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笠原潤一君 自民党の
笠原潤一であります。
ただいま
委員長から御
報告がありましたように、
条約承認案件二件でありますけれ
ども、先般
河野外務大臣からこの
案件についての
趣旨説明がございました。その中で、私は特に千九百八十八年五月三十一日に
総会において採択された千九百二十八年十一月二十二日の
国際博覧会に関する
条約、この
承認案件ですが、この問題について二、三
質問をしたいと思います。
特に、
国際博覧会については言をまつまでもなく、御
承知のように
パリでエッフェル塔ができまして、自
来世界各国で
博覧会が開かれ、その都度人類に大きな夢と
希望を与えてきたわけです。その中でも特にニューヨークの
博覧会、シアトルの
博覧会は私も知っていますし、同時に一番大きなインパクトを与えたのは
大阪万国博覧会です。
日本博覧会でありますが、これは特に画期的な、
日本国民の戦後二十年間のうつぼつした大きな夢と
希望を達成した
博覧会でもありますが、その前に
オリンピックもやったわけです。したがって、
オリンピックとこの
博覧会によってようやく
日本は戦後を脱却して、そして
文字どおり科学技術立国の道を開いていったわけです。
その点を思い合わせまして、今回は特にこの
博覧会については
承認案件の中でいろいろと述べられておりますが、決して異議を差し挟むわけではなくて、非常に
時宜を得た
条約の
協定内容であろうと思っています。
我が国におきましては、いや
世界じゅうもそうですけれ
ども、
一般博と
科学博覧会はたくさんございます。特にここ二十数年間というのは
世界各国で、
一般博はもとよりでありますが、
特別博覧会が随分随所で開かれておりまして、そういう点でいえばもうそろそろ、
博覧会の
内容もそうでありますし、いろんなことそのものも変えていかなきゃならない
時代に立ち至ってきたのではないかと思っています。
我が国においては、
大阪万国博覧会以来いろいろと
経緯を経ながら、特に
バブル時代においては
日本国はどこの都道府県も全部が
博覧会イベント一色でありました。したがって、随分大きな
成果を上げましたし、各府県のいろんなことについては
地域のそういうものが非常に底上げされ、そして
地域の
活性化にも役立ったことは否めない事実です。
しかし、
大阪万博が開かれて約三十年近くになりますか、今回私が
お尋ねしたいのは、
昭和六十三年に
愛知県が実は
一般博覧会をやりたい、
万国博覧会をやろうということを提唱されたわけであります。
パリの
博覧会事務局に赴いて、これは正式な
外交ルートでなく
愛知県独自の
誘致を試みた、こういうことでありました。そういう点で、
愛知県も、また東海、特に三県一市、非常に
希望を持っておるわけであります。そして、昨年六月に
愛知県は
基本構想を策定いたしまして、
愛知県の
瀬戸市近郊の
丘陵地帯でこの
博覧会を
開催したい、こういう
希望を持って今着々と
準備を進めておられるわけです。
したがって、この
開催日程でありますが、御
承知のように紀元二〇〇〇年、これはハノーバーにおいて二十一
世紀初頭の大
博覧会が開かれるということであります。本来でいえば十年
ごとですから、前の
総会の
規定は十年
ごとですから、したがって
一般博は二〇一〇年ということでありますが、今回の改定によりまして五年
ごとということになったわけですから、
愛知県にとっては非常に大きな
希望、それを満たされる
状況になってきたと思うんです、これが改定されれば。したがって、
承認案件ですから、私も当然これは
案件を
承認いたしたいと思っておりますし、五年
ごとの
開催で
愛知県が二〇〇五年にいよいよ
開催ができるという
可能性が高まってきたことは否めない事実です。
では、
開催することにつきましては、
開催の
意義があると思うんです。理念とか哲学みたいなものがあるんですが、そのタイトル、特に
目玉の問題がありますし、それからもちろん
開催の
経費があるでしょう。同時に、開いた以上は
入場規模、また
お互いに動員もしなきゃならぬとかいろいろございまして、
愛知県は四千万人ぐらいを期待しておる。過去、
日本の
博覧会は大抵ほとんど二千万以上でしたから、
つくば万博にしても、
大阪万博は言うに及ばず、
