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1994-11-02 第131回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成六年十一月二日(水曜日)    午前十時開会     —————————————   出席者は左のとおり。     会 長         沢田 一精君     理 事                 大木  浩君                 成瀬 守重君                 細谷 昭雄君                 石井 一二君                 荒木 清寛君                 上田耕一郎君     委 員                 上野 公成君                 岡野  裕君                 佐々木 満君                 下稲葉耕吉君                 林田悠紀夫君                 宮澤  弘君                 及川 一夫君                 北村 哲男君                 志苫  裕君                 種田  誠君                 松前 達郎君                 山田 健一君                 猪木 寛至君                 木庭健太郎君                 中西 珠子君                 田  英夫君    事務局側        第一特別調査室        長        志村 昌俊君    参考人        東京芸術大学学        長        平山 郁夫君        大阪大学教授   青木  保君        東京大学教授   猪口  孝君        防衛研究所第一        研究部長     西原  正君        ジャーナリスト  前田 哲男君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国際問題に関する調査  (二十一世紀に向けた日本責務アジア太平  洋地域の平和と繁栄に向けて−について)     —————————————
  2. 沢田一精

    会長沢田一精君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、「二十一世紀に向けた日本責務アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けて」につきまして五名の参考人方々の御出席をいただきまして、御意見をお伺いいたし、質疑を行うことといたしております。  午前は、参考人として、東京芸術大学学長平山郁夫君、大阪大学教授青木保君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々にごあいさつを申し上げます。  平山参考人青木参考人におかれましては、お忙しい日程にもかかわりませず本調査会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。  本日は、「二十一世紀に向けた日本責務アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けて」のテーマのもとに、国際文化交流の推進につきまして忌憚のない御意見をお伺いし、今後の調査参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず、平山参考人青木参考人の順序でそれぞれ三十分程度御意見をお述べいただきたいと思います。その後、おおむね午後零時三十分ごろまで質疑を行いたいと存じますので、何とぞ御協力をお願い申し上げます。  なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。  それでは、まず平山参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。平山参考人
  3. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) ただいま御紹介賜りました東京芸術大学平山でございます。  私の専門は、日本の伝統的な絵、日本画という絵をかいております。テーマは、私が広島で被爆し九死に一生を得た経験から、平和を祈る、そういうテーマで長年かき続けてまいりました。これは主として宗教的なモチーフをかいてまいりましたが、仏教という宗教中国及び朝鮮半島から経由して入ってまいりました。その日本文化のもとである仏教の東漸した追跡を歩き、そしてそのルーツを探ってまいりました。  その回数は百回以上に及びましたが、長い旅行の経験で、アジア地区あるいは中央アジア、インド、そして歩いてみますと、この道はただ東アジアだけの文化圏で成立したものでなく、遠く西方文化ギリシャローマのヘレニズムの文化も大変強い影響があったことがわかりました。そうしてみますと、我々の伝統的であると思う日本文化のもとには、ユーラシア大陸に展開した長い時代文化背景に、日本列島日本の風土に合うように、あるいは日本人の感情に合ったような文化ができてきたと言えます。  その背景を探るうちに、多くの日本文化影響を与えて伝えてきた文化遺跡自然崩壊戦争によりどんどんと砂漠に埋没したり消えております。私は歩きながら、日本経済力がつけば御恩返しの一環として何とかこれを修復協力できないだろうかと長く思ってまいりました。今日のように日本経済力がついた場合——私もよくヨーロッパアメリカ中東等で個展を開きました。そして、交流していくうちに気がついたのは、日本本当国際化とは日本アイデンティティーをしっかりと持つこと、日本文化の質、考えを違った文化圏の人にはっきりと堂々と言える、言わなければいけないということを大変強く感じております。  そういう意味で、私は日本がたくさん国際貢献をすべき役割があると思いますが、日本は憲法の上で武力をもって海外で貢献するということが大変難しいということで、私は平和と文化手段で、文化的な方法国際貢献ができるのではなかろうかということを考えております。そういう意味で、PKOの上にCをつけましてCPKO貢献したらどうか。  そして、私はここ十年来、文化による赤十字構想ということを提唱しております。武器が科学的に大変な性能を高め、そして多くの人を殺傷するようになりました。戦争をするたびに大勢の犠牲者が出ます。そこで、敵味方もなく、人道的に戦闘力を失った兵士を助けるという、そしてまた困った人たちを平常でも助けるという、こういった赤十字精神と同様に、いかなる民族がいかなる時代にどんなところでつくっても人類文化遺産としてすぐれたものを伝えていく、美しい状態で伝えていく。  ただ、これは古いものを保存するというのでなく、なぜこれができ上がってきたか、考古学的あるいは歴史的な面からも考察し、そしてこれが歴史のつながりとしてさらに将来へ発展するという意味でも、ちょうど自然科学の、物質を構成する元素や核を研究するのと同じように、歴史の発展あるいは将来に関して今守らなければいけない多くの文化遺産というものを保存しないと、将来人類はどういう方向へ行こうかというときに進路を失うと思います。  そこで、文化財を動産、不動産に分けて、動かないもの、例えば中国の敦煌の石窟の保存救済があります。これは我々も日本政府協力して、この八月に展示研究センターが完成いたしました。それで、またすぐに目標が目先にありますのは、アンコール遺跡救済がございます。今月半ば過ぎに私も参りますが、インドシナ半島で長い間戦闘状態となり、貴重な文化遺産が失われようとしております。内戦がやっとおさまったと思いましたらば、盗掘等が激しくなり、まさにアンコール遺跡が大変な危機にあると言えます。こういった自然破壊戦争による人的破壊日本平和的手段文化財赤十字をもって任じたらいかがかという構想でございます。  そういう意味で、一つ方法として、いざというときに国際的な文化を守るという意味文化緊急センターのようなものを設けてはいかがかと考えております。文化遺跡を守るということは、またそれぞれの国の主権や誇りがございますので、土足で踏み込むような遺跡救済ということもなかなか難しいわけです。相手国要請があり、そして各国との合意、協力の上で初めて成り立つものです。最後は日本政府が出ていきますが、それまでの個人的な動きというものは、NGOあるいは考古学者とか歴史学者とか人類学者といった極めて個人的な立場から、動きやすい立場から発展していって、国際協力をしながら二国間あるいは多国間で救済を進める方向があろうかと思います。  これを我々は民間あるいは大学等立場から協力しながら政府に持ちかける。幸い私は、ユネスコの第一回目の美術フェローシップの留学生として一九六一年度に出てまいりました。それ以来ユネスコとの御縁が続き、現在ではアジア地区で一人のユネスコ親善大使をやっております。ですから、私はよくアジア中東ヨーロッパアメリカを歩きますが、国家を抜いて人類文化遺産としてこれを調査し、あるいは国際機関に提言するという立場にもございます。また、連絡を受けましたり、いろいろ検討をしておりますが、一方では我が国アイデンティティーをしっかりと示さなきゃいけないという立場から、私はここ数年来、外にある在外日本美術品修復協力をいたしております。  数年前に、スミソニアン機構一つであります。アメリカフリーア国立美術館から、日本の古美術品が大変傷んでいるからこれを修復協力してほしいという要請がございました。調査に参りますと、アメリカ経済が強いときは自前で日本技術者を招聘して直しておりました。しかし、フリーア美術館は百年に近い歴史の中で中国を含めたおびただしい美術品を持っております。そして、御存じのように、軸装軸物で巻くものあるいは長い絵巻物等、紙や絹の取り扱いが必ずしも上手でなかったために、紙の折れが大変出ております。ちょうど木造建築と同じように解体修理をしますと、上手に保存しますと、素材としては弱いんですが、百年も二百年も数百年も持ちこたえられます。  そういう日本美術品特徴がございますが、現在では湾岸戦争以来、特に日本美術品等修復する予算がないということで困っておりました。我々はこれを個人的にも私財を投じ、また浄財を皆様からいただいて修復協力いたしました。そして、やがて日本政府も、文化庁の方でも予算をとっていただき、共同で今官民一体で直しております。  ことしの六月ですか、天皇、皇后両陛下が御訪米の折にそのフリーア美術館を御訪問され、大変感謝されたと伺っております。現在でもフリーア美術館シカゴ美術館、そしてフランスのギメ国立東洋美術館、先日は大英博物館へ行ってまいりました。東洋日本修復協力をいたしましたが、大変感謝されました。そして、ポーランドでは、クラクフにあります日本美術品修復協力を開始いたしました。  御存じのように、ポーランド独ソ戦でローラーのように壊滅的な状態になりました。かつて、あるポーランド人が数千点の日本の古美術品を収集しておりました。これを売らないで守り通したわけです。映画監督アンジェイ・ワイダという人が何とかこれを保存修復したいということで考えておりましたが、数年前に京都京都賞を受賞され、四千五百万をもとに日本文化会館をつくろうという運動が上がりました。これを日本人協力して五億円出し、一部日本政府も負担いたしましたが、今月の二十八日に開館式がございます。  それで、私もこの三月にアンジェイ・ワイダさんに頼まれて古美術品を見に行きました。何十年も何の手当てもなく置いたために大変傷んでおります。建物は立派になりましたが、もしこのままの状態で陳列するとなると、逆に哀れでどうしようもないみすばらしい姿です。それで急遽帰りまして、額から浮世絵のマットから、あるいは緊急の軸物を現在も直してあげております。そして、私も二十日に開館式に参りますが、さらに人材養成をして、守りおおせたポーランド人たち東ヨーロッパを代表して感謝の意で協力したいと思っております。  また、アイルランドのダブリンにありますチェスタービーチも相当量があります。これも傷んでおりますので現在修復中です。  それから、オランダのアムステルダム国立博物館も、十九世紀の出島以降、たくさんの日本美術品を持っております。私も一九六一年ユネスコフェローでヨーロッパヘ留学したときに参りました。三十二、三年前になります。当時もう既に傷んでおりまして、私は芸術大学の助手でございましたが、何とかならないだろうかと当時の東洋部長から相談を受けましたが、そのときは日本も貧しく、私自身もやっとヨーロッパヘ来たというだけで、残念ながら心の片隅に思い続けながら何ともできなかったわけです。そしてやっと三十数年たった今その思いをかなえ、個人的にも、あるいはみんなで修復協力をしております。  それで、ポーランドに行った折にロシアヘ回りました。そしてロシアプーシキン美術館東洋美術館を見ますと、日本の古美術品が、あるいは当時東北地方にありました日本美術品が集結され、所蔵されております。それも五十年たつと大変傷んでおります。ロシア側ではこれを返せと言われるかと思ったらしいんですが、我々はどこにあっても本籍は日本、大事にして日本文化を伝えてもらえれば返還要求なぞいたしませんと。むしろ、展示場所でも提供して、修復して日本文化紹介のためにお願いしたいんだと、そういう気持ちを披瀝しましたら、それまで隠し持っていたものを少しずつ出すようになってまいりました。  それで最近は、日本は北方領土を返せと言うけれども、これも返せと言わないのかと言いますから、この間行ったとき、領土は返してほしいけれども美術品はどうぞ大事にしてください、直してあげます、そういう意見であれば領土も返すのが早くなるでしょうというような、そういう冗談を言っておりました。  我々は、どこにあっても人類文化遺産としてこれを修復協力する。ということは、世界美術館を見た場合に、例えば大英博物館、ルーブル美術館を見ますと、それぞれの、イギリスのものは一つもありません。すべて外国の、エジプト、ギリシャ中国ローマ時代中東等の、時間、歴史、土地、民族を超えた文化の大展覧会をロンドンで、あるいはニューヨークで、あちこちで開いております。  そこへいきますと、我が国のものは、現在経済力はあるかもわかりませんが、非常にみすばらしい形でぶら下がっております。それで、日本文化の顔が見えない、あるいは物と金だけで日本には文化がないのかということを指摘されます。非常に恥ずかしい思いがいたします。そこで、先ほど申し上げた修復をすれば、日本文化は弱くはあるけれども立派に再生しながら続くんだということを示すためにも、そしてまた我々が十九世紀以降欧米手法を手にとって分解し、そしてこれをさらに応用し拡大していって今日の工業力経済力をつけたように、今度は日本あるいは東洋文化欧米人たちが手にとって分解し、そして、素材は違いますが、弱いと思った紙や絹や木の文化日本人の心を御理解していただく。そういうときに異質の文化がお互いに理解し合いますと、また合理主義ヨーロッパアメリカ文化に違った影響を与えるということが可能です。  そういう意味で、ただ日本が直してあげるというのでなく、アメリカ人ヨーロッパ人中東人たち日本素材を使ったものを再生するような技術を御協力して、そして人材養成すれば、将来日本素材が国際的に普遍的になる。ただ日本文化のものが国内だけの質あるいは需要であるというのでなく人格を持つという、そういうことが将来日本が尊敬される文化のある領域を国際的に確立することにつながるんではなかろうかと思っております。  ですから、例えばヨーロッパアメリカ合理主義的な思考力、その意味で言いますと、中東でのイスラエル対アラブの戦闘というものは二千年来にわたっております。イスラム教、ユダヤ教、これは一神教でございます。相入れないというオール・オア・ナッシング戦います。  ところが、日本の場合は、かつて仏教が六世紀の半ばに伝来するまで、日本列島では縄文、弥生時代日本独自の素朴な自然観宗教観稲作農耕文化がありました。そこに当時の、六世紀の進んだ国際的な文化仏教が入ってきたわけです。一時期はこれががたがたいたしましたが、日本人神仏混交という二重構造の調和する思想をもって、そして十九世紀まで日本的な近代化に成功したわけです。この土壌の上に明治維新が起こり、そして新しい欧米手法による近代化が成功しましたが、これもまた在来の伝統的な日本文化を残しながら新しいものを入れるという、こういう知恵思考力日本文化特徴一つにございます。  そういう意味で、一原理主義の、これを歴史的に見ましても、一王朝がつぶれるということは、権威権力外国の場合ではつぶれます。中国王朝日本と違いますのは、日本政治権力文化権威を分断しております。ですから、政治権力は強い者が勝つ、政権交代しても何ら支障はない。しかし一方では、文化権威というものがずっと続いておりますので混乱が起こりません。このような形態というのは諸外国ではないことです。ですから、日本文化の質というのは継続の文化です。半分継続しながら半分はどんどん血を入れかえる。ですから平気で大胆な試みをする面がありますが、一本筋を通しております。  例えば、これを文化財の面で言いますと、法隆寺建造物がございます。これは七世紀の末につくられて、これを発掘したりしたのでなく千数百年間伝来したまま、生きた寺として、宗教として現在まできております。そして、五重の塔や金堂もオリジナルのままの状態で伝えられておる。一方、わずか百キロ離れた伊勢神宮では二十年というサイクルで遷宮をしております。そして、様式技術その他は、六十数回遷宮しましたが一回も変えておりません。  これは何を意味するかといいますと、様式形式技術無形文化財です。片一方は、法隆寺の場合はオリジナルを伝えるという有形文化財なんですね。ですから、つくられた、創建された当初を守り抜いていくという文化財だと。ところが、伊勢神宮建物の二十年の遷宮という形式は、これは無形文化財——あれはかって農耕文化の穀物を入れる倉の象徴なんですね。そのデザインと技法、技術、かんなやのこぎりを使わない、やりがんなでやる、その技術を伝承していく。そして正しく後世へ伝えていく。これは、当初の農耕文化を忘れませんよという日本人一つの心理を伝えていくという、こういう原形を残した両方の代表だと思います。片一方外国から入ってきた、片一方は当初日本が生み出したものをずっと空襲があろうが戦争負けようが構わずに残してきた、こういう二つの見方があります。  そういう面を文化的にも恐らくいろんな手法で伝えながら、片一方で大胆な大変改革的なこともやるというふうな面が日本にはあると思います。そういう文化の質というものが、漢字を入れながら仮名文字をつくったり、漢詩から、重厚長大な合理主義的な構文から日本民族に合ったような和歌をつくる。そういうものからいろいろな文学や源氏物語のようなものが生まれたり日本画が生まれたわけです。そういう特徴を、日本文化の質と近代化を諸外国へ伝えていく、発信していく。  例えば、ヨーロッパアフリカの植民地問題あるいはイスラム原理主義で大変困っております。こういうときにオール・オア・ナッシングでは戦いが絶えません。旧ユーゴスラビアのイスラムキリスト教戦いなど、これはもう全くとどまることを知らない。東西の冷戦構造が終わったと思いましたら民族紛争宗教紛争が起こっておりますが、どういうふうにこれを解決するか。これなども一原理主義ではだめだと私は思いますね。そういうときに、日本文化が長い間こういうところで知恵を出しながら生き延びてきた、独特の文化をつくったというところに、日本のある何かを示唆するものがあるのではなかろうかと思います。  私もよく外国を歩きますが、理念を持った協力がなければ、幾らお金を出してもこれは有効に生きないと思うんですね。湾岸戦争のときも大変な協力をいたしましたが、日本国家としてのこういった文化的な理念、ポリシーというものを持ってお金を出していけば生きると思うんです。  ですから、もしアンコールワットでも行けば、ただ金、物で協力するんじゃなく、長い間の内戦で多くの肉親を失い、心を病んでおります、まずそこから助けて、協力する。  ですから、ちょうど奥尻島で津波で肉親を失い、年老いた老人が生き残る。日本じゅうから百何十億という募金、義金、そして何百トンという救援物資が行きました。年寄りはちっとも喜んだ顔をいたしません。なぜかというと、お金をもらうよりか失った肉親を返してほしいという、そういう悲痛な顔が見えできます。そんなときに、生きながら、供養をしながら、次に新しい村を、町を興して、そして亡くなった人の分まで長生きしましょうという生きる勇気と喜びを与えて、そしてその後に物と金が必要になってくる。これを東南アジアでもどこでも適用しなければ、幾ら物や金を出しても生きないと思うんですね。  私は、そういう意味で、これからの協力の仕方というものを理念を持ってやる必要があると思います。ともに汗を流し、心の傷口からいやしながら協力する。実際に歩いてみますと、大変日本に対する評価が厳しいわけです。評判が悪いわけです。ですから、それを厳しく反省して同じアジア人としてどうすべきか、あるいは今度ヨーロッパへ行ってもアメリカへ行っても、来年戦後五十年ですが、どう結末をつけるべきか。私は文化による貢献ということで日本を守っていきたい、かように思っております。
  4. 沢田一精

