講座で、そういう若い人たちが伸びてくることを期待したのですが、もう一方で、私自身の性格もございましたし、制度になるということを極めて慎重に避けました。自主講座を見学に来ていたアメリカの留学生が、アメリカだったらこれでもう学部ができている、日本大学は何をやっているんだというふうな意見を漏らしたことを覚えております。  そういうところで、若い人たちが、環境問題に腰を据えて取り組もうという人が少数ながら出てきて、今活躍していることは事実です。しかし、私が苦労したときと同じように、やはり若い人たちの研究の場所というのはなかなか安定しない。そしてまた、既存の権威に対して闘う姿勢を持たなければ研究が伸びないということも、今日、以前と余り変わっていないというのが実情です。  もう片方で、私の同僚である中西準子さんの場合は、積極的に制度をつくっていくというやり方をとりまして、これはかなり成功したようです。各地で既に教え子が教授クラスになって、いい研究教育をやっておりまして、いろいろなやり方があるなというふうに感じたことが最近ございます。  しかし、問題はどれだけ解決に向かって進んだんだろうということを考えますと、例えば昨今のダイオキシンの問題などをもう一遍振り返ってみますと、三十年前に比べて我々はどれだけ進歩したんだろうか、こういう未知の問題に対する取り組みというものがどれだけ制度として準備されてきたのであろうかと考えますと、やはりなかなか難しいというか、いろいろの、意思はあるのですけれども実現しないということを感じます。  有馬先生は先ほど、少子化の問題は大変大きな社会問題だというふうにおっしゃいました。私は、実は個人的に、この問題はもう取り返しがつかないのではないかという感じすら持っておりま す。つまり、ダイオキシンの性ホルモン的な作用を持つ汚染物質としての蓄積が、既に生殖機能まで及んできたのではないかという危惧を感じておりまして、この問題に対する制度の取り組みが三十年前と同じように後追いであり、極めて生ぬるい形でしか進行しなかったことを大変悔やんで見ております。
  56. 保坂展人

    ○保坂委員 続けて一点だけ、宇井先生にもう一度。  つまり、かつての宇井先生のような、あるいはダイオキシンなり花粉症なりアトピーなり、それぞれ、企業というよりは市民あるいは普通の人々に非常に密接な、要求を持つ環境問題のテーマはあると思うのですが、そういうことをやろうとする若い研究者にとって、任期制そのものがどういう影響をもたらすかという予想をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  57. 宇井純

    宇井参考人 実は、そういうことに取り組もうとする若い人は依然としていることはいるのですが、恐らく、任期制採用するような研究機関では、あえて名乗りを上げることはないのではないかというおそれがあります。  一例を挙げますと、日本のごみの焼却炉あるいは下水道の汚泥の焼却炉からは実はダイオキシンより以前に重金属の汚染が大量に出ているということが予想されておりました。しかし、それを大学研究者が発表した事例は一つしかございません。これは、京都大学大学学生が、ちょうど大学闘争の最中に、教授の制止を振り切りまして、京都市の下水処理場の焼却炉の周辺の大気汚染と土壌汚染を公表してしまいました。これは当時大変なスキャンダルとしまして我々の間で話題になりました。スキャンダルとして話題になったのは、教授学生を抑え切れなかったということでスキャンダルになったのであります。  そういう経験を振り返ってみますと、その後そういう研究は一例も出ておりません。それだけ、もう大学院に残る段階から、私のおりました東大の都市工学科などでは学生を選別しまして、変な学生が残らないように、あるいはまた変な大学学生助手に残らないようにという選別は東大闘争の教訓としてずっと今日まで引き継がれております。  そういうことを考えますと、決して事態は楽観できないと思います。
  58. 保坂展人

    ○保坂委員 時間がだんだんなくなってきましたけれども、浜林先生に伺いたいと思うのですけれども、非常にこれは大変な問題だと、とりわけ地方の大学でかなり大変なことになるのではないかと。どんな混乱が起きることが予想されるのか。そしてまた、任期制というものがかなり大幅に地方の大学採用された場合に、その混乱を回避するすべはないのか、この点について御説を伺いたいと思います。
  59. 浜林正夫

    浜林参考人 混乱と申しますのは、さっきも申しましたけれども、既に地方の大学では人材を得ることが大変難しいという状況がございますので、そういう点で研究教育のレベルが落ちていくだろうというふうに思います。  大学審議会も文部省もですけれども、やはり研究のレベルというときには、いわゆる旧帝国大学のことしか念頭にないようでありまして、地方の大学は極端に言えば教育だけやっておればよろしいというような状況になりますので、私は、その点は、特定大学だけが突出してレベルが上がるということはないと思っております。  つまり、全体のレベルが上がらないと、例えば東京大学にしても京都大学にしてもそういうものを踏まえた上で高い水準のものが出てくるわけでありまして、私はよく例に使いますけれども、日本の野球の水準が高いのは草野球がいっぱいあるからだというふうに言っておりますが、そういうすそ野がなくなってしまうのではないかということを心配しております。  それを防ぐどういう手だてがあるかということになりますと、これは大問題でありますけれども、私は、このごろはセンター・オブ・エクセレンスというのがはやっているのですけれども、センター・オブ・エクセレンスではなくて全体を底上げするような文教政策、私は少し極端に、逆格差をやれというふうなことも言っておるのですが、例えば北海道の大学は特に優遇するとか、そういう全体を底上げするような文教政策というものが必要だというふうに考えております。  それからもう一言、私立大学では、教授会を持っていない私立大学、形の上ではあっても実際上機能していないところがございますので、これはやはり、それぞれの大学の責任ではありますけれども、教授会がきちんと機能をするようにやっていかなければならない。これは大学人の側の自省自戒でございますけれども。
  60. 保坂展人

