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1995-02-08 第132回国会 衆議院 地方分権に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成七年二月八日(水曜日)     午前九時三十二分開議 出席委員   委員長 笹川  堯君    理事 中馬 弘毅君 理事 野田 聖子君    理事 蓮実  進君 理事 山崎広太郎君    理事 山本  拓君 理事 吉田  治君    理事 畠山健治郎君 理事 田中  甲君       甘利  明君    遠藤 利明君       西田  司君    浜田 靖一君       平林 鴻三君    山口 俊一君       若林 正俊君    青木 宏之君       今井  宏君    岩浅 嘉仁君       佐藤 茂樹君    富田 茂之君       赤松 広隆君    網岡  雄君       緒方 克陽君    穀田 恵二君  委員外出席者         参  考  人         (島原市長)  吉岡庭二郎君         参  考  人         (釧路市長)  鰐淵 俊之君         参  考  人         (奥尻町長)  越森 幸夫君         地方分権に関す         る特別委員会調         査室長     前川 尚美君     ————————————— 本日の会議に付した案件  地方分権推進に関する件(災害対策における  国と地方との関係)      ————◇—————
  2. 笹川堯

    笹川委員長 これより会議を開きます。  地方分権推進に関する件、特に災害対策における国と地方との関係について調査を進めます。  本件調査のため、参考人から御意見を聴取いたします。  本日御出席願っております参考人は、島原長吉岡庭二郎君、釧路市長鰐淵俊之君及び奥尻町長越森幸夫君であります。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序でございますが、まず、各参考人からそれぞれ二十分程度意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、吉岡参考人お願いをいたします。
  3. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 ただいま御紹介いただきました島原市長吉岡でございます。  本日は、このような場所で貴重なお時間をいただき、意見を述べさせていただきますことを、まことに光栄に存じますとともに、感謝申し上げる次第でございます。  冒頭ではございますが、去る一月十七日の兵庫南部地震による多くの犠牲者方々の御冥福をお祈りするとともに、御遺族の皆様へ心からお悔やみ申し上げます。そして、被災を受けられました皆様に心からお見舞い申し上げます。  また、今回の地震災害に対して、被災を経験した市といたしまして深く憂慮しているところであり、一日も早い市民生活の安定と被災地復旧を心から祈念するものでございます。  島原市についてでございますが、雲仙岳噴火災害に対しましては、全国皆様方から物心両面にわたり心温まる数々の御支援を賜っているところでありまして、市民を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  また、国会議員先生方を初めとする国や県の皆様方の御尽力と御支援に対しまして、深く感謝申し上げる次第でございます。  火山活動は本年をもって五年目を迎えることとなりましたが、消長を繰り返しながら依然として終息の気配もなく、いまだ火砕流土石流の危険にさらされております。  最初に、噴火災害概況被災状況について御説明いたします。  平成二年十一月十七日、百九十八年ぶりに突如として火山活動を開始した雲仙普賢岳は、その後、噴煙を上げる程度でありましたが、翌年二月ごろから噴火活動が活発になり、五月に入りますと、堆積した降灰のために土石流発生し、降雨たびごと住民に対する避難勧告を発令することとなりました。  また、五月二十日には火口に初めて溶岩塊が出現いたしまして、二十四日以降火砕流が頻発するようになり、次第に到達距離も延びてまいりました。  それから二週間後の平成三年六月三日午後四時八分に発生した大規模火砕流では、死者、行方不明者四十三名、負傷者九名に上り、また、多数の住家等を焼失するなど大惨事となりました。  その後、土石流火砕流被害はさらに市の北部の千本木地区へと拡大していった次第であります。  被災状況についてでございますが、火砕流土石流による床下、床上浸水から全壊までを合計した建物被害は約二千六百棟に上り、そのうち住家の全焼、全壊、半壊は合計約七百棟になっております。  避難者数は、平成三年九月の最大時で約二千世帯の七千二百人に達し、市民の約一六%が避難したところであります。  このような災害のための応急的な対策といたしまして、平成三年六月から約一千戸の仮設住宅建設し、市内約三十カ所に分散配置しておりましたが、その後、恒久的な住宅対策といたしまして、合計約四百四十戸の市営住宅県営住宅建設や、百五士戸近くの民間借り上げ復興住宅建設され、さらに、被災者方々が家を新築されるなどにより、現在では約八十世帯仮設住宅避難している次第でございます。  耕地関係被害でございますが、警戒区域避難勧告地域設定されたために立ち入ることができず、被害額の算定には難しい問題があります。  農業被害額につきましては、火砕流土石流降灰による被害で、島原市と隣町の深江町を合わせて約五十四億円と見込んでおりますが、避難対象地域で作物をつくれなかったための被害を加算いたしますと、この額はさらに大きなものになります。  このほかにも、耕地自体が消失したり、土石流の海中への流出による漁業被害もございます。また、約二千六百ヘクタールの森林が被害を受けております。  市内商工業者への影響を申し上げますと、製造業、商業、サービス業旅館業等、合わせまして合計約六百九十億円の被害と算定されております。  特に島原市は観光産業が市の経済の中核を占めるものでございますが、噴火活動長期に継続しているために、観光客減少傾向は今もって改善されておらず、本市はもとより島原半島全体の経済社会への影響ははかり知れないものがございます。  次に、噴火災害に対して講じた情報収集連絡災害救助等でございます。  本市では、噴煙が初めて観測された日と同じ日の平成二年十一月十七日から災害対策本部設置警戒を続けてまいりました。  さらに、平成三年六月三日の大規模火砕流発生したその日から、災害に関する円滑な情報収集連絡を図るために、消防庁、警察、自衛隊、海上保安庁等から本市災害対策本部担当者常駐体制がとられたところでございます。  また、平成三年六月七日正午から、危険区域への一切の立ち入りを制限するために、本市で初めて警戒区域設定いたしました。  その後、消防庁、国土庁、海上保安庁、県とのホットラインや、長崎海洋気象台雲仙岳測候所九州大学地震火山観測所とのNTT専用回線によるファクシミリ等設置、あるいは危険箇所監視カメラ設置し、災害対策本部でのモニター画面による監視、さらには防災行政無線設置と各世帯事業所への個別受信機配付等を行ってきたところでございます。  また、防災体制を強化するため、各防災機関設置した監視カメラの画像を一元化し、それを県で集中管理して各機関へ転送するシステムをとっております。  次に、災害発生に対しての措置施策及びそれらを講じるに当たりましての問題点でございます。  本市災害の特徴は、いつ発生するか予測のつかない火砕流と、降雨による大規模土石流であります。  このため、人命を守るための唯一の予防手段として、火砕流土石流災害予測図をもとに、危険地帯市民が立ち入らないよう警戒区域避難勧告地域設定したところでございます。  災害対策基本法に基づくこれらの設定権につきましては、緊急性を要することから、地域実情を的確に把握し迅速に対応できる者として、また日ごろから住民に密着し協力を得やすい者として、その地域市町村長権限を持ち、地域住民代表者として責任を担うのは、当然のことと考えております。  しかしながら、これらの設定は、立ち入り規制などが厳しく、しかも全国で例のない、広範囲にわたる住宅密集地への警戒区域等設定でございまして、また、終わりの見えない火山活動による場合でございますので、長期間、対象地域住民生活手段を奪うこととなり、住民からも多種多様な意見や要望が顕在化しておりますが、これらの被災者のすべてに満足のいく対応は極めて難しいものがございます。  区域設定は、国、県、市、町での十分な協議調整のもとで行われており、特に問題はありませんが、複数の市町村にかかわる広域的災害や、一定期間を超えるような長期災害に対する区域設定行為は、結果として時に市町村行政レベルを超えるものがあると思っております。  災害救助関連事務等についてでございますが、災害発生した場合の住民への対策につきましては全国的に同等の措置がなされるべきで、現在のように、国の権限責任とする原則は堅持されるべきだと考えております。  ただ、緊急に措置しなければならないものに限り、例外的に自治体権限として行い、国、県は追認する方法が実情に合致するものと考えておりまして、本市の場合にもそのような措置をとっていただきました。  次に、住宅をなくした被災者に対する住宅の手だてに係る問題でございます。  一時的に集合避難はやむを得ないといたしましても、プライバシーも確保できない体育館、公民館での集団避難期間には限度がございます。  このため、被災者のための応急仮設住宅等を一日も早く建設することが何より優先すべきことと考えておりますが、農地建設する場合には、農業振興地域整備計画変更等の問題がございます。  現在、農業振興地域整備計画変更するには、農業振興地域整備に関する法律に基づき、県の認可を受けなければなりません。この事務処理には、公告縦覧期間異議申立期間を含め通常四カ月から五カ月を要しているところでございますが、災害下における被災者用応急仮設住宅建設用地として農業振興地域内の農用地を対象とせざるを得ないときには、緊急を要することにかんがみ、市町村長から県知事への届け出だけで農業振興地域計画変更が認可されるなど、事務簡素化お願いするものでございます。  次に、農地転用農業者年金受給資格の問題があります。  現在、農地法により、農地農地以外のものに転用する場合には、一時転用も含めて県知事許可が必要でございます。  また、農業者年金基金法により、一時転用であっても、後継者経営移譲をした農地が一部でも転用されると、経営移譲年金支給が停止されることになります。  このため、市が緊急に農地を借り上げ、応急仮設住宅建設するために、ある一定の年限に限って一時転用する場合には、市町村長届け出により処理できるなど特例的措置ができないか、お願いするものでございます。  同時に、経営移譲年金につきましても、特例的に支給停止要件の緩和をお願いするものでございます。  さらに、公営住宅への入居資格要件がございます。  本市では、平成三年五月十五日、九十五世帯、四百十六人に対し、初めて避難勧告を発令いたしました。このため、市営住宅の空き家を一時避難用に入居させたいと考えた次第でございますが、公営住宅法入居資格要件があり、即応できないケースが生じてまいりました。その後、約一カ月を経過して特例の通知が発せられたところでありますが、今回申し上げたいことは、国より通達が来るまでの初期段階緊急避難につきましては、公営住宅入居資格要件取り扱い地元自治体に任せていただければということでございます。  次に、災害により死亡した家畜処理に関してでございます。  現在、死亡家畜の処分は、化製場等に関する法律により、知事許可を受けなければなりません。今回の噴火災害では、災害土石流により多数の家畜が焼死、圧死、餓死いたしまして、特に夏場でもありましたことから死亡家畜の腐敗が進み、悪臭等公衆衛生上好ましくない状況に至りました。このため、緊急時におきましては知事に対する市町村長届け出で済まされないものか、お願いするものでございます。  今まで申し上げましたものの中には、国、県等の弾力的かつ迅速な対応により、現実的には緊急的、臨時的観点から、事後承認として処理いただいたものがございます。これらのことが一つの確立された制度として整備していただければと思う次第でございます。  次に、公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法規定により、災害復旧事業完了年は、査定決定後三カ年となっております。しかしながら、今回の雲仙岳噴火災害のように、災害長期にわたり継続する場合は、現行法規定による三年以内での復旧見通しを立てることができません。そのため、災害査定で決定されましても、三年目には工事の取りやめ、いわゆる廃工せざるを得ない状況であります。  このようなことから、いつ終息するかわからない本市のような噴火災害の場合、現行法での三カ年以内での災害復旧には無理が生じてきておりますので、現地の実情に応じた復旧期限の延長ができないものか、お願いするものでございます。  次に、災害復旧復興に関する施策立案に際しましての全般的な問題についてでございます。  本市では、平成四年度に策定した復興計画に基づき、ハード面では防災都市づくり事業を進めておりますが、新しい町づくりには膨大な費用が必要であります。この事業実施につきましては、国、県の特段の御支援をいただくといたしましても、その財源確保等につきましては厳しいものがございますが、被災住民を初め全市民期待にこたえ、将来に対する希望を与えるという大きな役割や効果を持っていることから、自治体の大小を問わずその責務として取り組まなければなりません。  しかしながら、最も危惧いたしますことは、これら大規模事業実施するには多くの問題を解決しなければならないために、通常事業ベースで取り組むことは長期にわたる期間を費やすこととなり、住民の切実な期待にこたえられないおそれが生じないかということでございます。  このようなことから、特に、市町村みずからが国、県の指導調整のもとで総合的な検討結果に基づき、独自に、その地域地域にふさわしい復旧復興計画を確定した場合、その計画推進に当たりましては、国、県の各種特別な協力支援一定程度の義務づけや、平常時の手続を超えて迅速な事業実施を可能とするなど、新たな制度の確立を望むものでございます。  なお、関連いたしますが、市の財政にかかわる将来的な問題について述べさせていただきます。  現在、国、県のお力によりまして、日本自然災害に係る対策としては初めて雲仙岳災害対策基金制度設置していただき、被災者自立支援本市復興振興事業支援する措置がとられております。また、二十一分野百項目に及ぶ特別運用や、普通交付税の繰り上げ交付等、さまざまな助成策が図られております。  しかしながら、災害長期に継続するという、全国でも例を見ない特異な災害の場合、災害対策被災者対策復旧復興対策等、より多額の財源を要することから、財政運営がますます厳しいものとなり、弱小自治体財政規模では近い将来種々の面で的確な施策対応が非常に困難になるのではないかと懸念する次第であります。このため、なお一層、国による財政支援を願うものであります。  最後に、激甚災害指定についてでございます。  現在、激甚災害指定を受けるためには、災害による被害額が確定されていなければなりません。  しかしながら、本市の場合には災害長期に継続していることや、危険区域等設定により被害調査ができない状況にあることから、一部を除きいまだ指定がなされておりません。  このようなことにかんがみ、被害額が確定していない、あるいはなされていない段階におきましても、その被害予想額等をもって激甚災害指定ができないか、お願いするものでございます。  長くなりましたが、今まで申し述べましたことが、平成二年から現在に至るまでの、雲仙普賢岳噴火災害を通して経験的に考え、願うところの主なものでございます。  よろしくお願い申し上げます。
  4. 笹川堯

