○木宮和彦君 制度はあろうと
思いますけれども、なかなかそれが
運営はできないと
思いますね。やっぱり親は人質にとられているようなものでして、なかなかそう簡単に申し出ができない。将来のこともありますし、
子供のこともありますので、できればそこにいる方がいいんですから、それが先に立つちゃいますから、なかなかそれができない。もう少し自由に
子供と
相談して、やっぱり土壌を変えてやるということが私は非常に必要なことだと
思います。
そして、
学校というのは特殊な
社会でして、いわゆる閉鎖的といいますか、閉鎖
社会なんですね、
先生というのは。よそのことは余り知らないんですよ。
学校のことは詳しいし、
学校のことについては一生懸命やっていますよ、
現実に。しかし、やればやるほどジレンマに陥るというのが
学校の
一つの宿命ではないかなと、私はそう
思います。
昔から、古い話ですけれども、中国の孟子のお母さんの孟母三遷という
言葉がありますが、これは
いじめられたから行ったわけじゃないんですけれども、ともかく
学校のそばへ行って、そしてそこのいい環境といいますか、そういう環境を選んだという、これで孟子の将来ができたという話でございます。
やはり私の経験から言いましても、
中学校でもって
いじめに遭って、おじいさんは町長、町
会議長をやったような方ですが、その孫なんですが、もう
学校は嫌だと言って行かなくてどうにもならなくて、そのおやじが、おやじさんはまだ若いですけれども、じいさんが偉いですから、そういうわけで飛び込んできた。私もしょうがないから、
高校くらいは出なきゃ困るんだからというので、その子は浜松の在でしたけれども、それで何か特色はないかと言ったら、
学校に行っていないんですから勉強ができないのは当たり前なんだ。普通の試験をやったら入らない。音楽が唯一少し好きだと言う。それでは、私のところに、音楽科があるから音楽科の寮に入れてやるからそこへ入れと言って、そして音楽の
先生に特別に頼んでその
子供を
教育したんです。大変喜んで、高等
学校を一日も欠席しなくて卒業して、しかも短大の音楽科へ行って今や立派になっていますが、あのときにもしもそのまま
いじめられていたら、
中学校も卒業できなくて終わっちゃったかもしれない。
だから、そういう
意味で、きめ細かい
指導をしていただくのが私は非常に大事だと思う。やっぱり今のやり方はどっちかというと逆であって、へたをすると
学校と
生徒と両方で
いじめちゃうようなことがあります。
人間というのは病気になりますから、病気になれば何か症状が出てきます。症状が出てくれば普通は
自分で自覚して、
子供の場合には親が、この子はちょっとおかしいと思ったら小児科に連れていくと
思います。要するに、症状が出て、そしてそれをお医者さんに連れていって、お医者さんが診察したりあるいは検査して、そして大体病名を決めて、それから治療します。治療の場合にも二つあって、すぐこれは切った方がいいですよという場合と、これは薬で治した方がいいよと。あるいは、同じ薬でもすぐ効く即効薬、点滴のような即効薬と、あるいはそうでなくて漢方薬で、じわじわ食事療法でもって治した方がいいよという、私はお医者さんじゃないからわかりませんが、ともかくそういうふうにいろいろと方法があろうかと
思います。
きょうは今から、私も実はいろいろ何を質問しようかと思ったんですが、どうも読むと、どれもこれも全部質問が終わっているし、全部答えが出ていますからもうこれ以上聞くことはございませんが、あえて私の私見ですが、十
項目を私なりに考えてまいりましたのでお聞きいただきたいと
思います。もしこれについて御批判があったら逆に私が承って、また何か参考になったらぜひひとつお考えいただきたいと
思います。
まず最初に、長いスタンス、根本的なものです。
先ほどの六つの、あるいは
愛知県の先ほどの
学校、この
学校でもって
子供に対して提言をしています。安心して
学校で授業ができること、安心して親が
学校へ出せること、そして地域でもって積極的に交流してそういうものを早く
発見しよう、この三つを実は
校長さんが発表していますけれども、考えてみるとそんなことは当たり前のことです、
学校に行くのに。安全でなきゃならぬなんということ自体がもう私は不自然だと思うんですけれども、しかしあえてそこまで言わせなくちゃならないような事態が発生していることだけは間違いないと
思います。
きょうはまず第一に、もう既にお話しいたしましたけれども、今の閉鎖性を何とかして、現状とこれから
