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1996-02-28 第136回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年二月二十八日(水曜日)    午後一時開会     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     会 長         林田悠紀夫君     理 事                 板垣  正君                 笠原 潤一君                 田村 秀昭君                 直嶋 正行君                 松前 達郎君                 上田耕一郎君     委 員                 尾辻 秀久君                 木宮 和彦君                 北岡 秀二君                 塩崎 恭久君                 馳   浩君                 林  芳正君                 山本 一太君                 泉  信也君                 木庭健太郎君                 高橋 令則君                 永野 茂門君                 益田 洋介君                 萱野  茂君                 清水 澄子君                 笠井  亮君                 田村 公平君    事務局側        第一特別調査室        長        入内島 修君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○国際問題に関する調査  (「アジア太平洋地域の安定と日本役割」の  うち、アジア太平洋地域における安全保障の  在り方について)     ―――――――――――――
  2. 林田悠紀夫

    ○会長(林田悠紀夫君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会テーマである「アジア太平洋地域の安定と日本役割」のうち、アジア太平洋地域における安全保障あり方について自由討議を行います。  本調査会では、設置以来、そのテーマに基づき、安全保障中心として参考人から説明を聴取するなど調査を進めてまいりました。  これらを踏まえ、本日は委員皆様方に自由に意見を交換していただくことにいたしました。  運営につきましては、理事会協議いたしました結果、アジア太平洋地域における安全保障あり方について、まず各会派から一名ずつそれぞれ十分以内で御意見をお述べいただくことにいたします。意見表明が一巡した後、午後四時ごろまでを目途として委員相互間で意見交換を行うことといたしますので、御協力をよろしくお願い申し上げます。  なお、御発言はすべて着席のままで結構でございます。  それでは、順次御意見をお述べいただきたいと存じます。
  3. 板垣正

    板垣正君 以下申し上げますことは私の個人的な見解であるということをお断り申し上げます。  まず、アジア太平洋安全保障の問題、アジア太平洋情勢をどう見るか、これが基本であります。端的に言って、経済的な発展を遂げつつある活力あふれるアジアであるとともに、反面、極めて不透明な、また予測しがたい、こういう状況に置かれているのがアジア太平洋情勢現実ではなかろうかと考えます。  この要素としてはいろいろございますけれども、中長期的に見ます場合には、アジア全体の繁栄とともに、いずれ深刻な問題になってまいります人口の問題があります。食糧の問題があります。さらには、エネルギー。これらの問題が中長期的にわたって発展を遂げつつある国々にとりましても極めて深刻な問題になります。  それから、御承知のとおり、アジアの各国がそれぞれ防衛力強化近代化を進めつつあります。特に最近の近代技術の発達によりまして、相当威力のある武力の、軍事力の増強というものが図られつつあるのが、大体一九九九年ごろには今装備しつつあるものが一応でき上がる、こういう中でさらに緊張の高まることも予想される、これが大きな流れとして言えることではなかろうかと思います。  さらに、短期的に、現実に置かれている問題として一番深刻な問題は北朝鮮現実であります。  本調査会でもいろいろ講師のお話を承りまして、北朝鮮情勢というものは、金正日政権の足元が安定しているか安定していないかいろいろな見方はあったようでございますけれども、先般アメリカCIA長官北朝鮮体制崩壊過程に入っておるということを議会で証言いたしております。  さらに我が国におきましても、これは二月二十七日の日経報道でございますけれども我が国外務省関係当局においてもやはり北朝鮮情勢は中長期的な体制崩壊過程に入ったという見方が急速に浮上しつつある、こういうことで、それに対していかに対応すべきか水面下で行われているということが報道される。その詳細は判明しませんけれども、いずれにいたしましても北朝鮮の動向は予断を許さない緊迫した情勢に置かれているということが言えると思うのでございます。  さらに、若干性格は異なりますけれども、いわゆる中台関係台湾海峡事態というものもこれまた極めて深刻な事態にあるのではないでしょうか。  三月二十三日の台湾総統選挙、これに対して真っ正面からの武力衝突、つまりは中国側進攻作戦展開されるというところまで予測はないようでありますけれども、しかし近々あの沿岸における相当大規模軍事演習が行われる。そうしたものから不測の事態が起こっては大変だという、これは我が国安全保障の面からもアジア全体からいっても大変厳しい状態にあることは否めないところでございます。  さて、そういう流れの中において、今、日米安保体制確認あるいは再定義、この問題が大きな焦点となりつつあります。橋本総理もクリントンと第一回の会合を持ちましたが、この四月には、中長期的にわたった展望に立ちながら、また当面の危機に対処しながら、日米安保体制の再確認ということが、これは我が国のこれからの対応にとりましても極めて重大な問題であります。  これらの安保体制、二国間の同盟関係について特に申し上げたいことは、一説には、二国間同盟を超えて多国間協議、いわゆるそうした集団的な協議の輪を広げるべきである。御案内のとおり、ヨーロッパにおきましてはそうしたものが現実発展しつつある。しかし、ここで言わなければまらないことは、多国間のそうした協議の場はあくまで協議の場でありまして、それをもって二国間の同盟に代替することはできない。あくまでやはり二国間の確固たる同盟関係があり、それを補完する意味におけるこの多国間の安保のつながりというものが考えられる。もちろんそれらを積極的に進めていくということは必要でありますけれども、そういう立場を主張するわけでございます。  もう一点は、話し合いを続けることが大事だ、誤解を招かない、お互いが誤解を招かないように理解し合っていくことが大事である。これはもちろん大原則でありましょう。しかし、国際紛争、さらに言うなら戦争、そうしたものは必ずしも誤解からだけ生まれるのではない。やはり国益国益のぶつかり合いということがあり得るわけであります。そして、その中から極めて冷静な計算の上に立って武力行使が行われ、紛争が行われる。そういうことも現実に歴史的にあり得るわけでありますから、そういう意味合いにおける中で、我が国として国益を踏まえながらも日米安保体制というものにどう対処していくかという問題が差し当たりの大きな課題であります。  アメリカにおいては、昨年の二月に東アジア太平洋安全保障戦略、これがアメリカとしての国家戦略であるというふうに考えられると思いますし、最近ナイ前国防次官補が改めてアジアに対するアメリカ戦略はこういうものでございますということを明らかにしております。  第一は、前方展開戦略維持する、つまり現実アジアにおける十万体制前方展開戦略は当面維持をしていくということが一つであります。第二番目は、二国間同盟関係を重視していくと。これは象徴的なのが日米安保体制日韓関係等もございますけれども、ということでございます。第三番目が北朝鮮核凍結合意、KEDOですね。これもある意味における、アメリカに言わせればこれは多国間協議一つの成果なんだと。したがって、崩壊過程に入りつつあるという、暴発的な形の崩壊では大変及ぼすところが大きい。体制は徐々に崩れていくであろうけれども、徐々に崩れていくようにそのてこ入れをしながら核の凍結合意を進めていこうという考え方ではなかろうか。  それとさつき申し上げました多国間の安保協議の場を広げていく。これは最近、アジア太平洋国防相会議を提起したことも御承知のとおりでありますし、またASEANフォーラム等中心アジアにおける多国間の安保協議が徐々に進められつつあることも評価されるべきであると思いますし、これまたアメリカ一つ戦略であります。  最後に、五番目が中国との関係であります。  中国の場合も決してこれは安定した政権と見るわけにはまいらない。いわゆるポスト鄧小平権力闘争が既に展開をされつつある。こういう中における極めて顕著な軍事力近代化、さらには台湾問題等に見られる露骨な軍事力による威嚇、こうした姿勢中国の安定と見るのか指導部の焦りと見るのか、見方はいろいろあろうと思いますけれども、過般の講師の話にもございましたが、アジア太平洋における安全保障の最大のポイントは、一言で言うならば中国をいかにソフトランディングさせるかということだと、私もまさにそう思うわけであります。  したがいまして、アメリカのいわゆる関与政策、最近は積極的関与政策、つまり決して敵視をしない、封じ込めるというんじゃもちろんない、関与しつつ対話を重ね、あるいはいろいろな安保問題、軍事力透明化、そうしたものを図りながら、中国を長期的にいかにして国際社会にソフトランディングさせていくか、アジア枠組みの中で平和と安定の実現を図っていくかということであろうと思います。  以上、極めて大ざっぱでありますが、アメリカ国家戦略、私は基本的にこれに全面的に賛成でありますし、また、当面我が国としてもこれに対処し、かつ安保体制冷戦下におけるような受け身の姿ではなく、我が国が積極的な立場においてアジアの安定、紛争未然防止、これをいかに実現を図っていくか。日本国家としての国益を踏まえた、安保体制を踏まえながらの日本国家戦略というものをさらに練り上げ、明確に打ち出していくことが必要であると思っております。  そして、もう一つ当面の対処問題として論議の的である集団自衛権の問題あるいはPKO見直しの問題あるいは武器使用にかかわる問題、私は、これらの問題が余りにも国際常識からかけ離れた、国際的な協力対話の中で、国連協力の中で、日米安保体制あるいはアジアの広い枠組みの中での日本の積極的な平和志向、これは国民世論の支持するところでありましょう。それが憲法の解釈をめぐって、あるいはそのもとにおける法体制のもとで、この国の行動を私はむしろ不自然に縛りつけている面が多々あるんではないのか。これはそれなり必然性がありそれなりの意義もあったでありましょう、冷戦下において今日の繁栄を築き上げるまで。  しかし、やはり大きな転換期に際しては積極的にこの論議を起こして、私は、基本的に日本の当然固有の権利である集団自衛権国連憲章、こういうものを踏まえた日本方針というものをやはり明確にしていくべきである。  あるいはPKOについても、過般、私ども自衛隊の視察にも行ってまいりましたけれどもカンボジアその他に行った方々の話を聞いても、一番あなた方が言いたいことは何ですかと言いますと、自衛隊組織としてやってきているんです、組織として訓練も行い、組織として行動する、命令のもとで行動する。こういう組織でありますから、それがPKOに行った途端一人一人の判断でやりなさい、個々にやりなさい、肝心の武器使用、身を守るということも個人判断でやりなさいというようなことになりますと、余りにも心理的負担が大きい、特に指揮官に。  これはまた、国際的にはPKOとPKFを区別している国はない。こういう面からも、もうこの見直しの時期も過ぎておりますけれども、積極的にこうしたものは国連一つの言ってみれば国際常識、そういう中で、しかも我が国が自主的にこれに対応し、積極的に行動できる、現地で安心して誇りを持って行動ができる、こういう問題についてももっと我々は安保論議全体の甘さを脱して、安保論議の厳しさ、そういう立場に立って、今後これらの問題について明確にしていくことぶつまりは日米安保体制なりアジアにおける相携えての.平和、安定を、紛争未然に防止していくと。根底は抑止であり、絶対に紛争を起こしてはならない、またましてや戦争を起こしてはならない。そのための、以上申し上げたような立場での積極的な我が国防衛政策の推進が必要ではないのか。  以上、申し上げまして私の見解にいたします。
  4. 直嶋正行

