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参考人(
城戸喜子君) 皆様、お忙しいところをお集まりいただきまして、本日は、介護のニーズと費用というテーマと、介護サービスの場合には、
年金などの場合と違いまして、所得
保障の場合と違いましてサービスを提供する人の問題が重要でございますので、労働力の問題と、二つの柱についてお話し申し上げたいと思います。
最初に、介護のニーズと費用の問題でございます。
ことしの前半に新しい
福祉ビジョンが出まして、その中で、
社会保障に使われている資源の配分を、
年金、医療重視から、
年金と医療をやや効率化しまして
社会福祉、特に介護の方に資源を回す方向に進んだらどうかというような選択肢を含んだビジョンが出ました。私も実は、
社会保障の資源に関しまして非常に偏った配分がなされているとかねがね思っておりまして、一九八〇年代の半ばくらい以降そういうことを考えておりました。
きょうお配りいたしました一枚目の統計図表の左の上のところに「
社会保障給付費の推移」というのがございます。これを見ていただきますと、日本を含みます六つの先進国における
社会保障給付費の規模、ILOの基準によって集計されました
社会保障給付費の規模が
年金、医療、その他というふうに三分割されまして図示されております。日本を除きます五つの国につきましては、
社会保障のそれぞれのタイプの中から比較的人口とか経済規模の大きい国をとりまして、そして図示したものでございます。
一見してすぐおわかりいただけますように、日本の場合は、
社会保障給付費の規模自体、総額自体大きくないのですが、その中で
年金と医療の占める割合が圧倒的に多いということでございます。その他といいますのは、それじゃ
社会福祉すべてかといいますとそうではなくて、そのすぐ下に表1「その他の支出の内訳」というのがございます。
年金、医療、その他の「その他」です。これを見ていただきますとおわかりいただけますように、大きく分けまして所得
保障とサービスと両方のものが入っております。
社会福祉関係とそれから所得
保障とを、特に公的扶助と
社会福祉の費用を分割するのはILOの統計によりますと不可能なわけなんです。したがいまして、ILO統計と国内統計を突き合わせまして
社会福祉と公的扶助を分割できる国につきまして比較をしましたのがこのスウェーデン、イギリスの二つの国でございまして、別にこれらの国で
社会福祉サービスが手厚いからということではなくて、
社会福祉のサービスの供給体系が大陸諸国と違うわけなんです。
つまり、大陸諸国の場合には、ここで言いますと西
ドイツ、フランスなんですが、西
ドイツ、フランスの場合には民間非営利
団体が中心になっておりまして、全国規模の民間非営利
団体がサービスを供給しているのですが、しかしそれを全国規模で集計したものがない。人につきましても費用につきましてもそういうものがない。したがいまして、公的なものが絡みましたものだけとりますと非常に規模が小さくなりまして、しかもその上、社会扶助の中で介護サービスがなされているというような状況でございましたので、区分して費用の規模をここであらわすことができないというのが、スウェーデンとイギリスしかとっていない理由であります。
社会福祉といいますのは、その中に児童
福祉関係もありますし、老人
福祉費も
障害者
福祉費もございます。
まず、
社会福祉費全体として見ますと、八六年が一番新しいのですが、このILOの統計といいますのは三年ごとでございまして、直近の数字はまだ八六年なのです。非公式に入手しようと思いますと八九年についてはこの五カ国については入手できないことはないのですが、ここでは八六年の数値を使っております。それほど大きな違いはないと思います。スウェーデンの場合に日本と比べまして一けた違う。対GDP比で一けた違うというところが決定的な違い。スウェーデンは特殊な例といたしますと、イギリスの場合も日本の二倍ぐらいになっているというところがすぐ読み取っていただけると思います。
今申し上げましたように、
社会福祉といいますのは児童
福祉も入りますから、すぐ右側の小さな横長の表で、
社会福祉の費用を児童
福祉と老人・
障害者
福祉に分けまして比較したものがございます。
