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1996-02-07 第136回国会 参議院 行財政機構及び行政監察に関する調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年二月七日(水曜日)    午後一時二分開会     —————————————    委員氏名     会 長         井上  孝君     理 事         上野 公成君     理 事         守住 有信君     理 事         石田 美栄君     理 事         都築  譲君     理 事         大脇 雅子君     理 事         筆坂 秀世君                 井上 吉夫君                 石渡 清元君                 亀谷 博昭君                 小山 孝雄君                 佐々木 満君                 武見 敬三君                 溝手 顕正君                 宮澤  弘君                 足立 良平君                 猪熊 重二君                 常田 享詳君                 平野 貞夫君                 伊藤 基隆君                 千葉 景子君                 角田 義一君                 小島 慶三君                 中尾 則幸君                 山田 俊昭君     —————————————    委員異動  一月二十二日     辞任        補欠選任      上野 公成君     矢野 哲朗君      中尾 則幸君     末広真樹子君      千葉 景子君     山口 哲夫君  一月二十五日     辞任        補欠選任      大脇 雅子君     齋藤  勁君  一月二十六日     辞任        補欠選任      齋藤  勁君     大脇 雅子君     —————————————   出席者は左のとおり。     会 長         井上  孝君     理 事                 守住 有信君                 矢野 哲朗君                 石田 美栄君                 都築  譲君                 伊藤 基隆君                 筆坂 秀世君     委 員                 石渡 清元君                 亀谷 博昭君                 小山 孝雄君                 佐々木 満君                 武見 敬三君                 溝手 顕正君                 宮澤  弘君                 足立 良平君                 猪熊 重二君                 常田 享詳君                 大脇 雅子君                 小島 慶三君                 末広真樹子君                 山田 俊昭君   事務局側        第三特別調査室        長        塩入 武三君    参考人        早稲田大学政治        経済学部教授   片岡 寛光君        広島修道大学法        学部教授     山谷 清志君        社団法人全国行        政相談委員連合        協議会会長    鎌田理次郎君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○参考人出席要求に関する件  (行政監察制度行政相談制度及び類似関連  制度に関する件)  (行財政機構及び行政監察に関する調査) ○行財政機構及び行政監察に関する調査  (時代変化に対応した行政監査在り方の  うち行政監察制度行政相談制度及び類似・関  連制度に関する件) ○委員派遣承認要求に関する件     —————————————
  2. 井上孝

    会長井上孝君) ただいまから行財政機構及び行政監察に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る十二月十四日、及川一夫君が委員辞任され、その補欠として伊藤基隆君が選任されました。  また、一月二十二日、千葉景子君、上野公成君及び中尾則幸君が委員辞任され、その補欠として山口哲夫君、矢野哲朗君及び末広真樹子君が選任されました。     —————————————
  3. 井上孝

    会長井上孝君) 次に、理事補欠選任についてお諮りいたします。  委員異動に伴い現在理事が二名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 井上孝

    会長井上孝君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事矢野哲朗君及び伊藤基隆君を指名いたします。     —————————————
  5. 井上孝

    会長井上孝君) 次に、参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  行財政機構及び行政監察に関する調査のため、本日の調査会早稲田大学政治経済学部教授大学大学院政治学研究科委員長片岡寛光君、広島修道大学法学部教授山谷清志君及び社団法人全国行政相談委員連合協議会会長日本大学法学部教授鎌田理次郎君を参考人として出席を求め、その意見をお聞きしたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 井上孝

    会長井上孝君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  7. 井上孝

    会長井上孝君) 行財政機構及び行政監察に関する調査を議題といたします。  「時代変化に対応した行政監査在り方」のうち、行政監察制度行政相談制度及び類似関連制度に関する件について、参考人から意見を聴取いたします。  本日は、早稲田大学政治経済学部教授大学大学院政治学研究科委員長片岡寛光君、広島修道大学法学部教授山谷清志君、社団法人全国行政相談委員連合協議会会長日本大学法学部教授鎌田理次郎君に御出席をいただいております。  この際、参考人皆様に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまことにありがとうございました。参考人皆様から「時代変化に対応した行政監査在り方」のうち、行政監察制度行政相談制度及び類似関連制度に関して忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にいたしたいと存じております。どうぞよろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず、参考人からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めてまいりたいと存じます。  それでは、まず片岡参考人からお願いいたします。片岡参考人
  8. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) ただいま御紹介にあずかりました早稲田大学片岡でございます。本日は、貴調査会にお招きいただきましてお話をさせていただく機会を与えられましたことを大変光栄に存じておる次第でございます。  先生方におかれましては、既に各方面から広範な聴取をされたというふうにお伺いいたしておりますので、私からは監察というもののごく一般的なお話から始めさせていただきたいと思います。  中国の故事に「君子は水をもって鏡とせず、民をもって鏡とせよ」というのがございます。ちなみに行政監察の「監」に当たる字は、これは人がかがんでおのれの姿を盆にたまった水に映している様子を指したものでございますし、「察」というのは、これは家に神を祭って神の心を知るということでございます。本来、行政というのは国民のために国民にかわって国民の税金を使って行われるものでございますから、行政が民、すなわち国民を鏡として行われるべきであることは言うまでもないことでございます。  一九八〇年代のアメリカでベストセラーとなりました本に、トム・ピータースの「イン・サーチ・オブ・エクセレンス」というのがございます。その本のキーワードは、企業が成功するためにはカスタマーズマインド消費者志向の心がなければならないということでございますけれども、企業消費者との関係というのは市場を媒介といたしましてその都度持たれるのに対しまして、国民行政との関係というのは構造的に持たれるものでございまして、一たび政府の決定がなされますと国民はいやが応でもそれに従わなければならない性質のものでございますから、カスタマー以上に国民というのは行政にとって大事にされなければならないものであるというふうに考えておるわけでございます。  企業におきましてはこのカスタマーズマインドを実現する手段としてクオリティーコントロール、品質管理というものが発達しているわけでございますけれども、商品の品質というのは何によってはかられるかと申しますと、それは究極には顧客の満足によってはかられるものでございます。同じように行政の質というものも国民満足によってはかられるべきものであるというふうに私は考えているわけでございます。  日本品質管理を導入いたしましたデミングさんという人が発明したというふうに言われておりますデミング・サークルというのがございますけれども、これは企業行動というのがプラン・ドゥー・シーの三つ循環過程から成っているということを意味するものでございます。この三つ過程に、上は社長から下は現場の作業員に至るまで参画するのが日本的品質管理でございまして、これをトータルクオリティーコントロール、TQCというふうに呼びます。これは今日アメリカにも逆輸入されておりまして、アメリカではTQM、トータルクオリティーマネジメントというふうに呼ばれているわけでございます。  行政が営まれますのもこのプラン・ドゥー・シーという、つまり企画、実施、そして制御という三つプロセスを通じてであることは改めて申し上げるまでもないわけでございまして、すべての有機体はこのような段階を経て意思決定をし行動に移っていく、そしてその行動の結果をまたフィードバックしていくということになるわけでございます。  このうち「シー」に相当いたします制御というのは、サイバネティックスと共通する語源でありますかバメントという言葉から発しているものでございまして、それが何を意味するかといいますと例えば船が予定のコースをそれないように制御していく、操縦していくという意味でございます。  品質管理のコンテクストで申しますと、計画に従って行われたことが果たして所期の目的を達成したかどうかというものをチェックいたしまして、もしも達成していないといたしますと、その理由はどこにあったか、計画どおり実施が行われなかったのか、あるいは計画そのものに間違いがあったのかということをチェックいたしまして、それを新たなる計画の策定にフィードバックしていく、これが制御というものの役割であるわけでございます。  すべての行為を行う当事者行政もそうでご弐いますけれども、行為当事者は、この三つプロセスを通じまして常にみずから責任を負える行動をしていくべきものでございますけれども、場合によりましては、この三つプロセスのうちの制御に当たります部分を、当事者と並行いたしさして第三者が担当することによってよりよくこの目的を達成させる場合がございます。このように第三者によって担当されるようになりました制御というのを、通常我々は監察とか監査というふうに申しているわけでございます。  監査第三者機関によって行われますけれども、その第三者機関組織内の一部局である場合もございます。これを内部監査というふうに申すわけでございますが、組織の外に専門の監査機関が設けられる場合には、それによる監査外部監査というふうに申すわけでございます。  日本には、この外部監査を担当するものといたしまして総務庁行政監察局と、それから会計検査院というのがございます。総務庁行政監察局は、監督される、監察の対象となります機関にとりましては外部でございますけれども、しかし、総務庁内閣のもとにあります総理府の外局として設置されているという限りにおきましては政府部内的であるというふうに言うことができます。これに対しまして、会計検査院憲法上の必置機関として置かれたものでございまして、これは純然たる外部統制機関であるわけでございます。  我々は、このような監査組織というものを考えますときに、しばしば統制という問題と責任という問題を混同して用いることがございます。  監査とか監察というのは、これは統制ということでございまして、役割を遂行する当事者に対してその役割外部から監視するという対抗役割、コントラローレ、これがコントロールということの語源になるわけでございます。それに対しまして、責任というのはあくまでも行為当事者が自分の行為の結果に対して責任を負って、そしてそれに対して説明をすることのできる状態を保つている、これが責任であるわけでございますけれども、そういう責任ある行為行為当事者から確実に引き出すために統制としての監査ないし監察というものが行われるわけでございます。  アメリカにおきましては、会計検査、要するに財務監査を担当いたします会計検査院というのがございますけれども、これは今日議会に附置されております。もともとは必ずしも議会機関という形でつくられたわけではございませんけれども、今日では議会機関であるというふうにみたされております。しかしながら、アメリカ会計検査院会計検査を行うわけではございませんで、会計検査の基準を設定いたしまして、それに従いまして各行政機関がそれぞれ独立監査を遂行しているということでございまして、日本の状況とはいささか異なっているわけでございます。  それでは、アメリカ会計検査院が実際に行っているのは何かと申しますと、後に山谷先生の方からお話がありますプログラム評価というものを担当いたしておるわけでございまして、これは総務庁が行っております行政監察にある意味では類似する機能でございます。  中国には国務院国家監察部というのがございますけれども、これは専ら公務員の不法行為を摘発することを任務としているものでございます。孫文の三民主義考え方は、五権憲法というものの立場をとっておりまして、これによりますと、監察というのは国家一つ独立した権力として存在しているわけでございますが、これまでのところ共産主義の国におきましては権力分立の思想というのはなじまないということで、必ずしもこういう形は中国の本土ではとられていない。ただし、台湾の方ではそういう形がとられているわけでございます。  皆様既に御承知のことと思いますけれども、総務庁行政監察局が行います行政監察は、中央計画監察地方監察とに大別されます。中央計画監察は、中期行政監察等予定テーマというものに基づきまして全国的な規模で広範に行われるものでございまして、中期行政監察等予定テーマと申しますのは、行政監察局長私的諮問機関でございます行政監察懇話会というものの議を経まして、ローリング方式、すなわち三カ年計画ではございますけれども、毎年見直しながらそれを実施していくという形で遂行されているわけでございます。平成七年度におきましては、二十件の中央計画監察というものが行われております。地方監察は、管区行政監察局及び行政監察事務所におきましてそれぞれの地域的な問題を取り上げて行われるものでございます。  我が国行政監察は一種のプログラム評価に相当いたしますけれども、プログラム評価にはプロセス評価と結果評価及び制度評価があるといたしますれば、日本総務庁が行っております行政監察制度評価に極めて近いものでございます。もちろんその内容は制度分析を通じまして合理化効率化というものを目指すものでございますけれども、基本的には制度、仕組みというものの分析中心になっておるように見受けられます。  ここに本年度の一月に出されました「郵政事業に関する行政監察結果報告書」というのがございますけれども、これには、例えば引受郵便物の推移がどうなっているか、民間宅配事業との競合関係はどうなっているか、あるいは新しく出てまいりました電気通信メディアの発展に伴って郵便事業が将来どうなるであろうかという予測に基づきまして、郵便物の引き受けから配達までのフローチャートというものを明確にいたしまして、そして、郵便区及び集配区の統廃合によりましてどれだけの合理化が達成され、それによってどれだけの効率化を図ることができるという勧告がなされているわけでございます。  大変包括的ですばらしい監察ではございますけれども、アメリカなどで行われておりますプログラム評価と比較いたしますと、事業の結果が社会に対して最終的にどういうインパクトを与えているのかということについての配慮というものが若干欠けているというふうに感じられないこともないわけでございます。例えば、最後のところで「利用者サービス向上」ということがございますけれども、本来利用者サービス向上というのは、利用する国民の側から見てどれだけの利便性が保障されているか、どれだけ改善が行われているかということが問題ではございますけれども、その点の配慮がないというところが我が国行政監察制度一つ特徴でございます。  しかし、これは行政監察制度だけの特徴ではございませんで、日本人思考形式というのはプロセス思考手続思考というものでございまして、結果というものを余り重要視しないということに起因しているわけでありまして、総務庁だけを責めるわけにはいかない、日本人一つ思考形式に根差してこういう監察が行われている。その監察の結果、内閣行政改善につながる重要な決定がされたというケースもありまして、その意味ではこれは大変重要な役割を果たしているというふうに私は評価いたしているわけでございます。  行政監察というのは、国民の心、民の心を映す一つの鏡ではありますけれども、しかし、それを通じて国民がみずからの意見を表明する場ではございません。先ほど述べましたように、制度中心でございますから、国民がそれについてどう患うかということは直接行政監察では取り上げられないということになってまいります。  そういたしますと、国民意見がどのような形で表現されてくるか、行政に吸い上げられてくるかということがどうしても問題になるかと思います。世論とか選挙を通じて大きな国民の動向は把握することは可能でございますけれども、個々の国民行政とのかかわりの中でどのような考え方を持ったかということがフィードバックされる一つの経路として苦情相談制度、あるいは諸外国におきましてはオンブズマン制度というものが存存するわけでございます。そういった意味におきさして、イスラエルのオンブズマン制度というのは参加の新しい形態である、国民苦情を申し出ろということによって行政に参加する一つ形態であるというふうに言っているわけでございます。  行政が行いました違法な行為につきましては、国民は言うまでもなく行政事件訴訟法に基づきすして訴訟を起こすことができますけれども、これは非常に制度的な制約あるいは金銭的な制約というものがございまして日常余り活用されていないという問題がございます。特に立証責任国民の側にございまして、これが極めて難しいので、との行政事件訴訟法を通じまして住民の側が勝訴するということはなかなか難しいのが実情でございます。  これに対しまして、不法または妥当性を欠きます事案につきましては、行政不服審査法基づぐ異議の申し立てないし審査請求というのがございます。それと同時に行政相談制度というものがございまして、それによっても国民苦情というものが吸い上げられているわけでございます。  行政相談制度は、もう既に御承知のこととは思いますけれども、総務庁の本庁、管区行政監察局行政監察事務所及びそれぞれのレベルで設けられました行政苦情救済推進会議というものを通じて行われますものと、全国に五千四十六人配置されております行政相談委員を通じて吸い上げられます苦情というものがございまして、これは一方におきましては総務庁行政監察とドッキングし、他方におきましてはそのように全国津々浦々に配された行政相談委員を窓口として行われるという意味において、世界において極めてまれなるものでございます。  日本にはその他にも人権擁護委員とかいろいろなシステムがございまして、さまざまな形で国尾行政との関係を仲立ちしている、媒介する役割を果たしていらっしゃるわけでございます。ゲルホーンというアメリカ公法学者は、日本行政相談制度を分権化されたオンブズマン制度であるというふうに呼んでいるわけでございます。  世界オンブズマンがどれぐらい事案を処理しているかと申しますと、これはスウェーデンで永年間四千件でございまして、ほかの国では千件に満たないケースもよくあるわけでございますが、日本行政相談が処理している事案は総数におきまして二十二万八千何がしという数に上るわけでございます。こういうことを考えますと、日本オンブズマンというものを導入いたします場合にも、この既存のシステムと連動することなくしては効果的に機能することはできないであろうというふうに思われるわけでございます。  最近、工ークルンドというスウェーデンオンブズマンが送ってくれた本の中に、今日、オンブズマン制度はその役割を果たす当該個人人格に依存する本来のシステムではありながら、しかし、増大する苦情処理件数を一人で処理しなければならないということによって生じる非常に大きな悩みを抱えているということが書かれておるわけでございます。オンブズマンは、オンブズマンという一人の人格を持った人間が行政国民との間の仲立ちとなって行政に血を通わせることをその役割とするわけでございまして、その人格性というものが極めて重要な要素になります。  それからもう一つ独立性というのがございまして、これはエークルンドの言によれば、オンブズマン議会に置かれようと行政に置かれようと独立てなければならないということは同じなんだ、別に議会に置かれたからといって議会に従属して活躍するものではない、行政に置かれたからといって行政に従属して活躍するものではない。オンブズマンにはそもそも固有の独立性というものが保障されなければならないというふうに言っております。  スウェーデンに起源を有しますこのオンブズマンはもともと議会オンブズマンというふうな形をとって発達してまいりました。それには三つスウェーデン特有理由がございました。一つは、オンブズマンを国王が持つのか議会が持つのかというのがスウェーデンでは長い間紛争の的でございました。この紛争の結果、議会が勝利いたしまして一八〇九年につくられた憲法オンブズマンが規定されたわけでございまして、当然これは議会オンブズマンという形をとってそれが実現されたわけでございます。  しかし、スウェーデン議会オンブズマンがありますのはもうちょっと別な理由もございます。一つは、スウェーデン議会には国政調査権というものがないわけでございまして、この国政調査権にかわるものをオンブズマンが代替するという意味スウェーデンにはありまして、そのゆえにスウェーデンにおける立憲主義の不可欠な一要素としてオンブズマン制度が発達してきたというふうに言われているわけでございます。  もう一つスウェーデンオンブズマン制度議会に置かれています理由は、実はスウェーデン行政官というのは裁判官と同じように法律の解釈におきまして独立性を保障されています。上司の命令に服従しないで自分でそれぞれの行政官が法律を解釈いたします。そういたしますと、解釈に統一性ができませんから、どうしても外部からこれを統制していく必要がある。この場合は必ずしも議会オンブズマンがある必要はないわけですけれども、とにかく外部から統制しないと行政の統一性が図れなかったというスウェーデン固有の問題からスウェーデンオンブズマン制度が発達してきたわけでございまして、今日では大きな国といたしましてはイギリスやフランスでこれが導入されているわけでございます。  イギリスにオンブズマンが導入されましたときに、これはさまざまな抵抗がございまして、その抵抗を和らげるためにオンブズマンという名称を使いませんでパーラメンタリーコミッショナーという名前を使い、フランスではメディアトゥールという名前を使ってまいりました。これはいずれも行政に置かれたオンブズマンでございまして、イギリスの場合、パーラメンタリーコミッショナーということでございまして、本日の朝日新聞には議会型というふうに書いてございますけれども、これは女王が任命するのでございまして、女王が任命するということは政府が任命するということですから、事実は行政型ということになります。  オンブズマンの本来の機能と申しますのは、これはやはり何と申しましても苦情処理と権利の救済ということにあるのでございまして、日本ではしばしば政府の政策を監督するためにオンブズマンを置けという意見がございますけれども、フィンランドを例外といたしまして、オンブズマンが政府の政策をコントロールすることはあり得ないことでございます。  それからもう一つ大事でございますのは、オンブズマン行政改革を推進するために必要であるという意見もあるわけでございますが、たまたまオンブズマンが処理した事案の中に制度そのものを変えなければならないということはございますけれども、本来オンブズマン行政改革というのは無縁の存在である。これは私がハワイに行きまして、かつてハワイで長い間オンブズマンをしておりました故ハーマン・ドイ氏にただしましたところ、行政改革を担当するのは邪道であるというふうにハーマン・ドイ氏は明確に答えておられました。  オンブズマンというのは、実は国民行政との間に発生した個別的な事案を地道に解決していくことを通じて行政に血を通わせ、そして正義を回復することを目的としているわけでございまして、決して快刀乱麻を断つごとく諸悪の根源を断つことのできるようなものではない。  その点、日本におけるオンブズマンの議論が始まりました経過、ロッキード事件を契機といたしましてオンブズマンの議論が高まってまいりましたけれども、いささか過大な期待がオンブズマン制度に寄せられていると。むしろ地道な、国民が抱いている行政に対する不満、苦情、そして権利の侵害を救済するということがオンブズマンの本来の役割であるわけでございます。  この監察あるいは行政相談につきましては以上でございますけれども、いずれにいたしましても、これは事後的であらざるを得ない性格を本来的に持っております。どのように権利を迅速に救済すると申しましても、これは事後的に救済するわけでございまして、行政というのはそういう救済の必要のない形で本来行われるべきであるというふうに思っているわけでございます。  そのためには、私は現在倫理コードの確立と情報公開法の制定というものが喫緊の課題であるというふうに思っているわけでございます。  今日の行政の中には、利益相反と申しますか、利害の抵触という問題がしばしば見受けられるわけでございまして、公民・個人の利益と公益・公共の利益がしばしば対立する問題をどのように解決していくかということについての日本人の感覚とか解釈というのがこれまであいまいにされてきた、これをもうちょっと倫理コードというものを通じて明確にしていく必要があるのではないかというふうに思っているのが第一点と、もう一つやはりどうしても情報公開が必要であるというふうに考えております。  政府は行政手続法を制定いたしまして、例えば不利益処分を受けた当事者にその理由を開示するという義務を行政機関に負わせておりますけれども、しかし、これはあくまでも当事者に対して情報を提供するということでございまして、国民の知る権利を一般的に保障するものではございません。アメリカの情報公開法というのは、当事者にのみ情報を知らせていたアメリカの従来の行政手続法の改正として実は制定されたものでございまして、国民の一般的権利として知る権利を保障したと、このことが私は必要であろうかと思います。  以上をもちまして、お話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  9. 井上孝

