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河野国務大臣 先ほどから、G7におけるユーゴ問題は極めて重要な問題だ、相当な時間が費やされるに違いないと私は申し上げておりますが、これは少し私の
言葉が過ぎていて、五時間やる討議のうち四時間これをやっている、そういう
意味ではないのでございまして、この問題について考え得る時間を恐らく超えて
議論があるかもしれないということを申し上げたということを、誤解があるといけませんので申し上げておきたいと思います。
それは
サミット、今度は
経済の
議論になるときにはロシアも参加をして
議論が行われるということになると、コンタクトグループのメンバーが全部そこに一堂に会するわけで、そのコンタクトグループの人たちはコンタクトグループの人たちで、別途この問題については割合としょっちゅう会って
議論をしているということもあるわけですね。そのコンタクトグループの
議論に加わってないのが
日本であり、
カナダであり、イタリーであるわけです。こういうメンバーから
議論が出されるとそれに対して
議論がいろいろとある、そんなふうに思っているわけです。
話をもとに戻して、お尋ねのように、確かに明石さんが
現地の責任者として本当に苦心しておられます。私も
現地で明石さんと話をしてみて、それはなかなか大変だ。当事者からは明石さんに対する批判も相当あるというふうに私は実は聞いて出ていったわけです。実際は私にはそういう明石さんに対する批判はありませんでしたけれ
ども、それはきっとあるに違いないと思うのですね。この問題、恐らく
日本の昔流の言い方をすれば三万一両損みたいな格好でまとまる以外にまとまりようがないんだろう。そうなると、一両損してもやはり不満は不満だということであれば、そういう提案をする人に対する批判というものは出てくる可能性もあるわけです。しかし、そういうことも
承知の上で勇気ある行動あるいはさまざまな発言を明石さんはしておられるわけで、それは大変つらいということになればもう明石さんをサポートする、もう思い切って全面支持するよという国、勢力がなければ明石さんの仕事は進まないと思うのです。
ですから私は、余り
日本人ばかりひいきしていると言われることも問題があると思いますけれ
ども、しかし今日の明石さんの
努力を見てみれば、仮に明石さんが
日本人でなかったとしても我々は思い切ってサポートする必要があるだろうという気持ちで明石さんをサポートしたいと思っていることが
一つです。
それから、カラジッチ氏の発言というのを私は新聞で見ました。たしかカラジッチ氏の発言だったと思いますが、この発言には二つ
意味があると思うのです。確かに
日本とか中国とかというものは手を汚してない、余りこれまでのいきさつに巻き込まれていない、そういうところが出てきてほしい、こういう素直な率直な
意見というものも
一つあると思います。
他方、恐らくこのコンタクトグルーブの提案について非常に不満がある。だめだよ、ああいう提案はおれたちはのめないよ、ああいうんじゃなくてもっと別の提案を出してほしい、そういう気持ちもあるかもしれません。これは御本人から直接聞いたわけじゃありませんから真意はよくわかりませんが、私はちょっと見た感じでそういう感じもあると思うのです。
先ほどから私申し上げておりますのは、今コンタクトグループの
一つの提案が出ている以上はこの提案でぜひ
合意をしてほしいという一致したメッセージが伝わっていた方がいいのであって、コンタクトグループはこういう提案をしている、しかし
日本は来てこういう提案をしていったと、全然別の提案をしていった。例えば線の引き方もこういう引き方じゃなくてこういう引き方にしろというような別の提案が出てきたということになると、これはコンタクトグルーブの提案の説得力というものを著しく欠いてしまうことになりはしないか。したがって、今
日本当てこい、中国も来てくれ、こういろいろ言われて、もちろん我々は関心を持って、何か和平に向かって、それから新しい国づくりに向かって支援はするけれ
ども、その和平のプロセスにかかわってきたコンタクトグループの提案というものを今は我々はサポートするという気持ちがむしろ
問題解決を複雑にしないで、もう十分複雑ですけれ
ども、これ以上さらに複雑化させないためにはその方がいいのではないかという感じを持っております。
それから、
国連の場で我々が何か重要な役割を果たすためにもこの問題にかかわっておくことが大事だという
お話は、
我が国が安保理常任
理事国になるとならぬとにかかわらず、やはり
国際社会の問題を解決するために我々が果たす役割というものを自覚をしてその責任は果たしていくということが必要だと思います。私があえて紛争発生以来初めてクロアチアヘ参りましたのもそういう気持ちがあってのことであって、我々はこの紛争を見て見ないふりをするとか、なるべくかかわり合いたくないという態度をとるということは、とるべき態度ではないというふうに私は思っております。