    会長沢田一精君) どうも大変ありがとうございました。  次に、青木参考人にお願いをいたします。
  5. 青木保

    参考人青木保君) 御紹介にあずかりました大阪大学青木と申します。  国際文化交流について意見を述べろというお達してございますが、私は、一九六五年以来、東南アジアを中心にアジア各国あるいはオーストラリアそのほかで文化人類学実地調査に携わっておりまして、その経験から若干今考えておりますことを述べさせていただきたいと思います。  アジア太平洋地域というものは、言葉はございますけれども、実態は大変広くてつかみどころがないというのが本当だと思います。全くの政治的枠組みであって、その中身はまさに太平洋みたいに茫漠としているものだと思います。これをいかに政治的に枠組みをつくるかというのは、まさに各国政治家先生方の御努力だと思いますが、ただ、こういう枠組みができたということは歓迎するべきだというふうに思います。  まず、国際文化交流という言葉は簡単なんですけれども、それは四つのレベルで進行すると思います。一つは人でございます。次は物でございます。それから三番目が情報で、四番目が場所でございます。  これを現在の日本が置かれております状況から照らし合わせまして見ておりますと、人というものですが、これは国際協力あるいは国際文化交流に携わる人材というものは非常に限られているということは事実がと思います。また、国際文化交流は、人においても外国人とあるいは自国人が一緒にやるということが不可欠でございますけれども、この異種混合というのはなかなかできないのが現状でございます。大学でもなかなか外国人教授とか助教授というものを採用する余地がございません。また、それができないような仕組みにもなっております。それから、一般に言われておりますが、日本から外へ出ていく人に対して非常に日本は冷たい、それからまた入ってくる人についても冷たいというのは依然として変わっていないと思います。  それから、二番目の物でございますけれども、これは世界じゅうに日本工業製品ははんらんしております。日本の生み出した自動車そのほかの工業製品は恐らく世界において最も普遍的な価値を持つものではないかと思います。つまり、日本自動車アフリカでも南米でもどこでも出ていくわけでございまして、これはヨーロッパアメリカの持っている工業製品とは価値のレベルでちょっと違うところがあります。日本の製品は非常に開かれたもので、ヨーロッパは、例えば自動車一つとりましても文化的な価値というものをその背後に持っております。幸か不幸か、日本はそういうことがなくて非常に機能的な面でそれを追求する、万国で受け入れられる製品がと思います。ただ、こういう工業製品はあふれておりますが、文化的なものとなりますと、先ほど平山先生がおっしゃったように、物はございますけれども一般に非常に乏しいのが事実であります。  昨年、フランスのパリの国立社会科学高等研究所というところに招聘教授としておりましたけれども、これはヨーロッパ最大の大学大学でございますが、そのときにその大学の学長とか事務局長の方とお話をしましたら、大学間の協定とか交流協定を結びたいとおっしゃるんです。例えば、パリにあります日本の大使館にさまざまな広報担当者そのほかがいらっしゃいますけれども、大学について知っている人は一人もいないというのですね。日本大学の実情について知っている外交官とかあるいはいろんな方がいらっしゃると思いますが、情報が全然入ってこないということをおっしゃっておりました。ただ、時々お会いすると、すばらしいフランス料理はおごってくれるけれどもねと言っておりました。これだけ工業製品がフランスにおいてもあふれているのに、文化についての情報が日本からほとんどないということです。それは残念だと言いましたら、その学長さんも事務局長さんもふふんと冷笑して、文化はそう簡単にいきませんよと言われましたんですが、そういうことが一つ現状としてございます。  それから、次に情報でございますけれども、その情報も、例えば東南アジアにおりましても日本についての情報は非常に限られたものしかございません。政治の変化とかあるいは経済的な動きといったものについては最近では大分情報がありますが、日本の社会の実情についてあるいは日本文化についてほとんど新聞そのほかのマスメディアにも登場しないのが事実であります。ことしの夏もトルコとか学会でコペンハーゲンとか参りましたけれども、日本についての情報は何にもございません。これは非常に驚くべきことでありまして、大変残念だと思います。  外務省の要請で、昨年、ことし、ロシアと北欧とアメリカに現代文化についての講演会に行ってくれ、講演をしてくれということがございまして参りました。各地で公開講演をいたしましたが、日曜日の午後とか場所も博物館とか大学なんですけれども、これが人が立ち見が出るくらい満員でございました。それはどうしてかといいますと、日本の現代文化について私はお話をしたんですが、これについてほとんど知るところがないということであります。それこそ漫画から映像から宗教まで、こういうものがどうなっているかということについて情報がほとんど入ってこない、これについて非常に残念だということで、私のつたない講演ではございましたけれども大変熱心に聞いてくださった経験がございます。情報がなかなか出ないということでございます。  次は場所でございますけれども、場所も、これはこれまでの参考人の方も御指摘になっていると思いますが、日本の都市というのは確かに非常に繁栄しておりまして国際都市の表情を持っておりますけれども、事実上、例えば都市を外国人文化の基地として使おうとすると、またさまざまな規制そのほかがあってこれほど使いにくいところはございません。  例えば、英語が非常に東南アジアの都市と比べましても通じないとか、これは我々は日本語でやって非常に幸せでございますけれども、同時に国際性がないということがあると思います。それから、外国人は自由に日本の都市で活動ができるかということになりますと、そういういろんな制約があってできないということがあります。  人と物と情報と場所、これが国際文化交流にはまだまだ整備がされていないという感じがいたします。  じゃ、国際交流をする主体の方はどうかといいますと、政府国家と民間と二つのレベルがございますけれども、政府の国際交流への取り組みは、御努力は大変されていると思いますけれども、例えばロンドンへ行って、日本の新聞を読んでみたいとか日本の雑誌を読んでみたいと思ったところで、文化センターといったものがございません。これはニューヨークでも同じです。もちろん東南アジアの都市でも同じでございまして、これがアメリカとかイギリスの場合と全然違うわけであります。アメリカアメリカ文化センターがございます。それからブリティッシュカウンシルとかあるいはゲーテ・インスティチュートといったものがあって、そこへ行けば大体その国の文化についてあるいは現在について知る情報を得ることができるんですけれども、これがほとんど整備されておりません。  例えば、重要なことは、今非常にAPECの地域からも留学生が日本へ来たいと言っておりますが、その留学生の相談の窓口というものが大使館しかございません。大使館はもちろん非常にお忙しいですから一々苦情を、留学生がどういう大学へ行って、どういう先生がいるか、なるべくこういうことをしたいのだけれどもどこへ行ったらいいかというようなことを相談に来る場合、大使館では応対できません。もちろんアメリカではフルブライト委員会とか、この赤坂にございます日米教育委員会といった独立した機関がございまして、そこですべて教育関係は取り仕切っているということがありますし、ブリティッシュカウンシルとか、一応大使館とは別のそういう文化情報センターがございます。そういうものをやはり日本も整備しないと、国際交流に追っつかない事態になっているというふうに考えるわけでございます。こういう問題が一つございます。  それから、民間でございますけれども、民間は二つのレベルがありまして、大企業そのほかのやっているメセナ活動とか、あるいはコマーシャル的な意味を含めての広報活動とかいろいろとございます。現地にいろいろと貢献をしたり、あるいは日本へいろいろと外国文化交流促進のための資金援助をしたりということはやっておりますが、これはどちらかというとブランド物に集中して、しかも景気に左右される。いわば継続性というのがどうも弱いということが現実として指摘されると思います。  じゃ、草の根はどうかといいますと、これはボランティア活動でございますが、例えば最近大阪でアジア図書館というのがございまして、そこの方が、全く民間の方ですけれども七万冊のアジア関係の図書を準備いたしまして、それを開いて、そこへ行けば日本も含めたアジア関係の大体の専門知識から一般知識まで得られるというようなものをやって、七万冊持っていらっしゃるということですが、今度中国の大連にその分室をお開きになるということが話題になっておりました。  こういう御努力は今、数はまだそんなにたくさんありませんけれども、これは予想外にたくさんございます。例えばラオスでは今、ラオス国境のメコン川にタイとラオスの間をつなぐ友好橋というのができましたけれども、これによってタイ文化が大量にラオスに入ってきて、ラオスの言葉とか伝統というものが失われてしまうというような危惧が出ているわけです。それに対して、日本人の方がラオスでラオ語の絵本とか本をつくって、それを集めたり、またラオ語にいろんな日本の本を訳したりしながら、ラオスの文化保存しようとするようなことをやっていらっしゃる人もいるということでございます。そういう草の根の動きは、これはかなりのものがありますけれども、まだ全体としては少ないということは言えると思います。  ただ、今こういうことを申し上げますとすべて批判になってしまうのですが、せっかくこれだけの日本というような大きな国になりましたところで、それが先進各国と比べた場合に余りにも格差があり過ぎるという実感を持っておるわけであります。  例えば、フランスでございますけれども、昨年でしたか、ミッテラン大統領がハノイへ行きまして、これはディエンビエンフーの陥落以降初めてフランスの首脳が訪ねたわけです。そのときにいろいろと言われているようなことがありますけれども、驚いたことは、ミッテランが行くとすぐに極東学院のハノイ支所というのを開いたんです。これは、フランスの植民地の時代に極東学院という国立のものがハノイにございまして、これがまさにアンコールとかあるいはいわゆる雲南文化とかああいうものの遺跡の発掘から発見から、あるいはインドシナの研究というものをやって、これはもう大変な蓄積がある世界に冠たるフランスの文化的な業績なんです。これはもちろん植民地が崩れました後ずっといわば休息状態にあったんですけれども、ミッテラン大統領が行きまして、一応国交をやろうということになりましたら、急にすぐこの文化学院というものを復活させたという早わざをやっているわけで、これは、その是非は別といたしまして大変日本にとっても参考になることではないかと、そう思いました。  これは、ちなみに言って、ハノイとソウルと東京にも支所が微々たるものですけれどもできました。政治、経済だけじゃなくて文化に対して打つ手が非常に早いです。こういうところが西側、ヨーロッパアメリカの非常にしたたかさといいますか文化というものを必ず一つ国家の戦略に組み込んでいるという例じゃないかと思います。  ただ、私はここで申し上げたいのは、幾ら文化交流といいましても、明確な目標とかそれから効果的な手段というものを考えませんでそういうことを言っても、あるいは部分的にお金を出すようなことをやってもしょうがないと。  じゃ、日本国際文化交流というものは何を目的にするか。今申し上げましたような西欧とかアメリカというのは、少なくとも近代西欧あるいは近代市民社会あるいはクリントンの人権外交まで延びている近代主義というものを世界じゅうに普及させると同時に、自国が蓄積した文化遺産というものを、あるいは文化の業績というものを世界各地でそれを一般に分け与える、あるいは研究の場、学習の場を与えるというような明確なものがございます。  それは、私ども現在にあってもいまだウィーン・フィルだ、ベルリン・ドイツ・オペラだというようなことを言っているわけでございまして、そういうものに対して、経済的にはかなり減速をしたとはいっても、西ヨーロッパ諸国の文化については、これは依然として我々は研究の対象あるいは趣味そのほかも含めた文化の業績として貴重なものと思っているわけでございます。  そういう点から見ますと、では日本は何があるのかということが改めて問われると思います。日本にももちろんさまざまな文化的伝統、遺産もございますし、それはそれで世界に誇れるものでございますけれども、現在、例えば西ヨーロッパとかアメリカが持っているような、そういう近代主義とか、あるいは近代化というものの原動力となるようなものが果たして日本から発信できるかとなりますと、これは必ずしもはっきりとは言えません。  ただ、日本の場合は、東西南北の文化の融合地点として、しかも近代においてアジアにおいて唯一近代化の達成をまずしたといういわば歴史がございます。近代の歴史がございます。非常に小さな鎖国状態であった江戸時代日本が開国いたしまして世界に広がっていったという、この一つ歴史的な過程というもの、これはその間に不幸な歴史的なアジアとの関係がございましたけれども、一つのプロセスとしてアジア太平洋地域にも示せるものだとは思います。  私がここで先生方に申し上げたいことは、そういう現在の日本国際文化交流をするに当たって、日本の目標といいますか、あるいは日本の役割というものをどういう点に置くかということでありますが、それは何といいましても、これは私も数年前から申し上げていることなんですけれども、アジア太平洋地域における情報文化の基地としての日本という役割、あるいはその役割の自覚というものが大変重要ではないかと思います。  アジア太平洋地域特徴というのは、すべてがマルチカルチュラルです。つまり多文化的でございます。日本は、今もいろいろと近隣諸国から批判もされておりますように、何かこの地域に例えば思想とかあるいは文化を教えるというような立場にはなかなかなりにくい、文化遺産はあるにしてもなりにくいわけであります。というと、このマルチカルチュラルな状況で、文化摩擦やあるいは民族紛争宗教戦争といったものも散見されるこの地域において、文化文化の間を媒介するような情報文化の基地としての役割というものをはっきりと国として、あるいは社会として自覚したらどうかと思います。  しかも、先ほども平山先生がおっしゃいましたように、日本文化の特色というのは、えり好みしないで外来文化に対して非常に広い受容性を示すということであります。つまり、東西の文化は何でも受け入れると。  ひところおもしろいことがありました。私が大学院の学生のころに台湾からの留学生の方がいらっしゃいましたけれども、どうして日本へ来たんだと言いますと、日本へ行くと、例えば日本の研究室だとドイツへ留学した先生がいる、あるいはアメリカへ留学した先生がいる、あるいはフランスへ留学した先生がいる。その人たちみんなが留学で得たいわば学問を出店のように日本の研究室でそれぞれやる。だから、日本へ行けば外国でどういうことをやっているか全部わかるんだなんということを半ば笑いながら言っておりましたけれども、今はそんなことはないと思いますけれども、ひところはそういうことがございました。  そういう意味では、文化文化の間を媒介する役割を担う国としての日本というのはポテンシャルが非常に高い。宗教的にもそれから文化的にも余り偏見がございません。おもしろいものとかあるいはためになるものはすべて受け入れて、それを日本の中で消化するという形がございますので、こういうところをむしろよく自覚した上で、マルチカルチュラルなAPEC地域における情報文化の基地としての日本ということを考えたらどうか。  結局、日本は資源小国でありまして、今、日本の企業がたくさん海外に行っておりますように、海外立国でもあるわけでございます。そういう点で考えますと、情報文化立国というようなことを考える。それで、情報文化の場合には必ずマルチメディアといいますか双方向的な情報の交換ということを考えるわけでございますから、まさに日本というのはいろいろな点で雑居あるいは混合、雑種を文化的にはいとわない、しかも伝統を忘れないというような強さがございます。  しかも、情報産業も発達しておりますし、マスメディアは恐らくアメリカに次いで日本が一番世界で発達しております。こんなにテレビをやっているところはございませんし、それからまた雑誌そのほかさまざまな形でのメディアというものが最大限活動できるのは日本であり、少なくともアジアにおいてはほかに比べるところはどこもございません。こういうところがやはり主導をとって情報基地というものをつくったらどうかとして自覚したらどうかということを申し上げたいと思います。  最後に、そういうことを踏まえた上で若干の御提案をさせていただきたいというふうに思います。  これは幾つかございますけれども、まず一番目は、そういう点で、今言いましたような情報文化立国としての日本ということを考えた上で、日本アジア太平洋の情報文化センターという非常に大きなものをつくる。アジア太平洋地域文化、社会、政治、経済あるいは民族あるいは地域といったものについての情報文化をすべてここに集める。そこで、アジア各国の人が何かお互いに知りたいことがあった場合には日本の情報文化センターを利用するというような、そういうことを考えたらどうかと思うんです。まあ情報文化のディズニーランドと言ってもいいかと思います。つまり、東京ディズニーランドができますと、アジア各国の方はもうロスまで行かなくて東京でとまってしまったということが指摘されておりますけれども、こういうようなものが一つ非常に重要だと思います。  これも双方向的でありまして、例えばバンコクの日本の情報文化センターの支部でアクセスをしますとすべてデータがバンコクの方から送られるという、そういうようなことは、これは日本の得意とすることで、ファクスも実用化したのは日本でございますし、これから電子産業、電子メール、そのほかすべてこういうものは日本が得意なことですから、こういう情報文化センターをつくっていただきたい。  それから、二番目は海外でございますけれども、日本の情報文化センター、これを少なくともAPECの拠点地域にはつくる。これはやはり現在はほとんど何にもございませんから、ここの情報文化センターへ行きますと、日本関係の図書とか知識がそろっている、情報がそろっているということで、学生から市民からすべてが日本に関係するものはここでいわば情報を得るということです。あるいは同時に、図書館だけではなくて映像とかあるいは音楽とかそういう講演、シンポジウムも含めた文化活動をする。これは、御承知のように、アジア各国すべてが一律に日本にこういうことを許してくれるとは限りません。向こうの国の事情もございますし、まだ日本の情報文化に対しては非常に警戒的な国もたくさんあることは御存じのとおりだと思います。ですから、それはあくまでも双方向的な関係の中で築いていくということが必要です。  私は、香港とかシンガポールとかクアラルンプールとかあるいはシドニーとかAPECの北米の太平洋側についても主要な都市にこういうものをつくったらどうかというふうに思います。それで、第一番目に申し上げましたAPECの情報文化センター、日本にありますこれと回路を結びまして、両方で文化文化の仲立ちをするような、そういうことをしていったらどうかと思います。ただ、残念ながら現在ではそういう動きとかそういうものはほとんどございません。これはまさに日本の政治に私ども全く期待するところでございます。  それから、三番目でございますが、これはちょっと大学におります者の我田引水的なものになってしまいますが、高等学術研究センターというものを日本につくるということです。  これは、日本大学とか高等学術機関も国際性が乏しいということが盛んに指摘されております。日本大学は、例えば世界の一流の学者を招聘して教授になってほしいとか言いましても、あるいはこれから世界的に伸びるような若手の学者に日本に来て一時期助教授をやってくれないかと言うと、ほとんどだれも来てくれません、一回百万円以上も払うような講演会には来てくれますけれども。というのは、例えば日本の東京大学であろうが、そこで一時期助教授を務めだということが、帰ってから本国あるいは欧米各国におけるキャリアと全然ならないんです。我々が例えばハーバード大学の助教授をしたと言うと、これは世界じゅうどこへ行ってもそのキャリアは評価されて、例えばイギリスの大学で雇ってくれる、あるいは日本大学でも一応評価されるということがありますが、日本の東京大学であろうが京都大学であろうが大阪大学であろうが、そういうところで一時期、若い時期に助教授を務めたというようなことが今度はね返って業績というかキャリアになりません。  これは非常に不幸なところで、いろいろな原因はあるのでございますけれども、やはり高等学術研究センターというものをつくると。今や四十代ぐらいからほとんどの人は、このAPEC諸国のエリート層はアメリカ留学といったものを持った人が多いんです。学者もあるいは政府高官も、例えば向こうの学位を持っているとかそういう人が非常に中枢になってきているわけでございます。それは私は必ずしもいいことだと思いませんけれども、ただそういう現実がありまして、日本にもこういうものをつくる、東南アジアとかオセアニアのエリートをここで養成する。例えば高等学術センターに一時期在籍したということがある種の意味を持つようなものをつくって、そこにはもちろん世界の有数な学者が常に来ていて、日本人だけではなくて世界じゅうから来ていて、そこで教育するというような、こういうものがやはりないとなかなか日本の国際的な地位というものは高まりません。  これは、例えばアメリカのタフツ大学のフレッチャー・スクールといったものが、各国政治家あるいは経済ジャーナリストあるいは学者というものを意識的に集めて、そこで学位を取ったり、一時期そこで研究活動に従事していた人が今や世界じゅうのリーダーになっているというようなことで、アメリカはいろいろな問題があってもそういうところは持っております。また、イギリスのオックスフォードとかケンブリッジとかロンドンとか、あるいはパリにおいてもそういうところがあって、一時期そこにいたということが、そこへ一時期来た人が本国へ帰った後の影響力、これは非常に大きなものになる。  例えば、よく出てきますシンガポールのリー・クアンユー首相はケンブリッジ大学を一番がなんかで出たんですが、ハーバードでも研究いたしましたけれども、それが今でもフォーリン・アフェアーズなんかですぐインタビューができるという素地をつくっていて、しかも非常にきついことを平気で言うわけです。こういう人材がやはり日本のそういう高等学術研究センター経由で各国に育つ、あるいは交流するということが非常に重要だと思います。  あと、時間がなくなりまして、簡単に申し上げます。  しかも、こういう学術研究センターは、単なる研究だけするのではなくて、いわば地域の監視所みたいなウォッチャーとしての役割、民族紛争、地域紛争、経済摩擦そのほかのこういうものをウォッチして、いわば事態についての声明書とかあるいは報告書を常に出して世界に知らせるということ、そういうことができないかなと思います。  あと二点でございますが、あとは、日本一つの役割としましては、文化創造に寄与をするということでございます。伝統文化保存ということも大事でございますが、現代文化の発展ということも大事であります。これは映画とか音楽とか文学とかいったようなこと、特にアジアにおいて日本はほとんど唯一の言論、出版の自由が保障されている国であって、これは大変大きな意味を持っているわけであります。日本へ行けば一応自由に物が言える、書けるあるいは発表できるということでありまして、これを我々は文化交流のときに非常に活用するべきだというふうに思います。  今や映画といったものも東アジア世界で一番先進国になっておりまして、中国映画が香港や台湾の資本あるいはプロデューサーのもとにできて、しかもカンヌ映画祭でグランプリをとるというようなことが出現しておりますので、こういうことを日本でもできないかなと思います。  それから、あと簡単に一分ほどで申し上げます。  一つは留学生の受け入れでございますが、留学生はやはり文化の橋渡しをする非常に重要なものであって、これについては平山学長もおっしゃっていると思いますけれども、やはり本格的に社会と国家が取り組んで留学生対策をする時代であると。受け入れというのはもちろん重要であります。せっかく来たのに反感を持って帰るということがよく報告されておりますが、私もフルブライトでハーバード大学に留学いたしましたけれども、この体験が非常によかったんです。ですからやっぱりアメリカはどこか憎めないところがございまして、そういうものがいろんなことがあっても残るということがあります。もちろん、知識とかハーバード大学そのもののすばらしさとかそういうこともあるんですけれども、やはり地域が非常によくしてくれたということがあります。  それからまた、日本人の学生をAPECの諸国に派遣するというこのシステムももっと開発されていいと思います。  文部省にはアジア諸国派遣留学生制度というものがございまして、実は仏その第一回に選ばれましてタイに二年ほど留学いたしました。これはできてからもう二十年ぐらいたちますけれども、今日本で一応助教授以上のアジア研究者のほとんどはこの制度で一回留学したことがあると思います。そういう点では大変効果的で、自分のことは別といたしまして、すばらしい学者あるいは研究者あるいはアジア通というものを生み出しているわけであります。一番効果的なものじゃないかと思っておりますが、こういうものをやはりもっと充実させていただきたいと思います。  最後は国際協力の充実ということでございまして、これはやはり初等教育あたりから異文化についての教育というものをやる。それから、日本でしたらやはり外国語として少なくとも英語と中国語をぜひ義務教育で義務づけていただきたいということ。ちょっと長くなりましてどうも失礼いたしました。
  6. 沢田一精

