○公述人(平松守彦君) 本日はわざわざ御来県賜りまして
参議院の
地方分権及び
規制緩和に関する
特別委員会の公聴会を開いていただき、私どもに
発言の
機会を与えられたことを大変光栄に存じております。
それでは、座ったままで失礼させていただきます。
お手元に私の
地方分権に関する
意見の要旨というのが参っておると思いますので、その要旨に従って御説明をさせていただきたいと存じます。
その前に、私は大分の出身でございますけれども、昭和二十四年から昭和五十年までは
東京の通産省という中央官庁で勤めさせていただきまして、昭和五十年に大分に帰って副知事になりまして、五十四年に知事になりまして、現在ちょうど先般の
統一地方選で五選ということでございます。したがいまして、前半の二十四年から五十年の二十六年は中央の、国の
政府の中で
行政をいたしまして、昭和五十年から二十年間はこの大分県で
地方行政を担当させていただいておりまして、ちょうど高度成長から今の安定成長になるこの
過程でやはり
地方分権ということが
地方住民の
福祉、
地方住民の生活の向上には一番必要なことではないかというのを実感いたしましたのでそういったことについて、体験的な
地方分権論でございますが、お話をさせていただきたいと思っております。
その前に、私の大分県のことでございますが、一言申し上げますと、私は、GNPからGNS社会へと、こう言っております。
大分県の一人当たりの県民所得は、平成四年に発表されました
経済企画庁の統計では一人当たり二百五十一万五千円。県民所得というのは一次産業、二次産業、三次産業の純生産高を人口で割ったのでございますが、三十二位でございます。
東京が四百三十万円でございますから七割以下、六割ちょっとのところでございます。しかし、一ドル百円で換算すると二万五千ドル、八十円で換算すればもっと大きくなるわけでございまして、アメリカの一人当たりの
国民所得が二万一千ドルから二万二千ドルと言われておりますので今はもう、九州各県はもちろんでございますが、県民所得からいえばアメリカの一人当たりの
国民所得並みに来ているわけで、GNP、グロス・ナショナル・プロダクションからいうと、我々のところも県民所得からいくとまあまあのところでございます。
問題はやはりこれからは一人当たりの豊かさ、グロス・ナショナル・サティスファクション、物的満足じゃなくて一人一人が生きがいを持って、お年寄りの方が安心して暮らせる、子供が安心して育つ、こういった満足度、豊かさ、こういうGNSという社会を求めるべきであると。一人一人が生きがいを持って暮らせる豊かさを実感できる
地域づくりが県政の目標でございます。
先般、五月一日に発表されました
経済企画庁の「豊かさ指標」というのが出ておりますが、これによりますと、いろいろ指標がたくさん出ていて、総合指標でいきますと大分県は全国で十九位、九州の七県ではトップになっておる、こういうことでございます。一人一人の公園の面積でございますとか下水道でございますとか住宅でございますとか余暇時間でございますとか、そういうGNSの指標でいくと全体の十九位、十八位ぐらいというところでございますので、これからやはりGNP、一人一人の物的豊かさと同時に心の豊かさを大分県の中の地域が実感できるということをやる
行政をしておりますが、そのためにも
地方分権が必要である、こう思っております。
まず、
地方分権の必要性について申し上げますと、今言いましたように、これからは物の豊かさと同時に心の豊かさ、真の豊かさということであり、生活者という
立場でみんなの生活水準を上げていく、また
福祉の水準を上げていく、こういったことをやるような
時代になってまいりますと、日本の今までの画一的な
行政、また縦割り
行政というものが
地方に住んでおる生活者としての
住民の皆さん方のニーズに合わなくなってくる。
例えば農業
一つとっても、北海道の農業と大分県の農業は面積も地形も、またつくる産品も違うわけでございますので、やはりその地域に合った農業をやっていかなきゃならぬ。画一減反、画一
補助金ということで、高度成長のときには一人一人が全体の
国民という
一つの規格品でとらえて