    会長井上孝君) ありがとうございました。  次に、山谷参考人にお願いいたします。山谷参考人
  10. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 広島修道大学の山谷でございます。きょうはこのような発言の場を与えていただき、大変感謝しております。  さて、私に発言を、説明をしろというふうにいただいたテーマ、行政監察類似した制度としての政策評価というのがどのようなものであるのか、こういうことでございます。政策評価というのを最近マスコミ等でよく耳にするわけでございますが、必ずしも日本ではこれは一般的でございませんで、かなり誤解がある評価手法でございます。  そこで、その内容について若干御説明いたしたいと思います。  ただ、日本では余りなじみがないとは言いますけれども、ODA、政府開発援助の分野ではかなりこの手法が日本でも取り入れられておりまして、外務省の経済協力評価報告書あるいは国際協力事業団等でこの手法によって評価が行われております。  この政策評価、なぜ日本で余りなじみがないのかと申しますと、私が考えるには二つ問題がございまして、一つは政策という概念がいまだに日本では共通の合意をもって定着していない、もう一つはこの評価という問題が非常に難しい問題であった。結論から先に申し上げますと、行政監察と政策評価というのは実はかなり違った手法である。私のレジュメの五ページ目でその違いを図表にして説明しておりますが、若干それぞれ目的も違いますし、方法論も違いますし、背景となっておる学問も違います。そういった意味で、この政策評価というのが日本に定着てきるのかどうかというのはいささか疑問がございます。  さて、話をもとに戻しまして、政策評価を考える前提でございますが、我々行政学者というのは、実は政府活動を見る場合に二つの視点から見ることがございます。一つは、組織制度、手続、こういった方向から見る。この制度の運用、手続の運営、組織活動の運営、こういったものから見ていくという見方でございます。昨今話題になっております規制緩和とか行政手続法、地方分権、民営化、これはまさにこういう制度、手続、組織の問題でございます。これまでは行政監察あるいは会計検査が主にこういう方向で行政活動、広くいえば政府活動にアプローチしてまいりました。  それに対して政府の活動、行政活動それ自体を見る、あるいは活動の結果を見るという見方もございます。これが実は先ほど片岡先生からも御説明がありましたプログラムあるいは個別のプロジェクト、これを見ていくというアプローチでございます。ここでは政府活動、基本はプログラムでございますが、この政府活動が国民にどのような効果あるいはインパクトを与えるのか、こういう視点から見ていくというわけです。  ここでとりわけプログラムという言葉が重要視されるのは、幾つかの意味がございますが、字引を見ますと、プログラムというのは政党の綱領とかあるいはアメリカの連邦政府の予算の単位というふうに出てきますが、表1にございますように政策がございまして、この政策の目標を達成する手段としてプログラムが設定される、こういう関係になっております。  表1は建設省の住宅政策の政策体系をちょっとお借りしてここに引用させていただきましたものでございます。理念とか政策の段階でありますとまだ抽象的過ぎまして、具体的に政府あるいは行政の活動が見えてこないわけなんです。逆に個別の事業単位、プロジェクト単位で見ていきますとこれが非常に細か過ぎて、またこれが一体何の役に立つのかというふうな疑問が出てくる場合がございまして、したがって、見直しをするとかあるいは評価をするといった場合に、このプログラムという単位で見ていくというのが非常にわかりやすいんではないかというふうに考えております。  さて、この二つの見方から行政のコントロールということを考えた場合ですが、ここに若干簡単な表に示してありますけれども、手続的な統制、これはメーンが行政監察とか会計検査でございます。そして政策評価統制していこうと。これは政策の目標をどの程度達成しているかということで行政統制していこうという考え方でございます。ただし、この政策評価行政統制するという場合、これはいささか行政側にとってはかなり酷な点がございます。  理由は、政府活動あるいは政策の目標、これがあいまいであったりあるいは複数存在していたり、表の目標と別の目標があったりという場合が間々あるわけでございます。こういった場合、この目標の達成度で行政機関をコントロールするというのはいささか酷である。もう一つは、目標を達成するあるいは効果がどの程度上がっているかということでコントロールするわけでございますが、この目標の達成度とか効果というものが数字ではっきりとわかればよろしいんでございますけれども、なかなかそういうふうにいかないものでございまして、それをいかにコントロールするのか、これはまたかなり行政機関にとっては酷な問題になると思います。  さて、この政策評価の歴史でございますが、これはアメリカ合衆国でございまして、大体一九六〇年代の中ごろから登場してきた手法でございます。この前身に予算編成の方式で、皆様御存じでしょうけれども、PPBSというのがございましたが、このPPBSの考え方を受け継いで発展してきた手法でございます。このPPBSの遺産というのが、一つはプログラムを中心として見る、つまり、かなり具体的な政府活動を中心にして政府活動を見ていこうという考え方でございます。そしてもう一つの遺産は、事前の分析では非常に難しい、つまり将来どういう効果が発生するのかということを予測するのが難しいので、今現存実際に発生している効果を見ていく、こういう考え方を受け継いで発展してきた手法でございますが、これに最初注目したのがアメリカの連邦議会でございます。一九六七年に経済機会法という社会福祉の法律でございますが、その法律のもとで実施されている政策、ここではプログラムでございますが、これがどの程度目的を達成しているのかと、議会側がこれを行政機関に、その目的の津成度あるいは効果を評価してそれを報告しろというふうに法律を改正しまして条文を一つつけ加えました。  同時に、このときにアメリカ会計検査院、これは先ほどからも説明がございましたけれども、アメリカの連邦議会の補佐機関でございますが、このアメリカ会計検査院に、プログラム評価をやって行政機関が果たして本当にきちんと仕事をしているのかどうかチェックしろというふうに法律を改正しまして命じたわけでございます。そういう意味でいいますと、いわゆる行政責任の追及の方法としてかなり新しいといいますか、異質の、これまでとは違った、次元が違うといいますか、そういう手法がここで登場してきたわけでございます。  つまり、それまでは会計規則あるいは法律に適合しているかどうかという、こういう方向でやっておったわけですが、それではなくて、実際に議会が命じた目標を達成しているのかどうか、かなりきつい統制の手法を取り入れたわけでございます。六〇年代から七〇年代にかけましてアメリカ全土にこの考え方が広がっていきます。  そして、御存じのように一九七六年にサンセット法という法律が登場いたします。コロラド州で登場した法律でございますけれども、政策あるいはプログラムには一定の寿命、ライフサイクルがあるということでございまして、ほうっておいたら五年なら五年の期間で自動的に終了する。もしこれを存続させたいのであれば、新しく法律でその事業の存続を決める、法律をつくるということでございます。その存続を決定するメカニズムの一つとしてこのプログラム評価を入れたということでございます。一時期、七〇年代我が国でもこれはかなり注目された強力な行政統制手法でございました。  ところが、これが七〇年代後半から八〇年代にかけまして行政責任追及という方向が若干変わってまいります。一番大きな理由は、アメリカ、イギリスそして先進資本主義国家全体で問題になりました財政赤字でございました。先進資本主義国家はどこの国でも財政赤字の解消というのが政府の第一の目標になりまして、このプログラム評価というものを財政赤字を解消する、政府活動を見直す手段として使えないのか、その場合、議会ではなくて行政の現場でそれができないかというふうないわゆるマネジメントの手法としてこれが脚光を浴びてまいります。  アメリカ合衆国では、カットバックマネジメントという言葉が見直しの中で注目されましたし、イギリスは、サッチャーが登場しましてからバリュー・フォー・マネー、使った金に見合った価値があるのかどうかという監査、まあ評価でございますが、この一つの手法としてプログラムェバリュエーションが注目されてまいりました。  八〇年代の後半以降現在に至っては、このプログラムエバリュエーショソ、それ以前のマネジメントの手法あるいは行政責任の追及の手法とは若干趣を変えまして、議会の政策立案活動を支援する、こういう手法のために使うという動きがかなり強くなっております。  なぜ、こういう方向に行ったのかといいますと、一つは、このプログラムエバリュエーションという手法がかなり難しくて、しかも行政にとってはかなり厳し過ぎる追及の手段であると。それよりは、議会が新しく政策を立案するときにいろいろな過去の経験を学び、その経験からより効果的な政策プログラムをつくっていこう、こういう方向にむしろ使った方がいいんではないかというふうな動きが出てきたためでございます。  政策評価の方法でございますけれども、これはあくまでも前提としては情報公開が不可欠でございます。情報が隠されておれば、結局その評価をする材料がございません。したがって、国政調査権のような強力な手法がございますればかなり有効な手法になるのではないかと思っております。  先ほども言いましたが、これはあくまでも事後評価でございまして、事前に予測するものではございません。したがって、今現在実施している事業、あるいは終了した事業、さらには終了して五年ないし十年たった事業、こういったものに適用される、それによって政策情報をフィードバックしようということでございます。  評価の物差しといたしましては、目標の達成度でございます。別な言葉で言いますと、有効性と言われる物差してございますが、節約とか能率、場合によっては効率という言葉でよく呼ばれますけれども、これとはまたいささか次元が異なっております。つまり、節約して能率的に事業が行われても、政府の目標あるいは政策目標が達成されていない、こういう場合もございますので、節約あるいは効率、能率よりはちょっと次元の高い有効性という、あるいは目標達成度というものを設定して、それで判断するということになっております。  そこで重要なのは、政策目標を明確化しておく、あるいは具体化しておく。英語で言えば、オペレーショナライゼーツヨンという言葉でよく言われますけれども、できる限り数値で客観的にわかるような目標を設定しなければならないとされておるわけです。  具体的な方法といたしましては、定量的な方法と定性的な方法、二つございます。定量的な方法といいますのは、これは金額とかあるいは数値ではかれるものでございますが、政府の活動、行政活動は必ずしもこういうものだけではございませんで、例えば、教育効果とか個人の満足度とかいうふうな目標を持つ政策もございますので、これについてはここで挙げておりますような主に社会学で発展してきた手法を使っております。  この政策評価の可能性、我が国でどの程度これが定着てきるのかどうかということでございますが、まず第一に重要なことは、政策評価というのは政策目標にかかわることが避けられませんので、立法部主導型が望ましいのではないかというふうに私は考えております。  逆に、例えば行政監察とか会計検査、これは行政府あるいは会計検査院等であり、そこに立ち入るというのはこれはなかなか難しいので、この政策評価がこれらの行政監察会計検査でやれるかどうかというのは若干の疑問がございます。あくまでも政治的な正統性、つまり国民から選挙で選ばれました国会、議会がやるのが本筋ではないかというふうに考えております。  具体的に、今の日本の国会でこの政策評価をどういうふうに結びつけていくか、ここに七つぐらい挙げております。  国民からの請願とか陳情を受けて政策評価をやる、これは私はかなり危険ではないかというふうに考えております。というのは、一つは非常に細かい議論に終始してしまう可能性がございまして、言葉は悪いのでございますが、どぶ板的な事業、こういったものまでも国会の場で評価をしてよろしいのかどうかという疑問を持っております。あるいはまた逆に、下手をすると政争の具になってしまう可能性があるのではないか、こういうふうにも考えております。  それから、予算編成と組み合わせる、これはかなり有望ではないかと思っております。過去いろいろ政策をやってきて、あるいは事業を展開してきて、その中から得られた評価情報、政策情報を新しくつくる政策の中に生かしていくことができるのではないか、こういう見方もございます。さらには、決算審議の中で生かす、こういうことも考えられてよいのではないかと思っています。  また、各委員会で行われます行政監視の手法、いろいろございますんでしょうけれども、アメリカの連邦議会がプログラムェバリュエーション、プログラム評価を使うというのは、主に委員会の行政監視の手段として使われておりましたので、ひょっとして我が国でもこれは検討材料として取り上げられたらおもしろいのではないかと考えております。  それから、国政調査権でございますが、これは政策評価にとっては情報を獲得する非常に有力な手段になるのではないかと思っております。  さて、この委員会の一つのテーマでありますオンブズマンでございますが、このオンブズマンシステムを国会に入れまして、これを政策評価と結びつけるというのは、先ほどの請願、陳情の部分と若干重なりましてかなり難しいような気がしております。ここで可能性があるとすれば、政策評価というものの合理的で客観的な手法が確立して、しかもそれが国民的に合意がなされておればある程度は可能性があるというふうに考えております。  さて、最後にサンセット法でございます。  私、実はこれはかなり有望ではないかと思っております。つまり、政策を終結させるメカニズムとして政策評価がかなり有効な手法ではないかと思っておりますが、ただしこれは議会といいますか、立法府にその気がなければ全く不可能でございます。  さて、結論といたしまして、この政策評価という手法でございますが、私自身ずっと研究してまいりましたが、我が国で取り入れるのはかなり難しいのではないかというのが結論でございます。  一つは、スタッフ不足でございます。アメリカは、メーンは会計検査院がこの政策評価、プログラムエバリュエーションを行っておりますが、御存じのようにアメリカ会計検査院は五千人以上の職員、スタッフを抱えております。その中のかなり多くの部分、半分以上が行政学、政治学あるいは経済学、経営学の修士号もしくは博士号を持った専門家でございます。それが果たして我が国で可能であるのかどうか、こういうことが一つ考えられると思います。  もう一つ、先ほどこのお話の初めでも申し上げましたが、評価というものについて合意がございません。アメリカ評価に関しては学会がございます。実務家、専門家のプロフェッショナライゼーションといいますか、専門職としてかなり社会的に認知されております。日本がそこまで進むのかどうか、これは難しいのではないかと思っております。下手をすれば行政監察の上に似たようなものを重ねてしまう、いわゆる屋上屋を架してしまうおそれがあるのではないかというふうに考えております。  ただし、逆説的に言いますと、この二つのポイントをクリアすれば我が国でもかなりこの政策評価は有望であると思いますし、また実際に政府開発援助を中心として取り入れる傾向がございます。そういう意味では、物によっては政策評価は可能ではないかというふうに考えております。  以上、細かな議論になってしまいましたが、私の発言を終わらせていただきます。
  11. 井上孝