    会長沢田一精君) まことにありがとうございました。  以上で平山参考人青木参考人からの御意見の聴取は終わりました。  これより質疑を行います。  本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、委員の各位には懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきます。質疑を希望されます方は挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  なお、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。  それでは、質疑のあります方は私から指名をさせていただきますので、挙手をお願いいたします。
  7. 中西珠子

    ○中西珠子君 本日はお忙しいところを先生方にはお出ましをいただきまして、大変貴重な御意見を賜りましてありがとうございました。  まず、平山先生にお伺いしたいと思うのでございますが、日本のこれからのポリシーとして文化を守るということをポリシーにした方がいいというお考えにつきましては、心から敬意を表しまして賛成するわけでございますが、ちょっと先生にお伺いしたいことがございます。  すぐれた今までの文化財国際協力をなさりながら保存修復のために大変貢献をなさっていらっしゃいました先生の御活動には心から敬意を表するのでございますけれども、ことしの三月の中央公論の中で世界文化財赤十字構想というテーマでお書きになっているのを拝見いたしまして、そのおしまいの方に、文化国際貢献には官民一体となって行う調整機関が必要ということをおっしゃっております。またなお、外務省、文部省、文化庁、大学の研究機関などがこれまでの縄張りを超えて協力、連絡、調整する必要があるということもおっしゃっているわけでございます。  私も大体想像がっくのでございますけれども、各省の縄張り争いというものが存在していて、何とかこれを打破しなくちゃいけないと私も考えておりますので大体想像がつくのでございますが、これは官民一体となった調整機関というふうなものが必要であるという御主張がともお見受けしたわけでございますけれども、具体的にはどのようなことをお考えでいらっしゃいますかお教え願いたいと思います。それが一点でございます。  それから、青木先生でございますが、大変貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。私もよく海外に出かけますのでございますが、日本に関する情報があらゆる面で少ないということをいつも痛感しているわけでございます。  それで、きょうの御提言でございますが、第一に、日本アジア太平洋地域の情報文化センターをまずつくる。それからまた、海外にもAPECの拠点その他、また欧州やアメリカにおいても日本に関する情報文化センターをつくる。それから総合学術センター、これにつきましても大賛成でございますが、私が一つどういうことになるかと疑問に思いますのは、媒体となる言語について先生はどのようにお考えでいらっしゃいますか。英語が一番世界じゅうで広く使われているから英語を媒体になさいますか。それとも、アジア諸国の一般民衆、また欧米の一般民衆に利用可能な情報文化センターといたしますと、それぞれの国の言語をやはり介していかなければならないのではないかと思いますが、先生のお考えはどのようでいらっしゃいますかお伺いさせていただきたいと思います。  以上でございます。
  8. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) それではお答えいたします。  各国にございます文化遺産、これは重立ったものは大体どういう状態にあるかよくわかります。しかし、何しろ相手国の主権のもとに国有財産としてあるものがほとんどです。ですから、個人的にお互いに話し合ってやろうとしても、不動産については、そこへ立ち入る事前調査というようなことになると、いろいろな文化協定があった場合でも国家間の了承というものがまず必要です。それで、国対国の外交交渉のもとでこういう調査をやりたい、共同研究をやりたいという手続からまいりますが、これはなかなか時間がかかります。  そんな緊急というようなときに、平素、青木先生ではございませんが、絶えず情報のネットワークがありますと、各国立博物館あるいは大学の研究所、民間の文化財研究所等がいつも情報を張りめぐらせて、何か事があったというような場合にまず第一報が日本へ入るとします。そして、緊急文化財センターのようなものがあると、例えば災害のときなんかでもすぐ出ていってどういう状況であるかということがわかります。そこで、お医者さんと同じで予備調査をやったり救援の対策を立てたりするわけですが、専門も多岐にわたっております。  ですから、人材登録して、日本の場合でしたら、例えば文化財を見るにしても歴史、考古、あるいは自然科学のあらゆる分野、石の材料であれば石の構造的な問題、カビの問題、今度は地下の地質の問題、水等の管理の問題、ジャングルにある場合はその生態の問題といういろいろな問題を総合的に対策を立てて、そしてどのような方法でいきますかという、ちょうどお医者さんの処方せんのようなものを書くわけです。その機能を各方面の方が、例えば世界文化財機構というような多様性のあるものであれば、まず大きく、例えば日本国を母船に例えますと、何万トンを動かすためには大変な手続や燃料や航行やスタッフの問題があります。ですから、我々はタグボートのような立場になって水先案内。  例えば、湾岸戦争の場合にイラクの問題が出てまいります。これは外交上あるいは経済上いろんな面が出てまいりますが、私残念に思いましたのは、イラクのときに文化の面が全然出ませんでした。そして、アメリカの学者に申し上げたことがあります。イラクの軍事施設の上に遺跡をかぶせてみたらどうですかと。御存じのように、人類の文明の起源としてのメソポタミア地方、チグリス・ユーフラテス川に展開する遺跡というのは大変な数なんです。そこへ軍事基地を設けた。ですから、もし幾ら先端科学でピンポイント攻撃が可能であっても、少し外れると世界人類の遺産の遺跡を破壊します。この問題は、政治、外交と別の次元で、全人類歴史にかかわる問題です。  ですから、こういう面をどこがやるんだ、政治的な介入でなくどこがやるという場合に、もし日本がこういう面からでもやれば、決して国際外交上のスト破りのようなことにはならないと思うんです。私は、ユネスコに申し上げたり、アメリカの学者に言いました。こういう面をぜひ湾岸戦争が勃発する前に、多国籍軍で攻撃する前によく事前調査をしてください、せずにやったら、どちらが勝っても負けても暴君ネロの遺跡破壊で、戦後、解決した場合には破壊という名が歴史上に残るでしょう。こういうことをもし文化的に赤十字あるいはそういう立場でいけば、全然政治とは違う面で、第三の別のところでやってくださいという勧告もできるわけです。  そういうものが何か必要ではないか。赤十字もちょうどジュネーブで国際機関としてこれは民間がやっているわけですね。政府機関が行けない、国連でも行けないアフリカの難民のときに、じゃ、民間の武力なき本当の平和を、人道的に解決しようと、そういう人たちなら話し合いに応じようという場合も多々あるわけですね。これは、外交権もないし武力権もないし、そういうときに、もしそういうのを日本がイニシアチブを東京でとれば、スイスに本部がありますけれども、たとえ少数であっても世界に説得力があるんではなかろうかというふうに考えております。
  9. 青木保

