○
武田邦太郎君 今、立木
委員のお話を伺いながら、私も当時を思い起こしました。私は当時、長春の大同大街のソ連戦車の進撃するルートを想定して、その両側にタコつぼを掘って爆弾を抱えて入っていたわけです、ソ連軍が来たらその戦車の下へ飛び込むと。
考えてみれば、そんなことをやっても成功するような作戦じゃないですね。ないけれ
ども、今言われたような
避難民が右往左往するのに幾らかでも時間が稼げるかというようなことで爆弾を抱えているわけです。ソ連軍の作戦が何日がおくれたので、陛下の放送が伝わってまいりまして、私は今ここに生きているわけであります。そういうことを
考えるにつけましても、少なくとも世界政策を
考える場合には、国民の英知を結集して間違いないことをまず期さないといけない。
今の開拓の問題にいたしましても、私
どもの先輩は随分開拓の問題を吟味して、絶対に向こうの農民が耕している土地を奪ってはならぬ、こういうことで大変な闘争をやったわけでありますけれ
ども、それは踏みにじられて、戦争に負けて開拓民がああいう悲惨な
状況に陥った
一つの大きな理由は、開拓が未墾の大地を開拓したのではなくて、向こうの農民がやっている土地を奪って入ったということが
一つの大きな原因だったろうと思うんですね。まあこういうことはきょうは
お話しする予定はなかったんですが。
それで、これまで日米安保について何回か申し上げましたが、かいつまんで復習しますと、安全保障を期するための日米安保は、
日本の自衛隊に対する統帥が実質的に
日本にあるのかどうか、これが心配である。第二は、日米安保によって我々は軍事力によって国際問題を片づけようとしがちな
アメリカの協力を強制されないか、それに我々は加担するのか、これが第二点ですね。第三点は、露骨に言えば
中国、北朝鮮を敵国視する、少なくとも向こうにそういうふうに受け取られる心配はないか。それから第四点は、
アメリカの希望するだけの基地、土地が
日本の国土にあるのか。沖縄が仮に嫌だと言った場合、それを本土で受け入れる可能性があるのか。
一応、分ければこういう四つぐらいの問題がありますけれ
ども、そういうことをよくよく
考えに入れて、私は
日本、
中国、
アメリカが発言して、できれば韓半島の二つの国、
ロシア、東南アジア、これらの国々が三十年ぐらいを期間にする相互不可侵条約を結んだらどうか。これは単なる思いつきではありませんで、戦争に負けて五十年、幾らがこの種の問題を
考えた
一つのまとめであります。
先ほどのお話じゃありませんが、どうか簡単に片づけないで、日米安保をこれからどこまで持続するのか、それともそういう不可侵条約を結ぶことと比べてどちらが各国の国民の財政負担が軽く済むのか、あるいはまかり間違って戦争に入っていく心配がどちらが多いのか、あるいは究極の平和理想に向かっていくのにどちらの方が聡明であるのか。こういうことについて、日米安保と三十年の相互不可侵条約との優劣を比較して、それでこの重大な世界政策の決定を国民の英知を結集して決定したらどうか。これは急にはいかないのはよくわかりますので、十分な時間をとって、
アメリカの良識にも十分訴えて進むということをやったらどうかというふうに申し上げたのであります。
幸いにして、
大臣は、
アメリカと
日本とが対等の親友になるべきだ、こう言われるし、武力では究極の平和はから取れない、こういうこともはっきり言われたので、私は今の
段階で大変満足をしております。
そこで、国の独立ということがなくては平和は語れない。ある国の意思に強制されて屈伏したのでは平和は語れない。そういう
意味では、軍事力と並んで大事なのは、我田引水かもしれませんが、食べ物だと思うんです。
アメリカのレスター・ブラウン氏の研究所に言わせると、あと三十五年、二〇三〇年ですか、三分の一世紀後には世界の人口が八十億幾らになる、しかし穀物は今に比べて一億トンしかふえないというんです。これは私は少し暗く見過ぎていると思いますけれ
ども、ともかくもこの研究所は毎年地球白書を出す権威ある研究所でありまして、それが二十一世紀は飢餓の世紀である、こういう書物を私の同僚の小島
議員が最近翻訳して出しましたが、そう言われる中で
日本は食糧の自給をどの程度
考えているのか。
これは若干申し上げましたけれ
ども、穀物の自給率わずか二七%、そのほかに百八十万トンから二百万トン近い肉を輸入しておりまして、肉一トンを生産するのに七トンから八トンの穀物が要りますから、それらを総合いたしますと
日本の穀物の自給率は二〇%にすぎない。平成五年のような不作の年には大体一五%くらいしか自給していないんですね。
私が農政の勉強を始めたころびっくりした書物は、
中国の漢代の礼記でありますけれ
ども、国民の食糧は、九年分備蓄がなかったら不足だと思え、六年の備蓄がなければ窮迫していると思え、三年の備蓄がなければその国、国にあらずと、こういうことが書いてあるのを見まして驚いた経験があるんです。三年の備蓄なんかもちろん要りませんけれ
ども、悪い年にはわずか一五%しか自給しない
日本がこれは国と言えるのか、こういう憂いを持たざるを得ません。ちょっと古典的な言葉でありますけれ
ども、今のシラク大統領のお師匠さんのドゴール元大統領が、食糧の独立なければ民族の独立はない、こう言って必死になって農業を振興したという話があります。
独立という言葉にもいろいろありますけれ
ども、まずせめて七〇%から七五%ぐらいは平常時に自給しておく。必要な油は一年分、これは大したことはありません、五百万トンあればいいんですから。
日本は年間二億トン弱使いますから、農業が使う石油はわずかなものです。これはもう楽に備蓄ができますし、いざとなったら牧草畑とかゴルフ場を麦畑、ジャガイモ畑に振りかえれば、栄養失調にもならなければ、すき腹を抱えなくてもいい。こういう提案を三木内閣のころにやりまして、三木さんが非常に賛成なさって、ぜひやりたいとおっしゃったことはここで申し上げたかもしれませんが、いずれにしましても今でもやろうと思えばできるのですね。それをやらないで、主として
アメリカから供給されている。
こういう
状況は少しでも早く国際
政治的に独立、それと並行して食糧の独立とはいかないまでも七〇%から七五%くらいまではまず自給できる体制を早急にとって、油類の備蓄なりあるいはゴルフ場、牧草畑をいつでも転換し得る体制をとるなりしたらどうかと思うのでありますけれ
ども、そういうことを農水省とか防衛庁とか外務省が
中心になって検討をするということはいかがでしょうか。