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鰐淵参考人 皆さんおはようございます。
このたびの
兵庫県
南部地震に対しましては、亡くなられた
皆様方に心からお悔やみを申し上げ、またけがされた
皆様方には早く回復されることを心から望んでおる次第でございます。また、
被災地の
皆様方が元気を出して一刻も早く回復されることをこれまた心から御
期待を申し上げておる次第でございます。
私
どもは、
北海道の東部に位置している
釧路市でございますが、
釧路は、御案内のとおり、太平洋上、
日本海溝に接しておるということから
大変群発地震の多いところでございまして、昔から有名な
言葉に、
災害は忘れたころにやってくる、こういう
言葉がございますが、どうも
釧路市に限っては、
災害は忘れないころにやってくる、忘れないうちにやってくる、こういうことで、毎年
震度六という
烈震に見舞われている
状況でございます。
そこで、
釧路市は、
震度六の
烈震、
釧路沖地震、それから
北海道東方沖地震ということで二度続けて
体験をいたしたわけでございまして、とりわけ
釧路沖地震におきましては
被害状況が非常に大きかったわけでございます。
これから私のお話は、まず
一つは
地震による
被害概況、
二つ目といたしまして、それに講じた
措置及び
施策の
概要、
三つ目は
措置に当たっての
問題点、
四つ目はその他、こういう大きな分類に従いまして、簡潔にお話し申し上げたい、このように思っております。
釧路沖地震につきましては、
平成五年一月十五日、まさに
成人の日でございました。午後八時六分、
マグニチュード七・八の
烈震に襲われまして、
有感距離は千二百キロメートル、ですから、三宅島、八丈島にまで達したものでございました。
被害概要は、既に
皆様方のお手元にお持ちのレジュメにあるとおりでございますので、詳細な金額は割愛させていただきます。
特に、
港湾施設におきましては、エプロンの亀裂あるいは段差、陥没、あるいは道東一円の飼料及び
石炭取り扱いの
荷役機械、
アンローダーの
損傷が大変著しいわけでございまして、
機械等で百十三億円の甚大な
被害を受けたところでございます。
もちろん、
液状化現象も至るところに見られたところでございます。ただし、西港第一
埠頭基部の
昭和五十一年ころ集中的に配置いたしました
石油タンク群につきましては、こういった
地震を想定いたしまして、サンド・コンパクション・
パイル工法、いわゆる
液状化阻止の
工法をやったわけでございますが、こういった
耐震設計によりまして
基盤処理を
実施しておりましたので、この
地震についてもほとんど
影響がなかっ大ということでございます。したがいまして、大
火災の
惨事にもならなかったわけでございまして、私
どもとしましては、大変安堵したものでございます。
この
地震が、いわば不幸中の幸いということは、一月十五日、休日であったということと、午後八時であったということでございますので、これが
万が一成人式挙行のときには、私もごあいさつしておりましたが、約二千五百人の
成人の
皆さんのところで
万が一この
地震が起きたらと思うと、
大変背筋の寒い思いをいたします。みんな着物を着て入り口に殺到したときには、恐らく将棋倒しになって何百名の方が命をなくしたのではないか、こういうことを考えてみましても、
大変地震の
発生時が幸いした、不幸中の幸いであったということが言えます。
それと同時に、震源の深さが百三キロということも
大変幸いいたしまして、
津波が
発生しなかったということでございます。隣の
奥尻町長さんのところは
津波によって甚大な
被害を受けておるわけでございますが、この
津波がなかったということが
大変幸いをしたこと。
それから、一月十五日はまさに
釧路にとりましては
厳寒期でございまして、地層が凍結しているわけです。
凍結深度は大体一メートル二十から三十と言われておりますから、まさにその一メートル三十は岩盤のような状態でございますので、
地震にも幸いする、こういうことでございます。したがって、特に交通の支障もなかったということが、これは
大変幸いでございました。
釧路沖では、特にこの
厳寒期の