    参考人青木保君) 言葉の問題は、常に、日本が絡みますと国際社会において大問題になることだと思います。先生御指摘のとおりだと思いますが、少なくとも英語というものは、これはもう第二の、外国語というよりもむしろ日本語の次に必ず習得しなくちゃいけないものとして、常識として使えるという状態にならなくちゃいけないと思うんですね。ですから、こういうセンターをつくりましても、日本語とそれから英語、これは基本的にどちらも転換できるような形でやるように訓練しなくちゃいけない。  それから、各地にセンターをつくった場合にはそこの言葉、クアラルンプールにつきましてはマレー語、それから日本語と英語というような組み合わせでやることが重要だと思います。東南アジアとか東アジア人たちも、日本人と比べますとはるかに苦もなく英語を操ったりほかの言葉を操ったりいたします。  そういうふうに我々の教育もだんだん進んでいくんじゃないかと私は期待しているんですけれども、まだまだ我々は、今時に日本人にとって外国語をべらべらしゃべるということはなかなか難しい、気おくれするというだけじゃなくて、何となくそういうことが嫌だということもまだ残っております。今後、こういうものを積極的にやっていく場合には言葉の問題というのはやはり避けて通れませんし、これも一つの教育、まさに日本の教育の問題としてもやらなくちゃいけないと思います。  ただ、この夏にイスタンブールに参りましたら、イスタンブールでいろいろと町を歩いていますと、トルコ語はできなくても英語ないしドイツ語、フランス語を普通の人が何かしゃべれますんですね。これはやはり千六百年の国際都市というものの伝統かと思いましたけれども、同時に、お聞きしますと、もともと中東地域では三つの言葉をやらなくちゃいけないと。一つはアラーの言葉であるアラビア語、それから官僚の言葉としてのペルシャ語、それから軍隊の言葉としてのトルコ語だと。この三つを習得しているのがあの辺で文化人あるいは指導者として必要な条件であると。その後は、近代において欧米語というものが入ってきたわけですけれども、日本中国語と英語ぐらいはやはり小学生からできるようにならなくちゃいけないんじゃないかなと思っております。  ただ、言葉の問題は、やはり文部省も含めましてお金をもっとかけて真剣に取り組まなくちゃいけないことだと思います。中国系の人も、東南アジアでもあるいは中国本土でもそうですけれども、外国語をしゃべることに対しては余りてらいなく苦もなくアクセスする人が多いんですね。そういう点でちょっと我々は立ちおくれているかなというふうに思います。
  10. 中西珠子

    ○中西珠子君 どうもありがとうございました。
  11. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 自民党の下稲葉でございます。平山先生にお伺いいたしたいと思います。  かねがね、先生の作品に触れましたり、あるいはいろいろ御活動の状況等を伺って、大変感銘いたしていたわけでございますが、きょうまた貴重なお話を伺いまして、ありがたく思います。  そこで、先生が原爆を経験されまして九死に一生を得て、文化活動を通じていろいろと世界貢献しようというお気持ちになられた、そしてまた具体的に、評論家じゃなくて世界じゅうを歩き回られて、そういうふうな実態から、しかも今、芸大の学長という高いポストについておられまして、国際的にもあるいは国内的にもいろいろ重要なお役割をなさっておられる、そういうふうな実務の第一人者としてお伺いしたいと思うんです。  いろいろ話が出ていましたが、総合的な安全保障という言葉がございます。武力だけではなくて、政治はもちろんですけれども、経済なり社会なり、特に文化ですね、文化面の交流なりなんなりによって世界各国がメッシュみたいにかみ合っちゃって、そういうふうな中で世界の平和と安全が保たれる、私どもはそういうふうな考え方から文化の果たす役割というのは非常に重い、こういうふうに考えております。  翻ってみますと、日本文化に対する行政のアプローチの仕方というものを見てみますと、大変弱いのでございまして、文化庁もできてまだ余り歴史が古いわけじゃないんですが、芸術文化振興基金というものができてまだ数年しかたちません。それは、国内についてですらそうでございますので、国際的には大変問題があるだろうと。  そこで、お話がございましたように、最初はNGOから入っていって、それから政府が出てくるというふうなお話がございましたけれども、NGO自身にいたしましても大変弱いといいますか、言葉は悪いですけれども。外務省がNGOに対して若干ずつでも金を出そうというのはごく数年前からでございました。それまでは全然そういうふうなこともありませんでした。  それから、日本のODAの予算はここ数年アメリカを抜きましてトップになってきておりますけれども、政府もODA大綱なんかをつくりまして基本的な考え方というのを示しておりますけれども、文化的なアプローチというのは私は大変弱いと思うんです。  そこで、こういうふうに先生が具体的におやりいただいている文化を通じての国際交流、私ども政治家でございますので、お話を伺いまして、具体的に我々の力で何ができるかというのが問題でございまして、ただお話を聞いて、ああよかったよかったと言うんじゃしょうがないので、そういうふうな意味でお伺いいたしたいと思うんですが、例えば、JICAがございますね。JICAの中で、今、先生のおっしゃるような文化活動というのは果たしてどの程度行われているのかどうか。世界の情報の収集なりなんなりというのもございましたけれども、具体的な機構の面からいいますと、一番手っ取り早いのはJICAの中でそういう文化的なことを専門的に扱う部門というものを強化してやったらどうか。  JICA自身の活動というのを見てみますと、これは我々この調査会でもしょっちゅう問題になるんですが、圧倒的に世界のそういうふうな活動に比べて人員が足りない、少ない、専門家がいない。したがいまして、援助のテーマはたくさんあるんだけれども、なかなかフォローアップができないというふうな形で、それで先ほどいみじくも先と言われたように嫌われている、喜ばれていないと。これじゃしょうがないんですね。やはり心と心の触れ合いがあってこそ初めて生きるわけでございますし、そういうようなものについて援助の実績が上がる。その結果として、国際的な親善なり交流なりというのができると思うんです。  そこで、質問でございますけれども、具体的に今、中西先生も触れられましたけれども、民間の問題もいろいろございます。政府としてどういうふうなことを具体的に考えれば、今御懸念されているようなこと、大変時間がかかり手間もかかるわけなんですが、そういうふうなものがもっと世界の理解を得られながらスムーズにいけるか。考え方というのは大体わかっているものですから、その辺の仕組みなりをお話しいただければありがたいと思います。
  12. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) 私はいろいろなところを歩いた経験で、情報を収集するには大したお金がかかりません。例えば、中国では敦煌に研究所ができました。そして、シルクロードを中央アジアに東へ向かうとウズベキスタンがあります。カザフスタンもあります。イラン、イラク、こういうところへ日本と当地の歴史の研究所を小さくても設けていけば共同研究ができる。そして多面的に、農業のことでもいろんな面でも、来た日本人やいろいろな国の人を泊めると、そこへ日本というものが入れば大変文化的な意味での交流ができると思います。  それから、予算がないという場合、敦僅でJICAの協力文化無償を初めて転用したようですが、これは政府機関、国会で決める問題だと思いますが、JICAの文化転用を例えば百分の一でもいいですからお願いしたい。しかも、発展途上国だけじゃなく先進国にもさらにそれの何分の一でも、こういった日本の古美術品を手伝うというような場合でも文化転用の一部に組み込んでいただければ、どれだけ欧米諸国との交流がいいかということが言えると思うんですね。  ですから、そういう意味で一番これを活発に行うという場合は文化庁を文化省にする。どんな小さな国でも文化省というのがございます。これは外交特権を持ちながら国内外のいろいろな現代、近代、あるいは文化財の保護ということをやっておりますが、現在の文化庁の機構では国内だけをやる、そしてこれを監督するだけでも予算が大変乏しいということで、ましてや海外における調査あるいは実施ということになると、外交権がない。ですから、外務省では文化交流部がやっております。こういうものと関係のあるところが一体となって省となれば、内外ともに活発に、古い方も新しい方もできると思うんですね。なかなかこれは大変な問題だと思いますが、日本の規模ぐらいになれば、小さな国でもあるのがなぜ日本にそういう構えがないかということか言えると思います。ばらばらになっておりますから、予算的にも大学の研究室や研究所やあらゆるものが統合して、縄張りを外して協力体制をとると現勢力でも相当いけると思います。  そのJICAの転用その他をぜひ先生方にお願いして、文化転用の場合、そんなに金をいただいても使えないんですね。あとは技術知恵でいかなきゃいけませんから、積み重ねの仕事なものですから、大量に一遍にどんと使いなさいといっても消化し切れないと思います。雨だれのように少しずつ少しずついただければ、これが大変な力の発揮になる。  ですから、私はよく、ジェット戦闘機の一機とは言いませんから片翼だけでも予算文化にいただければこれである程度日本が守れますよと。一歩踏み込んで、攻められたら守るというんじゃなく、常々出ていきながら健康管理を積極的に、ストレスがたまらない、運動をする、食べ物のバランスをとる。これと同様に、事前に文化でよく摩擦を起こさないようにしながら日本を守っていく、そういう気持ちを持っております。
  13. 大木浩

    ○大木浩君 自民党の大木です。  私、実は参議院に来る前に外務省に奉職しておりましたので、在外公館の文化活動が質量ともに非常に乏しいということを身にしみて感じているわけでございます。ただ、現実に今の政府予算とかいろいろな役所の構成とかいうことを考えますと、これから外務省が頑張っても、あるいは先ほどのJICAの話、あるいは国際交流基金も含めて考えても、なかなか政府が自分で文化活動をやるということについては急速なる増大強化というのは望めないと思います。むしろ私は、民間でいろいろやっておいでになることを政府が上手にちょっとお助けした方がいいんじゃないか。  きょうは青木先生に御質問したいと思いますが、例えば大学などは、随分たくさんの大学でこのごろはほとんど国際関係部というのをおつくりになっていまして、よその大学との交流もしておられるし、それからまた新聞社なんか時には非常にお金を使って何とか展覧会とか博覧会をやりますよね。だから、ああいうものは、もちろんある程度大きなやつについては政府協力しておると思いますけれども、先ほどの平山先生のおっしゃるとおりに、何か時々ぽんと大きなやっをやるんじゃなくて継続的にできることがあるんじゃないか。  ただ、私、感じておりますのは、先ほどちょっと言葉の話も出ましたけれども、青木先生は大学の先生だから前にして恐縮ですが、先生方は最近非常に留学もされてよく外のことを勉強しておられるんですが、日本全体といたしましては、そういった国際文化活動に政府であれあるいは民間であれ、活躍する人というのはまだ非常に質量限られているんじゃないかということを感じますので、これからどういうふうに教育していったらいいかそういう人を養成するかということについて、むしろ何か具体的なお考えがありましたら教えていただきたいと思います。
  14. 青木保

    参考人青木保君) どうもありがとうございました。おっしゃるとおりだと思います。  最初に大木先生がおっしゃった政府の援助というものは限りがあるということは事実だと思いますけれども、ただ、政府がある程度保証して、例えば文部行政につきましても国際化を推進するというようなことをやっていただかないと、なかなか社会全体がなびいていかないということがもちろんございます。  今おっしゃいました大学も、これは余り勝手なことは申し上げられませんけれども、国際性という点では日本大学は非常に今窮地に陥っているということは事実であります。特に、実用的な語学も含めた教養人といいますか、そういうものを育成するような方向には向かっておりませんで、むしろ一つは専門化の方向、これは大学大学構想みたいなものに出てきますが、もう一つは、まだまだ明治以来の縦割りの学部でございますね。例えば、医学部と自然科学系とそれから人文系がなかなかうまく交流できないとか、そういうことが大きな障害になっていることは事実であります。  私どもの分野で言いますと、文化人類学的な医療の研究というものが今大分盛んになっておりますが、同時にこれは医学部の方からの医療の研究とどこかでドッキングして研究体制をつくらなくちゃいけません。特に、アメリカ大学ではメディカルphという医療哲学博士というのが一つの学位として今非常に注目されておりますが、これは医学部と人文系の学部とがドッキングして学位を出すということですが、両方の学際的な研究を修めるということでございます。  ですけれども、最近の病院とか病気の研究というのは、そういう形で文化面といわゆる医療面と両方で見ないとわからないような現象がたくさん出てきておりますが、そういうようなことが日本大学ではほとんど不可能でございます。そういう改革も含めた取り組みというものを大学そのものがしていかないとだめだと私個人は思いますけれども、なかなか大学という組織はよほど抜本的な改革がないとそういうふうに動いていかないという現状もございまして、先生がおっしゃるように、まだまだ国際的な人材を養うようなところまでいかない。  特に問題なのは、これは自分たちのことを批判するようなことで反省を込めてということなんですが、アメリカという国について、非常にこれは重要だということが日米関係を見てもわかるわけであります。これはアメリカになびくというだけじゃなくて、アメリカというものを客観的に見詰めるということですが、これについてのちゃんとしたアメリカ研究をしている大学というのは全国でほとんどありません。  これは例えば、大学へ入ったときにアメリカについての政治、経済文化歴史といったものを一通り常識として修めるようなコースというものを置いているような大学はないんですね。ほとんどないんです。もちろん例外はございますけれども、全国の五百もあるような大学の中で、まあそれはほんの数例しかございません。ですから、アメリカと非常に困難な問題が起こったときに、アメリカについで判断ができるような知識を持つ学生、それからその学生が成長して就職したり官僚になったりサラリーマンになったりあるいは政治家になったりされるわけですけれども、そういうときに非常に困るということがあります。  これは非常に不思議なことですけれども、アメリカというものについての総合的な研究センターとか、あるいは研究所というものが日本にはないんですね。これは、昔ゴルバチョフさんがアメリカを初めて訪問されたときに非常に大成功をおさめたというのは、その背後にモスクワにあります。アメリカ・カナダ研究所というのが、いわば歩道で車からおりてアメリカの一般市民と握手するような演出まですべてアメリカを研究して授けたということが言われておりましたけれども、そこまでと言うかもしれませんが、今の両国の関係を考えますと、もう基礎的な研究からそういう現実的な、実践的なレベルまでアメリカについてもっと知っていいと思うんですけれども、そういうものがございません。これは非常に残念だと思うんですが、そういうことも含めまして、今後大学あるいは研究機関あるいは民間も含めましてやることはいっぱいあるというふうに思っております。  ただ、民間については、これは継続的なことが果たしてできるかどうか。例えば、今みたいなリセッションの時代に入りますと、民間の援助というものが、経済界の援助は非常に乏しくなります。特に、文化についてはカットされるということが目立ちます。  ですから、この間、政府の方が韓国そのほかの戦争補償について、基金を国民が出してそれに充てるというような構想を今持っていらっしゃいますけれども、何かそういう全国民的な関心事として、それこそ税金の幾らかをそこへ使って、あるいは消費税ではなくてこれは国際文化税といったものでも構想して、それに充てて運営するようなことを考えないとできないんじゃないかというふうに考えます。  どうもありがとうございました。
  15. 及川一夫