    笹川委員長 ありがとうございました。  次に、鰐淵参考人お願いをいたします。
  5. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 皆さんおはようございます。  このたびの兵庫南部地震に対しましては、亡くなられた皆様方に心からお悔やみを申し上げ、またけがされた皆様方には早く回復されることを心から望んでおる次第でございます。また、被災地皆様方が元気を出して一刻も早く回復されることをこれまた心から御期待を申し上げておる次第でございます。  私どもは、北海道の東部に位置している釧路市でございますが、釧路は、御案内のとおり、太平洋上、日本海溝に接しておるということから大変群発地震の多いところでございまして、昔から有名な言葉に、災害は忘れたころにやってくる、こういう言葉がございますが、どうも釧路市に限っては、災害は忘れないころにやってくる、忘れないうちにやってくる、こういうことで、毎年震度六という烈震に見舞われている状況でございます。  そこで、釧路市は、震度六の烈震釧路沖地震、それから北海道東方沖地震ということで二度続けて体験をいたしたわけでございまして、とりわけ釧路沖地震におきましては被害状況が非常に大きかったわけでございます。  これから私のお話は、まず一つ地震による被害概況二つ目といたしまして、それに講じた措置及び施策概要三つ目措置に当たっての問題点四つ目はその他、こういう大きな分類に従いまして、簡潔にお話し申し上げたい、このように思っております。  釧路沖地震につきましては、平成五年一月十五日、まさに成人の日でございました。午後八時六分、マグニチュード七・八の烈震に襲われまして、有感距離は千二百キロメートル、ですから、三宅島、八丈島にまで達したものでございました。  被害概要は、既に皆様方のお手元にお持ちのレジュメにあるとおりでございますので、詳細な金額は割愛させていただきます。  特に、港湾施設におきましては、エプロンの亀裂あるいは段差、陥没、あるいは道東一円の飼料及び石炭取り扱い荷役機械アンローダー損傷が大変著しいわけでございまして、機械等で百十三億円の甚大な被害を受けたところでございます。  もちろん、液状化現象も至るところに見られたところでございます。ただし、西港第一埠頭基部昭和五十一年ころ集中的に配置いたしました石油タンク群につきましては、こういった地震を想定いたしまして、サンド・コンパクション・パイル工法、いわゆる液状化阻止工法をやったわけでございますが、こういった耐震設計によりまして基盤処理実施しておりましたので、この地震についてもほとんど影響がなかっ大ということでございます。したがいまして、大火災惨事にもならなかったわけでございまして、私どもとしましては、大変安堵したものでございます。  この地震が、いわば不幸中の幸いということは、一月十五日、休日であったということと、午後八時であったということでございますので、これが万が一成人式挙行のときには、私もごあいさつしておりましたが、約二千五百人の成人皆さんのところで万が一この地震が起きたらと思うと、大変背筋の寒い思いをいたします。みんな着物を着て入り口に殺到したときには、恐らく将棋倒しになって何百名の方が命をなくしたのではないか、こういうことを考えてみましても、大変地震発生時が幸いした、不幸中の幸いであったということが言えます。  それと同時に、震源の深さが百三キロということも大変幸いいたしまして、津波発生しなかったということでございます。隣の奥尻町長さんのところは津波によって甚大な被害を受けておるわけでございますが、この津波がなかったということが大変幸いをしたこと。  それから、一月十五日はまさに釧路にとりましては厳寒期でございまして、地層が凍結しているわけです。凍結深度は大体一メートル二十から三十と言われておりますから、まさにその一メートル三十は岩盤のような状態でございますので、地震にも幸いする、こういうことでございます。したがって、特に交通の支障もなかったということが、これは大変幸いでございました。  釧路沖では、特にこの厳寒期ストーブ使用の時期でございますから、普通ですと大変たくさんの火災発生するわけでありますが、火災発生は九件でございまして、ほとんどぼや程度で鎮火しております。後に私どもアンケートを全市民にとったわけでございますが、二度体験しておりますから、一度目と二度目とでは大分数字が違いますが、それでも最初釧路沖地震におきましては、火の始末、ガスをとめる、そういうライフライン関係危険物をとめることは既に全家庭の七七%、それから東方沖、二回目では、もう八七%の家庭地震発生時に既に火を消しておるわけであります。したがって、未然に火災発生を防いていると言っても過言ではない、このように思いまして、私ども市民皆さん、日ごろからの住民の心がけあるいは防災意識が、二次災害火災、けが、損傷、こういったものを拡大しなかったことが、こういった市民協力であったと推測いたしております。  そしてまた、釧路昭和二十年に空襲を受けまして、特に都心部はほとんど火災でもって焼け野原になった経験がございます。そこで、災害復興をいたしたわけでありますが、その時点からやはり大きな地震が来ますと必ず断水が起こるということは、これは常識でございます。どんなにフレキシブルな、近代的な設計をいたしましても、今度のような活断層による地震が来るとしましたならば、必ずこれは水はとまると思うのが常識だ、私はこのように思います。  したがいまして、釧路の場合は、消火栓二基に一基の割合で防火水槽を持っております。したがって、四十トン級の貯水槽を二百七十七基、それから百トンの貯水槽、これはもちろん耐震性でございますが、二基を持っております。あるいは、指定水利として十二基、この中では飲料水に供する水槽も適宜配置しているわけでございます。したがって、万が一火災発生したといたしましても、初期において鎮火するということは、消防庁初め、自信を持って私に報告しておりますので、釧路の場合は大火災はまず起きない、こういう確信を持っておるところでございます。  それから次は、釧路市の防災訓練でございますが、私どもは、非常に地震多発地帯であるということから、毎年大規模災害訓練実施しております。この釧路沖地震の後に私ども防災マップという、津波万が一来る場合も想定したシミュレーションをやりまして、約八万戸に全戸配付しております。一体、マグニチュード震度幾つの、それからどのくらいの津波が来たらどこの地方がどれだけの、何メーター、何十センチで埋まるかということを全部シミュレーションで図式化しまして、自分の住んでいるところはどのくらいの水に覆われるということは全部図式化しております。これは各戸で全部持っているわけでございます。したがって、津波発生しますと、自分のところにこれだけ津波が来るということになりますと、直ちに避難をする。  これも私、防災訓練をした二日後に東方沖地震が来たわけでございます。この二日後にあった地震のときには、とにかく地震が来て津波が来る、こういうことになりますと、南西沖地震奥尻町長さんのところの体験からいきますと、もう五秒から十秒以内で津波がやってくるということでございますから、直ちに、これはもうすぐ逃げ出さなければいかぬということで、なりふり構わずもうとにかく一分以内に逃げ込む場所、これをぜひそれぞれ確保していただきたい。これは鉄筋コンクリートの家に限るということで、二階以上にいけばほとんどこれは命は助かる、こういうことになっておりますので、東方沖地震のときには、既に釧路のホテル、民間のホテルも協力していただきまして、ホテルにも皆さん逃げ込んだようでございます。そんなことで、釧路の場合はかなり徹底しておるのではないか、このように思います。  それから、防災訓練には必ず、自衛隊、それから海上保安部、その他防災関係機関、官民一体になりまして実施しているところでございます。さらには救急医療体制の委員会も設けられておりまして、診療態勢をより充実するということに大変熱心に医師会も取り組んでいただいておるところでございます。  釧路沖地震体験したことは、通信網がずたずたに切られまして情報の処理が非常にできないということを体験をしたわけでございます。そんなことから、やはり何といっても情報はもう無線に限る、こういうことになりまして、私ども今日までいろいろな無線の配置をしてきたところでございます。  一応被害につきましてはレジュメもありますが、人的被害はほとんどございません。釧路沖で死者二名、これはガス中毒一名と落下物でもって当たったのが一名ということで、二名でございました。それから住宅被害も、全壊四十八、半壊二百八、一部損壊二千九百七十五ということになっておりますが、ほとんど軟弱地盤、それから宅造法の適用以前にできた宅地、そういうところは土を盛り土をしてつくった宅地ですので、やはり地震が来ますと、流れてしまう、上もろとも家が流れる、こういうことを体験いたしました。  それから、ライフライン関係は、ガスが約九千四百戸、これは復旧に約二十三日かかりました。全国のガス協会の皆さんから八百人の方が来ていただきまして復旧をしていただいたわけでございまして、大変もう感謝しております。今回の関西の方も、恐らく全国から集まって今全力を挙げて復旧をしておるのではないか、このように思っております。  それから、水道は五百八十戸でございますが、これは全面復旧は約一週間でできました。  それから電気は約九千三百戸、これは翌日にすべて復旧ということですから、災害の点にいきますと、釧路の場合は割合と速やかに復旧できたのではないか。ガス以外は速やかに復旧できた、このように思っております。  そこで、直ちに私ども講じた措置といたしまして、こういうような地震発生あるいは津波の注意報が出ますと、地震震度四で災害対策本部設置することになっております。それから津波は注意報が出た時点で災害対策本部設置することになっています。災害対策本部の本部員は、釧路の場合は大体十分以内にすべて本部に集まっております。  職員の集まった状況を見ますと、三十分以内で約五百人、それから一時間では約九百人、これは釧路沖でございました。それから東方沖では、三十分以内では倍の千九十二人、一時間以内ではほとんどの職員が来ているということで、これは、本州と違いまして、北海道の場合は非常に道路幅も広いということと、交通は割合と、余り損傷を受けないということで、職員が速やかに本部に集まれる体制になっておるというのが幸いしている、このように思っております。  さて、復旧復興に関する施策でございますが、私どもは、民生の安定を図るということから、直ちに私、市長専決でもって即座に指示いたしたことがございます。それは、被災住民に対してはまず税の関係を無税にする、無税、減免をする。これでもって千三百六件の減免を直ちに実行いたしました。  それから、中小企業の融資でございますが、やはり中小企業ではかなり損壊を受けますので、その商売をすぐ開いていただきたいという意味から、緊急融資をやりました。これは三百十四件、二十一億五千三百万円。運転資金は五年、それから設備資金は十年、末端金利三%、それ以上の金利の一・九%は市が負担しております。  それからもう一つは、全壊家屋あるいは半壊家屋等につきまして融資をいたしました。これは九百十七件、九億八千四百万、それから生活資金は十万円を支給いたしました。  それから、義援金が相当数集まってまいりますので、この義援金につきましては、私ども直ちに臨時議会を招集いたしまして、いわゆる震災見舞金を支給する条例というものをつくりました。この中で配分委員会というものを設置いたしまして、配分委員会には、まさにやはり公正な配分を旨とするということで、どこの災害のところをお聞きしましてもこの義援金で相当もめるということを伺っておりますので、私どもは、その義援金の配分は、市民皆さんに公平に移るようにしなくてはいけないということで、助役以下市の職員、それから市議会、学識経験者等含めて配分委員会設置いたしまして、そこで決めていただいてこの義援金の配分をいたしたところでございます。約二億五千万円の配分をいたしました。その中で、なお残余につきましては災害対策費として八千三百万ほど基金として積んで、いわゆる無線導入に対して使わせていただいたということでございます。  それで、この釧路の場合は、一つの非常に大きな反省として、けが人の救急関係がございます。これにつきましては、二十四時間救急の病院を医師会につくっておりますが、そこにすべて殺到したわけであります。したがって、もう大混乱が起きたのでございます。これは、連絡がなかなかできないということで、もう救急病院に行けばいいということでみんながそこへ殺到してしまった。実は大きな病院でも受け入れる態勢があったのですが、どうもその情報がよく伝わらなかったということが反省としてございまして、私どもとしましては、大きな病院と、それから市内の病院、そういったところに各無線を配置いたしまして、どこからでもこの無線でもってその態勢を聞くことができるということで送ることを実施しております。  そのほか、NHKさん、警察、ガス会社、電力会社等のライフライン、それから赤十字の各奉仕団、二十四台という無線、CRPという簡易型無線電話を設置しております。その他、防災行政無線は百二十六機あるわけであります。その他、水道、道路、下水道、消防等は別にまた無線を持っているところでございます。  続きまして、私どもそういう地震体験から、実際釧路沖地震では、消防庁舎が古いために望楼が落ちまして、それが象徴的に報道されたわけでありますが、おかげさまで昨年、市民防災センター含めて消防庁舎約三十二億円で今建設中でございます。無線装置はすべて四階、発電機も四階以上ということで、どんな津波が来ても作動できるように、こういうことで、現在建設中でございます。  市民防災センターでは、特に地震体験、それから火災関係の訓練、あるいは市民防災意識を高める、こういうようなことができるようなシステムを導入させていただいております。  最後、三番、四番でございますが、「措置にあたっての問題点」としましては、私ども、二回の地震を通じまして、大変政府の対応は早かったと思っております。国会議員先生方を初め、政府の皆さんが直ちに来釧をいただきまして、事情をつぶさに見ていただきましたし、そしてまた、災害査定も非常に速やかにやっていただきました。もちろん私ども、不眠不休でその災害復旧設計もいたしたわけでございまして、大変感謝を申し上げておるところでございます。  そこで、この情報収集連絡災害救助の緊急時の措置でございますが、復旧に当たりましては、資機材の購入、それから整備費等については、やはり国としての補助、財政的な措置が必要ではないだろうか、このように思います。  それから、復旧復興に関する施策といたしましては、特に私ども経験いたしましたのは、企業会計にありましては、災害復旧事業の特別交付税の元利償還額に対する算入は、一般会計から繰り出し金措置したときは、病院、上水道ではそういう五〇%の導入ということがあるわけですが、それ以外には一切適用されないということで、大変困ったところでございます。  それから一方、国会でも取り上げていただきまして、特別な措置をいただいたわけでありますが、港湾整備であります。港湾は、北海道は港湾管理者が市長になっております。それから港湾の会計は企業会計ということになっておりますので、企業会計において持っているアンローダーあるいは魚揚げ場の基幹施設の復旧、こういったことにつきましての元利償還は、本来は特別交付税の制度には今のところないわけでございます。したがいまして、自前で復旧しなければならない。  自前で復旧するということになりますと、例えばアンローダーなどは、穀物のアンローダーは一基二十五億円かかります。これがとまるということになれば、釧路と根室管内の酪農家が全部困るわけであります。そういうことで、代替の港から運んだわけでございますが、これは大変横持ち費用がかかり、酪農家の負担になった。それからアンローダーの費用も、自前でやりますと、これは使用料を倍にしなければならない。そうすると、これまた酪農家に負担をかけていく、こういうことになりまして、大変その点困りまして、政府あるいは道庁に御相談を申し上げましたところ、大変特別な措置をいただきまして復旧をいたしまして、元利償還額につきまして、元金の五〇%は市、それから利子の五〇%は北海道ということで、特別交付税の優遇措置支援をいただいたところでございます。  さて次は、基本的には災害復旧というのは原形復旧が原則でございます。ですから、原形復旧よりも高い、もっとこうやれば耐震もできるし耐火もできるということでも、これは認められないのですね。今までの原状を復帰することがあくまでも原則ということで、例えば、積みブロックで被災したものを新しくまた復旧しようとしたら、この積みブロックしか認められない。擁壁(コンクリート)の工法ということになって高くなりますと、これは除外される。ですから、また地震が来ると、また同じく崩れるということになります。ですから、この辺は、やはりランクアップといった点についてもぜひ御検討願えれば幸いではなかろうか、このように思います。  次は、先ほど島原の市長さんからもございましたが、特に災害の応急復旧工事に関する事務手続の簡素化でございます。  これは、先ほど島原の市長さんが申されたとおりであります。迅速であればあるほど、早く復旧ができるわけでございますので、軽微なものについては市町村長権限を移譲していただければ、速やかに可能ではないか、このように思うところでございます。  それからもう一つは、自衛隊の出動に関しましては、市町村から知事連絡をし、知事から自衛隊に連絡をする、そういう迂回回路になっているのですが、実際に今火災が起きている、油が漏れている、危険物が流出しているといったときに、やはり現場の市町村長は速やかにその班長から報告を受けて、わかるわけであります。あるいはまた、現地の自衛隊もそれなりに偵察をして、私はわかっておると思います。釧路の場合もそうでした。  そうしますと、もうこういう知事経由をしなくとも、私は、直ちに現地の首長の要請に基づいてある程度出動していただき、専門的な立場から、その出動の数その他は自衛隊さんの方で決めていただく、あるいは自治省と、あるいは防衛庁で決めていただく、こんなことで速やかな対応というものが求められるのではないか、このように思っておる次第でございます。  最後になりましたが、私ども、このような災害を経験いたしまして、やはりそういった抜本的な復旧活動と同時に、防災ボランティアというものが今神戸等においても随分全国から集まって、その統制がなかなかとれず、それぞれの立場でみずからやっているというのが非常に多いようでございます。私は、こういう意味では防災ボランティア活動が、自主的にばらばらにやるのではなくて、やはりこれをシステム化していくことが必要ではないだろうか。こういうシステム化というものを自治体なり、あるいはそういうところで掌握をしながら、合理的に進めていくことが必要ではないか、このように思っております。  釧路では、日赤奉仕団五百五十名、それから女性団体協議会、連町婦人部、家庭防災員というのを配置して、八百人おります。それから、ホームヘルパーさんが九十二名います。こういう方々に単身世帯の老人の家庭を見回っていただいたり、あるいは、ガスの復旧のために不眠不休でやっておられる方に温かいものを提供したり、すべてそういうことをやったわけでございまして、復旧活動に従事された方が、あの厳冬期でございましたので、大変喜ばれた経過がございます。そういう意味では、ぜひこのシステム化ということをお願いできればと、このように思います。  最後になりましたが、やはり神戸等に見られておわかりのとおり、これが万が一関東で、東京であったらどうなるだろうか。政治、教育、文化、金融、通信、あらゆるものがこの東京に集中しておる。この集中している東京が壊滅的状態になったならば、私は、日本の運営というものがもうできなくなるのではないか、暫時できなくなるのではないか。そういう意味では、やはりこの兵庫南部の地震体験する中で、危険分散、中枢の分散ということも真剣に考えていかなくてはならないのではないか。  私も、過日オーストラリアヘ行きまして、キャンベラは、ちょうどメルボルンとシドニーの中間にある政治都市でございますが、ああいうような形で分散されておりますと、かなり機能として一つがやられても必ず一つが残って、そこが指揮命令できる、こういうことでございますので、各先生方のこれまたぜひ御検討を賜れば幸いだと思います。  以上。
  6. 笹川堯

