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1997-02-26 第140回国会 衆議院 文教委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年二月二十六日(水曜日)     午前九時二分開議 出席委員   委員長 二田 孝治君    理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君    理事 栗原 裕康君 理事 田中眞紀子君    理事 佐藤 茂樹君 理事 藤村  修君    理事 石井 郁子君       栗本慎一郎君    佐田玄一郎君       阪上 善秀君    島村 宜伸君       新藤 義孝君    戸井田 徹君       中山 成彬君    能勢 和子君       山口 泰明君    井上 義久君       池坊 保子君    旭道山和泰君       西  博義君    西岡 武夫君       三沢  淳君    鳩山 邦夫君       肥田美代子君    山原健二郎君       保坂 展人君    粟屋 敏信君       岩永 峯一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 小杉  隆君  出席政府委員         文部政務次官  佐田玄一郎君         文部大臣官房長 佐藤 禎一君         文部大臣官房総         務審議官    富岡 賢治君         文部省初等中等         教育局長    辻村 哲夫君         文部省高等教育         局長      雨宮  忠君         文部省学術国際         局長      林田 英樹君  委員外出席者         厚生省薬務局企         画課長     吉武 民樹君         文教委員会調査         室長      岡村  豊君     ————————————— 委員の異動 二月二十六日  辞任         補欠選任   栗本慎一郎君     新藤 義孝君   渡辺 博道君     能勢 和子君 同日  辞任         補欠選任   新藤 義孝君     栗本慎一郎君   能勢 和子君     渡辺 博道君     ————————————— 二月二十一日  小中高三十人学級早期実現障害児教育の充  実、私学助成大幅増額に関する請願富田茂  之君紹介)(第一七三号)  豊かな私学教育実現を求めるための私学助成  に関する請願宮澤喜一紹介)(第一八九号  )  同(岸田文雄紹介)(第一九六号)  教育条件改善に関する請願谷畑孝紹介)  (第二〇七号)  同(谷畑孝紹介)(第二七〇号)  私学助成大幅増額に関する請願野中広務君  紹介)(第二四四号)  私学助成制度拡充強化に関する請願(桜井新  君紹介)(第二四五号)  三十人学級早期実現教育予算私学助成拡  充、教職員定数増に関する請願野中広務君紹  介)(第二四六号)  私学学費値上げ抑制教育研究条件の改  善、私学助成増額に関する請願(辻第一君紹介  )(第二四七号)  私学に対する公費助成大幅増額に関する請願  (西岡武夫紹介)(第二六九号)  小・中・高三十五人以下学級実現私学助成  の抜本的改善障害児教育充実に関する請願  (木島日出夫紹介)(第二九五号)  病院内学級訪問教育等充実、希望するすべ  ての生徒に対する高等部教育保障に関する請願  (木島日出夫紹介)(第二九六号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一四号)      ————◇—————
  2. 二田孝治

    ○二田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。粟本慎一郎君。
  3. 栗本慎一郎

    栗本委員 自由民主党の粟本慎一郎であります。よろしくお願いいたします。  国立学校設置法の一部を改正する法律案に関連いたしまして、まず、これは、国立学校といいましても、大学院を新たに設置しようということであります。また、大学院に対する社会的なニーズというものが非常に高まっているというふうに一般的に言われますけれども、元来大学院というのは、研究者を養成する、研究自身をも行うというのが基本であったかと思いますが、今日では専門的な知識を持った人材を養成するというふうにもうたわれているわけであります。  それは、例えば文部省高等教育局が出しておられます「進む大学改革 大学の新しい姿」というガイドパンフレットのようなものにもそのようなことが述べられている。これは、ぱっと聞きますと非常にいいことのようにも思うのでありますけれども、同時に日本学問研究、特に研究進展に対するさまざまな問題が今日あるんだという、いわば、私は、まだ現場を持っておりますが、大学教授でもありましたので、その辺におきます、科学技術立国とか教育日本と言われながら、実は内情的に極めてお寒い、あるいはこれから先が思いやられるというふうな点が多々あるんだというふうに認識している者であります。その点から言うと、大学院が数がふえるのは非常にいいことであるけれども、同時にその多様なニーズを引き受けていくことも非常にいいことであるけれども、それが今後の日本大学及び大学院及びそこに基礎を置きます学問研究発展にとっていい形であるのかどうか、かなりの疑問も持っているところなのであります。  そのようなことから、まず今回の政策研究大学院大学自体の問題も触れたいと思いますが、その前に、日本における大学及び大学院というものがどのように展開をしてきたのか、またどのように今後文部省の立場としては指導といいますか、行政を進めていこうとされているか、その辺についてまずお聞きしたいと思うのであります。  さらに先立ちまして、少し歴史的事実を踏まえておきたいと思うのでありますけれども、歴史的事実の細かいところに入ります前に、文部大臣から、今申し上げましたことをもう一度ちょっと繰り返しますけれども、大学院がふえればいいのか、あるいは多様なニーズに対応するという形であるんだけれども、それでもちろん一見いいんだけれども、それでいいのか。  具体的には、頭にお入れいただきたいのは、東京大学なら東京大学学部大学院があります。これは、国立大学の一般の国民から見て一番わかりやすい、見やすい形として、東京大学があり、学部があり、法学部があり、法学静大学院があるという格好になっている。このたび問題にたまたまなります政策研究大学院大学というのは、こ れは埼玉大学にあったものを発展転化するといいますけれども、これは大学院だけの大学大学院だけの大学というのが、ここにもう既に問題あります。  大学院というものは大学院なのか、大学附属物なのか、あるいは発展した一部の高等教育機関大学には附置研と呼ばれるものがありまして、東北大学なら東北大学の中に金属研究所学部を持たないあるいは学部に直接所属しない研究所、そこにも教授がいる。こういったようにある意味多様化されているんですが、逆に言うとわかりにくい。それは一体どういうことなのか、どういうものとしてこれはお考えになっているのか、その辺を、大学大学院の一般的な関係につきまして御高見を賜りたいと思います。
  4. 小杉隆

    小杉国務大臣 我が国が国際社会の中で発展していく場合には、やはり独創的な学術研究というものが必要であり、またそれを担当する高度な専門的能力を有する人材養成確保ということは非常に大事であって、そういう観点から、大学院役割というものは非常に大きいと考えております。  そうした背景を踏まえて、大学審議会昭和六十三年に「大学院制度弾力化について」という答申を出しました。それ以来、数次にわたる大学院についての答申が行われまして、大学院整備充実に向けまして、いろいろな改革をしてきたわけでございます。文部省としても、こうした答申を踏まえて、先端的、学際的分野を中心に、研究科整備充実とか、最先端の教育研究を推進するための予算措置等を講じているところであって、今後とも、質、量、両面にわたる大学院の一層の充実が必要だと考えております。  最近は、学問分野の特性とかあるいは社会的なニーズに対応して、既存の大学充実あるいは大学院整備充実とあわせまして、やはり学部から独立した大学院あるいは研究科整備というようなことで、多様な大学院の形態というものが必要ではないか、そう考えております。
  5. 雨宮忠

    雨宮政府委員 学部大学院につきましての、どういう関係にあったかということについてのお尋ねの今の補足させていただきたいわけでございますが、学部大学院との関係につきまして、戦前いろいろな経緯があったわけでございます。一番のポイントは、やはり戦後いわゆる六・三・三・四制ができましたときに大学院目的というものをきちっと規定いたしまして、すなわち大学には、「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与することを目的とする。」そういう大学院を置くことができるということを明記したということでございまして、すなわち、学部との対比におきまして、大学院というのは、大学という全体のシステムの中で、学部とは異なった独自の地位と使命を持つ制度ということで規定づけられたという点が一番大きな点であろうかと思います。  その後、大学院だけの設置基準というものが昭和四十九年にでき上がってきたわけでございますが、戦前から戦後にかけまして、非常に大ざっぱなくくり方でございますけれども、やはり学部と相対的に独立なものというような制度づけがなされてまいったというようなことが、非常に概括的なことではございますが、言えようかと思うわけでございます。
  6. 栗本慎一郎

    栗本委員 高等局長からも懇切なる御答弁をいただきまして、ありがとうございますが、質問通告をしてあったからとはいえ、質問する前にお答えいただくのは、ちょっと後で展開にいろいろ問題がございますので、そうしていただきたいと思います。  文部大臣の御答弁にあえてもう一回お聞きいたしますと、量、質とも充実している、非常にいいのですけれども、量は、低劣化しない限り多い方がいいと思いますけれども、質というので、違う質のものができている、こういうことなんですね。  ですから、形だけ見ても、学部があって大学院があるという、ごく一般的に、通念上これが普通かなと思われているような大学院と、それからこのたびのような、これは四つ目になりますけれども、大学院だけの大学院というのがある。それから総合大学の中にも、学部と接続しない大学院というのがある、同じ東大なら東大京大なら京大と言うのですけれども。これは非常に単純な言い方をしますとわかりにくいし、あるいは何もわかりやすくすればいいということじゃありませんけれども、それで一体いいのか。——この趣旨をもう少し推し進めて御質問いたしますと、実はそれは大学院というジャンルの中の差別化序列化というのができてくる可能性があるし、現実にはできているのだということを御認識いただきたい。上下の問題ではないと思うのですが、上下の問題になっていってしまう。だからこそ改めて私は——大学院設置基準、一応あるということで既にお答えいただいて、何か非常に難しいことおっしゃいましたね。何かよくわからなかったです、私も、大学教授としても。  だけれども、つづめれば本当は研究者を養成していく。六・三・三・四制の四のうちの二は教養課程だと一般的に言われていて、二年間で専門的な研究をするのは難しい。そこで、工学部等においては、現実の問題として、社会企業が引き受けるのでも、工学部四年では使えない、だから修士を二年やってきてくれというふうな、これはある意味では高等職業教育役割工学部修士課程が担っているという格好に今なっているわけですけれども、そういうものなのか。それとも、もちろん企業が今日研究者を養成しておりますけれども、やはり大学研究の基盤であるべきだというふうに私は思っているわけであります。そうすれば、研究者を養成していくということは大学院に性格上依存しなきゃいけないわけです。この辺の整理が実はまだまだ不十分なんだと思っておりますので、もう一度、いろいろ多様なものができるのはいいことだけれども、多様になると序列化が起きてきます。そして現実に、既に実はあるのですよと私は指摘を申し上げたい。  例えば、法学部等で、東京大学京都大学等のいわゆる偏差値が高く権威が高いと言われている大学法学部教授は、大学院教授なんですよ。大学院教授学部に来て教えているという格好をとっている。格好をとっているかどうかは学生は知らないのですけれども、名刺京都大学教授じゃなく、京都大学大学院教授と書けというふうに指導しているということを京大教授から聞いたことがあります。そう言うと、そんな指導をしたことはないと局長おっしゃるかもしれませんが、その人は、印刷した名刺を私に渡しながら、照れくさそうに、こういうふうに書きたくないんだけれども書けと言われているからと。また正式には大学院教授なんですね。これは、そうじゃないところは、うちの法学部もぜひ、あるいは法文学部となっているところは、法学部と文学部に分けたいし、ぜひとも大学院教授というふうに名刺に刷りたいと思う世俗的な人もいないわけではない。  既に序列化差別化が始まっているわけでありますが、そのようなことを含めまして、もう一度、多様であればいいというところにもう一つ問題があるのじゃないかということをお聞き申し上げたいと思います。
  7. 小杉隆

    小杉国務大臣 従来から、大学学部があって、その上に大学院という形に適する分野と、それから従来のそういう縦割りといいますか、例えば人文・社会科学系あるいは自然科学系というふうに分けて、そしてその上に、学部の上に大学院が乗っかる、こういう形は一つあったと思います。  特に、今御指摘のように、自然科学系は、企業などの要請もありますし、社会的なニーズもあって、技術系あるいは自然科学系大学院というのはかなり数もふえてまいりましたし、学生も多くなっているわけです。しかし、最近非常に社会複雑化、高度化してまいりましたし、また新しい分野、例えば環境問題とかあるいはエネルギー問題なんかを考えますと、必ずしもきちっきちっと 分けられない、相当自然科学社会科学とが融合した分野が出てまいりましたので、余り従来のような縦割り学部にとらわれない総合的なそういう研究ができる大学院必要性というのはふえてきたと思うのですね。  序列化とか差別化というのは、我々は別にそれを目指しているわけじゃなくて、結果的にそうなっている部分はあると思いますが、私たちはむしろ、それぞれの大学院がさらに充実して、お互いに競争して、できるだけいい研究ができる、できるだけいい人材を育てることができる、そういう体制をつくるのが望ましいと思います。  詳細については、また局長からお答えさせます。
  8. 雨宮忠

    雨宮政府委員 委員指摘の点には二つの点が含まれているように思うわけでございます。  一つは、大学院目的多様化ということでございまして、御案内のように、明治十九年に帝国大学ができた時代大学院と申しますのは、いわゆる研究者養成ということに非常に限定されていたというように言ってよろしいかと思うわけでございまして、そのときの大学院目的につきましても、学術技芸のうんのうを考究するという言い方でございました。  ところが、次第次第に学術水準向上あるいは大学進学率向上等々の事情によりまして、大学院に期待される社会的な要請と申しますか、非常に多様化してきたということが言えるのではなかろうかと思うわけでございまして、今大臣の方からお答え申し上げましたように、さまざまな社会の抱えている問題について幅広く研究をしていくということ、あるいは単に研究者養成ということにとどまらずに高度の職業人を養成するという、非常に平たく申しますと、普通のサラリーマンの方でも非常に高度な能力を持った方を養成する、これもまた大学院目的としてあってしかるべきではないかという考え方があるわけでございまして、そういう考え方に従いまして、大学院目的自体もそういうような幅広い目的も包含するように制度的な裏づけも広げてきた、こういう経緯一つあるわけでございます。  それからもう一つ委員の御指摘の二番目の点でございますけれども、大学院重点化ということに関連してでございます。  現在、大学院、国公私合わせまして約十六万人の在学者がございまして、毎年一万人ぐらいずつふえてきているわけでございます。この大学院、すべてそれぞれ発展を期待いたしたいわけでございますけれども、その中で特に、さまざまな意味合いで教育研究水準のすぐれたものにつきましては重点的に投資をし、その発展をさらに期すというようなことで大学院重点化ということもあわせて進めているわけでございまして、これにつきましては、毎年毎年の予算措置等を講じまして、それぞれの大学院の擁しております教育研究能力に応じた予算措置を講じていく、こういう努力をいたしておるところでございます。
  9. 栗本慎一郎

    栗本委員 重ねてお願いを申し上げますが、質問趣旨を先取りして、四十五分を有効に使わそうというあれかもしれませんけれども、先にお答えいただかないように。  それで、今、大学院というのは幅広い目的、二十代前半とはおっしゃられませんでしたが、のためにあるのだというのは実は問題があります。そこについては後でお聞きしたいと思っているのですが。  その前に、実は日本では大学院というのは一体いつごろからできているのか、及び大学の方です。大学の方は、大学令というのは一体いつできて、こちらも仕方がございません、少し早まって申し上げますけれども、大学令は、お聞きしようと思ったのですが知っているから言ってしまいますが、大正七年にできているわけです。ところが、言うまでもなく明治時代から大学というのは存在しているわけでありまして、またお答えに先立って私も言ってしまいますが、大学院も最初からあるわけでございます。大学令のある前から大学があって、大学院令というのはしたがって、このぐらいはお答えいただかないと、いつごろできたかということをちょっと御質問しておきます、よろしいですね。大学院についてだけの大学院令といっても一体いつごろできたのか。  ですから、先にもう申し上げてしまいますと、大学令のある前の大学というのは一体何だったのだ、大学院令に当たるものが確立する前の大学院というのは一体何だったのだ、その辺のところをお答えいただきたい。つづめて二、三問一緒にいたしましたので、二、三問一緒にお答えいただきたいと思います。
  10. 雨宮忠

    雨宮政府委員 大学院につきましては、明治十九年に帝国大学令というものがございまして、それによって始まったということでございます。この際の大学院につきましては、例えば法律分野におきましては法科大学、あるいは工学系でいきますと工科大学という、いわゆる分科大学というものが学部レベルでございまして、その上に大学院というものもくっついているというセットの話としてスタートしたわけでございます。  その後、大正七年の大学令の制定によりまして、これまで帝国大学だけということがさらに広がりまして、帝国大学のほかに公立、私立大学も設置し得るようになったわけでございますが、その際に、大学院分科大学というセットで成っておりました大学の構成にも変更が加えられまして、大学は数個の学部から成ることを常例として、かつ学部にはすべて研究科を置くこととされ、その研究科をくくるものとして大学院を置き得るものとされた、こういうことでございます。その後、昭和二十二年に六・三・三・四制というものができまして、大学院につきましての目的規定としまして現在の母体になっているような目的規定ができた、こういうような経緯でございます。
  11. 栗本慎一郎

