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1996-05-28 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成八年五月二十八日(火曜日)     午前九時二分開議 出席委員   委員長 和田 貞夫君    理事 衛藤 晟一君 理事 木村 義雄君    理事 鈴木 俊一君 理事 青山 二三君    理事 石田 祝稔君 理事 柳田  稔君    理事 横光 克彦君 理事 荒井  聰君       伊吹 文明君    稲垣 実男君       狩野  勝君    熊代 昭彦君       近藤 鉄雄君    田中眞紀子君       高橋 辰夫君    竹内 黎一君       戸井田三郎君    長勢 甚遠君       根本  匠君    堀之内久男君       持永 和見君    保岡 興治君       山下 徳夫君    粟屋 敏信君       大野由利子君    鴨下 一郎君       北村 直人君    久保 哲司君       高市 早苗君    桝屋 敬悟君       山本 孝史君    五島 正規君       森井 忠良君    枝野 幸男君       岩佐 恵美君    土肥 隆一君  出席政府委員         厚生大臣官房長 山口 剛彦君  委員外出席者         参  考  人         (株式会社ミド         リ十字取締役         社長)     松下 廉蔵君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ――――――――――――― 五月二十八日  無認可保育所公平化に関する請願樽床伸二  君紹介)(第二六二三号)  重度戦傷病者と妻の援護に関する請願櫻内義  雄君紹介)(第二六二四号)  療術の法制化に関する請願熊谷弘紹介)(  第二六四九号)  老人を初めとする患者負担増大反対に関する  請願穀田恵二紹介)(第二六五〇号)  聴覚障害者に対する文字放送内蔵型テレビ給付  に関する請願上原康助紹介)(第二六五一  号)  同(斉藤斗志二君紹介)(第二六五二号)  同(山花貞夫紹介)(第二六五三号)  建設国保組合の改善及び公的介護保障確立に  関する請願五十嵐広三紹介)(第二七三一  号)  同(池端清一紹介)(第二七三二号)  同(岩田順介紹介)(第二七三三号)  同(田口健二紹介)(第二七三四号)  同(山原健二郎紹介)(第二七三五号)  腎疾患総合対策早期確立に関する請願(簗瀬  進君紹介)(第二七三六号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  厚生関係基本施策に関する件(エイズ問題)      ――――◇―――――
  2. 和田貞夫

    和田委員長 これより会議を開きます。  この際、申し上げます。  本日は、委員室での喫煙は御遠慮願いたいと存じます。  また、報道関係者方々にお願いいたします。傍聴人の撮影は御遠慮願いたいと存じます。  以上、御協力をよろしくお願いいたします。     ―――――――――――――
  3. 和田貞夫

    和田委員長 厚生関係基本施策に関する件、特にエイズ問題について調査を進めます。  本日は、参考人として、株式会社ミドリ十字取締役社長松下廉蔵君に御出席を願っております。  松下参考人一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。  議事の進め方といたしましては、初めに委員会代表いたしまして委員長から総括的にお尋ねし、次いで委員質疑にお答えをいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  まず、委員長から松下参考人お尋ねいたします。  参考人は、血液製剤によるエイズ感染が問題化してきた当時、国内最大手血液製剤メーカーである株式会社ミドリ十字社長在任されました。当時、血液製剤によるエイズ感染危険性について、ミドリ十字米国子会社であるアルファ社からの情報を初め、さまざまの知見を得ておられたと思いますが、感染危険性の重大さをどのように認識をしておられたのか、簡潔にお答え願いたいと思います。
  4. 松下廉蔵

    松下参考人 松下でございます。  委員長の御質問にお答えいたします前に、お許しを得まして、一言おわびを申し上げさせていただきたいと思います。  在任中は、血液製剤メーカーとして、有効で安全な医薬品を提供するということを各役職員と協力して努力してまいりましたが、エイズ問題につきましては、このような被害を生ずるに至りましたこと、当時の社長といたしまして、まことに申しわけなく、被害者の方及び国民の皆様に深くおわびを申し上げたいと存じます。  当時の責任者として、本日はできるだけ情報を開示しなければならないことは自覚しておりまして、最近になってマスコミ等から得た情報によります記憶喚起も含めて、できるだけ正確にお答えいたしたいと努力いたしておりますが、社長を退いて既に七年になり、在任中の資料手元にございませんし、当時の記憶もやや薄れておる面もございますので、その辺は御了解をいただきたいと思います。  それでは、お答え申し上げます。  まず、在任中に感染危険性の有無についてどう考えておったかということでございますが、私が就任いたしました五十八年四月のころには、エイズにつきましては、当初は特定のグループに発生いたします原因不明の奇病と報道されておりまして、ただ、五十八年当初から、今御指摘のとおり、アメリカ子会社アルファからのものも含めまして、アメリカ中心とする種々の学術資料も出されておりまして、社内の研究資料その他から、エイズ血液関係があるのではないかという議論があったことは承知いたしております。ただ、当時なおウイルスが固定されておらず、成人ヒト白血病との関係ども議論されておりましたようで、決定的な認識は持つに至りませんでした。  ただ、アルファのドリース社長とも連絡をとりまして、アメリカのFDAの勧告が当時出されており、ミドリ十字原料血漿の主な供給源であるアルファに対しまして、危険地域における採血所の閉鎖、エイズの疑いのある人やいわゆるリスクグループ人たちからの採血の停止といったような、当時において考えられる可能な限りの対策をとっておったというふうに記憶いたしております。  以上でございます。
  5. 和田貞夫

    和田委員長 一九八五年の加熱製剤承認後もミドリ十字は非加熱製剤を出荷し、また、既に出荷された非加熱製剤回収にも二年半以上の期間を要したのはなぜですか。  当時は、エイズについての医学的な解明も進んでいましたが、この間のエイズ感染危険性についてどのような認識を持っておられたのか、簡潔に御説明願いたいと思います。
  6. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字といたしましては、加熱製品承認をいただきました後は、市場の非加熱品加熱品との交換という形で回収に努力しておったわけでございます。  ただ、承認後直ちに全部を供給するというだけの製造能力にも限界がございまして、血友病薬については他に代替品がないということは先生方承知のとおりでございますし、欠品を生ずるということは医療上の支障を生ずることにもなりますので、加熱品交換という手段をとらざるを得なかったのが当時の実情でございます。  ただ、卸や病院薬局に残っておる在庫につきましては、厚生省回収命令もなかった段階では、それを強制して回収するということはできなかったのでございますので、完全な回収ができなかったということは、私といたしましても、今になって顧みて残念に思っております。  なお、その後、非加熱品を新たに出庫したのではないかという御趣旨の御質問だと存じますが、そのケースにつきましては、私は具体的に承知しておりませんので、今後の、私も新聞報道されておりますように大阪地検に告訴、告発を受けておるという立場でございますし、そういった事情につきましては地検のお調べがこれから行われるものと思いますので、ここでは遺族の方々に深くおわびを申し上げますとともに、地検の御調査に対してもできるだけ記憶を喚起して陳述したいというふうに考えておる次第でございます。
  7. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして、私からお尋ねすることは終わりました。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。衛藤晟一君。
  8. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 松下参考人お尋ねしたいと思います。  まず第一点、血友病治療に関する国際会議への資金援助についてお尋ねをしたいと思います。  先日の衆議院の厚生委員会参考人質疑に立った風間血液製剤小委員会委員長は、八三年六月二十六日の世界血友病連盟ストックホルム会議に参加したようであります。世界血友病連盟血液製剤メーカーからの寄附で運営されていると言われていますが、ミドリ十字社寄附をしているのですか、また、どの程度運営に関与しているのですか。
  9. 松下廉蔵

    松下参考人 お答え申し上げます。  ミドリ十字は、先ほど委員長指摘のとおり、国内においては血液製剤メーカーといたしまして大手の一つでございまして、血友病製剤につきましても、御承知のように製造販売をいたしております。そういう立場で、血友病治療促進あるいは血友病患者対策というようなことにつきましてはかねがね関心を持っておりまして、そういったものの一環といたしまして、血友病団体に対する援助というものは、社業範囲内と申しますか、会社の経理の許します範囲で常々行っておったことは私もよく承知しております。  ただ、どの程度の金額が出ておったかということは、今お答え申し上げる資料手元にございませんので、ちょっと正確な数字はお答え申し上げかねる次第でございます。
  10. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 風間氏は、一たん、ミドリ十字社から何人かの医師旅費をもらって出張したというような発言をした後、この発言について取り消しています。実際はどうなんでしょうか。  それから、安部氏、風間氏以外に、旅費を負担したエイズ研究班班員はいるのかどうか、お尋ねいたします。端的に答えてください。
  11. 松下廉蔵

    松下参考人 その件については、私は具体的に承知しておりませんので。申しわけございません。
  12. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 世界血友病連盟ストックホルム会議で非加熱製剤継続使用が決定されたと言われておりますが、この方針事前世界血友病連盟から情報を得ていたのか、また、世界血友病連盟方針に対してアルファ社を通じるなりの方法事前に意見を述べていたのか、お尋ねいたします。
  13. 松下廉蔵

    松下参考人 少なくとも私は、そういった情報については受けた記憶はございません。また、アルファ社を通じてそのような工作をさせたということもございません。
  14. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 血友病総合治療普及会への資金提供がございます。一千万円を寄附したと言われております。  そこで、安部氏はこれまでの参考人質疑で、財団の設立日本血液製剤協会代表者から勧められたというぐあいに発言をしております。また、報道では、ミドリ十字社内藤氏から勧められたというぐあいにも言われております。ミドリ十字社から何らかの形で設立を勧めたのかどうか、お尋ねいたします。
  15. 松下廉蔵

    松下参考人 血友病総合治療普及会につきましては、報道されておりますとおり、ミドリ十字他社並びに一千万円を基金として寄附いたしております。  この普及会事業は、その前に、私が社長就任前でございますが、厚生省から保険適用を認めていただいておりました家庭治療、いわゆる自己注射促進をするという事業の内容と承っておりまして、そのためにはミドリ十字としても血液製剤メーカーとして若干の寄附が必要であるというふうに判断したものでございます。
  16. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 血友病総合治療普及会は、安部さんは自分からつくるということを言ってはいないのですね。いろいろな方に勧められたということを言われているのです。そうすると、これを中心的に勧めたのはどなたか、御存じですか。ミドリ十字社ではないのですか。
  17. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございませんが、私はそれは存じません。
  18. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 知らないということは、社長就任以前だったから知らないと。働きかけは五十七年の秋とも言われておりますね、そのスタートされたのが。そのころだから知らないと言うのですか、それとも、そういう事実はなかっただろうということですか。
  19. 松下廉蔵

    松下参考人 前年、私は既にミドリ十字の副社長でございますから社業には携わっておりましたけれども、少なくともミドリ十字の幹部といたしまして、そういう決定をし、お勧めをするという話が出た記憶はございません。
  20. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 そうすると、これは、安部先生が言ったミドリ十字中心的に勧めていないということになりますと、血液製剤協会からは、我々は勧めていないということを言われているのですね。安部先生は、皆さんから勧められましたと言われているのですね。そのときの発起人で、一番最初にミドリ十字さん初め国内の数社、あるいはトラベノールも入れて出しておりますけれども、そういう方々で話をして勧めたのか、あるいはミドリ十字中心になって勧めたのか以外考えられないのでありますが、そのことについて全くわかりませんか。
  21. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございませんが、私の記憶しておる限りでは、そういうことは覚えておりません。
  22. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 台帳には一千万の資金提供と載っておりますけれども、一部のうわさでは、一千万ではない、二千数百万だといううわさもございますが、どちらが事実でしょうか。
  23. 松下廉蔵

    松下参考人 ちょっと聞き漏らしたのでございますが、一説では何とおっしゃいましたか。(衛藤(晟)委員一説では二千数百万とも言われている、ミドリ十字資金提供が」と呼ぶ)私の記憶しております限りでは、他社横並びで一千万円を提供したというふうに記憶しております。
  24. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 この血友病総合治療普及会には、製剤メーカー資金援助をし、もちろん安部先生代表としてお金を出しておりますが、その中に、呼びかけ人には小沢辰男さんの名前が入ったりということでございます。この関係は、私ども、正直言ってよくわからないのですね。  実は、今回のエイズ問題で果たした役割は極めて大きいと思っているのですね。家庭療法委員会、それからこの普及会、ここが常に非加熱製剤使用をもっともっと進めていこうとしているわけですね。しかし、そのころは、実は非加熱製剤危険性について徐々に言われ始めた時期なんですね。それにもかかわらず、この普及会は、結局は、五十七年の暮れぐらいから設立についての話がされ、五十八年当初に基本的な財産を振り込むわけですね。そして、一番危ないと言われている時期にもかかわらず、六十年にスタートをするという、極めて奇妙な生い立ちを持った普及会なんですね。どう考えたってつじつまが合わないのです。  これがいわゆる隠然たる力を、何らかの影響力を直接的にやったとかいうことは私はわかりませんから言いませんけれども、しかし、とにかく非加熱製剤というのはすばらしいものであるということをずっと言っている、それに対して、なかなかこれだけの体制をつくると刃向かう人はいないのではないかと思うのですね。そういう意味におきまして、中心的に携わった内藤さん、それから安部さん、小沢さん、ミドリとの関係はどうだったのでしょうか。知っている限りのことをぜひ言っていただきたいと思います。
  25. 松下廉蔵

    松下参考人 今御指摘になりました家庭療法普及という点は、先ほど申し上げましたように、既にその前に厚生省保険適用が認められておりまして、その意味ではむしろ、非加熱製剤と今おっしゃいましたけれども、その当時は全部いわゆる濃縮製剤でございます。加熱製剤はまだございません。そういう時期に発足したと私は記憶いたしております。ただ、それが、今御指摘のように、エイズの問題がだんだん浮かび上がってきたときと時期を接しておりますために、世上そういう誤解が生じておるのではないか。  ただ、私は、この普及会については直接タッチしておりませんので、私の今の想像を申し上げて恐縮でございますが、加熱のない時分の濃縮製剤で始まったことと、それから非加熱製剤を使うことを普及させることを目的としたということとは、できれば区別してお考えをいただければと思っております。
  26. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 確かに、当時は非加熱しかなかったのですね。家庭療法委員会でも、大変便利でいいものだということで徹底的にやるのですね。そして、この趣意書の中にも、やはり便利だからもっともっと拡大すべきであると。もちろん、研究費も出しますよ。しかし、家庭療法委員会からこの普及会というのは続いて、便利だからクリオに戻ったりすることはないのだ、そして、予防的な止血がちゃんとできるのだからもっともっと使いやすい方法をいろいろ研究してやるべきであるということを言われるのです。ある意味では一種の、当時、ミドリ十字社が半分ぐらい押さえていた非加熱製剤シェア拡大に直接つながる行為でもあるのですね。結果的にはですよ、意図したかどうかということははっきりわかりませんけれども。  そういう中で、このいわゆる普及会というところが果たした役割というものは一とにかくいい、いいと言っているわけですから。ところが、いい、いいと言っている最中に、どうもこの中にエイズウイルスが混入しているらしいよということをわかっていながら、いい、いいと言い続けて、だれも方向転換できない。  結局、皆さん方の、ミドリ十字社回収のおくれもそうだと思うのですね。いい、いいと言ってみんなに広げてしまったわけですからね。広げた以上、後で実はなんということはだれも責任を持って言えなくて、そのままずるずるいってしまったというのが実態じゃないでしょうか。そのことが極めて大きな被害拡大を招いたということの実態じゃないのでしょうかね。  この後もう一回、私は血液の問題についてもお聞きをさせていただきたいと思いますけれども、ですから、こういう過程の中で、あなたは副社長社長として、当時、政治献金としてちゃんと届け出ているお金があればいいですけれども、それ以外の不明朗なお金は政界に対して動きませんでしたか。いずれ、これはいろいろ検察も入ってくると思いますから明らかにされると思いますので、ぜひ話をしていただきたいと思うのです。
  27. 松下廉蔵