大阪の
花博覧会も大体二千万以上ですから、大
成功に終わってきたわけであります。
したがって、その
入場規模も大きな要因になりますし、同時にもう
一つ、
博覧会を開こうと思った場合には
アクセスが非常に大事になるわけです。お客がたくさん来るんですから、
観客誘致が大事ですから、そういう点でいえばこの
アクセスの問題。今、
愛知県は中都
空港をつくろうとしていらっしゃるんです。これは二〇〇五年に間に合わせたいということでやっておるんですけれ
ども、これは果たしてどういくのかそこら辺のことはまだ定かではありませんが、一応
愛知県も、きのうの
新聞でしたか今回の
愛知県の
予算では十六億ぐらい計上して、
技術調査等いろんなことをやろうと。国の方も何か二億五千万くらい
予算をつけてここ数年間やっておるわけです。
アクセスの問題、これは
中部空港ができればもう万全の
体制でありますが、
名古屋空港とか、
関西空港も御
承知のように昨年開港いたしましたので、そういう問題もあろうかと思うんです。
それともう
一つは、
環境アセスメントの問題が重要な問題になってくるということであります。
それからもう
一つは
土地利用。これをクリアできれば、これは
一つの条件として満たされるわけです。
そういう点でお聞きいたしますと、来年度
開催に対して
申請のための
立候補をしようということであります。したがって、BIEに対してスケジュール、プログラム、こういうものについていかなる
方法で、またいかなる機関でまず
立候補申請を行われるのか。もちろん
愛知県でなくてこれは
日本国がレジストレーションを行うわけですから、そういう点についてまず一点
外務省の方に
お尋ねをしたいということであります。
それから、先ほど申しましたように、
昭和四十五年、
日本万国博覧会、俗に言う
大阪万博が
大阪府で
開催され、すばらしい
成果と非常に大きな夢と
希望を与えた
博覧会であります。その中で
世界じゅうに喧伝されたのは
ビュレットトレーンですかこれは
日本の新幹線です。
世界じゅうどこへ行ってもこの
ビュレットトレーンというのは有名です。これが非常に大きな
役割を
果たじたじ、これによって
日本の
技術レベルを本当に
世界的に公表した、こういうことであります。この問題は後にちょっと触れるとして、この
ビュレットトレーン、これが
大阪万博で非常に大きな
効果、最大の
効果を発揮したと思うんです。
そういうことでありますので、将来の問題としてこの
愛知万博をやった場合、ではこの
目玉にするのは何かということであります、これは後ほど申し上げたいと思うんですが。
今ちょうど
日本国の
通産省が、実はこれ非常に私もびっくりしたんですが、二百五十億円計上いたしまして、十年間で何と
日本と
アメリカ、
サンフランシスコ—日本間を二時間半で結ぼう、ハイパーソニックという計画をしているわけです。これは
アメリカのゼネラル・エレクトリック、それから
日本では
通産省が主導的な
役割を果たしていますが、
石川島播磨、三菱重工、川崎重工、それから米国のプラット・アンド・ホイットニー、それから英国のロールスロイス、フランスの
航空公団、これらが共同
開発して二時間半でつくろうということで、今この
エンジンは
成功したわけです。
石川島播磨も、非常に低
騒音で
燃費がよくて、例のコンコルドなんか問題にならぬというような、これは
世界的に画期的な
開発に実は
成功したのです。これは
大臣にひとつまた一回これを見てもらうといいんですが。同時にまた、GEも
世界一の
エンジン工場ですが、一番大きな問題は、低
騒音でなきゃいかぬ、
燃費が少なくなきゃいかぬと。
これが
成功したんですから、
あと十年後ですから、それが
関西空港でも、
中部空港でもできればこれは結構なことですが、そういうところへ入ってくる。これは非常に大きな
意味が私はあると思うんです。これは、本当に
日本の
通産省が
技術の枠といいますか、そうしたお金をかけてこういうことをやっているんですから、これが本当に可能ならば
博覧会は
成功するに間違いない、私はこう思っておるわけであります。
そんなことを余談で申し上げながら、実は来年度の
予備調査で約二千万円、
通産省の方はもう既に計上されておるということであります。したがって、先ほど申しましたような前述の