ストーブ使用の時期でございますから、普通ですと大変たくさんの
火災が
発生するわけでありますが、
火災の
発生は九件でございまして、ほとんど
ぼや程度で鎮火しております。後に私
どもアンケートを全
市民にとったわけでございますが、二度
体験しておりますから、一度目と二度目とでは
大分数字が違いますが、それでも
最初の
釧路沖地震におきましては、火の始末、ガスをとめる、そういう
ライフライン関係の
危険物をとめることは既に全
家庭の七七%、それから
東方沖、二回目では、もう八七%の
家庭で
地震発生時に既に火を消しておるわけであります。したがって、未然に
火災の
発生を防いていると言っても過言ではない、このように思いまして、私
ども、
市民の
皆さん、日ごろからの
住民の心がけあるいは
防災意識が、二次
災害の
火災、けが、
損傷、こういったものを拡大しなかったことが、こういった
市民の
協力であったと推測いたしております。
そしてまた、
釧路は
昭和二十年に空襲を受けまして、特に
都心部はほとんど
火災でもって焼け野原になった経験がございます。そこで、
災害復興をいたしたわけでありますが、その時点からやはり大きな
地震が来ますと必ず断水が起こるということは、これは
常識でございます。どんなにフレキシブルな、近代的な
設計をいたしましても、今度のような
活断層による
地震が来るとしましたならば、必ずこれは水はとまると思うのが
常識だ、私はこのように思います。
したがいまして、
釧路の場合は、消火栓二基に一基の割合で
防火水槽を持っております。したがって、四十トン級の
貯水槽を二百七十七基、それから百トンの
貯水槽、これはもちろん
耐震性でございますが、二基を持っております。あるいは、
指定水利として十二基、この中では
飲料水に供する
水槽も適宜配置しているわけでございます。したがって、
万が一火災が
発生したといたしましても、
初期において鎮火するということは、
消防庁初め、自信を持って私に報告しておりますので、
釧路の場合は大
火災はまず起きない、こういう確信を持っておるところでございます。
それから次は、
釧路市の
防災訓練でございますが、私
どもは、非常に
地震多発地帯であるということから、毎年大
規模な
災害訓練を
実施しております。この
釧路沖地震の後に私
ども、
防災マップという、
津波が
万が一来る場合も想定した
シミュレーションをやりまして、約八万戸に全戸配付しております。一体、
マグニチュード、
震度幾つの、それからどのくらいの
津波が来たらどこの
地方がどれだけの、何メーター、何十センチで埋まるかということを全部
シミュレーションで図式化しまして、
自分の住んでいるところはどのくらいの水に覆われるということは全部図式化しております。これは各戸で全部持っているわけでございます。したがって、
津波が
発生しますと、
自分のところにこれだけ
津波が来るということになりますと、直ちに
避難をする。
これも私、
防災訓練をした二日後に
東方沖地震が来たわけでございます。この二日後にあった
地震のときには、とにかく
地震が来て
津波が来る、こういうことになりますと、
南西沖地震の
奥尻町長さんのところの
体験からいきますと、もう五秒から十秒以内で
津波がやってくるということでございますから、直ちに、これはもうすぐ逃げ出さなければいかぬということで、なりふり構わずもうとにかく一分以内に逃げ込む場所、これをぜひそれぞれ確保していただきたい。これは鉄筋コンクリートの家に限るということで、二階以上にいけばほとんどこれは命は助かる、こういうことになっておりますので、
東方沖地震のときには、既に
釧路のホテル、民間のホテルも
協力していただきまして、ホテルにも
皆さん逃げ込んだようでございます。そんなことで、
釧路の場合はかなり徹底しておるのではないか、このように思います。
それから、
防災訓練には必ず、自衛隊、それから海上保安部、その他防災
関係機関、官民一体になりまして
実施しているところでございます。さらには救急医療体制の
委員会も設けられておりまして、診療態勢をより充実するということに大変熱心に医師会も取り組んでいただいておるところでございます。
釧路沖地震で
体験したことは、通信網がずたずたに切られまして情報の