    ○保坂委員 大変ありがとうございました。  終わります。
  61. 二田孝治

    二田委員長 次に、粟屋敏信君。
  62. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 太陽党の粟屋敏信でございます。本日は、諸先生方には貴重な御意見をお聞かせいただきまして、大変ありがとうございました。  冒頭、有馬先生から、我が国の教育研究の環境は改善をされたというお話がございました。確かに政府も努力をされまして、科学技術研究費の増額とか、あるいは未来開拓に関連をするような研究費の増額とか、さらには学校施設の整備等もやってこられたわけでございますけれども、先生からお話がございましたように、なおGNPに占める高等教育に充てられる支出は非常に少ない。〇・七%である、諸外国に比べて半分以下だというお話がございました。私は、これは日本の将来にとっても大変ゆゆしき問題であると思っておりますので、今後、これらの経費が増額をされるように政府に頑張ってもらいたいと思いますし、私どもも努力させていただきたいと思います。  そこで、大学とは何ぞやということになるわけでございますが、教育の面と研究の面と両方あると思うわけで、教育の面は、私はこれからの経済社会の変化に応じまして、国を支え、社会を支え、また国民生活を支える、良識のある人物、また人を愛する人物、これを養成をしていくことではないかと思います。  同時に、研究の面におきましては、私は、大学研究と企業の研究を比べてみますと、企業サイドの研究は、お金も潤沢なこともございまして、かなり先進的な研究をしているのではないかと思うわけであります。ただ、企業の研究になりますと、応用的な研究が主眼になりまして基礎的な研究がやや軽んぜられる、そういう傾向があるのではないかと思うわけでございます。  我が国の科学技術研究分野においていつも言われますのは、基礎研究分野がおくれているということであろうと思っておりますが、この基礎研究分野はやはり大学が担っていただかなければならない、そう思っておるわけでございまして、いわば科学技術のナショナルセンターとしての役割を大学が担っていただかなければならないと思っておりますけれども、その辺に対する有馬先生の御見解をお伺いいたしたいと思います。
  63. 有馬朗人

    有馬参考人 きょうは、主に教育並びに任期制のことについていろいろ申し上げる場所であると思いまして、実は研究のことはそれほど入ってまいりませんでしたけれども、最初ちょっと申しましたように、研究費はかなりおかげさまで伸びつつあります。これは、一昨年十一月に先生方がお通しくださった科学技術基本法というものに基づき、昨年の七月に科学技術の実施計画が定められた、こういうふうなことも反映して、科学研究費なりあるいは出資金による研究費等々ふえてきております。それから、建物も徐々に、まだ改善されたとは申し上げません、改善されつつあるということに関しましては、大変ありがたいと存じております。  そこで、今の御質問で非常に重要なポイントは、基礎研究とは何かということでございまして、基礎研究分野はやはり大学がやるべきだと私は思っております。大学だけでなく、ほかの国立研究所、あるいは私企業の研究所ももちろん基礎ということをやると思いますけれども、それは開発を念頭に置いたもの、あるいは応用を念頭に 置いたものが多いかと思います。ただ、大学側も、もう少し社会と結びついた応用の方の研究もしていかなければならないと私は考えている次第であります。  ただ、大学における研究と私企業の研究あるいは国研の研究の違いというものの大きなポイントは、ボトムアップ型、自分からやっていくというのがどちらかといえば大学研究者の態度であり、上から会社や行政の目的のためにこういう研究をすべしというような一つのミッションが与えられて行う研究というのが国研あるいは企業の研究ではないかと思います。しかしながら、そういう場所でも、やはり最終的には研究者が喜んでやらなければいけない。ですから、トップダウンであっても研究者がかなり自由に発想できるようにしていくことが、今後の研究の上での重要なことではないかと思っています。  しかし、おっしゃられますように、大学の役割というのは、あくまでも学術研究中心にして、そして個々の研究者が自発的にやっていくことであろうかと思っております。こういう点で、現在、日本大学は、例えばパテント、特許が非常に少ないとか、ベンチャーと結びつきが少ないとか、いろいろな御批判もありますので、徐々にその点については改善されていくと思いますけれども、やはり根本においては、各研究者が自主的に問題を選び、自主的に検討していくことじゃないかと思っています。  ただ、日本は、御説のように、いかなる分野であろうと、基礎中の基礎であろうと、応用の基礎であろうと、開発の基礎であろうと、やや基礎研究が弱いということで、この十年ぐらい、国の方もいろいろお考えいただいて、基礎をもっと伸ばせと御指摘くださっておりますことを心より感謝を申し上げます。
  64. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 次に、任期制に関連をする問題でございますが、任期が満了をした教員の後の処遇の問題であります。  先ほど、有馬先生は、三十通も手紙を出して一生懸命あっせんをして職につけたというお話がございました。これは有馬先生のお力であろうと思うわけでございますが、私は、やはり全体の仕組みとして再就職を適切にやっていく、そういうことが必要ではないかと思うわけでございます。いろいろな大学団体からの御意見の中身を見ますと、欧米では横断的な労働市場ができているからこのことがスムーズにいくんだけれども、我が国ではそこまでいっていない、これがやはり今回の任期制に対する大きな不安の原因になっている、こういうことであろうかと思うわけでございますが、そのことにつきまして、これは有馬先生でございましょうか、御意見を伺いたいと思います。
  65. 有馬朗人

