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1996-04-25 第136回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年四月二十五日(木曜日)    午後一時開会     ―――――――――――――    委員異動  四月二十四日     辞任        補欠選任      木暮 山人君     戸田 邦司君      聴濤  弘君     山下 芳生君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     会 長         鶴岡  洋君     理 事                 太田 豊秋君                 清水嘉与子君                 牛嶋  正君                 片上 公人君                 上山 和人君     委 員                 大島 慶久君                 金田 勝年君                 中島 眞人君                 橋本 聖子君                 平田 耕一君                 三浦 一水君                 魚住裕一郎君                 小林  元君                 戸田 邦司君                 林 久美子君                 千葉 景子君                 三重野栄子君                 山下 芳生君                 笹野 貞子君                 水野 誠一君    事務局側        第二特別調査室        長        林 五津夫君    参考人        学習院大学経済        学部教授     南部 鶴彦君        日本経済新聞社        論説主幹    三橋 規宏君        名古屋大学経済        学部教授     奥野 信宏君        東京大学工学部        都市工学科教授  大西  隆君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○国民生活経済に関する調査  (二十一世紀経済社会に対応するための経済  運営在り方に関する件のうち産業政策及び技  術開発課題基本的方向について)  (二十一世紀経済社会に対応するための経済  運営在り方に関する件のうち社会資本整備の  課題基本的方向について)     ―――――――――――――
  2. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) ただいまから国民生活経済に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、聴濤弘君及び木暮山人君が委員を辞任され、その補欠として山下芳生君及び戸田邦司君がそれぞれ選任されました。     ―――――――――――――
  3. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) 国民生活経済に関する調査を議題とし、二十一世紀経済社会に対応するための経済運営在り方に関する件のうち、産業政策及び技術開発課題基本的方向及び社会資本整備課題基本的方向について参考人から意見を聴取いたします。  まず初めに、産業政策及び技術開発課題基本的方向について、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、学習院大学経済学部教授南部鶴彦君及び日本経済新聞社論説主幹三橋規宏君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることといたします。  この際、南部参考人及び三橋参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております二十一世紀経済社会に対応するための経済運営在り方に関する件のうち、産業政策及び技術開発課題基本的方向について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず両参考人からお一人三十分程度ずつ順次御意見をお述べいただきました後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  それでは、最初南部参考人からお願いいたします。
  4. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 南部でございます。御紹介ありがとうございます。  それでは、お配りいたしましたレジュメに従いまして私の考え方を述べさせていただきたいと思います。  きょうお話し申し上げますのは、六点ほどに主要な論点をまとめてございまして、全体として産業政策及び技術開発のあり方についての私の考え方を申し上げるというスタイルにしたいと思っております。  まず、一般論としての産業政策あるいは技術開発の問題といいますよりも、現在、日本経済あるいは日本産業が置かれております位置という観点から、最も大きな問題は何かという視点に立ちましてお話し申し上げるというふうにさせていただきます。  現在、日本経済あるいは日本型産業、あるいは日本型経営の根本的問題というのは、オープンネス欠如というところにあるのではないかと私は思います。  実は、日本市場が閉鎖的であるということは絶えずアメリカから批判を受けてきたわけでございますけれども、この問題が、アメリカから言われるまでもなくといいますか、実はアメリカが親切にむしろ日本にアドバイスしてくれたという結果にもなりかねないほど、やはり日本市場の、閉鎖性と言うと語弊がございますけれども、オープンネスが欠けているという問題が明らかになってまいりました。日本型経営あるいは日本型組織のよさというのが、いわばアメリカとの競争における日本強みだと言われていたのがつい十年ぐらい前のことでございますけれども、今やそうした日本強みと言われたものがすべて逆目に出ているというのが日本経済現状だというふうに思います。それを六点ほどにまとめてみました。  まず第一点でございますが、これは、企業間あるいは企業グループ間のインターフェースというのがなかなかとれないというところに一つ大きな問題があるように思います。  日本企業発展してまいりました一つの形態は、確かに系列とかグループというのをつくりまして、そして、系列グループ相互に激しい競争をやってきたというところにあるわけでございます。アメリカが、いわゆる系列存在によって財閥が復活するとか、あるいは系列があるから日本市場競争が欠けているとか、こういうふうな言い方をしてまいりましたけれども、私はそれは正当だと思っておりません。むしろ、日本系列なりグループ化というのは、ある時期まではまさに競争の原動力であったと考えておりますが、実は、そのような組織を形成したことが、結果といたしましてはみずから首を絞める結果になる、今は首を絞めているというのが現状だと思うわけでございます。  一番わかりやすい例をそこに挙げましたのは、伝票というものでございます。  実は、先月ですが、通産省の中でコンピューター連携指針というのを五年ごとにつくっておりますけれども、その中で報告書を出しました。そこで一つ取り上げられましたのは、日本型経営あるいはグループ化の根幹にある、グループ内で通用するあるいはグループ内のみで有用な処理システムというのが、実はグループグループの間のインターフェースをとることを妨げている、これがアメリカと比べた場合に最も大きな欠陥であるという指摘がなされました。それを象徴しておりますのがこの伝票でございます。  つまり、会社内の伝票あるいはグループ内で通用する伝票というのがございますけれども、これは、実は他の企業あるいは他の系列なりグループに行ってしまいますと全く使えない、つまり、伝票をすっかり書きかえないと相互にコミュニケートすることができないという状態になっているわけでございます。  一般的には、ぺーパーベースというのとそれからエレクトロニクスベースというのがはっきり分かれるようになってきております。アメリカの過去十年間の大きな発展というのは、ぺ一パ一ベースを離れましてエレクトロニクスベースのいわば相互コミュニケーションというのを図ってきたところにあるわけでございます。コンピューター通信発展によりまして、いわばぺ一パ一というふうなものが必ずしも存在しなくても十分に相互の信認がとれるという現段階に入ってきているわけです。ところが、日本の場合にはこの伝票システムが依然として存在しておりまして、伝票、つまりペーパーを媒介にしなければ取引ができない、そのために極めて大きな時間の差というんでしょうか、意思決定の差が出てきているという認識が共通にございます。  通産省審議会でも、私が驚きましたのは、常務さんクラスから上の方が、二十社ほど企業が参加されておりましたけれども、二十社の全員がそれは大きな問題であるという形で全く異論がございませんでした。五年前ないし十年前であれば、こういった問題については、いや、それは日本のよさでもあるという形で、つまり、日本の特質なり日本の伝統なりを強調される方が、二十社あれば恐らく数社は最低でもあったと思われるわけですが、今回は一社もない、すべて共通の問題という形で認識されておったわけでございます。最もラジカルな意見としては、日本語の中から伝票という言葉を消してしまおうという提案さえ出てまいりまして、通産省が慌ててそこまではちょっと無理だというふうに申したんですが、ともかくそこの辺ぐらいまで、相互コミュニケーションということをいかに柔軟に行うか、迅速に行うかということが求められているわけであります。  その辺のところで日本は、かつての非常に強力な武器でありました系列化というふうなものがネガティブな効果を持ってきている、これが一つオープンネス欠如ということで最初に申し上げたいことでございます。  それから第二番目は、資本市場あるいは株式市場の問題でございますけれども、欧米の企業は、しばしばいわゆるMアンドA企業のマージャーとかアクイジションを通じまして劣悪な経営者企業から追い出されるという、こういうことが行われております。これは、いわゆる乗っ取り屋というのを生み出しまして、本当はいい経営をするためではなくて株価をつり上げて大金をもうけるという、そういうサメとかなんとかと英語でも評価されるわけでございますが、そういう悪質な投機家を生み出す可能性もございます。しかし、アメリカMアンドA大半は実はそのようなものではなくて、いわば経営の質を株式市場を通じて問うということでございます。例えば、アメリカで行われておりますMアンドAの八十数%は、いわゆる新聞に載るような大企業MアンドAではございませんで、中小企業のいわば企業の売り買いでございます。  ところが、日本の場合には、ごく例外はあるにいたしましても、このMアンドAというものに対しては完全な忌避現象がございます。御記憶かと思いますが、一時ブーン・ピケンズというアメリカの乗っ取り屋が日本に上陸しようとしたときに、日本じゅうこぞってピケンズを排除してしまったということがございます。私は、MアンドAというのにつきましてはネガティブな面が存在することは否定いたしませんが、余りにも日本資本市場閉鎖性というものが、実は企業経営の健全さを維持するのに非常にマイナーな役目しか果たしていないのではないかということを懸念いたしております。  実は、アメリカは一九八〇年代にMアンドAが非常に盛んに行われた時期がございます。そのときに、通産省から私委託を受けましてMアンドA調査をやりました。そのときにやはり大きな論点になったのは、MアンドAは、総じてトータルに見ればプラスかマイナスか、こういう議論をいたしたわけでございますけれども、私は非常にポジティブに評価したかったわけですが、ついにその報告書ではそういうポジティブな評価というのは、残りの方が全員反対されたものですから、書かずじまいになってしまいました。  そのときの議論、ではなぜMアンドAがなくても日本は大丈夫かという議論の急先鋒をとった人の意見は、日本には内部革新があるという議論でございました。つまり、日本では次から次へと優秀な経営者を生み出していく仕組みがあって、優秀でない経営者は排除されるし、次の世代から必ず優秀な人が選ばれる、こういういわば内部革新の芽があるから、外部からチェックをする、外から外様大名が入ってくるような形でのチェックは必要ないという議論でございました。  しかし、過去十年間の日本のこの惨たんたる状況をごらんになればわかりますように、必ず次の時代経営者というのは、必ずといいますか大半経営者は旧世代経営者よりも劣っているということが明らかになってくるわけでございまして、いわゆる内部革新によって真にいい経営者が生み出されるという仕組みが働いているのは極めて例外的でしかないわけでございます。  そのような点で言いますと、オープンネス欠如の第二点というのは、やはり資本市場ないしは株式市場がオープンでないという、日本独特の枠組みの中でやっているということに大きな問題があるのではないかと私は思います。  これのつながりで申し上げますと、やはり日本ベンチャーキャピタルが育たないということがよく言われますし、いわば国がベンチャーキャピタルを育成するということを盛んにやっていらっしゃるわけであります。しかし、これは本当のことを言うと本末転倒でございます。ベンチャーキャピタルというのは、本来人の世話などにならないでリスクマネーをいわば自分リスクで運用する人たちがやることでありまして、政府だとかあるいは銀行だとかがバックアップするんじゃなくて、そんなものとはお構いなしに自分で資金を投下するというのが本来のベンチャーでございます。  御存じのように、アメリカではそのようなベンチャーの芽が非常にうまく作用いたしまして、典型的には、アメリカ西海岸産業発展というのはこういったベンチャーキャピタルのおかげで可能になりました。  それから、昨今新聞でよく出ておりますが、アメリカ一流大学の最も優秀な学生は決して大企業に行かないと言われておりますけれども、それはベンチャーキャピタルに勤めた方がはるかに将来性がある、またおもしろいということがあり生じて、ベンチャーというのは何も危険で危ないものではないわけでございます。正確に申しますと、危険で危ないわけですけれども、リターンは極めて高いという、そういう元気な人はそれを撰ぶという形のものが、アングロサクソン的といえばアングロサクソン的でございますけれども、キャピタル市場のダイナミクスをつくっていると思います。  以上が、一と二は個別企業の問題と申しますかプライベートセクターの問題の閉鎖性ということで申し上げました。  三番目は、行政介入仕切りという形で、公的セクターあるいは規制の問題を取り上げたいと思います。  日本産業は、みずから意識していない企業もたくさんございますけれども、必ずどこかの官庁管轄下に置かれているわけでございます。設置法というのがございますから、通産省管轄下なのか郵政省管轄下か大蔵省の管轄下、それはそれぞれ、ある意味では企業意識なしに事前に決まっているものでございます。このような官庁仕切りというのがあることによりまして、当然のこととして規制官庁はその産業企業規制する権利があるという意識を持っていわば介入をずっとやってまいったわけでございます。  その過程で起こった一番大きな問題というのは何かというと、実は技術進歩技術革新によりましていわゆる産業の間の仕切りなどというものは全く意味がなくなったにもかかわらず、あくまで仕切りをもともと持っている官庁自分の土俵の中に企業を引きずり込もうとするということでございます。これの最もいい例は、コンピューター通信の融合した世界、それから最近は放送まで入れてよろしいかと思いますけれども、いわゆる情報通信世界でございます。  この情報通信世界では、コンピューターとそれから通信テレコミュニケーションというのをもう分けること自体が全く無意味になっておりまして、この二つはいわばどちらが欠けても成り立たないという状態に入ってきているわけでございます。しかし、あくまで我が国では、コンピューター通産省通信郵政省という形の仕切りが残存しておりまして、それがいわば統合した形で全体的政策を見るということができない、一番大きなネックになっております。  さらにつけ加えれば、文部省の問題もございます。文部省あるいは科学技術庁はそれぞれ自分仕切りの中で情報通信の問題を考えておりますから、こういった官庁が実は合同して一定の政策を立てればはるかに能率がよくむだのない行政ができるはずですけれども、それができない状況になるわけであります。  残念ながら、この点についてもアメリカ参考になるわけでございまして、アメリカのいわゆる情報ハイウエー構想ゴア大統領上院議員であったとき提唱したわけであります。この情報ハイウエー構想の一番学ぶべきところは何かというと、いわゆる縦割り行政ではなくて、さまざまな官庁が横並びに必要とあらば縦横に自由に結びつくという形で技術政策をとったということでございますし、そのような縦割り主義を排除したのはゴア大統領の手腕でもあったわけであります。  いずれにいたしましても、我が国ではこの官僚による行政介入仕切りというのがあくまでもいわばトータル発展阻害要因になってきているわけでございまして、ここはまた別の意味でのオープンネス欠如というふうに私は考えております。  御参考までに一つ論文をお送りいたしましたけれども、これは情報通信産業において政府規制というのがどのような効果を持っているかというのを実はアメリカ及びイギリスについて書いたものでございます。アメリカはいわゆる競争主義の国というふうに認識されておりますが、他方では極めて規制色の強い国でございまして、情報通信、特に放送につきましてはアメリカ日本と同じように極めて強い規制をやってまいりました。ところが、八〇年代以降のいわゆる規制撤廃、ディレギュレーションの時代に入りますと、まず最初ケーブルテレビに関する規制が撤廃されまして、ケーブルテレビ放送公共性というふうな束縛からかなりの程度自由になったわけでございます。  またイギリスでは、アメリカにおくれましたですけれども、一九九一年からケーブルテレビは、これはもう全く明確にいわゆる公共的なサービスではないということが規定されました。つまり、ケーブルテレビというのはもはや単なる娯楽であっていいし、スポーツであってもいい。何ら放送公共性の制約がないということがもう法文に明記されているわけでございます。  このようなことが起こった後何が発生したかといいますと、御存じのように、ケーブルテレビ産業が極めて速いスピードで成長したわけでございます。例えば、アメリカでは一九八四年にこのケーブルテレビに関する規制緩和が行われました。その後、わずか六年の間にケーブルテレビ産業というのはアメリカのメジャーな産業一つになり、TCIなどは売り上げが一兆円というところまで来ているわけでございます。この変化はわずか数年と言ってもよろしいわけでございますし、イギリスの場合も同じでありまして、九一年にケーブルテレビがいわば純粋の民営、民間サービスに切りかわり、かつ電話もやってよろしいという許可が出た後、ケーブルテレビ電話を同時に供給する企業が続々と出てまいりまして、今やBTという日本のNTTに当たります企業を脅かしているというところまで成長しているわけです。  つまり、技術革新がございまして、そのいろんな技術が融合していく過程においては、この行政仕切りという閉鎖性が結局は発展の一番大きなおもしになっている、このようなおもしを取ってみればあっという間に産業が発達するということが明らかでございます。  もう一つ事例を挙げますと、スウェーデンをお考えいただければいいんですが、実は日本ワイヤレス電話携帯電話がこれほど伸びるとはだれも思わなかったというふうに新聞などで書かれておりますが、これは全くの噴飯物でございまして、スウェーデンを見ている人はこうなることは初めからわかっておりました。  というのは、スウェーデンは一九八〇年からワイヤレス電話が普及し始めまして、現在、大体十人のうち七人は携帯電話を持っているというふうに言われております。そして、携帯電話発展してきたスピードというのは実はスウェーデンで肝に実証済みでございまして、日本で今起こっているような携帯電話の猛烈な成長というのは、これは予測可能なことであったわけです。しかし、我が国では携帯電話に関するかなり厳しい規制が数年前まで行われておりまして、特に料金面での韻制がございましたから、これが伸びませんでした。ところが、郵政省政策の転換で自由に価格をつけられるという裁量の余地が生まれた結果としまして現在のようなことが起こっているわけです。  スウェーデンでなぜワイヤレス電話発展しかかといいますと、スウェーデンという国には規制が全くないということでございまして、一九八〇年当時から一切政府規制はなくて自由にワイヤレス電話が供給できるということがございましたので、極めて早い時期から自然発生的に世界で最も速いスピードで普及が行われたわけでございます。  枚挙にいとまはございませんけれども、いわゆる技術革新型産業において政府存在というのは、恐らく何かしらの意味プラスの面もあるかもしれませんが、トータルで見ると必ず発展を阻害するというふうに考えるべきだと私は思っております。  それから、四番目に挙げておりますのは、研究開発の仕方の閉鎖性ということでございます。  日本企業は、ほとんどの企業例外なく研究開発インハウスでしようというふうに努力してまいりました。そういう形で非常に優秀な人材企業内に蓄えてきて成功してきた事例もたくさんございます。  しかし、最近の技術開発方向というのは、実はそういったインハウス自分会社の中の規格に当てはめたいわば優秀な人材ができるものと、それではできないものの二つに分かれてきていろわけであります。  一番大きなのは発想の自由性ということでございまして、通信コンピューターでいえばおよそこの二つの間には何の境もありませんから、コンピューター出身の人がコンピューター会社でもっていつまでたってもコンピューターのことをやっているのではだめなわけですし、通信の人があくまで通信の枠内でやっていてもだめなわけです。例えば、技術開発の一番強い大事なところは、むしろファミコンのような娯楽産業から出てくるかもしれない。つまり、RアンドDヒューマンリソースを開発しようとしたら、企業の中で人材を育成するという閉鎖的な仕方はもはや通用しないということが明らかだと私は思います。  例えば、数年前からよく言われている言葉リサーチブティックというのがございます。リサーチブティックというのはどういうことかといいますと、ブティックという言葉を利用しているわけでございますけれども、極めて優秀な人たちが数人でもっていわゆる小さなお店をやっている感覚で研究開発を請け負う。四、五人ぐらいの規模ですと本当に優秀な人だけ集まりますので、もちろんリスクも非常に大きいわけですが、一たん成功するとみんな大金持ちになれるという仕組みでございまして、リサーチブティックというのは実は大はやりなわけです。企業からすると、せっかくいい人を採ったのにということも多いわけですけれども、優秀な人ほど次々と飛び出していってしまって、そこの中で成功しているという例がございます。  最近、企業かなり考え方を変えてまいりました。例えば、ビューレット・パッカードという大変有名な西海岸会社がありますけれども、ビューレット・パッカードは従来型の企業考え方を変えまして、一たんスピンアウトして会社に背を向けた人間を再雇用することにやぶさかでないという方針転換をしているわけです。つまり、リサーチブティックをつくってしまって、一たん会社と縁を切っても、また再びその人たちが入りたいと言って、かつ会社にとってそれが有用であれば再雇用するのを全くためらわない、こういう形でビューレット・パッカードは大発展を続けております。  つまり、研究開発につきましても、何か会社がみずから仕切りをつくって、入ったからには一生そこにいろとか、出たらもう絶対に戻さないなどという、そういういわば日本型の慣行というのは、研究開発の流れの中ではちょうど官庁仕切りと同じような意味でネガティブな要因になるのではないかと思うわけでございます。  それから第五番目に、ネットワーキングのおくれというのを挙げました。  これは先ほど述べました一の問題と関連しているわけでございますが、アメリカ経済が一九八〇年代後半から九〇年代にかけまして非常に大きく発展いたしましたのは、やはり情報関連投資が日本に比べると非常に速いスピードで伸びたことだというふうに考えられます。  これは、日本開発銀行の調査部からつい最近大変いい報告書が出まして、ごらんいただければわかりますが、日本経済の成長率が鈍化しているのとアメリカ経済の成長率が極めて高いということと、ちょうど情報化投資が日本では実は停滞し、アメリカではこの数年間物すごい勢いで伸びたということと強い相関があるわけであります。  そして、情報化投資というのは、単に物をつくるという形で、例えば光ファイバーを敷くとかコンピューターをたくさん入れるとかということでは必ずしもなくて、一番典型的にはパソコンネットワークでございますけれども、各社が手元にコンピューター通信を融合するような装置を持つことによってお互いにつながる。競争しながらでも同時にインターフェースを大きくとっていくという、そういうことからこういったダイナミクスが出てきているわけであります。  そういう点でもう一つ、私は日米の間で大きな差が出てきてしまったと思いますのは、それはボランタリーな発展形態ということでございます。  インターネットの発展をごらんになればわかりますように、インターネットが発展いたしましたのは、これは実はインターネットをつくりました最初のコアピープルというのは皆さんボランティアであります。自分コンピューターが好きで通信するのが好きだから、いわば損得なしで人のために一生懸命自分のアイデアを出し合って、その出し合ったアイデアを相互に共有しながら発展してきたのがインターネットであります。つまり、人のものをとるばかりで自分は提供しないではなくて、むしろ自分は得るものがないにしましても人に提供しようという、そういうボランティア精神というのが実はインターネットの根幹になっております。  裏返してみますと、日本人が今インターネット熱に浮かれておりますが、これから先これは失敗する可能性が非常に強いわけです。というのは、便利だから、自分にとって得だからという気持ちだけで入ってくる人たちは、インターネットをつくった人たちからすると敵でございまして、そんな人が入ってきても、ただ回線が込んでしまってなかなか届かないだけで、何の意味もないわけです。  別にボランタリー精神というのがあって始まったわけではないんですけれども、発展一つのスタイルといたしまして、実はアメリカというのは、そういう利潤動機なり競争の動機によって動いているように見えながら、他方ではもう一つボランタリーなサークルをつくって、それを発展させるという芽があるという点を注目すべきだというふうに私は思います。結局、ボランティア精神というのは何かというと、これもまた実はオープンネスということにつながるわけであります。  日本では、自分の知っている人、自分の狭いグループの中では一生懸命貢献するかもしれないけれども、見ず知らずの人に対しては全く貢献しない、そういう非常に閉鎖的な行動パターンができてしまったわけです。これは私は昔からあったとは思っておりません。むしろ戦後の産物じゃないかというふうに思うわけですが、こういうふうな行動パターンが実はネットワーキングというものをつくることに出おくれた一つの原因になっているのではないか。  ですから、この辺では今度は政府政策という問題よりも個人のビヘービアにまで問題が戻って勇てしまいますけれども、しかし広い国の政策という観点からすると、極めてセルフィッシュで極あてクローズな人間をつくってしまうという、そちいう社会システムということの根本から考えな分ればいけないのじゃないかという気がいたして九らないわけでございます。  それから最後の六番目に、知的サービスの評価ということを挙げました。これは産業政策技術開発政策政策面では最も強くかかわっているかというふうに思います。  知的所有権はもろ刃のやいばというふうに私は考えます。というのは、一面では知的所有権というのを守れば守るほど、それを持っている企業の独占力が強くなるという意味におきましては競争を阻害するおそれがございます。といって、でけ逆に知的所有権を全く守ってあげない、裏返しにいえば、いわゆるフリーライダーと呼ばれますようなただ乗りする人が、みんなが一生懸命開発した成果を幾らでも使ってしまうということになりますと、これは研究開発のインセンティブがそがれてしまうということにもなるわけでございます。  政策といたしましては、やはりRアンドDに関しては、一方では知的所有権の成果をできるだけ広く国民が利用できるようにするということを考えながらも、といってRアンドDが全くインセンティブを失ってしまうような形にしてはいけない、この兼ね合いということが極めて大きいと私は思っております。そういう点で日本の知的所有権に関する政策というのは極めてばらばらでございました。  例えば、知的所有権で最も大事なものの一つは、これは日本でいいますと製薬業、医薬品産業の特許というものがありますけれども、この辺につきましても、厚生省は意図的な知的所有権に関する政策方針を持っていたとは到底思えません。アメリカで製薬業は知的所有権の保護が必要だということが出るようになって初めて追随するというふうなことになっております。また、コンピューター通信関係の知的所有権につきましても、郵政省が何か独自の考えを持って将来の方向を探っているとは到底思えないわけでございます。  しかし、この問題というのは、産業政策的に考えますと、恐らく技術革新、フロンティアの点では最も重要な点でございまして、これも先ほど三で申しました行政官庁仕切りの中で通産省はこうやるとか、郵政省はこうやるというのではなくて、もっとトータルにクロスオーバーの形で知的所有権のあり方を考えるということが今最も必要とされているんじゃないかと思うわけでございます。  以上で私の陳述は終わります。
  5. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) 以上で南部参考人の御意見の陳述は終わりました。  次に、三橋参考人にお願いいたします。
  6. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 日本経済新聞の三橋でございます。  私は、戦後の産業政策、それから現在迫られている産業政策、それから今後の課題、この三つについてお話ししてみたいと思います。  まず、結論から申し上げますと、戦後の日本の高度成長を支えた産業政策は一国繁栄主義という大きな枠組みの中で展開された。それがバブルの崩壊の中で国際協調、水平分業型の産業政策に移行していかなくてはいけないという時代を迎えたということ。しかし、その中でも特に政府としてやるべき幾つかの産業政策というものが残っておる、あるいは必要であるという三点についてお話をしてみたいと思います。  戦後の産業政策は、お手元のレジュメにあるように一国繁栄主義、日本だけが栄えればいいという形で展開された産業政策であったろうというふうに考えています。そして、一国繁栄主義を支えるその背景にあるものは何かというと、このレジュメに書いてある二つの社会主義であったわけです。  二つの社会主義とは、一つはナチス・ドイツの国家社会主義、もう一つはソ連の五カ年計画、この二つの社会主義を足して二で割ると申しますか、そういう形で進んできたと思います。この二つの社会主義で補強された一つ産業政策というのは、実は戦前に第二次世界大戦を戦い抜くために日本が積極的につくりかえた産業政策であったわけです。いわば戦時体制を遂行するために考えられた体制であったわけです。この体制が戦後日本経済政策の大きな柱になっていくわけです。  まず、二つの社会主義について言えば、特に戦前、戦時体制の確立のために大きな役割を果たした岸信介、当時の革新官僚ですね、彼らを中心にしてドイツ産業合理化運動の実態報告、また、彼が満州国産業開発五カ年計画、こういったものを実現する過程で、ここに書いてある一連の戦時立法というものが培われていったわけです。この戦時立法は、戦争中は戦争を遂行するための目的であったわけですけれども、戦後は経済成長を目指すための道具として利用されていったわけです。  社会主義の大きな目的は何かと申しますと、これは生産量の拡大を国家主導で行うということであります。したがって、できるだけ価格競争を排除して生産力を高めるということが社会主義経済の特徴であるわけです。こうした道具のもとで戦後の日本経済を支える幾つかの経済システムの枠組みができ上がっていったわけです。  フルセット主義というのがその大前提です。フルセット主義と申しますのは、日本国内ですべて、農業、軽工業から始めて自動車、さらに宇宙産業、原子力、あらゆる産業日本の国内で抱えて育成するという考え方です。これは、ある意味では自給自足型の経済体制ということが言えるわけです。つまり、フルセット主義というのは、自給自足体制を前提とした物の考え方でございます。このフルセット主義を実現するために輸出促進、輸入規制ということが戦後一貫して行われてきたわけです。競争力のある製品はどんどん外国に輸出していく、それで外貨を稼ぐ、競争力のない産業はいろいろな関税障壁あるいは非関税障壁を設けて日本国内に入ってくることをできるだけ規制する、そういう政策ですね。  この政策が実施された背景には、当時の戦後の日本経済が大変な貿易収支の赤字を抱えていたということがあるわけです。しかし、輸出促進、輸入規制という大きな産業政策が仮に成功してくると、これは際限のない黒字の拡大ということを意味するわけでございます。しかし、戦後の日本経済はそうした余裕がございませんので、フルセット主義を実現するために輸出促進、輸入規制という形で大きな経済政策を展開したわけでございます。  これを進めるために、官主民従型の経済というものが行われたわけです。当時、外貨不足が厳しい時代でありましたので、通産省は外貨の割り当てというような形を通して民間の企業規制してまいったわけです。また、先ほど申し上げたように生産量の拡大ということが戦後日本経済の最大の課題であったわけです。したがって、戦後の日本は、自由経済市場経済を標榜しながら、実際には価格競争を排除するという形で産業政策を進めてきたわけでございます。  価格競争を排除する方法としては、一番典型的に見られたのが独占禁止法の適用除外カルテルをどんどんつくっていくということであったわけでございます。一九六五年にはこの合法的カルテルの件数は千七十九件というふうに非常に大きな件数に達したわけです。この結果、自由市場ということを標榜しておりながら、規制産業の割合というのは、GNPベースで見て大体四割は規制の対象になっていた産業だということが言えるわけで、戦後の日本は決して自由市場そのものではなかったわけです。  それから、日本経営の問題。これも戦後の日本の高度成長を高める上で非常に大きな役割を里たしたわけです。この日本経営の原点は何かと申しますと、例えば、ここで書いてある重要産業団体令などによって企業は生産量を高める存在として位置づけられたわけでございます。  戦前の日本企業は、どちらかといえばアングロサクソン型で市場経済重視、株主重視という形でビジネスが行われてまいったわけでございます。しかし、戦時体制をつくるに当たって利潤追求は否定され、企業は国の命令によって生産量を高めるという方向に大きく誘導されたわけでございます。その過程の中で、資本だけ持って生産の現場にいない株主の権限は大幅に制限されていったわけです。生産の現場にいる経営者とそこで働く従業員、この労使関係の緊密な提携によって戦後の日本企業というものは発展してきたわけです。  その意味では、戦時体制の中で、日本の私企業は疑似国営企業に近い存在に変質されていったわけです。そうした疑似国営企業、株主の存在を軽視し、生産の現場で生産力を上げる労使中心の企業経営というものが定着し、それが戦後の日本経済の繁栄につながっていったということでございまして、一国繁栄主義は、二つの社会主義を足して二で割ったような戦時体制のもとで繁栄してまいったわけでございます。しかし、その体制もバブルの崩壊によって大きく崩れ去るわけです。  まず、冷戦の終結ということが原因の一つで書いてあります。  米ソが対立している時代は、アメリカ日本に対して非常に寛大であったわけです。しかし、来ソの対立がなくなったポスト冷戦の時代は、アメリカ日本を一競争者として位置づけたわけです。したがって、日米の貿易摩擦というのも、八〇年代はアメリカ市場をめぐって摩擦があったもけですけれども、九〇年代以降は特に日本の国内市場の開放ということでいろいろな摩擦が起こってきておるということで、アメリカ日本を一人の競争者というふうに位置づけているわけです。それともう一つは、円高でございます。  円高によって、日本人の多くは外国と日本との物価格差というものがこんなに大きいのかということを知るようになったわけです。一国繁栄主義の成功の背景には、一つには高物価体質の定着ということがあったわけです。これは輸出促進、輸入規制ということで、外国の安い製品が日本に入ってこなかったために日本競争力の弱い産業が温存された結果、日本の国内の物価体質というものが非常に高くなってしまったという背景があるわけです。これが円高という大きな時代潮流の中で崩れ去ったということです。  それから、東アジア経済の勃興、これも一国繁栄主義を崩壊させる大きなインパクトになりました。  もともと、先進国と途上国の貿易形態の初期段階は、垂直分業と言われる貿易形態が普通であったわけです。垂直分業は、日本などの先進国が途上国から原材料を輸入し、工業製品を輸出するという形の貿易形態であります。この過程で、先進国は途上国からの一次産品、原材料を徹底的に買いただき、工業製品を割高な価格で途上国に輸出するということが可能であったわけです。  しかし、バブルの崩壊の過程で、そうした垂直分業から高度な形の水平分業に移っていったわけです。水平分業は、例えば自動車を生産するというときに、その部品を中国でもつくり、シンガポールでもつくり、日本でもつくり、それを一カ所にまとめて自動車という完成品をつくるということで、同じ自動車をつくる過程で分業が行われるようになったわけです。  こうした分業は、一方で賃金の国際化ということを意味するわけです。もし日本の自動車部品をつくる価格が高ければ、それを中国に持っていって安い賃金でつくるという労働の代替ということが可能になってきたわけです。そういう過程を経て一国繁栄主義の戦後経済体制というものは崩れ、それが今日の景気低迷というようなことをもたらしているわけでございます。  それでは、一国繁栄主義にかわってこれからの日本はどういう方向産業政策として進めるべきであるかという問題でございます。  ここで、「水平分業時代産業政策」ということが書いてあります。一国繁栄主義の時代は官主導、民がそれに従うという形で展開されてきたわけでございますけれども、水平分業時代になれば、逆に各種の規制を撤廃ないし緩和することによって高価格構造を徹底的に是正していくということが必要になってくると思います。そのためには、市場秩序の維持ということが大きな課題になってくるわけです。  これまでは、官主民従ということで市場経済を標榜しながらも、官が価格に対して自由に介入しておったわけです。これからは、市場の需給によって価格と数量が決まる市場価格経済時代に入ってくるわけです。そのために必要なことは、情報公開と独占禁止法の強化が必要になってくるわけです。先ほど独占禁止法の適用除外カルテルが高度成長期、一国繁栄主義の時代に非常にふえたと言いますけれども、今度は逆に、独占禁止法の適用対象を例外なしで認めていくというようなことが産業政策上重要になってくるであろうということです。その点では、官が大きく前面から引っ込んでもらうということが水平分業時代産業政策として必要だろうと思います。  内需主導型の経済ということがよく言われますけれども、これは水平分業時代産業政策が成功すれば、内需主導型に当然なっていくわけです。高度成長期は設備投資、輸出主導型で日本経済発展してきました。この結果、高度成長というものが可能になったわけです。しかし、内需主導型の経済になりますとそうはいきません。例えば設備投資が一単位ふえても、それに伴って輸入も何%かの割合でふえてきます。個人消費が高まっても、製品輸入が多くなって外国の安い物が入ってきますので、個人消費がふえてもその一部は輸入品で賄うという現象が起こってくるわけです。  したがって、設備投資あるいは個人消費という支出項目がふえても、実際の成長は輸入の促進ということを同時に誘導しますために、成長は安定したものになるわけです。そのかわり、外国から安い物が入ってくるわけですから、物価は非常に落ちつく、安定したものになります。したがって、成長率は輸出主導型の経済と比べて落ちますけれども、生活者の立場からいえば、非常に物価が安定し、落ちついた経済になるというのが内需主導型の産業であり、それは水平分業を進める産業政策のもとで実現するであろうということでございます。  しかし、そうは言っても、政府産業政策が全面的に引っ込んでしまっていいのかというと、それは必ずしもそうは言えないわけです。ここで「環境配慮技術の開発」ということが書いてあります。この部分は、むしろ政府に積極的に取り組んでもらわないといけない分野だと思います。  今日、世界の資源の多くはかなり枯渇しております。世界人口五十七億人、そのうち先進国の人口が約十億人、旧ソ連・東欧を含めると十四億人ぐらいですか。この人たちの生活水準を高めるために、世界は相当資源をむだにしてしまいました。  予想される埋蔵量に対して、重要な金属資源が既にどのくらい掘り返されてしまったかということを見ますと、例えば水銀あるいは銀、すず、鉛、こういったものは予想される埋蔵量のうち既に七五%ぐらいが掘り尽くされているわけです。亜鉛とかマンガンとか銅、こういったものも既に五〇%近くが掘り出されて使われてしまっているわけです。  石油についても、そうですね。例えば富士山を円錐形の一つの杯というふうに考えていただいて、現在世界の石油の埋蔵量がどのくらいあるかということをある人が試算したところによりますと、富士山の杯の〇・五倍程度しか世界の石油の埋蔵量はないわけです。富士山の杯の容量が三千億キロリットル、それに対して現在予想される石油の埋蔵量は千五百億キロリットルですから、ちょうどその半分ぐらいしかないというように資源が使われてきてしまっているわけです。わずか十四億の先進国の人たちがこの世紀、豊かな生活を送るためにそこまで資源を使い込んでしまったわけです。  したがって、これから中国、インドを含め途上国の人たちが、先進国がやってきたのと同じ方法で経済発展させていけば、地球上にある資源あるいはエネルギー、これはとてももちませんね。したがって、省エネ、省資源、環境保全・修復、また環境観測、リサイクル、こういった環境関係の技術というものは、これから相当思い切って資金を導入して各種技術というものをつくって、日本のためだけではなくて、特に途上国の環境悪化を防いで持続的な成長が可能なような技術開発というものを急いでやらなくてはいけないと思います。  それからもう一つは、環境配慮型の産業構造の誘導です。これも国の産業政策としてやる必要があると思います。幾つかの産業が集まって、A社の排出する排出物がB社の原材料になる、B社の排出する排出物がC社の原材料になるというような形の新しい産業連鎖というものをつくり上げていくということも重要な課題だろうと思います。  産業連関表というのがあります。例えば、自動車をつくるのに鉄鋼業界から資源をどのくらいもらっているか、あるいは石油化学業界が自動車をつくるためにどのくらい材料を提供しておるかというようなことを細かに示したのが産業連関表でございます。それと同じように、各産業が排出する排出物の、いわば逆産業連関表というものをつくって、できるだけ排出物を再資源化するためのマトリックスをつくることもまだ行われておりませんけれども、これなども早急にやらなくてはいけません。しかし、これは恐らく個々の企業、個々の研究所では限界があると思います。これはやはり国がそういった環境配慮型の産業構造をつくるためのソフトをつくっていかなくてはいけない、そういうことも早急に取り組む必要があります。  それから、新産業立地政策でございます。  これまでは規模の利益という考え方があったわけです。鉄鋼産業にしても、集積度を高めるということで製品一単位当たりのコストを大幅に削減することができたということで、大きければ大きいほどよいという思想で企業経営というものが行われてきたわけでございます。しかし、これからは規模の限界ということも考えていかないといけないと思います。規模の利益のためには必要であっても、規模の拡大が周辺地域の環境を破壊する、環境負荷を大きくするというような場合には、むしろ規模の限界ということでそれをやらないということも産業政策として必要になってくると思います。その限界がどこにあるかというようなことも研究していかなくてはいけないと思います。いろいろな産業間の利害得失というものは絡むと思いますけれども、こういうことも積極的に国の政策としてやっていく必要があるだろうというふうに考えているわけでございます。  しかも、そうした環境関連の一連のハードの技術、ソフトの技術、こういったものを組み合わせることによって完成された技術というものは、途上国にも積極的に公開し、移転させていくというようなことが必要なわけでございます。環境関連技術の太い幹というものを個々の私企業がやると、どうしてもそのために膨大な資金を投入しなくてはいけないし、そうして得られた成果というものについてはどうしてもその企業として抱え込みたくなるというのもまた事実でございます。  したがって、環境関連の技術というものは、できるだけ幹に当たるハード、ソフトの部分、これは国の政策として早急にやっていく必要があるだろうということです。  それから最後に、先端技術開発への支援、これも国がむしろ前に出て取り組んでいく必要があると思います。特に、先端技術開発のための基礎分野、この部分の取り組みは私企業ではなかなか取り組めないわけでございます。したがって、先ほど南部先生もお触れになったように、情報通信の問題、バイオ、それから新素材、こういった分野の基礎的な部分というのはやはり思い切って国が取り組んでいくべき産業政策であろうというふうに考えているわけでございます。  基本的には、水平分業時代には産業政策というものは必要なく、むしろ独占禁止法の強化ということで対応すべきであるけれども、環境関連の総合技術の開発と先端技術の特に基礎分野の開発というものは引き続き政府が主導して行っていくべきであろうというのが私の結論でございます。  ありがとうございました。
  7. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) ありがとうございました。以上で三橋参考人の御意見の陳述は終わりました。  これより両参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  8. 平田耕一