    松下参考人 先生承知のことと思いますが、薬業界というのは、他の業界もそうでございますけれども、やはり日本の慣例として横並び意識の強い業界でございまして、政治献金につきましては、薬業団体の主な役員が話し合いをいたしまして配分配分というと失礼でございますが、献金をいたします政治団体それから額等を大体方針を決めまして、その申し合わせに従って政治献金をいたしております。  したがって、法的手続はきちっと行われておりますけれども、私といたしましては、ミドリ十字がどういう献金をしたか、どなたにどういう献金をしたかということは直接は記憶いたしておりません。
  28. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 加熱製剤に対する治験のおくれについてお尋ねをしたいと思うのです。  ミドリ十字社加熱製剤開発がおくれており、既に加熱製剤開発に成功していたバクスター、トラベノール社製剤が認可されると大きな打撃を受ける状況にあったというぐあいにどもとしては聞いております。  その中で、危険性については先ほど委員長質問にお答えいただいたようでございますが、ミドリ十字社は当時、加熱製剤開発を急いでいたと考えられますが、それはどうなのか。それから、ミドリ十字社治験担当医師である安部氏に対して加熱製剤開発を急ぐよう依頼したのではないかと思われますが、少なくともそのような加熱製剤開発を急いでいる旨、安部氏に伝えたのかどうか。そこのところをお尋ねしたいのであります。
  29. 松下廉蔵

    松下参考人 今先生指摘のようなことが巷間時々マスコミに登場しておることは私も承知いたしておりますけれどもミドリ十字といたしましても、これは血液製剤を主とする企業でございまして、当然、むしろエイズ以前から、怖かったのはB型肝炎あるいはC型肝炎、そういった肝炎でございまして、これは非常に血液を介しての伝染力の強い病気でございます。そういうことを事前に防ぎたいということで、実は随分早い時期から、肝炎等対策といたしまして加熱研究をいたしております。それは、アメリカ子会社アルファにおきましても同様な研究を協力して進めておりまして、実はアルファにおきましてはミドリ十字より先に、これはアメリカとの制度の違いもあると思うのですけれども加熱承認をとっております。これも肝炎対策でございます。  ただ、その肝炎対策が結果としてエイズの防止に役立ったということは先生も御承知のとおりでございまして、そういう意味で、ミドリ十字は決して加熱研究がおくれておったわけではございません。実施には至りませんでしたけれども、既に早い時期に加熱に関する特許もとっておるはずでございます。  したがって、厚生省の指導による加熱治験が、出願の時期が多少前後しておったということはあるかもしれませんが、それは、今申し上げたように、内部の研究体制のいろいろな連絡等の問題でございまして、その加熱治験をおくらせるために安部先生に何か働きかけたというようなことは決してございません。それは自信を持って申し上げてよろしいと思います。
  30. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 アルファ社開発していた加熱製剤と、後で国内ミドリから開発した加熱製剤というものは若干違っていたのじゃないですか。
  31. 松下廉蔵

    松下参考人 これはアメリカ日本制度の相違でございまして、そのまま導入いたしますためには、いろいろな国内制度の上で少し難しい点がございまして、多少のモディファイをしたものを日本で実験したというふうに承知いたしております。
  32. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 結果としては、加熱製剤臨床試験開発は、御承知のとおり治験に着手するのも、他社に比べて大分おくれておりますね。それから、結果としては承認申請が同時期にそろえられましたね。スタートの時点で大分遅かったわけでございますが、結果としては同時期になりました。これについてどういうぐあいに考えられますか。
  33. 松下廉蔵

    松下参考人 それは厚生省の御判断によるものと思いますが、たしか私どもは、一番早かったところより二カ月ぐらいおくれておったかと承知をいたしております。  ただ、それは厚生省にそういう治験に入るという届けの時期の問題でございまして、それまでの準備の段階で各社いろいろなことはいたしておりますし、私どもといたしましても、もちろん企業は競争でございますから、各社の情報もとれるだけはとっておりますけれども、どの社がいっそういう申請をするかというようなことまでは承知いたしておりません。結果として、厚生省の御判断が大体七月一日でございましたか、その時期に承認するのが適当であるという御判断があったものと承知いたしております。
  34. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 そうすると、安部氏は、一九八八年二月の新聞報道に、治験の調整を行った旨回答していますが、この発言についてどう思われますか。
  35. 松下廉蔵

    松下参考人 そういう報道が一部ありましたことは承知いたしておりますが、それは、安部先生がどうお考えになったかは私も何とも申し上げかねます。
  36. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 非加熱製剤回収のおくれについてお尋ねをしたいと思います。  ミドリ十字社は、昭和六十二年の血液製剤協会への報告に対して、八五年十一月までに回収していたが、本年二月の厚生省立入調査の結果、一九八五年十二月まで非加熱製剤の出荷を続け、回収は八八年四月までかかっていたことが明らかとなりました。また、回収に当たって、医療機関患者に対して十分な情報提供も行われた様子はありません。  参考人は、非加熱回収に当たって、回収の徹底や十分な情報提供について何ら指示をしなかったのか、企業姿勢として大変問題があるのではないかと思いますが、どういうぐあいに思いますか。
  37. 松下廉蔵

    松下参考人 その点は、先ほど委員長からも厳しい御指摘がございまして、一部おわびを申し上げたところでございますが、原則といたしましては、加熱製品の上市と、それから非加熱回収といいますか交換とを同時に行いまして、先ほど申し上げたように、他に代替品のない血友病薬でございますから、市場に欠品が出ないということを主にいたしまして、そういう方法をとったわけでございます。  ただ、業界の慣習といたしまして、やはりまとめて出荷をする。そうすると、卸それから病院の薬局等にかなりの在庫が残っております。そういうものまで引き揚げるということは、回収命令も出ていない段階におきましては非常に困難な点がございまして、そういった意味で、回収が予定いたしましたよりもおくれたということは、私どもおわびを申し上げなきゃいかぬ事項であろうと思っております。
  38. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 ミドリ十字加熱治験を始めたのは五十九年の六月なんですね。五十九年の五月には、ギャロ博士によってエイズウイルスが固定されつつある。それから五十九年の九月には、国際ウイルス学会で固定される。それから五十九年の十月には、CDCが加熱処理の不活性化効果を確認するということなんですね。  ですから、ミドリ十字社加熱治験を始めたころ、そして、ずっとこの治験をやっていたころに、既に非加熱製剤の中に含まれているエイズウイルスも固定をされ、しかも、加熱をすると大丈夫だよ、エイズウイルスは不活化するよということの効果が確認されているわけですね。そういうことの後、大分たって、申請が六十年の五月三十日、承認が七月一日となるのですね。  ですから、治験が始まったころには相当な程度、少なくとも、ギャロ博士は五月ですが、治験を始めたのは六月、その九月には国際ウイルス学会でもはっきりと固定されているのですね。そうしたときに、責任ある製剤メーカーとして、薬屋さんとして、このころ何ゆえに加熱製剤の緊急輸入を考えなかったのでしょうか。どうしてもこれは私、理解がいかないのですけれども、どうでしょうか。
  39. 松下廉蔵

    松下参考人 今、緊急輸入という御質問でございますか。(衛藤(晟)委員「そうです」と呼ぶ)ちょっとおっしゃる意味がよくわからなかったのですが、アルファからの緊急輸入ということでございますか。
  40. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 アルファでもどこでも結構なんですね、おたくの子会社ですからね。  しかし、当初、後でもう一回血液問題を言いますけれども厚生省は国を挙げて、実は血液製剤の自給化を図ろうとするのですね。一番最初の郡司さんや藤崎さんの文書の中にも、はっきりとそれは書いてありますね。それは、松下参考人が薬務局長をしているときに確認した中身でもあるのですね。国内で賄おうということで、何度も研究会でやっていたわけですね。(松下参考人血液問題研究会」と呼ぶ)はい、そうです。  そして、血液製剤においては何とか国内でやらなきゃいけないという大方針を立てるのですが、結果としては、松下参考人がやめた後、厚生省はその血液製剤の自給体制を我が国で確立し得なかったのですね。  そして現実には、結局、郡司さんは、このときになって非常に慌てて、一番最初に出したのは、アメリカからの血液を輸入するのをやめようというぐあいに動かれるのですね。そして、一部、何とかクリオに転換できないかという検討を始めるのです。だから、郡司さんは確かに、いきなり加熱製剤の輸入について議論をしたことはなかったですね。というのは、国内で全部賄うという計画を持っていたからですね。  しかし、既に、ミドリ十字加熱製剤についての治験を始めたころ、あるいは一生懸命勉強していたころは、もう非加熱製剤は危ないよということが非常にはっきりしていたわけですね。ですから、この治験のためにずっと時間をかけるよりも、手っ取り早く、とにかく緊急避難的に製薬メーカーとしてはやはり輸入について考えるというのが普通だと思うのですけれども、そういうことについて考えなかったのですか。
  41. 松下廉蔵

    松下参考人 まず、今の血液問題研究会の中間答申でございましたか、これは確かに私が薬務局長に在任中に、前職のことをここで申し上げるのは少し不謹慎かもしれませんが、お尋ねがありましたので申し上げますが、私の在任中に検討いたしましたけれども、その答申が出ましたのは私が退任した後でございます。  それはそれといたしまして、あの内容としては、できるだけ献血をもって血液製剤を賄わなければならないというような内容であったことは記憶しておりますが、あのときに言われておりましたのは、ほとんどが輸血用の保存血でございます。  当時の血液製剤の需要と供給との関係から申しまして、国内の献血だけで全部の血液製剤が賄える状況では到底ございません。したがって、その後の厚生省の御指導は、全血製剤それから成分製剤につきましてはできるだけ献血を利用する、そのほかに、血漿分画製剤につきましては、当分の間やはり輸入もやむを得ないという御方針で御指導いただいておりまして、その線に従って、私どもも、アメリカアルファ設立する等、国内血液の需要に支障を来さないような努力を続けておったわけでございます。  それと、今御質問加熱製剤の緊急輸入を考えなかったかということは、これは厚生省がお決めになることでございまして、一社でよくするところではございません。  ただ、先ほど申し上げましたように、加熱研究は相当進めておりまして、その間に加熱製品を、薬事法上の俗語で申しますと一部変更、一変と言っておりますが、一部変更で国内でやることはできないかというようなことを厚生省に打診したという話も、これも申しわけないのですが、私、当時は記憶しておりませんで、最近の情報で知ったわけでございますが、そういう事実もございまして、決して、そういう加熱製品の上市をおくらせるとか、そういうような意図を持って行動したことはないと私は考えております。
  42. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 厚生省は昭和三十九年に閣議決定、「献血の推進について」を策定しまして、昭和五十年にはすべての血液製剤について自給の方針を一応打ち出したのですね。ただ、これは残念ながら守れなかったのです。おっしゃるとおりですね、できなかったのです。  それで、昭和五十八年当時は、血液凝固因子製剤のほとんどを輸入に頼っている状況だったことは間違いございません。輸血用の血液製剤は日赤が供給し、その他の血液製剤血液製剤メーカーが供給するというすみ分けができていたために、血液製剤国内自給はますます進まなかったという指摘もありますけれども参考人は、我が国の血液事業についてどういうぐあいに認識していたのか。  それから、血液製剤の中にアルブミンとかグロブリン等も入っておりますけれども、これ全体として、実は郡司さんは、五十八年のころ、この小委員会ができるころ、全体の自給について考えておられたのですね。ところが、全体としては極めて大きな金額にもなりますね。凝固因子よりもアルブミン、グロブリンの方は非常に大きな金額になりますが、そういうところの中において、製剤メーカーとしてどういうぐあいにその状況を考ズておったのか。逆に、そんなところまで国内でやれるわけはない、全部今輸入してやっているのに、そんなものを国内でやろうとするのはむちゃくちゃだな、しかも業績に響くななんてことを考えたのかどうか、そういうことについてお尋ねしたいと思います。
  43. 松下廉蔵

    松下参考人 経緯といたしましては、先生今御指摘のとおりだと私も理解いたしております。  献血運動を私も役人時代の仕事といたしましても推進してまいりましたし、それがまた正しい方向であるど私も理解いたしております。ただ、実際に、血液製剤メーカーとして、市場を対象にし、医療の状況を見ておりますと、まず、いいお薬を十分に供給するということが少なくともメーカーといたしましては義務であるという理解の上に立ちまして、やはり輸入もやむを得ないと。  最近の研究会の関係調査でもいろいろ言われておるようでございますが、当時は、赤十字社は分画製剤をつくる施設を持っておりません。意思もお持ちにならなかったのではないか。これはもしそうでなかったら失礼かもしれませんが、これは推量でございますけれども、そんな感じを持つておりました。  というのは、私の理解では、国内の献血という運動が、これは大変いいことなのでございますが、非常に崇高な精神運動の性格を持っておりまして、そういう神聖なる血液企業に扱わせるということは許されないという空気がかなり、これは日赤さんとは申しませんが、一般的にもあったように思います。そういうような問題との相克の間で、どうしても外国の血液を輸入し、これを劔剤しなければならないというようなのが、その時点における血液製剤企業のやはり宿命的なものであったのではないかというふうに思っております。  ただ、そういう方向はもちろん正しいことでございまして、現在は、御承知のように、献血の血液から、少なくとも凝固因子製剤は一〇〇%国内血で賄われておりますが、今御指摘のアルブミン、グロブリンということになりますと、今の献血の状況を見ましてもまだ十分には至っていない。私ども医療で歓迎されております医薬品をつくるためには、今のシステムも、もちろん加熱という技術が発達してまいりましたからウイルスとか病原体ということは今のところは心配ない情勢になっておりますので、やはりこういう体制を続けていかざるを得ないのではないか。  多少、御質問の趣旨と違ったかもしれませんが、一応、考え方をお尋ねでございましたので。
  44. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 昭和五十九年十月に、先ほど言いましたように、CDCで加熱製剤エイズウイルス不活化効果が確認されておるにもかかわらず、第Ⅸ因子製剤につきましては、昭和六十年の九月になってようやく臨床試験を開始いたしております。そして、昭和六十年の十二月に製造承認がなされた後、六十一年の十二月まで出荷が行われています。第Ⅸ因子につきましては六十一年の十二月まで出荷が行われておるわけでございますが、ところが、非加熱製剤承認整理日は六十一年の四月二十四日になっております。  この間、明らかに八カ月に及んで、出荷してはならないのに出荷をしているのですね。もう既に非加熱製剤承認整理を行いましたよと言っているにもかかわらず、第Ⅸ因子につきましては六十一年の十二月まで、四月にやめましたと言っているのに十二月までまた出荷しているのです。これは明らかに薬事法違反になりませんか。
  45. 松下廉蔵

    松下参考人 都合のいい答弁だけするとおしかりを受けるかもしれませんが、その六十一年の四月の承認整理は、私は、自分で処理いたしましたので確かに覚えております。ただ、その後も新たな出荷が続いておったということは、まことにこれはお恥ずかしい次第でございますが、最近の報道で初めて知ったわけで、先ほど委員長にも御答弁申し上げましたように、これは確かに私どもの指導の不十分であったと思っております。  ただ、弁解がましくはなりますが、承認整理序いたしますと、薬の販売の関係では、先生承知かと思いますけれども、一年間は残品の処理の期間が保険適用上は認められておりまして、そういう意味の甘えがあるいは当時の担当者にあったのかと、これは指導の不十分を十分おわびしなければならぬと思いますけれども、そういうことも考えておる次第でございます。
  46. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 この時期に、先ほどから何度も申し上げますが、既に五十九年の九月には国際ウイルス学会でエイズウイルスが固定される、それから、翌月の十月にはCDCで加熱処理について不活性化効果が確認される、これだけのことは情報としてちゃんと入っているにもかかわらず、何でこんな悠長なことが、被害拡大をおめおめと許すようなことが行われてきたのだろうか。どうしてもこれはやはり理解できないのですね。  そして、六十一年の四月に承認整理を行った後も六十一年の十二月までその出荷がなされる。そして、回収が終了するのは、それから二年半もたって六士一壷の七月なんですよ。一体どんな感覚なんだろうか。薬事法も既にこのころまた改正されているわけでございますから、どうも血友病治療にかかわった方々血液製剤にかかわった方々はどこかで何か麻痺していたのじゃないのかというような気がしてしようがないのですね。  だから、当初のころ、まだわからなかったというころならいいのですよ。いいのですよというのは、それは今みたいな言いわけは通用するかもしれない。それは、五十七年、五十八年の当初ぐらいまでですよ。しかし、徐々に徐々に、五十八年の終わりぐらいから五十九年にかけて、特に五十九年の五月、ギャロさん、九月、国際ウイルス学会、十月、CDCの加熱処理の不活化効果確認とか、こういう一連のことが続いていながら、ただ治療の面で云々ということだけで言えるのですかね。  緊急的な加熱製剤の輸入だって考えられたし、あるいは、もっともっと国内血をどうかするということで考えられたし、クリオヘの一部転換だって考えられたし、そんな努力をしている様子が余りなくて、これはとにかくクリオに戻るのはだめなんだ、注射が詰まるのでみたいなことをへここで詰まると言わないとおまえの立場はどうなるかわからないぞみたいなことを議論をされて、そのまま進んでいくというのは異常じゃありませんか。当時社長としてどう思われますか。
  47. 松下廉蔵

