○深田肇君 きょうの最後の時間が決まっておるようでございますから、それを自覚してなるべく早く上げたいと思います。それに、一番最初に申し上げておきたいことは、実は私
どもの都合で順番を変えてもらって済みません。一番最後にしてもらいましたことをお礼申し上げておきたいと存じます。
法務委員会ではもう何回も私の方で
お話し申し上げたり、同時に、
法務省を初めとする
関係のところからその対応についての御返事をいただいている問題で大変恐縮でございますけれ
ども、今回も、
大臣新たにかわられたわけでございますから、拘禁生活三十一年、刑確定後十七年を数える埼玉県の石川一雄さんの再審請求と仮出獄、仮釈放についてのその後の世論を中心に御報告しながら、
法務大臣の人道上の見地からの温かい配慮ある御所見などを賜りたく発言をいたしたいと思います。
以上、前置きを申し上げた上で、少し具体的に入りたいと思いますが、お互いの理解をしておるところでありますが、村山政権ができまして、村山総理は「人にやさしい政治」、「安心できる政治」をやりたい、憲法を尊重する政治をやりたいと、こういうわけでありますから、その意味では政府当局、積極的にこれから
人権の政府としての
仕事をしてもらえるものだというふうに確信をした
立場から、本日のところは、石川一雄さんの問題に関連いたしますけれ
ども、
人権問題に絞ってちょっと
お話をさせてもらいたいと思います。
しかも、
人権問題の中で、特に日本国有の差別と考えられている部落差別の実態について、現在、
人権擁護局を中心としてどのように実際を把握しておるのか、同時にまた、どのように対応しているのかなどについて
お話をさせてもらいたいと思っている次第でございます。
そんなことを質問しようかなと
お話し申し上げていたら、御丁寧に「
人権の擁護」というパンフレットをお届けいただきました。皆さんお持ちのようですね。これを拝見をしてもう一度、一遍どこかの
委員会で
お話し申し上げたことがあるんでありますけれ
ども、九ページで初めて同和問題という活字が出ますね。この中にとにかく部落差別という
言葉は一言もない。同和問題という
言葉では、これも九ページ、気になりますよ。こんなことを今答弁もらう時間ありませんから、私が一方的にしゃべっちゃいますから。
人権問題や同和問題を初めとする、なぜ
人権問題や同和問題と分けますか。質問したい、討論したいところでありますが、時間がありませんから、後でまた
人権擁護局に行きまして直接やりましょう。私が行くことは拒否されないでしょうから。
お話を、先ほどのようなことにならぬだろうからね、というふうに話をしておきたい。
そこで、十九ページに参りますと、「最近の主な
人権問題」というきれいなパンフレットがあるんです。これは順番まで嫌みを言うつもりはありませんが、六つ書いてあるんです。一つはいじめ、体罰の問題、これもあるでしょう。二番目が近隣紛争、ピアノの音で困るよという話だね。こういう紛争問題。三番目が外国人問題、これも大変大事なこと。四番目、やっと、あえて言う、四番目、同和問題。五番目、これは全部言っておかぬと失礼になりますから、女性問題。女性問題という表現も
余りよくないけれ
ども、女性問題。それからその次、障害者問題。これで終わり。こうなるわけですね。だから、項目のことを言っているんじゃなくて、同和問題がここで初めて出てきます。
さあ、出てきた上で、同和問題の文章を読む時間がありませんから、確かに明治四年における解放令のことも書いておられるんでありますが、私が一番気になるのは、これはもう私が落としてはいかぬと思って何遍も何遍も読みましたが、同和
対策の審議会があって、そこへ時の政府が諮問をして、そして我々の言うところの同対審の答申をいただいているんだが、その活字は一言も出てこない。このパンフレットにはない。同対審は、我々部落解放・反差別闘争という観点からすれば、一番よりどころにしているんです。それがここに全く活字がない。なぜ外したか。これまた御答弁いただく時間もないから、なぜ外したかと怒りを込めて質問したことだけ言っておけばいいんであって、後、また
人権擁護局に行ってやりとりしたいと思いますが、外れているんですね。
いや、それはそうじゃないんだよと、そういう答申があって、その後、昭和で書いておられますが、一九六九年、昭和四十四年にはこういう特別措置法をつくっ