    笹川委員長 ありがとうございました。  それでは次に、越森参考人お願いをいたします。
  7. 越森幸夫

    越森参考人 大変お世話になっております奥尻町長越森でございます。  まずお二方が申し述べましたように、このたびの阪神大震災におきましてたくさんの方々がお亡くなりになりまして、私どもも同様な立場にあったわけでございますけれども、心から御冥福を祈るとともに、一日も早く元気を出して復興していただくことを念ずる次第でございます。  はや、あの悲惨な被災から一年半を経過いたしました。今奥尻町では懸命な復興対策を展開しております。これまでの国会議員皆様及び各省庁の関係機関皆様の深い御理解に対し、心から厚く御礼申し上げます。  きょうまでの過程において、町の復興も順調に推移いたしておりますが、被災した多くの町民は現在も仮設住宅での不自由な生活を送っている状況でございます。  被害状況を申し述べます。  被害概況につきましては、平成五年七月十二日午後十時十七分、私たち町民にとって生涯忘れることのできない日になりました。だれが予想したでありましょうか。北海道南西沖に発生した巨大地震は、マグニチュード七・八、奥尻町では震度六の烈震であり、津波の高さは最大二十一メートルに達しました。今まで体験したことのない最大級の地震であります。ちょうど北海道南西沖地震の十年前の一九八三年、昭和五十八年の五月、秋田沖を震源とする日本海中部地震は、北海道を含む日本海側の十三の道、県に大きな被害を及ぼし、奥尻町は高さ五メートルの津波の来襲により、建物、漁船など約十四億円の被害をこうむっております。  こうした教訓がありながら、奥尻町の人口四千六百五十七名のうち、死亡、行方不明者、合わせて百九十八名、重軽傷者百四十三名、住家全壊四百三十七棟、半壊八十八棟、一部損壊八百二十七棟、床上浸水四十七棟、被害総額六百六十四億二千万円と、甚大な被害となっております。今もなお二十六名が行方不明となっている状況でございます。  災害時の措置を申し上げます。  北海道南西沖地震災害に対しまして講じた措置及び施策概要について申し上げますとともに、私なりに感じたこと、改善を要すべきと思われる点について意見を申し述べさせていただきます。  これは、防災行政無線システム及び通信網の整備でございまして、当日、私は地震発生と同時に役場に出向き、発生から三分後の午後十時二十分、防災行政無線津波による高台避難誘導を指示しております。この防災行政無線システムは、かつての自然災害を教訓として、災害から住民の生命財産を守るための情報伝達手段のため、防災体制づくりの一環として、昭和五十五年十一月に設置したものであります。北海道南西沖地震の情報伝達には極めて大きい効果があったものと思っております。  我が町におきましては、この防災行政無線システムも老朽化が進んでいることから、震災の教訓として三億二千万円を投じて緊急に整備することといたしました。これは震度四以上の地震の際につきましては、それぞれ地震計から直結いたしまして自動的に避難命令が出るような装置といたしております。  住民の生命を守るための的確な情報伝達は極めて重要であることから、これらの事業の補助制度の充実や迅速な情報伝達のための衛星通信システムの普及が必要かと思われます。  また、当時、奥尻町は幹線道路が瓦れきや山腹の崩壊により寸断され、電話もつながりづらく、情報収集が極めて困難な状況でありました。特に、我が町は離島であることから、非常時における電話回線等の確保が今後の課題と思っております。  次に、防災対策。  防災対策としては各種のシステムを導入することの重要性を述べましたが、情報を受けた住民が迅速な対応をとれるように、日ごろから広報活動、避難訓練等を行い非常時に備えることが重要であることはもちろんのことであります。  災害時において最も重要なことは、迅速な人命救助にあると考えております。被災直後において具体的な被害状況を把握することは困難でありましたが、私は、津波による人的、物的被害が非常に大きく、広範囲に及ぶ災害であり、地元のみの対応は限界があると判断し、北海道を通じて同日の午後十時三十五分に航空自衛隊北部航空方面隊、翌十三日午前零時十八分に陸上自衛隊第十一師団、同じく十三日午前四時四十五分に海上自衛隊大湊地方総監部の陸海空自衛隊に対し、災害派遣要請を行いました。  そのほか、人命救助、捜索に当たりましては、海上保安庁北海道北海道警察、東京消防庁など救援機関の全面的な支援を受け、被災地として大変な心強い思いをいたしました。中でも奥尻港湾の背後の山の崩落によるホテル崩壊に当たっての人命救助活動は、津波や再度の崩落が心配される中で航空自衛隊奥尻分屯基地の隊員と地元消防団員により夜を徹して行われました。残念ながら、二十八名の方が亡くなったわけでありますが、十二名の方を救出いたしております。この体験を通じて、大きな災害の人命救助に当たっては、自衛隊の自発的な派遣の必要性を感じているところであります。  次に、避難所の確保でございます。  被災住民避難所の確保について説明させていただきますが、町の防災計画による避難所は十八カ所と定めておりましたが、流失した施設等があり、八カ所、主に学校などに千五十五人を収容いたしました。着のみ着のままの状況の中で、水、食糧、寝具など緊急物資は対岸からの救援を受けなければならず、離島という交通事情に加え、港の使用不能という事態を生じ、最も苦労した思いがしております。  また、こうした避難所の生活では一週間、十日と経過するうちに被災者のニーズが変わってまいりますので、これに早急な対応措置を講ずる必要が生じます。  天候にもよりますが、救援物資は大型ヘリコプターによるピストン輸送等、緊急かつ大量輸送手段の確保が必要と思われるとともに、救援物資については、マスコミ等の大々的報道により災害直後から全国各地よりたくさんの救援物資が送られてまいりまして、三千トンとも言われる膨大な量でしたが、仕分け等で大変な労力を必要といたしましたし、そのためにわざわざ一億二千万もかけて倉庫も建設しなければならないことにもなりましたし、対岸の江差町やあるいは江差町周辺の町村にも集会所や学校に大変なお世話になったわけでございます。  個人からの救援物資はできるだけ受け付けず、義援金としての援助をお願いすべきだと考えております。また、企業からの救援物資の提供リストをもらい、必要なときに必要物資を提供していただけるシステムづくりが必要ではないかと感じております。  次に、ボランティア活動による救援活動についてでありますが、奥尻町にも多くのボランティアの方々がこられ、瓦れきの除去、救援物資の整理など、救援活動をしていただきました。こうした大災害にあっては、行政機関のみですべてのことに対応することは実際上困難であると思います。このようなときボランティアは非常に重要な役割を担うことになり、制度的な定めなどを検討すべきではないかと思われます。これは、先ほど釧路の市長さんが申し上げたとおりでございます。  それから精神的なストレス、奥尻町では恐怖の体験や長い避難所生活等によると思われる避難住民の精神的ストレスの蓄積が心配されました。食欲がなくなる、眠れなくなるなど、体に不調を訴える者も多く、災害時における精神的ケアの必要性を強く感じております。  次に、災害復旧についてであります。  復旧に関しては、奥尻町の場合、離島であるため、復旧にかかる人、機材、車両等の輸送、搬入に苦慮し、各関係機関があらゆる手段を講じて緊急輸送を図り、また公的機関による海、空の輸送手段の確保について御尽力をいただきました。  現在の災害復旧査定においては、先ほど釧路市長さんも申し上げましたが、原状復旧が基本のように伺っております。今日見られるように、地震が多発している状況にあって、いわゆるライフラインの欠如は、災害時には致命的な打撃を受けることになります。特に奥尻町の場合、離島ということもあり、港湾はライフラインの最たる施設でございます。地震津波といった大きなエネルギーによって防波堤の倒壊、岸壁の液状化により港湾機能が一時的に麻痺いたしました。離島がゆえの緊急時における交通手段の確保及びそのための施設の強化が必要と思っております。  こうしたことから、北海道開発庁を通じて、平成五年度から二カ年で八十四億円を投じて、いかなる事態といっても必要最低限の港湾機能確保をされる耐震バースまたは液状化対策などの処置を講じております。今後も災害査定においては、原状復旧にとどまらず、耐震性についての十分な御配慮をいただくようにお願いいたしたいと思っております。  次に、災害復興についてでございます。  奥尻町では、北海道南西沖地震においては全国津々浦々から予想を超える義援金が寄せられ、その総額は実に百八十七億円に達しております。この金額は、町の一般会計予算の平常ベースの四年分に相当するものと思われます。奥尻町では、これらの義援金を原資として、被災された方の自立復興、地場産業の再開など、六十一項目から成る総額百二十億円の基金を設置して、五年間の取り崩しによる支援対策を講じております。  北海道南西沖地震以来、東方沖、三陸はるか沖地震、さらには一月十七日の阪神大震災のあの悲惨な状況を目にするとき、かつての奥尻町で味わった厳しい現実と同じであります。被災者は同じ苦しみを味わっております。したがって、義援金の額にとらわれず、すべてを義援金によることとすることなく、こうした地域における被災者自立復興に対する公的救済措置を講ずる必要があると考えております。  また、火災保険等につきましても、地震が原因であれば払われないということもございまして、見舞金わずかに五%でございまして、これなどにつきましても、伺っておりますと関東大震災を基準とした法律だということでございますので、ぜひとも政府といたしましてもこのことにつきましても一考を要することではないかと思っております。  また、災害に強い町づくりを目指して国の補助事業を活用させていただき、公共事業による防潮堤の建設、道路の拡幅、かさ上げなど、関係機関との連携を密にしながら町づくり事業に取り組んでいるところでありますが、国の予算の成立のおくれにより、事業実施がおくれたこともありました。また、多数の死者、行方不明者が出たことにより、町づくりのための用地買収にかかわる地権者の死亡、相続人の所在不明等の処理にかかわる膨大な事務量を抱えながら事業を進めておる現状でございます。  現在被災者が住んでいる仮設住宅は入居期限が二年となっておりますが、奥尻町の場合は地震対策などを考えながら町づくりを行っております。防潮堤をつくり、土盛りをして、その上に宅地造成を行う関係から、全部が二年以内で完成は困難と思っておりますので、これら仮設住宅の延長等も十分に考慮していただきたいものと考えております。現在、仮設住宅入居者世帯は、二百六十四戸の被災者が完全復興するためには期間の延長が十分でなければならないと思っております。どうぞよろしく御検討のほどをお願い申し上げます。  最後に、私の思うままに申し上げましたが、あの災害から一年半を経過した今日、人命救助、捜索、避難所の設置仮設住宅、見舞金の配分、町の復興計画、さらに被災者の自立復興に対する御支援など、それぞれ苦悶に明け暮れる毎日を過ごしてまいりましたが、現下の阪神大震災の、二十五万とも六万人とも言われる避難所生活を余儀なくされている多くの被災された方々が、政府や皆様方の温かい御支援によって一日も早く立ち直っていただくことを心から念じて、私の陳述とさせていただきます。  ありがとうございました。
  8. 笹川堯

    笹川委員長 ありがとうございました。  これでお三人の参考人からの御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  9. 笹川堯

    笹川委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  この際、委員各位に申し上げます。  質疑につきましては、理事会の協議によりまして、一回の発言時間は三分以内となっておりますので、なるべく委員各位の御協力お願いをいたします。  なお、質疑のある委員は、挙手の上、委員長許可を得て御発言をいただきますが、その際は、所属会派及び氏名をあらかじめお告げをいただきます。  先ほどの理事会におきまして、各党派が優先順位で一巡の御質疑をいただくことになっておりますので、よろしくお願いをいたします。  野田聖子さん。
  10. 野田聖子

    ○野田(聖)委員 自由民主党の野田聖子でございます。  本日は、大変お忙しいところ、参考人皆様方には大変貴重なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。  本日は地方分権に関する特別委員会においての質疑になるわけですけれども、私個人として、一月十七日の阪神大震災が起きてから今日に至るまで、国会においてはその震災の対策とかいろいろな質疑があるのですけれども、ややもすると政府に対する責任追及の話が多いですし、また一部の報道にしましても国の責任を問うような話が多くて、どうも十七日から一歩も進めないような状況にある中で、私たち国会議員がしていかなければいけないことは、迅速に、そして一歩前へ前へと進んでいくことだと感じています。  そんな中で、きょうお出かけいただいた意味というのは大変大きくて、さきに大変な被害に遭われて、苦労の中で日々お知恵を出しながら復興に向けて、復旧に向けて御努力されている、その現実の姿の中で、国が何をするべきか、そして地方自治体がどういう権限を持つべきかということを実際にお話ししていただくことが、これからの災害復興復旧に対して、私たち国会議員、そして国が取り組んでいけるものになるのではないか。そういう冷静な気持ちの中できょうはこの委員会が開かれたものだと私自身は理解しているところであります。  そういうこともありますので、どうか、当該、被災に遭った自治体の長として、または被災者のお一人としての率直な御意見とか、またお考えを、今も大分伺って非常に感銘を受けたのですけれども、質疑の中でお答えいただければありがたいと思います。  そこで、今申し上げたとおり、最近、震災被害に関しては国の責任がかなり問われてまいりました。ただ、私は、非常に疑問を感じている部分がありまして、その疑問を解くためにいろいろな資料を自分なりに整え、そして読んでみたところ、かなり国民と今現在の報道や国会の論調のずれがあるというのを感じているので、ちょっと御報告したいと思うのです。  まず初めに取り上げたいのが、「月刊世論調査」という、これは総理府が出している本なのですけれども、これはいわゆる世論調査でございまして、調査が行われたのは平成六年の五月十二日から二十五日の間です。つまり、この時期というのはそれぞれ被害が、例えば島原雲仙普賢岳平成二年、そして釧路沖地震平成五年一月、そして奥尻島、平成五年七月ですから、既にこの三つの大きな被害自然災害があった後に「国民生活」という中で国民に世論調査が行われたわけです。  その結果を見ますと、「政府に対する要望」という項目がございます。そこを見てみますと、一番国民がこの調査の中で望んでいるのは、「医療・福祉・年金の充実」が六〇%、これ、複数回答なのですけれども、ずっと「景気対策」「物価対策」「税の問題」、自然環境、土地、教育、「地域の活性化」、交通安全等々きまして、一番最後に政府に対する要望の中で「防災」というのがわずか七・二%ということになっています。つまり、これだけの大きな災害日本に立て続けに起こったにもかかわらず、その直後に行われた世論調査で、やはり国民は国に対して防災をしてほしいというリクエストが非常に少ないというのがこの調査結果の中に出てきているわけです。  そして同じく、これは財団法人セコム科学技術振興財団というところが「災害対策及び防災体制の国際比較に関する調査研究」という一つの資料をつくられているのですが、その中のやはり実態、現状として、「防災体制の現状」として、「防災体制に基本的に要求されることは、いつ、いかなる状況の下においても迅速な対応が可能なことである。」そして「大きな被害対応するため、かなりの組織力、資機材、要員等を必要としている。」「発生頻度が低く、非日常性があるため、専門の対応組織をつくりにくいという環境条件」、そういう条件を最も満たしているのが「地方政府(市町村)、地元消防・警察である。」と定義づけているわけですね。そしてまた、これらの地方政府というのが、「日常的に住民の安全確保の責務を有し、地元住民被災者かつボランティアとしての救援者)とのコミュニケーション・チャネルを持っている。」これがいかなる災害においても主要な役割を果たしているのであって、これは日本のみならず西ドイツとかアメリカとかそういう国々においても、防災の第一義的責任のほとんどを地方政府及び地元消防、警察に任せているというふうにこの調査資料では出ているわけです。  つまり、大切なことは、防災体制というのは、やはり基本的には地方分権の中で各地方自治体がしっかりと握っていなければいけない。  そして、もう一つ区切りをつけなければいけないのは、防災と被災というのはまた別枠で考えなければいけないのじゃないかということが、今あいまいになっているような気がしてならないのです。つまり、防災のときには、皆さん平常時にいろいろなPR活動とか備蓄とかできるけれども被災になったときには地方自治体自体が被災する、つまり、きょうお話しいただいた本来指揮命令系統を出すその市長さんたちも被災者、ひょっとしたら亡くなっているかもしれないという状況被災体制だと思うのですね。そのシステムの区切りがきちんとできてないことに、ちょっと私自身心配なものを感じます。そして、被災に遭ったときに、つまり皆さん方、市長さんを初め、その防災体制をやっている職員さんたちも含めた被災者の中で、その初動段階権限分担をどうするべきかというのが多分この阪神大震災でも問題になったと思います。  先ほど釧路市長さんは、例えば自衛隊の派遣要請を市町村段階まで落とすというか、直接持つべきではないかという御意見がありまして、非常に私もそれは賛同するのです。しかしながら、被災された場合にはそれすらできない状況、例えば市長さん自身の家が押しつぶされてしまってにっちもさっちもいかないときには、一刻も早く自衛隊に連絡する人がだれかという問題が出てくると思うのです。そういう際には、もう少し突っ込んだ議論をするならば、自衛隊自体が独自にやってもいいのじゃないか。今はそれができないわけですけれども、そういうことに対して釧路市長さんの、本当は皆さんにお聞きしたいのですけれども、一人ということなので、市長さんから御意見を聞きたいということがあります。
  11. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 今、野田先生のおっしゃったことは大変もっともな御意見だと思います。防災と被災というのは、これはやはり分けて考えるべきだ。被災というのは応急復旧、防災というのは恒久的な考え方、こういうぐあいになると思うのですね。  そこで、自衛隊出動というのは、今現実に火災発生している、燃えておる、あるいは津波がどんどん押し寄せてきている、家が今現実に倒壊が進んでいる、土砂がどんどん流されている、崩れている、鉄道が破壊している、そういう進行形のときに、たまたま私どもが、市長宅が仮にやられても、うちに無線がありますから、この無線で災害対策本部、消防、それからそういったNHKその他一切全部無線で届くようになっていますから、必ずどこかの機関でキャッチされることができます。私の家が倒壊してそういう状態になるということは、もう釧路しゅう大体なることですから、私はそのときはもう間髪入れず、私に権限があれば、自衛隊の出動をまずお願いして、まず偵察をしていただいて、まず最初にどんな被害があるのかということが必要だと思うのです。  私の体験ですが、東方沖地震のときに、私は実はその日に東京に、夜四時に釧路を出まして六時に着いて、そしてホテルに入りまして、ふろを浴びて寝た途端に東京が揺れたのです。いよいよこれは関東大震災の前ぶれかなと思ってテレビをつけたら、震度釧路と出たのです。そして、私は直ちに私の秘書に命じて、国土庁にすぐ行きなさい、あるいは、消防庁へ行け、そして、私自身は現実そこで釧路の状態をつかむことができないわけですね。ところが、市長としてはいっときも早く釧路が今どんな状態になっているのか知りたい。したがって、国の機関お願いしたのですが、そのときは私の秘書の返事では、とにかくテレビを見た方が早い、こう言われまして仕方なく、テレビはすぐ出ました。そうしたら、いつも出るMOOという幣舞町が出ましたら、電気がついていた、それから自動車が走っていた、こういうことで、私は、これは大分災害程度は低いなと類推できました。  そういう意味からしまして、やはり一つは、首長としてそういう権限があれば非常に迅速に対応できるのじゃないか。そうすると、燃えなくてもいい家を救うことができる。例えば、破壊消防をすれば破壊消防したときの段階だけで火はとまるわけですよ。それから、うちのように防火水槽があればそこできちっととまる。こういうようなことで、私はそういう意味でお話を申し上げたわけでございます。  いずれにいたしましても、防災の責任というのは、やはり地方自治体であれば首長がやはり持つということが原則だと思います。ですから、たまたま被災者がこういうぐあいに長くなっておりますと不満のやるところがないわけですね。不満のやるところはまず自分の身近な首長から始まって、その首長がなすすべがないと県知事に行って、県知事がなすすべがないと政府が悪い、そういうのが一般的な国民の行動、行為ですね。これも一部やむを得ないところもあるのです。もうあのような悲惨な被害状況で生活しておりますと、やはりストレスが高潮して、うっぷんして正常な判断とかできませんので、我々がやはり矢面に立つというのが普通です。  ですから、我々の同志に、今の島原市長さんの前の鐘ケ江市長さんなんか友達なのですが、いろいろ話をした中では、もう一番悩まされるのは私どもだと思います。義援金の配分一つにしましても、その配分が不正ではないか、どこかに流れたのではないかとか、選挙資金に流れたのではないかとか、そういうことさえも言うわけですから、そんなことはあり得ないのですけれども、あり得 ないことを現地住民は言うわけですね。  ですから、そういうことで、今先生おっしゃったように、防災、被災ということを分けて、恒久的な部分については政府がしっかりとした自治体の御意見等を聴取しまして、そして援助していただく、支援をしていただくということが私はよろしいのではないか、このように思います。
  12. 笹川堯

    笹川委員長 それでは、もう時間が相当超過しているので……。  山本委員
  13. 山本拓

    ○山本(拓)委員 新進党の山本拓でございます。  きょうは、参考人皆様方にはお忙しい中貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。特に奥尻町長さんのお言葉の中で、大災害の一番のポイントと申しますか、やはり初期の人命救助が第一だという話は、さすが実感を持って、多くの犠牲を出された町長さんの生の声だなとお聞きをいたしました。  今回の神戸の大地震、五千名を超える死者が出ました。本当に御冥福をお祈りしたいと思います。ただ、この五千人を超える皆様方は決して即死をしたわけではないわけでありまして、これは最近の週刊誌等で、現地報告でいろいろ上がってきておりますが、もう瓦れきの下で一日二日、うめき声とか助けてくれとか、それが一日二日三日たつごとに声が小さくなった。助けられた人の話を、もう証言を見ましても、中島敬夫さんですか、三十時間後ですか、助けられたのは。これ何で三十時間ぶりに助けられて生きていたかというと、近所の人がゴムホースをくれたんだってね、ゴムホースをくわえていたから助かった。そしてまたもう一つ、百五時間後に助かった御老人がいるんです。これはお医者さんの話によりますと、逆に七十九歳の老人だから百五時間も水分なしで生きられた、若い人ならとてもとても生きてはいられないということです。だから、いかに一日も早い救援活動が必要かということは立証されているわけでありまして、これはやはり政府の責任は免れない。  今まで、もともと官僚制度整備されていませんでしたから、もう今まで総理大臣というのはここ何年もころころかわってますが、しかし、ただ一人だけ一貫している人が、責任者がいるわけですね。副長官なんというのはずっと一貫しているわけですね。だから、その人らが全然今までのいろんな大災害を経験しながらその体制づくりをほっておいた責任は、私は万死に値する思っておりますが、官僚の責任というのは、それは我々が責めるというよりも、それ以上にその上の最高責任者の責任は当然免れない事態だ。  ただし、今はそんなこと言っているよりも、これは一日も早い救援対策復興対策をしなくてはなりませんから、与野党関係なしに一致協力して一日も早く予算を上げて、そして一日も早い救援対策に我々も全面的に協力いたしているところでございますが、さりとて、やはり今後同じようなものがいつどこであるかわからない。そして起こってしまった後、復興対策はこれはもう当然国会、国全体としてやらなくちゃいけませんが、その初期態勢の問題だけは、今の市長さん初め町長さんも、確かにやっぱり自衛隊が最大の救援の、日本においては頼りになる存在であることは間違いないわけですね。  今回、神戸なんかでも実際自主的に自衛隊が入っているわけですね。ただ、要するに少ないんですよ、数が。だから個々の証言見ても、あっちこっち引っ張りだこになるわけですね。こっちも来てくれ、こっちも来てくれと言うので、ちょっと順番だからおまえら待てと言うと、何だおまえ、順番で、そして順番で待っているうちに本人は疲れちゃってどこかへ行ってしまって、何だということになる。  もう一つ、私自身は自衛隊の派遣というのはあくまでも市長さんとか町長さんとか、その人が出動要請するのは当然だと思います。しかしながら、市長とか町長さんはこれは被災者ですから、その被災者が役場へ行って連絡できるような災害だったら、国は大してそれは重きを置かないとは言わないけれども、我々が心配するのは、市長さんも町長さんも、自治体の長が直接被害に遭われて、がたがたになって、従来の職務が執行できない状態に当然あるわけでありますから、それに、逆に言うと、外部から見ると、町長さんが出動命令出しているのか出していないのか、全くわからないわけですね、実際問題として。だから、そのときにはやはりある程度自主的に、自衛隊自主的に出ろという意見もありますけれども、私はそれには大反対でありまして、そんな自主的に自衛隊というものが出動する、部隊を出動するルールをつくってしまったら、これはかえって心配事が、要するに余計な心配が出てきますので、これはやはりアメリカでもすべて大統領が責任持つわけですし、国の最高責任者が国民の生命財産を預かる最高責任者でありますから、やはりそこに最後は、やはり町長さんなり市長さんと連携をとるなり、もしとられなかった場合には出動命令を出す必要がある。  まあ三分ということですから、この辺でやめますが、一言申し上げますと、一人だけということですから、町長さん。まず、総理大臣、総理大臣というより、今でもというか、今回、次にいかなる事態が起きるかわかりませんけれども、やはり初期の人命救助ということは、具体的に言いますと自衛隊の派遣ということになるのですが、それに関しては、やはり政府のもとで基本的には行われるか、またはそこが連絡をとってやるべきなのか、あくまでもそれは必要ないとお考えでしょうか。それだけ一点聞いておきます。
  14. 越森幸夫

