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1995-03-10 第132回国会 衆議院 厚生委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成七年三月十日(金曜日)     午前九時二分開議 出席委員   委員長 岩垂寿喜男君    理事 衛藤 晟一君 理事 木村 義雄君    理事 井上 喜一君 理事 石田 祝稔君    理事 山本 孝史君 理事 網岡  雄君    理事 荒井  聰君       荒井 広幸君    大野 功統君       熊代 昭彦君    佐藤 静雄君       塩崎 恭久君    住  博司君       高橋 辰夫君    竹内 黎一君       戸井田三郎君    長勢 甚遠君       根本  匠君    堀之内久男君       山口 俊一君    青山  丘君       青山 二三君    粟屋 敏信君       今津  寛君    岩浅 嘉仁君       鴨下 一郎君    久保 哲司君       坂口  力君    白沢 三郎君       田名部匡省君    福島  豊君       柳田  稔君    岩田 順介君       土肥 隆一君    森井 忠良君       横光 克彦君    枝野 幸男君       岩佐 恵美君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 井出 正一君  出席政府委員         厚生大臣官房長 山口 剛彦君         厚生省社会・援         護局長     佐野 利昭君  委員外出席者         国立国会図書館         副館長     熊田 淳美君         内閣官房内閣外         政審議室内閣審         議官      石田 和成君         内閣総理大臣官         房参事官    阪本 和道君         内閣総理大臣官         房参事官    戸谷 好秀君         総務庁恩給局審         議官      谷口 隆司君         法務省民事局第         五課長     原   優君         外務大臣官房外         務参事官    藤崎 一郎君         大蔵省理財局国         債課長     河上 信彦君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ————————————— 委員の異動 三月九日  辞任         補欠選任   荒井 広幸君     浦野 烋興君   熊代 昭彦君     若林 正俊君   柳田  稔君     工藤堅太郎君 同日  辞任         補欠選任   浦野 烋興君     荒井 広幸君   若林 正俊君     熊代 昭彦君   工藤堅太郎君     柳田  稔君 同月十日  辞任         補欠選任   藤本 孝雄君     大野 功統君   田名部匡省君     青山  丘君   宮本 一三君     白沢 三郎君   保岡 興治君     今津  寛君   五島 正規君     岩田 順介君 同日  辞任         補欠選任   大野 功統君     藤本 孝雄君   青山  丘君     田名部匡省君   今津  寛君     保岡 興治君   白沢 三郎君     宮本 一三君   岩田 順介君     五島 正規君     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  戦傷病者戦没者遺族等援護法及び戦没者等の遺  族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する  法律案内閣提出第一二号)  国民健康保険法等の一部を改正する法律案(内  閣提出第一一号)      ————◇—————
  2. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法及び戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。荒井広幸君。
  3. 荒井広幸

    荒井(広)委員 皆様、おはようございます。自由民主党荒井広幸でございます。それでは、早速、今回の改正する法律案に関する質疑をさせていただきたいと思います。  今回のこのいわゆる援護行政においては、戦後五十年、こういう節目言葉を使うわけでございますが、主にどのような事業実施していくのか、端的に御質問させていただきたいと思います。
  4. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 お答え申し上げます。  今先生おっしゃったように、平成七年度は戦後五十周年という節目の年にも当たりますので、平成七年度の予算におきましてもいろいろとそういう点で予算化を盛りまさせていただいているところでございますが、まず中国残留邦人等に対する援護施策についてでございますけれども、これは毎年一時帰国を実現をすることといたしております。また、残留邦人等帰国が大幅にふえることが見込まれますので、定着促進センターなどの増設でありますとか、帰国後の受け入れ体制の一層の整備を図ることといたしているところでございます。  また、戦没者に係る慰霊事業につきましても一層の充実を図るということで、慰霊巡拝人員増等を行っておるところでございますし、また、本日お諮りいたしておりますように、戦没者等遺族に対する特別弔慰金を引き続き支給することをお願いをいたしているところでございます。  さらに、台湾出身の旧軍人軍属の未支給給与の支払いにつきましても開始する予定で、これも予算化お願いいたしているところでございます。
  5. 荒井広幸

    荒井(広)委員 端的にありがとうございます。  局長さんも我々も、五十年の節目、こういう言葉を使います。節目というのは、辞書を引いてみますと物事の区切りである、こういうことでございます。区切り、こういうことで考えますと、戦後五十年、また大変恐縮ですが、我が自由民主党も結党四十年という区切りの年を迎えているわけです。  それで、私は、特に今回のこの援護行政を含めまして、戦後五十年という節目を考えますと、特に我々若い世代、戦後生まれの、しかも二十年代ではなくて三十年、四十年代と、ちょうど高度成長、平和を当たり前のような感じで享受するような時代に生まれた者といたしましては、やはり過ぐる大戦の御英霊に感謝をして、そしてまた今日をつくっていただいた父や母、先輩方に同じく感謝敬意を表しながら世界の平和をつくっていく、こういう決意を新たにする年という節目でもあろうと思います。  折しも自由民主党もJFというような愛称、ニックネームなどもつけましたけれども、我が党も、ただ単に名前とかネーミングで新しくするというのではなくて、温故知新先輩方に学んで、そしてその根の張ったところから新しさをつくっていく。ここ二年、変革、こういう言葉が非常にもてはやされましたが、やはり根の張ったところに新しさがあるし、本当の変革が生まれる。ただムードや上辺だけで、アンチテーゼのような形だけでの新しさあるいは変革、こういうものはまやかしてはないか。そういう意味では、この戦後五十年というものの中からやはり変えるべきものは変える、そして反省するものは反省する、またいいものはどんどんそれを続けていく、伸ばしていく、こういうことが必要だと私は思います。その意味において、援護行政の今三点大きく御指摘をいただいた点、私は評価をいたしている次第でございます。  また、二番目に局長の方で申されました。今回の法律案にかかわりますいわゆる特別弔慰金、これを継続することとした。いわゆる五十年の節目ということで先ほどもまくらに使っておられますが、戦後五十年としてこの特弔を継続支給することにしたその趣旨を確認したいと思います。
  6. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 戦没者等遺族に対します特別弔慰金でございますけれども、さきの大戦において公務等のために国に殉じた軍人軍属あるいは準軍属方々に思いをいたしまして、国として弔慰の意を表するために、これまでも、終戦二十周年、三十周年、四十周年といったそれぞれの節目の機会に十年償還の国債で支給をされてきたところでございます。現行の特別弔慰金が、四十周年のときに決めていただきましたものがことし最終償還を迎えるということになるわけでございますので、終戦五十周年というこの年を迎えまして、軍人恩給等を受給していない戦没者遺族に対しましてもやはり従来と同じように国として改めて弔慰の意を表することが必要であるというふうに考えまして、引き続き特別弔慰金支給お願いをしたい、こういうふうに考えておるわけでございます。  なお、特別弔慰金の額につきましては、前回支給以後の経済情勢変動等を勘案いたしまして、今日の社会通念から見ましても一応どのくらいの額がよろしいかということでいろいろ政府部内でも検討させていただきましたけれども前回四十周年のときに三十万円でございましたので、今回はそれを十万円引き上げて四十万円ということでお願いをいたしているところでございます。
  7. 荒井広幸

    荒井(広)委員 局長さんからお話がありましたように、また昭和五十四年と平成元年には特例的措置ということもとっていただいて、そして今回ということになりましたが、私は非常に重要な点がお話の中にあったと思うのです。改めて弔意をあらわす。こういうことでございます。その中に、我々戦後世代戦争というのはしてはいけないんだ、そしてあのときに我々のために礎となっていただいた皆さん、そして御遺族皆さん、そういう方々に心からの弔意をあらわしながら、また感謝をし、そしてそれが将来の平和に確固たる我々の決意となっていく、こういう意味ですので、私は今回の法律案、そのような意味を含めて大変重要なものであると高く評価をさせていただく次第でございます。  また、金額等もきめ細かく対応していただいているということで、その点、感謝を申し上げたいと思います。  さて、一番先に局長の方からお話がありましたいわゆる中国残留邦人方々に対する援護施策、これもまた五十年の節目でということでございました。  昨年の四月でございましたけれども、我が自由民主党を初め超党派の先生方による議員立法によりまして、中国残留邦人等一つは円滑な帰国促進、及び二つ永住帰国後の自立支援、こういうことに関する法律というものが制定されて、去年十月からこれが施行されているということで、一層の中国残留邦人対策というご士が進められるというわけですが、こうした動きを踏まえましての厚生省としてこの問題についてどう取り組んでいくのか、その姿勢施策という形であらわしていただきたいと思います。
  8. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 中国残留邦人等の問題につきましては、これは政府国民一体となってその早期解決に向けて積極的に取り組んでいかなければならない問題であるというふうに私どもも意識しているところであります。  これまでも厚生省を初め関係省庁、そしてまた地方公共団体にもいろいろと御支援をいただきまして、各種の援護施策を講じてきたところでございますけれども平成七年度は戦後五十年という節目の年にも当たりますので、特に一層重点的に取り組む必要がある。特にこの点につきましては大臣が大変強い意向を示されまして、私ども叱咤激励を受けてその予算化に取り組んできたところでございます。  まず、一時帰国援護につきましてでありますが、事情があって永住帰国が困難な方々の望郷の念にこたえる、そしてまた配偶者の方と別れてまででも帰国したいというような無理な永住帰国は避けなければならない、こういうことがございますので、従来は原則として五年に一回、あるいは年齢が上の方ですと三年に一回という形でございましたのですが、毎年一時帰国ができるような措置を講じたいということで、これを最重点に取り組みまして、この予算化を図りました。  また、永住帰国援護につきましては、平成五年十二月に、早期帰国を希望する者を平成六年度から三カ年で全員受け入れるという計画を厚生省として打ち出したわけでございまして、これまでを大幅に上回る帰国者が見込まれます。そういうことから、定着促進センターでありますとかあるいは自立研修センターというものの増設を図る必要がある、そしてその帰国された方々日本における定着促進するという体制整備を図る必要があるということで、これを予定をいたしておるところでございます。  また、高齢者のみの帰国では帰国後に生活の安定がなかなか難しいというケースも多いわけでございますので、高齢残留邦人の扶養のために同伴して帰国する方、従来は未成年の場合はこれは国費の対象にしておりましたけれども、今回はそれにつきましても、成人の子一世帯につきましても援護行政対象として認めるということで、その成人の子一世帯について認められた者を、年齢が従来は六十五歳以上であったのを六十歳まで引き下げたところでございます。  それから、中国残留邦人等の円滑な帰国促進及び永住帰国後の自立支援に関する法律、今先生からお話がございました。議員提案でつくっていただきましたこの法律が施行されたことを踏まえまして、今後とも私どもも、中国残留邦人等早期帰国及び日本社会への円滑な定着自立促進にさらに一層努力をしてまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  9. 荒井広幸

    荒井(広)委員 どうか各省庁においても、就職のあっせんとか職業訓練あるいは公営住宅優先入居等々、他省庁との絡みもございますので、どうぞそういった全体としてきっちり、今局長さんがおっしゃったような意味での一体となった視点からの取り組みを御要望申し上げ、さらに充実していただくようお願い申し上げたいと思います。  さて、先ほどお話がありましたが、時間がちょっと詰まりましたので、いわゆる慰霊事業、そのうち遺骨収集巡拝、この二つについて概況、概要を御説明いただきたいと思います。
  10. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 戦没者遺骨収集昭和二十七年から実施をいたしたわけでございまして、現在までに沖縄、硫黄島を含む戦没者約二百四十万人のうち、約半分の百二十二万人の遺骨を収集したところであります。遺骨相手国事情によって収集できないそういう地域のことを除外して考えますと、大体戦没者の三分の二の遺骨は収集できた。こういう状態にあろうかと思います。  平成七年度におきましては、だんだん遺骨情報が難しくなってまいりまして、なかなか確実な情報というものがない、得にくくなってきているわけでございますが、現時点で確実な残存遺骨情報が寄せられているすべての地域遺骨収集実施するということを原則といたしまして、また新たに地表に散乱する遺骨の発見された場合など緊急に遺骨収集受領実施する必要のある場合には、迅速にそれに対処できるように遺骨収集応急派遣事業も新たに行うことといたしております。  また、相手国事情等によりすべての遺骨を収集することが物理的に困難なことから、主要戦域における戦没者慰霊のために昭和五十一年から慰霊巡拝実施しているわけでございますけれども、これも五十周年に当たることから、三年間で旧主要戦域を一巡する慰霊巡拝を、参加遺族を増員して実施してまいりたいと考えております。  また、相手国事情遺骨収集実施できない地域につきましては、外務省を通じて今後とも相手国状況把握に努めるとともに、これらの地域における遺骨収集実施に向けて相手国理解を得られるように粘り強く努力をしてまいりたい、こう考えておるところでございます。
  11. 荒井広幸

    荒井(広)委員 今の御説明でもちょっとキーワードになるものが幾つかあったと思うのです。例えば情報がない、また三分の二程度はやっているので残りすべてを早くやりたい、こういうようなお話があったわけですけれども、これはやはり当時の事情をよく知る方々、例えば戦友方々それから現地の方々、住民の方々高齢化している、本当に残念ですがお亡くなりになっている方も多くなって、的確にその情報が得られない、だからということなんです。そこに五十年の節目ですから、今までも非常に援護行政の推進については積み重ねて御努力をいただいております、そういう意味でございますけれども、できるだけやれるものはもう一遍に五十年に当たることし、そして速やかにやっていただくということが、今のような高齢化というようなことを考えますと非常に重要な意味ではないか、それがこの節目意味でもあろう、このように思います。  その中で一つ、積み重ね、先ほども申し上げましたが、温故知新、やはり古きをたずねながらという意味では毎日が積み重ね、その援護行政を毎日政府厚生省やってきていただいている、これは大変遺族方々戦友方々皆さん感謝していると思うのです。  しかし、先ほどお話にあった点で、例えばソ連抑留中に死亡した方々遺骨収集事業等慰霊事業というものは平成四年、これからでしたから、その点ではこれは、本格的に四年からですからちょっとおくれているな、こういう気もいたします。一層のこの点についての取り組みが必要だと思いますが、局長、御決意といいますか御所見はいかがでございます。
  12. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 先生のおっしゃるように、平成三年の四月から、日ソ両国政府間で締結されました捕虜収容所に収容されていた者に関する日本国政府ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定によりまして、ソ連抑留死亡者遺骨収集も基本的な枠組みが定められまして、平成四年度から本格的な実施が行われたところでございます。  平成六年度までの実施状況を見ますと、埋葬地が非常に広大な旧ソ連地域全域に点在しているということですとか、実施時期が、どうしても寒いときにはできませんものですから夏だけに限定されるというようなことで、大変実施が難しい状況にございます。また、平成五年度には、ロシア連邦内でジフテリアが流行するというような不測の事態で遺骨収集についてもできなかったというようなこともございまして、まだ実際に収集できましたのは二千六百六十五柱ということでございまして、そういう面では非常におくれているというのが実態だと思います。  平成七年度につきましては、五十年目の節目の年でもありますので、また今先生お話にもありましたように、関係遺族高齢化も進んでいるということもありますから、可能な限り遺骨収集墓参促進していきたい。平成八年度までに、シベリアから中央アジアを含む広大な地域に点在しているおおむね百名以上のソ連抑留死亡者埋葬地がある地域についてまず着手をしていきたい、こう考えております。  また、平成七年度においては、ロシア連邦ハバロフスク地区等地域ロシア連邦以外のカザフスタン共和国ウズベキスタン共和国を加えるとさらに二地域入りますので、八地域遺骨収集及び墓参実施するということも考えておるところでございます。
  13. 荒井広幸

    荒井(広)委員 私は、この分野のみならず多大に御貢献された今は亡き徳永正利先生の秘書をやっておりまして、サイパン島にも伺ってまいりました。戦後五十年、そしてこれから一年、二年、そして五十年があるわけでございます。先ほど局長からもお話ありましたが、大臣のリーダーシップで随分中国残留邦人の問題も進んでいる、こういうことでございますけれども、これからということもございます。援護行政の五十年の節目に当たり、これからという大臣援護行政に関する姿勢決意というものを承りまして、質問を終えたいと思います。
  14. 井出正一