対策論ですから、その現状を、ぜひひとつ閉鎖性の
社会を少し開いて、選択肢や自由競争の原理が働くようにひとつやってもらいたい、これがまず第一でございます。
それから二番目には、
先生や
校長先生が、先ほど私が文章を読みましたけれども、非常に使命感に欠けているような気がするんですね。サラリーマン化していると
思います。これをなくさにゃいかぬ。
私は、あるとき品川の女子
高校の女の
校長先生のお話を聞いたんです。その品川の私立
学校の女
校長先生が、
自分の
子供に小学生がいたそうです。近所の区立の小
学校へ
自分が忙しいからやったと。それで、いろいろ父兄会がある、PTAがある。しかし、
自分も
校長だからなかなか行けない。だけれども、あるとき時間がちょっとあいたと、その日一日、午後から。それで、受け持ちの
先生に
電話をして、今から行ってもいいかしらと言ったら、いいですよと。三時ごろ出かけた。そして、教室でもってその受け持ちの
先生とお話をした。
そうしたら向こうも女の
先生で、
自分も女の
教師で
校長ですから、話が弾んで非常に愉快だった。小さないすに座りながら二人でもって
教育論を交わって一生懸命話をした。四時半になったら隣の
先生が来て、
先生四時半ですよと、こうおっしゃった。ですからその
校長先生は、何か
会議でもあるのかなと思って、
先生行かなくてもいいですかと言ったら、いいですよ、話をしましょうよと、それでまた話をしておった。そうしたら、また十五分もしたら、今度は男の
先生が来て、もう四時半過ぎちゃったからねと、こういう話をした。それでびっくりして、これは何かここにいたのでは悪いのかなと思って、
先生申しわけございません、また私出直します、あるいは
電話でもって続きはお話ししますから帰ります、そう言ってお別れしたんです。そのときに
先生が、いや何にも用はないんです、ただ
学校は四時半か五時になると閉めてかぎをかけて、そして後はガードマンに任せにゃならぬので、だから私がいたら邪魔になるからああやって言ってくるんですよと、こうおっしゃったと言うんです。これは
本人に聞いた話なんです。これは本当の話なんです。
次の話はうその話かもしれぬが、これも私が聞いた話なんです。これも東京の話なんです。
大臣、東京だからよく御存じだと思うんですけれども、こんなことはないと思うが、これは作り話かもしれません。
これは大分前の話です。もう十五、六年前ですね。夏です。
学校にプールがある。夏休みにプールの監督をしなきゃならぬ。これはプー監というやつだね、プール監督。それを各
先生に、あなたは夏休みの何日の午前中、何日の午後というぐあいに割り振るわけです。この
役割は教頭さんがやるんですが、どうしてもみんなの意見が合わない、それはだめだ、私はこの日は用があると。職員
会議をやって、どうですか皆さんでここでもって何とか決めていただきたいといって、
校長と教頭がいる前で全職員を集めてプール監督の時間割をつくろうと思ってやったんだそうですよ。
ところが、なかなか合わなくてどうにもならぬ。そうしたら、若い
先生が一人手を挙げて、本当かうそか知りませんよ、私これは余り自信がありません、聞いた話ですから。見てきたようなうそをつかれたのかもしれませんけれども、ありそうな話なんです。手を挙げて、
校長先生いい考えがありますと。何だと言ったら、それはプールに水があるからプー監をやらなくちゃならない。だから栓を抜いて水を抜いちゃったらそんなことをせぬでもいいじゃないですかと言ったら、みんながああそうそうと。
校長もしばらく考えていて、ああそうかと言って、教頭にどうすると言った。それでその日はやめた。後ほど
校長が教頭に、君悪いけれども今夜栓を抜いてくれやと。それでその夏はとうとうプールを使わなかった。
本当かうそか知りませんよ。まさに笑い話じゃないですけれども、そういう事態が、たとえうそでもありそうな話に聞こえてくるということは、私は非常に残念なことだと思うんです。これはやはり使命感がないからです。ぜひそういう
意味で、長いスタンスでもって、
教員にどうしたらリーダーシップが欠如しているのをやるかということは、これは
管理者と
教員とが
お互い信頼
関係がないと使命感は生まれてこないし、また
教員の資質にも
関係します。それからもう
一つ、いろいろ外部との交流、特に民間の会社なんかのように十年たったら一年なり二年、
先生を世の中に出して勉強させてきてまた戻るというようなシステムをこれから考えるべきじゃないかなと、私はそう思っております。
