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栗本委員 ようやくまとめてお答えいただいたのですが、さらに申し上げれば、
帝国大学令ができる前から、
明治二年から
大学というものはあるわけなのですね。
大学が先にあって、それから
東京大学、
東京帝国大学、こういうふうに置かれていくという
格好になる。
これを総括して申し上げますと、私は学者としての
報告として、
比較法史学会というところで
報告をさせていただいたことがある。これは、特に
法学部、広い
意味の
法学校の
展開はどうであったのかということを、
日本の
法学の
発展あるいは
法律制度の
展開を検討する、そういうテーマを持った
学会で
報告をしたことがあるのです。それは、「
比較法史研究4」というところに載っております「
近代日本社会と
法学校の成立」、そういうものなのですが、一言で申し上げますと、いわば
制度が後からついてくる、先に実体ができてくる。それは別の言葉で言えば、
ニーズがあったからできていくのだろう。
私立の
大学というのはほとんど
法学校を軸にして、
法学部をさらに軸にして成立してくる。私のおりました
明治大学もそうでありますし、多くのものがそうであります。
慶応と
同志社だけが
語学の
専門学校から
展開をしていくという
格好になる。
当初は、言うまでもなく
専門学校は、
語学、
法律だけではなくてあらゆるものがあった。音楽もありますし、今日の
日本の
学部になっております
分野はほとんど全部あった。ところが、これは
ニーズだと思うのですね。
地方官を養成する、
地方官に就職するという
ニーズといいますか、あるいはサプライといいますか、そういったものがあったために、
私立でありながら
法学校系のものがいわば
生徒がたくさん来るという
格好で
発展をしていくわけであります。
慶応と
同志社は違いますけれども、これは調べますと、
明治やその他に比べると財政的に非常に厳しいという中で、
創立者がそれぞれ
社会的にも
大変信用その他もあった方々であったために、
かなり無理をして頑張れたというところがあるわけであります。これはいわば
ニーズが育てた、
制度が後からということなのですね。
その結果として、戦争までの
日本の
学校制度というものは、結果として私は複線になったという
ふうに考えている。もちろん、
帝国大学というのが上にあって、
上下ではないはずなのだけれども、横にといいましょうか、あえて上だか横だかに
私立の
大学があって、けれども、
私立の
大学は予科を通じて入っていく、
旧制の
帝国大学は
旧制高校を通じて入っていくと。国のつくった
大学であるけれども、
商科大学、今日の一橋のようなところは
高等商業学校を通じて入っていくというようなことであります。
帝国大学の中でも、
東北大学は女性にも門戸を開いたり、小学校、
旧制中学校、
旧制高校そして
大学といういわばメーンのラインのほかに、こういった
人たちからも、例えば
師範学校に行った方からも
入学資格があるようにした。非常にリベラルな体質を持っていた。それは
東北大学のその後の
学問の
発展に非常に大きく寄与したのだと、私は
大学評論家ということもやっておりまして、そちらの方では、私は、これは個人の
評価かもしれませんが、そういうふうに
評価をしているわけなのです。これは本当は一本化しようと思っていたかもしれない、当時の
文部省は。
帝国大学に収れんするような道で、ほかに
師範学校に行った人はそのまま
師範学校に行ってくださいよ、
帝国大学には来なくていいですよというふうに思っていたかどうかはわからないけれども、思っていたのではないだろうかと思われる節は多々ございますが、複線化していく。
そして、実は
帝国大学に行くには、
旧制高校という難関を突破することによって実質保証される。
東大法学部が
最高学府であるか
最高の目標であるかは別として、これで
旧制高校卒業生が受けまして、大体二倍であります。いろいろあれがありますけれども、入試の率というのが二倍であります。
京都大学法学部でいいと言いますと、大変失礼ですが、ほぼ一倍でありますから、
旧制高校に入っていれば、後、ヘーゲルを読んでいようとマルクスにかぶれていようと、行ける。ですから、
旧制高校の青春というのは、もう入試なんかなくなっているというところであるんだというのが実は非常に大きな要因だと、それは私は高く
評価をしているわけであります。だから、入試がある
意味で二度あるわけですね。
大学であり、
旧制高校であり、一般的には
旧制高校であるけれども、