そうしますと、日本は一九八八年で、スウェーデン、イギリスが八六年になっておりますが、老人・
障害者
福祉費の方をとりますとやはり日本とスウェーデンは一けた以上違う。イギリスにつきましても大体六倍ぐらい、日本は六分の一という規模になっているということがわかっていただけると思います。ちなみに、老人
福祉費と
障害者
福祉費とを分けますと、これは圧倒的に老人
福祉費の方が大きいということになります。
こういうふうな統計数字からはっきり言えますことは、やはり少し日本の
社会保障の資源の配分というのが偏り過ぎているのではないかということであります。
次に、それでは
社会福祉の方、特に今問題になっております老人介護の方に資源を回すとした場合に、今よりも
社会保障に係る費用が大きくなってしまう。この高齢化と資源制約化のもとでどうやってそれが達成可能かという話になってくると思うんですが、同じ
障害を持った老人に対しまして、あるいは病気でも急性期を脱しました老人に対して、医療施設で介護する場合と
社会福祉施設で介護する場合とでは決定的にかかる費用が違うということがございます。
それはことしの「週刊
社会保障」に、はっきり何月何日号であったか覚えていませんのですが、老人
保健施設、特例許可老人病院、特別養護老人ホームにつきまして総費用とそれから自己負担分を比較した表がございまして、そのほかの施設の設備の面の比較だとか職員の配置の比較だとかも全部含めておりますけれども、それを見ましても、病院に入っている場合に一カ月かかる費用といいますのは四十万円ぐらいはかかる、三十七万から四十一万というふうに書いてございました。
私が八九年に書きました論文ですと、大体四十万から四十五、六万ぐらいはかかるだろう。それから、老人
保健施設は標準経費でございますから大体二十六万
程度。それから特別養護老人ホームですと、私の場合は東京都だけをとりまして、一番かかっている区部の場合と郡部といいますか二十三区外の特別養護老人ホームとの比較をいたしましたけれども、大体二十五万
程度、二十五万から二十万
程度。今回の「週刊
社会保障」の記事を見ましてもそれは変わっていない、大体二十五万
程度になっております。したがいまして、大体一カ月あたり総経費でいいますと十五万、少なく見積もっても十万は違ってくるというようなことがございます。
他方、自己負担に関していいますと、在宅ケアを含めました場合に、在宅ケアが一番自己負担が高くなる、しかしトータルコストは一番少なくて済むというような推計がいろいろ出ております。
トータルコストがどのくらいかかるかという推計につきましては、これは推計
方法がまだ確立しておりませんので出てきました数字というのをそのまま信じていいかどうかという問題はございますけれども、しかし、トータルコストと自己負担分とを両軸に構えて比較をしていただきたいというふうに考えております。縦軸にトータルコスト、それから横軸に自己負担というのをとりますと、医療施設が左側の一番上にきてそして右側の下の方に在宅ケアがくるというような、左上から右下にかけて斜線が引けるような、そういうふうなアンバランスな体系になっているということをついでに申し上げておきたいと思います。
ですから、トータルコストを下げることと同時に自己負担についても公平化を図る。これは実はある
程度ならされてきている面はございますけれども、まだ残っている部分があるというふうに感じております。
それで、常識的に考えましても、医療
関係の施設に入っている場合には、滞在して泊まるあるいは食事をする、それから多少のケアをしていただくということに加えまして、治療行為が入るわけですから、これは当然、居住施設よりも治療施設の方がコストがかかるのは容易に推察できることであると思います。したがいまして、この面からも、医療の領域から
社会福祉の領域に資源を移転させるということが必要であるかと思います。
その場合に考えられますことは、当面
社会福祉の方、特に老人介護の方に資源を投入しますと、当面の闇は、つまり医療費の削減が進むまでの間は、節約ができるまでの間はトータルでは膨らむだろうということであります。しかしながら、これは一種の投資的な経費だというふうに考えていただいてもいいのではないかと思います。