    ○平田耕一君 本日はありがとうございます。  最初南部先生にお伺いしたいんです。  規制の撤廃、規制のあり方ということについて言及していただいて、私自身が非常に疑問に思っておることは、えらい大ざっばな話ですけれども、国家というのは一つ規制じゃないか、経済に関する産業政策というものはその付随的な規制なんだろうと。先生のお送りいただいた論文の部分を読みますと、産業政策というものはむしろ規制のあり方にますます言及するものになろう、こんなふうに思っております。  しからば、変な話ですが、産業政策規制緩和とは矛盾する命題なんだろうかというふうに思いますが、一言コメントをいただきたいと思います。
  9. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 一般論としてこの問題を議論いたしますと大変難しいわけでございますが、例えばきょうのテーマでございます技術開発ということでいえば、やはり一番大きな問題は、技術開発あるいは技術革新スピードは極めて疎くて、それがどのような方向に行くのかということをまず担当している企業自身が見きわめられたいという状況があると思います。  このような場合には、特に高度化されればされるほど、規制する側にあります官庁企業よりもより多くの知識を持っているということは、これは一〇〇%あり得ないわけでございまして、果たして、国あるいは規制官庁が将来の方向づけということをどういうふうな形でできるのかというのが一番大きな問題だと思うわけでございます。  ですから、先ほど三橋参考人がおっしゃいましたように、分野として国が介入すべき、あるいは産業政策的にやる分野というのはあるとは思うんです。しかし、そこに関しまして微に入り細をうがって官庁介入するというふうなことは、私は非常に難しいし望ましくないんではないか。  やるべきことは、インセンティブを与えるというふうな意味で、例えば補助するということは必要だと思いますけれども、それ以上のことは民間に任せる、あるいは研究者に任せる、そういうふうなスタイルが必要ではないかなと思っております。
  10. 平田耕一

    ○平田耕一君 ありがとうございます。  次の点はお二方にお尋ねをしたいんですが、地域、国あるいは地球という単位いずれをとりましても、経済活動を行っていくに当たって一つのエンジンが必要であるという論でずっと来ているんじゃないか。  いっときは重厚長大産業を活性化する策。現在で言えば、例えばこれはいろんな意見があると思いますが、南半球を活性化することをエンジンにしようとか、中国大陸をそのエンジンにしようとか、あるいは情報通信産業をエンジンにしようという論でずっと来たわけですが、今後とも、経済活動というものについてそういった何か経済のエンジンというようなものは必要とお考えなのか、あるいはそういうものがなくてもやっていく経済というのはあり得るのかどうかについて、御両者から、感覚でも結構ですが、コメントいただきたいと思います。三橋先生からお願いいたします。
  11. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私は、高度成長時代はリーディングインダストリーというものがあって非常によかったというふうに考えています。  例えば、七〇年代は鉄鋼、それから八〇年代は自動車、こういったものが日本産業発展に非常に大きな貢献をした。しかし、日本に限らず特にアジアなんかで私は非常に心配しているんですけれども、リーディングインダストリーをもって経済発展をぐいぐいと進めていくことによる環境負荷という限界が出てきた今、これからは余りリーディングインダストリーにこだわって、それを重点的に経済発展のてこにしていくという時代は終わったんではないか、またそうすることによるマイナスの弊害というものが非常に大きいんじゃないかということです。  特に、日本のように水平分業時代で国際的な相互依存関係を強める場合には、かつての鉄鋼、自動車といったような形でのりーディングインダストリーというものは必要ないんじゃないかと個人的には考えております。
  12. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 私は、この問題につきましては、やはり一番のポイントは、恐らく一九八〇年代ぐらいまでの技術の体系というものがもう終わりを遂げたということが見きわめを難しくしている原因だと思っております。  つまり、極端なことを言う方は、現在の情報痛信の変化というのが新しい産業革命だというふうにおっしゃっておりますが、その面は私は否定できないというふうに思っております。つまり、極来どういうことが起こってくるかということについて技術革新方向をまだ見きわめることができない。したがいまして、産業といたしましても、かつての重厚長大という御指摘のあったような単純な技術時代とは違った時代に入ってしまっているために、エンジンなりロコモーティブというのはどこにあるかというのが見きわめられないということだと私は思っておるわけでございます。ですから、国の政策としては、やはりターゲットを絞って、この産業にいわゆる傾斜生産方式のような形で資金を投入すればうまくいくだろうというふうなことがほとんど言えなくなってしまっている。そういう点で、私は、余り現在の段階でエンジンなりロコモーティブを絞って特定の政策をとるということは非常に危険があるなと思いますし、できるだけ民間の活力でもって、ある程度方向が見えるまでは自由に競争させるということが望ましいんではないかと思っております。
  13. 平田耕一

    ○平田耕一君 ありがとうございます。  そうすると、三橋先生のお話を賜りまして、そこで水平分業とそれから将来の産業で環境重視というか環境型産業という言葉が出てまいりました。この二点につきまして南部先生に簡単に、食糧の自給、食糧も一つ産業でありますが、食糧の国内自給についてどうお考えか、そして原子力発電についてどうお考えか、一言お尋ねしたいと思います。
  14. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 食糧自給に関しましては、例えば日本国という国の中で、これもどのくらいのクリティカルな状態が続くかということに依存いたしますけれども、一応ある一定の期間耐えられるような自給体制を常に持っていなければいけない。つまり、日本の農業が必ずそれに耐えられなければいけないという考え方は私はとっておりません。  いわゆる食糧というふうなものを考えた場合に、それは海外からの輸入にかなり依存するわけですが、海外からの輸入が途絶するような状況というのがもし発生するとすれば、それはもう国の中で農業でお米をつくってのんびりやっていられるような状態とは全く違った状態が恐らく実現しているはずでございまして、私は、いわゆる食糧自給なり、安全保障というのとそれから食糧の問題を強く結びつけるという考え方はとっておらないわけでございます。  あとは何でございましたか。
  15. 平田耕一