    会長井上孝君) ありがとうございました。  次に、鎌田参考人にお願いいたします。鎌田参考人
  12. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 鎌田でございます。国権の最高機関でございます国会へお招きをいただき、意見を述べさせていただくことを大変光栄に感じている次第であります。  私は、初めに行政相談業務が始まってきた経緯などについて若干触れておきたいと思います。  ただいまの総務庁の前身であります行政管理庁の中に要綱を定めまして、行政相談の仕事を始めたのは昭和三十年になるようでございます。  というのは、このころ行政監察をいたしておりますと、監察の中で出てまいります国民の中にあるいろいろな苦情、そういうものを評価してみるなり、あるいはいろいろと分析してみるというような必要性が生じてきたからでございます。  そして、この運用をしている間に、国会の先生方の御意見も随分入ってきておったようであります。選挙区にお帰りになった先生方が選挙区の中で国民苦情をお聞きになって、それをどんな形で処理をしたらというようなお考えもあったようでございまして、そういう先生方のお考えがやがて昭和三十五年に行政監察局の中に行政相談業務として法改正をして位置づけをしていくということになってくるわけでありますが、このころの経過を眺めてみますと、自民党、社会党、そして民社党というような三党の合意で行われているということであります。  それから、あの当時のいろいろな議事録なんか拝見いたしておりますと、むしろ国会の先生方からの強いお声がかりがあって、行政サイドでまたこの研究をするという形で行政管理庁設置法の一部改正が行われた。そして、その翌年に行政苦情相談協力委員という、ただいまの行政相談委員の前身になるような制度が出てくるわけでありますが、この名前、ちょっと少し長たらしくてややこしいということから、ただいまの行政相談委員という名前に変わりまして、そして動き始めたのが昭和三十七年であります。これは、この当時は訓令で行われていたわけであります。  これに至ります前に、例えば衆議院の議長をなさいました福田一先生やあるいは社会党の石橋先生などが広島に参りまして、広島の監察局などを国政調査権の立場でお調べになった上で、これはひとつ行政相談委員制度行政相談制度とともにもう少し充実していく必要があるんじゃないのかということで、結局昭和四十一年の行政相談委員法の制定という形になってくる次第であります。  このころを考えてみますと、昭和三十五年というと、例の岸内閣の安保騒動からやがて池田内閣の高度経済成長政策に移り変わっていく時代。昭和二十七年の占領が解放された後の日本的な行政制度をいろいろな形でもう一遍見直さなければならないという時代の要請の中で、私は行政相談制度というものも同じように問題にされてきたんだという経過を感じている次第であります。  行政法の親と言われている有名なオットー・マイヤーの言葉の中に、憲法は変わっても行政法は変わらないという有名な言葉がございますけれども、むしろ憲法が変わったことによって、いわゆる機構的な憲法を見る議論から機能論的な憲法を見ていく時代に変わってくることによって、いろいろと日本的な古い制度の上にアメリカの占領下で新しくできてきた制度を見直していくというその時代的な要請の中で出てきた問題だったというふうに感じている次第であります。  こちらにお招きいただきましてちょっと古いあれを調べてみますと、行政相談委員法が参議院で先議されてつくられているということ。そして、この法律をつくるについて先生方の大変強い御要望があってできてきたんだという経過を考えてみて、きょうこうして私がこちらにお呼びをいただきまして意見を述べさせていただくということは、どうも何か因縁じみた思いを感じながら古い記録を読んでおった次第であります。  そういう歴史的なことはさておきまして、行政相談制度が法制化されまして、自来ほぼ三十五年の歴史を経過するわけでありますが、行政苦情を申し出る国民に最も身近な窓口として既に定着し始めているというふうに考えます。  行政相談委員は、行政相談委員法に基づきまして、社会的な信望のある、あるいは行政運営の改善に理解と熱意を持っている者に総務庁長官が委嘱するというふうに法律で定められているわけであります。この委員の数は、最初は八百八十二人から出発するわけでありますが、その後法が改正されまして増員され、そして、昭和四十八年だったと思いますが、福田先生が行政管理庁長官をおやりになったころにまた増員されという形で現在五千人を超える行政相談委員全国の市町村津々浦々に、各市町村では必ず一人、そして人口が五万人を超えるところについてはさらに一名追加するという形で約五千人の委員さんが委嘱を受けて活動しているということであります。  仕事について、大変手前みそになりますが、社会的な信望、行政運営の改善に理解と熱意のあるこういう方々は、役所の担当者ではなくて民間人による解決をしているということ、苦情を民間人として聞いているというところに大きな意味があるかと思います。そして、市民と行政との間に立って橋渡しの役割、潤滑油の役割行政というのはどんどん変化しております。社会が変化しておりますし、その変化についていき切れないいろいろな問題が起こってまいります。空白の行政などが出てまいりますと、その穴埋めという言い方は妥当でないかもしれませんが、これをどういうふうに補完するかという、粗い行政の目を詰めるというような役割を極めてきめ細かに丹念に拾っていくということの上で大きな役割を果たしてきているかと思います。  仕事の内容を眺めてみますと、私よく地方へ出てまいりますが、それぞれの地方によって随分と事案に対するアクセスの仕方が違ってきているということを感ずるわけであります。私は港区に住んでおりますが、東京の都心地と地方の農山村など随分違ってきているということを感ずるわけであります。  いずれにしましても、私どもの制度が、その行政を行った、あるいは国民に不満を与えたその役所に苦情を申し出るのじゃなくて、総務庁という第三者的な立場で直接権限を行使しない役所の中に置かれている委員制度であり相談の制度でありというふうな形が非常に大きな意味を持っている、言うなれば公平な第三者的な立場でということであります。  先ほど片岡先生のお話の中にフランスのメディアトゥールのお話がありましたが、メディアトゥールの制度をフランスが導入するときに書かれた文書を読んでみますと、法典を閉じて心を開けという言葉があるのを見まして私は非常に感銘したわけであります。日本という社会では、こう言うと差しさわりがあるかと思いますが、国民は余り法律が好きじゃない。裁判なんかやるという、諸外国に見られる訴訟国家のようなああいう公の場所に行って裁判をするというようなことに対して余りなじまない国民性がございます。そういう意味で、国民の身近な人が相談相手になるという意味行政相談という言葉を使って、御相談を受けますよ、どうぞ来てくださいという形が非常に私は機能しているんじゃないかというふうに思います。  それからまた、いろいろな多数の機関にまたがる行政問題が非常に起こってきております。こういう複雑になってくればなってくるほど、各省共管事項と申しますか、いろいろな多数の役所にまたがる問題などはどこへ話を持っていったらいいのかというようなことで国民が悩むときに、総務庁という総合調整官庁の中に置かれている機関であることの機能があるんじゃないかというふうに私は思います。  あるいは、昨年の暮れ、私、九州へ参りまして九州の先生とお話ししているときに、宇都宮であった事案で、その苦情を申し入れした人が九州へ引っ越してしまった。これは外国人労働者の問題でありますけれども、そういうときに委員さん同士がダイレクトに電話で連絡をとり合ったりなんかして事案の解決をしているのを見ますと、まさに全国ネットワークを持っている総務庁という役所の行政監察事務所とタイアップした形の委員制度が本当に生かされている形かなというふうに感じております。  さらに、実は国民が私どものところへものを持ってくるときに、民事事件と刑事事件の区別さえつかない、国の行政と地方の行政だといいましてもなかなかそう簡単に区別がつかない。それから、目先においては一見民事事件のように思われる事案であっても、一歩中へ踏み込んでみますと背後にいろいろな行政問題が絡んでいるという場合もたくさんございますので、そういう意味で、そういう情報をとって自分たちで解決つかない問題を総務庁行政監察局、各地方事務所もございますが、こういうところへ持ち込んで解決していただくという制度が、私は手前みそながら非常に日本的な制度として定着しているんじゃないかというふうに思います。  それから、最近委員の活動は定例相談とか自宅で受け付ける相談、あるいは各委員さんとの連携等々いろんなことがございます。例えば私などは港区に籍があるのでありますが、港区役所に毎月出ていきまして、そこで相談を受け付けているというようなことでありまして、地方公共団体との間でこれからどう関連づけていくかということなども大きな問題の一つだと思います。  それから、実は一昨年の六月に私ども全国政相談委員連合議会総務庁の十周年と協賛、共同で、実は私どもも一生懸命浄財を委員の中から集めたりして費用を捻出して行ったわけでありますが、世界から九カ国のオンブズマン、イギリス、カナダ、オーストリー、フランス、中国、韓国というような国から日本にお越しいただきましてシンポジウムを開いたり、あるいは懇談会をしてみたり、その折には片岡先生にもいろいろ座長の役割をお果たしいただいたりしたわけであります。  日本制度に対して、先ほど御説明の中にもありましたように、アメリカのコロンビア大学のウォルター・ゲルホン教授、去年の暮れ亡くなられましたが、大変日本行政相談制度に深い関心と理解を示された方、あるいはカナダのカナダ大学のローアット教授とかいろいろな方の文献が既にオンブズマンの中で協会を通じて読まれていたわけでありますが、現実に日本にやってまいりまして日本の実情などを見た人たちが非常に深い感銘を得たというようなことをおっしゃってくださっております。  そんなこんなで一昨年の十月に私、ニュージーランドで開かれましたアジア太平洋・オーストラリア・オンブズマン会議がございまして、そこへ出席させていただいて、御質問いただいたことについてお答えしたりしておったわけであります。その流れの中で、昨年の十月、香港でまた同じような会議が持たれてシンポジウムが行われまして、その席で私もパネラーの一人として意見発表をするというようなことをしておるわけであります。その席上で、去年タウポに日本の代表がやってきましてこういうことを言っておったけれども、それに基づいて今オーストラリアでは日本的な制度について考えておるというような御発言もあったということで非常に意を強うしたわけであります。  当時、この相談制度をつくってまいりますときに、我が国の風土に合った制度はどうしたらできるかということを行政管理庁の先輩の皆さんが非常に考えておられたということが古い記録を見てまいりますとよくわかります。  日本では、古いところを見ますと、私も自分で書いたものをいろいろなものに発表したりなんかしておりますが、既に大化の改新のころに国民苦情をどう処理したらいいのかというようなことが鐘匱の制などというようなもので既に制度化されていて、どんな事案をどうしたかというようなことが記録の中に残っている。そんな話を外国へ行っていたしますと、アメリカの代表など、建国してまだ二百年しかないわけですから目を丸くしたというふうなこともございました。こういうふうにいろいろ外からの評価をいただき始めているという意味で意を強うするわけであります。  総務庁の中にあります監察制度と相談の制度がお互いに連携し合っているというところに非常に大きな意味があると思います。そして、外国のようなオンブズマンという権威を持った存在でなくて、監察局と行政相談委員、そういうものの中で専門的な極めてややこしい法律的な問題なんかが起こってきたときには学識経験者をもう一遍集めまして、行政苦情救済推進会議というようなもので、これは各管区ごとにもございますし、総務庁本庁にもございますが、そういうところでまたこの問題をどう図っていくかというようなことを検討するという形で、オンブズマンシステムとして日本の場合は機能しているんじゃないかというふうに考えております。  今後、これをどうしていったらいいのかという問題については、いろいろな問題があっていいことばかりというわけにはいかないわけでありますけれども、行政というものがどんどん複雑化し、多様化していっているわけでありますが、行政が拡大するということについていろんな批判がありますけれども、これは行政が拡大する意欲で拡大していったのじゃなくて、やっぱり社会的なニーズの中でそういうものが拡大せざるを得なかった経過もあるわけでありますから、この行政を改革してよりよい二十一世紀の日本行政制度を確立していくと。  今までのような苦情処理の問題にしても、訴訟やあるいは訴願の制度で事務的な審査をしていくということでなくて、もっと安易なそして簡便な、こういう空白化していく行政の間を埋めていくということ、それはどうしたらいいのかと、次の時代にどうしたらいいのかと。これはやっぱり単なる思いつきやその場当たりのびほう策にとどまるものではなくて、本当に現行制度の運用の中から問題点をきちっと整理して取り上げて、いわゆる民主主義の原点に立ち返った国民からの気持ちというものを通じて客観的、中立的な監査による洗い出し、その蓄積の上に的確で有効な改革に続けていくという地道な努力が必要なんじゃないか。急ぎ過ぎる行政というのは国民を不幸にしてしまいますから、やはり一歩一歩積み上げていかなきゃいけないんじゃないか。  そういう意味で、国民の声を聞く制度一つとして私どもの持っております行政相談委員制度というものの果たす将来の役割というものをいつも考えながらいるというのが私のただいまの立場でございます。  大変まとまりが悪うございましたけれども、何か御質問がありましたらまた後刻に譲るといたしまして、ひとまずここで務めを果たさせていただきます。  ありがとうございました。
  13. 井上孝