    井出国務大臣 ただいま局長から御答弁申し上げましたように、厚生省におきましては、これまで中国残留邦人永住帰国等援護措置、さらには戦没者遺族対象とする遺骨収集あるいは慰霊巡拝等慰霊事業、また戦傷病者戦没者遺族等援護などの業務を行ってきたところでございますが、戦後五十周年を迎える今日においてもなお力を注いでいかなければならない重要課題であると認識をしておるわけでございます。  ましてやこれらの皆さん高齢化が進んでいらっしゃいますし、また五十年たってもその心情はなかなか複雑なものがありまた悲しみはそう簡単にぬぐい去れるものではございません。そういった意味で、中国残留邦人早期帰国日本社会への円滑な定着促進、あるいは始まったばかりの旧ソ連抑留死亡者等に関する遺骨収集等慰霊事業もさらにこれからやっていかなくちゃなりませんし、援護年金恩給に準じた改善も、これまた当然であります。  実は、昨年秋に肉親捜しに来られた中国皆さんの中で、一番年のいっている方が私と同い年でした。五十五歳です。あとの皆さんはみんな私より若い。ということは、当時五歳以下だった皆さんですから記憶もほとんどないわけですし、また、親御さんももうお年を召されてだんだん亡くなっちゃっているから、肉親を捜し出すというのは非常に難しいわけです。そして、毎年何十人かの皆さんがやはりまだに来る。もうあるときにきちっと早くにやっちゃえばそういう人はいなくなるのじゃないかと私ちょっと思ったときがあったのですが、聞いてみますと、やはり養父母が亡くなったときに初めて打ち明けられたとか、あるいは近所の人に、養父母が亡くなったときに実はおまえはこういうあれなんだよといって知らされたとか、あるいはわかっていたけれども養父母を悲しませちゃ申しわけないと思って亡くなるまで我慢していたとか、あるいはむしろしかられちゃったりしてそれが怖いとか、いろいろな事情でまだ表へ出てこない皆さんも随分いらっしゃると思います。  そういった意味では、この援護事業というのは、五十年で高齢化の問題も考えれば急がなくちゃならぬことも当然ですが、また一面、これからも極めて息の長い道程を歩むことも覚悟して頑張っていかなくちゃならぬ、こう考えておるところであります。
  15. 荒井広幸

    荒井(広)委員 大臣の、これからもなお力を注ぐべき重要課題である、それが援護行政だという力強いお話をお聞かせいただきまして、私敬意を表しまして、質問とさせていただきます。
  16. 岩垂寿喜男

  17. 石田祝稔

    石田(祝)委員 大臣、おはようございます。朝から御苦労さまです。  きょうは三月十日、東京空襲より五十年たった日でございます。その日にこの戦傷病者の法案をやるということも、何と申しましょうか、何か一つの因縁と申しましょうか、そういうものを感じておりますが、亡くなられた方に御冥福をお祈りしつつ質問をさせていただきたいというふうに思っております。  先ほど申しましたように、きょうこの日が東京空襲より五十年ということで、ことしは戦後五十年の一つ節月に当たる年だろうと思います。これから五十年を振り返って、やはり足らざるは反省をして、まだこれからの将来に向けて大事な決意をしていかなくちゃならない、このように思いますが、まず最初に大臣にお伺いをしたいのは、これは厚生大臣というよりは、厚生省を代表してというよりは、むしろさきがけから出られております大臣としてお伺いをしたいわけであります。私はきょうは不戦決議という言葉を使いますが、これはいわゆる括弧書き不戦決議ということで御理解をいただきたいのですが、去年の七月に現在の与党自社さきがけ共同政権構想というものを発表されております。その中で、いわゆる不戦決議というものについても述べられておりますが、これについては、大臣、現在もこの共同政権構想というもののそれぞれの政党における位置づけは変わってないと思いますけれどもさきがけについてはどうでしょうか。
  18. 井出正一

    井出国務大臣 昨年新しい連立政権の樹立に関して自民党、社会党と私ども新党さきがけ合意を見ました事項の中に、「戦後五十年と国際平和」ということに関しまして「新政権は、戦後五十年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する国会決議の採択などに積極的に取り組む。」こううたっておるところでございまして、私どもは、これは大変重要な合意事項一つだと認識しております。
  19. 石田祝稔

    石田(祝)委員 大臣はそのように御答弁いただきましたが、私は、最近与党を形成しておるそれぞれの政党でトーンが若干違っておるような感じがいたします。それぞれの政党にお聞きできればいいんですが、そうもいきませんのできょうは大臣にお聞きをするわけでありますけれども、この共同政権構想というものを今確認していただきましたが、この決議についてこのように言っているんです。決議の採択などに積極的に取り組むための機関を国会及び政府に設置する、このように言われておりますけれども、この決議というのは、大臣は大体いつごろを目途にして、これはもちろん国会の話になるわけでありますけれども、するようにお考えになっていらっしゃるのか、御自分の御希望も含めて、このぐらいまでにはというお考えなのか、時期が大臣としてお考えがございましたらお聞かせいただきたいと思います。
  20. 井出正一

    井出国務大臣 ことしかまさに五十年目という節目の年であるわけでございまして、そういった意味で五十周年になるのですか、八月十五日というのは私は大きな目安になると思います。八月十五日に国会が開かれているかどうかは私には全く想像もつきませんが、できるだけ早く、それに間に合う方がいいと思っておりますが、目下、我が党の代表者を含む与党三党のプロジェクトチームにおいて決議の時期も含めて真剣な議論が行われておるところでありまして、私もそのプロジェクトにおける議論を今大変な関心を持って見守っておるところでございます。
  21. 石田祝稔

    石田(祝)委員 私も、五十年目だからどうということでは特に本当はないだろうと思います。毎年毎年を一つ節目として心新たにしてやっていくのが正しいことだろうと思いますけれども、大きな節目であることは間違いありません。それで、八月十五日というのは通常、国会は当然やっておりませんし、やはり大臣が今おっしゃったように、できるだけ早い時期にというのが大臣のお考えであろう、このように私は受けとめました。  それで、私も個人の意見を申し上げますと、やはり何らかの過去に対する反省をして、そして未来に向かって日本のこれからの生き方というものを、大きく世界に日本の考え方を示して、それにのっとって、これからの国際社会での日本の果たすべき役割、これを誠実に果たしていくことが私は大事だろうというふうに思います。  ですから、こういう国会の決議、こういうものがある意味では取引されたり、政略の、政争の材料になってはとんでもない話だと私は思いますが、なお共同政権構想をつくられて政権をつくられているわけですから、若干今の与党の中でトーンが違うということを先ほど申し上げましたけれども、二月に入りましていろいろな新聞を見ますと、やはり若干違うということはよく見られます。これはやはり一つは、不戦というものに対して、自衛戦争も否定するのか、こういうふうな意見が片一方で出てきたり、過去のそういうものを反省して未来に戦わないということを言わなきゃ意味がないじゃないか、こういうふうな御意見ももちろんあるわけですけれども大臣が見て、現在の政府は統一してこういう問題について取り組んでいる、とにかく共同歩調をとってやられているんだ、このように思います。
  22. 井出正一

    井出国務大臣 政府といたしましては、例えば閣議のときとかあるいは閣僚懇の席でこの問題について具体的に議論がなされたことはまだないと私認識しておりますが、しかし、この合意に基づいて生まれた村山内閣であるということは閣僚のほかの皆さんも十分認識されている、こう思っております。
  23. 石田祝稔

    石田(祝)委員 これから統一選挙も四月に入ったら行われますし、参議院選挙も七月に行われる、そういう中で、先日、こういう記事が出ていました。これは四日付の新聞の記事ですけれども、自民党は三日の総務会で、統一地方選の公約のうち村山総理の談話を評価する形で引用している部分を削除することを決めた。こういう記事が出ておりまして、削除する部分は、「村山総理談話で示されたわが国の侵略行為や植民地支配など多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたという認識をふまえ」、こういう文言を削除した。これは当初、統一選の公約ということで党の決定をしておったのが、途中でどなたかが御意見を入れて、公約、ここの部分を削られた。こういうことを書かれております。片やさきがけは、先日、統一選の公約を決められたようでありますけれども、その中には、いわゆる不戦決議に対して積極的にやっていこう、こういうことも書かれている。実物を見たわけではありませんけれども、そのように私は新聞等で拝見をいたしました。大臣は、片や共同政権構想をつくって同じ政権をつくって、五十周年の節目に、過去を反省し、未来に向かってお互いに決議なり機関をつくってやっていこう、こういうことで出発をされて、それでそれらしく進んできたのですけれども、統一選を前にしたら、突然今まで公約として掲げておったのを削除する、そして片一方、大臣の所属している政党ではそのものを統一選の公約に入れている。私にはとても一致して進めているというふうには感じられませんけれども大臣は、他党のことですからお話ししにくいかもしれませんが、公約を突如削除したり、そして自分のところは入れている、こういうことについてまとまっていると思います。
  24. 井出正一

    井出国務大臣 私ども新党さきがけの統一地方選に臨む重点公約として、今委員おっしゃったように、「戦後五十年を契機に、過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する決議の採択や記念事業実施などに積極的に取り組みます。」こううたっておることは事実であります。  今、自民党の地方選に臨む公約の問題でございますが、私は新聞報道ではそういうことがあったということは承知しておりますが、これは自民党の皆さんのお取り組みですから私の立場からどれこれ言うことはございませんが、しかし、少なくとも与党間では公党としての合意がなされておるわけでございまして、基本的な方向としては一致しているものと思いますし、予算委員会等での自民党の総裁でもあられる河野副総理の御答弁も三党合意にのっとっていらっしゃる御答弁だ、私はそばで聞いておりましてそんなふうに受けとめておるところであります。  個々の議員お一人お一人にはいろいろなお考えの方がもちろんいらっしゃるはずですし、これは与党だけじゃなくて野党においても何か、これまた新聞でしか知りませんが、いろいろなお考えがあると思いますのですが、それはそれでいいのです。そういう中を、みんながぴたり一致するはず保はありません、ですから、それをできるだけ合意に向けてそれぞれ努力なさっていただけるものじゃないかな、こう考えております。
  25. 石田祝稔

    石田(祝)委員 残念ながら今の国会は一万通行になっておりますから、それは国会改革された後は私も質問者のときにも答弁できるかもしれませんが、今は私がお聞きをしている立場ですから、よろしくお願いをしたいと思います。  それで、大臣大臣のお気持ちはよくわかりますが、政権をつくられてずっと大臣の所属している政党を見ておりますと、例えば、去年ぐらいから、行政改革をやらなければこれは政権を離脱する、こういうこともたしか代表がおっしゃったように私は記憶をしております。しかし、その行政改革も、特殊法人という入り口で、自分の省の大臣ということで大蔵大臣という立場を大事にされたかどうかわかりませんけれども、結局行政改革の入り口の特殊法人のところでさえ達成できなかった。政権離脱と言ったのは何だったのだろう。それから、この前も、たしか行政改革委員会の事務局長、これも官僚はいけない、要するに採点するのと試験受けるのが一緒じゃ困る、こういうことを言われておったのに、いつの間にか認められている。ですから、世上余り騒がなくなった。みんなが注目しなくなったときに、こっそりそういうことが入ってきているんですね、全部。  ですから、これは大臣のきょうの御答弁でお答えいただけるかどうかそれはわかりませんけれども政権構想をつくられておるけれども、この政権構想、今見ておりますと、その後の動きと全然違うことも入ってきております。そういう意味で、五十周年という大事な節目を、きょうの法案の審議も含めて、担当大臣としてどのようにお考えになっているのか、最後に大臣のこの決議に対しての率直なお考えを伺いまして、この問題は終わりたいと思います。
  26. 井出正一

    井出国務大臣 私どもの代表である大蔵大臣がテレビで発言なさった点、行政改革ができないのなら政権離脱も辞さない云々の件でございますが、あそこだけが随分クローズアップされておるようでありますが、前後のあれもありまして、そのくらいの決意で臨むというつもりで発言されたのじゃないかなと思いますし、決してまだ行政改革だめだという結論を我々は持ったわけではありません。それから事務局長さんの民間人云々の問題も、確かにやはりましいのは民間人、行政改革そのものがむしろ官僚機構を改革しようとするわけですから。  しかし、私どもの思ったことは完全には実現いたしませんでしたが、しかし、もともと衆参合わせてたった二十一人の議員であります。三%に満たないわけでありますから、言っていることが全部実現できるほど我々は甘くも見てはおりません。しかし、そういう少ない数であっても、問題提起をして、より多くの議員の皆さん方に賛成していただけるような努力をすることは、これは私は意義があることだ、こう考えておるところであります。  さて、五十年のことし、それに関係した法案をこの委員会で御審議をいただいておるわけでございますが、援護関係につきましては先ほど荒井議員にお答えしたことに尽きておりますし、あわせて、五十年考えてみれば、日本は敗戦の後わずか二、三年で冷戦構造に巻き込まれて、そして一方の陣営に立って、それはそれなりに、ああいう世界情勢の中で私は賢明な判断だと思うし、そして、日本の経済的な復興あるいは発展に国民全力を挙げて頑張って今日の状況を来したのであります。  冷戦構造が崩壊すると同時に、ある意味では戦争直後に本来ならばもっときちっと解決をしておかなくてはいけなかった問題がずっと凍結されたまま今日に来てしまった。そういった問題が、五十年後になって出てきた問題も、この援護だけではなしにほかにも私はあるのではないかなと思います。そういった意味では、やはりかつてのあの戦争をもう一度きちっと反省した上で、今後国際社会の中でまさに尊敬されるといいますか、あるいは親しまれるといいましょうか、そういった日本の行く道をみんなで考えていく大事な時期ではないかな、こう考えております。
  27. 石田祝稔

    石田(祝)委員 それでは、法案の中身でお伺いをいたします。  この援護法で、今回、障害年金、遺族年金の額を恩給の額に準じて引き上げる、こういうふうになっておりますが、それで、引き上げる率は一・一%というふうに書かれておりますけれども、この改定率の一・一%というのはどこから出てきたのでしょうか。
  28. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 不十分な答弁になってしまうのかもしれませんが、援護年金の額の改善につきましては、従来から、恩給を停止された軍人などに対します援護を行うために援護年金が制定されたものであるということで、恩給に準拠して制定された。そういう歴史的な経過を踏んでおりますものですから、恩給の改善に準じた額の引き上げということですが、恩給がまず先行いたしまして、それに従って援護年金の額を決める、こういう形に今なっております。  今回におきましても、恩給法の公務扶助料等の基本額が一・一%引き上げられたことに伴いまして、恩給の改善に準じた援護年金の額の引き上げという形でお願いをさしていただいておるところでございます。
  29. 石田祝稔

    石田(祝)委員 恩給に準じてという答弁になるだろうと思いましたので、きょうは総務庁にも来ていただいておりますが、年金等はことしの四月からもう上がります。これは○・七%の改定率、こういうふうに聞いておりますが、これは若干高いわけです。一・一というのはどこから出てきた数字なのでしょうか。
  30. 谷口隆司

    ○谷口説明員 ただいま御指摘の七年度の恩給改善、ベアの率でございますが、御指摘のように一・一%としておる次第でございます。  この一・一%でございますけれども恩給の基本的な性格、国家補償的な性格ということを踏まえまして、公務員の給与のアップの動向、それから平成六年におきます物価の動向、これら諸事情を総合勘案をいたしました上で、一・一%といたしているものでございます。
  31. 石田祝稔

    石田(祝)委員 この総合勘案方式ですね、そんなにブラックボックスに入れたみたいな言い方をしないで、ちゃんと方式があるのだったらはっきり、こういう計算式ですと言われたらどうです。昭和六十二年から総合勘案方式に変わって、私が聞いている方法で計算すると、全部数字は一致するのですよね。これはちゃんとした数式があるのではないです。
  32. 谷口隆司

    ○谷口説明員 ただいま申し上げました諸事情を総合勘案するという次第でございます。恩給改善を検討するに当たりまして、恩給受給者の処遇の改善をどのように図っていくかということを毎年度検討いたしておるわけでございます。  したがいまして、一定の定式を毎年度用いてそれに当てはめるということではございませんで、生としては公務員給与の動向それから物価の上昇ということを見るわけでございますけれども、一定の方式、算式があってそれに当てはめるということではございませんで、毎年度、受給者の処遇の改善を図るという趣旨、観点に立ちまして検討の上、率を決定している、定めている、こういう次第でございます。
  33. 石田祝稔

    石田(祝)委員 お認めになりませんから、それでも結構ですけれども、余りさじかげんでやるような印象を与えない方がいいと思います。総合勘案方式というのは名前はいいですけれども、では、担当者がどうやって決めているのだ、鉛筆なめて決めているのか、こういうことになりますよね。  これは、公務員給与の改善率と物価の上昇率を四対一の加重平均でやっているのではないですか、どうです。
  34. 谷口隆司

    ○谷口説明員 その都度その都度、定まった考えなくということではございませんで、あくまで恩給の基本的な性格、国家補償的な性格を有する制度、措置であるということを踏まえまして、その趣旨、考え方を一貫させるということをまず基本といたしまして改善に当たっている、こういう次第でございます。  ただ、具体的にその率をどうするかという点でございますが、これにつきましては、先ほども御指摘ございました六十二年度からでございますけれども、諸事情を総合勘案する、こういう方式によっておるということでございまして、たび重ねての御説明で恐縮でございますが、一定の計算式に、それに毎年度、データだけを当てはめる、こういった考え方に基づいて改善の率を定めているというような次第ではございません。その点、御理解を賜れればと思っております。
  35. 石田祝稔