    越森参考人 私の町にも自衛隊が三百二十名ほどいるんです、航空自衛隊なんですけれども。これは通信の整備でいるんですけれども、ちょうど洋々荘というホテルの二十八名が生き埋めになった際に、あそこの近くの居酒屋さんで自衛隊の点検する人の飲み会をやっておったんですね。それから町の市街地の方に移動していった直後にそういう事故があったものですから、ちょうど自衛隊の人は二十人ほどそのまま戻って救助に向かった、これは自発的にです。これは一町民として自発的にやったという考え方です。  私が先ほど説明で申し上げたのは、十八分後に支庁と連絡をとって、管内の檜山支庁長と連絡をとって自衛隊の要請をしたということなんです。これはすぐ電話も全くだめになりましたし、それから無線もすぐに通じなかったのです。それでも十八分後に通じましたし、それから、特に後から通じたNHKの電話で、これはもう町長さん、絶対切らないでくれと、NHKと私との電話での対話を、とにかく離れても助役かだれかにかわってもいいから、もう切らないでくれということで、その声は確かに全国にテレビを通じて画面の入らない声として流れたと思うんです。  そういう状況で、支庁と連絡をとりながら、とにかく私は自衛隊ばかりでなくすべてのそういう救助活動を要請したい、とっさに町は全部これで崩壊するのかな、恐らく青苗方面が全滅だということだし、それから途中の松江、それから稲穂、それぞれ私の町は漁業と観光の町ですから、漁業はこれでだめになるな、それでとっさに復興という言葉が出たんです。復旧はある程度何年かたったら立ち直ることはできるだろうと思うけれども復興が果たしてなるのかどうか、果たしてこの町に今までどおり住民が住めるようになるのかどうかということがすぐに頭にきましたものですから、復興だということを申し上げたんです。それで、北海道警察あるいは先ほど言った海陸空の自衛隊、これらを要請したということなんですね。  そういうことで、船も港の中に全部、駐車している車が落ちたり、港を整備しているそういう機具、機材が全部埋没されてしまいましたものですから、定期船だとかそういうものは一切港の中に入ってこれなくなったような状況でございます。したがって、初期の救助活動はほとんどヘリコプターによって、飛行場がありますけれども、小さな十九人乗りの飛行機ですから、ほとんどそういう場合は用をなさない、それでヘリコプターが一日に何百回となくとにかく行き来しながら、そういう資材関係を運んできたというのが現況でございます。  これは申し上げておきたいと思いますけれども、いろいろ釧路市長さんも言っておりましたけれども、いろいろありました。これは災害救助法が発令されるまでに少し時間がかかったということと、それから災害救助法の関係の時点も、ある程度一カ月なら一カ月を経過すると、いつもこれは私なりに考えて、大蔵省に予算要求できる出動手当というのは災害救助法が発令された範囲だなというようなことを感じたのですけれども、それは当然打ち切るということにしたのです。しかし、新聞では、まだ見つかっていない人がいるのになぜ町長は捜索活動を打ち切るのかということで、かなりたたかれました。これは、正規のそういう捜索活動は海上自衛隊としては打ち切りますけれども、引き続いて海保だとか道警の方ではそれぞれふだんの訓練の中で捜索活動を続ける、こう言うのだけれども、結局マスコミさんの方ではそれを大きくタイトルではんと出すものだから、大変な被害を受けた経過があるのです。  いろいろそういう問題がたくさんあります。きょうはマスコミの人も来ているかもしれませんけれども、やはり行政側の対応も聞きながら書いてもらわないと、天皇陛下が御来島するとき、二十七日だったですが、十二日から十五日目で百戸の仮設住宅の入居が決まった日にちょうど飛行機で来る時間と、十一時ですからぶつかった。それで、一時間延長すると言ったら、これがまたマスコミにたたかれて、宮内庁からも再三の電話でそういうことはしないでほしいということで、これも大変な迷惑をこうむりました、はっきり言って。  それから、さっきちょっと触れましたけれども、このことだけはぜひとも言っておきたいなと思ったのですけれども、大変な救援物資が来たのですね。だけれども、衣類については七割方ほとんど使うことができなかったのです、残念ですけれども。それで、これは先ほど倉庫を建てたということも言いましたし、札幌まで持っていって道庁の皆さんに仕分けしてもらうために、逆にこれも九千万ほどかかりました。それがほとんど七割方投げなきゃならないようなものだということで、もう保管する場所もないし、雨は降ってくるし、中には食料品と一緒に送ってくるものもあるものですから、もうにおいがついてどうしようもない。膨大な三千トン以上の、あの島にどうして入るわけがないのですから。それがもうそういう形に雨ざらしになる、そういうことになるというような状態が続いてどうしようもないから、焼け、焼却してしまいなさい。そうしたら、それをテレビ朝日が追っかけていって、全国の好意を踏みにじる行為を町長がしている、またたたかれるのですね。  いろいろなそういう問題があります。義援金なんかで多いとか少ないという問題で言われるのは、これはそれぞれのあれだから仕方がないかもしれないと思いますけれども、そういう善意を踏みにじっているわけではないのだけれども、結果的にはそういうことで大変御迷惑をかけてしまったかなという気がしています。  捜索活動でも何でもみんなそうですけれども、みんなのボランティアがあって、救助活動があって初めて皆さんが元気を出してきてやれると思ったのです。本当に私は、国の機関において防災計画というものをしっかり見直しして、先ほど言った制度にないものをやるとか、それから保険なんかも全く出ないというような問題なども物すごく問題がありますしね。  こういうことをしっかり、私は細川総理のときもお願いしたし、それから今の総理になってもお願いしましたし、そんなことでとにかく今後とも皆さん法律を変えてでも防災計画をしっかりしてほしいなというお願いでございます。
  15. 笹川堯

    笹川委員長 次に、畠山先生の御質問でありますが、なるべく参考人にお話を長時間いただきたいと思いますので、質問の要旨をひとつ明確に短くお願いをいたします。畠山委員
  16. 畠山健治郎

    ○畠山委員 まずもってお三方の参考人、予算議会を前にして大変お忙しいところを御参加をいただきまして、まことにありがとうございます。  御案内のとおり、古くて新しい地方分権、昨年の暮れようやく大綱を決めさせていただきまして、今国会で何としても推進法を定めようということで今取り組んでいる最中でございます。その最中にこのような不幸な震災が起こってしまったわけでありまして、この際、分権法の制定に当たって、この震災が何かのきっかけになって参考になることが出てくるのではないだろうかというふうな判断から、委員長の計らいできょうの運びになったところでございます。ぜひひとつそういう観点からお答えを賜りたいというふうに思っております。  私からは、時間が三分だそうですから、端的に島原の市長さんにお伺いを申し上げたいと思います。  まず第一点は、災害対策基本法昭和三十六年に制定されておるわけでございまして、当時からすれば、この基本法というのは風水害のようにある意味では一過性の災害を想定してつくられたものではないだろうかなというふうな気がしてならないわけであります。ところが、島原さんの実態からすると、先ほど市長さんのお話のようにいまだに続いておるというような状況でございます。こういう観点からすれば、現行法というのはどうも島原の実態には合わないのではないだろうか。率直にこの点についての御意見をひとつお聞かせいただきたいということが第一点であります。  第二の問題は、今、兵庫南部地震についても特別立法も含めていろいろ政府で検討していただいております。確かに、今度の震災ということの特別立法も必要かと思いますけれども、それだけではなしに、皆さんのところも含めてやはり普遍的な特別措置というのが必要だという部分がありはしないだろうかというふうな気がするわけであります。そういう観点で、もし御意見があればこの点についてもお聞かせをいただきたいというふうに思っております。  三つ目の問題は、先ほど市長さんのお話にもございました。いわゆる警戒区域設定の問題で大変御苦労、御難儀をなさったというふうにお伺いをいたしました。そこでお伺いをしたいというのは、この権限が果たして今のような形でいいのかどうか、何か御提案があるとすれば率直にお聞かせをいただきたいというふうに思っている点でございます。  最後にお伺いをしたいと思っていますことは、災害対策基本法に基づく基金の制度があるわけでありますが、御案内のとおり、この基金は義援金と地方債によって賄われるということになっております。肝心の政府資金は何も入っていないというようなことになるわけであります。こういうことからすると、法と基金の実態ということが何か乖離しているのではないのかというような気がしてならないわけであります。そういう点と、また基金の使い方、これは言ってみれば公平性というのを確保しなければいけない、その使い方についてもかなり難しい現実の問題があるのではないだろうかという点も含めて、何か御意見があったらひとつお聞かせをいただきたい。  以上でございます。
  17. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 基本法がこのままでいいのかということにつきましてはいろいろあろうかと思いますけれども、特にこの災害対策基本法で私たちが今回一番感じたことは、やはり六十条と六十三条、要するに警戒区域設定権じゃないかと思います。  当初陳述にも申し上げましたように、これはやはり一番現地の実情を知った首長がとっさにやるということが絶対必要じゃないかと思っておりますので、これはこれなりにひとつ僕はこのままでいいんじゃないかと思っておりますけれども、ただこういう長期になってきますと、当初は警戒区域設定したがために命が助かって本当に感謝いたしますということを全部住民はおっしゃってい るのです、早目に逃げてよかったと。しかし、それが長くなってきますと、過剰設定じゃなかったのか、もし警戒区域設定されていなかったら生活、商売できたのだけれども、それをされたがために、生活ができなくなった、これはどうするのかということが今非常に問題になっておるわけでございまして、だから災害対策基本法でそこら辺の裏づけとして、首長がした場合に、そのような問題が出てきたときに、国なりそこら辺で裏づけをするというような形のものがありますと、これは非常にいいのじゃないかと思います。  もう一つは、さっき申しましたように、複数町村になった場合は、それぞれ区域設定の仕方が首長によって違うわけですね。うちはここまでやりたい、しかし隣は、いや、ここまでやるんだということになってくると、同じような形の地域災害でありながら、違ってくる。だから、複数になった場合には、やはりもう少し上級機関での設定権者が必要じゃないかと思っておるところでございます。  それから、特別立法につきましては、今島原で特別立法を云々されているのは、今申しましたような形の、警戒区域設定したがための被害をこうむっているじゃないか、これを何か立法して救う道はないのかということでございます。これは、私たちも、当初はこれだけ長くなろうとは思っておりませんでしたけれども自然災害だから命があったのがいいんじゃないですかということでずっと説得してきましたけれども、ここら辺が、島原の特別立法というのは、むしろ警戒区域設定したがための補償をするための特別立法をつくりなさいということが言われております。  しかし、私たちが考えますのに、まだこれからダムをつくって、ダムができたら、いよいよ下の住宅地の復興にかかるということになってくると、やはり、今、こう云々されておりますように、区画整理法の規模を少し下げて、そして、例えば八メートル以上の道路まで補助対象にするんだとか、あるいは公園とか公共施設も補助対象にするんだということが神戸の地震で言っておられますけれども、このような法律は、ぜひひとつ、我々、今回町づくりをしていく自治体にも適用できるような形の法律にしていただきたいと思うわけでございます。  先ほど区域設定は今のままでいいのかという御質問でしたから、先ほど申し上げました。  それから、基金の使い道でございますけれども、これは、うちの場合には、県の基金と市の基金と両方積んでいるわけでございます。県の基金は県で積んでおりますけれども、県からの貸付金による一号基金と、それから義援金をもらったのを積み立てる二号基金と両方でやっているわけでございます。  それで、一号基金、自治省との関連のあるものにつきましては、やはり使うときについては、一応いろいろ自治省と御相談して使っているという形でございますけれども、二号基金の義援金で積み立てたのは、一応自治体の判断でできるということでやっています。市の基金も、義援金、基金をいただいたのを、県からいただいた義援金で基金を積み立てておりますけれども、これにつきましては、非常に細かいところまでできる。例えば、住宅を再建される人に、新規に建設される方に対しては、県の基金と市の基金で五百五十万差し上げますとか、あるいはずっといろいろ細かいところまでできるということでございます。特に生活再建のためにこの基金は使おうということで、補償的なものには使っておりません。  そのように、生活再建、住宅再建、あるいは農地、農業の圃場整備の自己負担が、農地復旧するためにはやはり土地基盤整備事業でやるわけでございますけれども、地元負担金がかなりあるわけですね。しかし、被災を受けておりながら、何も作物をつくられていないのに、地元負担金をかなり出さなければいけないということにつきましては、軽減してやろうということで、まあ末端の手出しは数%、二、三%でいいような形の基金の補い方をしているところでございます。
  18. 笹川堯

    笹川委員長 それでは、田中委員
  19. 田中甲

    ○田中(甲)委員 さきがけの田中でございます。  貴重なお話を聞かせていただきまして、心から感謝を申し上げます。  私は、釧路鰐淵市長さんに御質問をさせていただきたいと思います。  当特別委員会地方分権に関する特別委員会という、これからの地方分権を考えていく上で、災害に対してもより深く検討していく必要がある、そんな中で、私が最初に御質問させていただきたいのは、各種の自治会とのかかわり方であります。  今回は、圧死、瓦れきの下に挟まれて身動きがとれない、あるいは、直下型ですから、もうその場で即死をしてしまったという、そういう痛ましいケースがたくさんあったわけでありますけれども、きょうお話しいただいた災害に遭われた地域は、それぞれにお亡くなりになられた死因というものが違うようにも受けとめておりますが、この人の命を守るという、もうすべてに優先されなければいけない点で、国政も反省する点があります。今後、被災者復旧あるいは措置等十二分に行っていくことがもちろん今は優先されますが、その後に十二分に反省をしていかなければならないと思っております。  この人の命を守る、まず自治防災を常に行っているか、そして初期対応というものが、自治会が単位となって十二分に対応できたか、そういう点が大変に私は今疑問に思えておりまして、あるいはその後の自主警戒ということも、やはり自治会というものがかなり大きな役割をこれから担っていかなければいけないのではないのかなと思います。  この点に関して、特にボランティアの役割、システム化というお話もございましたので、自治会の活動とボランティアの役割をかみ合わせて、より有効な動きを、地域地域において対応することができないか、そんな思いがございますので、その点の御意見をぜひ聞かせていただきたい、それが一点であります。  二点目は、非常に甘えた質問で恐縮かもしれませんが、今起きてしまった阪神大震災の現状に、現段階において市長さんが最も危惧をされている点を数点、先ほどもお話ございましたが、私はきょうやっとその機会をいただきまして神戸に行かせていただくのですけれども、そのときの大きな参考とさせていただきたいと思います。  それから、先ほど畠山先生からも御質問がありましたが、配分委員会をおつくりになられたということをお聞きしましたので、義援金の定義というのですか、なかなかこれは今後問題になってくる点だろう、今回の阪神大震災においてもそのように受けとめておりますので、この三点をぜひお聞かせをいただきたいと思います。
  20. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 今田中先生から三点御質問いただきましたが、一つは、私は、自治会のあり方、あるいは私どもは町内会と言っておりますが、これは実は全国共通に考えることは非常に難しいのではないか、このように思います。例えば、都市規模にもよりますし、それから人口流動の激しいところ、あるいは人口の定着度の高い町、こういういろいろな町の形態によって自治会の機能というのは全く違うと私は思います。  例えば、東京のような大都会ですと、同じマンションに住んでいても、隣がどこに行っているか、あるいはどうしているかさっぱりわからない。あるいは、隣の独居老人のお年寄りの方がそのまま亡くなっていても別に無関心でいるというのが東京のマンションの実態ですから。こういうところもありますし、私どもはちょうど二十万くらいの都市ですので、どうやらこの町内会活動もやや活発でありますが、やはりところによっては、町内会の隣の方がだれかわからないというところもある、半々の様子のある町の形態です。ですから、こういう自治会の自主的なボランティアなり、こういった災害のときに対応できる体制というのは、これは非常に難しいと私は思います。  戦前ですと、訓練されていますから、隣組というものですね、そして婦人会から何からみんな出て、防火訓練なんかやったりしまして、昔は違ったと思います、私たちが子供のころは。しかし、今はなかなかこれを自治会にゆだねるというのは非常に難しいのではないか。  したがって、むしろ、今回の神戸のような形を見ておりますと、やはり火災を早いうちにいかにとめるかということによってはもっと人の命が助けられたのではないか、瓦れきの中に埋まっていても、火さえこなければ救出することは可能だったのではないか、こういうことを考えますと、そういう意味での対策が必要ではないか。  二番目ですが、危惧される点ということになりますと、一つはあれだけ長い団体生活になりますと、まず第一にやはり衛生問題だと思いますね。やはりあそこに、今のところまだ温度が低いですからあれですが、だんだん湿度が高い、温度が高くなってきてあのような状態ですと、やはり伝染病の危険というのは非常にあると思います。これは、万が一あそこに赤痢とかそういったものが発生したら、これは軒並みやられると思いますね。そういった対策がこれからやはりかなり必要になってくるのではないか。  それからもう一つは、あれだけ何十万という方が被災されている状況ですから、もう私どもは、とても私たちの考えの外のスケールだと思いますので、そういうスケールでのお悩みの点というのはなかなか私ども想像を絶するものがあると思います。したがって、やはりいっときも早く仮設住宅ですとかプライバシーをもう少し守るとか、私どもは病院の精神科医を、うちの精神科医を派遣することに決めて、もうそろそろ行くはずですが、これはメンタルの意味での治療ですね。もうそろそろそういう方々が大分出ておられるということですから、やはりそういった意味での、災害に対する恐怖感ですとか、それから団体生活におけるストレス、それによる、非常にそれを原因とする、何といいましょうか、病気というのでしょうか、こういったものに対する予防は果たしてしっかりできているのかどうか、こういうことだとか、あるいはああいう密集地帯でございますから、やはり今度新しく家を建てるときには、直下型を想定しても倒れない建物を、構造物をつくっていくべきではないか。北海道と阪神とは全く違うのは基礎が違いますね。私ども住宅ですと基礎を一メーター四十くらい打っていますから、ですから直下型でも絶対うちの場合は家はつぶれないのです。筋交い、方づえ、それから柱も太いですし、それから屋根はかわらでなくてトタンですから非常に屋根は軽い。そういうことを考えますと、阪神のようなああいう事故はまず私どもは起こらないだろう、こういうぐあいに思います。ですから、そういう意味でのいわゆる防災上の問題を、基本的な防災上の問題をこれから考えていく必要があるのではないか。  それから、配分委員会ですね。これはお三方の方がいるのですが、どこの問題でも一番もめるのはこれは義援金です。義援金は、私どもは二億数千万ですから、越森町長さんのところでいくと一般会計の四倍ぐらい集まるというわけです。私ども一般会計九百億ですから、実に四倍というと三千六百億集まる計算になるわけですね。だから、大変な額だと思うのですね。その額を私ども直接お金を手にするわけではないわけで、すぐ金庫に入って、そしてそれをどう使うかということについては、これは住民が物すごく多様な要求を出すわけです。ある議員さん、ある市民から言わせると、その義援金を全部配れ、被災者全員に配れ。この被災被災状況があるのです。半壊だ、全壊だ、一部損壊だ、これを全部調べるといったらこれは大変で、今度は神戸の方も何かまた調べ直すとかなんとかとやっていますね、仮設住宅へ入れるのに。ああいうことがしょっちゅうトラブルとして起こる。  ですから、これはやはり第三者委員会をつくって、市長とか首長が直接それはその配分委員会の答申を受けて実行するということがべ夕ーではないかというので私どもは条例をつくりましたので、もう全く議会で明白な状態の中で義援金を配分することにしたわけです。  それで、一部配分した後に残ったものについては、ぜひ私どもとしては基金として使わせていただいて、釧路市民全体が防災の体制で使えるもの、例えば無線の装置ですとか、あるいはまた町内会でいろいろと防災のときに役に立つもの、こういったものを購入させてほしいということで、これでも納得しない議員さんもおりましたけれども、そういうことで、できるだけガラス張りにしていくことが必要ではないか。特に、こういう災害時はデマですとか、そういうものが飛び交うものですから、なるべく私どもはそういうことのないようにということで対応したところです。  以上でございます。
  21. 笹川堯