    会長井上孝君) ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の陳述を終わります。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  14. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 自由民主党の矢野哲朗でございます。片岡先生、山谷先生、鎌田先生、大変貴重か御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。  くしくもけさの朝刊でこの調査会を取り上げていただきまして、これからが本番ですと。きよう三人の参考人を招いて意見交換をしますと、調査を本格化させ、中身のある改革案を取りまとめ具体化できるかどうか期待しますよと、こういうふうな話であります。  私ども自民党としましても、昨年の参議院の選挙の折、参議院独自の立場から、総務庁行政監察とは別に行政に対する不平不満を取り扱う専門委員会及び議会オンブズマンを長とする専門組織スタッフを創設する、このことを公約としてうたわせていただきました。加えて、今回の橋本政権を支える自民党、社会民主党、新党さきがけ、この三党でもって、国会の国政調査行政監視機能の充実のため、附属機関などの組織制度の改革案を早急に取りまとめる、こういうふうなことを三党合意しておるわけであります。  ですから、まさに今回のいろんな事件が巻き起こっている中で、我々国会、立法府として道を間違えないように指導できなかったかなと反省も踏んまえながら、もうすぐ二十一世紀、五年後に迎えるわけでありますけれども、国民そして我が国が安心して迎えられるように導くのが我々議員としての使命だと、改めてこの責任を重く感じるわけでありますけれども、きょう御三方の先生の御意見を今後も十分この調査会に生かしていこうというふうに考えております。  まず、片岡先生に質問させていただきます。  平成六年、行政手続法が制定されました。このことはまず法治主義の徹底、そして行政スタイルの変革、行政の国際化に対しての対応、こういうような観点から明治以来の行政のあり方を根本的に変えようじゃないか、こういうふうなことだと思うのでありますけれども、まさに公正、透明なルールによる行政運営の実現を強く求められている昨今だと。  その一方で、公正性、妥当性を裏づけるものとして、国民行政に対する苦情を簡易、迅速に処理して、行政制度、運営の改善に反映することによって公正な、そして国民に信頼される行政を実現していくんだ、このことが急務だと考えるわけでありまして、まず冒頭、大変巨大化してしまった今の行政、そこに抱える問題点、先生の御意見をちょうだいしたいと思います。
  15. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) どうもありがとうございます。  今の御質問にどのようにお答えしてよろしいのか若干戸惑いますけれども、まず平成六年に制定されました行政手続法が、その時点におきましては、これが制定されれば行政のあり方が抜本的に変わるのではないかというふうな予測もあったわけでございます。そして、その実施状況につきましては、昨年の十月でしたでしょうか、報告書総務庁の方から出ております。ある程度それに対応する整備は済んで、すなわち、例えば許認可等の申請がございましたらどのような基準でそれを処理するのかという基準を明確に事前に示すということ、あるいはその審査をする期間を明確に設定しておくということの目標はある程度達成されているようでございますけれども、これはあくまでも個別事案の処理の手続でございまして、行政の施策という問題についての踏み込みは、これは行政手続法ではあり得ないことでございます。  したがいまして、今回のような事件、二信組問題、そして何ですか、(「住専」と呼ぶ者あり)難しい問題がございますけれども、こういう問題は高度に政策判断を伴った問題でございまして、本来これはやはり国会の国政調査権というものを用いてなされる以外、外部からとやかく言うことは非常に難しい、特に一般国民の立場からそのあり方について論じることは難しい。それから、行政監察でこの問題に踏み込むこともこれはできないというふうに思います。  行政監察は、先ほど私が申し上げました観点からすれば、これは主として制度的ということでございまして、その制度の前提の中でどういう政策判断が行われるかということにつきましては、むしろ触れることができない問題でございます。これはやはり監察というものの一つ制約というのがおのずからあるわけでございまして、監察が政策問題に踏み込みます場合に、逆に二重行政という結果が招来するおそれもございますので、そこは恐らく監察局におきましてもきちっと一線を引いてやられていると思うわけでございます。  したがいまして、これを監察の角度ないしはオンブズマン類似制度があればこれが解決されたというふうには私は思っておりません。私が申し上げましたように、オンブズマン制度は政策問題にはタッチしないと。フィンランドの場合、内閣が政策をつくりますと必ずそれをオンブズマンに見せまして、それから最終的決定に持っていくという特殊事情がございますけれども、その他の国でオンブズマンというのは、通常原則として内閣は対象外に置くということでございますので、オンブズマンを通じましてこういう問題を処理するということは私はできないことであるというふうに思っております。  できないことをできるように考えるのは非常に大きな禍根を将来に残す。むしろ、その点をきちっと整理して、オンブズマンのなし得ることとなし得ないこと、行政監察のなし得ることとなし得ないことということを私はきちっと踏まえておかなければならないというふうに思っております。ところで、昨今の行政が非常に大きくなってきたということは事実でございます。これは意図的であるか意図的でないかは別といたしまして、累積的に行政の規模が拡大してきた。私どもは決して大きな政府というものをだれも望んでいない。しかし、そうかといって小さな政府にもかえることができませんで、小さな政府というのは、ある意味では絶対主義に対する市民社会の戦いの中でスローガンとして掲げられたものでございまして、これはまだ農村的な社会というものを前提としてつくられた理論で、自立自足の生活が可能であった時代でございます。  今日のように人間の相互依存性というものが増大している社会におきましては、その相互依存を規制するものがなければならぬ、それがすなわち政府でございます。政府の役割はどんなにこれか抑制いたしましても残るものがあるわけでございまして、せいぜい私どもが求めることができるのは中ぐらいの政府であるというふうに思っております。この行政機能の増大に伴いまして行政機関が肥大化したというのは現実でございます。  そこで、ちょっとひとつ参考になるかと思われる意見を申し述べたいと思うんですが、実は今ドイツで遷都が行われております。ボンからベルリンヘということでございますが、その遷都の方式は分都という形でございます。すなわち、議会のうち連邦議会と申します日本で衆議院に相当するものはベルリンに行きますけれども、連邦参謀院、これは日本の参議院とは性格が違いますが、これは州政府の代表者によって構成されているものでございまして、ボンに残るということでございます。それに伴いまして、行政機関もベルリンに行くものとボンに残すもの、これを二つに分けております。  そういう形で分都するということでございますが、しかし、政府というのは一カ所になければ有効に機能し得ない。政府というのはもともと一つであることが政府ということの意味なんです。ですから、恐らくこれは機能しないであろう。長期的にはやっぱりどうしてもベルリンに全部引かれていくであろうというふうに学者の間では予測されている。  しかし、その場合、有効に分都をするにはどうしたらいいか。と申しますのは、行政権というのは連邦に帰属いたしませんで、州に帰属いたしております。連邦には立法権はあります。したがって、その立法のための行政機関というのはありますが、実施機関というのは基本法に特例を定めた以外は全部州に帰属する。そういう意味で、ドイツの行政機関日本に比べるとはるかに小さいのでございますけれども、さらにそれを小さくしてベルリンに移すということが検討されているわけです。  これはどういうことかと申しますと、実施機能というものと企画立案機能というものを分離いたしまして、実施機能は行政機関の外に出す。これは日本で言いますれば特殊法人、日本は今特殊法人の数を減らすことが目標になっておりますけれども、実はこれからどんどんと特殊法人に権限を移していこうというのがドイツの学者が考えている構想でございます。事実、これはスウェーデンにおける行政機関というのは既にそういう形で成り立っておりまして、スウェーデンにおける省というのは百人か二百人のごく少数のスタッフによって構成され、その下に合議制の行政機関というものが多数ぶら下がっているという形で、実施機能と企画立案機能というものが分離されております。  実はイギリスにおきましても現在こういう方向で事が進んでおりまして、イギリスの省庁の機能というものを独立機関ないしは民間に近い機関に移譲いたしまして、中央政府の省庁は実施機能を持たない、企画立案機能に限定するという方向に向かっているわけでございます。  日本では、大蔵省をめぐりまして金融庁を独立させる云々ということがございますけれども、これは一つには、やはり経済的な規制というものは緩和しなければならない、そして実施に関するものは独立機関に移していくのがむしろ世界の潮流でございまして、独立の金融庁というものをつくるということが問題の解決ではないというふうに私は理解いたしております。
  16. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 多岐にわたっての御説明ありがとうございました。  特にこの調査会、今までは総務庁行政監察というふうな立場と、それから行政がスムーズに実際行われているかどうか、その結果、どういう評価が行われ、またそれが企画立案にどうフィードバックされるか、その辺を今までこの調査会では意見聴取、そして質疑応答というふうなことでやってきたと思うのであります。  ですから、その点でもう一つ先生にお伺いしたいのは、そこまで大変巨大化してしまった一つ行政組織があろうと、反面、総務庁にはそういった巨大化の中で総合管理機能をやっぱり発揮してもらって統制をしてもらうというふうな役割の道はあるのかなと。その辺での総務庁としての機能が十分に発揮されるものかどうなのか。加えまして、監察機能も含めてその辺の機能ということ。また、この間の話ですと、隗から始めよということで身を切ってまでリストラをやっています、物理的な限界もありますよというふうなお話もお伺いしました。  ですから、片やそういうふうな制約がある中で、またそれだけ巨大化した各般にわたる行政の展開の中で総合管理機能、それが十分発揮されているのかな、加えて行政監察が十分機能しているのかな、その辺の先生の御意見をちょうだいしたいと思うのであります。
  17. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) それでは、まず総務庁の調整機能について述べさせていただきたいと思います。  総務庁の英訳、日本語では総務庁と申しますけれども、英訳はマネジメント・アンド・コーディネーション・エージェンシーというふうに申します。したがって、調整機関であることは言うまでもないわけでございますけれども、しかし総務庁はもろもろの行政機関一つでございます。縦割りの行政機関一つでございます。  縦割りの行政機関一つのものが他の行政機関に対しまして強力なリーダーシップを発揮するということは極めて難しいものでございまして、今の立場、すなわち総理府の外局としての総務庁の立場におきましては、積極的な総合調整、例えば事前に目標を設定して、それに従って各省庁のプログラムをつくる、そのイニシアチブをとるということは不可能であります。これはむしろ内閣官房、総理大臣のところに設けられるべきスタッフというものを通じてやられるべき総合調整であるわけでございます。  総務庁が行っておりますのはもっと地道な総合調整でございまして、一つは先ほどから問題になっております行政監察についての総合調整。確かにこれは大変実効性が上がっているわけでございまして、これをなくしますとほかのものをもって代替することは極めて難しいというふうに思うわけでございます。  それからもう一つ総務庁は定員、組織の査定というものを通じまして、これは管理局の方でございますけれども、それを通じまして総合調整というものをやっております。特にこれは予算に連動いたしまして、予算の事前手続といたしまして各省庁から出てまいります定員、そして組織の査定をいたします。そういうものを通じて極めて重要な役割を担っているわけでございまして、組織とか定員というものを一つの省庁が他の省庁に対して監督するという形でこれを審査するというところは恐らく世界でそう余りないというふうに思っておるわけでございます。  これはヨーロッパ諸国ですと組織権というのが各省庁の中にございまして、よそから介入するのが難しいという問題があります。アメリカでは行政管理予算局が若干そのような役割を果たしておりますけれども、しかし予算に連動して、その事前手続として審査を行うということはございません。  そういう形での機能というのは十分果たしている、そういう意味での総合調整というのは非常に果たしているわけですけれども、本来、我々が今必要としている総合調整というのは、政府の一つの基本的な政策に基づきまして各省庁がそれに合致した政策をつくっていくという意味におけるポジティブな意味の総合調整でございまして、これは私は総務庁に期待することは難しい、総務庁の本来の役割ではないというふうに理解いたしておるわけでございます。
  18. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 それから行政監察が十分に機能しているのかどうか。
  19. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) これは私が先ほど申し上げましたように極めて有効に行政監察は機能しているというふうに思っております。  しかし、監察の結果というのは、あくまでもそれに応じるかどうかはその勧告を受けた省庁の裁量の問題ということになってまいります。これはやはり二重行政、二つの行政が同時に行われないということを保障するためにはどうしてもそうならざるを得ないのでございます。したがって、そういう意味で若干問題が残る。ただし、行政監察局は勧告して、その勧告に対する対応がなされたかという事実を報告するということを通じまして暗に強制力を持っているということですね。  実は、オンブズマンも個別な事案を解決していくと同時に、その解決した問題を公表する、年次報告書をまとめて報告するということがオンブズマンの機能を担保する重要な役割を果たしておりますけれども、総務庁行政監察におきましても監察結果を公表いたしておる。私にも年間二十本を超える監察報告書というのが渡されてまいります。それが今度は省庁で、勧告されたところでそれに対応する措置がとられたかどうかということは、総務庁の年次報告という形できちっと報告いたしておりますので、そういう形での担保の仕方しかないということでございます。しかし、やはり先ほどから申しております二重行政の弊を避けるということからいえばそれが総務庁においてとり得る最善の策ではないかと。  監察の範囲、テーマということでございますけれども、一昨年は年間十七本、昨年は二十本ということでございますが、これはかなり広範に社会的な問題をもはらみ得る領域というものをカバーいたしております。しかし、残念なことに、私が承知している限りにおきましては警察の問題とかそれから金融に関する問題これは過去余り取り上げられたことがないように私は存じております。そういった問題においてさらに改善すべきことはあろうかと思いますけれども、かなり重要な役割を私は実際に果たしているというふうに判断いたしております。
  20. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 もう一点お伺いします。  行政監察が非常に有機的に機能しているというようなお話であります。行政監察と行革がリンケージしていいと思うのでありますけれども、その辺で行政監察が行革にどれだけ影響を及ぼしているか、こう考えるとなかなかいい答えが返ってまいりません。ですから、大変行政監察が機能しているんだという中でどういうふうな行革との絡み合い、逆に言えば実効ある行革を展開させるためには行政監察はどうあるべし、その辺の御意見もちょうだいしたいと思います。
  21. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 実は行政改革を推進する立場は行政監察局にはございませんで、行政改革の主要な部分というのは、総務庁でやるとすれば主として行政管理局の方の役割になります。行政管理局です。監察局ではございません。例えば省庁の再編成とかというのは、組織について査定する権限を持っております管理局の機能でございます。  要するに、総務庁は縦割りの組織一つでありますから、自分と同列にある他の省庁と協議した上でなければ一切の行政改革というのは推進できないことになります。相手がオーケーしたものについてだけですね。  ですから、規制緩和につきましても、規制緩和はしたしたと申しますけれども、実は規制緩和が叫ばれた第二臨調が発足した時点よりも今日では規制の数はふえているわけです。これは社会が複雑になっておりますから仕方がない面もあります。まず、規制緩和の実施状況を数だけで数えるのが問題であるというふうに私は思っております。  むしろ、国民生活の中にどれだけ政府の影が浸透しているかどうかということをレントゲンで透写するように写した上で、これはここまで下げていきましようということをしなければ私は本当の意味での規制緩和はできないというように思います。総務庁が行っておりますのは、相手の省庁に対しましてこれだけの規制緩和をしてくださいという呼びかけをしまして、相手から、それじゃこれだけ出しましようというその数を計算することだけを今行っていらっしゃるというところに私は一つの限界があるというふうに思います。  しかし、これは本当に規制緩和を推進しようとすれば、政府と社会とのかかわり、これを根本的に変えていかなければならないわけですから、これは一行政機関の問題ではなくて、やはり内閣ないしは国会においてイニシアチブがとられるべき問題であるというふうに私は理解いたしております。  行政監察局が果たし得る役割は、管理局と省庁との間で合意のできた事項がどれだけ実施されたかということを見る、これが監察局の行政改革に対しての役割でございまして、そういう意味では極めて限定的である、限られている。しかし、そういう形で実施状況についての情報を提供するという意味では、これはやはり何らかの役割を私は果たしているというふうに理解いたしております。  ただ、先ほどから申しておりますように、すべて数で出てくるということですね。例えば、省庁がポストをどれだけ減らしましたというふうな数、規制緩和をどれだけ減らしましたという数で問題が論議されている、ここに私は根本的な限界があるというふうに心得ております。
  22. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 ありがとうございました。  今質問させていただいたのは、十一月一日ですか、総務庁から監察局長の意見聴取をさせていただきましたが、そのときに、行政監察というのは行革実現を担うものだというふうなお話もありましたものですからあえてそういった質問をさせていただいたのであります。  同じような質問になると思いますが、山谷先生、この行政監察と行革がどのように絡み合ったら実効ある行革が展開できるのか、ちょっとその辺の御意見をちょうだいしたいと思うのであります。
  23. 山谷清志

    参考人山谷清志君) いわゆる行革の実施体制、実施をしてみた結果をフォローアップするという機能が行政監察局にはあると思うんです。それがどの程度実効性があるかということですけれども、前回もお話があったのかもしれませんが、何しろ行革の対象になっている問題が、例えば規制緩和にしても実は一万件ぐらいあったりするわけです。それをやっていくには現有の行政監察局のスタッフの数ではかなりハードな作業になるのではないかと思っております。  それからもう一つは、先ほど片岡先生からもお話がございましたように、例えば規制緩和一つをとりましても社会的にどのような効果があったかということをフォローする、これはかなり難しいのではないかと思います。ひょっとしたら五年、十年時間がかかるのかもしれませんし、またどの程度の範囲までインパクトを見るのかという技術的な問題、これも今の行政監察局の体制の中で行うというのはかなり難しいのではないかというふうに私は考えております。  以上です。
  24. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 そこで、行政監察局の勧告がありますよね。先生の論文の中に、「政策形成と行政官役割」ということで、勧告が無視されることは少ない、その最大の理由は勧告する前に相手方省庁と十分な協議を行い、受け入れやすい客観的合理性のある勧告になっている、こういうふうな言葉があるわけでありますけれども、この一連の手続の中で、当然のことながらいろんな勧告がある。できることできないこと。しからばできることを優先的に勧告をして改善してもらう、こういうような一連のあり方の一つの表現かと思うのであります。  ですから、先ほどからお話を聞いていまして、まさに同列のところをやっぱり監察しているんだということになりますと、おのずと限界があるのかなというようなことも感じざるを得ないわけであります。しからばそれに相対応するような形で、例えば議会オンブズマン、こういうふうな一つの提言が出てくると思うのであります。その辺での御意見をちょっとちょうだいしたいと思うのであります。
  25. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 例えば行政監察の場合に基本的な目標は何かといいますと、実際の行政活動をよりベターなものに改善するというこういろ目的があると思うんです。これがもし制裁を伴ったある種攻撃的なものでチェックしていくということになりますと、行政活動自体がかなり難しい、もしくは行政活動がスムーズに動かなくなるということもあり得るのかというふうなことを考えております。監察局がそういう方向ではないというふうに私は考えておりまして、つまり制裁か伴ったチェックではなくてむしろよりベターなものに改善すると。  それでは、その監察局にかわって議会オンブズマンという形で、もしきちんとしたコントロールあるいはかなりきついコントロールをしていくということであれば、恐らく今の監察局の体制に等しいぐらいの、同じぐらいの人数の組織をつぐらなければいけないのではないかというふうに考えておるわけです。その場合も行政監察局がやっているような手法とは若干違うような、先ほど利がちょっと御説明申し上げた政策評価であるかもしれませんし、また別の方法であるかもしれませんが、やはりチェック体制ということで考えるのであればかなり人数的にも専門的にも難しいものが必要になってくると思います。
  26. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 先ほど山谷先生お話しになりましたように、アメリカの例をとられて五千人ぐらいの専門官がいて徹底的にやりますよと。加えて評価基準が合意形成されていない、アメリカはされていると。だから、そういった意味でのこのプラン・ドゥー・シーというような一連の回転があるかなと、行政成果も評価される可能性が現実にあるんだと、こういうふうなお話がなされました。そして今のお話をいただきました。  そうすると、じゃ現実に日本の場合、今の状況において行政評価というものをどういうことで定めていったらいいのか。その結果、しからば、サンセット何とかとおっしゃいましたね、ああいうような一連の中心に置いた新たな政策も打ち出し、加えて、今回の一連の事件じゃないけれども、そういうような一つの事件を未然に例えばチェックするとか、そういうような機能をどうやって果たしていったらいいんでしょうかね。今、先生のお話を聞くと何か八方ふさがりのような感じになっちゃって、今のままじゃどうしようもないよと、こういうふうな感じが強くするのでありますけれども、その辺のちょっとお考えをお聞きしたいと思うんです。
  27. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 実は、私が頭の中でイメージしておりますのは、各担当省庁あるいは局か課のレベルぐらいまで担当している事業もしくは政策について、全部とは言いませんが、かなりの程度業績評価をやってもらう。そしてまた国会側ではその業績評価の内容を理解する専門のスタッフを置いてもらう。外務省の経済協力局が毎年出されている経済協力評価報告書というのがございますが、ああいった形で各省庁あるいは各局が出されたその報告書をもとに、国会側でもそれを見て、どの程度効果が上がっているか上がっていないのかという、こういう体制をつくっていったらいかがかと考えております。  そこで、重要なのは各省庁で評価報告書を書くスタッフと、書かれた報告書を見る国会側にいるスタッフが共通の専門的な知識を持っているということが不可欠であります。片一方だけ持っていて片一方が持っていないということがあればうそを書かれてもわからないわけですので、なるだけ共通の土台で共通の専門を背景にしたスタッフが各省庁の報告書を見ていく、これによって施策あるいは政策のチェック、もしくは効果があるのかないのか、これを調べていくことがかなり可能になるかというふうに考えております。
  28. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 今、ODAの評価ということをお話しされました。こんな分厚い報告書ですよね。そうすると、あれを読んでいるだけでも我々は一カ月ぐらいかかっちゃうでしょう。そうしますと、結果的にあの報告書はどれだけいいものをやったのかどうかということを我々チェックし切れないという現実があるわけです。しからば、今、スタッフを相当数抱えなさいと。しかし、スタッフを抱える限界もあります。  例えば、私なんかこのODAの展開を考えまして、ODAを展開する意思決定をしますよというときに、例えば国会もあわせてその意思決定に組み入るんだということになりますれば、事後のチェックじゃなくて事前にチェックができるわけですね。それでもってお互いの意思の中に共通な政策展開ができていくと、こういうふうな話になろうと思うのであります。反面、要するにODAは外務省の一つの事項だからということで結果だけしか我々に教えてくれない。  こういう中にもう少し改善点がないものかなということで、例えばODAの基本法をつくって、国会も連動しながらのひとつ政策展開をしていこうと言うと、外務省は嫌だと言うんですね。だから、その辺にどうも行政と国会の一つの大きな壁を感じざるを得ないんですよ。  ですから、今回の事件についても、国会しっかりしろや、もう少しチェック機能を働かせよと、一部こういう話もありますけれども、残念ながらそこまで踏み込めない現実もあるわけでありますね。だから、きょうはその辺、的確にこうしなさいというふうな、こうしたらいいんじゃないかというふうな御助言もいただきたいと思うのであります。  その件で、例えば議会オンブズマンをつくってこういうふうな機能をさせれば非常にいい結果が出るんじゃないのかというふうなところまで踏み込んだ御意見をちょうだいしたいと思うんです。
  29. 山谷清志