実は、一九七〇年代の後半から八〇年代の半ばにかけまして、先進諸国では医療費の抑制ということが共通の課題として非常に表に出ておりました。その場合に、どの国が早く成功したかということは別にいたしまして、思い切って老人介護の方に費用をかけ、そして医療費の方を削減して成功したという国が幾つかございます。したがいまして、当面の費用の増加ということを恐れずに、ある
程度社会福祉の方を充実していくことによって医療費の削減はできるのではないかというふうに私は考えております。
こういうふうな医療
保障費とそれから介護サービスの費用との代替
関係というようなことを念頭に置きまして、それではその将来どのくらいの要介護老人あるいは介護サービスのニーズが発生するであろうか、それにかかる費用はどのくらいになるであろうかということを考えてみたいと思います。
それが一枚目のプリントの右側にございます表1「要介護老人数と各種介護サービス必要量の推計」という、ちょっと入り組んだ表でございます。これはA、B、C、D、Eと五つのブロックに分かれておりまして、Aの部分は六十五歳以上人口と要介護老人数の純計でございます。純計というのは何を指すかといいますと、寝たきりの
高齢者と痴呆症の
高齢者が別々に推計されておりました時点でいたしました
作業ですから、その重複というのをどうやって除くかという問題がございます。重複を除いた数という意味です。
一九八五年につきましては、これは実績値でございまして、厚生省の方で一九八〇年代の後半から九〇年代にかけまして公表されていた数値を使っております。一九九〇年も実績値でございます。さて、その重複率なんですが、これは実は当時厚生省の大臣官房
政策課の課長をしていらした方の推計で約二二%ぐらいというのがございましたので、それを使っております。
問題は、将来どのくらいになるか、要介護老人がどのくらい発生してそれに必要なサービスがどのくらいになるかということでございます。
二〇〇〇年と二十一世紀の
最初の高齢化のピークの時点の二〇二〇年というのをとりまして、どのくらいになるかという数字を出しております。六十五歳以上人口というのは、これはもう人口問題研究所の推計どおり、それから、寝たきりと痴呆症の重複につきましては
一定と仮定しております。これは非常にやりづらいところで、思い切って簡略化しないとできないところでして、だんだん年が進むにつれまして高齢化は進む、しかも後期高齢層の六十五歳以上に占める割合というのはふえていくということで、後期高齢層になるほど要介護老人の出現率は高くなる、したがって要介護老人の六十五歳以上で切った場合の出現確率というのは高くなるはずだということが一方にございます。
しかし他方で、例えば寝たきり老人ゼロ作戦とか、あるいは都老研の痴呆症制圧十カ年プロジェクトというようなものがございまして、痴呆症とか寝たきり対策というのが予防も治療も含めまして考えられて一生懸命検討されているところですから、医療技術面あるいは介護の仕方、それからライフスタイル、食
生活、一日の時間の使い方というふうなものにつきましてもしも進展が見られた場合には出現率というのは下がるかもしれない。
現に、下の方に毎日新聞からの記事を引用して出しておきましたが、これは寝たきり・準寝たきり老人の年齢剔出現率、それから痴ほう性老人の出現率の
調査であります。福岡市の場合を除きまして在宅の老人だけをとっているというところが問題なのですが、しかしながら福岡の場合を見ましても、やはり寝たきりも在宅も出現率は下がってきているということが指摘できると思います。
もちろんこういう結果があらわれましたのはごく短期間のことでございまして、将来的にこれを下げている要因がまたなくなるということもあり得るわけですから何とも言えませんで、不確定要因が多過ぎる、したがいまして
一定ということでやらざるを得なかったということでございます。そうしますと、大体純計で見まして二〇〇〇年には百九十三万人、それから二〇二〇年には二百九十一万人というふうな数になっております。
私は、家族の類型と寝たきりや痴呆症の出現者数とをクロスで見ているのではなくて、家族介護というのは限界であろうということを念頭に置きまして、どのくらいのサービスが必要になるかということを考えました。
次に考えるべきことは、施設ケアとそれから在宅ケアをどのように分けるかということでございます。
実は、一九九〇年の時点で、実績で見ますと、老人
保健施設、特別養護老人ホーム、老人病院に入っている六十五歳以上の
