○横光
委員 横光克彦でございます。
この
戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部改正、そしてまた、
戦没者等の
遺族に対する
特別弔慰金支給法の一部改正案、この二法案に賛成の立場で、この問題にも関連する幾つかの問題に
質問させていただき、また意見を述べさせていただきたいと思います。
本
委員会で多くの
委員の
方々から何度も繰り返された
言葉でございますが、ことしはまさに戦後五十年という歴史的にも大きな
節目の年であります。そしてこの大きな
節目の年に、私たちは今重い課題を突きつけられていると思います。いわゆる反省と平和への
決意を表明する
不戦決議です。この問題を戦後五十年も引きずってきたのはなぜなのか、私はそういう気が強くしているわけですが、
不戦決議は重い課題である、私たちにも、私たち国
会議員にも非常に重いわけですが、
不戦決議の持つ
意味はもっと重いものであろう、私はそういうふうに考えております。
重いということは重大であるということ、重大であるということは大事であるということ、そして一番大事な
意味は、国権の最高機関が
国民を代表して、世界に向けて不戦、平和の誓いを宣言するということであろうと思います。
戦後五十年という長い間、私たち
日本人の
戦争に対する認識は必ずしも一致してはこなかったわけです。一言で言えば、あいまいであったのではないか。これはなぜなのか。
先ほどお話ございました。同じ敗戦国であります旧西ドイツとなぜこうも違うのか。そういった疑念を持つわけですが、憲法の平和主義を尊重しながらも、みずからが過去に行った
戦争に対する加害者としての立場をつい忘れがちであったということです。
もちろん、歴史の見方は個人個人のものです。だれだって加害者の立場であるということを認めるということは避けて通りたい。そして、避けて通ってきた。それが私はあいまいということにつながったのではないかと思います。そのために歴史をありままに直視することができなかった。戦後五十年たっても、まだこういう
状況である。しかし、私たちは、この戦後五十年という大きな
節目、機会、もっと言えば好機ですね、この好機にこの問題に正面から
取り組み、そしてまた、この問題を乗り越えねばならない時期に来たのではないか、このように考えております。
最近の首相たちは、さきの
戦争の反省やあるいは植民地政策への謝罪をそれなりに表明してきたと私は思います。それなりとあえて言いましたが、表明してきたと思います。また、
中国を訪問されましたときの天皇陛下のお
言葉も、このような
戦争を再び繰り返してはならないという、
国民の深い反省に言及されました。
国としてはこういった表明をしてはいるのですが、国内ではまだまだそういった意思が統一されているわけではないのです。国内では、閣僚の
方々の
戦争認識に対する失言が続いて、更迭されるという事件が何度もあったわけです。そして、海外の反発や非難が何とか収拾されるに従い、この問題はあいまいにされてきた。そういうことを繰り返してきたわけですが、これからもそういったことを繰り返していくのでしょうか。
私は、今こそ
日本の国としての
戦争認識とは何なのかということを明確にする必要があろうと思います。そして、明確にするには、国会による意思表示にまさるものはないと思います。
日本はこれからも国際社会の中で生きていかねばならないわけです。いや、今まで以上に大きな国際貢献や、そしてまた国際交流を果たさざるを得ない
日本にとって、ここでさきの
戦争の総括をして、国際社会の信頼感を高めることが重要でありまた、避けて通れない道でもあろうと思います。
今、韓国や
中国を初め、近隣諸国はこの決議の行方に非常に強い関心、そしてまた熱いまなざしで見ているわけです。もし今国会でこれができなければ二度とできないのではないか。そうすれば、私たちは取り返しのつかない負の遺産を次の
世代に残してしまうことになる。そういった
意味でも、この平和、
不戦決議というのは重要な
意味を持つと思うわけです。
さらに、
先ほどお話ございましたが、現
政権、自民党、社会党、
さきがけという三党の
連立政権の政策
合意でもあります。平和への
決意を表明することに積極的に取り組むとなっているのです。また、新進党の方でも、海部さんや羽田さんたちは、やはり不戦の誓いをやるべきだと強く訴えてまいりました。そういった
状況ができつつある中で、ちょっと残念なことに、一部反対や先送りの動きも出てきておるわけです。
もちろん、
遺族の
方々の思いがわからないわけではありません。いや、十分過ぎるぐらい私はわかっているつもりです。なぜならば、私も
遺族の一人だからであります。二人の兄を亡くしました。長兄は、
昭和二十年三月十五日ニューギニアにて戦死、そして次兄は、
昭和二十年八月六日、戦地で負傷し広島の日赤病院に入院中、原爆投下でとうとい命をささげております。しかし、私は、二人の兄たちの死は決してむだであったとは思っておりません。そして、侵略者であったとも思っておりません。もし侵略行為があったとしたら、侵略行為を強いられた犠牲者であると私は思っているのです。そういった時代だったのです。そういった認識を持っております。
あの
戦争では本当に多くの犠牲者を出したわけで、その多くの犠牲者の上にあの平和憲法が生まれ、民主主義が始まり、そして今日の繁栄の時代につながっていると思います。そういった
意味でも、兄たちを初め、多くの犠牲者の
方々の死をむだにしないためにも、二度と
戦争をしないという不戦、平和の決議は必要であろう、このように思います。
苦しいけれ
ども、歴史は直視しなければなりません。歴史を直視することなく未来は開けないと私は思っております。正しい歴史認識の上に立って、歴史的事実から目を背けることなく、それをしっかりと受けとめた中で政治、経済、文化、あらゆる分野において各国と交流を深めていくことこそが真の信頼を得ることにつながりまた真の平和への道であろうと思っています。
このような私の考えを述べさせていただきましたが、
厚生大臣にちょっとお聞きします。
厚生大臣としては、この
不戦決議の問題、直接担当じゃないのでお答えにくいかと思いますが、もしそれでしたから、一政治家としてでも結構でございますので、この
不戦決議に対してのお考えをお聞かせください。