    栗本委員 ようやくまとめてお答えいただいたのですが、さらに申し上げれば、帝国大学令ができる前から、明治二年から大学というものはあるわけなのですね。大学が先にあって、それから東京大学東京帝国大学、こういうふうに置かれていくという格好になる。  これを総括して申し上げますと、私は学者としての報告として、比較法史学会というところで報告をさせていただいたことがある。これは、特に法学部、広い意味法学校展開はどうであったのかということを、日本法学発展あるいは法律制度展開を検討する、そういうテーマを持った学会報告をしたことがあるのです。それは、「比較法史研究4」というところに載っております「近代日本社会法学校の成立」、そういうものなのですが、一言で申し上げますと、いわば制度が後からついてくる、先に実体ができてくる。それは別の言葉で言えば、ニーズがあったからできていくのだろう。私立大学というのはほとんど法学校を軸にして、法学部をさらに軸にして成立してくる。私のおりました明治大学もそうでありますし、多くのものがそうであります。慶応同志社だけが語学専門学校から展開をしていくという格好になる。  当初は、言うまでもなく専門学校は、語学法律だけではなくてあらゆるものがあった。音楽もありますし、今日の日本学部になっております分野はほとんど全部あった。ところが、これはニーズだと思うのですね。地方官を養成する、地方官に就職するというニーズといいますか、あるいはサプライといいますか、そういったものがあったために、私立でありながら法学校系のものがいわば生徒がたくさん来るという格好発展をしていくわけであります。慶応同志社は違いますけれども、これは調べますと、明治やその他に比べると財政的に非常に厳しいという中で、創立者がそれぞれ社会的にも大変信用その他もあった方々であったために、かなり無理をして頑張れたというところがあるわけであります。これはいわばニーズが育てた、制度が後からということなのですね。  その結果として、戦争までの日本学校制度というものは、結果として私は複線になったという ふうに考えている。もちろん、帝国大学というのが上にあって、上下ではないはずなのだけれども、横にといいましょうか、あえて上だか横だかに私立大学があって、けれども、私立大学は予科を通じて入っていく、旧制帝国大学旧制高校を通じて入っていくと。国のつくった大学であるけれども、商科大学、今日の一橋のようなところは高等商業学校を通じて入っていくというようなことであります。  帝国大学の中でも、東北大学は女性にも門戸を開いたり、小学校、旧制中学校旧制高校そして大学といういわばメーンのラインのほかに、こういった人たちからも、例えば師範学校に行った方からも入学資格があるようにした。非常にリベラルな体質を持っていた。それは東北大学のその後の学問発展に非常に大きく寄与したのだと、私は大学評論家ということもやっておりまして、そちらの方では、私は、これは個人の評価かもしれませんが、そういうふうに評価をしているわけなのです。これは本当は一本化しようと思っていたかもしれない、当時の文部省は。帝国大学に収れんするような道で、ほかに師範学校に行った人はそのまま師範学校に行ってくださいよ、帝国大学には来なくていいですよというふうに思っていたかどうかはわからないけれども、思っていたのではないだろうかと思われる節は多々ございますが、複線化していく。  そして、実は帝国大学に行くには、旧制高校という難関を突破することによって実質保証される。東大法学部最高学府であるか最高の目標であるかは別として、これで旧制高校卒業生が受けまして、大体二倍であります。いろいろあれがありますけれども、入試の率というのが二倍であります。京都大学法学部でいいと言いますと、大変失礼ですが、ほぼ一倍でありますから、旧制高校に入っていれば、後、ヘーゲルを読んでいようとマルクスにかぶれていようと、行ける。ですから、旧制高校の青春というのは、もう入試なんかなくなっているというところであるんだというのが実は非常に大きな要因だと、それは私は高く評価をしているわけであります。だから、入試がある意味で二度あるわけですね。大学であり、旧制高校であり、一般的には旧制高校であるけれども、東北大学へ行こう、あるいは今日の一橋大学へ行こうという場合には、別の路線からも通っていけるという格好になっている。  途中で申し上げますけれども、今日問題になっております大学入試センター試験、私は二度でも三度でもやるというふうに変えていった方がいいのではないかと思う。そして、そのうちのいいものをもって、あるいは平均をもって大学に。これはアメリカの制度であります。大学自体はその入試を行いません、基本的には。また教授が入試にタッチいたしません。入試監督局というのがあって、それは大学の中で大変高い地位を持っているのですけれども、総合的に評価をして、ハーバードでもスタンフォードでも入学者を決めていくわけであります。時には、アメリカが非常に進んでいて、アジアの諸国が経済的に非常におくれている場合には、日本なら日本に特別枠というのがあって、日本から三人入れようと、成績がちょっと悪くても入れようみたいなことをすることも許されるし、これは私立大学でありますからいいと思うのですけれども。  二度三度の入試をすることによって、また公平な形をとることによって——日本のように、大体風邪のはやっている季節に入試をやっているのは世界で、先進国では日本だけと言うと、やっている国がうちは先進国ではないのかと言われるので、ほぼ、大体と言っておきますけれども、であります。大体、五月とか流感のない季節にやるのがいいわけだし、二度あれば、あるいは三度あれば落ち着いて勉強もできるし、またはクラブ活動やボランティア活動にも積極的に参加できる。一発試験であるから。これは戦後の大学制度は全部そうであります。ずっと高校までは自宅から大体通学をする。ごく一部には受験高校にわざわざ入ってくるということもあるようでありますけれども、大臣と私は、実は同じ高校でありまして、同じ地域でございまして、したがって選挙でぶつかったこともございますが、一般的には、これは当たり前のことなんですね。  そして、大学の入試が実質一本であったためにさまざまな問題を生んできたというふうに思うのです。しかも、一発でやっているにもかかわらず、偏差値の高い方が勉強ができるような幻想が社会的にでき上がってしまった。これは文部省だけの責任じゃない。私は、偏差値大学の重要な要素であると思うけれども、これをゼロだとは言いません、しかし、大体、偏差値だけで受験指導がされるみたいなことは全くおかしいではないか、それぞれの大学に特徴があり、それはどうだということは全然告知もされていないじゃないかということで、そういう作業も民間においてやってきたわけです。  ここで、翻って見ますと、戦前は、偶然かもしれないけれども、複線化がされて、確かにいわゆる帝国主義的な教育も行われ、帝国主義的なイメージもずっと最後まで来たけれども、例えば東北大学のように、極めてリベラルに、複線的に生徒をすくい上げていく。  例えば、私は、一橋大学の経済学部の方が東大経済学部より学問的なレベルはずっと先へ進んでいると言ったことがありますが、前から学問オリエンテッドなんですね、東京商大の方は。東京大学経済学部の方は、これは法学部から派生してきた。帝国大学の経済学部というのは、法学部から派生しておりますから、法学部に常にコンプレックスを持っているという格好になっているわけであります。また学問オリエンテッドであるとは限らない。官僚をつくるんだというのと、どうもはっきりしない。大蔵省というのは、経済を取り扱っているんだけれども、どうも法学部が多い。経済学部から行くべきじゃないかというふうなのが普通出てもいいが、そういったようなことが、いわば旧帝大の経済学部はスタートの時点からあいまいになりまして、教授等でも、東京商大、一橋等は、かなり研究オリエントでやってきた。これは、結果的にいい面だったというふうに思うのであります。  ところが、戦後これは一本化いたしました。ですから、東大と一橋には、そのようないわば特徴の差がもとからあったにもかかわらず、東大も一橋も同じ日に試験をして、法律的には同じ立場なんだということになれば、それは東大の方が偉くなりますね、はっきり言いまして。こっちは総合大学である、先輩も多いというようなことで。教授は一橋の方がいいのかもしれないけれどもと、だれか、明治教授がそんなことを言っているけれども、そんなことよりも、大学としての力というのは、卒業した場合にもそうしたバックグラウンドとしてはやはり東大の方がいいんだろうというふうに、本人も思うかもしれないし、何よりも父兄が思ったりする、あるいは予備校の先生が思ったりする、高校の先生が思って、そちらの方が権威があるというふうな格好で、東大と一橋の特色というものが制度によって非常に薄められていったと私は思うわけであります。  それでも一橋は頑張ってきたと思いますが、一橋ともともと姉妹校でありました東京外国語大学の場合には、今はなくなりました一期校、二期校という分け方がされることによって、一と二ですから、当然これは二の方がよくないという話にどうしてもなります。公式にはだれも言いませんけれども、非公式にはだれもが言っているという話になってしまう。一期校で落っこった場合二期校を受けるという形になってくる。これはもう制度上の差別化であったわけであります。もともとそういう差別というのはないものだというふうに思っているのですね。  ですから、これでまた質問に戻りますけれども、今度、大学院大学ができる。まあ、できるというか四つ目でありますけれども、既にこれまで三つある。それは大学院だけの大学である。先ほど申し上げたように、当初から、明治時代から、大学セットになった大学院というのは日本に あった。ここの整理をしないままどんどん進行させるのはいかがなものか。  この政策研究大学院大学の中身自体には、私は高い評価を与えたいと思っております。この分野が非常に足りないんだ。理系の、あるいは工系の大学院研究というのは非常にイメージが明確になりますけれども、文系の場合には不明確であります。しかも、中身を見ますと——私は同時に今立法府の議員でありますが、お聞きになられております諸先生も立法府の議員であり、我々はここで政策を与野党で戦わせているわけであります。時には与野党ともに同じ政策を目指していることがある。あるいは一つの党の中で違う政策を言っている人たちがいる。そういったさまざまの葛藤の中で、ある政策が一つ実現されるものとして決定される。この決定過程は一体どうなっているのか。これは非常に重要なことであって、実は法学の方でも、立法学というのは重要な分野だと言われながら、できてはつぶれ、できてはつぶれしている。  それから、日本の政治に対する世界の評価というのも、例えばコロンビア大学のジェラルド・カーチス氏がいろんなことをおっしゃっているけれども、彼はもともと人類学者、私も人類学者、私は、日本人であり、学者であり、なおかつ立法府の中から見た場合に、そんな表面的なことを言われても何にもならないですよ。我々もこちらの政策の方が正しいとわかっている、しかしそれがとられないことがある。なぜそうなるのかといった立法過程、あるいは政策決定過程、さらに言えば価値判断過程、あるいは価値実現過程の諸問題というのが実は全世界で最も研究がおくれている。ですから、いいのがあるのにとらない、そうすると、その議員がサボっているからだ、こんな単純な批評がたくさんありますけれども、それはそうではないのですね。そういった点で、実は、ここの科学的な研究が世界の学問で一番重要であり、かつおくれているところだと言ってもいい。  そういうことに着目をされたのだろうと思いますけれども、政策研究大学院大学というのをつくられるのは非常にいいことだ。中身がよければというふうに思っているのですが、もう一度戻りますけれども、それならば、これは政策研究大学院と称してもいいのではないか。大学院の後ろに大学をつけたら、また大学附属物ではないですかということになる。  長いお話をいたしまして、ちょっと大学教授時代の講義の口調に戻ってしまって恐縮でございますが、質問を切りますと先に予定の質問を答えられちゃうものですから先に申し上げておきますけれども、結局、それはどうなされるつもりなのか。大学院でいいのじゃないか。  それで、差別化序列化文部省がしているのじゃないとおっしゃる。それはそれでいいと思います。それは私どもも、学部に設置されている東京大学大学院の方が政策研究大学院よりも上なんだというふうなことは、一般的にそう思わせないように、実際、実質そうじゃないように協力していきたいと思います。  しかし、大学院大学というのはおかしいのじゃないですか。大学院でいいということはないのですか。相対的に独立したというけれども、相対的に独立したとはどういう意味ですか。絶対的に独立してもいいのじゃないですか。分かれれば。つまり、どこの大学を卒業してもこの大学院に入れるのですね。ならば大学ということはないじゃないですか。おわかりでしょうか。  その辺のことを、長い歴史を踏まえまして、結論をぜひともお聞かせいただきたいと思います。
  12. 雨宮忠

    雨宮政府委員 学校制度の立て方といたしましては、今先生御指摘のように、現在の幼、小、中、高、大、それとは別に大学院という立て方も理論的にはもちろん可能であるわけでございます。  現在の学校教育法の立て方と申しますのは、まだそこまでにはまいりませんで、大学という大きいシステムの中に学部もあったり、あるいは大学院を置くところは大学院をも包摂する、こういう仕方になっておりまして、大学という大きなシステムの中に大学院がある、こういう立て方になっておるわけでございます。  将来どういうことに相なるか、これはまた別問題でございますけれども、現在はそういうことになっておって、また、そういうことのために、大学院だけを有する、学部レベルを持たない大学院につきましても大学院大学という名前を称して、これまで二つの例、御指摘にございましたけれども、すべてそういう名前で、北陸先端科学技術大学院大学というような例に見られますように、大学院だけを持つものでありましても、一応大学というものを付して大学院大学、こう称しておるわけでございます。
  13. 栗本慎一郎

    栗本委員 現在は大学の範疇の中に入っている。これは明快なお答えでいいと思います。  私は、これは局長のお答えでなく大臣の御見解になるのかもしれませんけれども、それは変えていっていただきたい。大学院は独立させていただきたい。そしてまた、研究者の養成、研究をする場所にしていただきたい。そうすると、高等教育局長の、支配下と言うとおかしいが、管理下に入らない、教育じゃないかもしれないのですが。  実は、以前、植物学の泰斗と言われる牧野富太郎という方がおられまして、最終的に東京都立大学等で教授をされましたけれども、今日、大学大学教授をやろうというのは、資格はないわけですね。資格がない。まあ大学が揺ればいいのですけれども、しかし、そのとき資格がどうこうといろいろおっしゃられるのは大体文部省なんです。  研究者というのは、例えば高等学校の教育をたまたま、さまざまな問題で中退をして、高校は卒業していないというふうな方であっても、その分野研究が世界的であれば、世界的な研究をしている教授なんてごくわずかなんです、であれば、採ってもいいと私は思う。それでいいのだ。その方が例えば高校を出てないから人格云々ということではなく、私も大学教授をやっておりましたけれども、学生より人格円満であって全人的教育大学でしろなんて言われても、全然できない、それは。スポーツはうちの学生の方ができるし、下町の風俗産業のことについては学生にはるかにかなわないし、多少努力してもだめだし、マージャンをやっても負けるし、それでいいではないですか。しかし、自分の分野、法社会学においては学生に教えることはできます。変なことを教えてはいけないけれども、その限定されているものでいいんだと。  現実にはそういう限定はありませんで、非常にあいまいな形で、大学教授教育者なのか研究者なのかよくわからない。大学教授が恋をしただけで怒られたりする。私は非常におかしなことだと思う。国立大学教授が外国に恋人を連れていったら、新聞が何て書いたかというと、税金で彼女を連れていったと。国立大学教授でありますから給料は国からいただいている。それで恋をしようと、そのとき喫茶店代を払おうとホテル代を払おうと、それを税金だという言い方はないだろうと私は言ったことがあるわけですけれども。  この問題が象徴しておりますのは、大学教授でさえも、自分の分野について責任を持ち、大学の運営を特段に乱すことがなければ人格の中身については問われないということであるべきだとずっと長年主張してまいりました。自分が人格に自信がないからでなく、自分は自信があるのですが、人格に自信のない友人もいましたので、そういうことを言っていた。ましてや大学院ということになった場合に、下から六・三・三・四、全部踏んできて、東大法学部がそうなんですけれども、学部の成績がよければ研究者になれるのではないかというふうな原則を持っているのはおかしい。大学を出てなくても大学院には入れる。ましてや単独の大学院であればそういうふうにすべきである。そういう意味で、切り離すべきだ。  だから、大学院は独自の基準を持って、大学までとは——私は、大学はそれは違うと思う。大学に来た人間は全員研究者になるわけではない。むしろ研究者になるのはごくわずかであって、その 道を閉ざしてはならないというだけであって、現実にはほとんど閉ざしているような大学が多いのですけれども、大学院というのは完全に独立させるべきではないか。それが東大の校内に今ある。つまり、高校を卒業してなくても研究者になれる、その分野について人に教えることができるというのが当然であると同時に、高校や大学を卒業していてはいけないということも逆に言えないんだから、大学を卒業した人が来てもいい。  ですから、今、大学院の飛び級、二年、三年時から、ということは、四年の課程を修了しないで入れるというのが慶応義塾大学等で一応制度化されているのですけれども、私は正しいと思うけれども、現実にはほとんど飛び級させない、しない。裏でできるだけ引っ張って、もう十年、四年をやった方がいいよと、まるで研究者は人格円満でなければいけないというふうなことを言っているわけであります。繰り返しますが、人格は問われない。犯罪を起こしたりしたら、そういう意味ではもちろん問うわけですけれども。  私は、だから、小学校の先生の方が大学の先生より難しいんだ、そういう意味上下というのは逆にないんだ。大学内部でいつでも、実は教養課程を教える方が専門課程を教えるより難しい、非常に難しい。私も専門課程の法学、法社会学を教えていて、教養課程法学に当たったときは非常に勉強いたしました。つまり、自分の説だけを正しいと言って相手を批判してはいけない。その批判されているものの方が多数派であったりする場合もあるわけで、それは一応教えて、最後に、今まで教えたのはみんなうそだった、私は間違っていると思うという講義をしたこともある。しかし定説はここまでだというような。ですから、職業としては、私は、教養課程あるいは高校、中学、小学校の先生の方が研究者よりも非常に高度である面が多々あると思っている。  このことを踏まえまして、もう時間がありませんのでもう一度お聞きいたしますけれども、今日では大学セットされている。それから、研究者養成だけではなく、ほかのニーズを広げていくというのもいい。しかし、それでは研究者養成は一体どこでやるんだ、制度としては。牧野富太郎さんのように、山野を歩いて自分で研究される、それはすばらしいことだと思う。しかしそれは、本当に特定の、努力のできるすばらしい才能があって可能なことであって、国としては、教育制度としては、それを制度の中でも育てていけるようにするべきなのであって、それには大学院というものがやはり基幹の制度になる。その点で、この大学院にも専門能力を有する人材の養成についてというのは私はおかしいのじゃないかと思う。もしそうするなら、そういうことを言うならば、今度はアメリカのように、企業に十年いて経営学の大学院に入る、それが普通だというふうに制度を変えていくべきだ。そうすると、東大にありますよとか言いそうですが、そういうちょっと弁解めいた制度があちこちにあるだけで、制度としては、全体としてはきちんとしてないと思うのです。  現在では専門能力を有する人材の養成というのは大学院からはむしろ外して、大学院を、制度としてはこれしかまずないのですから、研究者養成制度として、国としてきちんとすべきじゃないか、その一環としてこういう大学院だけの大学院大学というのはあるべきなのじゃないかと思いますけれども、それについてお答えを賜りたいと思います。
  14. 雨宮忠

    雨宮政府委員 現在、大学院に対します要請というものは非常に多様なものがあるということでございまして、また、その多様な要請というのは学問分野によりまして必ずしも一致しているわけではないわけでございます。  例えば、先生御案内のように、工学部ということを考えてみますと、工学部を出た人のかなりの多くの部分は修士まで進むわけでございまして、これはほかの学部あるいは大学院との関係と若干異なった様相があるわけでございます。むしろ普通のエンジニアになるために修士まで進むということがかなり当たり前のことになっているわけでございますが、ほかの学問分野では必ずしもそうではない、そういう異なった様相があるわけでございます。  制度の立て方といたしまして、大学院というものはこれでなければならない、例えば研究者養成のみでなければならないというのはやはり狭過ぎるのではないか。学部段階の教育を終えて、さらにその専門的な知識を深め、能力を高めるということのために、ある一つ目的だけのために限定するということではなくて、それも含めて、さらに別の高度の職業人能力の養成というような一般的な目的を果たすということのためにも、やはり大学院というのは十分存在意義があるというように考えておるわけでございます。  そういうことで、現在の大学院は多様な制度のもとで多様な発展を遂げつつあるというように考えておりますし、また、その方向がやはり適切ではなかろうかと考えておるところでございます。
  15. 栗本慎一郎

    栗本委員 最後に、全く意味が違いましたので真っ向から反論をしておきますが、それは大学院と言うべきでない。そういうものは社会的に必要かもしれない、高度な専門知識を有する人材を養成するのは。しかし、他方で、もう一点から言っておきますけれども、きちんと研究者を養成する、研究社会に根づかせていく、それをまた大学学部教育にも反映させていくという意味大学院大学院でしかできないのです、ここでしかできない、ほかではできないのです。その点が非常に弱いと言われているのです、世界的に。そういうお考えで進めると、ますますそれを弱くしてしまうのじゃないか。  私は、この政策研究大学院大学は、したがって、そういう意味では中身を薄めずにきちんと、研究者を目指しても研究者になれない人はいる、それは結構です、そして国会議員になる、それでも結構であります、しかし、あくまでも研究者を養成する、研究を促進するということを真ん中から外してはならない。多様というふうに並列に並べないでいただきたいということをお願いして、質問を終わります。
  16. 二田孝治

    ○二田委員長 藤村修君。
  17. 藤村修

    ○藤村委員 新進党の藤村修でございます。  国立学校設置法の一部を改正する法律案が本委員会にかかっておりますので、この法案の中身につきまして御質問を申し上げたいと存じます。  まず、今もずっと話題になっております政策研究大学院大学ということがこの法案に入っておりまして、私どもも、大学院大学をつくっていく、こういう問題には非常に関心を持ち、注目をしております。と申しますのも、過去三年来、我々の方のグループでは、日本の高等教育のあり方では、特に国は大学院にもっと力を入れていくべきではなかろうか、こんな議論を新進党の中でもずっと続けておりました。  今回、文部省の今後の高等教育改革を考える視点としても、プログラムでも触れていらっしゃいますが、「大学において、関係自治体の長や地域産業の代表者、学界関係者等の外部有識者の意見を聴くなど、評価システムの充実を図る」、これは大学においてということですね。つまり、大学を、ある意味では少し地方に密着したものにしていくのだという趣旨であろうと思いますし、私たちはもう大分前から、大学はある意味では地方立にしていったらどうか、国の行政として、国立大学をいまだに全部全国に抱えてないといけないのか、こういう視点を持っております。  たまたま、今行政改革会議、これは橋本総理が会長をされておりまして、この三月に中間答申あたりが出るのでしょうか、その辺でも、文部省がいわゆる国立大学をずっと持ち続けるのかということは、一つ問いかけをされております。  ちょうどきょうの読売新聞がその調査をされて、国立大学の学校法人化、いわば民営化論議に直面する文部省も、基礎研究の非営利性や非採算性などを理由に、民営化に断固反対する姿勢を崩していないと。これは文部省当局でありますが、橋本行革会議の会長のもとにある閣僚の一員である小杉大臣は、一体この間とう調整されるのか。  つまり、今後とも国立大学は絶対に手放さない、そういうことなのか、それともやはり、行革会議で今煮詰められているように、今後国立大学を地方立化する、私たちは第三セクターという考え方も持っておりますが、そういう形で、むしろ文部省として大学院の方に重点を置いていく、そういうお考えがあるのかないのか、まずお聞きしたいと思います。
  18. 小杉隆

    小杉国務大臣 教育の場でも聖域は設けない、こういう総理の考え方でありまして、私たちも決して、例えば国立大学のあり方について一切検討しないという姿勢はとらない。しかし今、仮に国立大学を民営化した場合には、私は、学問分野とか地域的な偏りが出てきてしまうと思います。  現実に、今の状況を見ていますと、ほとんど私立大学というのは大都市周辺に集中しているわけですね、採算性という面から。そうすると地方へ進出する私立大学というのは皆無になってしまう。そういう面で、地域的なバランスということを考えた場合には、やはり国立大学の存在というのは非常に大きいと思います。  それから、学問分野で見ましても、例えば私学学生はほとんど文系あるいは社会科学系に集中しておりまして、国立大学は比較的理工系、医学系というものが多いわけでありまして、やはり東京とか大阪とか大都市周辺に理工系の学生ばかりが集まる。そういう、地域的にもあるいは学問分野的にも、バランスということを考えますと、これをすべて民営化してしまうということについては非常に問題がある、こう考えております。
  19. 藤村修