高齢者というのは三・一%弱ぐらいでございます。
高齢者保健福祉推進十カ年戦略を使って計算してみますと、大体三%ぐらい。その中で大きく変わっているのは、老人病院に入っている人たちを少なくするということであったと思います。あとは、老健施設の定員を二十八万人にして、それから特別養護老人ホームは大体一%の
水準を保つというようなことになっておりました。
そこで、海外の状況を見てみたいと思います。
左側の上から
三つ目の表8「各種施設の利用度合(一九八五年)」というのがございます。これは国際
社会保障協会が出しました
報告書の中からとりましたもので、医療系の施設と非医療系の施設に分けてございますけれども、多くの国につきまして両方を足した場合の施設利用割合、一番右側の欄を見ていただきますと、フランスを除きまして大体五、六%のところにおさまっているという実態がございます。八五年の時点でも既に施設ケアから在宅ケアヘというようなことが言われておりましたので、今後も施設居住者割合が下がるかもしれないという
可能性はございます。
しかしながら、日本の場合の三%というのと五%、六%というのは少し差があるけれども、じゃ間を埋めてみるとどういうことになるか。まず、二〇〇〇年の場合には五%、それから二〇二〇年には六%という施設居住率を設定しました。そうしますと、
ゴールドプランの場合には大体三%ですから、その間の四%と五%というのをケース2に設定してございます。あとは、在宅
高齢者がそうすると幾ら残って、そのための三本柱、ショートステイ、ホームヘルパー、デイセンターがどのくらい要るか、在宅介護支援センターとケアつき
住宅がどのくらいになるかというようなことをつけてあるわけですね。
このようにして計算しました結果、費用がどのくらいかかるかということでございますが、二枚目の統計表を見ていただきますと、二〇〇〇年と二〇二〇年の数値が出ております。
ゴールドプランは、これはそのまま計算するとどうなるかということでございます。
この計算の仕方なんですが、注書きのところにありますように基本的にはこういう式を使いました。各種サービスの費用は、総人口に占める六十五歳以上人口の割合に、六十五歳以上人口分の利用者数またはサービス提供者数をとると。そして、それに一人当たり
国民所得に対する一人当たり単価というものを掛ける、そして百倍する。これはどういうことになるかというと、六十五歳以上人口が分子と分母でなくなりまして、結局は
国民所得に占めるこういうサービスの費用ということになるかと思います。
実際の算出例としまして、二〇〇〇年の
ゴールドプランの経常費・施設ケア費(特養)の場合が書いてございますが、まず六十五歳以上人口比は一七%、それから六十五歳以上人口二千百七十万人分の特養の定員二十四万人、それから一九八九年の時点の一人当たり
国民所得を分母にいたしまして、特養の月一人当たり経費二十一万掛ける十二カ月というのを分子に持ってくる、そして計算すると〇・一八というような計算をいたしております。
最初の二つは別にいたしまして、三項目目の一人当たり
国民所得分の一人当たり単価といいますのは、これは要するに相対価格を八九年の時点で固定してしまって変わらないとした場合でございます。これがケース一とケース三です。
それから、ケース二とかケース四といいますのは、これは相対価格を少し変えるわけです。例えば、介護のサービスに当たる人たちに対しまして、介護サービスに従事する人たちの待遇を少し変えて、相対価格を二五%ぐらいアップした場合にどうなってくるかというようなことを算出したのがケース二とケース四になります。
したがいまして、表の一と
対応するときにちょっとわかりにくいのですが、表の二の方のケース一、ケース二というのは、表の一の方のケース一になり、表の二の方のケース三、ケース四というのが表の一の方のケース二になるという、そういう
対応になっております。
細かい説明を省かせていただきまして、それでは二〇〇〇年と二〇二〇年に
国民所得対比でどのくらいの費用になるかということなんですが、どのくらいのサービスが必要であるかということを考えます場合に、ただ六十五歳以上人口、対人口比でどのくらいのホームヘルパーが要るかということと同時に、例えばヘルパーと給食サービスとの組み合わせとか、あるいはデイケアに行った場合とヘルパーの訪問回数との調整とかそういうことがございまして、ここでは御説明いたしませんけれども、ある