    ○直嶋正行君 私の今から申し上げますことは、会派としての統一した見解ではなく、直嶋個人意見であるということをまず申し上げておきたいと思います。  最初に、日本を取り巻く国際情勢認識でありますが、世界冷戦後の新秩序形成に至る過渡期にある。したがって、過渡期特有の不安定かつ不透明な状況にあり、この状態は当分の間、十年になるのか二十年になるのか、さらにもっと長くなるのかわかりませんが、いずれにしても当分の胆このような状態は続いていくのではないか、このように思います。  そして、そういう状況下にあって、今は国際協調による平和と安定を求める時代になってきた。そしてその中で、日本はそのなし得る役割と責任を果たさなければいけない、このように思っております。  次に、地域、特にアジア地域状況でありますが、アジア地域は、御承知のように目覚ましい経済発展を続けており、それが地域の活力と自信の源泉となるとともに、世界成長センターとしての地位を占めつつあると思います。  そして、ここで重要な点は、特に東アジア語用がその地域内において経済発展自己循環メカニズムを形成し、経済的に自立しつつあるという点であり、この経済発展背景に、今後、政治、安保、文化等さまざまな面でいや応なく彼らの発言力を高めてくると思われることであります。  したがいまして、安全保障の面でも、我が国はこの成長センターとしての東アジア諸国との協調関係を今後どう強化していくか、これが大きな課題ではないか、このように思います。  地域安全保障でありますけれどもアジアにおいては、例えばカンボジア紛争解決あるいはベトナムのASEAN加盟等、安定に向けた動きが見られるわけでありますけれども、しかし他方では、各種の領土問題や宗教上の対立、あるいは民族等に根差す複雑かつ多様な地域紛争の火種が顕在化しつつある、このように思うわけであります。特に、東アジアということで申し上げますと、朝鮮半島問題あるいは中台問題、さらには中国核実験あるいは南沙諸島問題等、たくさんの不安定要素を抱えているわけです。また、ロシアもことし六月の大統領選挙を控えて、今、非常に不透明な状態が続いていると思いますし、極東ロシア軍の兵力も明確な削減が見られない、こういう状況ではないかと思います。  したがいまして、今後の安全保障を考える場合の基本的な姿勢ということで申し上げますと、冷戦後の脅威は、やはり我が国立場でいいますと、我が国に対する直接侵略というよりも、むしろ今申し上げたような地域的なさまざまな不安定要因から発生する脅威要素が多くなってくるのではないか。  しかも、こういった脅威は非常に多種多様な原因に根差したものであり、したがって、そういう状況下で考えましたときに、一つは、我が国はみずから力の空白をつくり出し、周辺地域における不安定要因とならないこと。二つ目は、アジア太平洋地域における安定のためには、やはり日米安全保障体制を堅持する、そして、その上で我が国独自の外交努力防衛努力によって我が国安全保障、安全を確保する、こういった見地に立つべきではないかと思います。また同時に、安全保障はやはり国民理解を得なくして成り立ち得ないものでありますから、さまざまな観点から国民の支持と理解が得られるように一層の議論あるいは国民世論の啓発が必要ではないかと思います。  次に、アジアの安定のための日本の具体的な貢献あり方あるいは役割、こういった点について触れてみたいと思います。  まず一つは、先ほども申し上げましたが、日米安全保障体制を骨格とした日米同盟の堅持と強化であります。  先ほど来述べましたように、潜在的な不安定要因があるこのアジア太平洋地域におきましては、日米安保地域安全保障枠組みの根幹をなすものではないかと思います。また、さまざまな経済摩擦がある中でも、日米信頼関係を支えてきた日米友好の基盤をなすもの、これが日米安保体制ではないかと思います。また、他の面で見ますと、米国とのこういった安保体制という防衛協力があるゆえに我が国専守防衛という防衛力あり方も可能になっているのではないかと思います。  したがいまして、この日米同盟維持発展は、単に日米両国ということではなく、世界平和達成のために極めて重要である、こうした認識に立って日米安保体制を堅持するための一層の努力が必要である、このように思うわけであります。  次に申し上げたいことは、集団的安全保障についてであります。  我が国は安定した国際秩序構築、このことこそまさに日本国益である、こう思うわけでありますが、この構築に積極的に参画をし、そして、その枠組みの中で安全保障を図るべきであると思います。自分の国は自分で守るということのみならず、他国と協力して互いの安全を互いに図る必要があるのではないかと思います。  したがって、従来の個別的自衛権に限定しない集団的自衛権あり方、また、しかるべき安全保障枠組みの中での集団的安全保障への参画、これらについて、一つの選択肢としてタブーをつくることなく十分議論をすべきである、このように思います。  次に、安全保障基本法制定必要性について申し上げたいと思います。先ほど来申し上げましたように、地域紛争の多発、あるいは兵器の拡散等、非常に不透明な国際情勢下にあって、単に合理化効率化コンパクト化を進めるという新防衛計画大綱中期防で軍たして十分であるか疑問が残ると思います。  したがって、より基本的な問題として、我が国安全保障基本方針自衛隊の存立の根拠、その機能を明確にした安全保障基本法制定が必要であり、そのもとでの適正で質の高い精強な自衛力の整備に努めるべきではないかと思います。また、自衛隊基本的にはいざというときに頼れる自衛隊でなければいけないと思います。  先般の新防衛計画大綱の中で、大規模災害テロ対策、こういった面への配慮の必要性がうたわれているわけでありますが、特に安全保障会議統合幕僚会議機能強化等も今後検討されなければいけないと思います。  また、さまざまな情報収集手段の保有と情報の質を高める、そういった面での情報本部の新設が私は遅きに失したと、こう思うわけでありますが、この面での充実を今後図っていく必要があるのではないかと思います。  あと残された時間で一、二各論を申し上げたいと思います。  一つ国連の問題でありますが、国連改革についてまず申し上げますと、これまでに比べまして、例えば、軍縮の問題とか飢餓あるいは貧困環境等、いわゆる地球規模問題解決に当たって、国連発足当時に比べて非常に複雑多様になった課題に直面しているというのが現状ではないかと思います。そういった点で、こうした新たな課題に対応するための国連の抜本的な改革が必要であり、この点に我が国も積極的に取り組むべき広あると思います。  また同時に、国連安保常任理事国入りの問題でありますが、今の不安定な国際状況下国連中心にしてさまざまな問題を解決する、このことが必要であります。そうしますと、世男せも有数の経済力技術力を有している、我が国はそういう国でありますが、同時にまた国連で二番目の分担金を負担している国でもあります。そういう面では、今後国連の中核的な役割を担うべきである、このように思うわけでありまして、こういった点について積極的な努力が必要だと、こう思います。  次に、PKOの問題でありますが、我が国国連平和維持活動に積極的に参加すべきである、このように思います。したがいまして、国連から部隊派遣等の要請があり、政府がそれを決定した場合には迅速に対応する、そういったことが必要ではないかと思います。また、PKO本体任務についても、これまでの自衛隊の実績を踏まえ、早期に議論をし、解除をすべきである、このように思います。  次に、多国間の信頼性醸成措置への積極的な関与について申し上げます。  極めて多様なアジアにおける多国間安全保障については、我が国も積極的にそれにかかわっていく意思の表明が必要であると思いますし、ARF、ASEAN地域フォーラムヘの積極的な参加は申し上げるまでもないと思います。  先般、アメリカペリー国防長官が、アジア太平洋地域における国防相会議の開催を提案したという報道がなされております。地域信頼醸成のためには、例えば外務大臣も含めたこうした会議を持つことも検討すべきではないかと思います。  さらに、今後の経済協力について一言申し上げたいと思います。  政府開発援助ODAを適切に推進するために国際開発協力基本法を私どもの政党はさきの国会に提出をいたしました。しかし、残念ながらこれは廃案になってしまいました。  例えば、環境に配慮したODAのより有効適切な活用という点から見ましても、平成四年に政府閣議決定をした現在の大綱にとどまらず、国会の議を経た確固たる基本法をつくることが必要ではないかと思います。この必要性を強調しておきたいと思います。  また、これからの国際貢献に当たって考えてみますと、これは政府組織のみならず、NGO活動分野も非常に重要になってくると思います。そうした情勢にかんがみ、国内の各種ボランティアが創立や活動をしやすくなるように、私ども議員立法NPO法案を提出いたしておりますが、特に、こういった法案をつくり、日本としてのNGOに対する支援の強化も必要ではないかと思います。  以上、若干の具体的な提案も含めて申し上げまして、同僚議員議論に供すれば幸いであると思います。  以上で終わります。
  5. 萱野茂

    萱野茂君 私は、安全保障などという難しい話を深く考えたことがないのであります。それというのは、アイヌはいつも攻められっ放しで、専守防衛そのものであったからであります。紛争解決方法も、「ウコ・チャランケ」といって、徹底的に和平交渉、つまり話し合い解決するのがアイヌ民族考え方であったわけであります。  そこで、アイヌ民族出身の私が、日ごろ、平和のこと、人権のこと、先住民族のことなどで外国の人たちと話をしていることについて申し上げ、アジア太平洋安全保障あり方についての意見としたいと思います。  私は、これから安全保障を考えるときに次の三つのことが大切であると思っております。一つは、より幅の広い概念、つまり総合的な安全保障観点がますます重要になってくることです。二つ目は、人間にとっての安全保障、つまり市民にとっての安全保障でもあります。三つ目は、より質の高い協調性による安全保障であります。  まず一つ目のことでありますが、今世界の各地で起きています国際紛争の多くは過去の歴史を背景としたものです。例えば民族や部族間の対立宗教対立貧困人権の抑圧など、さまざまな紛争対立は、かつての植民地における支配と被支配関係に根差したものではないでしょうか。  このような国際紛争について、軍事力や経済制裁などの力による封じ込めでは、おのずと限界があるのは周知のことであります。紛争背景にありますさまざまな要因に世界が手を差し伸べ合うことが紛争の根本原因を取り除くことであり、また、紛争未然に防止することでもあり、これが総合安全保障であると思います。  そして、平和憲法を持ち、軍事的貢献を制約している日本だからこそ、開発協力環境保全、食糧、人口問題、災害支援、人権擁護、人材の育成など、非軍事分野での貢献によって総合的な安全保障アジア太平洋地域にも広げていくことができる立場にあると考えます。  ただ、この場合、参考人の中西輝政先生も述べておられますが、それぞれの国や民族が持つ文化や価値観を尊重し合うことも大切な課題ではないでしょうか。  アジア太平洋地域は今経済発展のさなかにあります。また、民族宗教、文化などの多様性を特色としております。例えば、十二億人が住む中国には、漢民族のほかに五十五の少数民族が住んでおると伺っております。これらの人たちがお互いの文化や価値観を尊重し合うことは、中国の国内にとどまらず、アジア太平洋地域、そして世界の平和と安定にとって不可欠なことなのであります。  私たちアイヌ民族には「ネプアエルスイカ ネプアコンルスイカ ソモキノオカアン」という言葉があります。これは意訳しますと、草も木も、鳥やけものも、みんなが平和に生きるという意味であります。日本の開発援助一つとりましても、政府政府の取り決めではなく、そこに住む人々あるいは先住民族人たちとの相互理解が極めて大事ではないでしょうか。  この調査会でも、このような視点を検討課題としていただければありがたいと思います。  二つ目安全保障を人間、市民の安全に置くことについてです。  かつての安全保障の概念は国家の安全とされ、国家の安全のためには市民の安全は軽視されがちでありました。今でも戦争が起きますと大勢の難民が生まれますのは、市民の安全が軽視されているからではないでしょうか。市民の安全、人間の安全保障の理念は、各国の環境保全や災害支援など、さまざまな分野での国際協力基本であり、信頼される外交樹立の基本であると考えてい出す。  また、この調査会では、政府開発援助などに平だっての情報開示の方法、合意形成の手法などについて検討されることが大切であると思っています。  三つめの協調的安全保障ですが、このことは国際間の対立武力紛争発展させないための予防的措置でもあります。このような観点から、アジア太平洋地域における多国間の安全保障協議の場でありますASEAN地域フォーラムを各国間の信頼関係を築いていく場として、日本は積極的に守り立てていくべきと思います。  文民統制の制度を持つ日本は、率先して防衛についての情報の公開や、防衛についての考え方を開示する、また、そのような仕組みについて各国に働きかけるべきでありましょう。  北東アジア安全保障を考えますとき、現在最も重要と思われる点は、朝鮮半島の安定です。なかんずく北朝鮮における経済の安定、人心の安定が何よりも不可欠であります。日本は、韓米両国の理解を前提に可能な限りの支援を強化すべきであり、また南北両朝鮮、アメリカ中国ロシアなどによる北東アジア安全保障会議開催などについて我が国役割を検討すべきであります。  最後に、我が国の防衛のあり方についてであります。  かつて防衛庁は、ソ連敵視といって北方有事の戦略配備をしてきましたが、今はそんな時代ではありません。今こそ防衛力の再編、縮小を進め、目に見える軍縮、世界、特にアジア諸国から見ましてわかりやすい専守防衛の姿を示すことが戦後五十年のアジア地域での歴史の清算と信頼の醸成に必要なことであると考えます。  そして、このような姿勢を内外に示すために、安全保障基本法の検討であるとか、対外政策の持つ一つの柱であります政府開発援助につきましても、政府の機構の見直しであるとか国際開発援助基本法制定につきましても、この調査会で検討を進めるべきことを提言し、私の発言を終わります。  ありがとうございました。
  6. 笠井亮

    ○笠井亮君 私は、アジア太平洋地域における安全保障あり方について見解を述べたいと思います。  まず、いわゆる脅威の問題についてであります。  これまで長年にわたってソ連の脅威に対抗するということで、この地域日米軍事同盟などアメリカ中心とする軍事同盟が張りめぐらされ、軍事力強化されてきました。ところが、ソ連が崩壊し、政府の説明でも脅威とは言えなくなっております。かわって、この地域に十万の米軍が存在し続ける口実として不安定、不確実ということが挙げられて、北朝鮮中国台湾情勢などが不透明な危険だと言い立てられているわけであります。  しかし、北朝鮮問題では、米朝合意を経て、アメリカ北朝鮮が相互の友好関係改善を望むというまでになっております。アメリカは、中国におしても敵とみなす封じ込めではなくて、積極的関与政策に基づく外交と対話によって取り込みを図ると言っておりますし、台湾問題でも中台双方に対して平和的な解決を求めるとしております。  私は、もちろん北朝鮮中国に覇権主義があることを認識しておりますけれども、それらを口実にして今日のアジア太平洋地域における十万の米軍の存在を正当化させることには根拠がないと考えます。  それでは、アジア太平洋地域にとっての脅威とは何かという問題ですが、一つは核独占の脅威ではないかと思います。  フランス、中国は、この地域核実験を繰り返し、核戦力の維持強化を図っております。アメリカは、依然最強の核戦力を保持して、必要ならいつでも核実験を再開すると明言し、東南アジア非核地帯条約についても、核兵器の通過、寄港の確保をねらって見直しを迫っております。被爆国日本は、アメリカの核の傘のもとにあり、いつでも核出撃基地とされる危険があります。  しかも、アメリカ自身が北朝鮮の核開発を中止させたことへの中国貢献ということを強調しているように、米中は核保有国の地位を集団覇権主義的に共有するという関係にあると思うわけであります。核保有国だけが国家の死活的利益のために核兵器を独占的に保有し、核実験して使用も認められるとするということは、核保有国の特権のもとに非核保有国の自衛や国家の死活的利益は踏みにじっても当然だという危険な論理にほかならないと思います。  こうした脅威を取り除くために、今こそ核実験全面禁止条約と核兵器廃絶条約を締結するということが世界平和の緊急課題として追求されるべきだと思います。  私は、この地域における最大の脅威と言うならば、それはむしろ十万もの米軍の存在であり、その最大の拠点とされて四万七千の米軍が駐留している日本ではないのかと申し上げたいと思います。我が国は、このもとで、横須賀を母港とする空母機動部隊、それから沖縄の第三海兵遠征軍、三沢にある戦闘航空団など、戦争の際には地球のどこにでもすぐ出かけていく殴り込み部隊の前線基地になっております。それをソ連崩壊後の今日も貫こうとしているのが、ちょうど一年前に発表された米・東アジア戦略、ナイ・イニシアチブにほかならないと思います。  それは、ベトナム侵略戦争まで正義の戦争だと言ってはばからないように、アメリカ国益世界国益だとみなしてすべてに優先をさせる、これが米軍の行動基準だという立場であります。まさに、自分の気に入らないものは武力で制裁をするという覇権主義そのものだと思います。  APECについてもアメリカは、経済覇権主義の立場に立って、緩やかな協議体からアメリカ主導の貿易、投資の自由化の方向に強引に変質をさせようとしており、さらにアメリカ政権はこれを安保協議の場にもしていきたいと言い出しております。  アメリカは、ARFを利用した多国安保協議が伝統的な二国間の同盟関係を補完するものとして位置づけております。そこで、ナイ前国防次官補が述べたように、アメリカが考えているのは、NATOのように強固な日米安保関係とOSCEのような幅広い多国間協議体だということであります。つまり、日米安保条約をNATOのように集団自衛権を持った本格的な軍事同盟にして、それを中心多国間の協議体をつくろうというのがねらいだと思います。  このような覇権主義に基づく軍事同盟体制は、多様性を持つアジア太平洋諸国の民族自決権と経済の自立的発展、南北関係解決を妨げて、力で抑え込んで支配しようとするものであります。米軍の存在は、アジア太平洋地域の安定要因どころか不安定要因そのものであるというふうに申し上げたいと思います。  アジア太平洋地域において、このような米戦略に沿って日米安保の再定義をしようというのは大問題だと思うわけであります。これまで日本の安全を守ると言っていた口実もなくなり、日米安保は米国のアジア太平洋戦略、さらには世界戦略のために必要だと建前上も言いかえて、米軍基地の永久化をねらうというのがまさに再定義であります。これは条約の危険な改定にほかならないと私は考えます。  この日米安保再定義を先取りするものとして新防衛計画の大綱が決められたことは重大だと思います。今回の新大綱では、自衛隊の任務を従来の武力攻撃に対する我が国の防衛に限定せずに、我が国周辺地域における重要な影響を与える事態が発生した場合の日米安保の発動とPKOの推進という新たな二つの役割を加えて、米軍とともに、もともと憲法違反の自衛隊が地球的規模でどこにでも展開できるようにして、日米共同作戦がその前提となっております。しかも、それがアメリカ東アジア戦略に重なり合うようにつくられたことが当事者によって明らかにされているわけであります。  このようにして自衛隊を地球的規模での米軍の補完部隊とも言うべき方向に進めていけば、アメリカ国益から関与する紛争日本が巻き込まれて、それに協力することは、従来、政府自身も憲法上許されないとしてきた集団的自衛権の行使の体制に踏み込むことは明白ではないでしょうか。新大綱の中で、これまでのF15とかAWACSに加えて最新鋭の次期支援戦闘機F2を百三十機も投入することを決定したことは、専守防衛さえも超えるあらわれの一つとして見過ごすことはできないと思います。  こうした新大綱に基づく軍拡路線を改めて、新中期防衛力整備計画を撤回し、平和と軍縮、軍事費削減、経済再建と国民生活向上の方向に切りかえるべきときであると考えます。  今日、沖縄での米兵少女暴行事件を契機にして、安保条約の是非をめぐって世論の激変があります。昨今、米国内でも日米安保、在日米軍駐留の見直し論が広がっています。例えば、ブルッキングス研究所のマイク・モチヅキ主任研究員は、沖縄の海兵隊は朝鮮半島への出動には適していないと述べて、ハワイか米本土への引き揚げを提言しています。同氏は、日米関係は大事にしたい、だが必要性の薄いものの撤退や縮小を求め、一方、他の面での協力強化しましようという話なら、アメリカ人のほとんどは納得すると言っております。  日本共産党は、在日米軍の削減と海兵隊の撤去、さらに日米安保条約の廃棄、米軍基地撤去こそアジア太平洋地域における安全保障のために不可欠な課題であると考えています。日米安保を再定義するための四月の日米首脳会談は中止すべきことを求めております。  第二次世界大戦の惨禍の上に立って、軍事同盟を否定し、体制の違いを超えた集団安全保障体制の確立を打ち出した国連憲章に沿ったアジア各国の努力が必要であります。日本軍国主義が行った侵略戦争によって幾多の人命を奪われたアジアの諸国民はもとより、日本国民日本が再び軍事大国となることを厳しく警戒しております。  日本国憲法の平和原則にのっとって、独立自主、非核非同盟日本として二十一世紀を迎えろ方向で努力することこそアジア太平洋安全保障に対する日本役割であるという私の確信を述べて、意見表明を終わります。
  7. 田村公平