    参考人山谷清志君) かなり難しい問題でございまして、政策評価というのはかなり技術的な部分に属しまして、昨今起きているようなかなり大きな、もしくはかなり高度に政治的な問題については、これは意外に対象の範囲外になりまして難しいものでございます。  逆に言いますと、技術的であるからこそ行政と立法府の間で共通の土俵ができるということでありますので、そこのところは非常に、無理とは申し上げられませんですけれども、難しいのではないかというふうに考えております。
  30. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 また別の機会にいろいろ御相談させていただきますので、ひとつよろしくお願いしたいと思います。  それから、鎌田先生、まさに行政相談委員ということで、まず現場で本当に毎日御苦労さまでございます。先ほど宇都宮の話が出てまいりまして、ああ、そこまで細かく行政相談委員は連携をとりながらやってくれているのかなと。私、宇都宮出身なものですから、その話を聞きまして本当に敬意を申し上げるところであります。  大変相談件数も多く、二十万件ですか、先ほど話がございました。その相談を受けるだけの地域に根差した体制もでき上がっているというふうなことで、かなり実効が上がっているというふうに考えるわけであります。  例えば一例であります。今、一つの大きな流れとして地方自治の確立をしようと、こういうふうな流れがございます。しかし、残念ながら今予算から見ても、いろんな機関委任事務、団体委任事務、そういったことを一つ一つ見ても、地方自治といっても三割自治というふうな話があるぐらいでなかなか自治の確立がなされておりません。  そういった意味で、例えば、地方自治の確立をもっとしっかりしてほしい、今のままじゃだめなんじゃないかな、こんな行政相談を受けられたときに、要するに基本的な話になりますね、大きか話。そういうようなときにどんな対応をなされろのか、その辺でのちょっと御苦労話もお伺いしたいと思うんです。
  31. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 地方自治の確立と行政相談、先生の御質問に対してちょっとどういうふうにお答えしていいのか大変戸惑いますが、行政相談委員法の四条の中に、行政相談を受けた中で、いろいろと自分で知り得た知識、そういう本のの中から総務庁長官に対して意見を陳述することができる、意見を提報ずることができるというような規定ができております。  そういう意味で、個々の問題についてこういうことがこういうふうにありますが、これはどうしたらいいんでしようというような意見提報をされている。昨年度を見ますと、約三百幾つくらいの長官に対する四条意見というものが出ておりますけれども、そんなものが監察に組み込まれたり、いろいろな参考に供されているわけであります。それから、よく意見だけを見ていきますと、その苦情を申し出た人だけの問題になってしまいますが、同じような事案が、例えば一つの例を挙げますと、これは今の先生の御質問からちょっとかけ離れてしまいますけれども、ちょっとやくざ的な人たちが車のところにスモークガラスを張って、それが非常に怖いという意見があったんですね。これは実際、同じような問題が富山県の方でも苦情で出てきていた、あるいは北海道でも同じようなことがあったということで調べてみると、なるほどあちこちにあるからこれはこうしたらいいんじゃないのかということに結びついてきた。  私どもはお聞きした意見に対して、苦情を申し立てた人に対して助言をするということと、それから場合によってはそのことを関係行政機関の方に通知するということ、それから地方自治体に対しては連絡するという形で、特別にこうしろああしろということを申し上げる立場でございませんので、今先生のおっしゃるように自治の確立という点について、特にそういう苦情を受けているしいうものはちょっと気がつきません。  ただ、苦情申し立てをする方々、国民のサイドでは国の行政とそれから地方の行政とはどう違うんだと、どこからどこまであれで、機関委任事務はどれなんだ、固有事務はどういうことなんだということに対する認識がないということで、そういう意味では、その申し立ててきたことを私どもの判断で、これは自治体の問題だなというようなことは自治体に言ってさしあげるというようなこと、こういう事案がありますよと。そして各自治体の持っている、例えば宇都宮でございましたら宇都宮は市の中に広聴課というのがございますけれども、そういうところと非常に深い連携を持ってお話しするということ。  それから、私の担当地域は港区でございますけれども、港区の担当者との間の連絡的な会議を年に二度くらい持っている。あるいは区長さんと行政相談委員との懇談会というような形で御意見を申し上げている。ああそれはそうですね、こうですねということで処理されていることが非常に多うございます。  ちょっと先生の御質問から外れてしまったかもしれませんが、よろしゅうございましょうか。
  32. 矢野哲朗

    矢野哲朗君 最後になりますけれども、三先生にひとつお考えを聞かせていただきたいのでありますけれども、きょうの朝刊によりましても議会オンブズマンという、スーパーマンではないけれども、議会がそれなりに権威を持って行政に対してある程度の統制権を持ちなさいと、こういうような期待感のある其体的な結論を出すべきと、こういうことが一つの論旨だったと思うのであります。  そういった意味からして、オンブズマンに対してどのような権限を付与することが可能なのか、そしてあり方としていいあり方なのか、設置形態を含めて基本的なお考えを三先生にそれぞれお伺いしたいと存じます。お願いをいたします。
  33. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 私、先ほどの御議論をお聞きしておりました中で、常日ごろ考えておることで、国会というところは国の最高機関でありますから、そして議員の先生方国民から信託された、民主主義社会の原点であります投票を経て地位を得ていらっしゃるわけでありますから、それに基づいて国政調査権という、もうこれは極めて強力な権限を持っていらっしゃるのであって、この権限は、国会議員の機能というものはほかの者に譲り渡したりあるいは委任するということはできないんじゃないかと。  そういう意味で、我が国でいわゆる西欧型の議会オンブズマン制度をつくるとするならば、それは例えば議会の事務局の職員に議員の機能を任せちゃうということはできないわけですから、そういう意味では、私は憲法を改正して憲法の上に位置づけたものでないと議会オンブズマンというのは非常に難しいんじゃないかというふうに感じております。  それからもう一つ気になることは、議会先生方との間で直接の事案となるときもあるのでありますけれども、個々の苦情を処理するという仕事、苦情処理というのがオンブズマン制度の大きな役割であります。個々の苦情を処理するためには、個々のそれを扱った行政官と直接接触しなければならぬという問題が起こってまいります。  しかし、三権分立の我が国の建前でいきますと国会に対して内閣は連帯して責任を負うのであって、個々の行政官というのはやはり国家公務員法に基づく責任を負って仕事をしていくということであるとすれば、強い権限を持った別の機関、国会と個々のオンブズマンが個々の行政官と接触するということになるといろんな難しい問題が起こってきやしないかと、行政相談をしている立場でそういうふうに感じます。  そういう意味でもし国会に、きょうの朝日新聞のように「参院にオンブズマンを」と、いきなりずばっとこう言っちゃっているわけでありますが、こういうことをするならば、まず憲法を改正していただかなきゃ私は無理だというふうに感じます。ちょっとあれかもしれませんが、いろんな意味から見ていって。  それからまた、オンブズマン機能というものは非常に強力な権限を持たせてやっているとしても、例えば、素人が行政に対して勧告権を持つとか、あるいは行政の経験のない人に、行政に対してこうだああだと調査した結果の勧告権を持たせるとすれば、やっぱり行政のサイドから不信が出てくるようなことも危惧されるんじゃないか。  平素考えていることをちょっとまとまりつかなく申し上げましたけれども、そういう意味でむしろこの調査会においてその辺のところを、憲法との問題、三権分立の中でのオンブズマンの形、そういうようなものをもう少し掘り下げた御検討をいただけるとすれば、とにかく今の状態の中で、非常に行政が複雑化し、多様化し、拡大している中で、いろんな個々の事案を取り上げていきますと空白の問題、法律がないために問題が起こっているようなものもたくさんありますから、そういう意味では先生方国政調査権のあり方の御検討なども私は必要なんじゃないかと思います。  特に、ここに出てくる前に、私は事務局の調査室の皆さんから資料をちょうだいいたしまして、こんなにまでお調べになっていらっしゃるのか、私どものやっていることをこれほどまできちつと整理されていらっしゃるんだなと思って、私は実は敬服をしているわけです。  しかし、それを一つの機能として行使する場合には先生方がおやりになるわけでしょうけれども、この辺のところは余りそういうことをしちやっと昔のローマの護民官みたいな形になってしまってもこれは問題だなと。やっぱり我が国の風土に合った制度をどうやるか。外国でこうだかちとかということでなくて、日本的なもの。風土に合わない制度をつくっても利用されない、風土に合わない制度をつくっても生きてこないということもございますので、そういうふうに考えております。
  34. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 私考えますに、オンブズマンという言葉がいきなり出てきますものですから、社会的なインパクトといいますか、混乱といいますか、動揺といいますか、出てくるんだと思うんですね。別な言葉、名称で、またやり方も行政監察との関係をうまく折り合いをつけるような形ならば可能ではないかというふうに考えております。  具体的には、国政調査権をかなり積極的に活用されて、また諮問委員会のようなものでも国会に設置されるとか、あるいはそれなりの専門スタッフを常時設置されるとか。ただし、これはあくまでも国会の機能として行われるような形に持つていった方が社会的なインパクトとしては混乱が少なくて済むのではないかというふうに考えております。
  35. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 私、報告で申し上げましたとおり、オンブズマン制度日本に導入いたしましても既存の制度行政相談制度と何らかの関連性を持つことなしにはこれは余り有効に機能し得ない。  と申しますのは、やっぱり世界オンブズマンが今一番困っておりますことは、事案が大きくなりまして自分一人の活動としてすべての問題を処理することがますます困難になっているという事情があります。日本の場合には、全国五千四十六人の相談委員の方が窓口になって苦情を吸収していっているわけでございますから、非常に有効な機能を果たしているわけでございます。このシステムと全く別にオンブズマンというものを置きましても、日本の場合余り有効に機能し得ないのではなかろうか。  それでは、現在の制度に問題がないのかといいますと、決してそうではございません。例えば、ゲルホン教授も、日本は分権化されたオンブズマンであるけれども、その権限が余りにも矮小、小さいと。勧告ではなくてあっせんり権限しかないわけですね。監察には勧告権もありますけれども、相談にはあっせんという、要するに苦情を取り次ぐという役割しかない、そこに一つ欠点があるわけでございます。  もう一つ私が欠点と思いますのは、行政相談委員制度に連動いたしまして、それぞれの地方のレベル及び中央におきまして苦情救済推進会議というのが設けられておるわけでございますけれども、これは恐らく総務庁行政監察局長の私的諮問機関として設けられているというふうに私は理解いたして、あるいはちょっと最近変わったかもしれませんけれども、私はそのように今まで理解しておりました。とにかく、いずれいかなる根拠でそれが設置されようと、そのビジビリティーが出てきていない。そして、国民からそこにそういうものが存在するということがよく理解されていないという面があろうかと思います。  確かに行政相談委員はたくさんいますけれども、例えば私は私なりに自分の住んでいるところでそれじゃどなたが相談委員の方かなどということは存じませんし、これは鎌田先生にまことに申しわけございませんけれども、そういうビジビリティーの問題、目に見えないという問題がありますね。もうちょっとやはりその存在を大きくしていくということが大事であろうかと思うわけでございまして、これは決して議会がお持ちの国政調査権を代替し得るものではないわけです。  やはりオンブズマンというのはあくまでも地道に国民からの苦情を一件一件処理していく、それがオンブズマンの本来の機能でございまして、オンブズマンにはそのほかに職権による調査という権限がございます。これは必ずしも苦情によらないんだけれども、社会的な状況の中でこういうところに問題があるのではないかというふうに判断した場合、オンブズマンは職権で調査し得る権限がスウェーデンオンブズマンなどにあるわけですね。そういう権限は必要かと思いますけれども、しかしそれとて国政調査権に及ぶものではないというふうな理解を私は持っております。  議会に置かれましても、行政府に置かれましても、これは私は余りこだわらない。どちらでもよろしいと思いますけれども、しかし前にも申しましたように、大事なのはオンブズマンというもののビジビリティーをつけること、権威性を保つということ、人格性を保障するということ、そして独立性を保障するということですね。  議会に置かれましても、議会というのは党派によって構成されておりますので、ちょっと議会がコントロールするということになりますと、実はここで申し上げるのは非常に口はばかることでございますけれども、それはまた極めて困難な問題を呼び起こす可能性があるわけですね。これは議会に置いた場合におきましても、完全に独立的に機能し得る条件を保障していかなければならない。ましてや政争の具にすることがあってはならないわけでございまして、その点は十分御注意いただきたいというふうに思うわけであります。  以上でございます。
  36. 都築譲

    都築譲君 平成会の都築でございます。きょうは三人の参考人先生方には大変貴重な御意見を聞かせていただきまして、心から御礼を申し上げます。  去る十一月に、実は行政監察、そしてまた行政相談関係につきまして、この調査会行政監察局長以下たくさんの課長さんにお越しいただいていろいろ意見交換、質疑をさせていただいたわけでございます。きょうはまた参考人先生方から外から見た場合の行政監察なり、あるいは行政相談といったものについての考え方を聞かせていただいて、これからの調査会の議論に役立てていきたい、こういうことだろうと考えておるわけでございます。  連日、テレビ、新聞などをにぎわしております住専の不良債権の処理問題、こういったものを見ましても、実は十一月のときに、行政監察ということで入りやすいところだけ入って、入りにくいところには入っていないのではないか。例えば、金融問題とかいろんな問題、あるいは新聞の報道一つ取り上げても、実はこれは表現の自由と非常に密接に関連する問題でございますけれども、一つの記事が一人の人格を完全に抹殺しかねないような状況の中で、そういった分野はどうですかとか、こういったお話をさせていただいたわけでございます。行政監察局の方からの説明では、幾つか入っていない分野もあるけれども、相当広範にわたって監察などを行って、行政の適正な執行といった観点から活動している、こういうふうな御説明があったわけでございます。  私自身そのときにお聞きしたところで、実は参考人先生方からもお考えを聞きたいと思うわけでございますが、まず初めに片岡先生にお伺いをしたいと思います。  例えば、先生の御説明のペーパー、あるいは調査室の方で用意してくれました主要論文等で拝見いたしましても、内部監査外部監査関係があるわけでございまして、実は行政監察というのは政府部内ということであれば内部監査でございますけれども、それぞれ省庁が独立をしているという観点からは外部から見ると、こういうことでございました。  ただ、こういった二面性から来る矛盾と申しますか、あるいは困難性と申しますか、徹底的に中まで入っていけない。例えば調査をするに当たっても、それぞれの省が抱える行政の困難性といったものから、ここは困るというふうな議論があればなかなか入っていけない。また、特にプライバシーの保護ということで個別の施策の実施状況について資料を出せと言われたときに個別のものは出せない、こういう形の障壁などがございますし、実際に調査を取りまとめて監察結果として発表をする、あるいは勧告をするというときも、各省庁が受け入れやすいような形でしかまとめられないというふうな問題があろうかと思うわけでございます。そういった意味で、実は外であれば国民考え方、受けとめ方は違うんではないかと、こんな議論もあろうかと思うんですが、そういった面について片岡先生のちょっと御見解をお伺いしたいと思います。
  37. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 今仰せのとおりでございます。行政の内部にあるということが一つの限界になっているのではなかろうかという御指摘でございますけれども、逆に言えば行政の内部にあろことによってよりよく行政の内部を調査することができるという利点も実はあるわけでございまして、必ずしも一概に行政監察が外になければならないというふうには私は言えない。  行政監察は、あくまでも行政の中で行政の身”みずからただしていくための一つの鏡として存存するものであるというふうに私は思っておりまして、これを外部に置くということになりますと、監察の性格というものがおのずから性格を変えてまいります。これは会計検査のような形のものですね。これは合規性の統制といいますか、規則、ルールがありまして、そのルールに準拠して行われているかどうかということは外部から客観的にチェックすることができますけれども、行政部内の施策につきましてはやはり行政部内の者の方がよりよくタッチし得る立場にあるという面もあります。先生が指摘された面もありますけれども、指摘されなかった部分の中にそういう面もあるということで、若干含みおかれた方がよろしいのではないかというふうに私は思っております。  私は基本的には行政機関というものを、むしろこの際従来の考え方を捨てて全く新しい発想でつくり変える。企画と実施を分離いたしますと、実施の結果についての報告書を企画庁に提出いたしまして、その企画がそのまま実施されたかどうかということをチェックする新しい仕組みというものが、おのずからそこに組み込まれてくるのではないか。その場合に、議会がそれではどこまで関与していくかということは当然法律でもってお決めになられればよろしいことではないかというふうに私は思っております。
  38. 都築譲

