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笠原潤一君
自民党の
笠原潤一でございます。
いよいよ
WTOの
審議も今回が最後の
委員会になってまいりました。君に忠ならんと欲すれば孝ならずと、平重盛、ハムレットの心境であります。前におられます
総理大臣初め各
閣僚の方々も、
国会で衆参で六回の
決議がされました、あのことを思い合わせ、昨年の今ごろ、十二月十三日、
細川元
総理大臣がついに米の
部分自由化を受け入れたわけであります。したがって、私
どもにとっても、また
総理大臣初め各
閣僚にとっても、考えてみれば前
政権の、それは
外交は継続しなきゃならぬ、
世界の大勢には逆らえない、こういうことで苦渋の選択をされた、こう思っております。
そもそも、
東京ラウンドの後、
ウルグアイのプンタデルエステで
ガット・
ウルグアイ・ラウンドが開催され、そして今日七年越しの交渉の結果いよいよファイナルを迎えようとしておるわけです。二十一
世紀に向け
日本の将来を占う試金石というか、かけというか、今
国会における
年金法、
税制改革法案はもとよりでありますが、
政治改革法案とそれから小選挙区・比例の各
法案、先般参議院で可決されたわけでありますが、それときょうを迎えようとしております
WTO法案は、果たして
日本の今後に吉となるか凶となるか。私は
分岐点になる、戦後、いや
今世紀最大の国運をかけた重大な
案件であると思っております。
ゆえに、この
法案の今後の
推移いかんによっては、重大な
危機感と同時に
一大転換期ということにどう対処していくのか、ひしひしと身に戦慄と
責任の重大さ、とりわけ
審議に参画したことの使命と
責任を痛感している昨今でもあります。
村山総理は、私は
世界に通用する
風貌を持っておられると思うんです。愛称はトンちゃんと言われますけれ
ども、いや、私はそれよりも
村山富市つあん、
トミー村山さんの方が
世界に通用すると思うんですよ。本当に
総理の顔は、
アメリカ中西部へ行っても、あるいはフランスやドイツやあるいはスペインの田舎へ行っても、あなたと同じような
風貌の人に会うんですから。そういう点では私は、
国際会議に行かれても非常に親しみのある顔だと思って、ああ、これからやっぱり
トミー村山さんの方がいいなと。かつては
総理とか
日本の
首脳で、何々さんとか
首脳で
お互いに名を呼び合った方がありますが、私はやっぱりそういう点では、これから
総理がそういう
意味で
国際場裏で通用する
政治家である、そういうことで私は非常に
親近感を持っております。
それと同時に、
総理が御就任になったときに、私はあの
総理の
記者会見を聞いておりました。そして、あの
記者会見の中で国旗や国歌について、そして、前の
細川総理や
羽田総理大臣がおっしゃったあの
侵略戦争に対するあなたの考え方も、やっぱりあなたは
大正末期から昭和の一けた
時代、戦中戦後を生き抜いてきた。そして、その中で胸に何かあなたは持っていらっしゃる。それが
社会党という、あなたは
国会の中に籍を置かれたけれ
ども、それ以上に
日本人だなという
気持ちも私はひとしお痛感したんです。ですからそういう
意味で、あなたのこの
ウルグアイ・ラウンドに対する
気持ちも、そして
日本の
農業がどうなっていくか、私はその点ではあなたの胸中を察して余りあるものがあると思います。
私そのものも、これは本当は重大で、心は
反対だけれ
ども、これは実はしかし賛成しなきゃならぬという、本当に
自民党の
皆さん、ほとんどの
皆さんも
WTOは賛成なんですよ。
多国間貿易でたくさんの物は動き、サービスがいろんな
分野で行われていく、そして
世界経済も
ブロック経済からいわゆる
世界経済になっていくんですから、これは
日本にとっても喜ぶべきことであります。
日本はもちろん
自由貿易国家ですから、
貿易で立国しているわけですから、私
どもにとっては一番大事なことであります。
その点では私は何ら
WTOに対しては
反対はしないし、心から賛意を表しながら、そしてこれからヨーロッパはEU、
アメリカはNAFTA、そういう
地域ブロック化が進んでくる。今、本当にそういうことで、下手をするとAPECだって、東南アジアだって、そういう
ブロック化の
経済にどう対処していくかということは、私はやはりそういう
意味でこの
世界貿易機関ができることは非常にいいことだと思っているんです。
しかし、
農業を
一緒にされた。
農業を
一緒にしたことについて私は甚だ残念である。そういう点が一番心に残ることなんです。
農業というのはもともと別なんです。私は自分も農家の出ですから、田んぼを走るもあぜを走るも
一緒という
言葉がありますが、長い