    田村公平君 大変小さい会派を代表させていただいて発言の場を与えていただきました会長並びに委員の方々に、まず感謝を申し上げたいと思います。  私は、今ここに書いてありますアジア太平洋地域における安全保障あり方、こういう大命題は実は苦手でありまして、昨年七月二十三日に国会議員に当選をさせていただいて、この会に所属をさせていただきましてまだ日が浅うございます。自分なりに勉強はしてきたつもりでありますが、そもそも国際化というのは一体どういうことなんだ。一九六〇年代初頭に海外渡航が自由化され、最近では我が国の人口の一割を超える人々が海外に出ております。あるいはまた安全保障という問題は、私自身は総合的なものではないかと思っております。今、萱野先生もお話ありましたけれども、人の問題でもあり、文化の問題でもあり、産業の問題だと思っております。  これは例を挙げて大変恐縮かもしれませんが、人口わずかに二百八十万人程度、横浜市とほぼ同じ人口であります。国の面積はたしか六百四十平方キロぐらいしかないと思います。淡路島と同じ面積のシンガポールが四万の常備軍を持ち、今、多分二十四時間で陸海空総動員をいたしますと、我が国自衛隊に匹敵する二十万の臨戦体制ができるようになっております。  たしか第四次中東戦争のころだったと思います。シンガポールはマレーシアから分離独立して約三十年が経過しております。中東戦争のさなか、当時のイスラエルの総理がシンガポールを訪れる。宗教の問題もありまして、マレーシアはシンガポール政府に対してイスラエルの総理が来ることに圧力をかけました。そのときに、シンガポールは非常招集をいたしまして、二十万のいわゆるハイデンション、レッドゾーンに上げたわけです。マレーシアはそこで引っ込みました。イスラエルの総理は来ました。  御案内のとおり、シンガポールという国は飲み水まで隣のマレーシアから買っております。三本の導水管がありまして、二本は原水で来まして、一本は上水にしてマレーシアに返しております。その後にシンガポール政府がとったのが、これがまさに私は外交だと思いますけれども、その水の代金を高くしたわけです。つまり、マレーシアに高く、買う値段を上げた。それがやっぱり本当の外交ではないかなと。  そういうことを考えたときに、先般、いろんな著名な先生方からもお話がありましたが、我が国の憲法はだれがどう見たって、これはもう自衛隊の存在は私は違憲だと思っています、憲法のまま読めば。最上級法のもとに自衛隊法をつくったり、あるいは日米安保もそうでありますが、いろんなことをつくったって、今、私、安全保障というのは総合力と言ったのは、そういった意味で言ったわけです。もともと誤った法律、上級法のもとにごまかしをつくっているわけですから、どうも奥歯に物が挟まったような議論しかできない。悪ければ変えればいいと思います。  例えば、戦後五十年の節目の年だというふうに去年は言われました。我々日本人は、戦争に無条件降伏したわけですから、戦争に負けたわけです。つまり、敗戦記念日であります、八月十五日は。それを終戦記念日と言いかえて我々は今まで来ております。私の父親もソ満国境に五年おりました。敗残兵として引き揚げてきました。その中で我々の先輩方は、まさに生きるため食うために必死の思いでこの国を形づくってきたと思います。  戦後五十年たったというのであれば、あるいはまた昨年は阪神・淡路の大震災もありました、オウムもありました。私自身の思いは、後世の歴史家がこの国を見たときに、昨年九五年という年はまさに日本という国が滅びる始まりの年であったのではないかと言われなくするためにも、国会という場でいろんな意見を闘わせ、そして本当の国のあるべき姿を求めていきたいと思っております。  物をつくる者をばかにし、労働力が安いからといって東南アジアにどんどんメーカー、いわゆる物づくりをする人たちが出ていっております。トヨタ自工も、先般の日経新聞によれば、心臓部であるエンジンをインドネシアの工場から輸入すると言っております。それでは、インドネシア政府がいわゆる外資系企業について法人税を来年から一〇〇%にします、その次には二〇〇%にしますとなったときに、一体我が国はどういう対応をするのでしょうか。あるいは、先ほど申し上げましたシンガポールに我が国の企業が約二千社出ていっております。日本人だけで二万人住んでおります。  国内法を変えるということによって、まさに空洞化が進みつつあるどころか、我が国国益、根幹が揺らぐおそれもあります。そういうことが総合的な安全保障だと私は思っております。  そういうことを真剣に考えてほしい。私は、父親田村良平が衆議院議員を二十一年やらせていただきましたそのうちの十八年間は第一秘書をやっておりました。多分国会議員は、息子である第一秘書にも言わない何かがあると思っていました。この参議院のハッジをもらったけれども、私のIDカードはありません。私の身分を証明するものは運転免許証であります。運転免許証は車を運転してよろしいという許可証でありまして、身分証明書ではありません。  危機管理、つまり今、安全保障、対外のことを、外国のことを言います。我が国の国会議員が例えば選挙区から緊急に東京に上がらぬといかぬ、国会に出てこぬといかぬ。どういう権限を持ってどういうふうにして上がってくるんですか。非常事態というのは直下型大震災でも何でもよろしいです。通常のNTTの通信ラインはダウンしていると思わぬといかぬ、全日空も日本航空も飛んでいないと思わぬといかぬ、JRもとまっていると思わぬといかぬ。あるいは、ここで働いている我々を支えてくれる参議院の職員の方々、大久保の官舎からここまでどうやって出てくるんですか。それすらないのにこういう議論をすることが、私自身は内心じくじたるものを持っております。  国会議員として特権が欲しいという意味ではありません。参議院は憲法に保障されて六年間任期があります。もし衆議院解散中に非常事態が起きたときに、我々の参議院はどうするのか。その足元の危機管理すらできていないのに、あるいは先般勉強にも行かさせていただきましたPKOの問題なんかもかわいそうです。何のバックアップ体制もないのにゴラン高原に出し、カンボジアに出し、もしゴラン高原であの部隊が、攻撃あるいは戦闘行為というのは一体どこで基準をするのかは、それすら明文化されていない。アメリカはいいですよ、第六艦隊がすぐ応援に来ます。補給すらない、たたき放題です。そういう何の保証もないのに外へ兵を出すということは私は反対であります。  大体、セルフディフェンスなんていうことを言わなければならないこの国の、何というのかあいまいさというか、それは我々国会議員の身分等のことを含めてのこのあいまいさ、まず脚下照顧、我々の足元から直していただきたい、それが新米議員の初めて発言の場所をいただいた切なるお願いでありまして、これは超党派でできることだと思います。そうじゃないと国権の最高機関の意味もありません。  そして、我々はそれぞれの選挙区あるいは比例を含めて、国民に向かってもうそろそろ本音で物を言ってもいい時代に来ているんじゃないか。もうごまかしはやめようじゃないか、建前論じゃなくして本音で物を言って、本当の意味での政治改革やこの国のあり方のきっちりとしたルールをつくり上げないと、本当に私はこの国は滅んでいくと思っています。  大変生意気なことを言いまして、私、原稿なしで何を言おうかなと思って、皆さん余りにも立派な方ばかりなものですから、ある部分で大変暴論があったかもしれません。しかし、意のあるところをお酌み取りいただいて、私の意見にかえさせていただきます。ありがとうございました。
  8. 林田悠紀夫

    ○会長(林田悠紀夫君) ありがとうございました。  以上で意見表明は終わりました。  これより委員の皆様相互間で自由に意見交換を行っていただきます。発言順序は決めておりませんので、御発言を希望される方は挙手をお願いいたしまして、私の指名を待ってお述べいただきたいと存じます。  それでは、よろしくお願いいたします。
  9. 永野茂門

    ○永野茂門君 ただいま、いろんな先生方からいろんな御意見が出されましたが、その中で若干の問題点について私の意見を述べたいと思います。  その第一は、板垣先生それから直嶋先生ともに触れられました集団的自衛権の行使の問題でありますが、そもそも国連憲章で初めて個別的自衛権集団的自衛権という二つの面で自衛権をとらえておるわけであります。そして、これはそれぞれの国に固有の権利であるというように認めておろわけであります。つまり、自然権であって当然保有するものであります。  ここで注意を引いておきたいことは、自衛権については単数でSがついていないですね。つまり、個別的自衛権集団的自衛権とは一体のものであるとしてとらえていると見ていいわけでありますが、こういう表現になっているということを認識いたしますと、そもそもその集団的自衛権だけを別にして、集団的自衛権は保有するけれどもこれを行使しないなんというのは全くの誤りでありまして、私は、当然行使することができるし、そしてまた、それが自衛のための必要最小限度のラインを超しておるという政府の解釈を今まで一とってまいっておりますが、なぜ最小限の限度を超えているのかという覇断の内容を示したことはありません。  ただ、必要最小限度のラインを超えているものだということを言っておりますが、私は自衛権というのは両方必要なんであって、両方があって初めてその国の自衛が成り立つ。したがって、これを概念として全く二つに分けて、一方の方は行使しないというのは解釈の誤りである、こういうように思います。そういう意味において、お二人が提起されたことは極めて重要な提起でありまして、なるべく速やかに我々は国会の中でこれを明らかにすべきである、こういうように思います。  それから二点目は、アジアにおける平和あるいは安保のシステムの問題でありますけれども、二国間条約を中心にやっていくべきである、そしてそれを多国間のフォーラム等の協議システムによって補完をしていくのがいいんじゃないかということを、お二人ともそういう感じのことを述べられておりますけれども、当分の間私はそのとおりだと思いますが、これはいわゆる多国間同盟ないしは多国間の地域的集団安保システムへ進んでいくことを排除するものではない、そういうような方向に進む可能性もありますので、そういう方向に進むものをわざわざ二国間にとどめておくということは不自然であって、同盟であるか集団安保システムであるか、いずれにしろそういう方向に動けばそれなりに価値が大きいのでありますので、そのことも忘れずに我々日本はそういうことについてリーダーシップを発揮していくことが大事だと思います。  それから、米国の約十万のこの付近への展開アジアにとって極めて脅威であるということを笠井先生の方からお話がありましたが、私は、アジア地域をしょっちゅう回っておりますけれどもアジア地域の国で日米安保が極めて不自然なものであり、アメリカが存在することがアジア脅威である、邪魔者であるということを聞いたことは全くありません。どこに行っても、日米安保というのはアジアの安定、平和、そして発展のために極めて重要なシステムであって、これはしっかりと堅持してもらいたいというのが各国、日本はもちろんそう考えているわけでありますけれども北朝鮮には行ったことはありませんけれども、周辺の韓国、中国にしろ、マレーシア、フィリピン、シンガポールにしろ、タイ、ミャンマーあるいはインドネシアにしろ、ブルネイにも行ったことはありませんけれども、そういうところでいろいろ話をしてきますと、大変にこれには信頼感を持って今後も続けてもらいたいということでありますので、米国が存在することがアジアにとって不都合であるというのは極めてまれな御意見であると私は思います。  それから、核兵器の問題でありますけれども、核兵器は確かに拡散してしまっておるわけでありますが、核兵器が存在する以上、あるいは核兵器を製造する、あるいは開発する技術がこの地球上に存在して、改めていつ出てくるかわからない、そういうおそれがある以上、核抑止力は地球上にだれかが保有して持たなきゃいけない。最終的には国連のような国際機関が持つのがいいのかもしれませんが、そういう状態にはまだ至っていないと思いますし、とにかくどこかでその抑止力を保有するということは、絶対に核兵器がなくならない以上必要であると私は思います。  それから、最近の脅威の特徴の中で、今までのいろんな先生方の話の中には出ておりますけれども、きょうの論議に余り出てこなかったので注意を喚起して申し上げておきたいことは、一つは、ミサイル技術は全く拡散してしまって、どこの国に行ってもミサイルは保有しているし、それから開発しようと思ったら簡単に開発できる。簡単にというのは言い過ぎかもしれませんが、とにかく普通の国なら普通の努力で保有し得る状況になっておるわけでありまして、弾頭は何にするかという問題はありますけれども、核弾頭でなくてもCBですね、細菌あるいは化学弾頭で大量殺りく兵器としていろんな距離で運用することができるわけでありますから、これはもう世界的に共通のディフェンス網を持たなければいけないんじゃないかと思うくらいに拡散しておるわけでありま生す。したがいまして、日本が今米国と一緒にやろうとして調査しているTMDの開発、そして恐らく私は保有、展開すべきだと思いますけれども、このことは極めて重要なことであるということを一つだけ申し上げておきたいと思います。  それからもう一つ、大量破壊兵器に関連して、オウムがやったようなテロ、これの大テロというのは、例えば北朝鮮の特殊部隊でありますとか、かつてのソ連、今のロシアも依然として大変に強い力を持っておりますが、スペツナッツと称する特殊部隊ですね、潜入していろいろやるという、これはもう大テロをやることができるわけでありまして、しかも大量殺りく兵器を簡単に東京都なら東京都のある地域展開して損害を与える、大損害を与えるというようなことは非常にやりやすいことでありまして、これに対する警戒、防衛システムというものは十分検討して、保有しておく必要がある。  オウムというのは本当にくだらないというか大変なことを世の中に証明してしまっておるわけでありまして、このことはヨーロッパにおいてもアメリカにおいても非常に重要視して、いろいろと対応の準備が検討されておるということでありまして、我々も、これは非常に軽易に大破壊あるいは大殺りくを行うことができる状態に達しておりますので、そういうものに対する防御についても十分検討しておく必要があるということを二つだけ今つけ加えさせていただきまして、私の意見を終わります。
  10. 林田悠紀夫