    都築譲君 ありがとうございました。  今、片岡先生が御指摘になったように、議会がどこまで関与をしていくのかということで、これだけ行政が複雑化、多様化、そしてまた量的にも拡大をしてきている状況の中で、行政についての不満とかあるいは苦情とか、あるいは適正な執行の担保とか、こういった観点からこの調査会時代変化に対応した行政の監視のあり方ということでテーマを定めて議論をしていくということでございます。  まだまだ結論の方向が実は出ているわけではかくて、一部新聞が大分先走った議論をやっているのかもしれませんけれども、そういった意味議会がどういうふうな形でこれからの行政を、国権の最高機関としての国会でございますから、行政をどういうふうに監視をしていくのか、そして盲た国会みずからがどういう役割を果たすことができるのか、そういったことをこの調査会で大いに議論をしていくことになるわけでございます。  もう一つ片岡先生にお伺いをしたいと思いますのは、先生のきょうの御説明のペーパーの中にもございましたが、満足度の測定というふうなことがあるわけでございます。ただ、この満足度の測定といったものが、実はこれは行政の機能の行使としては規制的な側面とか、あるいはサービスの提供といった側面の二つに分かれるんでしょうが、先ほど申し上げましたように、実は私が今まで見ている限りでは行政監察がやりやすい部分については、サービスの提供部分については非常によく入っているんじゃないかというふうな気がしておりますが、規制的な側面についてはなかなか入り切らない。  先ほど警察行政お話がありましたし、金融行政の話もございましたけれども、実はこれは私もよく承知しておらないのですが、きのうもテレビでやっておりましたけれども、タクシーの同一地域同一運賃の話でございます。運輸省の指導で、例えばタクシーを増車したいという業者からの要望に、同一運賃を受け入れなければだめだというふうな実は行政指導が行われるとか、規制的な側面のところについてはなかなか難しい面もあるのかなという気がいたします。  実は、その規制的な側面のところが結果として、例えば今日の何兆円という不良債権を抱えて、それを国民の税金で処理しなければならないというふうな提案になってきているわけでございますから、そういった面について実は満足度といったもののそもそも定量化といったものもサービスの面での定量化といったものも難しいような気がいたしますし、問題として顕在化しない限り実はわからないというふうなところもあるわけでございます。  こういった面について、行政監察なりあるいはもし行政を監視する新しい仕組みができるとすれば何か、どういうふうなお考えがあるのか、ちょっと抽象的な質問で恐縮でございますが、お答えいただけますでしょうか。
  39. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) まず、行政監察が事務事業を単位として行われているということで、主として制度、仕組みを対象として監察しておるということは先ほども申し上げたとおりでございます。したがいまして、例えば規制というものがありましても、それがどういう形で行使されるかということにつきましてはなかなか及び得ないというのがこれまでの実例であったかと思います。私は、その点は先生が指摘されるとおりであったというふうに思っております。  警察行政につきましても、私は第一期の行政監察懇話会委員でございましたので、その当時、若干警察に不祥事がございましたので、監察をしたらというふうに申し上げましたけれども、警察は監察の対象外であるというお答えがその当時ございまして、その当時からそういうものは外している。  金融の場合は、これはまたもう一つ別な難しさがございまして、金利の動向でありますとかそういう問題に密接に結びついてまいりますものですから、なかなか立ち入れないという事情で、これまでは監察の対象には入っていなかったというふうに私は理解いたしております。  しかしながら、やはり行政監察というのは特定の事項に限定して行われるべきではなくて、政府が行っているすべての活動について行われるべきものであるわけでございますから、こういう点につきまして、私は御指摘のような形で行政監察のあり方というものも大いに変わっていくべきであるというふうに思っているわけでございます。  監察局が行います監察制度であると言いますのは、例えば投入要素、インプット要素というものについては十分把握していらっしゃるわけです。どれだけの人員がいてどういうサービスを行っているかということはよく把握していらっしゃるわけですが、その人員が働いた結果、社会的にどういうインパクトを及ぼしたかと、そのインパクトの把握というのが私はこれまた十分でないというふうに思っているわけでございます。  これは日本人特有の問題でもありまして、決して行政監察だけの問題ではない。日本人プロセスさえきちっと踏んでいれば、手続さえきちっとやっていれば結果はついてくるという信念を持っておりますから、結果そのものを把握するということが非常に難しい。御指摘のように、それではその満足度というものを計量する尺度はないのではないかというふうにおっしゃるわけでございます。  実は、これは大きなレベルで考える場合と個別事業について考える場合といろいろ異なってまいります。例えば、警察が何回パトロールに出動したか、これはインプット要素、警察の活動という投入要素をもって結果に代理させて判断するわけです、これだけよくやっていますよということ。大体総務庁行政監察特徴というのはここにとまっている。  問題はそうではなくて、そのパトロールが何回行われた結果、その地域の安全性がどれだけ高まってきたかということが実は問題なんです。測定する尺度というのは犯罪の発生率が減ったとかなんとかいろいろあるわけですけれども、しかしこれとて一種の代理変数でございまして、結果そのものを把握するわけではない。  しかし、我々はできるだけ結果そのものを把握し得るような状況を模索していかなければ、先ほど山谷先生がおっしゃった本当の意味での政策評価、私はむしろプログラム評価という言葉を使っておりますけれども、その目的が達成されない。  そこまでやはり日本人ももうちょっと考え方を、これは国民を含めまして発想を転換していかないといけないのではないかというふうに思っております。
  40. 都築譲

    都築譲君 ありがとうございました。  今、片岡先生が言われたところは、実は私も山谷先生にお聞きしようと、こういうふうに思っていたわけでございまして、インパクトの評価あろいは効果の評価ということで、政策評価の観点について山谷先生に少しお尋ねをしたい、こういうふうに思います。  先生のお話の中で、結論として政策評価はかかり難しいんではないか。スタッフ不足とかあるいは評価の基準と申しますか、アメリカの場合は評価の学会などがあってしっかりそういったものをやっている、こういうふうな御指摘があったわけでございます。  それで、私なりにちょっと考えてみますと、一つは、例えば今回の金融問題に見られるように、実はこれだけの大問題が起こって、だれも背任とか横領とかそういう罪で責任をまだとられていない。役所の人もだれ一人、昨年の暮れに事務次官がやめたケースもございましたけれども、責任をとっていない。こういうことでございまして、日本の場合は稟議制といいますか、たくさんの人が一つの決裁をとるのに判こをぺたぺたとついて、一つの物事が動き出すのに約二十個から三十個判こをつかないと何も決まらないという仕組みの中で非常に責任が分散化している。  分散化しているということは、実は職務権限が全然明確になっていない。雇用慣行と申しますか、職場の仕組みといったものがあるから、あいつが責任をとるんだったらおまえも責任をとれというふうなことになりかねないから、だれも責任論を言い出さないというふうなのが今日の事態を招いているんじゃないかなということがございます。ひとつその点。  それからもう一つの点は、日本人の大半のサラリーマンは源泉徴収ということで税を給与から天引きされているということで、税が重い重いと言いながら実は余り税金を払っている意識がない。タックスペイヤーとしての自覚を十分に持っていないから、政府が行っていることについて、まあ世の中これでうまく回っていればいいやというふうな意識がやっぱりあるんじゃないかということで、今、片岡先生が言われたように、日本人ももう少し考えるべきだというのは何かそんなところも示唆されているのかなというふうな気がするわけでございます。  ただ、これからの行政の近代化といったことか考えますと、例えばことしの予算でも、平成八年度予算案ということで政府が提案しておりますのは、二十一兆円の国債残高を積み上げて、合計二百四十一兆円という膨大な借金を国だけでこさって回していく。だから、将来の世代が払うから全然痛みがわからないような状況の中で、ニーズばかり広がっていくような中で、本当にこれでいいんだろうかというのをもっと真剣に考えていただく必要があるのかなと、こういうふうに思うわけでございます。  私ども国会の立場でいきますと、行政監察の仕組みとは違って、むしろ外部監査のような観点からも国政調査権の発動、こういったものをしつかりやって、そのあり方などもやっていくことがでさるだろうということは考えられます。ただ、実際には国政調査権の発動というのはなかなか、これはいろんな手続もありますので、そう簡単なものではないというふうな気もいたします。  そういった状況の中で、ぜひ政策評価という観点で、今私の方で申し上げておりますけれども、民間企業であれば、収入がどれだけあって費用はどれだけ、費用と便益の分析のようなものが実はできるわけでございます。期待としては、そう簡単に難しいとおっしゃらずに、むしろ何か国会が関与する方法として政策評価なり、そういったものについて先生の方で御示唆があればちょっとお伺いをしたい、こういうふうに思っております。
  41. 山谷清志

    参考人山谷清志君) まず第一点の方でございますが、責任があいまいになって分散化してしまっていると、これはまさしくそのとおりだと私も思っております。実は、統制論と責任論というのが行政学の中ではコインの裏表といいますか、それをどういうふうに処理するのかというのが長い間、もう六十年も七十年も行政学者はやってきたわけなんです。  ただ、責任の追及の仕方というのもいろいろございまして、例えば先ほど私が申しました政策評価プログラム評価というふうな追及の方法もございますし、あるいは法律に、法令に違反しているかどうか、あるいは規則を守っているかどうか、こういうふうな追及の仕方もございます。あるいは服務監査といいますか、職業としての公務員といいますか、そういう形での倫理綱領みたいなもので追及していくというふうな場合もいろいろございます。  住専の例を出されましたんですが、この場合は、私が申し上げているプログラム評価、先ほどから申しますが、どうも余りなじまない方法でございまして、むしろ違う追及の手段があっていいのではないかというふうに考えております。これがまず第一点のことでございます。  第二点の方でございますが、政府の事業がどんどん広がっていく中で赤字が大きくなってきているわけで、それをストップしなければいけないという、これは本当に大変な日本の国全体が直面している大きな問題であると思うんです。  その中で、やはり予算がある意味では既得権化している部分がかなりあるというふうに考えております。この既得権化している部分を何とかできないかと、これはいろいろなところで議論がありますし、お知恵を出される方もいらっしゃいますが、私の政策評価考え方プログラム評価考え方ですが、これで言いますと、例えば先ほど申しましたアメリカの例のサンセット法でございます。一定の年限という、いわゆる一種の時限立法の形で政策なり事業をつくりまして、その年限が来たら自動的に消滅する。もしその事業を継続したいのであれば効果があることを証明して、その上で新しい立法をする、こういうふうな手だてがあるのかなというふうに考えております。  ただ、これもまた悲観論でございますが、これがなぜアメリカ全体に広がらなかったか、また余りやられなかったんですけれども、理由は非常にその手法が難しいというのがございます。道路をつくるとかダムをつくるとか、そういったものであればある程度数量的に判断できますし、また事前に予算請求をする段階で、例えば、渋滞を緩和させるために道路をつくる、バイパスをつくればこの程度の緩和が見込まれる、それによって一人当たりの時給幾らというものを計算しまして、人件費がこのぐらい節約できるとか、いろんな試算をされているはずです。そういうものがダムでも道路でもあると聞いております。それを使われて、事後的にもう一度見直してみる、こういうことがあってもいいのではないか。これならば事前の予算請求のときに書類がございますので、恐らく別段難しい方法論とかは要らないのではないかと考えております。  ただ、それ以外の事業、例えば教育問題とか福祉問題というのは、これだけのお金をかけたらこれだけの効果がある、これは実は非常に難しい問題でございまして、アメリカなどでよくやるのは、インタビューをしてみまして、本当にあなたは満足しているかどうかというふうなことをやっておるわけですが、なぜそれをやるかといいますと、やらないよりはいいんだというふうな答えが出ております。そういうふうに、政策領域によっては評価をするというのがかなり難しい部分があると思います。ただ、今できることであれば、先ほども申しましたように、物をつくる、こういったものはかなりできるのではないか。  あるいは先ほどのODAの問題でも、海外経済協力基金がやっているような、外国の政府にこれだけのお金を貸して事業を展開して、その事業でその外国の地域の経済効果がどの程度上がっているかというのは経済学の公式を使うとある程度算定できるというふうに聞いておりますので、ODAの部分ではそれで評価をやっております。  これも日本の国内であれば、例えば産業連関表などがきちんとあるわけですので、特定の事業を展開して経済効果がどの程度出たかというのは、一〇〇%ではないにしてもかなりの程度わかるのではないか。それによってこれだけのお金を使ってこれだけの効果が出たというアピールをする、それに対して反論する、その共通の土俵をつくってやりとりできるのではないかというふうに考えております。
  42. 都築譲

    都築譲君 ありがとうございました。  今御説明の中にありましたサンセット法とかそういった仕組みも、日本の今立法活動を行っている法律の中にも、例えば三年後に見直すとかあるいは五年後にこの機会に見直すとかいろんな形で入っておるわけですが、今の先生の御指摘に私も全く同感というか、そういう同じ思いを持つわけでございますけれども、特に日本の場合は、結局情報を基本的には行政府がすべて握っているというところがあるのかなと。  情報の収集も、三年後に見直すといって、基本的には自分たちの下部組織を使って収集をして実施状況も把握をして、そしてまたそれを見直すか見直さないかの点について議論を審議会で回して、審議会の情報がなかなか表に出てこない状況の中で、法律としてもう一度延長しますとかいうふうな議論、あるいはここの部分を修正しますとかいう議論が出てくることの方が実は問題が多いのかなと。だから、その点についてはむしろ国会の機能をもう少し強化していく必要があるのかなというふうなことを考えておりますし、そういったことが実は国会の行政に対する監視機能の一つのあらわれ方なのかというふうな考え方を持っておるわけでございます。  今まで行政監察ということで御質問をさせていただきましたが、行政相談につきまして鎌田先生にひとつ、最後になって恐縮ですが、私ももう時間がございませんので、ちょっとお伺いしたいんです。  行政相談というのが昭和三十年代以降果たしてきた役割といったものについて御説明いただきましたし、行政監察局からの説明も、行政相談の果たす役割苦情救済推進会議、こういったものを通じて政策的な提言、あるいはその実行といったこともやっておられるということで敬意を表するわけでございます。  個別の本当に具体的な行政相談ケースに当たって、先ほどの満足度の問題もございますけれども、実はこういう行政をやるからということで途端に不満が生じてくる。今まで何もなければしょうがないというふうに思っていたものが、行政が関与してくることで突然不満が起こってくる問題とか、あるいは二点目としては、起こった不満について実はどれだけの行政コストがかかっているのか十分わからないまま不満といったものが生じてきているとか、さらにそういった不満を解消できないようなケースもあろうかと思うわけでございます。三点目は、不満が解消できないようなケースの困難性といったものについてお話を聞かせていただければと思います。
  43. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 行政苦情を見てみますと、一つは法律を知らないといういわゆる法の不知からくる苦情がございます。これは相当高いパーセンテージで、したがってそういうことに対しては、これはこうですよああですよという案内で処理をしているというような場合が非常にございます。  それから、新しい不満が起こってくるということがありますが、ちょっとオンブズマンの問題と関連して、私、非常に心配なのは、例えば川崎あたりで行われているああいう制度を見ていて私どもの感じから言えることは、非常に不平不満を言う人間というものが限定されてくる。日本ではむしろお願いした人に対しては信頼していくという社会。ところが、西欧の社会というのは相手方の目を見なかったら物が言えないというような社会、いわゆる不信からきている社会。  ですから、町を歩きますと、先生方のおやりになっていらっしゃることに対してよくいろんなことを国民は言います。一家言がありますけれども、政治というものの実態を御存じない床屋のおやじさんが言っている政治談義だけでは国会は動かない。同じように、行政の場合も同じことが言えるわけで、アメリカなどでは悪いことをする者がプロなんだというような、そういう意識が評価の学問などを発達させてきているゆえんでありましょうけれども、日本ではそうじゃないということ。  それから、大きな声を張り上げる人だけの意見がもしここで取り上げられて処理されるというようなことが起こってまいりますと、実は行政というのは、一人の人のためにいいということは一人の人のためには悪いということでありますから、一人の人がそのことによって利益を得ることによって大勢の人が損害を受けるということもあり得るでしょうし、一般の庶民というのは実際は物を言わない、日本ではそういう性格がございますので、不満度の測定というようなことがいろんなあれはございましょうけれども、大変難しいことです。  むしろ、先生方などの一番貴重なことは、私の友人で議員さんをしていらっしゃる方がありますけれども、落選された三年半の間に選挙区を一生懸命歩いたという苦労話を、これは学生時代の友達の立場で聞かせていただいたときに、やっぱりこれが民主主義の原点だな、国民の声がわかってくるというのはこういう選挙という洗礼があるからなんだなということを知って、私はなるほど非常に大変なことだなと。その経験の中から国民の声がわかってきていらっしゃる。そして、政治家としての、専門家としての仕事があり、行政官行政官としての専門的な知識で動いているわけですから、ただ単なる不信感だけで監察制度を考えるというのは問題かと思いました。  相談をやってどんなことで困ったことがあるかといえば、本当に解決不能なことは、まず予算がない、金がないからできませんと言われたときに一番困ることと、それから法律を改正しなければどうにもならないというような問題がございます。そういうような問題について問題を起こしたことがあります。これはこういう抽象論でなくてむしろ具体的なお話ですると一番いいのでありますが、時間がございませんからお話しできませんけれども。  国民行政との間に苦情や不満が出てくるということは、決して行政法の先生が、行政学の先生が机の上で考えているような形ではないということ。いろいろな苦情を申し出てくる人の社会的な環境とか経済的な立場とか、あるいは教育の程度だとか、それから行政や政治に対する理解度だとか、そういうようないろいろなものがあり、かつそういう行政官と接触したときの感情がどろどろとした形で、どろどろという言葉がいいか、出てくるものであって、そういう単純化した公式どおりのものではないということ。  したがって、これを解決していくということは、非常にやはり行政相談委員などで一番大事なことは、先ほど申し上げましたように、法典を閉じて心を開けと。やはり、人格によってこれを解決していくということが日本的な風土であったんじゃないのかなと。ですから、正しい判断を下していくことも大事だけれども、よろしい判断ということが非常に大事なことじゃないのかなと。そういう意味で、余り形にとらわれてばかり、理論にとらわれてばかりいると本当の苦情は解決されないということで、そういうことでは地方身歩いてなるほどなと感心させられるような問題にぶつかることもままございます。むしろ、そういう経験については、私などよりは地方の名望家の方々とお会いになったりして、いつも聞いている先生方の方がお詳しいのかもわかりませんけれども、そういうものをどう吸収し、またどういうふうに分析し、どう理論づけ、そしてどう制度化していくかということが大事なことかと思います。
  44. 都築譲

