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山本保君 どうもありがとうございます。
お聞きしていましても、非常に積極的に最近特に出ていこうということで、
子供たちのためにその努力、またぜひ続けていただきたいと思っておるわけです。
一つだけ、細かな話になりますけれども、こういう場合、
連携といいましても
児童福祉の方は、悪い言葉ですが、言うならば落ちこぼれた
子供さんやまた悩んでいる教師のお世話をしてください、そうでない子は学校でやるんですからというような、こういう分担論みたいなものがどうしても出てきます。
私は、
児童福祉の理念というのはそうではなくて、すべての
子供たちが優しい心を持った豊かな人間に育つような応援をするのが
福祉であるということから、例えばいじめをどんどんつくっているようなそんな学校があるのであれば、ぜひその学校には一言も二言も言えるような
制度、また権限を持った配置というようなことを、これからまた文教
委員会でも言っていこうと思っているわけですが、ぜひ
お願いしたいと思います。
そこで次に、時間のこともありますので少し飛ばしますが、もう
一つ実は大事な理念がございます。それは割と忘れがちなのでございますけれども、
児童福祉の理念というのは
子供に対するサービスなんですが、その基本は子育てをしている親に対して非常な共感を持ってその親を
支援していくという原理がございます。この辺について少し私の意見を述べながら、また具体的にちょっとお聞きしょうと思うわけでございます。
これは実は現行法にもあるんですが、もともとは明治三十三年、ちょうど一九〇〇年にできました感化法という法律があります。これは名前からいきましても問題を起こしたような
子供のというふうにお
考えかもしれませんが、実際は我が国で
最初の
児童福祉の法律でありまして、というよりも
福祉の初めての法律でございます。ここには非常に
福祉の理念があらわれております。といいますのは、こういう不幸な
子供たちに対しては、罰則であるとかまた制裁を加えるという
考え方ではなくして、常に愛情でもって守る愛護と、また
子供たちを教育していかなければならないという
考え方であります。
これはちょうど二百年ほど前になります。スイスにペスタロッチーという学者がおられましたけれども、この方が一七八三年に「立法と嬰児殺し」という論文を書きました。ここでは、今とよく似ているんですが、二人の若い女性が落胆からか絶望からか、自分たちの嬰児を殺した。当時、厳罰をもって処すということで死刑になったわけなんですが、これに対してペスタロッチーは非常に怒り、論文を書きました。この女性たちは決して愛を失ったわけではない、
社会や人間の善意に絶望したからなんだ、「人間性の滅するところ嬰児殺しあり」と、こういうことを述べ、そして今で言う家庭裁判所やまたケースワーカー、相談員というような
制度を提案し、これが実は世界じゅうのいろんな
児童福祉また
社会福祉の
施設をつくっていく端緒となるものであります。これが百年前の日本にも輸入され、こういう
児童福祉のものが出てきたわけであります。
ですから、この理念というのは私は重要な
考え方ではないかと思うわけであります。例えば、
児童福祉法の二十五条には「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認める児童」という形で
児童福祉の対象児童を規定しておりますけれども、実は、この何げない、またちょっと冷たい言葉ではありますが、刑罰主義ではない、ここにまさに
児童福祉が対象とするべき
子供が出てきているわけでありまして、ただこれはこの条文だけ読みましてもなかなかわかりません。ぜひ今後、私は新しい
福祉の
ニーズというものについてよりわかりやすく
児童福祉法の中にも書いていただきたいなと思うわけでございます。
そこで、ちょっと話を少し展開させまして、今後の新しい
児童福祉の
ニーズというようなことについてこれから取り入れていただけるのではないかと思うんですけれども、その辺について少しお
考えをお聞かせいただけますか。