○米津
委員 まず私は、具体的な
法案の中身についてお伺いする前に、
臓器移植に関する基本的な
考え方を、人の死をどうとらえるかという観点から
質問させていただきたいと思います。
私たち人類は、長い歴史の中で、より豊かになる、あるいはより幸福になることを求めて、たゆまぬ
努力を積み重ねてまいりました。その結果、人類は現在のような大文明を築き、いまだ多くの問題を抱えているとはいえ、多くの人はこの世に生をうけたことを感謝できる恵まれた世の中ができ上がったものだと言えます。
このような文明の発達を支えたのは、言うまでもなく、自然科学の発達、科学
技術の発達は私たちの
生活を物質的に豊かにし、それらとともに医学・
医療の進歩をもたらし、平均寿命の伸長及び人々の健康増進に貢献してきたところであると言えます。最近までの医学・
医療の進歩は人類に多くの利益をもたらしましたが、生や死あるいは生命倫理などの既存の価値観や
基準を超えるところまでは達しておらず、その点では多くの人々が違和感を感じることなく
医療技術の進歩を率直に受け入れてきたと言えます。
しかしながら、今日における科学
技術の飛躍的な進歩は従来の価値観や常識を超えるところまで発達し、多くの人々が戸惑いを感じているのが率直なところではないかと思います。まさに、この
臓器移植の問題につきましても、従来より腎臓や角膜の
移植は行われてきたところでありますが、
心臓あるいは
肝臓など、どこまで進んでしまうのだろうかという不安や危惧を持ち始めているのが率直なところではないかと思います。昔であれば、自分の
臓器の
機能が停止したところで死を迎えていた、そしてこれが寿命としてあきらめられてきたものが、その限界が崩れてくるにつれ、
人間みずからが生の限界を定めなくてはならなくなってしまったところに今回の根本的な問題があるものと
考えます。
このような問題は遺伝子工学の分野でも生じており、遺伝子
治療、最近話題になりましたクローンの羊など、科学
技術が自然界にあった一線を超えられるようになったために、
人間みずからが科学
技術の応用について線引きしなければならないという
状況が生じてきています。
そしてまた、今具体的に問題になっているのは、
人間の死の問題だと思います。
脳死の
状態は
人間の死なのか。昔であれば厳密な線引きをしなくてもとりたてて問題にならなかったのですが、医学が進歩し、
臓器移植が可能になったことにより脚光を浴びるようなことになったと思います。すなわち、
臓器移植のための新鮮な
臓器を確保する必要性から死とは何かが
議論されたところに、この問題が複雑になっていると言えます。
柳田邦男さんが、かつて参考人意見陳述におきまして、人の死には時間的なプロセスがあって、それが重要であるというふうなことを当
委員会でも述べておられました。私もこのプロセスという概念が非常に多くの人の合意を得ていく上で貴重なものだと思います。現在の案では、死の時点を
脳死の時点に強引に線引きしたというふうな批判がありますけれども、私はここの問題について今から御
質問をしたいと思います。
死というのは社会の中でさまざまな
法律関係の中で規定されておりますが、死の時点というものは社会のあらゆる場面において一律なものでなければならないのか、一律でなければどういう問題が生じるのか、お
考えをお聞かせいただきたいと思います。