    石田(祝)委員 これはこれ以上聞いても言わないと思いますから、もうやめます。  それで、次、弔慰金のことでお伺いをしたいのです。  平成八年六月十五日から、十年間分として四十万円の公債をお渡しをする、こういうことになっておりますけれども、これできょうは大蔵省に来ていただいております。この戦没者遺族に対する特別弔慰金支給法第五条で、払うということになっておると思いますが、国債の発行の交付に関する省令というのが大蔵省にございまして、その省令の第五条の「償還金の支払」というところで、支払い日が土曜日、日曜日または国民の祝日の場合は、これらの日の翌日に支払う、毎年一回、こういうふうになっておりますが、これは年金、恩給含めて、支払い日が休日とか土曜日になったら、全部前日に今なっております ね。これは大臣含め今そこに座られている方も全部、給料も多分、土、日の場合は前日にもらっているだろうと思いますが、私はもらっていませんという人がいたらちょっと手を挙げてもらいたいのですけれども、これは多分いないと思うのです。  ですから、これは国債の償還、毎年ですから、六月十五日が土、日に当たるか、十年間調べたわけではありませんが、省令の内容としてこういうふうに書くのではなくて、土、日の場合は前日に支払いますと、こういうふうに直したらどうか、私はこのように思います。これは大蔵省の省令ですから、きょうは大蔵省にも来ていただいておりますが、お願いします。
  36. 河上信彦

    ○河上説明員 お答えいたします。  国債の償還期日または利子の支払い期日が土曜、日曜に重なった場合についての取り扱いでございますが、現在はその翌営業日に支払うということとしておるところでございます。  普通国債、これは御承知のとおり、無記名なわけでございますが、こうした国債につきまして、翌営業日ではなくて前の営業日、主として金曜日になろうかと思いますが、ここに繰り上げて支払うように変更したらどうか、こういう御質問でございますが、次のような問題がございまして、慎重に考える必要があろうかと存じております。  一点目でございますが、普通の国債につきまして、その保有者は、そもそも元金及び利子の支払い日が休日の場合にはその翌営業日に支払われるということを御承知の上で御購入いただいておる、こういうことでございまして、国債という金融資産をそれなりのものということで御納得いただいて買っていただいておる、こういうことかと存じます。また、こうした取り扱いについて、現行法上、特段の問題はないわけでございます。  それから二点目でございますが、仮に現在のやり方を変更するといった場合には、新たな財政負担等々が生じないかよく検討する必要があろうかと思います。こういうことから、私どもとしては、慎重に考えるべき問題ではないかと考えておるところでございます。  ただ、ただいま先生の御指摘は、交付国債、記名の国債につきまして、普通国債とは性格が異なっておるのではないのか、そういう性格が異なったものについて、年金との権衡も考えてできないのか、こういう御趣旨がと思われます。  この点につきましては、交付国債、確かに御指摘のとおり、普通の国債とは性格が異なったものでございますが、ただ、国債という形態をとってやっておるところでございまして、こういう国債という形態で対応している以上、私どもとしては一般の国債と同様の取り扱いというふうにしてきているところでございまして、この点、御理解いただければありがたいと存じます。
  37. 石田祝稔

    石田(祝)委員 国債課長、私、ちょっと意見があるのですが、これは、国債で渡すというのはこっちの都合じゃないです。要するに、弔慰金を十枚つづりの国債で渡して、毎年一枚ずつ償還してください、これはいわゆる国の方の都合でやっているわけでしょう。毎年毎年ちゃんと現金で渡せばいいんです。十枚のつづりの国債を渡しているというのは結局国の都合なんです。別に弔慰金をいただく方が国債で下さいとかそういうことを言っているわけじゃないのです。ですから、余りこちらの都合ばかり言わないで、やはり立法の趣旨にのっとってしてあげるのがいいんじゃないか、私はこのように思います。  それで、ちなみに、さっき交付国債というふうにおっしゃいましたが、いわゆる国による記名国債、こういう形で名前を全部書き込んでいる。ですから、償還の相手というのは全部はっきりしている。こういう国債というのは、戦没者の人たちがいただく、戦没者の関係の方々がいただくもの以外に、ほかにあります。
  38. 河上信彦

    ○河上説明員 お答えいたします。  私ども、国債のジャンルの中に出資国債というものがございまして、これは国際機関等に対しまして出資を約束しておるわけですが、すぐ現金で振り込みをいたしませんで、国際機関の資金の需要に応じて現金化するということをしておりますが、この際に、出資国債ということを使っておりまして、これは記名と承知しております。
  39. 石田祝稔

    石田(祝)委員 出資国債というのは、それもこちらの都合で出すわけで、郵政省の中の省令なんか見ますと、記名国債というのは全部戦傷病者戦没者に関する国債だけに充てているのです。ですから、本来、立法の趣旨からいえば、弔意をあらわす、公務扶助料とか年金がもらえなくなった方に、それでは気の毒だ、こういう立法の趣旨だろうと思いますから、国の都合で国債を渡しておいて、そして自分たちもそうだし、また、もう既に年金、恩給が休日に当たったり土曜日に当たっている場合は前日になっているわけですから、余り国の都合ばかり言わないで、もらう人たちの立場で一歩前に考えていってあげる、こういうことが私は大事であると思います。  大臣は、このことについてどういうふうに思われます。
  40. 井出正一

    井出国務大臣 石田議員の大変精密な御指摘に、私は今お聞きしながら、敬意を表しておるところであります。  今、大蔵省の答弁を聞いていますと、利子の問題もあるものですから、前倒しというのはなかなかそう簡単にいかないのかなというのも感じてはいるわけです。最初、石田委員から、こういう質問が出るぞというのをお聞きしたときには、そうすればいいんじゃないの、実は私はこんなふうに思っておったのでありますが、なかなか難しい問題だなと今感じているところであります。
  41. 石田祝稔

    石田(祝)委員 これは、大蔵省が検討していただけるというふうに理解をしますので、これ以上申し上げませんが、大臣、無利子ですからね、この国債は。利子は関係ありませんから。これは、立法の趣旨を体して、もらう側の人の立場でぜひお考えをいただきたいというふうに思います。  続きましてお伺いをします。総務庁と総理府に来ていただいておりますが、私の地元から、戦後五十年の節目でこういうこともぜひお願いをしたい、こういう要望をいただきましたので、そのことを踏まえて御質問を申し上げます。  恩給制度に加算の制度がありますが、抑留加算ということで、シベリア、モンゴルの抑留者の方、一カ月につき一月の加算がついておる。私がいただいた要請書の中では、南方で帰国の船を待っていただけの者にも一月に一月の加算がついている。これはその人の言い分でありますから、そういう言い方が正しいかどうか、それは南方の方で御苦労された方もいらっしゃいますから同列に論じられませんけれども、やはりシベリア、モンゴルというふうに聞きますと、一般に考えたら、気候の問題等も含めて、南方にいた方よりも相当の御苦労をされているのではないか、そのように思います。その抑留加算が一月に一月、全部同じだということで、やはりこれは、もう少しシベリア、モンゴルの厳しさを考えて、一月に一月じゃなくて、加算を上げてもらいたい、こういうふうな御要望が私にも寄せられておりまして、抑留をされていた方のお気持ちを考えれば、これは確かにそうだな、このようにも思いますので、きょうは御質問するわけであります。  このシベリア、モンゴルの抑留者に加算のかさ上げをすることはできないかどうか、この点をお伺いをしたいと思います。
  42. 谷口隆司

    ○谷口説明員 ただいま御指摘の抑留加算の制度でございますが、これは、戦後の抑留という事態を踏まえまして、検討の上、昭和四十年に設けられたものでございます。抑留期間は、公務員としての勤務期間そのものではなかったわけでございますが、それにいたしましても、その勤務の延長とも見られる特殊な期間でございまして、その間、先生御指摘のとおり、非常に御苦労されたということがございますので、特例的な措置としてこの抑留の期間を加算年の対象といたしたという次第でございます。  その加算率につきましては、類似の加算でございます辺陬・不健康地加算、この加算率が一月について一月以内、こういう枠組みのもとで、実際には最高が三分の二月であったということなどを考慮いたしました上で、抑留加算の一月について一月の加算率といたしたものでございまして、恩給制度上、できる限りの措置である、このように考えておる次第でございます。  また、御指摘の、南方で抑留された場合との比較の点でございますが、御指摘のとおり、シベリア抑留者が粗食、酷寒、重労働という悪条件のもとで大変な御苦労をされたということは十分理解いたしておるところでございます。しかし、これも今ほど御指摘のとおりでございますが、南方諸地域あるいは中国大陸におきましても大変御苦労された方々がいらっしゃるとも聞いております。したがいまして、抑留された地域によって異なる加算率を設ける、このような格好で今日の時点でこれを見直すということは適当ではない、このように考えておる次第でございます。
  43. 石田祝稔

    石田(祝)委員 この「恩給のしくみ」という冊子を払いただきまして、ずっと勉強もさせていただいているのですが、やはりそれぞれの戦地において、危ないとかいろいろな事情で加算が違っているわけです。一月について一月の加算から一月について三月の加算まで、一月いれば四カ月分に数えるというところもあるわけです。これは、戦争というのは、全部どこでも戦争をしているときは敵がいるわけです。それでもなおかつ危ないところと、順番、ランクをつけているわけです。ですから、抑留もある意味で言えば、全部同じだよ、不健康地で今まで三分の二だったのを一月にしているのだよ、そういうことではなくて、それぞれやはり濃淡があるだろうと私は思います。なかなか難しいということは承知をしておりますけれども、これはやはりシベリア、モンゴルということ、特にシベリアの人なんかはお考えをいただかなくてはならぬ、このように私は思います。これは、きょうは要望だけにしておきます。  それで、この冊子をいただきまして感じたのは、ここの「加算一覧表」のところですが、ここに「支那」という言葉を使っているのです。これは私、やめた方がいいのではないかと思う。要するに、平成三年の委員会の質問のときにも、政府委員が、支那という言葉は不適当ではないか、こういうふうに委員会で指摘をされて、取り消しているわけです。委員会で正式に取り消した。国会に来て政府委員が発言をして、不適当だと指摘をされて取り消した。そういう言葉をわざわざ使う必要はないだろうと思うのです。少なくとも括弧書きにするとか当時の呼び名とか、これはいろいろな工夫があると思いますけれども、直接「支那」と書くのはいかがなものか。これは私は直した方がいいと思います。平成三年の指摘で取り消して、平成六年の本にも出ておりますから、これはちょっとお考えいただいた方がいいと思うのですが、いかがです。
  44. 谷口隆司

    ○谷口説明員 加算年におきまして、どの期間のどの地域にどのような加算年を適用するかということは、戦前、内閣告示によりまして公示していた次第でございます。現在もこの内閣告示に基づいて運用いたしておりまして、この内閣告示にあります。その地域名を用いている次第でございます。恩給制度は、旧軍人の方々を主たる対象として、戦前に既にでき上がっておった制度でございまして、いわゆる新規参入がない、こういう制度でございます。このようなことから当時の名称を用いているということでございます。  それから改めるべきではないかという御指摘でございますけれども恩給を裁定するに当たりまして御本人の履歴に関する書類を検討いたすわけでございますが、それら書類はすべて当時の地域名で記載されているということもございます。現時点でこれら名称を変更した場合にはいろいろな混乱も生じてくるというおそれがあるのではないか、このように考えておるところでございます。  それから、過去に政府委員が御答弁申し上げたその趣旨でございますが、一般的にはそのような名称を用いることは適当ではない、こういう趣旨で申し上げたものと存じております。ただ、恩給制度におきましては、ただいま申し上げました理由で、さきの大戦方々につきまして当時の地域名等を用いまして運用しているという次第でございます。
  45. 石田祝稔

    石田(祝)委員 もちろんいろいろな言葉はありますけれども、当時の言葉だから全部そのまま使わなければいけないとなると大変なことになると思います。これは余りそういうしゃくし定規にいろいろ言わないで、やはりこういう本にして活字にしているのですから、当時の人たちのためだけですとかいうことは通じませんよ。ですから、それはぜひ、そんなことではなくて、しっかり考えていくべきだろうと私は思います。  最後に、時間が若干オーバーしますけれども、シベリア、モンゴルの抑留者には慰労金品が平和祈念事業で出されておりますけれども、千島、南樺太にはない、こういうことでありますけれども、この千島、南樺太の人たちもぜひ対象にしてもらいたい、こういうことで、きょう総理府に来ていただいておりますが、これはどうなりますでしょうか。ぜひお願いしたいと思うのです。
  46. 戸谷好秀

    ○戸谷説明員 お答えいたします。  シベリア等の戦後の強制抑留者の方々につきましては、はるかに遠くの異郷の地に連れていかれまして、厳寒あるいは食糧不足といった厳しい状況のもとで強制的に労働させられた。そういう特別な事情を考慮して、平和祈念事業特別基金法によりまして慰労金の支給あるいは慰労品の贈呈等の措置がされているものでございます。  お話のございました南樺太あるいは千島につきましては、強制的にソ連軍の使役に従事させられたという事実は承知しているわけでございますが、これらの地域につきましては、戦前もともと日本の領土でございまして、日本人も多数居住し、また、終戦後の状況につきましても、先ほど申し上げました旧ソ連邦の地域とは異なるということで、いろいろお話は伺っておりますが、現在のところ御指摘のような措置をとることは困難である、そういうふうに考えております。  以上でございます。
  47. 石田祝稔

    石田(祝)委員 終わります。
  48. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 山本孝史君。
  49. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 おはようございます。新進党の山本孝史でございます。  厚生省、特に社会・援護局の皆さんには、阪神大震災があって、それからずっとあちらの震災対策でお疲れだと思いますが、きょうは援護法の問題ですので、ひとつこちらの方もよろしくお願いしたいと思います。  今までの御質問の中で触れられていないので、この特別弔慰金についての確認だけ二、三点させていただきたいと思います。  この特別弔慰金は一時金というふうに考えてよろしいのでしょうか。国債で、財政を均衡化させるために十年間で償還されていくわけですが、一時金なのか、あるいは十年にわたる制度なのか、その点を確認させてください。
  50. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 例えば今回の場合でありますと、平成七年四月一日を基準日として支給されます、一時金というふうに私ども理解いたしております。
  51. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 一時金ということで、そうすると、ここで投げ渡しという形になります。  あといろいろ質問があるので時間がないのであれですけれども、問題だけ指摘させておいていただくと、これは、国債を相続することができます。したがって、もらった人が相続ということで子供さんなりに相続されていく。その方たちからするとおじさんというような方たちが結局弔慰金をもらっておられてというか、亡くなられた方で戦没者であってというようなことで、この方の御兄弟が受けられて、その方が亡くなると今度はここへ相続しできますから、この人から見るとおじさんなわけです。そういう方たちがかつて戦場に行かれた。それで亡くなられたというような形で、この六千億というお金が実は流れていくというふうに思います。多分、十年のうちに随分お亡くなりになる方も残念ながらおられるのだろう。特別弔意を表するのに、おじさんのものまで弔意を表するのかというのは何となく解せないような気がします。それで、一時金なのですかというふうにお伺いをしました。  一時金という御答弁であるならば、前のお金がちょうど十年たって償還が終わるからまた続けるのだという話ではなくて、十年単位で、十年の区切り区切りに考えている話でしょうから、前のお金がちょうど償還が終わるから今回また新しく四十万出すのだという話は、これも何となく説明としては説得力がないのかなというふうに私は思います。  そういう意味で、四十万円が高いのか安いのか、被爆者援護法の十万円と比較して四十万がどうなのかという議論もありましょう。なぜ四十万なのかという根拠も、前回三十万だから今度四十万なのだというような話になる。それで、十年たって、これから先、また今度六十年のときにおやりになるのかどうか、それは六十年のときに国会が決めればいいというか、考えればいいという話になるでしょう。それでは、そのときは今度は五十万なのですかという話になる。十年先を聞いてもお答えいただけないと思いますが、十年先ほどうされるのです。一応この点だけお聞かせください。
  52. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 まさしく、十年目が来たから継続してということでは私どもは考えておりませんで、今度の五十周年を機会といたしまして、改めてここで弔意をあらわす必要があるかどうかを判断をして、五十周年の記念事業としてお願いをしたということでございます。したがいまして、その区切りの都度、社会経済情勢等を踏まえまして必要性を判断するべきものであろう、こう考えております。  ですから、十年後どうこうということをちょっとお答えするわけにはいかない、またその時点で必要性を判断していただくということになろうかと思うわけでございますが、あくまでもやはりその時点時点におきます必要の度合いを考えて、その都度考えていただく、こういう形でございます。
  53. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 六千億からのお金を使うわけですから、もう少し詰めた議論が必要なのかな、いろいろ問題点はやはりあるのじゃないかと思いますということを御指摘申し上げて、次の質問に移らせていただきます。  最初にお伺いしたいのは、中国残留邦人の国籍の問題です。  去年、中国残留邦人等の円滑な帰国促進及び永住帰国後の自立支援に関する法律という大変長い名前ですけれども中国残留の邦人の皆さんに対する援護策がこの法律できちんと裏づけがされたというふうに思います。それで、いわゆる孤児ですね、厚生省の数字でも二千五百二十五人でしたかしら、今まだおられるということですけれども、半分の孤児の方たちは恐らく身元が判明する、半分の方たちは身元が判明しない、未判明孤児だという形で、ここが大きく二つに分かれます。  未判明孤児の人たちは、日本に帰ってくると、そこで家庭裁判所にお願いをして、いわゆる戸籍をつくっていただく、就籍ということをして日本人として認められるという形になる。こちらの、身元が判明した皆さんは、日本に帰ってきて一応戸籍にまた入るのですけれども、もともと戸籍があるわけですからそこの戸籍が復活されるわけですけれども、その後法務局の方からお尋ねがあって、あなたは中国の国籍を持っていたのじゃありませんかというようなお尋ねがあるわけです。入籍証明というものを、入籍証書を提出させられるというのかあるいは提出をしたというのか、そういう話になりますと、あなたは自発的に中国の国籍を持っていたからその時点であなたは中国人なんだという話になる。一たん日本に帰ってきて日本の国籍が復活させられたにもかかわらず、法務省からのお尋ねでもっていろいろと答えると、そこで日本国籍を剥奪されて一たん中国人に戻ってしまう。日本人になりたかったら帰化をしなさいという話になって、同じように中国におられる方たち、孤児の方たちが日本に帰ってくると、未判明孤児と判明孤児の間に随分差があるわけです。  それで、この判明した孤児の人たちからすると、私はせっかく日本に帰ってきた。温かく日本に迎えられたにもかかわらず、日本の法務省は随分冷たい。せっかく日本国籍に戻ったのに、そこでそういう事情がわかったというような話でまた中国籍に戻されて、日本人になりたかったら帰化しなさいというようなお話になる。これに対して、戸島一行さんという方が九三年の十二月からずっと、日本国籍を返してほしいということで裁判を起こしておられます。  ケース・バイ・ケースでの対応を法務省はされておられるそうですけれども一体こういうケースはどのぐらいおありなのか、その辺はどういうふうにつかんでおられるのでしょ・うか。
  54. 原優