それから三つ目が、これもまた大事なことですが、緊張感がない。さっきの話じゃないですが、松坂屋さんの話じゃありませんけれども、やはり
校長先生も、酒を飲んだ上だからそうかもしれませんけれども、それにしてもやっぱり事そこへ来れば、もうちょっと緊張感があってしかるべきです。ところが、その緊張感がない。
特に民間から来た
先生方は、
学校へ入ると、ここは居心地がいいねと私にそう言うんだから、これはうそじゃない。会社をやめて私の
学校の
先生になったのが、
先生ってこれで給料をもらえるのと。私の
学校は随分絞るつもりなんですが、それでもその程度にしか感じていない。これは問題があると思うんですね。やはりもうちょっと刺激を与えなくちゃいけないと私は思うんです。それには自己評価をやる、あるいは客観評価をやる。あるいは勤務評定もあってなきがごときのような勤務評定じゃ困るんでして、ぜひひとつ公立
学校の
先生方は親方日の丸というのはもうやめてもらって、やっぱり緊張感でひとつぜひやってもらいたい。これが私の三番目のお願いでございます。
それから四番目は、
先生が昔と違って権威がなくなっちゃった。昔は
先生様というのは偉い人なんですよね。なぜそうなっちゃったかというと、いろいろあると
思いますが、
一つには父兄の方が高学歴化しましたから、お母さんが女子大出でもって
先生が短大出となるとそれだけではかにしちゃう、残念なことながら。本当はそんなものは
関係ないんですけれどもね。むしろ見識があり人徳があり努力している人だったら、そんな
学校はどこだって構いやせぬ。しかし、
現実はそうなんですね。
現実は、短大出の人は最近減りましたけれども、四年制大学、同等だとやはり欠点だけが見えて、なかなか勤務評定なり自己評価ができないというところに
一つの大きな
原因があると私は
思いますので、ぬるま湯につかったような
学校じゃなくて、ぜひとも権威を高めてもらいたい。それには
先生方が生活態度をしっかりしてもらい、みずから示してもらいたい。
二番目には、やはり何といいましても服装の問題です。こんなものはどうでもいいというふうにおっしゃるかもしれませんが、
先生はやはり聖職だと私は
思います。だから、例えば判事さんにしても、あるいはお医者さんにしても看護婦さんにしても、そういう職業の人はみんなガウンを着ます。お医者さんはみんな白衣を着ます。看護婦さんも白衣を着ています。それから、判事さんは黒いガウンを着ています。これは何かというと、
人間の臭みをなるべくあらわにしないということなんです。坊さんだってそうですよ。神主さんだってそうですよ。みんなそれぞれその職員に応じての服装というものがある。
先生は
先生らしいやっぱりある程度の、それは活発に動くときにはそのようにしなきゃいけませんけれども、一たん教壇に立つときにはきちんと、夏はいざ知らず、冬だったらネクタイくらい締めて、たとえ小
学校といえども私はやるべきだ。トレーナーでもって一日じゅういるというのはいかがなものかなと、私はそう
思います。
それともう
一つ、
先生は今後は大学院をなるべくたくさん卒業させて、専修免許状を取って、そして
先生の資格をどんどん尊敬されるようにひとつ位置づけていただきたい。これはすぐにはできませんけれども、ぜひお願いしたいと
思います。
それから五つ目は、
社会環境が非常に悪くなっちゃった。授業料も自振りです。昔は親がちゃんと月謝を渡して、おまえこれだけ金を払うんだからしっかりやれと、まあ義務
教育はそういうことはないですけれども、教科書を買うときにはそうだったです。今はそれがなくなっちゃった。
先生方の月給は全部振り込みですから、余り尊敬されない。そのくらいやっぱり世相が変わっているんですよ、本当に。それは
校長の言うのも無理もないんです。
少子社会でもって、
自分の娘のこと、
自分の息子のことは関心があるが、それ以外のことには余り関心がない。ですから、これは現代人といいますか、超経済大国となった
日本の最大の欠陥がここにあらわれたというふうに私は思う。
この五つが言ってみれば長いスタンスでもってこれからぜひ行政当局で考えていただきたいことであります。
まだ五つあるんですけれども、もう時間もあと三分か四分で終わりですからこれは長く話はできませんけれども、せっかく考えたんですからね。
即効的にやらなくちゃならぬことで、先ほどの六つの中に入っていますけれども、まず
一つは信頼感を