    都築譲君 どうもありがとうございました。
  45. 伊藤基隆

    伊藤基隆君 社会民主党の伊藤でございます。  私は、きょうの三人の先生方意見を聞いて、それぞれ委員の方からの質問とやりとり、というよりは意見開陳をお互いになされていると思います。次は地方自治体のオンブズマン制度ということについて参考人に来ていただいて、またそこで質問、議論を行います。それから、我々の中でのフリー討論ということになっていくスケジュールでございまして、実は本調査会のやるべき今後の道筋の概括的な形が一シリーズこの常会の中ででき上がっていくんじゃないかという期待をしているところでございます。  そこで、行政とか行政監察、または行政監査ないしはオンブズマン制度、これをどのような日本の社会的状況の認識で、それぞれの行政は、あるいはオンブズマンは行っているのか、あるいは国民というものはどうとらえているかということについて、まず三人の先生からお聞きしたいわけですが、それは片岡先生の本日出されたレポートの中で、一ページに、「商品の品質は最終的には顧客に与えた満足度によって測定されますが、行政の質も究極的には国民に与える満足度によって測定されなければなりません。」と。  私は三人の先生方に、じゃ今、日本の状況はどうなのかということをお聞きしたいわけです。そのために私の認識を少し申し上げたいと思うんですが、ここに書かれていることはやはり行政とか行政相談目的とする究極の姿、理想的なものというふうに考えています。これは先生の意見とか願望というものも含まれているんじゃないかというふうに思いますし、それは私たちにとってもそうであります。  というのは、これは国民というものをどう見ているのかということで言うと、それは消費者であると。すなわち発言する人。今、鎌田先生のところからありましたが、発言する人、運動家、陳信者という声の高い人の要求ではなくて、一般的に消費者のニーズというものをとらえてどう行政をしていくかということだろうと思うんです。  しかし、日本ではじゃそこまで成熟しているのかどうか。例えば、参政権の問題とか表現の自由の問題とか法のもとの平等、法の支配というものは公平、安定、平等の姿で達成されているのかどうか。そのことがまだ行政の相談や苦情行政監察の現場で数多く出ている状況ではないか。  そういう状況の中で、消費者に対して行政行政のサービスという視点から対応していく。そのことを目標とするのはいいんですが、そういう状況というふうな見方にまだなっていないんじゃないか。しかし、そこまでいかなきゃならない。そのために、私はこの調査会目的もあるだろうし、さまざまな制度改善もあるでしょうし、学者の皆さんの研究もあるでしょう。実際の行政相談の現場の仕事もあろうかと思いますけれども、日本の状況下においてどうなのか。それを目指していくにはどういうところの改善が必要なのか。それは行政の方にあるのか、国民の側にあるのかというようなことも含めて、非常に雑駁な聞き方で申しわけないんですけれども、今後の私の考えでいく道筋の参考にしたいと思いますので、ぜひ皆さんの考えをお一人ずつお聞かせいただけたら幸いでございます。
  46. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 大変貴重な御指摘をいただいてありがたいと思います。  私はちょっと自分の個人的な考えを申し述べさせていただいて申しわけないんですけれども、行政の主体は国民であるというふうに思っております。  行政法では、行政作用の主体は官庁であるというふうに言っております。確かに行政の活動を行うのは官庁でございます。その意味では行政の作用の主体は官庁であるといたしましても、なぜ行政が行われるか。これはそこに国民というのがいて共通のニーズを持っている。それを政府でなければ充足できないから行政というのが行われるわけでございまして、したがって、当然それに必要なコストも全部国民から徴収する。そういう意味におきまして、行政の主体というのは明確に国民である。したがって、国民が最終的に満足するということが行政の追求すべき究極の目的であるというふうに私は理解しておるわけでございます。そういう意味で、大変あいまいで抽象的な言葉でございますけれども、究極的には行政の質というのは国民満足によってはかられるというふうに申し上げさせていただいたわけでございます。  たまたま消費者との比喩を使いましたけれども、消費者企業との関係と、国民行政との関係、これは実は全く異質的でございます。国民はそこに選択の自由というものを持っていない。要するに、行政というのは供給者主権が支配している。消費者主権が支配していないんです。行政が決めたことはすべての国民が従わなければならない。住専の問題も、それによって一つも利益を受けていない、何ら関知していない、私のように住専という名前すら今まで知らなかった人間もやはり多分負担しなければいけないんであろう。しかし、それが負担しているかどうかわからない形で負担させられるという状況に実は国民というのが置かれているわけでございます。  そういうことを考えますと、私は今の行政というのはやはり官の論理、八幡和郎君が「官の論理」という本を最近書いております。通産省から国土庁に出向している国土庁の参事官でございますけれども、私は、官の論理というのはあり得ないものである、行政というのは国民の論理で行われるべきものである、理念としてはあくまでもそういうふうに考えております。しかし、実際に行政を行う人間、それはやはりその立場というものもあることは十分理解しておりますけれども、やはり究極的には国民の立場、国民の論理で行政していただきたい。  オンブズマンに私は比較的早く注目いたしまして、これが大事であるというのも、国民の主体性というものを回復する一つの手段として期待できるのではないかという形で私はオンブズマンの研究を始めたという経緯がございます。  大変抽象的なお話で申しわけございませんけれども、私の基本的な考え方はそういうことでございます。
  47. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 私、大学の講義でよく学生に言いますんですが、行政サービスというのは実はメニューがないと。いわゆる定食のようなもので、座ったらもう出てきたものを食えと、自分で注文することはできないんだ、そういうふうなことをよく例えにして言うことがあります。  では、メニューというのは一体何か。これはやっぱり基本的には情報公開法によってつくっていただくしかないのではないか。それも、公開しているんだよということはよく言われるんですけれども、私のように広島におりますと、どういうものが公開されているのかよくわからないことがあるわけです。研究者の仲間同士の口づてで、外務省からこういう資料が出ているとかいうふうなことを聞きまして、初めてその資料請求をしたりすることがよくございます。あと五、六年もしたら行政学者としての私の寿命はなくなるんではないかというふうな、こういうことを考えております。  いわゆる行政の情報公開というのは二つの意味がございまして、オープンにしているのと、また地方でもどういうものが出ているのかわかるという、こういう前提がないとサービスを十分に受けられないのではないかというふうな気がしております。  どういうメニューがあってどういうサービスがあってどういう事業が展開されるのか、それによってある程度意見を言えるようなメカニズムがあれば、これは住民投票制度とか、まあこれは地方自治法でございますが、そういう制度もございますが、もっと何か、自分はこのメニューは食べたくないというふうな、そういうメカニズムがあっていいのかなと。恐らく時代はそちらの方向に向いているのではないかというふうに考えております。  非常に抽象的なお答えで申しわけございません。
  48. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 情報公開の話が両先生から出てきておりますけれども、情報公開と一口に申しましても、地方自治体における情報の公開と国の情報の公開とにはおのずと違いがあるんじゃないかということの議論はやっぱり踏まえで考えておかなきゃいけないんじゃないか。  国の場合には、国政調査権のようなこういう強い権限をお持ちになった国会というものがあつで動いているわけであります。それから、地方自治体の場合にはその長を、要するに市町村長さんを住民が直接選挙するわけですから、そのためにどんな行政が行われているかということをやっぱり公開していくということが非常に大きな要素になっていくでしょうけれども、国の場合には国会がやはり内閣総理大臣を選んで、そして行政組織をコントロールしているわけでありますから、これはちょっと違いがあるのかと。  それから、今、山谷先生がおっしゃったように、非常に複雑になってまいりますと、行政相談の中に出てくる、浮かんでくる事案を見ていますと、どこでだれがどんな利益が受けられるかというような問題、例えば母子家庭ではこんな利益が受けられるんですよ、あるいは身体障害者はこんなことがあるんですよということを知らないでいると、その制度が利用できないという不利益が出てくるような事案がたくさんございますので、そういうことについて国民に知らしめていくという意味で大事な情報公開の問題があります。  日本では各官庁から白書が出ております。どのくらいあるだろうかと調べてみると、約三千くらいの情報に関する資料が出ているわけでありまして、学生にも、あれを本当によく読んでごらんなさい、大体のことはわかるんだよというふうに言っているわけでありますけれども、そういう意味で、そういうものも完全に利用されない。  それから、情報公開制度の地方などの実態を見ていると、一部の業者のために使われているというような問題もこれから考えていかなければならないんじゃないか。  ただ、一番大きなことは、結局企業の論理の場合には、それが効果があったかどうかということは、もうけが出たかどうか、利潤が上がったかどうかで判断できるわけでありますが、行政の場合はその評価ができない。先ほど山谷先生お話の中に教育の問題などもありましたけれども、教育の効果なんというのは、きょう不良少年だった子供が二十年後には国会議員になるかもわからぬわけですから。あるとき、不良少年も国の宝であるというあれを書いたことがありますけれども、むしろちょっと少年時代にはアウトローであったのがあれするというようなこともあるわけです。  ただ問題は、企業が活動するということは利潤をもって企業活動をしていくわけでありますが、行政の原資になるものは、もとになるものはやはり利益じゃなくて税金でありますから、税金に対する重みを知らしめるという意味においては、やはり単なる法律のテクニシャンじゃなくて、本当に倫理的な公務員を育て上げていくという制度をきちっと考えていくことが一番大事なことだというふうに思います。  だから、どんな立派な組織ができ、どんな立派な制度ができてきても、それを運用する人がだめだったらこれは絶対に生きていかない。だから、私どもの制度の中でも、どんな先生を選んでいただくか、そしてどういうふうにみんなでお互いに切磋琢磨して勉強していくかということがこれからの大きな宿題だというように考えているわけであります。  それだけ申し上げます。
  49. 伊藤基隆

    伊藤基隆君 時間が来てしまったんですが、私の十四分というのは大変厳しいなというふうに思っています。  実は、今の三先生のお話を聞いて、私も意を強くしているわけでございます。まず、いろんな情報がオープンになってこなければならない。情報をオープンにして、どのような公共サービスがどのように実施されているか、または他の施設や他の地域、機関でのサービスと比較するとどうなのかということが明確になってくることによって、片岡先生のレポートにあったその目標の達成、皆さんがおっしゃったところが達成されていくんじゃないかと思います。  ちなみに、ロンドンのリューズハム区というところでは、ごみ収集の回数、時間を明示して、それが達成されない場合には一ポンドの補償金を該当する住民に支払うということをしているようであります。また、住民から文書による苦情があって十日以内に区がそれに回答しなかった場合には、住民に十ポンド支払うということを明示してやっているわけでございます。  消費者というのは、時によってその行政サービスを選択しない、拒否するという権限を持つというところまでこの方向は行かなくちゃならないんだろうというふうに思います。  なお、きょうは時間がないのでこれ以上のことは申し上げられないんですが、これからも議論していきたいと思います。よろしくお願いします。  どうもありがとうございました。
  50. 筆坂秀世

    筆坂秀世君 日本共産党の筆坂でございます。きょうはお忙しい中ありがとうございます。私は十分ですので、一、二だけ質問させていただきたいと思うんです。  これまでの話を伺っていまして、今の行政監察にある限界がある、あるいは行政相談にもある限界があるということはもう明らかになったと思うんです。例えば、行政監察局なり行政相談委員制度でそれぞれ職員の皆さんあるいは相談委員の皆さんは一生懸命やっておられるけれども、国民の側から見て行政監視はこれで結構だということになるかというと、これはそうじゃない。そこで、オンブズマンと呼ぶか何と呼ぶか別にしまして、行政を監視する新たな制度が必要だと、こういうことになってきておると思うんです。  これはもちろんいろいろあります。例えば国会の委員会だってこれは行政を監視する大事な仕事、任務を持っていると思うんです。しかし、それでも足りないというので、あのロッキード事件やあるいはダグラス・グラマンだとかいう航空機疑獄事件が起こったときをきっかけにオンブズマン制度行政監視員制度、こういうものが提起をされてきました。  ところが、例えば今度の住専問題なんか見ておりましても、やはり行政監視は不十分だ、あるいは地方自治体の官官接待を見ておってもこれじゃ不十分だというので、市民運動としても市民オンブズマンというふうな運動が始まって、この方々が情報公開条例に基づいていろいろ告発していくということになってきていると思うんです。  私たちも一九七九年に党として、議会行政監視機関といいますか、オンブズマン制度といいますか、やはりそういう制度を設けることが必要だと。先ほど鎌田先生は憲法との関係をおっしゃいましたが、もちろんこれはやり方によってはそういう問題も起こり得ると思うんです。  ですから、これはやはり国政調査権をあくまでも補完していく、補佐していく。したがって、やり方としてはやはり院の承認であるとかあるいは院の議決であるとか、こういうものに基づいてその機構が動いていくということにならざるを得ないと思うんですね。それが独自に、独立はしているけれども、やはり院の意思に基づいてやるということでなければ、これは国政調査権を代替することはできないだろうと思うんです。  私は、今国民が求めているのはそういう行政監視制度ではないんだろうかというふうに思うんですけれども、余り時間ありませんので三人の先生方に一言ずつちょっと御意見をお伺いしたいと思います。
  51. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 我が国オンブズマンの議論が起こってくるそのきっかけがロッキード事件の問題があってみましたり、そういうような不祥事件からそういう制度をつくる必要があるんじゃないかという意見が常に沸き上がってきたという一番最初の歴史的な経過の中で、オンブズマンという言葉に対する考え方に私は日本の不幸たところがあったと。市民オンブズマンなんという言葉が盛んに使われているわけですけれども、オンブズマンという言葉の意義づけというか定義がきちっとなされないままに使われてしまって、仙台の市民オンブズマンというのがああいう形になっているということは私は不幸なことだなと思います。  それから、国会の中にこういう特別の行政監視官というような形を置くとするならば、それはやっぱり国会議員の先生方の持っていらっしゃる機能というもの、国会の持っている権限というものは、これは国民の選挙を経てきたという崇高な仕事でありますから、そのことは私は第三者に譲り渡すことはできないと思います。  したがって、この資料なんかを見ても国会の事務局に大変立派な皆さん方がおられるわけでありますが、その方々に国会議員の先生方の機能を委任するとか、任せるということはできないことであって、たとえそれがオンブズマンという名前を使おうと、そういう制度をつくるとするならば憲法を改正していただかないと私は無理なんじゃないかと。そして、憲法上のやはり権限として行われなきゃいけないんじゃないか。  それから、行政監察局なんかの問題でも、特別の独立機関にしてしまうとするならば、それはけやっぱり会計検査院のような憲法上の地位を与えないとなかなか難しいんじゃないだろうか。そうでないと、今のままでやっていくと、屋上屋を架すという言葉がこちらの先生から出ましたけれども、そういうことを私は危惧いたしますので、憲法論としてこのオンブズマンの問題を考えていかなきゃいけないんじゃないかというふうに考えております。
  52. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 私が考えておりますのは、オンブズマンのような制度を常置するというのはかなり難しいことではないかと思います。  一つは、いわゆる行政の健全性を保つ方法であれば、オンブズマンという制度は、医学にいたしますと実は手術のようなものであって、切り取ってしまえばいい、強力な権限を持ってやるといいかというと、実はそうではなくて、体質改善といいますか、漢方のようなそういう全体からもう一回見直していくといいますか、そういう発想が必要なのではないかというふうに考えております。例えば、地方自治体の監査委員制度をもう少し実効あるものに整備し直すとかいった形で、今ある制度をもう一度少しずつ手を入れて直していく方がかなり実践的ではないかというふうに考えております。
  53. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 私は、もしもオンブズマンを設けるといたしましても、それは憲法を修正しない範囲でやっていただきたい。日本では憲法修正はできないことはわかっているわけですから、そういう議論は余り有効ではない。むしろその範囲内で可能な方策を模索していただきたいと思います。  ただ、鎌田先生がおっしゃいましたように、日本ではこのオンブズマンの議論というのがロッキード、グラマン事件というのを契機として盛んになってきたという経緯がございまして、何かオンブズマンがあればそういう問題が起こらないのではないかと。再発防止委員会というのがつくられましてオンブズマンを検討した経過もございますけれども、これは全く性質の違う問題、オンブズマンができてもそういう問題はまた起こるかもしれないし、あるいは起こらないかもしれない、オンブズマンがなくても起こらないかもしれないという問題でございまして、これは基本的には行政を行う姿勢そのものを変えていかなければならない。  私は、基本的には今の行政というのが、もう既に因果関係を立証し得なくなった問題、これこれのことをしたらこれこれの結果が起こるであろうということがもはや立証できない問題にまで行政が介入し過ぎたと。  ということは、今の経済の規模というのは非常に大規模になっていまして、普通のDR、マネーの経済のほかに信用取引の経済もありますし、外国から入ってくるお金もございますので、政府が幾らコントロールしてもコントロールできない状態に実はなっているんですね。それを無理して従来の方式でコントロールしようとする、また、今これからしようとしているわけですけれども、そこに大きな間違いがあるわけです。コントロールできないものはコントロールしない。それは市場のメカニズムにゆだねた方がいいわけでございまして、そういうところの整理をきちっとする。行政の姿勢、あり方を抜本的に考えていかない限りはこういう問題が将来また再び起こらないとも限らない、これはオンブズマンがあっても起こるかもしれない。  せっかくこの調査会のテーマがオンブズマンでありながら、そういうことを申し上げますのは大変失礼でございますけれども、私の感想でございます。
  54. 筆坂秀世

    筆坂秀世君 それは私、片岡先生がおっしゃるとおりだと思うんです。これができたから不正腐敗はもう一切なくなるという保証にはこれはならないと思うんです。  鎌田先生に言っておきますが、私たちも憲法改正を視野に入れてこの問題を議論しているわけじゃないと。憲法の枠内でどういう制度が成り立ち得るかということを我々は今議論しているわけです。  いま一つオンブズマン制度といったっていろいろあるわけでしょう、国によっても違うし。例えば、オンブズマン制度をつくるとするといったって日本型のオンブズマンということもこれは当然あり得るわけで、私はその基本は何かというと、行政が何をやっているかよくわからない、これが一番根本だと思うんです。それは税金は安い方がいい、これはだれでも思いますよ。当然のことですよね。しかし、どういう使われ方をしているかわからない、本当に必要な使い方をされているのかどうかよくわからない、そこに私は一番の不信があると思うんです。  そういう意味で、私は国民的なレベルでいえば、オンブズマンに対する期待も、あるいは行政の公開という期待も、その根本に横たわっているのは何かというと、今一体何がやられているのか、行政情報が一体どこまで公開されているのかということに尽きると思うんです。  行政情報がしっかり公開されれば、そこにいろんな批判も出るでしょうし、あるいは評価も出てくるでしょう。ですから、私は本当に行政のあり方を考える上で情報公開がどこまでできるかというのがかぎになると思うんですけれども、三人の先生方に伺っていると時間が大分延びちゃいますので、ほかの先生方まことに申しわけないんですが、片岡先生お願いいたします。
  55. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 私は、国民の権利として知る権利を保障するためには地方公共団体が行っている方式ではなくて、やはり国としてそれを制度化する必要がある。これは均一的にある程度やっていきませんと、地方によりましていろいろ情報を開示する範囲が違ってまいります。これは国でやりますと、ある程度それが一律化してくるということになると思うんです。  ただ問題は、いかに開示いたしましても、情報公開法を制定いたしましても、行政の部内におきます手続まで我々は外から見ることができないという問題があるわけです。そこで、私が先ほど申しましたように、企画機能と実施機能というものを分けますと、企画機関実施機関との間でやりとりをされる文書、これは全部公開の対象になりますので、かなり透明度が出てくるのではないかというふうに考えているわけでございます。
  56. 筆坂秀世