    ○平田耕一君 原発。三橋先生にも同じ質問です。
  16. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) それから、原発につきましては、私は、少なくとも原子力発電所が絶対に安全かという議論は全く無意味だと思います。絶対に安全であるはずがないわけでございまして、つまり答えがもともと出ないものについて絶対安全かと聞いて、安全でないと言うと、まるで鬼の首をとったような議論というのは考えてはいけないんじゃないかと私は思います。  ただ、といって原子力発電所が全く好きだということではないわけでございまして、やはり原発を使っていくことを私は是認する立場でございますけれども、その際には、安全確認ということについて、いわば国民が不必要に動揺するようなことがないようにしていただきたいと思います。  前回のあの事故にしましても、冷静に考えてみれば、本当に正確な報道がなされておれば大した事故ではなかったわけでございます。結局、温度計が折れて外にナトリウムが出てくるという事故は、専門家から言わせれば、いわゆる事故の重要度というのが七段階あるそうでございますけれども、七段階の一番下、つまりほとんど問題にならないということだったそうでございますが、それがあたかも大変な事故であるかのような印象を私たちは受けました。  このような意味では、原子力発電所が大丈夫ということは全くないと思いますが、といって余りにも不必要な動揺を起こさないような情報の提供というのが必要ではないかなと思っております。
  17. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私は、まず食糧の調達の問題について言いますと、特に米については、戦後五十年、日本の農業は社会主義経済の最たる形で政府に価格、数量すべてを抑え込まれていたわけです。したがって、そこでは創意工夫というものがほとんど発揮できなかったわけです。私は、これから農業部門というのは大変な成長産業発展していくんだろうと思います。  いろいろ地方に行きましてそういう農家の人たちとも話していると、非常に力強い意欲を感ずるわけです。したがって、自由化してしまうから日本の農業がだめになってしまうというのはこれまでの発想で、今の状態を考えれば、だめになってしまうおそれは多分にあると思います。  しかし逆に言えば、創意工夫がほとんど発揮されていなかった部門なんで、この分野というものは、非常に競争力のある農業、米そのものもそういう時代に入っていくだろうというふうに考えているわけです。したがって、これまでのように特別に米を抱え込むという必要などは全くないというふうに考えているわけです。  それからもう一つ、原子力の問題については、私も原子力発電の現状に対しては結構だろうというふうに思っているわけです。  ただ、これから新しく原子力発電をつくっていく場合には地域との合意が必要ですね。その合意が得られない段階で強引に原子力発電をどんどんつくっていくということについては、やはりいかがなものかなというふうに思います。合意が得られれば、化石燃料の消費による二酸化炭素発生の問題もありますし、原子力発電をつくること自体は結構なことだろうと。ただ、地域住民の反対を押し切って強引にやるという形のやり方については十分な話し合いが必要であろうというようなところです。
  18. 平田耕一

    ○平田耕一君 ありがとうございます。  ちょっと質問を移しまして、では、技術開発方向といいますか、それにつきましてどういう形で言及していただくか考えたんですが、実はこの調査会でも通産省にいろんなお話を聞いたときに、日本国内の開発費が減少してきているんだという話があります。  それから、先生方のお話を聞くと理科系の志望学生が減ってきているという傾向を聞いておるわけでありますけれども、そういうことをずっと総合的に見ていきますと、なかなか政策的にそれを喚起するというのは難しくて、実は時代の反映といいますか、物の豊かさのあらわれ、物をつくってきた、それが豊かになってきたということの時代を反映してそういう形の傾向になってきているのかなとも思わないでもないわけであります。そうすると、殊さら将来のそれぞれの企業ベース技術開発に取り組むといった場合に何を求めていけばいいのか。要するに、これが国づくりの一つの側面でありまして、大変難しい問題でありますけれども、両先生にコメントを賜ればと思います。
  19. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 非常に簡単にお答えで美ない問題もございますけれども、私の今考えていることだけをまず申し上げますと、最初におっしゃられました研究開発費が減少してきている、あるいは先ほど私が申し上げました情報関連投資がアメリカに比べると甚だ情けない状態になっているということが事実としてございます。  しかし、私は、ある意味ではこれは一時的現象ではないかと思っております。といいますのは、企業意思決定からいたしますと、研究開発費というのは場合によってはほとんど何の役にも立たないかもしれない投資でございまして、非常にリスキーな投資になるわけであります。そうしますと、企業の通常の経営政策としては、利潤が高いとき、もうかっているときにはRアンドD投資々するけれども、利潤が減ってくると投資をしないというのは傾向的に常に起こることであります。  そうしますと、日本のこの過去五年間などを見てみますと、恐らく氷河期と言われるような非常に特殊な不況の中にありまして企業の収益は大幅に減少している。また、最近ではちょっと変わったようですが、将来に対する見込みも非常に暗かった。こういうときに研究開発投資が減ってくるというのは自然の現象でございまして、その世さまのもうからないときに研究開発投資をするというのは、これは極めて希有な企業としか考えられないわけであります。  ですから、最近の動向から景気が回復する中で、私は研究開発投資というのはもう一回復活してくるんじゃないかというふうに思ってはおります。確実にそうなるかどうかわかりませんが、そういった傾向的なものはあると思います。  それからもう一つは、理科系の分野に人材がどんどん行かなくなってきているということでございますが、これはどうすればいいかということについてはっきりしたお答えはもちろんないわけですけれども、私は日本一つの非常に危険な風潮ということと関連すると思うわけです。  というのは、私どもが接している学生さんがしばしば言いますのは、いわゆる三Kというふうな、ともかく何がKなのかは別としまして、いわゆる汚い、余りきれいでない産業には行きたくないというふうに言う。そこまでは人間の自然な人情でありますけれども、しかし、そこで働いている人は実は大変ありがたい人たちであって、とうといんだということを全く考えない。つまり、Kに属する産業に行くことというのは自分の恥のように考えている、何か非常に不健全な傾向が極めて強いわけでございます。  理科系も文科系に比べれば、例えば大学の教育にしましても、早いところは朝の八時ぐらいから夕方の六時ぐらいまでありまして、ほとんど遊ぶ時間がないということからいうと、Kではございませんけれども、大変にきついという意味でのKにはなるわけでございます。  そういうきっさとかいうふうなものをすべて忌避するというふうな、つまり楽な方にすべてつこうという風潮が極めて日本の場合は強いわけでございまして、これはどこの国も共通かというと必ずしもそうではございません。例えば、アメリカの大学生のうちの一部、全員ではございませんけれども、かなりの部分は一生懸命きつい勉強を喜んでやるということがあるわけです。ですから、これは理科系の問題に象徴されておりますけれども、若い人たちの教育のシステムというふうなものと根本的にかかわっているのではないかと私は思っております。  以上でございます。
  20. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私は、まず理科系の大学の魅力というものを増していく努力が必要なんだろうと思います。その場合に核になるのは、先ほどの一国繁栄主義ではございませんけれども、いいポジションを日本人だけで占めてしまうという体制を改めて、この分野でも自由競争を実施するということで、外国の研究者、教授たち、こういう人たちをどんどん日本に入れて、またそういう人たち日本に何年か定着できるような研究環境というものをつくって議論をしていけば、人間は真実を追求していくこと、新しい発明、発見をする喜びというものがわかってくると思うんです。そういう学校、特に大学院クラスの研究の自由化ということをやることで若い研究者を集めることというのは可能なんだろうというふうな感じを持っております。  それから、企業研究開発の問題なんですけれども、これまでは欧米からの輸入技術を改良改善してきたという形の研究開発であったと思うんです。しかし、これからはむしろ個人の能力に依存し、非常に偶然性の高い分野の発明、発見というものがその企業の命運というものを握っていくんだろうと思います。  アメリカのあるコンサルタントが、数年前に来日したときにこんなことを話しておりました。日本では、例えば日立製作所だとドクターを出た人たちが五百人、六百人という非常に大変な数でいる、そういう人たちを百人ぐらいスピンオフして自由に自分の好きな研究開発をやらせたら、それは大変なベンチャービジネスが起こってくるんでしょうね、アメリカだったらそうしますよというようなことをおっしゃっていました。私は、それなんかが一つのヒントになるんだろうと思います。  今の企業の研究者の扱いに相当程度個人の創意、わがまま、工夫、こんなものが反映できるような制度をつくることによって、お金はなくても重要な発明、発見というものが行われる可能性があるんだろうというふうに見ておりまして、むしろシステムのありようを変えていくということが重要なのかなというふうに感じております。
  21. 平田耕一

    ○平田耕一君 産業政策技術開発という問題になりますと、冒頭に申し上げた規制というものと政策というもの、そしてダイナミックな企業構造というものとどういうふうな形で作用していくのかというのはなかなか難しい問題だなと思って改めて認識をしたんですが、今後ともいろいろと御指導を賜りたいと思います。  本当にありがとうございました。
  22. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 平成会の魚住裕一郎でございます。  きょうのお二人の先生には、大変示唆に富むお話を承りまして感謝申し上げます。ここで何点か御質問をさせていただきたいと思います。  まず最初に、南部先生の方からお願いしたいんですが、まさに南部先生のお話を承っていて、オープンネス欠如というのは耳に痛いというか、そのとおりだなというようなことを思います。お話の中でも、個人のビヘービアの問題でもあるというような言葉が出てきましたが、そうなってくると、先生がずっとおっしゃられたことはこのオープンネス欠如ということで、それを取り払っていくという方向でいろんな問題点を指摘していただきました。ただ、個人のビヘービァの問題にまでいってしまうと、暗たんたる気持ちというか、そういうことを思うわけであります。戦前にはそれはなかったとおっしゃいましたけれども、ずっと突き詰めていくと、例えば節分のときに、福は内、鬼は外ということがあって、それがそのままこの閉鎖性につながってくるのかなということを思うんです。  ただ、それは横に置いといて、とりあえずそこからKとして出てきたいろんな諸問題を、規制撤廃であるとか、そういうものを通して個別に解き放っていけば、日本としての産業政策のあり方ができるんだというようなお考えと受け取ってよろしいんでしょうか。
  23. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) この問題につきまして、例えば割と経済問題と結びつけてひとつお答えいたすとしますと、やはり個人のビヘービァの中の日本型民主主義とでも言うのでしょうか、そういうふうなものでよく代表されますものと非常に関連があると思うんです。それを経済学者の言葉で言えば、いわば既得権というふうなものが日本は過度に守られている。既得権がいわば閉鎖性一つの源泉というんでしょうか。つまり、一たんあるポジションなり組織なりあるいはクラブなりに入ると、そうするともうそれは一つの権利となってしまって、結局それはもうある意味ではほとんど永久に守られてしまうというふうな、そんなような形の組織が戦後の日本にはできてきたんではないかと思います。  民主主義とそれが結びつくかというと、全くそうではございません。民主的な国家で既得権が日本よりはるかに守られていない国も幾らでもあるわけですし、裏返しに言えば、ダイナミックなシステムをつくろうとするとやはり既得権を何が何でも守るということは私は不可能だと思うんです。  きょう申し上げましたオープンネス欠如というのも、そういうふうな意味で言うと、やはり既得権を余り過度に守るということが結局閉鎖性の原因になっているんではないかなという考え方を持っております。  例えば、国の政策の中でも一番顕著なのは道路の建設でございますけれども、そのような建設の過程で、周り百軒はほぼ立ち退いて、九十九軒は全部納得しているのに、一軒だけ納得しないからといって道路のど真ん中に住まっている人がいて、これはどうやっても動かせないというふうなのは、私は、これは経済学者の立場ではございませんで、市民の立場からして全く理解できないわけですが、そのような意味でのことがすべてこのオープンネス欠如というんでしょうか、そういうふうなものにつながっているんじゃないかと思っております。
  24. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 よく最近情報通信革命ということが言われております。先生の参考にいただきました論文等にもそれが中心に触れられておりますけれども、またそういう方向性になっていくんだろうなというふうに私も思うんです。  要するに、規制を外して通信をどんどんコンピューターと結びついた形でやっていく、そこから先は見えないけれども、それで何か社会構造も変わって産業構造も変わっていくんだというようなお考えというふうに考えてよろしいですか、先生の御意見は。
  25. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 私は、確実にそうなるということをもちろん申し上げられませんが、個人的には恐らくそうなるだろうと思っております。  これは、例えば幾つか根拠を簡単に申し上げますと、コンピューターなんですが、コンピューター御存じのようにずっともうこの数十年の間値段が安くなり続けてきているわけですが、もしかすると、将来はもうほとんどただ、もちろん全くただのものは存在をしませんけれども、ともかく負担というふうな意味で言いますともうほとんど負担がないというぐらいの値段まで下がってくる可能性は十分ございます。  それから、電話代でございますけれども、電話代も、いわゆる画像つきのいわゆるマルチメディア、これはコストがかかるとは思いますが、人間の声の電話などということについては、これもただというふうな時代が来るのはもしかすると確実ではないかとさえ言えると私は思っておるわけでございます。  そんなふうな形になりますと、いわゆるコミユニケーションのコストというものは極めて安くなりますし、画像も含めれば単なる声だけではなくて相手を見ながらコミュニケーションをするというコストまで安くなるということは、これはやはり人間生活に根本的な変化を及ぼすんではないかなと思っておるわけでございます。
  26. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 最近読んだ野口悠紀雄さんの本の中で、社内で通信革命するにはメモで隣の人にきちっと伝達できるかどうかというのが一つのメルクマールになっていくんだ、会って報告する、相談するという、そういう構造になっているかどうかが大事な前提であろうと。ただ、それは会社だけではなくて社会全体の問題でもあるわけですが、これはかなり情報通信革命の阻害要因になっているのかなとは思いますが、この点について先生の御意見はいかがでしょうか。
  27. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) この問題につきましては、先ほど私がお話ししました日本型経営というんでしょうか、恐らくそれと非常にかかわってくると思うんです。日本の少なくとも現状におきましては、電話で失礼しますというのがごく当たり前でございますし、それが不自然には思われないわけでございます。ですけれども、アメリカ的に言えば、電話で、長電話をして時間をとられる方がむしろもっと失礼でありまして、ともかく論点をまとめてコミュニケートした方がいいという考え方が非常に強くなってきていると思います。ですから、どちらのシステムがいいか、みんなで会って話し合いをして決めるのがいいか、それともメモでもっていわゆるボイスメールという形のコミュニケーションがいいかというのは、どちらがいいかという問題ではなくて、国際競争力の問題に結局なるんではないかと思うんです。もし、アメリカのボイスメール型というのに代表されますような、メモを中心で必要なことだけインターネットなりなんなりで意見を交換する、多くのものはボイスメールでもって処理してしまうというのが国際競争力が強いといたしますと、日本は悠長に会議を毎日朝の九時から二時間やっているなんということはできなくなるわけでございます。  私が方向性として考えておりますのは、日本型の社内民主主義と私はよく言いますけれども、社内民主主義をやってともかくお互いにいたわり合うとか、ともかくそこにいたというアリバイをつくるというタイプのコミュニケーションというのでは、国際競争には到底勝てなくなるんじゃないか。そういうふうな意味で、やはり日本型のものが変わらざるを得ないんじゃないかと思っております。
  28. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 ありがとうございました。  続いて、三橋先生にお願いいたします。  先生のお話を伺って、全くそのとおりだなと思うんです。この一国繁栄主義、これはすなわち戦後経済がずっとやってきたことでありますし、その根っこは戦時体制、国家総動員体制そのものであるというふうに思うわけです。戦争中は、戦争遂行ということでこのシステムがつくられて、かつ稼働した。戦後は、その目標が変えられて、経済に国家総動員体制が利用されたというのがこの五十年間の姿なのかなと思います。  そうすると、一国繁栄主義がもう崩壊していく、あるいは変えていくということになりますと、そうすると今度は、このポスト一国繁栄主義の追求すべき価値は何なのか。もちろん憲法的には人権とか民主主義とか平和とかありますけれども、それ以上に何を目的としてやっていくのか。もちろん繁栄でありますけれども、一国繁栄というのはもう捨て去ったということでございまして、この追求すべき理念というのはまた別として、価値としてはどのようなことを三橋先生としてはお考えなんでしょうか。
  29. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 今の情報革新型技術の特徴というのは、それまでの産業革命を立ち上げて八〇年代ごろまで来た技術の体系と根本的に違っていると思うんです。特に、産業革命を立ち上げた技術というのは、人の労働を機械に置きかえるという形の技術改革であったわけです。したがって、それは集中とか集積とか集権とか統合とかという、そういう方向を目指す技術であったわけです。それが戦後ずっと続いてきたわけです。  そういう流れの中で、国のありようというのも、産業革命以降、それまで民族とか言語とか、そういう形で中世時代ヨーロッパなどでは小さく分かれていたものを統一してネーションステートという形の統一国民国家というものをつくり上げたわけです。それが産業革命以降今日に至る国家形態であったわけです。  しかし、これから、もう始まっている情報革新型の技術というのは、逆に、人間に例えて言えば、脳とか神経代替的な技術の体系になっているわけです。そして、それが世の中に与えるインパクトというのは、むしろ分割とか解体とか分権とか分散とか、そういう方向に動くエネルギーが新しい時代をつくっていくだろうと。二十一世紀けそういう情報革新型の技術に支えられてそういう分散の時代に入っていきますというふうに考えすすと、日本がこれから目指すべきものは、恐らくネーションステートの時代というものが終わって、緩やかなむしろ国家連合の時代という形に入っていくんだろうと思うんです。  ネーションステートというのは、国益の追求というものが何よりもまさっていたわけです。今でも日本の外交政策を見れば、国益、国益、国益ということを言い続けているわけです。しかし、この情報革新技術に支えられた分散の時代になる中で、これはもう一国だけで解決できない問題というものが非常にふえちゃったわけです。  まず、通信技術というものが国境を越えたし、経済活動というものが国境を越えたし、それから環境という問題も一国ベースではとても解決できない。そういうことを考えると、むしろ緩やかな国家連合みたいな形の国家形態というものが既に始まっていて、ヨーロッパのEUなんかもその一つだろうと思います。それから、ソ連が崩壊した後いろいろ、バルト三国とか独立国家共同体なんかができたのも、みんな緩やかな国家連合体を形成しているわけです。そういう時代に恐らく日本も入るので、特に日本の場合には、アジア地域と緩やかな国家連合を結ぶような形で、国益ではなくてアジア益なり地域益というようなことがこの次の課題になってくるのだろうと私は位置づけているわけです。    〔会長退席、理事情水嘉与子君着席〕
  30. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 主権国家としての外延並びに内包が崩れていくというそういうお話と、それから情報通信革命によって、社会的構造として統合、集権から分散、分権の方になっていくというようなお話だろうと思います。今度はもっと個別的になってしまって、テレビ画面というかパソコンの画面の前にいる個々人が主体としてあらわれてぐるというような社会構造になっていくのではないかなというふうに思うのですが、その場合に産業政策における追求すべき価値というのはどういうことなのかなという趣旨でお聞きしたかったなと思ったのですが、いかがでしょうか。
  31. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私、水平分業時代になると、例えば日本で活躍する企業というものは、日本の国籍であってもアメリカの国籍であってもそれは全然問題にしなくていいと思います。  ただ、政府としては、雇用の維持とかあるいは社会福祉への財源調達とか、政府としてやるべき問題というのは残ります。そういうものをしっかりするためには、例えば今で言えば規制緩和あるいは独占禁止法の適用をきっちりするというような形で日本市場経済の国として魅力ある国にして、外国の企業がどんどん日本に入ってくる、日本企業も逃げ出さないで日本が魅力あるという形に変えていくことによって税収の確保というのはできるわけです。  幾ら水平分業になったとはいっても、政府としてやるべき最低のことはあるわけです。今言った福祉政策、物価の安定、失業の除去、こういうものはどんな時代になっても国として存在する限りはやらなくてはいけないわけです。そんな感じを持っています。
  32. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 ちょっと視点を変えますけれども、先生の御著作を若干読ませていただきました。その中で、オリジナリティーにあふれた開かれた科学技術立国といいますか、そういうものを理念として目指すべきであるということが書かれておりました。まさに私もそう思います。  ただ、去年の「もんじゅ」の事故とか、あるいはその前のオウム事件、科学技術が我々に害をなすんだというようなそういう観念をみんな持っているのではないだろうかと思います。特に、オウムの場合は過失ではなくて故意でいろんなことをやってきた。そこで問われるのは、やはり科学者、技術者の質というかありようというか、それが問われるのではないだろうか。化学にしてもあるいは物理学にしても、あるいは大学においても医学界にしても、なかなかこの問題についての総括というものが出ていないのではないか、そう思っておるんですが、技術立国、科学立国というようなことを考えていけば、やはり今この時点でこの部分をきちっと議論をしておくことが大切ではないかなと思うんですが、この点についての先生の御所見をお伺いしたいと思います。
  33. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) それはもうおっしゃるとおりです。「もんじゅ」なんかについて言えば、事故が起こる前からこれは完全なものだ、事故が起こるはずがないというインフォメーションをずっと地域住民に与えてきて、実際に事故が起こつちゃったというところで大きな問題になったわけで、やはり公開性の問題というのは非常に重要だと思います。どんな技術だって使いようによっては一〇〇%完全なものはないんだ、ただ、事故が起こった場合にはこういう対策というものを考えていますよというようなことをすべてオープンにするということが重要なんでしょうね。  それから、オウムの問題というのは非常に難しい問題です。ただ、私は、一つの科学倫理あるいは環境倫理みたいな、そういうもっと人間の根本的な問題の部分、その辺の何というんですかディスカッションなり教育なりそういったものが不足していて、自分企業に入ってはできないけれどもオウムではやらせてくれるという、そういうような功名心みたいなものも多分にあると思います。  しかし、科学というものは既に人間の能力を超えて神の領域に進んでいるような部分というのはいっぱいございます。脳死と臓器移植の問題一つとってみても非常に大きな問題があるわけです。だから、それは人としての倫理の問題と結びつけて考えていかざるを得ないのかなという感じがします。余りに物質主義になってしまっているような感じがいたします。お答えにならないと思いますけれども、ちょっとそんな感じでございます。    〔理事情水嘉与子君退席、会長着席〕
  34. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 ありがとうございました。これで終わります。
  35. 三重野栄子