間農業をやってきた。
農業の
基本というのは何か、それはやっぱり
農業というのは
家族労働だ、これが一番
基本にあるんです。
かつて、
アメリカだってそうだったんです。トーマス・ジェファーソンが「土を耕す者は神のしもべである」、これは脈々と
アメリカの中に生きていますよ。
アメリカの
州立大学、農学部というのはみんなランドグラントといって、そこから
アメリカは
発展してきたんです。清教徒がイギリスから
アメリカヘ来て、そしてフロンティアヘ向かっていった、西部へ向かっていった。しかし、そこはみんな
農業なんですね。そういうことからいえば、本当に
農業とは一体何か、
家族で働く。
私はよく言うんですよ、ちょっと話がそれるかもわかりませんが、
日本人は大抵パリヘ行ってルーブルヘ行きます。何を見に行くか、一番
最大の
皆さんが見たいものは何か。三つあるんですよ。
一つは
モナリザです。これはもうそれはすごいきれいなあれですから、だれでも
モナリザを見たがる。それからミロのビーナス。しかし、もう
一つあるんですよ。これは
ミレーの「
晩鐘」なんです。あの夫婦が本当に一日の農作業を終えて、あのアンジェラスの鐘が鳴る教会に向かって敬けんな祈りを捧げるあの美しさというのが
農業です。それは人間の心、
万国に通用する心だと私は思っているんです。
したがって、その
農業というものを
一緒にされた。
一緒にして今度の
ウルグアイ協定を結ばなきゃならぬ、
マラケシュ協定を結ばなきゃならぬ。非常に残念です。どうしてこんなことになったのか。
私は、先般、
外務大臣が
カイロの
人口会議においでになって、そして
世界の
食糧の問題、
飢餓に苦しむ問題、そういう問題を討議なさったわけです。本来言えば、今から十年ぐらい前、もっと前がもわかりません、
世界が
飢餓に苦しんだころ、
ローマ・クラブというのがあって、そして
FAOというのが本当に
世界の大きな主要な役割を果たしてきたんです。これは
国連の一
機関にすぎないけれ
ども、それがここ十年来この
FAOの話が聞かれなくなってきた。どうしてだろうか。私は、そういう点では非常にこれは異常な事態。そして、何か
時代ごとにいろんな移り変わりがあります。変遷があります。しかし、この
農業、
ウルグアイ・ラウンドで、
貿易の中で
製造品とか
工業とかと同じような
分野でしかこの
農業の問題が扱われなかったことに対して、私は非常に遺憾に思っています。
そういう点で、
村山総理、今回実は
大江健三郎さんがストックホルムヘ行かれて
ノーベル賞をおもらいになった。(「あっちに行ったりこっちに行ったりしている」と呼ぶ者あり)いや、これは大事なことですからね。その前に
川端康成さんが「美しい
日本の私」、今回は「あいまいな
日本の私」と、これだけ違ってきたんですよ。どうしてでしょう。
日本が
高度経済成長をやった。みんな歓迎したんです。私は、
河野外務大臣のお父さんがお亡くなりになった後で、
日本青年館で、
大臣もあのときにはまだ
政治家ではございませんでして、廊下のところでお立ちになっていたことを今でもまざまざと思い浮かべておりますが、あのときにだれだったか、こういうことを
記念講演の中でおっしゃった人があるんです。
所得倍増はいいんだ、しかし物価は四倍になるだろう、
犯罪は八倍になる、こうおっしゃいました。
日本はそのとおり歩いてきました。
この過去三十年間、あの
高度成長をやってきた三十年間、この三十年間は非常な勢いで伸びてきた、
日本の国は。しかし、その頂点が何だったでしょう。
バブルだったんです。そして
バブルは今消えてしまった。
世界の個々の
歴史からいえば、三十年かかって上昇してきたものは必ず三十年でついえていく、私はそう思っています。
したがって、今、本当にこれは重大な運命の時期だと思っています。下手をしたら大変なことになってしまう。
日本は今後上昇を続けていけるだろうか、繁栄していけるだろうか、そういう
意味で今、大きな
分岐点に立っておると私は思っています。
そういう点で、古い例を持ち出したいわけじゃありませんけれ
ども、私は
商業経済国家というのは必ず衰亡していくんだという考えを持っています。フェニキアしかり、
ローマしかり、カルタゴしかり。かつては
英国もそうだった。今や
日本もそうなっていきはしないだろうかと非常に心配なんです。
ですから、私はそういう
意味で、特に
村山内閣総理大臣初め、
自民党それから
社会党、さきがけ、三党組んでいます。今、大きな
分岐点、
転換期に立っているこの時期に、私は
総理としてこの
WTOに対して今後のこの問題、それから
日本の
農業が誤りなく、そして危殆に瀕しないような形で続けていかれることを望んでいますから、その点について
総理大臣の
所見をお伺いしたいと思います。