    筆坂秀世君 ありがとうございました。
  57. 末広まきこ

    末広真樹子君 無所属の末広真樹子でございます。  先ほど来、三人の先生のお話を伺っておりまして、非常に言いにくそうな部分を私が勝手に解釈いたしますと、国会議員よ、あなたの出番ですよ、国民に選ばれたあなた方のお仕事ですよ、何を言っているんですかというふうに私には聞こえたんでございますが、それでよろしいんでしょうか。  時代に合った制度の見直しとか、それから、総論賛成各論反対なんていつまでも言っていないで、現場を自分の目でよく見て、自分の頭で考えなさいと。そのときに考える手だてはしましょう、お手伝いはしましようと、こういうようなお三方のお話の概要ではなかったかなと思っているんです。臨機応変に国政調査権というものを行使なさいと。衆議院で住専処理についてもう一つすっきりしないような意見をごちゃごちゃ言っている間に参議院としてやるべきことがあるんじゃないんですか、こんなふうにびんびん私は響いてきたんでつらかったんです。何かずっとしかられているみたいで、申しわけないなという気がいたしております。  昨今、官官接待とか大蔵省の金融政策の失敗とか幹部のスキャンダル等の問題が噴出しておりますよね、四年も五年も問題点がわかっていながら内部隠しに走っております。これはもう業務ミスとか政策ミスとかいうよりももっと罪の深い倫理観の欠落だと思うんですね。アメリカで大和銀行が追放処分に遭いましたけれども、やはりここの点を言われているんだと思うんです。今こそ議会によるしっかりとした行政監視機能が必要であって、今後のこの調査会の活動とその成果に私も大いに期待を抱いているわけでございます。  とりわけ、参議院というのは諸政策のフォローアップとチェック、これを最重点課題としてやっていく必要があるんじゃないか。つまり、予算委員会でもそうなんですが、予算を決める、張りつける。その決め方も、既得権でシーリングというものがまずありまして、昨年度幾らだったからことしはこれに上乗せ幾らというような、こういういつまでたっても昔の繰り返しをしているんですね。新しい時代のニーズは何か、重点政策課題はどれか、緊急にオペを必要としているのはどこか、そこにどかんと財政が行くぞと、そういうものは何もないんです。もう皆さん各省庁で、いや、うちはこれだけとってこないとしかられるよとか、そういう感じで予算とりをしている。  まあ決算委員会というのはそれをやるんでしょうけれども、参議院の決算委員会というのはもっとそこのところをしっかりやっていかなくちゃいかぬのじゃないかなと。調査会でもこれから議論しますけれども、オンブズマン制度というものに過度に期待してはいけないというふうに私は受けとめました。臨機応変にそのオンブズマン制度というのを発動させてもよいかと思います。  というのは、専門家のお力をおかりしないと、政治家とてそんなに幾つも何でも知っているわけじゃございません。その都度もうしゃかりきになって勉強してついていっているわけでございますから、そこは大いに専門の方にバックアップをしていただきながらやっていきたいなと思っています。  また、そのことが参議院の改革と活性化にもつながっていくことの御指摘が多々きょうはあったように思います。例えば、各委員会、今のような縦割り委員会でよいのかどうか、衆議院と同じ委員会構成でよいのかどうか、もっと違う委員会編成、再編成されてもよいのではないのかというような御指摘もあったように感じております。  それから、決算審議におきましてはアカウンタビリティー、責任というものの追及、これを年々やっていかないと、今もう平成八年ですけれども、去年は決算委員会なんか平成四年と五年のをやっていたんですね。こんなの覚えている人いないんですよね。だから、もっと時代のテンポに合わせてやっていかなくちゃいけないんじゃないか。  私、何かざんげしているような気がしてきているんですけれども、要は今までの仕組みというものを大きく見直す時期が来ておりますよと、その見直す時期が若干おくれているために大きな問題が噴出してとどまるところを知らないと、こういう現状ではないかなと思うんです。  一つ山谷先生にお聞きしたいんですけれども、レジュメの二ページの「(2)行政監視手段としての誕生」、「プログラムはその目標を達成しているか」どうかというのは何年置きぐらいにチェックしているのか。そして、達成していないと判断された場合にはそのプログラムは即刻中止するんでしょうか。その点いかがなんでしょう。
  58. 山谷清志

    参考人山谷清志君) プログラムは単年度で終わるものもございますし、また十年とか長期にわたるものもございます。予算をつくる段階でアメリカの連邦議会はそのプログラムの寿命、ライフサイクルというのを想定しておりまして、その寿命の大体終わりぐらいにそれを報告させる、これが一番大きなものです。また、十年ぐらいのものでありましても、一年ごとあるいは半年ごとにモニタリングと称しまして、実際にやっている状況がどうであるか、こういう報告をさせる場合もございます。  もう一つは……
  59. 末広まきこ

    末広真樹子君 ノーの場合にプログラムを停止させるのか。
  60. 山谷清志

    参考人山谷清志君) 同種のプログラムにはもう予算をつけないというふうなことがございます。場合によっては特定の公務員の汚職が発見される場合もございますし、やり方がまずい場合もありますし、いろいろな状況がございますが、例えばやり方がまずい場合は改善勧告、どういうふうに改善するのかという報告をさせるというふうな運びになります。
  61. 末広まきこ

    末広真樹子君 ありがとうございます。  大きな国家プロジェクトになりますと十年とか二十年とかかかるものがございます。例えば河口堰とかダムとかそういうものは非常に長期的プロジェクトになりまして、計画当初は必要だと思うからやろうということが決まったんだと思うんですけれども、やっているうちにだんだん時代が変わっていって、もう要らないんじゃないのと思っても、一たん走り出して決めたことを、つまり先任者がお決めになって代々何年もやってきたものを、要らないんじゃないのとはだれも言えないんですね。  そこのところをノーと言えるシステムというもの、やはり何かそういう途中のプログラムチェックというものを制度的に持っていないと、突然だれかがあれ要らないんじゃないのと言うと、何言ってんだ、失礼な、になってしまいますから、やっぱりそういうところは必要なんじゃないか、ノーと言いやすいような制度も要るんじゃないかなと思ったりしております。  あとは、何かオンブズマン制度をつくれば正義の味方ですべてを解決してくれるんじゃないかという期待を少し私は持っていたので、そうではないというお話をきょうは先生方オールロをそろえておっしゃった感じでございまして、これはまた振り出しに戻ったかな、どうしたものかなと、今戸惑いを隠せない状態で質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  62. 山田俊昭

    山田俊昭君 二院クラブの山田でございます。  私に与えられた時間はわずか十分でございますので、恐縮でございますが、簡潔にお答えいただければ幸いでございます。  オンブズマンについてお尋ねをいたします。  今、オンブズマンに余り期待しないような先生方お話だったので、私は大いに期待するものとしてお尋ねをするものであります。いや、期待しないというわけじゃなくて、期待しても効果がないというような、それだけがすべてじゃないとおっしゃったんだろうと思うので、ちょっと訂正いたします。  オンブズマンの形は議会型と行政型があるわけですけれども、オンブズマン制度発祥の国スウェーデン議会型、行政型をとっているのはフランスのメデノアトゥールと韓国ぐらいだという、きょう朝日新聞のこれを見て……
  63. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) それは間違っているんです。
  64. 山田俊昭

    山田俊昭君 間違っているんですか。またこれ教えてください。  きょうはその行政型はちょっと除いておいて、議会型のオンブズマン制度、いわゆるスウェーデンオンブズマンの権限のところを見てみますと、調査とか意見表明だとかいろんな勧告だとかいうのはどんなオンブズマンにも大抵与えられている機能なんですが、スウェーデンには訴追権という機能が与えられている。  スウェーデンオンブズマンに与えられているこの訴追権という権限についてちょっとお尋ねをしたいんです、どの程度の権限か。日本における起訴は、刑事犯罪に関しては検察官だけなんですけれども、オンブズマンにもそのような訴追権みたいな、いわゆる公訴提起だけなのかどうか、公訴提起だけでなくして訴訟遂行権も与えられているのかどうか。  そして、ちょっと時間がないからまとめて質問しちゃうんですが、遂行上いろんな問題が出てくると思うんです。スウェーデンの場合、オンブズマンは相当法的な能力がないと務まらないんじゃないか、オンブズマンをどういう形で指定されているのか等々について簡単にお答えをいただきたいと思います。
  65. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) まず、私どもが申し上げましたのは、決して先生方をディスカレッジする意味ではなくエンカレッジする意味で申し上げたので、その点は誤解のないように。  スウェーデンオンブズマンの歴史的経過からいたしまして、公務員の非違、不当を訴追する権限というのがございました。それが訴追権というところで今日も残っているわけですけれども、事実上はこれは今日では行使されておらない、ほとんどありません。
  66. 山田俊昭

    山田俊昭君 使われない理由は何ですか。
  67. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 例えば日本行政監察でも、最初始まったときは公務員の非違、不当の問題はたくさんあったんです。でも、それはだんだんなくなって本来の行政監察に絞られてきた、そういう歴史的経過がございますので、スウェーデンでもオンブズマンが公務員の非違、不当、不法行為をみずから訴追する必要は今余りない。ある場合は、現在は恐らく検察に移送して検察がやるということだと思います。  スウェーデンの場合、オンブズマン議会オンブズマンに関する委員会というのがございましてそこで選任されます。実はスウェーデンでは四人オンブズマンがおりますけれども、この四人が合議制で機能するんではなくて、四人がそれぞれ別な分野について担当いたしまして、その一人が首席オンブズマンという形になります。エークルンドという人が首席オンブズマンで、二度ほど私は会っております。彼は最高裁判所の判事の経験者、恐らく行政裁判所だと思いますけれども、そこの判事であったわけです。非常に若い、四十歳代だったと思いますが、そういう形で選任されております。
  68. 山田俊昭

    山田俊昭君 スウェーデンでは訴追権をオンブズマンに与えていながら、現実には訴追した事例がないということのようなんですけれども、僕は行政のいわゆる非を責めるというかチェックするという意味で、強大な訴追権限はその意味があると思っているんですね。全くないんですか、最近スウェーデンでは訴追という事例が。
  69. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 公務員が不法行為を犯すということはよくあるわけですね。しかし、それは別なルートで、通常の検察のルートで訴追されているわけです。オンブズマンがみずから指摘して訴追しなければならないケースというのは現在ではレアケースとなっているということでございます。
  70. 山田俊昭

    山田俊昭君 なくなったというのは、公務員の非違行為とか不当行為がなくなった、それは司法官に任せておけば足りるんだということで、いわゆるオンブズマン制度で訴追権が与えられてきた理由というか根拠、沿革というようなものは、かつてはやはり行政官の不正、不当を徹底的にたたくという意味で訴追の機能をオンブズマンに与えたんだと思うんですね。  そういう意味においては、当初はスウェーデンにおいてはまさしくそういう機能は発揮したということは言えますか。
  71. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) 実はスウェーデンオンブズマンがつくられたのは、カール十二世という国王がトルコに亡命しているときに、自分の母国が腐敗、堕落しておりまして、トルコから遠隔に母国を支配し、そういう腐敗を防止するためにオンブズマンを最初任命したという経緯がございます。これは国王のオンブズマンでございまして、ユスティスオンブズマン、司法オンブズマンというふうに申しますけれども、議会のものではなかったわけです。  そういう経緯がありまして、当然それは公務員を訴追するということが一つの重要な要素、腐敗、堕落を排除する、それが重要な要素ということですね。
  72. 山田俊昭

    山田俊昭君 スウェーデンでそういう形であるのを改めて言うのもあれなんですが、訴追権のような強い権限のあるオンブズマン日本に設けるということはどうお考えですか。
  73. 片岡寛光

    参考人片岡寛光君) これはちょっと私法律学者でございませんので、訴追権というのが検察以外に与えられるかどうかということについては十分理解しておりませんけれども、しかし、例えば検察に対して事件を移送するという権限を与えることは十分できるというふうに私は解釈しております。
  74. 山田俊昭

    山田俊昭君 鎌田先生にちょっとお尋ねしたいんですが、いわゆる議会オンブズマン制度、これを日本が採用するためには憲法の改正が必要である、もう一つのガンは日本の風土に合わない、こういうことをおっしゃっている。現行のオンブズマン制度というのは、事実を公表して世論を喚起したり、国民行政との調和的な、フランスで言うところの調停官みたいな形のオンブズマン日本の風土に合うというようなお話だと伺ったんですが、憲法を改正しなきゃいけないと私は思わないので、あえて具体例をもってお尋ねするんです。  きょうの朝日新聞を見てみると、「参院にオンブズマンを」と。これは非常にいいなということで私きょう張り切って出てきたわけなんですが、例えば議会、特に参議院、良識の府参議院、いわゆる任期が六年と安定している参議院にオンブズマン制度を設ける。行政をチェックするんですから、内輪同士でやるんじゃなくて、行政をチェックするのは国民の代表の国会が、議会がチェックするというのを設けるのは、これはもう当然なことだと僕は思うわけなんです。  その議会オンブズマン制は憲法を改正しなきゃいかぬとおっしゃっているんですが、例えば参議院にオンブズマン制度を置いて、しかも自民党じゃなくて良識な少数野党二院クラブの私がオンブズマンなんかに指定されたら、まさしく機能を十分発揮したオンブズマン制度ができると思うんですが、もしこういう形のオンブズマン法を立法するという形の中で憲法改正を必要とするというところを教えていただきたいんです。  先ほどから、三権分立だとか国政調査権というようなお話があって憲法の改正が必要だとおっしゃるんですが、国民のための行政であって、国会が行政をチェックする機能において憲法違反なんてあり得るはずがないんですよ。  私はそういうふうに考えるので、先生の御議論に対して素人の私があえて反論を申し上げて申しわけないんですけれども、先生、参議院にオンブズマンを置くことで憲法改正の必要性がなぜにあるのか、そこら辺のところを論理的にお教えいただきたい。
  75. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 先生のおっしゃる御趣旨はよくわかりますが、例えば今、スウェーデンなどのオンブズマンに検察機能を持たせているんじゃないかというようなお話がございましたけれども一これはもう国際会議に出ておりますと、皆さん方そのことについて非常に問題というか、これからの反省点になってきているということ。それから日本と外国と違いがあるのは、お巡りさん、警察官に対する苦情オンブズマン事務所に非常に持ち込まれているということですね。それと、監獄の中の囚人から監獄の制度に対するあれが出ているというのを見ていると、これは非常に私は驚きだというふうに思います。  ただ、ちょっと先生の御質問から外れてしまいますけれども、そういう意味で外国とはちょっと風土が違うというのはその辺のところを申し上げたかったということと、それから国政調査権という権限というのは非常に強い権限でいらっしゃって、きょうのように、こういうふうに先生方が私どものような者の意見まで聞いてくださるようなこういう組織をつくっていただいた、機会を与えていただいたというだけで参議院として大変なことだったというふうに私は感じているし、非常にありがたいというふうに思っております。  ただ、先生方の持っていらっしゃるような国会議員の機能を、国会の別組織をつくって、その別組織の中に機能を渡すということになると、これは例えば国会図書館という制度がありますけれども、国会図書館に国会議員の機能を渡すとか、国会の事務局に、調査室にそういう機能を渡すということはこれはできないことで、憲法四十三条で国会議員というのは国民から選ばれてきた崇高な使命を持っている、権限を与えられているわけでありますから、それをオンブズマンという別の組織をつくるというなら、ここまで言ったら口幅つたい物の言い方になってしまいますが、それだったら国会議員の員数を減らしていただいて別の方法を考えるとかということになってくるんじゃないでしょうか。国民の一人として考えればそういうことだと思いますが。
  76. 山田俊昭

    山田俊昭君 もう少し私の質問に答えていただきたいんです。国政調査権というのは確かに間接的には行政をチェックできる議員に与えられた大きな機能ではあるけれども、しかし、それは調査にすぎないんです。  いわゆる国会を基礎としたオンブズマンというものを参議院に置いて行政をチェックするという機能を、なぜ国政調査権があるがゆえに別組織として設けてはいけないかということを私は尋ねているんですよ。別組織というか、国会に基礎を置いているという意味においては僕は別組織と言わなくても国会のオンブズマン、参議院のオンブズマンということでいいんじゃなかろうかと思うんですが、その点いかがでしょうか。
  77. 井上孝

    会長井上孝君) もう時間がありませんので、鎌田参考人、簡単に。
  78. 鎌田理次郎

    参考人鎌田理次郎君) 先ほどの片岡先生のお話の中に、組織の中にあって行政を監視、統制する仕組み、それから組織の外からの統制、いわゆる国会によって行政を監視する、統制するという仕事は今の問責権を行使したりというようなことでできるんじゃないか。あるいはもし法律に合わないことがあれば、これは裁判所によってやはり統制されていくというような形で、今のような日本の議院内閣制の形ではこういうシステムでいくべきじゃないんだろうか。  こういうことを申し上げてくると、オンブズマン機能というものはだんだんこれからは行政苦情を直接処理するということに移っていくとすれば、先生のおっしゃるように告訴権を持つ、起訴権を持つというようなことであれば別としまして、個々の行政官と議員、国会とが直接接触するという形がないと行政苦情の処理はできないわけでありますから、そうなると三権分立の問題に僕はぶつかってくるのじゃないのかと、これは私の個人的な考え方で、別の考えをとる方法があるかもしれませんが、私はそういうふうに考えております。
  79. 山田俊昭

    山田俊昭君 どうもありがとうございます。時間が超過して済みません。
  80. 井上孝

    会長井上孝君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人皆様には、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査参考にさせていただきたいと存じております。ありがとうございました。(拍手)
  81. 井上孝

    会長井上孝君) 次に、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。  行財政機構及び行政監察に関する実情調査のため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  82. 井上孝

    会長井上孝君) 御異議ないと認めます。  つきましては、派遣委員、派遣地、派遣期間等の決定は、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  83. 井上孝

    会長井上孝君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
  84. 井上孝

    会長井上孝君) 次長参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  行財政機構及び行政監察に関する調査のため、今期国会中必要に応じ参考人出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  85. 井上孝

    会長井上孝君) 御異議ないと認めます。  なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  86. 井上孝

    会長井上孝君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十五分散会