    三重野栄子君 社会民主党の三重野栄子と申します。  本日は、産業政策及び技術開発課題基本的方向ということで、戦前戦後、歴史的な解明、それから理論的にお教えいただきまして、しかも幾つかの具体的政策も御提言いただきまして、二十一世紀はこんなふうになるのかなというイメージを抱いたところでございます。  ところで、二十一世紀は情報社会ということを言われておりますけれども、それらに関連をいたしましてお二方の先生に一問ずつお尋ねしたいと思います。私がいただいているのは全部で十分でございますから、四分ずつぐらいにお答えいただければ幸いに思います。  まず、南部先生にお伺いいたしますけれども、二十一世紀我が国産業の中で、電気通信情報通信が大きくこれからも経済発展に資するところがあると思いますけれども、行政、政治というものの旧態依然とした対応ということは既にいろいろ指摘されているわけであります。先生の論文の中に、技術自体は巨大な可能性を秘めていながらも、その潜在的可能性は常に規制制度によって圧殺されるということが述べられていたと思います。そういう視点から三つの点につきまして御意見をいただければと思います。  まず第一点は、日本の電気通信分野の規制現状と評価の問題点。それから、行政機関が規制機能を持つことによって電気通信分野の活力、発展を阻害しているのではないかという問題点。それから第三点は、電気通信分野は今後事業者間の接続問題が焦点になるのではないかと思うわけでございますけれども、接続ルールのあり方、監視・裁定機関のあり方。非常に生臭い問題でございますけれども、できる限りの御教示をいただきたいと思います。
  36. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 四分ぐらいでございますと非常に駆け足でお答えすることになりますが、端的に結論的なことばかり羅列するような形になりますけれども、お許しください。  まず、第一の点でございますが、私は、日本の電気通信政策というのは、この十年間、極端なことを言えば全くの失敗であったというふうに考えております。それはなぜかといいますと、いわば見せかけの競争とでもいいますか、日本競争というとよく長距離通信市場に参入があって値段が下がったということが議論されるわけですけれども、これは別に政策効果であったとは私は思いません。  といいますのは、現在、長距離電話料金がどんどん下がってまいりまして百八十円近辺まで来ましたのですが、これでもまだまだ物すごく高い。百円ないし百円以下に下がってもちっとも構わないわけでございます。ですから、スタート時点では七百二十円というのさえあったわけでございますから、それが一気に下がってくるというのは当たり前のことでございまして、私は競争効果で下がったというふうに簡単に言えるかどうか、若干疑問に思っているわけであります。  裏返しに言いますと、アメリカの長距離電話市場では規制というのはほとんどございません。AT&Tといういわゆるドミナントファームにだけ通信法の規制がかかっておりまして、それ以外の新規参入者には規制がないわけであります。ところが日本の場合には、御存じのようにNTTもNCCも全く等しく規制を受ける。NCCのやることなどはほっておけばいいと思うんですが、これはすべての規制がかかってきているというような形の競争でございまして、私は一例しか申し上げませんけれども、そういう点で規制の強くなり過ぎたというところに大きな問題があったのではないかと思います。  いま一つは、技術進歩のことでございますけけれども、例えば日本ケーブルテレビがその端的な例でございます。  日本ケーブルテレビは、アメリカに比べて甚だしくおくれております。しかし、この一番大きな原因というのは、今のケーブルテレビがユーザーから見ておもしろくない、つまり、高い料金を払っても決してそれに見合ったサービスを提供しないというところに原因があるわけで、ケーブルテレビそのものが魅力がないものだとは私は全く思っておりません。例えば、月額二千円程度の支払いで加入金がゼロというふうなケーブルテレビが出てまいりますと、出てくる可能性が十分でございますが、恐らく私は日本人のかなりの部分が殺到するんじゃないかと思います。  ですから、そんなような意味でいきますと、このケーブルテレビなども、やはり放送の分野における料金規制その他ローカルコンテンツといいまして、あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけないというような規制が非常に参入を難しくしてきたというふうに考えているわけでございます。  相互接続の問題というものにつきましては、これはおっしゃるとおり、恐らく通信発展のキーになる部分だと思います。大きく言いまして、まず一つは、幾らの料金でNTTが新規の参入者とつなぐかという料金問題がございまして、これにつきましては、まず第一の大事な点は、算定の根拠というんでしょうか、明確にNTTが要求する料金を開示しなければいけないということがございます。巷間よく言われておりますが、四円程度ではないかというのがいわゆる情報通の間では言われているわけですが、いまだにその根拠というのは何も明示されていないわけでございます。  ですから、そういう点でいきますと、やはり何円になろうとそれをきちんと監視し、かつその根拠を明らかにする、先生がおっしゃったような何らかの監視制度というものが私は必要だと思います。  ただ、それにつきまして、私は郵政省がいわゆる相互接続の監視に当たるという考え方には反対でございます。なぜかというと、郵政省はNTT、NCC、将来入ってくるかもしれないアメリカ、ヨーロッパの企業、すべてをいわば規制する立場にありまして、そうして情報がすべて開示されるということになりますと、NTTはいわばその立場からいえばいつも守る立場に立たされてしまうということになるわけでございます。  そうしますと、NTTの方からすれば、ほかの企業の情報もすべて一手に握っているいわば郵政省の監視というのでは、郵政省の監視機関というのに対して恐らく信頼を置けないということになるのは私は理の当然だと思います。裏返しに言えば、NTTは本当のことを決して言わないということになりかねないわけでございまして、やはり産業政策を担当するところではない、全く第三者がこれを監視するというふうな形での相互接続のシステムというのをつくっていくべきではないかなと思っております。  以上でございます。
  37. 三重野栄子

    三重野栄子君 どうもありがとうございました。  私、前段がだらだら長かったもので、三橋先生、一言でございますけれども。  アメリカは、零細のところがばっと大企業になることがある。日本はいつまでたっても中小零細はずっと中小零細である。そこら辺の原因といいましょうか、これから生き生きとしていくために、先ほど少しお話あったと思いますけれども、よろしくお願いします。
  38. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) アメリカ中小企業というのは、割とこれまでベンチャー型の企業が多かったわけです。日本中小企業は圧倒的に下請関係が多いわけです。そういうことで、日本もこれからどんどんベンチャー関係の二十一世紀に伸びそうな企業がふえてくると思います。そうすると、第二の本田みたいな企業というものが出てくる余地というのは非常に多いんじゃないか。むしろ、そういう企業が出てくるような条件づくりというものを積極的につくっていく必要があるんじゃないかなと思っています。
  39. 三重野栄子

    三重野栄子君 どうも済みません。お二方、ありがとうございました。
  40. 山下芳生

    山下芳生君 日本共産党の山下でございます。三橋参考人にお伺いします。  送っていただいた論文の中で失業の問題について言及がありました。「現在、日本が直面している産業構造の転換は、戦後五十年の歴史の中でも、最も犠牲を伴う転換になるだろう。」「政府の積極的な対策が必要である。」と。この「最も犠牲を伴う」というあたりですね、具体的にリアルにこういう認識をされている、そしてこういう対策が必要だということがあればお聞かせ願えますか。
  41. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) それは基本的に言えば、既得権益ががっちり組み込まれている経済を変身ていかない限りはこの一国繁栄型の経済というものは直っていかないわけです。既得権益を変えていくためには相当な犠牲を伴うし、また、その犠牲なくしてできないだろうというようなことを私は言いたいわけです。
  42. 山下芳生

    山下芳生君 具体的に失業の問題で言いますと、例えば日経連の永野前会長などは、日本の今のGNPはアメリカ並みの生産性で生産すれば四千万人の就業者で生産できるという計算もある、現在、日本では六千万人の人間が働いているから二千万人が余剰になるという単純計算も成り立つ、あるいは製造業が急速に空洞化し、雇用が大幅に削減されると。二千万人と具体的な数字も挙げられているんです。  参考人は論文の中で、そういう失業問題に対する最大の対策というのは新たな産業の創設だというふうにおっしゃっておりますが、この二千万人、例えばそういう具体的な失業の数を想定された場合に、それにかわる新たな産業創設という点でいえば、例えば具体的にこういう産業をこう発展させていけば展望があるじゃないかということはお持ちでしょうか。
  43. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私は、完全雇用のもとでは新規産業というものは起こってこないだろうというふうに考えているわけです。したがって、ある程度の失業が出てこないと新規産業というのは生まれてこないだろうと思います。それは、新規に企業を起こす場合には、やはりそのかなめにたるのが人材なわけです。その人材がどこかの企業に入っていれば新しいベンチャー型の企業というのは出てきません。  アメリカのシリコンバレーで新規企業がどんどん出てきたのは、良質で比較的安価な労働力と申しますか、優秀な人材が労働市場にいたわけです。その人たちベンチャー企業を支えたわけなんで、ある程度労働が流動化されないと新規の産業が起こってこない。現在、日本は二百四十万の失業者がいるわけですね、三・三%の失業。これまでよりかちょっと多くなっています。こういう状況というものは新規産業というものを起こしやすいと思います。  それと、私は先ほどの情報革新型の技術で触れませんでしたけれども、これからは一人一業みたいな形で商売が成り立つような時代になると思うんです。一億人の人間がいれば一億人のソフトが必要だというようなことを言う人もいるわけです。だから、少人数で社会の多様なニーズに合わせるために大企業が一気に抱え込むというんじゃなくて、一人とか二人あるいは五人とかという、そういう小グループ一つの事業体を営んでいって適正な利潤を上げられるというような時代が来ると思います。そういう点では割と楽観主義なんです。  ただ問題は、高齢者の失業に対しては、別途、社会政策として対応していかなくてはいけないと思っています。
  44. 山下芳生

    山下芳生君 次に、お二人の参考人にお伺いします。  かってソニーの盛田会長は論文を書かれて、これは有名な論文ですけれども、経営の上で十分余業人が配慮してこなかった面がないかどうか真剣に考えるべきときだと、幾つか具体的に考えるポイントを挙げられています。労働時間をもう少し豊かさ、ゆとりが得られるように短縮すべきではないか、あるいは給与、これも豊かさが実感で弐るレベルにあるか、株主への配当をもう少し確保すべきじゃないか、下請等取引先に不満を持たせているようなことがないか、地域社会に貢献をもっとすべきじゃないか、環境保護にも十分配慮してきたかどうか等々です。  私は、この御意見というのは、株主への配当をもっとふやすべきじゃないかという点を除けば、日本共産党との共通性も非常にあるというふうに思っているんですが、盛田会長がお言いになっているのは、例えば、これから水平分業ということが時代としてそういう流れなんだ、そういうときに日本企業が、ヨーロッパ、アメリカと整合性のあるルールをしっかり守った上で、フェアな競争をしていくことが重要じゃないかという、その点での自己点検といいますか、そういう発想だと思うんです。私、これ非常に大事だと思ったんですが、お二人にこういう考え方についての御意見を伺えればと思います。
  45. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 今おっしゃられた盛田さんのおっしゃっていることは、私は当たり前過ぎまして特に政策論にはならないだろうと思うんです。  後半におっしゃられました、つまりルールの問題というのが大変重要な問題になると思うんですが、そういう点では三橋参考人も先ほど述べられましたんですけれども、やはり自由経済のルールというのは独禁法という問題に結局尽きると思います。  我が国は、独禁法の適用について、アメリカから盛んに、あれはジョークだとさえ言われたりすることがございますけれども、そう言われても仕方がない面があるわけです。  例えば、アメリカ人が反トラスト法を守るためにどれだけの人材をつぎ込んでいるか、どれだけの時間をかけているかというのと日本の公正取引委員会を比べますと、これは残念ながらもう比較がほとんどできないほど格差が大きいわけでございます。そういうような点ではEUも、実はヨーロッパはもともと割合と独禁法には冷たい国家グループだったわけですが、今回のEUの統合以後、独禁法を中心にした、そして規制をできるだけ排除するという方向のルールづくりがどんどん進められてきているわけでございます。  私は、やはり独禁法の観点から見て企業経営が健全である、フェアであると言われるようなスタイルのものをつくっていくということに結局は尽きるのではないかと思いますし、裏返しに言いますと、個人の経営者自分はこう思うというふうな意味での宣誓などをされても余り意味はなくて、やはりこれから先十年間は、私は日本の公取を少なくともアメリカの司法省の反トラスト局とかあるいは連邦取引委員会並みに格上げするというんでしょうか、人材を投入するとともに豊かなというんですか、そういうふうなものにする必要があると思っております。
  46. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私は、山下議員がおっしゃったことに別に反論するべきものはなくて、むしろ賛成です。  これからの企業は、一世代前の企業のように利潤だけを追求するだけでは存続できないと思います。やっぱり社会的な配慮というものを同時に行っていかなければ、恐らく二十一世紀は乗り切れないと思います。そういうことで、全面的に賛成です。
  47. 山下芳生

    山下芳生君 最後に、今規制緩和というのが時代の流れのように言われておりますが、私、もちろん理に合わない規制は見直す必要があると思うんです。例えば、余りにも経済効率の面だけが優先されて、国民の生活の安全を守る面等の規制がそういう流れの中で押し流されていくという危惧を持っております。食品の安全性の問題やあるいは航空機の安全性の問題等ですね。  そういう規制緩和のあり方について、もう時間もありませんので一言ずつ、こういう私のような考え方を持っているということについての御意見、いかがでしょうか。
  48. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 私、経済学者という形で、代表するというのはおこがましいんですが、ちょっと意見を述べさせていただきますと、非常に大きな誤解がございますのは、経済学者は規制緩和をすれば何でもうまくいくと言っているというふうなことを評論家の方なんかでおっしゃる方がいるんですが、そんなことはだれも言っておりません。まず、そこのところだけはっきり申し上げる必要があると思うんです。  つまり、規制緩和ないし撤廃が必要なのは、市場メカニズムに任せた方がはるかにうまくいくということがわかる分野について規制を撤廃した方がいいというふうに申し上げているわけでございます。今の御質問ございましたような安全性その他、いわば経済メカニズムないし競争メカニズムにすべてを任せてしまうと、実は、悪貨が良貨を駆逐するというふうによく言いますけれども、品質の悪い物がのさばっていい物がなくなってしまうというふうなタイプの競争を実現した方がいいというふうに思っているわけでは全くないということでございます。
  49. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 規制緩和については、すべてが規制緩和をすればよいということで、確かに産業界に誤解があると思います。例えば、規制緩和だから自動車の積載量をもっとふやしてもいいんだとか、あるいは道路を走れる自動車をもっと大型にしてもいいんだと、それをもって規制緩和だというふうに考えている一部の人たちがいることはおっしゃるとおりです。こういうものを規制緩和の対象として議論しているわけじゃないんですけれどもね。だから、安全の基準とかあるいは環境の基準なんというのは、場合によっては厳しくした方がいいと私は考えています。
  50. 山下芳生

    山下芳生君 ありがとうございました。
  51. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 本日はお二人の参考人の大変貴重な御意見を拝聴いたしまして、大変ありがとうございました。私に与えられている時間はたった十分しかありません。本当に大きな問題を聞くという時間ではありませんので、大変申しわけないんですけれども、二、三、非常にはしょってお聞きしたいというふうに思います。  最初に、三橋参考人にお聞きいたしたいのですけれども、確かに、一国繁栄主義ということは、もうそれがうまくいかなかったというのは実証済みで、水平分業時代というのは私にとっては大変理想的なこれからのありようだというふうに思います。  そこで、先ほど先生が、これらの水平分業時代はあったとしても、大きな根幹にかかわる部分け国家がきちっとなすべきだと。その例として、もし聞き間違えたら申しわけないんですけれども、環境、福祉、雇用の問題だということをおっしゃったわけですが、私は、先生がその根幹の部分を国家が全面にやるべきだという、その根幹の部分というものはどのような価値観で根幹部分と評されるのか、それをまずお聞きいたしたいと用います。  続きまして、時間がありませんのでずっと私の質問を言ってしまいまして、それで後で時間いっぱいお話しいただければいいと思います。  その部分で、先生は雇用の部分を特記なさいました。しかし、今、雇用の部分というのはまさに規制緩和の波に洗われまして、例えば派遣法などというのがどんどんその職種を広げているわけですが、こういう雇用の問題のときの規制緩和という考え方に対して、日本は職種を緩和しているんですが、そういう考え方でいいのか。あるいは、フランスとかドイツのように時間とか日数とかあるいは権利の部分で違った部分の規制緩和をする方がこれからの波に合うのか、その点をお聞きいたしたいというふうに思います。  もう一つは、ベンチャー企業参考人は大変指摘なさいましたけれども、しかし、ベンチャー企業というのは、これはほっておけばできるという問題じゃなくて、やっぱりある種の補助あるいは育成に対する資金というものが非常に必要なわけです。そうしますと、国家的な補助、育成資金というものを出すならば、やはり先ほど南部参考人がおっしゃいましたように、一つ行政の枠の中に閉じ込めてしまったベンチャー企業になりはしないか、この点は南部参考人にお聞きいたしたいというふうに思います。  それから、先生、済みません、もう欲張りで何でも聞いちゃおうということですが、日本も魅力ある企業であるならば空洞化は起きないと、こういうふうに三橋参考人は先ほどおっしゃったんですが、今、日本はまさに空洞化の恐怖にさらされているわけです。日本企業というのはなぜ空洞化の恐怖にさらされなければならないような魅力がない部分があるかということをお知らせいただきたいと思います。  そして最後に、南部参考人にですけれども、日本的雇用慣行ですね、これは、先ほど先生のお話を聞いていますと、やっぱり日本の賃金のあり方というのが一つの枠に、企業に閉じ込めてしまう。例えば賞与、ボーナス、退職金、あるいは扶養控除ですね、そういうものをこれからどのように考えていったらいいのか。  以上、お二人にお聞きいたしたいと思います。
  52. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 最初政府の役割と企業の役割というのは、私が強調したかったことは、政府の役割は先ほど言った環境とか住宅とか物価の安定とか雇用の保障とかございますね。それはいつの時代でも変わらない。しかし、それを実現していくための財源の対象者というのは、日本企業日本人というものに限る必要はないだろうということを申し上げたいわけです。  したがって、日本に多くのアメリカ企業が進出しアメリカ人が働いて、彼らの企業なり人々の税金で国の財政が賄われたとしても、それはいいではありませんか、それは当然ですよということを言いたかったわけです。  それから、順序が違いますけれども、空洞化の問題は、私は現在日本経済に、金融問題はちょっと別ですけれども、産業部門では空洞化が起こっているとは思っていないんです、まだ日本では経常収支の黒字が千億ドルぐらいありますからね。  アメリカでかつて空洞化が問題になったのは、赤字下で産業がどんどん出ていくというような時代に空洞化というようなことが言われたんです。したがって、今は生産性の高い企業が国内に残って円高に耐えられない企業が外に出ていくということで、好ましい調整が今日本企業の海外進出の過程では起こっているというふうに私は考えているんです。だから、空洞化を余り心配していません。  それから、規制緩和の問題でおっしゃったところは、御指摘のやつを総合的にやっていくんじゃないかなというので、あれかこれかというような形じゃなくていろいろな形なんじゃないかなというふうに思うんですけれども、雇用なんかについてはヨーロッパ型も必要かもわかりませんし、そんな感じがいたします。
  53. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 二点ほど御質問がございました。まず、最初ベンチャーキャピタルの問題なんですが、これは恐らく二つほど問題があると思うんです。  一つは、やはりベンチャーキャピタルというのはもともと定義的にリスキーなものであって、返ってくるかどうかわからない、返ってこない方が多いというのがベンチャーキャピタルなわけでございますが、日本行政システムの中ではそれは大体不健全と呼ぶわけですけれども、不健全な資金を供給するのはけしからぬというので大蔵省が介入したりしてさまざまな形での規制は行ってきたわけです。もうこれは大きなお世話でございまして、お金を出す人は返ってきたら大もうけということでお金を出すわけですから、そこに介入するなんて全く必要ないと私は思っております。  例えば、アメリカでは八〇年代にMアンドAが盛んに行われまして、ジャンクボンドというのがたくさん出ました。ジャンクボンドというのはハイリスク・ハイリターンの典型でございまして、うまくいけば収益率何十%、しかし大概はうまくいかない、そういうジャンクボンドが横行して、横行するという言葉にもう価値判断が入っておりますけれども、日本では横行して非常に不健全だと言ったわけですけれども、そうじゃなくて、実はそのジャンクボンドがあったおかげでその前の水膨れしていましたアメリカ企業がスリム化することに大変役に立った部分もあるわけでございます。  ですから、私は資金の供給形態について、規制がまずそういった形で介入するというふうなことが、一つのこれが発展する契機を阻害しているのではないかと思います。  いま一つは、甚だ直観的な話で恐縮でございますけれども、私は、戦後の日本人は一言で言えばけちだと思います。お金がたまったらそのお金をどんどんいろんなことに使えばいいのに、ともかく自分の中にため込んでおいて、例えばそれを使って間違って財産をすってしまうと、あいつはばかだというふうな批判をするわけですけれども、そうじゃなくて、それは勇気があって立派だというふうに言わなきゃいけないと私は思うんですが、そういうことができないと。これはカルチャーの問題でございますけれども、結局日本人というのは特に金持ちが極端にけちになった、アメリカの金持ちは非常にそういう点ではおおようだという、これはどうやったら変わるかわかりませんが、私はけち説というのを唱えております。  それから、日本型雇用慣行につきましては、これはすごく大きな難しい問題ですけれども、基本的には私は、つい最近まではこれがうまく機能してきたと思うんです。  経済学者はよくこれを後払いシステムというふうに言っているわけですが、最初入社したときにもらえる賃金というのは非常に低いわけです。しかし、二十年、三十年たちますと、課長になり部長になりして、それで非常に高い賃金がもらえる。最初のころは少ししかくれないで後でたくさんもらえるという意味で後払い賃金システムなんですが、これは経済発展し続けるときには結構うまくいくわけでございまして、自分が年とったころには、会社も大きくなり経済も大きくなっているわけですから、十分報酬がある。そうすると、最初もらうときは非常に低くても新入社員は文句を言わなかったわけでございます。  ですけれども、そのシステムというのは、私はもうすっかり変わったと思います。少なくともかつてのような成長というのは考えられないわけですから、ちょうど今の年金問題と同じでございまして、後でもらおうと思って一生懸命努力していても、課長になったときには課長のその手当が余り来ないというふうなことが十分起こるわけで、私は、これは内部的にもうこのシステムは崩壊せざるを得ないんだろうというふうに思っているわけでございます。やはりこれからは中成長、低成長に合ったタイプの雇用賃金体系というのが生まれてくるのではないかと思っております。
  54. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 ありがとうございました。
  55. 水野誠一

    ○水野誠一君 さきがけの水野でございます。  きょうはありがとうございました。  南部先生にまず伺いたいと思うんですが、先ほどオープンネス欠如ということでお話をいただきました。  私は、先日、ジョージ・ソロスが日本に来ましたときに少人数で一緒に夕食をとる機会がありました。そこで、ジョージ・ソロス・ファウンデーション、彼が四千億とも言われている私財を投じましてロシアとかアフリカ二十五カ国にオープンソサエティーを実現するんだということでやっている社会貢献運動があります。その話が出たと勇に、どちらからともなく、半分冗談でもあるんですが、実は日本こそ先進国であるけれども一番オープンソサエティーじゃないんじゃないだろうか、これを何とかしないといけないなというよらな話が出たわけでありまして、まさにこのオープンネス欠如というのが国際的な認識にもなっていることだなというふうに思いました。  その中で御質問したいんですが、一つはネットワーキングのおくれということでお話がありました。このNTT分割問題というのは今いろいろ議論されているわけでありますが、私自身は分割ということはまさにネットワーキングを進めていく上では反対だ、ただ規制緩和は大いに進めるべきだという中で、今国際的メガコンぺティションの時代に海外からメガキャリアを日本に導入する、あるいは開放してでもこの規制緩和を進める必要があるんじゃないだろうかなという考えを私自身は持っているのでありますが、先生のお考えをちょっと伺わせていただきたいと思います。
  56. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) 私も、いわば情報通信における競争のあり方という点につきましてはNTT分割には反対でございます。むしろ、NTT分割をするよりは、NTTに匹敵するような競争企業日本に参入してくるということは大変望ましいことだし、それから日本国内におきましても、随分出おくれましたのですが、日本の電力産業というのは九社合わせれば世界一の電力産業でございまして、こういうネットワーク産業が本当に競争相手になるという形でのメガコンぺティションというのがあるべきだと思っております。  海外からにつきましても、先生と私は同じ意見なんですがへただ日本は十分アメリカ議論するときに、あるいはヨーロッパと議論するときに条件をつけるべきなのはレシプロシティーの問題だと思うのです。今度、アメリカ通信法も変わりましたけれども、やはり海外からの外資に関してはきちんとその上限を定めておりまして、やはり日本アメリカ以上にサービスをするというふうなことは若干危険があるのではないかなと思っております。  というのは、セキュリティーの問題を日本は余り議論はいたしませんけれども、情報通信というのはまさにセキュリティーそのものでございまして、これを握られてしまったら、ともかくもう日本はにつちもさっちもいかなくなる、そういう点をちょっと考えたらというふうに思っております。
  57. 水野誠一