処理が非常にできないということを
体験をしたわけでございます。そんなことから、やはり何といっても情報はもう無線に限る、こういうことになりまして、私
ども今日までいろいろな無線の配置をしてきたところでございます。
一応
被害につきましてはレジュメもありますが、人的
被害はほとんどございません。
釧路沖で死者二名、これはガス中毒一名と落下物でもって当たったのが一名ということで、二名でございました。それから
住宅の
被害も、
全壊四十八、半壊二百八、一部損壊二千九百七十五ということになっておりますが、ほとんど軟弱地盤、それから宅造法の適用以前にできた宅地、そういうところは土を盛り土をしてつくった宅地ですので、やはり
地震が来ますと、流れてしまう、上もろとも家が流れる、こういうことを
体験いたしました。
それから、
ライフライン関係は、ガスが約九千四百戸、これは
復旧に約二十三日かかりました。
全国のガス協会の
皆さんから八百人の方が来ていただきまして
復旧をしていただいたわけでございまして、大変もう感謝しております。今回の関西の方も、恐らく
全国から集まって今全力を挙げて
復旧をしておるのではないか、このように思っております。
それから、水道は五百八十戸でございますが、これは全面
復旧は約一週間でできました。
それから電気は約九千三百戸、これは翌日にすべて
復旧ということですから、
災害の点にいきますと、
釧路の場合は割合と速やかに
復旧できたのではないか。ガス以外は速やかに
復旧できた、このように思っております。
そこで、直ちに私
ども講じた
措置といたしまして、こういうような
地震発生あるいは
津波の注意報が出ますと、
地震は
震度四で
災害対策本部を
設置することになっております。それから
津波は注意報が出た時点で
災害対策本部を
設置することになっています。
災害対策本部の本部員は、
釧路の場合は大体十分以内にすべて本部に集まっております。
職員の集まった
状況を見ますと、三十分以内で約五百人、それから一時間では約九百人、これは
釧路沖でございました。それから
東方沖では、三十分以内では倍の千九十二人、一時間以内ではほとんどの職員が来ているということで、これは、本州と違いまして、
北海道の場合は非常に道路幅も広いということと、交通は割合と、余り
損傷を受けないということで、職員が速やかに本部に集まれる体制になっておるというのが幸いしている、このように思っております。
さて、
復旧、
復興に関する
施策でございますが、私
どもは、民生の安定を図るということから、直ちに私、市長専決でもって即座に指示いたしたことがございます。それは、
被災住民に対してはまず税の
関係を無税にする、無税、減免をする。これでもって千三百六件の減免を直ちに実行いたしました。
それから、中小企業の融資でございますが、やはり中小企業ではかなり損壊を受けますので、その商売をすぐ開いていただきたいという意味から、緊急融資をやりました。これは三百十四件、二十一億五千三百万円。運転資金は五年、それから設備資金は十年、末端金利三%、それ以上の金利の一・九%は市が負担しております。
それからもう
一つは、
全壊家屋あるいは半壊家屋等につきまして融資をいたしました。これは九百十七件、九億八千四百万、それから生活資金は十万円を
支給いたしました。
それから、義援金が相当数集まってまいりますので、この義援金につきましては、私
ども直ちに臨時議会を招集いたしまして、いわゆる震災見舞金を
支給する条例というものをつくりました。この中で配分
委員会というものを
設置いたしまして、配分
委員会には、まさにやはり公正な配分を旨とするということで、どこの
災害のところをお聞きしましてもこの義援金で相当もめるということを伺っておりますので、私
どもは、その義援金の配分は、
市民の
皆さんに公平に移るようにしなくてはいけないということで、助役以下市の職員、それから市議会、学識経験者等含めて配分
委員会を
設置いたしまして、そこで決めていただいてこの義援金の配分をいたしたところでございます。約二億五千万円の配分をいたしました。その中で、なお残余につきましては
災害対策費として八千三百万ほど基金として積んで、いわゆる無線導入に対して使わせていただいたということでございます。
それで、この