    笹川委員長 それでは次に、穀田委員
  22. 穀田恵二

    ○穀田委員 日本共産党の穀田です。お三方には本当に貴重な御意見を伺いまして、ありがとうございます。  私は、一点だけ質問したいと思うのです。地方分権というのは、やはり地方で大きく物を言っていただくということが必要だと思うのです。災害のときなどは、兵庫県や神戸市の方々を見ましても、やはり遠慮するということも事実あるでしょうし、支援を受けている側からすれば、なかなか言いにくいということもありますから、そういう意味でいいますと、こういうときだからこそ、逆に、十分に物を言っていただくという必要が私はあろうかと思います。  そこで、先ほど吉岡市長から住宅再建、事実上の生活再建ということで、五百五十万でしたけれども、ありましたね。私は今、前市長以来、警戒区域設定でいろいろな方が苦労されて大きな経済的損失をこうむった。その人たちに対して何らかの個人補償ができないかということがあったと思うのですね。事実上、私はそういう意味でいいますと、生活再建なしには町やその他の復興もないということが基本じゃないかと思うのですね。したがいまして、特別立法の中心は、そういう意味での、今事実上行っている内容をさらに普遍化していく必要があるのじゃないかと思っています。ですから、その辺の御意見をもう少しお聞きしたいというのが一つです。  それから、申しわけないのですけれども越森町長に一つだけ、これも簡単でいいのですが、被災者自立復興に対する公的救済措置を講ずる必要があると述べられました。これは私も同感です。政府のやり方は、今原形復旧と同時に、自力で復旧するという考え方が強いですね。私は、そこを今改善する必要があるのじゃないかというふうに思っています。ですから、その辺の御意見を賜れればと思います。  以上です。
  23. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 先ほど基金についての被災者に対するのをちょっとだけ申し上げましたけれども、例えば警戒区域設定したためにいろいろ御苦労なさっている人たちに対しては基金の方で、例えば生活雑費支給ということで月二、三万円。被災された方々に対しては、四人世帯につきましては基金の方で十二万円出しておりますけれども、ほかに県の基金で月に三万円出して、十五万円を毎月被災者の方に支払っているということ。あるいは食事供与、それから生活再建資金の貸し付け、これは無利子でございますけれども、あるいはもちろん災害弔慰金、それから国民健康保険の医療費の無料化とか、あるいは住宅等の確保対策につきまして、いろいろ国の制度に乗れないものを県の基金、市の基金できめ細かく対応しているわけでございます。  そういうことで、そこら辺を、この基金を全部整理して特別立法にするのかどうかということになってくると、非常にこれ易しくなってきて、事実島原の場合はもうそれ、個人補償みたいな形を基金で全部対応してきているわけなのですよ。だからそこら辺で、国が今おっしゃるような形でもし特別立法をつくるとされるならば、このような形の内容をしていただければ十分いけると思いますけれども、うちは手っ取り早く基金でずっと対応しているということでございますので、よろしくお願いいたします。  基金で対応するのは五十項目ぐらい実は全部で対応しております。
  24. 越森幸夫

    越森参考人 私のところの災害の場合は、島原吉岡市長さんのところと違いまして一過性ですから、国も県も基金を積んでそれに対応するというようなことはとっておりません。当初は北海道知事もそういう方法があるのかな、義援金の額もそんなに集まってくるとは思わなかったものですから、道も五十億、それから国も五十億ぐらい積んでいただいて、百億ぐらいの資金を積んで、それで対応するというような考えだったらしいんですけれども、余り被害のなかった皆さんにも全国からたくさん集まってきた、その金は奥尻町に向けなさいということになったものですから、ああいう額になったんではないかなと思うのです。  私は、六十一項目の支援事業をつくりました。最初の四十億は見舞金で、死亡者三百万、それから全壊家屋に対して四百万、これらで約四十億使っております。あとの百三十億につきましては、五カ年間にわたって支援事業を行う。例えば、漁船の建造資金だとか、それから先ほど言った住宅建設、これは四人家族まで八百五十万、五人家族以上は九百五十万の助成をする。それから、土地のなかった人には百万を限度としてそういう基金から出していくというようなことでやっております。  そういうことで、私は皆さんのおかげで順調に復興になるんではないかなということを思っておりますけれども、私は、公的な助成、国の事業でもってとにかく何とかそういうあれはならないかと申し上げたのは、これから自立していく段階ではいろいろあるんですよ。制度はそれぞれ使わせていただいておりますけれども、なかなか制度だけでは立ち直れない人もある。  先ほど言ったように、前にもありましたように、昨年度自分で大きなうちをつくった、ローンを払わないうちにまた今度の被災に遭っだということは、二重に、ダブルで払わなきゃならないというような問題があるのです。これらをどうするかということでいろいろ討議したんですけれども、やっぱりその分までを持つということはいかないんじゃないか。それで、利子補給に切りかえるというようなことで、五年間にわたって利子補給をするということを決めたんですけれども。  見舞金なんかは、今度の兵庫県の場合は、最初に十万円ずつ配られたという話を伺ったんですけれども、これは国の金で配られたのかどうかということで聞きましたら、見舞金の、全国から集まってきた中からやったということだから、私は、当初の一部生活資金として考えるのは、国でやはり立法措置を設けてそういう人たちにやるべきではないかというようなことを考えたから、このことを触れたのです。これは、全国の善意に触れることなく、国の措置として災害を受けた者に対してそういうことをするべきじゃないかということを申し上げたわけでございます。  以上です。
  25. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 ただいまの約五十件と申し上げたのは、六十七項目にわたって基金対応いたしております。商工業者の、資金を借りるための利子補給等もありますし、六十七項目について基金の方で対応しておりますので、訂正させていただきます。
  26. 笹川堯

    笹川委員長 それでは、各党代表しての質問を一巡させていただきましたので、これより自由討議を許可をいたしますので、発言する先生方は、挙手をして、委員長の指名に基づいて質問をしていただけるようにお願いをいたします。
  27. 今井宏

    ○今井委員 新進党の今井でございます。  きょうは、早朝から大変御多用の中を委員会参考人としてお出かけくださいまして、大変ありがとうございます。あわせて、三人の首長さんとして、大震災の後の対応で大変御心労もあったかと思います。貴重な御提言をいただきまして、心から感謝を申し上げます。  実は、この委員会は分権を進める委員会でございまして、その視点から一点だけ御質問をさせていただきますが、大変恐縮ですが、鰐淵市長さん、お願い申し上げたいと思います。  先ほどのお話もございましたけれども地方自治体にまだまだ分権されていないのが実態でございまして、この災害に当たって、地方財源はもとより権限というものがあったならば、もっと可及的速やかに対応ができることがあったのではないだろうか。それは、災害が起きたときが一点と、それから、その後の復旧復興の件だと思うのです。  先ほど市長さんからもお話しのように、基本的には、今の制度では災害復旧は原形復旧が原則である、こういうことで、新たな工法等も採択を要望したいというお話もちょうだいしたわけでございますが、市町村行政というのは、国や県と違って縦割りじゃなくて、まさに総合行政であるわけでしょうし、例えば、復興した後の町づくりをする、その土地利用計画を立てる、あるいは都市計画を立てるといったときに、現状では分権されておりませんから、その地域にとって望ましい将来の町づくりをやろうと思っても、大変難しい面があるわけですね。だから、分権を進めよう、こういうことになってくるわけです。地域のことは、一番わかっている地域の判断、地域の考え方を最優先にしてほしい、こういうことだと思うのですね。  避難所はそれぞれ学校を御利用なさっていらっしゃるようですが、その学校に、仮に備蓄倉庫をあらかじめつけるとか、あるいは避難所のときに対応できるために、ふだんは市民に開放しておく給食とは違ったそういったいわゆる給食ができる施設を持っておくとか、あるいは、こういう事故を経験したお年寄りの話を恒常的に子供たちに教えるために触れ合いの老人教室をつくっておくとか、そういったことを仮に復興のときに、校舎が傷んだ、それを直すときにつくろうと思うと、これは文部省の縦割りですから、補助基準の対象じゃないからだめだということになっていると思うのですね、現状では。  そういった意味で、分権を積極的に進めていかなければならないと私は考えておるんですが、実際に、復旧復興に当たられたときに、自治体に分権されていたとするならば、もっと速やかに、もっと将来の、地震に強い町になったんではないか、あるいは災害に強い町になれるんじゃないかという視点で御意見がございましたならば、お聞かせいただきたい、こういうことでございます。
  28. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 今、今井先生いろいろお話しいただいたのですが、今井先生も市長経験者でございますので十分おわかりだとは思うのですが、実は、私も全国市長会の分権の特別委員会委員をしておりまして、一年間そこで研究しておって、政府に提出することになっておりますが、災害に関する分権とのかかわりというのは、今お二人もお話ありましたように、なかなか明確に、こういうことが分権されればよりスムーズに復旧復興もあるいは現場対応もできるんだというのは、余りないんですね。残念ながら、ここだというものはないと思うのです。  ですから、災害時ですから、政府にしても、都道府県にいたしましても、やはり気持ちとしては、市町村から上がりますと、何とか早く臨機に対応しようという気持ちが皆さんおありですので、そういう点では割合と好意的にやっていただける、普通のときの事務処理とは違うと思います。普通のときの事務処理は、これはえらい、都道府県でかなり時間食って、それから中央へ行って、返ってくるときにはもう忘れたころに来るというような、そういうこともございますから、災害のときは、幸い、大変そういう意味では助かっておるわけでございます。  しかし、いろいろ復興段階では、私、いろいろ問題が出てくると思います。これはやはり国の縦割り、例えば都市計画の決定は都道府県知事がやることになっています。私はこれは問題だと思うのですね。都道府県というのは、そこの町の実態を知らずして都市計画の決定をする権限を持つわけですよ。釧路市なら釧路市の実態というのは、釧路市長が一番よく知っているわけですね。ですから、この地域はこういうようにして道路をつくりたい、公園をつくりたい、こうしたいというのは、都市計画決定をするということになれば、これはやはり市長が一番よく知っていると思うのです。それが、たまたま都道府県に行きまして、都道府県の段階で認可されないとこれは仕事ができないわけですね。そのときに、いろいろまた議員さんの方も今度は入りまして、全く、ノーマルな状態がちょっとゆがむこともあり得るんですよ。  ですから、これは私はぜひ、市町村に、ある一定の町村であれば、そういう都市計画決定というものの権限がおりてもいいのではないか。そして、後は報告制度にして、問題があればそれをさらに検討する機関を設けたらいいのではないか。  特に、私どもの中で感じることは、建設省と運輸省というのは非常に共通した問題を持っています。  例えば道路。港湾区域の道路は運輸省、その他は建設省。しかし港湾区域の道路も建設省の道路もこれは一本でつなぐわけなんですね。ですから、港湾でもって端をつないで取りつけ道路をやると、港湾区域を除くとこれは建設省の道路なんです。ところが、これがまたやかましくて、なかなかお互いにスムーズにいかない、これが一つあります。  それから、建設海岸と運輸省の海岸ですね、海岸の縄張りもこれもまた大変なものですね、この辺があります。それから今度は河川の管理者が、釧路の場合は知事が河川管理者。そうすると、河川の中でもって我々は両岸のあれを、プロムナードをつくったいいものをつくりたい、あるいはまた道路も非常に都心部のしゃれたものをつくりたいといっても、国がやりたい、開発庁あたりがやりたいといっても、今度は道がなかなか、いや、治水上がどうのとかなんとかといってなかなかこれがうまくいかない。そういう縦割りというものがいまだにはっきりしておりまして、この辺はやはり相当、地方自治体にかなりの権限をおろす方がむしろ余りごたごたしないのではないか、そういうぐあいに考えています。  それから、一つ私が考えたことは、給食なんかの問題ですが、私どもは幸い自衛隊の野戦用のかまを借りまして、何千食というのをつくっていただきましたし、それから防災訓練なんかには、野外でもって手術したり対応できる立派な医療施設を自衛隊は持っています。あれなんか災害には大変な威力を発揮すると思いますね。ああいうものをうちの市民は全部知っていますので、万が一けが人や何か相当現地で発生するとすれば、そういうお願い一つできると思います。  それから、非常食の問題は、学校給食というのは毎日やっているわけなんです。一年に一回、例えば乾パンだ何だ、缶詰だと買っても、これは五年も十年ももつわけにはいきませんから、どこかで全部使わないと破棄しなければならない、そうするとまた全部新しくしなければいかぬ。これは非常にむだも多いんではないだろうか。  私は、ひとつ学校給食に、一年に一度か二度でいいですから、子供たちに乾パンを食べさせてもいいのではないか。うちの場合、一回で二万食処理できますね。そうすると、それはやはり、非常食というのはこういうものだと、教育上も私いいと思うんですよ。それでそのときにはお汁、例えばつゆ物はやるわけですから、米のかわりに、パンのかわりに乾パンを食べさせる。そういうことによって、一年に一、二回、順繰り、順繰りやれば、常時私どもの市では二万食の非常食が備わっているということになります。これはあえてうちのお金も国のお金も道のお金も要りません。給食会のお金でもって備えることができる。こういうことをやはり文部省はもう少し考えて、督励すべきではないか。そうすると、今のように災害になっても、さあすぐ、非常食はないということが起き得ないわけですね。ですから、そういうことを痛切に感じた次第でございます。  あと、手続上の問題をもっと簡素にしていただければなお幸いだと思う。災害復旧の手続たるや、これはもう私ども不眠不休です。ほとんど技術屋は、恐らく一カ月くらい寝ないんじゃないでしょうか。それで私は、横浜市長さんから、港湾の技術屋を派遣するぞと温かいお言葉をいただきましたが、そのくらい技術屋さんは大変です。ですから、そういったときに余り地方自治体にだけしわ寄せするんではなくて、もう少しそういう復旧の図面、設計、そういったものがスムーズにいけるようにしていただければなおよろしいのではないか、そう思っています。
  29. 越森幸夫

    越森参考人 今、釧路市長さんも申し上げたんですけれども、私もこの災害で、ちょっと認可の関係でなかなか悩んだことがあるんですけれども、非常に膨大な生コンクリートを使うものですから、例えば防潮堤の、十二キロメートル以上に及ぶ、七メーターから十二メーターの高さになるんですけれども、これらは全部対岸の江差町だとか瀬棚とか小樽から運んでくるんですね。これは砂と骨材を運ぶ。それで、うちの山にもあるものですから、何とかその解除をして、保安林を解除しなければ、なかなかそれは採石場の掘削もできないんですね。それなものですから、もう一年前から申請しているけれども、いまだに許可来ていません。  それからもう一つ。景観区域関係があって、例えば今度、皆さん新聞で見たかもしれませんけれども、観音山というのが崩れて、ホテルが埋まった。あそこに四十メーターの、全国から募集した中から壁画をつくった景観があるんです。これは、道の配慮でしゃにむに許可いただきましたけれども、これもなかなか難しくて、景観を壊してはならないというようなそういう何か法律があって、そういうものもつくれないということなんですね。今回は、たまたまそういうふうなことで大きな山の斜面を削るものですから、あそこでコンクリートのそういう、防災上のそういうふうなものをやると非常に情けないような状態になるものですから、そこで、町も義援金の中から二千万を出して、それから林野庁の方でも、そういう工作物に対する助成をしていただきまして、それでつくったんですね。  これもなかなかやはり、当初難しいということを言われたんですけれども、これは知事権限なんですが、これは何とかクリアさせていただきましたけれども、そういう問題などが結構やはり、この権限の移譲という問題で、やはり踏み切っていただきたいなと思うところがあります。  この二点ですね、ちょっと思いつきましたので、済みません。
  30. 山崎広太郎