幾つかの項目を果たしてクリアできるか。クリアできればこれは可能になるんですから、そこら辺の問題についてちょっと
お尋ねをしたい、こういうことであります。もちろん、これは
万国博覧会の
協会主催でおやりになると思うんです。
そこで
愛知県ですけれ
ども、もちろん
日本国じゅうの
コンセンサスを得なきゃならぬし、国家も挙げてやっていただかなきゃならぬ。でありますが、特に
愛知県というのは、こう言うと怒られるかもわかりませんが、何といっても
尾張藩というのが大半です。そういう点で言うと、三県一市の我が岐阜県もあるいは三重県も
お互いにやっぱり
協力し合わないといけないということであります。もちろん
瀬戸ですから有名な
瀬戸物の産地ということですけれ
ども、実は
日本のほとんど七割も八割もこの
地域で、茶わんを初め陶磁器、そういうものは全部ここでつくっているわけです。そういう点で言えば我々も
協力にやぶさかではありませんし、そのために一生懸命やろう、こういうことでありますので、そこら辺のコミュニケーションが非常に大事になってくる、こういうことでありますし、国家挙げでまた取り組んでもらわなきゃならぬということであります。
ここで
一つ懸念されるのは、今を去る約三十年くらい前ですか、御
承知のように
日本で一番
最初の
オリンピックをやったのは
東京オリンピック、それから
札幌オリンピックをやりましたね。それで大
成功だったんですが、
名古屋オリンピックはシドニーが
立候補をやめて必ず来ると思ったところが、案に相違いたしまして残念ながら結局ソウル・
オリンピックに持っていかれてしまった、あの轍を再び踏んじゃいけないと思うんです。あのとき
事前調査とか、いろんな
方法もありましたしいろいろなこともありますが、これは過去の傷ですから言いませんけれ
ども、あの
オリンピックの二の舞をやってはいけないということでありまして、そのためにはやっぱりそのように
体制を持っていかなきゃならぬ、私はこう思っておるわけです。
実はこういうところで発表していいかどうかわかりませんが、当時は東海銀行さんが主力でおやりになりました。はっきり言えば
日本を代表する
トヨタ。御
承知のように、
トヨタの方はどの程度の
協力をされたかわかりませんけれ
ども、あのときは初めての
民活オリンピックをやろうということでしたから、どうも
産業界にしても初めての
民活オリンピックですから多少の懸念もあったのではないか。同時に、当時
レーガン、カーターさんの選挙のときで
レーガンさんが勝たれたんですが、ちょうど
日本の車というのは二百万台を超えて二百二、三十万までいった。
アメリカは
日本の車が入ってくるものですから大変な問題を起こしまして百八十万台までカットされた、御
承知のあの
経緯があるわけです。
したがって、当時の
国際情勢というか政治の駆け引きというのは非常に熾烈ですから、今回の
博覧会といえ
ども、そういう
競争場裏になって果たしてこれがうまく
成功するかどうかというのはやっぱり取り組みだと、こう思っています。
御
承知のように、
トヨタというのは
日本を代表する
世界で第二位の
自動車会社ですが、
トヨタの本場だということで、
世界ではどこでも
トヨタ、
トヨタと言います。
豊田佐吉翁は御
承知のように非常な貧農の息子さんでしたけれ
ども、
一念発起、
発明に次ぐ
発明で、これは恐らく
万国博覧会、
東京の上野で開かれた
勧業博覧会で
自動織機を見て非常に大きな影響を受けたんです。
したがって、私はそういう
意味で、今回の
愛知博覧会というのは二十一
世紀博覧会という名称だそうですけれ
ども、ひとつ思い切った、なお一層これから将来二十一
世紀に
日本は
高齢化に向かい
福祉社会に向かっていくんですから、前の
東京オリンピックとか
大阪博覧会とか花の
博覧会とか
つくば万博のときと違って、
日本は
産業の
空洞化がやや進展しておりますし、
高齢化もどんどん進んでくる中でありますから、当時の
日本の
上昇気流のあのころの
博覧会と違って、この二〇〇五年というのは、十年後には違った
意味が出てくると思うんです。そこら辺の気構えといいますかそういうものもまた違った
意味になってくると思います。
そういう点について
外務大臣の所見と、それからまたこの
博覧会の
当事者である
外務省それから
通産省の方からもその点について
お尋ねをしたいと思います。