釧路の場合は、
一つの非常に大きな反省として、けが人の救急
関係がございます。これにつきましては、二十四時間救急の病院を医師会につくっておりますが、そこにすべて殺到したわけであります。したがって、もう大混乱が起きたのでございます。これは、
連絡がなかなかできないということで、もう救急病院に行けばいいということでみんながそこへ殺到してしまった。実は大きな病院でも受け入れる態勢があったのですが、どうもその情報がよく伝わらなかったということが反省としてございまして、私
どもとしましては、大きな病院と、それから
市内の病院、そういったところに各無線を配置いたしまして、どこからでもこの無線でもってその態勢を聞くことができるということで送ることを
実施しております。
そのほか、NHKさん、警察、ガス会社、電力会社等のライフライン、それから赤十字の各奉仕団、二十四台という無線、CRPという簡易型無線電話を
設置しております。その他、
防災行政無線は百二十六機あるわけであります。その他、水道、道路、下水道、消防等は別にまた無線を持っているところでございます。
続きまして、私
どもそういう
地震の
体験から、実際
釧路沖地震では、
消防庁舎が古いために望楼が落ちまして、それが象徴的に報道されたわけでありますが、おかげさまで昨年、
市民防災センター含めて
消防庁舎約三十二億円で今
建設中でございます。無線装置はすべて四階、発電機も四階以上ということで、どんな
津波が来ても作動できるように、こういうことで、現在
建設中でございます。
市民防災センターでは、特に
地震体験、それから
火災関係の訓練、あるいは
市民の
防災意識を高める、こういうようなことができるようなシステムを導入させていただいております。
最後、三番、四番でございますが、「
措置にあたっての
問題点」としましては、私
ども、二回の
地震を通じまして、大変政府の
対応は早かったと思っております。
国会議員の
先生方を初め、政府の
皆さんが直ちに来釧をいただきまして、事情をつぶさに見ていただきましたし、そしてまた、
災害査定も非常に速やかにやっていただきました。もちろん私
ども、不眠不休でその
災害復旧の
設計もいたしたわけでございまして、大変感謝を申し上げておるところでございます。
そこで、この
情報収集や
連絡、
災害救助の緊急時の
措置でございますが、
復旧に当たりましては、資機材の購入、それから
整備費等については、やはり国としての補助、
財政的な
措置が必要ではないだろうか、このように思います。
それから、
復旧、
復興に関する
施策といたしましては、特に私
ども経験いたしましたのは、企業会計にありましては、
災害復旧事業の特別交付税の元利償還額に対する算入は、一般会計から繰り出し金
措置したときは、病院、上水道ではそういう五〇%の導入ということがあるわけですが、それ以外には一切適用されないということで、大変困ったところでございます。
それから一方、国会でも取り上げていただきまして、特別な
措置をいただいたわけでありますが、港湾
整備であります。港湾は、
北海道は港湾管理者が市長になっております。それから港湾の会計は企業会計ということになっておりますので、企業会計において持っている
アンローダーあるいは魚揚げ場の基幹施設の
復旧、こういったことにつきましての元利償還は、本来は特別交付税の
制度には今のところないわけでございます。したがいまして、自前で
復旧しなければならない。
自前で
復旧するということになりますと、例えば
アンローダーなどは、穀物の
アンローダーは一基二十五億円かかります。これがとまるということになれば、
釧路と根室管内の酪農家が全部困るわけであります。そういうことで、代替の港から運んだわけでございますが、これは大変横持ち費用がかかり、酪農家の負担になった。それから
アンローダーの費用も、自前でやりますと、これは使用料を倍にしなければならない。そうすると、これまた酪農家に負担をかけていく、こういうことになりまして、大変その点困りまして、政府あるいは道庁に御相談を申し上げましたところ、大変特別な
措置をいただきまして
復旧をいたしまして、元利償還額につきまして、元金の五〇%は市、それから利子の五〇%は
北海道ということで、特別交付税の優遇
