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1997-02-19 第140回国会 衆議院 文教委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年二月十九日(水曜日)     午前九時一分開議 出席委員   委員長 二田 孝治君    理事 河村 建夫君 理事 栗原 裕康君    理事 田中眞紀子君 理事 佐藤 茂樹君    理事 藤村  修君 理事 山元  勉君    理事 石井 郁子君       栗本慎一郎君    佐田玄一郎君       阪上 善秀君    島村 宜伸君       下村 博文君    戸井田 徹君       中山 成彬君    柳沢 伯夫君       山口 泰明君    渡辺 博道君       井上 義久君    池坊 保子君       旭道山和泰君    西  博義君       西岡 武夫君    三沢  淳君       鳩山 邦夫君    肥田美代子君       山原健二郎君    保坂 展人君       粟屋 敏信君    岩永 峯一君  出席国務大臣         文 部 大 臣 小杉  隆君  出席政府委員         文部政務次官  佐田玄一郎君         文部大臣官房長 佐藤 禎一君         文部大臣官房総         務審議官    富岡 賢治君         文部省生涯学習         局長      草原 克豪君         文部省初等中等         教育局長    辻村 哲夫君         文部省教育助成         局長      小林 敬治君         文部省高等教育         局長      雨宮  忠君         文部省学術国際         局長      林田 英樹君         文部省体育局長 佐々木正峰君         文化庁次長   小野 元之君  委員外出席者         警察庁生活安全         局少年課長   勝浦 敏行君         文教委員会調査         室長      岡村  豊君     ――――――――――――― 委員の異動 二月十九日  辞任         補欠選任   中山 成彬君     下村 博文君 同日  辞任         補欠選任   下村 博文君     中山 成彬君     ――――――――――――― 二月十八日  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一四号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 二月十七日  私学助成維持及び充実に関する陳情書外五件  (第二二号)  義務教育費国庫負担制度の堅持に関する陳情書  外八件  (第二三号)  教職員定数改善義務教育費国庫負担制度堅  持に関する陳情書  (第二四号)  義務教育学校教科用図書無償給与制度の堅  持に関する陳情書  (第二五号)  教員特殊業務手当改善に関する陳情書  (第二六  号)  教職員配置改善計画推進に関する陳情書  (第二  七号)  文教施策予算措置に関する陳情書  (第二八号)  大学教員任期制問題に関する陳情書外一件  (第二九号)  オリンピック競技大会大阪招致に関する陳情  書外二件  (第三〇号)  文化財保護事業費の拡充に関する陳情書  (第三一号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一四号)  文教行政基本施策に関する件      ――――◇―――――
  2. 二田孝治

    二田委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。河村建夫君。
  3. 河村建夫

    河村(建)委員 おはようございます。自由民主党の河村建夫でございます。  それでは、去る二月十四日に小杉文部大臣より教育行政全般に関する所信があったわけでありますが、これに関しまして幾つかの質問を行いたいと思います。  まず、教育改革取り組みについてであります。  このたび、橋本総理大臣からの御指示もあり、教育改革プログラムが策定をされたところでありまして、文部省大臣のもとで発表されました。今回の所信表明におきましても、大臣から、このプログラムに基づいて全力を挙げて教育改革に取り組んでいきたいということが力強く決意表明されたところであります。  私は、教育改革という話を最初に伺ったときに、五年前にカザフスタンという国へ参りましたときのことをちょっと思い出しておるのであります。  それは、向こうへ行きましたときに向こう国会議員から、私の名刺が文教委員会所属ということがあったのであろうと思いますが、カザフスタンでは日本繁栄日本教育にその根源があると聞いておるし、みんなそう思っておると。日本教育長所といいますか、それは何だろうかという質問真正面からあったわけであります。私は、日本教育近代国家をつくるときの教育に非常に力点が置かれたこと、元来日本人は勤勉な民族だと思うのだけれども、特に日本国土全体に教育の機会均等といいますか、同じ質の教育があまねく受けられるような仕組みができた、また読み書きそろばんといいますか、教育の一番の基本もしっかりしておった、そういうものが日本教育意欲といいますか、そういうものを高めてきたものだろうということを言いながらも、待てよというような思いがいたしました。  さはさりながら、今の日本教育現場、今から五年前のことではありますが、既にいじめの問題、いじめ自殺等も起きておりまして、実は今日本教育も、追いつき追い越せ型の経済効率第一主義でやってきて経済大国と言われるようになったけれども、その中にはいろいろな制度疲労もあって、特に知識偏重といいますか学歴偏重というか、そういう風潮の中で落ちこぼれやいじめや不登校、教育現場の乱れもあって、これから本格的に教育改革考えなければいけない時期に来ておるのではないかということをつけ加えざるを得なかったのであります。  それから、私は、サリン事件、ああいう事件が起きたときに、弁護士とか医師とか、日本最高教育を受けたであろう人たちがその中におってあのような事件を起こしたという現状考えたときに、そのことをカザフのあの質問した議員が恐らく知ったか、それは確認するすべもありませんが、あのときに日本教育のひずみということを感じたのではないかという思いもいたしたわけであります。  そういう状況下といいますか、私の心境の中にありましたから、総理から六つ目改革教育改革であると言われたことは、まさに我が意を得たりという感じがしたわけであります。  私は、この教育改革というのは、当面する、先に打ち上げられた五つの改革はどちらかというと経済改革を主としたものでありますが、これとは質の違うものであろうというふうに考えておるわけでありまして、まさに二十一世紀日本の興亡のかぎはこの教育改革の成否にかかっておるのではないか、まさにこれは国民的課題であろうというふうに考えておる一人であります。  そこで、文部省大臣の方から教育改革プログラムが発表をされたわけでありますが、取りまとめ期間も非常に短かったということもあるかもしれませんが、いささか唐突な感じがしないこともない。さきの予算委員会等でも指摘がありましたように、中教審のこれまでやってきたことを羅列したにすぎないではないかという指摘もありまして、国民にもう一つ教育改革基本的な理念方向性というものが見えないという指摘もあるわけであります。  教育改革論議というのは今に始まったわけではありませんで、私が知る限りでも、昭和四十二年七月に剱木文部大臣中教審に諮問をされた。そして答申は四十六年だったですか、坂田道太文部大臣答申がされたのが皮切りではなかったかと思うわけでありますが、そのころから既に教育改革論議はずっと行われてきて、特に中曽根首相のもとでは、昭和五十九年から六十二年、臨教審のもとで四度にわたる答申も行われておるわけであります。中善根臨教審からもう既に十年を経過しておるわけでありまして、文部省としてもこれまでの答申等を受けながら改革に取り組んでこられたわけでありますが、どのような形でその改革を実現されてきたのか、そして何がまだできていないのか。そのあたりも明らかにしていただきながら、今回のこの教育改革プログラムに対する位置づけといいますか、どのような方向で、どのような理念で、位置づけでやろうとされておるのかということをお聞きしたいと思うわけであります。  と同時に、これだけの最重要課題として取り上げる、大臣も最重要課題であるということを明言されておるわけでありますが、それならば、私は、それなりの体制の中でこの問題を国民的課題として取り上げていく必要があろう、こう思うわけであります。  自民党といたしましても、本日、文教部会文教制度調査会合会議におきまして教育改革推進委員会を設置して、そして党のこれまでの改革論議を総括いたしまして、二十一世紀教育改革はこうあるべきだという思い切ったドラスチックな提言をいたしたいと思っておるところでございます。  政府または文部省としても、この教育改革を進める以上は国民的なコンセンサスも必要なわけでありますが、この推進の受け皿をどのように考えておられるのか。私は本格的に取り組む必要があろうと思いますが、まず、この二点について大臣にお聞きをいたしたいと思います。
  4. 小杉隆

    小杉国務大臣 御指摘のとおり、従来、四六中教審答申とか臨教審答申でかなり建設的なあるいは革新的な御提言がされてまいりました。  私どもは、この提言の中で実行に移せるものはかなり実行に移してまいりました。例えば臨教審答申などで生涯学習ということがうたわれたのですが、生涯学習振興法の制定をやったり、初任者研修制度とか大学設置基準大綱化とか、そういった、できることは順次法律をつくったり実行に移してきたわけでありますが、ただ、まだ国民的な合意が得られずに実施されなかった部分というのはかなり積み残しであったわけです。例えば中高一貫教育であるとかあるいは学制制度、もちろんこれは同じことですけれども、そういう点について、今まで四六答申なり臨教審提言されたものの中で、実施に移されていない部分を、とにかく具体的に取り上げて、これを一回整理してやってみよう、こういうことでやったわけであります。  視点は二つあります。一つは、新しい時代に対応できる人材養成、例えば情報化とか国際化に対応できる人材養成していく、こういうことで、日本にとって唯一の資源ともいうべき人材というものをもっと大事に育てていこう、こういう視点一つ。もう一つは、人間性の育成といいますか、正義感とか他人への思いやりとか倫理観とか、そういう豊かな人間性をはぐくんでいく。こういう二つの視点から、この教育改革プログラムをまとめました。  それを進めるに当たって、三つの手法というものを考えまして、一つ、今までの教育制度は、今御指摘のように大変いい点もありましたけれども、ある意味では非常に画一的というか均質的というか、そういう部分があったためにいろいろな弊害が出てまいりましたので、少し教育制度多様性とか柔軟性を取り込もうではないか、こういうこと。それから、第二の手法としては、余り学校の枠に閉じこもらないで、できる限り外の世界に目を向けて、広い視野からオープンに改革に取り組んでいこうということ。それから三番目は、今までの言いっ放しというような部分じゃなくて、もっと目標期限を設定をして、実行第一にやっていこう、したがって、この問題については何年何月までに一応結論を出そうじゃないか、こういうようなことで、例えば週五日制というのは、従来二十一世紀初頭というようなことだったのですが、今度は二〇〇三年というふうに目標を決めましてやっている、こういう考え方で進んでいきたいと思っております。  今二番目におっしゃったのは、そういうことでよろしいですか。
  5. 河村建夫

    河村(建)委員 今大臣から、これから、まだ残していて、やらなければいけない問題点について御指摘があったわけであります。私も同感でありますが、教育は、言われるように百年の大計でありまして、一朝一夕で、きょうやったからあす成果が出るというものではありません。それだけに、私は、小手先で制度をいじったからそれで改革ができるということにはならないと思っているのです。  今お話がありましたいわゆる学校五日制、これにしても、今日の社会情勢の変化からいえば、学校も五日制に移行していく、これは自然のことだろう、結構なことだろう、こう思うわけでありますし、十五の春を泣かせるなということであれば、中高一貫教育も、これは結構なことだ、試みとしてやるべきであろう、こう思うわけでありますが、しかし、今の日本現状学力偏重、いわゆる学歴重視風潮の中で五日制を導入したって、かえって塾が繁栄することになりはしないかという懸念もある。それから、中高一貫教育といえども、単なるこれまでの私立の高校がやっているエリート教育のコースをさらに強めることになる。要するに、大学入試のときの制度が変わらなければ、またそこで同じような問題が起きるのではないか、あるいは採用試験のときに、いわゆる就職試験のときに学歴偏重があれば、まさにそういうことを助長することになりかねない、こういう面も持っておるわけであります。  ということを考えますと、やはり基本的な理念といいますか、これからの教育あり方、特に、日本世界の中でどのような方向へ進むべきか、あるいは日本人人間像はこれからどうあるべきかというような基本的なものを教育の中に打ち出していかない限り、真の改革は難しいのではないか、このように感じておるわけでありまして、大臣はその辺をどのように考えておられるかなということを、まず一点お聞きしたいと思うのです。  特に、最近の青少年考え方といいますか、行動というのを見ておりますと、自分の好きなこと、趣味とかあるいはスポーツとか音楽とかファッションであるとか、そのようなことには異常な鋭い感覚で向かっていく。しかし、自分たちの周りをもっと豊かにしようとかあるいは地球環境をどうするとか、それから日本世界に誇れる国にするにはどうしたらいいだろうか、このような気概とか気持ちとかいうのが非常に薄れておるのではないか、自分さえよければというような風潮が強いのではないかということを私は懸念をし始めておるわけであります。  私のふるさと山口県萩は、幕末の思想家、教育者である吉田松陰を生んだ地として知られておるのであります。大臣の選挙区、これは旧になるかもしれませんが、世田谷にも松陰神社があるわけでありますが、その松陰、我々のふるさとではこれは松陰と呼び捨てをしないことになっておりまして、松陰先生と言わないと怒られるのでありますが、ここでは松陰ということで取り上げさせていただきます。  ちょうど幕末の鎖国の眠りから覚めやらんとしたあの当時、特に松陰は、アヘン戦争のことを本寺で知識を得て、このままほっておいたら日本も大変なことになる、ちょうど中国、清国と同じようになってしまうのではないかということから、欧米列強に屈し得ぬ日本をつくっていこう、日本の独立を確保しなければいかぬ、日本繁栄をいかにしてつくっていけばいいかということを真摯に考えて、それを問い続けた。自分のところの塾で、いわゆる松下村塾でありますが、高杉晋作とか伊藤博文等が出たわけでありますが、明治維新の原動力になる人材をつくった、こう言われておる。  わずか二年三カ月ばかりの塾でありましたし、三十で死んでいったわけでありますが、このすさまじいばかりの愛国心といいますか、国を思う心、今の青少年のことを思うと、どうしてもそれが対比して私の頭に浮かんでくるわけでありまして、今の日本の、経済大国日本のありよう、物で栄えて心で滅びるという指摘がありますけれども、そんなことを考えますと、今の日本現状を、まだこれからの日本の国力、活力、そういうものを考えたときに、やはり国や社会を愛して、その発展に貢献をしていく、そういう気概といいますか気持ちを持つ、そういうことを育て上げることが教育の中に必要ではないかという感じを抱くわけであります。  私は、そういう教育理念がこれからの教育改革にとって一つの柱として出てこないと本来の改革にならないと思いますが、このあたりの、この日本、これからの教育が求める人間像ということについて、大臣どのようにお考えか。
  6. 小杉隆

    小杉国務大臣 今までの教育、どちらかというと知識偏重教育に傾きがちであった、こういう御指摘であります。  これからの教育におきましては、やはり人間性を育てる、心の教育、こういう点を重視していかなければいけないと思っております。それで、自分自身を大切にするということはもちろん、自分個性を生かすということももちろんですけれども、他に対する思いやりですね、そういうこととか、それから自然に対する気持ちとか、あるいはもっと広く世界、国際的な感覚を育てる、こういうことが極めて重要だと思っております。  そこで、そうした認識に立って、今度の教育改革プログラムでも、そういった正義感とか思いやりとか倫理観とか国を愛する心とか歴史や文化に対する気持ちとか、あるいは環境問題に対する関心とか世界に向けての気持ち、こういうものをいかに育てていくか、こういうことについて真剣に検討していかなければいけないということで、教育課程審議会に、積極的にそういう分野を取り組んでほしい、こういうことでお願いをしているところでございまして、そうした審議を踏まえつつ、文部省として全力を挙げて取り組んでいきたいと思っております。
  7. 河村建夫

    河村(建)委員 大臣、今お答えのとおりでありますが、それを具体的にどのように出していくかということが一つの大きな課題だと思うのであります。  そこで、私は、教育を受ける側の青少年の問題もありますが、それを教育するいわゆる先生ですね、教員資質向上ということが非常に大事になってくる。優秀な教員をどうやって確保するかということが極めて大事なことだというふうに思うわけであります。  いい先生に出くわすと人間はすばらしい人間になり得る可能性がある、こう言われておるわけであります。先ほど吉田松陰のことを触れたわけでありますが、吉田松陰教育偉大性といいますか、それはどこにあったかというと、個性尊重、いわゆる人間尊重にあった、こう言われております。まさに塾生一人一人と真正面から向き合って、塾生に対して、自分の命と命のぶつかり合いといいますか、あるいは魂と魂のぶつかり合い、あるいは人格人格のぶつかり合いが松下村塾では行われた。そして、松陰は、塾生一人一人に対して、自分はいかに生きるべきかということをみずからに問わせるように、そして、自分には一体どういうことができるのか、あるいは我が道はどのように進めばいいか、そういうことを考えていくように教育をしていった、そういう人づくりをやった、こう言われておるわけでありまして、まさにそういう意味では、教育者、これぞ教育というものであったと思うのですね。それで、あの松下村塾というのは、さっきちょっと触れました、二年三カ月ばかりです、自分がやったのは。わずか六十人ばかりの塾生と向き合った、こう言われておりますけれども、その塾生に対して、一人一人がだれも失望しない、それから嫉妬もしない、要するに、自分にどんな長所があるということを自分で気づかせる、それで、みずからの役割とか使命とか、自分はどういうことに貢献できるかということを自分でしっかり意識させる、そういうことを引き出してやる、そういう教育をやった、こう言われておるのであります。  アメリカといいますか、英語圏で、自己紹介するときに、先生方がアイ・アム・ア・ティーチャーと自己紹介をすると、アメリカ人はどうとるかというと、謙遜をして言っているんだと。それで、紹介するときは、この人はエデュケーターであるというふうに紹介をするというふうに私は聞いたのでありますが、まさに教育というのはそういう引き出すものがなければいけない。松下村塾吉田松陰はまさにそういう人であったというふうに理解をしておるわけでありますが、そのためにはやはり優秀な教員をいかにつくっていくかということにかかってくる、こう思うのであります。  いわゆるそのような教育者エデュケーターである教育者と、単なる我が知識を切り売りする、古い言葉で言えば教育労働者とでもいいますか、そういう先生をつくってはならぬわけで、そのためには、やはり教員というものも教育に専念できる環境をつくっていかなければいけないだろうと思うのです。  極めて現実的な話になるわけでありますが、やはり教員待遇改善という問題は、これは欠かせない課題だ、こう思っておりまして、昭和四十九年に田中角栄内閣のとき制定されたいわゆる人材確保法学校教育の水準の維持向上のための義務教育学校教育職員人材確保に関する特別措置法、大変長い名前でありますが、この人材確保法精神というのは、私は大変すぐれたものだ、こう思っておるのでありますが、現在、その法も極めて形骸化されつつあるのではないか、この趣旨、ねらったところが薄れていくんではないか、このような指摘が現実に教育現場からも起きておるわけでありまして、ぜひ私はその精神にもう一度立ち返っていかなきゃならぬと思います。  文部省文部大臣として、この人材確保法考えたときに、この趣旨に沿った教員人材が今確保されておるのかどうか、これについて大臣、どのようにお考えでありますか。
  8. 小林敬治

    小林(敬)政府委員 今御指摘がございましたように、すぐれた教員を確保するということは、教育改革推進する上でも大変大事なことだと考えております。  私どもとしては、教員養成段階採用、それから現職の各段階を通じまして総合的に関連施策推進することが大変大事なことだというふうに考えておりまして、採用につきましては、今までペーパーテストを中心にしてきたことから人物重視教員採用の方に切りかえてほしいということを御指導申し上げ、今各都道府県の方で積極的に取り組みが進んでいる段階でございます。  それから、現職研修につきましても、御案内のように、初任研、それからそれに続く現職研修について体系的な整備を図りまして、また、助成措置を講じておるわけであります。  それから、養成段階でございますが、これは、教育職員養成審議会におきまして、教員養成カリキュラム改善でありますとか、修士課程を積極的に活用した養成あり方等についてただいま急ピッチな御検討が進められているところでございます。  人確法についてお触れになりましたけれども、この措置によりまして、当時のデータとして若干申し上げますと、昭和四十九年、小学校採用倍率が二・二倍でございました。この給与改善が終わりました五十四年は三・二倍に上がっております。それから、中学校に至りましては六・四倍から十四・三倍と倍以上の採用倍率になっております。高校もほぼ同じでございます。  現在、せっかく養成した人材教育界に入ってくれるかどうかという点も一つあるわけでございまして、この点につきましては、民間の景気動向でありますとか教員採用枠の問題、いろいろあるわけでございますが、基本的には、平成八年度、小学校はさらに七・七倍、中学校八・八倍、高校も十・八倍というふうに非常に高い倍率になっておりまして、これは、採用枠が少なくなったということが非常に大きいわけではございますが、やはりこの人確法のもたらした基本的な客観的な教職の魅力というものは現在なお続いているのではないか。  したがいまして、客観的な基盤は十分つくっていただいておりますので、私どもとしては、冒頭申し上げましたように、大学における養成、それから採用、さらに、人材というのは育てるという面もございますので、その点につきましても力を尽くしてまいりたいというふうに考えております。
  9. 小杉隆

    小杉国務大臣 河村委員が御指摘のように、教育は結局人だという点はそのとおりだと思います。やはり全人的なそういう教育というものが大事だと思いまして、今局長から答えたように、教員につきましては、まず養成教員養成のカリキュラムをどうするかという問題、それから採用の際に、そういう人材、人物を重視というようなあり方、それから環境とかあるいは福祉に対する体験とか、そういういろいろな要素を採用に当たっても考慮する必要がある。それから研修、これも初任者研修からずっといろいろ研修があるわけですが、その研修のあり方についても一層努力をする必要がある。そういう点も含めまして、今教育職員養成審議会、こういうところで検討していただいておりますが、一層教員資質向上に努めていきたいと思っております。
  10. 河村建夫

    河村(建)委員 教育は人なり、大臣今おっしゃったとおりでありまして、立派な子供をつくっていこうとすれば、その教育者が立派でなければいかぬ、当然のことでありまして、教員養成段階で、いかに人間性豊かな、また相手の心の痛みのわかる教員をつくっていくかという課題にこれからも取り組んでもらいたいし、我々としても、そういう教員養成できるような形の教育あり方をさらに求めてまいりたいというふうに考えております。  次に、これまでの予算委員会等教育論議いろいろされてきたのでありますが、文化の視点について、これまでの中で出ていないようでありますので、私、文化の振興について一点だけただしておきたいと思うのであります。  このたびの大臣所信表明の中にも文化振興マスタープランの策定が言われておりますが、この内容といいますか、これをどのような形で進めていかれようとするか、もっと具体的にお示しをいただきたいと思います。私は、これから日本がいわゆる世界の中で尊敬される日本といいますか、あるいは日本人が心の豊かさを感じていくには、文化というものは欠かせない大事な要素だ、こう思っておりますし、それなりに日本も文化国家としての地位を固めつつある、こういうふうに思いますが、されば、文化を今度、国といいますか、あるいは国民がどのような形で振興していくかという理念といいますか、いま一つ欠けておるのではないかという感じがするわけですね。  いわゆる学校教育等については学校教育法であるとか、いわゆる社会教育法であるとか、そういう一つ法律に基づいた振興の方策というのがうたわれておる。スポーツにはスポーツ振興法もできておるわけであります。そういう基本となる法律もあるわけでありますが、文化については、憲法を見てもほとんどどこにも出てこない。それを言いますと、環境もそうではないかという意見もありますが、そういうものも含めて、新しい時代に対応する――文化という言葉を憲法で探しますと、憲法第二十五条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と、そこにちょっと出てくるだけなんですね。  ということになりますと、私は、文化については、もちろん文化財保護法というのは新たにできたものもございますが、やはり文化の振興の基本的な理念となる文化基本法といいますか、そういうものを置いて、それに基づいて一つ方向で文化の振興をやることが必要になってきたのではないか、このような思いがいたしておるわけでございますが、今のマスタープランの策定とあわせて、そういうことをお考えになっていないかどうか、続いてただしたいと思います。
  11. 小野元之

    ○小野(元)政府委員 お答えを申し上げます。  まず第一点の文化振興マスタープランでございますが、この文化振興マスタープランにつきましては、教育改革の中に入れていただいておるのでございますけれども、その趣旨は、教育改革趣旨自体が、児童生徒の個性を尊重し、豊かな人間性、創造性をはぐくむというところにあるわけでございます。私どもとしては、そういう場合に、学校教育はもちろん大事なのでございますけれども、我が国社会自体を文化の薫る、創造性豊かな文化の薫りに満ちた活力ある社会にしたいということが根っこにあるわけでございます。  そういう観点から、やはり教育改革プランの中に文化振興マスタープランをお願いしておるわけでございますけれども、具体的には、現在、私ども文化庁におきまして、アーツブラン21という形で、舞台芸術を創造的にしようということで、先生方の御指導をいただきながら行っている部分がございますし、それから、いわゆる美術館や博物館につきまして、もっと高度化をしたい、あるいは国民の皆様へのサービスをもっと高めていきたいというようなことで、ミュージアムプランというものも、この九年度の予算の中でもお願いしてきておるところでございます。  そういったマスタープランにつきましては、平成七年から、文化立国についての文化政策推進会議の報告もいただいておりますので、それらを総合しながら、芸術文化や文化財についてのデータや指標を整備いたしまして、二十一世紀に向けて文化の振興の基本的な指針となるものをつくりたいというのがこのマスタープランでございます。  お尋ねございましたもう一点の、文化についての振興の基本的な法律がないではないかという御指摘でございます。  この点につきましては、御指摘のとおりでございますけれども、私どもといたしましては、さきに、例えば音楽文化振興法等を議員立法でおつくりいただいたこともございます、著作権の制度改正等々、文化についての制度改正を進めておるわけでございますけれども、私どもとしては基本的に、文化への投資というのは未来への投資なんだ、文化は国の存立基盤なんだということを踏まえまして、今後、このマスタープランの動向等を見ながら、新しい文化立国の構築に向けまして、そういった文化振興制度の整備について最大限の努力をしてまいりたいというふうに考えておるところでございます。
  12. 河村建夫

    河村(建)委員 ありがとうございました。  文化振興マスタープランを中心に考えていきたい、こういうことでありますが、科学技術基本法は議員立法で成立したわけでありますから、我々議員サイドも、この文化振興基本法については考えていくテーマかなという感じも抱いておりますが、文化国家日本としての明確な位置づけといいますか、そのためにさらに文化庁としても全力を尽くしていただきたいことをお願いを申し上げまして、終わりたいと思います。ありがとうございました。
  13. 二田孝治

  14. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 日本文教行政を担う文部大臣に、ぜひ大臣としての基本理念をしっかりこの機会に伺わせていただきたいというふうに思います。  自由民主党が健全与党であるかどうかという問題は、私は常々考えております。最近の状況を見ておりまして感じておりますけれども、率直なところ、消費税のアップそれから所得税減税の廃止等によりまして、昨年十月の総選挙後、日本国民、私たち生活者の痛税感というのは非常に高まっておりまして、政治不信というものが非常に明確になってきているのは大変残念なことであるというふうに思います。  そうした中におきまして、村山内閣は、行政改革内閣の当時の大きな柱というふうにしておりました。その村山内閣を引き継がれました橋本内閣は、財政構造改革元年としたいんだということをうたわれて、内閣を組閣なさって、その閣僚として小杉大臣が就任していらっしゃるわけでございます。  その中におきまして、私は、この予算編成の今回のあり方を見まして、やり方が本当に旧態依然としていて、この平成九年度予算というものの編成の中において一体どれだけのリストラ、どれだけのむだの見直しをしようとしている内閣であるのかということを常々疑問を持って感じてきております。それは、野党の皆様が非常にパワフルであるとか健全であると言っているわけでもなくて、むしろ政権与党である自由民主党こそがしっかりそういうことの、国民の不満とか不安とか疑問、それをしっかりと把握していかないと、やはりまたたちどころに先行きが不透明になるだろうという認識を持っているからでございます。  私は、文部省だけが決して予算編成においては聖域であるなどとは考えておりません。もちろん文教行政が重要であるということは当然、どこの国家もそうです。先ほど大臣がいろいろと披瀝されましたとおり、教育というものは国家の将来を担う基本的なものでございますし、人的資源の確保というものは各国がしのぎを削って一生懸命努力をしていますし、そのために最大の予算を注ぎ込むことができれば、可能であれば、それにこしたことはないわけですが、現実の日本の財政状態を見ましたときに、日本はどうするのか、文部省だけは聖域でないということを繰り返し申し上げたいというふうに私は思います。  何年度までに、一体幾らのむだの見直しをこの内閣がしようとしているのかという具体的なメルクマールが見えてきません。そして、今回の中で、まず私事務方に一言だけ答弁していただきたいと思いますが、それ以降はぜひ大臣から肉声を伺いたいと思います。事務方の答弁で結構ですが、平成七年度の村山内閣で、私も閣僚で参画しておりましたが、閣議決定をいたしました。日本私学振興財団及び私立学校教職員共済組合、この統合をいたしましたが、その結果、具体的に幾らの、そして何人のむだの見直しができたか、数字だけ事務方からお答えいただきたいと思います。
  15. 佐藤禎一

    佐藤(禎)政府委員 お答えを申し上げます。  平成七年二月の閣議決定に基づきまして、私立学校に関係をいたします二つの特殊法人を統合し、今回一つの法人とするという法案を御提案申し上げているところでございます。その中で、役員ベースで申しますと、非常勤職員を含めますと役員が二十名のところ十五名になるわけでございますが、常勤の役員だけをとりますと九人が七人になるということでございます。
  16. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 じゃトータルで幾らぐらいのリストラになりますでしょうか、経費の面で。
  17. 佐藤禎一

    佐藤(禎)政府委員 経費は、ちょっとただいま手元に資料がございませんのでお答えいたしかねますが、彼ほどまた調べまして御答弁申し上げます。
  18. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 アバウトですが、一億円を切るというふうに前回私は事務方から伺ったように記憶しておりますが、いかがでしょうか。アバウトで結構ですが。
  19. 佐藤禎一

    佐藤(禎)政府委員 一億円というのはどの費用だか、ちょっと私、現在はっきりしたお答えはいたしかねますが。大変恐縮でございます。
  20. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 こういうことは、やはり緊張感を持って言っていただかないと、官房長がしっかりわかっていてしかるべきことと思いますので。  あれから、村山内閣から相当時間がたっておりますので、もちろん事務的には後から教えてくださると思いますけれども、ぜひ国民に見えるような形で、文部省のリストラがどれだけのむだの見直しにつながるかということをぜひ公開していただきたい。大臣の責任におきましてもお願いをいたします。  それから、これ以外にたくさん特殊法人、いろいろ組織の面、人の面ありますけれども小杉大臣に伺いますけれども大臣御本人として、ほかに、特殊法人でも結構ですが、文部省傘下の特殊法人で見直しをした方がいいと現在認識していらっしゃるところがありましたらお答えいただけますか。
  21. 小杉隆

    小杉国務大臣 行政改革はこの内閣の最重要課題で、もちろん教育についても聖域扱いはしない、こういうことであります。  私ども、従来、いろいろ特殊法人の整理統合については、学校給食とか安全会とか、あるいはオリンピックセンターとか武道館とか、もうずっと一連の統合をやってまいりまして、今ある特殊法人を当面統合するというのはございません。今国会に私学関連の二法人を統合する、これを今当面取り組んでいるところです。
  22. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 大臣、国立教育会館の運営を民営化することはいかがでしょうか。大臣からぜひ。大臣に伺いたい。政治家対政治家ですから、計数的なことは事務方に伺いますが、大臣のお考えをお願いします。
  23. 小杉隆

    小杉国務大臣 今、民営化については考えておりません。
  24. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 ぜひ御検討をいただきたいというふうに思います。  文部省の予算というものは、平成九年度の、今回検討されておりますもので、一般会計で五兆八千億円というふうに言われておりますけれども文部省全体の予算の中の半分が義務教育費の国庫負担金であるということでございまして、これは予算編成の前に大蔵省と随分議論があったというふうに承知しております。  そういう中でもって、今回の予算の伸びを見ますと、この義務教育費の国庫負担ですけれども、これが対前年度比で大体総額二%近い増というふうな形になっていると思いますけれども、ただ単に族議員が復活したからごり押しでその予算がふえたということを言われないためにも、ぜひ、こういうものが――一般にはやはり少子化というものが高齢化と裏返しの面で進行しているという事実がありますし、と同時にまた、教職員の質の低下というふうなことが随分案じられております。教員の、先生方の高齢化というふうな問題もありますし、教育現場というところでの実態を考えた場合に、これは多ければ多いにこしたことはないわけですけれども、先ほどの行革との絡みからいきまして、これだけの大きな予算というものの使い道についてやはりもう少しわかりやすく御説明いただけたらありがたいと思います。  要するに、国が地方公共団体などに交付する補助金の中でも一番の支出項目がこれなわけですね。ですから、それをやはり有権者、国民に対して、みんながわかりやすく、私たちがわかりやすく、納得するためにも、この予算、義務教育費国庫負担金のふえていること、その使い道といいますか、正当性と申しますか、それについて大臣のお考えを伺わせていただきたいと思います。
  25. 小杉隆

    小杉国務大臣 御指摘のとおり、義務教育費国庫負担金が文部省総予算の半分を占める約三兆円という大変巨額にわたっておりまして、この問題は予算委員会でもたびたび取り上げられました。  私は、教育というものは、非常に教員の人件費が大半を占めるわけですが、先ほどから申し上げているように、教育は人なり、こういうことから考えて、そして、そもそも戦後のこの教育制度の中での義務教育に対する考え方をもう一度根本からさかのぼって考えていただきたいと思うのですが、憲法で国民はひとしく教育を受ける権利がある、その権利と義務があるということで、そして国が半分その負担をしなさい、こういうことで、戦後五十年間、日本教育の機会均等という面では非常に世界でも注目すべき普及をしたわけでありますし、また国民全体の教育水準を高めることに大変貢献してきたと思います。  今、例えば、義務教育費国庫負担金を全額地方交付税対象にしたらどうか、こういうようなお話もありましたが、やはり過疎地域であっても大都会であっても、国民が財政状況に惑わされることなく確実に義務教育を受ける、教育の機会均等とか、学力水準を全国レベルで一定に保つということにおいては、国の責任というのは、憲法や教育基本法や学校教育法で厳然とうたわれているわけですし、私は、これは将来に対する投資だと思っておりますから、ただ単に財政的な見地から、これだけ過大だから削れ、あるいは地方に任せということになりますと、財政状況によってはどんどん教育費を減らされる。  例えば、教員の確保にいたしましても、一応国の方で基準をつくりまして、平成五年から六年間かけて第六次教職員の配置改善計画というのをつくって、もうこれだけは絶対に確保しなさいよ、こういうことでやってきたわけです。しかし、一方において、少子化でどんどん児童数が減っている。ところが教育費は減っていかないじゃないか、こういう批判もございます。そこで、私どもは、この第六次の改善計画では、子供の数と並行して、本来ならば自然減で教員は六万入減らさなければいけないわけなのですね。しかし、最近、例えばいじめ問題等があって、教育の質の改善ということで、チームティーチング、複数の教員で教えるとか、そういう質的な向上、あるいは生徒指導とか、そういうところのために、本来六万入減らさなければいけないのですが、改善のためにしようということで三万人の減にとどめているわけです。  そういうことで、私どもは、義務教育費国庫負担金のあり方については、そういう根本のところをしっかり押さえて、我々としても、やはり教育人間だけが日本にとって唯一資源だとさえ言えるときに、ただ財政だけで削っていくという考え方じゃなくて、きちっと国民の将来に対する義務教育ということから、この根幹だけは崩すべきではないと思っております。  ただし、そういう義務教育費国庫負担金のあり方については、見直しは常にやっていかなければいけない。例えば旅費だとか、その他具体的なことはまだ必要があれば答えさせますが、そういう面はどんどん地方交付税化しておりまして、できる限り我々としても見直しということは続けていく、こういう決意であります。
  26. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 ありがとうございます。  私、誤解がないように申し上げたいのですが、財源がないからこれを減らせばいいとか、そんな単純なことを申し上げているのじゃないのです。教育環境が、少子化であり、教員の現場での質の低下ということはいろいろ社会問題化もしてきています。そういう時代が変化して今の時代、それから将来、先行き日本がどうなるかという見地の中で、そのお金を、二%増になったわけですけれども、トータルでいかにファンクショナルに、機構を有効に動かしていくために、生き生きとしたものに使うために、ただ額があったから、必要理念であるから、同じ分をとったから安心ではなくて、それをいかに有効に使うかについてやはり具体的にわかりやすく政治主導していかないと、また国民から批判も浴びるし、私どもも得心がいかなくなるということを申し上げたわけでございます。  二番目の質問に参ります。  科学技術創造立国のことでございますけれども内閣は今そういうことを言っておりますが、私自身も科学技術推進委員会の副会長というものをやらせていただいておりますけれども基本的に、今日本では、青少年といいますか子供たちの理科離れが非常に著しいということは言われて久しいわけでございます。  そうした中でもって、理科というものは、結局は、文部省のカリキュラムの組み方とか、それからいろいろなことに原因はあるというふうに思いますが、小さなうちから子供たちが忙し過ぎて、大人の生活も忙しい、進学塾等へのことにも、生活に追われていて、おけいこごとに追われていて、時間がない。そして学校先生も、会議なんかが非常にあって忙しかったりするために、実験なんかをゆっくりやったり、自然観察をして、そして理科による、何というか、喜びですとか楽しみとか驚きですか、そういうふうなものを感じることがなくて、ただ頭だけで、知育だけでもって来てしまっているというところに大きな反省材料があるだろうというふうに、それもすべてシステムの問題だろうというふうに思っております。  ただ、やはり理科というものは、日本のように資源の乏しい国におきましては、人的資源というものは一番最大の資源でありますし、そして私は、科学技術というものを進めていくこと、理科からどんどん進んで理科系の勉強になっていくわけですが、そのことが結局は未来への先行投資である。  科学技術は未来への先行投資ということを、私は科技庁長官時代しょっちゅう繰り返し言ってまいりましたけれども、それはどういうことかといったら、簡単に言えば、結局はバイオも医療もそうですし、それからメガサイエンスもそうなんですけれども、材料開発なんというのは一番身近な問題ではないかと思いますが、そういうことが進むことによって新産業が創出して、そのことによって我が国はもちろんのこと、外国の経済、世界の経済の進展に貢献するんだというところにやはり重要性があるというふうに認識しております。  科学技術創造立国というところに与党が目をつけて、これに一生懸命予算を投じてくださっていることは大変ありがたいというふうに認識しておりますが、その中で、大臣も、所信をつぶさによく拝見いたしましたが、その中でもってポストドクター一万人支援計画、これは科技庁も文部省と一緒に、通産等もやっておるわけでございますけれども、どうもこのポスドク一万人支援計画なんというのは、本来はそんなことは言わなくてもできるのが一番いい状態なんですが、その後支援された人がどこへ行って何をするのかという問題もあると思うんですけれども、この所信を拝見すると、本当にバラ色の所信を述べていらっしゃるわけでして、産学官の連携ですとか研究費の充実とか、まさしくだれも反対する人はいません、地球上で。ですが、実際は、それがなかなか、こういうふうに言わなきゃならないほどうまく機能していないんですね。  その理由は大体どの辺にあるというふうに、政界の先輩として、大臣考えていらっしゃるか、ぜひお答えください。
  27. 小杉隆