    ○会長(林田悠紀夫君) ありがとうございました。  今の永野議員の御意見について何かありますか。
  11. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 会長から永野議員の御意見というので、全部反対の意見を少し申し上げたいんですが、まず第一に、集団的自衛権の問題を国連憲章第五十一条の規定を引かれ、日本も権利としては個別的、集団的自衛権を持っているということを確認しているという話から話されたので、ちょっと少し歴史に戻って述べたいんですけれども国連憲章の原案、ダンパートン・オークス会議でつくられた原案には第五十一条はなかったんですね。  二十世紀で二回世界大戦が起きて、これは軍事同盟対立が根源だというので、国際連盟の規約でも、また国際連合の憲章の原案でも軍事同盟はもう廃止するというのが趣旨だったんです。それで、ダンパートン・オークス会議での原案には旧敵国、つまり日独伊、この三国に対抗する同盟を除いて軍事同盟というのはつくらないというのが原案だったんですね。私は、これは平和と民族の自決を守る上で非常に重要な歴史的な教訓だったと思うんです。  ところが、その原案に何で第五十一条が入ったかというと、当時ラテンアメリカに関して米州機構という地域的機構をつくることがアメリカの後ろ盾で進んでおりまして、最後のサンフランシスコ会議でこの第五十一条が入ったんです。  個別的、集団的自衛権集団的自衛権という概念はあのとき初めて国際法上も提起されたもので、当時アメリカはダレスが大体国連担当をやっていたんですが、ダレスの論文を読むと、ソ連が最初反対していたんですけれども、結局これが入るんですが、ダレスは、第五十一条、個別的、集団的自衛権が入ったというのは画期的だと、画期的な価値があると言って非常に高く評価しておりまして、これに基づいてNATOがつくられ、ワルシャワ条約がつくられ、日米安保条約がつくられ、米韓同盟条約がつくられ、ソ連とアメリカ中心とする軍事同盟の対決が戦後発展してきたわけです。  だから、私はそういう歴史を考えますと、今ソ連がなくなったんですけれども、こういう時期に、戦後半世紀を経てもう一度、二つの世界大戦を経た二十世紀の教訓からいって、やっぱり戦争とそれから植民地支配を生み出す根源である軍事同盟はなくすという方向を大きく目指していくことが必要だろうというふうに思うんです。  それから、永野さんは核兵器の問題に触れられましたけれども国連総会の最初の第一号決議というのは核兵器廃絶だったんで、日本が唯一の被爆国でもありますし、私たちはだから軍事同盟もなくす、それから核兵器もなくすというのが集団安全保障を根本的な原理とする国連憲章の一番の精神じゃないかと。それはなかなか困難ではありますけれども、軍事同盟をなくし核兵器をなくすという方向をしっかり踏まえて我々は考えていかなきゃならないんじゃないかと、一番根本問題としてやっぱりそう思うんですね。  日本も、私たちはですから非核非同盟の方向を進むべきで、これは国連憲章の精神を踏まえたものだと、そういうふうに考えているわけです。  それから、二番目に脅威の問題についておっしゃいまして、十万の米軍の存在、日米軍事同盟脅威だというのはどこの国を回っても聞いたことがないと言われるんだけれども、現にある政権を回ったんではやっぱりアメリカと一緒の国が多いんですから、そういう声ばかりお聞きになると思うんですけれども、例えば非同盟諸国首脳会議というのは今百十三カ国加盟していまして、国連加盟国百八十数カ国のうち百カ国を超しているわけですね。この非同盟諸国首脳会議というのは、非同盟という名前があるように、軍事同盟なくそう、核兵器なくそうと、それから帝国主義、植民地主義反対、南北問題解決を目指している国で、いろいろ問題をはらんでいますけれども、やっぱり軍事同盟をなくそうという方向でつくられている国で、フィリピンもアメリカとの軍事同盟をなくして数年前ここに参加していますし、だから、軍事同盟を全部肯定している国ばかりだというのは、今の世界の現状の声からいって違うんだと思うんです。  橋本総理も私どもの質問に対してこの間本会議で、第二次世界大戦について侵略と植民地支配の反省ということを言われました。やっぱり世界平和を一番崩すものは侵略と植民地支配なんですね。じゃ、侵略と植民地支配をやる主体は何かというと、やっぱり二十世紀初頭に成立したインペリアリズムですよ、帝国主義ですよね。だから、第一次世界大戦というのは二つの帝国主義国家の軍事同盟の対決で始まったし、第二次世界大戦は日独伊の侵略的軍事同盟の侵略行為に対抗して始まっていくわけですね。  第二次大戦後はソ連とアメリカとの対決ですけれども、私たちはソ連も帝国主義だと思っているんです、社会帝国主義と規定している。社会主義は口ばっかりで行動は帝国主義と同じだと。これはレーニンが規定した言葉なんだが、社会帝国主義というのは。我々は何度もソ連のやり方は社会帝国主義だと、やることはアメリカと同じだと、こう言ってきた。アメリカのベトナム侵略もソ連のアフガニスタン侵略も全く同じですよ。だから二つの帝国主義の対決なんですね、米ソ対決というのは。そのソ連がなくなって、アメリカ世界最大の帝国主義国家としてアメリカ的システムを全世界につくろうとしているのが今最大の問題だと思うんです。  これをアジアで考えますと、板垣さんも引用されたナイの論文でも、アメリカは太平洋国家だと。ナイの一番新しい論文でも彼は盛んに言っていますけれどもアジアにおいて最大の軍事力を持っているのはアメリカですよ。世界最大の帝国主義国家がアジアで、我々は太平洋国家だと言ってきているわけだ。その拠点にあるのが日本です。日本は帝国主義陣営の中で第二の経済力を持っていまして、まだ完全に独立していないから今我々日本は帝国主義国家だと簡単に言っていませんけれども、その実力を次第に持ち始めつつある国です。その二つが同盟して、日本を拠点にしてアメリカ前方展開戦略をとっており、日本に海兵隊、インディペンデンスを置いて、第三世界のどこにでも投げ込めるという体制強化しているんですからね。  そういう今の現状と、それから二十世紀にアジアで何が起きたかというと、日本日本軍国主義の侵略戦争でしょう。それからもう一つ北朝鮮の朝鮮戦争。これは国内戦ではあったけれども非常に重大な戦争だ。それからアメリカのベトナム侵略ですよ。それから中国のベトナム侵略もありました。だから、アジアでそういう覇権主義のことをやった一番大きいのは、日本アメリカ中国の覇権主義とそれから北朝鮮の覇権主義ですよ。そういうものがアジアの平和を二十世紀に侵してきた。  そういう点から、物質的に見ると、やっぱりアジア民族の自決、自主的発展、南北問題の解決等々を侵し得る力も能力も政策も持っているのは、やっぱりアメリカ帝国主義とそのアメリカにべったりくっついて基地を提供している日本ですよ。こういうものが本当にアジアにおける非常に多様な民族的、民主的な諸発展をゆがめて、抑えつけて、アメリカが考えている支配の計画、方向、発展のそれこそスキームの中へ世界各国を押し込もうという状況があるわけです。  だから、そういうことで、私たちは、これは浅井教授も参考人として述べられましたけれども戦争責任を反省しない日本の問題、その日本が軍事大国になる能力を持ってアメリカとこういう状況にあること、これについて我々はその危険を自覚しなきゃならぬというふうに言われていましたけれどもアジアにいろんな不安定、不透明な要因があるから安保体制強化するんだと、自分のことをすっかり忘れて、まるでもう日米安保体制が平和の神様であるかのように言うのは、全く僕はアジアの全体のリアルな現状、日本の歴史的責任等々を見ない考え方だと思うんです。  それで、それが集団的自衛権の方向へ今進もうとしているところに非常な危険がある。笠井さんの発言の中でも引用したんですけれども、ナイ氏が国防次官補時代、ちょうど東アジア太平洋アメリカ戦略を発表したときに毎日新聞との記者会見で、単独会見でこう言っている。これは非常に重要なんですが、この東アジア戦略報告で示すのは、かたい礎石としての日米安保体制維持しながら、中国や韓国、他の諸国も含めた信頼醸成の場としての多国間協議体を発展させていきたいということ。日米安保体制中心なんですね。これは日米安保に取ってかわるものではない。我々が考えているのは、NATOのように強固な日米安保関係とOSCEのような幅広い多国間協議体だと。だから、日米安保をNATOみたいに多国間にするんじゃなくて、日米安保そのものをNATOのようなものにしたいというんですよ。それを中心にしてアジア多国間協議体をつくりたいと。  日米安保をNATOのようにしたいということは、日本集団的自衛権を持っていないからまだNATOみたいにいかないわけです。だから、ナイ氏が日米安保をNATOのようにしたいというのは、日本集団的自衛権を持たして本格的な攻守同盟にすると。日米安保が本格的な攻守同盟になるならば、これを中心に、中国も含めて韓国も含めて朝鮮も含めて、アジア多国間協議体をつくりたいというのが彼の構想なんですよ。これは最近のナイ論文でもはっきりしているんです。  だから、安保再定義で文字どおり地球的規模に広げようということになっているし、それから今度の新防衛計画大綱で、日本周辺で重大な事態が起きたときには安保体制を発動するという安保再定義を先取りにしたようなことが出てくるので、だから、日本集団的自衛権を持たせて本格的な軍事同盟、攻守同盟にしようというもう非常に危険なねらいになっているんです。最近の国会でもこの集団的自衛権問題がいろいろ議論になってぐるし、自民党も新進党も集団的自衛権の問題で前向きな検討をしようという方向に動いているので、これは僕は非常に危険なことだと思うんです。  何で危険かというと、非常に接近しているのは、今度の新防衛計画大綱にはもう一つPKO、これの促進が入ったんだけれども、ガリ国連事務総長が、平和への提言ですか、あれを出して修正しましたね、うまくいかないので。その修正したときの見解で、どこへ行っているかというと、彼は国連憲章の第八章を全面的に活用する時期に来ているということを講演の中で言っているんですよ。第八章というのは地域取り決めなんです。つまり、安保条約だとかNATOだとか、そういう日米軍事同盟に、国連でいろいろPKOでやってみたけれどもうまくいかない、だから、こういう地域的な取り決め、地域的な軍事同盟にもう国連が委任するんですよ。そのことによっていろいろやろうというわけです。現に、ヨーロッパではNATOがもう動き始めていますから。  そういう点で、もし日本集団的自衛権を持って、日米安保に基づいて自衛隊が米軍と日本外で戦闘するということになりますと、本当に国連安保理事会の決議に基づいて日米安保に委任すると、そうすると自衛隊がどこに行っても活動するという危険になってくるので、アジア太平洋における安全保障の問題をずっと詰めていくと、日本として一番考えなきゃならぬのは、安保条約の再定義、それに基づいた集団的自衛権の付与、永野さんはそれを強く主張されたんだけれども、そこに集約されてくると。  こういう危険な方向をやめさせて、やっぱり米軍基地の縮小、最終的には撤去、安保条約廃棄、それで日本が、冒頭に申しましたように、非核非同盟の方向に、国連憲章の目指す方向に進んでいくことがやっぱり日本の一番の責任だろう、そう思います。
  12. 馳浩

    ○馳浩君 今、上田先生のお話を伺っていて、永野先生の話にも関連してなんですけれども、私、昨年北朝鮮に行ってまいりまして、一週間ほどですけれども、向こうの外国語大学の教授に通訳をしていただきながらピョンヤン市内を回りました。  私、非常に感じたのは、この北朝鮮という国は脅威であり、日本に対する怨念を捨て切れないでいる子供たちに対する教育体制を見たときに、安保体制の重要性というのを私自身が感じたわけであります。  例えば、ある高校に行きまして、子供たちに、あなた方の将来の夢は何ですか、目的は何ですかと言ったときに、チュチェ思想のもとに世界我が国体制の革命を起こす、そのために闘うことが私たちにとっての使命である、目的であると明確に言うわけです。私が日本人として行っているから通訳の人あるいは体制側の人が子供たちにそのように言わせているとしたら、それはそれでひとつ情報コントロールの問題がありますし、もしすべての子供たちがそういう体制の中で教育されているとしたら、この国の脅威というのをその教育の部分、思想の部分に私は見ることができました。  もう一つ、歴史的な問題で、私に対して、私の顔を指さしながら、私はあなたたち日本人が嫌いだ、あなた方とアメリカのせいで三十八度線が設定され、我々は南北に分断されたと明確に言われたときに、私の次の言葉は、なるほどそういうつらい目に遭わせた過去があったのなら私は謝ると。けれども、彼らがそれに続けて言うには、我々は日本に興味を持っていると。子供たちらしい意見だなと思うんですけれども日本の子供たちはどういう教育を受けているのか、どういう社会体制の中で生活しているのか、日本の国の高校生たちの将来の夢はどんなものがありますかと、非常に子供らしい意見も私に述べるわけですよね。  なるほど国防上の一番の政策は敵をつくらないことだなと思うと、早く国交が樹立されればいいなと思いながらも、私は現段階としてそういう国の、北朝鮮体制がある以上、実際目の前で見て、まさか高校生の子供にそういうふうに言われるとは思ってもおりませんでしたので、そういう日米安保の重要性という意味での北朝鮮脅威という意味で、非常に深く深くこれは堅持しなければいけないという問題を改めて強く感じましたということをまず意見として申し上げておきます。
  13. 山本一太