    松下参考人 今の御指摘は、私も関係者の一人といたしましてまことに耳の痛い御意見でございますが、ただ、クリオの問題等につきましては、私どもの関知せざるところでございます。それは、この間うち、当委員会でも随分御議論があったことは承知いたしておりますけれども、ちょっと私からお答えいたすことは適当でないと思いますので、控えさせていただきたいと思います。
  48. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 最後に、これまでに判明した非血友病患者に対する非加熱製剤の投与事例、いわゆる第四ルートについては、すべてミドリ十字社製剤が投与されているのですね。一つだけ併用がございましたけれども、しかし、いずれにいたしましても、すべてにミドリ十字社製剤が投与されているということでございます。しかも、その投与された時期も、昭和六十年以降の遅い時期が多くなっているのです。  ミドリ十字社エイズ危険性認識しつつ非加熱製剤の販売を拡大していたとの疑いを私は非常に持っているわけでございます。それについてどう考えますか。  さらに、参考人は、昭和六十年当時、ミドリ十字社血友病患者以外に使用できるとして非加熱製剤を販売していたことを知っておられたのですか。
  49. 松下廉蔵

    松下参考人 これはもう無能な社長であったというふうなおしかりを受けることは覚悟の上でございますけれども、残念ながら、私は当時は、クリスマシン、第Ⅸ因子製剤でございますが、それが他の疾病の止血に使われるという事実は存じませんでした。最近の報道によって、それを初めて知ったわけでございます。  それともう一つ、なぜそういう出荷が行われたかということは、先ほど委員長へのお答えで申し上げましたとおり、今私がその関係で刑事告訴を受けておる立場でございますので、これは、私がいろいろ申しますよりも、検察庁の適正なるお調べをまつのが妥当だと思いますので、この席におけるコメントは控えさせていただきたいと思います。
  50. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 最後に、ちょっと意見を申し上げたいと思います。  参考人は、昭和五十年当時の血液問題研究会の答申は、厚生省は血漿の分画製剤も入れて自給すべきであるという、ある意味でいえば、先ほど理想というお話でしたけれども、それを立てるのですけれども、それを厚生省それから日赤はちゃんと達成できなかったのですね。そして五十八年当時、これは大変だということで、郡司さんも慌てる。慌てるからこそ、公衆衛生局の方に行かなくて、この血液製剤の方の課で取り扱うということになったと思うのですね。そしてこのときに、郡司さんも、七月四日のペーパーを見ますと、藤崎さんのべーパーを見ても、それから当時安部さんが言っていたことを見ても、みんなが、これは何とか外国からの輸入はやめなきゃいかぬ、特にアメリカからの輸入はやめなきゃいかぬ、そして何とかしなきゃいかぬぞというふうに異口同音に言うのですが、結果としては全然進まなかったのですね。  ちょうど薬務局長として携わってきて、そしてその後、ミドリ十字社に行かれて、このときの、このことの経過をどう見ますか。結果的に言うならば、この血液行政の不備というか至らなかった点がこれほどまでに被害拡大させたのではないか、的確な手を打てなかったということについて極めて大きな問題があったのではないかというふうに私は思っておりますが、それについて、参考人はどう思われますか。
  51. 松下廉蔵

    松下参考人 私も、厚生省に在職した当時、その後も、いろいろと血液問題には携わってきた一人でございますので、意見をお求めのようでございますからあえて意見を申し上げますが、おっしゃるとおり、日本血液事業につきましては、他国と違ういろいろな要素があったかと思います。  ただ、血液製剤メーカーにいたから申し上げるわけではございませんけれども血液製剤、分画製剤というものはやはり日本医療のために相当な力を発揮しておりますし、赤十字の献血で賄うことができなかった時代におきましては、やはりそういう血液製剤、輸入の血液製剤による市場への提供ということは、一つの製薬企業の義務として果たしてまいったというふうに自分では自負いたしております。  ただ、そういう問題が起こりましたことにつきましては、先ほどから委員がいろいろ御指摘のように、非常にいろいろな面で不十分な点がございまして、どこの責任ということは申し上げませんけれども関係者一同として、こういう問題を契機として反省しなければいけないということは十分考えておるつもりでございます。
  52. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 それからもう一点、家庭療法委員会ですね。とにかく非加熱濃縮製剤、非常にこれで助かるよ、便利だよということで、ずっと広がってまいりますね。そして、五十八年の二月に、厚生省保険適用を認めますね。そしてそのころまた、総合治療普及会というのがつくられますね。いずれのことにいたしましても、やはりミドリ十字社はその中心メーカーとして大変大きな役割を果たしたような感じがするのです。それは、いろいろな資料を見ていたら出てくるわけです。  しかし、そのように厚生省製剤メーカーも、それから政治の側も、残念ながら政治の側も、非常にいいことだ、いいことだとずっと言ってきた手前、だれもが危ないとわかっていながら、危険性がこれだけ察知されていたにもかかわらず、本当に危ないんだよ、実は、いい、いいと勧めていた非加熱濃縮製剤の中にエイズウイルスがまじっているんだよということをだれも言えなくて、最後までちゃんとした回収命令も出せなくて、そして、徹底した回収もしなくてずっとこれを野放しにしてきた、許してきたという責任は極めて大きいと思います。このことが二千人に及ぶ血友病患者への拡大を招いてきたというぐあいに思いますが、どう考えられますか。
  53. 松下廉蔵

    松下参考人 御指摘は、関係者の一人といたしまして、その責任の一部は負担しなければならないのであろうというふうに考えております。
  54. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 終わります。
  55. 和田貞夫

    和田委員長 山本孝史君。
  56. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 新進党の山本孝史でございます。  松下さんには、きょうはお越しをいただきましてありがとうございました。  早速質問をさせていただきますが、少し観点が外れるのかも知れませんが、サリドマイドの薬害についてお尋ねをしておきたいと思います。  薬務局長在任中、サリドマイドの和解に当たって、昭和四十九年十月十三日、あなたは薬務局長として、全国サリドマイド訴訟統一原告団代表と、覚書に署名をして取り交わしをしておられます。御記憶でいらっしゃいますね。
  57. 松下廉蔵

    松下参考人 委員長にお伺いいたしますが、今の問題は私の薬務局長在任中のことでございまして、きょうは株式会社ミドリ十字社長という肩書で参考人招致をいただいておりますけれども、今の御質問にはお答えしてよろしゅうございますか。
  58. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 お聞きをしたいのは、その確認書の四項目めのところに、   厚生大臣は、本確認書成立にともない、国民の健康を積極的に増進し、心身障害者の福祉向上に尽力する基本的使命と任務を改めて自覚し、今後、新医薬品承認の厳格化、副作用情報システム、医薬品の宣伝広告の監視など、医薬品安全性強化の実行をあげるとともに、国民の健康保持のため必要な場合、承認許可の取消、販売の中止、市場からの回収等の措置をすみやかに講じ、サリドマイド事件にみられるごとき悲惨な薬害が再び生じないよう最善の努力をすることを確約する。 という内容の確認書になっているわけです。  私がお聞きしているのは、このような確認書をみずから薬務局長当時に取り交わしをしながら、すなわち、薬害の恐ろしさというものを十分に知りながら、今度はミドリ十字社長というお立ち場になられたときに、なぜエイズ薬害を防ぐことができなかったのか。私は、その薬務局長としての見識をお持ちのあなたが、今度はメーカーというところの社長におなりになったときに、なぜ百八十度姿勢が変わってしまうのかということをお聞きしたいのです。  きょうは、傍聴席に、被害者のお一人であるところの市川昌也さんも来られておいでですけれども、今回のエイズ薬害、その前に起きているサリドマイドの薬害あるいはスモンの薬害、日本の社会が薬害というものを何回も繰り返し経験をしてきている、その中で多くの教訓を引き出しているにもかかわらず、それを一番御存じのあなたがなぜミドリ十字社長のときにこのエイズの薬害を防ぐことができなかったのか、その思いが私は非常に強いのです。だからお聞かせをいただきたいと思うのです。
  59. 和田貞夫

    和田委員長 ミドリ十字社長立場でお答えください。
  60. 松下廉蔵

    松下参考人 はい、わかりました。誤解をしておりまして、どうも失礼いたしました。  御趣旨のとおり、私は、薬務局長時代、サリドマイドの和解の原告団と折衝いたしました責任者でございます。厚生大臣にかわって、和解にまでこぎつけまして、その確認の文書も記憶いたしております。  その当時といたしましては、やはりこういう薬害というものは、とにかく日本医療の発展のために非常に大きな障害になると。  ここでちょっと個人的なことを申し上げて恐縮ではございますが……(山本(孝)委員「短目にお願いします」と呼ぶ)はい、わかりました。  では、それは省略いたしまして、その後、薬業界に入り、薬業団体からミドリ十字に誘われて入っておりまして、ですから、初めに申し上げましたように、会社といたしましては、できるだけ有効で安全な製剤を供給するということに対しては、私だけではなくて、全役職員がそういう使命感を持っておったことは断言してよろしいと思います。  ただ、エイズのような問題につきましては、いろいろないきさつがありまして、初め、アメリカエイズが報告されました際に、これはたしか安部先生参考人としても強調しておられましたが、感染ということと発病ということとがわかっていなかった。ウイルスも発見されていなかったわけでございまして、ですから、発病した数が血友病患者に対してどれぐらいあったかというような統計数字をもって学問的な処理をしておった。そういう資料を私どもは入手いたしまして、一方で、濃縮製剤というのは、先ほども御説明いたしましたように、極めて血友病患者に対しては有効なものでございます。これは、濃縮製剤ができましたときに、患者の方たちからも私どもは直接お話を聞いております。  そういうような状況のもとにおきまして、まだそれを防止する方法がない段階で、結局、厚生省がお悩みになりましたのと同じように、従来の品を提供していくのか、あるいはそこでやめてしまって、血友病治療に支障を来してもそれを我慢するのがいいのかという二者択一の段階であったと思います。今、衛藤先生が御指摘になりましたように、そういう時期を通ってだんだんと危険性が明らかになってきたという段階でございまして、今さかのぼって考えますと、確かにいろいろな面で情報の把握が不十分な点がある。  ただ、こういう今まで世界になかった奇病につきましては、医学的な説もまちまちでございまして、いつ、どういう点で踏み切るかということはそれぞれの判断があったと思います。結果としてこういう結果になりましたことは、私も大変申しわけないし、残念だと思っておりますけれどもミドリ十字ミドリ十字といたしまして、学術関係研究関係を総動員いたしまして、情報の収集に努め、できるだけの対策は講じてきたと思っております。  ただ、もう一つ……。
  61. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 松下さん、あなたの理屈立てというのは大体わかるのです。そこのところがおかしいということを一つ一つ聞きますから、ちゃんと答えてください。  まず、当初のところの話はそうだとして、私は後ろの方から行きます。  加熱製剤をつくって非加熱製剤回収をなぜ怠ったのかという点からまずお伺いしますけれども、数が足りなかったから急に回収するわけにはいかなかったのだというのが理屈ですけれども、数量が足りなかったということはないのじゃないのですか。六十年の八月から十二月にかけて供給された第Ⅷ因子製剤七千四百万単位、六十一年になって一億二千四百七十二万単位です。十分な量が加熱製剤は供給されているじゃないですか。これは足りなかったという話にはならないのじゃないですか。
  62. 松下廉蔵

    松下参考人 今の御指摘ミドリ十字だけの量でございますか。
  63. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 全社です。日本国内の供給です。
  64. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字といたしましては、相当大きなシェアは持っておりますけれども他社がどういうような状況で出しておるかということは把握しておりません。  それともう一つ、先生、量だけで医学的にこういうものが必要であるということは私どもも耳にしておりますけれども、医薬品というのは実際に全国何十万という病院で使われまして、しかも、こういう緊急を要する薬は相当の量の在庫を卸なり病院が持っておりませんと、血友病というのはいつ発症するかわからぬ病気でございますから、そういうときに欠品を起こすということは非常に大きな医療上の問題でございます。
  65. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 今のおっしゃりようは、非加熱製剤を出していた量に対して加熱製剤の量はミドリ十字としては足りなかったのだ、六十年の七月から加熱製剤の認可がおりて製造を始めたけれどもミドリ十字としては足りなかったのだということを多分おっしゃりたいのだと思うのですね。  それで、とにかくこの時点になっては……(松下参考人委員長委員長」と呼ぶ)済みません、私が質問しておりますので。  この時点になっては、非加熱製剤危険性というのはもう十分に認識をされている。だから加熱製剤をつくったわけでしょう。非加熱製剤危険性が十分認識されているということを、あなたはミドリ十字の社員にこの製剤は危ないんだよということをまずおっしゃったのかどうかということ。それで、回収はしなかったようですが、置きかえであれ何であれ、とにかく回収するのだということを社員にきちっとおっしゃったのかどうか。この二点をお聞かせください。
  66. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字自体が足りなかったという意味で申し上げたのではございませんけれども、医薬品というものは、計算上何単位あったから足りるはずだという理屈ではいかないということを申し上げたわけでございます。  それと、もちろん加熱品が認められ、非加熱品が危険であるということは、その当時といたしましては、私が社員に指示する、指示しないというよりも、全社的にこれは十分認識いたしておったと私は考えております。ですから、原則的にはさっき申し上げましたような方策をとりまして、欠品を来さない範囲でできるだけ回収して加熱品交換するという方法をとっておったわけでございます。
  67. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 第Ⅷ因子製剤を六十年の九月以降五百本以上出荷されておられますね、非加熱製剤。非加熱製剤を六十年の九月以降においてもまだ五百本を超える数量を出荷されておられますけれども、出荷の停止ということはお決めにならなかったのですか。
  68. 松下廉蔵

    松下参考人 まことに申しわけないのですが、先ほど御指摘がありましたような、厚生省に対する血液製剤協会を通じての自主的な報告で、私は回収の終了はなされておったというふうに承知しておりまして、その後残っておるか、非加熱製剤が出荷されておったということは、私は当時存じませんでした。  その点は、それで責任を回避するという意味ではございませんけれども、こういう席でございますので、知らなかったことは知らなかったと申し上げるのが責任であろうと思って、あえてお答え申し上げます。
  69. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 さっき御答弁の中で、厚生省回収命令を出さなかったから企業としても回収はしづらかったのだという御趣旨のお話をされたと思うのですけれども、古い話になりますが、昭和四十八年の四月六日、参議院の予算委員会の第四分科会、ここであなたは答弁に立っておられるのですね。藤原道子さんの御質問に対して、これはサリドマイドの関連ではありますけれども、こういうふうに答弁をなさっておられる。  医薬品に何らかの副作用について、重篤な副作用を生ずるというような疑いが明らかになってまいりました時期におきましては、やはり国民の健康ということを第一といたしまして、機を失せずに適切な措置をとらなければならない。そういうことを現在におきましては、最重点として薬務行政を行っております。把握いたしました副作用が、特に重篤な事故を起こすおそれがあるというような場合には、できるだけその副作用を最小限にとどめることができるようなことを主体にいたしまして措置をいたしております。 薬事法には、問題があったときに許可を取り消せるという明文がございませんけれども、これは薬事法全体の精神からいたしまして、当然可能なものだと考えております というふうに書いてある。あなたは御答弁されているわけですね。  厚生省回収命令を出そうが出すまいが、製剤業界の、製剤ミドリ十字社長責任者として、非加熱製剤が危ないのだということになれば、当然、あなたはみずからの立場回収を陣頭指揮されるべきだったのではないのですか。そういうふうに薬務局長時代、あなたは思っておられたわけでしょう。  だから、私が申し上げているように、なぜ薬務局長時代に答弁している内容が、今度はミドリ十字社長というメーカー立場に変わったら、あなたは心の中で、あるいは頭の中で百八十度考え方が変わってしまうのですか、そういうことをお聞きしているのです。
  70. 松下廉蔵