措置の
支援をいただいたところでございます。
さて次は、基本的には
災害復旧というのは原形
復旧が原則でございます。ですから、原形
復旧よりも高い、もっとこうやれば耐震もできるし耐火もできるということでも、これは認められないのですね。今までの原状を復帰することがあくまでも原則ということで、例えば、積みブロックで
被災したものを新しくまた
復旧しようとしたら、この積みブロックしか認められない。擁壁(コンクリート)の
工法ということになって高くなりますと、これは除外される。ですから、また
地震が来ると、また同じく崩れるということになります。ですから、この辺は、やはりランクアップといった点についてもぜひ御検討願えれば幸いではなかろうか、このように思います。
次は、先ほど
島原の市長さんからもございましたが、特に
災害の応急
復旧工事に関する
事務手続の
簡素化でございます。
これは、先ほど
島原の市長さんが申されたとおりであります。迅速であればあるほど、早く
復旧ができるわけでございますので、軽微なものについては
市町村長に
権限を移譲していただければ、速やかに可能ではないか、このように思うところでございます。
それからもう
一つは、自衛隊の出動に関しましては、
市町村から
知事に
連絡をし、
知事から自衛隊に
連絡をする、そういう迂回回路になっているのですが、実際に今
火災が起きている、油が漏れている、
危険物が流出しているといったときに、やはり現場の
市町村長は速やかにその班長から報告を受けて、わかるわけであります。あるいはまた、現地の自衛隊もそれなりに偵察をして、私はわかっておると思います。
釧路の場合もそうでした。
そうしますと、もうこういう
知事経由をしなくとも、私は、直ちに現地の首長の要請に基づいてある
程度出動していただき、専門的な立場から、その出動の数その他は自衛隊さんの方で決めていただく、あるいは自治省と、あるいは防衛庁で決めていただく、こんなことで速やかな
対応というものが求められるのではないか、このように思っておる次第でございます。
最後になりましたが、私
ども、このような
災害を経験いたしまして、やはりそういった抜本的な
復旧活動と同時に、防災ボランティアというものが今神戸等においても随分
全国から集まって、その統制がなかなかとれず、それぞれの立場でみずからやっているというのが非常に多いようでございます。私は、こういう意味では防災ボランティア活動が、自主的にばらばらにやるのではなくて、やはりこれをシステム化していくことが必要ではないだろうか。こういうシステム化というものを
自治体なり、あるいはそういうところで掌握をしながら、合理的に進めていくことが必要ではないか、このように思っております。
釧路では、日赤奉仕団五百五十名、それから女性団体協議会、連町婦人部、
家庭防災員というのを配置して、八百人おります。それから、ホームヘルパーさんが九十二名います。こういう
方々に単身
世帯の老人の
家庭を見回っていただいたり、あるいは、ガスの
復旧のために不眠不休でやっておられる方に温かいものを提供したり、すべてそういうことをやったわけでございまして、
復旧活動に従事された方が、あの厳冬期でございましたので、大変喜ばれた経過がございます。そういう意味では、ぜひこのシステム化ということを
お願いできればと、このように思います。
最後になりましたが、やはり神戸等に見られておわかりのとおり、これが
万が一関東で、東京であったらどうなるだろうか。政治、教育、文化、金融、通信、あらゆるものがこの東京に集中しておる。この集中している東京が壊滅的状態になったならば、私は、
日本の運営というものがもうできなくなるのではないか、暫時できなくなるのではないか。そういう意味では、やはりこの
兵庫南部の
地震も
体験する中で、危険分散、中枢の分散ということも真剣に考えていかなくてはならないのではないか。
私も、過日オーストラリアヘ行きまして、キャンベラは、ちょうどメルボルンとシドニーの中間にある政治都市でございますが、ああいうような形で分散されておりますと、かなり機能として
一つがやられても必ず
一つが残って、そこが指揮命令できる、こういうことでございますので、各
先生方のこれまたぜひ御検討を賜れば幸いだと思います。
以上。