    ○藤村委員 つまり、断固反対するという姿勢ではない、こういうふうに理解したのですが。  ただ、すべて民営化すると私も言っておりませんで、これは順次、民営化していい、あるいは第三セクターにしていい。そういうところを、地方の拠点大学でも、国立て今後ともずっと持ってないといけないのかどうか、そこはやはり検討すべきだと思うのです。地方分権という考え方からしても、いわゆる教育は、教育委員会があって、地方分権なのです。ただ、大学は、これは国立で抱えております、全国を。この意味では、文部省が、人事とか予算をある意味では一元化して管理している。こういう状態は今後も続けるのかどうかという点でありまして、これは、今後議論をしていく必要があって、断固反対などとまず事務当局に言っていただかないように、大臣の方から御指示、御指導を願いたいと思います。  そこで、今回の政策研究大学院大学につきまして、この新設が盛り込まれております。これは、昭和五十二年に設立されております埼玉大学政策科学研究科、これは大学院レベルであります、を母体として、これは埼玉大学のパンフレットによりますと、スクラップ・アンド・ビルドによる新たな政策研究教育の中心的組織の設立を目指してずっときょうまで研究をされてきた、こういう経緯がございまして、そして、より高度の、卓越した研究拠点、センター・オブ・エクセレンスというのでしょうか、を構築する構想が今具体化をして法律で出されてきた、こういうふうに理解をしております。  そこで、まずこの埼玉大学政策科学研究科の実績をちょっと見させていただきますと、ここは修士課程だけでありますが、ここへは中央省庁の官僚が約三分の一以上、それから地方公共団体、特殊法人等の学生を含めますと、いわゆる大学院生、修士の九割以上が官僚で占められておりまして、まさに政策研究と政策企画能力を備えた行政官などの専門的職業人の養成、これは中にうたってありますので、が目的ということがはっきりしているわけでございます。  先ほど議論ございましたように、では、今度の大学院大学は、これは人材養成なのか、あるいは研究拠点なのか、この辺がちょっとあいまいでありまして、大学院目的は、先ほど高等教育局長に言っていただきました、「学術の理論及び応用を教授研究し、その深奥をきわめて、文化の進展に寄与」ということが書いてありまして、そういう観点からすると、いわゆる官療養成機関的な政策研究の単科でこれを大学院にしないといけないのか、この辺が一つ疑問点であります。  もう一点、一緒に聞いてしまいますと、政策研究分野については、特にアメリカとか欧米を中心に非常に活発な研究が進められておりますが、これらのところにおきますと、大体、これは制度の違いは確かにあるのですが、私立大学であります。資料をいただいた中では、フランスの国立行政学院というのが、これは行政機関の実務研修を中心にして、官療養成機関としてあるのです。これは、いわゆる大学院ではありませんけれども、研究所のような機関であります。  そうしますと、この政策研究大学院大学の特色を今後、先ほどの質問ともダブりますが、COE、研究を中心とするのか、あるいは研究者の養成を中心とするのか、あるいは官僚をここで養成していくのか、これはどっちに重点、力点があるのか、この二つの問いにお答え願いたいと思います。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
  20. 雨宮忠

    雨宮政府委員 先生御指摘のように、今度の政策研究大学院大学の、いわば母体をなしております埼玉大学政策科学研究科の入学者の内訳を見ますと、留学生のほかに、地方公共団体の職員あるいは中央省庁の職員が含まれておるわけでございます。  ただ、今度新しく構想いたしております政策研究大学院大学は、基本的にはその要素はもちろん継承するわけでございますけれども、やはり他大学関係学部の卒業者も含め、単にいわゆる先生のおっしゃるような意味合いでの官僚の養成所というようなことではございませんで、やはり政策科学の分野におきます研究を深めるということ、それから、もちろん研究を深めることと相まちまして、政策研究あるいは政策企画能力を十分有する人材の養成、それから関係分野研究者の養成、これらの幾つかの役割というものをあわせ持つものだ、こういうように構想しているものでございます。
  21. 藤村修

    ○藤村委員 埼玉大学の今の例をもう一度見ますと、専任の教官で、八割が国立大学の方々であります。うち七五%は東大卒の方です。さらに、中央官庁からも現役の官僚がいわゆる専任の教官としても相当多く派遣されている実績がございます。今回の政策研究大学院大学の構想も、割にこれに似たところは出てくるだろうと思うのですが、現実の政策課題に関する情報を効率的に収集することができる、これはやはり官僚組織は非常にそういうのにぴったりの組織だと思うのです。かつ、今回の大学院大学は霞が関にも支所を置く、こんな構想も中に入っております。となりますと、これはいわゆる政策研究なり現実の行政のあり方なり、非常にこの政策研究大学院大学というのは情報収集がしやすい、国立でありますし。  そうなると、先ほど大臣おっしゃった、多様な大学院があって競争して研究を進めればいい、これは建前だと思うのです。これはどうも、今回の大学院大学は、本当に行政と直結し、そして官僚が非常に中で活躍をしていただく、そんな中で、行政情報も今の政策情報も非常に密に入ってくる。そうすると、他のこういう政策分野研究する大学とか大学院との競争の面で非常にアンフェアな状況にならないかな、こういう危惧をするわけであります。  私は、政策研究という分野も非常に重要で、今後どんどん研究を進めていく必要は認めます。その中で、しかし、それは、先ほど大臣もおっしゃったように、多様な大学院があって、そして多様な学校が、数多くの学校が一つのテーマでもってやはり政策的にも競争しながら研究していく、こういう大学のあり方をむしろ文部省は配慮しないといけないのではないか。情報が一極集中化しないか、こういうことをお尋ねしたいと思います。
  22. 雨宮忠

    雨宮政府委員 今回の政策研究大学院大学のいわば本拠地につきましては、神奈川県の湘南国際村を予定しておるわけでございまして、メーンの教育研究はそこで行われるわけでございます。た だし、創設準備室の関係会議でも提案しておりますように、教育研究指導の便宜、あるいは、例えば社会人の受け入れというようなことも考えた場合に、霞が関とは申しておりませんで、「都心に」という表現でございますけれども、「都心に」何らかの「サテライト」という、片仮名で恐縮でございますがそういう表現で、何らかのブランチがあってもいいのではないか、こういう構想を示しているわけでございます。  基本的に、先生も御指摘のように、現実の政策課題ということでございますものですから、単にいわゆるアカデミズムの中で育った方々だけではなくて、現実の行政の分野での経験を持っている方、あるいは民間の会社で種々経験を積まれた方々、さまざまな経験を持っている方々で政策研究大学院大学において教育研究指導能力を有する、こういう認められた方々にはできるだけ参画をしていただいて立派な大学院大学にしていきたい、こういうことでございます。  既存の大学との比較におきましてアンフェアではないかということでございますが、これは基本的に、政策科学の分野、それぞれ幾つかの大学で似通った分野をやっておりますけれども、これらとの関係におきましては、やはり競争的な関係ということと、それからもう一つはやはり協調関係ということ、両方が必要ではなかろうかと考えておるわけでございます。これはいずれの大学でもそうでございますけれども、特に政策研究大学院大学につきましては、そこで得られた教育研究の成果なり、あるいはそこで得た情報なりということにつきましては、他大学との関係におきましては協力し合う、あるいは補完し合うという関係が大変重要なことであるというように考えておりまして、その意味では、先生御指摘あるいは御懸念のようなことのないように運営していかなければならないというように考えておるわけでございます。
  23. 藤村修

    ○藤村委員 雨宮局長、いただいている「政策研究の推進と新しい政策研究機構の在り方について」、平成六年三月の埼玉大学の方で研究を積み重ねてこられた中に、二十四ページですが、設置場所として、首都圏というのは、これは本校であって、それから、「霞ヶ関近辺に本大学院の支所を設置することも考えられる。」と構想されておりまして、霞が関はちゃんと入っておりますので、確認をしていただきたいと存じます。  先ほどおっしゃったように、本校は神奈川県の湘南国際村ですよね、ここに置かれる予定で、これは埼玉大学の方の母体というか卵というか、こちらの構想の中で「スクラップ・アンド・ビルド」と書いてあるんですが、少し数字で教えていただきたいのです。つまり、今ある修士の、これは小規模な埼玉大学の中の大学院大学、政策研究分野のものが母体になって、今度は神奈川県湘南国際村に少し規模を拡大してより高度な研究を行うために、どれだけのスクラップをし、どれだけのビルドになるのか、人材面とか資金面とか、その他数字で教えていただきたいと思います。
  24. 雨宮忠

    雨宮政府委員 失礼いたしました。先ほど霞が関とは書いていないと申し上げましたのは、平成八年九月の報告書の方でございまして、平成六年の、その前段階でやっていたところには「霞ヶ関」という記述がございます。  それから、ただいまの御質問でございます。埼玉大学の政策科学研究科は、修士課程だけを持っているわけでございますが、現在の定員で申しますと、教官で三十五名、事務職員等が六名、合計で四十一名という編成でございます。これをスクラップいたしまして、政策研究大学院大学、九年度の数字といたしましては、同じ数字の横滑りでございますが、教官三十五、事務職員等八、合計で四十三、そういうスクラップ・アンド・ビルドの状況でございます。  もちろん埼玉大学の場合には、先ほども申しましたように修士課程だけということでございますので、今後ドクターコースを持っていくというようなことになってまいりますと、このスクラップ分だけでは多分賄い切れないであろうということで、これはまた、予算事情あるいは定員事情の許す限りということではございますけれども、今後拡充されることは大いに考えられるわけでございます。  また、学生の入学定員ということで申しますと、現在埼玉大学の政策科学研究科修士の間口が三十九名ということでございます。これにつきましては若干拡充をいたしまして、政策研究大学院大学の入学定員といたしましては、修士段階では六十二名、約五割増してございますけれども、そのような間口にいたしておりますし、博士課程におきましては十七名という間口を考えておるところでございます。
  25. 藤村修

    ○藤村委員 局長、今比較されたのは今度の政策研究大学院大学の平成九年度とおっしゃいましたよね。平成九年度と比較しても余り意味ないのですよ、九年度はまだ発足の年で、何も動かないのでありますから。多分十二年四月から本格的に動き出すわけですね。かつ、大学院後期を受け入れるのはその二年後になります。だから、むしろその辺と今の埼玉大学と比較して、つまり平成十二年、十四年四月以降ぐらいと、これは予定ではありましょうが、比較をしていただきたいと思います。
  26. 雨宮忠

    雨宮政府委員 先行きの話が年度年度の関係で定まるものですから確定的なことを申し上げられないということではございますけれども、構想といたしましては、完成時点で教官で五十三名、事務職員等三十七名、合計で九十名、こういう規模のものを予定しておるところでございます。
  27. 藤村修

    ○藤村委員 スクラップをして、そしてよりよい高度なものをビルドする、このことに反対しているわけではありません。ただ、正確に答えていただきたいということであります。  そこで、神奈川県の湘南国際村というのは、これは三井不動産と神奈川県がある意味では共同開発という、大変広い地域の国際村というふうな開発を予定されておりまして、今回は、この政策研究大学については、国が三井不動産から約二ヘクタールの土地を寄附受け入れするというふうな予定だと聞いております。これは、いわゆる民間ディベロッパーがそういう国際村をつくるに当たっては、もちろん民間でいろいろ使うわけですが、そこに国立の研究所とかあるいは大学院大学とか、こういうものが来てくれることでのイメージアップ、そういうメリットを多分お感じでありましょうが、かつ、一方で国の方は、土地二ヘクタールぐらいが無償で譲渡されるわけで、これはありがたい話と受けとめられるのですが、ただ、国会の中では少しチェックをしておかないといけないと思うのです。  これは「官公庁における寄附金等の抑制について」、ちょっと古い閣議決定なんですが、こう書いてあります。「官庁の諸経費は、予算でもって賄い、寄附金等の形によって他に転嫁することは、極力これをつつしむ」とあります。これは昭和二十三年の閣議決定であり、また三十年にもこれは閣議決定されております。あるいは財政法上の第三条によるようなことから考えて、うれしい話だけれどもストレートに、三井不動産から二ヘクタールの土地を寄附ありがとうございますといって受けでいいのかどうか。これはどういう考え方でもってクリアされておりますか。
  28. 雨宮忠

    雨宮政府委員 今御指摘のように、昭和二十三年の閣議決定で「官公庁における寄附金等の抑制について」というのがございまして、それを尊重しなければならないわけでございます。国立学校に必要な経費は国費で賄うということが原則であるわけでございます。しかし、閣議決定の趣旨といたしましては、国が強制して、割り当て的に寄附を求めるということを抑制しておるというように考えているわけでございまして、寄附者からの自発的な行為による寄附までも禁止しているというものではないというように考えておるわけでございます。  このために、国立学校に対します民間からの自発的な行為によります寄附金等につきましては、国立学校教育研究の推進に資するものとして、 従来からその受け入れを行ってきているものでございまして、今回、民間の事業者でございますけれども、土地を寄附していただくということにつきましては、そのような取り扱いと同類のものだというように受けとめているわけでございます。
  29. 藤村修

    ○藤村委員 その閣議決定にはこういうことも書いてあります。寄附が「寄附者の自由意志によると言われる場合においても、その性質上半強制となる場合が多く、或いは国民に過重の負担を課することとなり、或いは行政措置の公正に疑惑を生ぜしめる恐れなしとしない。」からということが書いてありますので、いかに自由意思としても、あるいは自発的としても、そういう注意書きがあるわけでありまして、この閣議決定、今でも生きているなら、これは尊重しないといけないわけでありますが、どうクリアするんですか。
  30. 雨宮忠

    雨宮政府委員 御指摘のように、強制的にということの意味合いは、形の上で強制的ということだけではなくて、事実上強制に近い形で行われるようなもし寄附があるとするならば、それも戒める、こういう趣旨だと思うわけでございますが、今回の場合につきましては、そのような事実はないわけでございまして、神奈川県あるいは地元との協力のもとで湘南国際村という大きな構想がございまして、それに基づきまして、県も誘致の希望を持ち、またそれに参画しております民間の事業者もその趣旨に賛同して、今回のような誘致と、それに関連いたしまして土地の無償提供ということに及んだわけでございまして、強制的あるいは事実上の強制的というようなことには当たらないものだというように考えておるわけでございます。もちろん今後ともそのような方針で臨みたいと考えておるわけでございます。
  31. 藤村修

    ○藤村委員 もう一点、同じ文脈なんですけれども、本大学院大学の構想に、支援団体を設置して外部からの多元的な資金の導入を図るということも構想をされておりますし、現にきょうまでも幾つかの例もありますが、これもさきの通達におきましては、「官庁自身による場合はもとより、後援団体を通じてなす場合においても寄附金の募集は厳にこれを禁止する」という閣議決定がございますが、これはどうクリアできましょうか。
  32. 雨宮忠

    雨宮政府委員 国立学校の運営につきましては、基本的には国の経費で賄うということが原則であるわけでございますけれども、後援団体が存在し、それが当該国立学校教育研究活動の振興に資するということのために自発的に資金を拠出するという例は随分あるわけでございます。これにつきましては、従来から例えば奨学寄附金というような形で、現在、全国立大学見ますと五百億円ぐらい、大ざっぱな数字でございますけれども、奨学寄附金という形で受け入れておるわけでございまして、もちろんこれらの寄附金というものが強制的なものだということになりますとこれは問題になるわけでございますが、自発的な意思によるものだというように考えておりますので、問題はないというように考えておるわけでございます。
  33. 藤村修

    ○藤村委員 これらの点、私は、ありがたいことで、国の財政の逼迫する中で、民間の土地を利用させていただく、これは、反対するわけではないのです。ただ、それなら少し、現在の状況に応じた寄附のあり方とか、これは大臣、閣議決定を一遍見直していただく。これは古いんです。昭和二十三年で、かつ昭和三十年にもう一回やられてはいるものの、もう何十年も前の話であります。ですから、つまり官僚、文部省のいわば役所の中で、過去の閣議決定であるとかあるいは国会決議であるとかを、時代が変わってきたからといっていわば運用とかを弾力的に裁量する、このことがあってはならないということを私は指摘したいわけであります。  ですから、これはぜひとも二ヘクタールいただきたいし、ただ、現状に即して、閣議でもこれはちょっと見直していただけないか、こういうことでありますが、大臣、いかがでしょう。
  34. 小杉隆

    小杉国務大臣 私が担当しております教育学術、文化、スポーツ全般にわたって予算が非常に制約をされております。そういう中で、できる限り公費、国費でそういう予算を措置をするのが望ましいところですけれども、この寄附金に関する閣議決定の趣旨もまさにそういう精神に基づいて、ただし、強制はいけないけれども、自発的な善意に基づく寄附については、これは拒否はしていないわけでありまして、しかし、おのずからそこには節度があってしかるべきでありますし、したがって、こういう通達につきましては、私はかなり妥当な内容じゃないかなと思っております。  むしろ、アメリカあたりは、寄附者の名前を上につけた何とかホールとか、何とか図書館なんということで、極めて弾力的に受け入れているんですが、日本が直ちにそこまではちょっと問題だと思います。しかし私は、この寄附金の閣議決定についてはかなりよく研究されてつくってあるなと。しかし、御指摘のように、もし時代の変化に応じて見直す必要があれば、それは当然考えていくべきだと思っております。
  35. 藤村修

    ○藤村委員 確かによく書かれてありますし、この趣旨を現状でもやはり厳守するとなれば、先ほどの「官庁自身による場合はもとより、後援団体を通じてなす場合においても寄附金の募集は厳にこれを禁止する」と書いてあるわけですから、支援団体をつくって、そこで会員を募集して民間の善意を集めるということは不可能なんですけれども、構想されていますよね。ですから、これは、今は時代一つの変わり目といいますか、考え直さないといけないのか、あるいは過去のこういうしっかりしたものが必要なのか。そうでないと、役所の側のある意味じゃ裁量の幅が広くなり過ぎる。  ちょっと話は飛びますが、いわゆる許認可という問題が、法律的な規定だとかあるいは国会で決議していることとかがあいまいなために、その解釈をめぐって非常に裁量の余地が生まれる、そこにやはり、ある意味じゃ官と業の癒着みたいなものが生じてくるわけでありますから、ここは、現にこう書いてあるならば、これでやっていただかないといけないわけでありますが、いかがでしょう。
  36. 小杉隆

    小杉国務大臣 私は、やはり基本的には、できるだけ公費をもって充てるというのが原則だと思います。この自発的行為による寄附の場合も、あくまでもこれは例外として考えているわけであって、それを余り裁量の幅を広げてしまうということは逆に疑惑を招くということですから、当面は私は、この閣議決定というのはかなりよくできておりますので、これをきちっと守ってやっていく、こういう姿勢でいきたいと思っております。
  37. 藤村修

    ○藤村委員 大臣趣旨、よくわかりました。  私は、この政策研究大学院大学の新設について反対しているわけではありません。ただ、きょうまでこの政策研究、先ほど粟本委員のお話にもありました、日本でやはりおくれている研究分野であるし、これは非常に力を入れて今後進めていく必要がある。この研究の中身、準備委員会報告でも「現実の政策課題の解決を志向した学際的・実学的・国際的・中立的」というふうに書かれている、このことを非常に当然と思います。さらに、政策研究という分野は、我々の政党であるとかあるいは政治家、そしてこの国会でありますが、これらにとって非常に不可欠な、密接な分野であります。  ところが、きょうまでのこの創設の準備というのは、平成四年度、五年度で埼玉大学研究がされて、それを受けて、今度は六年度から昨年の九月ごろまでですか、創設準備委員会ということで、いわば官とそれから学界が非常に熱心に準備をされてきたことを評価いたしますが、そこに欠けているのは、我々、政党であったり、政治家であったり、国会であります。これは、できることはいいことだ、しかし、ちょっと配慮が偏っていた部分がなかったか、きょうまでの議論の進め方の中で。  そこで、私は、今回のこの国立学校設置法の一部を改正する法律案に盛り込まれました政策研究大学院大学の新設につきましては、法案が通って も、十月一日にまず創設されて、動き出すのは平成十二年の四月ですから、まだまだ時間がございますし、創設までにはまだ半年以上あるわけでありますから、ぜひともこれは委員長におきまして検討を願いたいと思うのですが、この国会の場で、つまり政党であったり、政治家であったり、そしてこの衆議院の委員会がもう少しこのあり方をやはり注文したり、修正したり、先ほどの大臣の御発言では、寄附を受けるについてはやはり慎重であるべきだと。  ただ、創設準備委員会の方はもう財団をつくってやりますと言っていますから、これは相当チェックしていく部分が必要ではないかなと思いますので、委員長におかれまして、文教委員会に小委員会でもつくって、今後あり方を検討していくことを考えていただくように提案したいと思います。
  38. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 ただいまの藤村修君の提案につきましては、理事会において協議させていただきたいと思います。
  39. 藤村修

    ○藤村委員 官と学だけで進めてきた。しかし一テーマが政策研究でありますから、やはり我々が入ってこないといけないという趣旨を体して、ぜひ委員の皆様方にも御理解を賜りたいと存じます。  それでは、政策研究大学院大学からは外れますが、やはり国立大学関係することで、今ちょっと問題になっている点。これは文部省の方からの報告だけを受けたいと存じますが、既に御承知のとおりで、香川医科大学、国立であります、ここで、平成三年度の推薦入学において、出願要件として指定された高等学校での履修科目を満たしていない受験生があって、その方が合格をしている、また、それにまつわってというか、ある教授が教員としては適切でない関与を行っている、こういうことが報道されたりしております。この点について、香川医科大学では教授会に調査委員会を設けて調査しておられると聞いておりますが、その調査の現状などを御報告を願いたいと思います。
  40. 雨宮忠