    ○原説明員 先生のお尋ね、中国残留邦人の方から国籍認定が出されて日本国籍を喪失しているというケースがどのくらいあるかということにつきましては、具体的な統計は持っておりませんが、現在裁判所に係属している事件が二件ほどございますので、日本国籍を喪失しているという認定をしたケースはそれほどないのではないかというふうに認識しております。
  55. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 実は、大阪の大阪中国帰国者センターの理事長の竹川さんからもこの件について要望を受けているわけですけれども、法務局の窓口に行くと、窓口で随分対応が違う。それも都道府県によって違う、担当者によっても違う。随分ばらばらな対応だということなんです。  法務省の御説明を聞きますと、それぞれ個々のケースを聞いてみないとよくわからない。どういういきさつで中国の国籍をお取りになったのかわからないので、その話を聞いて、それが自発的な意思だったらそれは中国人なんでしょうという話になるというわけなんですが、そこのところが、これは厚生大臣もよく御存じのとおりに、中国状況がああいう状況でしたから、やはり中国の人と結婚しないと生きていくことができない、あるいは無理やり中国籍にさせられた。あるいはそうしないと生きていけない。それはさっきの答弁というか、大臣お話しになったとおりの事情があるわけです。その事情がわかっていれば、もっと温かく日本国としては、中国籍を持っていたんだから日本に帰化しなさいというようなことをしなくてもいいのではないだろうか。数も大変に少ない。まあ法務省としては厳しく対応しなければいけないと思うのですけれども、もう少し温かみのある対応は窓口でできないものなんだろうか。そういうことに対して、こういうふうな対応をしなさいということで、法務省としてそれぞれの窓口にお話はしておられないのだろうか。その辺はどうなんでしょうか。
  56. 原優

    ○原説明員 先生御指摘のように、中国残留邦人方々が戦後置かれました生活環境といいますか社会情勢といったものほかなり厳しいものであったというふうに認識しておりますので、中国国籍を取得したことも、生活をしていくためにやむを得ずしたという方がかなり多いのではないかというふうに私どもは認識しております。  したがいまして、中国国籍の取得が自己志望であったかどうかという日本国籍の喪失につながることの認定に当たりましては、今までも慎重に対処してきたわけでございますが、援護法が成立して、今後さらに残留邦人方々帰国されるということですので、そういう趣旨を踏まえながら、残留邦人方々の置かれた実情に即した国籍認定を今後も行ってまいりたいというふうに考えております。
  57. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 一つのケースとして聞いておりますのも、塩見都代子さんという方が、この方は中国では結婚をせずにずっと日本人として生活をしておられた。中国から帰ってくるときも、中国のパスポートではなくて在北京の日本大使館発行の渡航証明書で日本に帰ってこられた。すなわち完全な日本人として帰ってこられたにもかかわらず、京都の法務局の方で、あなたは中国人なんだから日本国籍を取るためには帰化しなさいということで随分と帰化を強要されて、それに従ってしまったというお話があります。それで、この話はおかしいということで、今、申し立てをこれからされようということになっています。  お伺いしたら、この関係の資料は全部公文書館の方に入っているのでなかなか資料の取り寄せができないということなので、きょうのところはこのケースについての御回答はいただけないのでしょうけれども、少し温かく、今のような趣旨で見守ってくださるという御答弁をいただきたいというふうに思います。
  58. 原優

    ○原説明員 今先生御指摘のケースは大分古い事案でございますので、私どもとしては調査をしているところでございます。したがいまして、事実経過の詳細等を把握しておりませんので今どうこうということは申し上げられませんが、帰化によって日本国籍を取得されたということは、先ほども申しましたように、自己志望によって中国国籍を取得されたという認定がされて帰化申請が行われ、それで帰化されたという経緯だと考えておりますので、なお事実関係を調査してまいりたいと思っております。
  59. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 よろしくお願いをします。  井出大臣には、中国から帰ってこられた皆さん中国語でお話をしていただき、大変に親近感を持っていただいていると思うのです。それで、こういう法律も昨年できました。実際、やはり日本の特に厚生省を頼って帰ってこられると思うのです。こういう、国籍関係に関しては法務省だ、日本で働くことに関しては労働省だというふうに、どうしてもここに縦割りの壁があります。そういう意味でもぜひ大臣として、御理解をいただいているので、今後ともにしっかりと残留邦人の問題に取り組みをするんだという御決意を聞かせていただきたいと思います。
  60. 井出正一

    井出国務大臣 今、山本議員の御質問をお聞きしながら、実は私、国会へ出てきて初めての質問が当時法務委員会でございまして、残留孤児の皆さんの就籍問題でした。この就籍問題も、今よりはなかなか難しいような状況だったものですから、時の法務大臣、遠藤要先生だったと思いますが、厚生省援護局だけに任せないで内閣挙げて取り組んでいただきたいというようなことをお願いしたことを今思い出しながら、御質問をお聞きしていたわけであります。  中国残留邦人が、永住帰国後、日本社会日本人として円滑に定着自立していく上で、日本国籍を早急に回復し、または取得することは大変重要なものだと考えております。厚生省といたしましては、中国残留邦人がみずからの戸籍の回復等に当たっては、必要な資料の提供等の便宜を図ってきたところでありますが、来年度予算案におきましても、新たに、身元が未判明である孤児が容易に日本国籍を取得することができるよう、就籍を行うための費用を国が援助するための予算も実は計上しておるところであります。  国籍とかあるいは入管という問題は、確かに法務省の事務として、またそれなりに大事な分野でありましょうが、事がこういう戦争に端を発したものだけに、そこは、先ほどの山本さんの言葉をかりれば、血の通ったような対処をぜひしていただきたいと、私も個人的には思います。中国残留邦人の国籍問題の解決のために、厚生省としてもまた全力を尽くしていくつもりであります。
  61. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ありがとうございます。よろしくお願いをします。  次の質問に移らせていただきたいと思います。  きのうの朝日新聞の一面と三面に、アメリカの占領軍の関係の資料があってということで、一面の方では、報道検閲がこういうふうにされていましたというような、いわゆるアメリカの国立公文書館に入っている秘密文書をもとにした記事が載っておりました。三面の方には、きょう三月十日は東京空襲の日ですけれども、アメリカはこういう意図で爆撃をしていたのだというようなことが、やはりアメリカの資料をもとにした記事として書かれておりました。  国立国会図書館に憲政資料室というところがあるのだそうです。七八年からこういったGHQ関係の資料を、国会の議論もあったので随分とお集めをいただいているようです。ただ、収集はしているけれども資料の整理もなかなか大変なんだというふうにお伺いをしているわけですけれども、どういったような概要になっていて、今どういった点でお困りになっておられるのか、どういったことをなさりたいのか、そういったあたりを国会図書館の方からお話を聞かせていただきたいと思います。
  62. 熊田淳美

    ○熊田国立国会図書館副館長 今先生からお話がございましたように、国立国会図書館といたしましては、昭和五十三年から、主にアメリカ国立公文書館に収蔵されております連合軍最高司令部の文書、私ども、これをGHQスキャップ文書と呼んでおりますけれども、これをマイクロフィルムによって収集いたしております。現在、その関連資料も含めまして数千万ぺ−ジに及ぶものでございます。  もともとこれらの資料は、アメリカ公文書館の中におきましてもかなり未整理の状態にございまして、これをそのまま一括して複写いたしておりますものですから、検索等も含めまして、かなりいろいろ問題点があることは確かでございます。これらはやはり専門的な立場から、いろいろまた御検討いただかなければいけないところでございまして、昨日の新聞報道にもございましたようなものも、研究者みずからがそういった大きな山の中からお探しになっているというような状況でございまして、それらの整理等を含めましても、鋭意進めてまいりたいというふうに思っております。
  63. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 いみじくもおっしゃいましたように、山の中から資料を探さないといけないという状況があります。数千万ページとおっしゃったけれども、数千万ということでいけば、恐らく五千とか六千万ページの資料が、このGHQの関係のスキャヅプの資料だけでもあるのです。お伺いしましたら、それを、人員としては四人の方と非常勤一人の五人で、古い型のコンピューターを使って、一生懸命、今、カタログづくりというか文献の目録づくりをされておられる。この数千万ページと、四、五人という数を数えると、随分と資料の整理とかに時間がかかるようにも思うのです。  実際のところ、三十年たちますと、アメリカの方であちこちから秘密文書の公開が始まりますので、あれも出る、これも出てくるという状況がある。あちらの外交官の皆さんは、自分が引退しますと、それぞれ、大学の図書館に自分の関係の資料を寄附したりされていますので、アメリカ国内にかなり散在をしている。それを、アメリカに一人の職員が常駐をして、どういう資料があるのかということを見ながら、必要であれば日本に持ってくるのだということで今対応されておられる。そういう極めてお寒い状況の中なんです。  戦後五十年の節目の年という中において、いろいろやることが必要なことはあると思うのですが、私は、こういう資料の収集とか整理、それを国民皆さんにアクセスしやすい状況整備をしていくということは極めて意義のあることだと思うのです。そういった点で、今図書館の、概要は教えていただきましたけれども、どういうふうになさりたいのか、どういうところが問題なのかという点について、お話をしてください。
  64. 熊田淳美

    ○熊田国立国会図書館副館長 今御指摘にありましたように、非常に膨大な資料でございます。ただ、こういった資料はかなり個々の文書の集団でございまして、ページ数でいいますと数千万になりますし、また件数にいたしましても相当な数になるわけでございまして、これらを一図書館だけですべてを整理するということは非常に難しゅうございます。  実際には、こういったマイクロフィルムをそれぞれの、例えば特定の大学がそっくりまたその部分を複写をいたしまして、そこの大学で細かな分類をつけたり利用しやすいような形で整理をされているというようなことがございまして、その結果をまた国立国会図書館の方にフィードバックをしていただくというような形をとっております。例えば、国立教育研究所が占領期の教育関係の資料についてはそっくり複写をされまして、それの細かな目録をおつくりになっているとか、あるいは立命館大学でそっくりGHQ関係をおとりになって、また個々のリストをつくっていらっしゃる。そういうふうなものをやはり国立国会図書館の方に、徐々にではありますけれども集積していって、結果的に国民皆さんに十分アクセスできるような体制、ですから、アクセスそのものを保証した上で、利用についてはそういう研究機関の御協力を得ながらやっていきたいというふうに考えております。
  65. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 特殊文書整備費というのだそうですけれども予算が七千万円で動いておられるというふうにお伺いをしました。  これから多分、今はアメリカ中心ですけれども、例えばイギリスですとかオーストラリアですとか韓国ですとかというところにも、戦中、戦後、あるいは戦前の日本統治下におけるところの資料なんかもいっぱいあると思うのです。そういうものもぜひ集めないといけないでしょうし、二〇〇二年になりますと沖縄の返還関係の文書がオープンにされて、こういった文書もぜひ日本に持ってきたいというふうにお考えだと聞きます。  例えば映画のフィルムとか、米軍さんが随分たくさん日本状況を撮影をしているものがあるわけですけれども、かつて早乙女さんのところで、そういったものを民間の基金で持ってこようというような動きもあったわけですけれども、国として、こういう映画フィルムなんかもぜひ日本として保存をし、後世の人たちに事実を知ってもらう、こういう資料を収集しておくということが大変大切だと思うのですけれども、今後そういう映画のフィルムというようなこともお考えなのか。  そして、イギリス、豪州、韓国といったような資料も、それからアメリカに点在しているような資料もお集めになりたいというふうなお気持ちがあるのか、その辺はどうなんです。
  66. 熊田淳美

    ○熊田国立国会図書館副館長 現在進めております計画も、既に十数年を経過いたしておりましてまだアメリカにあります占領期の文書も十分収集し切れていないという状況でございまして、その先どうするかということについては、現在のところ、まだはっきりした計画は持ち合わせておりませんが、少なくとも、アメリカにあります公文書館の資料は十分な形で収集してまいりたいというふうに思っております。
  67. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 これもひとり国会図書館のお仕事というのではなくて、日本の国として、政府としてどういうふうに対応していくのか、どういうふうに予算をつけ、人をつけてあげるのかということにかかわってくるんだというふうに思います。  今、同時並行的にといいましょうか、内閣の外政審議室のところでアジア歴史資料センター、村山さんの昨年八月の談話をもとにしてこういう計画が進んでいるわけですが、六月には大体どういったものをつくりたいんだという話で最終報告が出ると聞いておりますけれども、このアジア歴史資料センターについて、今どういったところまで検討が進んでいて、大体どういったものになりそうなのか、その点についてお話を聞かせてください。
  68. 石田和成

    石田説明員 アジア歴史資料センターの設立検討のための有識者会議というのが現在設立されておりまして、先生御案内のように現在検討が進められております。現在までに四回この会議が開催されております。それで、ここの主な議題と申しますのは、センターの事業内容、それからもう一つは運営や組織のあり方といったものでございます。  それで、これまでに行われておりますものは主にセンターの事業内容についてでございまして、アジアと日本とのさまざまなかかわりに関する歴史資料、それから文献等を幅広く収集、保存する、それを整理、検索する、そういうシステムを整えるとか、あるいは内外の研究者や国民一般の利用に供していく、また、さまざまな交流の場を提供する、そういった事業を中心に行っていったらよいのではないかといった点では基本的なコンセンサスがあるというふうに考えております。  その他、さまざま活発に御議論が行われておりまして、最近では、先ほどの二本の柱の中の一つのセンターの運営のあり方についても含めて議論が行われているという状況でございます。事業の内容も運営のあり方も相互に関連するテーマで、どちらもその議論の途中でありますので、現在、この時点で何か結論に近いものが出ているというわけではございませんけれども、いずれにしましても、ことしの六月末までにこのセンターの基本的な方向づけを何か提言のような形で有識者会議でおまとめいただければと考えております。
  69. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 この設立構想に関する意見とか提案を広く一般の方たちからも求めているというふうに聞いておりますけれども、今までのところ、どういった内容のものが来ているのか、何点ぐらい来ているものなのか。
  70. 石田和成