    ○及川一夫君 社会党の及川と申します。  ふだんなかなか文化という問題について深く洞察をするという機会が少ないものですから、きょうは両先生にお話を伺いまして、非常に興味を持ってお聞きしたわけですが、大変どうもありがとうございました。  そこで、青木先生にちょっとお尋ねしたいんですが、一月三十日の朝日新聞に「いま何が問われているのか」というのが載せられておりまして、「民族対立の土壌」ということで一文を先生載せられているのがございます。  それで、全体的に理解できるんですけれども、特に問題にされている点としては、国際政治の対立を文化の違いによってと、そこにまとめて論じておられるハーバード大学のハンチントン政治学者のことをとらえて、大変問題意識を持って書かれておるわけですよね。それで、ネオ・ナチが、言うなら賛成はできないけれども、ともかくとしてということでもって論じられておりまして、むしろ問題を解決するのはやはり新しい普遍主義を構築するのが正しい道ではないか、中心テーマにすべきではないかということを実はおっしゃられているわけです。  それで、普遍的とか普遍主義というのは何かというのは最後のくだりに書いておられるんですが、恐らく全体の字数の関係だとは思うんですけれども、「新しい秩序の構築に向かって、愛を語り、悲しみと喜びを論じ、モラルと理想を求めることである。」というふうに結語をまとめられておられるわけですね。  何となくわかるんですけれども、この普遍主義とか普遍的というのは具体的に言うと一体どんなことになるんだろうか。特に国際政治とか、まあ国内政治も量的には少ないけれども同じだというふうに私は思うので、具体的にはどんなことを指摘されているのかなということをお伺いしたいというふうに思います。
  16. 青木保

    参考人青木保君) 普遍主義というのは、これまではヨーロッパの近代主義的なものが一つの市民主義ですね。民主化とか人権とかこういうものが普遍主義の一つの基礎であったわけで、全世界人類はすべて民主化する、人権を尊重する、あるいは言論の自由を享受する。それからもう一つは、いわゆるマルクス主義的な階級対立を解消して、いわば人々を貧困から解放するような平等主義の主張というものがございましたけれども、その両者ともポスト冷戦時代におきまして非常に限られた範囲でしか通用しないということがわかってまいりました。まだ社会主義の国は世界にございますけれども、もう社会主義を人類の普遍的なイデオロギーとして押しつけることはできなくなってしまいましたし、また近代主義もクリントンさんの人権外交のようにアジア諸国から猛反発を受けているような状態ですね。  それはどうしてかといいますと、その背後にある考え方、近代主義の場合はやっぱり西欧中心というのがございます。それから社会主義の場合は、ロシアにおける大国主義の破綻というようなことも旧ソビエト地域はあったと思うんですね。ですから、必ずしもその字義どおりじゃなくて、必ずその背後に歴史とかあるいは大国の思惑というものがあったがゆえにせっかくの理念がうまく人類に行き渡らなかったということがございます。  今は世界じゅうが、新しい何かこれだという普遍的な理念を探している状態だと思いますが、ただ、その場合にどうしても出てくるのが、一方ではいわば宗教原理主義みたいなもの、イスラムなんかの場合は非常に強いですけれども、これはヒンズー教にも出ておりますし、また仏教にもそういうのが出てきたり、それからもちろんアメリカキリスト教にも非常に強いわけであります。これはただ一部の人の理念しか救えませんので、人類全体のものとしてなかなかならない。  そこで、私が思いますのは、どうしても人類が個人としても社会としても必要なもの、条件というのはあると思います。  例えば、プライバシーを守ったり、人権を守ったりするということは、これはだれでも必要なことであります。それからまた、自分の意見が公平に社会に反映されるということも必要でございますね、政治に反映されるということも。それから、あらゆる抑圧みたいなもの、弾圧とか独裁とかそういうものは避ける。それから、民族的な対立というものもなかなか難しいですけれども、避けることが必要だと思うんですが、今までイスラム教とかキリスト教理念で、あるいはマルクス主義というもので媒介してやっていますと、どうしてもそれに賛同しない人間はついていけないということがあって、今世界は百家争鳴の時代ですから、いろんな意見が渦巻いているわけです。  そこで、私が思いますには、例えば比較的そういう色がついていない日本のようなところで、先ほど申し上げたような情報文化センターみたいなところ、これまでの色がついていないような人類にはこれが必要だという、共存する枠組みみたいなものをつくれないかなと。これは日本が押しつけるというのではなくて、そういうことは日本だと宗教とかそういうことにはとらわれずに議論ができますから、何でもしゃべれるわけです。これは、宗教批判もできればイデオロギー批判もできますし、また近代主義の批判も距離を持って見ることができる、批判することができる、こういうような国というのはなかなか世界にはございません。  そういう点で、何かそういうことを、個々の概念とか理念は、これまでも二百年ぐらい言われていたことでありますが、それを現在の世界の中でもう一遍編成し直して、新しい共存の枠組みをつくるということを考えたいということなんでございます。
  17. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 共産党の上田でございます。  平山先生が広島の被爆者としても、また芸術家としても、憲法上、日本は武力での国際貢献は非常に難しいので、文化を守るという点で文化財赤十字構想を十年来提唱されていらっしゃると、大変感銘深く聞かせていただきました。  二つ質問させていただきたいんですけれども、世界でそういう文化財保存修復、これを進めようとすると、ちょっと不勉強なので、ユネスコその他、条約上どうなっているかは知らないんですが、自然環境については条約がございまして、世界各国で選んで、それを世界じゅうできちんと登録して共同して守るということになっていて、日本も参加しているんですが、自然環境の保護はそう金がかからないで、金かけて開発することをやめればかなり守れるんだけれども、文化財の場合にはかなりお金がかかりますよね。  そういう点で、文化財、こういう古美術あるいは遺跡の保護について、国際的な条約の関係はこれまでどうなっているのか。それから、こういう赤十字構想を進める意味では、やはり条約を国際的につくることがどうしても要るんじゃないかと思うんですけれども、その点をひとつお伺いしたい。  もう一つは、日本の古美術が世界各国の博物館、美術館にあるけれども、非常に傷みが激しいというふうにおっしゃっておられたんですが、思い出したのは、この調査会で七、八年前、カナダ、アメリカを回ったときに、ボストンの美術館に参りました。あそこは岡倉天心も仕事をしたところで、その像なんかを見せていただいて、展示されている浮世絵だけでなくて、その保存状況なんかもまた見せていただきました。さすがにボストンのは実に見事な保存をされているんで、大変感心したことがあるんです。  どうも日本のそういう古い美術というと、やっぱりゴッホやゴーギャンが非常に影響を与えられたというすぐ浮世絵ということになりますよね。しかし、日本の仏像彫刻とかあるいは陶磁器とか世界各国の博物館なんかにはやっぱり保存されているんじゃないかと思いますけれども、先生はそういう日本の顔が見えないとおっしゃったそういう日本の、我々の文化の非常に守るべきすばらしいもの、すぐ浮世絵と言われるんですけれども、我々自身がそういうものを評価し、日本でも守らなきゃならぬし、どういうものを国際的にも堂々と日本文化として主張すべきなのか、少し教えていただきたいというふうに思います。  それから、青木先生に一問質問させていただきたいんですが、きょうの参考人のお話をお伺いするために参考文献をいただいて、その最後のところに朝日新聞の報道で、細川内閣時代にAPECに結びつけてアジア太平文化交流・協力会議、文化APECを政府が提唱しようとしたんだが、経済面の話題が中心になったためにアメリカとの首脳会議で細川首相が見送ったというような記事があるんですよね。  APECというと、やっぱりいろいろ意見対立もありますし、私たちも問題を非常に感じているんですけれども、かなりアメリカが力を持っておりまして、今お話が出たハーバード大学のハンチントン教授の論文に青木先生は、この論理を突き詰めれば、近代ヨーロッパが中心になって世界を普遍的にまとめていかなくちゃいけないという話になる、この考え方は日米摩擦の背景にもあり無視できない大きな問題だという危惧を表明されておられるんですけれども、このAPECと結びつけて文化交流をという日本政府の細川内閣時代の主張、私はちょっと疑問を持つんですけれども、先生の御意見もお伺いしたいというふうに思います。  以上、三問。
  18. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) 今、上田先生から御質問の、世界文化財がどういうふうに条約でなっているかということに関しましては、ユネスコが主導権を持って、先般も日本が初めて世界遺産リストに法隆寺、それから東北の方のブナ、原始林です、それから南の方の縄文杉、これが加盟しました。例えば、エジプトのアスワン・ハイダムができ上がるんで、あそこにありましたアブシンベルの神殿が水没する。これにユネスコが中心になって世界へ呼びかけて日本政府も拠金いたしました。それで、民間も出したと思いますね。また、インドネシアのボロブドゥールの仏教遺跡を十年ぐらい前にやはりユネスコの主導によって、日本も大変資金的にも技術的にも協力いたしました。  こういうふうに、ユネスコが健全なときはその主導で、日本も加盟しておりますので、今もスリランカのポロンナルワという遺跡をやっておりますが、アンコール遺跡もそうです。ユネスコが提唱しておりますが、残念ながらアメリカとイギリスの脱退によって資金難で事実上、口は出すけど資金が出ないと。そこで、今日本政府は、ユネスコ供託基金として六百万ドルぐらい基金に置いて、例えば中国からユネスコへ九十二の遺跡調査修復してほしいという希望を出しております。  それで、第一回目は、トルファンにあります交河古城という漢の時代から唐の時代にかけての遺跡を、現在その供託金を利用して二年にわたって修復しております。それで、今年度からは長安の都、かつての唐の都、大明宮を選んで、私も先週行ってまいりましたが、これをいよいよ日中で共同して、かつて遣唐使節が行った歴史的なところを、今やらないとだめになるということでやっております。  こういうふうに世界の大きな遺産リストに載っているようなのは各国が出て、日本でも文部省にユネスコ国内委員会があり、そういう議題が来ると代表部を通じて絶えずやっております。そして、石に関しては国際機関が研究し、木や紙に関しては日本がイニシアチブをとっていろいろ研究しております。ICOMOSとかいろんな国際機関があって絶えず、今も奈良でどういうふうに修復すべきかということをやっております。私も中国から帰ってきた翌日に東京でユネスコの代表部や外務省、文化庁の責任者とフォーラムで基調講演などをいたしました。特に、日本の国宝、重要文化財に当たるような場合、海外にあるものも日本修復方法を適用してこのノウハウでやっております。  ですから、少なくとも石に関する遺跡その他、こういう方法修復いたしましょうという原理原則のコンセンサスをとりながら、先進国はかっていろんな調査機関で実績を上げておりますので、日本なども文化庁にある各研究所、機関、あるいは大学がいろんな立場で研究してある程度の成果を上げております。ですから、アジア太平洋に関しては日本国内にそういった研究所を設置しようという動きがありますし、文化庁を中心として予算をとってそれが進みつつあるかに聞いております。  ですから、先ほども大木先生でしたかNGOが中心にやったらという御意見がありましたが、難しいのは相手が国有財産なわけです。それで、文化財保護法によって縛られている国がたくさんあります。我が国も重要文化財の指定を受けて、個人の所有であってもこれを動かすことあるいは修復することはすべて国の重要文化財としての規定の中で行われております。ですから、補助が出る場合もあるし、直す場合は規定されたとおりにやる、国際的にもそうです。  ですから、民間がやろうと思ってもどうしても第一陣は外務省の正式な交渉に始まるわけです。そして、次には文化庁の専門家による交渉が始まる。それで、次に大学の共同研究だとか技術者協力が始まるということで、なかなかこれ手続がうるさいんです。  ですから、そういう点で何らかのきちっとした即応性のある組織というのができませんと、手術で言うと大手術と同じですね。内科的に処理するのか外科的に処理するのか、あるいは精神科で処理するのかということをさまざまな角度で、薬物療法によるものか手術によるものかという判定を下して万全の措置をとりながら攻めていく。ですから、こういうことで大変複雑な手続と研究が必要だということですね。
  19. 青木保