    雨宮政府委員 平成三年度の香川医科大学の推薦入学、すなわち高等学校での在学中の成績などを主として判定の材料として推薦させる、そういう仕組みのもとでのことでございますけれども、出願要件として指定された高等学校での履修科目を満たしていない受験生が合格しているのではないか、それから、ある教授が教員としては適切でない関与をその推薦入学ということに関して行ったということではないかという疑義が指摘されていたわけでございます。調査委員会大学に設置されまして、その結果が二月十七日の教授会に報告されたわけでございます。  その報告内容でございますが、二つございまして、一つは、受験資格そのものについてでございます。当該受験生、現在最終学年になっているわけでございますが、当該受験生は、出願要件をストレートに満たしているとは言えないけれども、当時の時代背景として、外国の高等学校に留学した者に対する配慮を求められていた状況や、あるいは高等学校長からの推薦書に数学、理科に関しては留学での学習をもとに入学時までに基準レベルに達すると記載されていたことを総合的に検討して願書を受け付けたということでございますが、そういう受け付けたという当時の判断自体は全体として適正を欠くものではなかったというように言っておるわけでございます。  ただし、募集要項の上で、受験資格を弾力的にそういうような取り扱いをするならするで、そういう弾力的な取り扱いをすることがあるのだということを書いておかなかったということ自体はやはり不適切な点があったのじゃなかろうかということで、これについては今後の改善課題にしたいということが一つでございます。  もう一つ問題となっている教授の行為等でございますけれども、問題となっております教授が、受験生の家族が経営する病院からリゾートマンションを借用するなど深くかかわりを持っていたこと、それから面接官の一人として受験資格に問題があると指摘された受験生の面接を担当していたこと、それから入学後に受験生の親から絵画や商品券などを受領していたことなどが確認された。しかし、それらのことが受験生に便宜を図ったことになったのかどうかということにつきましては、関係者の証言が必ずしも一致しておりませんで、確認することができなかったという報告になっておるわけでございます。  また、調査の過程におきまして、今回の推薦入学とは関係がないけれども、学長が受験生の祖父から接待を受けたり、あるいは高額な贈答品を受領していたということもあわせて判明したところでございます。  香川医科大学といたしましては、現在、審査委員会を設けまして、当該教授それから学長の措置につきまして検討しているところでございます。
  41. 藤村修

    ○藤村委員 官と業の癒着関係といいますか、大。蔵省であったり、厚生省であったり、通産省であったりと、このところ非常にそういう問題が出てきている中で、文部省、それも学問の府である大学においてそういう疑いがあること自体、非常にこれは我々としても困ることでございますので、大臣にはやはり適切に今後、それも早くに通達をするなり、処分をするなり、手を打っていただく、こういうことをお願いしたいのですが、もし所信がございましたら。
  42. 小杉隆

    小杉国務大臣 そういう事態が起こったことは残念に思います。私ども、こういう事態が起こらないように今後とも十分注意をし、適切な措置をしていきたいと思っております。
  43. 藤村修

    ○藤村委員 もう一問、短い時間でございますので、科学研究費、いわゆる科研費であります。  これは、特に大学においての基礎研究進展とかそういうものに非常に重要なベースの予算、補助金でありますので、我々も過去ずっと科研費の増額をということは訴え続け、それが近年、この平成八年度で多分一千億円を超えてきたのかと思います。それだけの大きなお金を文部省が補助金として全国の大学にいろいろな形で補助をされるということでありますので一これもお金が絡み、そしてこれは全国の国公私立大学すべてが絡む問題でありますので、科研費について、今後の取り敬いについてどうお考えか、あるいはこれをさらに伸ばしていきたいというのかどうか、その辺、ちょっと所見だけお聞かせください。
  44. 林田英樹

    ○林田政府委員 科学研究費につきましては、文部省としても、近年、文部省予算の重点課題といたしまして増額に努めてまいりまして、おかげさまで平成八年度一千億円を超えるような金額をお認めいただいていることを私ども大変喜んでいるところでございます。  この審査につきましては、個々の研究者大学等におきます研究者の申請に応じまして、それぞれの研究者研究内容に応じて審査をいたしまして配分をするということでございまして、その審査におきましては厳正な審査に心がけているつもりでございますし、今後ともその点について、状況に応じて見直しもしながら改善を図ってまいりたいというふうに思っております。
  45. 藤村修

    ○藤村委員 ぜひ、これは非常に基礎的な研究に必要な、有効なお金と考えております。  そこで、今後、これは地方の国立大学の先生なんかからの声として聞いているのは、科研費配分について非常に厳しい審査をされてという今の説明ではありますが、それら、あるいは結果としてどういうところについたのかということなど、今のところはどうも、私も資料請求をしても、件数は出てくるけれども、どことどこがどうだという話は来ておりません。地方の、特に国立大学の先生方からすると、旧帝大に偏っているのではないか、こんな声もあるわけです。これは偏っているのか偏っていないのかがわからないのですが、こういう情報公開、これについて、大臣、ぜひ今後情報公開していただきたいのですけれども、御決意を述べていただきたいと思います。
  46. 小杉隆

    小杉国務大臣 御指摘のとおり、科研費は基礎研究にとっては非常に重要な役割を果たしております。平成九年度予算でも一千百二十二億円、前 年度よりも百四億円、率にすると一〇%を超える伸びを示しているわけでありますから、それだけに情報公開というのは非常に大事でありまして、前々から努力をしているところであります。  今御指摘がありましたが、私どもは、単に採択数とかそういうことだけではなくて、どういう課題が採択をされたかということを報道機関を通じて公表しておりますし、また、学術情報センターという大学共同利用機関がありますが、そこのデータベースに全部載せてだれでもわかるようにする、そしてまた、その課題を研究した後の研究成果、これにつきましてもこのデータベースに載せまして、さらにそれを報告書としてまとめて国会図書館に常備して、だれでもが見られる、こういうことでやっております。  これから、金額がこれだけ大きくなってまいりますし、財政も非常に厳しくなっていく中で、やはり情報公開ということは一層大事だと思っておりますし、私どもは、科学研究費補助金につきましては、その評価ということの充実も含めまして、一層情報公開を図ってまいりたいと思っております。
  47. 藤村修

    ○藤村委員 ぜひともそういう方向で、これは大学の各研究者が競い合う、そういう一つの基礎資料にもなるかもしれませんし、あるいは本当に偏りがあるならまたそれを指摘しないといけない、そういう情報にもなろうかと思いますので、今の御趣旨に基づいて、ぜひ積極的に情報公開をお願いいたしたいと存じます。  以上をもちまして、質問を終了させていただきます。ありがとうございました。
  48. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 佐藤茂樹君。
  49. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 新進党の佐藤茂樹でございます。  国立学校設置法の一部を改正する法律案についての質疑でございますけれども、藤村委員と重ならない範囲でちょっと後半にさせていただくといたしまして、前半は、同じく大学に関連して二、三、特に大臣に中心に御答弁をいただきたいと思うのです。  一つは、就職協定廃止の件でございますけれども、今回、結果として就職協定が廃止になったわけですが、ずっとその過程を見ておりますと、主導したのはどうも、日経連の会長の発言から始まった、またずっと一貫して議論を主導されてきたのではないのか。いろいろな語録を残されております。守られない就職協定なら意味がないとか、また、正直者がばかを見る制度ではいけないとか、そういう話をされているというのが報道でも出ております。  しかし、実質守られていないから廃止するというのはおかしいわけでありまして、逆に、実質守られていないから、せっかく決めた協定が守られるようにするにはどうしたらいいのか、例えば、紳士協定の段階からもう少し、罰則を設けるとか、そういう努力をまず最初にやるべきではなかったのかという感がするわけですね、本当に守ろうとするならば。そういう意味で、いきなりああいう形で一方的な議論で進められるよりも、もう少し、やはり企業側また大学側の双方の努力が足りなかったのではないかな。  特に、やはり今回のケース、前回破れたときもそうですけれども、一貫して就職協定廃止の議論を主導してきたのは企業側の団体であった。特に、十月二日の日経連の会長の定例記者会見から始まって、ずっといったのですが、しかし、少なくとも十一月十二日付の大学側の就職問題懇談会の申し合わせによりますと、就職協定は平成九年度も存続させること、そういうようになっていたのです。しかし、唐突に、その記者会見からどんどん企業側の議論に主導されて、そして押し切られて廃止になった、そういう感は否めないわけでございます。  その過程の中で、大臣も、あれは十二月五日ですか、日経連の会長なんかにも会われて再度要請もされたりしておりますけれども、この過程の中で本当に文部大臣としてのリーダーシップがどこにあったのか、また、この結果を踏まえて、今後の就職戦線における混乱を避けるために、大臣として就職協定廃止後の方向性としてどういう展望を持っておられるのか、まず冒頭にお聞きしたいと思います。
  50. 小杉隆

    小杉国務大臣 そもそもこの就職協定は大学側と企業側が協議して決定してきたものでありまして、文部大臣が直接的にこれを、何というか、強権発動というような形ではなかったわけであります。これはあくまでも大学の卒業予定者が就職活動を秩序を持ってやってもらいたい、そしてその正常な教育活動が乱されないように、そしてまた学生の就職の機会均等、こういう趣旨で今までやってまいったわけでございます。  ところが、協定破りというのでしょうか、そういったことを守らない企業側も、また学生側あるいは大学側もあったという現実は否めないわけでありまして、そういうことから企業側として昨年、今御指摘のように十二月の四日に廃止したいという意向が伝えられましたので、私としても、これは企業側と大学側との当事者同士の話し合いが基本ではあるけれども、しかし学生の立場を守るべき文部大臣として、やはりひとつ慎重に考えてもらいたいということを十二月の五日、翌日、日経連を訪れまして根本会長に申し入れまして、ぜひこの問題についてはもう少し企業側と大学側で十分協議をしてもらいたい、こういう要請をいたしました。  その後、大学側と企業側で三回にわたって協議が行われました。最終的には、今御指摘のとおり、平成九年度は従来のような就職協定はもうやらない、しかしそれにかわって企業側として自主的に倫理憲章をつくりましょう、そしてまた大学側も申し合わせということで、お互いに自主規制という形でやっていこうということで、相互にそういったやり方を尊重していこうという新しいルールができたわけでございます。このことは、大学側、慶応大学の鳥居学長でございます、それと企業側、日経連の根本会長、双方の代表世話人が一月二十一日に私の文部大臣室に参られまして、報告を受けたところでございます。  昨今の報道によりますと、一部前倒しでやっているというようなところも見受けられますが、また一方、自分たちはそんな前倒しはやらないといって頑張っている企業もおられるわけであります。  いずれにいたしましても、私は、今後大学側と企業側双方の良識と自主的な努力によって従来の就職協定が果たしてきた役割が実質的に確保されるような、そういうことを期待しているところでありまして、今後の推移をしっかりと見守っていきたいと思っております。
  51. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 時間も限られていますので、この件に関してはもうちょっとお聞きするだけで終わりたいのですけれども、今大臣の御答弁の中に、結果的に企業側が倫理憲章、大学側が申し合わせという形で自主規制ということを言われましたけれども、しかし内容をよく見ますと、決定的な差があるわけですね。企業側の倫理憲章というのは、採用内定開始、正式内定日は十月一日以降とする、これしかうたっていないのです。ところが、大学側というのは、正式内定開始は十月一日ということと、さらには学生に対して七月一日前の会社訪問等を慎むよう指導するということ、これを申し合わせとしては大学側が入れているのですけれども、企業側が入れていないのですね。  そうすると、当たり前のことですけれども、学生というのはそんな大学側の申し合わせを守らずに企業側の倫理憲章に合わせた動きをどんどんする。そこから、報道でも言われていますし、いろいろ懸念されているものとして、ことしの就職戦線というのは非常に早期化し、なおかつ長期化するのではないのか、そういうことが懸念されているわけですね。このことは、最も影響を受けるのは、大臣も言われていましたけれども、学生であるし、また大学教育という面で影響を受けるのではないのかな。まずやはり学生たちで、四年目が就職活動に奪われると、授業への出席状況は当然悪くなる、実態自体もう悪いではないかと言う人 もおりますけれども、しかし、それを加速させてしまう部分もあります。そういう意味でいうと、このまま放置をしておくと、大学教育の破壊につながりかねないのではないのかな、そういう懸念を私などは持つわけです。また、四年ならまだましですけれども、二年制の短大などというのは、もう最後の一年がそれにほとんど追われてしまうというようなことになってしまって、非常に深刻な問題になる可能性もあるわけですね。  今、各大学でそれぞれ四年間一貫した大学教育を目指そうということで、カリキュラムの改革なども含めて大学改革を進めておられる、そういうふうに認識しているのですけれども、しかし、その内容自体も、このまま早期化、長期化というものがことし一年だけではなくて後続いていくとすると、非常に大きな影響を受けるのではないのかな、そういう懸念が生じているわけですね。  だから、大臣のような、良識と自主的な双方の努力を見守っていきたい、または期待していきたいという程度の問題ではなくて、先ほども言いましたけれども、それぞれが違う決まりを決めているのですよ。もう少しやはりにじり寄って、合意の上でのルールというものを明確に早急に定めていくように促していく必要があるのではないのかな、そのように思うのですけれども、大臣の所見をお聞かせ願いたいと思います。
  52. 小杉隆

    小杉国務大臣 あくまでも企業側と大学側でそういう自主的な良識に基づくルールをつくられたわけですから、まずこれを遵守していただくということを期待したいと思います。  ただ、今言われたように、大学教育四年間、四年の授業が全く就職活動に費やされて乱されてしまう、あるいは短大などはもう入学して直ちに就職活動というようなことで、結局教育活動に支障を来すというようなことにならないように、我々は十分気をつけていきたいと思っております。私も、今度の教育改革について経済団体とも何回も懇談をしておりますが、その都度、この就職の問題については私は要請を続けております。  それから、今後の推移いかんによっては再び文部大臣が両者にさらに努力を要請するという場面もあろうかと思いますが、まずは、この両者の申し合わせあるいは倫理憲章、こういうものの運用というものをしっかりと見守っていきたい、こう考えております。
  53. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 ぜひしっかりと見守っていただいて、引き続き御努力をお願いしたいと思うのです。  もう一つ、今のは大学を出るときの問題ですが、入るときの話として、先日の所信に対する質疑の中でも若干させていただいて、あれで終わろうかなと思っておったのですが、実は、今週の二十四日の月曜日の夜九時半から、NHKの「クローズアップ現代」という番組がございまして、特集として「大学入試・何が公平か」、そういう番組をされておったのですね。そこで、今まで新聞紙上にも登場されてこなかったのですが、大学入試センターの広重さんという所長が登場されてきて発言をされているのです。その中で、ざっと見ておって非常に気になった部分があるわけですね。そこの部分についての大臣の見解をちょっと、もう時間が限られていますけれども、確認しておきたいのです。  ざっと、得点調整がいろいろ考えたけれどもできなかったのだという話をされた後、大要、次のように言われているのですね。頭にきていると思いますけどね、本当に気の毒だと、申しわけないというか気の毒だと思います。しかし、人生、社会に出たら、もっともっと厳しいことがたくさんある。だから、まさしくたくましく生きるということを今まで教育の基本として大事にすると言ってきたのに、そんなに根拠のない得点調整まで圧力をかけてやれというのは、私は、必ずしもそういう意味での教育的配慮にはならないと思ってますよ。これは、たまたま私ビデオを撮っていたので、それを何回か起こしまして、若干間違っているかもわかりませんけれども、大体こういう大要を発言されている。  私は、この発言を聞いたときに、この大学センターの所長の感度の鈍感さというものに愕然とした思いがしたわけですね。センターの所長として、迷惑をかけた約十万人近い浪人生に対してどれだけわびてもわび切れない、そういうふうに私は思っているのです。大学入試センター側の問題作成のミス、不手際を棚に上げておいて、わけのわからない人生論にすりかえておる。本当に問題の重要さとまた当事者としての責任感を欠如した発言ではないのかな、これ以上、ほかにも言いたいことがあるのですが、あとほかの質問をしたいので、そういうふうに私は思ったわけですけれども、大臣はこの件を承知されているかどうか、また、その発言についてどのような所感を持っておられるのか、お尋ねしたいと思います。
  54. 小杉隆

    小杉国務大臣 私もその番組を見ておりましたが、その真意が必ずしもよくわからない面があったので、所長に真意を聞いたところ、所長自身も今回のことについては胸を痛め、そして自分自身も浪人の経験がある、私自身も浪人の経験がありますが、受験生の気持ちはよくわかるけれども、くじけずにしっかり頑張ってもらいたい、こういう趣旨で発言をしたというふうに聞いております。  私としても、とにかく、そうした浪人の経験もありますだけに、受験生の気持ち、親の気持ちを考えたときに、何とかいろいろ得点調整その他のことができないかどうか、随分考えたのですけれども、最終的には、精いっぱいやったつもりですけれども、なるべく二段階選抜を行わない、足切りをなるべく減らしてほしい、こういう要請をして、かなり大学が協力をしてくれたということになったわけです。  私は、今もう始まっております国公立大学の受験生にはぜひ頑張っていただきたいという心境とともに、一通り全部入試が終わった段階で、私自身もいろいろ関係者の意見も聞いて、何とか来年以降の入試センターの試験の改善大学入試の改善に向けて取り組んでいきたい、こう考えております。
  55. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 大臣答弁でやめておきますけれども、要するに行政側のミスで押しつけられたこの不利な状況で、一点差によっても人生が変わると言われているのです、人生が大きく左右されるわけですね。きょう、まだ前期日程の試験をやっていますけれども、そういう若者が結果として多く出た場合に、たくましく生きろと言われたところで、逆に、将来の日本を担う若者が社会や国家や行政に対してぬぐい去れない不信感を抱いたまま生きる、こういう状態をやはり許してはいけないんではないかな、そのことだけを言いまして、法案の中身についての質問に移らせていただきたいのです。  まず一点目として、先ほど藤村委員質問されておりましたが、政策研究大学院大学の設置について、特にその目的にも関連するのですけれども、その中で言われているのは、政策研究という分野研究の推進であるというのが一点と、もう一つは政策研究にかかわる人材養成また再教育である、簡単に言えばこの二点だと思うのです。  しかし、これは、昭和五十二年に設置されてから約二十年の実績がある埼玉大学政策科学研究科でもずっとされてきたわけですね。今回、なぜ二十年も実績がある埼玉大学の政策科学研究科ではだめなのか、その限界は何なのか。もっと言うと、投資的経費が六十億、さらには平年度ベースでその後約十七億程度は費やされていく、そういうことも聞いております。例えば埼玉大学の政策科学研究科修士課程だけでだめなのである、そういうのであれば博士課程をそこに設ければいいし、さらには、今回の大学院大学の目玉の一つであると言われております全国共同利用施設も、埼玉大学の政策科学研究科の中にきちっと設ければいいじゃないですか。なぜわざわざ神奈川の方にまで持っていってそういうことをされるのか。この目的ともあわせて答弁をお願いしたいと思います。
  56. 雨宮忠

    雨宮政府委員 御指摘のように、昭和五十二年 に埼玉大学で政策科学研究科修士課程レベルでございますけれども、いわゆる独立研究科一つとして設けられ、以後、教育研究活動面でかなりの成果を上げてきたわけでございます。それを何ゆえにひとり立ちさせなければならないのかというお尋ねでございます。  この辺はなかなか管理運営面の微妙な点があるわけでございますけれども、埼玉大学の政策科学研究科というのは、埼玉大学の中に幾つか学部があり、また研究科があり、そのうちの一つとして位置づけられておるわけでございまして、この分野教育研究を格段に充実発展させていくということのためには、そういうさまざまな学部なりあるいは研究科なりを全部抱えた中での一つとして発展させていくということにはおのずと限度があるだろう。また一方で、政策研究という分野につきましては今後ますます発展させていかなければならない。これはOECDの指摘もございましたし、また学術審議会等の指摘もあるわけでございます。これらのことにかんがみまして、むしろ一大学の一部門という立場から離れて、独立させて発展させていくというのがこの政策研究という分野発展によりかなっているであろう、こういう考え方に立ってこのような構想になったわけでございます。
  57. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 藤村委員質問と重なるのでこれ以上突っ込みませんけれども、そこで、今回の特色として、幅広く学生をいろいろな分野から受け入れる、そういうことを言われているのですね。先ほど指摘もありましたが、しかしながら、埼玉大学の場合の今までの実績を見ておりますと、例えば国内プログラムの修士課程修了生二百四十二人のうち、中央官庁の官僚が十四省にわたって八十六人、何と三五・五%なんですね。これが先ほど三分の一以上と言われた数字なんですけれども、地方公共団体の役人は二十五団体で百二十五人、五一・七%、さらに特殊法人の受講者を合わせると、何と役人が大学院生の九〇%以上を占めておった。民間企業とか学部卒業者というのは、一応名前は入っていますけれども、出身者合わせても一〇%にも満たないという、そういう偏った内容になっておるわけですね。先ほどありましたように、教官も専任教官が計三十三人派遣をされている。  一言で言うと、官僚が、学生もまた教官も多く輩出して、独占的保有をして行政情報を駆使し、また蓄積して、政策研究の一大拠点をつくったんじゃないのか、そういうイメージが変な見方をするとつきまとうのですけれども、そういう懸念はないのかどうなのか。  また、さらには、今回の大学院大学というのは、本当に言葉どおり、幅広くと言われているように、きちっきちっとある程度の、例えば学生募集についても、例えば中央省庁の官僚から来られる院生については大体どの程度、さらには地方公共団体の役人から来られる方はどの程度、民間企業から来られる方はどの程度、学部出身者はこの程度、そういう割合を設けてやるべきじゃないのかなというように私は思うわけですけれども、そのあたりについて御答弁をお願いしたいと思います。
  58. 雨宮忠