    小杉国務大臣 理科教育とかあるいは物づくりに対する考え方、これがどうも薄くなっているような気がいたします。やはり資源の少ない日本にとって、限られた資源をいかに人間の手を加えることによって新しい価値を生み出していくかということは非常に大事なことだと思うんですね。  そこで、最近、理科離れというようなことを憂慮して、田中前長官も、そういう点で、科学技術立国ということで、与党三党また各党の皆さん、大変御努力されて、科学技術基本法が制定され、昨年七月には科学技術基本計画というものができたわけであります。  ポストドクター一万人計画とかいろいろメニューは出ております。科研費の大幅増だとか、学術振興会に対する協力とか、あるいは産学の提携とかいろんなメニューが出されておりますが、私どもはこれを一つ一つ実行していく。予算面でも、学術振興会などは、倍増とまでは行きませんでしたけれども、八十数%伸ばしておりますし、それから科学振興費、これも約一〇%以上伸ばしておりますし、要は一つ一つ具体的に実行に移すということであると思います。  もし、それ以上の答弁が必要ならば、事務局からお話しさせます。
  28. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 事務的なお返事は結構でございます。  文部省の科研費それから科技庁の振興調整費もそうですし、それから通産省の工業技術院関係の予算等もわかっておりますけれども、要は、そういうふうに縦割りで予算が配分されてきている。これは、今までの与党それから野党もみんな含めて、本当に予算というものについて考えていかなきゃいけない。役所主導なんということをマスコミに言われていても、やはり政治家がそれをどのように運用するかというような構造をつくっていくのが政治の責任なんですよね。役所の方たちも皆さんそう感じておられると思うんですが、今の科研費、振興調整費それから工業技術院関係の予算、これらを見ても、かなり大きなものが来ていると思うんですけれども、それがうまく機能しないということは、やはり予算交付そのものの硬直性というものに私は問題があると思うんですよ。  理念は、今大臣がおっしゃったように、みんなわかっていて、いいことをしようと思っているんですが、現実にはそれが機能しないんです。それでもって学者の方もフラストレーションをいろいろ感じておられるわけなんですけれども、この辺は、文部省でも初等中等教育局よりもむしろ学術国際局長さんですか、いや、答弁は結構です、その出番がもっと頻繁になるような時代になっていかなきゃいけないんじゃないかというふうに思うんです。  そこで、具体的に伺いたいと思いますが、国立学校の特別会計というのがありますね。九年度では二兆六千八百九十億円ですか大体そのくらいの額だと思いますけれども、このものが役所の縄張り争いとか予算の硬直化の原因になっているということはたびたび聞かれるのです。要するに、あちこちで省庁別に予算はつく。一つの目的にそれをトータルで使おうとしているんだけれども文部省が国立に関してはまずここを通しなさい、ここでもって私たちが使っていきますからというふうなことで言うために、本当にフリーに研究を学者にしてもらう、そして基礎研究をしてもらうんだ――研究には時間がかかるんです。失敗もあるんです。そういうことを全部トータルで見込んだ予算をつけるにもかかわらず、文部省がまず国立学校特別会計に入れてもらわなければなりませんと言うことによって、費目ですか、項目が、これは人件費であります、交通費であります、何だかんだ細かくやられてしまうために、実際にトータルな研究そのものに使うことができないのだということが大きなネックになっていると思いますが、このことについては大臣は今までお聞きになったことがおありになるか。大臣自身がどう、役所の答弁は知っているのです、どうぞ大臣にお答えいただきたいと思うのです。役所の答弁はわかっているのです、私は。
  29. 小杉隆

    小杉国務大臣 まず、各省庁の科学技術の予算のあり方、これは、主として大学あるいは研究所における研究というのは、割とロングレンジの、今直ちに実用化とか応用がきくという技術じゃなくて、極めて基礎的な技術ということに中心を置いているわけですね。それに対して、通産省、工業技術院あるいは科学技術庁、こういうところは、比較的ショートレンジといってはなんですけれども、当面するいろいろな応用のためあるいは実用のための技術ということで仕分けができております。  それから、会計制度につきましては、これは役所でございますのできちっとした会計制度のもとでやっているので、ただ、その中でがんじがらめになって硬直的にやられるということがあってはならないし、やはり本来の研究費により重点的に行く。管理とか運営とかそういうところに使われて実際の研究予算に余り反映しないということでは困るので、その辺は、余計なこういう費用というものはなくして、できるだけ研究に重点的に配分ができるように、それは一層努力をしなきゃいけないと思っております。
  30. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 これは昨年の夏の記事で、ちょっと古くなりますけれども、大型の研究資金が国立大学の研究者の手元に届かず現場が困り果てているというような記事が載ったことがあります。しょっちゅう聞く話なんですね、この手の話は。たまたまこれは科技庁傘下の新技術事業団ですけれども、それが持ち分の資金を直接大学に配ろうとしたときに、文部省から待ったがかかった。そして、既存の大学向けの会計、今申し上げた会計ですけれども、それを通すように主張して、両方が譲らなかったために現実にそのお金が使えなかった。これは一億円なんですね。新技術事業団の公募によって一億円の研究資金の交付が決まった。ある大学の教授に対してそれが決まったわけです、国立大学の。ところが、それを早速、材料、実験用の設備を購入したりいろいろして頑張っていこうと思ったのですけれども、春になっても夏になってもお金が入ってこなくなってしまった。そのためにその学者はパニックになって、実験機器業者への支払いもできなくなってしまうということで、その業者が今度は逆に倒産でもしたら困っちゃうじゃないかということがあったというのを聞いております。この手の話も私も何度かあちこちで聞いたことがありますけれども。  こういうふうな、現場に本当に夢を持ってもらって、学者がいろいろと勉強をするということの大きな予算がせっかくついても、それを結局役所の方でもって自由な研究が死んでしまうような形で、まず私どもの方に入れてください、そして人件費とか物件費とか出張費とかといった細かい機械的な項目に使われてしまうので本当の生きた勉強に使えなくなるということが現場にあったというふうなことがここに載っておりますけれども、もっと柔軟な運用ができるように、役所同士の縦割りというのは、役所の方たちが、文部省に限らずどこの役所も、ほかのフィールドでも一番感じていると思うのですよね。  それがもっと自由にできたらいいのにと思っていると思いますし、現に学者の方も、本当に能力のある方はアカウンタビリティーを公開したいということを言っている方もいるんですよね。ですから、学者の方が自分だけで囲い込んでしまって、自分だけが基礎研究をやっている。それを学会で発表するのはいいけれども、ほかの人と共有しない、情報とか研究結果を。そういうことによって死んでしまって埋もれてしまうというのは残念なことでして、そういうものを、アカウンタビリティーというものを、必ず一生懸命やっているわけですから、いいエネルギーを出した学者がそれを公開するようにできるようにするということも片や大事だと思いますけれども。  この縦割りというものがなくなるように、これをするのは私はもう完全に政治家の責任だというふうに思うのですが、私どもみたいな議員がぎゃあぎゃあ言うよりも、やはり大臣でいらっしゃるわけですから、二十人の閣僚のうちのお一人でいらっしゃいますから、ほかの閣僚の方たちともお話をしていただきたいと思いますが、もう一度大臣、こういうことについて文部省自身の組織の持っている硬直性が、自由な教育と口では言いながら、その阻害要因になっているということを申し上げたいのです。
  31. 林田英樹

    ○林田政府委員 制度について簡単に御説明をさせていただきたいと思います。  確かに、御指摘のように新たに大きな研究費をいろいろ出していただくような形になりました。特に、出資金という形で文部省関係、科学技術庁関係、通産省関係、いろいろ出していただくことになりまして、従来ややもすると、先生おっしゃいましたように、役所同士の研究費の受け入れというような形についてはややかたい運用になっておりましたけれども、この大きな出資金ができるということによりまして、私ども、科学技術庁、通産省ともよく相談をいたしまして、おっしゃいますようなできるだけ研究に生かせるようにやっていこうということで、相当整理に努力をいたしたつもりでございます。確かに、制度ができました最初のところでは、どんな整理にするかということで、若干時間がかかった面はございますけれども、今ではほぼ使いやすい形の流動的な使い方ができるような制度にかなり改善をしたつもりでございます。  ただもう一点、費目につきましては、従来は、大学における金の使い方というものが、会計上きちっとした処理をいたしませんと、ややもすると適切でない使い方が起きるケースがございますので、その点についてはきっちりした費目の整理は必要だろうと。ただ、財政当局とも、できるだけ流用的なことができる部分は弾力的に使えるようにはしたいと思っておりますけれども、さらに努力したいと思っております。
  32. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 事務方が非常に何かにこにこしながら柔軟そうなことをおっしゃっていますが、いざとなるとなかなかうまく動かないというところを何度も見ておりますので、大臣、しっかり監視して御指導いただきたいと期待をいたしております。  大学というものは、大学での研究ですけれども、国内産業の空洞化を埋める新産業を創出する拠点になり得るわけでして、景気というものも、今はそれはもちろん土地の流動化とか資金の運用の問題とかいろいろ考えられていますけれども、やはり基本的には新産業を創出するのだと。新しい産業を興し得るというのは、やはり科学技術にあるのですよね。そういう中において、せっかく資金を出しても、民間が一生懸命頑張っている、国が、せっかく預かってもそのお金をうまく運用させないというのは残念だと思います。  東大の吉川先生、前学長になられましたけれども、あの先生から私は科学技術に関して伺ったことがありまして、産業革命に例えれば、二百年前になりますか、スチームエンジンになるのが科学技術であると。だが、それだけでは機能しない、研究だけしてもだめであって、ソーシャルエンジンというものがやはり必要ではないか。それは市場経済なのですけれども、その市場経済のメカニズムと科学技術がつながることによって新経済が発展していくのだということを伺ったことがありまして、これは非常にわかりやすい御指摘だなというふうに私聞いたことを記憶しております。  では、ソーシャルエンジンとは何かということをいったら、やはり規制緩和なのですね。規制緩和、規制緩和と世を挙げて言いますけれども、何でもかんでも緩和すればいいのではありませんで、引き締めなければいけないこともありますが、このことに関しましてはぜひ規制緩和していただきたい。この分野で文部省のやる規制緩和というのは何があるか、大臣、認識しておられますか。
  33. 小杉隆

    小杉国務大臣 その前に、日本の研究とか科学技術の面では、総理大臣を長とする科学技術会議というのが総合調整をやっておりまして、基礎研究は主として文部省、応用研究は科技庁とか通産省、工業技術院、こういうところでやっております。私は、ここで一言申し上げたいのは、基礎研究だからといって、ただひとりよがりの研究であってはいけないわけで、その研究が将来的にどういう意味を持つのか、そういった評価についてももっときちっとやっていく必要がある、評価という問題は大事だと思っております。それから、もちろん、新産業そして新しい雇用を生み出す、そういう分野を開拓していくためにも、基礎技術と応用技術というものはやはり連動して協力してやっていくということが必要だと思います。  今御指摘のように、そういう新しい技術を生み出していくためには、自然科学のそういう技術だけじゃなくて、ソフトの社会科学的なものも組み合わせていくということで、今規制緩和ということにつきましては、行政改革推進本部というのを事務次官を長として、文部省独自で何ができるかと、全体は国の方で、総理の方でやっておりますが、文部省としても何ができるかというようなことでいろいろやっているわけですが、共同研究の企業への拡大とか、あるいは兼業において、今までいろいろ窮屈だったのをできるだけ兼業についてのいろいろな規制を緩和しようということとか、そういったようなさまざまメニューはありますけれども時間の関係で省略しますが、さまざまやっております。
  34. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 科学技術委員会は、総理の日程の制限上、一生懸命いい御意見が出そうなのにもかかわらず、そういう素地があるにもかかわらず、十二分な議論が尽くされずに来ているということを私は体験したことがありまして、小杉大臣からは、もう少し時間をとっていただけるように御助言いただきたいと思います。  それから、先ほど申し上げましたソーシャルエンジンとしての規制緩和、私、文部省に言ったら一言、これはもう学校に自由裁量権を与える、国立学校にも、そのことに尽きると思います。要は、裏返して言うと、文部省が管理をし過ぎないということです。文部省が口を出し過ぎないこと。もっと自由にする環境をやって、役人がもっと下がることですよ。こんなことをほっておくと、きょうも部会で出たようですけれども文部省は必要ないんじゃないか、文部省という役所は必要ないという意見、時々私も感ずることもありますし、そういうことを言うと大臣のポストがなくなったら大変でございますから、ぜひ頑張っていただかなければいけないので、やはりもっと自由にして、もう人に任せていいのですよ。そういう官僚を育てる、そういう官僚を大事にするという姿勢も、やはり政治家として必要ではないでしょうか。  残る時間、少しになりました。  二つ目の質問。私が手がけております議員立法についてでございますけれども、これは大臣も、御就任なさった後、早速御説明に参上しておりますし、私は、細川内閣の赤松良子文部大臣のときからずっと歴代文部大臣に御指導を仰いできておりまして、おかげさまでこの間の選挙の前に小委員会を通過いたしました。亡くなられました戸井田三郎先生の御指導もいただきましたり、多くの与野党の、当時からですけれども先生方から賛同の御署名をいただきまして、夏じゅうずっと、選挙前も最大限の努力を払いまして、福祉施設それから学者の方たち、いろいろな方々の声を伺いました。  この議員立法の趣旨は、もう大臣御案内のとおりでございますけれども義務教育教員を目指す大学生は、大学四年間行っている間に最低二週間は、養、聾、盲学校あるいは特殊、何かそういう、精神病院も含まれると思いますけれども社会的弱者のいるところ、福祉施設ですが、そういうところに行きまして、車いすを押すとかおむつを畳むとか、何らかの形で少しでもお手伝いをするということを義務づける。そういうことによって人は一人一人違うんだということを知って、人の尊厳というものを知るということが大切ではないかということ、それを義務づけるような議員立法をしたいというのがこの法制化の基本でございます。  これは、今もこの大臣所信を拝見しましても、一人一人を大切にするということを繰り返しておっしゃっておられますし、それから、ゆとりとか個性とか創造性とか人間性ということを言っておられますが、要は、みんな違うわけです。違うからすばらしいのですが、しかし、その違うということを認めない中に、今いじめの問題もあるのですね。大臣のおっしゃるような、所信の中でもいじめの解決というふうな、登校拒否等も書いていらっしゃいますが、では具体的に何をするかというのは、これは完全にこれという特効薬はないのです。ないのですが、現在それから将来の日本を見据えて、今すぐ解決はいたしませんが、私が手がけております議員立法は、三十年、五十年後の日本人が、人の心の痛みをわかり、目に見えない偏差値だけではなくて、人はそれぞれ違うんだと、弱い立場の人のことも、そして自分が健常者であってもどこか弱いことがあって、将来どこかで必ず障害者になるんだ、みんな年をとれば同じことだということをわかる人間人づくりを目指しているのがこの議員立法の趣旨でございます。  大臣からもいろいろと御助言をいただいてありがたいと思っておりますが、最後に一言、私も決意を新たにしてまた頑張ろうと思っておりますが、激励の言葉を賜れればと思います。よろしくお願いします。
  35. 小杉隆

    小杉国務大臣 高齢化社会を迎えて、教員が障害者とか高齢者の痛みがわかるということは大変大事だと思います。したがって、今度の教育改革プログラムの中でも、教員養成に当たっては、福祉とかボランティアでの現場の研修とか、そういう視点を盛り込もうということで取り組みたいと思っております。  それで、今議員立法については、基本的にはそれは自民党の御判断に係る問題ですけれども、現実的に、大学とか受け入れ施設とかあるいは教育委員会などの協力も得られなければいけませんので、現場で円滑に実施し得る内容となりますように、ぜひ御精進、御努力をいただきたいと思います。ありがとうございました。
  36. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 ありがとうございました。  大臣が頑張られて、またマラソンなさるお時間もおとりになって、体力を強化なさって、いいお仕事をしてくださるように切望いたします。  質問を終わります。
  37. 二田孝治

    二田委員長 戸井田徹君。
  38. 戸井田徹

    ○戸井田委員 今、田中眞紀子委員の大変早口な、マシンガンというかそういうあれを聞いておりましたら、周りもだんだん影響されてくるのですね。大臣も、それから各局長もたったかたったか早口になって、全体がそういう雰囲気になるわけです。  先ほど田中委員のお話の中にありました教員議員立法の件でありますけれども、ああいう議員立法の話し合いをしていたとき、私はまだ先代の秘書をしておりました。そのときに、私どもの部屋に田中眞紀子議員、それから河村議員、あと何人がおられたと思うのですけれども、部屋の中でドアを閉めて論争をしておりました。その中で、一人だけ大変大きな声で、ドアを閉めていても外によく聞こえるわけですけれども、田中議員の声が聞こえてまいりました。周りをそれこそ本当に、おどすと言ったら言葉が悪いのですけれども、何としてもこれだけはやらなきゃ、自分はもう議員は次は通らなくてもいいんだ、本当に捨て身の気持ちがもろにドアを隔てて我々の方にも響いてまいりました。なるほどこういう議員でなきゃいけないなとそのとき実は思ったわけであります。  人が物事を理解するというのは、確かに本であるとかいろいろな放送、そういったさまざまなメディアを通じて勉強することは多いのですけれども、何に一番触発されるかというと、自分の体験だろうというふうに思うわけであります。四十過ぎて、まさに国会の中に二十何年間、周辺居住者でありましたけれども、いて、そういう中でも、本当になるほどなと自分で心底感じ部分というのは数少ないわけであります。しかし、例えば小学校中学校のそういう小さなときに体験でそういうことを覚えられる、いろいろなことを勉強できる、そういうことほどその人の一人の人生において影響を与えるものというのはないんじゃないかなというふうに、私、感じるわけであります。  そして、教育改革プログラムの中にいろいろなことが書かれてありました。大変賛同することが多々あるわけであります。そういった中でも、私自身も物事を言うにはやはり自分の体験から言いたいなという気持ちが実はあるわけです。ちょうど子供のPTAであるとか、そういったことも確かに我々もやってまいりました。そして、まだ現役でありますし、そのPTAの活動の中から、あんたも議員になったんだから一度こういうことも国会で言ってほしいというような要望を受けながら今日までいろいろやってきたわけであります。その中でも、やはり一番大事なのは、小学校中学校におけるそういう体験だろうというふうに思うわけです。  それで、これまで私の先代が長いこと厚生関係のことをずっとやってきていたわけですけれども、亡くなる直前にこういうことを手帳に残しておりました。社会福祉も社会保障も金で解決する時代は過ぎた。これからは教育だ。パイがふえない以上、教育で福祉、社会保障の精神というものを伝えていかざるを得ない。そういう気持ちだったんだろうというふうに思うわけであります。  私、小学校のころに、家庭科教育の中で料理もやらされました、そして裁縫もやらされました。やっていた当時というのは、何で男のおれがこんなことやらなきゃいけないんだみたいな気持ちを持ちながら授業を受けていたのを今でもはっきり覚えております。しかし、その小学校で、たしか高学年で数年だったと思いますけれども、していたことが、自分が年いって必要に迫られたときに、そのときに受けたわずかな知識をもとにして、そこから自分の生活をつくり上げていった、そういう経験もあるわけです。そういうふうにして考えてみますと、わずか、年間にしても大した時間にはならなかったけれども小学校の家庭科教育で受けたことが自分の将来生きていく上で一つの大きな力になり得たということは、これは大変なことだなということを、改めて、年いってから感じたわけであります。  これから先、高齢化社会ということを言われるけれども、たしか平成九年から十五歳以下の人口と六十五歳以上の人口が逆転して年寄りの方がふえてくる。まさに高齢化を実感する時代にこれから入っていくわけであります。そういうことを考えてみますと、小学校義務教育のまさに多感な時代に、そういった介護、年寄りに対する思いやり、先ほど大臣がおっしゃっておりました正義感思いやり、そういったものにつながるような考え方、そして簡単な介護の実務、そういったものを小学校中学校の時代に学校のカリキュラムの中に入れてきちっと教えていかなかったら、この高齢化社会を乗り切っていけないんじゃないだろうか。それがやれることになれば、二十年たてばそれだけの層の――二十年、三十年後には中学生が幾つになっているんだろうか、ちょうど四十五、六ということであります。そうすると、それ以下の人たちがすべで介護の基本的な知識を持つということを考えた場合に、これは一日も早く急いで小学校中学校で介護のプログラムというものをやっていかなければいけないんじゃないかというふうに私は思うわけであります。  そのことに関して何か御意見があれば、また具体的にそういう計画があるのであれば、お聞かせいただきたいと思います。
  39. 小杉隆

    小杉国務大臣 おっしゃるように、高齢化社会が進んでいく中で、義務教育においても、あるいは高等教育においても、福祉に対する理解あるいは関心を高めるということは非常に大事だと思います。今御指摘になったように体験学習というのもさらに大事なことだと思っております。  従来から、義務教育では社会科とか家庭・技術あるいは道徳、こういった時間で社会保障制度の簡単な内容とか、あるいは福祉の重要性ということを教えてきたわけですけれども、さらに、例えば老人ホームに連れていって介護体験をやっていただくとか、あるいは地域の学校の行事、例えば運動会とか文化祭とか、そういうところへ老人ホームとか地域のお年寄りを呼んで触れ合う。それから、先日、私、養護学校の校長会の先生方とお話ししたときに、養護学校に健常者の子供さんが見に来るだけで物すごく教育効果が上がると言うのですね。普段はこんなに五体不自由なくやっていて、そういう障害者の姿を見るにつけて子供たちの意識が変わると言うのですね。そういう体験学習の場をもっと本当にふやした方がいいんじゃないかと思っております。  そういう社会の変化に対応した教育はどうあるべきか、特に福祉についてどうあるべきかということを、今教育課程審議会で、これは週五日制に合わせた検討も非常に大変なんですけれども、それと並行して、福祉についての教育はどうあるべきか、これを一生懸命審議していただいております。  いずれにしても、これからの高齢化社会が進んでいく中で、自民すべてが福祉に対する、介護に対する理解、関心、そして体験、こういうものは非常に重要だと思っておりまして、そういう面で私も一層努力してみたいと思います。
  40. 戸井田徹

    ○戸井田委員 一年間のプログラムの中で、私は重要だなと思ったのは、一週間の中で一時間でもいいからそういった時間があった方がいいんじゃないだろうか。そして、考え方思い、その考え方を聞いてどういうことをそれぞれが思っているか、お互いの意見の交換、そういったものの中にそういう実体験みたいなものが絡んでくる。そして、週に一回、一時間であるけれども、一年間、そして翌年二年間と続けていくこと、そういうのが効果があるんじゃないかなという気がするわけですね。  そして、小学校一年生だからそういうことが難し過ぎるとかいうことはないと思うわけです。小さくても、そういうものを子供がどう感じるか、どうそのことによって学び取っていくかということだろうと思うわけであります。そして、その学び取るということは、体験を通じてでは、まさに一瞬にして学び取れる部分があるのかなということも感じるわけであります。実は、一私の父が死ぬ間際のときに私は自分の子供を呼び寄せました。そして、子供に父の看護をずっと付き添いでやらしたわけであります。決してそこにいたからといって父がどうなるわけでもない。しかし、子供に、人生の最後を締めくくる場面は、おじいさんのその場面はぜひ見てほしいと。それによって、人間はこうやって死んでいくんだ、また死ぬということはどういうことなのか、どんなに活躍してどんなに一生懸命生きてきた人間であってもいつかは必ず死ぬんだ、死んで後何が残るんだろうかということまで子供たちに考えてほしいと思いながらその場に立ち会わせたわけであります。そうしたら、やはり子供の反応というのは素早くて、手のひらを返したように翌日から急に私の方にすり寄ってきて、肩をもんでみたり、そういうようなことが入ってくる。  それは、自分自身が何を感じていたかはわからないけれども、だけれども人間の人に対する気持ちというか、そういうものが子供の心の中に芽生えてきたんだろうと思うし、それをどう表現していいかわからなかったけれども、何とか表現しようと思ってそういうふうな行動に出たのかもわからない。しかし、その後を振り返ってみても、何日かして一月、二月すればするほどだんだん薄れてはくるんですけれども、子供の心に与えたインパクトは大変大きなものがあったんじゃないかなということを実は感じるわけであります。  そういう意味で、小学校中学校義務教育の大切さというものは、決して知識を教えることだけでなしに、子供自身がその多感な時代にどういうものにぶつかり、どういう経験をするか、それの手伝いをするのが学校先生の役割じゃないかなというふうに感じるわけであります。  我々も自分自身の子供のことを振り返ってみると、どうも勉強、勉強ということに走りがちな部分がある。しかしそれは、今日本社会が置かれた学歴偏重のそういう社会構造の中にあるから、どうしても、さっきの田中眞紀子先生の早口じゃないですけれども、みんなが知らないうちに引きずり込まれていってしまうという部分があるんじゃないかなと。  そういうことを考えますと、やはりもう一度改めて原点に立ち返って、教育というものはどういうものなのかなということも必要なんじゃないかな、そしてなおかつ、その中にボランティアとか介護、思いやり、そういったものの占める領域というのはもっと大きいはずだったんじゃないかなというふうに思えて仕方がないわけであります。  一つは、私の友人に精薄者施設をお父さんと一緒にやっている人がいるんです。その人は今四十四歳でありますけれども、精薄者の中に同い年の人がいたわけであります。その子は名前がコーちゃんということをよく言っておりましたけれども、そのコーちゃんは、年を聞いてみると自分の年がはっきりわからない。数を数えてみなさいと言うと、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十までは数えるけれども、そこまで来ると首をひねって黙っている。十の次は何だと聞くと、またじっと考えて、一、二とまた一に戻っていく。そういう子であるわけであります。  その子がお父さんと一緒に車に乗って営業に出かけていく。車の中でその私の友人のお父さんが、なあコーちゃん、おまえ一番何が好きなんだと言ったら、プロレス見るのが好きだということをコーちゃんが言うわけであります。そうか、プロレス見れて、そして飯が食えて過ごせたらそれで幸せだな、幸せなんだぞということをよく言っていたそうであります。そうしたら、その私の友人がたまたまコーちゃんと横に乗って同じような営業をしていたときに、ああおれもう嫌になったなあ、人生嫌になったなあというようなことをぼろぼろ漏らしてひとり言みたいにして言っていたら、隣のコーちゃんが、プロレス見れて飯食えたらそれで幸せだということを言ったそうであります。何でそんなこと言うのかと思っていたら、お父さんがそういうことを年じゅう言っていたことをそれこそ九官鳥のように言ったのか、また、本人がわかっていて言ったのか、その辺は定かではないんですけれども、そういうことを横で言っていたと。  私の友人は、そのコーちゃんの生き方というものを見ていて、また同い年の人間だということを見ていて、こういうことを言うんですね。同じ昭和二十七年生まれの者がずっと並んで生まれてくるんだ。しかし、その中でコーちゃんみたいに十までしか数えられない子もいる。それこそ、どんな試験受けてもすべて百点とってしまうような子もいる。しかし、何でコーちゃんだけがそういうふうにして生まれてきたんだろうか。自分はこういうふうに思うんだと。  そのずらっと並んだ中にコーちゃんがいて、そのコーちゃんの後ろに僕がいたような気がしてしようがない。そして、だれがコーちゃんに十までしか数えちれない知能しか与えなかったのかといえば、神様なんだ。神様が、だれにしようかなということで順番にいってぼんと当たったのがコーちゃんなんだということを彼は言うわけであります。そしてコーちゃんの後ろに僕がいて、僕のところにひょっとしたら指されたのかもわかもないな、そういうことを思うとコーちゃんと一緒に仲間として生活していけるんだということを言うわけであります。  なるほどなあ、これも彼がその体験の中から得た一つの感想なのかな、また一つ思いかなということも感じるわけであります。  そうやって考えてみますと、人間というのはそれぞれ同じであるわけでありますし、また、ある意味で機会も均等に与えられなければならない。しかし、それを学び取るか学び取らないかというのは個々にもよるわけであります。いろいろなことで高等教育、そういったことも大切でありましょうけれども人間社会の中で恐らく半分以上の人がそんなに高い教育を受けることはないだろうと思います。しかし、社会はそういった人たちによっても支えられているんだ、そういうことを覚えていくのも義務教育の中で大切なことなんじゃないだろうかと。その数ある社会を構成している者の中でもって、本当にコーちゃんみたいな人でもひょっとしたら世の中に対して役に立つ人がいるんだと。  私、子供から、自分ら一生懸命試験勉強しているけれども、どうもこれ以上やりようがない、どうしたらいいんだろうかということを聞かれたことがありました。子供に対してどういうふうに答えたらいいのかなと思いながら、世の中確かに学歴で評価される部分がたくさんある、しかし、私は、人の評価というのは、学歴だとか偉いポストについているとかそんなことで評価するんじゃない。人それぞれ持って生まれた器がある。人によればこのコップぐらいの器かもわからないし、またこの水差しみたいな大きな器かもわからない。ドラム缶のようなもっと大きな器を持って生まれてきた人もいるかもわからない。そしてコーちゃんみたいに、ある見方からすれば杯はどの器しかないかもしれない。  しかし、その器で評価するんだろうかといえば、私はそうじゃないと思うわけであります。その自分の与えられた器にあふれるぐらいの努力を積み重ねることができるかどうか、それを続けることができるかどうか、それによって人は評価されるんだ。だから、おまえも確かにいい学校に行きたいだろう。しかし、自分が行ける学校でもって、そこでもって自分が精いっぱい努力することによって人は評価してくれるんだ。そういう社会でなければならないというふうに私は思うわけであります。自分の器いっぱいの努力をして、そしてそれが評価される社会、それをつくるのも、やはり小さいころからの教育によるんだというふうに思うわけであります。  そういうことをすべて考えてみると、いかに小学校中学校義務教育が大切なものであるかということは、改めてだれしも感じることだろうというふうに思うわけであります。  今度の教育改革プログラムの中でもってやはりたくさんいいことあると思います。実際に、社会人や地域人材学校への活用というようなこともあります。我々PTAをやっていて、確かにいいことばかりじゃありません。悪いこともあるわけです。中に、中学生なんかだったらひどいことを平気でやるのもいるわけですけれども、そういう者をきちっと本人を納得させて抑えていこうと思ったら、学校先生だけじゃどうにもならないわけです。中には、具体的な例としたら、本当にやくざを使ってその子を納得させて学校に来させてと、対症療法かもわかりませんけれども、しかしそういうものもある。だけれども、そこにきちっとした話し合いが行われて、お互いが納得して、子供も納得して学校に出てくる、それはそれで子供にとって悪いことじゃないわけであります。  しかし、そういうものを学校先生が、じゃ、その人がやくざだからということでもってその人をその子供に対してほっぽりっ放しということになれば、その子はいつまでたってもそれ以上――悪い方向にどんどん進んでしまうことになる。そういうときに、その地域における人材というものを活用するというのは恐らくそういうことを言っているんじゃないだろうとは思いますけれども、そういう人材の活用方法もあるんじゃないかなと。いろいろな意味で、現場の先生方がいろいろな対症療法というものを知っているんだろうと思うのですけれども、それと地域とのつながりというものがやはり子供を支えていくことは間違いないだろうと思います。  しかし、なかなかPTAも、最近は与えられた役を逃げ回るということが、それぞれ役をやるのが嫌だということで逃げ回るわけですけれども、それが最近の一つ風潮だろうと思います。自分の子供は自分一人で育てられるかといったら決してそうじゃないと思いますし、また、子供が小学校に行き、自分の目、親の目を離れている時間というのは、だれかに世話になり、迷惑になりしながら大きくなっている。そういうことを考えたときに、その地域の人とのつながりというものがいかに大切かということもわかるわけでありますし、その辺の関連のことで、また文部省の、大臣の御見解、まだこれからの方向性というものもちょっとお示しいただけたらありがたいなと思います。
  41. 小杉隆

    小杉国務大臣 今るるお話しされた、そういう社会を実現することがまさに教育改革の目指しているところだと私は考えます。  今幾つか挙げられましたけれども、子供たちがただ偏差値とか学業成績だけで評価される社会じゃなくて、それぞれの器に応じてみんながそれぞれ目標と生きがいを持って、精いっぱい達成感を持って人生を終えるような、そういう社会、そして、それをまた許す社会にならなければいけないと思っております。そういう風土をつくることによって、子供がみずからの創意とか工夫とか努力で生きる力をはぐくむことができる、そしてみんなが想像力とか柔軟性を持って生きる、そういう社会が私は望ましいと思います。  それから、例えばそういう恵まれない子供と接することによって、弱い者に対するいたわりの心とかそして翻って、自分は非常にありがたい生活をしているという感謝の気持ちとかそういうことが芽生えてくると思いますし、そういった中から、社会に奉仕しようとかあるいは公共のために尽くそうとか、そういうボランティア精神も生まれてくるんじゃないかと思っております。  それから、最後に言われた社会人の活用ということは、今度の教育改革プログラムでも重要視しておりまして、学校内だけに目を投ずるのでなくて広く社会と連携していくということで、学校先生ではなかなか教えられない、例えばコンピューターの操作の仕方とか、あるいは、この前宮崎県の中高一貫教育へ行きましたら、村の古老が非常勤特別講師でわらじの編み方を教えて、それを履いてみんな遠足に行くとか、そういう物づくりの体験を実践させるとか、そういった、もう少しフレキシビリティーを持って、教員免許を持っていないから教壇に立たせないというんじゃなくて、もっとその地域、地域で、例えばその村の古老を呼んできてそこの村の歴史とか伝統とか文化とかを話してもらうというのもいいと思いますし、学校外との連携というものをもっともっと強めていくという方向を私は考えていきたいと思っております。
  42. 戸井田徹

    ○戸井田委員 ありがとうございます。  また、ボランティアということで一つ提案させていただきたいのですけれども小学校中学校のときにいずれそういう形の教育が行われるようになるのであれば、ボランティア手帳みたいなものをつくって、小学校のときにこういう教育をした、学科でこういうことをやった、実地でこんなことをやった、そういうことを、卒業するときに百点なら百点ということで、ボランティアをこれだけやってきました、これからも中学校に行っても続けてくださいということでもって、そのままボランティア手帳を中学校に持って上がって、中学校ではもっと高度な、高度なというか積極的なボランティア活動をやって、またそこにその点数がふえていき、高校に行き、大学に行き、大学になったら、それこそ大学のクラブ活動でボランティアクラブみたいな窓口があって、それがいざ何かあったときの窓口にすぐなり得るような、そういうシステムというものをぜひつくっていただきたい。そして、その第一歩として、小学校の介護教育ですか、ボランティア教育するときに、ボランティア手帳というような形でやっていただきたい。  でき得れば、これが将来、年がいって七十になって介護を逆に受ける立場になったときに、そのボランティア手帳が介護手帳にかわり得るような、若いときにこれだけ、金じゃない、自分の体でもってボランティア活動をやってきたそのボランティア貯金を、年がいって人から介護を受けるときにこの貯金を使いたいんだということが実行できるような、そういうシステムをぜひつくってほしい。それは、もちろん文部省だけじゃ無理なのかもわからないです。だけれども、厚生省なり含めてもっと広い分野でのそういう試みということをやっていくことによって、大臣のおっしゃられた正義感思いやり、そういったものが体験的に身についていくんじゃないかなというふうに感じるわけであります。  あと時間がもう少しで、ほかの質問もしようかなと思ったんですけれども一つ、この間神戸の震災のときに、私が聞いた範囲では、両親がともに亡くなってしまった子供が、ゼロ歳から十八歳までで三百人ほどいると聞いたんですけれども、十八歳の子であれば、震災が一月の十七日でしたから、恐らく大学の入試で、受けていた子も、受けようとしていた子もいたのかもわかりません。それから高校。みんなそういう将来に向けて準備していたところでもって、震災の中でもって親が亡くなっていってしまった、そういった子供たちがどういうふうにしているのかなということが非常に気になるわけであります。  そして、義援金として千八百億円というお金が集まってきた。しかし、それが被災者に個々に分散していくと、もうわずかな金にしかならない。しかし、一千八百億円というお金は大変な国民の、それこそ子供たちの千円、二千円というお金から、また百円、二百円もあるかもわかりません、それから一方、二万、そういう小さなお金が集まって一千八百億というお金になっているわけであります。これは日本国民のその善意の集約だろうと思うわけであります。  そういうことを考えてみると、被災地における、逆にまた被災地の中での善意の集約というものが行われなきゃいけないんじゃないか。そして、まさにその善意の集約が行われなければならない対象者はだれなのかということを考えると、両親を亡くして一人で生きていかなきゃならない、そういった子供たちに対しての将来の教育に対する保障だろうというふうに思うわけであります。  そういったところで、もし具体的な話で、こういう事実があります、またこういうふうになっていますということがあれば、お聞かせいただきたいなと思います。
  43. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 今先生からは、自発的な募金によって経済的に厳しくなった御子弟にというお話があったわけでございますが、私ども行政の立場といたしまして、もちろんそういう点に期待する面もあるわけでございますが、私どもなりに、育英会の奨学金ということを通じまして、平成六年度以降、災害採用という形で特別な予算枠をとりまして、そのような方々のために対処するという措置を講じてきておるわけでございます。  また、これは来年度の予算で申しますと十七億円ほど用意しておるわけでございますが、これは従来から、必ずしもそういう災害採用の特別枠ということで用意したものだけで対処するということではございませんで、一般の既定の予算の中でもでき得る限り必要に応じて対処するということをいたしてきておるわけでございまして、平成八年度の場合、それらを含めますと、高校大学合わせて約七千三百人の方々にそういう奨学金を出しておるわけでございます。  この方向につきましては今後とも努力いたしたいというように考えてもおりますし、また授業料の減免措置ということも一部にあるわけでございまして、これも経済的に厳しい方々に対しまして、例えば国立学校の場合ですと、前期、後期の延べでございますけれども平成七年度の場合は六千人ほどの方々にそのような措置をとらせていただいているわけでございます。私どもなりに、それらの方々にできるだけそのような措置を講じまして、せっかく勉強したいという意欲をそぐことのないように対処いたしたい、こういうように考えておるところでございます。
  44. 戸井田徹