    松下参考人 考えが変わったかどうかは別といたしまして、今のお話はたしかサリドマイドの関連……(山本(孝)委員「サリドマイドも今度も同じでしょう」と呼ぶ)いやいや、サリドマイドに関する御質問でございましたか。(山本(孝)委員「そのあなたの御答弁です」と呼ぶ)  薬害といいますか、医薬品の副作用というのはいろいろなケースがございまして、サリドマイドのように学問的にぴしゃっと結果が出て問題になりました場合と、それから今度のように徐々に理解が進んできておるというような場合には、やはり大きな組織といたしましては相当違いがあろうかと思います。  もちろん、そういう出荷がなされておったということは、私さっきおわび申し上げましたように、私は存じませんでしたけれども、とにかく、回収が終わったという報告を受けまして、それで回収は済んだものというふうに私は理解しておったわけでございます。
  71. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 血協の報告をもってして回収ができたということを知ったと。自分のところの会社の製品ではないですか。自分のところの会社の製品を回収しているか、していないかという話を業界団体の向こうからの報告でもって知るというような、なぜそういうばかげた話になるわけですか。それはおかしいと私は申し上げているのです。でも、時間がありませんので、私は、おかしいということだけ申し上げます。次の質問に行かしてください。  薬務局長を終えられて、血協の理事長になられて、製薬工業協会の理事長になられて、ミドリ十字の副社長というふうに退職後は行かれますね。薬務局長退任後の再就職ということについて、薬務局長在任時代、いつの時点に、だれから、どのようなお誘いが一番最初にありましたのですか。
  72. 松下廉蔵

    松下参考人 薬務局長の退任についてですか。
  73. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 あるいは薬務局長を終えられてからになるかもしれませんが、いつの時点で、だれから、どのような形で、うちに来いとか、あそこに行けとかというお話になったのですか。
  74. 松下廉蔵

    松下参考人 初め、厚生省から。私、退任いたしましたのは昭和四十九年の十月の十八日でございます。そのときに厚生省からあっせんされましたポストは、全国社会福祉協議会の副会長兼常務理事でございます。ただ、その時点ではそのポストは給与がございませんで、厚生省のお薦めもございまして、はっきり言えば、生活の資を得るということもございまして、血液製剤協会理事長に推薦されました。兼務しておったわけでございます。
  75. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 血協の理事長に推薦されたというのは、だれから推薦されたのですか。今、血協、日本血液製剤協会理事長に推薦されたとおっしゃいましたけれども、どなたから推薦されてあなたは血協の理事長に就任をされたのですか。
  76. 松下廉蔵

    松下参考人 厚生省の担当者から聞いたように思いますが、だれという名前は今ちょっと正確に覚えておりません。
  77. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 そうしますと、次に、ミドリ十字へのお誘いは、いつの時点で、どなたから、どのような形であったのでしょうか。
  78. 松下廉蔵

    松下参考人 これは、私が日本製薬工業協会の理事長をやっておりましたときに、ミドリ十字の創業者でございました内藤良一さん、この方が製薬協の理事でございまして、その前に血液製剤協会理事でもございました。そういうところでいろいろと顔を合わせておりまして、製薬協に二年ぐらい在職した後、内藤先生御自身から、うちは新しい会社で、これから伸ばしていきたいと思うので、ユニークな仕事だから手伝ってほしいというお誘いがございまして、それで、製薬協の仕事もまだついたばかりでございますので、当時の製薬協の会長、故武田長兵衛さんに御相談いたしまして、一年延ばしてもらいまして、翌年にミドリ十字の副社長に就任いたしております。
  79. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 松下さんの後、日本血液製剤協会理事長に宮島さんが御就任なさいますけれども、宮島さんの御就任を働きかけたというか調整されたのは、松下さん、あなたですか。
  80. 松下廉蔵

    松下参考人 その前にちょっと訂正させていただきますが、私の後は宮島さんではございません。私の後は三人おられまして、宮島さんはその次でございます。  私は宮島さんを推薦したようなことはございません。
  81. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 わかりました。  ミドリ十字に、局長時代の薬務局企画課長補佐の今村さん、あるいは経済課長補佐の富安さんが入社されて、いわゆる薬務局分室とやゆされるような体制ができ上がるわけですけれども、この今村さんや富安さんをミドリ十字に入社させる、こういう案を発案された方はどなたですか、あなたですか。
  82. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字という会社は昭和二十五年に発足いたしまして、小さい会社でございますし、いろいろな面で発展期で人材を求めておるという段階でございますので、研究開発なんかでも優秀な学問的な経歴のある人はどんどん採用しておった時期で、たまたま今村、富安両氏のうわさを聞きまして、私、今御指摘のように直接使ったこともございますけれども、退官いたしましたのはいずれもほかのポストでございます。それで、何人か話を聞きました中で、まあ適任者であろうということで、その二人を採用いたしました。副社長当時でございます。
  83. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 松下さん、あなたがいわゆるスカウトをされたというふうに思います。  その問題のミドリ十字なんですけれども、副社長でお入りになって、八二年になってから随分ミドリ十字の中で大事件が続いていくというふうに思うわけですね。お入りになったのは七八年ですけれども、しばらくたって、八二年になって六月に、トラベノールアメリカ加熱製剤開発して承認申請をする。七月七日に、内藤さんが天に召される。九月に入ると、不祥事の発覚が続出をしますね。  九月の六日に、胎盤の組織的購入がわかる。十五日に、人工血液データの改ざんが発覚をする。それを受けて、二十日に、謝罪のために上京して厚生省を訪れたところ、厚生省申請の取り下げを指示される。大阪にお戻りになって、今度は二十七日に、採血ミスによって死亡していたという事件が、昭和四十八年の事件が発覚をする。石垣社長とあなたが再び厚生省を訪れて謝罪をする。そのときに、あなた自身、ミドリ十字の体質に問題があるというふうに新聞のコメントをされておられる。  結局、八二年になって、三十二年にミドリ十字が上場して以来、経常利益が連続増益二十五年続いていたのが、この八二年、昭和五十七年のところで途切れます。大変にミドリ十字としては危機的なイメージで、社会的な企業イメージもがた落ちの状態だったのではないかと思う。  そういう中で、単品の経営、この血液製剤というものによっている経営に対する社員の不安、あるいは大物スカウト人事だと言われて厚生省からお越しになった松下さんに対するいろいろな社内の不満、そういったものが多分噴き出していたのではないだろうかというふうに思うのですけれども、その当時、だから八二年当時のミドリ十字の状況というのはそういう状況だったのじゃないですか。かなりがたがたして大変な状況だったというふうに理解するのですけれども
  84. 松下廉蔵

    松下参考人 お恥ずかしい次第でございますが、がたがたしておったかどうかという判断は別といたしまして、御指摘のような事件がいろいろその当時問題になっておりましたことは事実でございます。これはやはり、私も指導力を問われてやむを得ないと反省しております。
  85. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 主力製品であったウロキナーゼが全体の利益の六〇%を出していたときもあるけれども、たび重なる薬価の切り下げで、結局、七年間に七二%も値段が下がるというような状況で、経営状況が、申し上げたように二十五年連続増益がだめになった。  それで、血液製剤の値引き率も極めてきつかったというふうに聞くのですね。薬価そのものは平均二五%ぐらいは薬価差益が認められているのかもしれませんけれども、昭和五十八年当時、第Ⅷ因子製剤の値引き率というのは一体どのぐらいだったのですか、市場の中では。
  86. 松下廉蔵

    松下参考人 私は今存じておりません。
  87. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 二百人の血友病患者を抱えている、そういう病院があったとすると、年間四億円ぐらいの薬価差益が病院に転がり込んだのだというような御指摘もあるのですけれども、こういうようなお話は御存じですか、御記憶にありますか。
  88. 松下廉蔵

    松下参考人 血液製剤が、また血友病製剤が特に値引き率が大きかったということは記憶しておりませんけれども、当時の社会の実勢といたしまして、薬業界の実勢といたしまして、競合の多い医薬品につきましては相当の値引き率があったことも、それは事実だと考えております。
  89. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 割合、どのぐらいの値引き率があったかということを御記憶ではないようです。  では、二つ続けてお伺いしますけれども加熱製剤がいよいよ市場に出回るというような状況が目の前に見えてきたとき、非加熱製剤の値引き率というのが一層大きくなって、一説によれば八〇%ぐらいの値引きがされていたような状況があるという御指摘があるのです。  あるいは、外資系の企業が、もともと製造単価がアメリカ血液を使っていれば安いものですから、その安い製造単価のもののところで、外資系の血液製剤メーカー日本市場の中で極めて厳しい値引き合戦をして、その中にミドリ十字も巻き込まれていたのではないかというような御指摘もありますけれども、こういう御認識は当時ございましたのですか。
  90. 松下廉蔵

    松下参考人 今の御指摘の数字につきましては、私も正確には覚えておりませんけれども、御指摘のように、いろいろ外資との競争が厳しくなっておったということは今記憶いたしております。
  91. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 数字を覚えておられないということなのであれなんですが、もう一回その数字で思い出していただいたらと思うのですが、五十八年当時の第Ⅷ因子製剤の二百五十単位一瓶の薬価、二万四千百六十二円でした。恐らく製造原価はその半分ぐらいだったのではないかというふうに思うのですけれども、外国血、アルファから原料を輸入されておられて、日本血、国内血と少なくともアルファから持ってくる血漿の値段というのは、円高のこともあったりすると、差がかなり大きいわけですよね。  原価が一体どのぐらいだったのか、それで、実際問題として輸入血を使っていれば幾らぐらいのところでできていたのだろうというふうに思うのですが、もう一度申し上げますと、当時の二百五十単位一瓶の単価は二万四千百六十二円でしたけれども、いかがですか、そういう御記憶はありませんか。
  92. 松下廉蔵

    松下参考人 数字については今正確には覚えておりませんけれども、恐らく、委員今御指摘のような価格であったのだろうと思います。
  93. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 経営者として数字は余り覚えておられない、当時どのぐらいの割合だったのかということも御記憶にないというお話なんですけれども、実際のミドリ十字の経営の主体というのは、あなたは社長だったけれども、実際のところの経営の主体は一体だれであって、ミドリ十字の技術上の責任者というのは当時一体どなたであったのか、そこを教えてください。
  94. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字は、先ほど申し上げましたように、創立者が内藤良一という京大出身の医学博士でございまして、そういう面では技術陣はかなり充実しておったと私は自負しております。だれがどうということではなくて、かなり優秀な研究者が研究それから開発部門におりまして、そういった面につきましては、それぞれの担当を持って研究しておった。特定の個人の名前を挙げることは、ちょっと今、適当でないというよりも、一人、二人に限って思い出すことはできないのでございますけれども、かなりの陣容を擁しておったことは事実でございます。
  95. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 経営の中心は。
  96. 松下廉蔵

    松下参考人 経営という言葉の意味でございますが、そういう医薬品企業のような学術、技術を中心といたします会社といたしましては、部門で大きく分けますと、研究開発、それから製造及び品質管理、それから営業という三部門になろうと思いますが、それにそれぞれの担当者がおりまして、それぞれの業務を分担しておったというふうに記憶しております。
  97. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 大きな組織ですから、それぞれの部門を分担されるということは当然だと思うのですけれども、一つの会社という組織ができたときに、一体その責任者、頂点に立っておられたのは、松下さん、あなたなのか。  あるいは、あなたに聞いてもミドリ十字のことがわからないのならほかの人に聞かなければいけなくなるので、ここのところをはっきりお答えをいただきたいのですが、研究中心になっておられたのは、八三年当時でいけば、研究本部長は須山さんでいらっしゃいますね。研究の本部ということであれば当然研究中心なんだろう、本部長というのだからそうだと思うのですが、須山さんを頂点としておられたのか。  あるいは、経営ということでいけば、あなたの上には石垣八郎会長がまだおられたわけでありますけれども、実際の経営主体のいろいろな決定権というか、もちろんそれは取締役会なり役員会で決めるとおっしゃるのだろうけれども、実際のミドリ十字の方向づけというのは、あなたが力を持っておられたのか、あるいは石垣さんが力を持っておられたのか、どっちだったのですか。
  98. 松下廉蔵

    松下参考人 私が社長に就任いたしました当時は、今御指摘の石垣が会長、それから副社長が三人おりまして、それぞれ代表権を持っておりました。ですから、代表者会議というような形で、私の任期全部ではございません、人がかわっておりますから。だけれども、その五人で集まって経営に関する会議をしておったことは事実でございます。
  99. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ミドリ十字は、設立のときから神戸銀行がメーンバンクですね。石垣さんも太陽神戸の専務をなさっておられた。あるいは山本健吉さん、代表権を持っておられましたこの方も太陽神戸の取締役アルファに行かれた木本さんも太陽神戸、アルファの木本さんと一緒に仕事をされておられたアルファの頼広さんも太陽神戸ですね。  したがって、銀行から来ておられる方たちの経営センスといいますか、経営方針というものが一つあって、あるいは内藤さんの内藤イズムを引きずるところの研究体制、この辺を須山さんが長年研究本部長として研究体制を組んでおられて、そして、厚生省を初めとするところから来ておられる元官僚の皆さん方というような、言ってみればミドリ十字の中に三つの、派閥ではありませんけれどもグループというか流れがあって、その中で松下さんの役割というものが一体どうだったのだろうか。  いろいろ考えると、やはり銀行のバンカーの経営方針というものがかなりミドリ十字の中で、すなわち、あなた、薬務局長時代から薬の安全性については知識が深いわけだけれども、実際のところは、こういうバンカーの、安全性よりも利益を優先するような姿勢がミドリ十字の中にあったのかな、あるいは研究開発がうまくいかなかったのかな、そんなふうにも思うのです。太陽神戸というか、銀行さんの経営方針ミドリ十字に色濃く反映していたのではないかというふうに私は勝手に推論しておるのですが、その辺はどうですか。
  100. 松下廉蔵

    松下参考人 御指摘を受けますと、まさにおっしゃるような構成になっておったのは事実でございますが、個人のことについて申し上げて恐縮でございますけれども、私の前任の社長、それから私の在任中四年間の会長でございました、太陽神戸から見えた石垣さんは、比較的スケールの大きな人だったという印象を私は持っておりまして、そういう利益一辺倒でやる、もちろん私が、御指摘のように、お恥ずかしいのですが、経営に関するというか、経理に関しては知識が不十分な点がありまして、そういう点に対するサジェスチョンは随分いただいたわけでございますけれども、全社的に、いや、これを勇ましく売っていけとか、そういうような空気は私はミドリ十字は余りなかったというふうに今感じております。
  101. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 今、いみじくも御本人もおっしゃいましたけれども、経営的なセンスという面でいけば、厚生省の官僚ですから持ち合わせていなかった。数字的なことも、今お聞きしてもほとんどお答えいただけない。技術的なものについては、第Ⅸ因子製剤がどういうふうに使われているかということについては、自分は技術系でないからわからない。  ということになれば、松下さんに対しての期待というか、あなたの役割は、厚生省との間の連絡役あるいはパイプ役というような意味合いだったのじゃないか。ミドリ十字というのは、結局、あなたを迎え入れるときに、何か問題が起きたときに、いわば保険という形であなたに会社の中にいていただこうというふうに思ったのじゃないか。  厚生省の人事課長、熊代さんのコメントが出ていますけれども、こういうふうにOBを会社に受けると、極めてその企業厚生省の間のパイプの通りがよくなるというふうにおっしゃっているわけだけれども、まさにそうだったのじゃないか。  あなたの役割としては、何か問題が起きたときにうまくミドリ十字に対して配慮をしてもらうのだという形で厚生省に対して働きかけをする、あるいは、厚生省の後輩に当たるところの薬務局長の皆さんやいろいろな方たち、あるいは時には政治家の人たちに今のミドリ十字の窮状を何とかしてほしいのだというような形でお話をする、そういうのがあなたの役割だったのじゃないのですか。
  102. 松下廉蔵