    ○山崎(広)委員 新進党の山崎ですが、島原市長さんにお尋ねしたいと思います。  市長は、噴火が起こった当時から助役を務めておられたわけですね。今お話聞いていて、島原市でも七千二百名の避難者、三十カ所の避難所に収容して、災害長期化しているから、いろいろ被災者避難者に対する御苦労がたくさんあったと思うんですけれども、今度の、例えば神戸市なんというのは、二十五万人が今もって避難所生活をしておるという状況ですね。これはもうスケール的にいって本当に途方に暮れるような、現場の市長さんにとっては復興ももちろん物すごく頭の痛い話でしょうけれども、この二十五万人の方々の手当てというのは、本当に途方に暮れるような話じゃないかと思うんですよ。果たして自治体として何ができるか。仮設住宅を五万戸とかなんとか言っていますけれども、それで収容できる問題でもないんじゃないか。しかもこれとて時間がかかる。  この辺について、二十一日、十七日から五日目に私単独で神戸へ行って、市長と助役に短時間でございますけれども、お会いしました。かなり茫然たる状況、茫然自失という状況でございました。私は、神戸市は何といったって、日本でいえば最も先進都市ですから、神戸市らしいひとつ手をいろいろ打っていただきたい、それにしても市長さんのお顔が全然出てこないですねということを申し上げたんですけれども、その中で、いわゆる働き手じゃないお年寄りとか、いわゆるお母さんとか子供、この方々はむしろ何というか、どこかに引き取っていただく。ホームステイというとどうなるんでしょうかね、そういうのをもっと呼びかけたらどうですか、そういうことを申し上げたわけですが、この方々が何らかの形で分散するか何かこう、半年か一年しない限り、復興もなかなか手がつかないという状況じゃないだろうか。  だから、自治体として何ができるか。こういう、例えばボランティアを呼びかけたり、あるいはホームステイを呼びかけるということは、自治体としてやるのが難しいんでしょうかね。行政が責任者として、そういうのを市民やほかの市町村住民に呼びかけるということは、やりにくいことなのでしょうか。この辺、どういうふうにお考えになっているのかをお聞きしたいのですが。
  31. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 まず、噴火したときには収入役でございまして、それから、災害が真っただ中になったときに助役になったわけでございます。  そういうことで、今おっしゃったそのホームステイ等で引き取ったらどうかということでございますけれども、神戸の場合と島原の場合は規模が全く違いますけれども、うちの場合も、かなり九州の各自治体から引き取りたい、もう家も用意しているから、農地も用意しているからどうかということで、大変温かい援助をいただいたわけでございまして、それを被災者方々に紹介してみますけれども、やはり、特に島原の場合はよそに出たくないというのがかなり多うございまして、しかも学校を一時、市内のでも、校区を変えなければならないということで、なるたけその校区を変わらないようにという形をやっておりましたけれども、そしてその新しい学校に行くようにと言いましたけれども、子供としては、やはり自分の学校に行きたい、仮設校舎でもいいから自分の学校に行きたいということで、それにつきましてはスクールバスを市の方で用意いたしまして、まとめてそこに運ぶというような形をとっておりまして、やはり、よその自治体にまとまって受け入れる、それはこちらからどうぞいらっしゃいと言うことはできるのですけれども、そこら辺がなかなか実態としてはやはり難しいんじゃないかと思っております。
  32. 笹川堯

    笹川委員長 参考人、何かこれについてありますか。
  33. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 実はその件につきまして、私ども、全道市長会、北海道でございます、市長だけでの会がある、三十二市。それで、どうも災害が頻発しておりますので、やはり都市間でもってひとつその応援態勢、どういう応援態勢をしくかということの協議を開始しよう、こういうことで、北海道の場合は今そういう形で実質的な討議に入ろうということになっています。  そうしますと、どちらかの市で被災を受ける、そういう被災者をいっとき分散をする、こういうことになりますと、そういう市のネットワークの中で可能になってくるのではないか。  ただ一点、個人の、島原なら島原にいたい、どんな状態でもいたいんだ、こういう個人的な執着に対して、それまでもというわけにはなかなか自治体としてはいかないのではないか。希望者は必ず希望に添えるような形のものをひとつやっていこうと、これは北海道市長会ではそういうことで今提案をされて、検討しているところです。
  34. 遠藤利明

    ○遠藤(利)委員 自民党・自由連合の遠藤利明です。  先ほど来、自衛隊の出動がどうのこうのといういろいろな議論がありましたが、その中で意外に見えてこなかった、実際はかなり活動なされたと思いますし、自分被災者である消防団あるいは消防職員がいらっしゃるわけですが、ある報道を見ておりましたときに、あそこのおじいさんならあの二階のどこかに寝ているんだ、そこを捜したら亡くなっておられたけれども、そこに見つかった、そんな記事が私はこの前の中で見つけたんですが、消防団、地域によってはなかなか今なり手がいない。あるいは、場所によっては勤務の関係で、いるのですが、現実に対応がなかなかできない、そういうふうな現状にあるわけですが、しかし、先ほどの消火がもっと早くできれば、そんないろいろな話の中で、まさしく消防というのは自衛といいますか、国の機関というよりも自治体機関の中でいろいろ活動されているわけですが、なかなかその待遇の面で厳しいわけですし、そういう意味でもなり手がなかなか難しい。  そういうことに関して、消防団の育成といいますか活用、こういうことについてどういうふうに考えていらっしゃるのか。まず一つ、これはどなたがいいですか。島原の市長さんにお伺いをしたい。  それからもう一つ、これは奥尻島の町長さんもそうですし、釧路の市長さんからもお話があったのですが、情報がなかなか思うようにつかめない。それでNHKの電話をそのままということがあったわけですが、釧路の市長さんにお伺いしたいのですが、さっき衛星通信という話がございました。どちらかというと、電話で、あるいは無線ということだけになりますが、今幾つか衛星通信、あいているチャンネルがあるはずなんですね。国あるいは県、そして各種機関、自衛隊も含めて、そういうものとのネットワークをきちっとつくっていければ、どこにいらっしゃっても、例えば市長さんが出張されていてもすぐ連絡がとれる、そんなシステムがあれば現状把握ができますし、それについても早期の対応が出てくるのではないかな、そんな意味で、そのネットワークをどういうふうな形で構築されると市長さんとして対応がしやすいのか。そこら辺を釧路の市長さんにお伺いしたいと思います。
  35. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 消防団の活用でございますけれども、御案内のとおり、うちの場合は五月十五日から土石流発生いたしまして、橋が流れるという状態でありましたので、消防団が十分警戒しておりまして、避難勧告等につきましては消防団が誘導するという形をとっておったわけでございますけれども、想像もしなかったあの火砕流がおりてきまして、消防団の方も十二名の方が殉職されたわけでございますけれども、それで、火砕流そのものにつきましては、一応避難勧告等を行いますとすぐ地域の消防団が出て当たっていただいております。それから、土石流に対する情報を出しますと、やはり消防団の人が、その関係する分団が出ていって、どこが危険なところだからということで、どこら辺におればいいということも即時に対応してもらっております。  そういうことで、消防団の方は地域の出身でございますので、独居老人とかひとり暮らしというのは十分把握して、常々把握しておられます。  それともう一つは、広域消防の中から、広域圏の消防で、要するに常備消防でございますけれども、これはちゃんといつも、いつ何とき火事とかあるいはそういうふうな危険なことがあったときは、すぐ助けをしなければいけないという老人とかひとり暮らしの人は、チェックを十分しておるところでございます。  それから、組織としては、うちの場合は——情報伝達システムにつきましては釧路市長さんのあれでございますけれども島原市の災害対策本部からそれぞれ測候所、気象台、九大の観測所、県の災害対策本部、それから陸上自衛隊ということについても、一斉に伝達できるようになっております。たまたまうちの場合は平成二年十一月十七日、二百年ぶりに普賢岳が噴火しましたから、二百年前はその直後に、直後というか、しばらくしましてから島原市の中心街の眉山が崩壊して一万五千名が亡くなったということで、またそれの対応が必要じゃないかということで、常々自衛隊も海上保安庁も警察も、避難誘導するときはどうすればいいかとそれぞれの機関でやっていただいてもおりましたし、だから自衛隊等につきましてもスムーズに入ってこれたということでございます。
  36. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 それでは、私の方からお答えをいたします。  消防団につきましては、先生もおっしゃったように、大変最近若い方の隊員が少なくなってまいりまして、非常に地方としては悩みの一つでございます。したがって、私どもとしては、今できるだけ消防団員の若返り、こういうことについて消防庁お願いをしまして、今その辺の充実を期しているところであります。それから、今婦人消防団というのも組織されておりまして、こちらの方も同時に充実していく。  これは、なぜ消防が非常に災害にいいかというと、消防は細かく団組織になっておりまして、その団から分団になりますと、消防は絶えず家の実態を把握しておりますし、そこにだれが住んでいるかということもよく知っておられる。したがって、消防団の方が出動されますと、災害のときは、非常にそういうしっかりとした情報を地域では持っておられますから、救助には実に速やかな対応ができる。ですから、私ども火災が少ないのも非常にそういうことで助けられているわけですが、悩みはもう少し若返りを図っていかなくてはならないということであります。  それから無線につきましては、先ほど私もお話し申し上げましたとおり、この震災を経て移動系の無線百二十六台を新しく設置しまして、そのほかにCRPという移動無線ですね、これも新しくつくりましたし、それから消防などは各分団、移動を含めてかなりの数の無線がございます。したがって、無線での通信は十分に対応できるようになっておりますので、情報の途絶というのはまずほとんどないだろうというぐあいに考えております。  それから、実際防災局は国土庁にありまして、国土庁が防災担当の省庁ですが、私考えるに、国土庁というのはいわゆるブレーン部門、ゼネラルスタッフではないか、どちらかというと。国土庁の職員も各省庁から集まってきておると思いますね。国土庁のプロパーというのがすべてをやっておるわけではない。そうすると、どうも国土庁が一つの統率をとるためにそういうものが弊害になってはいないか。それから、手足の部分がないですね、手足の部分が。自治省は消防があります。警察もあります。そうすると自治省が、むしろ末端の情報の収集は一番速やかにとれるのは消防とか警察だと思うのですね。  そういうことを考えると、一体防災の中枢というものはどの官庁がどのようにすべきかということは、これは先生方のこれからの議論になると思いますが、やはり一考に値するのではないか、私はそのように考えます。  ですから、私どもが出張して例えば国土庁とかに聞いても、わかりません、テレビのニュースを見てくださいと。これでは心もとないわけですよ。やはりいつ何どき自分のところがどんな状態でやられているか。詳しい情報は要らないのです。例えば家屋の倒壊があるか、火災が出ているか、あるいは道路が寸断されているか、鉄道が寸断されているか、こういう簡単な情報でもいいから知りたいと思っても、なかなか東京にいると現地の模様がわからない、もちろん電話は不通ですから。ですから、そういうことを国で、官庁で用意されておれば、いっとき安心できるわけです。  私は次の日の朝一番の飛行機で帰りまして、飛行場からすぐ防災服に着がえて災害地に直行したわけですが、そんなことも十分御検討賜れば大変幸いである、このように思います。
  37. 蓮実進

    ○蓮実委員 自由民主党の蓮実進でございます。  きょう三人の参考人の方からいろいろお話を承りまして、実は私は予算委員会災害問題で何日か出させていただいてお聞きしたのですが、非常に実のある話をお聞かせいただきまして、大変ありがとうございます。私は、これが本来の委員会かなということで感銘をしておるわけであります。  実は、私二点だけお伺いしたいのですが、今回の阪神大震災の教訓から、我が国がどうも危機管理体制がなっていないということが世界的にはっきりしてしまったわけですね。法律制度のすきをつかれて立ち往生を繰り返しても始まりません。  そこで、危機管理というと何か別の意図があると嫌がる風潮がありますけれども、この点についてどうお考えになっておられるか。何か一元的体制を整えて地方にも権限を与えるべきだというふうに思いますが、どうでしょうかということが一点。  もう一つは、先ほどちょっとお話がありましたが、今回阪神大震災で一番大きな問題の一つに、都市であり、広範なるがゆえに地震後の情報が地域住民に十分に伝わらなかったという反省が実は行われております。テレビやラジオが幾ら大報道陣を現地に送り込んでも、被害を受けて避難している地域住民には役に立つ情報がちっとも送られていなかった。目前で地域住民に知らせる必要があると思いますが、どうでしょうか。防災無線で十分という意見もありますけれども、何か特別に独自のものをつくったらどうだろうかと思いますが、いかがでしょうか。  この二点をお伺いいたしたいと思います。どなたでも結構です。
  38. 越森幸夫

    越森参考人 私は何回かテレビに出していただきまして、そのことも言ってきた経過があるのですけれども、例えば瓦れきの処置にしても、なかなかこれは、最初被害者の一部負担なんという問題も出ておりましたね。私は、やはりこういうことは国の責任において全部やるべきだ、それは国の責任だといっても、一々国からの指示が出るのを待っていたのではなかなかできません。したがって、例えば神戸なら神戸全体の中で、神戸でも三宮でも北淡町でも同じなんですけれども、そういう場合は首長の権限としてやらせていただく。  奥尻の場合は、大半は津波で流されたし、火事で焼けたり、あとは基礎なんかの瓦れきのものしかないからいいけれども、今回のような神戸の場合は、投げる場所だってないような状況。だから、それは自分たちだけで、自分たちの教訓を生かすという意味からいくと、今まで経験がなかったから戸惑いもあるのかもしれませんけれども、そこは首長の判断に任せていただいてやる。後からそれは特別交付税で見るとか見ないとかというような問題になってくるかもしれませんけれども、当然それは首長の権限で私はやらせていただきたいな、やってもらいたいな、こう思っております。  それから、伝達の関係で情報がなかなか行き届いてないという問題が言われましたけれども、これは先ほど私が提唱したように、これから災害省とかそういうものがつくられるのかもしれませんけれども、やはり衛星通信なんかのこういう安全な通信法によって知らせることができるような、たくさんの金がかかると思いますけれども、そういう施設を私はつくってほしい。何もこれは、一般の家庭の電波を通じてテレビに流れるのかどうかわかりません、ああいう状態になると。そのためにどこか皆さんが集まれるような広場にそういう通信も流れてくるような、そういう衛星通信システムを、やはり防災地域指定した上でそこに流れるようにしていただきたい。これは個人の住宅が壊れちゃったらもう出ませんから。そういうことの必要性があるのじゃないかなと思っておりまして、それでこの衛星通信システムを使いながらそういう施設をつくってほしいなということを申し上げた。  私の町は全戸に無線機は入っています。だから、壊れない限りは流れていきますけれども、壊れた場合でも、もう三十何カ所に電柱と同じようなものに拡声器をつけてそこから流れるようにしてありますよ。ありますけれども、それだってあのような大きな津波で施設が壊れちゃうと、相当倒れましたから、それもできなくなる。だから、そういう安全地帯にそういうことがすぐわかるような、そういう衛星放送を使ったものを設置したらどうかな、こういう考え方です。
  39. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 私の方は危機管理の点について一つですが、これはやはり生命と財産を守るという意味で危機管理するとすれば、私はこれは自衛隊であろうがなかろうが、国民の生命と財産を守っていただくことについては何ら異論ないのではないか。  しかも、今自衛隊以上に訓練と機動力とを持っているものが何か日本の国内にあるでしょうか。私は、やはりあれだけの国税、税金をもちろん使い、日夜訓練をし、専守防衛ということでやっておられるわけでありますから、一たび日本の国土で災害発生し、日本の国民の生命と財産が危機に瀕しているときにこそ、その日ごろの訓練と機動力を発揮していただいて、命と財産を守っていくということは何ら私は矛盾しない、このように思います、これは何も戦争するわけでもございませんし。ですから私は、大いに自衛隊の皆さんに働いていただくということをぜひお願いしたい、このように思います。  それから、特に、私ども、情報の伝達につきましては、何回かの震災で大変苦い経験をしておりますから、この情報の伝達というのは災害処理する段階では非常に大事な分野です。  それで、無線機器を装備し、私どものFM釧路というのがあるのですが、そのFM釧路あるいはそれぞれの民放、NHKさんを通じて、これは全部壊れるというわけではないと思いますので、市としては、それらの情報を逐一FM釧路にも乗せますし、あとは地方の放送局にもお願いをして逐一流していただく。そうすると、避難されている場所等においては、電池式のラジオさえ持っていけば全部受信できるわけです。そうすると、逐一どうなっているかということを知ることが可能であるということですから、情報が全く途絶えるということはないのではないか。そういう意味での訓練も、さらにこれから私どもとしては重ねていきたい、このように思っております。
  40. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 島原市の場合につきましては、二年の十一月十七日から災対本部をつくりまして、それから現在まで二十四時間体制で当たっております。  そういうことで、いつでも、いざ有事のときには、先ほど申しましたような機関に同時に連絡できるようになっておりますし、それから自衛隊も、現在でも派遣隊が百名程度島原におっていただいております。そういうことで、むしろ今自衛隊が島原におっていただいているから島原市民が安心しているということもありますけれども、特に、まだ警戒区域設定している中でのいろいろな、カメラを設置したりあるいは電池をかえたりするようなときについては、もう自衛隊以外にはないわけでございます。  したがって、訓練もされておりますし、そういうことで自衛隊にいろいろ応急工事等もお世話になっておりますけれども、自衛隊、それからそれ以外の地域では警察にいろいろ仕事をしてもらっておりますけれども、それが今一体になって、すぐ同時に情報伝達ができるということになっておるわけでございます。  それから、ちょっとこれは申し上げたいのですけれども、これは私たちの体験からでございます。今度の災害もそうですけれども、よくマスコミから流れてくるのは、何が足らない、水が欲しい、毛布が欲しいということで、特に我が島原市の場合は、本当に全国的に有名な水の都ではないか、どうして水を送らないんだ、市民はそういうふうなことを言ってくるんですけれども、いや、今そのような状態で水を送ったらどのような形で配布されるか、そこら辺は十分考えて、今すぐそういう中で水を送るのほかえって迷惑がかかるんじゃないかということで、水は送らずに毛布だけにしました。  そういうことで、水が足りない、毛布が足りない、何が欲しいとぱっとテレビで出てきますと、市民はすぐそれを持っていこうとするわけでございます。  したがいまして、ここら辺は、今は大変と思いますけれども災害対策本部あたりと十分連絡をとっていただいて、それを流していただくということにすると適切にいくんじゃないか。事実、水が足りない、何が足りないと言うから、市役所にすぐ持っていきますけれどもどうでしょうかと言うから、いや、それは今持ってきてもらったんじゃとても対応できませんというような形がありますから、私たちもそこら辺は報道とあるいは行政と使い分けしておりますけれども。  そういうことで、特に、救援物資を送る等につきましては、それでは島原でどういうふうな形が一番困ったのか。今、奥尻の町長さんもおっしゃいましたけれども、何しろ個人個人に送ってくるのは、義援金が入っている、食料品が入っている、毛布が入っている、そんなのが全部あるんですけれども、それを分けて、それからずっと配布していくということになりますから、膨大な人手が要るわけです。  したがいまして、島原では、それじゃその逆でいこうということで、まず新品のものを提供してください、あるいはそれに準じたものをお願いしますということで、そしてそれを各公民館に持ってきてもらいまして、それを老人会が受け付けて、そしてそれを一カ所の集会所に持っていきまして、それを今度婦人会で分けております。紳士物の長いシャツ、短いシャツ、L、M、Sということまでずっと区分けいたしまして、そして紳士物の下着のLが百枚入っておりますというふうな形で今仕分けして送ろうとしておりますけれども、こういうふうなことをしてもらうと、本当に受け入れ側は助かるわけでございます。  そしてまた、中古でもこれは非常にいいなというものにつきましては、クリーニングに全部出しまして、そして、クリーニングして、ビニールに包んで、そしてそれも仕分けして出しているという形でございますので、ちょっと参考までにお知らせしておきたいと思います。     〔委員長退席、山本(拓)委員長代理着席〕
  41. 佐藤茂樹