    ○戸井田委員 どうもありがとうございました。  最後に、介護教育、ボランティア教育を重ねてお願いいたしまして、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  45. 二田孝治

  46. 下村博文

    下村委員 下村博文でございます。  きょうは関係の委員の方の特別の御配慮で質問をさせていただくことを感謝申し上げます。小杉大臣にお聞きしたいというふうに思います。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕  ちょっと辛口な質問で恐縮でございますけれども、私は、最初に教育改革プログラムの骨子が出たときに、びっくりをしたといいますか、がっかりしました。果たしてこれが本当に、橋本内閣六つ目改革ということで出されたわけでございますけれども、本当にそういうふうな、六つ目改革としてこれからの二十一世紀日本をつくっていく、国民に期待されるような教育改革と言えるのだろうかというふうな思いがございました。しかし、これはある意味では文部省が出されたプログラムの骨子ということで、これをたたき台として、これからどう本格的に教育改革そのものをつくっていくのかというふうな期待はぜひして、またそんなふうにやっていただきたいというふうに思います。  そして、実はこれは私個人が思ったことだけでなく、この骨子を受けて、自民党の中で文教部会あるいは文教制度調査会合会議の中でこの説明があった中で、大半の議員の中から同じような発言がございました。お聞きであるかというふうに思います。なぜ今のこの教育改革プログラムについて、我々としては十分な、少なくとも私としては十分な評価をしていないということは、この教育改革というのは、よく見てみればこれは文部省としては恐らく本当に今までの総力を挙げて網羅した、文部省としては自信の持てる内容だというふうに思いますし、またそのような発言があったというのも私も承知をしております。  ただ、これは文部省教育改革を出すというよりは橋本内閣教育改革をつくるという、そういう視点考えると、これは対症療法的な改革であって根本療法的な改革にならないのではないか。例えば、今の問題点としていじめの問題がある、登校拒否の問題がある。今の教育の問題について、これを改革をすることによってこんなふうに解決できるのだというふうなことが国民から見ると目に見えない。ある意味では制度改革である六・三・三制を直していくとか、あるいは学校を五日制に変えていく、それはそれで必要なことであると、いうふうに思います。  しかし、それは本質的な改革とは言えないのではないかというふうに私は思うわけであります。本質的な改革というのはどういうことかということであれば、戦後五十一年を総括する中で、戦後教育の中で知識、知育という部分ではこれは他国に比べても十分に評価できる部分があるというふうに思います。教育をそういうふうに知育とか徳育とか体育というふうな分け方をするとしたら、戦後五十一年の教育の中で、徳育の部分が欠如していた。  徳育というのは、ちょっと古いようなイメージがありますけれども、心の教育というふうに言ってもいいかもしれません。あるいは、中教審ではこれを今後「生きる力」として定義づけて、子供たちにもっと生きる力をつける。生きる力というのは、広い意味で言えば心の教育であるというふうに思いますし、今までの言葉で言えば徳育の部分であるというふうに思います。それをどうこれから子供たちに教育の現場の中で指し示しをしていくか、教えていくかというふうなこと、そしてその生きる力なり徳育なり心の教育というのは、あるべき人間像としてどういうふうな人間になることが望ましいのかということを、この教育改革の中でまさにそれは理念であるし哲学であるというふうに思いますが、それを明示する。  そのために六・三・三制の改正があるのでありあるいは学校五日制の改革があるのだということがないと、どうも仏つくって魂を入れずではないのですが、魂の部分教育改革の中に欠如しているのではないか、こんなふうに思うわけでありますけれども、まずその点について、大臣の御見解をお聞きします。
  47. 小杉隆

    小杉国務大臣 まず、今回の教育改革プログラムですが、これは先ほども御答弁しましたが、従来四六答申とか臨教審答申、かなり本格的な教育改革の内容を含んだものも数多く出されております。実行できるものは逐次実行してきたのですが、なかなか国民全体の合意が得られないために実施に移されていない部分もたくさんあります。そういうものを一回総ざらいして、一体実現可能なものとして何が考えられるか、そういうものを文部省も挙げてほとんど昼夜兼行で、今までの答申とかいろいろな報告書とかそういうものを全部渉猟いたしまして、そしてこれを大体いつまでにできるのだろうかというところまで、実行がいつまでにできるかということを中心に考えて網羅したのがこの教育改革プログラムであります。  これはあくまでも教育改革の第一歩の案でありまして、これは自民党を初め各会派、各党あるいは国民各界各層のいろいろな意見をこれからどんどん出していただいて、私はより血と肉を加えて、本当に充実した教育改革プログラムとして練り上げていきたい。これはまず第一のたたき台であり第一歩だ、こういうふうに受けとめております。したがって、私は、いろいろ批判もそれからお褒めの言葉も、いろいろな意見をぜひ国民の間に、この教育改革についての議論が沸騰することを希望しているわけでございます。  それから、ちょっと具体的なことになりますけれども制度改革ですね。これについては明治以来随分、最初は義務教育は四年、その次に六年になって、戦後六・三の九年というふうに、制度は非常に変遷があります。私は、戦後のこの教育制度というものが、先ほども申しましたが、やはり昔は戦前はお金持ちでないと中学校へ行かれなかった、それがもうほとんどすべての人たちが中学まで行ける、こういうふうに教育の機会均等ということに私は非常に貢献したと思いますし、また世界と比べても教育水準の高いということに貢献したと思います。  しかし、やはり光があれば影もあるわけでして、一方において非常に単一な教育制度、あるいはちょっと硬直性というものも出てきた。したがって、私はこの際もう少し教育制度を柔軟に、それぞれ生徒が選択できる、そういう幅を設けた方がいいのではないか。いわば今までの単線型の教育から複線型の教育、多様な選択のできる教育、こういうことがまず大切だろうと思っております。  教育制度については、今まだ国民の間にもいろいろな議論があります。中学と高校とをくっつけていいのかとか、あるいは五・四制にした方がいいのではないかとか、あるいは高校大学にくっつけて大学予科みたいな形にしたらいいのではないかとか、いろいろな議論がさまざま出されておりまして、これはひとつ今後大いに議論をしていただきたいと思うわけですが、今までの単一の教育制度から、もう少し複線型の教育制度考えてみたらどうだろうかということで、今、例えば中高一貫教育についても中教審を中心に議論をしていただいておりますし、また、いろいろ各党で御提案があればどんどん出していただきたいと思います。  それから、徳育ということですけれども、概して言えば知識重視型の教育というものでこの戦後五十年聞きたと思います。したがって、これから心の教育といいましょうか、人間性をどう育てていくかということで、それぞれの子供が夢とか目標を持って、そしてチャレンジ精神とか創造性を発揮できる、そしてそれぞれの人が、充足感というか達成感というものを、生きがいを感じられるような、そういう社会をつくっていく、こういうのが今回、教育改革プログラムの大きな一つのねらいでもございます。  しかし、これは日本社会全体が、日本とは何ぞや、日本は何を目指していくのか、日本のアイデンティティーといいますか日本人のアイデンティティーをどこに求めるか、これは単に教育の場だけではなくて、社会全体が考えるべき課題であろうと思います。そういうことで、今度教育改革考える場合にも、単に教育の現場だけを見るのではなくて、学校以外のところを、社会とか家庭とか、そういうところにも目を広げて考えていくべきじゃないか、お答えになったかどうかわかりませんが、私はそんなふうに考えております。
  48. 下村博文

    下村委員 一番最初に、これはとりあえず第一歩である、今までの改革すべきことを総ざらいしてこの骨子の中に入れたというふうなお話がございました。この基本的な認識をぜひ明確にしていただきたいと私は思うのですが、つまり、今までの延長線上の中で改革できなかったところを改革していくというふうなことのように私は聞こえるのですね。  それというのも、文部省には大変に失礼な言い方ですが、例えば大蔵省改革を大蔵省がみずからやれといってもなかなかできないというのが明らかなように、この教育改革というのは単なる文部省改革だけでもないというふうに思うのです。しかし、文部省がこの教育改革をやれということ自体がこれは無理な話であるというふうに私は思うのですね。それというのも、今回の教育改革というのは、橋本内閣の中で先に五つの改革をするということがあったわけです、五つの改革の行政改革をしている中で、規制緩和の問題であるとか自由化の問題であるとかあるいは地方分権の問題という中でこの教育にも関係している部分が出てきたということもありますから。  今回の教育改革というのは、今まででも中教審とかあるいは臨教審、いろいろなところでいろいろな提案がされています。それはそれで大切な重要なことですし、また今回の学校制度を変えるということも重要なことですが、そういう視点考えた場合には、ある意味では、学校制度を変えるということは、枝葉末節とは言いませんけれども、その方法論の一つであって、本質的な部分でどう日本教育改革をしていくのかということが明示されていないと、何か戦略、戦術と言えば戦術的な、今までの繰り返しとしか、延長線上での改革にしかならないのじゃないか。そうすると、今回の六つの改革との連動性、これが出てこないのではないかというふうに思うし、私自身は、あるいは国民が期待をしているのは、ある意味では、今までの肯の部分は肯の部分として認めるにしても、マイナス的な部分をこの際思い切って――教育は国家百年の計と言われているように、百年先の日本をどうつくるかという中での教育改革理念が見えてこない。  これについては、いや、これは第一歩だから、まあいいと。それでは、これからどういうふうな具体的な形で、そういう国民的な合意も取りつけて、いろいろなところで論議もする中で、大臣としてはどういう方向に最終的には持っていこうとお考えなのか、それについてお聞きしたいと思います。
  49. 小杉隆

    小杉国務大臣 今までの答申の中にも、非常に価値のある本質論をついた提言もあります。  私は、今回、百の提言、百の議論よりもまず一つ実行ということで、今まで貴重な御提言をいただきながらなかなか実現できなかった部分を、これを何とか実行に移していこう。私は、決してこれは従来の延長線上だけではない、今まで臨教審にしろ四六答申にしろかなり本質論を含んだ提言が含まれていると思っておりますから、そういった意味で、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、一人一人の生きる力をはぐくむ、そしてみんながチャレンジ精神あるいは創造性の発揮できる社会、こういう大きな目標というのは、私は、国民各層異論はないと思うのです。  私は、そういうことで、決して、延長線、ただ単に今までやってきたことをなぞっているというだけではなくて、今まで非常に画期的なと思われるいろいろな提言を、今度は少し実行ということに力点を置いて、期限を区切って、これはいつまでにやろうじゃないか、あるいはそこまでいかなくてもプログラムぐらいはここまでに出そうじゃないか、こういう実行を第一に考えて出したということで、御理解をいただきたいと思います。  それから、五つの改革との関連は、さっきから申し上げているような行政改革にも資するいろいろなつまらない規制や何かをなくすとか、あるいは、地方にできるだけ、例えば教育長の任命なんかも、あるいは通学区域の変更などもできるだけ自治体に権限を与えようというような地方分権の考え方も含まれておりますし、それから、できるだけ新しい産業とか新しい分野を開拓するための先端的な技術の教育とか科学技術、そういうふうに五つの改革との関連性というものは十分考え改革案であるというふうに考えております。  あと、その方法論ということですけれども、私は、先ほどから申し上げているように、ただ単に文部省とか教育世界だけで考えるのではなくて、この機会に、全国民的な議論を展開していただきたいなと。それの一つのたたき台というか材料として大いにこれから議論を闘わせていただいて、そしてできるだけ国民の合意を形成して、そして、それでできるものはどんどんやっていく。  それで、私がお願いしたいのは、文部省という行政の中だけで考えるというのはやはり限界があります、これは法律とかあるいは予算とかいろいろな制約がありますから。したがって、その本質論とおっしゃいますけれども、そういうのはやはりまさに政治であり、あるいは全国民のいろいろな発想というものをぜひ出していただきたい、これをぜひお願いしたいと思います。
  50. 下村博文

    下村委員 今大臣が最後の方でおっしゃったとおりでございます。  ただ、具体的にどう国民の意見を糾合していくか、あるいは出していくかというのは、そういう受け入れ機関といいますか、制度といいますかシステムをつくっていかないと、これは口だけの話になってしまいます。けさ、自民党の中でも、党の中で、この教育改革について、今までの部会だけでは十分でないということで、教育改革推進委員会をつくって具体的にやっていこうというような動きができたわけです。しかし、まだまだ委員会だけでも私は不十分であるというふうに思います。  そういう意味では、第二の臨時教育審議会をつくるとか、何らかの具体的なことが、お考えがあれば、とりあえず案で結構ですけれども、お聞きしたいと思います。
  51. 小杉隆

    小杉国務大臣 当面、第二臨教審的なものは考えておりません。  ただ、今までいろいろな審議会、この審議会、文部省文部大臣の諮問機関は十五ありますが、その中には学識経験者、学者もおれば、行政の人ももちろん入っておりますし、また、ジャーナリズムの世界の人とか、あるいは利害関係者とか、かなり広範な人たちの意見が集約できるような、そういうメンバー構成を心がけておりますので、そういう審議会の議論、もちろん私はどんどんやっていただいておりますし、それから、今後、もうこれは文部省だけではなくて、関係省庁、例えば通産省にしろ農水省にしろ、そういった各省庁の協力を得まして、それに産業界とかあるいは、もちろん国公立の、あるいは私学の関係者とか、PTAとか、青少年団体とか、生涯学習団体、そういった幅広いグループ、団体、分野の人たちとの提携ということで、私どもは近々、そういった一大教育改革フォーラム、これは各層各界の人たちを集めたフォーラムというものをつくりまして、これを定期的に開催をしていく。第二臨教審というとある程度フィックスしたメンバーですけれども、そういう割とフレキシビリティーのある体制を組んでやっていきたいな、こう思っております。もちろん、これは政党関係の皆さんの参加もまたいろいろなところで私は考えたいと思っております。
  52. 下村博文

    下村委員 ぜひ期待をしたいと思います。  この教育改革と関連して、文部省関係における行政改革、あるいは文部省における地方分権、これに関連してお聞きをしたいというふうに思います。  それというのも、今回、改革プログラムの骨子の中に、通学区域の学校の弾力化ということが掲げられておりますが、実は、これはもう昭和六十二年、臨時教育審議会「教育改革に関する第三次答申」というところで、この通学区域の弾力化をぜひすべきだということで提案があったわけですね。これを受けて、文部省としてはすぐ、六十二年の後通知をそれぞれの各教育委員会に出しているわけです、弾力化しろと。  ところが、この通知というのは、これは文部省の初等中等教育局長それから教育助成局長社会教育局長、体育局長連名で、この臨教審改革を受けて、通学区域の弾力化をしろということで各都道府県、区市町村の教育委員会に通知しているんですが、実質的にはこの取り組みはほとんどされてなかったんですね。  されてなかったということで、実は昨年十二月に行政改革委員会の「規制緩和の推進に関する意見」の中での改めて、通学区域を緩和しろ、弾力化した方がいいということを受けて、文部省がこの骨子の中にも入れましたし、実際にことしになってから、一月二十七日ですか、各都道府県の教育委員会委員長あてに、通学区域については積極的に運用するようにということを出したということは聞いております。  ただ、私も大臣の後輩でもありまして、都議会の中で文教委員をやってきた中で見ますと、文部行政というのは、ほかの役所に比べましても、大変にいい意味でも悪い意味でも官僚的でありまして、東京都にしてもあるいは区の教育委員会等にしてもいつも文部省に対して視点を置いて、文部省の意向に対してちょっとでもずれることはできないといいますか、したくないというのがありまして、これについても、文部省がこういうことをしていても実際区市町村や都道府県はやらなかったというのは、やはり文部省の体質そのものにも問題があるのじゃないか、私はこんなふうにも思っているのですが、これについても実際どうなのか。また、経緯があれば。時間がありませんから簡単で結構です。  それから、実際どの程度まで踏み込んで文部省としては九年度これをやるつもりなのか、お聞きしたいと思います。
  53. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 通学区域の問題についての経緯は、今先生指摘のとおりでございます。  文部省の指導云々ということもかかわっているかと思いますけれども、私たちが思っておりますのは、どこの学校に学ぶかというのは子供たちにとってあるいは親にとって大変な関心事でございます。特に子供たちが大変多いときは、いわゆる受験ということに絡まって越境入学等の問題も大変大きな社会問題としても取り上げられた、そういった経緯がございます。したがって、市町村の教育委員会としても、どこの学校に学ぶかを親の判断そのままでということになりますと、いたずらに親たちの間に混乱を生ずるといいましょうか、不公平感といいましょうか、そういったものが出てくるのではないかということで非常に慎重に対応してきたのではないかなというふうに思います。  今回、行政改革委員会からの御指摘もありまして、それはそれとして、そういう問題を含みつつも、しかしどこに学ぶかということについて、できるだけ親や子供たちの意思というものを尊重した形で運用していこうということでございまして、私どもも、その趣旨はそのとおりだと思いまして改めて通知をしたということでございます。  今後の対応としては、今先生大変少ないというお話がございましたが、全国的に見ますと畿つかの工夫をしている事例もございますので……(下村委員「幾つですか」と呼ぶ)今私の手元にございますのは十一市町等で、例えば特認校制度、通学区域にかかわりなく就学を認めるとか、あるいはそれ以外にも調整区域といって通学区域を越えた形の就学を認めるとかというような事例がございますので、そういったさまざまな工夫事例を文部省として収集をして教育委員会に送付して参考にしていただく、こういう努力を文部省としてもしていきたいというふうに考えております。
  54. 下村博文

    下村委員 もう十一が何かあたかも多いような言い方でしたけれども、とんでもない話で、三千三百もあってたかだか十一しかできてなくて、これを評価するというふうなことが言えるのかどうかということは、これはちょっと全然別の言い方になるんじゃないかなと私は思いますよ。そういうふうなことについては、せっかくこれをやるんですから、やったけれども、実は三千三百の中で三十だったとか四十だったということではやったことにならないわけですから、ぜひ今後積極的に取り組んでいただきたいと思います。  それというのも、この行政改革というのはできるだけ官の仕事を民に移譲する。教育でいえば公教育で、ある部分を、私教育でできる部分を私教育に移譲する、あるいは民間教育でできるところは民間に移譲するというふうな連動性があってしかるべきではないかなというふうに思うわけですね。  それから、同じように中央の仕事を、つまり文部省の仕事であっても地方分権の中で都道府県や市町村に移譲できることは移譲する。ぜひこの教育改革の中にその辺の、官から民にどうこれから教育の分野においても入れていくか、あるいは文部省の仕事を、国の仕事を地方にどう移譲していくかということもまだまだこの骨子の中では不十分ではないかというふうに思いますが、これについては大臣はどんなふうにお考えになっているか、お聞きしたいと思います。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  55. 小杉隆

    小杉国務大臣 地方分権ということは、今度の行政改革の大きな眼目であります。  私は、教育の場で国の役割は何か、地方の役割は何か、それをやはりきちっと分けて考える必要があろうと思います。  まず、国の責任としては、例えば六・三・三・四制度というような学校制度の枠組みをつくるということ、あるいはいろいろな教育課程、カリキュラムの基本的な基準、こういうものを決める。それから、教員の資格、県によって教員のレベルがまちまちになっては困りますから、最低限度の教員の資格というようなもの、あるいはそれに要する例えば財政的な措置義務教育費国庫負担金、国が半分出すというようなことがそうですけれども、それから、教科書の無償配付あるいは地方に対する指導助言、こういったことが国の責任だと思います。  一方、地方の方は、公立小中学校を設置し、そして実際の教育を行っていくということで、そういうふうな一応国と地方との分担というのがあるわけですけれども、これからできるだけ地域とか学校とか児童生徒の実情に即してそれぞれの地域が創意工夫を凝らせるような、そういう努力はどんどんやっていきたいと思っております。  それから、先ほど具体的な例でありましたけれども、例えば通学区域の問題、これは何もやってこなかったじゃないかという御批判はありましたけれども、従来から比べると今非常に弾力的になっております。例えば、昔は地理的な条件ぐらいしかなかったのですね。道一つ隔ててすぐ目の前に学校があるのに遠いところへ行かなければいけないなどという場合は認めていたのですけれども、最近は、例えば身体の関係とか、あるいはいじめとか、そういう要素も加味しております。  今後、もっともっと、この通学区域につきましては弾力的な運用ができるようにやっていこう。ただし、余りそれを認めていきますと、今度は、一つ学校は過大な学校になってしまって、片方は全く生徒が来なくなってしまうなんてことにもなりかねませんから、その辺は非常に多様な工夫が必要だと思いますし、いろいろな情報を集めて、それを各教育委員会にお知らせするというようなことからまずやっていきたいと思っております。
  56. 下村博文

    下村委員 時間がございませんので、要望だけで終わりにいたします。  今大臣がお話しになりました、例えば通学区域の弾力化について、これはそういう例があっていいと私は思っているのですよ。つまり、ある学校は殺到する、ある学校は生徒が来なくなる、これはやはり学校先生の指導の仕方に問題があるわけですから、今までは教育を受ける側が過酷な競争原理の中で厳しく置かれておりましたけれども教育をする側が、健全な競争原理の中で選択をされ、選択をされない学校はつぶれてもしようがない。こういうことがなければ、本当の意味での日本教育はよくならないというふうに私は思いますし、そういう視点で、いや、さっきのいじめの問題も含めて自由化はある程度行われているのだ、弾力化は。私から見れば、主観の相違かもしれませんけれども、それは当然のことであって、その程度のことでまだまだ十分にやっているとは思えない。  これからぜひ、大臣も御承知だと思うのですが、クリントン大統領が一般教書の中で教育改革を取り上げました、これはインパクトがあったと思います、画本の教育改革においても、教育フォーラムなんかで取りまとめていただいて、改めて提示をしていただきますことをお願いを申し上げまして、質問を終わりにさせていただきます。ありがとうございました。
  57. 二田孝治

  58. 保坂展人

    ○保坂委員 社民党の保坂展人です。質問させていただきます。  先週の大臣所信を伺っていて、「国民一人一人が将来に夢や目標を抱き、創造性とチャレンジ精神を存分に発揮できる社会」あるいは「ゆとりの中で子供たちの生きる力をはぐくむ」とか、「個性を生かし、創造性や豊かな人間性をはぐくむ」というふうにうたいとげておられることに、そしてまた、前国会で、二十四時間ホットライン、いじめについて取り組む、民間団体が行政とも提携しながらという提案をさせていただきましたところ、非常に前向きなお答えをいただいて、また、シンポジウムなどにも、世田谷で行われましたけれども、飛び入りでおいでいただいて、登校拒否やいろいろな体験を持っている若者と、短い時間でしたがお話をお聞きいただいたということで、その心意気のところはぜひ頑張っていただきたいという趣旨質問をしたいと思うのです。  ただ、教育改革プログラム、拝見をしまして、若干の懸念が私の胸をよぎったわけなのですが、その懸念と申しますのは、これは少し前になりますけれども、一九九三年、つまり四年ぐらい前でしょうか、いわゆる偏差値偏重はいけない、点数だけで人間を見てはいけないということで、トータルな評価をということで、観点別評価ということが取りざたされた時期がございました。  このときに、例えばの話なのですが、東京新聞の記事があるのですけれども、茨城県におきましては、つまり点数評価ではない日常的な生活やあるいは行動の評価をいわゆる点数化して、基準を置こうということをお考えになったようなのです。例をとりますと、例えば、県主催の英語のスピーチコンテストの大会で県知事賞を受けた者は二十点もらえる。ボランティア活動に参加した者は二点である。あるいは県大会のスポーツ大会で一、二位に入ると二十点で、関東大会、全国大会だと二十点とか、こういう感じなのですね。そうすると、車いすを押して自発的にボランティアをしていた人は二点で、もっと点数をというと英語の方をやった方がいいよというようなことにもなりかねないので、これは物すごく論議を呼んだのです。  このあたりから見えてくることは、やはり文部省あるいは文部大臣あるいは各種審議会が、例えば赤い旗を立てて、こんなふうに変えていこうというふうにしても、それが現場におりていくと、色が違ってきて、黒い旗になってしまう。あるいは青い旗を立ててもいい、旗の色はどうでもいいのですけれども、そういうことが多々あろうかと思います。  こういったことを踏まえて、今回のプログラムのところでまず気になったのは、やはり中高一貫大学入学年齢の特例ということなのですね。これについては、五ヶ瀬の方でも既に始まっていて、必ずしもいわゆる詰め込みの暗記試験の選抜をしないということで工夫をされているようなのですが、しかし、倍率を見ますと、三百七十二人が受験して、九・三倍の倍率で、かなり厳しい競争になっている。現場の親たちはむしろこれから競争 は険しく、厳しくなるのじゃないかということで、大変動揺をしているわけなのです。  こうしたところを見ていきつつ、やはり私自身が、先般いじめの問題についてお話しさせていただきましたけれども、もう一つの、学校に行けない、行かないという苦しみ、あるいはその中のさまざまな、学校の中で傷を受けた子供たちが昨年の文部省の統計でも八万二千人の小中学生、これは子供のトータルの数は減っているわけですから、いわば学校に行っていない子供の率というのは非常にふえているわけですね。そのふえている不登校の子供たちが実は八万二千人ではなくて、実際にはもっと、公式統計の陰に隠れた数がいるだろうということは現場のさまざまな方たちが指摘なさることなのですが、そこに極めて関連することとして、中学校卒業程度認定試験のことについて第一の質問にさせていただきたいと思います。  これは登校拒否の子供たちのためのバイパスとしてこの中学校卒業程度認定試験、略して中験を有効に活用しましょうと。関連のいろいろな答申を読んでみても、いわば日本の画一的な、大臣は単線型とおっしゃいましたけれども、その単線型の社会を複線型にするために、つまり、より柔軟で弾力化するためにこの中験の試験を使って、現行だと十六歳にならないとこれは受験できないのですね、ところが、これを十五歳に引き下げていこう、ということによって、登校拒否で悩んでいる子やあるいはその親たちの心のつかえを幾らかでも和らげよう、こういう趣旨だろうと思うのですけれども、しかし、現場ではこれが必ずしもそうは受け取られていないのですね。  このことについてどういう懸念がありますかというと、今までは中学校を例えば数日しか行っていない、あるいは一年生は行ったけれども二、三年は休んだという子供たちも、校長裁量で卒業ということになっているわけなのです。ところが、この規定で、中学校卒業程度認定試験を、中験を受けないと卒業できないというような、逆転現象といいますか、ということが起きないかどうか、これを文部大臣にまず伺いたいと思います。
  59. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいまの御指摘の点でございますけれども中学校の卒業の認定ということはそれぞれ中学校の校長先生が行うという、この制度は全く変わっていないわけでございます。  ただ、例えばほとんど学校へ来ないあるいは何年かにもわたって学校に来ない、そういう子供について卒業認定をするかどうかということになりますと、校長先生大変悩むところでございます。これまでも適応指導教室との連携とか、その他さまざまな子供たちの学校生活に関連した活動を評価して校長先生の御判断で認定するということがあるわけでございますけれども、やはり原級留置にとどめざるを得ないというケースもあるわけでございます。そういう子供たちのためには、この中卒認定試験を活用していただく、こういう趣旨でございまして、この中卒認定試験ができたから、これまでの校長先生の卒業認定の判断がこれによって変わる変わらないということではないというふうに考えております。  ただ、ただいま制度化を準備いたしておりますので、これから制度化をし、これを全国に周知徹底していくに当たりましても、そういう点につきましては十分配慮してやってまいりたいというふうに思っております。
  60. 保坂展人

    ○保坂委員 私、この発表が出たときに、当時ジャーナリストですから、そうした懸念をマスコミに発表したわけなんですが、ちょうど進学の時期を迎えて、数日前に埼玉県の中三のお母さんからお電話がありまして、いろいろお話を聞いてみると、やはり中二当時に担任の先生の心ない一言で傷ついて学校に行くことができなくなった。自宅でインターネットのホームページをつくって、そのホームページが高く評価されて専門誌に紹介をされるというぐらいのところまでいっているということで、いわゆる自宅にいる形なんですね。そして、卒業直前ということで、昨年十二月に校長先生とお母さんが面談をしたところ、何とか校門までは来れないだろうか、あるいは卒業アルバムに載せるからそれだけは、アルバムに載るということだけはのんでくれというようなお話があったようです。  学校に行けないというのは、実は大変つらい心境で、楽しくて学校に行かないという子が大勢いるというようなことは全くないわけです。やはり、学校になぜ行けないんだ、行きたいんだけれどもどうして行けないんだ、あるいはいじめがあるかもしれない、その他いろいろな事情がある。したがって、校門まで行く、そんなことはとてもできない、あるいは卒業アルバムに載るということもさまざまな心の葛藤の中で難しいということで、お母さんはお返事されたそうです。その後校長先生から出てきた言葉が、じゃ、うちの中学は除籍にするから、今度中験というのはそういうふうに変わるから中験でやってくれ、こういう言葉を受けたという事例が、実際におととい私の会館の方に電話で入ったのですね。調べてみますと、静岡、福岡でも同様の声がある。  この現実、つまり私が言っているのは、今この現在、さまざまな子供たちの叫びがあって、そして文部省の中でも意識を転換していただいて、登校拒否はだれにでも起こり得るというふうに変えていただきたい。したがって、民間のフリースクールやあるいはそれにかわる場に通って、それも学習というふうに認めていただいて、なるべく卒業しやすく、そして現実のところ、例えば東京の都立高校などでも、一日も行っていない子が勉強して都立高校に入っている現状があるわけです。  つまり、規制は十分緩和されているわけです。その緩和されている規制が、この中験によって、今のような事例が出てきますと逆に、規制緩和をうたいながら逆のことになりはしないか。ここはしっかりと、そうはならないというお答えをいただきたい。お願いします。
  61. 小杉隆

    小杉国務大臣 従来、やむを得ない事情で学校へ行けなくて、中学卒業程度試験ですか、これを受けて高校へ入るというお子さんがかなりおりますけれども、御指摘のとおり、十六歳でないと受けられなかった。それを平成九年度から、今度から、ほかの中学卒業生と同じ年齢で受験ができるようにした、これは一つの大きな規制緩和だったと私は思います。  それから、今お電話の話がありましたけれども、中学卒業認定試験に受かったということは、もう中学卒業程度の実力は持っているということが認定されたわけなんですが、形式的には、卒業証書というのは校長さんの権限なものですから、結局、矛盾するようですけれども、卒業証書は出せない、しかし中学卒認定試験に受かれば高校へ入れるということで、この辺はちょっと両制度が併存しているような形なんです。この辺は今直ちにどうしたらいいかというお答えができないのですけれども、とにかく、できるだけ生徒さんの意思というものを尊重するような制度改革というものは、今後も私たち、心がけていきたいと思っております。
  62. 保坂展人

    ○保坂委員 加えて、大臣に重ねて申し上げますが、子供たちにさまざまなチャンスをということが、掲げられている教育改革趣旨だろうと思うのです。とするならば、中験も十五歳で受けて、中験でぜひ自分はやりたいという子はそれをやる。それ以外の子は、例えば試験を受けるというふうに聞いた途端、もう自分はだめじゃないか、高校も、それ以上の進路がなくなるんだ。  つまり、現在はいろいろな形で柔軟に卒業をさせている学校が、文部省やいろいろな上の方から書類がおりてきて、これからはこの中験を義務づけないと卒業は難しいのだというふうに勘違いをされるケースがかなりあろうかと思うので、それは趣旨として、現在のところのフレキシブルな卒業認定が担保され、なおかつ中験が選択肢に加わる、こういうふうに理解してよろしいのでしょうか。そうでないと、余計に中験という試験が義務づけられてしまうということになってしまわないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  63. 小杉隆

    小杉国務大臣 すべて弾力化して自由にしたらいいじゃないかということにはならないと思うのですね。やはり義務教育ということで、一応小中学校九年間は義務教育ということで、国のお金も地方自治体のお金も相当出していますから、本来ならば学校へ行かないという生徒を減らすというのが本筋であって、ただ現実は、残念ながら登校拒否という生徒さんが非常に多いという現実を踏まえて、基本はできるだけやはりみんなが学校に行ける、そういう学校にしなければいけないという努力が第一。しかし、残念ながら、現実的にそういうお子さんが出た場合には、それはもう全く疎外してしまうということではなくて、現在、十分学校と連絡をとって、例えばフリースクールで区の施設を使ってやっているとかそういう場合には、そこに出た日数を指導要録上、出席扱いにするとか、それからその施設へ通う定期代については通学定期の扱いにするとか、かなり私は踏み込んだ扱いをしていると思うのですね。  しかし、基本はやはり義務教育という、あるいは国民の税金を使ってやっているという制約もあるわけですから、全部が全部フリーにやれるかというと、そういかないというところも御理解いただきたいと思います。
  64. 保坂展人

    ○保坂委員 しつこいようですが、大変踏み込んで取り組んでいただいている部分は認めるのですね。  それで、今回の中験によって、それはもうがらっと変わって、あらゆる登校拒否の子供が中験を受けないと卒業できませんよということを文部省あるいは文部大臣はおっしゃりたいわけではないと私は理解しているのですが、そこのところ、明言していただきたいと思うのです。
  65. 小杉隆

    小杉国務大臣 これは中卒程度認定試験を受けなければ卒業させないというふうに固定的に考えているつもりはありません。これはあくまでも学校長の判断で、その程度によっては、かなり出席できなかったというお子さんであってもいろいろな状況を勘案して、生徒さんの立場というものを十分考えた上で判断できるという余地は残しておりますので、全部が全部、中卒認定試験を受けなければだめよ、こういうことではないというふうに私は考えておりますし、そういう方向でいきたいと思っております。
  66. 保坂展人

    ○保坂委員 ありがとうございました。  ちょっと関連して、この教育改革というのは多様な教育機会を子供たちに与えようということだと思うのですが、例えば中験以外に通信制中学というのがございまして、東京では一橋中学がございます。例えばそこに中学生を紹介しようとすると、学齢期の子供はちょっと難しいのですね。受け入れてもらえないのです。つまり、十六歳以上ですと、働いていたり、そういう方が通信制中学に入れない。ところが、大阪に行くと天王寺中学が受け付けてくれるようなんです、個別のケースによると。  東京がだめなら大阪があるさという話もありますけれども、これはどうなっているのでしょうか。東京でも受け付けてもらえないでしょうか。
  67. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 中学校の通信教育の関係でございますけれども、これは戦後の学制改革の移行措置として講ぜられているものでございまして、その対象者は法令で明定されておりますけれども、「尋常小学校卒業者及び国民学校初等科修了者」という形で限定されてあります。  ただ、別科という制度がございまして、それは正規の中学校じゃございませんけれども、そこで教育を受けるという人たちのための授業というものは行われております。  したがって、私ども、東京それから大阪、それぞれの中学校に聞きましたところ、大阪におきましても、学齢相当の子供はこの中学校には入っていないという報告を受けております。東京につきましても同じように、学齢期の子供は就学をしていないということでございます。
  68. 保坂展人

    ○保坂委員 続いてお願いしたいのですが、やはり学齢期の子供も、例えば訪問教育で非常に弾力化していただいて高校も範囲に加えていただいた、親たちも子供たちも喜んでいると思うのですね、何らかの選択で、この通信制中学もぜひ学齢期の子供もアクセスできる、入学できるというふうに改善の意図はございませんか。
  69. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 私ども中学校の子供たちの心身の発達状況等を考えますと、やはり通信ということではなくて、先生と直接接する形での学習というものが大変大事だと思います。したがって、戦後の切りかえ時におきましては暫定的にそういう制度があったわけでございますけれども、やはり本来の中学校教育あり方というものを考えますと、正規の、今行われている中学校に通ってもらいたい、こういうふうに考えております。
  70. 保坂展人

    ○保坂委員 戦後の混乱期に加えて、今、戦後第二の混乱期だと私は認識しています。本当に大勢の若者が、十五歳から二十歳まで、高校中退を加えますと登校拒否体験は大体百万人いるのですね。これらの人たちが、高校においては、大検があり、私塾のバイパススクールもたくさんできてかなり弾力化されてきた。ただ、中学あるいは小学校において、実際上の教育難民が発生しているという事実を踏まえて、今後ぜひ検討をお願いしたいと思います。  時間がなくなってまいりましたので次に行きたいと思いますけれども、ここのところ、文部省教育改革プランが伝えられている状況の中で、大学センター入試の問題が連日紙面をにぎわしております。そして、この大学センター入試も、細かい問題は言いませんけれども、出題ミスがあったりとかいろいろな問題がありますけれども、最大の問題というのは、いわゆる旧数学の課程と新課程の、つまり浪人の皆さんが主に受験したところの平均点が四十二点余り、新課程の方が六十四点ぐらいですか、それで二十一・七点差という大差が開いてしまった。  これは、文部大臣の掲げる、一人一人の個性とかあるいは生きる力とか輝きとか、自由に伸び伸びととか、スポーツとか、若者は若者らしくとかというのはますますできなくなる世の中になるなというのが、現場の子育て真っ最中の親たちの声なんです。  文部省はいいことを掲げているけれども、実際はこうじゃないか。つまり、試験はどんどん難しくなり、あるいは中高一貫も、先ほどちょっと私が懸念したように、どうも狭い門の競争になるのじゃないかという疑念の声が渦巻いていますので、ぜひこれは文部大臣にお願いしたいのですが、今回浪人としてこのセンター入試を受けて、苦杯をなめた、うまくいかなかった、非常に悔しい思いをした、あるいは現役の高校生で受けた、こんなことを感じた、そういう受験生と、受験を終えた若者たちと直接対話をしていただけないでしょうか。
  71. 小杉隆