東北大学へ行こう、あるいは今日の一橋
大学へ行こうという場合には、別の路線からも通っていけるという
格好になっている。
途中で申し上げますけれども、今日問題になっております
大学入試センター試験、私は二度でも三度でもやるというふうに変えていった方がいいのではないかと思う。そして、そのうちのいいものをもって、あるいは平均をもって
大学に。これはアメリカの
制度であります。
大学自体はその入試を行いません、基本的には。また
教授が入試にタッチいたしません。入試監督局というのがあって、それは
大学の中で大変高い地位を持っているのですけれども、総合的に
評価をして、ハーバードでもスタンフォードでも入学者を決めていくわけであります。時には、アメリカが非常に進んでいて、アジアの諸国が経済的に非常におくれている場合には、
日本なら
日本に特別枠というのがあって、
日本から三人入れようと、成績がちょっと悪くても入れようみたいなことをすることも許されるし、これは
私立大学でありますからいいと思うのですけれども。
二度三度の入試をすることによって、また公平な形をとることによって
——日本のように、大体風邪のはやっている季節に入試をやっているのは世界で、先進国では
日本だけと言うと、やっている国がうちは先進国ではないのかと言われるので、ほぼ、大体と言っておきますけれども、であります。大体、五月とか流感のない季節にやるのがいいわけだし、二度あれば、あるいは三度あれば落ち着いて勉強もできるし、またはクラブ活動やボランティア活動にも積極的に参加できる。一発試験であるから。これは戦後の
大学の
制度は全部そうであります。ずっと高校までは自宅から大体通学をする。ごく一部には受験高校にわざわざ入ってくるということもあるようでありますけれども、
大臣と私は、実は同じ高校でありまして、同じ地域でございまして、したがって選挙でぶつかったこともございますが、一般的には、これは当たり前のことなんですね。
そして、
大学の入試が実質一本であったためにさまざまな問題を生んできたというふうに思うのです。しかも、一発でやっているにもかかわらず、
偏差値の高い方が勉強ができるような幻想が
社会的にでき上がってしまった。これは
文部省だけの責任じゃない。私は、
偏差値が
大学の重要な要素であると思うけれども、これをゼロだとは言いません、しかし、大体、
偏差値だけで受験
指導がされるみたいなことは全くおかしいではないか、それぞれの
大学に特徴があり、それはどうだということは全然告知もされていないじゃないかということで、そういう作業も民間においてやってきたわけです。
ここで、翻って見ますと、戦前は、偶然かもしれないけれども、複線化がされて、確かにいわゆる帝国主義的な
教育も行われ、帝国主義的なイメージもずっと最後まで来たけれども、例えば
東北大学のように、極めてリベラルに、複線的に
生徒をすくい上げていく。
例えば、私は、一橋
大学の経済
学部の方が
東大経済
学部より
学問的なレベルはずっと先へ進んでいると言ったことがありますが、前から
学問オリエンテッドなんですね、東京商大の方は。
東京大学経済
学部の方は、これは
法学部から派生してきた。
帝国大学の経済
学部というのは、
法学部から派生しておりますから、
法学部に常にコンプレックスを持っているという
格好になっているわけであります。また
学問オリエンテッドであるとは限らない。官僚をつくるんだというのと、どうもはっきりしない。大蔵省というのは、経済を取り扱っているんだけれども、どうも
法学部が多い。経済
学部から行くべきじゃないかというふうなのが普通出てもいいが、そういったようなことが、いわば旧帝大の経済
学部はスタートの時点からあいまいになりまして、
教授等でも、東京商大、一橋等は、
かなり研究オリエントでやってきた。これは、結果的にいい面だったというふうに思うのであります。
ところが、戦後これは一本化いたしました。ですから、
東大と一橋には、そのようないわば特徴の差がもとからあったにもかかわらず、
東大も一橋も同じ日に試験をして、
法律的には同じ立場なんだということになれば、それは
東大の方が偉くなりますね、はっきり言いまして。こっちは総合
大学である、先輩も多いというようなことで。
教授は一橋の方がいいのかもしれないけれどもと、だれか、
明治の
教授がそんなことを言っているけれども、そんなことよりも、
大学としての力というのは、卒業した場合にもそうしたバックグラウンドとしてはやはり
東大の方がいいんだろうというふうに、本人も思うかもしれないし、何よりも父兄が思ったりする、あるいは予備校の先生が思ったりする、高校の先生が思って、そちらの方が権威があるというふうな