    石田説明員 これは二月九日に意見・提案募集保の記者発表を行いまして募集を始めておりますけれども、現在までに二十件程度、正確には昨日までで二十一件、そのほか匿名で一件ございます。  内容につきましてはさまざまでございまして、比較的真摯な意見が多いわけですけれども、この募集期間は四月末までとしておりまして、我々今後、こういった意見募集についての周知に努力してまいりたいと思っておりますので、また応募数がふえるのではないかと期待しております。そういったところです。
  71. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 内容については一般に公開されることを予定していますと書いてありますが、ぜひ公開をしていただきたいと思います。ここに日本皆さんの意見が集約をされてくるというふうに思うのです。  きょうの本論は、実は平和祈念館ということについて厚生省にお伺いをしたいと思っているわけですけれども、今何らかの決議を国会でしょうという話がある。それが不戦であったり反省であったり謝罪であったり恒久平和であったり、いろいろな人によっていろいろな言い方があるわけですけれども、戦後五十年の節目の年に日本国民としてあるいは国会として何らかの決議をしたいというふうに私も思います。  ただ、そのときに、この平和祈念館のこれまでのいきさつを見ていますと、あるいはこの決議をめぐるいろいろな議論を聞いておりましても、五十年という話の中では、このタームの中ではなかなか皆さんの気持ちが一つにはなりにくいんだなというのが正直思うところなんです。平和祈念館構想も委員の方が辞任をされたりということで実に紆余曲折をしておりまして、最初に聞いたときはことしにはもうできるという話が、年内着工も無理がというような話になってきているように聞いています。何となく三年前の振り出しに戻っているような気がするのですけれども、今どういうふうにお取り組みをされているのか、厚生省はどう考えておられるのか、そこを聞かせてください。
  72. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 確かに先生から御指摘いただいたような状況が見られるわけでございますけれども、多少振り返って経緯を申し上げさせていただきますと、平成四年に戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会というようなところからこの遺児記念館についての基本構想・基本計画が提出されまして、これを踏まえまして平成五年度の予算においてその建設計画が予算化されたわけでございます。そして、平成五年の六月から、建物につきましての設計を契約いたしまして設計に入りました。それで、平成六年三月に、でき上がった設計をもとに建設工事の契約を既に締結いたしておるところでございます。そして、平成六年度に入りまして、あわせて建築のための具体的な諸手続、法的な手続などを開始いたしておりまして、平成六年の七月には建築許可もいただいたわけでございます。したがいまして、そういう面からいきますと、法律的にはいつでも着工できる状況に今はあるという現状ではあるわけでございます。  ただ、この過程におきまして、建物のデザインを初めといたしまして、例えば展示内容のあり方など、いろいろなこの施設につきましての御意見が各方面から寄せられるようになってまいりました。そういう状態を踏まえますと、余り固定観念を持った形で着工を急ぐということもいかがなものであろうかということで、今現在は着工を見合わせておりまして、できるだけ幅広い御意見を踏まえまして、当初構想にできるだけ沿ったような形ではあるけれども御意見にも沿えるような、何かそういう面はないかということで、今各種の御意見を踏まえながら有識者の御意見を徴しているという段階でございます。
  73. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 各種御意見を聞いたらますますまとまらなくなるのじゃないかというふうに思いますね、この議論のいきさつを聞いていても。委員皆さんも、たった十人の委員の中でもやはりもう嫌だといってやめてしまう、厚生省独走だということで、それが当たっているのかどうか知りませんけれども、そういうことをおっしゃる方たちもあると新聞には載っております。  そうすると、今まだ見合わせの段階です。これからどういった方策で取り組もうとしておられるのです。
  74. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 いろいろな御意見の中でまず建物に関します御意見は、周辺の皆さん方といろいろとお話し合いをしている過程におきまして、例えば建物が建ったときの日照でありますとか風害、電波障害、あるいは周辺の生活環境へ与える影響などというようなものについてのいろいろな御意見も出ております。これらにつきましては、それなりに一応の代替案といいますか修正案を住民の皆さん方に御提示を申し上げて、おおむねいわゆる町内会単位の大きな段階では住民の御理解をいただけたものと一応判断いたしておるところでございます。  ただ一点、デザインにつきまして、これは周辺の景観とかなり大きく調和を損ねるというような御意見がありまして、これは大変印象にまたがる問題でございますので、なかなか難しいわけでございますけれども、その点につきましては、何らかの接点がないかどうか、それは設計者のお立場もございますし、また私どもが発注を既にした経緯もございますので、どの程度までの修正が可能なのか、その点も十分含めまして、設計者の方と打ち合わせていただけるようにということで、今建設省にその仲介方をお願いいたしておるところでございます。  また、実際の後々の運営形態等につきましては、特に大きな意見の違いは、例えば展示内容をめぐりまして、片や遺族の心情を十分配慮したような展示内容を考えてほしいという御意見がある反面、片っ方におきましては、日本が侵略的行為でいろいろと御迷惑をおかけした地域方々の立場に立った展示内容を十分に出すように、こういう御意見もございます。こういうような御意見をそれぞれの歴史観、価値観に立った上で取り入れていくのはなかなか難しいんではないかというのが、実は現在お聞きしている専門家の皆さん方の間の御意見でもあります。  そういうことから、展示内容というものも、そういういわゆる歴史的な価値観に非常に関連したものについてはできるだけ避けた方がいいんではないかというような形で、そういう方向性がとれないかどうか、これを目下、最終の詰めの段階に来ております。
  75. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 結局、展示は外すという話になってくると、図書館的なのか博物館的なのか資料館的なのかというお話があって、博物館的なところはなくなっていくということ。図書館的なという話になれば、結局はさっきも聞きましたアジア歴史資料センターがこれからどういうものになるのか知りませんけれども、ここも資料をいろいろ集めてやっていきたいというお話なんです。既に、GHQ関係云々は、さっきも御答弁いただいたように国立国会図書館に随分資料としてはある。何か、同じような性格のものをあちらこちらでやっていても仕方がないんじゃないかなというふうに思うのです。  意見はまとまらないというのが、実はこの平和祈念館構想を見ていて思う話。単にデザインの問題だけじゃどうもありませんよ。無理やりそのデザインの手直しをしてまたやろうというのも、これも無理があるだろう。検討委員会の中にデザイナーの人が入っていたというのも、これもやはりおかしな話を呼んでいるところの一つだと思うのですけれども、そういった意味からいけば、これはもう白紙に戻していいんじゃないか。百二十三億でしたかしらもあります。実際の展示内容の検討も進まない、運営方法もよくわからないというか決まらない、建物のところでつまずいちゃったので話がそこから先進まない。検討委員会も十カ月ぶりにようやく二回目が開かれて、そこでああいう紛糾をしている。こういう状況であれば、一遍これは白紙に戻して、何が今一番必要なのかということを考え直して、一番お金の使い道がいいところを考えた方がいいのではないか。  運営主体も結局日本遺族会というところで、もともと遺族会が要望されてこういう構想が出てきて、それが厚生省という枠内でやるには遺児の皆さんを慰藉するための施設ということにもせぬといかぬかなと、遺児記念館のようなものが出てきた。でも、それでは国民のお金は使いにくいので、平和祈念館というふうに名称も変えた。まさに名が体をあらわすがごとくに、だんだん構想が変わっていって、結局、本当はつくりたいというものがあったんだけれども、いわばコンセンサスが得られなかったのでそこでとんざしている。こういう状況であるならば、これは一遍話をもとへ戻して、議論も振り出しに戻っているわけだから構想そのものも振り出しに戻して、今日本が一番何を求めているのか、何が必要なのかというところにお金を使うというのが行革の観点からいっても一番いいことじゃないかというふうに思うのですけれども
  76. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 お言葉ではございますが、私どもの方としたしましては、それほど悲観的には実は考えておりませんで、事柄の本質のところといいますか、厚生省としてこういう施設をつくるということについては御理解をいただいているのではないかというふうに今理解をいたしているわけでございまして、ただ、その過程におきまして、確かに、いろいろな事務手続の点で手順を踏んできた過程におきまして、例えば委員の皆様方に十分説明が不足した面が多少あったかもしれない。ですから、デザインの問題なんかにつきましても、なかなか御理解が得られなかった部分もあったのかもしれないというようなことがありまして、そういう点では、先ほど先生からもお話がありましたように、幅広く情報を公開をするような形で、皆さん方の意見も入れてできるだけオープンな形でこのあり方をきちんと決めていくという形を考えていきたいと思っております。  ただ、基本的なところは御理解いただけているので、基本構想の問題について特にそこを否定するということではないし、また、確かに建築の時期はおくれましたけれども、五十周年を迎えて、こういうふうに戦争をめぐる歴史が非常に風化している状態のときにこういう施設を整備して、先ほど先生からのお話もありましたようなああいういろいろな、例えば外国のデータや何かも、そういうデータバンク的な要素もこの中に含んでいくという形で特化をしていくということも可能であろうと思いますし、戦中、戦後の厚生省的な、いわゆる国民生活上の労苦をあらわすようなそういう資料館といいますか、あるいは博物館といいますか、そういうようなものとしてそれを特化することは十分可能であろう、こう考えておるものですから……。
  77. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 これからまた議論が進んで、どういうものをつくるんだという話が、まあ自信を持ってやれるとおっしゃっているけれども、僕は無理だと思うのだけれども、そうすると、そこのアジアの歴史資料センターの構想あるいは国会図書館の憲政資料室のお話、そういったところとの調整が必要になると思うのですけれども、調整はされませんか。
  78. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 先ほど外政審議室の方からの御答弁で、まだはっきりした歴史資料センターの方の構想も固まっておるわけではないものですから、今のところ、その設置目的なりあるいはつくろうとしているところの分野が多少私どもとは違うのではないかということで、それなりに調整は図られているというふうにも考えておるわけですけれども、具体化した段階で、その中で調整を図るべき分野があるならばそれは十分図っていかなければならない。  ただ、私どもとしましては、恐らく相補うような立場になるのではないか。お互いに補完し合って、まさしくこういう戦争をめぐるような歴史を、学者の方々あるいは研究者の方々にいろいろな資料を提供するときにどこに何があるかをきちんと提供できる、そういう全体のネットワークといいますか、そういうものをつくったときのその中の貴重な一つとして位置づけられるのではないか、こう考えておるところでございます。
  79. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 昭和五十年の社会労働委員会で当時の田中厚生大臣が、空襲や戦災の記念館のようなものをつくりたいという御質問に対して、厚生省所管でないような気がするなというふうに答弁をされておられる。今度の平和祈念館構想を見ていても、これはどうも厚生省の話ではなくて政府全体がやる話なんだなというふうに思います。  そういう意味で、この戦後五十年の節目の年に何をつくるのか、何を残していくのか、そういった観点でぜひ振り出しに戻って、これはさきがけさんとしては一番行革に取り組んでおられるわけだから、こういう建物を建てるというところに百二十三億円もお金を使って、何ができるのかわからない、運営も遺族会がやるんじゃどういう内容になるのか、そこも検討の詰めができない。展示をするという話になると、これもややこしい話が出てきている。結局、資料館的なものしかできない、そういう話になるのであれば、あちらこちらで出ている構想をひとつ調整しながら、閣僚のお一人として厚生大臣にひとつ、これは厚生省の仕事だからというんじゃなくて全体を視野に入れながら取り組みをしていただきたいと思うのですけれども、その点だけお答えをいただいて、質問を終わりたいと思います。
  80. 井出正一

    井出国務大臣 この戦没者追悼平和祈念館につきましては、今山本議員いろいろな経緯も御指摘くださいましたが、まさにそのような経緯をたどって現状にあるわけでございます。私といたしましては、せっかくつくる施設が国民の多くの皆さんに喜ばれる施設にならなくちゃ困るわけでございまして、そういった意味では、法的な手続が済んでいるからもういつでも着工してもいいんだというふうには全く思っておりません。専門家による委員会の先生方の中にもいろいろな御意見が出ておられるようで、中には辞職、辞任届を出された先生も何人かいらっしゃって、その点、私も実は苦慮しておるわけでございますが、たまたまアジア歴史資料センターの構想も昨年から出てきておりまして、これとの関連がどうなるかということも、恐らくこの有識者から成る委員会においてもこれから御論議がなされていくんじゃないかな、こんなふうに私は思っております。ですから、一日も早く、今辞表を提出された先生方に慰留を申し上げておるところでございますが、ぜひとどまっていただいて、いい方向を委員会としてお示しいただきたい、こう今私は考えているところであります。  確かに、厚生省としてやる場合、どうしても援護局の仕事となりますと、なかなかいろいろな、私自身、個人的にはこういうこともしたいなということはないわけではございませんが、どうしても厚生省事業としてやるにはなかなか大変な問題もあることも事実であります。そんな中に、今申し上げましたアジア歴史資料センター構想も出てきておりますから、これ士の兼ね合いといいますか、調整がどうしても必要な時期に来ておるということは私も考えておりますから、そこらをよく見通したりあるいは調整をしながらやっていきたい、こう考えております。
  81. 山本孝史

    ○山本(孝)委員 ありがとうございました。終わります。
  82. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 福島豊君。
  83. 福島豊

    ○福島委員 新進党の福島豊でございます。  本年は、戦後五十年という節目に当たる年でございます。また本日は、東京空襲から五十年という日に当たると先ほどお話がありました。その意味で、今回審査される法案でございますが、私は基本的に賛同するものでございますけれども、この法案にとどまらずに、戦争によって被害を受けた多くの方々に対して今までになされてきた政府の対応万般にわたりまして、お聞きしたいと思います。  とりわけ戦後補償ということで政府がなされてきたさまざまな対応が、公平という観点といいますか公正という観点から、一体どうだろうかと私自身は疑問に思うところが多々ございます。  まず第一番目に、これは大臣にお聞きしたいわけでございますが、日本の戦後補償、これは国民に対してのものもありますし、またアジアの諸国に対して、またその国民の皆様に対してのものもあろうかと思います。この戦後補償に関してでございますが、この五十年に当たりまして、これは完了したんだ、完了しつつあるんだ、もうかなりのことを日本はやってきたんだ、そのように大臣がお考えであるかどうかということでございます。  これはずっと私、今までの議事録等読んでおりまして、その時々でそのときの政府はいろいろなことをおっしゃっております。例えば昭和四十二年、これは引揚者に対する特別交付金が二千億円ほど支出されたときでございますけれども、このときに政府は、戦後の処理について一つ区切りになったんだという話をしております。  しかし、またその後もさまざまな問題が出てまいりまして、これはよく知られておりますが、昭和五十九年に戦後処理問題懇談会が設置されまして、その答申を受けて昭和六十三年の平和祈念事業特別基金等に関する法律が成立したわけでございますけれども、このときも当時の小渕官房長官が、今回のこの法律案をもちまして戦後の問題についてはすべて終結させる、そのような御発言をしております。  これはいろいろなとらえ方があろうかと思いますけれども、しかし、この一連の御発言を伺っておりますと、終わらせたい、とにかく終わらせたい、その思いだけが先行して、現実にある問題、いろいろな問題があるわけですが、その問題に真正面から向かい合うということを避けてきた。そういうような気が私はしてなりません。ふたをしてしまう、ふたをして終わらせる、しかし、そのふたの下からまたいろいろと問題が出てくる。ですから、昭和六十三年にこのような発言がありましたけれども、それ以後も、例えば中国残留邦人の問題であるとか従軍慰安婦の問題であるとか、また軍事郵貯であるとか軍票の問題だとかいろいろな問題、引き続きやはりいろいろな声が上がっておるわけでございます。  そういう結果を考えますと、この戦後五十年というのは本当に節目であって、今までの対応は一体本当にこれで十分だったのか、そしてこの年に一体どこまで、もし不十分だったとすればどこまでするのかということを改めて真剣に政治家は考えなければいけないと私は思います。  この点について大臣厚生省の所管で、厚生大臣でございますのでその立場からはお答えできることは限られていると思いますけれども、政治家として、また個人としてどのようにお考えなのか、まず御見解をお聞きしたいと思います。
  84. 井出正一

    井出国務大臣 今福島委員御指摘の昭和五十九年ですかの戦後処理問題懇談会報告書において、戦後処理の基本的なあり方についての検討結果が報告されたことは私も承知しておりますが、ここでは、主として恩給欠格者問題とか戦後強制抑留者問題及び在外財産問題等についてかなりの突っ込んだ御報告をいただいておるわけでございまして、これだけが戦後処理問題とは私は個人的には思っておりませんし、ましてや完結しているとは到底思えません。  先ほど申し上げました中国残留孤児の問題一つとりましても、私は、まだまだこれから今後もそういう皆さんが名乗り出てこられる可能性は十分あるわけでございますから、そういったものにつきましては、やはり仮にどんなに時間がかかっても私たちは逃げてはならない問題だと思いますし、そういう方向で対処していくべきだと思います。  これはまた先ほど質問に対するお答えと少しダブってしまいますが、戦後五十年、いきなりといいますか二、三年後に冷戦構造に組み入れられて今日まで来たものですから、そのときの選択としては私は間違っていなかったと思いますが、むしろ冷戦構造が崩壊した今、冷戦構造じゃなかったらもっと早くに出てきた問題が逆に今ごろになって出てきている問題も多々あるのではないかなと思いますから、我々を含めて、戦争あるいはあの時代を知らない世代が人口の三分の二ぐらいになったにしても、やはり私たちはそういう日本の歴史を背負っていくべきだ、こう考えております。
  85. 福島豊

    ○福島委員 大臣のお考え、承りました。  今回の法律案におきまして、戦傷病者戦没者遺族等援護法支給額の引き上げ、これは恩給法との関連、また諸経済情勢の変化等勘案しまして当然の措置であろう、そのように認識いたしております。  同時に提出されましたこの特別弔慰金の問題でございますが、これは昭和四十年、また五十年、六十年と支給されてきたわけでございますが、先ほどもこれは御質問がありましたけれども、これを今後引き続き行うのか、これはまた十年後に考えますということでございましたが、日本の戦後補償の体系の中でどういうような位置づけにあるのかというか、その点についてのお考えをお聞きしたいと思います。
  86. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 この点につきましては、先ほど荒井先生に対してお答えしたのと同じ形になろうかと思うのですけれども終戦二十周年、三十周年、四十周年というそれぞれの節目のときに、それぞれその時点時点におきまして、そのような恩給等の年金をもらわなくなった方々に対しての何らかの措置は必要ではないかということで、その都度御判断をいただいたことではなかろうか、こう思っております。  今回も終戦五十周年の大きな節目に当たっておりますので、この軍人恩給等を受給していないそういう戦没者遺族方々に対してどうしたものだろうかということで、私どもといたしましては、改めてこの際弔慰の意をあらわすということの必要性を考えて、この特別弔慰金の改正案をまたお願いしたということでございまして、このような施策を今後ともとり続けるかどうかということは、やはりその時点時点の社会経済情勢をよく見きわめて判断をさせていただくことになろうかと思うわけでございまして、十年後どうこうするということはちょっとこの場でお答え申し上げるわけにはいかないのではないか、こう思っておりますが……。
  87. 福島豊