    雨宮政府委員 埼玉大学の政策科学研究科におきます入学者の実態、あるいは教官組織の実態につきましては、先生御指摘のとおりでございます。ただ、新しく構想されております政策研究大学院大学といたしましては、学生につきましては、広く国公私立大学学部卒業者や修士課程修了者のほかに社会人からも積極的に受け入れることといたしておりますし、また、教員につきましても幅広く各界から人材を登用するということで、他大学あるいは行政機関、民間企業との積極的な連携を図ることといたしておるわけでございます。  入学者につきまして一定の割合を設けたらどうか。一つのお考えかと思うわけでございます。この点につきましては、基本的には、しかるべき学生として受け入れるにふさわしい者を幅広く受け入れるという大学考え方に照らして、そういうような措置をとるということも一案として考えられるわけでございます。いずれにいたしましても、そのあたりは大学の準備委員会、あるいは大学が発足した上で十分検討されるべき事柄であろうかと思うわけでございます。  また、教員組織につきましては、一人前の大学としてスタートしようとする際に、これは従来からもそうでございますけれども、やはりきちんとした教員審査のもとで適格者を幅広く各界各層から選んでいく、こういうことで構想がなされておるわけでございますので、そのような方向で努力されるものというように考えておるところでございます。
  59. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 今の、幅広く受け入れるという関連で、もう一点だけ。これは大臣にぜひ答弁いただきたいのですけれども、今回の政策研究大学院大学では、外国人留学生などを幅広く受け入れる、こういうように言われております。今までの埼玉大学大学院政策科学研究科においても国際プログラムというのが設けられておりまして、そこでの修士課程の修了生というのは外国人留学生百八十四人、これは先ほどの国内プログラムと比べても結構な割合で、この埼玉の実績というのは非常に高いのですね。  ところが、一般論として、今留学生の受け入れということについて見ておりますと、この前文部省がお調べになった数字では、昨年五月現在、日本大学などで学ぶ外国人留学生というのは五万二千九百二十一人、前年に比べて九百二十六人減った、そういうことになっておりまして、一九七八年に統計をとり始めてから初めて減ったということなんです。これは、今政府が推進されております、一九八三年の中曽根内閣のときから留学生受け入れ十万人計画というものをずっと推進されておるのですけれども、九〇年代に入って急激に伸びが減少した、九五年には初めて目標人数を下回り、そして今回はさらに目標人数より一万人以上下回った、そういうことが明らかになっているのですね。報道なんかでは、今や十万人計画の達成は絶望的な情勢になったんではないか、そういうふうにまで言われているわけですけれども、政府として、この留学生受け入れ十万人計画を見直されるつもりがあるのかどうなのか、また、見直されないのであれば、当初予定どおりやるというのであれば、そういう努力をされるつもりなのかどうか。  特に、私は、一たん決めた目標ですから、そのときの提言にもうたわれておりますけれども、やはりこれから日本側の受け入れ体制の充実であるとか、留学生にとって本当に魅力のある教育環境をもう一度構築するというような努力をして、あくまでも当初の目標どおり努力をされる方がいいんじゃないのかなというように私は思うのですけれども、大臣の所見をお伺いしたいと思います。
  60. 小杉隆

    小杉国務大臣 御指摘のとおりの傾向をたどっておりますことを大変残念に思っております。しかし、外国人留学生を受け入れることは日本にとって世界、特に途上国の人たちに対する国際貢献でもあり、また日本の国際化にも貢献するわけでありますから、今この十万人の計画を直ちに見直すという考えは毛頭持っておりません。  私自身も、先日東南アジア三カ国を歴訪いたしまして、いろいろと現地の送り出す側の意見も聞いてまいりました。とにかく日本へ行くと生活費が高過ぎる、例えばオーストラリアで学生生活を送ると東京の半分で済むんだというような宿舎の問題、生活上の問題がありました。それからもう一つ教育上の問題。これは、例えば日本へ行っても日本語を勉強するために一年間余計に時間がかかる、卒業するのはそれだけ余計おくれてしまうということとか、あるいは学位がなかなか取れない。やはり途上国の人は国へ帰って、何とか博士とか何とか修士というのをもらっていく方が箔がつくわけですから、欧米に比べて日本は学位が取りにくいとか、あるいは研究スペースが狭いとか、そういった主として生活上の問題と教育上の問題がネックになっております。  そこで、私ども文部省としても、今のこういう 状況を打開するためにあらゆる手段を講じていきたいと思っております。具体的なことはちょっと避けますけれども、例えば国費留学生、私費留学生に対する助成とか、あるいは各大学における寄宿舎を建設する場合の助成とか、いろいろな手段を講じてやっていきたいと思っております。  特に最近、目玉商品と言っては何ですけれども、短期留学生制度、向こうの大学に在学しながら一年間だけ日本へ来て留学する、こういうような制度も導入をしたり、いろいろな方法、知恵を動員をしてこの目標達成に努力をしたいと思っております。
  61. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 ぜひ今お話しのあったような努力を引き続きしていただくことをお願いいたしまして、若干時間が余りましたけれども、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  62. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 肥田美代子君。
  63. 肥田美代子

    ○肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。どうぞよろしくお願いします。  国立大学設置法改正案に関連して質問いたします。せっかくの機会でございますので、小杉文部大臣と直接お話ししたいということを基本に質問に入りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。  提案されました本法案は、政策立案能力や企画能力を持つ人材を育てる政策研究大学院大学をスタートさせるということでございますから、歓迎したいと思います。ただ、先ほどからも議論がございましたけれども、私も三つの懸念を持っております。  その一つは、大学院大学の設立趣旨からして、従来の大学院よりもスタッフ、設備ともすぐれたものになることが想定される。そのために、将来的には大学院格差を生み、それがまた新しい入学競争を引き起こすことにならないかということでございます。二つ目には、中央省庁や都道府県から入学してくる学生の、試験、推薦、選抜などどのような入学基準がなされるにしても、それが出世競争につながらないかということでございます。三つ目は、卒業生の職場復帰の際の処遇の仕方によっては、キャリア組とはまた異なるエリート集団が形成される可能性が想定される。  この三つを私は懸念しておりますが、大臣の御見解を伺いたいと思います。
  64. 雨宮忠

    雨宮政府委員 第一点の、格差を生むのではないかというお尋ねでございます。  既に、同種の分野におきまして既存の大学研究科も置かれているわけでございます。それとの関係におきましては、やはり先ほどもお答え申し上げましたけれども、競争と協調ということで、お互い切磋琢磨し合いながらそれぞれの教育研究を深め、水準を高めていくということが重要でございますし、また、それぞれの教育研究活動の上では、やはり協力関係に立つあるいは相互補完的な関係に立つということで、それぞれを伸ばしていくということが重要だというように考えておるわけでございます。  それから二番目に、入学者との関係におきまして出世競争になりはしないかという御懸念でございます。  出世競争というのがなかなか難しい言葉でございますけれども、私どもといたしましては、それぞれ入学した者が、それがどの大学であれ、きちんとした教育指導を受け、勉学に励み、それぞれの最も適正と思われるところに就職し活動するということが一番重要なことであろうかと思うわけでございまして、ここの新たに政策研究大学院大学を卒業した者だけにそれを期待するということではなくて、それはすべての大学の卒業生に期待するところであるわけでございます。  また、同じように三番目に、エリート集団をつくるのではないかということでございます。  エリート集団という言葉もなかなか難しゅうございますけれども、やはりそれぞれの大学で学んだもの、これは政策研究大学院大学でもそうでございますけれども、きちんとそこで得た知識、能力を活用して世の中に出て活躍するということ、これが重要なことではなかろうかというように考えておるわけでございます。
  65. 肥田美代子

    ○肥田委員 今、事務方のお話はるる伺いました。この三つのお答えにつきまして、大臣、総括してお答えいただけますか。
  66. 小杉隆

    小杉国務大臣 今度のこの政策研究大学院大学というのは、従来の縦割りではなかなか研究できない新しい学際的な分野、つまり、自然科学と人文科学、社会科学との融合を図るというようなねらいもあるわけでありまして、最近の経済の高度化とか国際化とか、あるいは情報化という新しい時代に合った大学院大学ということでございまして、もちろん、環境問題とかエネルギー問題というようなことが特に念頭にあるわけでございます。  今、エリート校化するのではないかという御懸念をお持ちですけれども、決してそういう意図は持っておりませんで、むしろ、既設の大学院とか大学、あるいはほかの研究機関とか、そういうところと相互補完的にやっていくということで、運営については、決してエリート校化するんではなくて、本当に目的に沿った政策研究大学院としてやっていけるように十分注意をしていきたいと思っております。
  67. 肥田美代子

    ○肥田委員 私どもの懸念が懸念で終わるように心から祈っております。  本委員会に付託されました法案に対する小杉文部大臣の提案理由の説明の中で、看護等医療技術の充実を図るため、名古屋大学、三重大学の医療技術短期大学部を廃止してそれぞれの大学学部に統合するということでありました。これは、看護婦、放射線技師、理学療法士を取り巻く環境の変化により、高度な知識と技術が求められていることに対する医学、医療の環境整備であろうと受けとめておりますが、大臣、それでよろしゅうございますか。
  68. 小杉隆

    小杉国務大臣 これから介護というものが非常にニーズが高まってくるわけでありますし、看護の人材養成ということは非常に時代要請の強いものでございまして、そういう人材の需要に対して、そしてその高度化に対して対応する、そういうことでこのような変更をするわけでございます。そういう趣旨でやっておりまして、具体的にはまた担当の方から。
  69. 肥田美代子

    ○肥田委員 医療や医薬品を取り巻く環境も大きく変化して、医師、歯科医師、薬剤師の資質の向上が強く求められているところでございます。特に薬剤師の修学年限でございますけれども、この延長は国際的な流れになっていると私は思っております。欧米諸国の薬剤師の修学年限はどのくらいでしょうか。
  70. 雨宮忠

    雨宮政府委員 現在、大学の薬学部におきましては四年の教育を行っておるわけでございますが、修業年限の問題といたしましては、これを六年に延長したらどうかという御議論があることは承知しているところでございます。
  71. 肥田美代子

    ○肥田委員 いえ、欧米諸国はどうなっていますかという質問です。
  72. 雨宮忠

    雨宮政府委員 五年ないし六年のものが多いというように承知しております。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  73. 肥田美代子

    ○肥田委員 薬剤師の修学年限が四年というのは、先進国の中では我が国だけということに理解してよろしゅうございますか。
  74. 雨宮忠

    雨宮政府委員 今申し上げたところからおわかりいただけますように、日本の場合に、五、六年ではございませんものですから、御指摘のとおりでございます。
  75. 肥田美代子

    ○肥田委員 医療における医薬品の適正使用、それから高度な医薬品開発、さらには臨床薬剤業務や情報提供サービスなど、薬剤師も単なる化学知識だけではなくて臨床医学分野の知識が求められている今日、四年間という教育期間ではとてもマスターできるとは私は思いません。現在の薬学部、薬科大学における学部を四年制から六年制に切りかえる時期に来ていると思っております。  この問題について、文部省、厚生省、日本薬剤師会、日本病院薬剤師会の四者で協議されている 長い経過については私も十分に承知いたしております。  平成六年、厚生省が設置した薬剤師養成問題検討委員会は、今世紀までに学部六年制を実施する方向で検討すべきという結論を出しているとも聞いておりますが、厚生省の方、これでよろしゅうございますか。
  76. 吉武民樹

    ○吉武説明員 今委員お尋ねの問題でございますが、お話のとおり、高齢化の進展でございますとか、あるいは医薬品の使用に当たりまして注意を要します医薬品がふえるといった形で、医療をめぐる環境は変化をしております。  このような中で、昨年薬剤師法の改正が行われまして、調剤が行われます際に薬剤師の方々の情報提供が義務化されるということで、医薬品の専門家としての責任を薬剤師の方々が果たしていただくということが求められておりまして、そのために資質の向上を図る必要があるというふうに考えております。  我が国の薬学部あるいは薬科大学におきます教育は、医薬品の開発あるいはそのための研究あるいは技術者の養成ということが従来中心的な主眼となっておりましたけれども、今申し上げましたような状況で、医療の担い手という意味での薬剤師の養成というのが非常に重要だというふうに思っております。  それで、今先生からお話ございましたように、薬剤師養成問題検討委員会を設置いたしまして、医療薬学の充実あるいは医療現場での実務実習の実施を含めました薬学教育体制の構築といいますか、こういう点でございますとか、あるいは薬剤師国家試験の受験資格につきまして、今世紀中の新たな入学生を対象にしてということでございますので実際上は二〇〇五年以降ぐらいになってくるというふうに思っておりますけれども、大学院修士課程を含みます六年間の教育課程を修了した方に与えることを考えたらどうかという提言がまとめられております。  ただ、薬学教育の年限を延長いたしますためには、そのための基盤整備と申しますか、大学院の拡充でありますとか、あるいは現在の四年間の課程の中でも臨床薬学的な実務実習、このための受け入れ体制の整備等、解決すべき課題が多々ございますので、厚生省といたしましても、こういう課題につきまして、文部省それから関係団体と協議を進めながら条件整備に努めているところでございます。  今後とも、合意形成を図りながら、薬学教育改善に努力してまいりたいというふうに考えております。
  77. 肥田美代子

    ○肥田委員 厚生省は大変積極的に進めようとしていらっしゃるというふうに私は受けとめております。  文部省の方は、薬学教育改善に関する調査養成問題検討委員会報告で、学部延長についてさらに引き続き検討事項とするとちょっと消極的になっております。  薬剤師になることを嫁入り道具、嫁入り修業と考える傾向が薬剤師自身の中にもあることは私も認めますが、しかし、そうした意識の克服を目指して啓蒙活動をすること、やはり新時代におけるあるべき薬剤師の姿を鮮明にするためにも、薬学教育における文部省の啓蒙活動といいますか、そういう役目が大いにあると思いますが、大臣の見解をお願いしたいと思います。
  78. 小杉隆

    小杉国務大臣 新しい時代要請に応じて薬剤師の資質向上を図るための薬学教育の重要性というのは十分認識しているつもりでございます。  今、例えば平成九年度でも千葉大、東大京大に専攻の増設や整備など薬学系の大学院の量的、質的な改善を図っておりますし、また、学部段階でのカリキュラムの充実についても一生懸命取り組んでいるところでございます。そのほか実習のあり方とかあるいは生涯研修のあり方、そういうことについても厚生省や関係団体と協議をして、いきなり六年制に持っていくのではなくて、まずはその前の条件整備というものを通じて今言われたような啓蒙にも資すると私は思っておりますし、とにかく、そういう専門教育の内容とか期間については総合的にこれからも検討してまいりたいと思っております。
  79. 肥田美代子

    ○肥田委員 ぜひ大臣に、おっしゃるように積極的に取り組んでいただきたいと思うわけです。  私の気持ちでございますけれども、カリキュラムの改革とか実地研修でお茶を濁している間にまたまた薬の使用の大きな過誤の問題が起きる。そうしたときにたくさんの犠牲が出るのは国民の方でございますので、ぜひやはり、せめて欧米並みの修学年限をきちんと確保していただきたいと思うのでございます。ぜひ文部大臣の、もう一度積極的な御意見、御感想をお願いいたします。
  80. 小杉隆

    小杉国務大臣 検討委員会でも一応そういう提言をしているわけでありますから、当然、修業年限の延長も視野に入れながら検討を進めてまいりたいと思います。
  81. 肥田美代子

    ○肥田委員 学校教育法では、大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的、さらには応用能力展開させることがその目的となっております。しかし、大学に入学したからといってその目的に沿う人材が育つとは思いません。大学に入学した子供たちが入学前にどのような教育環境にあって、どのような教育を受け、どのような人格の形成が行われたかということが実は大変重要なことだと私は思っております。  そこで、初等教育のあり方を本法案と関連して審議することはとても大切なことであると思っております。そうした基本認識に立ちまして、これから質問をさせていただきます。  橋本総理大臣は所信表明演説の中で、知識を教え込むだけでなく、伸び伸びと生きる力をはぐくむ教育を目指すという方針を示されました。小杉文部大臣も所信演説において、ゆとりの中で子供たちが生きる力をはぐくむ教育を重視していくと強調されました。  そこで、大臣の所信演説及び学習指導要領、文部省が策定しました教育改革プログラム、この三つを貫く理念はどこにあるのか、簡潔に大臣にお答えいただきたいと思います。
  82. 小杉隆

    小杉国務大臣 簡潔にということでありますから一言ずつ申し上げますが、私は、教育改革というのはすべての社会経済システムの基礎である、国政の中でも最重要課題の一つであるという認識のもとに、今回、教育改革プログラムを発表いたしました。全力を挙げて、文部省を挙げて、今この改革に取り組んでまいりたいと思っております。  それから、学習指導要領については、ほぼ十年ごとに新しくしているわけですけれども、特に最近の情報化、国際化というような変化に応じて、子供たちが心豊かに、主体的、創造的に生きていくということが大切だと思っておりまして、そのような資質や能力を育てるために四つの方針によって現行の指導要領は改訂したものでありまして、まず一つは心豊かな人間の育成、二番目が基礎、基本の重視と個性教育の推進、三番目が学ぶ意欲やみずから考える力など自己教育力の育成、四番目に文化と伝統の尊重と国際理解の推進、こういうことでございます。  そして、教育改革プログラムについての基本的な考え方、これは短く申しますが、二つの視点と三つの手法ということを私申し上げているのですが、まず一つは新しい時代に対応した人材の養成、それから二番目が子供の個性に応じたいわゆる人間性の育成、こういうことで正義感とか思いやりとか倫理性とか、そういうものを育てる、あるいは創造性、国際性というものをつくる、こういう主として人材育成と人間形成、この二つが大きな視点でございます。  その手法としては、今までのような画一的、均一的な教育制度ではなくて、もう少し多様で柔軟な対応を進めていきたいということ、それから二番目に、教育の世界だけに閉じこもらないで、オープンな姿勢で、外の世界とも連携しながら広い視野で進めていく、それからもう一つは、目標期限を設定して、実行第一にやっていく、こうい う基本的な考え方が大切だと考えております。
  83. 肥田美代子

    ○肥田委員 大臣が今お答えくださいました理念は、要約すれば、子供の個性の尊重、みずから学ぶ力の獲得ということになろうかと思いますけれども、では、その理念は本当にどうやったら実現可能なのか。大臣、今確かに、多様な幅広い視野でというふうに、いろいろなことをおっしゃってはくださったのですが、私はまだそれが具体的に実現できる手法だとは感じられないのです。もう少し具体的にお話しくださいませんか。
  84. 小杉隆

    小杉国務大臣 今度の教育改革プログラムでも、大きな三番の柱として、「学校外の社会との積極的な連携」ということで、もちろん家庭、地域社会あるいは学校外のいろいろな団体との提携とか、そして特に五番目におきましては、経済団体等。今までは教育関係というと、いろいろなボランティア団体とかPTAとか学校の先生とか、そういう教育界の人に割と限定されていたのですが、もう少しそれを外の世界に幅を広げて、経済界の人たちとの協力ということで、単に教育界だけではなくてもっと幅広く輪を広げてやっていく、こういう考え方でございます。
  85. 肥田美代子

    ○肥田委員 私は、教育改革の目標は、子供たちが生き生きとした表情で毎日行きたくなる学校、子供たちの能動性を引き出すことのできる学校に変革することだと思っております。これは教師の力と教科書だけではできることではない、そのことは今大臣もおっしゃったとおりでございます。それで足りないから、学校現場の教師たちは子供の学習意欲を引き出すためにさまざまな工夫をしているわけでございます。例えば、これまでの教え込み授業だけでなくて、子供たちがみずから学ぶ図書館活用の調べ学習を導入したことで、子供たちの学習意欲が大変高まったという教育実践もたくさん聞いております。  調べ学習は学校図書館が情報源であります。学校図書館を活用することで、子供たちはいろいろな情報にアクセスできます。大臣がお進めになっている環境に関する教育につきましても、やはり現場に行く前に子供たちはそこでいろいろな本をひもといて調べていく、そういうステップが要るわけでございますね。こういう教育実践を積極的に大臣が奨励し援助していかれるべきだと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  86. 小杉隆