    参考人青木保君) 上田先生がおっしゃいましたが、確かにこれを拝見しますと細川内閣のときにAPECの文化会議みたいなものをつくろうということを提唱しているということですけれども、APECそのものは、ともかく最初に申し上げましたように余りにも膨大な、茫漠たる地域でございまして、これは内容はほとんど具体的には伴っていないと思うんですが、ただアジア太平洋地域というのはこれまでいさかいが絶えなかった地域でございます。ですから、この地域で会議をひとつ連合的に持つということは意味があると思います。  ただ、実際問題は、ASEANとかそれから日本は今除外されようとしている危機にあるんですが、マレーシアのマハティール首相が言っているEAECとか、こういうものが実質的には意味を持つだろうと思います。  ただ、アメリカ中国という領土的にも大変な大きな国が入っておりますとどうしても全体会議はバランスを欠きますので、この調整というものは果たしてどういうふうにできるかというのが一番大きな問題だと思うんです。ですから、APECというのはちょっと象徴的なものとして掲げながら、実質的にはもうちょっと具体的な地域連合の動きの中で問題を解決していくような形になるんじゃないか。  ただ、文化という点ですとまさにマルチカルチャーでございますから、文化の調整というのは、先ほどの及川先生の御質問にもございましたハンチントンさんなんかは、ポスト冷戦後の国際政治は文化や文明の違いというものが一番大きな争点になると。世界の動きは若干そういう動きを示していることは事実でございます。その文化の違いというものをどういうふうに、高度情報化時代文化の違いがますます情報によって接近すると同時に、接近すればするほど他人のあらが見えてくるというそういう状態ですから、ここで文句を言い出したら切りがないわけでございます。ですから、それを調整する機関とか会議としてAPECを使うならばこれは非常に意味があるんではないかと逆に思います。  実は私、この細川政権の、これはちょっと見過ごして知りませんでしたけれども、御指摘のとおりで、APECというのは今後アメリカの思惑と中国の思惑がどういうふうにぶつかるかというのが私ども一番心配なんでございます。その中で日本がどういう形でイニシアチブに加わることができるかということを考えますと、やはりこれは何といっても他の周辺国、いわゆる中国の周辺国である韓国とか朝鮮半島、あるいは台湾とか、香港は返還されますけれども香港、あるいは東南アジア、ASEAN諸国とどういうふうに我々が連携をとるかというのが一番大きな問題になってきます。  これを日本の外交も早急に取り組んでやっていただかないと、そういう点ではマレーシアのマハティール首相の言うこともある程度ちゃんと胸におさめて正面からの対応をしませんと、やはりもう大国主導の政治的思惑ばかりが先に走ってしまうという結果になりかねないと私は思います。
  20. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 平山先生、浮世絵を初め日本の美術の国際的評価について。
  21. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) 先ほど、浮世絵は各美術館で、例えばフランス・ギメでしたら六千点とかポーランドのクラクフでも四千点になるんです。大変な量が出ておる。  十九世紀の末に全く違う立場の芸術観が出会ってヨーロッパもびっくりしたわけです。日本側も写実的な表現に驚いたわけです。まさに東西の両方がぶつかってゴッホやモネやいろんな印象派の人に影響を与えましたが、本当に重要な美術品は行くのがなかなか難しいわけです。今、御指摘のとおりに、数は少ないですけれども、すぐれたものが日本にあるわけです。政府として時々大型の立派な展覧会をやりますと、日本研究のグレードが上がるわけです。今例えば、何といってもヨーロッパの中心であるフランスで、残念ながら三十年間以上日本の重要な展覧会をやっていないんです。  そこで、ヨーロッパ日本研究者がほとんどいなくなる。パリのギメでも、東洋美術館ですから日本部がありますが、研究者が出てこない。あれだけのドイツで日本の美術史の専攻、日本研究の学者がゼロになったんです。ベルギーでもそうです。イギリスは大英博物館がございますからまだいますけれども。今そういう文化交流をしませんと、経済と工業方面の研究者の往来は多いんですが、精神的な文化というのが全く戦前よりか悪い状態。それに加えて中国あるいは韓国、インドネシア、それからアンコール遺跡のあるカンボジア、インドもそうですが、この方が興味があって、いいものがあるものですから研究者がふえている。  それで、日本に対する人がいなくなるというので、我々行くたびに若い先生をよこしてくださいということを言われるんですが、日本文化交流というと、お金を払って日本へ持ってきて展覧会をするのが文化交流だと。そうじゃなく、五分五分にあるいは比率が悪くても三、七ぐらいまでは向こうのものを持ってきたら、こちらから日本文化紹介をする。この地道な努力がないと、本当に尊敬される日本というにはほど遠いと思います。ですから、行くたびに、これは大変恐ろしい将来だというふうに考えます。  要求はどんどんあるわけで、私も来年早々イランにも参ります。これはイランが、先ほど原理主義が出ましたが、孤立して文化的に突破しないので、あなた国際交流やっているし、ホメイニさんの革命のちょっと前に展覧会やったものですから、来てくださいと、テヘラン大学で講演して、そして全国を歩いてくださいと。そしてイランが、強硬な暗殺者もいる、原理主義もいないとは言いません、いると言うんです。しかし、大多数は開放を望んでいますということで、私に西側に向かって調査して発言をしてくださいと、それで行くことになっております。最初は国際交流基金から行こうかとしましたら、イランは大変経済的に困っているけれども、礼儀としてまずイラン政府お金を出しますと、それで今予定を煮詰めております。  それから、アフガニスタンのバーミヤンというところがありますが、仏教伝来の大変な遺跡です。これがゲリラの弾薬庫になっております。もしこれが、イスラム教の国ですから、爆破でもされると世界史の中でも大変なものを失うわけです。それで、やっぱり行ってくださいと言うんで、パキスタンのイスラマバードから国連のヘリコプターにバーミヤンの遺跡まで乗せてもらって着陸しようというんで、今交渉中です。  それで、撃墜、大丈夫かと言うと、アフガンゲリラの方のが来て自分の派は大丈夫だ、ほかの派はどうだということを、今アフガンの代理大使、若いとき大学へ留学させたりして世話をしたものですから、その人が中に入って無事にイスラマバードからシルクロードの真上を通ってバーミヤンの遺跡の上に着陸するのを今計画中です。現状を見て、やはり平和手段をということで文化赤十字という旗を持って来てくれと言うんですね、そのときだけは撃ち合いはやめますと言って。ちょっと命がけですけれども、猪木先生じゃないですけれども、現地に行くようにと思っております。どこまで行けるか丸腰ですけれども汗を出すというのはこういうものだという、決してひきょうで逃げるものではないという、そういうことでやってみようと思います。  私も中東戦争のさなかにアラブの国を突破して鉄砲を突きつけられたり、あるいはアフガニスタンの国境で捕まって銃口をここへ当てられてこのままで尋問されたことがありました。私は文化という信念を持っておりますので、スケッチを見せてこうだと言ったら、わかった、ただしおれの顔を五分間でかいてみろと言われて命がけでかいたことがあります。そうしましたら、よく似てるというので本物の画家だと。逆にそれで守ってくれまして、兵隊さんが乗せて、撃つなというんで、そこを間違えて軍事地帯へ入っていったことがあるんですね。  ですから、そういう気合いで、こうだという気持ちで入っていきますと、多分そうであろうというふうに自分で信念を持っておりますので、戦車や装甲車や兵隊が鉄砲を担いでぞろぞろ歩いているところをごめんなさいごめんなさいというんで入って突破したことがありましたけれども、日本大使館へ来ましたら、よく生きて着きましたねということを言われましたが、文化というものはそういうものだというのを今でも思っております。
  22. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 公明党の荒木でございます。両先生に一問ずつお尋ねしたいと思います。  平山先生につきましては、日本の伝統として継続の文化である、在来のものの上に新しい文化を受け入れていくというそういう継続の文化であるというお話がありまして、非常に示唆に富む御指摘ではないかと思いました。これは従来のものを生かして破壊せずに積み重ねていくということですから、こういう文化というものは諸外国にも積極的に発信をしていくべきだろうというふうに思うわけでございます。  その上で、自分自身の長所といいますかそれを知る上でお聞きをしたいわけでありますけれども、この継続の文化の淵源といいますかどうしてこういうものが日本文化として定着をしてきたのかという点につきまして、お教えをいただきたいと思います。  それと、青木先生につきましては、高等学術研究センターをつくるべきである、そういう御指摘があったかと思います。日本大学には国際性が非常に乏しいということはそのとおりでございまして、特に学術研究等についての予算的な取り組み等も非常にお粗末であるということを常々感じているわけでございます。  ただ、実際このようなものをつくろうとした場合に、仮に財源的な手当てができましても、本当にこの日本に、そういう意味での伝統が浅い日本に一流のスタッフを集めることができるのかという点も含めまして、どのようなセンターをどういう手順でつくっていくということを先生はお考えなのかお教えをいただきたいと思います。  以上です。
  23. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) 日本人の積み重ねていく継続の文化というのはやはり日本列島が南北に細長く横たわっている風土の関係もあると思います。春夏秋冬、自然の変化がありながら狭いところで自然の恵みとともに生きていく、反自然的なことをやらないわけですね。  ところが、大陸では砂漠を歩いたり、厳しい冬の内陸性気候の文化というものは自然と生きていると死んでしまうわけです。ですから、家の壁も泥で大変厚いです、夏は涼しく冬暖かい。まず集落は城壁で囲み、敵の襲来に備えます。そしてもし攻撃されると全員殺されるかあるいは駆逐されるかのいずれかです。これで合理主義精神や対自然の価値観や科学精神が生まれてきたと思いますが、日本の場合は屋根があって柱だけで、できるだけ自然と楽しみながら恵みで生きていくという、こういうことです。  例えば美術品でも、騎馬民族は軽くて価値のあるもの、金銀です。金銀財宝の宝石です。身につけます。そして財産をしょっていきます。もし細工がつぶれても重さで幾らでいきます。ところが、日本のお茶の茶わんのようなものはだれだれが使った、材料としたらほとんどただのものです。これを付加価値として伝世していきます。ですから壊したらだめなわけですね。極端に申しますと伝えていくという、だれが大事にこれを守ってきたという、その守り抜いた気持ちが入ったそういう物というものが価値があるわけです。そこが金の重さで幾らの器と大変違うということです。落とせば、壊れればただの土。木や紙の文化というものはそういうものです。  ですから、壊したらもう元も子もないですから、それは大事にしていくという思想が対自然でもいろいろありますので、変なことをやると不自然だとか自然の理に反するとかいろいろな道徳に関することでもやります。中国からいろんな文化百般を導入しましたが、反自然的な宦官の制度だとか纏足ということはいかに日本が何でもまねするといえどもあの玄界灘でシャットアウトして入れておりませんね。そういう物に魂を与えるというんでしょうか、これは資源がない、物を生かしながらいくというところのやはり風土から生まれてきた民族性だと思います。
  24. 青木保

    参考人青木保君) 先ほどの御質問にもございましたけれども、私、実は一九七八年以来スリランカにも調査に行っておりまして、ことしも参りますが、そこで民族抗争が大変な激しさをもって行われておりまして、最近も有力な政治家が、この人も非常に期待していたんですけれども暗殺されました。それからまた、去年は大統領が暗殺されましたし、スリランカ民族紛争にかかわったというのでインドのラジブ・ガンジー首相も暗殺されたというようなことがございまして、実は、スリランカに毎年行っておりますと民族抗争あるいは文化の違いによる紛争といったものを身近に感じまして、徐々に私もそういうことを考えるようになったわけでございます。  そういう点で、今、荒木先生がおっしゃいました御質問でございますが、日本でやる以上は、平和とか文化の協調とかあるいは文化の融合とか、そういうことを大目的として、世界のそういう民族紛争あるいは文化摩擦といったものをどう解決するかといったようなことをまず象徴的に掲げる必要があると思いますが、先ほどおっしゃいました、現実にどういう形でつくるかといいますと、これは二段構えが必要だと思います。  一つは、研究環境とか資金とかあるいは人材が非常に優秀なエリート機関をつくるべきだと思います。  これは、例えばアメリカのコロラド州にアスペンというところがありますが、これはたしかロックフェラー財団か何かがやっているところですけれども、そこに文化的な施設があって、そこに世界各国の人が集まって一定期間議論とかあるいは研究に費やすというようなこと。あるいはスタンフォードがありますパロアルトというところがございますが、そこに高等行動学研究所という、これはフォード財団の運営するのがございます。ここの研究員として七カ月から十二カ月過ごすということ。ほとんどがアメリカ国府とヨーロッパそれから日本などの研究者が集まるんですが、これは全世界の人にアンケートをこのパロアルトの研究所はとっておりまして、その分野で十名の世界的な人の推薦が集まった人をノミネートして、こちらから申請するのじゃなくて向こうから招待をすると。日本でも数人の方が今まで呼ばれております。これは私どもの分野でも大変権威のある研究所であって、そこに一度呼ばれたということが後の箔つけみたいになるわけです。実は私のところにも最近それが来たんですけれども、何といいますかやり方次第です。  それで、日本でそういうことができるかどうかこれが問題なんですが、日本でできるかどうかというのは、今の日本だと私はできると思います。これは、人間関係それから環境とか制度のいわば優秀性というか、そういうことが認知されれば完全に日本でできます。  そのためには、日本人はとかくエリート主義というのはなかなか難しいんですけれども、まず全世界のいわば代表的な方がそこに来るという機会をつくることでありまして、だれが行った、それで非常によかったと口コミで世界じゅうに伝わりますと、後引き続いて若い人もそれからもちろん大業績のある大学者も含めて来るようになります。そういう人間的なネットワークをつくるのがどうもこれまで日本の学術機関は非常に下手でありまして、それは日本でそういうエリート主義を余りやっていないということもありますが、外国の先例に学ぶことはできると思います。  例えば、非常にある面では嫌な話でありますけれども、私どもが何かのシンポジウムを行うといたしますと、そのシンポジウムにだれを呼んでくるかというのが一番問題なんですね。つまり、だれが来てくれるかということが一番問題でありまして、そのためには、例えばハーバードの教授とかオックスフォードの教授とかいうのを必ず入れなくちゃいけない。それでハーバードのだれが来るとなると、まずほかの人は、こちらのねらった人はほとんどだれでも来てくれます。  こういうことは、そういう既成の名声を頼りにするというようなこともあるかもしれませんが、留学そのほかの機会でいいチャンスを、いい人間関係のチャンスをつくることは幾らでもできるわけでございますから、そういうまず人間的なネットワークを築くことから研究所をスタートさせて、そこに来ることによってあるメリットが得られるというシステム、あるいはだれが行ったからだれも行くというようなそういうシステムをつくっていくことが重要なのであって、この人間的なネットワークというものを、とかくまずハードな仕組みの器だけつくってしまって後はここに来なさいということでやりますけれども、実はその器も大事ですけれども人間的なネットワークというものをつくることが重要であって、これはもうできる機にあると私は思います。  ただ、従来より以上にこういう研究センターをつくる場合に、まず世界のいろんな人に来ていただいて、そこで非常に充実した時間を過ごすということを味わってもらう、経験してもらうということが重要だと思います。とかくどうも我々日本人のこれまでやってきたことを見ますと、器はつくるんですけれども人間的なネットワークとかそういうことで高めていくということが二の次三の次になりますので、まず人間的なネットワークから始める必要があるのではないかというふうに思います。  それからもう一つは、一般的な交歓の場所として学生とかそういう者も入れていくというシステムにしていった方がいいと思いますが、これは多分に学問、文化世界戦略的な人的ネットワークの構成ということを心がける必要があると思います。  これだけたくさん留学もしているし外国にも行っているわけで、確かに日本技術大国、経済大国でありますが、ことしも四月にハーバードとかに行きましたけれども、とにかく日本人はいっぱい来ているわけで、日本人はもうどこに行っても、日本の教育も技術教育もすばらしいんですけれども、やはり企業からも官庁からもあるいは大学からも、MITとかは日本人ストリートができるぐらいいっぱい行っているわけで、こういう事実というのはやっぱりちゃんと認める必要があると思うし、それから日本にそういうものがそろそろできてもいいんじゃないかというふうに思うわけであります。
  25. 成瀬守重