    ○福島委員 それは一つは、十年後どうこうと今語れないということですけれども、戦後いつまで続くのかという、これはもう十年後やってはいかぬという意味ではないのですけれども、戦後弔意をあらわす、戦後の補償をしていくということが、政府としてこれはどういう時間軸の中で考えているのかということなんです。十年後、また十年後、十年後と、それはそんなにならぬと思いますけれども政府として一つ区切りというのは一体いつなのか、そのあたりの考えなんです。どうでございましょう。
  88. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 再度の同じようなお答えになるかと思いますが、今回はとにかく五十周年という一つ区切りでございましたので、何とかこの際、再度特別弔慰金お願いいたしたい、こういう判断をいたしたわけでございます。これはやはりその時点時点における社会経済情勢をよく見きわめて判断すべきことであろう。ですから、十年後になった段階の社会情勢等を考えて、そこの段階でまた必要があるかどうかを判断せざるを得ない、こう考えておる次第でございます。
  89. 福島豊

    ○福島委員 若干数字的なことをお聞きしたいのですが、特別弔慰金でございますが、今まで三回にわたりまして支給されました。今回は六千四十億になるというふうに御報告いただきましたが、今までの総計というのは一体幾らぐらいになるのでございましょうか。
  90. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 節目のときに出す形になっておりまして、途中追加的に補完をしたのは、それぞれの周年の間にありまして多少の補完がございます。それを全部合わせますと、国債額といたしまして六千五百三十八億という額になっております。
  91. 福島豊

    ○福島委員 六千億を超える、今回の額を入れますと一兆二千億ということになります。私がこの戦後補償ということをずっと見てきて、個人的にですが感じることというのは、二つの格差があると思うのです。  一つは、国内的に、軍人軍属であった方と一般の戦災者の方の格差というのは非常に大きい。また、日本の国内と国外の問題です。この格差も非常に大きい。国籍を持っている人と持っていない人の違いというのは非常にある。今回の特別弔慰金も、今までの経緯を考えますと大変な大きな額であるというふうに考えます。ですから、その問題を考えるときに、反対するものじゃありませんけれども、しかし、国内の問題また国外の格差の問題、これをどうやって埋めていくのかというそういうことはやはり考えなきゃいけないのじゃないか、そういう思いがいたしております。  その第一点としまして、戦後の強制抑留者の方、先ほどもシベリア、モンゴル等お話ございましたけれども、この点についてお聞きしたいと思います。  本日は、総理府の方にわざわざおいでいただきまして、お話伺いたいと思います。これは先ほど申し上げましたが、昭和六十三年に平和祈念事業特別基金等に関する法律が制定されてこの基金ができたわけでございます。そのときの議事録をずっと読んでみまして、これでいいのか、特別基金をつくるというだけでいいのかという議論がたくさんあった。また、当時与党でありました自民党のサイドからも、これじゃやはり不十分なんじゃないかと議員立法の動きもありとか、またこの法案のときには、それを受けて野党の側が共同して対案を出したというような経緯があったというふうに認識いたしております。シベリアの極寒の地で、戦争が終わったにもかかわらず強制抑留を長いことさせられ、また強制労働させられたという方に対しての政府の対応としては、私は不十分じゃないかというふうに素朴に実感いたしております。  しかし、当時この法律ができまして、そしてさまざまな事業をやっていくんだという話になったわけでございますが、それから七年たちますが、この間一体どういう事業が行われてきたのかということについて簡単に御報告をいただきたいと思います。
  92. 戸谷好秀

    ○戸谷説明員 お答えいたします。  いわゆる戦後シベリアに強制抑留された方々に対しましては、平和祈念事業特別基金等に関する法律に基づきまして、私どもの所管の業務で申し上げますと、まず基金法に基づきまして、恩給等を受給されておられない方、これはそれぞれ軍務に服したということで恩給等を受給されておられる方もおられますし恩給年限に達してない方もおられるわけでございますが、その恩給等を受給されておられない方に対しましては、内閣総理大臣名の書状、銀杯の贈呈、それから慰労金、これが十万円の交付国債でございますが、支給を行っているところでございます。  それから、恩給等を受給されておられる方、こういう方々に対しましては、先ほどの書状及び銀杯で三つ重ねになっておりますが、これを贈呈する事業を行ってきております。  また、現地で亡くなられた方、これにつきましては、その遺族に対し、内閣総理大臣名の書状及び銀杯を贈呈しているところでございます。  それから、こういうシベリアに抑留されたというような方を初めといたしまして、関係者の御労苦を後世に語り継いでいく事業ということで、当時の関係者の御労苦に関する資料の収集、保管、それからこれら収集した資料を展示する平和祈念展や講演会の開催、御労苦を皆様に書いていただきまして、それを記録にとどめて出版する等の事業、さらには関係者の方々が行う慰霊事業の助成、こういうものを実施しているということでございます。  以上でございます。
  93. 福島豊

    ○福島委員 今さまざまな事業を行っておるというお話でございました。この法律ができる際に、大きな議論のポイントというのは、抑留中に強制労働させられたその賃金、これは当然支払われていない。この賃金はどちらが払うのかという問題もありますけれども、しかし、例えばアメリカ等の例を見ても、抑留国が支払わない場合には被抑留国の側が直ちにそれに対応するんだ。そのような法律があるということが、この議事録を読んでおりまして書いてありました。それは一般的な国際法の捕虜の取り扱いについての慣行からいっても、そのような対応をしておかしいことはないんだというふうに私は感じました。その慰労ということは大変大切なことでありますし、またありがたいことでもあると思いますけれども、しかし、基本の論点の一つというのが、強制労働させられたそのときの労賃は一体どうなるんだ、だれが持ってくれるんだという話がやはりあるんだと思うのですけれども、この点について、なかなか御答弁は変わらないと思いますけれども、御見解をお聞きしたいと思います。
  94. 戸谷好秀

    ○戸谷説明員 先ほどから申し上げておることでございますが、政府といたしまして、昭和五十九年の戦後処理問題懇談会報告におきまして、いろいろ御議論はあったわけでございますが、国として措置すべきものはない、しかし、関係者に対して衷心から慰藉の念を示す事業を行う特別の基金を創設すべきであるという提言をいただいたところでございます。この提言に沿いまして平和祈念事業特別基金等に関する法律を制定し、同法に基づきまして、昭和六十三年七月に特別基金を設立して、申し上げましたような慰藉事業実施しているところでございます。  重ねて申し上げますと、とりわけシベリア抑留者に対しましては、戦後酷寒の地で強制労働に従事させられるなど大変御苦労された。こういうことを考慮いたしまして、慰労金の支給、慰労品の贈呈を行ってきているというところでございます。したがいまして、私どもといたしましては、今後とも基金法に基づく慰藉事業を適切に推進することにより関係者の心情にこたえてまいりたい、そういうふうに考えております。
  95. 福島豊

    ○福島委員 なかなかわかりましたというふうには申し上げがたいのでございますけれども、続きまして、この特別基金に関する法律というのは、強制抑留者の方も一つ対象になっておりましたし、また恩給欠格者の方も一つ対象になっておりました。  この恩給欠格者の方の問題でございますけれども、この方たちに対しても、今の強制抑留者の方と同じように書状であるとか銀杯であるとかそういう慰労の事業というのが行われている、それは先日お聞きいたしました。しかし、やはり慰労ということだけで本当に済むのだろうかという思いが率直にいたします。その恩給を受ける資格、一つの年限というのがある。これはあくまで非常に人為的なものですね、何年という話に関しましては。そこからオール・オア・ナッシングという話になるんやろうかというふうに僕自身は思います。戦後五十年、一つ節目でございます。この恩給欠格者の人に対しても、確かに基金に基づいた事業というのはありますけれども、改めてこういうふうにしていこうとか、こんな対応ができないかとか、そういうものがもしあればお話しいただきたいと思います。
  96. 戸谷好秀

    ○戸谷説明員 お答えいたします。  恩給欠格者の方々に対しましては、先ほどから申し上げておる基金の方で、外地勤務等の経験があり、加算年を含む在職年が三年以上ある方に対しまして、内閣総理大臣名の書状、銀杯及び慰労の品を贈呈しているのが現状でございます。  それで、これは基金の枠組みという中でいろいろなことを考えなければならないということでございますが、将来のことはちょっと私の方から申し上げるのは控えさせていただきます。平成七年度の予算案におきましては、私どもといたしましては、遠い異国の地で苦労されたということで、外地勤務等の経験がありまして、現在持っております、先ほど申し上げました加算年を含む在職年が三年以上ということでございますが、これに近い御苦労をされたということで、加算年を含む在職年が三年未満でありましても、実在職年で一年あれば内閣総理大臣の書状及び銀杯まで贈呈をいたしたいという改善を盛り込んで予算案を提出しているところでございます。  それから、こういう個別に慰藉をするという事業のほかに、恩給欠格者を初めとして、先ほど申しました関係者の御労苦を後世に語り継ぐという事業の中では、恩給欠格者につきましてもそれぞれ御苦労された御労苦を書いていただいて、それを集めて出版をいたしますとか、資料について私どもとして保管の任に当たらせていただいて、それを多くの方に見ていただくようなことをするとか、そのような事業実施しているところでございまして、こういう点につきましてもまた努力してまいりたいというふうに考えております。
  97. 福島豊

    ○福島委員 皆さん御高齢になられておりますので、文章を残していただくといいましても、亡くなられてしまえば文章も残せないということもございますから、なかなかその枠の中でしかできないのだとお話がありましたけれども、枠の中での対応もぜひ迅速にしていただきたいということが第一点と、この事業そのものも、今までの経過を聞いていまして、百億をちょっと超えるくらいだというようなお話であったと思うのですけれども、ですから、特別弔慰金の額の百分の一以下になるんだなというふうな思いがいたします。難しいです、公平とは一体どういうことなのかということに関しましては。しかし、私自身としては、もう少し何とかならないかなという感じを持っていることを再度述べさせていただきたいと思います。  総理府の方、以上で結構でございます。どうもありがとうございました。  引き続き、この援護法に関してでございますが、これに関しては沖縄の問題をお聞きしたいと思います。沖縄では市民を巻き込んで大変な悲惨な戦いが行われたわけでございます。その犠牲者の皆様に対して、一般の市民の方でございますけれども、この援護法の適用は一体どのようになっているのかということについてお聞きしたいと思います。
  98. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法でございますけれども、これは軍人等国と雇用関係にあるかまたは雇用類似関係にあった者が戦争公務によって死亡し、または障害の状態になったときに、その人に対しまして国が使用者の立場から年金等を支給する、こういう形になっておるわけでございます。ですから、雇用関係が非常に重要視されておるわけでございますけれども、しかしながら、民間人であられましても、銃撃戦等、現実に具体的な戦闘の場で、具体的な戦闘行為に関する軍の命令によりまして軍人らとともにその戦闘に参加した。こういう事実がある方々につきましては、例外的に雇用類似の関係にあった者とみなしまして、準軍属としての戦闘参加者として軍人等と同様に使用者の立場からの補償ということを行って、この戦傷病者戦没者遺族等援護法対象にいたしているところでございます。  まさしく今先生からお話がございました沖縄におきまして、昭和二十年四月一日に米軍が沖縄本土に上陸して、我が国の国内では唯一の地上戦が行われた場であるわけでございまして、そこでは民間人、婦女子ともに巻き込まれまして、そこで総力戦が展開されました。ここで多数の犠牲者が出たわけでございますけれども、この犠牲者に対しましては、このような戦闘行為のもとにおきますこういう犠牲者に対しましては、民間人等につきましてもこの援護法の対象で、遺族年金あるいは障害年金の支給をいたしているところでございます。
  99. 福島豊

    ○福島委員 戦闘に参加された方は援護法の適用になるということでございました。戦闘に参加するという形態もさまざまな形態があろうかと思います。  その中で、現地で要望が出ておりますことの一つとして、これは一九四五年ですが、八重山郡の住民が日本軍の命令でマラリアの有病地帯に強制移動させられた。その結果、マラリアにかかって三千六百名余りが死亡しているという事実がございます。このマラリアの有病地帯に移動したことは戦闘参加ではないんだというお話もお聞きいたしました。しかし、だれも好きこのんでマラリアの有病地帯に逃げていくということはありませんで、軍の命令で、軍の作戦上の必要として移動したんだということを考えたときに、それは戦闘参加、これはいろいろな意味合いがあると思いますけれども、広くとらえればそういうことの中に含めていいのじゃないかというような気も私はいたします。  ちなみに、陸軍省、海軍省は軍の作戦行動に協力する住民組織の行動計画というものをつくって、その中で「沿岸警備計画設定上ノ基準」ということを通達しておる。その住民対策として住民にどのようなことをさせるのかということで、事前移住、避難、退去というようなことがあるわけですけれども、その退去にこれは当たるんだというふうなことが認識ある本には示されております。  実際に何か問題があって、市民がみずからの判断で移動していったというのでしたら、それは一般の戦災者の人と同じであるという認識も当然これは成り立つと思うのですけれども、命令によって移動したということであれば、これは作戦行動の一環というようなことで広くとらえて、そこで起こった犠牲者に対しては援護法を適用すべきではないかというふうに私自身は感じるのですけれども、この点についての御見解をお聞きしたいと思います。
  100. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 これは今先生からまさしくお話が出ましたけれども、さきの大戦日本国じゅうが、いや応なく日本国民すべてが巻き込まれた戦争であったのではないかと思うわけです。ですから、一般の戦災者の場合であったとしても、いろいろな面でそういう面では関係する部分があったかと思いますが、それをどの段階で、どういう判断基準で区別といいますか、区分けをするかということではなかろうか、こう思うわけでございます。  私どもの方は、基本的には、先ほども御説明申し上げましたけれども、雇用契約というのが一番の基本のものである。ですから、ぎりぎり雇用契約であって、そして日本国政府というよりは使用者責任として、いわゆる雇い主、使用者という関係での使用者責任としての立場からの責任を果たすというのがこの遺族援護法の趣旨ではなかろうか、こういうふうに位置づけておるわけでございますが、そのときに、そういう雇用契約というものが、具体的に雇用契約としての文書や何かがなかったとしても、現実に戦闘行為に参加した者についてまではもういいではないかということで、ここまでは何とか線を広げたといいますか、ある意味でいいますと、ぎりぎりの段階で、そこまで直接民間の方々で雇用契約がないものについても、具体的に銃撃戦や何かの戦闘のさなかに、実際に砲火のさなかに置かれた状態にある、そこでまさしく軍と協力して同一行動をとったということを一つのぎりぎりの段階の区分け、こういう形で位置づけているところでございまして、今先生のおっしゃったような、それとは離れたいわゆる作戦行動、その作戦行動の参加の云々についてはまたこれも人によってはいろいろと話があるようでございますが、そこのところを、直接戦闘行為下とは離れた分野におけるそういうものについてまで範囲を広げるということは、これは逆に今度、一般戦災者の方々との均衡というようなことから考えても、ちょっとそこは無理ではなかろうか、こういうふうに判断をいたしているところでございます。
  101. 福島豊

    ○福島委員 わかりました。  次に、沖縄の問題で、これは通告をしてないのですけれども、一点お聞きしてよろしいでしょうか。  これは沖縄の遺骨収集のことなのですけれども、申しわけございません、いまだに六千六百柱が未収集のままになっているというふうに書かれている本がございます。沖縄の地で何でこれだけ多いのかなということを感じまして、どのような事情なのだろうか。申しわけございません。
  102. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 先ほども御説明申し上げましたように、大変な激戦の状態で、多数の方が戦争参加をされておりますので、沖縄における戦没者総数というものは推定で十八万六千五百人というふうに言われておるようでございますが、そのうち九八%ぐらいまでは遺骨収集が終わった。こういうふうに我々は判断いたしております。  ただ、今お話しのように、大体二千百柱ぐらいまだ未収集の部分があろうか。これはざんごうなどでもう埋もれてしまっていて、はっきりわからないというような状態のものでございますので、もちろん判明次第その収集の対象として考えていくわけでございますけれども、所在のはっきりしないような状況のもとでのものでございます。しかも、その後宅地開発などでもう家が建ってしまったとか、そのような形もございまして、なかなか困難な状況にあるという実情、こういう状態であるというふうに承知いたしております。
  103. 福島豊