    ○山本一太君 今の馳委員北朝鮮についてのね話は大変参考になったわけでございます。いろいろ申し上げるつもりはありませんけれども、私はいろんな側面から考えて、笠井先生とちょっと意見が違いますけれども、やはり日米安全保障条約は日本安全保障を考える上のかなめである、この事実はやはり動かせないというふうに思います。それについてはいろいろもう各委員の先生方から出てきましたので、ちょっと別の点で三点ほどお話をさせていただきたいと思います。  先ほど直嶋先生の方からのお話でいろいろ何点かあったんですけれども、その中で一つ目についたことは、安全保障には国民のやはり理解が必要だという点で国民世論を啓発していかなきゃいけないという話がありまして、私はこれは非常に同感でございます。ちょうど何年か前に国連本部の開発の機関でしたけれども国連開発計画の本部で仕事をしていたちょうどそのときに、カンボジアで例のPKOに、選挙監視でしたかね、参加していた国連ボランティアの中田さんだったと思うんですけれども、彼が亡くなるという事件がありまして、あのときやはり、もちろん日本にはそれなりにいろんな状態があってああいうリアクションになったんだと思うんですけれども日本国内ではかなり大きな騒ぎになった記憶があります。ところが、ニューヨークの国連の方から見ていますと、やはり各国の反応が何でここまで大騒ぎするんだろうというものだったんですね。  そのとき私が思ったのは、国際貢献という言い方をしたらいいかもしれませんけれども安全保障とかそういうことに対する国民のコンセンサスという点においてかなり日本と諸外国との間にギャップがあるなということがありまして、やはり安全保障を進めていく上、PKOを例えばこれから進めていく上でも、もちろん私はPKOには国連を通じて積極的に参加していくべきだと思いますけれども、やはりそこをごまかさないきちっとした説明を常に国民に対してやっていく努力というのが必要だなというふうに思います。  これはやっぱり大きくいって外交と世論の問題になるかもしれないんですけれども、やはりどうも外交政策を進める上でそこら辺の世論に対する配慮といいますか、直嶋先生の言葉をかりればいわゆる国民理解を得る上の努力というのを行政も政治の方ももっとやっていかなければいけないんじゃないかなと。特に、安全保障の面については、場合によってはいろいろ危険も伴うことなのでその必要性を感じました。  もう一つやはり直嶋先生のお話の中で、NGOの話があったと思うんです。最近になって日本でもNGOの団体がかなり出てくるようになりました。  私、何年か前にやはり国連の仕事で、例のオゾン層破壊を食いとめるためのモントリオール議定書というのがございまして、その事務局の会議がカナダのモントリオールでありました。もちろん、日本も諸外国も加盟をしてそこに多国間の基金をつくって、オゾン、有害物質をつくらないシステムに転換するために開発途上国を援助する、そういう試みなんですけれども国連開発計画も、その実施機関の一つだったものですから、そこに参加いたしました。  その中で加盟国でもないのに相当大きい声で発言するところがありまして、どこかと思ったら例のグリーンピースだったんですね。聞いてみたら、第一回目の会合のときは随分向こうの方にいて一言か二言かしかしゃべらなかったという話なんですけれども、そのときは本当に普通の加盟国よりも、大きな顔という言い方はちょっとよくないかもしれませんけれども、かなりいろんな発言をして影響力があったんですね。そういう意味では、やはりNGOの力というのはかなり伸びてきているなということを感じました。  それで、NGOでいうと、いわば安全保障の面におけるNGO役割というのが結構注目をされておりまして、御存じのとおり、パレスチナ合意のとき、アラファト議長と今は暗殺されてしまったラビン首相だったと思うんですけれども、あの事前の交渉を進めたのは、ノルウェーかスウェーデンだかちょっと名前は忘れましたけれども、やはりNGOの研究所だったんですね。そういう意味では、安全保障の側面において必ずしも公的なチャンネルだけじゃなくて、NGOを生かしたアプローチというのがやっぱりもっとあってもいいかなという感じがします。  最近、NGO安全保障をよくいろいろやっているインターナショナル・アラートという機関がありまして、いろんな報告書なんかを出しておりまして、世界各国にこんないろんな民族紛争の火種があるというような、何か地図もこの間見たりして思ったんですけれども、もちろん日本政府の方もNGO役割についてはかなり今関心を持っているとは思うんですけれども安全保障面においても、やはりそういう草の根の活動の有効性というか、そういうところにもう少し目を向けていく必要があるんじゃないかなというふうに思いました。  あと、最後に一つだけ。  田村先生の方から危機管理の話がちょっとあったんですけれども、非常に単純な意見で皆さんに笑われるかもしれないんですが、私はやはり外交の危機管理というのは、簡単に言うと、どれだけヒューマンネットワークがあるかだと思うんです。今までいろいろ歴史を見ても、ある人の人脈があったためにその国家の危機を回避できたというケースが随分あるように思いまして、もちろん日本の政界でも、アメリカに対しても中国に対してもやはりかなり現地の方、現地政府の要人とパイプを持った方がいて、それがいろんな局面で効果を発揮してきたということがあると思うんですけれども、最近アメリカの友人とか下院議員とかに話を聞くと、やはりある意味で本当にアメリカ側に食い込んでいるというか、きちっとしたパイプを持っている政治家は少ないということをよく聞くんです。  かなり荒唐無稽な考え方であれなんですけれども、私がいつも思うのは、参議院は六年間ある、そのうち一カ月かニカ月、研修をさせていただきたい。参議院に入ったら、最初の一年目は三カ月ぐらいいませんと。その三カ月の間に、例えば林委員だったら、ウィリアム・ロスの下で法案をつくっていましたからワシントンに送る、例えば馳さんを北朝鮮に送る。各参議院の先生が自分が一番かかわり合いがあって、そして興味のある国に、三カ月がだめなら、本当は一年と言いたいところですが、たとえ一カ月でもいいんですけれども、参議院として行っていただく。その一カ月の間に向こうの政府関係者と会い、そして国会活動を視察し、いろいろな意味の本当の意味のヒューマンリレーションズをつくってくる。そういう各層の人脈の広がりが私は必ず国家の危機管理ということにつながってくると思うので、大変荒唐無稽なアイデアなんですけれども、いつもそういうことを考えながらやっておることを言つけ加えたいと思います。
  14. 笠井亮

    ○笠井亮君 先ほど永野議員からも私の見解表明も取り上げていただきましてコメントいただきましたので、私も簡単に述べたいと思うんですけれども一つは、米軍と日米安保の存在が脅威だというのをアジア各国で聞いたことがない、まれな意見なんて言われましたので、私はむしろまれではないということを申し上げたいんです。  私自身、政府レベルというよりも国民のレベルで見まして、アジア各国もかなりあちこち伺ったことがあるんですけれども、行ってみたり、日本でもアジアの人々といろいろ話をしますけれども、やっぱり実際そういうところで見ますと、フィリピンで米軍基地撤去を実現したそういうフィリピンの人々がいるわけですし、それからやはり日米安保の問題や米軍がじゃ実際に日本で果たしている問題について、なかなかアジア人たちも実際にはやっぱり政府からも知らされていないし、知らないということがある。ところが、空態はどうかということをよく話していくと非常に驚くということで、やはりそういう米軍の存在け問題だと。  沖縄問題でもあの事件を契機にして日本の国定の多くがやっぱり安保の実態、それからどういろことを国民にもたらしているかを改めて認識して世論も変わってきたと思うんですけれども、やっぱりアジア諸国の中でも在日米軍が日本を守るためじゃなくて、そこから第七艦隊にしても、それから海兵遠征軍にしても世界じゅうに出かけていく。最近でいえば横須賀に第五艦隊の潜水艦の司令部まで出てきたということを含めて、やっぱりリアルに実態がわかればそれはとんでもないことじゃないかというわけでありまして、だから、現実との関係でいえばアジアの中で米軍について脅威だということの認識がまれな意見というふうには決してならないんじゃないかと、なっていないんじゃないかということを一つ申し上げたいと思います。  それから二つ目に、馳議員も言われた北朝鮮脅威にかかわることですけれども脅威の問題でいいますと、例えば北朝鮮についてノドンミサイルとか、それからさらにその後テポドンですか、新しいミサイルの開発というようなことが言われていますけれども、じゃそういうのを開発して日本にも今にも飛んでくると、だから脅威だというような言われ方もするわけです。しかし、日本はその朝鮮半島をカバーできるような装備をきちっと持っているわけでありまして、これは向こうにとって脅威なのであって、北朝鮮がミサイルを開発したから北朝鮮脅威なんだという議論が当たり前のように通用していること自体がちょっとおかしいんじゃないかと思うんですね。  やっぱり、アメリカ自身がベトナム侵略戦争をやり、最近でいえばパナマとかグレナダに対する侵略をやったことは全然抜きにして、あたかもアメリカは平和の守り神であるかのように言って、そのアメリカと一緒に行動することが平和であって安全だというのが安保論の大前提になるとすれば、そして日本の安全が議論されるとすれば、非常にそれは大きな問題じゃないかというふうに思います。  それから最後ですけれども、抑止力の問題で核兵器の問題ですけれども、核抑止力が必要だということで、なくならない限りというふうに永野議員はおっしゃったんですけれども、そういう核抑止力の考え方自身がやっぱり世界を原爆投下以来核戦争の危機ということで危険のもとに置いてきたわけですし、だれかが持っていないとということで五大国が独占的に持って、持っていない国々をおどかして核兵器を持たせないというふうな理屈になっていると思うんですけれども、そうすると非核保有国からすると、じゃどうしてあの国々だけが自分の国を守るために、あるいは自分の国の利益のために核兵器を持ち続けていいのかということになって、逆にそういう意味では拡散を誘発する要因にもなってくるということだと思うんですね。  だから、そういうのを断ち切っていくということでいえば、核兵器廃絶ということをやっぱり正面に掲げて追求するということが必要だと思いますし、太平洋地域においてもフランスの核実験の問題を契機にしながら、例えばオーストラリアの首相が提唱してキャンベラ委員会というのができて、ことしの夏までに核兵器廃絶をどうやったら実現できるかということを検討するというので、マクナマラ元米国防長官とか、それからパグウォッシュ会議、科学者の会議のロートプラット会長なんかも含めて、そういう人々に集まってもらって研究するんだということが始まっているようです。やはり、多くのそういう努力を通じて、そう簡単にいかないにしてもこの問題を本当に真剣に追求するという方向でなければ核問題についても解決できないんじゃないかということを、私は永野議員の御意見に対して申し上げたいと思います。
  15. 永野茂門

    ○永野茂門君 核廃絶運動がけしからぬとは言っていないですよ。それは大いに核をなくするように努力することは地球に住んでいる人にとっては大事なことであると、それは私は全く同意です。だけれども現実にはなくならないですよと。人間が一たん持った技術というのは、ダイナマイトにしても同じでありまして、小銃にしても、もっと言えばナイフにしてもこれはなくならいんですね。なくならないということは、少なくも良心に訴えるだけではなくて何らかの強制手段によってその使用を抑止するという必要が残ると。したがって、私は今五大国が持っているのがいいとも言っていないんであって、できれば国際管理でそういうようなものをやっていくというような時代に入るのがいいんじゃないかと個人的には思っているわけです。  いずれにしろ、そういう現実脅威がある以上抑止力がなければ、全く核兵器があったっておれのところは怖くないよというんだったら、非核ゾーンなんかつくる必要はないんであって、怖いからやっぱり非核ゾーンをつくる。非核ゾーンがどの程度有効かというのは別でありますが、私は余り有効ではないと思うんですけれども、しかしそういうところに安心感を求めていくということになる。その根源にやっぱり抑止力というものが必要であるということが、そういう人たちにとっても心の奥底には認めておることだろうと、こういうことを言っているわけであります。  それから、日米安保について、それが極めてアジア地域、ひいては世界にとって平和と安定に貢献しているんだと、アジア周辺のいろんな政府人たちだとか各国の識者といろいろと話し合ったり、いろんな会議でディスカッションしてみてもそうだと申し上げたら、それは今の権力側の人たちはそう言うだろうけれどもというふうな反論がありましたけれども、将来の政権を担う人がどういうように考えているかということも含めて私どもはいろいろと話してそういうことを感じているんであって、もちろん一部の人には、上田先生だとか笠井先生と同じような考えを持っている人がないとは言いません。ないとは言いませんけれども、少なくも今その国を運営している人あるいは近く運営に参加していくであろうというような人の階層には非常にまれな意見であると、そういうように申し上げたわけであります。  それから、帝国主義云々も、帝国主義というのは十九世紀あるいは二十世紀の初頭まで続いた、何といいますか、一種の流行の各国の勢力を拡大しよりよく生きていくための手段だったわけでありますけれども、そんなものが、今の二十世紀の終わり、まさに二十一世紀になろうとしているときに非常に強く出てきているとは私は思いません。  そういうものが全くはなくなっておりません。したがって、そういうことが起こらないように、そういうことの追求がないように、覇権主義を追求するような、あるいは帝国主義になってしまうような国がないようにいろんなシステムをつくり上げるということ。これはシステムで防ぐのが一番効果的なんでありまして、そういうシステムを開発していくというか、つくり上げていくということは極めて重要ではありますが、上田先生がおっしゃるように米帝国主義というのは一つ見方でありますけれども、必ずしもそれでアメリカの国の体質を定義できるとは私は思いません。
  16. 林芳正