国民総生産を上げるということでございましたが、これからはやっぱりそれぞれの地域という視点で地域農業、地域
福祉、また地域医療、こういったことで地域に住んでいる
住民に合うような
行政をやっていくということになると今までのようなやり方のシステムを変えていかなければならぬのではないか。
日本の役所も皆、通産省にしても物をつくるという側、建設省も道路をつくるという側、また運輸省は鉄道や飛行機で運搬を供給する、供給官庁は多いんですが、消費生活、生活という
立場からの役所というのは
経済企画庁の
国民生活局という局があるぐらいのもので、いわゆる生活者主権というか、生活者の
立場に立った
行政ということは日本の中央官庁はできておらない。
地域
住民のニーズに合う
行政というのは
地方の役所が、一義的に
市町村なり県がやるというようなことになっていかないとこれから二十一世紀において
国民の満足度を高めていく
行政はできないんじゃないかということが一番大切なことではないかと思っているわけでございます。
それから第二番目に、ここに書いてございますが、もう
一つの大きな問題は
東京の一極集中。
東京は今、大変大きな問題でいわゆるサリンとか地下鉄の事件等が起こっておりますし、また阪神の大震災で都市に集中した大災害が起こったときの問題も如実にあらわれておりますから、やはり今はまさに
東京におる人も自分の生活について不満を持っておる。
地方の方は若い人がどんどん都市の方に流出していって、例えば日本の一番大切な森林資源、水資源を守る森林、これを保全する若手の労働者がいないということになって、台風が来ると非常に大きな災害が起こる。日本の森林を守る、また自然環境を守る地域の若者がいないということでございますので、現在の日本を一言で言うと
東京不満、
東京におる人は不満であるし、
地方の人は不安である、このまま町がなくなるんじゃないかというような
時代に現在はあるわけでございます。
これはやはり
東京に住んでいる人も
東京満足、
地方の人も安心して
地方に住めるというようになっていくためにはこの
東京一極集中をどうやって是正するかということでございますが、これには
三つありまして、
一つは先生方が今やっておられる
規制緩和。許可認可のために
東京の役所に行っていろいろ陳情しなきゃならぬ、こういうことが非常に多いために
東京一極集中になる。
私の例を申し上げて恐縮でございますが、知事になった昭和五十四年ごろは二月に三回ぐらい
東京に行っておりまして、ですから月平均一・五回ぐらいは
東京に行っております。最近は月に三回ぐらい
東京に行っておりますので一年に三十六回
東京に行く、一泊二日で帰ると七十二日
東京におることになりますから二月半は
東京におる勘定でございます。ちょうど戦国
時代の江戸詰め城代家老みたいなもので、
東京におる期間がそのくらい、これは私だけじゃない、もう熊本の知事も北海道の知事もみんな、
地方の知事は大体七十二日ぐらいは皆
東京におると思います。
予算時期にでもなると陳情で各省を回って歩いたり、また
国会の先生を回って歩くようなことになりますので、こういうことを繰り返しておると、これは私だけじゃない、隣におられる市長さん、町長さん、みんなこうやって行くことになりますから、やはり
東京に飲み屋ができ、ホテルができ、会議室ができ、どうしても
東京に人間が集まる。なぜ集まるかというと、これは霞が関という中央官庁があそこにありまして、そこに行かないと、昔はバスの停留所を
一つ変えるのにも運輸省まで行かなきゃいけなかったわけでございますが、そういうことで許認可権限というのが集中しているからどうしても
東京に行かなきゃいけない。それから、最近は会社の本社が皆
東京に移っていますから、企業誘致なんかをお願いするにしても社長さんに会うには皆
東京に行かなきゃいかぬということで問題がある。
第二番目の問題は、それじゃひとつ
東京を移転したらどうかという
東京の移転問題、霞が関を移転してしまえという議論があるわけでございますけれども、私はこの議論にはちょっと
意見がございまして、
東京の中央官庁、また