    小杉国務大臣 今おっしゃるように、これからの教育というのは、ただ一方的に教え込むというのではなくて、本来エデュケートというのは引き出すという意味でございますので、子供の本来持っている個性とかいい点を引き出す、こういうことが必要だと思います。そういう面では、みずから学び、みずから考え、みずから問題を解決する能力とか、豊かな人間性といった生きる力をはぐくんでいく必要がある。そういう際に、今言われたように、図書館とか、学校図書館もそうですが、非常に重要な役割を果たすと思っております。
  87. 肥田美代子

    ○肥田委員 その点では私と文部大臣の意見はきちっと一致したというふうに理解させていただきます。  学校図書館法は学校図書館を、教育課程の展開に寄与する、学校教育に欠くことのできない施設として定め、「児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的」とするとしております。この法律趣旨からしますと、学校図書館は、単に本を読むだけの場所ではなく、中教審答申でも明記された学習情報センターとしての機能を持ち、子供の心のスペースでもあります。  しかし、学校図書館は、教科学習とか詰め込み学習の被害を受けまして、疎んじられ、かぎのかかった本置き場として、四十数年間無用の長物でもあるかのように扱われてまいりました。今日でも、学校長の中には、図書館は教育にとって何の役にも立たないと公然と発言する方もいらっしゃいます。  一体図書館を軽視する風潮はどこから生まれたのか、そしてこの風潮はどんなふうに克服できるのか、大臣の御見解を伺いたいと思います。
  88. 小杉隆

    小杉国務大臣 言われたように、学校図書館というのは、心のオアシスとして、読書を楽しめる読書センターという機能もありますし、また、高度情報通信社会における学習情報センターとしての機能も持っていると思うので、こういうものを積極的に活用していっていただきたいと思っております。  しかし、考えてみますと、子供を取り巻く社会環境が大幅に変わっておりまして、家へ帰るとテレビ、おもしろい番組がどんどんありますし、最近はファミコンとかコンピューターがあって、外で遊ぶこと、勉強することよりもまずそちらが優先というような、そういう環境の変化というものがあります。しかし、やはり読書の大切さというものをもう一度知ってもらうためには、私は、学校図書館の活用ということが非常に大事だと思っております。  そこで、平成五年度から九年度までの五年間で、学校図書館図書整備新五カ年計画というのをつくりまして、蔵書をふやすということとか、読書指導とか、情報化にどう対応していくかというようなことを通じまして、今研究指定校とか推進地域をつくりましてやっているわけでございますが、そうした努力を通じて、何とか子供さんが読書の習慣をつけ、読書のおもしろさを見出すという方向へ努力をしたいと思っております。
  89. 肥田美代子

    ○肥田委員 五年間で五百億の予算を計上して学校図書館の蔵書を一・五倍にしようという、今大臣もおっしゃいましたが、その計画が平成五年に始まって、平成九年に終わります。この計画は、やはり図書館政策をきちんとしたいという文部省の大変いい御意思のあらわれであると私は思っておりますし、これは都道府県教育委員会への大変な刺激になったわけです。図書館の充実に向けて、都道府県の方でもやはりどんどん取り組みが始まりかけております。この学校図書館五カ年計画は、私は文部省のヒット作だと思っております。今までがらんとしていた本棚にほんの少し活気が出てきた学校もあるようでございます。(発言する者あり)今声がございましたけれども、鳩山文部大臣のときにあの計画が出発したやに私は伺っております。  それで、この五百億円の地方交付税でございますけれども、せっかくいいことを始めてくださったのですから、来年で終わらせずに、第二次ということをお考えいただきたいのですが、いかがでございましょうか。
  90. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 先生今御指摘のとおり、平成九年度が最終年度でございます。私どもといたしましては、平成六、七、八年度の状況につきまして今予算措置の概要等を調査中でございますが、平成九年度、最終年度におきましては、改めてその計画の実施状況について調査し、それを踏まえまして今後どうするか検討していきたいというふうに考えておる次第でございます。
  91. 肥田美代子

    ○肥田委員 実施状況についての調査をもう少し早くしていただきたいと思うのです。そうでないと平成十年度の予算に間に合わないことになります。せっかくいいことをなさってくださったのですから、文部省を挙げてもう一回第二次を進めるぞという御意思をぜひいただきたいと思うのですが、大臣、いかがですか。
  92. 小杉隆

    小杉国務大臣 平成九年度で全くやめてしまうという考えは持っておりません。今局長が答えましたように、今までの実態を十分把握した上で、これからもし計画をつくるとすればどういうところをもっと重点を置いていったらいいのか、いろいろと試行錯誤をしながら検討して、ぜひ新しい計画には前向きに取り組んでいきたいと思っております。
  93. 肥田美代子

    ○肥田委員 第二次計画も頑張るぞという文部大臣のありがたいお言葉をいただきました。  ユネスコの学校図書館メディア奉仕宣言では、学校図書館メディア奉仕は指導及び学習計画に継続的な支援を与え教育的変革を促すとありますが、これは学校図書館を学校教育のど真ん中に置こう、こういう意思だというふうに私は理解しております。  文部省は、いじめの解消問題でカウンセラーを 配置したり、それなりの努力をしてこられたことは私も承知いたしております。しかし、それは対症療法の一つにすぎないこともおわかりいただけると思っております。いじめは子供たちの心の空洞化、あるいは人と人とのつながりの希薄さから生まれてくるのではないかと私は考えております。対症療法では根本的な解決は困難であると思います。いじめの根本的な解決は、子供たちの心の空洞化でありますとか、人と人とのつながりの薄さをどうやって我々が本当に解決していくのか、そして子供たちがみずからの感性を磨いて心の輝きを取り戻す、思いやりをはぐくむこと、そういうことがとても大事だと私は思うのです。言葉ではこういうことは言えるわけですけれども、実践になるとなかなか難しいということも私は理解しております。  ただ、ここで一つ提案したいのですが、その解決の一つに子供と本の距離をぐんと近づける、そういう方法というのは、大臣、いかがでしょうか。
  94. 小杉隆

    小杉国務大臣 それは、先ほどからお答えしているように、私は大変重要だと思っております。
  95. 肥田美代子

    ○肥田委員 一冊の本との出会いがその後の人生を決めたということは、先人たちからよく伺うお話でございます。そして、恐らく大臣も、青春時代にお読みになった本の幾冊かは生涯忘れられないものがあると私は思います。  私は、子供たちが本を読む国の未来は輝くということを信じております。ですから、大臣もそのことを私と同じように信じてほしいわけでございます。そして、ふくよかな人間形成を目指して、限られた時間の中で読書時間をとり、学校に潤いを取り戻そう、そういう先生方の努力が今、少しずつではございますけれども功を奏しております。  それで、もう一つ伺いたいのですが、学校図書館の現状はその利用段階に応じて何段階かに分かれると思うのですね。まず第一段階は、かぎのかかった倉庫となっている。第二段階は、子供が来て勝手に読んでいる。第三段階は、先生と子供が選び合いながら本を読んでいる。第四段階は、授業の中に位置づけ活用している。第五段階は、蔵書、資料がたくさんあって、教科学習の理解を深め、情報を手に入れ、みずから学ぶ力を育てているということになろうかと思います。大臣は学校図書館についてどんなイメージをお持ちですか。
  96. 小杉隆

    小杉国務大臣 一番望ましいのは第五段階だと思いますが、現状はなかなかそこまでは行っていないのではないかなと思っております。
  97. 肥田美代子

    ○肥田委員 もう少し正直に、現在は第一段階ですというふうにお答えくださるのかなと思いましたが。  学校図書館は子供が主役でございます。子供の時代感覚に沿って環境が整備されなければいけないと思うのです。子供たちにどんな学校図書館が欲しいと聞きますと、ドアがない図書館がいい。それから、いつでも借りられる図書館、自分たちの選んだ本が並んでいる図書館。読書相談に乗ってくれる人がいる、お姉ちゃんがいる。それから、寝転がったり、円形テーブルで意見を交換したり、情報交換したり、自由なスタイルで利用できる。厳粛さがなく、これはちょっと言葉がかたいですね、とにかく静かにしろと言われないで活気に満ちている図書館である。それから、BGMが流れている。新鮮な情報がいっぱいある。そういうことを子供たちは子供なりに希望しているわけでございます。私は、こうした子供の要求を全面的に受け入れることが是とは思っておりませんけれども、確かに必要ではあると思っております。子供たちは、これまでの暗い、そして静かなイメージではなくて、明るい、夢があり、そして動きもあり、その反面考え事もできる、そうした伸びやかさのある図書館を求めていると思うわけでございます。  時代の変化は子供の興味を変えました。高度情報化と国際化の波は子供たちの足元を洗っております。子どもの権利条約は情報へのアクセス権ということを保障していますが、学校図書館は実はそれをまさに実現する宝庫だと思うのですね。学校の中で外からの情報が入ってくるのは恐らく学校図書館一つではないかと思うのです。  ですから、これまでも繰り返し申し上げてまいりましたが、宝の持ちぐされをしている、何とかしていただきたいというのが私の願いでございました。子供たちの期待する学校図書館づくりは、まさに総理がおっしゃるように未来への投資だと思うのですね。ですから、図書館充実に向けた決意を、しつこいようでございますけれども、大臣もう一度よろしくお願いします。
  98. 小杉隆

    小杉国務大臣 肥田先生のような方が全員学校図書館の司書になっていただいたら本当にすばらしいなと今聞いていて思いました。おっしゃるようなそういう形の図書館、本当に実現したいと思いますが、財政的な制約とかございまして、その点ではぜひ国会の先生方に御協力をいただきたいと思っております。  クリントン大統領の今度の一般教書の中での教育改革におきましても、インターネットで図書館と学校を結ぶというようなことも提言しておりますし、私どもそういった方向にぜひ努力をしていきたいと思っております。
  99. 肥田美代子

    ○肥田委員 御承知のように、現在の学校図書館法は、本則では司書教諭を置くことを定めながら、附則では特例として「当分の間」「司書教諭を置かないことができる。」とあります。赤松元文部大臣からは、「当分の間」を四十年間にわたって放置してきた責任は文部省にあるという答弁をいただいております。  この「当分の間」を削除しようと、参議院では平成八年の百三十六通常国会で上程いたしましたが、審議未了、廃案になりました。今回も議員立法として参議院側から提出していただく準備を進めているところでございますが、これは新時代要請にこたえる新しい学校図書館を目指すほんの第一歩であると私は思っております。大臣は、「当分の間」の削除を目指す学校図書館法改正案についてどのように評価されていらっしゃいますか。
  100. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 学校図書館が成果を上げるためにはいろいろな条件が大切でございますが、そこで子供たちに読書の指導等を中心になってなさる司書教諭という方が図書館に置かれるということは大変重要なことだと思います。  そういった趣旨を内容といたします改正案でございまして、学校図書館の一層の成果を上げるという趣旨から大変意義のあるものだというふうに理解をしておるところでございます。
  101. 肥田美代子

    ○肥田委員 学校図書館法改正案では、専任の司書教諭を配置するという内容になっておりません。ですから、このままいきますと、先生方の負担が重くなるというのが現場の方々の大変な不安でございます。私も、先ほどから文部大臣もおっしゃっていただきました今後の学校図書館の果たす重要なる大きな役割を考えますと、授業時間を抱えた先生の兼任ではとても無理ではないかと思っております。  常に学校図書館に読書の相談ができる人がおりますと、図書館の雰囲気が変わり、貸し出しにも大きく影響するという教育実践から、各自治体はそれぞれの自助努力で学校図書館に司書を配置してまいりました。その自治体の努力で配置された司書は、現在どのくらいの人数に上っておりますか、雇用関係はどうなっておりますか。その辺、実態をお尋ねしたいと思います。
  102. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 平成四年十月現在の調査でございますが、小学校におきまして三千六十七人、中学校で千四百四十三人、高等学校で二千九百三十二人、特殊教育諸学校で七十一人、計七千五百十一二人という数字と承知しております。  これらの方々は、それぞれの自治体において採用されました地方公務員でございまして、学校図書館の運営事務を担当する職員というふうに理解をいたしております。
  103. 肥田美代子

    ○肥田委員 学校図書館法の改正が成立しまして司書教諭の配置が義務づけられますと、この自治体に置かれた司書の皆さんが職を追われるのでは ないかと大変御心配なのですね。ある方々はやはりこの法律を改正しないでほしいという動きまであるわけでございますが、この状況について、この方々の不安を何とか払拭したいのですけれども、いかがでしょうか。
  104. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 学校図書館の事務職員の方々は、ただいま申し上げましたようなことで図書館の事務をつかさどる職員として置かれております。一方、司書教諭は教諭をもって充てるということでございまして、これは別の系統で置かれておる職員でございます。したがいまして、私どもは、司書教諭の発令が推進されると、そのことによってこの事務職員の方々が削られるということではない、それぞれ別の役割分担を持った職として置かれている、こういうふうに理解をいたしております。
  105. 肥田美代子

    ○肥田委員 そう言っていただけると、恐らく現場の方々も少しは御安心なさると思いますが、実は、私はまだ正確には確かめていないのですが一班に学校司書さんたちの中でそういう首切りが始まっているというようなお話も聞いているのですけれども、こういうことに関してはきちんと文部省は対応してくださいますね。
  106. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 いろいろな情報がございましたが、私どもも情報の収集に努めたいと思います。  それから、学校図書館の重要性ということで、司書教諭と事務職員というそれぞれの役割分担で置かれる職でございますから、混交しないように十分に留意してまいりたいというふうに思います。
  107. 肥田美代子

    ○肥田委員 将来的にはやはり司書教諭も必要だし学校司書さんも必要だ、そういう豊かな学校図書館になるように、やはり私たちは今までの四十年間のツケを子供たちにしっかりと払っていきたいと思っております。どうか文部省の中でももっともっと学校図書館に関する議論を巻き起こしていただきまして、子供たちへの大きな大きな贈り物にしていただきたいと思います。学校図書館につきましてはこれで質問を終わりますので、最後に大臣、もう一言、頑張るぞとおっしゃってください。
  108. 小杉隆

    小杉国務大臣 今、財政が危機的状況を迎えまして、福祉でも教育でも、その他もちろん公共事業もそうですけれども、聖域を設けないということで徹底した見直しを迫られているわけですね。特に、今度予算委員会などでも、義務教育費国庫負担金、これを鳩山元文部大臣指摘されましたけれども、こういうものまで論議がされる時代ですから、ましてや今司書を必ず義務づけるというようなことが、財政的な制約から非常に、私はここでおいしいことを言いたいのですけれども、なかなか厳しい現実があることを御理解いただいて、ぜひ、読書と子供、とにかく受験教育で教え込まれるばかりの教育ではなくて、本当に本と親しんで、自分で考え、自分で何かを主体的に判断をする、そういう習慣をつけるための図書館の重要性、そしてそれを指導する司書の重要性、これをやはりもっともっと世間に啓蒙していただきたいなと思うわけでありまして、私どもは限られた条件の中で精いっぱい努力をしていきたいと思っております。
  109. 肥田美代子

    ○肥田委員 大臣の積極的な御意見、ありがとうございました。応援団の大きな大きな声として、私はこれを皆さんに伝えてまいりたいと思っております。ありがとうございます。  それで、超党派の国際子ども図書館設立推進議員連盟で国際子ども図書館を平成十年開館予定にしておりますけれども、この図書館の方では実は、学校図書館とかそれから公立の図書館とインターネットで結んで連携作業をしたいというふうにもくろんでおりますけれども、学校図書館の方ではこれをどういうふうに受け入れられるのかなと私はちょっと心配しておりますので、事務方の御意見で結構ですから、お願いします。
  110. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 私どももいろいろといわゆる国際子ども図書館の内容につきまして勉強させていただいておりますが、私ども伺っておりますと、この図書館は、非来館型の形でサービスを提供する、そして各地の図書館あるいは学校との資料、情報の交換というようなことに重きを置いた形で運営するという御計画と聞いております。  それで、私ども、この図書館との具体的な連携のあり方につきましては、この図書館のこれからの進捗状況等を十分内容を理解しながら検討したいと思っておりますが、今私ども、学校図書館と地域の公共図書館との間の連携というようなものはモデル的なものを設けてやっております。そうしたものの実践の積み重ねはこの国際子ども図書館が発足した段階では十分生かしていけるのではないか、そんな気持ちで今この面の研究をいたしている、こういう状況でございます。
  111. 肥田美代子

    ○肥田委員 この国際子ども図書館は、恐らく、日本には国立として子供の図書館がなかったわけですから日本一でありますし、アジアでも一番大きな規模になる、ひょっとすると世界で一番大きな規模にしたいというふうに思っておりますので、ぜひこれからも文部省からの御協力もいただきたいと思います。  今ちょっと情報が間違っていたように思います。といいますのは、非来館型ではなくて、子供たちがどんどんやってまいります。そして、本当に子供の図書館というのはこういうものだぞというモデルケースであるような図書館をつくりたいと思っておりますし、その一方でやはり情報の交換をしていく、そういう図書館でありたいと思っておりますので、その辺だけ訂正させていただきます。  それで、最後の質問に入らせていただきますが、参議院の召集後五十年を記念いたしまして子ども国会を開催しようという動きが参議院の方でございます。今、参議院で超党派で話し合われておりますが、子供時代に民主主義を体験するということは大変大事なことでありますし、二十一世紀の政治のレベルアップにあるいはつながるのではないかというふうに私は期待しております。  それで、文部省も御協力をいただけるようお願いを申し上げます。ただ、私が言うのじゃございません。人が言うのです。文部省にやらせると、優秀な子ばかり呼んできて、そしてテーマもしっかり決めちゃって粗相のないようにしちゃうんじゃないか、その辺がとても心配だと。これを実施するのは参議院でございますので、その辺はちょっと筋違いかと思いますけれども、文部省がかかわっていただく以上は、テーマでありますとか子ども議員の人選でありますとか、そういうことはそっとしていただいて、そして大きな力で支えていただく、そういうことをぜひお願いしたいのでありますが、大臣、いかがですか。
  112. 小杉隆

    小杉国務大臣 参議院の方で子ども国会の構想があるということは聞きました。  それで、政治に対する関心を高めていくという面では非常に有意義だと思います。これをどう進めていくかというのはまだ参議院の方でも具体的な検討をされている最中だと思いますが、文部省としては精いっぱい御協力をしていきたいと思っております。  今言われたようにエリートの子供ばかり集めるとか、そういうことは考えておりませんし、どういうふうに選ぶのか、そういう点も、参議院、国会の御意向をよく承りながら、私どもの側としては、先ほど申し上げたように御協力をするという立場で頑張っていきたいと思っております。
  113. 肥田美代子

    ○肥田委員 ややもすると、大人はおせっかいでございまして、子供たちにやらせの議会をするようなことが失敗経験としてございますので、ぜひ子供の自治をとても大切にしていきたい。そのために、もし参議院の方でそういう間違った意見が出ましても、文部大臣はきちんとそのことを抑えていただきたいと思います。最後にそれをお伺いして、私の質問を終わります。ありがとうございます。
  114. 小杉隆

    小杉国務大臣 まだ時間があるようですから。  文部省としては、やはり子ども国会が教育的にどういう効果を持つか、そういう見地から協力をしていくべきだと思っておりますから、仮に、大人の感覚で、あるいは国会の方の考え方でこう やってくれと言われましても、それがもし教育上に悪い影響を及ぼすというようなことであれば我々としては考えざるを得ないし、文部省の立場で、子供たちにとって本当にこれがいい企画になるように、そういう観点に立って協力をしていく、こういうスタンスでございます。
  115. 肥田美代子

    ○肥田委員 済みません。  最後に一つ大臣、ちょっと今気になったのですが、教育上ということだけは余りお考えくださらなくて、子供たちが本当に伸びやかに二十一世紀に向かってのドアをあげられる、そういう観点でぜひよろしくお願いいたします。
  116. 二田孝治

    ○二田委員長 石井郁子君。
  117. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。提出されました国立学校設置法改正案について質問いたします。  まず、国立大学学部の名称及び筑波大学の学群の種類を法律事項から政令事項とすることについて伺います。  もともと、国立学校設置法大学学部等が法律事項とされてまいりました。この趣旨は何でしょうか。
  118. 雨宮忠

    雨宮政府委員 国立大学学部の名称につきましては、国立学校設置法昭和二十四年に制定されたわけでございますが、それ以降法律で規定されてきたわけでございます。このように学部の名称につきまして法律で規定されてきた、少なくともこれまでの意味と申しますのは、学部というものが、やはり大学におきます教育研究活動を実施する上での基本的な構成単位であるということから法律事項とされてきたというように理解しておるところでございます。
  119. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それでは、一九八三年に国家行政組織法が改正されまして、各省庁の内部部局等がそれまでの法律事項から政令事項とされたわけですけれども、そのとき大学院も政令事項とされました。我が党はこれについては改悪ということで反対したのですけれども、しかし、その際にも大学学部は従来どおり法定事項のままということにされたわけですね。この理由について、当時政府は国会でどのように説明されたのでしょうか。
  120. 雨宮忠