    ○成瀬守重君 自由民主党の成瀬でございます。平山先生にお伺いさせていただきます。  先ほど来、先生の文化財保護にかける情熱というかそういった生命を的にしての御努力というものに対して心から尊敬し、すばらしいと思っております。  先般テレビで拝見して、先生の世界文化財の保護に関する赤十字構想というのを伺い、また中央公論の御論文も拝読させていただきましたけれども、本当に今世界文化財が破壊に瀕しているということを痛切に私も感じるわけです。十数年前、海部元総理と一緒にペルーを訪問しまして、インカのマチュピチュの遺跡だとか、あるいは天野美術館が経営に非常に苦しんでいる実情というものを伺って、それのお手伝いをさせていただいたことがあるのですが、それだけに先生の唱道されております文化財赤十字構想というものの各国の反応は一体どういう反応があったか、あるいはまた日本国内においてあの御構想がどれぐらい現実に進んでいらっしゃるかそういった点について伺いたいと思います。
  26. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) いろいろなメディアを通じて私の意見を述べましたところ、国内的には地味ではございますが、だんだんと成果が上がってまいりました。  教育機関では、ある高等学校や中学校の先生が新聞の切り抜きを授業に使っていただいて、社会科で四百字一枚で各クラスに印象を書かせて送ったりしていただきました。そして、ある先生からはこれを地方の教育委員会の方でやったらどうかというふうなことでございました。  それで、また浄財に関しましては、子供たちが自分の貯金を送ってくれたり、あるいは年金生活者で御主人が亡くなったにもかかわらず名前も記入しないで十万円を送ってくれた方もいます。そういうふうにだんだんと地方からも、いいことだからしっかりやってくださいということが上がってまいりました。本当にこれは草の根運動で広くと願っていたのでありがたいことだと思っております。  また、国際的には、各国を歩きましたので各国立の美術館長をお呼びして昨年フォーラムなどをやりましたし、あるいはいろいろな機関で広報しておりましたら、来年一月二十九日にジュネーブでワールドエコノミーフォーラムというのが開かれるそうです。先進国の経済会議のようですが、日本からも毎年出席されているようです。ドイツの財界が当番で来年度はやるようですが、そこで私に、この世界文化財機構の赤十字精神を説明してくださいと。そして、私の希望は一つぐらいはせめて日本から発信させてくださいということを国際的には絶えず言っております。  また、この赤十字という名称の問題も、みだりに使っては登録の関係がございますので日本赤十字を通じて、赤十字ということを言いっ放しじゃなく、人道的な面で御一緒にやりませんかそして赤十字構想と言うと訴えやすいのでそういうときには名前の使用を御許可いただきたいということを申し述べましたら、そういう広報なら使ってよろしい、ただし固有名詞で使われると問題あるので困りますよと、それをよく申し上げながら使っております。  今私は自分の描いたアンコール遺跡の絵を持ってNHKで全国をずっと二十カ所ぐらい回っております。最終的にユネスコの手によってプノンペンで展覧会をいたします。そのプノンペンで展覧会をした絵四十点ぐらいを来年の一月中旬にはジュネーブへ持っていって、国際フォーラムのときにお見せしようと思っております。ヨーロッパの財界の方々も、英文でその趣旨が欲しい、そうしましたらこれは個人的にその場で募金に応じましょう、申し込みますという。  ですから、私は、スイスのジュネーブで赤十字を起こしたので一つぐらいは東京発でぜひお願いしたいということをアメリカやフランスやドイツやイギリス、先進諸国に協力しながらお願いしましたところ、それはぜひ日本国際貢献としてやってください、我々各国も全部応援します、情報を差し上げますと、そういうことで進んでおります。
  27. 細谷昭雄

    ○細谷昭雄君 時間がありませんで、本当青木先生にもお伺いしたいと思いましたが、平山先生だけにお伺いさせていただきたいと思います。  平山先生から、きょうは、CPKO、聞きなれない話でありましたが大変啓発を受けました。さらには、伊勢神宮法隆寺文化遺産の伝承方法、こういう大変示唆に富んだお話もお伺いしまして、大変感銘を受けたわけでございます。  そこで、こういう機会もめったにございませんので先生にあえてお伺いしたいと思うんですが、いずれ先生を含めまして、後代に日本文化を伝えなくちゃいけない、こういうふうに思うわけです。その際に、今の先生方の国際交流の御経験からしまして、現在、日本文化財の保護の仕方、それのもとをなす文化財保護法、こういうものを考えた場合に、将来、国際交流という観点ないしは国際的な文化財保護という観点で先生が考えられておられます問題点、どうしてもここは直さなくちゃいけないんじゃないか、そういう点で御所見がございましたらお伺いしたいと思うんです。  と申しますのは、実は、明治、大正、もう既に亡くなられました画壇の巨匠がおられますが、その先生方の作品をぜひ文化財の指定にしてもらいたいといういろんな要望がおありだそうでございます。ところが、文化財保護委員会によりますと、現代の作家の皆さん方がそれを指定するということになりますともうとにかく甲論乙駁で決まらないということで、もう五十年や百年決まらない、なかなか指定されない実情だというふうにも仄聞しているわけです。  そんなのも含めまして、先生のお作品も含めましてどういうふうにどう保存をすべきであるのかそれを伝えるべきなのかという点でぜひ先生の率直なお考えをこの際、なかなか聞く機会がございませんので、お願いしたいと思うわけです。
  28. 平山郁夫

    参考人平山郁夫君) 各国文化財保護法というのが制定されております。日本もおびただしい量が出ていったので、明治のあるとき文化財保護法が制定されて、重要文化財その他の指定を受けたものは海外へ持ち出せないという、そういうことで規制しております。  建造物やあるいは美術工芸品が指定を受けますと、今度は持った方が、企業や組織の場合だったらいいんですが、個人で持っている場合なかなか維持が大変なようです。売るのもなかなか大変ですし、国が買い上げてくれればよろしいですけれども、あるいは遺産相続等のときに現物で納めたり、いろいろございます。これが重要文化財に冠したら財産の相続のときなどに何らかの考慮を、政府の方へ、国有の方へ移管するというふうなことも一つの手であろうかと思います。公共団体や企業でしっかりした財団等があるところは問題ございませんけれども。  また、新しい文化財の指定ということに関しては死後何十年という規則がございます。ですから、一番近いときには菱田春草先生だとか速水御舟先生のものぐらいが指定されています。  これを国家が保護する、これはどの国でもやっておりますが、今度はそういう指定を受けたために海外で展覧会をやるようなときもなかなか政府が厳しいわけですね。そういう場合は、日本文化のためにある程度の幅を持たせてやる。例えばベルギーでユーロパリア日本文化祭があったときなどは国宝クラスのものがブラッセルへ行って、これは大変大きな成果を上げました。ロンドンで一昨年やったときも大変な反響がありました。ところが、フランスなどではこれからやろうというときになかなか厳しいようなことを伺っておりますが、そういう国を代表するような特別な文化政策のときはある規約を設けるということで緩和されたらいかがかと思うんですね。それできちっと行方不明にならないように管理、登録するということです。  それから、これもちょっと話が余談になりますが、昨日、実はアメリカ美術館の方やあるいはかつて国務省におられて新聞広報を担当された方とお会いしました。そして、先ほど青木先生もちょっと御発言になりましたが、アメリカに関する専門の美術館がないと。そういう意見を持ってまいりましたので、実はきょう参議院で参考人として意見を申し上げる機会を与えられたので、日本の国会の良識の府である参議院の特に文化を担当されている先生方アメリカの御意向をよく伝えておきますと。考えてみるとアメリカに関する美術、歴史専門のものがないではないかという、こういう意見を持ってきておりました。  私はよく中国へ行ったりアジア諸国を歩いていろいろな歴史のことを聞かれます。対韓国の問題とかそういう問題のときにある期間だけのことを言われます。これはアメリカの原爆展のときもそうですが、私はワシントンへ呼ばれて太平洋戦争云々と言われて、このことだけで来るとどちらかがもう徹底的に悪くなる。真珠湾攻撃もそうです。  ですから、こういうのを含めて、アジア太平洋でかつて日本が戦場としあるいは戦った国々が集まって、一度戦後五十年という総括で、日本側だけがやりますと言いわけになりますし、また相手国だけやると徹底的に日本を批判しますので、これは両者がもうドキュメントとして歴史の事実として、しっかりとした史料を集められた専門家が客観的に歴史をきわめるという、こういうものの研究所ないしは総合的なものがもしできれば、ここで総括して時間をかけて正しい歴史を残していく。こういうふうなことをおやりになればと。ある期間だけを取り上げて発言しますと必ず物議を醸して、がたがた国際的に広がる。  ですから、こういうことになったのはなぜかと。いう遠因や要因というものが含まれた上で、こうなりましたと、将来は決してこういう方向へは行きませんよというそういう道しるべにもなろうかと思いますので、一々応じられるものを個別に処理しているとどんどん拡大しできますので、ぜひそういう第二次大戦を総括した、あるいは文化史でも外交史でもあらゆるものを含めた歴史研究というものをおやりになったらいかがかということを、私ひとつ先生方に御提案申し上げたいと思います。
  29. 沢田一精

    会長沢田一精君) 大変ありがとうございました。  平山参考人青木参考人に対する質疑はこの程度といたします。  平山参考人青木参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変お忙しい中、長時間の御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げます。(拍手)  午後二時から調査会を再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時三十二分休憩      —————・—————    午後二時一分開会
  30. 沢田一精