    小杉国務大臣 今回、大学入試センターの数学で、旧課程と新課程で二十二点の差ができたということはまことに残念なことであります。できるだけ、作題、題をつくる場合に一生懸命やっているのですけれども、結果的にこういう差が出たということは、私は本当に残念だと思います。  そこで、得点調整とかいろいろな案があったのですけれども、私はやはり、そうするとまた新たな不公平が生ずる、ぎりぎり何ができるかといったら、なるべく足切りを行わない、二段階選抜をできるだけ避けていただくというお願いを特に私、文部大臣として通達を出させていただいて、かなり昨年よりは改善をされたのですけれども。  この入試センターの問題について、私は、できるだけ大学先生方の意見あるいは高校先生方の意見、そしてできれば生徒さんの、受験生の話も聞いていきたいと思っておりますが、現にもうここ数日の間に、受験生の母親、それは現役の人も浪人の人もいろいろな意見を私のところへ寄せていただきまして、参考にさせていただきましたが、またそういう場があれば、私はできるだけオープンな姿勢で、聞く耳を持っていきたいと思っております。
  72. 保坂展人

    ○保坂委員 文教政策の一番の主人公はやはり生徒であり、子供であり、あるいは子供たちがこれからの未来に向けてどう可能性を羽ばたかせていくのかということで、当事者の声というのはとても大切だと思うのです。ですから、次の機会に、いじめについて悩んでいる生の肉声をできれば録音テープで皆さん、この委員の方にお聞きいただくということも考えたいと思います。それから、きょうもこの論議を見守っておりますけれども学校に行かない体験、不登校のつらさを骨身にしみて体験した人たちの、少数派ですけれども、そういう声も、文部大臣、そして各党の皆さんもぜひ聞いていただきたいというふうに思います。  そして、これから教育改革というのは、文部省が旗を振って組み立てて上から下へおろしていくというよりは、むしろ現場の人たちが知恵を持って、力を持っている。実際に子供の悩みに直面し、その解決を迫られている民間団体あるいは学校の中の人たち、そして学校の外のさまざまな、子供の今、本当にこれを支えようという人たちが大きくつながって、安心して子供が産める社会をぜひつくり上げていただきたいということをお願いして――これは、教育ストレスというのが物すごくあると思います。もう時間がないからきょうは言えないのですけれども、今、ゼロ歳からカードで教育するというのが、もう教育産業花盛りです。物すごい数のお母さんたちが行っています。三歳になると大体もう学習塾に通い出しますね、知能開発塾ですか。そういう中でさまざまな弊害があります。三歳児がミミズを見てLと読んだり、そういう中で本当に心が育つのか。  ですから、総論で教育改革のことについて、豊かな心とか生きる力、賛成ですので、ぜひ各論に、具体的な、先ほどの中験のこともそうですけれども、魂を通した改革をお願いして、私の質問を終わりたいと思います。
  73. 二田孝治

    二田委員長 午後零時三十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時三十八分休憩      ――――◇―――――     午後零時三十六分開議
  74. 二田孝治

    二田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。藤村修君。
  75. 藤村修

    ○藤村委員 新進党の藤村修でございます。午前中から議題になっておりますが、一月二十四日に発表されました教育改革プログラムということで、まず御質問を申し上げたいと思います。  教育改革ということで、私ども新進党でも、もう結党以来、部会を設けまして、種々御提案をしたり、その中で一昨年、中高一貫というのをお出しをしたり、あるいは昨年六月には割に具体的な中高一貫プログラムも御提示をしたり、そんな中で、教育改革をやろうということにおいて、本当にこれは多分与野党をたがわずに、戦後五十年、五十一年の教育の中でやはり大きく見直す点がいっぱいあるということは、午前中の審議の中でもはっきりしていることでございます。そして今回、教育改革プログラムが出されたということであります。タイトルについて、我々も非常に期待をし、あるいは一緒にやっていきたい、こんなことをまず御表明申し上げます。  ただ、改革をするというに当たっては、改革理念と申しますか、これも午前中ほかの委員からも、理念はどうかといろいろ問われておりました。あるいは、下村委員からも先般のクリントン・アメリカ大統領の九七年一般教書でもという話がありまして、これはぜひ、もう大臣もお読みのこととは思いますが、御紹介したいのは、非常に短く言えば、今後の四年間で教育改革を内政の最優先事項として、米国民世界最高の教育を受けられるようにすると、非常に格好いいですね。具体的目標としては、八歳で全員が字を読め、十二歳で全員がインターネットに接続でき、そして十八歳で全員が大学に通え、すべての米国人が学習を続けることができる社会というものをつくりたい、それについてちゃんと財政も、そのために教育関係予算の二〇%増額を提案すると、割に簡潔に、しかし非常にわかりやすく言っていただいておるところでございます。  何もこの中身をまねしろとかそういうことではありません。日本日本の問題でありますが、小杉文部大臣の方では、一月二十四日にこれを発表されて、割に多分すぐだと思います、補正予算の参議院の予算委員会質問に答えて、大きな方向としては、一つは、科学技術創造立国とか国際化とか情報化とか、そういう新しい時代の変化に対応できる人材養成、もう一つは、正義感思いやりなどの豊かな人間性を涵養する、この二つを取り上げられて、そしてその進める視点というので、子供たちの能力とか個性に応じて多様な選択ができる、そういう柔軟性多様性教育制度の中に盛り込む、二つ目に、外へ向かってオープンな姿勢で門戸を開く、三つ目に、百の議論よりも一つ、の実行が大切、全部タイムスケジュールを設けてきちっとそれまでに達成する、こんなお答えをしておられて、これがきょうの午前中の答弁でもお答えの範囲だったようにお伺いをいたしました。  どうも、考えてみるに、橋本総理が多分一月七日に指示をされた、それからわずか十四日ぐらいですか、一月二十四日に文部省は鋭意四六答申あるいは六二臨教審答申あたりを抽出して、まだできていないことを、ある意味では各縦割り部局別に持ち出された、その内容に今度はタイトルをつけたのがどうも今の小杉文部大臣の説明ではなかったかと考えざるを得ないのであります。  でも、改革をやると言うからには、細かくいろいろ当然中身が出てくるわけですが、まず最初に、理念目標、そんなものが必要でありますが、このクリントン流のような理念目標、少しわかりやすく、短く言っていただけないかというのが最初の質問でございます。
  76. 小杉隆

    小杉国務大臣 私は、これからの国がどうあるべきかとか、我々の人間像がどうあるべきかというような問題は、一方的に文部省が押しつけるべきものではないと思います。これは、やはり社会全体、国民全体が考えるべきテーマだと思います。  そういう中で、今まで臨教審とか中教審答申とかいろいろの中で、恐らくこれは国民全体の合意として受け入れられるのではないか、そういう部分を今度の一つ目標として掲げているわけですけれども、それは今御指摘になったような、一人一人が夢や希望あるいは目標を持って創造性やチャレンジ精神が発揮できる社会、そういう一つの生き方。あるいはまた、冷戦構造が終わって、例えば世界的に環境問題とか食糧、エネルギー、人口、女性の問題、こういうグローバルな問題がふえてきましたので、もう少し、一人一人の生き方と同時に、世界の中で地球市民としてどう生きるか、こういう一つの姿もこれからの日本人としての生き方の中に加えるべきじゃないかと私は思います。  いずれにしても、冒頭申し上げたように、こういう理念とかこれからの目標というものは、一応ここではうたっておりますけれども、本格的にはこれから国民的な議論を通じて、日本としてどう生きるべきか、日本人のアイデンティティーをどこに求めるか、こういうものはこれからみんなで合意を形成していくべきものだと思います。ただ、今申し上げた一つ考え方というものをここにうたっているわけでございます。
  77. 藤村修

    ○藤村委員 我々が中高一貫を提案したときにも、教育は未来への先行投資、こんな言い方をしました。これは多分与野党ともに割に共通したタイトル、標語になるかと存じます。  おもしろいのは、先般のクリントン大統領の一般教書で教育のところを幾つか述べられていて、最後に、教育は未来に向けて重要な国家安全保障問題である、このとらえ方というのもなかなかアメリカ流なんだろうと思います。いずれにしろ、我々の方はやはり教育は将来に向かっての先行投資という考え方、これは大臣いかがでございますか、この考えについては。
  78. 小杉隆

    小杉国務大臣 そのとおりだと思います。
  79. 藤村修

    ○藤村委員 それで、一月三十日の参議院の予算委員会でも、私が非常に感銘を受けるのは、百の議論よりも一つ実行が大切、そして全部タイムスケジュールを設けて、きちっとそれまでに達成する。これは大変な御決意だと受けとめております。  そして、今回のプログラムをちょっと整理してみますと、タイムスケジュールを全部、すべてきちっととおっしゃったので、本当かなと思いまして見ると、いや、まあ大分違うなと。もちろん、先ほど来話題になっている小中学校の通学地域の弾力化とか、あるいは教育長の任命の廃止の件とか、社会教育関係法令の見直しとか、平成九年度中にということで、タイムスケジュールがございます。  ただ、タイムスケジュールがないのも非常に多いですね。ちょっと例を挙げますと、例えば「近い将来、全ての学校がインターネットに接続する」、これは近い将来ですね。あるいは「既存機関を活用して、教育、文化等に関する総合的な情報提供のナショナル・センター機能の整備」をするとか、あるいは「面接など丁寧な選考方法などによる人物重視教員採用推進」とか、これは、割に重要な問題がタイムスケジュールがない。実は、たくさんあります、まだまだ。タイムスケジュールがあるのがこの一枚とすれば、ないのがこの二枚ぐらいになります。  その意味では、そうすると、やはりこれだけたくさん出されると、当然重点といいますか、早急にやるといいますか、あるいは小杉大臣御在任中に必ずこれとこれとこれはやるということはあるのでしょうか。
  80. 小杉隆

    小杉国務大臣 御指摘のように、すべてのプログラム、全部具体的なスケジュールは明示できませんでした。これは、今それぞれの該当する審議会で審議している内容もございますし、そう簡単に、早急に、いついつまでにやるという結論が出されない、そういうテーマもたくさんございます。  したがって、私は、先ほども申し上げたように、これからの教育改革というのは一朝一夕にできるものではない。むしろこれからがスタートだというつもりで、今当面私たちが考えられる教育改革プログラムは何かということを今までの数ある各申の中で精査をいたしまして、そして並べたというのがこの教育改革プログラムでございます。  私は、特に一、二申し上げますと、例えば学校週五日制、これは中教審答申では二十一世紀初頭という文言しかなかったのですね。しかし、これはやはり具体的に時間を設定すべきじゃないかということで、ぎりぎり事務当局にも詰めてもらって二〇〇三年というのを打ち出しました。これもかなり、必要があれば後から答弁させますが、いろいろやってみますと、時間的には大変厳しいスケジュールなのですが、何とかそういう今まで提言をされていて実行されてなくて当面急ぐべき課題についてはきちっとタイムリミットをつけようじゃないか、こういうことで取り組んだところでございまして、これからもいろいろ各審議会で六月とかあるいはことしの秋とか来年とか答申が出されるのがありますが、そういうものを逐次、一つ一つタイムスケジュールを設けて、いついつまでにこの問題はやろう、こういうことを設定してまいりたいと思っております。
  81. 藤村修

    ○藤村委員 今、一つだけ二〇〇三年の五日制をおっしゃいました、これはやると。あるいは、中高一貫制度は、一応六月に答申が出る、これを見てというと、割に近い将来であります。  この点につきまして、一つ内容の問題でありますが、中高一貫制度を、六月に答申が出て、平成九年度のうちにどの程度やるのか。すなわち、これは学制の改革なのか、それとも大臣おっしゃる複線化で、こういうことも一部できますよというのか。つまり、法律関係でどういうふうに変えるのか、その辺までもう既にお考えかどうか。あるいは、その中で、今、中教審でも論議されておりますが、義務教育を九年とするというのが大体主流のようでありますが、大臣はどうお考えでしょうか。
  82. 小杉隆

    小杉国務大臣 これは教育制度改革ではありませんで、新進党さんの御提案ですと、すべて中高一貫教育に移行せよという御主張のようですけれども、私たちは全部これを一律に導入するという考え方ではなくて、従来の六・三制をそのまま生かしながら、しかし他面では、この中高一貫の学校も選択できるという、そういう多様な教育の仕組みをつくっていこうということでありまして、今までの六・三制度を崩すということではありません。(藤村委員義務教育のことについては」と呼ぶ)  義務教育については、これはいろいろな考え方が、確かに国によって違います。例えば、シンガポールなどは義務教育年限を十二年としておりますし、イギリスなどは六・五制で十一年ということでありまして、それは世界各国、それぞれの国の判断で義務教育制度というのが決まっているわけですけれども、私たちは、現時点においては、今この六・三制の義務教育を崩すという考えは持っておりません。
  83. 藤村修

    ○藤村委員 私どもの中高一貫についてもちょっとだけ説明しますと、相当の議論をいたしました結果としては、義務制九年というのは、世界的に見て決してそれは低くない、相当高い方であります、その九年の義務教育を一応堅持しようと。といいますのも、義務でありますから親の義務までかかってきますので、行かせなければならないということにはしない。ただ、中高という三・三でくっつけると六年制の一貫教育一つ実現するわけで、その際に、後期の、今で言う高校部分、ここを、就学保障という新しい考え方を持ち出して、くっつけております。  それから、全部を一律にある日から突然やるということでもなく、もちろん各県単位で一校、二校とモデルをつくって、二年後ぐらいに大体そういうふうに移行する、こんな考え方ではございますので、念のために申し添えます。  それから、内容の点でもう一点は、教育制度の弾力化で、通学区域の弾力化に向けて各市町村における多様な工夫、午前中の質問もございました。  これで、午前中聞いていてわからなかった点も幾つかあるのですが、今、就学校の指定は国の事務ですね。機関委任事務で地方に委任していて、地域の実情や保護者の意向を考えると、これは市町村が主体的に決定できる団体委任事務とできないかという質問を、私はちょうど一年前この本秀一員会で、二月二十三日でしたか、いたしました。そのときの当時の初中局長は、就学する学校の指定を機関委任事務から地方公共団体の事務とした場合、憲法上の国の責任を果たすことができるのかどうか、そこはもう少しきめ細かく検討していくことが必要、こうお答えです。  となりますと、午前中のお答えも聞いていますと、つまりこれは弾力化であって、国の事務を地方に、団体事務に移すという問題とは違うのかどうか、ここをちょっとお答えいただきます。
  84. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま先生指摘になりました機関委任事務か団体委任事務かにつきましては、ただいま地方分権推進委員会の方でなお検討をされているところでございます。したがって、このとらえ方をどうするかということは、まだ最終的にどうという報告が出ているものではございません。その結論は結論としてこれから見出されるという段階のものでございます。  一方、今回私どもが通学区域の弾力化というふうにいたしましたのは、そうした就学事務を、講学上と申しましょうか、理論上どういうふうに押さえるかということは別といたしまして、実質的に子供たちをどこの学校に就学させるかということは市町村教育委員会の権限と責任で行われておりますので、その権限と責任の行使のあり方として、もう少し弾力的な運用ができるのではないか、運用をしてほしい、そういう趣旨の通知を申し上げた、こういうことでございます。
  85. 藤村修

    ○藤村委員 そこで、結局弾力化は、さっき午前中の下村委員もありましたけれども、三千三百ある中で十幾つで弾力化した、あるいはそれを五十にしたから弾力化したと言えるわけですが、では、それが改革の名前に値するのか。教育改革であります。小杉大臣、これはどうお考えですか。本当に通学区域の問題を国が国の事務としていつまでも持っていないといけないのか。いよいよ市町村にそういう判断はお預けする、つまり機関委任事務から団体委任事務にするということはどうですか。大臣としてのお考えをお聞かせください。
  86. 小杉隆

    小杉国務大臣 午前中の議論でも申し上げましたけれども義務教育については、その枠組みとか、それから指導の内容の基準とか、そういうものについてはやはり国の役割というものは厳然としてあるわけですね、憲法、教育基本法に基づいて。そして、もちろん都道府県という地方公共団体にも責任あるわけですが、そういった仕組み、国と地方との役割分担というものはきちっと私たちはわきまえていかなきゃいけないと思いますが、その中において、従来のように余り固定的にやるんじゃなくて、それぞれの市町村あるいはそれぞれの都道府県、地域の実情とか、あるいは生徒さんの意向とか、親の、保護者の意向とかそういうものをできる限り取り入れられる、そういう柔軟性といいますか、そういうものをできるだけ取り入れる、そういう工夫をやっていこうじゃないか、こういう考え方で、これはやはり、今までの均一的というか均質的というか、そういう教育の非常に硬直性を打破する教育改革一つであるというふうに考えております。
  87. 藤村修

    ○藤村委員 改革でありますので、午前中も出ておりました、今までの手法なりその延長線で、いわば修正するということでは多分ないはずであります。これは、橋本総理の六つの改革の大きな柱の最後の柱であります。その意味で、地方の創意工夫をどんどんできるようにすべきだと午前中も答えている、そのとおりで、ただ、どんどんすべきだというよりは、制度的にもそうできるようにする、これが改革ではないかと私は思いますので、ちょっとこの辺さらに御検討願いたいと思います。  それで、もう一点、具体的な今回のプログラムで、例えば地方教育行政システムの改善で、教育長任命承認を廃止する件がございます。これも実はちょうど一年前の本委員会で私は質問をいたしました。つまり、文部大臣が都道府県の教育長の任命承認を行わないとどうしてもいけないのですかと伺いましたら、これは今もいらっしゃる小林助成局長、地方分権推進委員会でも検討事項の一つになっております。文部省といたしましては、地域における教育行政を一層活性化をし、地域の実情に即した施策の推進を図ることが求められるものと認識しているところでございますので、今後の推進委員会審議状況も踏まえながら、教育委員会を活性化させるという観点から、ただいま御指摘のありました問題も含めて、今後慎重に検討をしていかなければならないというふうに考えておりますということでありまして、慎重に検討するというのは、これはなかなか難しいことですかと聞きましたら、同じく小林局長は、教育行政というものは、教育委員会がそうでございますように、党派的な争いの影響を、子供に影響を与えたくないというところから教育委員会制度が設けられ、そのかなめとなる教育長にもやはりそうした要請があるわけでございます。そういったところもこの承認制度によって制度的に担保したい、こういうふうな考え方であるとおっしゃったわけですね。  さらに続けて、私どもとしては、やはりこれだけを取り上げるというのではなしに、教育委員会をどうして活性化したらいいのか、その中の重要な一環として、その教育行政のかなめともなる教育長にすぐれた人材をどうやって確保していったらいいのかというふうな観点から検討をしていくべき問題だと答えられまして、さらに続けて、引用が長くて申しわけありません、市町村の場合には小規模の市町村というのがかなりあるわけでございます。これらの小規模の市町村の教育委員会は、やはり法律上の建前からしますと、大規模な教育委員会と同じ権限が与えられている。ところが、実際には、そうした小規模な場合にはその与えられた権限が十分に生きてこないというふうな問題もあるというふうにお答えになっておる。  これは、お答え、筋が通っているといいますか、そのとおりだと思うのです。しかし、今回、ある意味では七日の総理の指示で二十四日の決定に近い状態でプログラムが出た。これは、おっしゃるような慎重な検討をされたのでしょうか。これについてどうクリアして今おっしゃっているのか、教えてください。
  88. 小林敬治

    小林(敬)政府委員 お答えいたします。先ほど先生が、昨年、ちょうど一年ほど前の私の答弁を引用されたわけでございますが、それと今と決定的に違うのは、地方分権推進委員会の第一次勧告が出されたというところでございます。その過程におきましては、先ほど先生引用されたようなことを私どもとしては御理解をいただくべく分権推進委員会の方にも申し上げましたが、やはり分権委員会としては、今日、地方公共団体の大事に対する国等の関与をなくすということを重視をした勧告が出されたわけでございます。  したがいまして、私どもといたしましては、教育長の任命承認制度を廃止することを前提にして、その他の先ほどおっしゃられたような問題意識は依然として私ども持っておりますので、そういったことをひっくるめまして、教育委員会社会のニーズに的確に対応して活性化した状態で運営されるような仕組みというものをこれから、検討委員会を設けたばかりでございますが、研究をしてまいりたいというふうに考えているところでございます。
  89. 藤村修

    ○藤村委員 今の最後の方で、教育委員会の活性を図るための検討委員会を設けるとおっしゃったんですか。
  90. 小林敬治

    小林(敬)政府委員 これは、ちょっと名前が長くなりますが、二十一世紀に向けた地方教育行政の在り方に関する調査研究協力者会議というものを一月二十九日の大臣裁定で設けた次第でございまして、実はまだ二月の五日に第一回の会合を開いたばかりでございます。  したがいまして、この分権推進委員会から、実は教育長の任命承認の問題以外にも何点かの指摘がございましたし、そのほかにも地方教育行政につきましてはさまざまな意見が寄せられておりますので、そういったものを全部ひっくるめてこの調査研究会議で御検討をいただきたいというふうに考えておるわけでございます。  調査研究事項といたしましては、大きくは四点ほどに分かれますが、一つは多様化する住民のニーズに対応した行政運営のあり方、二つ目に教育委員会学校等との関係のあり方、それから教育委員会の事務処理体制のあり方、四番目に国、都道府県、市町村の関係のあり方、こういったふうなことをさまざまな角度から御議論いただきたい、こういうふうに考えておるわけであります。  なお、ちなみに、ちょうど平成十年でもって教育委員会が我が国に誕生してから五十年になるわけでございますので、この間の社会的なニーズといったものが大きく変わっているのではないか、そういった背景を踏まえました検討にしてまいりたい、こんなふうな考え方でございます。
  91. 藤村修

    ○藤村委員 大臣も当然検討委員会のことを裁定されたのだと思います。  朝から話題になっているのは、これは田中委員もおっしゃっていましたけれども、どうも文部省主導といいますか、この教育改革全体を文部省でやっていこう、あるいは審議会もくるめてやっていこう、あるいは検討委員会もつくっていこうということで。しかし、必要なのは、プログラムにも書いてあります、国民からの多くの思いが寄せられている問題であり、各方面からの意見に謙虚に耳を傾けるということであります。そのことも、後で書いてありますいろいろな団体との連携、欠けているのが国会なのですね。国会と一緒にやっていきましょうという姿勢がゼロに近いと私は読まざるを得ないのであります。官高政低と言われます、あるいは官僚政治と言われます。これはどうも国会の場で本気でやらないとこんな大改革はできないのではないか、そう思うのですが、これは大臣に答えていただきたいと思います。
  92. 小杉隆

    小杉国務大臣 国会の各会派、各党の意見というものは、私は大いに尊重したいと思います。  先ほど申し上げたように、これは文部省という行政だけではなかなか限界がありまして、やはり政治の立場からのいろいろなサジェスチョンというものが必要だと思いますので、もちろん、文部省としては、中央教育審議会を初め各種審議会、私もこの間初めて横断的な審議会の会長さんとの会合を持ちましたけれども、そういう審議も踏まえていきながら、しかし、教育関係、国公私立の関係者あるいはPTAとか青少年団体とか生涯学習団体、経済団体との定期的なフォーラムというようなものもさっき申し上げたとおりでございまして、そういうところとの連携、文部省としてできる限りの学校外、教育界以外との連携ということは十分やっていきたいと思っておりますが、やはり国会の皆様から、政治的な立場からどんどん発信をしていただいて、私は、大いに協力しながらこの教育改革プログラム国民の間に広がっていく、こういうことが必要かと思いますので、これから各党の御提案にも、我々、国民各界各層の意見に謙虚に耳を傾けて、できるだけ充実した教育改革をやっていきたい、そういうことでありまして、国会の意見を聞かないなどという、そういう狭い根性を持っておりませんで、できるだけオープンに幅広く意見を徴したいと思いますので、ぜひ御協力いただきたいと思います。
  93. 藤村修

    ○藤村委員 大臣、そのお約束のとおりにやっていただきたいと思います。ただ、今指摘しましたように、このプログラムの中に、今おっしゃったように、教育改革を理解、支持される体制づくりとして幾つかありますが、国会が抜けていることを御指摘しておきたいと思います。  教育改革だけでなしに、もう一つお伺いしたいので、これと実は関連するといえば関連するのでありますが、つまり、国会はどうも一番最後の結論、法律をとにかく審議し通してくれたらいいという姿勢がないかどうか、この辺ちょっと疑いがあるのでお尋ねをするのです。  昨日本委員会に付託になりました国立学校設置法の一部を改正する法律案、これは毎年のように出てきておりまして、国立大学の学部の名称の問題とか廃止の問題とかがありますが、これは法律の中でそうせざるを得ないというところもありますが、今回、非常に重要な問題がこの中に潜り込んでいる。政策研究大学大学(仮称)を新設するという問題でございます。これは昨日付託になり、多分本日趣旨説明がなされるかと存じます。  これさえなければというか、これはちょっと一つ取り出して、大変な重要な問題ではないかなという点を御指摘したいと思うのですが、その政策研究大学大学の創設に当たって、背景となる動機、理念、目的、特色、組織、教育課程などなど、私たち一度も聞いたことがありません。一生懸命言ったら何とか資料を届けていただいて、これだけのものにもうまとまっているのです。これは平成八年九月に出されております。「独立大学大学としての政策科学教育研究機関の創設準備について」、準備会が多分ずっといろいろ議論されてきた、その一番最初に、「創設の趣旨」「(1)必要性」「(2)目的」になっているのですね。これは何か、えらくにわかに必要になったからばたばたとやったのではないかという疑いすら抱く。  つまり、例えばつい先日の私どもの部会、文教の関係でこのことを一応聞いた。そのときにやっと埼玉から神奈川へ行くんだという話も聞いた。これは去年の八月で、選挙の前でありますから、そのときにほぼまとまっていた話で、それも何が重要かというと、これは大学大学を国立て一つ新設するわけであります。既にもう三つほどあるのでしょうか、四番目であります。そして何より新しい点は、文科系であります。きょうまでは三つともすべて科学技術系、理科系であります。そういうものをつくろうというのに、その背景となる動機や理念や目的や特色や組織や云々ということが十分に説明をされていない。少なくとも私たちはつい最近に知りました。  だから、これは相当中身を検討しない限り、この法律、日切れ扱いだとか言われても、ちょっとすぐにはいと言うことができないのではないかと思うのですが、大臣は去年の選挙の後に就任されて、多分当然すぐ聞かれたと思います。この重要性といいますか、法律を通してもらって一つ大学をつくるんですよという話は、ちょっとこれだけ簡単にいっていいかどうか、お聞かせ願いたいと思います。
  94. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 若干経緯のあることでございますので、私から御説明をさせていただきたいと思います。  先生御案内のように、我が国の大学というのは基本的に学部中心で形づくられているわけでございますが、それに対しまして、大学院というのは学部とはある程度相対的に独立した形であっても充実していくべきであるという考え方が示されていたわけでございまして、基本的には、昭和五十一年に学校教育法の改正というのがございまして、そこで、学部を持たずに大学院だけでも大学をこしらえることができるという法改正があったわけでございます。  それを経て、先生先ほど御指摘のように、総合研究大学大学、あるいは北陸、奈良にそれぞれ先端科学技術大学大学というものが設けられて今日に至っているわけでございまして、また確かに自然科学系中心であったわけでございます。また一方で、社会科学系統においても、やはり現実の政策課題についても大学院レベルの学門研究を振興すべきであるという声もいろいろな方面からあったわけでございます。また、埼玉大学におきまして、昭和五十二年でございますが、学部に基礎を置かない独立の研究科というものがございまして、政策科学研究科というものを設けまして、この研究科におきまして、例えば地方公務員であるとか、あるいは東南アジアからの政府関係に勤めておりますような留学生を相手にして、種々教育研究を積み重ねてきたという実態があるわけでございます。  それやこれやの背景を経た上で、それをさらに充実発展させたいということで、関係者ともども相談の上、準備が整ったということで、このたび政策研究大学大学という形で独立させて設置したい、こういう動きになってきたわけでございます。具体には、埼玉大学に創設準備室というものを設けてやってきたわけでございますが、もちろん、先生ただいま御指摘のように、この新しくつくろうとする大学大学の構想というものがどういうものであるのかということは当然御審議いただくことでもございますので、今後とも、御審議に応じまして私どもとしてできるだけの御説明を申し上げていきたい、かように考えておるわけでございます。
  95. 藤村修

    ○藤村委員 我々も、国が大学からいよいよ大学院にシフトをしますというか、そのことに賛成であります。それだけに、これはある意味で、今後の二十一世紀に向けての国の大きな仕事になるわけで、その大学院構想というものは、やはりこれは相当前広に相談をしたり、皆さんの知恵を集めたりしないといけない。今の法案に出てくる大学院については、政策科学教育研究機関創設準備委員会なるものが設けられたようであります。学者の方あるいは専門家の方、施設・設備等専門部会の名簿を見ますと、何とか設計研究所長さんだとか、もう何かすべておぜん立てができていて、建物建てるんだということになっているんじゃないかな。  これは、費用の面でもいいますと、投資経費として設備費十二億円、施設設備費四十八億円、合計六十億円。それから後の運営費がずっと毎年かかってきますけれども、結構大きなお金を使う事業であります。そして、今後の日本教育全体の中で大学院というものを位置づける、文科系としては初めてでありますから、その意味では相当これは広く国会でも議論をしていきながらつくっていく、そういう種類のものが今回の国立学校の一部法律改正の中にすっと潜り込んでいるような印象を受けるのですが、大臣、今後、特に行革の中でこれだけお金がふえるのですけれども、どうお考えか。
  96. 小杉隆

    小杉国務大臣 社会人文科学系の大学大学の意義につきまして御評価をいただいて、大変ありがたいと思います。  それに対して、事前の説明が不十分であったということは申しわけないと思っております。まあ、昨年の予算編成の過程とか、そういうときを通じて、できるだけ国会の先生方にもこの件についての御説明が行ったかと思いますが、さらにこれからの国会を通じ、また各党のいろいろな御意向に応じて、できる限り御説明の場を設けたいと思っております。  中身については申しませんが、とにかくこれだけの厳しい財政状況の中でこういうものを発足させるわけですから、私は、今の自然科学だけではなかなか解決のできない、これからの情報化あるいは国際化に伴う、自然科学だけではない、社会科学、人文科学面でのさらに奥深い研究が必要だという意義は認めていただいているわけですが、一層この意義を生かす、そういう大学としてできるように全力で取り組んでいきたいと思っております。
  97. 藤村修

    ○藤村委員 本当に大学大学をつくっていこうというのは大きな構想であります。特に、今回文科系を一つ初めてつくるということであります。予算も相当かかるものであります。そして、今行財政改革元年の年であります。となれば、当然やはりスクラップ・アンド・ビルドを考えていくとか、その辺が政治でやっていかないといけないわけで、文部省がこういうのをつくりたいとなって、それで文部省審議会や一部の専門家ですっとつくってきて、それで、国会で、じゃ、これ頼みますと言われても、これはちょっと違いますよということを、ぜひともこれは大臣にも御理解をいただいて、今お話しのとおりであったと思います。  さらに、この内容については、政策研究ということでありますから、これは政治家とか官僚とかそういう人を輩出するわけで、非常にこれまた我々にも関心があるわけで、重要な問題でもございますので、この辺、本当に慎重に説明をし、あるいは議論をし、進めていきたい、こういうふうにお願いをしておきたいと思います。  残り一問だけ、簡単にお答えを願えればと思います。  この四月に中教審の人事が多分あるんでしょう。今、中教審委員の中には、二十人定員で十八人、だから二人空席があるようであります。報道によれば、日教組の関係者もそういうところに入られるかどうかという話が浮上しているようでもございます。戦後の長い、ある意味では文部省対日教組という抗争の歴史があるわけですが、小杉大臣としましては、今後日教組とどういう関係を持っていくのか、あるいは過去のいろいろな抗争はもう既に清算、総括されているのか、その辺を短くお答え願えればと思います。
  98. 小杉隆

    小杉国務大臣 ある意味では文部省と日教組の対決というのは非常に不幸なことだったと思います。私は、やはり教育における教員の役割というのは非常に大きいわけですから、とにかくこれから文部省教員の方々とのパートナーシップというか協力というのは非常に大事だと思っております。  それはともかくとして、国旗・国歌につきましては、日教組は、平成六年度の運動方針では、「君が代」が果たしてきた歴史的役割と歌詞が国民主権の憲法に反することから強く反対する、そして日の丸は学習指導要領などによって学校教育に強制することに反対するということを一貫して主張してこられたのですが、平成七年度以降の運動方針においてはこの点は触れられておりません。  今中央教育審議会の問題に触れられましたが、今そのために三人あけているわけではございません。しかし、日教組の関係者を委員に発令することについては、その必要性も含め、今後総合的に検討してまいりたい、こう考えております。
  99. 藤村修

    ○藤村委員 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございました。
  100. 二田孝治

    二田委員長 佐藤茂樹君。
  101. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 文教委員会質問の機会を与えていただきましたので、私の方からは、文部省としてどうしてもやはり力を入れて喫緊にやってもらわなければ困るという、そういう問題について二、三、大臣の所見をお伺いしたいと思います。  まず最初に、青少年の覚せい剤の乱用問題と、またそれに対しての薬物の乱用防止教育問題について、特に文部大臣、さらには文部省、そして警察庁の方にお尋ねをしたいと思うのです。  平成八年の薬物事犯の概要というのがこのほど警察庁によってまとめられたわけですけれども、これを見させてもらって、本当に恐ろしい時代になったな。日本社会において覚せい剤の第三次乱用期に入ったのではないか、そういうことまで言われるくらいに非常に深刻な事態になってきておる。とりわけ何が今の時代で特徴があるのかというと、青少年、特に中高生の間で覚せい剤の乱用というのが急激にふえてきておるわけでございます。特に、国会でも取り上げられましたが、昨年三月、千葉県の松戸市におきましては小学六年生が使用していて補導されたという、そういう事件はまだまだ記憶に新しくて、大変ショッキングな事件なわけですけれども、深刻なのは、小学生までにはびこる中で、特に高校生の覚せい剤の検挙数というのが年々倍増しておるという、そういう実態もあるわけでございます。  それで、議論を始める前にお互いに共通の認識に立ちたいこともありますので、警察庁の方に、特に青少年による覚せい剤乱用の現状について、実態はどうなっているのか、またそれに対してどう認識されているのか、対策をどのように考えておられるのか、まず最初にお尋ねをしたいと思います。
  102. 勝浦敏行

    ○勝浦説明員 お話にありましたように、平成八年の薬物乱用の事犯を見てみますと、特に顕著な点といたしまして覚せい刑事犯の増加が挙げられようかと思います。検挙人員が一万九千四百二十人で、前年に比べまして二千三百十九人、一三・九%増加をしております。中でも、覚せい刑事犯で補導しました犯罪少年は一千四百三十六人で、前年に比べまして三百五十七人、三三・一%増加をしております。これは、御指摘のように二年連続して大幅に増加をしておりますし、特に高校生につきましては二百十四人、前年に比べまして約二・三倍に急増をしております。  これら少年の事犯を見てみますと、仲間同士で購入をして安易に乱用に及んでいる例、あるいは学校内が薬物の取引や乱用の場となった事犯が相次いでおりまして、極めて憂慮すべき状況だというふうに考えております。  そこで、このような状況の背景といたしましては、駅前や繁華街などでイラン人などの密売人が声をかけたり、あるいは携帯電話で注文を受けるなど、少年でも容易に薬物が入手できる状況が出てきていること。そして、少年が覚せい剤に対しましてダイエット効果があるなどといった誤った認識を持ったり、Sとかスピードとか称しまして抵抗感が希薄になっていることなど、少年に薬物の危険性、有害性についての認識が欠けていることなどが考えられるところであります。  警察といたしましては、少年に対する薬物の供給源の取り締まりを徹底することはもとより、乱用少年の早期発見、補導に努めているところであります。また、学校との連携強化を図りまして、少年自身が薬物の危険性、有害性についての正しい認識を持つよう生徒指導の強化を要請しておりますし、学校に専門的な知識と経験を有すみ警察職員を派遣して、薬物乱用防止教室の積極的な開催に努めているところでございます。また、これに加えまして、家庭や地域に対する広報啓発活動にも取り組んでいるところでございます。
  103. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 今御説明をいただきましたけれども、検挙されるというのは本当に氷山の一角でして、あと、今はお答えになりませんでしたけれども、乱用で補導された青少年というのが、私も勘違いしていまして都会が多いのかなと思っていましたら、もう全国各都道府県に青少年の検挙者というのが及んでおる芝いうことでございまして、ある意味でいえば、もう全国的にそういう覚せい剤汚染というのが蔓延しうつあるという、そういう認識に私は立っているわけです。  今回のこの乱用というのは、歴史的に見ても、昭和五十年代に第二次乱用時代と呼ばれる時代があったんですけれども、それに比べて際立った特徴というのは、第二次乱用時代というのは高校生の補導というのはほとんどまれなケースだったんですね。ところが今回は、先ほども御報告がありましたけれども、昨年度で二百十四人、そのうち女性が百三十一人というそういう数でございまして、どんどん校内に持ち込まれている、そういう実態が明らかになっているわけです。  このような将来を担う青少年の薬物汚染というものをやはり今食いとめなければ、これはもう学校教育が危機であるだけではなくて、日本社会自体が、薬物汚染の先進国と言われているような欧米にどんどん後を追ってついていくような、そういう瀬戸際に立っているんではないかなと。今こそやはり抜本的な対策を打っていただきたい。  ところが、先日文部大臣大臣所信というのを拝見さしていただきましたけれども、どこを読んでもそのことは書いてないんです。ところが、文部省所管の予算概要説明には一言はっと書いてあるわけですね。だから、大臣として、本当にこういう実態に対してどれほどの危機意識、また、学校を今こそ薬物汚染から救うためにどういう危機管理をしないといけない、そういう御認識を持っておられるのか、まず最初にお尋ねしたいと思います。
  104. 小杉隆