程度の組み合わせを考慮しながらこのサービスの量とその費用を計算してございます。
実は、私がこのように非常に大まかにマクロで押さえているのですが、中央大学から東大に彩られました武川正吾さんという方がおられまして、彼が、デルファイ
調査といいまして、専門家、実際に処遇をしている人たちあるいは
地方自治体の
福祉行政に当たっている人たちに対しまして、どのような
障害の
程度のどういう家族状況の人たちに対してどのくらいのサービスが必要かということを意識
調査で調べたものがございまして、偶然のことながら実はサービス量につきましてはかなり似た結果を得ました。
私の
考え方としましては、これは非常にミニマムだという思いがあるのですが、しかしながらたまたま専門家の意識
調査の結果とある
程度似ているということで、そうすると、実際に処遇をしていらっしゃる方たち、あるいはその
計画を立てていらっしゃる方たちというのも同じような
考え方をしていらっしゃるのかなというようなことをちらっと考えました。
それでは、費用はどのくらいになるかと申しますと、
ゴールドプランの場合には大体二〇〇〇年で
国民所得対比で〇・五%弱ですね。それから、ケース一、ケース二ですと一%弱。それからケース三、ケース四ですと一・二から一・三。それから高齢化のピークですと、一・三から一・四、そして一・七から一・八ぐらいで済むのではないかと思います。したがいまして、ここではミニマムのサービスだというふうには考えておりますが、大体
国民所得対比で二%弱で済むかなと。もしも医療費というものを大幅に節約することができるとすれば、これは決して非常に負担になる規模ではないのではないかというふうに、そういう暫定的な結論を得ております。もちろん、推計
方法とか前提につきまして検討すべきことは多いのですが、しかしながら大ざっぱな見当をつけるという意味ではまあ第一次接近としての意味はあるのではないかというふうに思っております。
それから、二番目の大きな柱の「介護のニーズと労働力」というところに進ませていただきますと、まず、日本ではほかの国に比べて非常に
保健医療とか
社会福祉部門に従事している人の割合が低いという統計を御紹介したいと思います。
それは、今の表の下にまた表2になっておりますが、「
保健医療・
社会福祉従事者の規模」というのがございまして、これは七〇年から八五年までで、かなり時点としては最近年が古いのですけれども、
社会福祉関係の従事者につきましてはっきりした数字が出てくるというのはかなり大がかりの
調査でないと不可能なのですね。それで、日本で言いますと国勢
調査級の
調査というようなものでないとなかなか難しいというところがございまして、かなり情報としては前の時点のをとらざるを得ない。九〇年につきましてそろそろやってみる必要があるかなというふうに考えているわけです、ほかの国につきまして。日本の場合につきましては、国内でかなり統計が得られるのですが、しかしほかの国についてはなかなか難しいということがございましてかなり古い。
八五年を見ていただきますと、
保健医療の方はかなりの規模に上っております、ほかの国におきましても。特に
アメリカの場合は、
保健医療と
社会福祉の二つの領域を比較しますと、圧倒的に
保健医療の部門に従事している人の割合が高くなっております。日本でございますが、日本は
保健医療が三・四%、それから
社会福祉が一・一%。ちなみに、これはどちらかというと産業部門でございまして、職業分類ではないということをお断りしておきたいと思います。
問題は
社会福祉の領域で、まあ児童
福祉のこともございますが、老人
福祉が含まれるという意味では
社会福祉のところを見ますと、日本の場合に一%ぐらい、それから
アメリカの場合が一・五%ぐらい、それからスウェーデンの場合は八%近くまでいっている。しかしながら、これは気をつけて見るべきところもございまして、例えばパートタイム換算というのがどのようになされているかというのがいま
一つはっきりしない。スウェーデンの場合には、かなりパートタイマーとして働いている人がおりまして、それをフルタイム換算した場合にこの数字がどう動くかということは残るかと思います。しかし、それにしましても差はあるということは言えると思うわけです。