    ○林芳正君 私も今の永野先生と上田先生のお話を聞いて、ちょっと私の意見を述べさせていただきたいなと、こう思ったわけでございます。  今の帝国主義のお話でございますけれども、上田先生の御整理としては、帝国主義と覇権主義というのはまた違うものであって、帝国主義というのは何か自分の固有の価値を人に押しつけるというようなニュアンスがあったんですが、私はアメリカに長い間おりまして、民主的なコントロールがきちっときいておる。シビリアンコントロールと言うべきかもしれませんけれども、民主主義の制度が確立しておる国の間の戦争はいまだに起こっておらないということがやっぱり非常に大事なことでございまして、確かにアメリカには、自分のところの制度は非常にいい民主主義の制度であるから、いろんなところにそれを啓蒙しなければいけないというような考え方に受けとられるような動きがあることは事実でございますけれども、それを必ずしも強制的に押しつけるのではなくて、説得と民主的な方法によって、あなたの国もこういう制度をおとりになったらいかがですかというような手法ではないかなというふうに私は理解をしております。それを指して帝国主義というふうにもしお呼びになるんであれば、それは呼び方の問題でございますから、余り議論にならないのかもしれませんけれども、その点が一点でございます。  もう一つは、先ほどアジェンダ・フォー・ピースのお話がありました、ガリのレポートでございますけれども地域の軍事同盟国連ではできないことを持っていくといいますか、地域に軍事同盟のあるものを助長するというような御発言でございましたけれども、私はそうではなくて、冷戦における状況というのは東西の二大陣営の対立ということで世界的な規模で二つの陣営に分かれ7争っていたわけでございますから、安全保障枠組みとしての国連であるということをやっておったわけでございますけれども、先ほど直嶋先生おっしゃいましたように、その二大陣営の対立がちょっと崩れてきまして、いろんな紛争のイシューが地域によってばらばらである。それは例えば民族であったり宗教であったり、地域特有の紛争の種が冷戦構造が崩れたことによって出てぐるということに対応して、それぞれの地域でできることは地域でやったらいかがですかというような意味合いもアジェンダ・フォー・ピースの中には入っておったんではないか。  そういった意味で、地域的な集団的な安全保障といいますか、マルチの安全保障という概念が出てきたんではないか、こういうふうに思っていろわけでございまして、決して国連の義務を放棄して地域の軍事同盟をやりなさいとは言っていないんではないか、こういうような理解をしておりますので、その辺についてどうお考えか御意見をお聞かせ願えれば、こういうふうに思います。
  17. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 日本では外務省の文書なんかでも日米安保条約を集団安全保障体制とよく書いてあるんですけれども、これは全然違うんですね。国際法の本にはすべてそういう解釈でみんな書いてあるけれども、軍事同盟というのは仮想敵を持っているんですよ。お互いに仮想敵を持って軍事同盟で対抗するのが軍事同盟で、集団安全保障というのは仮想敵を持っていないんですよ。すべての国が入って、それで体制をつくって、もしその中の一国が侵略をやったらみんなでとにかく抑えようというのが集団安全保障体制で、国連の集団安全保障体制というのは全く軍事同盟とは概念が違うものなんです。  それで、先ほど申し上げましたように、国連憲章の原案では、旧敵国に対する地域同盟以外はづくらない、国連全体が、すべての国が入って軍事同盟をつくって、国連憲章にあるように何かあった場合には国連憲章七章で国連軍をつくって、そこでみんなで抑えようというものだったんですね。ところが、五十一条が入って軍事同盟国連憲章合理化されることになって、ずっと広がっちゃったわけです。だから違うんですよ。  だから我々も、国連の集団安全保障体制をつくって強化しようと言っているのなんかは、すべて軍事同盟をなくして集団安全保障にしようということで言っていますので、地域的にもそういう軍事同盟をなくして、地域の集団安全保障体制というのはあり得るわけです。だから、安保条約をなくしてアジア全体でそういう集団安全保障体制をつくろうということはやっぱり国連憲章に沿った考え方なんです。それをナイのように安保条幼を中心にして、軍事同盟中心にしての多国間協議体というのは、先ほど言った軍事同盟と全く違う概念の集団安全保障体制とは違うものなんです、言葉は似ているけれども。つまり、軍事同盟を拡大したものを集団安全保障体制と言っているもので、そうではない。  僕はその点で言いますと、PKOについてもこれは根本的に疑念を持っているのは、PKOというのはノーベル平和賞をもらったものもあっていいものもあるんですね、コンゴのようなものは非常に悪いことがあったんだけれども。だから私たちもPKOについてはいいものもあるということはちゃんと認めます。だけれども日本の場合には憲法第九条で武力による威嚇とそれから武力行使、両方を放棄しているんですね。  それで、国連の「ブルーヘルメット」という本があります。あの初版を見ますと、PKOというのは「抑止」だと書いてある。つまり、PKOというのは武力行使をやむを得ずする場合もあるけれども、本質的には軍事力の威嚇機能を使って抑止するんですよ。だから軍隊が行っていろいろ検問もして、身体検査する場合にもその軍事力を抑止力に使うわけでしょう。だからあれは威嚇なんですね。  そういう意味では、日本は憲法九条で威嚇も禁止しているんだから、これは僕も委員会でも言ったことがあるんだけれども、いいPKOでも参加すべきでないんだと。それをどうも武力で威嚇はいいんだと、行使がまずいというのでいろいろ議論していろいろやっておるけれども、そうじゃないと私はやっぱり思うんですね。  だから、日本はそういう九条を持っておる国として、PKOにも参加しないで全く非軍事的な貢献を、経済問題、文化問題、あるいは技術の問題等々で南北問題の解決、それから飢餓の問題、教育の問題、医療の問題、そういうところで日本の非常に大きな蓄積があるわけですから、国際的に貢献するのが日本の場合には一番いい貢献の仕方だと、そう思っております。  ですから、直嶋さんがおっしゃったんだけれども安保常任理事国の中核として担うというんじゃなくて、日本は第九条を持った国として核兵器をなくし軍事同盟をなくして、非軍事的分野で大いに貢献することが世界の人々が望んでいる日本役割じゃないかと、そう考えているわけです。
  18. 直嶋正行

    ○直嶋正行君 私は、安全保障の問題を考えるときに、確かに、あるべき姿あるいは理想的な姿というのを議論することも必要でありますが、しかしやっぱりもう一つは、現実アジア地域なりあるいは世界情勢を見る中で、私たちの日本国益は何か、そういう視点に立ってやはり冷静に考えていくことが必要ではないかというふうに思います。先ほど来二十世紀に入ってからのいろんな御議論もあったわけですけれども、いろいろ歴史を振り返ってみても、やはり安全保障の問題というのは、言ってみればいざというときにどうするかという対応の問題でありますから、極めてこれは現実的にやっぱり物事を考えていく必要があるんじゃないか。  私は、個人的な意見でありますが、じゃ今から日本国益というのは何かということを考えた場合に、これから日本が高齢化社会に入る中で、この日本の今の繁栄維持していく、あるいは民主主義の体制を守っていく、そういうところにあるんじゃないか。そういう視点で見ましたときに、今現実にこういった我が国の置かれた状況をいろいろと周りを見渡してみますと、やはり懸念しなければいけない、あるいは心配をしなければいけない、こういう現象といいますか、あるいはこういう状況というのが幾つかあると思うわけであります。そのことは、心配や懸念が現実にならなければ、それはそれで極めていいことだと、こう思うわけでありますけれども、やはりそれが現実になったときにどう対処をしておくかということを考えなければいけない、こう思うわけであります。  それで、よく言われるように、日本はもう極めてグローバルな経済大国になったわけであります。そういう日本の置かれた今の状況から考えたときには、アジア地域はもちろんでありますけれども、さまざまな国際紛争現実に生じて、それによって私たちの国が悪い意味での影響を受ける、やはりこのことに一番留意をしなければいけないんじゃないか。例えば、先ほど来日米安全保障の、安保体制議論もありましたが、そういう状況下で見た場合に、やはり現実的には今この時点で、この先例えば十年二十年先を見通したときには、私は、やはりこの日米安保体制維持していくことが日本国益にかなっている。  これは御承知のとおり、私たちは平和憲法という憲法を持っておるわけであります。ですから、先ほど来集団的自衛権議論もありましたが、さきの戦争の反省で私たちはとにかく侵略行為はしない、軍事的にはそういった侵略行為はとらないということを世界に明言して、そういう面で言うとみずから手足を縛っているわけであります。  そういう中で、じゃ日本の平和と繁栄がなぜ維持できたかということは、これは間違いなく日米安保体制があったからだと、このように思うわけであります。そして、さまざまな不安定要因を買渡したときに、じゃ今の段階でない方がむしろいいのかということになると、私はまだまだその必要性は依然として大きいと、このように思うわけであります。そして、この日米安保体制あり方そのものも、やはり大きな世界の動きの中で当然その機能等は変わってくると思います。  私たちは、憲法の制約がある中でさまざまに変化をしてくる、あるいは要請をされるものにどれぐらい対応できるか。やっぱりこのことを真剣に考えていく必要があるんじゃないかと、こう思っているわけであります。  例えば先ほどの議論で言いましても、国連の集団安全保障による平和の維持が本当に現実のものとして考え得る状況になれば、これはまた大きな客観情勢の変化として私たちは考えなきゃいけない。そのことに対する努力を放棄するという意味ではなくて、やはり現実を見据えながらそれに向かってどう対処をしていくかということが私は問題だと思うのでありまして、そういう観点から先ほど来さまざま幾つか御意見を申し上げたということでございます。  私は、この安全保障論議のときに、やはり国益とは何かということを、私がさっき申し上げたことは非常に抽象的でありますが、もう少し私たちは議論をし、整理をする必要があるんじゃないか。まさに安全保障の問題というのは国益とやはりリンクをする問題でありますから、その部分の議論を抜きにして安全保障議論をすることは若干いろんな面で飛躍が生じてくるんではないかと、このように思いますので、ちょっと追加を申し上げておきたいと思います。
  19. 板垣正

    板垣正君 まだほかに御発言の先生方もおられるんじゃないかと思うんですが、合間の時間みたいなもので。  きょうの論議は、やっぱり集団自衛権の問題ですね、これ具体的に。これをめぐって見解がいろいろ分かれておると。これは現実だと思いますが、私がさっき申し上げたように、この問題がいろんな形でむしろ我が国行動を縛るといいますか、思考停止に陥っているんじゃないでしょろか。内閣法制局の見解というのも、いかにも、統一見解というんですか、自国が攻撃を受けていだいにもかかわらず云々と、こうなると、攻撃を受けていないにもかかわらずちょっかいを出すなんという国はとんでもない、そんな集団自衛権というのはやめておけというようなことに、イメージ的にもそういう感じを持ちますね。  やはり、集団自衛権、つまり同盟関係、一定のそうした関係にある同盟国に対する他の攻撃は、みずからに対する攻撃とみなすというのが根底じゃないでしょうかね。緊密な同盟関係にあるその国に対する攻撃は、みずからに対する攻撃とみなし得る。つまり、その同盟国に対する攻撃は、その次の段階はこちらに攻撃がかかってくる、そういう中で集団自衛権という問題が、これがさつきもちょっと申し上げましたけれども北朝鮮の動きというものがどうなるかという場面が一昨年あったわけですね。  一昨年、核の問題や何かで北朝鮮に対する経済制裁がまさに発動されよう、国連が経済制裁をするのか、あるいは日、米、韓で経済的な制裁を加えるというようなぎりぎりの段階に来て、それじゃ仮に国連が経済制裁を加える。そうすると、あのころの北鮮は経済制裁を加えられたら宣戦布告とみなすというくらいエキサイトしておって、非常な緊迫感の中で、それじゃ我が国が、安保条約のもとでアメリカが具体的に動き出した場合に我が方が一体何が具体的にできるんだろうと、何ができないんだろうか。それを相当掘り下げて、例えばいわゆる送金停止の問題もありますね。あるいは、アメリカ行動に対する具体的な、経済封鎖、支援をする、それに対する後方支援のあり方のどこまで何がやれるのか。あるいは、難民の問題が来る。邦人を救出しなきゃならない。そういういろいろな問題についていろいろ当てはめて、個別のケース、ケースで随分専門的に掘り下げたそうですね。  しかし、その結論は、やはり今の憲法解釈、つまり集団自衛権は憲法違反だというこういう解釈のもとにおける今の法体系では、もうやれることは限られている。あれはカーターさんが北朝鮮に乗り込んでいって話をつけて、一発でそこはおさまったわけですね。あのときに防衛か外務省の担当官がいみじくもああよかったと、あれで万一本当に発動していたら、あの時期で日米安保条約というものは非常なピンチの状態に置かれたであろうと、日米間の信頼関係が切れてしまうと。  最近の報道では、北朝鮮の動きがどうも、権力者階級がやたらに亡命するとか、平壌でいろんな事件が起こるとか、食糧危機の問題もいろんな見方がありますけれども、経済的にはエネルギー問題で相当深刻化している。この六月までの端境期がどうなるかというのが最大の焦点のように伝えられていますけれども、そういう際どいところに来て、再び一昨年お蔵に入れておったいろんなものをもう一度持ち出してきてほこりを取り払って、もう一度首をひねったり、額を寄せ集めてやっている。こういうことも報ぜられていますけれども、要するに、そういう事柄がないのがいいにこしたことはありません。  しかし、ないとは言えない、断言できない。だから、安保体制といいますか、自衛体制というものが必要になってくるわけで、そういうことに対する、顧みますと、いわゆる安保条約第五条、第六条ですか。第五条、日本有事に対しては曲がりなりに日米協力関係の具体的なプランといいますか、いろいろな詰められたものは当然あるでしょう。  第六条、日本以外の極東有事の場合、じゃ日本がどこまでやれるのか、どこまでやれないのか。これについてはその都度のその情勢に応じて対応するんですと、国会でも明らかにされている、あるいは国民の前にも明らかにされている。この場合にはこうすると、こういうものが論議ができない。つまり、うっかり論議したら憲法違反になる。うっかり論議したら、もう論議以前に、論議に入らない前に憲法論議が起こつちゃって進まない。  これは私は、戦後後遺症だと思いますね。さっき共産党さんのお話を聞いていると、いまだに、依然として相当アメリカに対する不信感というか反米意識というんですか、根強いですね。それがしかし、逆に今度、アメリカに、我々から言わせれば、押しつけられたあの憲法九条というものをえらく、九条を守っていかなきゃいけない、そのために安保条約も解消しなきゃいけないと、こう言うんだから、随分その辺私どもは何か奇妙な感じもしますけれども。  いささか勝手なことを申し上げましたけれども、やはり開かれた形で防衛論議集団自衛権の問題を単なる議論に終わらせない、具体的に、個別的自衛権ならここまでしかできない、それを超えてどうこれを解決していくか。これは、日本国益のためにそこまでもう踏み込んでいかなければ、いろんな形における思考停止状態を生じているのが現状ではないでしょうか、あえて申し上げますと。刺激的に申し上げましたけれども
  20. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 これはナイさんの東アジア報告ですけれども、こう書いてあるんです。今世紀、アメリカアジアにおける侵略に反対する大規模戦争、すなわち第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、また多くの小規模紛争に軍隊を派兵してきた。アメリカの利益は守られなければならない。アメリカのコミットメントはたたえられるであろうと。だから、ベトナムもたたえられるだろうと今でも言っているわけです。  おっしゃるような集団的自衛権というのは、アメリカが攻められたのを日本が攻められたとみなしてやるわけでしょう。アメリカが戦うとき、一緒に戦うということなんですよ。アメリカが起こすこういう軍事紛争に、すべて共同で戦うのが集団的自衛権なんですから。だから、これからアメリカが何かやろうとして戦った場合、自分が攻めたときだって攻められたと言うんですよ。ベトナム戦争の最初だってそうじゃないですか。あれはフィクションだったと後でわかりましたでしょう。マクナマラさんがベトナム戦争は間違ったと言っているんだが、今でもこうやって、たたえられる戦争だって言っているようなところですから。だから、そういう集団的自衛権というのは、日本日本国益を自主的に決定することができないままアメリカの軍事行動に巻き込まれて一緒に共同行動を行うという非常に危険なことになると思うんです。  私は、何もアメリカをただ嫌いだ嫌いだと言っているんじゃないんです。いいところもよく知っています。だから、我々は安保条約をなくしてアメリカとは新しい日米平和友好条約を結ぼうと言っているんです。アメリカとの関係は、経済的にも文化的にも社会的にも非常に広いですからね。ただ、自主的じゃないんですよ、日本は。  最初の安保条約が結ばれたときは苫米地全権でさえ参加しないで、サンフランシスコ条約だけ苫米地さんは参加して、安保条約は参加しないで、吉田全権一人で判をついたんですよ。国民は何も知らなかった、結ばれて発表されて初めて知ったんですから。そういう押しつけられたものです。  だから僕は、自民党政権それからその後の政権もそうだけれども、残念ながら外交問題や安全保障問題でアメリカ頼りで自主的に考えない、決定しないんですよ。だから、日本政府が、これは自民党政府でも新進党の政権でもいいですけれども、共産党が参加した政権でもいいけれども、自主的に物を考える、そういう政権にするためには、こういう不平等条約はやめて対等、平等の新しい友好条約を結ぶべきだと。それが日本が本当に自主的に進める道なんです。  それで、永野さんは先ほど上田みたいな考えは少ないとおっしゃったけれども、沖縄のあの闘いで大いに変わってきていて、日経の調査でも安保をなくせというのが四〇%ですよ。産経とそれからギャラップの共同調査では、米軍撤退四四%、米軍維持三一%で一三%多いんですから。だから、私と同じような考え方に、共産党支持というのじゃなくて、日米関係を見、沖縄の闘いを貝て、戦後五十年たっても、いまだに米軍基地があって、ああいうことが起きるのはおかしいんじゃないか、やっぱり自主的な道を進むべきじゃないかと考え始めている国民が今ふえているんですよ。そこをあなた見なきゃ、僕ばかり見ないで。世論が変わりつつある、情勢が急激に動きつつあるんだということを申し上げておきたいと思います。
  21. 泉信也