    小杉国務大臣 所信表明は枚数に限りがありますので細大漏らさず全部網羅することはできなかったんですけれども、だからといってこの問題を軽く考えているわけではありません。今御指摘のように、小中高にまで及んでいる薬物乱用のこの蔓延、これは極めて憂慮すべき事態だと受けとめております。  そこで、今、総理大臣を本部長とする薬物乱用防止推進対策本部というのを設けまして、私自身も副本部長としてやっております。これはやはり背景がいろいろありまして、容易に薬物を入手できるというような社会的な状況もありますし、また、子供さんたちが自制心が欠けてきている、自制心の欠如といったさまざまな要因が複雑に絡み合っていると思われるわけですが、私は、今日のこの状況を踏まえて、文部大臣としてできる限りの対策を講じていきたいと思っております。
  105. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 先ほど大臣の答弁の中でも言われましたけれども、これは、同僚議員が昨年の参議院の本会議で代表質問をいたしまして、そのことを奇貨とした上で橋本総理も決意していただいて、薬物乱用対策推進本部、名前はもともとあったんですが、総理大臣自身が本部長になられて非常に中身が格上げされたという、そういう事実が一月の閣議で決定されたというのがあるので私どもも評価しているんですが、ただ問題は、今文部大臣もおっしゃいましたけれども、特に副本部長として名前を連ねておられる大臣所管の省庁が、ただ推進本部に格上げしましたよと言うだけではなくて、具体的にこれからそれぞれの省庁でできる範囲のことを何を手を打っていかれるのかという、そこがやはりことし特に一番大事になってくるんではないかな、そのように思うわけでございまして、その抜本的な対策の第一歩として、まずやはり学校現場がどうなっているのかという実態をつかんではどうなのか。  だから文部省として、薬物乱用、また、それに対してどういう防止教育をされているのかという実態調査を全国的にことしされてはどうかなということをまず御提案申し上げたいんですけれども大臣の所見を伺いたいと思います。
  106. 小杉隆

    小杉国務大臣 実態把握については、覚せい剤の所持とか使用というものが違法性を持っているわけですから、そういう違法行為が明らかにならない段階で調べ上げるというのは、どうも実態的にはなかなか難しいところなんですね。しかも、相手が発達段階にある児童生徒ですから、これは保護者の理解を得ることも必要ですし、まあ一番実態に合ったやり方としては、やはり関係省庁、特に警察庁が主体的にそういう実態把握に努めていただいて、そして通報していただいて、いろいろ連携をとってやっていくということであります。  それから、しかしだからといって、文部省としてやるべき仕事はきちっとやっていかなきゃいけない。特に、薬物乱用というのがいかに有害であるか、健康に対してどれだけ影響があるかということを教える必要がある。そういうことから、現在、中学校、高等学校の保健体育におきまして十分この薬物乱用と健康に関する学習をやっていくことにしておりますけれども、そうした学校内での指導、さらに、家庭とか地域との連携ということも視野に入れながら適切な指導をやっていきたいと思っております。
  107. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 今の御答弁ではちょっと納得いかないんですが。というのは、例えば、福岡県の教育委員会で昨年約十万人の高校生を対象にアンケートをとられているんですよ。だから要は、そんな犯罪者を出せなんというそういう実態調査をやるわけじゃなくて、どういう意識を高校生が持っているのかとか、その程度の実態調査は当然できるはずですし、さらには、それに対して各学校でどういう防止教育をされているのかということぐらいは、文部省がやる気にさえなれば当然実態は把握できるんじゃないですか、そこからどういう手を打つのかということが教育現場で検討されてしかるべきじゃないですか。  大臣、もう一度答弁をお願いします。
  108. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 実態把握についてのお尋ねでございますが、大臣からも御答弁申し上げましたように、実際に覚せい剤を所持していることあるいは使用することが法的には違法に当たるということもございまして、そういう違法状態というものを子供を通して調査をするということとなりますと、やはり児童生徒の発達段階精神的に与える影響等も十分考えなければならないわけでございますし、また、その保護者の理解を得るということも大切でございます。  さらには、そういう違法状態の把握ということになりますと、的確な、正確な状況把握というものがなかなか難しいというふうな事情もございますので、文部省といたしましては、関係省庁あるいは関係機関とこの問題については慎重に相談してまいりたいと思っておるところでございます。
  109. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 余りこの問題にこだわりたくないんですけれども、確かに慎重にやらなくちゃいけないんですが、そうしたら、福岡県の教育委員会教育委員会を挙げてされたことに対してはどういうように判断をされているんですか、文部省としては。
  110. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 福岡県教育委員会においては、やはり学校の実情あるいはその地域の状況等を勘案しながら対応されたことと考えております。文部省といたしましては、福岡県教育委員会における対応について、それぞれの地域に応じた対応として理解をしておるところでございます。
  111. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 私は、やはりそういう認識でおられるから、どんどん高校生なんかも、実態もつかめないまま、結果として警察にお世話になる検挙者というのをふやしていくような流れにしかならないんだ。やはりまず学校が、今どういう状況になっておるのか、また、そこに通っている高校生、中学生がどういう意識を薬物に対して持っているのかぐらいは当然調査してしかるべきだろう。そのことだけ申し上げて、次の質問に移らせていただきたいのです。  特に、先ほど大臣も言われていましたけれども、また警察庁の方も言われていましたが、この覚せい剤の問題というのは、もう関係各省庁が連携をとって対応していかなければいけない問題ではあるんですが、やはりポイントは二つあるんですね。一つは、いかにして供給を遮断するか。これは、どちらかというと文部省は余り関係ないところだと思います。もう一つは、需要の削減をいかに図っていくのか。この需要の削減をいかに図るのかというこの二つ目のポイントにおいては、新たな乱用者をつくらない、こういう意味で、やはりどう教育していくのかということが非常にポイントになってくるわけでして、先ほど言われましたように、今、覚せい剤という名前ではなくて、青少年の間では、Sとかスピードとか、本当に危険な覚せい剤、そういう意識が薄らぐ中で普及していっている。  さらには、警察庁や厚生省の方にお聞きしますと、使用の仕方というのも大分ふえている。我々も注射というイメージがあったんですけれども、特に女性に広まるなという、広まっていることを褒めているわけじゃないんですが、感心したのは、銀紙の上に覚せい剤を置いて、下からあぶってその煙をストローで吸う、そういう使用の仕方とか、ジュースの中に入れて飲むとか、本当にそういう広がりもある。  さらには、何かそれぞれの横々で、ダイエットにいいというような、それはもう神経が麻痺して満腹感を与えるから物を食べたくなくなる、それで栄養失調になってやせていく、また睡眠不足になる、それでやせていく、そういうことからダイエットにいい、そういうことまで言われているという部分があるんですね。  私は、先ほど大臣でしたか政府委員の方でしたか答えられたんですけれども文部省も、平成元年から学習指導要領を改訂してそういうことに手を打っている、そういうように言われているんです。確かにそのとおりなんです。保健体育の指導要領の中にちょっと書いてあるわけです。ただし、後で言わせてもらいますけれども、喫煙や飲酒とあわせてこういうものは健康によくないですよということで、薬物ということで書いてあるんですね。しかし、これを書いてから、そうしたらこの結果として警察庁の検挙数が減っていったのか、高校生、中学生。学習指導要領に載せても全然効果はないんですよ。逆に結果として、平成元年から平成八年まで、中高生合わせてどんどんこの使用者というのは、検挙数だけ見てもふえていっておる、そういう現実があるわけですね。  私は何も、アメリカのように小学校上級から中学生まで百時間をかけて教育せいというようなこと、これはもう悲劇的ですから言いませんけれども、やはり学校教育現場でエイズ予防教育と同様ぐらいの徹底した防止教育が必要ではないかな、そのために、今、関係機関のやはりいろいろな手段、ノウハウというものを教育現場にきちっと導入して、そして徹底的に汚染というものをとめていく必要があるのではないか。  その一つとして、今、警察庁並びに各都道府県警察で巡回しております薬物乱用防止教室というのがあります。これをやはり積極的にもっともっと推進を図っていただきたいな。これは警察庁の方とか都道府県警察の方に聞いたんですけれども、やはり学校側に、寝た子を起こすな、そういう言葉であるとか、薬物問題を抱えた学校だと思われたくない、そういうことから、非常に巡回に対して慎重になっておられる、そういう警察の主催の教室をやるということに対して慎重になっておられる、また、それほどまでしなくてもいいんじゃないか、そういう甘い判断もあるというようにお聞きしておるわけですけれども、私は、事の重大性にかんがみて、今こそやはりきちっとした手を打つべきではないかな。  そのことで、特に大臣はこの問題で、警察関係者であるとかまた厚生省の麻薬取締官あるいはそのOBであるというような人たち学校現場に講師として入られることに、大臣としては抵抗を持たれますか、それとも、防止教育のためにどんどんそういう人は協力してもらいたい、そのようにお考えになっているのか、御所見を伺いたいと思います。
  112. 小杉隆

    小杉国務大臣 現在、保健体育で、いろいろ麻薬、薬物乱用の危険性とか有害性を指導しておりますが、それに加えて、今御提案のように、警察官とか麻薬取締官のOBとか、そういう人に積極的に学校現場で教えていただく、そういう専門的知識を持った人に大いに生徒に指導していただく、こういうことは大変有益だと思いますから、積極的に対応してまいりたいと思います。
  113. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 もう一つ、防止教育のことで文部省もっと頑張れということを言いたいのは、ことし、今予算案の中で、一億百万の予算がこの件についてついているんですね。内訳を見させてもらいました。そうすると、高校生用のビデオの作成、配付を新たにします、これは各高校に一本、さらには中学、高校のパンフレットの作成、学校当たり一学級分、そういうことなんですね。あともう一柱として研修会の開催、そういうことなんですけれども。私は、具体的に教師もなかなかわからない、しかしながら、教材としてしっかりしたものをつくったのであれば、何もけちって、例えば学校当たり一学級分なんというせこいことをせずに、例えば中学一年生に入られたら、また高校一年生に入られたら、それぞれ中学校用、高校用のパンフ、教材というものがきちっとこの件で全員に行き渡る、予算知れていますから、やはりそれぐらいの配慮をこの際きちっとしてもいいのではないかな、中学、高校生から見て本当にわかりやすいものがそれぞれ、中学、高校に行けばきちっと最初の年に全員に手に入る、そういうようなことぐらいは少なくともされてはいかがかなと思うんですが、この件について御所見を伺いたい。
  114. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 御指摘のとおり、児童生徒に薬物乱用の危険性あるいは有害性を早期に認識させることは、極めて重要であると認識しておるところでございます。  そこで、文部省におきましては、現在御審議いただいております平成九年度予算案において、薬物乱用の危険性あるいは有害性をわかりやすく解説した中高校生用パンフレットを作成をし、学校備えつけ用として配付するとともに、高校生用ビデオを作成をして学校に配付することとしておるところでございます。そのための予算を計上しておるわけでございますが、このような児童生徒用の資料につきましては、今後とも引き続き充実をしてまいりたいと考えておるところでございます。  また、教師のためといたしましては、薬物乱用防止教育の充実のために中高等学校教師用指導資料の作成、配付を行っておるところでございますが、本年度中に小学校の教師用指導資料の作成、配付を考えておるところでございます。  研修会の実施とあわせて、今後とも積極的に教育の充実に努めてまいりたいと考えておるところでございます。
  115. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 そういう役人の答弁というのは予想しているのですが、要するに、具体論もと言っているのです。  中学生が入ってきたときに、各学校へ行ったときに一学級分しかないという、そういう教材パンフの数でいいのか。少なくとも、今は少子化ですからクラスは少ないでしょうけれども、二、三クラスなら二、三クラス、全一学年分全部、例えば中学一年生のときにそういう教材が当たる、また高校生なら高校生、入ったときに一学年金部教材が当たる、そのくらいの配慮をしないと実用的ではないのではないか。学校当たり一学級分ぐらい行ったところで、どういうように教師も使っていいのか全然わからない。そういうことに対して前向きに努力をしていただきたいということを言っているのです。もう一度お願いします。
  116. 小杉隆

    小杉国務大臣 薬物乱用防止教育については、今局長から答弁したように、非常にいろいろなことをやっております。ただ、ここ最近急激にふえてきておりますので、これだけでは不十分でありますので、私ども、来年度もその次も、予算の際にはできるだけ、さらにこの施策というか防止教育の充実が図られるような、そういう対応をしてまいりたいと思っておりますので、御協力をお願いしたいと思います。
  117. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 もう一つこの件、最後にしたいのですが、先ほど言いましたが、学習指導要領の中にそれぞれ、中学、高校と同じように保健体育の科目の中で載せられておるのですが、例えば中学生はどういうように学習指導要領の中でなっているかというと、「喫煙、飲酒、薬物乱用などの行為は、心身に様々な影響を与え、疾病の要因ともなること。」ということで、これは「疾病の予防について理解を深めさせる。」そういう扱いをしています。高校では、「生活行動と健康」というところで、「また、喫煙や飲酒、薬物乱用と健康との関係、医薬品の正しい使い方について理解させる。」そういう扱いをしてあるのですが、私は、やはりこの学習指導要領の扱いでは不十分であると思う、この際。  なぜ不十分かというと、まず、健康という観点から、確かにこれは善なんです。しかし、社会的にも悪であるということをやはりきちっと教えるようなことをもっと強調してやらないといけないということと、もう一つは、喫煙、飲酒、薬物乱用、この三つを並列していること自体が、やはり文部省としてどういう意識をされているのかな。喫煙や飲酒というのは未成年ではあかんあかんと言いながら、家へ帰ったら、我々でもそうですが、子供の前では見せておるわけですよ。ある意味で言うたら、喫煙や飲酒というのはあかんことやというように言われていながら、健康に悪いという教育を受けながら家へ帰ったら大人はやっておるやないか、そういうものなんです。ところが、薬物というのは、大人も子供も関係なく、これはもう健康にも悪いし社会的にも善なんですね。  だから、そういうものを同じように並列に学習指導要領に載せるのではなくて、一つは、そういう薬物教育また薬物の害というものを別項立てできちっとやはり教えていくような学習指導要領に変えていくべきではないかな、そのように思うのですが、大臣の所見をお伺いしたいと思います。
  118. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 御指摘のとおり、中学校あるいは高等学校の保健体育において指導がなされておるわけでございまして、例えば中学校では四、五時間程度そういった指導に充てる、高等学校におきましても四、五時間程度そういった指導に充てるということが行われておるわけでございます。  この考え方といたしましては、薬物乱用防止に関する指導というのは、これらの行為を行った者に対して法律に抵触するとの観点からの指導を行うと同時に、児童生徒一人一人が薬物乱用と健康のかかわりについてきちんと理解をし、そういった行為をしないという態度を身につけさせるという観点に立って行っておるわけでございまして、こういった観点からの指導は、教科としての保健体育だけではなくて、道徳あるいは特別活動等においても行われておるところでございます。  このように、薬物乱用防止教育学校教育活動全体を通じて現在実施してきておるところでございまして、今後、この点についてさらに充実を図ってまいりたいと考えておるところでございます。
  119. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 この件はもう終わりたいのですが、今おっしゃったように、特別教育とかホームルームでも当然教えておられるし、また、どんどんきちっとした教育をしてもらわないといけない。そういう観点から、当然、教える側の教師が、これは有害ですよ程度の範囲を超えられないような教え方ではなくて、きちっと教えられるように研修をしっかりしていただきたいし、さらには、そういう意味からいうと、やはり教員というものが養成される過程で、そういう薬物についての知識がきちっと身につくような文部省としての課程のシステムまたはカリキュラムの前向きな検討をお願いしたいということを申し述べまして、二つ目に、喫緊にやっていただきたいと思います課題について質問をさせていただきたいのです。  それは、午前中にも社民党の委員からございましたけれども大学入試センター試験と大学入試制度に関して、何点かにわたって文部大臣の所見を伺いたいのです。  先ほどありましたのではしょりたいのですけれども、ことしの大学センター試験というのは一月十八、十九日に行われまして、私立が百五十二大学も、これは史上最高ですけれども、それを含んで三百大学が利用して、五十八万人ぐらいですか、きょうの新聞を見ますと、それぐらいの方が受験された。それは、数の多さというのは非常に評価できるかとは思うのですが、しかし問題は、やはり運営する側にさまざまな不手際とか、またミスが続出して、大きな課題を残したのではないかな、そのように私も実感しているわけです。それは無理もないといえば無理もないのですが、一つは、旧教育課程から新教育課程への移行元年であった、そのことによって、科目数も十八から三十四ですか、これぐらいにふえたという事情があったにせよ、しかし非常にお粗末なミスもあったのですね。  先ほど、午前中もありましたが、五件に上る出題のミスであるとか、また国語の選択の紛らわしさであるとか、さらには問題用紙自体が不足していたというような、そういう問題もありました。やはり何といっても問題になったのが、浪人生向けの旧数学Ⅱというのが、現役が多く受験した新しい教育カリキュラムで出題された数学Ⅱ・数学Bの平均点より、百点満点中、平均二十一・七点も低くなった、こういうことがあるわけですね。  この点数格差については後ほど詳しくちょっとお聞きしたいのですけれども、そういう意味で、いろいろなそういう細かな部分と大きな問題点も含めて、今回のセンター試験が今社会問題になるぐらいに受験生、またその保護者の皆さんに大きな不信を与えたことは、私はこれは疑いようのない事実である、そのように思っておるわけです。  これから本当に受験生からの信頼を回復するために、来年度へ向けて問題作成とか、また運営システム全体をやはりきちっともう一度早急に総点検して、生かしていただきたいと思うのですけれども大臣が今の時点でことしの大学入試センター試験についてどういうように総括されて、また来年へ向けてどのような対策を考えておられるのか。また、ことし、これからも手を打つということがあれば、そのことも含めておっしゃっていただきたいと思います。
  120. 小杉隆

    小杉国務大臣 もう二月二十五日、国公私立の試験が始まるわけでありまして、今新たな対策を指示するということはいたずらに受験生に混乱を与えるだけですから、私は今のままぜひ受験生は全力を出し切って頑張っていただきたい、こうお願いいたします。  入試が終わりましてから、今御指摘のように幾つかのミスがありました。これについての反省というものは、当然これは入試センターを中心にやらなければいけませんし、それからこういうミスが二度と出ないようなチェック体制というものの確立、あるいは難易差が余り出ないような出題の仕方、これも十分気をつけてやってきているはずなんですけれども、ことしは今御指摘のように、従来の五教科十八科目から今回は六教科三十四科目に激増をいたしましたし、そして受験生も六十万人に達するということで、私も直前に入試センターに行きましてくれぐれも注意するようにと言ったのですけれども、残念ながらあのような結果になりました。  これを踏まえまして、私どもは徹底的な検証をしながら、来年度以降この入試センターの信頼回復あるいは信頼感を一層高める努力をしていきたいと思っております。
  121. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 それは大臣もそのようにおっしゃるかと思ったのですけれども、特にやはりこの問題は今もまだ尾を引いているのですよ。さっき言いましたけれどもそれは何かというと、数学Ⅱの旧と新で二十一・七の格差があった。これは端的に格差の原因は何かということをちょっとお尋ねしたいのです。  大学入試センターが二月五日の段階で次のように会見をされている。報道からですけれども、冒頭に、「結果として数多くの問題が発生したことは申し訳ない。原因究明に努め、ミスが繰り返されない体制作りをしたい」、そういうおわびの言葉を言われた後に、「少しの差であればともかく、結果的には難易度の差が中心ではなかろうかと思う」、そういうふうに緒方邦夫さんという副所長が言われておるのです。この言葉をそのまま受けると、問題の難易度の差によってこれだけの差が出たんだということを大学センターの方としてもやはり明確に認めたものであるというように、マスコミもそう書いておるのですが、私たちもそう認識しているですけれども、そういう認識で間違いございませんか。
  122. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 先生指摘のように、旧数学Ⅱの平均点が四十二・二、それから数学Ⅱ・Bで受けた受験生の平均点が六十三・九〇ということでございまして、二十点を超える差ができたわけでございます。これは先生先刻御案内のところであろうかと思います。例えば、Aという人がXという科目を受けて八十点という点数をとった、Bという人がYという科目を受けて六十点という点数を得たという場合にそれをどう分析するかということでございますが、理論的にAとBが等質の人である、こう仮定するならばその平均点の差は問題の難易差によるもの、こう考えるべきであると思いますし、逆に問題の難易度が同じであると仮定するとこれは学力の差に由来するものである、こういうふうに一般的に理解されるわけでございます。  問題は、そこの程度を一体どの辺に考えるのかということでございまして、これは大変難しいことでございまして、これが得点調整の問題に絡むわけでございます。従来から、ある科目を受験したいわゆる素点というものを他の科目で得た点数とどう調整するかということについては大変慎重なわけでございます。今回大学入試センター試験も八回を数えるわけでございますが、昨年まで大学入試センターとして考えていた得点調整というのは、理科と社会の同じ教科の中での選択科目について三十点以上の開きが出たときに、ある一定の方式によって得点調整があり得るということを述べただけでございます。もとより、素点について手を加えるということについては非常に慎重なわけでございまして、これもなかなか難しいということの一つのあらわれではないかと思うわけでございます。  今回そのような二十点余りの差が出たということは、結果として大変ぐあいが悪いことであるわけでございますけれども、はてそれに対するうまい得点調整の方法があるのかどうか、これは種々検討して、お答えしますと大変長くなりますので省略をいたしますけれども、結果的に申しますと、万人が、あるいは万人と言わないまでも大変多くの人たちになるほどと思わしめるようなしかるべき得点調整の方法はなかなかないということでもございます。また、得点調整をすると、先ほど大臣が申し上げましたように、また新たな混乱を生ずる。  例えば、同じ浪人と言われる方々でも、かなり多くの方が旧数学の方を受けているわけでございますが、一万八千人の方々が逆に新しい教育課程によります数Ⅱ・Bの方を受けている、こういうことがございまして、一方を調整したら一体他方はどうなるのか、例えばこういうようなことが出てくるわけでございまして、そんなことでセンターにとりましても、また私どもにとりましても大変不本意なことであったわけでございます。  そのような困難さということを踏まえて、なおかつ私どもとして何ができるかということを考えた上で、先ほど来大臣からお答え申し上げていますように、第二次選抜のチャンスは極力、できるだけ確保させてやりたい、こういうような方途をとった、こんな経緯でございます。ちょっと長くなって恐縮でございますが、そんなことでございます。
  123. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 私は、そういう技術的に難しいという話は、これは当然難しいと思うのですが、そんなことの答弁を聞きたいがゆえに言っているのではなくて、例えば平成九年度の大学入学者選抜実施要項の中に、冒頭こう書いてあるのです。「大学入学者の選抜は、大学教育を受けるにふさわしい能力・適性等を多面的に判定し、公正かつ妥当な方法で実施するとともに、入学者の選抜のために高等学校教育を乱すことのないよう配慮するものとする。」「公正かつ妥当な方法で実施する」ということを実施要項の中で冒頭に言われているのですね。果たして今回の試験が公正かつ妥当な方法だったのか。  確かに経過措置としての配慮でつくられたのですけれども、先ほど理科とか社会の話をされました。これは最終、たとえ難易度によって点数の差が生じたとしても、本人たちがある意味で言えばどの科目を選ぶかというのを自分で選択するわけです。確かに今回選択はしたけれども、浪人生というのは現役時代に旧数学Ⅱしか教えてもらっていないのですよ。だからほとんどの人が、よほど要領のいい受験生以外は、今回八五%ですか、八五%ぐらいの人が、浪人生であればほとんど自動的に旧数学Ⅱをやはり選ぶんですよ。だから、浪人生であるというだけで最初から難易度の差によってこれだけの差がついたというところに問題があるわけで、この実施要項の「公正かつ妥当な方法で実施する」という部分と相反するのではないですか。もう一度答弁をお願いします。
  124. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 いろいろ問題を生じ、御心配をかけておるものですから、なかなか公正かつ妥当でやり切りましたということが言いにくいわけでございますが、いずれにしましても、関係者ともどもそうでございますけれども、この入試要項に係ります方向で努力したことは事実でございます。ただ、今御指摘のように、理科、社会の中での選択ということと今回の数学の問題というのは、確かに異なった様相があるわけでございます。  いわゆる新しい教育課程につきましては、大変教科が多様化したということは先ほど委員も御指摘のとおりでございまして、その関係で十八科目が三十一プラス旧課程用の三科目、合わせて三十四科目ということになったわけでございます。この旧教育課程によります科目設定と、それから新教育課程によります科目設定とをどうつなげるかということは、試験問題作成上の大きな問題であったわけでございます。一番単純である意味では乱暴なやり方としましては、もう旧教育課程のことは無視して、新教育課程のことを浪人の方々も勉強し直してやったらどうだというのが、一番ある意味で単純であり、また見ようによっては大変乱暴なやり方であるわけでございます。  それではぐあいが悪いということで、しかし新教育課程と旧教育課程の連関を考えまして、科目の出しぐあいによってはある程度同じような出題のもとでも大体両者そう有利、不利ということが考えられないというようなこともかなりあったわけでございまして、それはそれで、それらの科目の中で、同じ一つの科目の中で若干の選択性を持たせるというような形でやったわけでございます。  ただし、数学の二科目と理科の一科目につきましては、新教育課程によります科目の内容と旧教育課程によります科目の内容との連関が大変ふくそうしておるというようなことで、また大学入試センター試験自体ができるだけ高等学校教育内容に即したものという要請もあるものですから、そんな関係もございまして、この三科目につきましてはあえて旧教育課程の方々のために別途科目を用意した。もちろん旧教育課程で受けた方々も新教育課程で受けてもいいよということは事前に書いてあったわけでございまして、それが先ほどの申し上げました二万人近い方々の受験にもあらわれてきたわけでございます。
  125. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 私のところにもこの問題で本当に悩まれた浪人生とか、さらには保護者の皆さんが言ってこられたりした中には、本当に一生を台なしにされたと、まだ二次試験終わってませんけれども。それで、大学入試センターであるとかまた文部省に対して、結果次第によっては行政訴訟を提起したいというようなことまで強烈に言う方もいらっしゃるのです。  そういう意味から、本当に、今からでも前期日程、また後期日程に間に合う。まず、ことしの対策何かないのか。大学の二次の個別試験の最終判断のときに今回の点数格差のことを本当に考慮して最終合否の判断をしてもらうというような、そういう、例えば文部省としての通知を出すとか、さらには、ことしどうしてももうできないのであれば、来年度以降に二度とこのような失敗のないような手を打たれることを、文部省が本当に努力したという、そういう形跡を残していただくことを心よりお願いをしまして、時間が参りましたので質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  126. 二田孝治

    二田委員長 池坊保子君。
  127. 池坊保子

    ○池坊委員 新進党の池坊保子でございます。  きょうは文部大臣質問ができますことを大変幸せに思っております。文部大臣質問できます機会が少のうございますので、きょうは御答弁は大臣にしていただきとうございます。  私は文教委員になりましたときに、子供の立場に立って、子供のためにならないことは、時の流れにかかわりなく、たとえ一人になっても是正されるまで言い続けていこうと思いましたので、教育の骨幹をなすと思われます教科書について質問させていただきます。  アリストテレスは、国家の運命はかかって青年の教育にあると述べております。先ほど藤村先生がおっしゃいましたように、クリントン大統領は二月五日の一般教書演説の中で、二期目の最優先課題アメリカ世界で最高の教育が受けられる国にすることだと述べ、教育大国づくりを前面に打ち出しました。また、昨年の十月、中国共産党では、その党大会において、教育の強化を採択し、その月内は社会主義、集団主義、愛国主義というように確認しております。  期せずして両国において二十一世紀における教育の重要性が説かれているにもかかわらず、橋本内閣は五つの改革の後に慌てて教育重要課題につけ加えられましたことは、余り教育を重視していらっしゃらないのではないかと私は大変残念に思いました。だからこそ文部大臣並びに文部省の方にはせいぜい頑張っていただきたいと思うところでございます。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕  二十一世紀は、インターネットが世界を制覇する時代でもあります。その中にあって大切なことは、人間の頭脳、知性、それとともに自国への認識、歴史、伝統への見識、それが国益そのものになっていくと思うとき、さらなる教育の重要性を強調したいと思います。二十一世紀を支えていく力、エネルギーは、教育そのものだと思うのです。日本は、明治時代に、初等教育義務教育世界に先駆けて行いました。そして、それがその後の日本繁栄を生んだとアメリカでは評価して、これをアメリカは二十一世紀を切り開く政策に生かそうとしたのではないかと思います。  確かに今日本は高い大学進学率を誇っております。しかし、大切なことは、教育の現場で何を学んでいくか、そしてそれがどのような人間形成をなしていくかだと思います。そのような現状を踏まえたときに、私は、七冊の中学校歴史教科書は、近現代史を述べるときに極めてバランス感覚に欠けているというふうに思うのです。  歴史を語るとき大切なことは、一に、史実への公正な視点だと思います。二は、自国に対する深い愛情です。それから三つ目は、その国独自の歴史観を大切にすることではないかと思います。  歴史というのは、多方面から検討し、そして総合的に評価して初めて史実を知ることができるのだと思います。歴史は、極めてイデオロギーの影響を受けやすいと思います。だからこそ、私はバランス感覚がとりわけ大切なのではないかと思うのです。物事にはすべて光と影がございます。生け花でも、初歩のときは、一枚のハランを取り上げて、一枚のハランには表と裏がございます、陽と陰ですといって教えます。ですけれども、歴史教科書は、この陰の部分、負の部分に多くスポットが当てられているのではないかと思うのです。  列挙いたしますとたくさんございますけれども、二、三、例を引かさせていただきます。  一九七〇年に行われた安保改正でも、どの教科書も反対運動に大きなスペースをとっております。改正のもたらしたよい面というのは述べられていないのです。また、明治維新も、フランス人ビゴの風刺画を用いて、私は何で外国人の絵をわざわざ使わなければならないか不思議なのですけれども、それで批判して、無血革命の功というのは示されておりません。また、自衛隊も、共産主義に対する防壁とすることに力を入れるようになったと述べられているのです。自衛隊が果たしてきた日本の防衛、災害援助あるいは国際貢献などの役割は述べられておりません。  そして、今問題になっております従軍慰安婦に関しましても、私は中国、韓国の方々の痛みに思いをはせないわけではございません。ここのところは大切なところですので、正しく御認識いただきたいと思います。金大統領が未来志向的な日韓関係に発展させていきたいと言われたメッセージを、私は大切に受けとめております。けれども中学校の教科書に、中学生に慰安婦ということを、載せることが、教えることが正しいのかどうか。現場の先生は、先生、従軍慰安婦って何ですかと聞かれたときにどのように答えたらよろしいのでしょうか。きっと図られるのではないかと思うのです。  ですから、すべての点において大変負の部分、つまり日本が果たしてきた歴史のいい部分は述べられず、悪い面にだけスポットが当てられているように私は思えてなりませんけれども大臣はどのようにお考えでいらっしゃるか、伺いたいと思います。
  128. 小杉隆

    小杉国務大臣 現在の教科書制度は、戦前と違いまして検定制度ということでやっております。  これはもう釈迦に説法かもしれませんが、民間の執筆者、教科書会社がそのときの客観的な、あるいは学問的な成果を踏まえて教科書を書く、そして、それに対して、それぞれの科目について、学識経験者、その分野の専門家から成る審議会、教科用図書検定調査審議会、この先生方が慎重に審議をして、そして、その場合に検定基準というのがありまして、その検定基準の中には、例えば国際協調とか国際理解とか、そういう観点から検定をしなさい、こういうような記述もありますし、そして、その検定を通ったものが、各教育委員会なり地域でそれを採択をして、学校の現場に教科書として採用される、こういうシステムになっております。  そこで、私どもは、そういった現在の検定制度のもとで正しい歴史教育というものを、あるいは歴史認識というものをやっていただかなくてはなりません。国の方が、文部省の方が特定の歴史認識とか歴史教育、歴史観というものを押しつける、こういうやり方はできないわけでありまして、私どもは、そうしたスタンスで今日までやってきております。  そこで、今御指摘の慰安婦の問題。七冊の中学校の教科書を私も全部拝見しました。単純に慰安婦と記述しているところもあれば、従軍慰安婦と記述しているところもあれば、そういう言葉を使わないで、強制的に女性が連れていかれたという、これは一冊でしたけれども、あとは三冊ずつ、こういうことでございます。  これらの内容については、私ども、何をよりどころにして判断するかといえば、政府調査団が、内外のいろいろな文献を精査し、また関係者のいろいろな話も聞き、あらゆる手を尽くして調査した結果が平成五年八月に出されまして、それはやはり、強制というか、関与したと見ざるを得ない、詳しい内容はここに持っておりませんけれども、そういう一応政府調査団報告というのが出されました。そういうことに基づいて、私どもは、この記述が妥当ではないといってはねつけるわけにはいかない。もちろん、明らかに誤記とか誤植があったとか、あるいは明らかに事実と違う、こういうことであれば我々はそれは修正を求めるということができますけれども、今のところそういう状況ではない。  私は、光と影の部分、これは両方とも教えていくことが必要だと思います。もちろんこういうマイナスの部分、負の部分というものも、事実は事実として記述をしていく。しかし一方において、やはり日本のすぐれたところ、例えば、明治維新によって、さっき図面のことを言われましたけれども、やはり明治維新によって日本は開国をし、発展をした、あるいは戦後の教育の発展とか、大正デモクラシーとか、光の部分もかなり取り上げているわけでありまして、私は、そういった客観的といいますか、学問的成果に基づいて、教科書がよりよいものになっていくようにこれからも努力をしていきたいし、それから、今言われたように、未来志向ということ、これもやはり国際協調、国際理解という観点からも大いに考えていくべき問題だと私は考えております。
  129. 池坊保子

    ○池坊委員 検定制度並びに教育審議会については、後でちょっとお尋ねしたいと思います。  大臣がおっしゃいました努力していきたいという中には、さっき大臣がおっしゃいました一つ一つ実行ということでございますので、教科書を変えていただくことがやはり努力の中の実行ではないかと思っております。  では、新指導要領は、その目標の第一に、我が国の歴史を、世界の歴史を背景に理解させ、それを通して我が国の伝統と文化の特色を考えさせるとともに、国民としての自覚を育てるとしておりますけれども国民の甘党というのを文部大臣はどのようにお考えでございましょうか。大臣に答えていただきたいです。
  130. 小杉隆

    小杉国務大臣 中学校小学校あるいは高等学校でもそうですけれども、まずやはり自分自身というもの、そして他人に対する気持ち、さらに自然とかあるいは世界、そういうふうにだんだん発達段階に従って関心を自分のことだけから、また他人とか自然とか世界に広げていくということを社会科なりなんなりで教えているわけですけれども、当然その中には自分の国の伝統とか文化というものを教えるということは必要であり、それは学習指導要領にも載っておりますし、また教科書にも具体的にそういう記述を設けてやっております。
  131. 池坊保子

    ○池坊委員 自国を愛し大切にすることのない人間が、国際社会の中でどうして言語、習慣、価値観などの違う他国の人間を尊重し、そしてまた自分も相手から尊重で見詰められることができるのだろうかと私は思うのです。  私は、愛国心というとすぐに日本人は右翼とかなんとか言われますけれども、右翼・左翼に関係なく、欧米諸国でも東南アジアでも世界のどの国をとっても健全な国民は愛国心を養う教育をされていると思います。愛国心のない国民によって形成される国家は、滅びていくと思います。  私は、このような視点からも、日本の自虐的な歴史観が日本を愛する感情をはぐくんでいくとは到底思えないのです。そういうような観点に立って、大臣、ぜひもう一度教科書を見直していただきたいと思います。今、子供たちは育ってきております。育っていく子供たちにとっては、取り返しのつかないこれは現実だと思います。政治は現実だと思いますので、ぜひこれを重ねてお考えいただくようにお願い申し上げます。  それから次には、教育の主権ということについて、私、伺いたいと思います。  五十七年に、鈴木内閣において、宮澤官房長官に端を発し、教科書は変更を余儀なくされてまいりました。学校教育法に規定された文部大臣の権限と責任において検定すべき教科書が官房長官の介入によって変えられたというのは越権的行為ではないだろうかと思うのですが、大臣はどのようにお考えでございましょうか。大臣に答えていただきたいと思います。――いけないのですか。越権的行為ではないかということに対してどのようにお思いになるかということについて、大臣にお答えいただきとうございます。
  132. 河村建夫

    河村(建)委員長代理 じゃ、経緯を先に。
  133. 池坊保子

    ○池坊委員 経緯は私存じておりますので。もう調べましたから。
  134. 小杉隆

    小杉国務大臣 学校教育におきましては、平和的な国家とか社会の形成者を育成するということを目的として行われているわけですが、その際に国際理解とか国際協調の資質を培うことも重要なことだと考えております。この点については、何も官房長官談話が出たからとかいうことは関係なしに、教科書の検定におきましては従前から配慮してきたところであります。  昭和五十七年、今御指摘のような教科書の検定基準に、さらにそのこと、文言が加わったわけでありまして、これが直接のきっかけでやっているわけではございませんで、前々から私どもは国際理解、国際協調ということは、教科書あるいは教育の中で重要なことだということでやってきております。
  135. 池坊保子

    ○池坊委員 私は、教育あり方というのは本当に大切なことである、国を揺るがすような大きなことであるというふうに思っております。  教育というのは、マスコミの動向とか政治の変動にかかわりなく、守るべきものは守り抜く毅然とした姿勢が大切なのではないか、何物にも侵されない中立の立場というのが大切なのではないかというふうに思うときに、多少現状を憂うわけです。  私は、司法、立法、行政という三権分立てございますけれども、それに加えて教育権というのがあってもいいのではないか、それぐらい教育というのは大切な部署だというふうに考えておりますが、文部大臣はどのようにお考えでございますか。
  136. 小杉隆

    小杉国務大臣 教育権というものを司法、立法、行政の三権と同列に位置づけることがいいのかどうかわかりませんが、教育は、憲法からさかのぼっていえば憲法、教育基本法、その他法令で規定されておりますように、国民全体のために行われるものであって、不当な支配に服することなく、政治的にも中立性を保って行われなければならないというふうに私は考えております。  そして、今度の教育改革プログラムでも申し上げているように、教育というものはあらゆる社会システムの基盤であり、非常に重要なものであるというふうに考えまして、先ほど来お答えしているように、一人一人の個性をはぐくみ、夢とか希望、目標を達成できる、そして創造性とチャレンジ精神が発揮できる、そういう社会をつくるために教育改革実行していくんだ、こういうことを申し上げているわけでございます。
  137. 池坊保子