    松下参考人 巷間、時々そういうことが報道されておることは私も承知いたしておりますが、私自身はそうは思っておりません。
  103. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 でも、お話を聞いている限りにおいては、そういう役割しか出てこないように思うのですね。  多少難しい話になるかもしれませんが、では非加熱製剤危険性認識度合いについて、アルファとの関係の中でお話を聞かせてください。  アルファ社から、八三年の五月三十一日の日付で、これはデービッド・ガリーさんから木本さんあてのお手紙、アメリカではこういうふうな対策がとられています、アルファ社ではこういうふうな対策をとりましたという内容の手紙がミドリ十字の方に届いていると思うのですけれども、これをあなたはごらんになっていますか。
  104. 松下廉蔵

    松下参考人 発信者の個人名は覚えておりませんけれどもアルファ社からいろいろな意味でこの問題につきまして情報を得ておったことは事実でございます。それは、たしか五十八年の初めごろ、私が社長に就任する前からそういう情報は時々来ておったと思いますし、私どもも必要に応じて厚生省にもその情報は提供しております。  それから、私どももそういうアメリカのFDAの方針なんかも報告を受けておりますので、それに関しましては、そのFDAの指導に従って、その当時に可能な限りの、採血所の閉鎖とかあるいはリスクグループ採血の禁止とか、そういうような対策をとるように随時アルファには指示しておりました。
  105. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 FDAの情報もごらんになっていたということですが、八二年の十二月三日から四日にかけて、FDAの血液製剤諮問委員会製剤メーカーに対して、より感染性の乏しい凝固因子製剤開発を求めたということがありますけれども、この事実をあなたは御存じですか。
  106. 松下廉蔵

    松下参考人 いつ、どういう形でということは正確には記憶しておりませんけれども、かなり早い時点で、FDAでそういう勧告があったということは報告を受けた記憶がございます。
  107. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 アルファ社エイズ多発地帯からの採漿を中止して、供血者のスクリーニングを強化した。おっしゃっているような対策アルファ社がとったわけですね。その結果として、供血者数が減少してコストがかさんでくるようになったというふうにアルファ社が言ってきているのですけれども、そういう事実はあなたは当時御存じだったか、その事実に対しての本社側の意向というものはどういうものだったのか、教えてください。
  108. 松下廉蔵

    松下参考人 アルファ社は、昭和五十三年でございますかに、ミドリ十字が原料血液の入手を円滑に行うために買収した会社でございまして、大きな会社の一部を買収したわけでございます。  そういうことで、血液製剤だけの経営はかなり苦しい状態でございまして、年々相当赤字が出るというようなことで、したがって、ミドリ十字が、アルファの育成のためには原料血漿を市価よりも少し高く買うというような手配もいたしておりました。したがって、そういう供血者の減少というようなことで経営が苦しくなったという報告があったこともたしか記憶をいたしております。  それに対しては、毎年一回か二回、アルファの幹部を呼びまして、あるいは私の方から担当者が参りましてロスで経営のミーティングをいたしまして、その購入価格のネゴ等で財政的な面で話し合いをいたしておりましたので、その年にどういう話し合いをしたかは覚えておりませんけれども、ある程度の手当てはいたしたのではないかと思っております。
  109. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 時間が短くなっているので、イエス、ノーで答えてください。  この文書によると、アルファ社では、エイズウイルスが含まれているとの警告ラベルを製品に添付するということを提言しておりますけれどもミドリ十字ではこれを検討したのか、しなかったのか、そこを教えてください。
  110. 松下廉蔵

    松下参考人 アルファの提言といたしましては、先ほど申し上げた加熱の問題を初めいろいろな提言が来ておりますので、どういう問題を個々に処理いたしましたか、今正確には覚えておりません。
  111. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 あったけれども、検討はしなかった、あるいはその方針には従わなかったということですね。  それで、ドリースさんはこう言っているのですね。石垣社長は八三年、ドリースに対して、非加熱製剤について危機感を持ち過ぎていて、やり過ぎる。おまえはやり過ぎだというふうに石垣さんからドリースさんは言われたと言っているのですけれども、このことは事実なのか、そのことが八三年十一月にドリースがこのアルファ社長を解任される理由になっているのか、ここのところ、イエス、ノーでお答えください。
  112. 松下廉蔵

    松下参考人 当時、石垣さんが向こうのボードのチェアマンでございます。したがって、アルファのミーティングには大体石垣さんが向こうへ行きまして、それでそのドリースと話し合いをするというような体制でございましたので、個々の話の中でそういう話が出たかどうかは私は石垣さんからは聞いておりませんが、ただ、次の年にドリースを、契約終了いたしまして、彼は買収いたしましたときの親会社のアボットの責任者でございまして、その関係で、期間を切っての契約の社長でございます。その契約が終了いたしまして……。
  113. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 結構です。わかりました。  八四年一月に、アルファアメリカで製品を回収したということが言われているのですね。回収は百ロットにも上ったというふうに言われています。このロット番号も明らかになっているそうですが、日本では一度も回収指示はされていない。HIV混入のおそれについて、日本の側でどのような審査をして、どのような処置をしていたのか。一ロットも回収されていないということは、アメリカの審査基準に基づく審査すら行われていなかったのではないかというふうに思うのですが、この点はどうなんでしょうか。
  114. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございません。ちょっとよく聞き取れなかったのですが、何の回収でございますか。
  115. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 製品の回収です。  アルファアメリカ国内で、エイズの混入しているおそれがあるのでということで、百ロットにも上る製品の回収をしました。この事実をあなたは御存じなのか。そして、そのようにアメリカ回収している同じ血液の原料でもって日本でつくっているわけですから、当然日本の側でも同じような状況が起きるのではないかという心配をするわけですけれども日本では一度も製品の回収はしていない。アメリカでの審査基準と日本の審査基準は本当に一緒だったのかどうかというふうに思うわけですけれども日本の側でもしっかりとした審査をしていたのか。  事実を知っていたか、ちゃんとした審査をしていたのか、この二点、短く答えていただきたいと思います。
  116. 松下廉蔵

    松下参考人 その報告を受けたことは記憶いたしておりません。  それから、日本で、製品の規格につきましては、これはアルファに劣らなかったものをつくっておったと思っております。ただ、制度が違いますので、全くアメリカの基準と合ったものではなかったというふうに理解しております。
  117. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 安部さんがアルファ社の製品を評して、こんな製品は使い物にならないというふうに言ったそうなんですけれども、このアルファでつくっておられた製品は品質の程度でどの程度だったのか。本当によければ緊急輸入すればよかったと思うのですけれども、緊急輸入できなかったのはアルファの製品の質が悪かったのじゃないかというふうにも思うのですけれども、この点はどうなんでしょうか。
  118. 松下廉蔵

    松下参考人 今のは加熱品の問題でございますか。(山本(孝)委員「はい」と呼ぶ)  加熱につきましては、アルファはFDAに申請いたしまして、向こうで肝炎対策として承認を得ておりますので、FDAの基準は相当厳しいものでございますので、そういうことはなかったと私は思っております。
  119. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 最後に、血液行政の問題点について、先ほども衛藤先生いろいろお聞きになっていましたけれども、御答弁をお聞きしていて、あなたが薬務局長時代におつくりになった血液問題研究会、答申が出たのはもうおやめになった後ですけれども、その答申を評して、答申でいろいろいいことを言われても、現実には血液の原料が足りないのだから、献血量が足りないのだからどうしようもないのじゃないかというような御発言だったと思うのですね。でも、日本の戦後の血液事業の中で、ずっと厚生省はこの献血でもって血液事業をやろうという努力をしてきた。そういう流れの中で、今度、製剤メーカーに行かれて、なぜその流れを無視されるような形の行動になるのかというふうに思うわけです。  日赤は分画製剤をつくる能力も意思も持たなかったではないかというふうにもおっしゃいましたけれども、それは、言ってみれば、あなたを含めての厚生省の、あるいは日本の政府の怠慢ではないですか。その怠慢を引きずったままで、今度、製剤メーカーに入っていったときに、なぜ、自分は今度は薬務局長じゃないけれども製剤メーカー社長という立場日本血液事業をまともな形にしようというふうにされなかったのか。私たちは、この業務局長の言ってみれば犯罪的な行為というのがおかしいのじゃないかというふうに思うわけですね。常にあなたがおっしゃってこられて、やろうとしてこられたことが、メーカー立場になった途端になぜそんなにころっと変わってしまうのだろうと、ここを非常に残念に思っているわけです。  だから、もう一度言ってください。この血液行政の問題点のあなたの認識、どういう方向にあなたは今度は血液メーカー社長として持っていこうというふうに思っておられたのか、そこのところを最後にお聞かせいただいて、質問を終わります。
  120. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほど御辞退いたしましたのに、役所の在任中のことを申し上げて恐縮でございますが、お許しをいただきまして。  私が理解しておりましたのは、日本血液、確かに献血をもって、善意の献血をもって賄うという原則があったことは私もよく承知いたしております。  ただ、当時の血液の状況といたしましては、非常に不足しておりましたのが保存血、全血でございます。この全血を供給することが献血の、唯一と言っては言い過ぎかもしれませんが、大きな使命でございまして、そういうことから、どうしても今のような形の一しかも、別途、分画製剤は非常に需要が多い。それで、外国からの輸入でそれを賄うことができるというようなことで一つのすみ分けがなされておった。私は、それはそれとして必ずしも間違ったものだとは思っておりません。
  121. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 それは結局、二元化、血を集めるのは日赤、そして民間の企業血液製剤をつくるという二元化をずっと続けていく、それをあなたは守らなければいけない、あるいはミドリ十字の業績を何としても守ろうという姿勢が今回の大きなエイズ薬害のもとになっているのじゃないか、こういうふうに私は思います。もう一度またゆっくりと、今度、ちゃんとした数字を持ってお話をいただきたいというふうにも思います。  ありがとうございました。
  122. 和田貞夫

    和田委員長 五島正規君。
  123. 五島正規

    ○五島委員 今、山本委員質問に引き続きまして、関連して、アルファ社との関係から参考人にお話を伺いたいと思います。  先ほど山本委員からも御発言がございましたが、アルファ社からはミドリに対して、いろいろな形での米国における情報あるいはアルファ社のとっている対応について連絡があったと思います。その中で、一九八三年の五月三十一日付に、先ほど山本議員からも御質問がございましたが、「アルファ社が、後々、責任を問われる危険性をできるだけさけるため、AHFには、AIDSの危険性に対する注意のラベルを貼る。」というような項目、あるいは「熱処理AHFの製造を目ざして、最大限の努力を傾注ずる。」というような、アルファ社としてとっている対応についてミドリに対して報告がなされています。  こうした米国の中においてアルファ社がとってきた状況について、ミドリ十字に知らされている。そのことについて、ミドリ十字としては、こうしたことをしかるべきところできちっと検討し、国内でもそれを採用するかどうかの検討をしてきたのかどうかということ。  あわせて、このアルファ社との関係についてもう一点質問いたしますと、ミドリはそれまで、この加熱製剤の問題につきましては、当初の段階はどうも液状加熱を検討しておられて、それが回収率が悪いということで乾燥加熱に方向転換された。しかし、乾燥加熱であれば、アルファ社自身が、ミドリがその技術を完全に確立する前、すなわち一九八四年の二月にはその製造承認がなされているわけでございますから、その時点において、子会社であるアルファ社からミドリはこれを輸入して国内で販売することを厚生省に対して申請することができたはずでございます。  しかし、そういう方向はこの問題についておとりにならずに、独自に技術開発をされて、八四年の五月になってから初めて治験に入るという方向をおとりになりました。なぜ、アルファ社から大量に輸入をしておられた状況の中で加熱製剤についてはそういう方向をおとりにならなかったのか。  この二点についてまずお伺いいたします。
  124. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほどもお答えいたしましたように、アルファ加熱製剤は初めは肝炎対策として許可されております。その後でエイズに関する認可を受けておりまして、一方で、もちろんミドリ十字が自社で研究しておりましたのも加熱対策は当初は肝炎対策ではございますけれども日本治験を求めて加熱品治験が行われたのはやはりエイズ危険性に関する要求でございまして、その点は、アルファ承認の内容とはちょっと違っておったということが一点あったかと思います。  それから、もちろん、アルファの輸入につきましても、ミドリ十字も検討はいたしました。ただ、製造方法の中に、今先生指摘のように、私も詳しい技術的な用語は存じませんが、とにかく液状加熱にするか、あるいはヘプタンでございますか、加熱にするか、いろいろな方策があったようでございまして、そういう内容として、やはりミドリ十字としてはエイズ対策としてはできるだけいいものを供給したいということで、協力しながらも別途の方策をとったというふうに私は理解いたしております。
  125. 五島正規

    ○五島委員 ちょっと松下さん、あなたもミドリ十字社長をしておられたので、ええかげんなことを言ってもらっては困るのです。  八四年の初期の段階において、あらゆる加熱製剤は、まだエイズウイルスが見つかっていない、また、それに対する免疫検査を定性的にやるその技術もない、そういうところにおいては、ミドリ十字といえども、これは、肝炎ウイルスに対するそのウイルスの不活性化、そして、そのことを通じてエイズウイルスも不活性化できるのではないかという期待値でしがなかったはずです。自分のところはエイズウイルスを不活性化するということを最初から明らかにしていたなんというのは、その時期において言えるはずがございません。そういう意味においては同じ立場であったはずでございます。  そして第二の問題として、ミドリ十字が液状加熱にこだわって、その方向でよりよいもの、おっしゃるのはそういうことでしょうが、検討されたのは少なくとも八三年の秋ぐらいまでであったはずでございまして、八四年の二月の段階においては、もうミドリ十字は、別の方法ではございますが、乾燥加熱方式に必死になってその技術開発に取り組んでおられた時期のはずでございます。  したがいまして、後段おっしゃったことについても、既に乾燥加熱がおたくの子会社であるアルファ社において完成し、製造承認がなされているという事実があるにもかかわらず、それをとりあえず輸入してやっていくということはできたはずでございます。それは製品の性質云々ということとは全く関係のない問題ではないですか。そこのところについて、今の御発言は事実関係と違うと思いますが、いかがですか。
  126. 松下廉蔵

    松下参考人 一部、不正確な御答弁をいたしましたことをおわびいたします。  今先生指摘のように、肝炎対策を通じて肝炎ウイルスが不活化すればエイズにも効くであろうということを前提といたしまして加熱研究を進めておったということは、当時も私は聞いております。不正確なことを申しまして失礼いたしました。
  127. 五島正規

    ○五島委員 ミドリ十字は、八四年の十二月二十四日の「拡売ニュース」という資料がここにございます。これは、ミドリのおつくりになっております抗血友病製剤を、支払基金に対してあるいは関係医療機関に対して、これをいかに使っていただくかという説明、あるいはミドリ十字の抗血友病市場における拡大ということを目指しておつくりになったようでございます。  この文書の中に、血友病患者を不具から守る予防投与法、定期的補充療法が可能となった。ミドリ十字は、この定期的補充療法の必要性をここ数年間一大スローガンとしてとらえてきた。そして、一九八三年二月には血友病患者家庭療法すなわち自己注射が認可され、その必要性が承認された、以下云々とあるわけでございます。  これは、先ほどもおっしゃいましたように、確かに濃縮剤による家庭療法というのは、このエイズの問題がなければ、血友病患者さんにとっては非常に大きな福音であったと思いますが、これを拡大するに当たって、さまざまな承認のための努力をしてこられたというふうにおっしゃっています。具体的にはどのような形でこの承認のためにミドリ十字としては努力してこられたのか、その具体的内容についてお話しください。
  128. 松下廉蔵