国会、最高裁判所、在外公館、六十万人を首都から六十キロのところに移すのに十五兆円、これは堺屋さんがそう言っていますが、今のままで
東京から六十キロのところへ移してみても、これは第二の
東京ができるだけで我々としてはかえって、例えば宇都宮の先に
東京が移れば便利が悪くなるわけでございまして、今のような中央集権のままで
東京から移したらこれは
意味がないわけでございます。
したがって、やはりそのためにはまず
規制緩和、それから
地方のことは
地方でやれる、もう大分県のことは大分の県庁で話が済む、九州のことは九州で全部話が済むというような姿なき転都といいますか姿なき遷都、いわゆる
地方分権というのを行わないと
東京への一極集中は直らないんじゃないか。これだけじゃございませんけれども、
地方分権というのはそういう
意味で今の
東京への一極集中というものに対する
一つの大きな決め手になる、こう考えておるわけでございます。したがって、日本の均衡ある国土の発展、それから人口等の分散、若者の
地方定住、そういったことをやる
意味においても
地方分権というのを考えていかにゃいかぬということで、今まさにそういうことをやるべき時期である、このように思っておるわけでございます。
しかし、それについてはまたいろいろ問題がございまして、特に中央官庁からいうと、例えばゼネコン汚職が起こると
地方に任せるとやっぱり同じようなことが起こるのじゃないかとか、また神戸の震災なんかのときでも、
国会の議論は最も自衛隊が早く
都道府県知事の発動要請を待たずして出るべきではないかとか、
東京の信用組合が
二つございますが、ああいう監督権は今
都道府県の
機関委任事務になっておりますが、あれじゃだめなのでまた大蔵省に戻せとか、最近はそういう議論が非常に出ております。やはり
住民の消火
活動、防災
活動というのは
地方自治の原点でございますから、まず
市町村、
都道府県が消防
活動、また震災への安全対策はやるべきであって、その上で自衛隊にもお願いし、また国にもお願いするという原点でいかないと、
地方に任せておるとだめだから国が現地で対策本部をつくって、自衛隊も
市町村長、また
都道府県知事の要請なくして出るようにするという言い方は本末転倒ではないか、このように思っております。やっぱり
地方自治というのはいつまでも
地方不信と考えてやるとこれは進みません。
地方自治は教育ということでございますので思い切った、初めに
分権ありきということで
地方自治体を教育していく、若干混乱は起こるかもしれませんが、それを進めていかないと
地方分権はできないのではないか、このように思っておるわけでございます。
そこで、
地方自治のこれからの進め方でございますが、その前提として、第二ページに書いてございますが、私は
地方分権は目的ではなくて手段であると考えております。
地方分権をすれば全部片づくというものじゃございません。
地方分権というのはあくまでも手段でございまして、目的は何かというと、地域に住んでおる
住民の生活水準が上がる、また
住民の
福祉なり
住民が安心して暮らせる豊かさが実感できる生活が送れるということをやるのには、今のような中央集権的な画一的、縦割り的
行政よりも
都道府県及び
市町村において
行政を行った方がそういう目的にはベターではないかということで
地方分権を進めるわけでございますから、
地方分権をすることによってかえって能率が悪い、かえって問題が起こるということでは
地方住民からすれば中央集権の方がよかった、こういうようなことになるわけでございます。
地方分権を行うためにはどうしても
地方自治体に優秀な人材を得てその役所が
政策能力を持っておる、
東京都の知事にしても大阪の知事にしても、また
地方の知事が皆
政策能力を持っておる、また職員が
住民にこたえるだけの
行政執行能力を持っておるということでありますから、そういう勉強をしておかないと中央集権をやった方がいいということになるわけでございます。
このことを一番
最初に言った人は、大分県で幼年期を過ごした福沢諭吉先生が「
分権論」というのを明治十年に書いておりますけれども、福沢諭吉さんはその中で国権、国の権力を
二つに分けろと。
政権と治権、ガバメントとアドミニストレーション、国権を