    ○福島委員 よろしくお願いいたします。  引き続きまして、この援護法に関してですが、国籍条項のことでございます。  この国籍条項ですが、一般的に言いまして、外国人元兵士に対して、年金なりまた一時金なりの支給、これは国によって違いが当然あると思うのですけれども、例えばアメリカであるとかイギリスであるとか、そういった各国におきまして、その状況というのは一体どうなっておるのでございましょうか。
  104. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 まさしく先生がおっしゃったように、国によっていろいろと仕組みが異なっておりますものですから、これは一概には申せないわけでございますけれども、外務省の調査によりますと、一般的に、例えば戦勝国と言われる国の場合であれば、これはもう当然内外人に特別大きな格差を設けてない。ただ、国によってはその現地通貨で払うというような形で金額の差はあろうかと思いますが、制度的に対象になるか対象にならないか、こういうふうな形はまずないというのが一般的な状況であろうかと思います。  それからまた、ドイツ、イタリア、日本と同じように敗戦国でございますけれども、ドイツ、イタリアの場合におきましても、国内法あるいは条約に基づきまして、旧占領地または植民地出身の外国人の元軍人軍属に対してはやはり年金を支給しているという例が一般的だろうというふうに外務省の方の御報告を受けております。
  105. 福島豊

    ○福島委員 ですから、それは当たり前のことなのだろうと僕は思うのです。日本軍の一員として、日本のために命をかけて戦ってくれたわけです。ですから、戦後の経過で国籍がどう変わったとしても、やはりその戦ってくれたということに対して、どうするのかというものがあって確かにしかるべきだというふうに思います。また、それは諸外国の、戦勝国であるとかないとかというような次元で立て分けられることでも恐らくないのではないかなというふうに僕自身は思っております。  今もさまざまな訴訟等も起こされているようでございますけれども、この戦後五十年という機会に、この点、行政の一貫性ということでいくとこれはなかなか難しいという話になりますから、政治の判断だと思うのです。この点、どうするのかということを真剣に認識すべきではないかというふうに僕は思います。  また、昨日の報道でしたが、渡辺美智雄先生が北朝鮮を訪問されるという報道がなされております。北朝鮮との間の問題というのは、これはなかなか大変な問題だと思います。それで、これは日朝会談ですが、いろいろと経過があるようでございますけれども、例えば九一年八月に行われた四回会談でしょうか、その日本政府の発言として、「適法に行われた徴兵・徴用などに伴う死亡などの人的被害は補償対象にならない」そういう発言をしたところ、その点について、「それでは何も補償しないのと同じだ」というような発言があったというふうなことが本には記載されております。  その国籍条項ということも、北朝鮮の問題、国交回復、では補償をどうするのかということを考えたときに、やはり必ず問題になると思うのです。その点について、これはなかなか政府全体の問題でもありますし、また外交をどうするのかという枠の中の問題でもございますけれども政府のお考え、厚生省の立場でお答えできることがありましたら、お聞きしたいと思います。
  106. 井出正一

    井出国務大臣 御指摘の国籍条項に関しましては、いろいろなケースに当たって私のところへもいろいろな方がお見えなさいます。なかなか御期待に沿えるようなお答えができないので、まさに心苦しく思っておる分野であります。  例えば、あれは昨年の夏ですか、在日韓国人の元軍人軍属の方の障害年金の問題なんかも関連するわけでございますが、しかし、この遺族援護法にのっとりますと、やはりこれは恩給を停止された軍人等を救済するために、国籍要件を有する恩給法に準拠して制定されたものであることとか、あるいはサンフランシスコ平和条約において、朝鮮半島や台湾など、いわゆる分離独立地域に属する人々の財産・請求権の問題は、帰属国との「特別取極の主題とす。」こととされていたといったような経緯もこれありまして、正直なところ、なかなか難しいのであります。  この問題も、先ほど冒頭御質問いただきました。まさに戦後処理問題がきちっとまだ片づいていないと申し上げたのの一つにもつながる、私はこう考えております。
  107. 福島豊

    ○福島委員 以上で、質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  108. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 横光克彦君。
  109. 横光克彦

    ○横光委員 横光克彦でございます。  この戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正、そしてまた、戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部改正案、この二法案に賛成の立場で、この問題にも関連する幾つかの問題に質問させていただき、また意見を述べさせていただきたいと思います。  本委員会で多くの委員方々から何度も繰り返された言葉でございますが、ことしはまさに戦後五十年という歴史的にも大きな節目の年であります。そしてこの大きな節目の年に、私たちは今重い課題を突きつけられていると思います。いわゆる反省と平和への決意を表明する不戦決議です。この問題を戦後五十年も引きずってきたのはなぜなのか、私はそういう気が強くしているわけですが、不戦決議は重い課題である、私たちにも、私たち国会議員にも非常に重いわけですが、不戦決議の持つ意味はもっと重いものであろう、私はそういうふうに考えております。  重いということは重大であるということ、重大であるということは大事であるということ、そして一番大事な意味は、国権の最高機関が国民を代表して、世界に向けて不戦、平和の誓いを宣言するということであろうと思います。  戦後五十年という長い間、私たち日本人の戦争に対する認識は必ずしも一致してはこなかったわけです。一言で言えば、あいまいであったのではないか。これはなぜなのか。先ほどお話ございました。同じ敗戦国であります旧西ドイツとなぜこうも違うのか。そういった疑念を持つわけですが、憲法の平和主義を尊重しながらも、みずからが過去に行った戦争に対する加害者としての立場をつい忘れがちであったということです。  もちろん、歴史の見方は個人個人のものです。だれだって加害者の立場であるということを認めるということは避けて通りたい。そして、避けて通ってきた。それが私はあいまいということにつながったのではないかと思います。そのために歴史をありままに直視することができなかった。戦後五十年たっても、まだこういう状況である。しかし、私たちは、この戦後五十年という大きな節目、機会、もっと言えば好機ですね、この好機にこの問題に正面から取り組み、そしてまた、この問題を乗り越えねばならない時期に来たのではないか、このように考えております。  最近の首相たちは、さきの戦争の反省やあるいは植民地政策への謝罪をそれなりに表明してきたと私は思います。それなりとあえて言いましたが、表明してきたと思います。また、中国を訪問されましたときの天皇陛下のお言葉も、このような戦争を再び繰り返してはならないという、国民の深い反省に言及されました。  国としてはこういった表明をしてはいるのですが、国内ではまだまだそういった意思が統一されているわけではないのです。国内では、閣僚の方々戦争認識に対する失言が続いて、更迭されるという事件が何度もあったわけです。そして、海外の反発や非難が何とか収拾されるに従い、この問題はあいまいにされてきた。そういうことを繰り返してきたわけですが、これからもそういったことを繰り返していくのでしょうか。  私は、今こそ日本の国としての戦争認識とは何なのかということを明確にする必要があろうと思います。そして、明確にするには、国会による意思表示にまさるものはないと思います。日本はこれからも国際社会の中で生きていかねばならないわけです。いや、今まで以上に大きな国際貢献や、そしてまた国際交流を果たさざるを得ない日本にとって、ここでさきの戦争の総括をして、国際社会の信頼感を高めることが重要でありまた、避けて通れない道でもあろうと思います。  今、韓国や中国を初め、近隣諸国はこの決議の行方に非常に強い関心、そしてまた熱いまなざしで見ているわけです。もし今国会でこれができなければ二度とできないのではないか。そうすれば、私たちは取り返しのつかない負の遺産を次の世代に残してしまうことになる。そういった意味でも、この平和、不戦決議というのは重要な意味を持つと思うわけです。  さらに、先ほどお話ございましたが、現政権、自民党、社会党、さきがけという三党の連立政権の政策合意でもあります。平和への決意を表明することに積極的に取り組むとなっているのです。また、新進党の方でも、海部さんや羽田さんたちは、やはり不戦の誓いをやるべきだと強く訴えてまいりました。そういった状況ができつつある中で、ちょっと残念なことに、一部反対や先送りの動きも出てきておるわけです。  もちろん、遺族方々の思いがわからないわけではありません。いや、十分過ぎるぐらい私はわかっているつもりです。なぜならば、私も遺族の一人だからであります。二人の兄を亡くしました。長兄は、昭和二十年三月十五日ニューギニアにて戦死、そして次兄は、昭和二十年八月六日、戦地で負傷し広島の日赤病院に入院中、原爆投下でとうとい命をささげております。しかし、私は、二人の兄たちの死は決してむだであったとは思っておりません。そして、侵略者であったとも思っておりません。もし侵略行為があったとしたら、侵略行為を強いられた犠牲者であると私は思っているのです。そういった時代だったのです。そういった認識を持っております。  あの戦争では本当に多くの犠牲者を出したわけで、その多くの犠牲者の上にあの平和憲法が生まれ、民主主義が始まり、そして今日の繁栄の時代につながっていると思います。そういった意味でも、兄たちを初め、多くの犠牲者の方々の死をむだにしないためにも、二度と戦争をしないという不戦、平和の決議は必要であろう、このように思います。  苦しいけれども、歴史は直視しなければなりません。歴史を直視することなく未来は開けないと私は思っております。正しい歴史認識の上に立って、歴史的事実から目を背けることなく、それをしっかりと受けとめた中で政治、経済、文化、あらゆる分野において各国と交流を深めていくことこそが真の信頼を得ることにつながりまた真の平和への道であろうと思っています。  このような私の考えを述べさせていただきましたが、厚生大臣にちょっとお聞きします。厚生大臣としては、この不戦決議の問題、直接担当じゃないのでお答えにくいかと思いますが、もしそれでしたから、一政治家としてでも結構でございますので、この不戦決議に対してのお考えをお聞かせください。
  110. 井出正一

    井出国務大臣 先ほど石田委員の御質問にもお答えをしたわけでございますが、その前に、今、お二人のお兄様を戦争で失われて、まさに遺族でいらっしゃる横光さんの遺族としてのお気持ち、大変私も感銘深くお聞きをした次第であります。  実は、これはある意味では申しわけないぐらい幸せなことなんであります。私は身内に戦争犠牲者はおりませんでした。たまたま三月十日、東京におりました私のおじ二人が空襲で焼け出されて、翌日ですか、田舎へリュックサック一つか何か背負って帰ってきたのをわずかに覚えておる程度であります。  ただ、私にとりまして一番この戦争の悲惨さといいましょうか、体験したというのは、実は一週間ほど前に彼は亡くなっちゃったのですが、大変優秀な君でした。私より優秀ですから当然上級の学校へ行くものとはかり思っておりましたから、中学校卒業間際に家庭の事情で、彼はお父さんを戦争で失っておりまして、お母さんももう結核がかなり進んでいたのです。妹さん、弟さんがいらっしゃるというあれで、中学卒業後すぐ就職する道を歩まざるを得なかった。これは僕にとって大変ショックだったのでありますが、その君も、実は先月の下旬に亡くなってしまって、私にとっては今いろいろな思いを抱いているさなかであります。  そんな意味で、戦争というものがどんな立場の人にもいかに悲惨で、またむなしくて、あるいはむごいといいましょうか、こういうものであるかというのは、私みたいな者ですら感ずるのですから、横光さんのようなお立場ならばすごく感ずると思います。そういった意味で、そういう御経験は、つらいでしょうが、むしろ貴重な御経験ですから、そういうことを知らない特に若い世代がふえていますから、ぜひいろいろ話してあげていただきたい、こんなふうにすら思うわけであります。  そういった意味で、今回まさに五十年を迎えて、国会で、そういう意味でもう二度と戦争なんかすまいという決議は当然すべきだと私は思いますし、自民党、社会党そして私ども新党さきがけ連立政権に当たって合意をした重要事項だと思いますし、野党の皆さんの中にも同じ考えの先生方がたくさんいらっしゃいますから、これは与野党という形ではなしに、国会を挙げてやれればな、こう考えておるところであります。
  111. 横光克彦

    ○横光委員 同じ思いであるということが本当にわかりまして、心強く思いました。  そういった長い歳月の中で、私たち日本人は、ようやくと言ってはなんですが、加害者としての課題に気づくようになったわけです。戦後補償問題であります。  村山内閣は、一連の問題に昨年の夏から真剣に取り組み始めました。その中の、何度も出ましたが、いわゆる台湾の確定債務問題、そしてまたサハリン在住韓国人の永住帰国問題など個人を対象にした対策は、高齢化も進んでいるわけでございますので、急がなければならないと私は思います。また、戦後補償要求にはできる限り誠実にこたえなければなりません。遅まきながらも、言葉による謝罪とは比べ物にならないほどの信頼を国際社会の中で得るものだと私は思います。  そこで、もう一度お聞きしますが、台湾の確定債務問題、未支給給与問題の方なのですが、これはいろいろな事情でまだこの問題の処理がついていない。日本を経由せずに直接台湾に送還された方、それからまた、中国との国交回復によってこの問題も滞ってしまった。そういった中で、先ほど申しましたように今高齢化も進んでいるわけで、この問題は、やはり日本としてはちゃんとしなければならない問題である、責任のある問題である。そういったことから、今どのような進捗状態であり、これからどのような形で進む予定か、お聞かせください。
  112. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 台湾出身の旧軍人軍属に対します未支給給与あるいは軍事郵便貯金等のいわゆる確定債務の問題につきましては、政府としましては、今先生お話のように債権者の高齢化が大変著しく進んでおりますことにかんがみまして、この戦後五十年の節目に当たる平成七年度から、台湾における軍人給与の実質的な上昇率などを考慮して、日本円で当時の債務額に百二十を乗じた額の支払いを行って本問題の解決を図ることとして、今予算化お願いいたしているところでございます。  厚生省が担当する台湾出身軍人軍属の未支給給与の件数は約八万四千件、当時の金額にいたしまして総額で約一億円に達するものと推計されております。したがいまして、百二十倍としますと、支払い所要総額は約百二十億円であります。平成七年度におきましては、事務費の経費も含めまして、とりあえず初年度分といたしまして約五十一億円を今計上させていただいております。準備が整い次第、できるだけ早くこの支払いに着手いたしたい、こう考えているところでございます。
  113. 横光克彦

    ○横光委員 どうか積極的にこの問題を早くクリアしていただきたいと思います。  また同じような問題ですが、在サハリン韓国人永住帰国問題について、ちょっと外務省の方にお願いしておきましたから来ていただいていると思いますが、五十嵐官房長官がライフワークのように熱心にこの問題には取り組んでこられたわけです。これも人道的な意味で早く解決しなければならないわけですが、このところ、この問題の進みぐあいはどうなっておるでしょうか。
  114. 藤崎一郎

    ○藤崎説明員 お答え申し上げます。  サハリンの韓国人永住帰国問題につきまして、昨年八月末の内閣総理大臣の談話におきまして、人道上の観点から放置できないものとなっている、速やかに我が国の支援策を決定したいということを述べたわけでございます。そして、まさに委員御指摘のとおり、私どもとしては、これは早急に進めなければいけないというふうに認識しております。  まず第一に、老齢化して早期帰国を希望する方々永住帰国の実現のために、定住施設を早急に具体化するということが不可欠であるという認識のもとにこれを検討しておりますが、第一弾といたしまして、身寄りのない高齢者のため、百名程度収容できる規模の療養院建設関連費用ということで約五億円を平成六年度の第一次補正予算としていただいたところでございます。引き続きまして、韓国、ロシアとも協議しつつ、できるだけ早急に検討を進めてまいりたいと思いますので、よろしく御支援のほどお願い申し上げます。
  115. 横光克彦

    ○横光委員 大分前向きに進んでいるという状況を聞きまして、ほっといたしました。  次に、昨年の八月三十一日に内閣総理大臣の談話があったわけですが、その大きな柱である平和友好交流計画、この中で、アジア歴史資料センターの設立について検討していきたいという談話がございました。  私は、先ほどから言っております日本人の戦争認識に対するあいまいさをクリアするためにも、このアジア歴史資料センターの設立というのは大変大きな意味があると思っております。やはり日本だけでなく、いろいろな国々からの資料をできるだけ集めて、そして本当に学生からすべて、小学生からもう見られるように、そして本当に正しい歴史認識をそこで培われるようになるために、この歴史資料館というのは大きな意味を持つと思います。  これは現在、本当にまだ進み始めたばかりだと思いますが、ここの状況をちょっとお聞かせいただけますか、内閣の方。
  116. 石田和成

    石田説明員 アジア歴史資料センターの設立を具体的に検討しますために、内閣官房長官のもとにアジア歴史資料センター設立検討のための有識者会議というものが設けられております。この座長は、前慶応義塾長の石川忠雄先生でございます。この検討テーマの柱は大きく二つありまして、一つはこのセンターが行うべき事業の内容、もう一つは運営や組織のあり方でございます。  この有識者会議は、昨年の十一月末に第一回の会議が開かれまして、以来現在までに四回開催されております。これまでの主な議題はセンターの事業内容についてのものでして、最近ではその運営のあり方も含めて検討が行われております。双方相互に関連するテーマでございますし、かつまた、議論の途中でございますので、確かにまだ結論に近いものが出ているというわけではございませんが、ことしの六月末までに本センターの基本的な方向づけを何か提言のような形でこの有識者会議でおまとめいただければと考えておるところでございます。
  117. 横光克彦