    ○水野誠一君 ありがとうございました。  もう一つ伺いたかったのは上場の問題でありまして、ベンチャーキャピタルのお話というのがあったわけですが、日本で第二店頭市場というのが出てきた、しかしまだ残念ながら活性化しているとは言えない。これは、先ほどから先生のお話を伺っていますと、単に株のシステムの問題だけじゃなくて、まさに一から六まであるオープンネスというものが欠如しているというところの中に問題があるんじゃないかなという感じを受けたのでありますが、先生がごらんになってこの日本における上場システムというもの、アメリカのNASDAQにかわるような上場システムというものがこれから可能になっていくのかどうか、その辺の御意見をちょっと伺いたいと思います。
  58. 南部鶴彦

    参考人南部鶴彦君) やはり第二店頭市場日本現状を象徴していると思いますけれども、日本ではやはり株式というのはどちらかというと一般の庶民からすれば非常に怪しげなものである、ただ単にリスキーというだけではなくてうさん臭いものであるというふうな見方が非常に強いというのが、一般に株式が国民のものにならない一番大きな原因だと思います。  例えば、この株式市場が一番最初に発達したのは言うまでもなくイギリスでございますけれども、イギリスでは株式ブローカーというのは非常に社会的地位も高いわけでございます。ところが、日本でブローカーと言いますと、これはもう何か別の職業の人の兼業ではないかと思われるような感じがございまして、ブローケージというのは大変重要な情報と情報を仲介する業務なわけですけれども、それでさえもいわば社会的な地位が与えられていない。やはりこの辺につきましては、情報のシステムをどう考えるかということで、どうも日本は一回脱皮しませんと、株式市場を有効に使うことができないのではないかなと思っております。
  59. 水野誠一

    ○水野誠一君 ありがとうございました。  続いて、三橋参考人に伺いたいと思うんですが、先ほどのお話の中で、独占禁止法の強化というようなこと、つまり市場秩序の維持ということをおっしゃっているわけでありますが、この独占禁止法の問題と規制緩和というのはある意味においては非常に裏腹の問題になっているという中で、実は私自身今持ち株会社解禁のプロジェクトに入って今非常にいろいろ勉強を進めているというところでございますが、日本においての持ち株会社解禁問題ということについて三橋さんはどういうふうにお考えになるか、伺わせていただきたいと思います。
  60. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 私は、基本的には持ち株会社ができてしかるべきだろうというふうに考えています。もう既にメーカーなんかの場合には業種が違う形でいろいろ子会社群を持っていますね。割と自由にやらせて中央でコントロールするというようなやり方というのが時代の変化に対応しやすいんじゃないかなと思っておりまして、持ち株会社ができることは独占禁止法に違反するようなものにならないだろうと考えています。
  61. 水野誠一

    ○水野誠一君 今のお話は大変よくわかりました。  先ほどのお話の中で、規模の経済から規模の限界ということになっていくというお話があったわけでありますが、これは私は、言いかえると範囲の経済という言葉が非常にこれから重要な意味か持っていくんではないか。単にスケールメリットを追求するだけではないということだと思うんですが、その中で特に三橋さんが最近何かお感じになっているような事例といいますか、何かヒントみたいなものがあればひとつ伺わせていただきたいと思うんです。
  62. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) 例えば、これはケースとしてはいかがかと思いますけれども、中国では今、三峡ダムの開発というものをやっています。あれは距離として六百五十キロメートルぐらいですか、そこに住んでいる人たち百万人を除いて世界最大の水力発電をつくろうというような試みがありますね。ああいう試みなんかについては、確かに非常に電力が不足している中国では電力が欲しいわけですけれども、ああいう形での水力発電というものは将来に相当環境負荷を残すんじゃないかなというような感じを持ちます。  特に、アジア諸国に重化学工業なんかで日本が進出する場合などについても、環境負荷との関係というものを非常に重視していかざるを得ないというような感じを持っています。  具体的な企業についてどうこうということについては、ちょっとお答えできないです。
  63. 水野誠一

    ○水野誠一君 先ほどお話しの中で、今、情報産業というものが第二次産業あるいは第三次産業に非常に大きな影響を与えてその産業構造を変えつつあるということを伺いながら感じたわけでありますが、こういった産業が片方で非常に生産性を上げていく、高生産性を実現していくということの中で、やはり新しく新規事業、新産業を創設していくということの必要があるというお話もあったわけであります。  それは、私は恐らく、先ほど三橋さんから一人二人でつくれる産業でもあるというふうにもお話があったんですが、その中心的なサービスというものを充実させていく、片方では高生産性を追出していくけれども、片方では場合によっては非常に低生産性だけれどもその情報産業が満たせないものを満たしていく、そういうバランスをとっていく新しい新規産業というのがこれからの時代は必要じゃないかな、こういうふうに思っているところでありますが、これについて三橋参考人から一言何か御意見があれば伺いたいと思います。
  64. 三橋規宏

    参考人(三橋規宏君) おっしゃることはそのとおりだろうと思います。  ただ、私は、これから高齢化社会に日本が入っていくという中で、高齢化社会を比較的明るく過ごすためには、やはり情報革新型の技術がいろんなところで埋め込まれていないと実は高齢化社会というものは実現しないだろうというような感じを持っているわけです。そういった分野は必ずしも生産性が高いかどうかということになると、また別の視点があると思います。しかし、いずれにしても、その両者のバランスをとっていくということ自体については全く賛成ですね。
  65. 水野誠一

    ○水野誠一君 ありがとうございました。
  66. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) 以上で両参考人に対する質疑は終了いたしました。  南部参考人及び三橋参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。  本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)     ―――――――――――――
  67. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) 引き続きまして、社会資本整備課題基本的方向について、名古屋大学経済学部教授奥野信宏君及び東京大学工学部都市工学科教授大西隆君のお二人に御出席いただき、順次御意見を承ることといたします。  この際、奥野参考人及び大西参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております二十一世紀経済社会に対応するための経済運営在り方に関する件のうち、社会資本整備課題基本的方向について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず両参考人からお一人三十分程度ずつ順次御意見をお述べいただきました後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  それでは、最初に奥野参考人からお願いをいたします。
  68. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 御紹介いただきました奥野でございます。きょうは御招待いただきまして、どうもありがとうございます。  これからの社会資本整備課題ということでお話をさせていただきたいと思います。  皆さん御案内のように、日本経済は戦後著しい経済発展を遂げまして、アジアの先頭を切って先進国の仲間入りを果たしたわけでございます。そしてその後、世界産業経済をリードしてきたわけでございますけれども、現在、成熟化した産業の活力をこれからどういうふうに維持していくか、そして生活の質をどういうふうにこれから高めていくかというような基本的な問題を抱えているというふうに思っております。  成熟化した産業の活力をどう維持するかという点につきましては、私はアジアの台頭ということに注目いたしております。アジアが工業国家として台頭してまいりまして、それが日本の製造業の空洞化の一因になっているということは皆さん御案内のとおりでありますけれども、しかし日本で空洞化しているのは製造業だけではないわけでありまして、社会基盤におきましてもアジアが国際競争力をつけつつあるというふうに思っております。  アジアの国家といいますと、社会基盤が整備されていないということが経済発展になかなか結びつかないというふうに理解されてきたわけでございますけれども、最近では日本をしのぐ空港あるいは日本をしのぐ港湾が整備されてまいりまして、我が国の港湾あるいは空港がだんだん国際競争力をなくしているというのが現状ではないかというふうに思います。  空港では、成田にしましても関空にいたしましても滑走路は一本でありまして、とてもハブ機能は持ち得ないというふうな状況であります。今度、中部新国際空港がやはり国際拠点空港として整備が進められることになっておりますけれども、それも滑走路一本として発足するということでありまして、チャンギでありますとか、あるいはアジアの他の国で計画されている国際空港とハブ機能面で競争するということはとても難しいという状況にあるわけであります。  また、港湾につきましても、最近の貨物輸送の中心はコンテナ船でありますけれども、日本の港湾は超大型コンテナ船になかなか対応できない状況になってきていることは皆さん御案内のとおりであります。かつては、日本にコンテナ船が着いて、そこから小さな船に乗りかえてアジアの諸国に荷物が配られたということでありますけれども、現在では、アジアのシンガポールでありますとか高雄でありますとか、そういうところに大型コンテナ船が着いて、そこから小さなコンテナ船に乗りかえて日本に着くというふうな状況でありまして、日本がだんだんとフィーダー、枝線になってきている状況であろうというふうに理解いたしております。  空港とか港湾でハブ機能を持つのがいいかどうかということにつきましてはいろいろ議論があるわけでございますけれども、ハブ機能を持ちますと人や物が集まります。人や物が集まりますと情報も集まってくるわけでございまして、ハブ機能があることによって新しい産業が起こる、ハブ機能があることによって研究開発機能が進んでいくということもございます。アトランタなどは空港がハブ機能を持ったということでオリンピックを開くまでに大変大きな成長を遂げているわけであります。ハブ機能がなくなるということは、いわば情報でも日本が空洞化していくおそれがあるわけでありまして、日本がだんだんとアジアの奥座敷になりつつあるということではなかろうかという危惧を持っております。  それから、生活の質をどういうふうに高めていくかという点につきましては、世上、価格破壊というふうなことが言われておりますけれども、私はそれに注目いたしております。  政府経済見通しですと、二〇〇〇年までの我が国の消費者物価の上昇率は一%未満、〇・七%ぐらいである、卸売物価指数はマイナスである、つまり物価はほとんど上がらないという見通しが出されているわけであります。規制緩和は進まない進まないといいながらも着実に競争条件は整備されておりますし、あるいはアジアの工業国家は安くていい工業製品を供給しておりますし、また消費者が価格に対して大変シビアになっているというふうなこともありまして、この価格破壊、価格革命と言われるものは当分続いていくというふうに考えてよろしいんではないかと思っております。  これが生活に対して持つ意味でありますけれども、我が国はこれから余り高い経済成長率は期待できないわけでございまして、生活のコストが削減されることによって実質的に生活の質の向上を図っていくというふうなことが行われていくのではないかと思っているわけでございますけれども、これは所得がどんどん伸びていく状態に比べますと大変シビアな、いわばつらい生活の質の向上だというふうに理解いたしております。それが私が現在持っておりますこれからの経済全般についての認識でございます。  公共投資と社会資本につきまして少し触れてみたいと思います。  公共投資につきましては、その配分が硬直的であるとか、あるいは経済の合理性を欠いているとか、いろんな批判が行われているわけでありますけれども、少し長期的に見ますと、対象地域でも投資の対象分野でも相当変動しております。短期的にそれほど変わるものではないわけです。  公共投資はもちろん政府経済計画が大きな影響力を持っているわけでありますけれども、ちょっと話がさかのぼって恐縮でありますが、昭和三十五年ぐらいからどういうふうな理念で行われてきたかというのをざっと振り返ってみますと、昭和三十五年に池田内閣で所得倍増計画がつくられます。これは、三十六年から十年間に一人当たり国民所得を実質で二倍にするという当時の時代の熱気を感じさせるような計画なわけでございますけれども、いわば高度経済成長の神話というふうなものが支配しておりました。  その当時は、京浜工業地帯、中京工業地帯、それから阪神工業地帯等々で日本産業活動が大変活発になりました。そこに資本や人が流入いたしまして社会資本が不足いたしました。道路がない、それから通信がない、上下水道がない、それが産業活動の隘路になる、産業活動が制約される、それが経済成長を制約するというおそれがあったわけでございます。所得倍増計画ではそうした産業活動の隘路を打開して高度経済成長を実現することが計画の目的であるというふうにうたわれておりまして、今の言葉で言いますと、生活基盤の整備は計画の後半に後回しにするというふうなことが書かれております。  時代的には大変大ざつばな話で恐縮でございますけれども、昭和四十年ごろになってまいりますと高度経済成長のひずみということが大きな社会的な問題になってまいります。一つは公害問題、それからもう一つは都市と農村、大都市圏と地方圏の格差が縮まらない、こういう問題でございます。  昭和四十年代に入りますとナショナルミニマムの是正ということが大きなテーマになってまいりまして、公共投資にもそういうことが反映されます。具体的には、公共投資は大都市圏ではなくて地方圏、それから投資対象分野は産業基盤ではなくて生活基盤を優先する、こういうことでございます。所得倍増計画のときには、対象地域は大都市圏、それから対象分野は産業基盤ということでありましたけれども、昭和四十年代の半ばにそれが変わってまいります。  ところが、昭和五十四年に新経済社会七カ年計画というのがつくられますが、そこではまたその傾向が大きく変化いたします。高度経済成長時代のようなやり方で生活基盤整備をやっていけば公共部門が肥大化して経済全体の効率性を損なうおそれがあるというふうな批判が出てまいりました。それまでの公共投資のあり方を改めるという方向が出てまいりまして、再び大都市圏と地方圏のバランスをとった投資を行う、そして産業基盤と生活基盤のバランスをとった投資を行うというふうなことが基本理念になっていくわけでございます。  お手元にこういうふうな図を入れたものをきょうお配りしていただいたかと思いますけれども、その三枚目をちょっとごらんいただきたいと思います。これは最近出ました私の本からコピーしたものでございますが、図四ー三「生活環境投資/産業基盤投資」とございますけれども、これは低いほど産業基盤優先、高いほど生活基盤優先ということでございます。昭和三十年代半ば過ぎまでは産業基盤が優先されて、四十年代半ばから生活基盤へ投資がふえていく、そして五十年代半ばから両方のバランスをとった投資が行われるというふうなことが見てとっていただけるかと思います。  それから、前後して恐縮なんですが、一番最後のページをおめくりいただきたいと思います。これは公共投資の地域間の配分指数をあらわしたものでございまして、公共投資は実線でかいてございますけれども、これは都道府県を単位といたしました配分指数でございます。この値が大きいほど地方圏に比較して大都市圏への配分が大きいということでございます。昭和三十年代半ば過ぎまでは大都市圏への公共投資がどんどんふえていきます。四十年代に入りますと地方圏への投資がずっと大きくなってまいりまして、五十年代半ばから均衡ある発展といいますか、大都市圏への投資が徐々にふえていくというふうな傾向を見ていただけるかと思います。  これにもう一つ点線でかいてございますが、これは民間投資の動きでございまして、民間投資の動きと公共投資の動きが大変密接な関連を持っているということが御理解いただけるかと思います。  一言で申し上げますと、昭和三十年代といいますのは大都市圏にまず民間投資が流入いたしました。そして、先ほど申し上げましたように、社会資本が不足いたしまして、それを追っかける隘路を打開するために公共投資が行われたということでございます。それから、四十年代は逆に地域間の格差是正のために地方圏に公共投資が行われて基盤整備が行われた。それを追っかけて民間投資が地方圏に行われた。つまり地方に工場が建ってきたということでございます。  こういうふうに民間投資と公共投資というのは密接な関係を持って動いておりまして、その結果、一ページ前に戻っていただいて、図四ー五「地域間所得分配の不平等の展開」というのがございます。これは都道府県を単位にいたしました地域間所得の不平等、格差がどういうふうに展開してきたかということをあらわしておりまして、値が大きいほど大都市圏と地方圏の格差が大弐い、小さいほど格差は縮小しておるということでございます。昭和三十年代から四十年代にかけて格差は拡大し、四十年代は格差はずっと縮小して、また五十年代半ばから格差は拡大しておるということがごらんいただけるかと思います。  この図と、もう一枚後ろにあります投資の地域間配分の図を重ね合わせていただきますと、公共投資、民間投資の動き、それから地域間の所得格差の動き、これが大変密接な関係を持って動いておるということが御理解いただけるかと思います。公共投資は我が国の地域格差の是正にとっても大変大きな意味を持ってきたということが御理解いただけるんではないかと思います。  こういうふうに、公共投資というのは、対象分野で見ましても、あるいは対象地域で見ましてもかなり大きく動いているわけであります。私は公共投資が日本経済発展を背後で支えてきたというふうに高く評価しておりますけれども、この動きは経済学的に考えてもかなり合理的ではなかったかというふうに思っております。  公共投資は、いつ、どこで、何に対して、どのような規模で行われるかということが大切なわけでありますけれども、例えば昭和三十年代の前半の時点に立って、昭和六十年の国民所得を最大にし、それから地域格差を最小にするためには、いつ、どこで、どのようなものに対して公共投資を行うのが望ましいのかということを考えてみた場合に、日本の公共投資のこの三十年間の動きというのはそのための一つの最適な戦略パターンになっていたんではなかろうかというふうに考えております。  そういうふうに、これまでの日本の公共投資はそれぞれの時代の要請で行われてきたわけでありまして、それほど長期的な計画で行われてきたもけではありませんけれども、結果的に見ると戦略的にはかなりいいパターンになっていたんではないかというふうに評価しているわけでございます。  しかしながら、最近の公共投資につきましては、今までお話ししてまいりましたような理念が不明確だというふうなこともございますし、国土の均衡ある発展、豊かな社会の創造というような理念では余りにも漠といたしておりまして、どんな公共投資でも理屈をつければこういう理念にはかなってしまうという点もあるのではなかろうかというふうに思っております。  これから日本経済にどういうふうな公共投資が求められるかということでございますが、皆さん御案内のように、各地域で産業の空洞化ということが大きな話題になっております。産業の空洞化というのは別に今起こったことではありません。産業の空洞化というのは産業発展と同義語であります。産業は空洞化しながら発展していきさす。日本の戦後の経済発展は製造業の発展だというふうに言ってもいいわけでございますけれども、各時代、各時代をリードした製造業は変わってきておりまして、空洞化しながら次の産業が育ってきたということでございます。  私は名古屋にもう二十年ばかり住んでおりまして、あの地域は日本の製造業をリードしてきた地域でございます。ここ二十年間、愛知県の製造業の出荷額はずっと日本のトップでありますし、製造業の付加価値生産額も日本でずっとトップでおりまして、日本の製造業を引っ張ってきたのはあの地域だと思います。  あの地域の例をちょっと挙げてみますと、戦後のリーディング産業というのは繊維を中心とした軽工業であります。東海地域は毛織物でございます。ところが、一九六〇年ごろになりますと、その地域から途上国であります韓国とか台湾に繊維産業は移っていきます。日本のリーディング産業は空洞化していくわけであります。  その次の日本のリーディング産業は重化学工業であります。鉄鋼、石油化学、それから造船、そういったものであります。そのときには、そういう産業はあの地域では伊勢湾一帯にもう既に立地しておりまして、また日本の製造業を引っ張っていくわけであります。一九七三年に第一次オイルショックが起こりまして、石油化学、鉄鋼、造船等々はエネルギー多消費型でありまして、再び空洞化していきます。その当時の途上国といいますか、中進国になっておりましたけれども韓国とかメキシコ等々に移っていくわけでありまして、再び空洞化するわけであります。  その次の日本のリーディング産業は加工組み立て型産業というふうに申しまして、自動車でありますとか機械とか電機、電子、こういったものが日本のリーディング産業になっていくわけであります。そのときには、あの地域では既に内陸部で自動車産業、機械産業が育っておりまして、再び日本のそういった加工組み立て型の産業をリードしていく。  こういうふうに、産業というのはいつまでも先端的ではありませんで、いずれ標準化して、より地価の安いところ、より賃金の安いところに移っていくわけでありまして、そのときにその地域が実際に空洞化するかどうかは、次に新しい産業を育てることができるかどうかということにかかってきているわけであります。  日本は製造業で戦後の世界経済をリードしてきたわけでありますけれども、製造業の中身は大きく変わっておりまして、空洞化を乗り越えてきたということであります。次に日本をリードしていく産業は何かということになっていきますと、これは政府の方でも随分御熱心に討議なさっていらっしゃるわけでございますけれども、各地域、各地域でも討議しておりますが、なかなか見つからないというのが現状であります。  しかし、言えることは、これは全国共通でありますが、まず第一に高付加価値化、高い付加価値のあるものを生産しなきゃいけない。日本のように賃金が高いところ、アメリカの製造業に比べますと日本は時間当たり賃金は一・五倍から二倍ありますので、アジアに比べますとこれはけた違いであります。日本のように賃金が高くて地価の高いところでアジアと同じものをつくったんでは、とてもじゃないけれども競争にならないわけでありまして、高付加価値化。  それから第二番目に、そのための研究開発機能の強化ということであります。  研究開発機能の強化への取り組みは、筑波とか関西研究学園都市は国のプロジェクトとして行われているわけでありますけれども、各地域もそれぞれの規模で大変熱心に取り組んでおります。東海地域でも三県市それぞれそういうプロジェクトを持ってやっているわけでございます。  これは全国共通で言えることでありますけれども、研究開発機能の強化という面で社会資本に期待されることは私は二つあるというふうに思います。一つは生活基盤の整備であります。それから第二番目は交流・情報機能のための基盤整備であります。  生活基盤の整備と申しますのは、居住環境、それから子弟のための学校、医療、レジャー環境等々でございます。こういった環境は筑波あるいは関西研究学園都市とも大変厳しいものがあるというふうに思いますけれども、その他の地方の研究学園都市では、東海地域でもさらに厳しいものがありまして、研究所ができたから行ったけれども、都会生活になれた研究者や家族にとっては大変厳しい生活を強いられるというふうなことがあるわけであります。今、日本ではザ・センター・オブ・エクセレンスといいますか、世界有数の研究機関になっていくということを目指しているわけでありますけれども、世界あるいは日本のトップの研究者を集めていくには生活基盤が各地域で不足しているんではなかろうかというふうに思うわけでございます。  それから、交流・情報機能の整備といいますのは、国際・国内空港へのアクセス、それから高速道路網、高速鉄道網、それから情報基盤の整備であります。特に、国際的な研究者を集めたような研究開発機能を持つ団地を整備するためには、私は国際空港からのアクセスが大体一時間以内というような条件が必要ではなかろうかと思っております。  こういった生活基盤、それから情報・交流基盤という意味では、地方圏がおくれているということはもちろんでございますけれども、大都市圏の研究開発団地でも必ずしも整備されているとは言いがたいという状況にあると思います。  急いでつけ加えておきますけれども、研究開発機能だけ残せば製造の現場はアジアに移ってもよろしい、他の国に移ってもよろしいということでは決してございませんで、工場には現場に密着した研究開発機能が付随しております。日本の各地域は工場誘致に大変熱心なわけでございますけれども、それはただ製造の現場が来ればそれでいいということではなくて、それに付随して現場に密着した研究開発機能も来るということで歓迎されるわけでございまして、製造現場が海外に出ていけば、製造現場に密着した研究開発機能も同時に流出していくということであります。  したがいまして、製造現場は出ていってもいい、研究開発機能だけ整備していけばいいということでは決してないわけでございます。試験研究機関から出てくる試作品だけを製造していたのでは膨大な雇用は維持できないわけでありまして、そういう意味中小企業対策、それからベンチャー対策というのは同時にやらなきゃいけない大変重要なテーマだというふうに思っております。  これからの社会資本の整備につきまして、今までの話をちょっとまとめておきたいわけであります。  第一に、最近理念がはっきり見えてこないということを先ほど申し上げましたけれども、大都市圏に国際競争力のある港湾、空港を整備していく、これがまず一つの重点的に行うべきことではないかというふうに私は思っております。  それから、対象分野につきましては、研究開発機能を強化するための生活基盤整備、情報・交流機能整備が大事ではないかというふうに思っておりまして、対象地域と対象分野の重点化を図っていくことがこれからの社会資本整備として求められることではなかろうかというふうに第一に思っております。  それから第二に、地方分権的な整備方策を模索すべきではないかというふうに思っております。  現在では日本の各地域はそれぞれ巨大な経済ブロックを構成いたしております。東海地域の例げかり挙げて恐縮でございますけれども、例えば愛知県は人口とGNPで見ますとスイスと同じだけの規模がございます。しかし、愛知県では独自にはなかなか国際空港はつくれない。スイスには国際空港は幾つもあるわけでございますけれども、愛知県ではなかなか独自につくれない。これは財源、権限等々での分権化が進んでいないということでございます。日本の各地域は巨大な経済ブロックを構成しているわけでありまして、それぞれの地域がそれぞれの実情に合った計画をつくって実現していくということがこれからの活力のためには大事ではないかと思っております。  それから、地方分権的な整備方策といたしまして、第二番目に資金調達の多様化を図っていくということが必要だと思います。  高齢化社会になっていきますと、皆さん御案内のように、貯蓄率は低下してまいります。高齢者は貯蓄をする主体ではなくて、貯蓄したお金を使う主体でございまして、貯蓄率は下がっていきさして、社会資本整備のために回す資金はだんだんと厳しくなっていくわけでございます。  また、これから我が国では公共投資について車新投資の割合がふえてまいります。経済企画庁の推計ですと一九九〇年では更新投資の割合は三文ということでありますけれども、二〇一〇年には更新投資の割合は三五%までふえていくということでございまして、資金を投下してもなかなか新しい社会資本ができてこないというふうな状況になるわけでございます。そのために資金調達の多様化を図っていくことが大事だというふうに思います。  これまでも日本の公共投資等々では開発利益の還元ということはかなりの程度行われてきた実績はございます。土地の区画整理事業というのは日本の都市再開発で大きな役割を果たしてきたわけでございます。  大都市圏内の集落の街路、それから公園等を整備する、そういう事業でございますけれども、整備されることによって土地の付加価値が高まっていくわけでございますが、地主は自分の所有する土地の一部を公園用地あるいは道路用地として提供していく。しかし、それによって付加価値が高まっていくわけでありますから地主も便益を得るということでございまして、こういうふうな方法によって都市再開発が随分行われてまいりました。しかし、現在の大規模なプロジェクトに対応するためにはもう少し資金調達を多様化していく必要があるんではなかろうかというふうに思っております。  アメリカ等々でよく行われておりますのは税増融資、税金をふやす融資です。タックス・インクレメント・ファイナンスというふうに言いますが、これがごく一般的に行われております。これはどういうものかといいますと、都市再開発を行いますときに、アメリカの中心部というのはかなり荒れているわけでありますが、そこの再開発を市が行うときに、再開発を行うことによってある一定地域の、プロパティータックスと言いますが、固定資産税の税収がふえるわけでございます。そのときに、ベースになる固定資産税は全都市の一般会計に入るわけでありますが、都市再開発によってふえた税収分はその事業の収入というふうにいたします。  その事業は債券を発行して資金調達をするわけでありますが、その債券の償還、利払いはふえた税収で行うという仕組みでございまして、事業を行って将来ふえる収入を現在資金化して事業に投下していく、こういう方法でございます。アメリカではこういう債券はかなり一般的に発行されておりまして、免税債で相当人気があるわけでございます。  日本ではこの債券は発行されておりません。東京湾の横断道路をつくるときにそれが話題になったことがありますけれども実現しなかった。今回の阪神・淡路大震災でも復興資金として話題になったことはございますけれども、実現いたしませんでした。  実現しない理由は、公的な債券でございますので、将来の事業が思うような成果を上げなかったときに債権の回収をどうするんだ、公的責任が出てくるんじゃないかというふうな問題。それから、ある特定の債券だけ免税にすることの不公平の問題等々があって、なかなか実現しないわけでございますけれども、日本でも先はどのような状況を考えますと、資金調達の多様化を図っていくことが大事ではなかろうかというふうに思っております。  急いでお話しいたしました。大体時間になりましたので、一応これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  69. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) ありがとうございました。以上で奥野参考人の御意見の陳述は終わりました。  次に、大西参考人にお願いいたします。
  70. 大西隆