    ○池坊委員 それでは、私は次に、先ほど大臣がおっしゃいました検定について触れさせていただきたいと思います。  アメリカでは複数の教科書を使って一つの物事をさまざまな角度から眺めて検討させるような教科書の使い方をしております。それからイギリスでは、一冊の教科書が大変分厚いので、どこをとってもいいように、先生がそのとりたいところだけをとって教えることができます。ですけれども日本の場合には、一冊の教科書が薄くて、受験のためにそれを丸暗記しなければいけない。それほど教科書というのは、やはり与えられたらそれを全部覚えなければいけないというのが日本現状だと思います。  先ほどの予算委員会で、大臣は、検定の審議会で判断しているのに、文相というのはオールマイティーではないから、それを訂正させることになれば国定教科書に戻すしかない、先ほどもちょっと国定教科書というふうなことをおっしゃいましたけれども大臣は検定に訂正勧告はおできになるのですね。そして、どの程度まで検定に対してタッチをしていらっしゃるのか、指導していらっしゃるのか、その辺をちょっと伺いたいと思います。
  138. 小杉隆

    小杉国務大臣 検定について文部大臣が意見を申し上げることは可能であります。そして、そのときには、明らかに誤字とか誤記があったり、あるいは事実と明らかに違う、あるいはその後の事情、客観的な状況が変わったということがあれば、それは修正を求めることはできますけれども、そうでない限りは修正を求めることはできない、こういうことであります。
  139. 池坊保子

    ○池坊委員 そうすると、例えば教育理念なんかをお持ちで、それを反映させていくということはおできになるのでございますね。
  140. 小杉隆

    小杉国務大臣 私、今の教科書の検定制度というのは、国が特定のそういう教育、歴史観とかそういうものを押しつけるということではなくて、民間の自由な発想に基づく、執筆者そして発行者の裁量によって出版をされて、それを検定基準に基づいて審議会が検定をする、そしてそれを採択する、こういう仕組み、これは繰り返しになりますけれども、そういう制度になっております。したがって、私どもが特定の理念とかイデオロギーを、何といいますか、強制するとかそういうことはないのであって、そのときの客観的な、あるいは学問的な一つの成果というものに基づいて教科書が編さんされている、こう理解しております。
  141. 池坊保子

    ○池坊委員 そうすると、文部省の教科書課の方に伺いたいのですけれども、例えばこれを入れろとか、そういうようなことをおっしゃるということはないのでしょうか、それともそういうことはあるのでございましょうか、伺いたいと思います。
  142. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 検定制度基本的な考え方、運用は、今大臣が御答弁されたとおりでございます。  ただ、著しくバランスを欠くというようなことでございますね、例えば、通説というのが二つ、三つというようにある場合に、ある特定の通説だけでその教科書が記述されているというような場合には、それは他にも有力な説がございますよというような形での検定ということはあり得るわけでございます。しかし、原則として、先ほど言いましたように検定制度は、教科書の著作編集者がまず執筆する、それを受けて検定基準に照らして誤ったところを是正するという考え方に立っているということでございます。
  143. 池坊保子

    ○池坊委員 まず執筆者が自由に書くということでございますと、同じ時期に七冊の教科書に同じ絵が載っているというのは、みんなが、七人の執筆者が偶然にそう思ったのかということは、大変私は不思議でございます。やはりそこに、文部省がこの絵はいいとおっしゃったのではないかと私は疑問に思うわけでございます。  それで、文部省審議会に任せているとおっしゃる。だけれども、本当は文部省の意向が強く働いているのではないかというふうに私は推察するわけです。そうすると、何か責任の所在がはっきりしないなという気がしてまいります。  ここで私は、それならばもう規制緩和をして、検定というものを、検定システムを廃止なさってはいかがですかという御提案をしたいと思うのです。規制緩和は何も通産省や大蔵省のおはこではございません。文部省でも規制緩和があってしかるべきだと思います。検定というのも一つの規制緩和だと私は思うのです。  なぜかと申しますと、予算は四百三十四億ございます。そうすると、これはやはり教科書会社にとっては膨大な収入であると思います。ですから、教科書会社というのは、そのエネルギーを、中身に使うよりも教育委員会へのセールスだとかあるいは文部省への配慮とか、そういうことに使っていくのではないかというふうに懸念するのです。これが懸念だけであったらいいと思いますけれども。  それから二つ目には、ではどこが決めるのか。私は、校長の責任においてそれぞれの学校で決めたらどうかというふうに思うのです。そうしたら、今問題になっております校長の権威、責任と権限が失墜したというふうに言われておりますけれども、それも必然的に取り戻すことができるのではないか、それから教える先生のレベルも上がってくるというふうに思いますけれども大臣、それはどのようにお考えでいらっしゃいますか。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  144. 小杉隆

    小杉国務大臣 幾つか問題があると思うのですが、少なくとも教科書を自由発行にしたらどうか、こういう御意見です。  もちろんそういうお考えの人もいるかと思いますけれども考えていただきたいのは、日本はやはり義務教育制度ということで、小学校六年間、中学校三年間、そして国の責任としてひとしく国民教育を受けさせる義務、そして子供たちは受ける権利がある。こういうことで、国としてそういう枠組みをきちっとつくって、そしてさらに何を教えるべきかという一つの基準といいましょうか目安といいましょうか、そういうものを決めて、それぞれ東京と鹿児島で教えることが全く違うとか、そういうことではなくて、やはり日本人として義務教育の中で最低限これだけは教えなければいけないという一つの目安というか基準というか、そういうものが必要であろうと思います。  したがって、私は、義務教育制度の中で今の教科書の検定というものはそれなりの役割を果たしてきたし、日本教育の機会均等とか教育水準を高めることには大変役立ってきたと思っております。  それから、教科書の採択範囲をもっと縮めてそれぞれの学校に任せたらどうかということですが、これも、確かにそういう意見の方もおられますが、この点はいろいろな、技術的なといいますか、弊害もあります。これは事務当局の方から答えさせますけれども、採択制度を限りなく学校単位に小さくして自由に裁量させたらどうか、こういう御意見に対しては、私は、やはりそれは限界があるというふうに思います。その辺は、ちょっと事務当局からの答えを聞いていただきたいと思います。
  145. 池坊保子

    ○池坊委員 結構です。今大臣がおっしゃいました、最低限の知識を教えなければいけないのだ、そして、何を教えるべきかの基準というのがある、その枠組みがあるとおっしゃいました。私も本当にそのとおりだと思います。人間として学ばなければならないルール、人間としての最低限の知識と、それから知性と、それから精神あり方みたいなのは必要だと思います。  でも、私がなぜ申し上げるかと申しますと、それならば、その最低限の知識の中に今のような歴史観があるということなんだと思うと、私はとても残念でございます。こういう教科書がある、さっき申し上げました、歴史教科書が大変に負の部分が多いというふうに申し上げました。その負の部分が最低限の学ばなければならない知識というふうには私は思わないわけでございます。何を教えるべきかの基準があいまいだから、それならば検定というのは必要ないのではないかということを私は申し上げたかったのです。  それと、先ほど検定の審議会のお話が出ました。それで、検定の審議会のメンバーの選定が私は大変大切だと思います。なぜならば、教科書というのは、先ほどのお話を伺っていると、検定の審議会によって検定されるのだよというニュアンスと受けとめました。すると、そのメンバーの選定並びに審議内容というのは、私はぜひ情報公開をしていただきたいと思います。どのような人間がどのようなシステムの中でしているかということが私は大切なんだと思いますが、いかがでございますか。
  146. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 まず第一点の、審議会の委員の選定でございますけれども審議会の委員の方々は、それぞれの分野のまず専門家でございます。幅広い識見を持った方の中から文部大臣が任命をするという仕組みになっております。その任命に当たりましては、それぞれの学会、教育界の動向などに精通されまして、総合的、大局的な観点から審査をしていただける、そういう方にお願いをするという努力をしているところでございます。  それからもう一点、教科用図書検定調査審議会の審議の状況を公開してはどうかというお話でございました。ただ、教科用図書検定調査審議会というのは、教科書について検定を合格させるか不合格にさせるかという行政処分にかかわる、そういう審査をする審議会でございます。したがって、審議会としての責任は、最終的な結論、そこにおいて審議会の全体としての意思があらわれるわけでございまして、審議の過程での、個々の委員がどういう発言をなさったかということを公表するということは、自由な、公正な審議に支障が生ずるのではないかと考えておりまして、これを公表するということは困難なことだと思います。  ただ、その申請された図書、それからその後検定を経た図書、それを公開して、どのような審議が行われたか、あるいは、主たる検定について付した意見というようなものを積極的に公開していく、こういう努力は今もしておるところでございまして、今後もしていきたいというふうに思っております。
  147. 池坊保子

    ○池坊委員 そうです。公開の仕方というのがあって、名前なんかを出さなくてもいいわけですし、こういう意見があったと、いろいろな仕方をやはり考えていただければ公開というのはできると思いますので、これは速やかに、実行文部大臣でいらっしゃいますので。文部省の方もぜひ実行を速やかにしていただきたいと思います。  それから、せめて著者の明記というのはしていただきたいと思います。項目ごとの執筆者の明示というのは、これは大切なことだと思うのですね。書いた人間が執筆したことに責任を持つというのは、執筆者の基本的な姿勢だと思います。書きながら、それがだれが書いたかわからない、これは私はやはり責任がなさ過ぎると思います。ぜひとも、教科書を新しくおつくりになるときには、これだけはやっていただきたいと思います。  それから、次に、私は学校選択の自由化というのを提案したいと思っております。なぜかと申しますと、教育熱心な親というのは、自分の住まいを決めますとき、その小学校がいい学校かどうかというのを考えて住まいを決めることが多うございます。それが一点。  それから、少子化の時代になってまいりました。教育あり方が問われてまいります。もし学校選択が自由であったならば、これは学校の質の競争になって、レベルアップになるのではないかと思うのです。  それからまた、今はやはり教育委員会の力が強いので、校長先生といえども大変に遠慮してということがございます。校長先生教育的見識を全力投球することができるのではないか。  それから、いじめ問題というのが時折出ておりますけれどもいじめというのも、この小学校しかない、ほかに転校できないと思うから、なお深刻になっていくんだと思うのです。この地域に住んでいるからこの学校しか選べないというのは、私は大変に不平等だと思うのですね。地域によっては、公立の学校でも、優秀だと思われる学校、それからちょっと問題だなと思われる学校、それの格差が大変に強うございます。いい学校と言われておりますのは、どんどんいい学校になっていくんです。中学校なんかでも、悪いと思われる学校は、なぜかどんどん悪くなってまいります。それらのことを考えますときに、私は、自分の意思で、親の意思ですけれども学校が選べるということは大変に大切なことだと思いますけれども、それに対しては、大臣、いかがでございますか。
  148. 小杉隆

    小杉国務大臣 午前中にもそういうお話がありましたが、従来、地理的あるいは身体的あるいはいじめ問題等の場合には通学区域の変更ということを認めてきたわけですが、昨年の十二月に行政改革委員会の「規制緩和の推進に関する意見」が出されまして、保護者の意向にもより配慮する必要がある、こういうことで提言をいただきました。そこで、市町村教育委員会に対しまして、文部省としてもできるだけ地域の実情に即した創意工夫を求めております。恐らく各市町村で、そういった保護者の意向を酌んでどういうふうに学校の指定を行うか、これから見守っていきたいし、また、適切に行われることを期待しております。  ただ、いきなり余り自由化しますと、例えば極端な、さっきも話が出ましたように、一つ学校に集中して一つはがらがらになってしまう。こういうことも競争を促進する意味でいいじゃないかというような意見もありますけれども、しかし、これはまだまだ、割と創意工夫を生かして、保護者の意向をそんたくして弾力的に運用していった場合にどういう問題点があるか、その利害得失をやはり相当検討する必要があると思うのです。  そこで、文部省としては、できるだけ多様な工夫を各市町村にやっていただく、そして、その中でどういう事例があるかということを積極的に情報を収集し、それを各市町村に提供していくというようなことで、各教育委員会取り組みがさらに前進ができるように努力をしたいと思っております。
  149. 池坊保子

    ○池坊委員 PTA並びに父兄の意向をそんたくするということは大変大切なことだというふうには思いますけれども、私は、教育改革とおっしゃいましたからには、改革というのは、教育だけではありませんけれども、夫英断がなければ改革なんていうのはできないのではないかと思います。先ほども田中先生がその改革のことをおっしゃって、手を結んで改革をしたいぐらいの気でございますけれども、ちょっとずついろいろな人の意見を聞きながら、いろいろな人間に遠慮しながらしていたのでは改革というのはできない。やはり改革というのは思い切ってやらなければ、多少リスクを伴ってもそれぐらいの気持ちでなければ改革ができないというふうに私は思っております。時間も余りございませんので、全く教科書とは別の問題になります。教科書は、私は、文部大臣はきっと変えてくださる、未来の二十一世紀を担う子供たちが今も育っておりますことを思うときに、きっと変えてくださるとかたく信じておりますので、次の問題に移らせていただきます。  私、ちょっとオリンピックのことについて伺いたいと思います。  オリンピックは来年開かれます。文部省の管轄でございます。文部大臣、パラリンピックというのはスポーツ大会ではないのでしょうか。どのように認識していらっしゃるか、伺いたいと思います。
  150. 小杉隆

    小杉国務大臣 パラリンピックについては厚生省が主体でやっているわけですけれども世界の身体障害者が集まって、スポーツを通じて身体障害者の自立と社会参加を促進するという面で、しかも国際交流を深めるという面で非常に私は意義のある大会だと思っております。  障害者福祉という観点から厚生省が中心になって支援を行っておりますけれども文部省といたしましても各競技団体でいろいろ参加する選手についての指導とかあるいは協力を行っております。
  151. 池坊保子

    ○池坊委員 私は、パラリンピックをぜひ厚生省だけでなく文部省と共同で運営していただきたいと願っております。  今おっしゃいましたように厚生省の管轄になっておりますのは、それをリハビリの延長とお考えだからだと思うのです。でも、パラリンピックに参加しております競技者たちは、本当にスポーツとして競技を競い合って、その日のために一生懸命訓練したり練習をしたりいたしております。諸外国ではパラリンピックはオリンピックと同じような国民的レベルで声援があって、国民的行事として扱っております。  パラリンピックの場合ですと、九年度の予算というのは何と一億六千七百万、三年間で二億八千四百万でございます。ところが、もうじき長野オリンピックが開かれるからですけれども、オリンピックの場合には九年度予算総額は十九億八千二百九十一万円、六年間の総額は、もちろん建物を建てたりすることも含まれているからだと思いますけれども、三百四十六億でございます。それぐらいパラリンピックにかける経済的支援、援助というのは少ないのです。ですから、私はそれを考えるときに、これは経済的援助もぜひやっていただきたいと思います。  それから、みんながこぞって声援をする、そのような国こそが、それこそ福祉だけでなく教育の問題でもあるのだと私は思うのです。教育というのは何も学校で教えることが教育なのではなくて、この社会の営み、社会あり方こそが教育ではないかと私は思います。人と人との触れ合いの中で、どんなふうに自分が手を差し伸べあるいは自分が受けとめるか、それが生きた教育だと思いますときに、縦割り行政と言われておりますけれども、これはぜひとも文部省と厚生省でやっていただきたいと強く希望いたしますが、大臣はいかがでございますか。
  152. 小杉隆

    小杉国務大臣 来年の二月の長野オリンピックにおきましても、例えばいろいろな競技に文部省所管の競技団体から組織委員として参加するなど非常に協力をしておりますし、またこのパラリンピックで使う施設の建設が今進んでおりますが、そういう補助につきましても文部省は一生懸命やっているところであります。  今後とも、今お話しのとおり厚生省と連携をとりつつ、この教育的な効果というのは非常に今御指摘のようにあるわけでございますから、文部省として現在行っている支援に加えてどんな支援ができるのか、今後ともスポーツ振興という観点から検討していきたい、また厚生省とも相談していきたい、こう考えております。
  153. 池坊保子

    ○池坊委員 検討し相談するということは、していただけるということなんでございましょうか。ちょっとしつこいようでございますが、先ほど大臣一つ実行とおっしゃいました。私、本当にそれを大切に胸に受けとめたのです。  私、政治家になりましてむなしいなと思いますことは、実行に移されなかったら、これはどんなにいい審議がされても何にもならない、国民のためにはならない、社会に貢献はできないのです。ですから、一つ一つ実行こそが本当に大切な課題なのではないかと私は思っております。  文部大臣は大変まじめで誠実な方と私伺っております。きっとそれはバランス感覚のとれた教育をお受けになって今日がおありになるんだと思いますので、教育問題並びにその実行について心より希望して、私、きょうは初めての委員会での質問でございますが、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  154. 二田孝治

    二田委員長 三沢淳君。
  155. 三沢淳

    ○三沢委員 私は、新進党の三沢淳です。  本日は、委員会質問初登板になります。これまではマウンドでチェンジアップや変化球を自由自在に操りながらバッターを打ち取っていましたけれども、この委員会のマウンドは切れ味のいい球が投げれるかどうかわかりませんけれども大臣初め委員の皆様、どうかよろしくお願いいたします。  さて、私はスポーツの世界で生活をしてまいりまして、ついこの前までは本当に一国民の一人でありました。その中で感じましたのは、やはり国民の生活の中でスポーツというのが随分影響しているのではないか、生活の中で本当にスポーツに一喜一憂されている方が多いということを自分感じておりました。  そこで、日本のスポーツは世界には通用しない、そういうふうにこれまで言われてきましたけれども、皆さんも御承知のとおりですけれども、伊達にしたって、あの野茂にしたって、大リーガーの選手、私すかっとするのですけれども、ばたばたと三振をとってアメリカンドリームをかち取る、こういう日本人が海外へ出てスポーツの世界で頑張るというのは、子供たちにも随分いい影響、大人にもそうですけれどもいい影響を与えているのではないか、そういうふうに思っております。  オリンピックが去年ありましたけれども、成績は少しだめだったのですけれども、それぞれの選手から感動を与えてもらいまして、そして有森選手なんかは四年に一回の大会であれだけ賞に入るということは大変な努力だと思います。そういう意味でも、改めましてやはりスポーツのよさ、すばらしさを確認いたしました。そして、私もスポーツの世界で生きてきた人間といたしまして、スポーツの振興には人一倍興味を持っておりますし、これから現在の立場からいたしますとスポーツ振興の責任を負う一人であると痛感しております。  私は、小さいころ、実は今のジャイアンツの長嶋茂雄監督にあこがれまして、小学校のころから大きくなったらプロ野球の選手になるんだと。勉強は大したことなかったのですけれども、やはり長嶋茂雄という大スター、大スーパースターがいまして、道も外さず野球の世界を本当に一心に駆けめぐってまいりました。やはりスポーツというのは子供たちにとっては夢をはぐくむ下地になっているのではないか、そういうふうに思っております。  そこで、今の子供たちに将来何になりたいんだと聞いたりしますと、よう考えて、わからぬ。何かあるだろうと言ったら、ないと。安定した生活が送れればいいというような、こういうふうな、子供たちに夢がなくなってきているような時代になってまいりました。そこで、やはりスポーツというのは子供たちに本当に夢を与える仕事じゃないか、僕はそういうふうに思っております。  大臣初め各皆さんも、小さいころは野球選手とかいろいろな職業にあこがれたと思います。そういう意味で、もう一度やはりこのスポーツを通じて、子供たちの教育の中で、育成の中でいい影響を与えていくんじゃないか、そういうふうに思っております。  そして、子供たちじゃなくて、これからの高齢化の時代を迎えまして、総医療費が一兆円に一年間でいってしまうというような時代になっているそうです。予防するためには体を動かすということが完全に必要だと思います。そういう意味でも、お年寄りも、部屋の中にいますと病気になってしまいます。健康な老人をつくっていかなければいけない、そういうふうに思っております。  人間の体は二十五歳までは成長するそうです。鍛えれば鍛えるほど強い体になっていく。その二十五歳からはどうやって体力低下を少なくしていくかという、これはやはり一つには運動も随分影響してくるんじゃないか。年とって寝込んで長くいくんじゃなしに、やはり元気よくはつらつと表を歩けるような、こういう老人をつくっていかなければいけない。そういう意味でもスポーツというのはすばらしい効果を発揮するんじゃないか、予防医療としても随分力を発揮するんじゃないか、そういうふうに思っております。  そこで、私は、健康は国の国力である、そういうふうに思っております。文部省におきましては、この二十一世紀に向けてのスポーツ振興政策をその中でどのように考えておられるのか、文部大臣に御所見をお伺いいたします。
  156. 小杉隆

    小杉国務大臣 今、野茂選手の話を出されましたけれども、私も、三沢さんより大分年上ですけれども、終戦直後に古橘さん、水泳選手が世界新記録を続出して随分希望と自信を植えつけられた経験を持っておりますが、こういうようにスポーツというのは非常に活力を与えるものだということで、特に私はこれからの高齢化社会などを考えますと、あるいはこれから国際化が進む中で競技スポーツが非常に盛んになっているということを考えますと、このスポーツの存在というのは非常に大きいと思っております。  そこで、文部省としては、一口にスポーツと言っても、私は三つ分野があると思うんですね。  一つは、人生八十年時代の生涯スポーツ、どうするか。  それから、先ほどから出ておりますような競技スポーツ。私も。先日長野のエムウェーブへ行きまして、スピードスケートの世界選手権に出てきました。日本の選手もメダルを獲得するというような状況ですけれども、しかしソウル、バルセロナ、アトランタと期待したほどの成績が上げられなかったということを残念に思っている国民も多いと思います。そういう競技スポーツをどう向上させていくかという点。  それから三つ目は、学校教育における体育スポーツのあり方。先ほどいろいろ薬物乱用の話も出ました。また、体格だけは立派になったけれども、体力、運動能力は非常に衰えてきている。しかも家へ帰ってからも、外で遊ばないでパソコンとかファミコンで遊んでいる。こういうような状況の中で、教育における体育スポーツのあり方。こういう各方面にわたって私は対策を考えていかなければいけないと思うんです。  それは、一つには施設の整備もありましょうし、また指導者の養成ということもありますし、またいろいろな事業、イベントの実施というようないろいろな施策をやっていかなければいけない。そういうさまざまな問題に対してどうしたらいいのか、私も文部大臣に就任しましてから、保健体育審議会という、ちょっと今どきにはふさわしくないネーミングなんですけれども、何とかネーミングも変えるということを言っているんですが、こういった三つの分野のスポーツのあり方について、本格的にひとつ議論してくれと二十八年ぶりに私は諮問をいたしました。  そして、ことしの秋をめどにその保健体育審議会で三つの、今申し上げた分野のそれぞれの答申をいただくことになっておりまして、今度の予算、平成九年度の予算におきましても、例えば科学的なトレーニングとか、物理的なあるいは医学的な、メンタル的なスポーツというようなこと。で、スポーツ科学センター、これの予算も盛り込んだところでありますし、いずれはナショナルトレーニングセンターというのも整備していかなければいけないと思いますが、スポーツの振興の重要性というのは、三沢委員と私は全く同じに考えておりますし、そのために一層の努力を傾けたいと思っております。
  157. 三沢淳

    ○三沢委員 今文部大臣の力強いお言葉で、これからスポーツがどんどん盛んになって、皆さんが本当にお金もかからないで取り組めるんじゃないかというような感じを持っております。どうかこのままスポーツの世界も何とか日の当たるようにいろいろ討論をしていってもらいたいな、そういうふうに思っております。  さて、次にまいりまして、ここに平成六年十月に行われました総理府の体力・スポーツに関する世論調査、それによりますと、今地域では健康のために生涯スポーツ、先ほど文部大臣も言われましたけれども、生涯スポーツ、これは大変重要視されてくるようになってくると思います。  そこで、地域の、国や県または市町村の人たちがどういうことに力を入れてもらいたいかというところをこの調査で調べましたところ、スポーツ指導者の養成を挙げた人が、これは三九・四%と最も高いんですね。その次がスポーツ行事・大会・教室の開催、これが二九・一%。そして学校体育施設の開放、二六・五%。あとは省略させてもらいますが、ここらが大体地域の方々が要望されていることでして、その中でも、四割の方がスポーツの指導者がおられないという、どういうふうなスポーツをしていいのか、どういうやり方がいいのか、どういうふうに体力に合った競技を選べばいいのか、その辺のところが一般の国民の方々は戸惑っておられるんじゃないか。  やはり指導者の方が、ウォーミングアップはこういうふうにした方がいいとか、競技はこういうふうにやり始めた方がいいとか、そういう指導員の方が本当に少ないんじゃないか。だから、スポーツはやりたくてもなかなかできない。それと同時に、施設がほとんどその地域の団体に押さえられたり、一年間普通の人たちがなかなか体育館やグラウンドを使えないというような、施設の数の少なさもあるとは思うんですけれども、今、平成八年二月の文部大臣認定社会体育指導者の登録数は六万五千五百六十二人となりまして、これではちょっと少ないんじゃないか、そういうふうに一思っております。文部省以外でも、体育指導者の養成というのはやっておられると思いますけれども、これは文部省だけにしておきます。  本当に国民は、運動したくても場所がない、教えてもらう人がいないという、こういう悩みにぶつかっております。そして、これは学校教育にも波及しておりまして、今、子供たちがクラブをやりたくても教える先生がいない、先生もなかなかクラブを教えたがらない、顧問になりたくない、ましてや自分の好きなクラブをやりたいんだけれども、新しいクラブができない、やむなくほかのクラブに入るという、そういう声が現場の方からも聞こえております。  そこで、国民の四割の人がスポーツ指導者の養成を望んでいますが、文部省としてはどのような取り組みをなさるのか、お伺いしたいと思います。
  158. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 御指摘のように、総理府世論調査においては、約四割の方がスポーツ指導者の養成を望んでおるわけでございまして、文部省といたしましても、スポーツ指導者の養成確保というものが極めて大切であるというふうに認識をしておるところでございます。  そこで、御指摘にございましたように、昭和六十二年に、各スポーツ団体が実施するスポーツ指導者養成事業のうち一定の水準を備えて奨励すべき者を文部大臣が認定をする制度を設けたわけでございます。これによりまして、すぐれたスポーツ指導者の養成確保に努めているところでございまして、この制度におきましては、主として、一つは、地域におけるスポーツ振興の観点、二つ目には、競技力向上の観点、そして三つ目には、新たにスポーツを実施する者等への配慮の観点、そして四つ目には、少年スポーツへの配慮の観点からスポーツ指導者の養成確保を図っておるところでございまして、今後ともスポーツ指導者の確保について積極的に努めてまいりたいと思っておるところでございます。  そういう観点に立ちまして、現在スポーツ指導者養成活用システムの改善充実に関する調査研究というのを実施しております。ここにおきましては、さらに資質の高いスポーツ指導者の養成から効果的な活用に至るまで、現在の制度改善充実のために必要な調査研究を行っておるところでございまして、今年度中には一定の結論を得たいと思っておるところでございます。  それと並びまして、文部省におきましては、直接主催する、あるいは地方公共団体等と共催することを通して、例えば体育指導委員の研究協議会、野外活動指導者や登山指導者の研修会、講習会等を実施をするとともに、都道府県が実施しておりますスポーツリーダーバンク事業等、スポーツ指導者養成確保事業への補助も実施しておるところでございます。今後とも充実に努めてまいりたいと思っております。
  159. 三沢淳

    ○三沢委員 ぜひ指導者の方をたくさん養成されまして、何とか国民の皆さんの要望にこたえていただきたいと思います。  さて、これは学校のクラブ活動に関してのことなのですけれども、これは埼玉県のある中学校の話なのですけれども、今日本ではクラブ活動が必修になっているのじゃないかと思うのですが、これを地域のクラブで、学校のクラブ活動のかわりにその代替クラブといいますか、その学校のクラブ活動を地域のクラブの人に任せて学校のクラブ活動をしたというような形を、この中学校では生徒さんとか親御さんとか学校先生と話しまして、学校のクラブを地域のクラブの方に任せて、その地域の方がその生徒さんの指導といいますか、その活動内容を受けて、最終的にその報告を受けて学校のクラブ活動を行ったというような、こういうふうな地域クラブ代替ということが今この中学校では行われているのです。これからはこういうクラブ活動を学校外の方にどんどん指導していただくということは、これは出てくる問題じゃないか。それと同時に、逆に外部の方が学校のクラブを指導する、先生以外の方がクラブにかかわってくる、こういうふうなことがこれからどんどん起きてくるような感じがいたします。  この学校では六人の代替を認めたそうです。一人は、地域のクラブは浦和レッズのサッカークラブ、そしてスイミングクラブ、クラシックバレエ教室、ピアノ教室の四団体で、こういうところに生徒さんが行かれまして、学校のクラブのかわりにその地域のクラブに入って活動をするという、この辺のところのこれからの連携というのが、地域と学校とが連携するということが出てくるのじゃないかと思います。これは非常によいことではないかと思います。先生も休日を奪われてしまうというような問題が起きているそうですので、この辺のところでやはり学校と地域のつながり、これは十分これからはよいことではないか、そういうふうに思います。  教育課程の活動として必修づけておる国は、アメリカのごく一部の学校を除いて今日本だけになっております。諸外国、世界の主要国においては、やはり地域スポーツクラブが学校のクラブ活動の一端を担っているというのが世界の実情でありまして、これからは学校づくりにはこうした外部とのネットワークが必要になってくると思いますが、文部省としてはどのようにお考えになっているのでしょうか。
  160. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 学校と地域との連携というのは、これから教育活動を効果的に展開する上で極めて重要なことと認識しておるわけでございます。その一環といたしまして、いわゆる運動部活動につきまして地域の人材の御協力をいただくということも極めて大事なことだと思っております。  そういった観点に立ちまして、平成九年度予算案におきましては、外部指導者の活用を図るとともに、それら指導者に対する研修会を実施をする、さらには地域の種々の運動施設の活用も含めて、運動部活動と地域社会との連携をさらに進めてまいるようにしてまいりたいと考えておるところでございます。
  161. 三沢淳

    ○三沢委員 こういうことが実現すれば、その地域の学校も地域も活性化になると思いますので、ぜひどんどん行っていただきたいと思います。  しかし、こういう問題にもたくさん問題がありまして、私がきょう一つここで大きい声で述べたいのは、実は、この中で一つはプロとアマの関係があります。  野球の世界だけ、要するに今オリンピックでもプロが参加できるような時代になりまして、今この日本で我々野球関係者にとりましたら、高校野球、高野連だけが何か一つ壁をつくってしまっているような、こういう言い方をしたら怒られるかもわかりませんけれども、アマとプロが他の競技でしたらほとんど技術の交流とかいろいろ行っているのですけれども、学生の野球に関しましたら、ここだけはプロと接したらアマの資格というのが剥奪されてしまうというような、アマの資格がないと野球大会に出れないというような、元プロの人たちとの接触がありますと、現役の選手もそうですけれども、アマの資格を剥奪されるという大変厳しい制裁がありまして、これは今のこの時代におきましては、前近代的な制限と言わざるを得ないような感じがいたします。  日本のプロがこれからオリンピックにも参加すると思いますが、その中で、今選手の強化とか技術の向上とうたわれている中で、どうして野球だけが技術を教えられないのか。プロの選手といったら、やはり最高の技術を持っています。最高な精神力を持っています。それでないと、いろいろな意味でプロというのは務まりません。その中で、どうしても私は納得できない。野球界の人間が納得できないという、これはアマチュアの人たちの言い分はあるかもわかりませんけれども、どうしてそういうことができないのかという一番の私の疑問点をきょうぶつけてみるのですけれども。やはり、相撲にしてもサッカーにしても、ゴルフにしても自転車競技にしても、あらゆるものでもプロの選手がアマにいろいろな指導を行っているという、つい前までは長嶋監督は、一茂君が学生のころ、監督が自分の息子に教えられないという、この辺の矛盾があります。例えば、学校先生自分の子供に勉強を教えられないというような、この辺のところは、やはりこの世界だけは少し何かおかしいのじゃないか、そういうふうに思っております。  プロ野球の選手というのはやはり国民の、プロ野球の選手に限らず、プロの選手というのは国民の財産だと思っております。このマンパワーを活用しない手はありません。子供のころスーパースターと一緒に、プロの選手と練習をした、あの選手に教えてもらった。例えば、今はオリックスのイチロー選手が、高校でも中学校でも行って選手に声をかけてやる、少しでも教えてやるという、このことだけでもすばらしい子供たちが、僕は将来的に本当に精神的に強い子供たちが出てくるのじゃないかと。間違った、道を外さない人間も出てくるのじゃないかと。私も、先ほど申しましたけれども長嶋茂雄さんにあこがれまして、もしあこがれなかったら道を外した選手が、野球選手にも何人かいるのです、正直言いまして。やはりそういうすばらしい選手がいるからこそ、正しい子供たちも中には出てくると思うのですよ。  そういう意味でも、プロ、アマ、確かに文部省が手を突っ込んで指導することはできないかもわかりませんけれども、やはり財団法人として文部省が認めている以上は何かの関係があるのじゃないか、指導というまではいかないかもわかりませんけれども、プロ、アマの問題についてどのようにお考えでしょうか。
  162. 佐々木正峰

    ○佐々木政府委員 野球界におけるプロとアマの交流の関係でございますが、さまざまな経緯がございまして、社会人野球、大学野球、高校野球の各関係団体において、それぞれが規定を設けて一定の制限が設けられているところでございます。他方、お話にもございましたように、二〇〇〇年のシドニー・オリンピックから野球についてもプロの参加が認められるようになるなど、国際的にもスポーツ界全体にプロとアマの垣根が低くなっているというふうな状況がございます。  そうした中において、野球界におきましても、プロ、アマを通じた野球界全体の発展を目指して、プロ、アマを問わず野球に関する団体が集まって、平成六年に全日本野球会議が発足しております。この会議におきましては、プロ野球OBが指導者となったアマチュア野球指導者への研修会を行うなど、プロ、アマの交流についても前向きに取り組んでいるというふうに承知をしておるところでございます。また文部省におきましては、平成六年度からでございますけれども、プロ、アマの関係者による交流会議を開催するなど、野球界を含めたプロ、アマの連携の促進に努めておるところでございます。  文部省といたしましては、野球界におけるこのような自主的な動きにつきまして、御指摘の点も念頭に置きながら適切に支援してまいりたいと考えておるところでございます。
  163. 三沢淳

    ○三沢委員 考えているだけでは、これはずっとこのまま来ているのです。ですから、文部省が何とか手を打たないといつまでたってもこの壁は破れない、そういうふうに思っております。  アマチュアの規定で、高校野球でもう一つあるのですけれども、例えばほかの部員さんが何か事件を起こした、そうしたらその学校の野球部は甲子園には出られない。ほかの生徒がやったのに、そのために自分たちが犠牲になる。こつこつまじめにやってきた生徒、これが将来物すごくひっかかってくるのですよ。あのときに自分たちは出られたのに、どうしてあのときに出場停止になったのだ、ほかの生徒がやったのに何で自分たちが出られないんだというような、こういうふうな矛盾も今たくさんあります。だから、その辺のところが高校野球だけは突出した異常な世界になっております。  その辺のところで、プロ、アマというのは、これは本当に長年の、みんなが望んでいることなんです、プロもアマも一緒になって技術の向上をしようという。野球のここだけが特殊なんですよ。その辺のところ、文部大臣はどのようにお考えでしょうか。
  164. 小杉隆

    小杉国務大臣 プロとアマの垣根がだんだん低くなっているというのは世界の趨勢だと思います。ただ、日本学校教育の中でスポーツというのは比較的、ピューリタニズムというのでしょうかね、そういう部分がなかったとは言えないと思います。教育という側面から考えて、高校生までの段階で余りプロと一緒になっていいのかどうか、その辺はちょっと研究を要するところだと思うのです。  ただ、傾向としては、やはりプロのすばらしい技術力とか精神力とか体力とか、そういうものは大いにアマの人たちも見習って競技力向上を図っていくということは大事だと思いますし、高校野球でほかの部の人たちが不祥事を起こして、それでほかの部の人たちが制裁を受けるというのは、余り行き過ぎたそういうピューリタニズムはいかがかとは思いますので、これはやはりその時々の状況に応じて、余り厳格にやるというのは、私も実際に経験がありますけれども、そこはやはり弾力的に考えるべきところは考えていかなければいかぬと思っております。
  165. 三沢淳

    ○三沢委員 今、文部大臣、プロが教えたら悪いというようなことを言われましたけれども、ほかの競技はプロがアマチュアに教えているのです、現に。要するに、ゴルフにしろサッカーにしろ、サッカーはしっかりした組織力があります、底辺づくりは大変これはすばらしいことだと思います。野球界だけがジグザグになっていまして、一本化になってないのです。これはずっと昔からです。伝統とかそういうことではないと思います。野球だけがなぜプロが教えたら悪いのか、教育上悪いのか、高校生に教えてはいかぬのか。ほかのスポーツは全部やっているじゃないですか。  この辺のところ、なぜ野球だけが悪いのか、ちょっとお答え願いたいと思うのです。
  166. 小杉隆