    ○佐藤(茂)委員 新進党の佐藤茂樹でございます。  きょうは、三人の御参考人皆さん、貴重な御意見を開陳していただきまして、まことにありがとうございます。時間も限られておりますので、越森奥尻町町長さんに限って、二点お伺いしたいと思うのです。  あらかじめいただいた資料を見ますと、先ほどもお話がございましたけれども南西沖地震が起きましてから十八分後に町長さんの方から自衛隊に対して要請も出されている。さらに驚くべきことは、もう起きた瞬間に檜山支庁の方で、函館の自衛隊第二八普通科連隊等にもう既に出動要請を出されているという。  今回の兵庫県と一概に比べるわけにはいかないと思うのですけれども知事自体、また市長自体も被災者で、家もつぶれたという状態もありましたので十時になったみたいなんですが、それ以上に、防衛庁の方に確認しますと、日ごろから神戸市、関西地域全般なんですけれども、神戸市や兵庫県と自衛隊とのコミュニケーションといいますか、そういうものがほとんどない状態だったというのが非常に大きな問題点として挙げられておるわけです。奥尻町あるいは檜山支庁という単位で、日ごろから防災訓練あるいは防災計画をある程度、相当考えたものをつくられたり、訓練されていたのかどうかということ。また、今後、やはりそういう災害を経験されて、地方自治体と自衛隊との関係のあり方についてどのように考えておられみのかということをまず一点お聞きしたいのです。  もう一つは、二十一日の日に、通常国会召集日の次の日ですけれども、私もトラック二台で救援物資を持って神戸市に行ったのですが、神戸市役所へ行くよりも避難地へ行こうということで、何カ所か、甲南大学とか本山第二小学校というところに行ったのですけれども、ちょっと聞くところによると、これは今も変わっていないのですが、具体的にその避難地の管理者が、行政の人がだれもついてないのですね。本山第二小学校なんというのは、女性の岩本先生だったと思うのですけれども、校長先生が今も管理されているという、そういう状態が、もう三週間たつのに変わらない。あと二、三のボランティアのメンバーの方が協力されているという。だんだん時間もたってくると、避難されている人たちの中で自主的なネットワークができて、リーダー格の人が自然にできたりしているのです。  そのときに、率直ないろんな要請とかを受けたのは、行政と政治が非常に逃げているんじゃないのかと。ここの、例えばこういう避難地だけじゃなくて、ほかのいっぱい小さな避難地に対してもだれ一人としてそういう行政の人が来たこともないし、その時点ではですよ、また、きちっとしたそういう連絡役としていないんだ、そういう話をされたわけです。多分、今回の被災も長工場になると思うのですけれども、奥尻町の場合、多分、町役場の人たちの数というのは非常に限られたと思うのですけれども、そういう意味での周りの広域的な、周りの地方自治体からの応援態勢がどうであったのか、特に人の応援態勢とか、そういうことを含めてお聞かせ願えればありがたいのです。     〔山本(拓)委員長代理退席、委員長着席〕
  42. 越森幸夫

    越森参考人 自治体の要請が十八分後というのは、これは、先ほど言ったように、私と檜山支庁長との無線連絡が通じたということで、私は役場と百メーターぐらいしか離れておりませんから、もうすぐ役場に駆け出していっだら、既に職員が二人ほど集まっておりましたけれども、そういう関係で、間もなく支庁との連絡は無線でつながったのです。  これは、北海道知事の方から支庁長に権限を委譲しておりまして、支庁長と首長の判断でやれということになっておりますから、それで私の方からすぐ十八分後に要請できたということで、比較的早い状況でなったのではないかな。  それから、自衛隊との合同訓練はしておりません。だけれども、町はやっております。今回、自衛隊もおりますものですから、自衛隊の群司令の方から町長の日程が落ちついたら合同の訓練をしましょうということで、これは一緒に、同時に大型防災訓練をやるということで約束をしております。間もなく、これは春の段階でやりたいなと思っております。  それから、自衛隊の関係は、ああいう小さな島ですから、人口五千人足らずですから、しょっちゅういろいろな面で交流しておりますから、そんなことで非常にやりやすくやっております。自衛隊に対するアレルギー等は全く私の方ではございません。自衛隊募集もやっておりますし、いろいろ、自衛隊のそういう若い隊員の送別会なんかも町長室に来ていただいて激励をしております。そんなこともやっております。  それから、最後の避難所の管理の問題は、これもやはり神戸なんかと違って小さな町ですから、役場職員といえども全部の家庭、ほとんどわかっているのです。私も千六百何十世帯のどこにおばあさんがいるか、じいさんがいるか、全部わかります。選挙をやる人は皆さんそうだと思いますけれども、そういうことで、そういうアレルギーというのはないのですよ。みんなが親身になってやりますから、だから、避難所に入った人は入った人たちでやはりリーダー格を決めていただいて、それに役場の人が指示してやってもらうという方向でやっています。  それから、近隣からのボランティアというのは、檜山管内十町の町があるのですけれども、それぞれたくさんの皆さんに来ていただきました。釧路の市長さんの奥さんも先頭に立って、わざわざ釧路から来ていただいて、そういうボランティアをしていただいたというような経過もありまして、非常に私どもの町はうまくいったなと思っております。  そんなことでございます。
  43. 畠山健治郎

    ○畠山委員 時間もなくなりましたので、ルール違反になりますけれども、奥尻の町長さんと釧路の市長さん、お願いいたしたいと思います。  今、兵庫県下で統一地方選挙、やれるのかやれないのか、大変まだ判断に苦しんでおるようでありますが、それのための参考にさせていただきたいということで、たしか一昨年の七月、災害時ですけれども国政選挙をおやりになった経験がおありだというふうに思います。投票所の確保あるいは執行事務等々で大変御難儀なさったというふうに思います。事務執行に当たっての具体的な問題点等がございましたならば、ぜひひとつお聞かせいただきたいと思います。  それから、釧路の市長さんに二点ばかりお尋ねをしたいと思いますが、兵庫の経験でも教訓として生かされておるわけですが、ライフラインをどう早く復旧させるかというような問題が最大の課題かと思います。そのライフラインは、民間の施設あるいは公的な施設、それぞれあるわけでありますが、災害時でなければ効果を発揮しないということになりますけれども、やはりバックアップ体制ということで、官民含めて先行投資の格好で、先行投資をして確保しておく必要があるのではないだろうかな、少しオーバーかもしれませんけれども、もしその辺のことで御意見があるとすればお聞かせをいただきたいというのが一つであります。  二つ目の問題は、災害復旧に当たっての公営企業に対する国の財政援助の実態、これはほとんどないというふうに基本的に言っていいかと思います。自前の負担だけで復旧するというようなことになりますと、どうしてもいつかの時点で利用者負担という形あるいは料金値上げというような形ではね返ってくることになろうかと思います。ぜひひとつ、この際、災害時における地方公営企業に対する国の財政援助をしっかりさせなければいけないのではないだろうかというふうに考えますけれども、御意見がございましたらお聞かせを願いたいと思います。  以上です。
  44. 越森幸夫

    越森参考人 最初の選挙の部分について、私の町は御承知のように七月十二日に災害発生したわけですね。それで、十八日に衆議院の選挙が行われたのです。これは自治省でも無理ではないかというような話があったのです。でも、役場としてはやはり役場の機能は失っておりませんから、それぞれ残された場所で皆さん従来どおりとにかく役場職員が一生懸命になってやっていただくということで、いつもだったら九〇%近いあれで入るのですけれども、全体で七〇%ちょっとだったと思いますけれども、亡くなった方もおりますから、そんなことで無事皆さん協力し合いながら実施いたしました。そのことで、自治省からは特別感謝状をいただいております。  そんなことで、本当に頑張りました。役場の職員も頑張ったのではないかなと思っておりまして、平生どおり、多少投票率は減りましたけれども皆さんよく頑張ったなと思っております。  以上です。
  45. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 ライフラインの関係でございますが、私どもは比較的、ガスの復旧が少しおくれた程度で、速やかに復旧できたわけですが、特に、ガスにつきましては、こういった教訓を生かしまして、ガスは民間でやっております。そこで、地震発生しますとマイコンメーターが稼働しまして、自動的に供給ストップになるわけでございます。これがもう既に二一%普及しておりますから、あとこれが徐々にやっていくとだんだん普及率が高くなっていきまして、こうなりますと、地震が起きるとガスはとまりますから、阪神のように青い炎でいつまででもガスが残って燃えるというようなことはなくなるわけであります。それから、ガスの漏出によってガス中毒で死ぬという方もいなくなる、こういうことで、その教訓を生かしておるわけでございます。  それから、電気関係につきましては、特に電柱に上がっている変圧器、これが倒れれば別ですが、かなりの揺れでも変圧器が落ちないような強度のとめ金でもってとめておりますので、これは恐らく神戸の比ではないと思います。かなりの強度、恐らく五倍、六倍の強度でやっておりますから、変圧器はほとんど落ちないということで、これが停電を少なくしているのではないか、このように思います。  それから、電話は被害が非常に少なかったのですが、これはテレビで緊急電話以外は電話をかけないでほしいということを徹底的に各マスコミの皆さんお願いをして、このことがかなり有効に作動しておりまして、必要な電話はつながるような形になっておった。それから、災害の優先電話というのがあるのですが、これが非常に利用が高かったということも幸いであったかと思います。  それから、水道の場合、私どもの水道施設は北海道で函館に次いで二番目に古いところなのですが、最初の敷設した管は地震ですぐにだめになってしまうのです。それで、私どもは、ライフラインということで、老朽した管を年次的に取りかえておりまして、今時に大きな浄水場、それから取水ポンプ、こういったものにつながる非常に重要なところは全部耐震性の管になっておりまして、したがって、これについてはほとんど被害がなかった。あるいは普通の管も伸縮自在な管を今埋めておりまして、まだ全部行き渡っておりませんが、あと数年間では大体全市に行くであろう、このように思います。そういったことで、断水の被害が非常に少なかった。  ガス関係につきましては、先ほど申し上げましたとおり日本瓦斯協会というのがございまして、全国から八百人の方が見えられました。大阪の方からももちろん来ていただきました。私どものガス会社も約六班編成で大阪に今派遣しております。  当時大阪の人が、厳寒期に来ましたものですから、地層が一メーター三十もいわゆる凍結しているということは経験したことがないのですね。ですから、まず現場に歩くまでに三回か四回転ぶのです、氷の上で。スパイクつきのような長靴を全部買っていただかないと現場へ行ってもなかなか作業ができない。それからいろいろな掘る機械をやっても、氷というのはコンクリよりかたいですから、それにはね飛ばされるということで非常に苦労いたしまして、夜中もやっていただきました。ですから、風邪を引いたり、鼻水垂らしたりしておりましたが、近所の方が全部、真夜中でも炊き出しをしたり、お汁粉をつくったりして激励したわけなんです。それで、ガスがかなりおくれましたけれども、だれ一人釧路市民はそれに対して文句を言う人はほとんどいなかったのです。  それで、大阪の人が言いました。私どもはガスに何かトラブルがあると、工事やっている最中から、何だ、早くやれ、こういって言われるというのですね。釧路へ来たら、むしろ風邪引くなよ、頑張ってほしい、こういって激励されたと言って涙こぼして喜んでおられました。  その後、その近辺の小学生が、約四百名か五百名の小学生が全員作文を書いて、ガスのおじさんありがとうございますという、ガスの作文を書いて、そして日本瓦斯協会にお礼の作文を送ったのです。そうしたら、東京瓦斯の社長さんがそれを見て感激いたしまして、全部その作文を本にいたしまして、全国のガス会社に全部それを配付いたしました。  ですから、子供たちもガスの復旧で非常に努力をした姿を見て、子供自体も深い感銘を受けて、そしてガスが通ったときはみんなはねるような喜びだった、こういうことで大変エピソードも残っておるわけですが、大変こういう意味ではライフラインは大切なものだということで、日常の備えを私ども現在しているところです。  企業会計につきましては、先生おっしゃるとおり、全くこれは今のところは自前負担ということになっております。したがって、これは自前負担になりますと、利用者に料金をはね返らせるものですから、これはとても、荷役料を二倍にしたら、そこに荷物が揚がらないことになります。これは恐らく神戸も百二十何基のローダーがみんなやられたということですから、これはもう物損でもって会社のものもあれば、企業会計のものもあると思うのですが、これは同じことが言えると思いますが、ぜひこれについては、私ども国にお願いをいたしまして、国でもそういった事情を賢察していただいて、交付税措置をしていただきました。したがって、そういうような形でこれがルール化されれば、大変災害時には安心できるのではないか、こういうふうに思います。
  46. 吉田治

    ○吉田(治)委員 新進党の吉田治です。出身地は、今釧路市長さんに言っていただきました大阪瓦斯の地元でございまして、そのお話を聞いておりまして、本当に何というのですか、地域の違いというのですか、都市と地方の違いというものを感じまして、できて当たり前、よくて当たり前、遅ければ何をしているんだという地域と、してくれてありがとうというところの、やはり災害においてのそれぞれの住民の意識というのですか、そういうのが非常に大きいのかなという感じがしております。  特に鰐淵市長さんにおかれましては、昨年、商工委員会の視察で釧路にお伺いさせていただいて、ああこんな地震があったのか、まあ正直申しまして、大阪では絶対起こらない、近畿の方では起こらないと思っておりまして、ああいう地震が起こってふっと思いついたのが、あのときは助役さんにお世話になりまして、助役さんの顔でして、もう本当に大変でしたんですよというのを、本当に今そのときを思い出して、えらいことになったなと思いまして、二点ほど釧路市長さんと島原の市長さんにお聞かせいただきたい点がございます。  一点は、これはそういうことはないと思うのですけれども、すぐに地震もしくは災害が起こった場合に災害対策本部設置されて、市それから警察、消防、自衛隊という形でそれぞれ復旧並びに復興に尽力されると思うのですけれども、その場合の対策本部の形というのですか、例えば警察、消防からは一人ずつ人が派遣されているとか、いやそうではなくて、別々にやって電話連絡をしているとか、そういうふうなところを教えていただきたいのが一点。  その場合において、市長として何かこう、権限的な部分、また方法論において困ったこと、足らなかったこと、緊急時には、例えば警察のそういう警察犬までちょっと自分が指示できればいいなとか、そういうふうな部分がありましたら教えていただきたいのと同時に、吉岡市長さんにおかれましては、当時鐘ヶ江市長さんという非常に全国的に有名な市長さんがどんどん出られていまして、そのときの助役また収入役としてずっと見られていて、市長さんのこういうところ、こういう部分というのをもっと何か権限として、それからいろいろな部分で多くできればいいなというのがありましたら教えていただきたいということでございます。  それから、これはもう釧路の市長さんだけにお聞きしたいと思うのですけれども、時間の関係上。お話を聞いておりまして、行政の話は非常によくわかるのですけれども、いざというときの情報収集なり発信なりにおける議会というものは、どういうふうな取り扱いを防災計画なりなんなりの中でされていたのか。  これは何かと申しますと、大阪出身の議員、何人かおりますが、私ども五時四十六分、震度四、私の家のたんすの上のものがどんどん落ちてくるわけですね。これはこのままここで死んでしまうのかなと思いまして、十分、十五分たって地震がおさまって、じゃ、その後、まあ国会議員さんまだかなと、そういうことは絶対思いませんけれども、どこかから何かの連絡が入るのか、だれか来るのかというと、だれからも、どこからも、何も連絡がない。テレビを見ていると大変なことになっているというので、すぐ車を運転して、地元の市会議員さん、府会議員さんとずっと回っていく、地域の方回っていくと、それぞれの地域の区役所なり消防署からはどんどんどんどん連絡が行っいる。第一義はやはり地方議員さんだと思うのですけれども、その辺の位置づけというふうなものをどういうふうにされていたのか。こういう非常事態に、私は議員がしゃしゃり出ていろいろするというのは非常にいかがかと思うのですけれども、その辺の位置づけというのですか、扱いというものをちょっと教えていただければと思います。
  47. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 災害発生いたしました、特に大火砕流発生した六月三日からは、それぞれ市の災害対策本部に警察からも自衛隊からも、それから消防署、全部本部に詰めていただきまして、二十四時間体制でずっとやってきました。特に指揮命令という形で直接指揮したということは、ちょっと今私も当時のことは覚えておりませんけれども、しかし、こういうふうな方向で行こうということになったときに、それぞれの本部に詰めておられる方々が市の災害対策本部の行動に合わせて動いてもらうということはとったようでございます。  自衛隊にいたしましても、例えば死体捜索をしていただきたいということで、県を通じて、もちろん自衛隊はそこにおられますから、自衛隊も、そういうことで自衛隊にお願いしたいということになれば同時に自衛隊まで、本部の自衛隊の人から向こうに通じるわけですね。そして、うちはうちでまた県の方に通じていくという形をとっておりますし、だからそれ以後につきましては、非常に体制は順調にいったのじゃないかと思っておるところでございます。  それから、収入役、助役をしておったときに市長との関係はどうだったのかという御趣旨じゃなかったかと思います。そうですかね。
  48. 吉田治