    有馬参考人 一つ言い忘れたことがありまして、ちょうど御質問でお答えをするチャンスをいただき良して、ありがとうございました。  実は、大学審議会任期制を云々する前にさかのぼることさらに二年ぐらいでありますが、そこで、新規の教員採用するときになるべく公募をするようにというふうなことを申しました。現在までのところ、人事というのはかなり秘密裏に行われるような場所が多いものですから、これは公募すべしということを大学審議会答申いたしました。その際に、社会人をもっと採用せよというふうなことも申した次第であります。  さて、大学審議会といたしまして、今回、任期制を提案をいたしました際に、御指摘の問題点も指摘いたしまして、学術情報センターというのがございますが、これは文部省の共同利用研究所であります、ここに大きな情報のセンターがございます、その学術情報センターの役割の一つとして、各大学、各研究所の大事に関することを報告してまとめていただくということにいたしました。そこで、どこそこの大学のどの講座の人があいたとか、どこの研究所の何部門の助教授があいたとか教授があいたとか助手があいたとか、こういうふうな情報を学術情報センターで集約し、これを公開するという手段を現在とっております。したがいまして、ネットワークで学情センターを呼び出しますと、そういう大事に関する情報が的確にとらえられるように努力をいたしております。
  66. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 今お話ございましたように、センター等かうまく機能をいたしまして、任期制教員方々の再就職の不安がないような措置をとられるように、有馬先生にもよろしくお願いをいたしたいと思うわけであります。  それからもう一つは、任期五年なら五年、そこで研究をする、研究成果、これを業績評価をする、こういうことになるわけでございますが、研究にはいろいろあると思うのです。特に私は、文科系研究は、割合長い期間にわたってこつこつと積み重ねながら研究をし、その成果が上がってくるということがあると思うわけでございます。そうなりますと、この任期制でその期間の業績評価ということになりますと、そういう長い期間を要する研究についての評価はどうするのかという疑問が生まれてくるわけでございます。かえってこの任期制が、長期的な研究を積み重ねながら成果を上げられる、そういうものの障害になるのではないかなという気もいたしますが、その点についてはいかがでございましょうか、有馬先生。
  67. 有馬朗人

    有馬参考人 実は、この問題も大学審議会で随分議論いたしました。それで、結論的には、まだ研究の途中であって成果が出ていない、そういうものはどうするかという問題と、それから、文科系が特に長い研究が多いから、ほかの大学に移ることは不利にならないかというふうな議論をさんざんいたしましたけれども、まず、途中の評価というのは、私は可能であると考えております。完全に本が書けていないとか、あるいは調査の途中であるとかという場合でも、その調査がどの程度どういうふうなものまで行われているか、こういうことを研究者より聞くことによって、研究業績は途中でも評価できると私は思っています。  これは文科でなくても理科でも同じ問題があるのですね。アインシュタインなんというのは、若いときにノーベル賞級になるものを三つも一年のうちに提案して、そしてその一つでノーベル賞をもらうのですが、その後長い間論文がないんです。しかしながら、その間に、いろいろ考えていることをセミナー、研究会等々で発表しておりますので、そういうところの発言を聞くことによって、この人は論文はないけれどもすごい研究をしているということは読み取れたわけであります。東京大学の理学部の私の先輩でもそういう人がおりましたし、東工大のある非常にすばらしい研究をした人も、多少論文のなかった時期がありましたけれども、学会等々の発言を見ていれば必ずそれは読み取れると私は思っております。  そういう意味で、文科系といえども十分成果を読み取っていくことができるかと思った次第であります。これでお答えになりましたでしょうか。
  68. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 どうもありがとうございました。  これで質問を終わります。
  69. 二田孝治

    二田委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席いただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  この際、暫時休憩いたします。     午後零時八分休憩      ————◇—————     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