格好で、
東大と一橋の特色というものが
制度によって非常に薄められていったと私は思うわけであります。
それでも一橋は頑張ってきたと思いますが、一橋ともともと姉妹校でありました東京外国語
大学の場合には、今はなくなりました一期校、二期校という分け方がされることによって、一と二ですから、当然これは二の方がよくないという話にどうしてもなります。公式にはだれも言いませんけれども、非公式にはだれもが言っているという話になってしまう。一期校で落っこった場合二期校を受けるという形になってくる。これはもう
制度上の
差別化であったわけであります。もともとそういう差別というのはないものだというふうに思っているのですね。
ですから、これでまた
質問に戻りますけれども、今度、
大学院大学ができる。まあ、できるというか
四つ目でありますけれども、既にこれまで三つある。それは
大学院だけの
大学である。先ほど申し上げたように、当初から、
明治時代から、
大学と
セットになった
大学院というのは
日本に
あった。ここの整理をしないままどんどん進行させるのはいかがなものか。
この
政策研究大学院大学の中身自体には、私は高い
評価を与えたいと思っております。この
分野が非常に足りないんだ。理系の、あるいは工系の
大学院研究というのは非常にイメージが明確になりますけれども、文系の場合には不明確であります。しかも、中身を見ますと
——私は同時に今立法府の議員でありますが、お聞きになられております諸先生も立法府の議員であり、我々はここで政策を与野党で戦わせているわけであります。時には与野党ともに同じ政策を目指していることがある。あるいは
一つの党の中で違う政策を言っている
人たちがいる。そういったさまざまの葛藤の中で、ある政策が
一つの
実現されるものとして決定される。この決定過程は一体どうなっているのか。これは非常に重要なことであって、実は
法学の方でも、立
法学というのは重要な
分野だと言われながら、できてはつぶれ、できてはつぶれしている。
それから、
日本の政治に対する世界の
評価というのも、例えばコロンビア
大学のジェラルド・カーチス氏がいろんなことをおっしゃっているけれども、彼はもともと人類学者、私も人類学者、私は、
日本人であり、学者であり、なおかつ立法府の中から見た場合に、そんな表面的なことを言われても何にもならないですよ。我々もこちらの政策の方が正しいとわかっている、しかしそれがとられないことがある。なぜそうなるのかといった立法過程、あるいは政策決定過程、さらに言えば価値判断過程、あるいは価値
実現過程の諸問題というのが実は全世界で最も
研究がおくれている。ですから、いいのがあるのにとらない、そうすると、その議員がサボっているからだ、こんな単純な批評がたくさんありますけれども、それはそうではないのですね。そういった点で、実は、ここの科学的な
研究が世界の
学問で一番重要であり、かつおくれているところだと言ってもいい。
そういうことに着目をされたのだろうと思いますけれども、
政策研究大学院大学というのをつくられるのは非常にいいことだ。中身がよければというふうに思っているのですが、もう一度戻りますけれども、それならば、これは政策
研究大学院と称してもいいのではないか。
大学院の後ろに
大学をつけたら、また
大学の
附属物ではないですかということになる。
長いお話をいたしまして、ちょっと
大学教授時代の講義の口調に戻ってしまって恐縮でございますが、
質問を切りますと先に予定の
質問を答えられちゃうものですから先に申し上げておきますけれども、結局、それはどうなされるつもりなのか。
大学院でいいのじゃないか。
それで、
差別化、
序列化は
文部省がしているのじゃないとおっしゃる。それはそれでいいと思います。それは私どもも、
学部に設置されている
東京大学大学院の方が政策
研究大学院よりも上なんだというふうなことは、一般的にそう思わせないように、実際、実質そうじゃないように協力していきたいと思います。
しかし、
大学院大学というのはおかしいのじゃないですか。
大学院でいいということはないのですか。相対的に独立したというけれども、相対的に独立したとはどういう
意味ですか。絶対的に独立してもいいのじゃないですか。分かれれば。つまり、どこの
大学を卒業してもこの
大学院に入れるのですね。ならば
大学ということはないじゃないですか。おわかりでしょうか。
その辺のことを、長い歴史を踏まえまして、結論をぜひともお聞かせいただきたいと思います。