    小杉国務大臣 その点はちょっと研究してみたいと思います。
  167. 三沢淳

    ○三沢委員 研究って、これは簡単なことだと思うのですけれどもね。野球界だけおかしいというのはだれが考えても、研究しなくたって、こんなものやればいいことですよ。  さっき大臣も言われましたけれども、今度オリンピックにプロも出られるのですよ。アマチュアの最高の祭典というのはこれはもうオリンピックだったのですけれども、プロが出るのですよ。今国民が求めているのはやはりすばらしいプレーですよ。確かにアマチュアリズムというのは必要な二ともあるかもわかりませんけれども、あのバスケットのアメリカンドリームのチームを見た、これはすばらしい感動を与えました。そういう意味でも、やはり見て感動を与えるということもこれからの日本の生活の中で必要じゃないか。やはり、仕事をせっせせっせとして、仕事ばかりして残業もしてという時代ではありません。これからは休日を家族で、地域の人たちとみんなでどういうふうに余裕を持って生活をしていこうかという、その中でスポーツは随分お役に立てるような部門じゃないか、僕はそういうふうに思っております。  野球の世界の中もこういうまだまだ雪解けにならない面がございますので、ぜひとも早急に、今大臣も言われましたけれども、研究というか考えておきますと言われましたけれども、ぜひアマチュアの人と、プロの人はいいのですけれども、プロはもう早く、指導したいと言ったらおかしいですけれども交流したいのですけれども、どうしてもアマチュアの団体の方だけがかたくなな感じがしておられるのですけれども、ぜひ文部大臣からもいろいろなお話をしてあげまして、何とか早く野球の世界も一本化できるようにしていただきたい、そういうふうに思います。  それと、まだもう少し時間がありますから簡単に申しますけれども、私、全く違う世界へ入りまして、自分のペースでできませんので、毎日まだよたよたしている状態ですけれども、文教委員会に入らせてもらいまして本当にありがとうございました。  そこで、私がちょっと調べたところによりますと、文部省というのは体育行政を担当する行政組織なんですね。大体一番大きく扱っていると思います。その中でも、文部省設置法の第五条において、スポーツの振興に関することは文部省であると規定されているのです。だから、文部省が大体のことはスポーツ振興に関したら権限を持っていると思うのですけれども一つ私が不思議に思いましたのは、同じようなスポーツ振興の政策は、文部省以外の十二省庁にまたがってこの政策が行われているというところに少し疑問を感じました。  スポーツ振興政策の平成八年度の予算の総額は四千五百三十四億一千三百八十六万三千円になっています。これに自治省の厚生福祉施設整備事業債の二千三百六十四億九千四百万円を加えると、スポーツ振興関連予算は十三省庁で六千八百九十九億七百八十六万三千余になるのですよ。そしてこの内訳を見たら、施設に関する予算として九省庁にまたがっているのです。五千三百二十八億三千七十一万九千円がスポーツ施設の整備拡充のために計上されているのです。そして今度は、スポーツ指導者の養成に関する予算としては四省庁にまたがりまして、これも三十五億二千六百十四万六千。額はもう省きますけれども、あと、その他の組織育成に関する予算が四省庁にまたがっていまして、そしてスポーツ事業の振興に関する予算が九省庁にまたがっていまして、このような、同じような政策が各省庁にまたがって、ばらばらに予算が執行されている。これは本当に効率のよい運営ができるものかどうか、そういうふうに思っております。  今、行政改革と言われまして、ただ単に省庁を減らすことではなくて、やはり予算のむだをなくし、効率のよい運営を目指すことにあると思いますけれども、この辺のところは文部省がリーダーシップを発揮して、スポーツ関連の予算の一元化というのは図るべきじゃないかと思われますけれども、どうでしょうか。
  168. 小杉隆

    小杉国務大臣 文部省としてはスポーツ振興についての責任を持っているわけですけれども学校体育、生涯スポーツあるいは競技スポーツ、各般にわたって関係政策を推進しているわけですが、政府全体の中で、今御指摘のように、数々の省庁が国民の体力向上という観点からそれぞれの行政目的に応じてさまざまな政策を行っているわけですけれども、同じようなことを幾つもの省庁がやるなんということは許されないわけで、これはやはりきちっと統制というか、連絡調整をしてやっていくということが必要だと思います。  これは、今の行政改革あるいは財政改革という観点からも効果的なあるいは効率的な展開ということが必要だと思いますから、これは文部省、主体的に各省庁と連携をとって、効率的、効果的行政ができますようにスポーツの振興に取り組んでいきたいと思っております。
  169. 三沢淳

    ○三沢委員 時間が来ましたので、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  170. 二田孝治

    二田委員長 山元勉君。
  171. 山元勉

    ○山元委員 民主党の山元でございます。  いろいろと大臣にお尋ねをしたいわけですけれども、その前に、今、子供が置かれております状況、いじめや登校拒否、あるいは長く続いている入試地獄という言葉もありますけれども、大変な状況になっている。あるいは、先ほど来お話がありますように、文化やスポーツでも大きな課題を抱えているというか、山積をしている文部行政の責任者でございます大臣にぜひ御者聞いただきたいと思います。  先日、所信表明を聞かせていただきました。残念ですけれども大臣教育への真摯な思いといいますか、積極的な情熱というものをなかなか感じられませんでした。きょうはひとつ、子供たちの現状がどうなんだ、あるいは日本教育の将来はどうなんだという大臣の生の所信を、あるいは教育への思いというものを語っていただきたい、お聞かせをいただきたいと思います。よろしくお願いします。
  172. 小杉隆

    小杉国務大臣 文部大臣というのは、これは公人でありますので、個人の見解といってもやはり公人として受け取られるわけですから、おのずから制約があるわけでありまして、ありきたりになるかもしれませんし、繰り返しになるかもしれませんけれども、やはり私は、五つの行政改革を初めとする改革、今度の内閣の最重要課題として発表されたのですが、そのとき私は、率直に総理にも官房長官にも申しました。すべての改革はやはり人間がやるのじゃないか、人間そのものがどうあるべきかということなしにあらゆる改革はできないのじゃないか、つまり、五つの改革のすべての共通の基盤は教育だ、したがって、教育改革というのはやはり一番基本になるべきじゃないか、こういうふうに考えまして、私は随分発言をさせていただきました。  この教育改革プログラムの中にも書いてありますように、やはりただ単に、勉強ができるからいい大学へ入り、いい会社へ就職して、それですべて人間の価値というものが判定をされてしまうという社会ではなくて、それぞれの人がそれぞれに自分目標を持ち、そしてそれに向かって努力をしてその充足感を味わう、そして、すべてにチャレンジ精神を失わないでやっていく、そういう社会をつくるということが私は望ましいのじゃないかというふうに考えております。  それで、今まで随分いろんな改革提言とか議論も行われてきたのですが、私は、先ほども申しましたように、時代は随分変わってきた、昔は、読み書きそろばんというものを基本として、とにかく基礎的な知識を教える、こういうところに力点が置かれて、だんだん知育に重点が置かれてきたと思うのですね。しかし、この五十年の間に随分時代が変わって、例えば国際化という中で、ただ単に日本の中だけで考えている教育じゃなくて、やはり国際的にも通用する人材養成が必要じゃないか。それから情報化が猛烈な勢いで進んでおります。したがって、インターネットを初めとするそういう新しい情報社会に生きる能力を身につけさせるとか、それから、戦後いろいろ環境問題、人口問題、エネルギー問題、あるいは女性の問題、冷戦後はむしろそういう問題こそ大きなテーマになってきておりますので、そういうものに関心を持ち、携われるような、例えばボランティア教育とか、そういう新しい時代に対応した教育というものを求めていくべきではないか。  それからもう一つは、やはり今まで、どちらかというと、豊かな人間性をはぐくむという点が少し欠けていたのではないか。自分本位の生き方じゃなくて、他人に対する思いやりとか自然に対する愛情とか、あるいは国際的な視野というものを考えますと、やはりもう少し、豊かな人間形成という点で、正義感とか思いやりとかあるいは倫理観とか、そういったまさに心の教育という点を重点に置くべきじゃないかな、そういうふうに考えております。
  173. 山元勉

    ○山元委員 今、先ほども言いましたように大変な状況になっていて、子供もそうですが、親も教職員も、そしてまたあえて言えば各地方の教育委員会も大変困っているし、戸惑いがあるわけです。公人とおっしゃいましたけれども、やはり全国のそういう人たち文部大臣の姿勢を見ているわけですから、教育に対するひたむきな愛というものが感じられるような、そういう行政を進めていっていただきたいなというふうにお願いをしておきたいと思います。  それで、教育改革について朝から随分と論議がございました。私も、私なりにしっかりと読ませていただきました。率直な感想を申し上げますと、いかにも拙速な論点整理であったなという、失礼な言い方ですけれども、そういう感じがいたしました。よく練られて、そして日本の将来が見えてくる、大きな筋が見えてくる、あるいは根本的な改革のコンセプトが明確になっている、ちょっと言えないものだったというふうに私は思います。  いずれにしても、これからそれぞれの課題論議をしっかりとみんなでしていかなきゃならぬわけですが、幾つかきょうお尋ねをしたいのですが、その前に一つ、このプログラムの前文、リードの部分でどうしてもひっかかって、私やはりお尋ねをしたいわけです。  この文章の中に「我が国の唯一の資源である人材を育成する」、教育のことで子供を資源と見るという考え方についてはいかがなものか。子供を資源として見るという。資源といえば、開発をして、あるいは質を高めるというのですか、付加価値づけて、そして活用、消耗していく、こういうのが資源だろうと思う。私も一遍、私の感じが違っているのかということで、字引を引きました。日本語大辞典を引いたら、資源とは「人間が採取して利用する天然の物質の総称。」であると書いてあるんだ。天然の物質の資源であるという言葉を使う、教育の場で。教育の前文のところでそれを使うという考え方、立場というのはいかがなものかと思うのです。  やはり尊厳を持つ、主体としての人間をはぐくんでいくんだということがなければ、そのことがにじみ出てこなければ、教育に対する思いというのは私は寒々とすると思うのですが、大臣、どうですか。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
  174. 小杉隆

    小杉国務大臣 先生の言わんとするところはよく理解できるわけです。ただ単に経済成長とか物質文明の道具としての人材養成という響きはよくないというお気持ちはよくわかりますが、私ども、しかし、資源にしても食糧にしてもほとんど外国からの輸入に頼らなきゃいけない、そういう制約条件の中で、日本が明治以来ずっと発展をし、さらにまた戦後あの廃墟から立ち上がってきた、その姿というものは、やはり教育に物すごく力を入れた、そして人材が大いに発揮をして、外国からいろんな資源やエネルギーを輸入して、そして非常に高い技術とかあるいは研究の成果を加えてこれを加工して大きな価値を生み出して、それを外国に輸出して経済が豊かになり、またひいてはそのことによって日本人の生活水準も上がってきた、こういう厳然たる事実というものは否定し得ないと思うわけですね。  したがって、私たちは、やはり二十一世紀に向かってもそういった経済の発展も続けつつ、そして一人一人の国民が安定した幸せな生活を送っていくためには、やはり人間一人一人を育成していくという視点は大事だと思いますし、私は、単にそういう冒頭申し上げたような目的のためだけの人材養成ではない、こう考えております。  したがって、私は、そういう観点を持つならば、今までのように知識偏重というか、そういう教育ではなくて、一人一人の子供が個性が尊重されて、そして自分の持っている可能性を引き出して、本当に一人一人が目標を持って、生きがいを持って生涯を終える、そして、どんな子供にもチャレンジと創造性が生かせる、そういう社会をつくるということが大事だと思いますので、先生のそういう思い込みは、ぜひひとつお持ちにならないようにしていただきたいと思います。
  175. 山元勉

    ○山元委員 あえてこれは論議をして結論を出そうと思いませんけれども、やはり教育を論じるときに、子供たちを、青年たちをどう見るかという思いが出てこないといけないと思うのですよ。ですから、しつこいけれどももう一遍言うと、さっきの辞典で、あと「(転じて)事業などに役立つ物資や人材。」と丁寧に書いてあるわけです。「事業などに役立つ」、そういうものだというふうに字引には書いてあるわけです。ですから、教育の場で使う必要はないわけです。大臣が、私が一言言ってそれだけ説明をせんならぬのは、やはりいけないと思うのです。これから余り使わないように文部省は気をつけてもらいたいというふうに注文をしておきます。これは、論議はなんですから。  具体的なことで、学校五日制の問題です。  教育が変わっていく、改革をしていくという上で大きなテーマで、これに失敗をするとあらゆるものが崩れていくだろうというふうに思います。ですから、このことについては論議を十分しなければなりませんけれども中教審答申でも、やはりゆとりと豊かさのためにも実現する必要があるというふうに明記をしていますし、今度のプログラムでも二〇〇三年というふうに、大臣先ほどおっしゃったように明記をされました。私どもが求めてきたことですからこれは賛成ですけれども、しかし、早く実現をしたいと思いますが、幾つかの課題がございます。  その一つは、この実現のために日本教育考えてみますと、明治以来、牢固として学力中心の画一主義で教育がずっと進められてきた。これはやはり今も変わっていないわけです。さらには、先ほど少し話がありましたけれども、厳しい検定制度による教科書がしっかりとある。そして、そういうものの上に、それでどう力があるのだといういわゆる学歴社会学歴偏重社会があるわけですね。そういうものを壊さないと、とてもじゃないが、学校が休みが二日になったというだけになってしまって、裏返したら、学力中心主義というのがなお進む、塾が繁盛する、こういうことになってしまうだろうと思うのですね。ですから、学校五日制を実施しようと思うと、教科書のありようだとか学力中心だとか学歴偏重だとかいうものを砕いていくことをしっかりとやらないと成功はしないだろう、間違った方向へ行ってしまうだろうと思うのです。  そういう意味では、このプログラムにもしっかりと書いてございますけれども教育課程審議会が中間まとめを出して、そして一年ほど国民論議をして、そして結論を出すのだ、このプロセスというのは私は大事にしてほしい、間違いないというふうに思います。  しかし、今までの経験からいうと、審議会のまとめまでの経過も透明でないし、国民的に意見を聞くのだといっても、本当に国民の皆さんの意見を聞く、それぞれの立場から意見を聞くということは極めて不十分だったと思うのですね。先ほど申し上げましたように、大変大事な改革ですから、先ほど大臣が、確かに沸騰するようなという言葉をお使いになったと思うのですが、論議を沸騰させたいとおっしゃいましたけれども、私もそう思います。  それで、審議会を公開にして、国民が騒然と、学校五日制になっていく、えらいことだ、どうすればいいのだということの論議をすることを、保障というのですか手だてを講じなければいかぬと思うのですね。ですから、審議会の審議のありようだとか国民の議論のありようというのは、やります、やりますという抽象的な言葉の決意だけではどうにもならぬ、具体的にどういうふうにしていただけるのか、そのことについて、これからですけれども、お尋ねをしたいと思います。
  176. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいま御指摘ありましたように、学校週五日制といいます問題は、大変学校生活に深くかかわっておりまして、国民の関心も高いわけでございます。したがって、国民みんなで考えながら進んでいくというその趣旨は、大変そのとおりの御指摘だというふうに思います。  この完全学校週五日制を提言いたしました中教審も、そのように、できるだけ国民各層の意見を聞きながら審議を進めるという形でこれまで進められてまいりまして、一日中教審でありますとか各界の意見を聞くというような手続が踏まれたところでございます。  今、舞台は教育課程審議会に移っているわけでございますけれども教育課程審議会も同じような趣旨で、できるだけ幅広く意見を聴取しながら進めていきたいと思っております。具体的には、これは大臣からの御指示もあったわけでありますけれども、議事録を公開するということでございます。そして、会議自体につきましては、これはいろいろと利害が錯綜いたしますので公開ということは難しい問題があるわけでございますけれども、議事録の公開にあわせまして、会議が終わるたびに、会長あるいは座長等から、その日の審議の様子というものを克明にマスコミに説明をするというような努力もいたしているところでございます。  これまでにも既に、関係団体等からの意見聴取等をいたしておりますけれども、今後もできるだけ幅広い意見を聴取して進めていく、そういう努力をしてまいりたいというふうに思っております。
  177. 小杉隆

    小杉国務大臣 ちょっとつけ加えますが、先生が御指摘のように、五日制になったらただ塾がはやったとか、あるいは家でごろごろしているということになっては困るわけでありまして、五日制になって、子供がゆとりを持って主体的に使える時間がふえる、そして自然体験とか社会体験ができるような豊かな心やたくましさを育てる、そういう場や機会をふやすというのが本来の趣旨でありますから、そのためにはやはり家庭とか地域社会あり方も、ただお父さんがごろごろ土曜日に休んでいたのじゃいけないので、子供と一緒に社会体験に行こうじゃないかとか、自然観察に行こうじゃないかというような、あるいは社会の中でも、土曜日、子供さんたちが本当に地域社会に溶け込んで、何かいろいろな活動ができるというような場を提供するとか、いわゆる子供の活動できる場とか機会を整備する、そういう環境整備というのが、そういう諸条件の整備というのが同時並行で行われないといけないのではないかと私思うのですね。  そういうことで、今二〇〇三年というのは、例えば五日制にするのにカリキュラムを絞り込まなければいけないとか外部のいろいろな条件整備が要るとか、そういうことを勘案するとどうしても二〇〇三年までかかってしまう、こういうことをひとつ御理解いただいて、したがって私は、これは学校現場だけであるいは教育の現場だけで考えて解決できる問題ではないので、今度の教育改革プログラムでもできるだけ学校外の社会との連携ということで、地域とか企業とか家庭とかそういうところとの連係プレーでやっていかないと、学校五日制の本来の趣旨は生かせないのじゃないかというふうに考えます。
  178. 山元勉

    ○山元委員 きょうはたくさんお尋ねをしたいので時間がないのですけれども、私は、これを進めていく中で、時あたかもといいますか、財政改革、行政改革、地方分権、これらの仕事と同時にやるわけですから、それが追い風になればいいけれども、横波になる部分が相当あるだろうと思うのですね。ですから、しっかりとした国民的な合意をつくることによってそのことを、横風が吹こうが横波が来ようがずっと正しい方向でおくれずに進めていくということには国民の合意、強いものがなければこれは乗り切っていけぬだろうと思うのです。  そういう意味でいうと、この間、文部省が七つの審議会を合同で連絡会をちょこちょことやられた、ちょこちょこというのは失礼な言い方ですけれども。私は、これも首相直属の審議会をつくって、七つの審議会もそれぞれやってもらわなければいかぬかもしれぬけれども、しっかりと中央で教育改革論議をやっていただくということが大事だと思うし、そしてもう一方で、やはり各都道府県レベルでもしっかりとした論議をしていただく。例えば行革のときに、地方行革それぞれやりなさいといって、各県にも行革委員会をつくらせましたね。ああいうふうに、現に教育委員会というのが県の行政から独立をしてある実態から考えると、教育改革をどうするんだというのは、各都道府県レベルでもしっかりと論議ができるようなそういう場をつくる、そのことが大事だと思うのですが、そういう手だてについて具体的に検討をしていただけないかどうか。
  179. 小杉隆

    小杉国務大臣 審議会のあり方については、今、総理のところでもいろいろと考えているところでございます。そして、私も、各審議会の横の連携ということも考えまして、今まで、教育改革プログラムに関連のある審議会に大勢集まっていただいたり、そういうことを二、三回やっておりますが、それと、今御指摘の地方教育の活性化ということは非常に大事なことでありますし、教育改革を進めていく一番の最前線は地方でございますから、私は、やはりそれぞれの地域の住民の多様なニーズに応じて積極的な、総合的なそれぞれの地域の教育行政が展開されることをやっていく必要があると思うんですね。  それで、特に中教審では教育委員会の活性化ということを言っておりますけれども、これからますます、学校外の活動の充実とか家庭とか社会との連携、こういう点は十分私は必要だと思いますし、教育委員会というのは、せっかくそれぞれの独自の地域のいろいろな有識者を加えた、レーマンコントロールというんですか、そういう形でやっているわけですから、できる限りそれぞれの地域の創意工夫を生かした活力のある教育委員会になってほしいな、こう思っております。
  180. 山元勉

    ○山元委員 積極的な御答弁ですからありがたいんですが、そこで一つは、例えば二〇〇三年という年を決められた。確かに学校五日制になると、前のように月二回とかそういうときには指導要領を変えなくてもいいことになったんですけれども教育課程を変えなくてもいいとなったが、今度は変えなきゃならぬ。そうすると教科書を変えなきゃならぬ、教師の研修もしなきゃならぬと。そういうことで相当時間がかかることは理解をするけれども、これから七年間、二〇〇三年まで一生懸命になってやります、全部準備をします、用意ドンでこれでいってもらいますということでは今文部大臣がおっしゃるようなことにはならぬと思うんですね。  ですから、大事なことは、教科書もそろい、教員の研修も済むという前に、やはり地方で――この間、地方分権推進委員会が「地域が人を育む」というふうにテーマをつけられた。私は、やはり今度の教育を変えるときに、地域の皆さんが一生懸命やって論議をして、うちの県のうちの市の子供はこういうふうに育ててもらいたいんだ、このことは教えてほしいと。雪国と、北海道と鹿児島とで同じ教育内容ということは考えられぬわけですから、ですから、自分のところの県はこういう教育をしたいということをどんどんと進めていく。いわゆるカリキュラムの自主編成権と言ったらかたい言葉になるかもわからぬけれども、どんどんと先行的に各県が、二〇〇三年を待たなくても学校五日制をうちは一年早うやるということでもいいんではないか。そういう地方の自主性を認めるということを私はぜひ進めるべきだと思うんですが、いかがですか。
  181. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 ただいまの御指摘でございますけれども、小中高等学校教育は、それぞれの地域の特色を生かした教育活動ということも大変重要な視点でございますけれども教育の機会均等という、そういう要請も大変重要な視点だろうと思います。ですから、学習指導要領が全国の学校の活動をがんじがらめにするという、そういうことではいけないわけでございますけれども、やはり基本的な基準のところでは、どこの学校に学んでも同じようなレベルの教育が受けられるということは大事だと思うんです。  そういう意味で、やはりその基準になります学習指導要領の制定、それから、それに沿った教科書の整備というようなものを踏まえて完全学校週五日制も円滑に進んでいくものだというふうに考えております。
  182. 山元勉

    ○山元委員 そんな答弁はもう何十年も続いているんですよ。今地方分権の時代になってきて、そして中高一貫も取り入れようかとかいろいろなことを考えておるときに、全国均一なんて、そんなことを言っているときではないと思うんです。  私は、やはり文部省が、例えば宮崎でやっている中高一貫教育学校一つだけある、五ヶ瀬中学、高等学校が。あそこは全部自分たちプログラムをつくっていますよ、カリキュラムをつくっているわけです。文部大臣は、そういうことをやる県が出てくれば私たちは支援をしたいということをおっしゃっている。ですから、各県が、中高一貫であろうとあるいは五日制であろうと、十分その最低の基準は満たして、うちの地域ではこういう教育をということを先導的に志向していくということは私は認めるべきだというふうに思うんです。  それは、今御答弁があったような形でしっかりと、全国均一の、画一の教育でなければならぬが、保障しなければならぬがという考え方はもう捨てていいと思う。そうでないと、その地域にふさわしい学校五日制のありよう、地域社会と家庭、学校との結びつきをしっかりとそれぞれの場でつくってもらうということにはならぬでしょうが。どうです。
  183. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 今、五ケ瀬の中高一貫校のお話がございましたが、あの五ケ瀬の中高一貫校も原則としては学習指導要領を基準として教育活動が展開されております。ただ、研究開発学校ということで、特に現行の教育課程の基準によらないでもいいという、そういう例外的な適用を受けておりますので、ただいま先生が御指摘になりましたような活動が許されているわけでございます。  そこで、がんじがらめというわけではございませんが、やはり国としての大綱的な基準というものがあって、それはそれで教育の機会均等という要請から大変必要なことでございますから、その基準は基準として従いながら各学校が裁量を十分に生かしていくということだろうというふうに思います。  そういうことであれば、私たちもそのとおりのことと考えておるところでございます。
  184. 山元勉

    ○山元委員 それはそのとおりですよ。各地域の人たちが、うちの子供にはこういう最低限の学力とかそういうものは要らない、これをしたいねということは言わないですよ。本当に地域の人たちと一緒になって、今おっしゃる基準なら基準、この教育はきちっとせんならんな、けれども、うちはこういうふうに展開をしていくということを積極的に認めなさいよということを言っている。もうそういう時代になっているということを認識をしてほしいわけです。  時間がないんで、もう一つ学校五日制の問題でいいますと、この間、日本PTAの方のアンケートを見せてもらったんですが、端的に今の特徴が出ているんです。学校五日制になることについて小学生が七六・七%、中学生七八・一%、およそ八割近い子供たちが賛成をしているわけです。けれども、保護者、親は賛成が二八%。子供たちは何で賛成がといえば、その理由は、ゆっくり休めるから、友達と遊べるから賛成だというのが八割近くあるわけですね。今、逆に言うと、友達と遊べない、ゆっくり休めないという状況を子供たちが何とかしてくれと言っている数だと思うし、保護者が二八%しか賛成できない、やばいわと考えているのは、やはりこれは塾へ行かさんならぬのではないやろか、うちの子はおくれへんやろかとか、あるいは、私たちはまだ五日制になっていないからかぎっ子にうちの子がなるんではないか、こういうことに心配があるから親はこういう数が出てくるんだろうというふうに私は思います。  PTAの分析も大体そういうことなんですけれども、私は、そういう条件をやはり解消していくことを一方で、さっきちょっと大臣図書館とかそういうことをおっしゃったけれども、十分そのことについて手だてを講じないと、五日制を実施をしても私は大間違いをするというふうに思うんです。  例えばもう一つの例でいいますと、学校図書館の問題を私たち一生懸命になってやっていますけれども、月に一冊も本を読まぬという子供は、小学生では十何%、中学校へ行くと一月に一冊も本を読まなかったという子供は五割を越すんです。高校生になると六割を越すんです。この一月一冊も本を読まなかった、図書館へ一遍も行かなんだわという子は。ですから、そういう子供ではやはり五日制にしたらたちまち、図書館へ行って本がゆっくり読めるわということではなしに、やはり塾へ行く子になってしまう。  ですから、この子供たちが伸び伸びと休めるとか友達と遊べるというのは大事にしなければいかぬと思うんですが、そういう条件をつくっていく必要があるわけですけれども文部省として、これは余り時間がありませんから簡単でいいですが、具体的にどういうような場をつくろうとしているのか、手順を踏もうとしているのか、あったら教えていただきたい。
  185. 草原克豪

    ○草原政府委員 御指摘のとおり、学校週五日制は、やはり家庭やあるいは地域の教育力を充実するということと相まって初めてその趣旨が生かされるものであるというふうに考えております。  そのための具体的な取り組みということでございますけれども、家庭の教育力ということに関しましては、各都道府県、市町村でいろいろな事業を行っております。これに対して文部省が財政的な支援をしているわけでありますけれども、先ほど大臣からも御答弁ございましたように、特に、親子で共同体験をするような機会をふやしていくとか、あるいは父親が家庭教育、地域の活動に参加するような機会をふやしていく、そういうことを重視しております。  それから、地域社会教育力ということでございますけれども、現在既に、子供たちが週末などに地域の人の指導のもとにいろいろな文化的な活動、スポーツ的な活動、そういったことに参加できるような事業を実施しております。  それから、さらに、平成九年度の予算案においては、新たに学校、家庭それから地域社会、企業等も含めて、そういった関係者の連携のもとに地域全体で学校外活動を推進できるような体制づくりということを考えておりまして、それに必要な経費を計上しているところでございます。  それから、先生指摘ありましたように、やはり、場の整備という意味では、図書館や博物館の整備も大事だと思っております。  そういったさまざまな取り組みを通じて、家庭、地域社会教育力を充実するように努めてまいりたいと考えております。
  186. 山元勉

    ○山元委員 大変広範な範囲にわたってそういう努力をしなければなりませんから、これから五年なり六年なりの時間の間で、しっかりとそのことについて見えるようにしなければいけないということについては御理解をいただきたいというふうに思います。  次のテーマへ入ります。中高一貫教育です。  先ほどからもありましたけれども、戦後の六・三・三制にかかわる、学制にかかわる重要な問題だと思うのです。しかし、このプログラムを見たら、行数が多ければいい、字数が多ければいいというふうに言うのじゃありませんけれども、三行ほどで、六月に導入すると書いてあるわけね。「平成九年六月を目途に結論を得る。」性急に過ぎやしませんか、これは。学校五日制で見ますと、長年にわたって、月一回だ、月二回だとずっと試行してきたわけでしょう。それでも、先ほど来たと、中教審の中間まとめを国民に見せて、そして一年後に、こういうふうに結論を、これから国民的な論議をしようというふうにおっしゃっている。ところが、中高一貫教育という制度を導入するということについて、六月をめどに結論を得るようにする、それでぷっつんです。国民的な合意とかそういうことは全然なしに、余りにも私は性急に過ぎると思うのですが、これからの手順をどのように踏もうと考えていらっしゃるのか、大臣、お答えをいただきたいと思います。
  187. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 中高一貫教育の問題につきましては、一昨年になるわけでございますが、その際は、学校間の接続ということで御諮問の事項に入っておりました。ただ、中教審は、まず第一次答申に向けて、先生今お話しされております学校週五日制の完全化ということについて集中的な議論をして、昨年の七月、答申を出したということで、いわゆる中高一貫の問題は先送りされていたわけでございますが、その第一次答申が終わりまして、昨年の九月からこの中高一貫の問題につきましては精力的な審議が行われておりまして、一応六月を目途に結論を得るということでございます。その間に、いわゆる一日中教審でありますとか関係団体からの意見を聴取するとかいう形で、さまざまな形での意見の聴取をしながらただいま中教審審議が続けられている、こういう状況でございます。
  188. 山元勉

    ○山元委員 だから、続けられているという状況だというのは、私が聞いたのは、これからの手順をどうするんだと聞いているわけです。  時間もありませんから、これから十分これは論議をして、五日制と同じような意味が、僕は違った意味であるというふうに思います。先ほど言いましたように学制にかかわる問題ですから、大変問題にしなければいけないというふうに思いますが、簡単に考えられることは、今、接続の問題だとおっしゃいましたけれども、確かに中学校高校教育内容が重複をしているということ、これは何とかできる。これは宮崎の実験でもできているわけですね。私学がそういうことをやっている、これはいいと思う。  ところが、例えば、それではその学校へ入ることができる子供はどういう子供だ。今の子供たちは、小学校を卒業するときには選択肢は二つ。地元の公立の中学校へ無試験で入るか、私立あるいは国立附属の方へ試験を受けて入るか。そこへもう一つ、中高一貫学校へ入ることができるかという、この三つの選択肢になるわけです。その選択肢の三番目のこのできるというのは、宮崎の五ヶ瀬中学校でも、一回目は定員四十人に四百人を超す子供たちが応募してきたわけでしょう。十倍を超しているわけです。そしてこれは、入れたらやはりみんなが、親も喜んで赤飯炊いて寮へ送る、こういう子供たちができるわけでしょう。そういういわばこれはエリート。選抜についてはいろいろと工夫がしてあるようですけれども、やはり一遍は学力選抜のところを通ってこないといかぬわけですね。  ですから、そういう学校、エリート校になる。そして、現象的にはといいますか、小学校から卒業するときに、地元の公立の中学校へ行こうか、附属へ行こうか、そして中高の学校へ行こうか、こう選択するときに受験勉強をしなければならぬ。六年生の子供が、今もう六年生の子供でないくらいから、もっと小さいころから受験勉強まがいのことをするわけですけれども、ますますこれは受験年齢が低下をする結果を生むわけです。  ですから、よほど注意をしなければならぬのですが、私は、今ここで具体的に一つ一つということでなしに、中等教育の全般的な改革をやろうということをお考えになって導入をしようとしていらっしゃるのか、選択肢をふやして複線にするというだけのことなのか、もう一つは、それを全部に及ぼそうとしていらっしゃるのか、これは次の問題になりますけれども
  189. 小杉隆

    小杉国務大臣 これは、全国化を図るという考えは今、持っておりません。  要するに、教育制度の複線化構造を進めよう、こういうことの観点から、今、中央教育審議会で審議をしていただいて幅広く考えていただいているわけですけれども、一応六月をめどに結論を出してほしいと言っておりますけれども、これ、いろいろメリット、デメリットはあるのですね、先生も御指摘になりましたけれども。その辺のメリット、デメリットをどう考えるか、その辺のことを十分審議をしていただいていると私ども考えております。  もっと具体的なお話があれでしたら、政府委員の方から答えさせますが、今先生が言われた幾つかの点もありますし、またメリットも非常にあるということも事実であります。そういう両面を踏まえて、今、一生懸命議論をしていただいていると思いますし、私ども中教審だけじゃなくて、いろいろな人たちの意見も聞く耳を持ちたいと思っております。
  190. 山元勉

    ○山元委員 確かに、申し上げましたようにメリットはありますね。重複だとか三年目ごとの受験の苦しみだとか、そういうことはメリットとしてあります。ただ、そのメリットを一部の子が受けるのか、あるいは一部の子が受けることによって全体の教育が乱れるのかということについては、最大の配慮をしなければ取り返しのつかぬことになるだろうと思うのです。どういうまとめが中教審から出てくるかわかりませんけれども、私はやはり、今の流れからずっと見ると、中教審は導入ということで出てくるだろうと思うのですね。  そこで、今申し上げましたような心配というのは本当に全国にあると思うのです。県に一つつくるのか、もしくは七市だから七つぐらいはつくらなければならないのか、そういうことがある。そのときにどういう混乱が起こるかということについては、現場の人たちは大変な心配をしているわけです。ですから、安易に、中教審答申が出たから、まとめが出たからということではなしに、やはり文部省もうしっかりと、私たちでも余り論議をしていないわけです、こういうことについて。ですから、十分な論議をしていただくようにこれはお願いをしておきたいと思います。  幾つかあるものですから、次、行きます。  大学教員の任期制の問題が出てきております。この問題も、大学関係の教員の皆さんには大変な問題だと思うし、日本大学のありようを変えていくものだというふうに思うのですね。ですから、ここにも書いているのですけれども教育研究の活性化に本当につながっていくのかどうかということもしっかりと考えなきゃいかぬ問題だと思うのです。  そこで、大分前から騒がれていて法案が出てこないのですが、ここのところでは「本通常国会に提出すべく」というふうにプログラムでは言い切ってあるわけです。準備はどうなっているのか、どういう手続がこれから踏まれるのですか。
  191. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 大学教員の任期制につきましては、これまでおよそ大学改革が論じられている場合には必ずその話題の一つに上ってきた大きな問題でございます。  これまで種々論議されてきたわけでございますが、近年、特に大学審議会におきまして、その組織運営部会を中心にいたしまして集中的な審議が行われて、これが昨年の十月の末でございますけれども、結論を出したわけでございまして、各大学の判断によって任期制を導入することができるような選択的任期制というものをとったらどうだ、こういう御提言をいただいたわけでございます。この答申のねらいとするところは、やはり教員の流動性向上によります教育研究の活性化、それから多様な経験を通じた若手教員の育成、こういうものを挙げているわけでございます。  もとより、先生指摘のように、制度というものはすべて一〇〇%その制度だけでいいというものではないわけでございまして、その制度を動かして、その制度のねらいとするところを上手に生かしていくということが重要なわけでございますが、いずれにいたしましても、そのような選択的な任期制という答申を得たものですから、私どもといたしましては、その法制化、その実現化ということのために現在関係省庁と協議をいたしまして準備を進めている、こういうところでございます。
  192. 山元勉

    ○山元委員 時間がありませんから全部言えぬですが、研究の活性化ということですが、一方で関係法案を通常国会に提出するということですね。どういうものがあるのかと考えてみたら、お尋ねしようと思ったのですが、私の知る限りで言うと、一つは人事院規則ですね。人事院規則に、恒常的に置く必要がある官職の職員、これは大学教員の皆さんもそうでおります、恒常的に置く必要がある官職の職員の任期を定めた任用は禁止をする。だから、うちは五年制にする、四年の任期にしようといって、任期が切れたら自動的に、あなたは定年です、再採用なしです、こうなってしまうことは禁じられているわけですよ。労働基準法でも一年以上の任期を付した雇用の禁止という条項があるわけですね。これはやはり労働者の、働いている人の雇用不安をなくしようという法の目的でしょう。  そうすると、大学先生は、大学当局がやろうということで言ってやったら、四年でチョンになるかもしれぬ、五年でチョンになるかもしれぬという心配を抱えながら勉強をしなきゃならぬ、こういうことですか、関係法令のというのは。
  193. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 今先生指摘のように、国公私立大学すべてについて考えているわけでございます。  その場合の国公立大学という場合には、公務員の身分を持っておるということでございますので、国家公務員につきましては、今先生指摘のように人事院規則の扱いということがございますが、もっと基本的には、やはり公務員制度全般のもとで、基本的には一たん採用されたらば定年まで身分が保障されるという法制度になっているわけでございまして、その法制度との調整をどう図るかという問題が一つあるわけでございます。  また、私立大学教員につきましては、基本的にはいわゆる民間団体の雇用関係ということに帰せられるわけでございまして、これにつきましては、ただいまも先生指摘のように、労働基準法の十四条におきまして、一年を超える労働契約は締結しちゃいかぬという規定があるわけでございます。この規定の意味内容は、余り長期間その労働契約によって労働者を人身拘束的に拘束するというようなことであってはならないというような趣旨のものだというように理解しておるわけでございますが、いずれにいたしましても、そのこととの何らかの形での調整というのがやはり任期制ということにおいては必要になってこようかということでございます。  それらの意味合いにおきまして、関係省庁と先ほど申しましたけれども、公務員制度をつかさどる人事院、あるいは労働関係法規をつかさどります労働省等を中心にいたしまして、いろいろ制度のすり合わせを行っている、こういうことでございます。
  194. 山元勉