    ○泉信也君 この調査会ではできるだけ共通の基盤をつくらなきゃならない、そういう議論をする場所だというふうに私は思って参画をさせていただいておりますが、なかなかこれは埋まらない溝があるなと改めて今認識をさせていただいております。  集団的自衛権の問題を議論していく上において、もう今の憲法の中では議論ができない、したがって憲法を改正すべきだというのが私の思いであります。これは、日本の十分とは言えないまでも民主的なそして自由な社会あるいは国土を守る上において何が必要か。言いかえれば国益ということかもしれませんが、その国益を守るためにはどうするかという議論をしますときに、私どもは、世界が平和でなきゃならない、平和のために努力をしなきゃならない。したがって、その努力の目標は、あるときは共通の価値観を持つ者が手を握って我々のその価値観を脅かす者に対してはきちんと対応していかなきゃならない。こんな思いを持っておるわけであります。  ですから、アメリカがいいとか悪いとかということの前に、どこの国の考え方日本が今求めようとしておる国益、価値観が近いか、そこと一緒に行動をしていくということは、これは当たり前のことだというふうに思っておりまして、そのために、国固有の権利としては認められておる集団的自衛権も憲法九条のためにそれが行使できないというばかげた論理がまことしやかに通る現実を一日も早く打破しなきゃならないな、こんな思いでおります。  それで、私は学生時代から、日米安保条約は結ぶと戦争に巻き込まれる、こういうことを反対論者からさんざん聞かされてまいりました。その危険性はあったとは思いますけれども、今日まで幸か不幸かそういうことはなかったわけでありまして、新しい時代に向けた日米安保条約の強化のためにもあるいは世界の平和のために貢献するためにも、私は集団的安全保障考え方をきちんとやはりこの調査会議論をして位置づけをすべきだ、こんな思いを持っております。
  22. 永野茂門

    ○永野茂門君 二つだけ申し上げたいと思います。  一つは、今、泉先生が憲法を改正しなければ集団的自衛権の行使ができるということを明確にできないとおっしゃったわけですが、私もできるだけはっきり改正すべきだと思いますけれども、今の憲法に集団的自衛権の行使をしてはいかぬとは全然書いていないわけですね。法制局が政府の中においてそういう解釈をとりましたということだけであって、その解釈をとった理屈は何もわからないと私は思っています。したがって、解釈を変えるということを明確にすればそれはいいんじゃないかということが一つです。  それから二つ目は、非常に基本的な問題で、武力行使というものをすべて悪として、それは日本はやっちゃいけないんだと、本当にそういうように憲法に書いてあるんだろうかと。今の憲法の中で、自衛隊という軍隊に近いものを持ち、それが活動するということを許している以上、これは最終的には武力の行使を必要とするのであって、したがってその武力の行使も本当は、憲法のもとで許される武力の行使と、いや、そこから先はやっちゃいけませんよという武力の行使とあるんじゃないかと思うんです。だから、そういうことについて今結論を私が申し上げるつもりはありませんけれども、今後やっぱり十分検討する必要があるんじゃないかと、こう思いますので、提案をしておきます。以上です。
  23. 高橋令則

    ○高橋令則君 私は国会に出てまいりまして、ずっと地方で仕事をしていた人間なのでこういうことを余り勉強しておりませんので、諸先生方のお話を聞いて大変勉強になりました。  実は私は反省も一つあるわけでありまして、私は、かの安保反対闘争のときにその指揮の一員であった人間であります。地方ですけれども安保反対闘争をやりました。しかし、今振り返ってみて、その当時もそうなんですけれども、本当に中身が十分わかってやったかというと、じくじたるものがあります。  安全保障問題というのは、私のような経験を持つ人間にとっても心底わかっているというのは少ない。したがって、日本人全体として見ると、国民全体として見るとまだまだ理解がいかない、いきにくい問題ではないかというような感じがするんです。先ほど山本先生もおっしゃいましたが、安全保障問題について、今までのこういった私自身のつたない経験を振り返ってみても、しからば今後これでいいかというと、そうではない。  いろいろ議論された戦後五十年というのは、よかれあしかれ米ソ対立というような冷戦構造の中で、いわゆる非常にかたい殻の中で、言うなれば本音と建前の議論をぶつけ合って、しかしその中にとどまっているというような、そんな感じの議論ではなかったかなという感じがするんです。  今はどうかというと、そのかたい殻が破れて、これがどっちへ飛んでいくかわからない。不確実、不透明という話がありますが、今何か日本日米安保条約の再定義という問題が出ていますけれども、いずれ再定義を要するような、そういう裸ではありませんけれども、考えなければならない事態に出てきている。  したがって、我が国安全保障を考える場合も、かつてとはまた違った意味国民理解をもっと深めなければならない、その議論も本質的に深めなければならない。殻の中へ入って一種の守られているような、そういう中でやっている時代ではないのではないか。したがって、そういった反省とかそういうものを深く感じます。それからもう一つは、・今お話が出ましたけれども、その議論をする場合に、特にここは調査会ですから、タブーといったものを全部捨てて、憲法論議に踏み込んで、集団安全保障の問題であれ何であれ議論していってはどうか。  安全保障というのは基本的に言えば、我が国国益、つまり国民を守り、国土を守り、主権を守るというのは、これはまたちょっとあれなのかもしれませんが、いわゆる人、国土、主権というのは国の原点だというふうに習ったわけですけれども、そういった観点にきちんと視点を置きながら、我が国の選択すべき政策を考えていったらどうか。  その政策を考えていく上で、憲法論議はだめとか憲法で規定されているからだめというふうな議論はしなくていいのじゃないか。ただ、現実化する場合に、いろんな政策手段もありましょうし、時間もありましょうし、場所もありましょうし、そういう政策手段が出てきますけれども、そういう勇敢な論議といったものをこの調査会で今後深めていきたいものだな、私はそういう勉強もさせていただきたい、このように思っております。  また、いわゆる理想として、平和、独立、自由というのはだれも異議がないところでありまして、問題はそれを追求する手段でありまして、現実を見据えながら理想に近づけていくための努力をどう踏んでいくか、こういうことではないか。そういう面で私なんかは、先ほど直嶋委員が言われましたけれども、そういった意見に非常に大きく同感しながら、そう思っていることを申し上げて終わります。
  24. 益田洋介

    ○益田洋介君 二点ございまして、一点は憲法の改正あるいは解釈の変更という議論が出されておりますが、確かに現行憲法、私が昨年七月に国会に参りまして以来、既にさまざまな観点から現行憲法の不備とかあるいはその解釈の仕方を通じてさまざまな論議がなされてきております。  例えば、国際問題調査会で住専の例を出すのもおかしいんですが、住専の不良債権の処理の際に私が一番懸念しておりますのは、公訴時効の、特に刑法三十一条の特別特記事項で、要するに公訴期間が五年間である。そうすると特別背任罪を適用すべきそのことによって責任問題の所在を明らかにして、また適切な処分をしなければならないような経営者の方がかなりいらっしゃると私は思います。しかし、それが五年という時効の制約を受けて公訴できなくなる。したがって、これは要するに憲法三条との関係において、時効の延長の法改正をするためには障害が生じているという大変な難点があります。アメリカのRTCについては既に公訴時効の延長を法改正して認めたということがあります。  それから、憲法九条の解釈の問題もそうですが、憲法を変更できるのかあるいはその解釈を内閣法制局が軽々しく変更できるのかというのは大変な命題でありますが、一つ日本の憲法あるいは法改正のシステムに欠けている部分というのは、例えばドイツに憲法裁判所というのがありまして、憲法の解釈をめぐっての裁判に専ら当てられているという裁判所がございますが、日本にはそういうシステムはない。  したがって、どうするかというと、憲法八十一条がございますけれども、違憲裁判でございますが、基本的には実際の事例をもって訴を提起して、それが最高裁まで至った段階で、その判決を見て違憲であるか合憲であるかというふうな、あるいは最高裁判所に憲法判断をゆだねるという、非常にプロセスのむだな、しかも時間のかかるそうしたシステムしか今日本にはない。  ですから、特に安全保障問題、それから憲法九条、憲法三条、そういったような問題を私たちがこれから論議していくに当たっては、私がまず御提案申し上げたいのは、ドイツの憲法裁判所に似たようなシステムを日本でもやはりつくるべきだ。なぜそういうふうな裁判所がドイツにおいてできて、それがかなり活発に利用されているかというと、政権がかわるごとに法制局が憲法解釈を変えていくのでは、これは憲法に国をゆだねた、安定した国政が運営できなくなるという観点からでございますので、私はぜひこの点もあわせてこうした場所で話し合って勉強し合っていかなきゃいけないのじゃないかというふうに感じました。  第二点は、山本先生の御指摘で非常にフレッシュな切り口で、国会議員の外国研修なんという国民が聞いたらまたびっくりするような論議でございます。私は非常に興味を持って聞かせていただきました。  しかし、私は、本来国会議員たるべき者はもう既にいろいろな形で経験を積み、いろいろな部分で研修をしてきた人たちが候補となって、そして国民の信を問うというのが本来の立場であって、税金を住専の第一次、第二次処理に投入するのに反対している我が党だからというわけじゃございませんが、山本先生の考え方というのは私は正しいと思うんですが、ただ、研修をするのであれば国会議員候補、予備軍といった人たちを二年間国費でもって研修をさせる、その上でその研修結果を国民判断していただくということで選挙をする、そうした方が私は通りがいいんじゃないかというふうに考えております。しかし、そういうお考えをお持ちになっている方が我が院にいらっしゃるということを発見して私は非常に喜びでございます。  どうもありがとうございました。
  25. 松前達郎

    ○松前達郎君 いろいろと議論が続いているわけなんですが、私ちょっとわからないというか、私自身まだ判然としないことが幾つかあるんです。  その中の一つ集団自衛権という問題が今出ているんですが、それといわゆる集団的な安全保障というのは内容的に質が違うんじゃないかという感じを私は持っております。集団的安全保障というのは英語で言えばコモンセキュリティーという分野に入る。ですから、あらゆるものを包含した形での安全保障だろうと思うんですが、集団的自衛権というとこれは専ら軍事力の問題が中心になってくるだろうと思うんです。  先ほどからいろいろ議論にありましたように、日米安保条約、これは私は頭から否定するわけではございませんけれども安保条約を結ばれている以上、たとえ外国の何らかの軍隊といいますか、これが日本に対して侵攻をするようなことが起こったとした場合には、当然アメリカがそれに対して防衛をある程度分担していくと。もちろん自衛隊だってそれは自分の国が侵略されるんだったら当然それに対抗しなきゃいけないわけですから。そういうふうに考えていくと、もう既に安保条約というものは集団自衛権なんだというふうに解釈せざるを得ないんだろうと。現実はそうだろうと思うんですね。  それからもう一つは、戦争というのはルールがあって、ルールといいますか、形態的に一つ戦争が起こったら必ずこれはこういうふうな状況でこういうふうに進行するぞということはないんですね。戦争というのはルールがないので、そういうふうになりますと、一つの国と一つの国、二国間で争いが起こったときに果たしてそこだけで済むかどうかという問題を考えますと、私は絶対済まないと思うんですね。ただし、紛争程度であると国連がそれに対して何らかの手を打っていくという先ほどお話がありました。そういうことになってくるんだろうと思いますから、その辺の基本的な問題をやはり考えていかないと安保の問題も、ただアメリカ安保を結んでいるのはけしからぬということだけでは済まないわけでありま生す。日本は独立国ですから、独立国としての防衛力を持つというのはこれ結構な話なんですが、そういう点からやはり議論をしていくというのが必要なんじゃないかと思います。それにしても一番重要なのはやはり国家思想なたんですね。その国家思想をあらわしているのがある意味では憲法だろうと思います。  憲法の九条を読んでみても、あれは二つの項目から成っているんですね。要するに、外国に対しての軍事力を発動しないという文章があるはずですから、そういう意味から申すと自衛権を放棄しているとは私は思っておりません。ただしその自衛力というものが軍隊であるとすれば、その軍隊を国際紛争解決のために使わないんだと、積極的にそれが行動しないんだということですね。これが恐らく憲法の精神だろうと思います。  ただ憲法、二項目あるのを読んでみますと相反するところがあるんですね。あれちょっと言葉の表現が悪いのかもしれません。ですから、ある意味で言うと、いろいろと解釈の違いがあるにしても、いろんな解釈を今までされてきているわけですから、その辺をきちっと整理する必要もあるかもしれません。これでも憲法改正というならやむを得ないですね。やはりそのぐらいのことをやって、きちっとした国家思想というものをもっと明白にしていくということが我々にとって重要である、こう思います。  アジア安全保障となりますと、ただ単に軍事力だけではない。それ以上にやはり経済の面、先ほど来お話があるようなあらゆる面でのコモンセキュリティーというものが問題になってくるわけですから、我々としては戦争というものを起こすことは、日本にとっては完全な経済の自滅につながっていきますから。というのは、資源もなきゃエネルギーもない国なんですね。そういうことですから、その点、ちょっと観点を広げて議論をしていかないと、何か軍事力ばかりに集中してしまうような気もします。これは私の感想として申し上げておきたいと思います。  以上です。
  26. 笠井亮

