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荒井(聰)
委員 新党さきがけの
荒井聰でございます。
まず初めに、阪神大震災でお亡くなりになりました方に心より御冥福をお祈りしますとともに、
被害に遭われました方に心からお見舞いを申し上げたいと思います。
さらには、今回の
被災復興で政府
関係職員が大変尽力をされていると思いますけれ
ども、現在
被災民に最も必要な復興策の恐らく八〇%ぐらい、そうはいかないかもしれませんけれ
ども、大半の施策というのは
厚生省所管の施策であろうと思います。その
意味でも、
厚生省の
職員、大変でしょうけれ
ども頑張っていただきたいと思います。私は、過去に地方自治体の
職員だったときに釧路沖
地震を、これは
職員としてその対策に
取り組みました。また、衆議院議員になりましてすぐに奥尻の津波の
災害を経験いたしました。このときには二百有余人の方がお亡くなりになり、確かな数字は忘れましたけれ
ども、数百軒の家が火災に見舞われました。
そのときにつくづく思いましたのは、復興というのは単に物の復興ではなくて、かつてあったものの復興ではなくて心の復興、あるいはその地域が持っていた自立と共生といいますか、あるいはコミュニティーといいますか、そういうものの復興である、復活である。みんなで支え合っていたものが、ある大きな
災害で一瞬にして建物と同時に心の支え合っていたものもなくなってしまうというのがこの私の経験であります。
恐らく
神戸でもそういうパニックがある時期に起きたのでしょうけれ
ども、徐々に、マスコミなどで報道されるように、このコミュニティーの機能が復活しているように思われます。これは、
被災地の避難されたところが小学校であるということは、非常に大きな機能を発揮したのではないかと私は思います。多くの場合、
生活圏というのは大体小学校が中心でありまして、その小学校の周りで大体コミュニティーが復活してくるというのが私の経験でもあります。そういう
意味で、
厚生省所管の社会福祉
関係の
関係者がたくさんおられますから、そういう方に尽力を願って、町が持っている自立再生のそういう機能というものをもう一度見直して、この町の復興に役立てていただきたいなというふうに思います。
ところで、私が奥尻で経験いたしましたのは、この
方々がショックから立ち直る大きなきっかけは、町の瓦れきがなくなる、あるいは
建設のつち音が高くなる、そういうときを見て、はっと気がついたように町の人々がもう一度
自分たちでやり直そう、そういう意識に立ち返っているというのを目の当たりに見たことがございます。
今回この
被災に遭われた地域の瓦れきというのは、大変大きなものがあろうと思います。関東大震災の際には、横浜の瓦れきが山下公園の
建設土となったというふうに聞いております。今回も恐らくそれに匹敵するほどの、またそれ以上の廃棄物が出ているのだろうと思います。
一体、どのくらいの
建設廃棄物あるいは瓦れきが生じているのか、そして、その瓦れきをどのように処理されようとしているのか、それはいつごろまでかかるのか、そういったような点をまず第一にお聞きしたいと思います。