    松下参考人 その問題につきましては、私が副社長当時の会長の内藤良一さんが非常に熱心でございまして、むしろ医学者として、これは確かに血友病患者のために一つの福音である、だからそういう制度をつくるのがいいのじゃないかという御相談を受けたことはございます。  それで、私は、先ほどいろいろ経歴についてお話がございましたように、厚生省に長くおりまして、しかも、衛生関係を長くやっておりましたために、自分で注射する、あるいは家族が注射するということは医師法、医療法等の関係で何か制約があるのじゃないかというようなことを主に内藤さんから相談を受けまして、それをいろいろ調べまして、一部、厚生省に意見を聞きに行ったこともございますが、結果といたしまして、あれは、先生承知だと思いますが、既に糖尿病のインシュリンの自己注射について前例がございまして、それと同じような性質のものだということで、厚生省としては、割とすんなりといいますか、いいことだからということで認めていただいたように記憶いたしております。
  129. 五島正規

    ○五島委員 これはインシュリンと違って、何といっても、乾燥製剤であったとしても保存については冷所保存ということも必要です。また第一に、単価の非常に高い製剤でございます。こうしたものをここまで厚生省が重い腰を上げて認可したということの中には、かなりその周辺の学者あるいは関連しておられる政治家等の協力がないとできなかったのではないかと思うわけでございますが、その点についてはどうでございますか。
  130. 松下廉蔵

    松下参考人 厚生省は、衛生関係、国民の医療をつかさどる役所でございますから、血友病のような、小児のときから非常に難病とされておる疾病につきまして、家庭においてそういう補充的な治療を行うことによって社会生活に参加できる、寿命が延びるというようなことにつきましては、厚生省のお立場としては当然お認めいただいたのだろうと私は理解いたしております。
  131. 五島正規

    ○五島委員 これだけ大きな政策の変更を、厚生省ミドリ十字の要請によって変えたということは大変大きな問題だと思います。  それで、松下参考人がおっしゃるように、ミドリ十字厚生省に対する直接的な働きかけだけでその問題が実施されたということについては、信じられない面もあるわけでございますが、もしそうだとすれば、そこには、厚生省ミドリ十字というのは大変特別な関係でその当時あったのだということになるわけでございますが、そうなんですね。そのように理解していいわけでございますね。
  132. 松下廉蔵

    松下参考人 そうおっしゃられると大変変な形になってくるのでございますが……。  私といたしましても、また厚生省とされましても、医療促進に役立つような政策をおとりになるということは、これはミドリ十字が働きかけなくても当然お考えになっておられたことだろうと思っております。
  133. 五島正規

    ○五島委員 その問題につきましては、改めてまた御質問したいと思います。  次に、こうした一連の問題とも関連いたしまして、ミドリ十字と比較的関係の深い財団法人として、内藤医学研究振興財団あるいは血友病総合治療普及会日本血液製剤協会、そのほかにもございますが、この三つの財団がございます。それぞれこの三つの財団に対してミドリ十字が出資された出資金及び各年度の寄附金について、毎年どの程度ぐらいそれぞれについて寄附してこられたのか、お知らせください。
  134. 松下廉蔵

    松下参考人 今、三つの財団をお挙げになりましたが、内藤医学研究振興財団と申しますのは、ミドリ十字が、創立三十周年記念として、実際には三十周年より二年ほど認可はおくれておりますけれども、つくりました。当時、二億円を拠出いたしまして、高たんぱくを中心とする医学研究の助成、奨励ということを目的といたしましてつくった財団法人でございます。初代の理事長がたしか内藤良一さんだったのですが、もう入院しておられましたので、実際は石垣さんが初代でございます。  事業といたしましては、毎年、研究助成の対象になる学者の方、それから留学助成の対象になる学者の方を公募いたしまして、理事会それから企画委員会で、論文を出していただいてその内容を審査して、五十万円から二百万円程度の、あるいは一つ、優秀なものにつきましては、五百万円を限度といたしまして助成金を交付いたしております。それから、三年に一回程度国際会議を開催いたしておりまして、これは今、免疫関係を主として、今までに二回開催いたしております。  最近五年間で申し上げますと、ミドリ十字からの寄附金は二億二百七十四万三千円ほどでございます。これはミドリ十字以外からも寄附金が入っておりまして、ちょっと正確ではございませんが。  それから、血友病総合治療普及会は、先ほどほかの先生方からも御質問のありました、安部先生のつくられた財団だと思いますが、これに対しましては、先ほども御答弁いたしましたとおり、設立当初に一千万円寄附をいたしております。それだけでございます。  それから、日本血液製剤協会というのは、血液製剤を主たる業務といたしますメーカー、これは外資も入っておりますけれども、それの全体の総合のための、これは民法上の社団法人でございまして、毎年、各メーカーが寄りまして、その会費によって賄われております。今年度におきましては、ミドリ十字の月額の会費は百七十七万六千円でございます。  以上でございます。
  135. 五島正規

    ○五島委員 この血友病総合治療普及会というのは、当初に一千万お出しになっただけであるというふうにおっしゃったわけでございますが、現在の基本財産が一億一千六百六十八万円、そして年間の収支総額が七千万というお金でございます。役員が十三名、職員が一人という、役員ばかりの会でございますが、七千万という総合収支が入っているのに対して、毎年の寄附というのはミドリ十字としてはやっておられないのですね。
  136. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほど申し上げた額以外の寄附については、私は承知いたしておりません。
  137. 五島正規

    ○五島委員 こうした財団法人を通じて、ミドリ十字が一定の社としての広報活動とかを肩がわりさせるとか、あるいは学会なり医学界なり政界に対して何らかの働きをかけるとかいうようなことをなされるということはなかったわけですか、例えば内藤医学振興財団を通じて。
  138. 松下廉蔵

    松下参考人 内藤医学財団の仕事は、先ほど申し上げましたとおりでございまして、それ以外の業務はいたしておりません。
  139. 五島正規

    ○五島委員 この内藤医学振興財団にもやはり役員が十二名おられます。例の安部先生もお入りになっているわけですが、この方々、役員はもちろん無給でございましょうね。
  140. 松下廉蔵

    松下参考人 そのとおりでございます。無給でございます。
  141. 五島正規

    ○五島委員 参考人は、メディカルポストグラデュエーツという雑誌がございますが、この雑誌はよく御存じだと思いますが、この雑誌とミドリ十字との関係はどういうことになっておりますか。
  142. 松下廉蔵

    松下参考人 これは、ミドリ十字が医学研究の一助にいたしますために直接編集しておりました医学雑誌でございます。六年ほど前からだと思いますが、私がもう退任いたしましてからですけれども、医学書房という子会社に編集、出版を移しております。
  143. 五島正規

    ○五島委員 医学書房という雑誌社そのものがミドリ子会社でございますね。このメディカルポストグラデュエーツという雑誌そのものは、当初、医学書房が大阪にあった、そしてその後、住所が東京へ変わっているということのようですが、昭和五十六年の段階の雑誌を見ましても、雑誌は医学書房から出されています。そうですね。
  144. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございませんが、私の記憶では、今でも医学書房、子会社の本社は大阪でございますが。
  145. 五島正規

    ○五島委員 これ全体が、医学書房という会社がミドリ十字子会社ということでございますか。
  146. 松下廉蔵

    松下参考人 命はそうでございます。私の在任中は、医学書房という名前ではございましたけれどもミドリ十字の営業活動の一部として編集しておったはずでございます。
  147. 和田貞夫

    和田委員長 質問者も参考人も、委員長発言を求めて発言してください。
  148. 松下廉蔵

    松下参考人 失礼いたしました。
  149. 五島正規

    ○五島委員 そこまではっきりとおっしゃるのであればあれなんですが、確かに医学書房であって、当時は発行人、編集人は内藤良一さん、そしてこの雑誌の最初に、「メディカルポストグラデュエーツは医学と臨床のために貢献する純粋な医学雑誌です」ということが麗々しくうたわれています。  そして、そこに出されております論文は、論文といいますか文章は、一応すべて論文形式にのっとった形で書かれた文章になっているわけですが、この雑誌は医学雑誌として、学会誌として登録されているのですか、それとも、これは学会誌ではなくて、レフェリーも何もなしに独自に編集された雑誌なんですか。
  150. 松下廉蔵

    松下参考人 これはたしか、学会誌として登録されておるというふうに報告を受けております。
  151. 五島正規

    ○五島委員 先ほど言いました、ミドリ十字の広報活動としてつくられていた時期においても、学会誌として登録されていたわけですか。
  152. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございませんが、いつ登録されたかは私もつまびらかにしておりませんが、相当前に、これは登録されて学会誌として認められておるという報告を受けた記憶がございます。
  153. 五島正規

    ○五島委員 もし学会誌として登録されているのであれば、この雑誌に収録するためには何らかのレフェリー機関なりが必要かと思いますが、そういうものはございますか。
  154. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございませんが、それは私、存じません。恐らく、登録されておるという報告ですからやっておるのだろうと思いますけれども
  155. 五島正規

    ○五島委員 参考人自身がお認めになったように、ミドリ十字の広報誌としておつくりになった雑誌がこのメディカルポストグラデュェーツ誌である。それが学会誌として登録されているかどうか、参考人の方はつまびらかでないとおっしゃるわけでございますが、この雑誌の中に、例えばクリスマシンの投与、肝硬変の患者に使う、あるいは劇症肝炎患者に使うといったような使用経験、いわゆる治験例でございましょう、そのようなものが論文に出た。  あるいは、これもまたお聞きしておきたいと思うのですが、アメリカ血友病協会が発行したインフォメーションエクスチェンジという雑誌に、「エイズ血友病」という論文があった。この論文も、医学雑誌であれば、アメリカの雑誌であればこういうことはあり得ないと思うのですが、版権を明記すれば許可して複製しても構いませんというふうなことが書かれているわけですが、こういうふうなものの翻訳文、こういうものをお持ちになって、実はミドリのプロパーの方が各医療機関にクリスマシンの使用範囲拡大等々について非常に積極的に営業活動をされています。そういうふうな営業活動と関連さぜる目的でもってこうした雑誌をそもそもおつくりになっているのかどうか、その点についてお伺いします。
  156. 松下廉蔵

    松下参考人 雑誌をつくりました目的は、先ほど申し上げましたように、少しでも医学の研究に役立ちたいという気持ちでございますけれども、同時に、ミドリ十字企業でございますから、その雑誌の論文の中に製品の販売促進に役立つようなものがあれば、それは自社の雑誌でもございますし、もちろん著者の了解を得て使用させていただくことは今まででもあったと思っております。
  157. 五島正規

    ○五島委員 先ほど触れました「拡売ニュース」ですか、その「インフォメーション」という社内のプロパー向けの研修資料の中にも、このメディカルポストグラデュエーツ誌に掲載された論文をもって、  大手術の経験から、クリスマシンの安全性が高く証明された。これらをもってベノビールならびにプロプレックスを撃破されたい。抗血友病製剤の重要性が高まる一方で、これら血友病関理知識のレベルアップが急務である。このまとめを拡売の一つの足がかりに利用されることを期待する。 という文章がございます。  まさに、わざわざ医学会誌のような形態をとった形でこうした血液製剤の販路拡大のために御利用になってきたということは明らかではないかというふうに思います。  最後に、昭和六十二年の三月二十六日、日本血液製剤協会を通じて厚生省に報告された、いわゆる非加熱製剤濃縮製剤の最終出荷及び回収終了日時と、今年二月二十三日の厚生省立入検査の結果に、その時間に非常に大きなずれがございます。なぜ昭和六十二年には虚偽の報告をされたのか。昭和六十二年の段階において、たしかあなた自身が日本血液製剤協会関係しておられたはずでございます、そこのところに対してわざわざ虚偽の報告をされた、その理由についてお伺いします。
  158. 松下廉蔵

    松下参考人 血液製剤協会を通じての回収報告は、これは厚生省からの指示ではございませんで、各業者からの自発的な報告だ、それをもって一応回収は終了したというふうに私は報告を受けておりました。  したがって、今委員指摘のような、その後の回収がおくれておったという問題につきましては、後に聞きましたところでは、ミドリ十字は、よく精査した結果、それに誤りがあったということで厚生省に報告いたしまして、その確認のために厚生省立入調査があったというふうに私は報告を受けております。だからその点は、私も当時の監督が不十分であった点は十分におわびしなきゃならぬと思っております。
  159. 五島正規

    ○五島委員 自発的な回収であったから内容はいいかげんでよかったということにはならないと思います。しかも、六十二年というのは、その前後において、おたくの段階ではまだ回収が終わっていない状況でございます。その状況においての報告が、それが行政の強制命令でなかったからそういうふうなものになったということは納得できません。  時間がないので、これで私の質問を終わります。
  160. 和田貞夫

    和田委員長 枝野幸男君。
  161. 枝野幸男

    ○枝野委員 先ほど来のお話をまず最初に確認させていただきますが、松下さんは、このエイズに関連した非加熱製剤、あるいは加熱製剤承認などに関して、あなたの厚生省の後輩あるいはあなたが厚生省時代につくられた政治家などへの人脈を通じて、情報収集あるいはミドリ十字としての見解の伝達、こうした接触の活動はなさらなかったのですか。
  162. 松下廉蔵

    松下参考人 私が厚生省の役人をしておりましたことは御指摘のとおり……(枝野委員「結論だけで結構です」と呼ぶ)しておりません。
  163. 枝野幸男

    ○枝野委員 それはなぜですか。
  164. 松下廉蔵

    松下参考人 私も役人から民間会社へ参りまして、厚生省の後輩あるいは先輩にも親しい人はたくさんおります。だから、個人的な交際はもちろんいたしておりますけれども、それはみんな退官した人でございまして、現職にある監督官庁の幹部に対して、そういう業者としての域を越えた接触をするということは厳に戒めるべきであるというふうに考えておりました。
  165. 枝野幸男

    ○枝野委員 あなたが厚生省の役人の当時であればそれでいいのですが、あなたはミドリ十字という株式会社の取締役として株主に対して責任を負っていたわけです。  この話の経緯をずっと見てまいりますと、エイズに関連をしてミドリ十字は、厚生省の対応いかんによっては、例えば、どの程度深刻に検討されたかは別として、米国等からの緊急輸入も議論をされましたし、クリオに戻せということも議論をされました。そうしたことが実際に行われていれば、ミドリ十字としては、大きなシェアを持っている非加熱製剤の分野において大きな打撃を受けて、ひいては株主に対して打撃を与える問題であります。  したがいまして、あなたはミドリ十字取締役として、あなたの持ち得る限りの能力を使って、株主の利益のために、厚生省厚生関係の政治家に対する働きかけをするむしろ義務があるのです。しなかったことが、あなたの取締役としての責任を放棄していることになるのです。  それに対して政治家や役人の側に、そこにおかしなお金の流れがあったり、あるいは悪い、要するに、本当はAという道を進むべきなのにそうした圧力でBの方向に曲げたりということがあったとすれば、役人や政治家のサイドの問題であって、あなたの側から情報を集めたり、あるいはこういうふうな現状なんですという情報を伝えたりするのは、むしろあなたの責任なんです。それをしなかったということはどういうことなんですか。
  166. 松下廉蔵

    松下参考人 大変意外なおしかりでございますが、私が申し上げました趣旨は、巷間よく言われておりますような、このエイズの問題に関しまして道を曲げるような接触をしたのではないかということがよく報道されております。私は、この問題につきましては、ミドリ十字の名誉のためにも、厚生省の名誉のためにも断固否定したい、そういう気持ちで参りましたので、それで先はどのようにお答えいたしました。  おっしゃるような趣旨でございましたら、私は、民間企業の役員の域を越えない範囲での情報収集等はもちろんいたしております。ただ、研究班が設置され、それでどういう検討がなされておったかということは、私どもは別段……(枝野委員「聞かれたことだけお答えいただければ」と呼ぶ)いや、今聞かれたことにお答えしておるつもりでございます。
  167. 枝野幸男

