○田英夫君 私は、まず
アジア・
太平洋の
信頼醸成について申し上げたいと思いますが、この問題を
考えるときに大前提になることが
二つあると思います。
一つは、
世界はいわゆる東西対立、イデオロギー対立の時代が過去のものになったということであります。今でもしばしば
日本は西側の一員であるからというような言葉を聞くのでありますけれども、このような立場の上に立って
アジア・
太平洋にもし
日本が臨むならば それは不信を買うだけになるのではないかと思います。
二番目に、
日本自身は、ことしは戦後五十年ということでもありますし、まず過去の誤りを
反省し、できれば
国会決議ということの上に立って、はっきりと過去に対する誤りを
反省する姿勢を示すこと、この
二つの大前提があって初めて
アジア・
太平洋信頼醸成ということに対して
日本が
発言する権利が生まれるとさえ言っていいと思います。
その場合にまず重要なことは、当然のことながら、
アジアの
人々の気持ちを重視するというこのことであって、しばしば現在アメリカが
中心になった
アジア・
太平洋というそういう
あり方があらわれていることに対しては、
日本は反対をすべきだと思います。
その
一つの例がAPECであります。APECはやはりアメリカが
中心になった
アジア・
太平洋の経済
会議という色彩が濃厚でありまして、これに対して最も顕著な姿勢をとっているのはマレーシアのマハティール首相でありますけれども、マハティール首相の主張するEAEC構想というものはその
意味でむしろ
日本は注目すべきものではないかと思います。
ところが、外務省はこれに全く否定的な姿勢をとっております。昨年、村山総理がマレーシアを訪問されたときにも、この点について明確な立場をとられなかったためにマハティール首相から反保撃をされるという結果を招いてしまいました。
日本は
アジアの一国として、こうしたマハティール首相のような
意見に対して同調することはできなくとも、注目をするというそういう姿勢をとることが大切ではないかと思います。
アジア・
太平洋の問題を
考えるときにやはり極めて重要なのは、中国に対する配慮あるいは姿勢だと思います。
アメリカはアメリカの物差しで中国をはかろうとしている、そして声高に人権問題を取り上げて中国批判を繰り返しているわけでありますが、少なくとも
日本はこのような態度をとるべきではない。
日本と中国の間には、長い
歴史そして
文化の
交流、そうした上に立った
二つの民族、
二つの国の
関係があるわけでありまして、また特に、過去の戦争という、侵略戦争という
日本の大きな誤りを
考えたときに、アメリカと同じような姿勢で中国に臨むことが誤りであることは言うまでもありませんが、この点については冒頭に申し上げた中国のイデオロギーを取り上げて、中国が
日本とは違うイデオロギー、社会主義
体制をとっているということを理由にして中国に対する批判をしていくということはもちろん誤りであります。
もう
一つ、
アジアの中で
日本から見て重要なのは、朝鮮半島に対する姿勢だと思います。ここもまた、
日本の過去の
植民地支配という誤りに対する明確な
反省が必要でありますし、また長い
歴史、
文化、そうした
交流の上に立った
関係というものを重要に
考えるべきであって、例えば村山総理に対して私どもの仲間でTMD、戦域核ミサイルに
日本は参加すべきでないという申し入れをしたときに、村山総理は明快にアメリカと
日本は違うからなという言葉を言われましたけれども、この姿勢は正しいと思います。残念ながら、TMDについて来年度
予算で若干の研究費をつけておりますけれども、このことは
政府の誤りだと私はこの場をかりて指摘したいと思います。
TMDは、言うまでもなく、アメリカが北朝鮮のノドン一号ミサイル、あるいは核疑惑と言われるものを取り上げて、それに対抗する手段という名目でつくり上げようとしているものでありまして、このようなものに
日本が参加をするということはあってはならないことだと思います。
アジア・
太平洋の
信頼醸成について、このほかにも個々の国あるいはグループ、そういうものに対するきめ細かな配慮が必要でありますが、この点はきょうは省略をいたします。
次に、
ODAについて
考えを申し上げたいと思いますが、既に
参考人に対する質疑などで私の
考えは繰り返し申し上げてきましたので重複すると思いますけれども、大きな点だけ申し上げると、なぜ
ODA基本法が必要なのかということです。今、各
会派の
方々からこの
調査会で
ODA基本法をつくるべきだという御
意見がありましたけれども、私も全く賛成であります
なぜ
ODA基本法が必要かといえば、まず第一に過去の誤りであります。過去に
日本の
ODAが犯した誤りはマルコス疑惑などで明快に出ています。そして、その誤りにつながった源は戦後の賠億、フィリピンやあるいはビルマやインドネシアに対する賠償を実行するに当たって、
日本の商社、企業そしてコンサルタントというものの存在の中でせっかくの
日本の賠償が、必ずしもその
相手国で生かされた使い方をされなかったというやり方がそのまま
ODAの
実施に引き継がれているという事実があります。このことを払拭しなければならないというのが第一であります。
二番目に
ODA体制。これは資金
協力の四省庁
体制と、
技術協力の十八省庁
体制と言っていい数多くの省庁がかかわった
体制で今行われているわけですけれども、この全体を
政府としてコントロールする調整機能を果たすところが全くありません。これをきちんとしなければ、例えば
ODA外交ということが言われ、それは事実でありますけれども、外務省すら十八省庁のそれぞれが行っている
ODAの実態を把握できないでいる、これが事実であります。このような状態では、やはりそこをきちんとしなければならないと
考えるのが当然ではないでしょうか。
それから、外務省が
ODA大綱をつくっている保からそれでいいではないか、
基本法は必要ない、保こういう
意見がありますけれども、これは私ども四
会派で昨年
提案いたしました
ODA基本法が要綱の状態にあったときに発表いたしましたので、実は言葉は悪いんですけれども、
ODA大綱というのはそのつまみ食いであると言わざるを得ないと思います。重要な部分を
政府が大綱という名のもとに決めました。これは決して悪いことではありませんけれども、そのような状態でいいのか。
法律できちんと定めた方がいいというふうに思います。
それから四番目は、一兆円を超す巨額な金額を使っている
ODAが、
国民そして
国会の目を全く通ることなく
行政府によってのみ行われているという現在の状態は、やはりもっとガラス張りに
国民の目の見えるところでわかるようにして行うべきだというふうに思いますから、その実際の方法としては、やはり何らかの形で
国会をスルーする、通ると、これは
事前の計画を承認するというやり方もありますし、
事後の
報告というやり方もあります。私どもの提出した四
会派の法案は非常に厳しく、五カ年計画のあらかじめ承認を求め、来年度
予算の提出につれて
ODAの年度計画を資料として出せ、この
二つから成っております。そして
事後の
国会の
報告でありますが、この点についてはいささか厳し過ぎるかもしれないという気もいたします。
この点につきましては、いずれにしても、どういう方法が最も
国民の目にわかりやすくなおかつ現実的であるかということを
考えるべきではないでしょうか。
以上です。