    雨宮政府委員 昭和五十九年の七月の国立学校設置法の一部改正、これは今先生御指摘のように国家行政組織法の改正の考え方に従って整理されたわけでございます。その際に、大学院を置く大学の指定でありますとか、あるいは国立大学に附置される研究所の名称でありますとか、大学共同利用機関の名称でありますとか、これらにつきましては政令事項とされたわけでございますが、学部につきましては、これらとの比較の上で、なお基本的な大学の構成要素たる地位があるのではなかろうかという理解のもとで法律事項として整理した、こういうことでございます。
  121. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 この間の経緯のことをちょっと私、振り返りたいのです。  国家行政組織法改正案が審議された第百国会の衆議院行革特別委員会で当時の中曽根首相が、大学院を政令としたのに学部法律事項のままにする、このように答弁されているわけでございます。「大学院の場合は必置ではなくして、大学院は設けることができる。学部は必置になっています」と。「大学というものができる以上は学部のない大学というのはあり得ない。そういう意味においてちょっと性格が違うのじゃないか」ということがございました。  また、百十八国会の参議院の文教委員会で、当時の坂元局長が述べておられるわけです。少し長いのですけれども、ちょっと御紹介します。  「私どもも文部省部内でいろいろ検討をいたしました。その際に、私どもとしましては、国立大学というのが国民の教育機関として広く国民に利用されておる、国民の生活にある意味では重要な関係を持つ機関であるということ、それから教育の機会均等の確保という要請から、地方などはむしろ国立大学が地方の高等教育の重要な機能を持っておるというようなこともございまして、国立学校設置法において大学の名称と位置は当然設置法で規定すべきであるという結論にまずなったわけでございます。ついては、文部省内で学部についてはどうするのかなということを議論したわけでございます。当時、私、担当の大学課長であったわけですが、そこの結論としましては、学校教育法の五十三条におきまして「大学には、学部を置くことを常例とする。」と規定されているわけでございます。大学にはまず常例として学部があるんだということ、それから伝統的に、我が国の総合大学もそうでありますが、学部を中心にしてまず単科大学ができ、それから総合大学発展してきたというようなこと等も考えますと、学部大学教育研究の基本的な組織であるから、これもやはり大学の名称、位置とあわせて法律事項として法律に書き、その都度国会の御審議を仰ぐべきではないかという結論になりまして、学部まで国立学校設置法で規定することにしたわけでございます。」と答弁がありました。  ところが今回、学部法律事項から政令事項とするということですね。大学学部は、大学を構成する基本的な構成要素、大学教育研究の基本的な組織ではなくなったという御認識ですか。
  122. 雨宮忠

    雨宮政府委員 学校教育法でも規定されておるわけでございますが、大学には数個の学部を置くことを常例とするということでもございますし、学部が主として高等学校卒業者に対する基本的な入口であるという意味合いは現在も基本的には変わっていないというように考えておるわけでございます。
  123. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ですから、なぜ政令事項とするのか、このことをお聞きしているわけです。もう少しはっきり御答弁ください。
  124. 雨宮忠

    雨宮政府委員 いかなる事項を法律事項とし、あるいはいかなる事項を政令以下の事項として整理するかということにつきましては、もちろん私どもの考え方ということもあるわけでございますけれども、基本的に、法律事項として何を残すかということにつきましては、やはり国会の御審議の上でということになろうかと思うわけでございます。  近年、御案内のように、文教委員会の場におきましても、ここ三年そうでございますけれども、国立大学学部名称の変更等につきまして、必ずしも法律で規定しなくてもいいのではないか、そういう角度からの御議論もあったわけでございます。  私どもなりに種々検討いたしまして、また近年の学部改組の実態、すなわち、社会経済情勢の変化等に応じまして、各大学大学改革ということの一環といたしまして学部改組というものを非常に頻繁に行ってくるということが現実にあるわけでございます。そのような動きとも関連しまして、全体の行政の簡素化というような観点からも、この際、法律事項から政令事項に移行させるということの方が、国会の御審議の動向やらあるいは私どもの見ております大学改革の動向やらによりふさわしい考え方ではなかろうかということで、御提案申し上げているわけでございます。
  125. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 文部省の資料も見てみますと、今回の法改正について、今御答弁のように、国会の審議等を踏まえということも確かにございました。  確かにこの問題では、ここ数年の衆参の文教委員会で各議員の皆さんから、学部をつくるのにどうして国会で法律を変えなければならないのか、新しい学部をつくるのにわざわざ国会で審議しなくても役所限りで政令等にゆだねてしかるべきではないかとか、また、学部の改組を法律事項とすることは時間も手間もかかるという質問があったというふうに伺っております。今御答弁でも、簡素化を図りたいということもありました。  それでは確認したいんですけれども、法律事項だったら時間がかかる、手間がかかるということですか、政令にすると時間と手間はかからないということなんでしょうか。
  126. 雨宮忠

    雨宮政府委員 時間がかかる、かからないということにつきましては、これは国会の御審議の問題でございますので、私どもの方からとやかく言 うべき事柄ではないとは思うわけでございますが、少なくとも手続といたしまして、例えば新しい学部を設ける一あるいは学部改組をするということにつきましては、これは予算に当然かかってくるわけでございます。予算事項として御承認いただけるということでありますれば、その段階で私ども政令でしかるべき制度的な措置を講ずることができるわけでございますが、それに対しまして、法律でということになってまいりますと、その上に法律の御審議を経た上で、その成立を見た上で初めて学部の名称変更等々の措置がとれる、こういう違いが出てまいるわけでございます。
  127. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 どうもいろいろ言われているのがもう一つはっきりしないんですけれども、結局、学部の設置や改組等については、法律事項だったら文部省が法案をいろいろ作成して国会に語る、そういう手続が要る、時間と手間がかかるということじゃないか、それをやはり省略したいということじゃないのかというふうにとらざるを得ませんし、また、今予算のことを言われましたけれども、確かに大学の予算としてはかかるわけですけれども、また学部の設置、改組も予算を伴いますけれども、このことで国会に諮られるということと、学部の改組をちゃんと法改正で行うということは全く違う問題ですよね。ですから、やはりそれを一緒くたにするわけにいかないというふうに私は思います。  それで、この問題については大学の方面から要求はあったんでしょうか。国立大学協会など、具体的に大学側から、これはもう政令事項にしてくれという御要望は聞いておりますか。
  128. 雨宮忠

    雨宮政府委員 大学改革の一環といたしまして、大学内部の組織編制をできるだけ柔軟にかつ弾力的に一また手続的にも簡略にした方がいいという考え方自体は大学審議会の中でも示されておるわけでございますし、また、学術研究という側面からは、特に近年、科学技術基本計画の中におきましても柔軟な組織編制ができるようにというような指摘があるわけでございまして、このような法律事項を政令事項にするということの基本的な考え方自体は大学関係者から支持されている、むしろ歓迎されているというように理解しておるところでございます。
  129. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 御提案のこの資料にも、より柔軟で弾力的な学部編成を促すことができるというようなことなどが書かれているわけですけれども、私はやはり、文部省の政令事項というふうにすれば、大学改革がどうなるのかということを考えざるを得ないわけです。  そこで、ぜひこれは大臣にもお聞きしたいわけですが、この学部の編成などに当たって、各大学の自主性を尊重して行う、そして、文部省大学改革あるいは学部の編成等に口出しはしないというようなことについて、どうですか、言うことができますか。
  130. 小杉隆

    小杉国務大臣 大学社会の期待にこたえてその役割とか使命を果たしていくためには、各大学における教育内容とか方法が一層改善充実されることが必要だと考えておりますが、こういうことは、基本的にはそれぞれの大学の自主性にゆだねられるというか、自主的な努力によって実現されるべきものだと考えております。平成三年の大学設置基準の大綱化ということを契機として、各大学ではそれぞれの理念とか目的に沿って特色のある教育研究活動を展開しておりまして、そのためのカリキュラム改革を何度もやっております。それから、自己点検とか自己評価というようなことで、積極的に自主的な大学運営、大学教育研究の成果を上げておられると思っております。  今後とも、各大学において教育研究活動の状況を継続的に点検、評価をして、不断に改革を推進していくことが望ましいと考えておりまして、我々はそうした各大学の努力を支援してまいりたい、こういう基本的な考え方を持っております。
  131. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 大学改革に当たっては大学の自主性にゆだねるというか、自主性を尊重するということでございましたので、ぜひそれを貫いていただきたいというふうに思います。  しかし、この間、これは一九九一年に大学設置基準の大綱化がされまして以降、大学改革ということが、大臣おっしゃいましたように、各大学で進められてまいりました。しかし、その際、当初大学が構想したものについて何度もやり直しをさせられたとか、また、予算を伴う改革文部省の意に沿わないものはできないとか、文部省の顔色ばかり見て学内の論議がおろそかになっている、こういう声を私どもは一部聞くわけでございます。大学関係者から聞いております。  ですから、政令事項となって国会の審議がなくなるということになれば、設置者としての指導とか助言というような名目で、ますます政府、文部省の意向が大学改革に反映されるということになるおそれがありはしないかと言わざるを得ません。文部省学部の改組などを認可する仕組みはそのままなんですね。ここをそのままにしておいて国会の審議はなしにする。ですから、これでは、国民の教育機関であり、また、国民生活にも重要なかかわりのある大学学部の設置、改組ということが、国会に語らずに、政府、文部省の一存だけでできるようになるというものと思うんですね。これはもう国会をないがしろにするものであり、私ども重大問題であるというふうに考えています。再度、大臣の御答弁をお願いします。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
  132. 小杉隆

    小杉国務大臣 国民の血税を使って国立大学は運営されているわけですから、全く野放しに自主性に任せるというわけにはまいらないと思います。したがって、私どもはそうしたことを踏まえて、しかし、なおかつ大学の自主的な運営ということを尊重していきたいということで、例えば、今度の平成九年度なんかでも、従来の教養部とか理学部とか農学部というような学部を編成して、理工学部とか農学生命科学部というような設置をしたり、横浜国立大学のように教育学部を改組して教育人間科学部というようなこととか、それから長崎大学でも環境科学部というような、従来の縦割り学部編成ではとても対応できないような実態を、大学の独自の考え方で、そういう学際的な分野とかもっと国際的な視野を入れなきゃいけないということで、かなり自由裁量で編成がえができるようになったということは、私は非常に前進だったと思います。  今御心配のことは、これから国会としても十分関与できるわけですね。例えば、こうやって毎年予算審議の中で大学のあり方についての審議ができるわけですから、こういう国会審議を通じて関与ができる。それから、今度の改正で、例えばこの法律事項を政令にしましたといっても、今度こういう学部をつくりましたということは、必ず次の国会に報告をしなければいけない、こういうことになっているわけですから、決して御心配の向きはない、私どもはそういう考えで臨んでまいりたいと思います。
  133. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 次に、今回新設される政策研究大学院大学について伺いたいと思います。  まず、この大学院大学の設立の経緯について御説明いただけますでしょうか。
  134. 雨宮忠

    雨宮政府委員 まず、制度的なところから簡単に申し上げたいわけでございますが、大学院大学というものが設置できるようにした、これが昭和五十一年の学校教育法の改正であったわけでございます。また、あわせまして、それに二年ほど先立ちまして、学部に基礎を置かない研究科、これを独立研究科と言っておるわけでございますが、これが可能であるというのを昭和四十九年にやったわけでございます。これらの制度的な措置を受けまして、昭和五十年代の初めに、五十二年でございますが、埼玉大学におきまして、埼玉大学は御案内のように、教育学部でありますとか工学部でありますとかあるわけでございますが、それらの学部に基礎を置かない独立の研究科といたしまして政策科学研究科というものが設置されたわけでございまして、この政策科学研究科におきましては、先ほど来の御論議にもございましたように、留学生それから地方公共団体の職員等を対象として、政策科学の分野教育研究上の実績を上 げてきたわけでございます。  この教育研究上の実績をもとにいたしまして、これをさらに飛躍的に拡充したいということで、埼玉大学のもとに置かれました創設準備委員会におきまして、数年かかりまして準備を進め、昨年の九月に一つのまとめを出したわけでございまして、それに示されますような諸準備というものが整ったものだというように考えまして、来年度創設ということでお願いをしているところでございます。
  135. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今御答弁いただきましたように、埼玉大学、具体的には埼玉大学大学院政策科学研究科から構想が持ち出された、検討の結果、この大学院発展的に解消する、つまりこの大学院が独立する形で今回新設される、こういうふうに確認してよろしいわけですね。  次に、この大学院大学目的ですけれども、この大学院大学の設立の主な目的は何でしょうか。これも先ほど来の質疑がございましたけれども、ちょっと手短に御答弁いただけますか。
  136. 雨宮忠

    雨宮政府委員 創設準備委員会が昨年の九月に「政策科学教育研究機関(仮称)の創設準備について」ということで、今回法案でお願いしようとしております大学院大学の基本構想を示したものがあるわけでございます。それと今回のものとほぼ同じだというようにお考えいただきたいわけでございますが、それによりますと、「本大学院は、現実の政策課題の解決を志向した学際的・実学的・国際的・中立的な機関として、各界、各分野との連携・協力により政策研究を推進するとともに、この分野研究者の養成及び政策企画能力の強化に必要となる高度な専門的能力を有する国内外の人材の組織的養成及び再教育を行うことを目的」とする、こういうように書いてあるわけでございまして、今回お願いしておりますのもこのような目的を持ったものだ、こういうように御説明申し上げたいわけでございます。
  137. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今伺っておりますと、つまるところ、この大学院大学の主な目的というのは、高度な政策企画能力を持った行政官、この養成と再教育にあるというふうに理解できるのですけれども、どうでしょうか。違いますか。
  138. 雨宮忠

    雨宮政府委員 今の目的で申し上げましたように、現実に行政機関の職にある者、これが再びこの大学院大学に入学して研さんを積む、これもあり得ることでございます。またそれ以外にも、政策研究分野での研究者になるというようなこともあるわけでございますし、また、これは必ずしも行政機関とは限りませんで、民間企業におきましても、幅広い経営政策というような分野におきます研さんを積むということもあり得るわけでございまして、必ずしも行政機関の職員相手ということだけではございません。  また、かねて埼玉大学の政策科学研究科といたしましては幅広く留学生を受け入れておるわけでございまして、この機能につきましては、引き続きこの政策研究大学院大学でも大きな活動の要素として考えておるということでもございますので、それらのすべての人材養成を目的とする、こういうように御理解いただきたいと思うわけでございます。
  139. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 それでは伺いますけれども、今局長が例に引き出されましたその埼玉大学大学院政策科学研究科、ここでは実際どうだったのかということでちょっと具体的に挙げてみたいのですけれども、この大学院は七七年に修士課程大学院として設立されたわけですが、設立以降の大学院生の構成は、全体で五百三十名のうち、学部学生が三十二名です。留学生が二百二十四名、中央官庁からが九十六名、地方自治などからが百七十名、民間企業が八名ということです。ですから学部学生がほとんどいない。留学生といってもこれも行政官ですけれども、留学生を除くと、ほとんどの学生が中央官庁と地方自治体などからの学生で占められている。  また、大学院修了者で見ると、研究者や民間企業等への就職者はごくわずかです。ほとんどがもとの中央官庁と地方自治体等に原職復帰をしているわけであります。  また一方で、大学院大学の教官ですけれども、毎年、約三割は中央官庁の官僚が教官として在籍しています。延べ三百二十三名の教官のうち、中央官庁からが百六名です。三二%です。通産省、自治省、文部省、外務省などです。  文部省にお聞きしたいのですけれども、教官の約三分の一が中央官庁の行政官が占めている、学生もほとんどが現職の行政官である、国立でこういう大学院あるいは大学がほかにありますか。
  140. 雨宮忠

    雨宮政府委員 現実の政策課題を教育研究するということで埼玉大学として努力してきたわけでございまして、その教育研究活動の上で、他の既存の大学とは異なった特色も出てきたかと思うわけでございまして、その意味で、先生御指摘のように、他の大学では見られないような面というのは確かにあったわけでございます。  ただし、これらの特色というもの、これは基本的には、現実の政策課題を教育研究するというところにある程度由来するところもあるわけでございますが、基本的に政策研究大学院大学といたしましては、このような埼玉大学の傾向をそのまま引きずる引きずらないはともかくといたしまして、ともかくといたしましてというのはちょっと語弊がございますが、いずれにいたしましても行政機関の職員だけではなくて、当該政策科学研究という分野に興味、関心を持ちます学部卒も幅広く求める、それから民間企業の方々からも学生を求める、留学生からも求めるというように、幅広く入学者を求めるという考え方で対処したいということでございます。
  141. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、一般論として、大学における政策研究あるいは行政官の養成ということを頭から否定するものではありません。しかし今伺ってみましても、こうした大学院ということになると、大学と行政機構とのかかわりなど、危惧の念をやはり抱くものであります。  次に、具体的にちょっと伺いますけれども、この埼玉大学大学院政策科学研究科で、八一年に、安全保障と防衛政策の講座が開議されまして、その講座の講師に防衛庁の現職幹部、防衛審議官を依頼するということが学内で大問題となりました。当時のマスコミにも取り上げられていますけれども、文部省は御存じでしょうか。
  142. 雨宮忠

    雨宮政府委員 今具体的な資料が手元にございませんので確として御返事申し上げられないわけでございますが、官公庁からの教官ということでそのようなこともあり得たかと思いますが、ちょっと今具体の資料を持ち合わせないものですから差し控えさせていただきたいと思います。
  143. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 続いてですけれども、この計画は結局取りやめになっているのです。この大学院については、過去にほかにもまた問題が指摘されています。  これは、一九八五年に、この大学院の教官四名が、この研究科の現在のあり方が学問の自由と大学の自治を侵すものであるとして、研究科の内容について次のように告発をして辞職をされているのですね。  それによりますと、当時の吉村科長が政策科学研究科委員会でこのように述べている。官公庁等への年始回りは毎年行っているが、今回は喪中で回れないので、教授の方に手分けをしてお願いしたい、こういう発言があった。それで、実際に、吉村研究科長の名刺を持たされて、官公庁や政治家への年始回りが行われている。  また、アメリカの出張から帰国された二人の教官に対して、内閣調査室、いわゆる内調ですけれども、そのある人物が、直接にあるいは吉村科長を通じて、大統領選直前のアメリカの経済情勢について報告を求められている。しかも、その際、報告は内調のプロジェクトメンバーの義務とまで言ったそうであります。その二人の教官は、内閣調査室のプロジェクトに参加することを承諾した事実はないというふうに言っておられるわけです。  さらに、この研究科では、官庁からの出向人事というのが、吉村科長と行政官庁の人事担当者と の密室取引の形で進められている。これは八四年の新任人事、通産から二人、自治、農林、文部各一について、選考委員会を発足させないままに、科長の独断で選考が進んでいる。一括して研究科委員会に諮られて決定されている。事前に十分な時間的余裕を持って候補者に関する資料が委員会のメンバーに配付されたことは皆無だったというふうに言われています。これが事実だとすれば、私は、重大ではないかというふうに思います。  ですから、こうした大学院がいわば発展的に解消する形でというふうにして今回できるわけですけれども、今回の大学院大学が本当に国民に開かれた大学としてふさわしいものとなるのかどうか、責任が持てないのではないかというふうに指摘せざるを得ません。大臣の御見解を伺っておきたいというふうに思うのですが、いかがでしょうか。
  144. 雨宮忠

    雨宮政府委員 教官組織のためにいわゆる中央省庁の職員に出向を求めるということは当然あったわけでございまして、これについて、埼玉大学の政策科学研究科の方といたしまして、何らかの形で関係省庁に適任者を求めるというようなアクションがあるということは、これまでもあったことでありますし、これ自体はとやかく言うことはなかろうかと思うわけでございまして、ある意味で、他に人材を求めるということであるとしますれば、そういうこともあっただろうかということでございます。
  145. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今の答弁では全然、本当に重大性を認識されていないというふうに思うのですね。どこに人材を求めているのかということを問題にしているわけではなくて、学内の選考委員会も開かれていないじゃないか、書類も回っていないじゃないか、全く独断専行で進められているということがやはり学内の手続として問題じゃないのかと言っているわけですから、その点ではもっときちんとした認識を持っていただきたいというふうに思うのですが、大臣、いかがでしょうか、大臣の所見を伺っておきたいと思います。
  146. 小杉隆