    ○枝野委員 私は注意をして、あなたが圧力をかけましたかとかいう聞き方は私の最初の質問にはしていないはずで、議事録をもう一回、でき上がったら見ていただければいいです。きちんとお答えいただかないと困るのですよ。  私は、天下りの問題の本質的な問題点は、あなたが具体的に、ミドリ十字のためにこれこれこういうふうに道を曲げてもこういう政策をとっているからと言うわけがない。そんなこと言わなくたって、自分の役所の先輩のところを通じて情報が流れてきて、あっ、こういうことになったらミドリ十字は打撃を受けるなというような情報が例えば入れば、役所の方は、何とか自分の権限の範囲内で先輩の行っている会社のところに少しは気を使おうということを、もしかすると無意識かもしれないぐらいのレベルでやってしまう。別にあなたが圧力をかけたりとかなんということを私は考えていないのです。あなたがどれぐらいの情報収集をして、どれぐらいの情報伝達をしたのかということをお尋ねしたい。  例えば、あなたはこの問題で、あなたが直接なのか、あなたがあなたの部下を通じてなのか、当時の例えば薬務局長や生物製剤課長に対してどれぐらいの頻度で情報を流し、あるいは情報収集のために会わせたり会ったりしたのですか。
  168. 松下廉蔵

    松下参考人 ちょっと御質問の御趣旨を誤解しておりまして失礼いたしました。  そういう御質問でございましたら、私は、先ほども申し上げましたように、許される範囲で薬務局の幹部を訪問し、許される範囲での情報収集はいたしたつもりでございます。
  169. 枝野幸男

    ○枝野委員 次に、非加熱血液製剤によってエイズ感染する危険性についての認識について、時期を確定させながらお尋ねをしていきますが、まず、加熱製剤承認がなされた時点で、非加熱製剤によるエイズ感染危険性について、あなたはどういう認識をお持ちでしたか。
  170. 松下廉蔵

    松下参考人 加熱製剤承認時期における非加熱製剤危険性認識というお尋ねでございますね。  これは、先ほど委員長の御質問その他にもお答えいたしましたように、当初から大体、大分……  (枝野委員「当初からは結構です。その時点だけお答えください」と呼ぶ)その時点とおっしゃいましても、こういう問題はそのときの流れによってだんだんそういう認識が……。
  171. 枝野幸男

    ○枝野委員 わかりました。じゃ、質問を変えます。それでは、こういうふうにお尋ねをいたします。  加熱製剤承認がなされた時点で、非加熱製剤によってエイズ感染をする可能性があると思っていましたか、思っていませんでしたか。
  172. 松下廉蔵

    松下参考人 それは、加熱承認されたということは、やはり非加熱エイズ感染性を少なくとも可能性として持っておるということが認められたという認識は持っておりました。  ただ……(枝野委員「それで結構です」と呼ぶ)いや、それでは困るのです。
  173. 枝野幸男

    ○枝野委員 それでは、エイズ研究班がつくられていた八三年八月ごろ、ストックホルムでの研究会があったと言われているころ、このころについての認識は、非加熱血液製剤によってエイズ感染をする可能性はある、可能性の高さは別問題として、可能性はあるという認識をお持ちでしたか。
  174. 松下廉蔵

    松下参考人 そのストックホルムの会議についての情報は、私は、当時よく覚えておりません。
  175. 枝野幸男

    ○枝野委員 そのころの認識を聞いているのです。八三年の夏ごろの認識を聞いているのです。
  176. 松下廉蔵

    松下参考人 まだそういう認識ははっきり持っておらなかったと思います。先ほど御答弁いたしたとおりでございます。
  177. 枝野幸男

    ○枝野委員 あなたの会社の須山さんがつくった社内資料、一九八三年五月三十日付の「AIDS」という題材の内部資料、これは裁判所にも甲号証で出されていますが、この中に、エイズの「病因」として「ウイルス感染による可能性が濃厚である。(米国CDC)」。  少なくとも、ウイルス感染であれば非加熱製剤を通じてというようなことの可能性があるということにならないですか。しかも、ミドリ十字、おたくの会社の須山さんという研究部門のリーダーに近い方がわざわざ、社内文書だと思いますが、つくって、この問題を議論しているということは、可能性があるということは認識をしていないとおかしくないですか。血液製剤エイズが全然関係ないのだったら、こんな文書をつくる必要はないのですよ。
  178. 松下廉蔵

    松下参考人 その資料を私も最近取り寄せてもう一遍確認いたしておりますが、いろいろな学説があるということが書かれておりまして、例えばATLの類似のウイルスであるという説もある。ATLは血液では感染しないということは定説でございます。そういういろいろな要素があって、しかもウイルスが固定されていない段階で、血液製剤がターゲットになるという考え方の資料ではないと私は理解いたしております。
  179. 枝野幸男

    ○枝野委員 私の質問を正確に聞いてください。ですから、私は、可能性の強さ、程度は別として、可能性があるということは認識していませんでしたかと。  ここにも、確かにHTLの可能性もあるということも書いてあります。原因はわからない段階です。原因はわからない段階だけれども、可能性があるのじゃないかということは今の御答弁では出てくるのじゃないかと思うのですが。可能性があるというのと、きっとそうらしいという疑いを持つのとは違うのですよ。可能性があるという認識があったかどうか聞いているのですよ。
  180. 松下廉蔵

    松下参考人 これは先ほどの回収の問題と同じでございまして、可能性があるという答えだけを求められますと、それは危険であることを知っておったということにつながるわけでございます。私は、そういう無責任な答弁はいたしかねます。
  181. 枝野幸男

    ○枝野委員 危険性判断というのは、松下さんは、厚生省ですけれども、技官畑じゃなくて法文系のはずですから法律を御存じのはずですけれども危険性認識なんというのは法律解釈の問題ですから、事実が客観的にあれば、あとは法律をどう当てはめるかの問題で、可能性を認識していたから危険だということを知っていたという話にはならないというのは法律の世界じゃ常識ですので、そんなことは心配なさらなくても結構です。  それじゃ、別のことをお伺いします。先ほどの回収のお話なんですが、前提としてお伺いしますが、いわゆるサマーキャンプ、血友病患者さんを集めてサマーキャンプをして、自己注射などの指導をした。これが八四年、八五年、八六年まで少なくともなされている。これにミドリ十字として協力をしておりますね。
  182. 松下廉蔵

    松下参考人 そのとおりでございます。
  183. 枝野幸男

    ○枝野委員 それで、このサマーキャンプによって自己注射が非常に普及をしていって、その自己注射普及によって製剤の消費量が飛躍的に増加していったというデータになるわけですね。その関連になっていくわけです。  そうすると、先ほど、回収をすぐにしなかったのは足りないからだ、足りなくて困ることが出てくるからだと。しかし、現実には自己注射普及することによってようやくふえていった量がベースになっている話であって、自己注射普及が進まなければ、進んでいなければ、例えばもっと少ない量でも対応はできたわけです。そして、この場でも何度も何度も出ていますが、本当に加熱製剤の濃いものをばしっと打たないと命を失うケースというのは必ずしも多くはない。  ですから、足りないから非加熱はそのままにしておいて加熱だけ出したのだという話は、みずからサマーキャンプなどで消費量をふやしておいて、しかもその消費量をベースにするという話自体もおかしいし、なおかつ、本当に足りないという足りないことの意味というのは、従来の、その直前までの消費量そのものが常に供給されていないと命にかかわるのかといえば、そうではなくて、そこからかなり減ったとしても命にはかかわりない、いろいろと不便はあるだろうけれども命にはかかわらない、そういう量なんじゃないですか。ですから、前提が崩れませんか。
  184. 松下廉蔵

    松下参考人 今の御質問の御趣旨によりますと、医療というものは命を守るのが最低限度であると。それはおっしゃるとおりだと思いますけれども、やはり医療には、できるだけ国民に対してその医薬品によって快適な生活を行わせるということも一つの使命だと思っております。  御指摘のとおり、血友病もレベルの程度によりまして、家庭注射を行わなくても相当の社会生活を営んでおられる方もおられることは承知しておりますけれども、反面、非常にレベルが高くて、もう毎日注射しなければいつ事故が起こるかわからないというような患者さんもおられるわけでございまして、私どもも、学者の先生方の御指導によりまして、そういう血友病方々の毎日の生活ができるだけ快適になるように努力をいたしてきたつもりでございます。  医療というのは一つの流れでございますから、今先生がおっしゃるような、学問的に計算して、危ないのだからこれだけを出しておけばそれでいいというような、引き戻しができる性質のものではないと考えております。
  185. 枝野幸男

    ○枝野委員 先ほど、加熱製剤承認された段階では、わざわざ加熱をやったのだしということで、それは可能性の程度は私は問い詰めませんでしたけれども、非加熱製剤ではエイズ感染をする可能性がある、こちらの方は松下さん、かなりすぐに明確にお答えになったわけです、八三年のときと違って。  ということは、片方は命にかかわる話なんですよ。少しぐらい快適性がなくなったって、命を失うよりはずっといいのですよ。そんなことは、少なくとも一部のお医者さんと製薬メーカー以外のところに聞けば、だれだってそう言いますよ。患者さんだってそう言いますよ。しかも、その当時に、安全だと言って売り続けていたのですよ。これは危険かもしれないけれども、快適に暮らすためには必要なんだから使った方がいいですよという売り方じゃないですよ。安全だといって売り続けていたのですよ。それは全然話が矛盾するじゃないですか。
  186. 松下廉蔵

    松下参考人 今から顧みれば、御指摘はあるいは当たっておったかもしれません。
  187. 枝野幸男

    ○枝野委員 いろいろと、次々にお認めいただいていって、ありがたいというか何というか。  最後に、もう一点だけお伺いします。  先ほど、一番最初の質問の中で、回収について、厚生省回収命令がなかったので強制的に回収することができずに、回収が困難だった、おくれたと。ということは、あなたの後輩である厚生省の当時の現役の人間は、そういった命令がかからないと問屋さんとかまで行っているものの強制回収は困難だ、これは多分その世界の常識なんでしょう。ということは、現場にある者は、回収は自主的回収ではできないということをわかった上で回収命令をかけなかったという判断になりますね。よろしいですね。
  188. 松下廉蔵

    松下参考人 当時の現職がどういう判断回収命令を出さなかったどうかは、私は推察はいたしかねますが、事実は申し上げたとおりでございます。
  189. 枝野幸男

    ○枝野委員 では、逆に聞きましょう。  回収命令がかかっていれば、問屋さんなんかに行っていたものも全部引き揚げることができて、少なくとも、加熱が出ていって、確かに直後は非加熱との切りかえでもしかすると若干の期間の猶予が必要だったかもしれないけれども、二年も先まで残っているというようなばかなことにはならなかった。これは客観的事実としてそうでありますね。
  190. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほど申し上げたような医療界の慣習といたしまして、たとえ回収命令がありましても、全部、では一〇〇%できたかということは、今顧みますと必ずしも確言はできなかったと思いますけれども先生のお話のように、そういう強制力が加わっておれば、それが先生方に、あるいは卸に伝わっておれば、やはりそれだけ回収を早めることはできたのじゃないかという意味で、大変残念だと申し上げているわけでございます。
  191. 枝野幸男

    ○枝野委員 今のような医薬流通の仕組みですね、命令をかければかなり早く回収できたけれども、命令をかけないで自主的な回収ではどうしても二年ぐらい問屋さんへ結果的に残ってしまったわけですが、そういったようなことになるような流通システムだというのを、そういった知識は松下さんはミドリ十字という民間の製薬会社の社長になって知ったのですか、それとも、厚生省にい一るころから知っていましたか。
  192. 松下廉蔵

    松下参考人 厚生省在職中あるいは製薬協在職中、いろいろな形で断片的には聞いております。ただ、やはり実際に仕事をして得た知識というのとは深さが違ったかと思っております。
  193. 枝野幸男

    ○枝野委員 ちょうど時間の紙が回ってくるようでございますので、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  194. 和田貞夫

    和田委員長 岩佐恵美さん。
  195. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 参考人は先ほど、アルファ社からのいろいろな情報について厚生省に知らせていたというふうな話がありましたけれども、八三年当時、参考人は、当時薬務局長でありました持永衆議院議員とどのぐらいお会いになったのか、あるいは郡司課長にもそうした情報を持って会いに行かれたのかどうか、その辺についてまず最初に伺いたいと思います。
  196. 松下廉蔵

    松下参考人 回数については、どうもよく記憶はございません。ただ、ミドリ十字という会社は大阪に本社がございますので、東京へ出てくることは少ないわけで、出てきたときには、やはり所管官庁でございますから、表敬の程度で訪問したことは何回かございます。
  197. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 先ほどからも出ている文書ですけれどもミドリ十字の須山、当時は副社長だったと思いますが、社長になられてから、八八年の九月二十七日付「財界」という雑誌で、アメリカ血液製剤によるエイズ感染の危険が報告されていたことについて、  その時は私はまだ研究所におりましたし、すぐ  そういう文献も入ってきたので、エイズ感染の  危険性があるということをすぐ社内的に流した  んです。ミドリ十字もこういうふうに対処しな  ければいけないということは、書類にして出し  ました。そういうふうに発言をしておられます。  これは八八年のことです。先ほどの五月三十日付の文書についてお話がありましたけれども、これは八三年五月三十日付の須山さんが書いた「社内資料」という文書ですね。それから六月二日にも、やはり同じようなトーンで、「感染経路の一つにプラスマフェレーシスによる原料血漿から、製品化された血漿製剤も関連するとも言われております。」ということで、同じような流れで恐らく警告を発しているのだと思います。  当時社長でいらっしゃった参考人は、どういうふうにこの文書を読み、そしてどう対処されたのか、その点について伺いたいと思います。それから、こういうことで社内的に文書が出ているのだけれどもということを厚生省に伝えたかどうかということもあわせて伺いたいと思います。
  198. 松下廉蔵

    松下参考人 私も、これは重大なことでございますので、当時これは目にした記憶はございます。  私の理解といたしましては、先ほどもどなたかの答弁に申し上げましたように、危険性認識ということがだんだん強まってくる段階と先ほど申し上げましたけれども感染ということと発病ということとが分離できないような時代の知識といたしましては、数字なんかを見ましてもやはり非常に少ない数である、しかも、リスクグループ患者がほとんどであるというような資料、あるいはATLとの関係のことなんか読みまして、注意をしていかなければいけないけれども、今直ちに何かアクションをとる問題ではないなと、顧みれば申しわけないのですが、そういうような印象で受け取っておった記憶はございます。  それから、厚生省への報告というのは、通常、こういう社内の資料については一々報告はいたしておりません。これも恐らくしなかったと思います。
  199. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それで、そういう流れが一つあったわけですが、同じ須山さんの名前で「血液製剤とAIDS」という文書が作成をされています。これは八三年七月当時に作成をして八月に配布をしたということで、これは厚生省から私どもがそういう報告を受けていて、それは恐らくミドリ十字に確かめたということなんですが、この文書について見てみますと、「日本は血漿分画製剤および原料血漿の八〇%以上を米国からの輸入に依存している。しかしそれによるAIDSの日本上陸・発症の可能性は皆無に近い。ほとんど考えられない。」こんなふうな文書になっているのですね。  だから、危険性があるかもしれないといろいろ言われている中で、それが一転、七月になるとこういう文書が出てくる。これは一体どうしたことなのか。社長命令でこういう文書を書かされたのかどうか、その点についてどうでしょうか。
  200. 松下廉蔵

    松下参考人 まず、社長命令で書かせたものではないことは初めにお断り申し上げておきます。  それから、この二つの文書につきまして、これをあわせて読みまして、多少のトーンの違いはありますけれども、当時の科学的な、医学的な常識の範囲内でのこれはそれぞれの論文だと思いますので、特に一転して危険性を否定するような文章とも思っておりません。
  201. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 「結論」として、「輸入血漿およびその製剤による日本でのAIDS発症はほとんど考えられない。」こういうものですから、危険性があるかもしれないといろいろずっと言ってきたけれども、それを完全に、ほとんど考えられないというふうに否定をするということですよね。  しかも、これは「配布先及び配布数」というのが報告されていまして、「支店長各一部計二十部支店学術課長各一部計五十部総計七十部」これがずっとミドリ十字の社内にまかれているということなんですね。  ですから、最初の須山さんの取り扱いといいますか、この文書は別にそういう各支店にざっと流したということではなくて、これとこっちの持つ意味が全然違うというふうに私は思うのですけれども、それでも何か学術論文であって、それはもうそういうものにしかすぎないのだということなんですか。これは各販促で、大丈夫だからもう非加熱製剤でいきなさい、安心なんですよということを徹底させるための文書だったのじゃないんですか。
  202. 松下廉蔵