    参考人(大西隆君) 御紹介いただきました大西といいます。  お手元にうまく配られているかどうか、おくれて提出いたしましたものですからちょっと自信がないんですが、「社会資本整備課題基本的方向」という三枚のレジュメがお配りしてあったらごらんいただきながらお聞きいただきたいと思います。  最初に、私が申し上げたいのは、社会資本整備というきょうのテーマに関連して、現在大きな転換期にあるんではないかという点でございます。一言で言えば、「量的拡充から質的充実」というふうにここに書いておりますけれども、例えば全国の高速道路というのは一万四千キロつくるということになっておりますが、大体五〇%程度准捗した段階かと思います。したがって、まだ膨大な建設量が残っているというのは計画からいえば事実なんでありますが、例えば今の道路の問題でいきますと、かつては地方の新聞なんかで特に話題がないときに交通問題、道路建設問題のシンポジウムをやると紙面が埋まるというふうに言われていた時期がありましたけれども、最近少し様相が変わってきている。世論調査なんかでも国民のニーズの上位の方に道路整備なんかが常連として挙がっていたわけですが、今はかなりランクが下がっているアンケート結果が多いようであります。  さっきの五割程度の進捗率ということからいえば道半ばなんでありますが、しかし国民の充足感という観点からいくと、伝統的な社会資本の重要な柱、道路だとか港湾というものについてはある程度の充足感が出てきているんではないか。  そういう意味では、これからの社会資本という場合に、現在計画があって残されているものをどうやって着実に仕上げていくかということだけではなくて、新しい社会資本の着眼点といいますか、分野は何なのか、そういうことについて非常に重要な問題として考えて方向性を決めていく、そういう転換点に現在あるんではないかという気がしています。  アメリカのカリフォルニア州に大学の町でデービスという、州都のサクラメントに近いところですが、私は都市工学が専攻ですが、そこに古典的なビレッジホームスという人口五万人程度のニュータウンがあるんです。その中の住宅団地、日本流に言えば住宅団地ということなんですが、そこはかつて亡くなったフランスのミッテラン大統領がわざわざ視察に行ったとか、あるいはアメリカ大統領夫人何人かがお見えになったとかいうことで、小さいながらも世界的にも有名な町あるいは住宅団地なんです。何が有名かというと、非常に環境に配慮したユニークな町づくりをしているということで有名なわけです。その詳細についてはきょうはお話しする時間がありません。  前からそのことは文献で知っていたわけですが、実際に訪れてみて、きょうの社会資本といち話題に関連して、ここまでやっているのかといろことでびっくりしたのは、我々は下水あるいは雨水、こういうものは管に集約して地下を流して、最終的には川に捨てるあるいは処理をして処分するということ、社会資本としてそうしたパイプかつくったり処理場をつくっているわけです。その町では、下水についてはそういうようにパイプで集約して処理場へ持っていくということをしているんですが、雨水はむしろ地上を流す小河川のようなものをつくっているんです。ふだんはそこは干上がっているわけですが、石積みにしてあって、雨が降ればそこに川が流れる。ちょうど住宅の裏にそういうものをしつらえておりまして、それが池のようなところに集まるんです。  それは共同の施設、いわゆる社会資本の一つでありますが、そこを例えばワイルドライフ・ハビタットと称して、かなり広いところなんですが、常時ある程度水をためて、雨が降ればもっと水かさが増す。そこには島なんかもあって、要するにワイルドライフ、鳥だとか小動物のある種のサンクチュアリーになっているんです。  ちょっと見えにくいところなんですが、そこへおりていこうとすると、さくがあって人間が入れないようになっているんです。余り仰々しくさぐをつくらないようにしているんですが、つまりそこが文字どおりワイルドライフのための聖域になっていて、周りにはバードウォッチングをすろような台があって、そこの住民が散歩がてらどろいう鳥が来ているとか、あるいは小動物を眺めたりする。それがごく普通の住宅地のいわば社会資本としてできているんです。  そのデービスという町ではそれがはやりのようでありまして、新しくできる住宅地にそういったワイルドライフ・ハビタットをつくるというのが市の計画にもなっているわけです。  それと同時に、そのわきに自転車道路がつくられておりまして、これも市が開発を許可するときに義務づける。民間の開発が中心でありますが、開発の中でつくるだけでは足りない例えば自転車道路の立体交差だとかトンネルが必要になる。ネットワークをつなげていくためには幹線道路を越えたりしなきゃいけないわけですが、そういうところは市の予算でつないでいって、市全体に自転車のネットワークをつくろうということで、市の職員の名刺にも自転車のマークをつけておるという徹底ぶりでありました。  自転車あるいはワイルドライフということに着目して、そういうものと人間が共生する社会資本を町の中につくっていこう、こういうことを非常に熱心にやっているわけであります。  もちろんバードサンクチュアリーとかいうのは日本でもあるわけですが、新しい住宅の開発の中にそこまで徹底して手当てするといいますか、計画の中に盛り込んで実現していくというのは日本ではちょっと聞いたことがないわけであります。  アメリカ社会資本整備というのは伝統的に非常に豊かではありますが、今までの高速道路、インターステートの高速道路のネットワークに象徴されるアメリカの社会資本とは少し違った方面に関心が移っていて、そういう事例が着実にできつつあるというのを見てきて、今申し上げたような社会資本整備の転換期というのをアメリカにおいても実感したわけであります。  そういう意味で、量的な拡充、つまり在来型の残された課題をどう消化していくのかということだけではない、新しい社会資本の充実のしどころというのは一体どこにあるのかということを真剣に考えて、新しい分野の開拓をしていかなければいけない、そういう時期に我々はいるんではないかということを感じるわけであります。  それから二つ目、転換期ということでもう一つ申し上げたいのは、現在の社会資本の整備あるいはそれをオーソライズするところの国土計画という一連の地域の開発の諸制度というのは実は戦後間もなくできたものであります。国土計画ということで言いますと、国土総合開発法というのはたしか昭和二十五年にできた法律でありまして、まさに戦後復興なりあるいは高度成長期を支えてきた制度が今でも残っているわけであります。長く続くというのは必ずしも悪いことではないんですが、しかし戦後復興なり高度成長の時代と現代とはかなり条件が変わってきているわけでありますから、社会資本の内容についての質的な充実というテーマばかりではなくて、社会資本の整備を促進する制度そのものについても私は大きな転換期に来ているんではないかということを率直に感じております。  社会資本に非常に関連する計画として全国総合開発計画、現在第四次のものがそろそろ終わって次の計画の策定準備をしているわけでありますが、次の計画の中に制度の改革についてどのくらい新しい内容を踏み込んで入れていくことができるのか。二十一世紀に通用するような日本社会資本整備のあり方を大きく決めていく制度の改革ということも転換期の大きな課題ではないかというふうに思うわけであります。  それで、今申し上げた質的な充実についてもう少し今からお話をしまして、最後に後で申し上げました制度の革新ということについて一言触れさせていただきたいと思います。  社会資本整備の転換期、特に量的拡充から質的充実ということで、私は三つぐらいこれから注目していくあるいは重点的に考えていくべき分野があるんではないかというふうに思っています。  第一の分野というのは環境保全、一言で言えばそういう分野でありまして、環境保全のためにどのくらい社会資本を充実していくことができるのかということが第一点であります。環境保全といっても非常に多岐にわたるわけでありますが、幾つか例示風に述べさせていただきたいと思うんです。  現在の国土の変貌という点で非常に大きいのは、日本の国土は森林に恵まれているわけですが、その森林の維持管理というのが御承知のような危機にあるわけであります。それからもう一つ、国土の利用の大どころは農地でありますが、農業あるいは農地の維持ということについても大きな危機にあるわけであります。将来を考えるときに、環境保全という点で、山に林があり木がありあるいは平地にきちんと作物が植えられているという状態は国土の安定的な利用をまさに象徴する非常に重要な土地利用なんですが、それを支えてきた例えば林業あるいは農業といった産業の面から危機が訪れているというのが実態であります。  私は農業に自由化という大きな課題があるということは承知しているわけでありますが、しかし農地が日本から大幅に消えていく、あるいは山林を維持する人がいなくなるというのはいわばかけがえのない社会資本をみずから放棄するということにつながっていくわけでありますから、これをどうやって支えていくかというのが環境保全においては非常に重要なテーマであろうというふうに思っています。  その点で、例えば農業では、伝統的に農家の中で担い手が継承されていくということで日本の農業は維持されてきたわけでありますが、しかし担い手がいない。  しかし、一方で各地に農業関係の学校というのが新しくできて、そこでは農業を勉強している著い人が随分育ってきているわけです。しかし、なかなか彼らが実際に農地を手にして農業を営むことができない環境にあるわけでありますから、農業にいかに新規の参入者を迎え入れるのか、しかもそれが小規模な経営ではなくてかなり大規模な経営ができる、いわば中核農家というのが新規参入者によって担われていくんだというようなシステムをつくることによって農地そのものが新しい担い手によって維持されていくということも環境維持という点からも非常に重要なことではないか。同様なことは林業についても言えるんではないかと思っています。  それから、都市において特に重要なことは、最近地球環境問題ということが世界の各国で大きなテーマとされているわけであります。最も直接的にはエネルギーをいかに節約していくのかということにつながるわけであります。我が国世界の中でそういう点ではある意味で非常に優等生でありまして、先進国の中で、産業界においてもそうですが、あるいは交通、運輸といった分野でもエネルギーの効率性の高い運営をしている国であります。  しかし、特に交通、運輸という側面でいえば、大都市においてそういうことが言えるわけでありますが、地方都市においては残念ながら自動車型の社会というものが急速に進行している。残念たがらというふうに申し上げたのは、エネルギーの効率的な利用という点からいくと残念ながらという意味であります。  一方で、例えば国会でも議論されております国会の移転とかいうことは、いわば地方分散型の社会をつくりたいという国民の期待を背景にしてのことでありますから、今後も交通、つまり公共交通が発達した大都市に人を集めていくということではなくて、むしろ地方都市が人口の流出に歯どめをかけて盛り返していくということを国全体としては志向しているんではないかというふうに利は理解しております。  そういう観点からいくと、そう人口が密集していない地方の社会においていかに効率的な輸送を考えていくのか、あるいはそれと一体となった土地利用を考えていくのかということは挑戦的な課題ではないかというふうに思っているわけであります。一言で言えば地方都市にいかに公共交通を整備していくのかということに尽きるわけであります。ともすれば拡散的な土地利用になりがちな地方都市の中で、集約的な都市における土地利用を進めて、公共交通を足としながら生活をしていただくということはなかなか困難が多いわけですが、実現しなければいけない大きな課題ではないかというふうに思っています。  加えて、もっと直接的なエネルギーの供給という点でも、これは逆に大都市の課題ということがあるんではないかというふうに思っているわけですが、現在、大都市のエネルギーというのは相当遠隔地で発電が行われて、送電によって運ばれてきている。東京の電力自給率というのは非常に低いわけであります。しかし、そのことは、例えば発電に伴って発生する熱を有効に使えないとか、あるいは送電のロスが多いとかいうことで、発電する場所とエネルギーを使う場所が大きく離れていることに伴うさまざまなロスがあるわけでありまして、これを埋めるだけでも相当なエネルギー効率の上昇につながるということが指摘されているわけであります。  そういう意味では、都市型のエネルギー供給システム、まさか原発を都市のど真ん中につくるということは考えられないわけでありますが、そういうタイプではないいわゆるクリーンエネルギーの供給の仕方とか、あるいは未利用エネルギーを活用して都市の中でエネルギーを生み出していくということで、全体としてエネルギー効率の高い都市社会をつくっていくということも都市における大きな課題ではないかというふうに思っています。  次に、質的な転換の着眼点として、生活の質をいかに向上させていくかということはやはり非常に大きなテーマであります。社会資本全体について、産業優先から生活優先というのがもう大分前から大きな流れの変化として主張されているわけであります。したがって、そういう文脈に沿って生活の質を高めていくということは、豊かさを実感できる社会にするんだということは非常に大事な点になっています。  この点では、先ほどちょっと申し上げましたが、大都市への集中ということが生活の質を低める非常に大きな原因ではないかというふうに私は率直に思っています。一時、バブルの絶頂期といいますか、バブルの時代に、日本の地価をトータルするとアメリカ合衆国が四つ買えるとかいう計算をした人がいました。現在でも東京の総地価でアメリカ一つぐらい買えるんではないかというふうに計算するやり方もあるんだそうでありますが、それはあくまで価格の面だけでありまして、実際に価格でどういう質の生活が買えるのかというふうな購買力をベースに比較をしてみますと、さっき言ったようなアメリカの住宅団地ではワイルドライフ・ハビタットまで常備品としてつくっているというふうなことを考えると、日本の今の住宅事情とはまだ相当な差があるというふうに率直に認めざるを得ないわけであります。  したがって、日本の生活の質というのはまだまだ向上する余地があるわけでありますが、しかし一方で大都市での今までのやり方というのは、そこにたくさん金をかけることによって便利さを高めてこようというふうにしたわけですが、その結果がたび重なるあるいは繰り返しの地価の高騰につながってきた。それは計算上では日本の総資産を高めることになったわけですが、しかし一方で居住スペースはだんだん減ってくる、あるいは大都市の混雑はだんだんひどくなるという弊害を生み出してきたのも事実であります。  そういう意味では、私は日本の国土を、狭いようでも広いわけですから、これをもっと隅々まで有効に使うという発想がぜひとも必要で、そうしたゆとりを生むという前提の中で生活の向上、質の向上というのが図られていくんではないか。その点では、特に地方都市でのおくれていると言われている文化あるいは教育といった面での社会資本の整備とか、あるいは医療というような面での社会資本の整備とか、地方都市における生活の利便性の向上のための社会資本整備というのは大きな課題として引き続き存在しているというふうに思います。  特にその点で強調したいのは、やはり地方都市というのは大都市、集積地から離れているといういわばハンディキャップを現代社会では持っているわけであります。これを克服していく非常に士きな武器というのがやはり情報通信であろう。私はテレワークというのを推進するそういうグループに属して、テレワークという働き方がこれからの時代は必要だというふうに思っているわけです。  一言で言えば、情報通信手段を武器としながら、活用しながら働くことで、必ずしも会社の本社にみんなが集まって働くことはないんではないか。極端に言えばいわば好きな時間に働いて、成果をコンピューター通信で送れば自分の役割は果たせる、そういう仕事の断面というのが実際の仕事の中でかなりあるんではないかというふうな感じを持っているわけであります。実際、そういう仕事の仕方をしている人は、我々のような大学の教師は割合簡単にできるわけでありますが、それ以外の一般のサラリーマンの方でも随分ふえているというようなデータも公表されております。  そこで、例えば労働基準法なんかをそうした新しい在宅とかサテライトオフィスでの働き方に合うように見直すとかいう制度面での障害といいますか、問題を除きながら自由な働き方ができる、つまり情報通信を使って場所的、時間的により自由に働くことができるという社会をつくっていきますと、山が好きな人は山の中で働きながら都会と同じ成果を出す、海が好きな人は海に住むことができるという居住の自由というのが生まれてくるんではないかというふうに思うわけです。そういう観点からも情報通信手段の発達あるいは整備ということが非常に大きな課題であるというふうに思っています。  それから三番目に、質的な充実の重要分野として申し上げたいのは、社会的福祉資本といいますか、高齢者、障害者あるいは弱者、そういう方が住みやすい社会をつくっていくということが非常に大きな課題だと。  これはもう繰り返し言われていることですから詳しく申し上げませんけれども、繰り返し言われながらも、実際に試みに車いすに座って町を動いてみたりすることがあるわけですが、ちょっとしたことで非常に動きにくいんですね。でも、我々の場合には実験でやっているわけですから、そのときに車いすからおりて車いすを上に上げたり移動させればいいわけですが、実際の障害者の場合にはそれが決定的なまさに障害になってしまうということでありますから、こういった社会的福祉資本の充実というのはまだまだ拡充する余地が航るということであります。  それから次に、これは具体的な社会資本整備の内容とは少し離れますが、課題の大きな分野としてつけ加えさせていただきたいのは、社会資本のいわゆるハードな領域からよりソフトな領域を重視していくべきではないかという点であります。  これは先ほどの量的拡充から質的充実への転換期にあるというふうに申し上げたこととある意味では直接関係いたしますが、鉄とセメント、コンクリートで物をつくっていく、これは典型的な社会資本でありますが、社会にとって必要なものけそれだけではないではないか。つまり、社会を円滑に動かしていく制度というのも社会の貴重な資本であるし、あるいはその制度を担っていく人材というのも集合的にとらえると社会にとっては重要な資本だというふうに比喩的に言うことができるわけであります。  したがって、人材の育成とか研究開発あるいけ社会資本を有効に使うサービスの向上、それを相うところのサービスに携わる人々の育成、こういういわゆるソフトな領域というのが今まで蓄積してきた社会資本を本当に我々の役に立つように使っていくためには非常に大きな分野として存存しているんではないかということを強調したいと思います。  具体的に言えば、教育あるいは生涯教育の拡充とか、あるいはソフトな分野で働く人たちにもう少し賃金の面でも優遇措置がとられるというようなことが具体的には必要になるでしょうし、もう少し先端的な言い方をすれば研究開発というのが引き続き重要だということになるんでしょうが、サービスあるいは人材の育成、そういうものを重視した社会資本のあり方というのも大きな課題ではないかというふうに思っています。  最後にもう一点、最初に述べました制度の問題について申し述べたいというふうに思います。  日本の社会資本の整備、これは在来型、伝統型の社会資本ということで言いますと、例えば経済計画とか国土計画の中でその整備のあり方について相当突っ込んだ議論を定期的に行っているわけであります。経済計画であれば三年から四年ぐらいで改定されるということでありますし、国土計画は十年ぐらいを一区切りとして改定されている。そこに相当集中的な議論が行われているわけですが、実際に社会資本、より具体的に言うと公共事業の予算づけというのは毎年の予算を通じて行われているわけであります。これは今のシステムで言えば大蔵省の主計局と各省との予算折衝を通じて骨格が固まっていくということでありまして、私はどうもそうした経済計画あるいは国土計画における社会資本の大きな方向づけの議論が年々の予算の中に十分反映されていないんではないかという感じがしているわけであります。  その大きな問題はやはり予算の査定のシステムにあるんではないかというふうに思っております。計画官庁ではかなり新しい議論が社会資本の方向についてできる雰囲気を持っているわけですが、そこでの議論が年々の予算により直接反映されるような仕組み、例示すれば公共事業の配分比については計画官庁が決めてしまう。実際にそれが幾らになるのかということについては歳入がはっきりしなければ決まらないわけですから、歳入と掛け合わせる作業については歳入を預かるところの大蔵省が行うということはあり得ると思うんですが、配分比率については計画官庁が決めていくというような新しい予算のシステムというのをぜひ考えるべきではないか。そのことが転換期にある社会資本の新しい方向をより迅速に実現していく道ではないかというふうに思っています。  それから最後に、制度改革の問題としてつけ加えさせていただきたいのは、社会資本において地方、特に市町村の役割というのがこれからますます重要になってくるのではないかということであります。つまり、生活資本あるいは生活関連の社会資本というのがこれから重要になってくるわけであります。  そのことは国の大きな流れになっているわけでありますが、生活の現場においてどういう社会資本が必要なのか、みんなが共同に使うものに何が適当なのかということが一番よくわかるのは生活者あるいは生活の現場でありますから、そこに一番近い市町村が社会資本の整備についてより決定権のウエートを高めていくということが社会のシステムとして必要であろうと思います。  もちろん、現在、市町村は社会資本の整備において実質的には大きな役割を果たすわけですが、しかし制度上は、例えば機関委任事務あるいは補助金行政ということでなかなか大胆な予算づけができないという嫌いがあるわけであります。この点は、現在、地方分権という枠組みの中で議論が進行しているわけでありますが、社会資本整備のあり方という点からもさらにこういう議論を促進していって、市町村において生活の現場に密着したところで社会資本についての方向づけができる、そういう改革がぜひとも必要ではないかというふうに思っているわけであります。  以上でございます。
  71. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) ありがとうございました。  以上で大西参考人の御意見の陳述は終わりました。  これより両参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  72. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 自由民主党の橋本聖子でございます。  本日は大変貴重なお話をしていただきましてありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、早速ですが、奥野参考人にお伺いいたします。  我が国経済世界でもトップクラスにあると思いますが、社会資本のストックという観点から見れば、欧米主要国と比較して必ずしも十分ではない分野が残されていると思います。特に、日常生活と密接に結びついた社会資本の不足は国民が心の豊かさを実感できない要因にもなっていると考えられます。二十一世紀を間近に控えまして、本格的な高齢化社会を迎える我が国経済社会の変化に的確に対応していく社会資本の整備とは、従来型の道路、港湾等の産業関連とは異なり、国民生活の向上に直接結びつく分野、すなわち生活関連やこれからの主力産業となる情報通信に関連する社会資本の整備が最重要課題と思われております。  社会資本自体の概念は経済社会発展段階に対応して変化していくものと考えておりますが、二十一世紀に向けまして、新社会資本とはどういうもので、これからどのように整備を進めていくべきだというふうにお考えになっておりますでしょうか。
  73. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 私、最初の話の中では、特に日本産業の活性化をどういうふうに維持していくかというふうな観点から社会資本の問題をお話しいたしまして、生活関連のことを軽視しているわけでは決してございません。  日本の社会資本は欧米に比べると随分おくれて整備がされてきたということは否めない事実でございます。道路の舗装にいたしましても、上下水道、特に下水道の整備にいたしましても、下水道の整備は比率ではまだ相当おくれておりますけれども、おくれて整備されてきたということは否定できない事実でございます。従来型の社会資本につきましても、特に下水道等々につきましてはさらに積極的に整備を進めていかないとヨーロッパ、アメリカにはなかなか追いついていかないという状況にあるわけでございます。  これからの社会資本整備につきまして、先ほど大西先生の方から地方都市の公共交通というお話がございましたけれども、私はかねがねその必要性を思っております。高齢化社会になりますと移動性、移動主体に対する要請というのは随分多様化してくると思います。現在でも地方都市での移動性というのは大変限られておりまして、特に三十万から五十万程度の都市になりますとタクシーを流して利用するということはできないわけでございます。公共交通はどうかといいますと、一時間に一本のバスがあるかないかというふうなことでございまして、とても移動手段としては利用できないというふうな状況にあるわけでございます。  最近、地方都市で一たん廃止した公共交通のバスを復活していく、あるいはタクシーチケットを配るというふうなことも行われているようでございます。公共交通のバスを復活していくというふうな動きが少しずつでありますがあるように思います。これは大変結構なことだというふうに思っておりまして、特に人口百万以下のような地方都市におけるそういう移動手段の確保ということは高齢化社会で大変重要なテーマであろうというふうに思っております。  それから、公共交通につきましては、御案内のように、地下鉄、バス等々、高齢者あるいは身体障害者の人にはなかなか使いにくいというふうなこともございます。新しい地下鉄の駅などはエレべーター、エスカレーター、エスカレーターもなかなか使いにくいもののようでございますけれども、エレベーター等も設置されているわけでございます。古い、従前の駅については新たに設置するということがコスト的にも場所的にもなかなか難しいということがございます。そういうふうな大都市においても高齢者の移動性を確保していくということは、公共交通は整備されているわけでございますけれども、やはり問題があるというふうに思いまして、高齢化社会では地方都市の公共交通の整備ということは私も大変重要なテーマだというふうに思っております。  お答えになりましたでしょうか。
  74. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 はい、ありがとうございます。  先ほども資金調達の多様化ということでお話をしていただいたんですけれども、これから高齢化が進展をしていきまして、財源確保が最前提と考えられるわけなんですけれども、これから社会資本の性格に応じた財源確保が大変必要になってくると思います。  経済全体のバランスを考えながら社会資本整備を進めていく上で、その財源をどのように確保していったらいいのか、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
  75. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 先ほどの橋本委員の社会資本、特にソフト面での社会資本は必ずしも今公共投資という予算の枠内で行われているわけではなくて、一般会計の中から相当行われているというふうに考えます。したがいまして、社会資本の概念を広げていきますと一般会計の中にどんどん入っていくようなことであろうかというふうに思います。  私、先ほど税増融資の話をいたしましたが、特に貯蓄率が、今はまだ個人貯蓄率は一四、五%あるわけでございまして、ヨーロッパ等々に比べるとまだ相当高いわけでございます。これを国内の社会資本投資にどういうふうに結びつけていくかということを今考えなきゃいけない。そのためには、先ほど将来期待できる収入増を現在証券化して資金調達してはどうかというふうなことを申し上げたわけでございますけれども、大規模プロジェクトについては積極的に導入を考えていってもいいんではないかというふうに思っているところでございます。  それから、もう一つ大きな問題は、更新投資のことを先ほどちょっと私触れましたけれども、今は公共投資を行えば新しいものをつくっていけるという状況にあるわけでございますが、もう二十年たちますと公共投資を行っても既にあるものの更新というふうな性格になってまいりまして、なかなかプラスアルファは出てこないというふうなことになるわけでございます。  あるいは、維持費用も随分大きくなってまいりまして、公共投資はするけれども新しいものはできてこないというふうな状況になるわけでありまして、そこら辺のところも考えて公共投資の規模を考えていかなければいけないというふうに思います。余りつくり過ぎますと、今度は維持更新ができない。大体国家の滅亡というのは社会資本の荒廃に象徴的にあらわれるというふうにも言われますので、その辺も考えていかなければいけないというふうに思います。  特にアメリカにつきましては、社会資本の荒廃というのは一九八〇年代半ばごろまで随分大きな問題になっておりました。社会資本の荒廃が生産性の上がらない原因である、あるいは大都市の中での社会資本の荒廃が白人あるいは中止流階級が郊外に逃げていく原因であるというふうなことになっておりまして、クリントン政権が発足したときには情報通信基盤と並んで公共投資によって活力あるアメリカ経済を再構築していくということを大きなテーマにしたわけでございます。  アメリカでは地下の社会資本が、水道とかガスがぽんぽん破裂するようなことも随分起こっておりまして大きなテーマになっているわけでございます。アメリカでは二十世紀最初に社会資本の整備をしていったわけでありますが、社会資本への投資が一九五五年にはGNPの六・三%あったんですが、九〇年には一・二%ぐらいに下がっておりまして、なかなか社会資本にお金が回せないから維持更新ができないというふうな状況になっておるわけであります。日本もそういう維持更新まで考えた社会資本整備ということが必要になってきているのではないかと思っております。
  76. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 ありがとうございました。  次に、大西参考人にお伺いいたします。  公共投資基本計画では、豊かさを実感できる国民生活の実現を目指して、下水道、都市公園、廃棄物処理施設、住宅整備等の国民生活の質の向上に直接的に結びつくものに配分の重点が置かれているようなんですけれども、実際、公共事業関係予算の事業別配分比率を調べてみますと、四十年以降、平成七年の間におきまして、公共投資基本計画が策定されましてもほとんど変化がない。過去五年間さかのぼりましてもほとんど固定されたままになっているんですけれども、硬直化した比率を生活関連に重点を置いた配分比率に変えていくにはどのような仕組みが必要と思われますでしょうか。  ちょっと見づらいんですけれども、色だけを見ていただきますと、(図表掲示)ここから六十年、平成元年、ずっと変わらないんですけれども、これからどのようにしていったらいいとお考えでしょうか。
  77. 大西隆