二つに分けろと。
政権というのは国が集中して持つべきである。ガバメントというのはいわゆる外交、通貨、国防、これは国の権限である。それから治権、アドミニストレーション、いわゆる公共
事業、衛生、教育、こういったことは全部
地方に任せるべきである。
政権、治権というのに分けて、
一つに全部まとめるべきではないと福沢さんは書いております。福沢さんは、それをやれば混乱が起こるけれども、思い切ってそれをやらなければいつまでたっても
地方分権はできない、恐らく自分の目の黒い間にはできないとその本には書いてありますが、今もって、明治から百年たってもまだできていないということでございます。
したがって、第一番目は、
地方分権を進めるときにはこの一方で若者が
地方に定住して、いい人材が役場に、
市町村なり県にいるという若者の
地方定住という
政策を
一つとらなきゃなりません。
第二番目は、ただ権限だけを移譲することが
地方分権ではありません。
今、
地方は三割
自治であります。大分県も一般財源、いわゆる自主財源と依存財源の比率は、バブル景気のころには二年ぐらい自主財源が三三%、現在は三〇%をちょっと切っておりますが、おおむね自主財源三割、国からの
補助金、交付税が七割ということであります。したがって、幾ら権限をもらっても財源がない、財源を全部国に依存しているとこれはお釈迦様の上にいる孫悟空みたいなもので、いつでも国が生殺与奪の権を握っておるわけですから、やはりこれからは権限移譲をしたときにはそれに必要な自主財源を持つということが
一つのポイントであります。
その証拠に、細川
政権のときにパイロット
自治体という、いわゆる中央集権に風穴をあけるということで
地方自治体に思い切った権限移譲をするので手を挙げなさいと言って手を挙げさせたところが、三千三百の
市町村で手を挙げたのは十五
自治体であります。九州では那覇市だけでございました。したがって、
市町村に権限を移譲するとしても、県に移譲するにしても税源培養、
地方消費税等思い切った財源もできましたけれども、まだまだいけません。
ドイツやアメリカのような
地方分権が徹底しているところでは、私もアメリカやドイツの市長さんにそれぞれアンケートを出しまして、おたくはどのくらい
地方の財源がありますかという手紙を大分出してみたんです。例えば、テキサス州にオースチン市という市がありますが、ここは大分市と姉妹都市でございますのでそこの市長さんにテキサス州や連邦から来るお金は支出の中のどのくらいですかと言ったら、オースチン市の一九九三年の連邦と州の
補助金は千八百七十万ドルであって、市の歳入予算に占める割合は一・五%であります。テキサスの首府でございますオースチン市でそういう
状況でございます。
したがって、アメリカはユナイテッド・ステート・オブ・アメリカで、やっぱり初めに州があって州が強くて、その上に連邦
政府が州の調整をするということは日本とまるきり違っておるわけです。日本は
中央政府が先にあって、
地方はその出先だったわけですね、明治
時代は。それが最近公選制になっただけであります。そういった
意味で、
地方分権を進めていく上では税源の自主財源というところが大変大切でございます。
それから、先ほど言ったように、やはり若者が
地方に定住して各
市町村に有為な人材がいなきゃいけません。
地方分権のまず一義的には何といっても
市町村が単位であります。県というのはいわば中間層でございまして、私は行く行くはこの県というものももう一回見直すとやっぱり道州制の方にいかなきゃいかぬと思いますが、何といっても
市町村に力がついていないと
住民の身近な
行政は行えません。したがって、
市町村、いわゆる
地方都市に若者が定住するようなインフラストラクチャーの整備を並行して行わなきゃいけない。
今の日本の例えば道路
一つとっても、
東京から大分までは飛行機で一時間半。
東京から秋田までも一時間半。
東京から長崎もそうです。長崎と大分は三時間以上かかる。秋田と盛岡も時間がかかる。松江と広島も時間がかかる。こういうことで全部
東京を中心とした放射線状の交通体系でございますから皆
東京に物を出す、