    小杉国務大臣 この問題は、教育研究活動とか大学運営の問題であって、これはまさに大学自身がお考えになるべき問題だと思っております。  事実関係について私はよく承知しませんが、今までの大学院大学、三つありましたけれども、北陸それから奈良、これは主として自然科学を中心とした大学でありますし、総合研究大学院大学というのは、これはやはり横浜にあるわけですが、これは主として研究機関を中心としてできた大学院でありまして、今度の政策研究大学院大学というのは、いわばそういう自然科学とか研究機関ではなくて、人文科学というか社会科学というか、専らそういう分野、そういう政策の企画とか政策立案、こういうものに資するための大学でありますから、私は、いろいろな専門家の意見も聞いたり、あるいはいろいろな機関と協力するということは大切なことだと思っておりますから、一方的に、防衛庁を呼んだからけしからぬということではないと思いますし、今安全保障をどうするかというようなことについては、最も専門的に研究している人を呼ぶということは、決して差し支えのあることではないと思っております。  いずれにしても、この政策研究大学院大学の活動なり運営については大学の自主性の問題だと思っておりますから、とやかく文部省から、あれしちゃいかぬ、これしちゃいかぬとか、これはけしからぬなんということは言うつもりもありませんし、できない、そういう建前になっていると思います。
  147. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私も、社会科学分野大学院大学ができるということで、ある面で新しいわけですし、なおその内容というのは非常に重大だというか、吟味しなければいけないという面もあると思うのですね。行政とそういう学問とのあり方、癒着だとかそういう問題というのは、厳にきちんと見ていかなければいけないというふうに思うわけです。  それで、今述べましたように、やはりこの政策研究大学院は、経緯あるいはその目的等からして、幾つかの疑念を持たざるを得ません。このことを指摘して、私はこの質問を終わりたいというふうに思います。  時間がもう少しありますので、最後にもう一点、大学の予算について御質問させていただきます。  有馬大学審議会会長の「大学貧乏物語」という本がございますけれども、本当に大学の危機というのは一向に打開されていません。時間の関係。上、本当に絞ってですけれども、大学の基幹的教育研究経費である教官当積算校費、学生当積算校費、そして族費の問題で伺いたいのです。  一九九〇年十二月に、国立大学教官三万四千人を対象に、国大協の「教官の直面する教育研究費の現状」という調査がございましたけれども、これがきっかけで大学の危機打開策が政府挙げて取り組まれるようになりました。その中で、現状は必要額の二分の一以下です、旅費、図書費で自己負担という指摘がございました。回答者の七割、八割の方が最も増額を要望する項目として挙げたのが、教官当あるいは学生当積算校費、旅費でございました。  文部省、この間、この問題でどういう改善策をとられたのでしょうか。
  148. 雨宮忠

    雨宮政府委員 教育研究の基幹的経費であります教官当積算校費それから学生当積算校費でございますけれども、これにつきましては、平成九年度、対前年度単価増〇・四%ということでございまして、教官当積算校費につきましては約千五百四十一億円、また学生当積算校費につきましては約四百九十億円をそれぞれ確保したところでございます。  少ないではないかという御指摘かと思うわけでございます。現在の財政事情のもとで精いっぱい努力したつもりでございます。
  149. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は極めて重大だというふうに思うのですね。だって、倍増しなければならないという指摘があったにもかかわらず、八年間で教官当積算校費がわずか八%、学生でも八%の伸びです。この間の物価上昇率が七・一%ですから、実質据え置きという事態です。旅費に至っては、伸び率はゼロ%なのですね。だから大きな減額だ立言わなければなりません。  結局、今文部省予算で見ますと、高度化推進特別経費とか大学院最先端設備など配分されるところとそうでないところの貧富の差が極端になっているんじゃないでしょうか。とりわけ学部では、学部空洞化と言われるような貧困な状態であります。ぜひこれは大臣の御決意として、この大学の貧困を解消するために、基幹的教育経費である教官当積算校費、学生当積算校費の抜本的増額を図る、こういう点でのやはり努力をされるべきだという御決意を伺いたいというふうに思います。
  150. 小杉隆

    小杉国務大臣 平成九年度の予算の編成に当たりましても、大変危機的な厳しい財政状況の中で、私どもも精いっぱい努力をさせていただきました。特に、国立大学における教育研究費、そういうことで、科学技術研究費についてはほかの予算よりも大幅にふやしまして、先ほど申し上げたような数字で伸ばしたわけでありますし、また私立学校の助成についてもやりました。  しかし、一方において、財政難の中でいろいろな批判もあるわけでございまして、我々としては、やはりこの研究予算というものが本当に適正に使われているかどうか、それは常にチェックしていかなければいけませんし、またその研究費が本当にいい研究に使われているかどうかという評価、こういう問題も必要でありまして、そういう中にあって、私たちは、限られた財源をどうやったらできるだけ有効に、そして重点的に使うことができるか、そういう観点から今予算執行に当たっているところでございます。
  151. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、とてもそういう消極的な姿勢では大学の危機打開はできないというふうに思うのですね。少ない予算の中でどうするか、こういう発想になっているわけですから、その予算配分をめぐって文部省大学改革に口を出す、文部省の言うことを聞くところには予算が配分され ると言われるような状態が続くわけであります。私は、大学改革の大前提として、やはり教育研究条件の改善こそ最優先にする、この点で、大臣あるいは文部省挙げてもっと頑張っていただきたいということを申し上げて、質問を終わりたいというふうに思います。どうもありがとうございました。
  152. 河村建夫

    ○河村(建)委員長代理 保坂展人君
  153. 保坂展人

    ○保坂委員 朝からずっと長い質疑の中でお疲れだと思いますけれども、なるべくダブらないように聞いていきたいと思います。  今回の国立学校設置法の一部を改正する法律案の中で、まず最初に出てくる、法律で定めるところを政令によって柔軟にやるようにするということなんですが、その動機として、百二十六国会での附帯決議で「大学改革を進めるに当たっては、各大学が個性を発揮し、幅広い教養と深い専門知識という大学の理念に沿った教育充実及びその円滑な実施」というのが動機で、法律でややこしくやるよりも政令で簡単にということのようなんですけれども、先ほども似たような指摘もあったのですが、一見これは規制が緩和されるようで、どうでしょうかね。ここまでおっしゃっているのならば、各大学が例えば名称を変更するとか学部をこういうふうにつくるなんというのは、大学にゆだねるということはできないのでしょうか、そのことを伺いたいと思います。
  154. 小杉隆

    小杉国務大臣 大学の組織編制については、極力各大学の創意工夫が尊重されることが必要だ、こういう認識は持っておりますが、一方において、国立大学はあくまでも国民の税金を使うものであり、国家行政組織法上の国の機関という位置づけになっておりますし、また予算とかその定員、機構というもので制約がありますので、全部が全部自主性に任せるというわけにはいかない。そういうことの中で、しかし私は、今度の法案を通じて、できるだけ各大学が柔軟で弾力的な学部編成をやっていただいて、自主的な取り組みを積極的にやっていただきたい、こういう願いを持っております。
  155. 保坂展人

    ○保坂委員 文部省教育改革プログラムの最後の方にも、経済界との対話ということをこれからやっていくんだというのがあります。もちろん、教育界に閉じこもる論議よりは、経済界との対話というのはまさに必要だということは私も理解いたしますけれども、世の中は経済界だけではありません。ともすると、時代の風潮とか流行とか、あるいは例えば三十年前であれば鉄だったり石炭だったりという基幹産業が、今全然違っているというような現状もございますので、そこはぜひ本当に基礎研究というか基礎学問というか、そういうことの中で大学の個性をそれぞれの大学に求めていくということでお願いしたいと思います。  先ほどからずっと論議が続いておりますので、大学に関してこの辺にしておきまして、ちょうどここのところで、高校中退者ですね、公・私立高校における中退者数というプリントが文部省の方から渡されまして、これをかなり詳細に見て、幾つか疑問に思った点をお話をしたいと思います。  まず、その中退者の数なんですけれども、平成七年度、一九九五年、九万八千百七十九人で二・一%という数字になっているのですが、これは私は、実は私自身が高校中退をしたことがあるという国会議員の中では多分まれな経験の持ち主なんで、いわゆる後輩というか、いろいろ行き迷っている子供たちが非常に心配でならないということがあります。  以前に、この「高校中退生き方ガイド」とか、これは「THE中退」とか、これはどういうことかというと、高校を中退して行き迷っている若者たちに、こんな進路もあるよというようなものを提示していくような情報の本なんですけれども、大変な反響だったのですね。出たということが新聞に少し出ただけで、二千本以上の電話がかかってくる。それを通して体験しましたのは、物すごく中退者あるいはその親たちというのは悩んでいるんだという事実だったのですね。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕  例えば、この五年間だけでも、五十万人近く中退者がこのプリントでも計算ができます。  そこで、実はこの中退者がピークを数えていたのがちょうど今から八年ほど前、一九八九年、九〇年、その二年間は十二万人台という極めて多い数だったのです。ところが中退者の比率でいうと二・二%余りで、現在は人口が減っていますから、ほぼそのペースと変わらない人数でこの数年減ってきていたのですが、また少し今ふえたということで、この問題、何が根っこにあるんだろうかということを詳細に見ていきますと、中退と聞いて、何か学校が嫌になったとか、勉強が嫌になったということを我々連想しがちなんですが、明らかに今出てきているのは、学校選択を誤った、いわゆる学校に不本意に入学してしまった。したがって、やめるのは一年生が多いのですね。入学式から二日行ってやめたとか、入学式だけ出ましたというのがヒアリングしてみると、一年生でそんなやめ方をしてもったいないなと思うのですけれども、大変多いわけなんです。  そこで、さらに資料を見ていきますと、もう一度それでは学校に入りたいという希望を出している中退をした諸君というのが、一万人を超えておるわけなんですね。その十万弱の中の一万二千人ちょっとが、もう一回再入学をしたい。さらに資料をくぐってみると、定時制高校に二千人ぐらいが再入学をしている。それから全日制高校に。合わせて三千人ぐらいが再入学をしている。一万二千人ぐらいがもう一回学校に行きたいと望んでいながら、実際に入ったのが三千人余り。そのほかはどこに行ってしまったのかなというふうに思ったときに、文部省の資料の中に、全日制高校と定時制高校はあっても通信制高校というのが抜けているのですね、これはどうして抜けたのでしょうか。
  156. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいまお尋ねの、中退をした後どのような高等学校に進んだかという調査、実は平成七年度、私たちも問題意識を持ちまして、初めて調査をいたした次第でございます。そこで十分検討しなかったという面もあるわけでございますが、ただ、通信制につきましては、定時制、全日制と違いまして、学校に通学をしてくるわけではございませんものですから、入ってくるのではなしに出ていく、中退をする場合につきまして、まず中退をしたかどうかというところの捕捉が一つ見にくいというところがございます。ですから、それとの関連で、入ってくるというところにつきましても、この今回の調査からは抜けでございます。  今後、今の御指摘の点は確かに我々検討しなければならない点だなというふうに思っておる次第でございます。
  157. 保坂展人

    ○保坂委員 私は、この三、四年で二百人を超えるそういった中退をした若者に面接をしてヒアリングをしてきましたけれども、通信制に行っていますのが一番多いのですね。十四万近く今通信制の生徒がいるというふうに言われていますけれども、まず、その通信制の再入学した数はすぐおわかりだと思うのですね。要するに入学時点で見ればいいわけです。だから、これだけ見ますと、文部省の学校の規定に通信制は外れているのかななんという妙な誤解を生じるといけませんので、ぜひこれはつけ加えていただきたいというふうに思います。  それで、二点目になるのですけれども、私が手づくりでそういった本なんかを出して大変な反響を受ける。ちょっと異常な反響だなと思ったのですね、二千本も電話がかかってくるというのは。どうしてだろうと思ったときに、そうかと思ったのは、高校がら大学に行くときに、さまざまな業者から進路にかかわる雑誌とかカタログが送られてまいりますね。あるいは就職はこうですよと。大学からも企業からもたくさん来ます。ところが、高校中退をした者たち、十万人近くいるわけですね、この人たちには何か情報が供給されているのでしょうか。例えば学校をやめるときに、学校をやめてもこんな世界があるよ、この中から行けるものがありますよみたいな、そういう情報 提供が現在なされているのかどうか、ちょっと伺いたいと思います。
  158. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま先生御指摘のとおり、十万あるいは十二万というような推移でずっとこの数年来ております。そして、昨年、一昨年あたりから若干率、数ともに増加の傾向がある。これはやはり、せっかく高等学校に入りながら、ある意味では志半ばで中退をしていくということは大変大きな教育課題だ。もちろん義務教育ではございませんので積極的な進路変更もあるわけでございますけれども、やはり大きな教育課題だという認識を持っておりまして、協力者会議等を開いて、これに対する対応等をこれまでもずっと検討してきた経緯がございます。  今の御指摘でございますけれども、個々の学校に結論的にはゆだねられているわけでございますけれども、やはり、この学校を気に入らないということで去っていく、そういう生徒たちに対してどんな形の指導ができるかということ、ケースケースでいろいろ難しい面はありますけれども、一般的に我々は、中途で退学した、しかし彼らはさらに何らかの形で進路選択をして、職業生活あるいは新たな学校生活を送るわけでございますので、それに必要な情報はきちっと提供してほしいということは各学校にはお願いしてございます。ただ、中退の仕方等さまざまなケースがございますので、十分所期のねらいどおりの対応ができているかどうか、これは我々さらに検討し、研究していかなければいけない、そういう面はあろうかというふうに思います。
  159. 保坂展人

    ○保坂委員 世の中に中退問題の専門家というのは余りいないわけでございますけれども、私のような者から見ると、ここ七、八年で随分変わったと思うのですね、この高校中退者をめぐる状況というのは。つまり一行ける場所が非常にふえた。  こちらのガイドマップの目次にしているのは、例えば大学の検定、大検、これは大分知られています。それから通信制高校も物すごく多いのですね。広域通信制というのもたくさんあります。それから定時制も非常に中退者の受け皿になっている。定時制をやめる子も多いけれども、大変大事な存在。それから単位制高校、これは例の臨教審以降出てきた高校ですけれども、この単位制の仕組みなんかは、親たちも、先生によっても知らない方が多いのではないでしょうか。要するに今までだと、高校三年まで行ってやめた子供がもう一回入るというと一年生から始めなければいけない。単位制というのは、一年生、二年生までの単位はキープしてもう一回やり直せるわけですから、ある意味で非常に中途退学者がもう一回学びやすいという仕組みなんですけれども、こんなことを電話で話してあげると、そんなのがあるのですかということで大変喜ばれるわけですね。ほかにも、高校中退者を今言った単位制の仕組みに近い仕組みで受け入れている私立の高校もたくさんあります。  そういった情報をやはりきちっと提供していただきたい。各学校、高校に一つずつでもいいですから、そういう情報提供という点で、大変まだ手薄ではないかということを指摘したいと思います。  もう一点なんですけれども、そういった高校中退の子供たちのヒアリングをしていて、これが最も難しいな、将来生きていく上で、学歴の壁というよりも一番難しいと感じるのは、自己評価の低さなんですね。つまり、自分はもうだめな人間だ、いわゆる偏差値輪切りの競争から脱落して、だれもが行く高校にすら行けず、もう自分はろくなことはないんだというふうに、貝のように閉じてしまっている若者たちが物すごく多いのですね。この若者たちは人生をあきらめるべきなのかというと、実はそんなことはないわけでして、そのあたりのことを小杉大臣に、ことしも十万人いる高校中退をしている若者たち、どういうふうにお考えになっているか、ちょっと伺いたいと思います。
  160. 小杉隆

    小杉国務大臣 体験に基づいた貴重な御意見を拝聴させていただきました。  今のお話を伺っていて、やはり情報提供ということと進路指導の大切さということを痛切に感じました。中退したからといって人生がそれで終わりでもうドロップアウトしてしまうということは、これはまことにゆゆしき問題だと私は思います。少子化の時代になればなるほど、一人一人が本当に自分をまたチャレンジをする、そういう気持ちを持つということを大変大事だと思っておりまして、今委員の言われたことを大変いい参考意見とさせていただいて、私どもも積極的にそういう方向で努力をしていきたいと思います。
  161. 保坂展人

    ○保坂委員 高校中退の問題だけではなく、先般来お話をしておりますいじめの問題にしても通底する部分があるのですが、今の子供たち、特に小学生、中学生の子供たちの中で大変自己評価が低下をしてきております。つまり、自分は自分であるとか、自分はすばらしい人間なんだというふうに思えずに、自分はどうせだめな人間なんだと。ある地方の調査では、小学生の三割が、生まれてこない方がよかったなんというようなことを小学生の若さで言っているというようなことがあります。  そことリンクさせて考えてみたいのですけれども、ちょっと失礼な質問かもしれないのですが、小杉大臣がまだ生徒さんだったころ、テストで先生から答案を返されるそのときに、どこをごらんになりましたか。ちょっと変な質問で申しわけないのですが、思い出していただきたいと思います。
  162. 小杉隆

    小杉国務大臣 やはり点数ですね。
  163. 保坂展人

    ○保坂委員 点数を見ますよね。  その次に、どこをごらんになりますか。
  164. 小杉隆

    小杉国務大臣 間違ったところを見ました。
  165. 保坂展人

    ○保坂委員 ありがとうございました。  小杉大臣はやはり間違ったところもあったということで安心したのですけれども、皆さんそうだと思うのですね。私もそうでした。ここが問題なんじゃないかというふうにたどり着いたのですね。つまり、あっ間違えた間違えたと思うわけですね、子供は。自分で自分を減点をする。先生からは頑張れよとやられるわけですね。今の子供の関門は親ですよ。親から、何、あんたここ間違ったのと言われてがんがんやられるわけですね。一年生ではち切れそうな元気な子供も、三年、四年、五年とこれをずっと、つまり減点ゲームといいますか、減点法の評価を受けていくとしぼんでいくのではないか。  この評価そのものを加点法、プラスしていくということですね。ですから、点数であえて言えば三十五万六千点もあるという、つまり、実際にはその点をつけることはナンセンスですけれども、そういう評価そのものをがらっと変えることが今問われているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。大臣、お願いします。
  166. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 指導要領におきましても、みずから学ぶという視点を重視するということで、現行の学習指導要領、平成元年に告示されまして、平成四年度以降実施されてきておりますが、それに合わせて、学習の成果をどういう観点から評価するかというときに、これまではややもするとどれだけ多くのことを知っているか、いないかという角度からの評価が重きをなしていたということがございます。しかし、そのことでいいのかどうか、そのことが、みずから学び、みずから考え判断する主体性のある子供を育てにくくしていたのではないかということで、この元年の学習指導要領の改訂に合わせまして、指導要録の評価において、子供たち一人一人の意欲、関心、態度といったものにもっと重きを置いて評価する、そういうふうな方向に、指導要録、評価の基礎になるものでございますが、変えたところでございます。  今先生の御提言もそういった趣旨に出るものというふうに理解しておりまして、そのような方向でこれからも進めていきたいというふうに考えております。
  167. 保坂展人

    ○保坂委員 いじめで悩んだりあるいは命を失う寸前の子供たちを救援するという趣旨のことを年末にお話しさせていただいて、これもまた大変重 要なんですけれども、より根本的には、いじめが起きない学校、そして一人一人を大切にする学校、あるいはその人間関係をつくっていくには、自己評価が低いとだめなんですね。自分はどうせぼろくその人間だと思っていると、人に対してもひどいことができるわけです。  ここのところをどうしたらいいのかというときに、一つのヒントとして、例えば小学校教育の中に演劇教育、つまり大きな声を出したり、どったんばったん暴れたり、あるいは涙を流したり、あるいはぶつかり合ったりということが本来の子供の世界であったのですね、遊びの世界で。今、それが全く、大臣も言われるようにないわけです。この感情の発露と、それから演劇というものを通して、場合によってはいじめのロールプレイングをやってみたり、あるいは人間関係の調整をいろいろやってみる、そういうソフトというか科目、これはだから評価はできない科目だと思いますけれども、そういう提案があるのですが、いかがでしょうか。
  168. 小杉隆

    小杉国務大臣 確かに、ペーパーテストの点数だけでもう自分はだめだと自己評価をしてしまう、こういうことは非常にまずいと思います。やはり、おれはこの科目はだめだけれどもこっちは得意なんだということで、常にプラス思考に転換できるような、そういう評価方法が私はもっと取り入れられていいなと思います。  私は、実は小さいころぜんそくで、一年間の三分の二ぐらい休んでしまって、主要科目はほとんど成績が悪かったのですが、体操と音楽だけは物すごくよかったので、それで自信を持って、おれだって興味のあるものをやらせれば強いんだ、こういうことを思ったので、子供たちが単にペーパーテストだけで挫折をしてしまうということがないように、例えば演劇が好きなら好き、音楽とか体操が好きなら好きというふうに、それぞれその子供の特性が引き出せるような評価ができると非常にいいと思います。貴重な御意見として承っておきます。
  169. 保坂展人

    ○保坂委員 短い時間でしたけれども、本当に我々、テストで、百点が当たり前じゃないですね。百点が、最高点が当たり前、間違えれば八十点、もっと間違えれば五十点、これがもう親の世代からインプットされているわけですね。そこから出直していくという教育改革をぜひ考えていかないといけない。  教育改革の中に僕は構造を入れていただきたいと思うのですね。財政構造改革と言われているように、教育構造改革で、やはり、日本社会に全部しみついてしまった偏差値、競争、その論理からぜひ転換をしていただく、きめの細かいこれからのお仕事、ともにまた意見交換しながら、皆さんとも議論する場でありたいと思います。  どうもきょうはありがとうございました。
  170. 二田孝治

    ○二田委員長 これにて本案に対する質疑は終了いたしました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時五十五分散会