    参考人(大西隆君) 私は大学で国土計画という講義の中で社会資本についても触れているんですけれども、後でそれをお借りして学生の講義に使いたいと思います。  おっしゃるとおり、非常に硬直的なんですね。しかし、明治から社会資本の配分比率をずっと調べた研究なんかを見ますと、やはりかなり大きく変わってはいるんです。したがって、我々の置かれている時代というのは、変わらないというのは問題なんですが、しかしこれは必ず変わっていって時代に対応するものになっていくだろう、一方でそういう予見もするわけであります。  私は、それはお話し申し上げた中で触れましたけれども、やはり社会資本の硬直性を生み出している構造というのがあるんではないかというふうに思います。それは、一つは予算の仕組みが過去を踏襲していくようなスタイルになっていて大きな変動を避ける、さっき申し上げたような現在の各年の予算の査定システムというところに一つ問題があるでしょうし、かつ最後に分権の問題を申し上げたんですが、実際に社会資本のニーズを感ずる国民の期待というものが直接配分になかなか反映されない仕組みになっている。  ちょっと別な角度から申し上げますと、社会資本の多くは土木建設事業でしょうから、ここに目を向けて、つまり社会資本の建設に携わる業界に目を向けて社会資本のあり方を考えている場合には、なかなか一回でき上がった仕組みというのは変えにくいと思うんです。しかし、実際にそれを使っている人の意識は変化しているわけですから、利用者に即して社会資本のあり方を考えていけばもっと変化が大きいだろう。  やはり、社会システムとして社会資本の配分か決める上で利用者の意見がもっと反映できる仕組みに変えていく。そのためには、分権ということと、それから計画をする際にはニーズというものを把握して計画をするわけですから、経済計画や国土計画に即した、そこでの議論をもっと反映できる配分の仕組みというのを国のレベルでもつくっていくべきではないか。私はそういう意味では制度の問題が大きいんではないかというふうに思います。
  78. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 ありがとうございます。  最後の質問になるんですけれども、両参考人にお伺いしたいと思います。私自身、スポーツかやっていたこともありまして、トレーニング施設や公園等のお話を質問させていただきたいんです。  日本全国におきまして、大変立派な文化、福祉、教育等の施設が建設、整備されておりますけれども、利用面で十分に活用されていないという指摘も実際にあります。  私自身、諸外国に行きましてトレーニング施設や公園等を利用させていただく機会があるんですけれども、トップァスリートや体にハンディキャップを持った方々、また健常者の方でもスポーツレクリェーションでいろいろなスポーツを楽しんでいる方たちがいるんですけれども、本当に幅の広い年齢層といいますか、利用者の方々がすごく健康的にすがすがしく空間を利用しているんです。  そういうのを見ますと、日本ではまだ何か年齢や用途に制限がある空間といいますか、施設が多かったり、本当にハード面だけで、ソフトのことはまだまだ十分ではないように私自身感じるんです。本当に日本は設備ですとか最新のものは日々引くんですけれども、実際に使ってみようがなと思うときにはちょっと何か使い勝手が悪い施設が多いように感じられております。  そこで、ハード面だけでなく、同時にソフト面でも十分な考慮が必要だと思いますけれども、社会資本におけるソフト面の整備、利用についてどのようにお考えになられているか、最後にお二方にお聞きしたいと思います。
  79. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 全く同感でございまして、最近は地方都市でも体育施設は随分立派に整備されておりますし、大きな都市では各地域ごとに体育施設が整備されております。  ただ、私は正直申し上げまして使ったことがございませんのであれなんですが、まだ学生で大学院で学んでおりますころ、アメリカの大学院に留学して大変関心したことは、公的資金が少しでも入っている建物はすべて車いすでの利用ができるような施設が必ず備えてあるということを見まして、昭和五十年ごろでございますけれども、これは日本よりも大分進んでいるなと思ったことがございます。  最近は日本でも、先ほど大西先生の方からまだ不十分であるという御指摘がございましたけれども、新たにできる建物あるいは古い建物でもそういったような整備が進んできて、だんだん使いよくなってきているなというふうな感じを持ってきております。  それから、利用面、ソフト面で考えるべきである、これはもう少し考えるべきだというのは御指摘のとおりでございまして、そういう議論が一番最初といいますか、最近真剣になされたのは昭和五十年代の半ばごろではなかったかと思います。昭和四十年代は高度経済成長期で地方自治体の財源も随分伸びました。ハードの建設がどんどん進んだわけでございますけれども、四十八年の第一次オイルショックの後、税収の伸びがとまりまして、建設から利用、運営へということが問題になったわけでございます。  その後、またバブル期を中心にいたしまして随分税収が伸びましてハードの整備が進んできたわけでございますけれども、今はハードの整備をする資金的な問題等々もございます。効率的な利用を考えていく時期であるというふうに思っております。今がそうだというんではなくて、何年かの周期でそういうふうな問題が出てくるということではないかというふうに私は感じております。
  80. 大西隆

    参考人(大西隆君) 施設をつくる制度というのは、要するに社会資本に投資する制度でありますが、これは公共的なシステムとして日本の中にできているわけです。  施設を使う制度といいますか、例えばスポーツというふうにおっしゃいましたが、地域のクラブのような組織があって、そこに入ることによって施設を使える、そういう地域のスポーツクラブのようなものについては、例えば旧西ドイツというような国に比べて日本は全く未発達だというふうに聞いているわけです。ある意味で利用者が施設を使う自発的な組織をつくって、それに施設側も対応してうまく施設が使えるような両者の取り決めなんかをしながら施設を使わせていく、その使う側の制度というのが未発達、これが非常に大きいんではないかと私は思います。  私は専門的な運動家ではないんですが、時々ジョギングをするんです。近くの小学校の校庭を使うわけですが、もちろん子供も小学校を卒業しましたので、申しわけない、こそ泥のような感じで小学校の庭に忍び寄ってマラソンをして帰ってくる。実際は自分が税金を払ってこの一部はつくられているんだから何も遠慮することはないと思いながらも、自分はそこを本来使うべき人間ではないという感じがどうもあるわけです。  ですから、そういう人間も大手を振ってそういう施設が使えるためには、何か町内なり町にスポーツクラブのようなものができて、それに登録していると例えば学校に併設されたシャワールームが使えるとか、そんな使う側が気持ちよく使えるシステムというのができるといいんではないか。ドイツなんかの場合はその頂点にプロのサッカーチームがあるとかいうふうなことを聞いているわけですが、そういうものがあれば末端の人も遠慮なくといいますか、もっと自由に使う、そういう雰囲気が出てくるんではないかという意味で、全体に使う側の制度といいますか、組織というものがもっとこれから発達していかなければいけないんではないか、そういうことを感じます。
  81. 橋本聖子

    ○橋本聖子君 ありがとうございました。
  82. 林久美子

    ○林久美子君 平成会の林久美子でございます。  奥野参考人、大西参考人、きょうは大変魅力あるお話をありがとうございます。  私はちょっと具体的に公共事業の安全性について大西参考人にお伺いしたいと思います。  昨年一月十七日、阪神・淡路大震災の発生によりまして兵庫県下は甚大な被害を受けました。兵庫県の被害総額は約十兆円。公共事業の被害も、高速道路それから鉄道線路の破壊、そしてまた護岸の破壊、埋立地の液状化とか公共建築物の倒壊など、県民のみならず国民の皆様も大変ショックを受けました。しかし、高速道路や港湾など、いまだに復旧がはかどらないところもあります。特に被害者の生活は悲惨そのものであります。正直に言って、まさに生きるか死ぬか、ぎりぎりのところで生活をされておる方がたくさんおられるんです。一人一人の実情をお聞きすると胸が詰まる思いがします。この被災の厳しさもさることながら、現状はますます厳しさが増大しております。  大西先生もこの大震災には大変ショックを受けられたようですが、公共事業問題において一つの提言をされております。公共事業への要請には、従来の経済性、効率性、また速成性に加えて、国民が信頼できる安全性、ゆとりをしっかり確保することが必要であるとおっしゃっていらっしゃいます。また、従来、安全性がぎりぎりまで削られてきたことの経緯があるということもおっしゃっていらっしゃいます。今後、法改正や予算措置を含め、具体的に耐震性など安全性を高めて確保するためにはどうすべきであるかということのお考えをお聞かせくださいませ。
  83. 大西隆

    参考人(大西隆君) 大変難しい問題だと思うんです。難しいと申し上げるのは、一つは安全というのはどういうふうにどこまで手当てをすれば確保できるのかということがある意味で定めがたいわけです。物すごく強靱な柱をつくれば大丈夫だということになりますが、余りそこに強靱過ぎるといいますか、強靱なものをつくれば住む空間がなくなってしまうということになるわけですから、構造物の果たすべき機能と備えるべき安全性ということの間にはある種のバランスがどうしても必要になるわけです。  そのバランスをとるときにどの辺までの安全性を確保すれば通常は大丈夫なんだ、あるいは考えられる異常時でも大丈夫なんだということは専門の方々が十分に考えて構造物をつくっているはずなんですが、しかし欠陥があったり、あるいはその考えを超えた異常事態の中で破壊されてしまう。それが集中的にあらわれたのが神戸の地震であったというふうに思うわけです。そういう意味では技術者は、私もその一員として非常に反省を強いられた、厳しい思いをするわけです。  しかし、理論上ある種のバランス、安全性と経済性といいますか、機能性と安全性の間にはバランスが要るということはやむを得ないことだと思うんです。したがって、絶対安全だということよりも、どの程度の安全性かということをむしろオープンにしていくということが社会にとって必要なことではないか。これはある種の情報の開示であります。  今、橋梁とか、そういうことを連想させるお話をされたわけですが、例えば今回の場合には住宅も随分倒壊いたしました。個人の住宅の場合には安全性について自覚をして、それが倒壊したということはある意味で個人の責任に帰するのかもしれませんが、例えばアパートのようなものを経営している方が他人をそこに入れて、その方が地震によって被害に遭われたという場合にはやはりアパートを提供した側の責任というのも実際には問われてくるんではないか。つまり、アパートなんかをこれから提供していく場合には、どの程度の耐震性があるのかということが表示されているとかいうようなことで安全性について情報を開示、提供していく、使う側もその施設の安全性というものをある意味で確認しながら使うということが大事なんではないかというふうに思っています。  しかし、例えばその橋が余り安全でないんだと言われても使う側は困るわけでありますから、いわゆる公共施設、今のアパートなんかはちょっと除きまして、不特定多数の大衆が使うそうした公共施設については今回の地震でさらに一段安全性を高めるということが当然要請されているんだろうというふうに思います。  したがって、そのことはいろんな分野で地震以降口を酸っぱくして言われているわけですが、それでもなお機能を確保するということと安全性の間にはある種のトレードオフという関係がどうしても存在していて、どこかで一線を引かざるを得ない。そういう試行錯誤の状態に絶えず我々は置かれているんだ、そういう国に我々は住んでいるということを自覚せざるを得ないという感じもいたしております。  以上でございます。
  84. 林久美子

    ○林久美子君 どうもありがとうございました。  それでは、公共投資の配分について今度は奥野参考人にお願いいたします。  平成六年の十月七日に閣議了解された公共投資基本計画は総額六百三十兆円を計上されていますが、一九九五年から二〇〇四年の十年間に生活環境、福祉、文化機能分野の整備を六〇%台前半にまで引き上げようというものです。  その基本的な考え方を見ますと、本格的な高齢化社会を間近に控えて、国民が真に豊かさを実感できる社会を実現するために、人口の構成が若く、そして経済に活力がある現在のうちに社会資本整備を促進すべきであるとおっしゃっていらっしゃいます。  この計画はちょうど震災のあった年に発足されました。産業基盤と生活環境分野など、いずれを問わずすべての分野にわたって唖然とするような大災害でありました。この復旧は着々と進んでおりますけれども、新計画が特に目玉とする高齢化社会への対応の社会資本整備がいかに貧弱かということを嫌というほど味わったのが私たち阪神震災を受けた者だったんです。  それは何かと言いますと、生活弱者、いわば高齢者や身障者のための住宅の未整備による不幸な混乱がもろに出てしまったと思うんですね。公営住宅を幾らつくっても入れない人がたくさんおりますし、また自助努力といってもおのずと限度があると思います。  冒頭に申しましたように、新計画の基本的な考え方に基づいて、被災生活の弱者が豊かさを実感できる社会実現のために、公共投資の配分の硬直性を排して、だれもが納得できる弾力的な配分をすべきであると思うんですけれども、奥野先生のお考えをお聞かせくださいませ。
  85. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 身につまされるお話でございますけれども、阪神・淡路大震災につきましては余りにも被害が大き過ぎまして、公共投資の資金配分の問題として議論するにはなかなか議論しにくいようなところがございます。  私は、公営住宅につきまして、大震災の方々の住宅をどういうふうに確保していくかという問題についてはなかなか答えにくいんでございます。高齢者の方々のために住宅をどういうふうに整備していくべきかという点につきましては現在いろんな自治体で検討されておられるところでありましょうけれども、住宅そのものがなかなか高齢者に住みやすくできていないというふうなことがあろうかと思うんです。ですから、例えばちょっとした段差がどうかとか、あるいは入り口がどうかとか、それから階段等々、そういったようなことまで十分に考えた住宅というのが今からどんどん整備されていくべきではないかというふうに思います。  それから、地域一体としてやっぱり高齢者に住みやすい地域というための整備ということが必要だと思うわけでございまして、こういったことは既に自治体でも十分に御存じのことで、大きなといいますか、各地方自治体ではそういうことを考えられた上で整備が進められているというふうに理解いたしております。
  86. 林久美子