    松下参考人 何度も御答弁申し上げましたように、当時の実情といたしましては、アメリカ資料によりましても、ほとんど考えられないと言っていい程度の発症率でございまして、ほとんどが、九十何%がリスキーグループである。  それともう一つは、当時はエイズという疾病が、むしろ何か非常に奇妙な、しかも特定のグループに属するような、非常に嫌らしいというか嫌悪すべき疾病であるというような説が広がっておりまして、そういう意味で、私どもの会社ではレップと申しておりますが、MRがお得意先でいろいろな質問を受ける、そういうことに対して、前の論文を踏まえておりまして、ほとんどという意味は決してゼロではございません。そう心配しないでも、今のところは大した資料がないということを支店に周知させる意味でこれは作成したものだというふうに私は理解しております。
  203. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 実は、先ほどの最初の五月三十日付の須山さんの文書ですけれども、「一種の性病とも言われたが、最近(一九八二年頃)ではこれらと関係のないハイチからの移民や血友病患者にもみられるようになった。」それで、グループ別で血友病患者が十一人、うち八人死亡している、つまり死亡率が七三%である、こういう文書が流されているわけですね。  ですから、そういう意味でいうと、大したことなかったという認識だったということ自体が私は非常に問題だというふうに思います。ちょっと時間も限られておりますので、その問題はまた機会があれば伺いたいというふうに思います。  次に、政治献金の問題です。  ミドリ十字として当時自民党に、八二年から九四年まで総額で一億七百五十九万円政治献金しているのですが、八三年当時は一千五百九十七万円、八二年が八百九十五万円ですから約倍になつています。八五年当時も、八四年が九百四十三万円に落ち込み、八五年は一千万円を超えて一千百二十五万円、八六年は一千二百四万円というふうにふえているわけですね。  ですから、ちょうど問題の八三年、八五年、八六年が、私はこれはふえているように思えますし、事実そうなっているわけですけれども、どうしてふえたことになっているのか。  それから、政治献金というのはどういう意味を持っているのか。つまり、政党からあなた出してくださいというふうに言われたのか、それとも、ミドリ十字の方からぜひお使いくださいということで持っていったのか、その辺はどうなんでしょうか。
  204. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字の数字だけ今お挙げいただきましたが、私は他社政治献金の状況はよく存じませんし、それから、御指摘の年次で政界がどういう状況にあったのかも今記憶にございませんので、にわかに年次だけで比較するのは難しいと思うのでございますが、一般論といたしましては、私、これは企業立場で申し上げますと、薬業界は、先ほどどなたかにも答弁いたしましたが、全体で、薬業団体で調整いたしまして、各党からお申し入れのありました額、それから関係先生方政治団体から御要請がありまして、それを調整いたしまして各企業がそれぞれの担当額を出すという形になっておりますので、特段の意図を持って政治献金で操作するということは、私の記憶では、なかったと思います。
  205. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 そうすると、政治献金カルテルみたいなものですね。みんなで相談をして出せば安心だということになるのでしょうか。  ミドリ十字プロパーで出される政治献金と、それから協会を通じてあるいは政治団体にそれぞれ出していく政治献金の流れとあると思うのですけれども、そのプロパーの流れとその他の流れというのは、政治献金でいって大体何割と何割ぐらいなんですか、それはおわかりですか。
  206. 松下廉蔵

    松下参考人 私の記憶しておりますのは、ほとんどが業界団体の調整によります政治献金でございまして、ミドリ十字プロパーとしての政治献金というのは、私の在任中の記憶では、特段のものはなかったと思っております。
  207. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 九四年が百八十六万円と減っているわけですから、何かやはり八三年というのはすごく多いなというふうに思うのですけれども、まあそれはそれとして……。  次に、非加熱製剤から加熱への変換ですけれどもアルファ社からの技術の導入、あるいは輸入を考えなかったのかどうか、その辺はどうでしょうか。
  208. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほどお答えいたしましたように、輸入も含めて検討したという記憶がございます。結局、いろいろ技術員がアルファと相談いたしました結果、こちらの研究も進んでおることだから、今やはり日本企業に合うような加熱開発をしたいという結論になったというふうに私は報告を受けております。
  209. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 ヘプタンを使用しているということで、そのヘプタンというのは日本で使えないという、そういうものだったからこれはだめだった、あるいは輸入に関して、アルファ社の生産能力がなかったということで不可能だったというような指摘もあるのですけれども、その辺はどうでしたか。
  210. 松下廉蔵

    松下参考人 ヘプタンを使うということは、アメリカの消防法と日本の消防法との違いで非常に設備が難しいという報告を受けた記憶はございますけれども、当時のアルファ社の生産量につきましては、申しわけございませんが、私、記憶しておりません。
  211. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 八五年に入ってから、皆さんの報告でも、非加熱製剤七万本にも相当する原料を大量輸入したということですけれども、どうしてそうしたのか。非加熱製剤他社はみんな廃棄処分にしたということなんですけれどもミドリ十字だけはそうしないで、また乾燥加熱処理をしたということですけれども、なぜそうしたのでしょうか。
  212. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほどからお答え申し上げましたように、血液というのはやはりほかの薬と違いまして、人体由来の、要は生命の一部でございますから、非常に大事にしなきゃならぬという考え方でずっと来ております。  しかも、こういうことでできるだけ加熱製品を早く上市したいというような場合には、ウイルスの不活化を行えば当然それは加熱製品として使えるわけでございますから、回収した製品をさらに加熱処理してできるだけ有効に使うことができるようにということは、その当時としては医療のためにプラスになるという判断をいたしておりました。
  213. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 それは後段の話ですね。前段は。何で大量に輸入したのですか。
  214. 松下廉蔵

    松下参考人 特段にそのときに非加熱品を大量に輸入したという記憶はないのでございますが。
  215. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 その報告は厚生省に対してされているのですよね。通常よりもかなりの数量をミドリ十字として輸入しているということが報告されているのですけれども、その点、御存じないのですか。
  216. 松下廉蔵

    松下参考人 申しわけございませんが、ちょっと記憶がはっきりしないのですが、それは製品としてでございますか。(岩佐委員「原料」と呼ぶ)原料でございますか、原料ならばわかります。  原料血漿ならば、加熱品を出さなければならない段階で、御承知のように、あれは大分歩どまりが悪くなります。したがって、十分な加熱製品を提供するためには少し余分に原料血漿を輸入する必要があったのだろう。これは私、記憶ではございませんで、今からはそう考えられるという意味で御答弁申し上げるわけでございます。
  217. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 終わります。
  218. 和田貞夫

    和田委員長 土肥隆一君。
  219. 土肥隆一

    ○土肥委員 参考人ミドリ十字社にお入りになるいきさつについて若干お聞きいたしましたけれども、最初は日本血液製剤協会理事長になられて、そのときには当時の厚生省の人事課長から紹介があった。今度、ミドリ十字に就職なさるときに、厚生省からのサジェスチョンといいましょうか、そういう意見はございませんでしたか。
  220. 松下廉蔵

    松下参考人 人事というのはいろいろな要素がございまして、自分で知らなかった要素もあるかもしれませんが、私の記憶しております限りでは、先ほど申し上げましたように、内藤さんに誘われまして、それで製薬協の会長の御了承を得て、一年延ばした上でそれに応じたということで、もちろん話が決まってから厚生省には報告はいたしております、所管の役所でもございますし。しかし、厚生省からそういう話を聞いた記憶はございません。
  221. 土肥隆一

    ○土肥委員 内藤さんは松下参考人に特に何を期待して、そして松下さんはそのときに、こういう私の能力ならばミドリ十字に役に立つと御判断なさったのか、それとも、ほかの判断があるのか、お聞きします。
  222. 松下廉蔵

    松下参考人 私、実は、入ってから内藤さんにそれを聞いたことがございますが、私は役人としては非常に普通のタイプであって、特に経営に向いているというタイプでもないと自分でも思うのだけれども、どうして私をお誘いいただいたかという質問をしたことがございます。内藤先生は冗談めかしてはっきりおっしゃいませんでしたけれども、なかなかあなたは、何と言われたかな、話せるタイプだと思っていたというような表現で答えをそらされて、余りはっきりしたことは聞いた記憶がございません。
  223. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、経営者、経営の。パートナーとして内藤さんは松下さんをお呼びになったのではなくて、何か話が合うから話し相手にでもしようかというような感じですか、どうですか。
  224. 松下廉蔵

    松下参考人 ミドリ十字も小さな会社でございますが、一応、一部上場の、八百億の売り上げのある会社でございますから、そんな単純なことではないので、内藤さんの人柄といたしまして、はっきり物を言うことには非常にシャイな点がある、そういうことからそういう発言があったのだろうと思います。私としては、やはり負託にこたえるだけの仕事はしなきゃならぬという覚悟を持って入ったつもりでございます。
  225. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、松下さんは副社長から今度は社長になられるわけですが、そのときは何をしようとお考えになって社長になったのですか。あなたの経営手腕はどこにあると考えられたのですか。
  226. 松下廉蔵

    松下参考人 私が社長になりましたときに社内に訓示いたしましたのは、何よりも社業の各部門といいますか、社の運営についてバランスを考えてやってもらいたいということを言ったことがございます。  大体そのころまでは割と社業が順調にいっておりましたけれども、薬価の引き下げ等がありまして、やや苦しくなっておりました。それから、さっきどなたかから御質問がありましたように、私が社長に就任いたす前に内藤さんが亡くなり、その後、いろいろなスキャンダルがささやかれた時期でもございますので、社内の、先ほど申し上げました研究開発、それから製造、品質管理、営業、まあ渉外なんかもございますけれども、そういう各部門がややばらばらになるといかぬ、やはり一致団結してやってもらいたいということを主にして、そういうことを指示した記憶はございます。
  227. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、御自身でかなり、ミドリ十字松下さんが社長の在職当時、かなりの貢献をして社運を上げたというふうに考えていいでしょうか。
  228. 松下廉蔵

    松下参考人 私の能力のせいかどうかは自分でははっきり申し上げかねますけれども、私の五年間の社長在任中は、最後の年が売り上げは史上最高になりましたけれども、利益は大分落ちておりまして、そういう意味では、企業としての実績を私が社長として上げ得たかどうかという点はいささか自信がございません。じくじたるものもございます。
  229. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、社長当時、会社のあらゆる部分で情報をつかんでおり、全体をまとめる役割として十分な期間をお過ごしになったと理解し、営業もそれなりの成績を上げたと理解していいでしょうか。簡単にお答えください。
  230. 松下廉蔵

    松下参考人 売り上げは申し上げたとおりでございますけれども、利益が落ちておるということはやはり営業面としては大きな問題でございますし、あらゆる情報をつかんでおったとは、私も途中入社の立場で、十分に申し上げる自信がございませんのは大変残念でございます。
  231. 土肥隆一

    ○土肥委員 ここに資料がございますけれども、いわゆるストックホルム会議が開かれるわけですが、この資料によりますと、資料の出所は伏せますが、「アルファ社、カッター社、ハイランド社、イミュノ社、トラベノール社などの血液製剤メーカーがほとんどスポンサーとする私的な財団組織であった。」こういうふうに書かれているのです。そのことは御存じですか。
  232. 松下廉蔵

    松下参考人 血友病の薬というのは御承知のように一生使うものでございまして、しかも、患者が発病、治癒という状況ではございませんので……(土肥委員「スポンサーになったかどうかをお答えください」と呼ぶ)血友病会議の、血友病団体のスポンサーと申しますか、かなりの援助をいたしておったことは事実でございます。
  233. 土肥隆一

    ○土肥委員 そのときにミドリ十字社から社員がこのストックホルムまで何人か出かけた、一緒に随行したということはありますか。
  234. 松下廉蔵

    松下参考人 行ったかどうかは私は今記憶しておりませんが、そういう国際会議はやはりミドリ十字研究学術員にとっても大事なことでございますので、それは恐らく行っておっただろうと私、今思います。
  235. 土肥隆一

    ○土肥委員 実は、そこで決議された報告書が、いわばエイズ研究班の第二回班会議で、安部先生もこれに出ているわけでありますけれども、非加熱血液製剤を継続して使うということが、この国際会議判断エイズ会議がそういう方向を出してしまうわけです。それは御存じですか。
  236. 松下廉蔵

    松下参考人 最近の情報で知っております。
  237. 土肥隆一

    ○土肥委員 最近知られたというのではちょっと困るのです。では、こうお聞きしましょう。  エイズ研究班設立されたのが一九八三年六月です。そして、安部先生委員長になる。それからさかのぼること三カ月ほど前にトラベノール社加熱製剤開発し、そして非加熱剤を回収している。あるいは、先ほどのおっしゃり方によりますと、アルファ社も既に加熱製剤を出していた。そして第一回の研究班が開かれ、その間にストックホルム会議があり、第二回目の研究会議が閲かれる。そこで非加熱製剤にまた戻ってしまう。どうでしょうか、ミドリ十字社として、あるいは社長として、このエイズ研究班の動きを詳細に情報をキャッチしておられましたかどうか。
  238. 松下廉蔵

    松下参考人 先ほども申し上げましたように、そういう厚生省内の動きということは、私も一々知っておるわけではございませんので、大体、新聞とかテレビの報道で実情を承知しておった程度でございます。
  239. 土肥隆一

    ○土肥委員 血液製剤のトップメーカーとして、社を挙げてエイズ研究班の動きに目配りをしないで、メーカーとしてあり得ない。そのときの社長新聞でしか知らなかったのでしょうか。もう一度ここをお答えください。
  240. 松下廉蔵

    松下参考人 おしかりを受けて恐縮でございますが、そのとおりでございます。
  241. 土肥隆一

    ○土肥委員 そうすると、あなたは社長の識見が問われるわけです。営業成績は上げられた、収益率は悪かったとおっしゃいましたけれども。しかし、こんな大事な問題が、厚生省を揺るがすような問題が起き始めているということに、ミドリ十字社が社を挙げて知らなかったなどということはあり得ないのでありまして、それでは、社長は何のために厚生省をおやめになって、厚生省から、ドリ十字社に招かれたかということも、責任を果たしていないのです。  厚生省とどういうやりとりをしたのか。単に裏敬訪問だったのですか。それとも、何か定期的な協議があったのではないですか。そして、よく言われることですけれども、外資系のメーカーがよく言うのです。もう国内メーカーにはかなわない、いつも別のところで政策や情報が流れて外資系には回ってこないというふうに言われるのですけれども、そういうことは一切なかったとあなたは断言できますか。
  242. 松下廉蔵

    松下参考人 それが社長の任務ではないかとおっしゃられるとお恥ずかしいのですけれども、私は、さっき申し上げましたような理由で、そういう特別な情報源というのは厚生省には持っておりませんでした。
  243. 土肥隆一

    ○土肥委員 最後にお伺いします。  それでは、どこかに情報源を総括している部分があるとすれば、ミドリ十字社の中のどこですか。
  244. 松下廉蔵

    松下参考人 今の学術的な問題につきましては、アメリカ資料等も参考にいたしまして、研究部門が担当いたしております。それから、国内のそういう、他社の動きとかそういうようなことについては、やはり営業部門が担当いたしております。
  245. 土肥隆一

    ○土肥委員 では、社長には報告が上がってこなかったのですね。
  246. 松下廉蔵

    松下参考人 上がってきたものと上がってなかったものがございます。
  247. 土肥隆一

    ○土肥委員 あなたは新聞でしか知らないとおっしゃったじゃないですか。上がってこなかったのですね。
  248. 松下廉蔵

    松下参考人 研究班につきましては、特別な報告を受けた記憶はございません。
  249. 土肥隆一

    ○土肥委員 結構でございます。  ありがとうございました。
  250. 和田貞夫

    和田委員長 以上をもちまして松下参考人に対する質疑は終了いたしました。  松下参考人には、御多用中のところ、まことにありがとうございました。委員会代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  次回は、明二十九日水曜日正午理事会、午後零時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時四分散会