たんだよというようなことをおっしゃってそこへ持っていきたいんだろうが、今一番大事なことは何かと言ったら、お互い確認できるように、事業が残っている、残っていないことも大事だが、これは
大臣も御存じのとおり、ど机だけ我々が全体の人間の心の問題として物事がわかっているかどうかというところが問題なわけだから、その観点からすると、意識的に外したわけじゃないし、忘れたというならこれまたお粗末な話だと思うが、大変、やっぱりそんなものかという印象を持ちながらこのパンフレットを見たということをまず申し上げておきたいと思います。
そこで、これまた時間の
関係でどんどんしゃべっちゃいますから、きょうの場合は御答弁をまたもらえるというような時間でもありませんから一方的にしゃべっちゃいますけれ
ども、もう私はここで言いたいんですからメモだけちょっちょっと言います。
徳川の前から人間が人間を差別したことは、お互いの歴史としてもうしっかり、今申し上げたように、あえて言えば、日本の固有の差別のものとしてお互い確認ができているだろうと思います。そういうことは学校教育でも我々は学んでいるんですね。徳川時代に入りまして、ここの本にもちょっと書いてありますけれ
ども、いわゆる被差別の身分がつくられて、権力者が支配として我々を、人間を、人間と人間がそこで差別され身分制として抑え込まれた、差別されたということは、お互いこれまた知識としても知っているわけですね。
そういう状況の中で、一九二二年、これはここに書いてもらえないかもわからぬ、これは政府が書くんだから書いてもらえないかもわからぬが、ぜひひとつお互いがしっかり確認した方がいいと思うのは、全国水平社が一九二二年に創立された。そしてもう七十周年を超えておる今日の状況。水平社宣言の中で「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」、だれもが今お互いのものとして確認できる
人権宣言が今でも生きている。生きていると同時に、その
人権がまだ完全に保障されていなければ、差別もここに存在しているという状況をお互い歴史としてもう一遍確認することが必要だろうと思います。
そういうことの延長線上で、一九四六年、今の部落解放同盟の前身の組織が結成されて今日まで継承発展されて、部落差別解放のために私たちの参議院の大先輩である松本治一郎先生を先頭にして今日まで
人権闘争として闘って大きな成果を上げたことは、これも何回もお互いが理解できることだし、確認できると思います。
新しいところでは、一九八八年、もう
法務大臣皆御承知と思うけれ
ども、反差別国際運動として、いわゆる国際的な反差別運動体や個人の方がどんどん参加して世界的に今や認められる運動として確認されて行動がされていることも御承知のとおりでございます。
そこで、パンフレットに書いてありますからもう一度言いますが、明治に入ってという一八七一年、いわゆる解放令が出て、今もう百二十年たっている、百二十年たっている。これは強調しておきますが、百二十年たっている。同時に、戦後でも四十九年ですから、来年で戦後五十年、新憲法下の今日において、今日まだ差別問題が大変続発しているというふうに思うんです。
そこで、私は、今回は少し角度を変えて、石川さんの問題に入る前に、
人権擁護局としてはどういうふうに今日の反差別・
人権問題をどのように把握しておられるか。
同時にまた、今ここで数を聞いたり、どこの県がどうこう言う時間がありませんから、私の方でデータを持っていますが、大変、私の印象としては、一生懸命やっておられるかもわからぬが、全体の把握は必ずしも正確でない。私の埼玉県の出来事なんかほとんど挙がっていないんじゃないかと思う。もし挙がっているとおっしゃるんなら、具体的に例を挙げて御存じかと聞いてみたら恐らく知らないと思う。知らなかったら、そういうことが現場であるのに
法務省は御存じない。これじゃ本当の意味の
人権問題をいわゆるお互いが保障し合うことにならぬだろうという感じもありますけれ
ども、量の問題でありませんが、いわゆる当局はどのように実態を把握されているのかなどなど、量の問題中心ではなくて
お話をしてもらうとありがたいなと。まずここで一区切りして、まず
局長の方から
お話を伺いたいと思います。