東京を中心とした放射線状のいわゆる江戸
時代の参勤交代型交通体系であります。
東京に行くのは全部便利がいいというようなことでございますが、そうじゃなくてやはり九州は九州で
一つの循環的な交通体系をつくる、また瀬戸内海に循環的な交通体系をつくる。
東京と福岡を結ぶ一極一軸、いわゆる東海道・山陽道だけ一本をつくっておくと今度の阪神の震災のように地震が起こったときにこれがもう全然使えない。
だから、やはりこれからは第二国土軸、いわゆる豊予海峡を通って紀淡海峡を通っていくような、こういう多軸多極、第二東北国土軸、日本海を結ぶ日本海国土軸、こういったような国土計画でそれぞれの地域に若者が定住していくように、今までは
東京に、大都会に若者が住んで時々土曜日曜に湯布院に来たり別府に来たり大分に来たりするようになっていますが、これからは
地方に若者が住んで時々
東京に行ったりするような、ドイツやアメリカのような
地方自治体型、
地方分権型都市をつくっていかなければなりません。
例えば、西独
時代のボンは人口二十万、ワシントンは人口六十万であります。
東京は一千万人であります。したがって、そういった国土計画も並行して
地方分権を進めないと、
分権の目的が
地方住民の生活水準を向上させていく、いわゆる生活者主権というのが
地方分権ですから、そこをやらなきゃいかぬ。しかし、それを待っておったら
分権はできませんので、
分権とそういった
地方都市の若者の
地方定住
政策を並行して進めていかなければならないと思っております。
それからもう
一つは、これからはやはり地域、九州なら九州が
一つの地域になって地域国家といいますか、そういうことでアジアとの外交を、これからやはりアジアというのは日本にとって大きな問題になりますから、九州が
一つの
経済国家になって各アジアとの交流をやる、こういったことをやっていかないと、日本とアメリカとの間のAPECというようなことでやっているとアジアの
経済圏というのがなかなか確立しない。したがって、これからは地域と地域がお互いに
経済の交流、人材の交流、いわゆる地域間外交、私はローカル外交と言っておりますが、外務省が一元的に
経済圏をつくっていく、APECとかこういったアメリカを主導としたようなアジア対策じゃなくてやっていくためには地域と、例えば日本の大分県と韓国の道州、また香港、シンガポール、インドネシア、それぞれの地域の知事さんとの交流、こういったこともこれからはやっていく、こういうようなことでこれからの
分権国家をやらなきゃなりません。
では、どうやればよいかというと、私の考えは、「九州府」構想と言っておりますが、一遍に国から
都道府県に全部権限を任せるといってもなかなか中央官庁の不信感がありますから、まず国の出先、例えば九州で言えば福岡に九州通産局、財務局、農政局、建設局がございますから、国の出先を全部
一つに束ねて「九州府」というものをこさえて長官を一人置く。現在の機構をそのまま束ねるわけですから権限も人もふえるわけではありません。ただ一人長官を公選する。その長官が九州の中で各県知事と相談して、九州の中では公共
事業の中で道路を優先するとか、九州の国際空港をどこに決めるかというようなことはそこで長官と相談して決める。また、関東圏の長官は関東圏の各知事と相談して、関東地域ではもう道路はいいから今度は下水道とか公園を優先するとか、それぞれ公共
事業も国が一律に道路はもっと減らして公園をふやせというような公共
事業の重点枠なんかをこさえるんじゃなくて、地域別にそれに必要な公共
事業の重点枠をこさえてやっていくというようにしていく、これが第一段階。
第二段階は、「九州府」に各県知事の権限を全部入れて
一つの道州制、そして「九州府」に「九州議会」。ちょうどヨーロッパのECにEC議会があるように、ヨーロッパにおいてもヨーロッパの各国は独立しておりますが、ECということで共通
事項はECが行う。そのECをコントロールするEC議会、ストラスブールというところにありますが、私も行ったのですけれども、そういう「九州府」と「九州議会」というような形でやっていくのが
一つの行き方ではないか、こう私は提案をしておるわけでございます。