ただ、日本の場合に考慮すべきことは、高齢化率がほかの国に比べてまだ低い時点でとらえておりますので、その高齢化率と
保健医療・
社会福祉従事者の規模との相関を見たのが右側の一番下の老齢人口比と
保健医療・
社会福祉従事者数とを足したもののグラフです。横軸に六十五歳以上人口比をとりまして、縦軸にこの両部門に働いている人の割合をとっております。時系列で見ますと、どの国も大体六十五歳以上人口比がふえると就業人口比もふえている。しかし、横並びで見た場合に、例えば日本、
アメリカ、スウェーデンと見た場合には全然違うなというところはあります。先ほど申し上げましたように、大陸の国、フランスと
ドイツにつきましてはややイレギュラーな動きを示しております。それから、グラフの所在する位置が
アメリカ、スウェーデン、日本からはちょっとずれている。これはどういうことかと申しますと、やはり民間非営利
団体で働く人たちの割合が高く、その人たちの全国規模での集計が落ちている、不足しているところがある、過少推計だということが絡んでいるというふうに考えております。
実は、
最後のところで提言をしてほしいというふうなお話がございました。私は、
施策に関する提言もさることながら、
社会福祉関係の行政統計というのをぜひ
整備してほしい。ほかの国につきましてはほかの国の問題ですから何とも申し上げられませんが、日本の場合に、施設従事者というのは把握できます。これは経済統計の方からも厚生行政統計からも把握できますが、しかし、在宅ケアに従事している人たちの割合というのは、どういう職種の人たちがどこで重複していて、しかもどのくらいの人たちが実際に働いているのかということがいま
一つ明らかでない。
昭和六十二年の厚生白書が、
マンパワー白書と申しまして、
保健医療部門に働く人たちと
社会福祉部門で働く人たちの実績と将来推計を初めて出しておりました。これを見ますと、実績の方は別にいたしまして、将来推計は高齢人口の伸び率を現在値に掛けているという推計の仕方ですので、これはやや粗いのではないか。それ以降、在宅
福祉に従事する人たちのしっかりした推計というのは公表されていないように思いますので、そこら辺のところもぜひ提言の中に入れていただけるといいのではないかというふうに思っています。
つまり、
施策が進めば行政統計も進むでありましょうし、
施策を進めようとする場合には行政統計も
整備しなければならない。これは人の数だけではなくて、その人たちの労働条件がどうなっているかということがどうもよくわからないということで、賃金
水準、休暇、勤務のシフトの状況、それからその人たちがどういう意識を持っているか。全国
社会福祉協議会が施設で働く人たちの
調査をされたことはあるのですが、継続的にそういうものを出していってほしいというふうに考えております。
そこで、将来的に高齢化が進んで、特に後期高齢層が進みまして、介護サービスに対するニーズあるいは需要というものが膨大なものになるであろうということは十分想定されるところです。その場合に、
年金改革のときにも問題になりましたけれども、退職後世代と稼働世代との割合が稼働世代にとって不利になってくるということになりますと、より少ない稼働世代の人口で
保健医療とか
社会福祉関係のみならずあらゆる産業の労働力を賄わなければならないということになりますと、労働力の配分という問題がもう
一つ問題になってくると思うわけです。
これも時点が古いのですが、七〇年から八〇年という十年間をとりました場合に、どのくらい保。健医療・
社会福祉サービスに対する需要がふえて、それを技術革新あるいは労働生産性の
向上によりましてどのくらい節約することができて、現実にはどのくらいのこの部門における労働力の増大で済んだかというのを書きましたのが、右側の表6「就業者数変化の要因分析」というのであります。
例えば、七五年から八〇年というのが一番
最初のブロックにございます。これは、七五年は高齢化率七・九%、それから八〇が九・一%です。そうしますと、
保健医療部門では大体七十三万三千人ぐらいの人がこの部門にふえるはずであった。しかしながら、労働生産性が上がった、さまざまな理由で労働生産性が上がったことによって四十六万人ぐらいの人が節約できた。その次の技術変化効果というのは、例えば薬の薬効が上がったとか、そういうようなことで考えていただけばよろしいと思います。治療に使うものとか、そういう要素だと考えていただいていいと思うんです。したがって結局二十六万九千人の増加で済んだ。