お互いにつけること。今それがなくなっています。ですから、自信を持っていいことはいい悪いことは悪いと言い切れる
先生をつくってもらいたい。こんなことはすぐできますよね、やろうと思えば。
例えば警察官とやくざもそうですが、一般人がせっかくやくざについての被害を届け出ると余計やられちゃうことがあるんです。下手に警察に訴えたってかえってやられちゃう。
子供たちもそうなんですよ。強いやつにやられてそれを
先生に訴えると、
先生がストレートにそいつを呼んですぐやっちゃうと、そのときはちょっとおとなしいけれども、おまえおれのことを
先生に言いやがったな、こっちへ来いとまた前の三倍ぐらい殴られちゃう。本当なんだ、これは。弱い子を救うのが
先生なんです。それが逆になっちゃっていますから、弱い子をますます
いじめるような結果になっちゃう。これはもう緊急にできますから、ぜひとも自信を持って、いいことはいい悪いことは悪いと。
それから二つ目は、正義感を
子供に植えつけてもらいたい。連帯感。見て見ぬふりをしているんですよ、本当は。あいつはおれには
関係ないから
いじめられているけれどもいいやというので、
子供たちがみんな見て見ぬふりをする。いわゆる正義感が今の
子供になくなっている。これが二つ目。
それから三つ目が、ひとりよがりでもってコミュニケーションが悪過ぎます。最近、静岡でございますが、ある
中学校でもって忘年会をやろうと言ったら
校長さんにとめられちゃったんです。それは父兄とやっちゃいかぬ。クラブの
先生に大分世話になったからあの
先生を呼んで慰労しようと思ったら、それもやっちゃいかぬ。やっちゃいかぬ、やっちゃいかぬって、それだったらいつコミュニケーションするのか私にはよくわからない。むしろ
校長は、ああそうか、それはよかったな、御祝儀を持っていってやれとか、多少やればいいじゃない。私立
学校じゃないからそれはできないのかもしれませんけれども。ぜひそれはひとつ
学校の
先生と父兄と
子供の三者のコミュニケーションをよくしてもらわないことにはだめなんですよ。
弱い子には、できたら、昔から、江戸時代から目安箱ってあるでしょう、だから
学校の中に目安箱をつくって、言いたいこと、あるいは不平のこと、あるいは困ったことがあったらそれに入れて、
校長はそれをしっかり読んで受けとめる。そして、これは現場へおろした方がいいとか、これはどうだということをやっぱり、目安箱とかあるいは
子供のアンケートとか、あるいは
教師同士でもいいんですが、ぜひとも。
それからもう
一つは、さっきもちょっと言いましたけれども、
教員も十年くらいたったら民間へ二年くらい、ひとつ会社なりあるいはボランティアでもいいですから、何か違う世界を見てきてまた教壇に立つということが私は、これは言うは楽でもなかなかできないかもしれませんけれども、ぜひやってもらいたい。それをやらないのはやめてもらえばいい。ぜひともお願いしたいと
思います。
それから、あとは目的意識をぜひ持ってもらいたい。今はどうも合理性がいいということで、手づくりをやる気がなくなっちゃった。特に私は
文部省、これはしょうがないと言えばしょうがないんですが、日直とか宿直とかこういうものも全部廃止しちゃった。昔は宿直の晩に
子供に、
先生いるで、おまえおかずを持っていってやれやと言って田舎では全部親がそういうのを持ってきたんですよ。その宿直室で
子供とのコミュニケーションが非常に多かったんですが、そういうことが一切、正月も全部閉めちゃう。修学旅行も大体旅行社へ頼んであとは
先生は何もせぬ、
子供の監督をするだけで夜になったら酒を飲むという、これじゃ困るんです。
それから最後、もう時間がなくなりましたのでやめますが、ともかくできることはすぐ実践してください。私の経験からいきましても、私の
学校からいっても、本当に悪い子をやるのは、受け持ちと
生徒指導の
先生と教頭の三人がその気になればどんな悪い子だって、その両目に対向して、そしてそこでもって一時間か二時間強引にやれば必ずこれは防げます、
いじめは。もし今度やったら、この子じゃなくておれが相手をしてやると教頭がたんかを切れば、それでもって中学生くらいおさまります。女の
先生じゃ殴られちゃうかもしれませんが、少なくとも権威のある
先生だったらそういうことはあり得ないと
思います。
たくさんお話ししまして、余分なことを言いましたけれども、きょうは
質疑というよりも独壇場みたいなことをやっちゃって申しわけございませんが、ぜひ今後、私は私なりの考えを持っておりますので、よろしくどうぞお願いいたします。