    ○山元委員 文部省が、そういう人事院規則もあえて、労働基準法もあえて変えていくようなことをねらったようなことをしない方がいいと思うのです。  本当に教育研究を活性化させるというのであれば、やはり私はもっとほかにしなきゃならぬこともたくさんあるだろうと思うのです。今の教育予算のことを考えてみると、本当に学校の設備、備品がお粗末だ、貧困だと言ってもいいくらいの状況になっているとか、あるいは先生の研究費の問題もそうだし、教職員定数の問題もそうなんだ。そういうことをやって初めて教育研究の活性化が図れるということを考えないといけないというふうに思うのです。  公務員の定年六十歳を、もう一遍言うけれども大学先生は任期五年で、再任用されなければ、たとえ四十歳でも次に雇用されないわけですね。そんな乱暴なことで、大学が落ちついて仕事をしてもらえる、日本教育あるいは研究というものがまともに進んでいくというふうには私は思えません。  それが証拠に、私のところにも幾つかの教職員団体の皆さんから反対の御意見が来ています。自分たちの暮らしの安定の問題だとか、あるいは一生懸命に教育研究のことを、将来を考える立場やいろいろな立場から、これはやるべきではないというふうに御意見が現場の人から来ているわけです。私は、そういう人たちにこういうものを押しつけるべきではないというふうに思います。ですから、元来教育とか研究とかいうものは押しつけてやるものでもないし、馬を川へ引っ張っていって無理やりに水を飲ますようなものでもないわけですから、しっかりとそこのところで合意ができる、そういう制度でなければいけないというふうに思います。  いずれにしても、そういう根幹、これは雇用の根幹にかかわる問題ですから、人事院規則あるいは労働基準法ですから、ぜひそういう現場の皆さんとも十分な話をしていただきたい、これは要望しておきます。  次にですが、幾つもの課題で申しわけないのですが、このプログラムは実に多くのものに、大臣は先ほどおっしゃっていましたけれども、全部ざっと見て書いたペーパーだとおっしゃいました。しかし、こういうたくさんのことが書いてある、薬物までずっと書いてあるのですが、私、ずっと見て、人権教育という言葉が一言も使っていないのにびっくりしたのです。どういうことなんだ。  十分御承知のように、人権教育のための国連十年が始まってもう三年になっていて、昨年は国内行動計画が発表され、まとめられたわけです。いよいよ人権教育についても国を挙げて取り組んでいくということが決意表明されているわけです。そして、去年の暮れには人権擁護施策推進法ができて、附帯決議には、二年後には啓発、教育についてしっかりと審議の結果を出す、そして進めるんだということが可決、決定をされているわけです。  そういうときに文部省が、人権教育にかかわってはっきりと、私たちも変えていきますと。人権十年の対応でも、あるいは教育、啓発の問題でも対応が足りない。これは同和教育の問題だけではなしに、いじめの問題を見てもそうですし、障害を持っている子供に対する意識についてもそうです。ですから、そこのところをしっかりと、本当に人権を大事にするという教育とか日本とかいうものをつくっていくんだ、そういう課題意識が一言もないのには驚いて、間違いではないかと思ってもう一遍私も見直して、秘書の子にも一遍ちょっと探してみてと言ったら、やはりない。これは一体どういうことなのか、文部省は人権教育についてこれからどうするのか、お聞かせをいただきたい。
  195. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 先生ただいま御指摘の人権教育というのは大変重要な課題だというふうに思っております。  御指摘は、いろいろやっているかもしれないけれども、この教育改革プログラムの中に人権教育という言葉がないのはいかがかということだと思いますが、私どもといたしましては、このプログラムの中の、「豊かな人間性の育成」という事項がございますが、その中にこの願いを込めたつもりでございます。  この「豊かな人間性の育成」のところでは、正義感、公正さを重んじる心や他者を尊重する心など、豊かな人間性の育成が学校教育活動の全般を通じて積極的に展開されるよう云々と、それから、家庭や地域社会における取り組みについても云々という形で、この中にただいまの先生の御指摘趣旨は織り込んで理解をしているというふうに私どもは理解をしておるところでございます。
  196. 山元勉

    ○山元委員 今までの人権教育についてだとかあるいは同和教育だとか、そういう論議、部落の問題だとか障害者の問題だとか女性差別、そういう差別などについての論議やあるいは取り組みからいって、今の答弁というのは白々しいですよ。本当に、そのことを今までどおり豊かな人間性という中に入れて進めていけばそういう差別もなくなる、人権侵害もなくなるというのだったらおめでたい話だというふうに思います。けれども、そうはならぬでしょう。なっていないから国連も十年やると言ってもいるのです。推進法ではこれから二年頑張って変えていくんだというふうにおっしゃっているのですよ。  今の一般的に豊かな人間性でやるのですということについて通るような今の状況ではないということを文部省はしっかりと感じて、出してこなければいけないと思う。私は前のときに、国連十年の初年でしたけれども、何にもないじゃないか、何にもやっていないではないかと言ったことがあるのですけれども、三年目になってきていよいよ行動計画もできたから文部省教育の場でしっかりやるんですということがなければいかぬと思うのですが、大臣、これはどうですか。
  197. 小杉隆

    小杉国務大臣 憲法の基本精神の中で基本的人権の尊重ということがうたわれているわけですし、それに基づいて教育基本法もできているわけであります。  確かに先生指摘のとおり、今度の教育改革プログラムには人権という言葉はありませんが、これは、教育改革プログラムのコンセプトの中に全くないということではありませんで、今初中局長が答えたとおりでございます。  私としても人権教育について、平成七年から今先生が御指摘の国連十年というものが開始されたわけでありますが、私も、人権教育のための国連十年推進本部というものができておりますが、その副本部長としてその重要性を認識しているわけであり、これからこの教育改革プログラムをきちっと整備していく中で、きちっとした位置づけをして人権教育というものを取り上げていきたいと思っております。
  198. 山元勉

    ○山元委員 ぜひしっかりと目を向けて努力をしていただきたいとお願いしておきたいのですが、一つ、この附帯決議の中に、これから人権擁護推進審議会というのができる、そこのメンバーというのは「人権問題に精通した学識経験者」を選ばなければいけないというふうに附帯決議になっているわけですね。  教育関係でもこの審議委員を出される、推薦されるのだろうと思うのですが、その作業はどういうふうに進んでいるのですか。私は、この附帯決議というのは、わざわざ「人権問題に精通した学識経験者」という言葉というのは、やはり差別を経験した痛みを知っている人、あるいはそのことで一生懸命になって努力をしている人たちの本当の声だというふうに思うのですね。ただ単に通り一遍の審議会をつくってもらってもだめなんです。痛みを知っている人、あるいは難しさを知っている人をきっちりと入れてもらいたいという附帯決議だと思うのですが、文部省もその立場に立って人の推薦をしていただきたいのですが、作業はどうなっていますか。
  199. 辻村哲夫

    ○辻村政府委員 入植擁護施策推進法が成立いたしまして、それに基づきまして、ただいま先生指摘の人権擁護推進審議会というものがスタートしようとしております。法務省に置かれる審議会でございますが、教育にも大変かかわりがあるということで、私どももその選考の過程に加わりまして今準備をしておるところでございます。  その中におきましては、ただいま先生のおっしゃられましたことも含めまして、十分それらを踏まえつつ選考に努力をしていきたいというふうに思っております。
  200. 山元勉

    ○山元委員 ぜひ今申し上げましたような立場から、ああ、いい人を、わかっていてもらえる人を出してもらったなということ、そして、二年後に教育、啓発の問題について出てくる、それに期待ができるというふうにぜひしてほしいと思うのです。文部省の御努力をお願いを申し上げたいと思います。  最後に一つだけですが、大変たくさんのことを欲張って言うので早口で申しわけないのですが、大学の入学年齢の制限を緩和をするということが打ち出されています。大学入学年齢を、十七歳で入れる、低めよう、こういうことです。特にすぐれた才能や独創性を有する者を対象としている。ある文書ではたしか希有な才能を持ったというふうに書いてありましたけれども、私は、時間もありませんから端的に言って、これは賛成しかねると思うのです。  私も学校現場の経験が二十年あるわけですけれども、例えば、地域で、小学校中学校高校、こういうところで勉強している子供たちが考えていることは、やはりいい高校へ入りたい、いい大学へ入りたい、できたら東大へ入りたい、こうなっているわけですよ。これは今否定できぬのです。そういう中で、ごく少数の子、ことし大学へ入る子は私学、公立入れてどれだけになるかわからぬ、六十万人ですか、六十万人のうち何人がこれに該当するのですか。何百人ということにはならぬと思うのです。ごくわずかな、人間一つまみと言ったら悪いけれども、ほんのごく少数の人、希有な万能を持った人を、十七歳で大学へ入れる資格を与えるんだ、それには公正を期すためにいろいろの専門の機関をつくってというのですか、何かメンバーをつくってやるんだと。そんなところにエネルギーを使う必要があるのですか。そういう選ばれた子供は、確かに、例えば村の大秀才、町の歴史に残るような、こういう誉れかもしれぬ。けれども、全体の子供に与える影響というのははかり知れぬものがあると思うのですよ。それがどうしても日本教育だとか日本の科学や文化に必要なことなのか。もっともっと、広い範囲でとか、あるいは、どちらかというと逆に落ちこぼれている子供たちを何とかという努力をすることの方が先ではないか。そのことが大事なのではないか。そういう努力をしている人に水を浴びせるのがこの制度だというふうに思うのですが、それほど意義がありますか。
  201. 小杉隆

    小杉国務大臣 先生懸念しているような方向に進むということは私はないと考えております。  もちろん、そういう落ちこぼれをなくしていくという視点は大事でありますけれども、同時に、今の日本のこれからの経済構造というものを考えた場合に、世界の先端的な、あるいは独創的な技術というものを開発していくということもこれまた重要なことでありますから、特に理科とか数学など、物理というような特定分野に限って、非常に希有の才能を持っている生徒について、その個性を最大に引き出すという見地から、何といいますか、教育制度の弾力化という中で、全部が全部そういうのを本格的に取り入れるのではなくて、大学の判断によってそういう人たちを取り入れる、そういう余地もつくったらどうか、こういう発想であります。  もちろん、大学の公開講座などで、高等学校の特に理数系のことに興味を持っている子供にどんどん大学の講座に来てもらったり、そういうこともやっていくと同時に、もっと早く大学教育を受けさせてそういう能力を引き出すということもあっていいのではないか。そういうことも含めて、今、中央教育審議会で論議をしていただいているわけでございます。先生が心配されるようなことにならないような手だては何かということも今審議をしていただいておりまして、いずれにいたしましても、六月をめどに、教育制度の弾力化という観点からこういう制度一つ選択肢としてあっていいんではないかということで、これを全部押しなべて全国的に展開をするということではありませんので、ぜひ私たちとしてはその中教審の結論を踏まえて適切に対応していきたいと思っております。
  202. 山元勉

    ○山元委員 私は、やはりあってもいいんではないかという選択肢としても用いてはならぬ選択肢だというふうに思います。それは大きな影響を与える。例えば文部省も初中局長と高等局長論議をしたらいいと思う。初中局長が初中教育に責任を持って、これでええというんやったらまだ論議になろうと思うけれども、私はやはり理解できませんと申し上げて、終わります。ありがとうございました。
  203. 河村建夫

    河村(建)委員長代理 次に、山原健二郎君。
  204. 山原健二郎

    ○山原委員 時間の関係で、一月の十八日、十九日に行われました大学入試センター試験の問題です。けさも質問が出ましたけれども、新たに質問をいたしたいと思います。  旧数学Ⅱの平均点が現役生向けの数学Ⅱ・Bよりも二十二点低かったことが同センターの集約で明らかになっています。そこで文部省は、二月五日に「二段階選抜について」という通知を出し、二段階選抜の緩和を求めてきました。しかし、この措置は足切りの緩和だけであって試験の点数そのものの差をなくしたことにはなっていません。  二十五日から二次試験が始まるが、試験を受ける前に受験生がすっきりとした気持ちで受験ができるように、臨めるように、それまでに素点の調整をしていただきたいと思います。これはなかなか難しいことだということは聞きますけれども、しかしこの原因をつくったのも文部省ですから、どうしてもやっていただかなければなりません。このことについてお答えを願います。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  205. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 御指摘のように、数学の旧数学Ⅱと数Ⅱ・Bとの間でかなりの点差が出たわけでございます。  これはなぜかというまずお尋ねがあろうかと思うわけでございますが、作題者側といたしましては、受験者の学力ができるだけ適正な形で点数の上に反映されるような形で作題する、これは当然のことでございまして、具体的に申しますと、大体平均点で六十点程度ぐらいのところが出るようなことを念頭に置きながら作題する。余り難し過ぎてもいけないし余り易し過ぎてもいけない、こういうことを念頭に置きながら作題するわけでございまして、そういう方向での努力ということは今回も行われたものと私どもは確信しているわけでございます。  しかしながら、現実に今先生指摘のようにこれだけの点差が出たということは、やはり作題の過程で、作題自体の問題のミスがあるとかないとかというそういうチェックとはまた別に、この問題どこの問題、この難易度というものはどの程度の開きがあるかということについてのチェックがもう一つ足りなかったのではないかというような感じを私ども持っておるわけでございますが、いずれにしましても、その辺のところにつきましては、作題をした側の大学入試センターにおいて今十分その解明のための作業をしておるところでございます。  次に問題となってきますのは、それならば、それだけ点差が開いたことについての調整をしたらどうかということになるわけでございます。  これにつきましては、昨年、八年度の大学入試センター試験までの間でございますけれども大学入試センターといたしまして、理科あるいは社会の選択科目について非常に大きな点差が出た場合、具体には三十点以上出た場合には調整することあるべしという方針をとっていたわけでございます。  具体にたまたま適用例がなかったわけでございますが……(山原委員「短く答えてください」と呼ぶ)はい。これが可能になっておりましたのは、いろいろ過去のデータの蓄積がありまして、それとの関連で相関関係というものを出すことができて、それが多分調整の上で役立てるだろうということでできていたわけでございます。  今回、新しい教育課程になりまして、大変教科が多様化しておりまして、それをまた受験者が大変多様な形で選んでおるわけでございます。そういうことで、技術的にもなかなか困難であるというのが一つ。  それからもう一つは、やはり先ほど来の御論議にもありましたけれども、浪人の方でも新しい教育課程を受けている方が二万人近くいる。そうすると、こちらを調整するとあちらはどうするんだということ、また、たくさんの選択科目の中で、選択したこの旧数学だけ調整したらば、ほかの科目はどうなるんだということで、新たな混乱を増すというようなことで調整をしなかった、こういうことでございます。
  206. 山原健二郎

    ○山原委員 要するに、何にもしないということだ。あれだけ言ってあるじゃないですか。あのときに、皆様も御承知のように随分もめたんです。そうしてできたわけですからね。  私のところへ手紙が来ていまして、「日本共産党様」、これは浪人生からの手紙なんですが、   得点調整を行えないかわりに門前払いの中止を、という話について聞いていただきたいことがあります。門前払いの中止を行ったところで各人の得点は一点たりとも動きませんから、浪人生が負った得点上のハンディキャップは全然縮まらないのです。せいぜい、本来なら門前払いを食わされたであろう人も、受験する分は受験できるよというだけの話なのです。最終合格を決定する、センター試験の得点プラス二次試験の得点の局面にも、当然、センター試験における浪人生不利の状況は持ち越されてしまいます。   したがって、この理不尽な、不公平を是正できる手段は、得点調整をおいてほかにありません。どうか移行措置ゆえの異例の措置というごとで、前述のような英断を待ち望んでやみません。 これは一つだけじゃない、もうたくさん来ておる。七万とも八万とも言われる学生ですからね。こんな不測の事態を引き起こして、簡単にあきらめろなんということは許せませんよ。生徒にとっては人生上の大問題だ。私は、これはもう本当に必死になって改善しなければならぬ問題でして、こんなことをほうって、学生が何を信頼しますか。  これは、今年から新課程に移行するために、これまでの五教科十八科目から六教科三十四科目に大幅にふえまして、昨年の試験では、旧課程最後の試験としてランクを下げても合格したいという悲壮な気持ちで受験生は臨んでいるわけです。ところが文部省は、九七年、九八年の二年間は経過措置がとられることや、新課程では各教科の教育内容が軽減されていることから、仮に失敗しても、来春浪人が不利になることはないとおっしゃっているのです。このとおりやってもらわないと困る。  ところが、浪人生不利という結果が生じてしまったわけですね。これでは経過措置意味がないのではないか。受験案内に素点の調整は行わないと書いていますが、移行期間の特例措置として素点調整をするべきである。当然です。こんなこと、ごちゃごちゃ弁解したって何にもならぬ、生徒には。これはやってください。
  207. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 旧教育課程で受けたいわゆる過年度卒業者のためにという配慮のもとで、旧数学Ⅱというのを設けた。ほかに、数学Ⅱ、それから理科の一科目、合わせて三科目につきまして、別問題を用意したわけでございます。これは基本的には、先生も御指摘のように、極力、高校において受けた教育課程、その教育課程の内容に即してということでございますので、意図といたしましては、できるだけ過年度卒業者と現役の、いわゆる今春の卒業者との間に余り不公平のないようにという意図のもとにこしらえたわけでございます。また、作題をする側におきましても、もちろん平均点のばらつきのないようにということで、そういう意図のもとに行ったことは私どもとして確信しておるところでございますけれども、しかし、結果としてそのような平均点のばらつきが出たということは残念なことでございます。  また、この得点調整云々ということにつきましては、先ほど来申し上げておりますように、技術的な困難性、それから、それをしたとした場合に新たな混乱をさらに巻き起こすということ、そういうことのためにそれはできないということを入試センターとしても改めて確認したわけでございますし、私どもといたしましても、やむを得ないことではないかというように考えておるところでございます。
  208. 山原健二郎

    ○山原委員 やむを得ないでは済まぬですよ。受験生にとってどれくらい重大な問題がおわかりでしょう。だから文部大臣も一定の見解を出されておったのですが、最後まで努力してください。受験生を守るために最後まで努力をするかどうかが今問われているのです。文部大臣の見解を伺っておきます。
  209. 小杉隆

    小杉国務大臣 平成九年度の入学試験については、あらかじめ得点調整は行わないということを受験生には周知していたところです。  しかし、結果的に二十二点もの差ができたということで、私は非常に釈然としない。いろいろと説明聞いたのですが、釈然としなかった。したがって、いろいろと今お話があったように、この調整について、技術的に非常に難しいということと、仮に、当初の方針を変更して得点調整を行った場合には、今度、得点調整を受けなかった受験生に逆のまた不公平感が生まれてくる。そして、もう既に、点数わかって、それで志望校選びを終えた生徒もいっぱいいるわけですから、そういうところで戸惑いが生じて、混乱が起こる。こういうようなことから得点調整は行わない、こういうことに決めたわけです。  しかし、私は、さらに何とか方法はないか、知恵はないかということで、じゃ、少なくとも足切りをできるだけなくすということで対応してもらいたい、そのためには、例えば会場を余計借りるとか、採点者をふやさなければいけない、そういう財政的な措置考えるからということで再度要請したわけです。そこで、前年度よりも大幅に足切りをする学校が減った、学部が減ったということは事実でございまして、今ここでまた方針を変更するということになりますと、かえって受験生に混乱を起こすということで、今回はぜひ受験生に今の状態で全力で頑張ってほしい、そういう心境でございます。
  210. 山原健二郎

    ○山原委員 やはり最後まで努力するということが大事ですね、こんな問題は。これは文部省の責任になるわけですから、受験生には責任ないのですから。何の責任もないものを責任をおっかぶされて、それで納得するはずないでしょう。いいかげんなことではだめですよ。あのときにあれだけもめたのですから。社会党、共産党、反対して審議にも加わらないでやったのを、これですよ。  今回、これだけにとどまらず、理科の物理IBと生物IBとの間でも約十九点の差が出ておりますし、また、国語の選択の間違いや問題用紙の不足などのミスが連続という事態を招いています。これらは受験科目が六教科三十四科目になることから懸念されていたことです。また、私大並みにこれらの中から三科目を受験すればいいなどと受験科目を減らし、かえって高校教育をゆがめ、受験科目以外は授業が成り立たないなどという事態が起こったわけですね。  この新テスト導入は、八八年に臨教審六法案を何が何でも押し通すということでやられたわけでして、社会党、共産党、不参加のまま強引にやられたのですね。国会でも論議が不十分なままこれを世に送り出されたものですから、それ以降、分離分割、連続方式あるいは猫の目のように変わる大学入試制度が批判を浴びてきたわけです。  そんな経過があるわけですから、この新テストについて、これまでの実施状況とその問題点について国会に報告をしていただきたい。特に、高校教育をゆがめないこと、高校生の負担を大きくしないこと、足切りなど受験の機会を奪うことをやめ受験機会を増すこと、あるいは私立大学を含めて大学全体の入試改善という立場を貫くこと、大学の自治の尊重あるいは政治介入を排するという原則を貫いてもらいたい、こういうふうに思うわけです。  もう一度聞きますが、もうこれで一切手を打ったのか、何もほかにやることはないのか、このことについて伺っておきたい。
  211. 雨宮忠

    ○雨宮政府委員 先ほど来大臣からも御答弁申し上げておりますように、現在既に受験が進行中でございまして、ここにおいて新たな何らかのアクションをとるということは、好結果を生むよりは、むしろ大きな混乱を生む可能性の方がはるかに高いというように私ども考えておるわけでございまして、少なくともこの春の入試につきましては、このまま推移を見守ってまいりたいというように考えておるわけでございます。  しかし、問題のあったことは事実でございます。また、日本史の科目のようにはっきりとしたミスがあったこともまた事実でございます。これにつきましては、大学入試センターといたしましても、当然その是正のための努力をしてもらわなければならないと思っておりますし、私どもとしてもその方向で指導してまいりたいというように考えております。
  212. 山原健二郎

    ○山原委員 大きな声を出して恐縮ですけれども、本当にこれは必死に、やるべきことはすべてやらぬといかぬですよ、こんなことは。学生には何の責任もないのですから。こんなばかなことがありますか。ふざけておる。あれだけもめてやったことが、もう次から次へ猫の目のように変わって、そして学生に迷惑をかける。反省しなければだめですよ。  私は、この際、本委員会に入試問題に関する小委員会をつくって、あらゆるものを報告してもらいたいというふうに思いますので、委員長におかれまして、この点について御検討いただきたいと思います。  そして最後に、これは問題は別ですけれども、橋本首相の直属会議である行政改革会議の検討課題が明らかになったと一部新聞が報道していますが、その中で、国立大学の私立化、民営化が検討課題となっていると言われております。  私は大臣にお伺いしたいのですが、国立大学の私立化、民営化に対して、断固として反対されるのかどうか、この点を伺っておきます。
  213. 小杉隆

    小杉国務大臣 私は、単に経済的あるいは財政的側面からだけ大学教育考えるべきではないと考えております。高度な学術研究とかすぐれた人材養成という基幹部分は国の大事な基盤でございまして、これは国の責任である。まして日本は、公教育に対する政府の投資というものは非常に少ない、公的じゃなくて、公の部門の教育に対する投資が少ない、こういうことが指摘されております。  国立大学というのは、高度の学術研究、それと将来への人材養成確保、それから地域的な偏りのない全国展開ということが必要であります。もし、これを全部民営化した場合には、大都市にばかり集まってしまうとか、あるいは特定のすぐれた人たちが特定の大学にだけ集中してしまうとか、そういうことになってしまうわけであります。  私は、現在国公私立のシェアを見ましても、例えば学生数、大学院などは、国立、公立合わせますと実に六八・二%、私立は三一%であります。それから、専門分野の状況を見ますと、医学とか理工系のそれぞれの割合は国立大学では五三%、公立大学では三一%であるのに対し、私立大学では二六%でございます。それから三大都市圏とその他とを比較してみますと、三大都市圏では私学が七六%、国立は三六%で、その他の地域、大都市以外の地域に国立が六四%。こういうことを考えますと、大学院などの高等教育における国立の役割、あるいは医学、理工系、あるいは三大都市圏以外の地域における国立大学の存在価値、こういうものは大いに評価をされるべきであって、一概にこれを財政的理由で民営化をするというのは極めて問題があろうかと私は思っております。  いずれにしても、国公私立大学がそれぞれの特性を生かして、学術研究の維持とか高等教育の充実を図っていく。もちろん、そういう中にあって、この危機的な財政状況の中で、できる限り財政的な考慮の余地は大いに考え改善をしていくべきだと私は思いますけれども、にわかに民営化という意見には、私どもは疑問を持っております。
  214. 山原健二郎

    ○山原委員 先ほどの受験生の問題は、最後まで努力してください。これは本当にお願いします。  最後に、この一月二十四日に、文楽人形製作修理選定保存技術保持者で、文楽人形の製作者であります大江巳之助さんが死去されました。私も、この方とは関係がいろいろありまして、死亡見舞いにもお伺いしたところでございますが、人間国宝にという草の根運動もありまして、各地に大江巳之助さんを国宝にしてくださいという要請が出ております。桂米朝さんも、本当にかけがえのないお人であるというふうに申しまして、この運動に賛成をしておられるのですが、しかし、謡や人形遣いの方々が人間国宝として紹介されているにもかかわりませず、頭を製作する人には人間国宝というのはないのです。その対象にさえなっていないことを大変不思議に思うわけでございますが、これは人間国宝として対象にすべきではないかという意見が文楽その他の関係者の中にあるわけでございます。  今はそうではなくて、結局人間国宝じゃなくて、ちょうど能面あるいは楽器のようなものを製作する人に与えられる称号しかないという状態ですが、これはどうなんだろうということですね。美学の問題からいたしましても、ぜひ人間国宝にすべきではないかという声がございますが、この点についてどういうお考えを持っていますか。
  215. 小野元之

    ○小野(元)政府委員 お答えを申し上げます。  大江巳之助さんは、戦後、さきの大戦でなくなりました文楽人形の復元や製作に大変大きな役割を果たしてこられた方でございます。文化庁といたしましては、昭和五十一年にそういった文化財の保存に欠かせない技術として、文楽人形の頭の製作修理ということで選定保存技術に選定いたしました。その保持者として認定をしたところでございます。先生指摘のように、奈良県のある団体等が、大江巳之助さんをいわゆる人間国宝にしようということで署名を集められたということもお聞きをしております。  その頭自体は非常に価値の高いものだと私どもも思っておるわけでございますけれども、この大江巳之助さんがなぜ従来の基準で人間国宝にならなかったかという点でございます。  実は、この人間国宝は、芸能の分野あるいは工芸技術の分野でまさに大変すぐれた方が選ばれるということになっておるわけでございますけれども、この頭というのは文楽人形の一部分でございまして、まず工芸技術というふうに見た場合、工芸作品としてその頭だけが一般に定着しているとは必ずしも言えないという点が一点あるのでございます。  それから、もう一点の芸能という観点からどうかという点もあるのでございますけれども、芸能という観点から見ました場合でも、直接人形を操りまして演ずるとか、あるいは演奏するということには当たりませんので、そういった観点から、重要無形文化財、いわゆる人間国宝ということには指定されなかったというふうに私ども考えておるところでございます。
  216. 山原健二郎

    ○山原委員 最後ですが、これは規定といいますか基準といいますか、そういうものがあるから、それに基づけばそういうふうにはならないということだろうと思いますけれども、この基準は変えればいいわけですね。もちろん簡単に変えることはできないと思いますけれども、これは一定の美学的な要素その他があれば、何も法律でもありませんし、これは変えることはできるわけです。  そういう点から考えまして、ぜひこういう問題は、巳之助さんは亡くなっていますから今さら差し上げるといってもそういうことにはなりませんけれども、一応この基準について御検討いただきたいと思いますが、この点はどうでしょうか。
  217. 小杉隆

    小杉国務大臣 大江巳之助さんが大変貢献されたことは私たちも理解をしております。今次長から答弁の理由によって人間国宝にはなり得なかったわけですが、私どもは、重要無形文化財については、対象範囲の拡大のための関連予算の拡充を図り、毎年その保持者の増加に努めているところでありますが、残念ながら、御指摘の大江さんの場合に関する指定とか認定基準について、現時点で直ちに見直すことはできないということを申し上げておきたいと思います。
  218. 山原健二郎

    ○山原委員 なお検討をお願いしまして、質問を終わります。
  219. 二田孝治

    二田委員長 粟屋敏信君。
  220. 栗原裕康

    ○栗原理事 長時間お疲れさまでございます。  橋本内閣総理大臣は、行政改革、経済構造改革、財政構造改革社会保障構造改革、それに金融システム改革、それから教育改革をつけ加えられまして、六つの改革を火の玉となって実行しようとされておるところであります。  私も、戦後五十年を経て、日本は成長、発展を続けてまいりましたけれども、最近の状況を見てまいりますと、そのシステムそのものが将来の日本にとって大きな足かせとなるおそれがある、今のままの状態では日本の将来は非常に危惧される、そういう思いを持っておるところでございまして、橋本内閣の諸改革推進をされることについては同感でありますし、協力を申し上げたいと思っておるわけでございます。  ただ、問題は、教育改革を除く五つの改革教育改革との関連、これがやや不明瞭ではないか、こう思うわけでございます。  五つの改革は、要約して言いますと、国、地方を通ずる政治、行政の改革であろうと思います。これは、地方分権もありましょうし、あるいは規制緩和、また国の事務の整理縮小という問題もあると思います。もう一つは、やはり経済構造の改革。経済社会改革にもつながると思いますが、その二つに私は要約されるんではないかと思うわけであります。  その際に、国の行政の仕組み、政治の仕組みが変わる、経済構造が変わる、経済社会の構造も変わってくる、そういう変化を遂げなければならないわけでございますが、教育改革というのは、そういう変化を踏まえたこととどういう関係にあるのか。  私は、教育改革というのは、やはり、この改革を進めるに当たってふさわしい教育をつくっていくということと、また、改革をされた後の国家社会にとってふさわしい人材養成というものを目指すべきであると思いますけれども、いかがなものでございましょうか。  確かに、文部省教育改革プログラム、これを拝見をしますと、「五つの改革と一体となって、」こうおっしゃっているわけですが、どうも内容を拝見をしてみると、従来から中教審その他で問題となった事項が列挙されている、新しい教育の姿というものが見えてこないという感じがいたしますが、その点、文部大臣のお考えをお聞かせいただきたい。
  221. 小杉隆

    小杉国務大臣 先ほどから申し上げているように、すべての社会システムの基盤が教育である、したがって、今言われた五つの改革を進めていく場合にも、この教育改革というのは一体となってやっていくべきだ。  端的に申しますと、例えば、まあ今、行革という面から見ますと、中卒認定試験の受験資格の弾力化とか通学区域の弾力化というのは、行政改革委員会でも指摘をされておりますから、こういう改革は直接行革と結びついている。それから、地方教育行政システムの改善とか幼児教育改善などについては、地方分権委員会から勧告が出されておりまして、これはやはり行政改革と連なるものである。それからもう一つ社会の要請にこたえる学術研究の振興、これは経済構造改革プログラム等でも掲げていることでありまして、これは非常に密接につながっているわけでございます。  今先生が言われたように、今度の改革一つは、時代の変化に対応した人材ということで、例えば環境教育、これは新しい一つの柱として立てましたし、それから情報化、こういうことに関連して情報教育の徹底というようなことも加味しておりまして、この五つの改革教育改革との関連性というのはかなり密接にあるというふうに考えております。
  222. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 縦横につながっているというお話でありますけれども、国家、社会の大きな変革でございまして、私は、今までの考え方では通用しない、そういう国になり社会になる、こう思っておるわけでございますが、それにふさわしい人材の育成ということがやはり基本的には必要であるというふうに考えるわけであります。  そうして、この新しい教育改革によって形成をされる、また、国家、社会の変革によって期待をされる、そういう人間像というものは、文部大臣、どういうお考えをお持ちでございますか。
  223. 小杉隆

    小杉国務大臣 教育改革プログラム文部省が将来の国家像とか人間像を、こうあるべきだということを示すというのは、ちょっと文部省としては限界があるわけでして、これはこれからの国民全体の議論にまつわけです。  今までいろいろな提言で言われておりますのは、一人一人が将来に対する夢や目標を持って、そして創造性やチャレンジ精神が発揮できる社会、そして私は、さらに加えて、もう少し、国際化の中で、国際的な視野で、人口問題、環境問題あるいはエネルギーの問題、そういうことも考えるような、そういう地球市民としての人材ということも必要だと思いますし、それから、従来の知育偏重ではなくて、本当に一人一人の人間性、豊かな人間をつくる、こういうことが大事だ、そういう視点からこの教育プログラムを掲げたわけでありまして、これはあくまでも出発点であって、これから、できるだけ幅広く皆様の意見を聞き、そして、できるだけタイムスケジュールを時限を区切ってやっていく、そして、百の議論よりも一つ実行、そして、教育界だけでなくて、できるだけ幅広くオープンに、いろいろな門戸を開いて連携をしてやっていく、こういう手法で進めていきたいと思っております。お答えになったかどうかわかりませんが。
  224. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 大臣所信表明にも、それから総理の施政方針演説にも述べられておりますけれども国民一人一人が将来に夢や目標を抱き、創造性とチャレンジ精神を存分に発揮できる社会をつくりたい、また、同時にこれは、一人一人の個人が、こういう資質を持つ、また夢を持つ、そういうこともお述べになっているのだろうと思います。  それと同時に、やはり私は、戦後五十年、日本の経済社会というのは、規制はあるけれどもある意味では保護される、要するに、護送船団方式という言葉が適切かどうか知りませんが、そういうような経済社会だったと思いますし、そのうちに個人個人も、次第にそれになれてきて、それに染まってきたというような感じもいたすわけであります。  やはり、これからは自己責任、これを持つことが必要だと思うわけでございます、自分のことだけ考えて、他人に思いやりをしない、そういうものもある意味ではそういうところから出てきたのかなという感じもいたすわけでございまして、やはり自由なる精神と自己責任の原則を持った、そういう人の育成ということがこれから求められていくのではないかと思います。  同時に、やはり、先ほど河村委員吉田松陰先生松下村塾のお話をされました。また、下村委員が徳育の問題についてもお話になったと思いますが、私は、今回の改革、ある意味では明治維新、それから終戦時、それに続く第三の開国、建国に匹敵するのではないかと思うわけでございますので、そういう意味におきましては、こういう重大な、ある意味では危機の時代、そういうものを乗り切るだけの気迫を持った人間養成も必要であろうと思いますし、同時に、我が国古来の伝統と精神文化に裏づけられた隣人愛といいますか、そういう精神養成もまた必要ではないかというふうに考えておるところでございます。  そういうことで私の意見ばかり申し上げて恐縮でございますが、同時に、小杉文部大臣は、地球環境問題についてつとに先見の明を持ってこれに当たっておられます。アメリカの副大統領アル・ゴアの本も翻訳をされて、拝見もいたしましたけれども。この所信表明環境教育ということを述べられております。  私は、地球環境の問題というのは、これから人類共通の最大の課題だと思っています。先般、予算委員会の愛知和男さんの質問を聞いておりますと、これからの国家目標は、地球環境大国にならなければならない、こうおっしゃったようでありますけれども、私は、やはりこの地球環境問題に我々国民一人一人が深刻な思いを抱くことが、人類愛につながりますし、平和な世界の創造にも役立つ、こう思っておるわけでありますけれども環境教育の内容等について、お考えを承りたいと思います。
  225. 小杉隆

    小杉国務大臣 これからの人口の増加あるいは資源エネルギーの制約ということを考えますと、結局私たちは、今までの無尽蔵に物を使い大量生産し大量消費して大量廃棄するという生活パターン、あるいは企業パターンというものは変えないと我々自身が将来存続できなくなる。つまり、我々は同じ地球の中の一つの生物にすぎないという共生の考え方でいかないと、私は、人間は生きられない、そういうふうに思います。  そこで、環境教育ということは、特に子供さんの時代にそういう発想を持つということが大事だと思いまして、私も、文部大臣になりましたから、環境教育については一層力を入れたい。  いろいろありますけれども、例えば、一つは、教材の中に、理科とか社会とかそういう中に環境教育のいろいろな項目をふやすということとか、それから、指導員、指導者ですね、学校先生が必ずしも環境問題すべて詳しいわけではありませんので、教員養成段階あるいは研修の段階で、できるだけ環境問題について教員人たちの指導を徹底するということ。それから、文部省として、エコスクールという構想を持っておりまして、例えば学校の屋根にソーラーシステムをつけるとか、あるいは水の循環利用を図るとかそういうふうな、施設設備の中に地球に優しいというか環境に優しい施設をつけて、目に見て体験できる、生きた環境教育ができるとか、そのほかモデル市町村だとか環境教育フェアだとかいろいろなことがありますけれども、主としてそんなことで具体的に環境教育を進めていきたい。  そして、今度の教育改革プログラムでも、一項目起こしまして、環境教育ということを特に強調した次第でございます。
  226. 粟屋敏信

    ○粟屋委員 時間もございませんのでこれで終わりにさせていただきますけれども、いずれにいたしましても、非常な転換期に来ておるわけでございまして、人間が変わらなければこの転換もできない、私はこう思っておるわけでございまして、教育はまさに重大な責任をお持ちであると思うわけでございます。文部大臣のせっかくの御健闘をお祈りをいたしまして、質問を終わります。
  227. 二田孝治

    二田委員長 以上をもちまして、大臣所信に対する質疑は終了いたしました。      ――――◇―――――
  228. 二田孝治

    二田委員長 次に、内閣提出国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  趣旨の説明を聴取いたします。小杉文部大臣。     ―――――――――――――  国立学校設置法の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     ―――――――――――――
  229. 小杉隆

    小杉国務大臣 国立学校設置法の一部を改正する法律案につきまして、提案理由の説明を行います。  この法律案は、政策研究大学大学の新設、短期大学部の廃止及び国立大学の学部の名称を政令で定めることとすることなどについて規定するものであります。  まず第一は、政策研究大学大学の新設についてであります。  これは、各分野の政策課題を対象に学際的な教育研究を行う中核的機関として大学院のみを置く大学を設置するものであります。政策研究大学大学は本年十月一日に設置し、平成十二年度から学生を受け入れることとしております。  第二は、短期大学部の廃止についてであります。  これは、看護等医療技術教育の充実を図るため、名古屋大学及び三重大学に併設されている医療技術短期大学部を廃止してそれぞれの大学の医学部に統合するとともに、昼夜開議制による教育体制の充実のため、長崎大学に併設される夜間三年制の短期大学部を廃止して同大学の経済学部に統合しようとするものであります。  なお、それぞれの短期大学部は平成十年度から学生募集を停止し、三重大学及び長崎大学に併設される短期大学部は平成十一年度限りで、名古屋大学に併設される短期大学部は平成十二年度限りで廃止することを予定しております。  第三は、国立大学の学部の名称等を政令で定めることとすることであります。  これは、従来法律で規定されてきた国立大学の学部等について、これまでの国会における御審議等を踏まえ、今後政令で定めるよう改めるものであります。  このほか、昭和四十八年度以後に設置された国立医科大学等に係る平成九年度の職員の定員を定めることといたしております。  以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。  何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願いいたします。
  230. 二田孝治

    二田委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時七分散会      ――――◇―――――