七五年の
保健医療部門従事者というのは百四十五万人ぐらいだったんだけれども、それに二十七万人ぐらい足しまして百七十三万人ぐらいで済んだ。
社会福祉につきましては十万人ぐらいふえるはずだったのが、七万三千人少なくて済んで、結局二万七千人ぐらいの増加で済んだ、したがって三十九万から四十二万ぐらいの増加で済みましたよということを示してあるものです。
これで何を言いたいかといいますと、結局は高齢化のために介護サービスヘの需要というのがふえるのはわかり切っていることですから、あらゆる意味で労働節約効果というのを上げなければならない。これは別に全部機械化してしまえということではなくて、さまざまな意味が込められていると思うわけです。
例えば居住環境の
整備ですね。居住環境を
整備することによりまして、要介護の状態に陥る人も少なくなるでありましょうし、介護する場合にも介護をされる方もする方も骨を折る度合いが少なくなるでありましょう。
住宅だけではなくて、
福祉機器あるいは介護機器の導入あるいは発達によりまして、そういう省力化というものもできるでありましょう、というようなことを込めて考えていただけばよろしいのではないかというふうに思っております。
ですから、ここで申し上げたいことは、全部の産業にどうやって
人間を配分していくか、労働力を配分していくか、そのときに労働条件というのが決定的に重要であるということと、もう
一つは、たとえ
保健医療、
社会福祉の領域でありましても、労働節約ということをかなり考えていかなければならないのではないかというふうなことを申し上げたかったわけです。
将来的にどのくらいの介護従事者が必要になるかというのは、実はもう少し基礎的な統計資料が
整備された段階で改めてお話し申し上げた方がいいかと思います。
最後にまとめとしまして、
社会福祉の
理念に照らした介護
保障ということをどう考えたらいいかということを少し申し上げたいと思います。
実は介護の問題につきましても、いつでもどこでもだれでも必要なときにサービスを受けられるというようなことがこのごろ標語的に言われるようになりました。これは、医療
保障の場合に、いつでもどこでもだれでも必要なときに費用の心配一なくというふうなことで掲げられていた標語が、
社会福祉の領域、介護の領域にも入ってきたのだというふうに理解することができると思います。
医療の場合には、いつでもと申しますと、これは時間帯の問題ですから二十四時間体制、救急医療、休祭日、夜間の問題ですし、どこでもといいますと、医療の場合には医療過疎のところとか、そういうことが問題になるわけですが、介護の場合にはかえって大都市になるかなというふうに思います。それから、いつでもというのは、介護の領域でいいますとホームヘルパーの二十四時間体制、あるいはナイトケア、ナイトホスピタルの充実というようなことではなかろうかというふうに思っております。
だれでもというのは、これは、いつでもどこでもだれでもですから、選別主義から普遍主義へ、つまり、非常に限定された一部の低所得者層から一般の人たちにという、普遍主義へということをあらわしているのだというふうに思います。つまり、日本のどこに住んでいて、いつであろうと、いざというときの心配なく介護が受けられるということを言っているのであろうと思うわけです。
最後の、費用の心配なくということになりますと、これは負担をだれがするかという問題あるいは財源の問題になってくると思いますけれども、これは後ほど補わせていただくとしまして、医療
保障と同じように考えていくべきではないかというふうに思っているわけです。医療
保障の場合に掲げられている標語をそのまま介護の領域にも適用しまして、それを具体的に実現していくには何が必要かというふうに考えるべきではないかと思います。
二番目は、もう既に冒頭に申し上げましたけれども、医療費の節約ということで、医療から
社会福祉へのシフトあるいは介護へのシフト、資源のシフトということであると思います。これがある意味では投資的な費用になるのだと、つまり医療費を節約できるということであります。
それから三番目は、財源の問題にも絡むのですが、だれがこの介護サービスを供給すべきか、あるいはだれが費用を負担すべきかということなのですが、自己負担というものにつきまして、もう少し医療も