    ○林久美子君 どうもありがとうございました。それでは、今度は高度情報化社会についてお二方の先生にお伺いいたします。  このたび参議院の建設委員会においては下水道の二法案が可決され、衆議院に送付されました。この二法案は、一つはおくれている下水道の整備を、平成十二年末までに現在の全国平均整備率五四%を六六%まで引き上げようという八次の五カ年計画の法案で、もう一つは下水道管の中に第一種電気事業者が電気通信線を敷設できるようにした法案であります。これから衆議院で審議されるんですけれども、昨年は道路の下に電気通信線を敷設できるようになりました。ねらいは下水道の中にも道路下にも、ともに将来の光ファイバー敷設のためのものなんですけれども、したがって下水道整備が進めば光ファイバ一網の完備が早まるものと思います。  平成六年度の建設省の調べによりますと、光ファイバーの整備の実績は、下水道が約二百五キロメートル、河川が約二百キロメートル、直轄国道が千キロメートル、高速道路が約四千五百五十二キロメートルで、合計五千九百五十七キロ。大体どんなものかなと思ったら、JRの鉄道が二万キロと申しますから、今現在もっともっとふえていると思いますけれども、二十一世紀までの五年間に情報通信社会の発展は革命的な前進が起こるとさえ言われております。  その中で、政府の高度情報社会への対応がおくれているのではないかというのはもう皆様もよく言っていらっしゃる言葉なんですけれども、この高度情報社会における社会資本整備はどうあるべきと思われますでしょうか。お二方の先生にお伺いしたいと思います。
  87. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 二点あったと思いますけれども、最初の下水道の整備、平成十二年までに現在の五四%を六六%まで引き上げるという点でございますが、これはもちろん大都市はほとんど一〇〇%近い状態になっているわけでございます。各地方に参りますと一〇%とか、そういったようなレベルでございまして、随分地域によって格差があるということでございます。  私、先ほど地方圏での研究学園都市の整備ということを申し上げましたけれども、私がかねがね地元の方で申し上げておりますのは、山の奥の下水道のないところに立派な建物が建って、世界の研究者に来いと言ったって来ないんじゃないか、ヨーロッパではドイツでもイギリスでも九〇%以上の普及率でありますし、アメリカでも八〇%ぐらいはカバーしているわけでございます。そういう下水道のないところに世界一流の研究者に来いと言ってもとても来ないんじゃないかというふうなことを申し上げているわけでございます。  六六%というのは、例えば大都会であります東京ではほとんど一〇〇%カバーされておりますとか、名古屋でも九十数%はカバーされておるというようなことを含んでの話でございますので、全国的なばらつきが大変大きいという問題があろうかと思います。  それから、下水道の中に通信線を敷設する、共同溝、電柱とか光ファイバー、そういったもの々地中化していく、これは都市景観あるいは都市基盤として早急にやるべきことだというふうに思っておりますけれども、何せコストが大変高いということがございます。共同溝にしてそういったものを敷設していくということ、そのために公共資金を投下していくということは都市基盤として大変重要なテーマであるというふうに思っております。
  88. 大西隆

    参考人(大西隆君) 特に後段の方の高度情報化社会に向けた社会資本の整備ということについてお答えさせていただきたいと思います。  高度情報化社会というのは、大きく言えば二つの側面があると思います。  一つは、今御指摘のように、高度情報化社会を支えるインフラをどうやってつくっていくかということでありまして、世界がそれに向けていろんな意味競争してインフラの整備に励んでいるということであります。その意味では、幹線的なインフラ、下水道とか鉄道線路あるいは道路、そういうものをうまく使いながら着実に伸ばしていくということは非常に大きなテーマだと思います。  御承知のように、この問題はアメリカで副大統領が提唱したということで日本でも随分そのことが刺激になったわけでありますが、実際にアメリカにおける高度情報化社会の情報インフラの連邦予算を調べてみると、そんなに大きな額ではないんですね。  じゃ、どうしてそういう少ない予算で大きなことが言えるのかというと、アメリカではケーブルテレビのネットワークというのが相当発達していまして、それをつないでいくと全国的なケーブルのネットワーク網ができるわけです。したがって、民間が既に商業ベースでやっているようなそうしたケーブルテレビ網、そういうものが土台にあって、それをうまくつなげていくことによって全国的な情報システムのインフラができていく、そこが日本と大きな違いであったように思います。  日本はいわば光ファイバー網を一からつくっていかなきゃいけないということで莫大な予算がかかるということにもなるわけですが、しかし私は、これについては今おっしゃる下水道の活用とか、いろんなことで着実に進んでいくだろうというふうに思いますし、大いに期待したい。場合によってはここには公共事業として国民の金を投入する、日本においてはそういう場面もあるんではないかというふうに思っています。  それからもう一つ、高度情報化社会という場合に重要なのは、インフラだけではなくて、それをどう使っていくかという面も非常に大事だと思います。それをやや阻害しているのは一つは料金問題でありまして、日本では料金の格差、これは例えばインターネットを使う場合にも電話代なんかが関係してくるわけでありますから、特に遠近格差、あるいはまだ海外と比べて相対的に高いという問題もあります。そのことが国民が全国的に同じように情報化社会の恩恵に浴することができない一つの理由だというふうに思いますので、特に地方振興と絡めてこの問題を論ずる場合には遠近格差、料金格差をなくし、かつ安くしていく、そのことによって利用を促進していくということがぜひ必要ではないかと思っています。
  89. 林久美子

    ○林久美子君 時間が来ました。ありがとうございました。
  90. 上山和人

    ○上山和人君 社会民主党の上山と申します。両先生、本当にありがとうございました。時間が十分しかございませんので、極めて具体的に二点についてお尋ねいたします。  一つは、社会資本の量から質への転換期、ごもっともだと思うんです。具体的に特に大西先生が先ほどみずからの経験談をちょっと御披露なさいました。  地方のどこにも存在する公共施設というのは学校、それから自治体の役場、役所、郵便局、こういうところだと思うんです。郵便局や自治体の役所を開放するというのはなかなか難しいかもしれませんけれども、これから社会資本を整備する上で教育施設をどのように整備して地域に開放するかということは大変重要な領域になるんじゃないかと思います。学校五日制の完全実施が二千何年になるんでしょうか、そして折しもマルチメディア時代を迎えるという環境の中では教育施設をどんなに整備して開放するかということは重要な課題だと思います。大西先生はあまたある教育施設の中でとりわけ何を優先的に整備すべきだとお考えでしょうか。  それから、今度は奥野先生にお尋ねいたしたいんですけれども、今、国土の汚染、自然破壊、やっぱり深刻な状態が続いております。こういう状態の中でエネルギーの供給資本をどう整備するかというのは私たちには大変切実な課題になるんじゃないかと思うんです。とりわけ原発に依存する電力供給の今の状態を少しでも緩和して原発依存を薄めていく。そういうエネルギー供給資本の整備について風力発電とか太陽光発電とかいろんな試みがありますけれども、いずれもなかなか思うように実用化される見通しも余り立っていないという状況です。  奥野先生、サマータイム制度を導入しますとかなりのエネルギーをセーブできるという試算がございます。サマータイム制度はある意味では隠れた社会資本の一つかな、とっぴな話かもしれませんけれども、先生の御専門の領域と関連させて、サマータイム制度の導入をどのようにお考えか、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  91. 大西隆

    参考人(大西隆君) それでは、教育施設に関連してお答えさせていただきます。  私は、学校というのは大体人口一万人ぐらいに一つの割合でできているということ、非常に地域に身近な施設であるということで地域社会の核になり得るというふうに思っています。  御案内のような子供の数がだんだん減っていくという中で学校の施設が、遊休化とは申しませんが、多少ゆとりが出てくるという中で、かつ地域社会にとって重要な施設をどうやって有効に活用していくかというのは大きなテーマであります。  私は、一つに、社会教育あるいは生涯教育の場として学校の施設を活用していくということが重要だろう。二つには、先ほど地震の問題が出ましたが、いざというときには校庭は避難地になる可能性を持っているわけであります。  避難地というのは、いざというときにそこに行けばいいというだけではなくて、やはりふだんから身近な存在であるということが大事だと思います。関東大震災の後には学校の周りに官公庁を集めてきて、学校の中に火が回らないような防波堤といいますか、防火帯をつくると同時に、学校というのを身近な存在にしていこうということが東京の下町で行われたわけです。  福祉施設とか、いろんな施設を学校の周りにできるだけ集めてきて、校庭を中心とした一つのコミュニティーの中心のような計画を実現していってはどうか。そうすると、ふだんから学校の周りあるいは校庭なんかを皆が利用できるということですから、いざというときにあそこに逃げるということを皆すぐ念頭に置くだろうということで、避難地を含めた地域の安全の中心あるいは諸活動の中心として学校及びその周辺をよみがえらせろことも一つの大きな、これは都市計画の領域でもありますが、必要なことではないか。  それから、スポーツ施設については学校、校庭等が大分開放されているわけですが、これもさらに充実させて、若干の附帯施設、シャワーとかロッカーとか、そういうものをつくっていって、でき得ればそれを地域のスポーツクラブのようなものが管理していくとかいうことで、学校関係者に余り負担をかけないで地域社会が学校の施設々ともに利用できるというようなシステムが望ましいんではないか、具体的にはそんなふうに思っております。
  92. 上山和人

    ○上山和人君 先生、今学校図書館をどう改革するかという課題が横たわっているんですけれども、文部省の腰が非常に重いんです。応援をいただきたくて、ひょっとして学校図書館のことをお考えじゃないかと思って特に何が優先されるでしょうかとお尋ねしたんです。非常に重要な課題だと思っておりますので、ぜひ先生、社会資本勅備の観点でも応援してください。  奥野先生、先ほどの質問にちょっと。
  93. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) エネルギーの需要面と供給面についてのお尋ねでございますけれども、サマータイム制の導入がエネルギーの節約にどのぐらい効果があるだろうかという点については随分いろんな議論が行われておるということは御案内のとおりでございます。私もアメリカなどで学年生活やら研究者としての生活を送っておりますときいろいろ経験しておるんでございます。もちろんエネルギーの節約にはなるわけでございまして、いろんな需要面でのコントロールということが必要でして、そのうちの一つとしては導入してもよろしいんではないか。ただ、余り大きな期待をそれにかけることはできないんではなかろうかというふうに思っております。  むしろ需要面でのコントロールとなりますと、これももう御案内のように、夏季のピーク需要をいかにカットしていくかということがやはり一番大きな問題ではなかろうかというふうに考えております。  それから、供給面につきまして、一月から卸売市場への電力参入が認められました。イギリスはもっとドラスチックな改革をいたしておりまして、日本の電気事業法の改正はそれに比べますとそれほどドラスチックとは言えないかもしれませんけれども、一つの大きな契機になってきたんではないかなというふうに思います。  それから、小売につきましても、分散型発電で特定地域、再開発地域などに限って小売もできるということになりまして、こういった制度がせっかく導入されたんですから大切に育てていくということがエネルギー源の多様化のために必要ではないか。  ローカルエネルギーにつきましては、風力、地熱等々、これは第一次オイルショックの後、どんな少しのエネルギーでもいいから探そうというふうな機運が随分盛り上がりまして、各地域で風力、水力、地熱等々のローカルエネルギーの開発が、あるいはどんなものがあるかという研究調査が始まったわけでございます。それから二十年ばかりたつわけですが、まだなかなか主力に座ったものがないというふうな状態でして、私は技術の方はよくわかりませんけれども、今の経過を見ていると、どれくらい育つのかなというのが正直な気持ちでございます。
  94. 上山和人

    ○上山和人君 ちょうど時間になりましたので、ありがとうございました。
  95. 山下芳生

    山下芳生君 大西先生にまずお伺いします。  アメリカの都市では住宅に隣接して野生生物のサンクチュアリーを建設するのが流れになっている、非常に感銘してお話を聞いたんです。実は私も大阪の大東市というところに住んでおりまして、水郷や水路、運河が昔からあった町なんですが、つい最近までそれはもうずっと埋め立てる対象だったのを、最近市長がそれを生かそうということで、石垣を組んで水の浄化装置をつけて、緑と水と歴史の回廊計画ということで進め始めて、非常に市民に喜ばれております。大東市民もアメリカの都市と非常に共通する先進的な市民感覚があるのかなとちょっと誇りに思った次第でございます。  アメリカの場合は一体どんなふうにしてそういうことが成り立つようになってきたのか、市民の運動との関係や、あるいはそれに対して行政はどういう支援をしているのか、おわかりでしたら教えていただけませんでしょうか。
  96. 大西隆

    参考人(大西隆君) 今のケースについてですが、私が御紹介したケースでございますけれども、これはいわゆる民間のディベロッパ一の住宅の開発であります。日本流に言えば、そのときの開発の条件として開発者負担で何をさせるかということでありまして、もちろん道路をつくるとかいうのは当然でありますが、それにプラスして新しい施設としてどういうものを整備させるか、それが自転車道路、さっきワイルドライフ・ハビタットというふうに申し上げましたが、池といいますか、そういうものを新しく要求している。ですから、ディベロッパーに開発するときの許可条件としてそういう施設をつくる協力を求めるということであります。  したがって、それは商業ベースで開発をするわけですから、最終的にはそこの住宅を買う人が負担しているということであります。ディベロッパー側からこれを見れば、そういう自転車道路とか、あるいは環境共生型の池のような施設をつくることが購入者にとっても魅力である。そのことでその開発が人気が出て、そこに住みたいという人がふえて、開発したものが売れるということが当然必要なわけです。  ですから、市民のニーズがどこにあるかということが大前提にあって、それを市、行政も開発に対する指導として促進するし、開発者側もそのことが最終的には市民のニーズだから売れ行きにつながるということで取り入れる、そういう関係にあるんだろうというふうに思います。  ですから、それを社会資本という言葉で置きかえてみると、社会資本というのはみんなが使う、つまりみんなにとって役に立つ共有物だということがもともとの意味でしょうから、まさに市民が望んでいるものがそこにできるということが売れ行きにもつながるし、かつ社会的にもそれが有効、有用になる、そういうことではないかというふうに思っています。
  97. 山下芳生

    山下芳生君 次に、両先生にお伺いします。  社会資本整備の方法としまして第三セクター方式というのがあると思います。例えば大阪の関西国際空港も第一種の国際空港ですから、本来国が責任を持って設置、運営するということになってはいるんですが、第三セクター方式でやられて、株式会社で今経営されております。  ところが、こうなりますと、御承知のとおり、例えば埋立工事の間に沈下が予想を超えて工事費がかさんだり、そういうことがあって株式会社経営が非常にしんどくなっている。それが料金にはね返ったり、あるいはひいては、これはあってはならないことだと思うんですが、料金が高い分、航空会社が整備の体制をかなり縮小、圧縮してやるというような、安全性にも危惧を抱くよらな傾向が出ております。  こういう第三セクター方式の社会資本の整備の方式というものについて私は問題点があるなと思っているんですが、両先生の御意見を賜りたいと思います。
  98. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 名古屋といいますか、東海地域でも中部新国際空港が計画されておりまして、七次空整での事業化ということになっているわけでございます。関西新空港、関空の例については大変関心を持っておりまして、どの部分を第三セクターでやるのかということだと思います。  私は、第三セクター一般につきましてはもちろん民間資金を活用する、それから民間の経営のノウハウを活用する、それから行政機構でありますとか、あるいは議会から比較的独立して企業的な経営ができる等々のメリットは教科書的には挙げることはできるわけでございます。総じて申しますと、どこが責任を持って整備をしていくのか、運営をしていくのか、場合によっては総無責任体制になっている、あるいは小田原評定になっておるというふうなことも見られるわけでございまして、その辺のところが現在の第三セクターのかなりの部分に見られる一つの大きな問題点ではなかろうかというふうに思います。  ですから、行政の方が七〇%、あるいは大多数の出資をするというんであればそれはそれでいいわけでございますけれども、みんなが同じような比率で出資をしますと無責任体制になってしまちというふうな問題があろうかというふうに感じでおります。
  99. 大西隆

    参考人(大西隆君) 今、奥野先生おっしゃった点は私も同感でありますが、その点は奥野先生におっしゃっていただきましたので触れませんけれども、一つつけ加えますと、歴史的には社会資本というのは必ずしも公共的に供給されるばかりではなくて民間企業によって供給された例もあると思うんです。  例えば、ターンパイクという名前が残っておりますが、もともとは道路で料金を取るために棒が回るのをターンパイクというふうに言っていたわけで、つまりそこは有料道路であります。有料道路で料金を取って建設費が賄えるのであれば民間企業でもやれるわけでありまして、道路という公共的に使えるものが民間企業によっても供給し得るということは歴史的にはそうなんですが、しかし次第に公共的なものについては税金を使ってつくろうということで、国民大衆、非常に多くの人が共通に使うものは税金によってつくっていくというのが私は基礎だと思います。  先ほどアメリカの例で申し上げたような住宅地の中の池というのはある意味でその住宅地に住んでいる人が専ら使うわけですから、大部分の料金はそういう人たちが負担して、その人たち一つの共有財産として使えばいいということで、だれが社会資本を使うのかということと、だれが負担するのかということについてもう少し我々は厳密に考えていく必要があるというふうな感じがいたします。  そのことを第三セクター論と関連させますと、第三セクターの場合に、そこに入ってくる民間企業というのは一体どういう役割を果たすのかというのが必ずしも明確でない場合があるわけです。民間企業というのは利益が上がらなければ成り立っていかないわけでありまして、公共的な事業の一体どこで利益を得るのかというのが必ずしも明確でないそういう第三セクターの場合には、奥野先生がおっしゃるような役割が必ずしもはっきりしなくなってしまうということで、そのことが無責任体制を生んだり、あるいは本来期待している機能がうまく発揮されないとか、いろんな弊害を生んでいるんではないか。  だから、ひところ言われた資金調達の新しい道としての第三セクター方式というのは、その神話は崩れて、やはり本当にだれがそれぞれの社会資本を供給すべきかについて改めて議論が要る、やや抽象的ですが、そういう時代になっているんではないかというふうに思っております。
  100. 山下芳生

    山下芳生君 ありがとうございました。
  101. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 両参考人におかれましては、きょうは大変興味のあるお話をお聞かせいただきまして、大変ありがとうございました。特にデービスのハビタットのお話は大変すばらしいことであります。  私は京都に住んでおりまして、千二百年の悠久の歴史の中におりますが、このごろ規制緩和の風潮の中で緑が奪われていっているということは何としても防がなければいけないというふうに大西参考人のお話を聞きながら思っておりました。  そこで、私には時間がありませんので、奥野参考人から先にお聞きいたしたいと思います。  先ほどのお話の中で、社会資本を充実させるためには地方分権が非常に重大になってくる、そしてアメリカの例をお出しになりまして、固定資産税の上乗せをその分だけ担当企業に渡すというお話は大変興味がありました。  そこで、単刀直入に具体的な質問をいたしますと、今の日本の社会はまさに三割自治と言われるぐらい非常に財源が硬直していますし、多様化もしていないですね。先生の御持論からいたしますと、日本の地方公共団体の財源をどのようにシステム化し、税制をどう直していったらよりいい社会資本の充実がなされるかということを一点。  続きまして、大西参考人にお伺いいたしますが、大西参考人のお話の中では量から質へ、それから私がお聞きしたいなと思ったんですが、それは社会資本の充実、福祉資本の充実、これなどはまさにこれから大変重大な問題になってくるんですが、時間がありません。  また、先生の御持論であります大蔵省は徴収する方だけの仕事をして、配分は計画官庁というものを新たにつくってそこでなさったらいいという、これは私は非常におもしろく画期的、しかしできるかな、どうすればそういう社会資本のシステムというんですかと思いながら、もしこういうのができれば本当におもしろいなというふうに思っております。  質問といたしましては、日本の公共事業というのはまさに大型プロジェクト、道路とかそういうものにぼんぼん投資をした。私は、もうそんな時代じゃない、量から質というのは先生とまさに同感でして、この公共投資で一番興味があるのは日本独自の入札制度。しかも、他の諸外国に対して価格の評価が非常に高いというこの部分ですけれども、大西参考人はこのとかく問題があります、まして政治家が絡んで何か非常に嘆かわしい問題を起こしている指名入札制度というものの是非、そして今より透明度の高い公共投資の入札制度に何かいい妙案があるかどうか、そしてコストを下げる仕組みというのはどういうものがあるかどうか、お聞きをいたします。
  102. 奥野信宏

    参考人(奥野信宏君) 最初の三割自治の問題でございますけれども、御案内のように、この三割自治というのは全体の平均でございまして、自治体によって随分大きな格差があろうかと思います。  地方税の税収割合を見ますと、日本の総税収に占める地方税の割合というのはヨーロッパに比べると相当高い水準にございます。ヨーロッパのフランス、イギリス、ドイツ等は大体一〇%から一五%の間でございますけれども、日本は三分の一が地方税、アメリカは半分近くございます。したがって、アメリカに比べると低いけれどもヨーロッパに比べると割と高い水準にあるということでございます。  しかし、それでいいということではなくて、日本では地方税の税率を決める権限も地方の方では大変に制限されておるというふうな問題がございます。それから起債、いろんな事業をやるときの起債が大変に強く政府規制されておるというふうなことがございまして、なかなか自分のところで税金についていろんなことを決められないという問題、あるいは起債についても決められないという問題があろうかと思います。  それから、税増融資に関係した問題でございますけれども、例えば大都市では地下鉄というのは公共交通として随分期待が高いわけでございます。時間どおりに走りますし大量に運べます。しかし、建設コストが大変に高い。一キロ二百五十億から場所によっては三百五十億ぐらいかかるということでございまして、それがネックになってなかなか整備が進まないというのが現状なわけでございます。御案内のように、地下鉄を開発いたしますと開発利益が生まれてまいりまして、土地の付加価値が上昇して固定資産税がふえるわけでございます。現在の日本の制度の中でも、そのふえた固定資産税の一部を地下鉄事業の収入として事業に投下できれば地下鉄の整備は大分進んでいくんだろうと思います。  今は、開発利益が生まれてきても、それが税金の増加となってあらわれてきても全部一般会計に入りまして、その事業の収入になっていないというふうなことがあるわけでございまして、特に先ほどのタックス・インクレメント・ファイナンスとかレベニューボンドとかというふうなことに構えなくても、今の制度の中でもそういう開発利益をうまく基盤整備に向けていくということは可能であろうというふうに思っております。
  103. 大西隆

    参考人(大西隆君) ただいまの御質問についでは、私は必ずしも専門的な知識を持っておりませんので御参考になるようなことを申し上げられるかどうか甚だ心もとないんですが、せっかくですから一言だけ申し上げさせていただきたいと思います。  今のような問題については、私は二つの側面、つまり仕事の内容が、工事の内容と言ってもいいんですが、非常に仕様がはっきりしていて、他方でそれを受ける側の業者の工事の結果の品質が保証されている。つまり、幾らで請け負うかということと、でき上がった成果物がきちんとした品質のものであるかどうか、二つチェックポイントがあるように思います。  日本現状は、往々にして、建設工事なんかの場合には何をつくるか、どういう仕様のものをつくるかというのが比較的はっきりしているわけですが、日本の社会の中ではどういう仕事を依頼するかというのが余り明確にされないまま仕事が依頼されている、あうんの呼吸で仕事がこなされていくというような分野もございます。そういう点では、まず何を頼んでいるのかということが外国人の目でもはっきりわかるような仕事の発注側の問題というのが一つ改善されなければいけないと思います。  その上で、今度はそれを受ける側が、単に値段が安いということだけではなくて、要求している質のものができ上がるということが大事でありますから、業者の側の技術水準というものがあらかじめかなりよくわかっているということが手がたい発注においては必要だと。  その両者、結局自由化しながら、かつ質のいい仕事が安い値段でできるようにするにはどうしたらいいかということになるわけでありますから、自由化を進めながら、あるいは公開制度を進めながら、紆余曲折を経て次第にみんなが、どの業者がどういう技術水準を持っていて、この仕事に対して適当かどうかということがだんだん定着していくということが必要でありますし、その中で適正な価格ということについての認識が深まっていくということで、今こういう議論が本格的に始まったところですから少し年月がかかると思いますが、多少の問題を越えながら、外国も含めたいろんな業者が日本の事業に参加できるようなオープンな体制というのを堅持していくというか、発展させていくことが大事ではないか、そういうふうに思っております。
  104. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 ありがとうございました。終わります。
  105. 鶴岡洋

    ○会長(鶴岡洋君) 以上で両参考人に対する質疑は終了いたしました。  奥野参考人及び大西参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席いただきましてまことにありがとうございました。  本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十四分散会