    ○吉田(治)委員 今、現職市長でいらっしゃいますけれども、当時助役、収入役という形で市長の活躍ぶりを見られていて、対策本部なり復興の過程において、こういうものを市長さんに権限としてもっとあればよかったのではないかなとか、そういうふうな部分を教えていただければと思います。
  49. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 当時私が、市長はそれこそいろいろ大変でお忙しいということで、当時収入役でございましたけれども、助役が御病気でございましたので、むしろ内部を取り仕切ったという形になって、そして市長にずっとつなぐという形をとってきたつもりでございまして、だから、自衛隊の派遣にいたしましても、常時自衛隊の方々が眉山警戒でしょっちゅう出入りしていただいておった関係で、うちが自衛隊派遣をしなければいけないというときには、もう恐らく自衛隊の方にも連絡が行っておったと思うわけでございます。そういうことで、県から行ったときにさっと速やかに自衛隊が来れたという形でございます。  やはりどうしても、後で私が、災害発生して、六月七日の日に収入役の身分で災害対策副本部長という形の辞令をいただきまして、むしろ、市長はいろいろ対応がありますから、外部に出たり外に出たりありますから、そこで副本部長ががっちりとしてそこにおって、そして市の動きを取り仕切るという形が必要だったと思いますけれども、当時を振り返ってみてどういうことかとなってきますと、先ほど言いましたように、さあ公営住宅に入れたいということに対しても、しかし公営住宅法によって所得制限があるとか、これはどうするかということでございましたけれども、まず入れようやということで、これはもう市長の判断で先に入ってもらって、そして後、追認してもらったという、そんなのがかなりありますから、それの制度化等について今後検討していただければと、いろいろそういうような形でございます。市長の判断で、法律を無視してというのはあれですけれども、しなければいけない問題があるわけでございまして、それで、あとは全部国、県からフォローしてもらいましたけれども、そういうのがやはり、苦労されたし、苦労したようなことを覚えております。
  50. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 それでは、私の方から二点お話ししたいと思います。  一つは、本部の参集班員ですが、まず一つは、私ども本部は十九班に、班別になっております。したがって、その班はそれぞれの任務を持っておりまして、その任務に対して情報収集し、それを速やかに本部会議で報告する、こういうシステムになっております。  それで、神戸と私どもの基本的な違いは、職員の通勤時間がまるっきり違います。したがって、私どもは、一つ災害対策本部をつくるときには、震度四の地震が来たら集まることになっております、それから津波は、注意報でも集まる、こういうことですから、一年に多いときは十数回本部は集まるのです。それで、結局集まったら何も災害はないというのも相当ございます。したがって、そういう訓練が行き届いているものですから、大体、本部を開設しますと、今言ったように、三十分以内に五百人ぐらい来る、こういうようなことで、非常に道路事情それから通勤の事情が大都市と違いますので、割合と本部は人が集まる。  その本部の中には、必ず警察、消防も合同に集まっていただいております。そして即刻、交通規制が必要な場合は、本部長から警察に直ちに、どことどこの道路はどうだということをすぐお願いすることになって、それをもって警察はすぐ無線で連絡して、パトカーが走ってすぐ交通規制をするということですから、その辺は、非常に私どもの方は機能しているのではないか、このように思っています。  それから、もう一つは議会ですね。  この災害対策本部は行政で組織しておりますから、議会は構成メンバーに入っておりませんが、私どもの市会議員さんは非常に熱心でございまして、私は、できる限り、ぜひ、オブザーバーで来ていただいて結構ですということを議会に言っておりますので、災害対策本部ができますと、数人の議員さんはその災害対策本部に必ず詰めておられます。そして、本部会議を開くときには、実際、多いときは五、六人の議員さんが出席されて、その状況をつぶさに見ておられますし、そういう意味で、非常にいいのは、そういう実態を議員さんが知っていただくと、ある程度一段落しますと臨時議会を開いて、先ほど言ったように、義援金の配分ですとかあるいはいろいろな応急措置の補正予算ですとか、そういうことをすぐやりますので、その辺はスムーズに、議会も一致協力してやっていただける、こういったことが非常に幸いでなかったか、このように思います。
  51. 中馬弘毅

    ○中馬委員 長時間御苦労さまでございます。  皆様方のところは、それぞれ今お聞きしておりますと、非常に住民の方も冷静に、しかも余り混乱なしに対処されたようでして、やはりそれは、一つは、地方都市として、まだ日本の昔のいい意味での村落共同体、村社会の意識があったのじゃないか。そして、それは相互扶助であり、また自助努力でありますね。そういったことでかなり、今言ったような形で、比較的混乱なく対処できたのじゃないかと思っております。  しかし、今回の神戸であり、また、今後場合によっては起こるかもしれません東京や大阪、横浜といったところでは、これはもう本当にそういったものは崩れております。私もこの間もずっと被災地も見てまいりましたけれども避難所のところで、外では一生懸命寒風の中で、長野から、あるいはまた九州から、四国から、そこから来て一生懸命ボランティアでやっておられる。ところが避難所の中では、いい年をした若いのが布団の中に足を突っ込んで、誤解を恐れず言いますと、漫画の本を読んだり、自分は助けてもらう人、向こうはボランティアをする人、こういったことになっていることを非常に悲しく思いました。  こういったことも、教育の問題かもしれませんが、しかし今後の一つ地方自治体のあり方を考えるときに、やはり、そうしたお互いが助け合う、お互いが自分たちの町は自分たちで何とか、行政に頼らなくても緊急の場合はこれだけのことは最低できるといったようなことが必要じゃないか。それは、いい意味での都市の中における村型社会的なものを、近代的なシステムの中にどう組み込んでいくかということではないかと思うのです。  そういう形で考えたときに、皆様方が逆に、大都市にこういったことがあったらいいんじゃないか、地方都市から見た大都市のあり方に対しての御批判なりあるいはまた建設的な御提言がありましたら、お願いしたいと思っております。  特に釧路の評判がよく、やっておられるようでございますから、まず鰐淵市長から。
  52. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 先生のおっしゃるとおりでありまして、私は、大都市と中小都市、私どものような都市とは、やはり市民の心理状態もまるっきり違うと思うのですね。ですから、私どもはまだいい意味での、お互いに相互扶助の構造が残っておる。それから、子供さん初め、そういった助けに来てくれた方に対する非常な支援する心ですね、今言ったように、黙って、ボランティアをやったら、ボランティアをする人、私は受ける人という、そんな割り切り方ではなくて、ボランティアする人が苦労されておれば一緒に温かいものを差し上げる、スコップがないと言えばスコップを持っていってあげる、非常に共同してやるということが我々の町の場合は残っておるものですから、災害復旧にボランティアで来た方も、それから派遣された方も、非常に誇りというか喜びを持ちながら苦しい中でも頑張っていけるのではないかと思います。  私は、大都市に欠けているのは、やはり都市砂漠と言われるとおり、お隣に住んでおって隣が何をしているか全然わからないというのがもう実態、ですから、災害のときにはそういったことが顕著にあらわれてきて、お互いに相互扶助がなかなかうまく作動しない。  ところが、ちょっとテレビで見ますと、廉売とか、神戸の商店街だとか、こういうところは割合団結心がありますね。あれは、お互いにお祭りをやるときに集まったり何かやるときに集まったりしておるから、そういうことができるのではないか。  したがって、大都市であるけれども、一たん災害になればとてつもないスケールでいろいろな状態も起きるわけですので、そういったときにはやはりもっと単位を小さくしたような相互扶助の自治組織というのですか、あるいは町内組織というのでしょうか、こういったものをこれから行政がひとつ真剣に考えていくべきではなかろうか。そうでなければ、全部批判は市に行くと思うのですよ。市、何をやっているか、何をやっているか。これは、百万人の方から何をやっているかと一遍に言われたら、もう市はお手上げたと思いますね。  ですから、そういうような仕組みを今回十分検討されたらいかがか、このように思います。
  53. 中馬弘毅

    ○中馬委員 それと同じ意味で、消防団、自分たちで、町で、島原の場合やっていましたけれども、大都市の場合にはもうどこかの市の消防署に任せてしまって、自分たちの町でそういった自警組織も何もないといったような形ですけれども、それについて何かちょっとアドバイスその他がありましたら。
  54. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 島原市の場合は、小さい都市でございますので、特に避難所においては、神戸とは規模が違いますけれども、七千名の人たちを町内単位にまず扱った。そこに二十四時間市の職員を配置しましたけれども、どちらかというとそこの出身の職員を、被災者でもありますけれども自分たちも一緒に体育館に避難しておりながら、市の職員が本部と連絡とりながら、皆さん方の情報とか意見とかを聞いて、そして本部に上げるという形をとっていますから、そういうことで、どちらかと申しますと初めから村意識がある関係で特にトラブルがあるということはないみたいでございます。それから、応援を受けた各自治体の人たちにも、一人じゃ対応できませんので、必ず市の職員が一人と、二人ぐらいの自治体から応援を受けた方を配置して、そしてその市の職員のもとに動いてもらうという形をとりました。  それから、消防団につきましては、大変うちの場合は今度の災害では活躍してもらったわけでございますけれども、これとてやはり避難所あたりでも消防団の方々が率先していろいろな問題を解決していただいたということも事実のようでございますし、それ以外、うちは災害としては土石流被害が絶えず起こる、そのときに住民を誘導するという形を今とっていますけれども、集会所におるときあるいは体育館におるときの消防団活動というのは、宿舎は体育館だけれども土石流の見回りとかなんとか、そこは出ていってもらう、そして情報をまたこちらに伝えるということでございまして、うまくいっているんじゃないかと思っているところでございます。
  55. 富田茂之

    ○富田委員 新進党の富田茂之でございます。  備蓄資材、備蓄食糧といいますか、その点についてちょっとお三方にお伺いしたいんですが、鰐淵市長さんの事前にいただいた資料では、これは自治体ではもうできない、もう少し広域的に考えるべきだというふうに記載されておりました。また、越森町長さんの方からは、企業との提携が必要なんじゃないか、必要なときに必要なものが手に入るようにというような先ほどのお話もありました。  きょうの新聞なんか見ますと、地域によっては、地域的に小さな店舗をいっぱい持っている生協なんかときちんと提携をするような自治体が出てきているというような報道もなされております。お三方の地元の方ではどういうふうにその点やられているのか。企業との提携等、もし話が進んでいるようであれば、参考にお聞かせ願いたいと思います。  それが一点と、もう一つ災害発生直後の国会側からの視察のあり方といいますか、今マスコミの方でもちょっと批判が出ておりますけれども、実は私、平成五年の七月の二十二日に越森町長さんのところに義援金をお届けさせていただきまして、これはもう全く私の当選直後でしたので、当時公明党に所属しておりまして、公明党の千葉県本部ということで議員何名がで勝手に行かしていただきまして、義援金だけお届けして、自分たちで借りた車で島内を見さしていただいたんですけれども、そのときでも町役場はもうごった返していまして、本当に町長さん大変な状況だったのをしっかり覚えておりますが、今回の阪神大震災でも、各党からの視察に対して、時期、方法、またその視察内容等についていろいろ地元からの批判等もあるみたいですので、災害を経験されたお三方の方から、こうあるべきだ、また、こうあってほしかったというようなもし御意見がありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
  56. 越森幸夫

    越森参考人 備蓄の件につきましては、私どもは離島なものですから、大きな備蓄というのは灯油だけが備蓄です、灯油備蓄。これは今回の災害で八百キロタンク二基全部やられましたから、早急にこれはまた自治省の辺地債をお借りして復旧したんですけれども、これが備蓄。  それから、食糧につきましては、一部生協との連携もとっておりまして、これは順調に生協側から入ったきたように思っております。  ただ、当初の五日間くらいの間は、なかなか港が使われるというような状況でなかったものですから、それで小さな漁船で、対岸のそれぞれの近隣市長さんが漁船を仕立てて、米だとか水だとか、それからカップラーメンだとか、そういう即座に対応できるものを持ってきていただいたということで、米はほとんどなくなったというような状況で、最初に米が手に入らないということもその年あったものですから、そんなことで交通の便が離島という関係で特に困った。  この間、北海道から九州までの全国十カ所のキャンペーンで、元気を出しているぞということでお礼がたがた回ったんですけれども、その際に、横浜市長さんから一番先に私に電話が来て、僕もよく知っているものですから、一番欲しいものは何かと言ったならば、今欲しいのは水だと言ったんだけれども、なかなかその水を積んで行くそのルートがどうやっていいかわからなくて、最後は自衛隊の大型ヘリコプターで運んでいただいたというような経緯があったという話をしておりました。そんなことで何とか間に合うことができたんではないかなと思っております。  それから、視察につきましては、大変皆さんお見えになりまして、御無礼したんではないかなと思いまして、直接町長に見舞金を渡したいという人もあったんですけれども、泊まる場所がないものですから、朝の船で来て昼の便で帰っていくというような、またはその日のその便で帰るというようなことなものですから、役場と港は近いということで、もう船客どんどん入ってきまして、私の手元に届けないで、総務とか企画の方に置いていって、私と会われないで帰った人もたくさんいるんじゃないかなと思って、大変申しわけなかったなと思っております。  その反面、僕もなれてなかったものですから、報道陣の関係が約四百名くらい役場の中占領されたようなことになりまして、ほとんど課長とか私どもの机もそのまま土足で上がられて使われたような形になっておりまして、NHKさんだけが順調に自分たちの機械を持ってきてやっていただいたんではないかなと私はこう思っておりましたけれども、そういうことがあって、それが災害のときは私は当然のことかなと思っておったんですよ。これは情報をあれするためには仕方がないことかなと思っておったんだけれども、私自身が電話がけたくても、もうたくさんそこにいるもんだから、かけられなかったというようなこともあって、これからもやっぱりこれから考えることがあるんじゃないかな、こう思っておりました。  それから、ちょっと私に聞かれたことじゃないんだけれども、議員との対応ということで先ほどあったんですけれども、これは本当に議員さんは、先ほど市長さんが言ったように、連日心配して来ていただいておりますけれども、私の方では特別対策委員会というものを議員と私どもとつくりました。これは二十七回くらいに及んだと思います、今日まで。義援金の配分からいろいろな被害者に対するあれだとか、いろいろなことをやりました。これはいろいろ役場の職員が調査に歩いても、一回目の査定と二回目の査定と狂うことがあるんですね。いろいろなそういう問題がありまして、議員さんからもかなり注文がついてくるんです。それで皆さんと一緒に、議員さんと一緒に一軒一軒チェックしながら、これは一部損壊、これは半壊だ、どうだどうだというような形で、それぞれの地域の議員さんおりますから、そんなことでやって、多少の問題はありましたけれども、私は何とかやってきたことができたんではないかなと思っております。これはつけ加えておきます。そんなことです。
  57. 鰐淵俊之

    鰐淵参考人 それじゃ同様の質問にお答えをいたします。  この間、実は私どもの地元北海道の新聞で食糧備蓄をしている市、三十二市のうち何市あるかと、アンケートをとってその発表が出ておりましたが、実に三十二のうち札幌市と釧路市、二市だけなんです。あと三十市はほとんどやっておらないんです。その釧路市に至っても百五十食ですから、これは全然話にならない。うちはやらない方の部類に入っていいんじゃないか。札幌が一万食ということですから、あとはほとんどどこの市もやっていない。これはやっぱり一つは、お金かかるんですね。お金かかって、災害ですからこれはいつ来るかわかりませんが、ほとんど更新するときにそれを投げてしまうような格好になってしまう。なかなか予算つけるのに予算がつけづらいということで、常時備蓄やるのは難しい状況だと思うんですね。  そこで、ただうちの場合は、水というのは、これはどの災害でも一番要求される物ですから、私ども水の備蓄はしているのです。飲料水はいつでも出せるような形になっているのですが、食料の方は今言ったように少なかったのです。それで、先ほどお話ししたように私は、給食年一回、子供たちに備蓄食品を食べてもらおう、一食。災害になったらこういう乾パン食べるんだ、こういうことをやらしてみたいと。これは今私研究をさせておりまして、これができればもうことしじゅうに二万食の備蓄をひとつこういう形でやってみたいなと。そのかわり小、中学生全員、一年に一回備蓄食を食べてもらう。いろいろな批判もあるかもわかりませんが、そうすることによって常時二万食は備蓄できるわけですので、ぜひひとつこれはやってみたいと思っております。  それから、視察の関係です。これは、視察を受けるのは、私どもの本部長あるいは副本部長あるいは大きな被害のある担当班長が大体視察の皆さんにお話しすることになっています。私は、これは確かにいろいろ指示するときに時間的な余裕のないときもありますが、特に、国会議員先生方、道会議員の先生方が来られて実際見ていただいて、私どもが大変助かったのは、現地の実情を目の当たりに見ていただいて、これは公営企業でもって負担したら酪農家が大変だな、これはやはり国の問題としてやらなくてはいけないということで農林省自給飼料課その他にどんどんやっていただいて、国会で相当これは論議いただいたわけです。その結果、いわば、公営企業であっても、いっとき地方交付税、特交の財源によってある程度救済する、こういう形で出てきたというのは、これはもう先生方の御努力のたまものであったということですから、必ずしもどんどんどんどん視察に来ることが、これは迷惑だということではなくて、逆にこうやって生きていくということもあるんだということを私は感じておりますので、これはもう実際やはり見ていただくことは、百聞は一見にしかず、こういうぐあいに思いますので、ぜひ今後もそういう対応をされることがよろしいのではないか、こう思っています。
  58. 笹川堯

    笹川委員長 穀田先生。時間が参りましたのであなたで最後といたしますので、短目にお願いをいたします。
  59. 穀田恵二

    ○穀田委員 吉岡市長に一つだけ。  私も二度ばかり行かせていただきまして、それでああいう災害の備えといいますか観測体制の強化というのは本当に大事だなという実感をしました。ですから、測候所などのそういう体制を本当に強化していただくことがある意味では大切じゃないかなと。今、全国的に見ますと減っていますからね。そういうものに力を入れていく必要があるのじゃないかということについてどうかということと、それと、先ほどありましたように、今の時点でいいますと、例えば一日の食事代が八百五十円とか、それから仮設の期限が二年間とか、不備な点が随分ありますね。ですから、先ほど釧路市長から都市が共同で支援体制を組んでおられるというお話がございましたけれども被災を受けた都市の連、都市連と言ってはおかしいのですけれども、できればそういう方々がぜひそういうことで一度物申していただいて、これは先ほどあった補助率の拡大や補助対象の拡大というのを含めて、一度そういうふうな御意見を賜ってまとめてやっていただくという必要があるのじゃないかなと思うのですが、いかがでしょうか。
  60. 吉岡庭二郎

    吉岡参考人 御指摘のように、測候所の人員につきましては、私の方からもいろいろ国の方に陳情いたしまして、おかげでふやしていただいております。  それと、もう一つは、九大の火山観測所等についても、特にあそこの場合は予算的にどうなのか、大変苦しいようなことも聞いておりますけれども、そういうようなのをぜひひとつ充実してもらいたいと思っておるところでございます。  それから、災害の横の連絡を協議会をつくってしてみたらどうかということでございますけれども、ここら辺につきましては、いろいろまた先輩の市長さんたちもいらっしゃいますから、そこら辺でどうなるかちょっと、検討することになるのかどうか知りませんけれども、と思っております。
  61. 笹川堯

    笹川委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人方々には、大変公務御繁忙中のところ当委員会に御出席の上、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。また、随行しておいでになりました職員の方にも、心から厚くお礼を申し上げます。委員会を代表してのお礼の言葉とさせていただきます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時六分散会