社会福祉も含めまして全体的に考えていく必要がある。それから
社会保障の中でも全体的に考えていく必要がある。つまり、
年金給付を受け取った人がそれを使って施設あるいは在宅
福祉サービスを受けられるというシステムを、スムーズにお金がそちらの方に流れるシステムを考えるべきではないかというふうに思います。
例えばこういうことが考えられないでしょうか。特別養護老人ホームに入っている人たちにかかる経費というのを、
地方自治体から
社会福祉法人に、あるいは公的な施設に、一人当たり幾らというふうにして渡すという
方法もありますけれども、そして費用徴収というのは入っている人たちあるいは扶養義務者から徴収するということになっておりますけれども、支払い代行機関みたいなものを設けまして、中に入っている人たちがどういう費用負担をしていて、そしてどのくらいの費用がかかっているかということを、施設の実際に介護をしている人たち、あるいはそこに入ることを決めた人たちが余りわからないようにする。入っている人、サービスを利用している人たちも、それからその利用を認めた人たちも、一たん施設に入ってしまった場合にはだれに幾ら費用がかかり、そしてだれが幾ら払っているかというようなことは余り考えないで済むような、そういう体系は開発できないのか。
実はヨーロッパの場合、ナーシングホームに当たるもの、特別養護老人ホームに当たるものに居住している人たちは、
年金の例えは一〇%とか一五%ぐらいを
手元に残してあとはホームに支払うというようなことをよく言われます。これは、定率であっても定額であっても構わない、あるいはどちらが適当かということは検討していただいてよいと思うのですが、その場合に、オランダで聞いたケースですが、実際に処遇している人たちは、だれが社会扶助で介護を受けているのか、だれが自己負担を高くしているのか、そんなことは一切知らないというふうに言っておりました。そういうふうに、中に入っている人たち同士お互いに自分たちの経済状況を知らない、あるいは処遇者と入っている人たちがお互いに知らないというふうなことの中で、払える人には十分払っていただくというようなシステムを考えるのも
一つの
方法だと思います。つまり、
年金の支給額というのが
年金制度の成熟とともに平均的に上がっていった場合に、それを介護の費用にみずから充てていただくというシステムを真剣に考えるときではないかというふうに思うわけです。
最後に、一枚目のプリントの左側の一番下に書いてありますのは、これは慶応大学の
財政学の先生が書かれたのを使わせていただいているのですが、一番下の
国民負担率と所得税の所得控除率というのを見ていただきたいと思います。
将来、老人介護の費用あるいは
年金給付、医療
給付費の費用が非常に大きくなる。そうなると
国民負担率が大変だということで、よくスウェーデンが例に出されます。ところが、所得税の所得控除ということで日本はかなりの
給付をしているわけです。もちろんこれは介護に関するものだけではなくて、ありとあらゆるものに関する控除をここに出しているわけですけれども、スウェーデンの二倍になっている。所得控除をやめていきますと、そうすると自然に
国民負担率は上がると思います。しかしながら、所得
税制上の所得控除というのは税金を払ってない免税点以下の人たちには何らの恩典もありませんし、それからどのくらいの
給付がなされているかというのが全く正確につかめない、推計してみないとわからない、表に出てこないということで、表に出して負担しているか、それとも見えないところである
程度不公平を知らないで負担しているかという差が出てくるのではないかと思います。
私が申し上げたいのは、日本の
税制というのは、私は
税制の専門家ではございませんので詳しくは存じませんが、
福祉の問題に関して言いますと、非常に控除の種類が多いですから
税制としても非常に複雑になっている。したがいまして、控除をかなり整理していって、見える形でみんなで負担していく方がいいというようなところがあると思います。朝日新聞の大熊由紀子さんが、
国民負担率ではなくて
国民連帯率だというようなことをおっしゃっておられますが、それは
一つの側面であるのではないかというふうに思っております。
以上で終わらせていただきます。