そこで、
最後に
地方分権法に対する私の
考え方を言わせていただきます。
地方分権法につきましては、我々はかねがね
地方に住んで
地方で
行政をやっておる者の本当に必要なものとして
地方分権を申し上げておりましたが、平成五年の六月に
国会の決議が初めて行われましてこのたびの
分権法になったわけであります。
いつも私は冗談めかして言うんですが、
地方分権はUFOであると。UFOというのは宇宙を飛ぶなぞの物体でありますが、
地方分権UFO論というのがありまして、
地方分権とかけて何と解く、UFOと解く、心は、いつも話題になるけれども見た人がいないと。こういうことでこれはもうこの十年ぐらい
地方制度調査会、また臨調、行革審、いろんなところで
地方分権はもう山ほど
答申が出ておるわけですけれども、遅々として進まない。ですから、今度の
地方分権法案はこのUFO論を破砕して、これから五年間の時限立法にもなっておりますから、その間に具体的な
地方分権を進めていく絶好の
機会であります。したがって、この
分権法を私は非常に高く評価をいたしております。
もちろんその中には、後ほど御質問もあるかもしれませんが、例えば
機関委任事務でございますとか、また
地方事務官
制度でございますとか、いろいろな点についてまだまだあいまいな表現がございますけれども、それをいろいろ議論しているとまたそこで時間がかなりかかるわけでございますので、まずこの
法案を通していただいて、そして
地方分権推進委員会で今までの
分権法で議論されている枠を超えるような新しい
地方財源の確立のための税制の抜本的な
改革、道州制の検討、また
市町村の合併問題、こういったようなことで
分権の受け皿づくりもあわせて
地方分権が進んでいくような具体的なことをこの
分権委員会の中でどんどん
答申していくということにしていった方がいいのではないかと。また、
法案の条文を今から修正等をやっておるとまたそれで時間がかかっていくおそれがありますので、私は早期成立を望むものでございます。
それから、問題点は今言ったような
機関委任事務等ございますが、それはその中でまたさらに議論をしていって、そして実質上必要な法律的な措置をとっていただきたい。それから、時限立法というのは今言ったように時間を切ってやるわけでございますから、非常に有
意義であるということでございます。
要は、私がこの法律及び
地方分権についてぜひ申し上げたいことは、第一点は思い切って
地方に任せると。どうしても
地方に任せると問題が起こる、今の信用組合の問題でも神戸の震災でも、何か全部
地方でやるとまどろっこしいから全部中央が取り上げてやるというのは、
国会の議論をテレビで聞いておってもそういう議論にすぐなるわけでございますが、それは非常に本末転倒でございますので、少々不安があっても思い切って任せていくというやり方をする前提で
分権を進めていただきたい。
それから第二番目は、
自治の原点はやはり
市町村でございますから、後ほどお話があると思いますが、
市町村の財政基盤なり有為な人材なり職員の質を向上して
行政執行能力を強く持たせることをこれから一緒に考えて、そこを原点とした
地方分権を始めていきたい。まず一番
最初には、
都道府県の
行政執行体制がしっかりしておると私は思うので、まず国から
都道府県がもらって、
都道府県から
市町村にという手順で今までの
考え方はあるようでございますけれども、基本はやはり
市町村が一番中心で考えなきゃいかぬ。そうなりますと、今の三千三百の
市町村がいいかどうか、もっと広域的な
行政というのをやる必要があるんじゃないか。大分県は、まず隗より始めよということで、昨年全国でも一番大きな
地方分権を
市町村にいたしました。件数として二百件ぐらいの
分権をいたしました。
市町村長さんからはやっぱり予算も要るというので、予算もつけて
分権をするということで始めたところであります。したがって、まず県が
市町村に
分権する。また、国はまず思い切った
分権を
都道府県に行って、
都道府県がまた
市町村におろす、こういう順序でいきますが、原点はそういうことであろう、こういうように考えております。
以上でございます。