    ○笠井亮君 集団自衛権の問題で私も若干述べたいと思うんですけれども、先ほど集団自衛権がだめだと憲法には書いていないという御意見もあったんですけれども、九条では、戦争武力行使を放棄して戦力を持たないというわけですから、他国に対して軍事行動を行うような集団自衛権が認められないというのはまずこれ当然だと思うんです。  それから二つ目の問題は、じゃ憲法を変えろという話もあったわけですけれども、私は、集団自衛権というのが国連憲章の根本精神から見て、それに照らしても反するものだというふうなことをはっきりさせるべきじゃないかと思うんです。  あれは憲章の五十一条の中で一種の例外規定として、ここで時間があれですからあれですけれどもアメリカが自国にかかわるような軍事同明を正当化するために後から押し込んだという経過がはっきりしていると思うんです。  国連憲章の根本精神といいますと、国際紛争を、先ほどもありましたように平和的手段によって解決するために、軍事同盟じゃなくてすべての国が参加して平和と安全を守る、安全保障体制をつくることというふうになっているわけですかへら、だから集団自衛権という問題というものを見ますと、集団自衛権が国際的常識だし、だからそれに合わせて憲法は変えるのが当然というふうにはならないんじゃないかと。国連憲章の根本的精神から見てもならないというふうに申し上げたいと思います。  それから三つ目の問題です。安保について、戦争に巻き込まれる危険が確かにあったけれども、今日まで実際には巻き込まれなかったから今後も大丈夫という御意見もあったんですけれども、私は、まさに今再定義の中で、自衛隊自身が米軍と一緒にどんどん海外に出ていくというわけですから、戦争に巻き込まれて、実際にそれに日本が加わることで紛争世界規模に拡大するという危険を一層増す方向になってくるし、再定義というのはそういうものだということを、その危険性をやっぱり見る必要があるんじゃないかというふうに思います。  最後に、核兵器の問題、一言なんですけれども、ピストルやナイフということが先ほどもあったんですけれども、通常兵器とはやっぱり区別して残虐兵器というのはなくすために努力が必要なわけだし、それから結局なくならないからということで強制手段に核兵器が要るというふうになると永久に核兵器が残るということになるわけで、そういう考えはいかがかなというのを私は思いましたので、そのことを言つけ加えておきたいと思います。
  27. 林田悠紀夫

    ○会長(林田悠紀夫君) ありがとうございました。ほかにありませんか。
  28. 林芳正

    ○林芳正君 ちょっと今のお話と、それから先ほど高橋先生がおっしゃったように、この調査会というのは非常に自由にこうやって発言ができるし、委員の先生方の御意見が聞けるので、本当にありがたいと思っておることを言つけ加えさせていただきまして、憲法問題についても本当にタブーを設けずにそれぞれの積極的な御議論をいただきたい、こういうふうに思っております。  それで、先ほどちょっと益田先生が憲法の話で、最高裁まで行って違憲を審査しないと憲法問題というのはなかなか難しいということでありまして、我々立法府でございますからもちろん三分の二以上の賛成をもって憲法改正出せるわけですから、司法の判断を待たずに、立法府としてはまさにこういう場でいろんな解釈を含めて議論すれば、我々としてはそちらの方の道でいくというのがオーソドックスな道ではないかなと、ちょっと思いましたので意見をつけ加えさせていただきました。
  29. 山本一太

    ○山本一太君 先ほど益田先生から、私の荒唐無稽なアイデアに対するサポートをいただきまして、大変うれしく思ったわけです。  先生が先ほど国会議員の研修と言ったんですが、私が言う意味は、国会議員でなければこの一カ月が生かせない、そういう観点でございまして、例えば地方行政の専門家であればその分野でいろんなアメリカの知識をそのまま日本との関係に生かせる。例えば外交の分野で外交部会や外交委員会に入っている方であればその分野でやはりノウハウとかこれからやる仕事に直接生かせる。そういう意味で、予備軍を研修に出すというのとはちょっと私の考えは違うニュアンスだったということと、それからかなり税金を使って必ずしも研修をやらなくても私はいいと思っていまして、それこそアメリカの小さいダウンハウスか何かに住まわせて、住まわせてという言い方はあれかもしれませんけれども、例えば向こうの議会で、インターンとは違いますけれども、いろんなポジションで少しは向こう側から持ってもらうとか、そういうことも十分私は可能だと思いますので、必ずしも国会議員をお金を使って一カ月それぞれ研修に行かせるというのとはちょっと違うということだけ申し上げたいと思います。
  30. 益田洋介

    ○益田洋介君 山本先生の二点目なんですけれども基本的には、私自身の経験ですと、イギリスの法曹養成制度、二年間司法研修がありますけれども、司法試験に合格した後ですが、これは全部自費なんですね。要するに、将来検察官になる人間も裁判官になる人間も全部自費で研修を受ける。ですから、何でもかんでも国費で賄おうという考え方日本の国しかないんじゃないかという気がいたします。確かにそういう意味では特に税金とか公的資金という言葉には非常に敏感に国民は今なっていらっしゃいますから、そういう意味で税金でなくてもという議論には賛成をさせていただきます。
  31. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 松前さんから集団安全保障集団的自衛権のお話がありましたので、ちょっと一言。  最初申し上げましたように、大体国連憲章は、軍事同盟をなくして集団的安全保障を目指したんだけれども、五十一条で集団的自衛権、軍事同明が入ってきた。軍事同盟が対抗的に広がると国連軍なんかできっこないわけですね。だからずっと空文になってきたんですね。  ソ連がなくなったわけだから、いわゆる仮想敵がなくなったわけですよ、アメリカにとって。ところが、仮想敵がなくなったのに事実上第三世果を目指してということで残っていて、NATOも地球的規模にという動きが出始めている。日米害保条約もそうなんですよ。そうすると、だから今の軍事同盟、NATOも安保条約も仮想敵がなくなったのに地球的規模でということで残されますと、これはなかなか集団的安全保障はできないんですよ。  先ほど永野さんが集団的安全保障はできっこないと言われたけれども、軍事同盟がある限りできないと思うんですね。だから、国連憲章の根本精神に戻って、軍事同盟をなくして、すべての国の入る集団的安全保障をつくるのをやはり目指すべきだと。そういう意味でも、きょうお話の出た安保をさらに危険なものにする集団的自衛権、また憲法改正にやっぱりあくまで反対して、国連憲章の理想である集団安全保障をつくる運動の先頭に日本は立つべきだろうと、そう思います。
  32. 板垣正

    板垣正君 国連警察軍のことを言っているんですか。国連、言うなれば国連警察軍ですか、その集団、国連の目指している……
  33. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 いや、第七章ですよ。第六章が経済制裁で、第七章がつまり国連軍でしょう。第八章が地域取り決めなんです。
  34. 板垣正

    板垣正君 国連憲章の精神と我が憲法の精神と、やっぱりこれは元来一致しているべきなんですね。その国連憲章というのはやっぱり、国際連盟の失敗、国際連盟をつくったけれども第一次世界大戦に突入した、そういう反省の上に立って、国際連盟というのは強制力を持たなかったわけ広すね、したがって集団自衛権、理想としては国連全体で集団安保をやっていこうと。しかし、それが完全にでき上がるまでは、二国間条約もあるし多国間の条約もあり、その集団自衛権、個別自慰権というもとで、それは国連憲章の精神からも弱めていることだと思うんですね。安保条約の姿しいうものも、必ずしも国連に背くという姿では占いんじゃないでしょうか。  集団自衛権というのは、これはいろんな難しいあれがあるんでしょうけれども、私はこういうのがわかりやすいと思うんですね。いわゆる、民法で言う正当防衛権というのがありますね、正当防衛。急迫不正の侵害に対しては、これは正当防衛が成り立つわけですね。自分に対する急迫不正の侵害だけじゃないんですね、この民法でも。他人に対する、自分が救助できるところにいる人に許する急迫不正の侵害に対しても自分が救う、あるいはその相手を排除する、これも正当防衛権の山に含まれているんですね。これはつまり、言ってみれば集団自衛権と言われるものの、みずからがみずからを守るという、そういう急迫不正の同盟関係にある立場にある者に対する攻撃はやつぱりそれをみずからの攻撃に対するものと等しくみなすという法理というのが、貫かれているものがあるんじゃないでしょうか。  もちろん、そういうものだから、上田先生がおっしゃったように、そんなことをやったらもうアメリカがどこかで戦争をしたらいつでも行って自衛隊が一緒になって戦争を始めるじゃないかというような、例によって例のごとくおっしゃいますけれども、そうじゃなくて、これはあくまでも我が国が主権国家として、主権国家の国益に基づく行動において、今論議の焦点だと思うんですよ。その主権国家の国益に基づく行動の上で、今、憲法解釈で集団自衛権がどうだこうだと言うと、もう主権国家として国益に基づく行為が阻害されているんですよ。それを解決していくのが、集団自衛権というものを踏み出していく、しかもそのときの選択というのはやっぱり主権国家としての国益を踏まえながらですから、そうやたらしょっちゅう、集団自衛権を認めたから、アメリカ同盟関係にあるからアメリカ戦争には全部くっついていって一緒にやりますよなんという、そんな安直なものじゃないですね。
  35. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 ちょっと一言。  正当防衛権はこれは当然あるし、認めなきゃならぬと思うんですけれども、国際法の歴史の上では、かつては戦争というのは合法的なものだったんですよ。二十世紀、二つの世界大戦で、その悲惨な中から戦争というものをなくそうという方向に国際法だって動いているんですよ。  国際連盟は確かに余り強制権がなくて、日本の満州国をつくったときにリットン調査団が来てリットン報告を出したでしょう。非常にいいかげんな体裁だったんで、日本はいよいよやっていくわけだ。しかし、国際連合をつくったときには、国連憲章に書いてあるように、共同の場合を除いてこれは武力否定なんですよ。ところが、その後、六月にサンフランシスコ会議があって、それから広島、長崎がありましたので、日本の憲法というのは国連憲章より一歩進んで、すべての戦争否定という方向に一歩進んだので、だから国連憲章日本憲法は関係ないというんじゃなくて、国連憲章の精神を広島、長崎の原爆の惨害を経てさらに一歩進めて、すべての戦争否定という方向に進んだのが日本の憲法だと。そういう意味では世界で最も進んだものだと、そう思っています。
  36. 板垣正

    板垣正君 ちょっと一言。  不戦条約というのがありますね、不戦条約、一九二八年。これは、第一次大戦の教訓を踏まえながら、ただ、不戦条約を結んだとき一番問題になったのは、それじゃ侵略はいけない、国策の手段として武力行使はいけないと、しかし自衛権は認めると。じゃ自衛の範囲はどこなんですかというんで、アメリカ、イギリス、フランス、それぞれ注文をつけましたですね。そのときに言われたことは、つまり、侵略は許されない、しかし自分の国にとっての国益にかかわる死活的な重要な地域に対する侵害に対して、それを守るのは自衛の範囲であるという形で、アメリカもイギリスもフランスもそういう形の自衛の範囲というのを非常に、だから日本も当然不戦条約を認めながら、満州の地域我が国における死活的な重要性のあるところであると、こういう形でいわゆる自衛権の発動のもとで行われたというのが当時の主張ですよ。  また、当時の主張は、そういう国際法的な不戦条約のやっぱり論理に乗っかっているわけですね。しかし、それでも国際社会が第一次大戦、第二次大戦、破綻の上に立って、制裁措置を持った、集団自衛権を認めた国際連合というものができたということですから、やはりその趣旨、その精神というものと我が国の憲法なり憲法解釈なりが余りにも身の動きがとれないような解釈になってしまっているところに問題があるんじゃないですかね。
  37. 田村公平

    田村公平君 上田先生、国連憲章も私は大変大事だと思いますし、それから、かつて共産党はファントム一機で住宅が何戸建つということをおっしゃって、そういうことじゃなくして大変前向きに、今の陸海空の自衛隊も何か軍備を持ってはいけないというふうなことはおっしゃっておられぬように今お伺いをしまして感激をしておるところですけれども、いずれにいたしましても我が国の憲法の九条の問題というのは、解釈だとかそういうことじゃなくして、明確にわかりやすく変えていくことを議論していかぬといかぬのじゃないかなと。それでもう日本は丸裸でいいと国民が決めるのであれば、それはそれでいいと思います。だけれども、最低限の自衛力を持ち国際社会の中で、現実問題、紛争もあります、現実問題、軍備を持っている国もいっぱいあります、現実問題、軍需産業も諸外国にいっぱいあります。我々はその現実を直視しながら、もう少し実りある議論をこの会でもやっていただきたいなということでございます。
  38. 林田悠紀夫

    ○会長(林田悠紀夫君) ありがとうございました。  議論は尽きないようでありますが、予定した時間が参りましたので、本日の意見交換はこの程度とさせていただきます。  委員各位には貴重な御意見をいただき、まことにありがとうございました。  本日は、委員の皆様の間でアジア太平洋地域における安全保障あり方をめぐりまして、安全保障考え方我が国安全保障、防衛のあり方アジア太平洋地域における多国間の安全保障あり方などについて活発に御意見を交わしていただくことができまして、まことに有意義であったと存じます。  今後は、本日の調査会を踏まえまして、理事の皆様とも御協議の上、調査テーマに沿ってさらに論議が深められまするように運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞ委員の皆様の御協力をお願い申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。   午後三時五十一分散会