    ○横光委員 やはりこれは、大事なことは、特定の歴史観やあるいはイデオロギー、そういったものを排除して、できるだけ幅広い資料に基づいてバランスのとれた展示が必要であろう。国民が歴史をありままに直視することができるように努力していただきたいと思います。  大体時間が来ました。これで終わります。ありがとうございました。
  118. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 岩佐恵美君。
  119. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 戦傷病者戦没者遺族支給される障害年金や遺族年金等の額について、これは恩給の改善に準じて一・一%引き上げることになっている。この根拠について先ほどのやりとりで、確たるものがあるわけではない、その都度その都度決定される、そういうものであるという説明がありました。これは、石田先生の言によれば、さじかげん一つで決められるのかというような、そういうものかという話もあったわけですけれども、この一・一%、つまり恩給の改善に準じて決められる援護年金ですが、平成元年援護年金平成六年には幾らになり、伸び率でいうと何%になったのか、その点について御説明をいただきたいと思います。
  120. 佐野利昭

    佐野(利)政府委員 それぞれの障害の程度等によりまして額が皆違いますものですから、一つの例示でお答えをさせていただきたいと思います。  援護年金の年額で、例えば公務傷病第一項症、障害の程度がたしか一番重たい障害年金の例だったと思いますが、この場合、平成元年度では四百七十万四千円でございましたのが、平成六年度は五百四十五万四千円であり、この間の伸び率は、単純に計算いたしますと一五・九%の増ということでございます。また、恩給遺族加算を加味している公務死亡にかかわる遺族年金を例にとりますと、平成元年度は百五十九万六千三百円でありましたのが、平成六年度は百八十五万七千九百円ということでありまして、この間の伸び率は一六・四%となります。
  121. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 従軍看護婦に対する慰労給付金ですけれども平成元年以降、平成四年度に八・五%引き上げただけで、平成七年度も引き上げる予定はないという状態になっております。この辺について、どうしてそうなっているのか、御説明をいただきたいと思います。
  122. 阪本和道

    ○阪本説明員 お答えいたします。  旧日本赤十字社救護看護婦及び旧陸海軍従軍看護婦の方々に対します慰労給付金でございますけれども、兵役のない女性の身でありながら戦時衛生勤務に従事されたという特別な理由に基づきまして特別に支給しているものでございますので、毎年増額改定を行うということは実施していないわけでございます。ただ、消費者物価の上昇に合わせまして、その実質的価値の維持を図るという観点から、昭和六十年度、それから平成元年度、平成四年度の過去三回、増額措置を講じてきたところでございます。
  123. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 平成七年度も引き上げる予定はないわけです。この問題について、平成七年度はそれはだめだということになったとしても、来年度はきちんと対応すべきだというふうに思いますけれども、その点、いかがでしょうか。
  124. 阪本和道

    ○阪本説明員 御指摘のように、平成七年度は増額措置予定していないわけでございますけれども、昨年十二月に与党戦後五十年問題プロジェクトにおきまして、「政府は、旧日本赤十字社救護看護婦等慰労給付金支給額改定にあたっては、受給者の置かれた状況に配慮し、消費者物価の動向をより適切に反映させた措置を講ずるべきである。」という合意がなされているところでございます。  したがいまして、総理府といたしましては、この与党三党合意を踏まえまして、平成八年度から適切に措置すべく検討してまいりたいというふうに考えているところでございます。
  125. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 この制度は、昭和五十三年、各党の合意で発足した際、「恩給制度を準用し、戦地加算を考慮して、兵に準ずる処遇とする」、こういうことになっております。恩給の改善に準ずる援護年金は、平成元年から六年度まで、先ほどの説明でも五年間で一五・九%の引き上げが行われているわけです。制度発足時はほぼ軍人恩給と同じ水準にあった慰労給付金ですけれども、その後、数年に一度の物価上昇分のみの引き上げで終わっているために、大きく差が開いてきています。また、児童扶養手当や福祉手当、原爆諸手当等についても、基礎年金の引き上げ、これと横並びの引き上げが行われているわけです。慰労給付金のようにスライド制のない給付金や手当は、非常に例外的な存在だというふうに思います。恩給に、あるいは年金、物価上昇に自動的にスライドする、そういう制度に変えるべきだというふうに思いますけれども、その点について、いかがでしょうか。
  126. 阪本和道

    ○阪本説明員 先ほど申し上げましたように、特別な措置として実施しているものでございますので、現在まではある程度の消費者物価の上昇があった段階でそれを勘案して引き上げるということにしてきたわけでございますけれども与党三党の合意を踏まえまして、平成八年度からは適切に措置できるように検討してまいりたいというふうに考えているところでございます。
  127. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 大臣にお伺いしたいのですが、従軍看護婦だった方から手紙が来ております。軍人と同じ行動をされ、昭和二十八年までソ連抑留をされておられた方ですが、  軍人同様のきびしい教育を受けて召集に応じ、外地にて終戦を迎えました。傷病兵とともに捕虜となりあちらこちらと引き回され食事もままならず恐怖のどん底の生活でした。鉄柵の中の生活は伝染病が蔓延し、栄養失調症も加わり治療薬品もなく残念ながら亡くなられた方も大勢おられました。と、戦地での極限の体験あるいは苦労を訴えておられます。  軍人と全く同じ扱いを受け、抑留されていた従軍看護婦が軍人恩給に準じた給付が受けられるように、厚生省としてもぜひ尽力をされるべきだというふうに思いますけれども、その点、いかがでしょうか。
  128. 井出正一

    井出国務大臣 突然の御質問で、どうも詳しくないものですから、今担当者に聞いておったところで、時間をかけてしまって申しわけございません。  そういう看護婦さんの場合も、軍属としては扱われることになっておりますから、その立場で、例えば障害なんかを受けた場合はそれなりの措置はできる。しかし、そうじゃない場合はやはり一般の公務員としてしか厚生省としては扱うわけにいかないという説明を今受けたところであります。
  129. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 大臣、やりとりをしっかりと聞いていていただきたかったのです。先ほど総理府の方からは、与党三党で去年の末にこの問題についてはしっかりと対応していかなければいけないということで、物価スライドだけじゃなくて恩給並びで、そういう点も含めて検討するということになったそうであります、去年の末、与党三党ですから。そういう説明が今あったところですので、私は積極的に大臣としても対応してほしいということを申し上げたわけですけれども厚生省が何か古い、旧来のスタンスを繰り返されたのでは本当に困るなというふうに思います。  時間がありませんので、しっかりとやっていただきたい、そのことを申し上げて、次の質問に移っていきたいと思います。  戦没者追悼平和祈念館、これは建物の景観から地元の反対に遭って設計の手直しをする、また施設の性格をめぐって二転三転して、名称も含めて検討し直す、そういう段階にあると聞いていますし、先ほどるる経緯が説明されました。  設計に関しては、設計者と厚生省の癒着ではないか、こういうことが言われているわけであります。私の手元には、この経緯についてお述べになっている田中さんという方の論文がありますけれども、例えば、設計については建設省と厚生省が進めるということでしたけれども、この設計者について、厚生省サイドの要望でこの人に決めたんだというような関東地建の説明があるのです。うちとしては厚生省さんの要望に沿ったということであります。こういう調査をされて、この方は、こういうのは癒着というのではないかというふうなことを言っておられるわけであります。そうした問題等を含みながら、検討会やあるいは地域住民に十分な説明や合意がないまま、厚生省と建設省が建設を進めようとした。  この施設の性格についても、先ほどからいろいろ議論があるところですが、国民の中に第二次世界大戦についての見解の相違があるにもかかわらず、歴史学者の意見を十分聞いたり取り入れる、こういうことがないままに、検討結果や具体的な展示内容等の案を公開をして国民合意をつくる努力厚生省として、してこなかった。だから、建物については住民の反対に遭う、あるいは中身をめぐっては十人の委員のうち三人の辞任者が出ている、こういう状態になっているのだというふうに思います。  今後の検討や見直しに当たって、国民あるいは地域住民の意見を取り入れて、民主的運営、それから公開、これを原則として合意を形成していくべきだというふうに思いますけれども大臣の端的な御意見を伺いたいと思います。
  130. 井出正一

    井出国務大臣 本施設につきましては、戦没者遺児記念館としての検討を行う過程で、広く国民合意が得られるよう、幅広い視野に立った検討を行うために、これまで各界の有識者から成る委員会等を数次にわたり開催して、広く有識者の皆さんの意見を伺ってきたところであります。いろいろな御意見がお立場によってあることも事実でありまして、今、そういう意味では苦慮しておりますが、逆に言えば、大変民主的だからなかなか進めないとも言えるわけでありまして、御理解をいただきたいと思います。  なお、委員会等の審議状況でございますが、委員皆さんの自由な意見表明を妨げないよう非公開となっておるわけでございますが、その概況につきましては、厚生省において記者会見等を行ってお知らせをしているところでもありますし、外部に対して委員先生方が御自分の御意見を開陳することについては、全く自由でございます。
  131. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 しかし、結果的には十人のうち三人がおやめになる。この点について、さっき局長から、委員皆さんに説明が不足したという点はある、こういう答弁がありましたけれども、そういうところをしっかりと踏まえていかないと、この問題というのは前進はないというふうに私は思うのです。その点、大臣としても、厚生省が書かれたペーパーを読むだけではなくて、しっかりと対応していってほしいなというふうに思います。  次に、昭和五十五年に、基本計画策定のために、日本遺族会に対する謝金等としての七千八百万円を初めとして、その後の調査経費等が二億一千五百万円にも及び、しかも設計の見直しで数億円がむだになるのではというふうに言われています。これだけの経費を使いながら、当初案の戦没者遺児記念館という遺児に対する慰藉を中心とするものに戻して、設計を手直しするとなると、また膨大なむだ遣いと言われても仕方がないというふうに思います。  厚生省の説明では、設計費が、一部手直しであれば全額むだになるわけではないのだというようなことを言っておられるわけですけれども、しかし、白紙に戻して考えていく、そういうところにいかざるを得ないということになれば、これらは本当に膨大なむだ遣いと言われても仕方がないというふうに思います。  この点、大臣のお考えを伺いたいと思います。
  132. 井出正一

    井出国務大臣 この施設は、日本遺族会の御要望を契機として検討が始まり、その後、数多くにわたって多くの有識者の皆さんの検討を経て、平成四年の戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会の基本構想・基本計画を踏まえ、平成五年度予算においてようやくその建設が認められたという経緯がございます。  本施設は、厚生省戦没者遺族援護施策の一環として、主に戦没者遺児を初めとする戦没者遺族の経験した戦中、戦後の国民生活上の労苦にかかわる資料、情報をあるがままに収集、保存し、後世に戦中、戦後の国民生活上の労苦を伝える機会を提供しようとするものでございます。  戦後五十周年を迎え、戦争の歴史を知らない世代も大変ふえできますし、ほっておけばますます風化していこうとする中で、このような戦争にかかわる歴史を広く後世にしっかりと伝えていくという施設を国のレベルで建設することは、私は大変意義があると思いますし、いろいろな御意見を踏まえて、できるだけ大勢の皆さんに喜んでいただけるような施設となるよう、これからも努力してまいるつもりであります。
  133. 岩佐恵美

    ○岩佐委員 このような施設をつくるに当たって、今言われたように、後世に何を残すのか、そのことが問われていると思います。真実を直視をする、そして過去から教訓を引き出す、二度と戦争を起こしてはならないという平和憲法の精神に基づいたものが求められているはずだと思います。私は、厚生省の性格づけだけでは不十分だというふうに思っています。  また、日本の侵略戦争によって犠牲になった人たちは日本人だけではありません。アジアに、それに数倍する人々がおられます。アジアに対する加害責任に目をつぶることはできないと思います。  また、さきの大戦日本国民全体を戦禍に巻き込んだものです。戦没者遺族、遺児、こういう皆さんの御苦労もあると思いますが、その方々だけにもちろん特定するべきではありません。日本政府の侵略戦争に対する反省と責任の問題を内外に明らかにする、憲法の精神に立脚して日本国民の総意が正しく反映される、あるいは国際世論を納得させる、そういうようなものにしていく必要があるというふうに思います。  歴史学者が集まって、戦没者追悼平和祈念館問題を考える会というのをつくっておられますけれども、この方々厚生省に要望も出していると思いますが、遺児記念館への変更を白紙撤回すること、あるいはアジア・太平洋戦争での国内外の死者、被害者への追悼と被害回復のための必要な準備経費の予算化、こういうことなども求めておられます。  とにかく百二十三億円もかける事業であります。こうした要望も踏まえて、十分時間をかけて、本当に国民が納得するようなそういう論議をしていくべきだというふうに思います。  きょうはもう時間もありませんので、先ほど大臣が答弁されました。いろいろな意見を尊重しながら進められるということを言われておりますので、そのことをしっかりと確認をさせていただいて、質問を終わりたいと思います。
  134. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。     —————————————
  135. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これより討論に入るのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。  戦傷病者戦没者遺族等援護法及び戦没者等遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  136. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。  お諮りいたします。  ただいま議決いたしました本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  137. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  138. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 次に、内閣提出国民健康保険法等の一部を改正する法律案を議題とし、趣旨の説明を聴取いたします。井出厚生大臣。     —————————————  国民健康保険法等の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  139. 井出正一

    井出国務大臣 ただいま議題となりました国民健康保険法等の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  国民健康保険制度においては、高齢化の進展、低所得者層の増加、小規模保険者の増加等制度の構造的な問題が生じております。また、老人保健制度においては、老人医療費拠出金の算定に用いられる老人加入率の上限を上回る保険者数が著しく増加してきたこと等を踏まえ、老人医療費拠出金制度について検討を行う必要が高まってきております。  今回の改正は、こうした状況等を踏まえ、国民健康保険財政の安定化等のため、高額な医療に係る交付金事業に関する規定の創設、国民健康保険税の減額制度の拡充等を行うとともに、老人保健制度の安定を図るため、老人加入率の上限となる割合を引き上げる等老人医療費拠出金制度の所要の見直しを行おうとするものであります。  以下、この法律案の主な内容につきまして御説明申し上げます。  第一に、国民健康保険制度の改正であります。  まず、小規模保険者の増加に対応するため、国民健康保険団体連合会及び厚生大臣が指定する法人が行う高額な医療に係る交付金事業法律上の制度として位置づけることとしております。また、これらの法人は、市町村の行う保健事業等に関する連絡調整及び情報の提供等の援助を行うよう努めるものとし、国及び地方公共団体はこれらの取り組みに必要な助言等の措置を講ずるよう努めるものとすることとしております。  次に、中間所得者層の保険税負担が過重になっていることに対応するため、地方税法を改正し、被保険者数に応じ、または一世帯ごとに定額を課税する応益保険税の割合に着目した新たな保険税の減額制度を創設し、保険者間及び保険者内の保険税負担の公平を図ることといたしております。  また、低所得者が多い等の一定の場合に市町村の一般会計から国民健康保険特別会計に繰り入れることができることとする措置及び保険基盤安定制度に係る国庫負担の特例措置平成八年度まで延長することとしております。  このほか、国民健康保険税の課税限度額を引き上げ、精神保健法に基づく措置入院及び結核予防法に基づく命令入所について、被保険者資格に係る住所地主義の特例を設けることとしております。  第二に、老人保健制度の改正であります。  老人医療費拠出金の算定に用いられる医療保険各保険者の老人加入率については、上下限が設けられておりますが、高齢化の進展等に伴い、この老人加入率の上限を超える保険者数が著しく増加してきた状況を踏まえ、上限を全保険者に占める該当保険者の割合が法制定当初の割合となるよう改めるとともに、下限を引き上げることといたしております。実際の引き上げに当たっては、平成七年度以降、この法律案の検討規定に基づく老人医療費拠出金の算定方法に関する措置が講じられるまでの間、経過措置を設け、段階的に引き上げることとしております。  次に老人保健制度を支える医療保険各保険者の運営基盤が揺らぐことのないようにするため、平成七年度以降この法律案の検討規定に基づく老人医療費拠出金の算定方法に関する措置が講じられるまでの間、老人医療費拠出金の実質的負担が過大となる保険者の当該過大となる拠出金について、全保険者で調整する措置実施することといたしております。  なお、政府はこの法律の施行後における老人医療費の動向、各医療保険の運営の状況、老人医療費拠出金の額の動向等を勘案し、この法律の施行後三年以内を目途として、老人医療費拠出金の算定方法に関し検討を行い、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものといたしております。  このほか、介護的要素に着目して公費により五割を負担することとなっている医療等の対象に、適切な看護が行われる一定の診療所の病床について受ける医療を追加することといたしております。  最後に、この法律の施行期日は、一部の事項を除き、平成七年四月一日からとしております。  以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。  何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  140. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。     —————————————
  141. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本案審査のため、来る十四日午前九時三十分参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  142. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  次回は、来る十四日火曜日午前九時二十分理事会、午前九時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時十七分散会      ————◇—————