    会長沢田一精君) ただいまから国際問題に関する調査会を再開いたします。  休憩前に引き続き、国際問題に関する調査を議題とし、「二十一世紀に向けた日本責務アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けて」につきまして、参考人方々の御意見をお伺いし、質疑を行います。  午後は、参考人として、東京大学教授猪口孝君、防衛研究所第一研究部長西原正君、ジャーナリスト前田哲男君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々にごあいさつを申し上げます。  参考人各位におかれましては、お忙しい日程にもかかわりませずまげて本調査会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。  本日は、「二十一世紀に向けた日本責務アジア太平洋地域の平和と繁栄に向けて」のテーマのもと、アジア太平洋地域における信頼醸成の構築につきまして忌憚のない御意見をお伺いし、今後の調査参考にいたしたいと存じております。どうもありがとうございます。  議事の進め方について申し上げます。  まず、猪口参考人、西原参考人、前田参考人の順序でそれぞれ約二十分程度御意見をお伺いいたします。その後、午後五時ごろまでをめどに質疑を行いたいと存じますので、何とぞ御協力をお願い申し上げます。  なお、意見の陳述、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。  それでは、まず猪口参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。猪口参考人
  31. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) 非常に大きな主題を与えられているわけですが、私は、平和と安全保障を考えるときにどういうふうな観点から見たらいいのかという比較的原則的といいますか抽象的な事柄に限って二十分を使わせていただきたいと思います。西原先生、前田先生の方はもう少し具体的に政策に直接関連するような観点からお話があると思いますので、そのようなお話にさせていただきたいと思います。  二百年前を振り返ってみますと、ことしはくしくもイマヌエル・カントの「永遠平和のために」の二百周年記念でありまして、その意味からも、カントがちょうど今のカリーニングラード、その当時のケーニヒスベルクで一体何を考えて、どのような構想を平和を達成するために考えていたかということについてちょっと振り返ってみて、それから二十一世紀におけるアジア太平洋の平和と繁栄を考えるときにどんなふうに見たらよいのかということに及んでいきたいと思います。  まず、一七九四年、ケーニヒスベルクでカントは「永遠平和のために」という小さな本を書いたんです。その当時、ドイツにもなっていないんですけれども、プロイセンの直面しておった国際環境というのは非常に厳しいものがあったわけですね。その当時のプロイセンというのは、非常に小さい、おまけにちょうどナポレオン戦争が始まっておりまして、西の方から大軍が押し寄せてくる直前でありまして、一八〇六年、十年以上後ですけれども、イエナの戦いでプロイセンは完全にナポレオン軍に大敗して、そのときヘーゲルは歴史は終わったとつぶやいたということで有名であります。  その一七九四年のカントはどういうことを考えたかというと、国と国とがいつも戦争をしておる、むしろ国際関係というと戦争である、国家というのはそのためにあると。負けたらちょっと損する、勝ったらちょっと得するというようなことをずっと繰り返しておる、何とかならないものかというふうに考えたのがカントの出発点であります。そして、それを克服といいますか超克するためには三つぐらいやったらいいんじゃないかというのが彼の「永遠平和のために」の骨子であります。  一つは、お互いに国家がこういうことはしないようにしましょうとかこういうことは一緒にやりましょうという国際協定とかいろんな制度、共同で運営する制度みたいなのをつくっていって静かに積み上げていけば、何とか戦争にすぐ訴えるような傾向は弱められるんじゃないかというのが一つ。これを制度主義というふうに言えるかと思います。  それから二番目には、やっぱりそうは言ってもなかなかそれだけで片づくものじゃないから、経済的な利益をできるだけ共有する部分を大きくしたらいいんじゃないかと。お互いの経済的利益が共通である部分が多ければ多いほどお互いに戦争に訴えて何か物事を解決するという傾向は弱まるんじゃないかというふうに考えた。まあそうみたいな気もするんですが、今の言葉で言えば相互依存主義と、経済的に相互依存主義、これを高めると余りささいなことで戦争をしないんじゃないかと。  十九世紀の主権国家では席次が間違うとすぐ戦争をしたんですね、国際会議なんかで、今でもまあ気にはしますけれども。なかなか頭のいい人がいまして、戸を八つぐらいつくって、八カ国代表が丸い八つの戸から全部同時に入って、どれが一番いい席かどれが一番悪い席かわからないようになっているというようないろんな工夫があるのも、もともとはそういう席次だけで戦争宣言をやるというのは結構あったわけですね、十九世紀は。  そういうことをなるべく抑えようという観点からカントは展開しているわけでありますが、この相互依存というのは、やっぱり経済的に何か同じものをつくっていけば、それが共同開発であれ貿易であれ直接投資であれ、何でもいいんですけれども、何かそういったものをつくることがいいんじゃないかという観点が相互依存主義であります。  三番目の観点は民主主義。これはちょっと奇異に響くかもしれませんけれども、やはり平和が達成されるためには、国内的に独裁制とかそういうことじゃどうもうまくいかないというのがカントの考えなわけです。どういうことかというと、その当時の言葉では共和制度、リパブリカンシステムというんですが、現在の言葉で言えば民主主義国家でございまして、民主主義社会。  民主主義になるとどういうことが必要になるかというと、国民、市民が国政に参加する、これが一つ。それから二番目は、統治者といいますか政府が失敗については必ず説明し、もし国民がだめだと言えば責任をとってやめる、責任をとると。こういう二つの、市民参加といいますか国民が参加する、それに対してはしっかりと政府の方でもやったことについては説明する、そしてどうしても国民がもうやめろと言うならやめる、こういう責任をとるということ。民主主義というのはそういうものですが、そういうところでは、民主主義国家同士ではそういうような仕組みがある限りお互いに戦争はしにくいというのがあるわけですね。  勝手に、席次が低かったんで不愉快だというんで外交交渉の席から本国に向けてすぐ戦争に、兵を動員して国境に集まれ、次の合図で全部進軍しろとか、そういう感じの戦争の訴え方というのは非常に少なくなるはずである。したがって、カントの考えでは民主化するということも一つの大きな手段である、平和を達成するための手段であるという考えをこの「永遠平和のために」というところに開陳しているわけであります。  これらの三つの考えは、それはもちろん全面的にそうやったからといって何も平和が来るというものでも何でもないんですが、その当時、十八世紀の終わりごろ、二百年前、なかなかの卓見であると私は考える次第であります。  それでは、彼がこれは何とか克服しなければならないと考えた考えは、単純、普通に言えば、今の言葉で言えば現実主義と言ってもいいと思うんです。現在でもこの現実主義の考えによれば、平和というものは戦争と外交を通して達成されるかもしれないものであるということになるわけでありまして、戦争というのはむしろ手段化されるような形の観点があるわけであります。もちろんこの現実主義は、現在の国際政治の中でどのぐらいまで実効性を持っておるのかということについてはいろいろな議論がありますけれども、この現実主義というものの中でも平和に関連して議論を進めるときには二つの全然別の議論があるということをまず申し上げたいと思います。  一つは、主要国がばらばら、ばらばらといいますか大体ドングリの背比べで五つとか六つとかあった、皆が横並びに並んでおった場合はむしろ平和が、勢力が均衡した場合に平和が訪れやすいという議論はあります。実際、アジア太平洋を見ますと、アメリカロシア中国日本、ASEANも一くくりすれば五つぐらいあって、何かそんな気もしないでもないんですが。  それから、もう一つの全く逆の議論もあるわけです、同じ現実主義でも。それは、一つの大国が圧倒的に強いとみんなははあとかしずくようになって平和が訪れる、こういう議論もあるわけです。実際問題として、十九世紀の大半、イギリスが非常に海軍力と経済力を擁して君臨したときは非常に平和が多かったことは確かであります。  大きなのはナポレオン戦争の後がクリミア戦争でありまして、その後はプロイセンの戦争はありますけれども、普仏戦争とかありますが、日露戦争、第一次大戦までぐうっといくわけでありまして、十九世紀の中では非常に少ないことは確かであります。二十世紀になりますとアメリカがかなり強くて、比較的第二次大戦以後は大きなのは起きてないらしいというふうな議論をする向きもあります。  こういうふうに見てみますと、大体今直面しているのは五つぐらい議論があるというふうに考えております。  もう一回申し上げますと、現実主義勢力均衡、現実主義勢力圧倒。一番でっかいのが物すごく強いとかえってむしろ平和。それがいいかどうかそういうふうな平和が好きかどうかは別として、平和が訪れやすいという現実主義勢力圧倒論。それから三番目には、カントの言う制度主義。今ここで問題になっている信頼醸成措置を構築するとかそういうのは、比較的制度主義の伝統にのっとったものであると見ることができると思います。それから四番目には、経済的な相互依存主義、こういったものの観点から平和を達成する。それから第五番目には、民主化を達成することによってむしろ内から平和を達成するという議論があるわけです。  それで、具体的に二十一世紀アジア太平洋でどうか、何がどういうふうな観点が必要かということについてあと十分近く触れたいと思います。  まず、現実主義勢力均衡。これは非常に現実主義といいますかシニカルといいますか、お互いの行動の動機とか行動原理については非常にシニカルといいますか、必ず自分の国家の利益を最大化するように、しかし余り大きな戦争はしないで、できるだけお互いの主要国の間では比較的スムーズにいくように余り極端なことをしないというのが暗黙の合意として成っているシステムなわけです。  これについて二十一世紀初頭ぐらいのアジア太平洋でどこまでそういったものが、その規範というものが共有されているかという意味では、ちょっとわかりにくい面がないわけではないですね、非常に大きな核兵器を持っている国もあれば、余り海外に派兵したくない国もあれば。何かどこまでノームといいますか規範が共有されて、お互いに大きな戦争をしないで利益の調整を図る。  戦争と外交といいましても、戦争といいましても本当戦争の直前までやるというのは結構あるわけでありまして、北朝鮮とアメリカの関係でも、アメリカはほんの九月の終わりにもまだ爆撃する可能性はあると言うくらい、戦争に近づくというのはよくある。戦争というのは外交という中の一つのブランチぐらいな感じてこの現実主義の勢力均衡というのは考えて間違いないと思います。  これについて、どこまで勢力均衡のような状態が二十一世紀の初頭にあらわれるかというと、非常にわからない。どうしてかというと、中国経済発展、経済成長率は非常に高い、そして人口も多い。そして実際問題として、中国はグループ・オブ・ワンとよく言われるんですが、グループ・オブ・セブンティーセブンとかグループ・オブ・セブンとかとよくあります。セブンティーセブンというのは非同盟国とかなんとかということですし、グループ・オブ・セブンというのは主要先進国でありますが、グループ・オブ・ワンというのは何か中国です。一つだけでもう大グループの力量と主張を持っている国です。こういう国が勢力均衡の現実主義的なフレームワークでうまくいくのかという疑問は出てくるのじゃないかなと思いますね。  それから、アメリカは非常に今でもアジア太平洋で主要国でありますけれども、これが勢力均衡的なフレームワークでやるかというのはこれまた疑問でありまして、これについてもやっぱり考えていかないと信頼醸成もくそもないというふうになる可能性はあります。  それから、現実主義勢力圧倒論。これはどの国が勢力圧倒になりそうかということで、大体三つのシナリオがあるわけです。  一つは、現在アメリカが圧倒しているわけです。何といったって軍事力は抜群でありますし、その他の力量も群を抜いているわけです。日本とか中国とかロシアとかASEANなんてもう全然問題じゃないぐらいの力量を持っているわけです。それがこれから二十年、五十年続くかという問題ですが、それがまた問題になるわけですね。アメリカ技術経済その他の力量というのはこのままかなり軍事力を支える形で進むかということについてまた疑問がある。  それから中国は、これは勢力圧倒で中国の天下みたいになったときにどうするか。みんながへへいとかしずくのか、これもまた問題なわけですね。それはどうしてかというと、中国の場合は、日本とかASEANとかアメリカとか、ロシアもそうかもしれませんが、グローバル・マーケット・アクセス、自由貿易それから地球すべての市場に対するアクセスが確保されないとうまくいかないシステムに生きているわけです。こういったときに中国主導の世界アジア太平洋でできたときは、信頼醸成も何もないという可能性は出てくる。  そして、三番目の可能性というのは、日本が圧倒的に強くなるという可能性もあるわけですが、これについても日本にそんな二十年ぐらいで圧倒的な力量になるだけの才覚と力量があるのかと若干疑問に思うわけでありますが、まああると言う人もあるわけでありまして、少し考えて、それはどういうふうにしたら信頼醸成ができるか。それは、やはり日本の場合は、何といいますか過去との直面といった問題も恐らく出てくる。来年、第二次大戦敗戦五十周年記念を迎えておりまして、日本は一体歴史とどのような折り合いをつけているのかということについて若干の疑問が諸国から出ていることにもありますように、そういった問題と取り組むことが信頼醸成を高めることにつながるでしょうと私は思います。  それから、制度主義ということになれば、これについては両先生の方からもう少し具体的に出ると思いますので余り詳しく申し上げませんが、制度主義というのも難しいわけでありまして、例えばヨーロッパの全欧安全保障協力会議というのは、よくアジア太平洋でもそういうものが欲しいかという議論はありますけれども、あのCSCEというような組織はメンバーが五十三あるんですが、そんないっぱいあるんですが、八カ国が今現在戦争しているんですよ。そんな大してうまくいっていないかとも思うんです。  それじゃ、アジア太平洋で今だれが戦争しているかというと、結構やっぱり戦争している。国内的に戦争しているのは、アフガニスタン、バングラデシュ、カンボジア、インドそれからインドネシア、ラオス、ミャンマー、パプアニューギニア、フィリピン、スリランカそれからタジキスタン、みんな戦争しているんです、中で。それから、インド、パキスタンは戦争状態、独立後ずっとやっているわけです。何か戦争で険悪なときに信頼醸成をつくるというのはなかなか難しい。何かもうちょっときっかけがあってうまくいけばいいというのはあるんですが。  例えば、南シナ海で中国とASEANの諸国は領土問題で紛争がありますけれども、これもなかなかきっかけをつくりにくい。中国は絶対領土主権を譲らないのでありまして、こういったときに信頼醸成というのがどういうふうなことから可能かというのは難しい。経済的なニンジンで振り向かせても中国は何とも動かない、主権については何とも譲歩しないというようなときがあるとき、こういった制度主義の観点からの信頼醸成というのは結構難しいものがある。ヨーロッパの場合でも、ユーゴスラビアでああいう戦争があっても別にCSCEは何らの効力も持たなければ何のパワーも持たなかったということはあります。  それから、四番目の相互依存。貿易したり直接投資したり、経済的に利益を共有する部分が多くなれば、大体人間はばかじゃないから戦争に訴えることはしないだろうという議論はありますけれども、諸民族の誇りとか自信とか何でもいいんですけれども、そういったものは経済的な利益をはるかに凌駕して圧倒的な力を持つことが非常に多いわけでありまして、これだけに頼って何か物事はすべていくというふうにも考えにくいところがこのアジア太平洋の非常に難しいところで、アジア太平洋というのはやはり二十世紀に非常に大変な思いをした地域ですから、戦争、植民地主義、その他もろもろのことがありまして、経済的な発展の見通しは非常にいいですけれども、それに伴う不安定化の要因も抱えておりまして、それに加えて民族主義が非常に強いというふうなことから、カントの言うような相互依存だけで信頼醸成を図ろうというのはちょっと危ういところが残ると思います。  それから、民主主義。国内的に民主化すれば余り戦争しない。確かに、例えばこの過去二十五年のアジア太平洋で、国内戦争は別として、国家間の戦争はどこにあったかといいますと、二十五年といいますと、まず一番大きなのはアメリカと北ベトナムの戦争であります。これは民主化の観点からいいますとレーニン主義的な意味でない民主主義国家と非民主主義国家戦争でありまして、アメリカはレーニン主義的な意味でない意味で民主主義的国家でありまして、北ベトナム、その当時はこれは非民主主義国家なんでありまして、この場合がまずでっかいのがありますが、その他三つは、全部レーニン主義的意味でない意味で民主国家でないといいますか、要するに非民主主義国の戦争であります。一九六九年ソ連と中国、それから一九七八年から八九年ぐらいまではベトナムとカンボジアが戦争及び占領、それから一九七九年は中国とベトナムが戦争しておりまして、これ以外はアジア太平洋にはないのであります。こういったときに民主主義国家同士の戦争はないのであります、なかったのであります。  こういった点から、民主化を進めていけばお互いに信頼し合って平和裏にいくんじゃないかと考えるかもしれませんが、これもまた問題がありまして、民主化というのはなかなか難しいものでありまして、軍部独裁であったのが、あるいは大統領独裁みたいな国が急に民主化し始めると、いろんな勢力が好きなこと言って国が乱れるということはないわけではないわけであります。  例えば、中国で急に民主化するということになったら、みんなが好きなこと言ってばらばらになって、国は分裂、難民は続々というようなことになってもまた困るわけでありまして、そういったことからまた平和というものが乱されるということであれば、カントの言うような民主化、共和制になれば、共和制同士の国は戦わないというようなことになるかもしらぬけれども、そこへ行くまでの過程というものが非常に不安定化するきっかけともなるかもしれないものを含むわけであります。  こういうふうに、一七九四年のカントの永遠平和を一つの材料として、五つの観点から二十一世紀初頭のアジアの平和と繁栄というものの条件、そのためにどういうふうな信頼醸成の仕組みが必要かということを考えますと、それぞれにメリットはあるけれども、どうも不安材料を与えるようなところもあるということを一般的に指摘して、私の発表を終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  32. 沢田一精

    会長沢田一精君) ありがとうございました。  次に、西原参考人にお願いをいたします。
  33. 西原正

    参考人(西原正君) 本日はお招きいただきましてありがとうございます。  私、現在、防衛研究所研究部長をしておりますけれども、本日はアジア太平洋の安全保障に関心を持っている一研究者としての立場で発表させていただきたいと思っております。  アジア太平洋地域の信頼醸成、これはどうやって構築していくのがいいだろうかということでございますが、信頼醸成という言葉がこのように最近多くの人々によって語られるようになりましたのは、現在のそうした特徴を反映していると私は思います。それは、冷戦が済んだということ、つまり大国間の対立が解消されてきていることがこうした信頼醸成を進めたいという意欲を持ち上げているんだろうと思います。つまり、信頼醸成というようなものが実際に動き出すためには、敵対関係が大国間にあったとしても、お互いに話すことができるんだという一種の信念がなければ進まないだろうと思います。  それからもう一つは、そうした信頼を進めていくためには、一定のしたがって政治的な緊張緩和がなければ進まないというふうに思います。一言でその信頼醸成を私はこのレジュメの方に書きましたが、要するに、潜在的な敵性国とか顕在的な敵性国の間でお互いが相手のことをもっと知るようになる、あるいは自分の国のことをもっと知らせるようにすることの意欲があるときに信頼醸成というのは進むんだというふうに思うわけです。この透明度のことを言うまでもなく英語でトランスペアレンシーといって、最近ではこれが関係者の間ではよく語られる言葉になっております。  諸国間の信頼醸成を築くやり方は、経済交流、文化交流あるいは政治面の交流、軍事交流、さまざまな交流があって当然でありますし、各国はこのようにしてこれまでやってきたわけですが、本日、私の関心では、軍事交流をどういうふうに進めていくのがよいだろうかという点にあると思いますので、その点に絞って話ができるようにしたいと思います。  もう一点、信頼醸成という場合には、多くの場合多国間の話がなされておりますけれども、私は、二国間であっても十分にこれは重要なことでありますし、むしろ二国間の信頼醸成が進む中で多国間が進むというふうに思います。もちろん逆の場合もありまして、多国間接触がなされているうちに二国間接触がさらに進むということも当然にあると思います。  例えば、現在、アメリカとベトナムの関係は長い間よくありませんでしたけれども、多国間接触の中ではこれがさらに進む可能性があるでしょうし、ということですから、二国間接触と多国間接触はむしろ並行的に進めていくのがよいだろうというふうに思います。  第二点として、その信頼醸成を進めるに当たりましては、我々アジア太平洋にいる者は多分にヨーロッパの教訓、経験をもとにして語る傾向にあります。  ヨーロッパの傾向といいますのは、冷戦時代の後半に進みましたCSCE、全欧安保協力会議の試みと、その中でなされました信頼醸成という概念、これの経験を受けておりまして、つまり全欧安保協力会議は、ヨーロッパにおきます西側、東側及び中立、すべての国、三十五カ国が一堂に会しまして、安全の向上について討議をするというやり方をいたしました。したがって、このことからアジア太平洋においても同じような形で全員参加できるメカニズムをつくるのが適切だという考えが出てまいりました。そして、その中で、ヨーロッパがやったような信頼醸成措置をつくっていくのがよいという経験がございます。  この二つの点につきまして、私は、アジア太平洋におきましてはヨーロッパ経験がそのまま生きるというふうに考えるのは間違いではないだろうかというふうに考えます。  なぜかと申しますと、全欧安保協力会議は一九七三年に、つまり冷戦の後期、デタントのころでありましたけれども、進みました。そして、いわゆるヘルシンキ文書というのもできたわけですけれども、この会議は一つだけ目的を持っておりました。それは東西の緊張緩和ということが目的でありまして、それを進めるためにはどうしたらよいだろうかということで進んだわけでありました。  つまり、目的が一つである場合にはこうした全欧安保の話し合いの意味が出てきたわけですが、アジア太平洋におきましては緊張の種は一つだけではなくて、ベトナムと中国であるとか、朝鮮半島であるとか、あるいはビルマにおける問題であるといったように非常に多様性に富んでおります。したがって、多様性に富んでいる際に、全員が集まった場合にどういった議論ができるのだろうかどういった信頼醸成措置が考えられるのだろうかということになりますと、ヨーロッパとは違った考え方あるいは趣向を進めていかなくてはいけないのじゃないだろうかというふうに思うわけでございます。  そこで、お配りいただきましたものとして、資料のページにはヨーロッパを中心にして考えられてきました信頼醸成措置の具体例をリストにしてまいりました。これは私は、ここで時間の都合もありますからお読みいたしませんけれども、人的交流あるいは軍事演習、それから軍事情報の透明性、あるいは敵対兵力の引き離し、あるいは緊急時の協議手続、あるいは軍備管理といったような多くの分野にわたって信頼醸成を進める措置を講じてきました。大変ヨーロッパ人はそういう面でクリエーティブな人たちでありまして、東西が緊張している中でもどのようにしてその緊張緩和を進めればよいかということに多くの努力をしてきた人たちでありますから、その点では我々は学ぶ点があると思います。どのようにしてアジアにおいてはこれを進めていくことができるだろうかということを議論していくことが必要だろうと思います。  しかし、ヨーロッパ経験でもう一つ考えるべき点は、ヨーロッパでCSCEが比較的冷戦のときには成功したというのは、先ほども申しましたように、一つ緊張緩和という目的があったというばかりではなくて、ある程度政治的な緊張緩和が進んだところでこうした軍事的な信頼醸成措置をやったときにそれが成功したという点がありました。つまり、政治的な対立がまだ厳しいところでは軍事的な信頼醸成措置を始めようと思ってもなかなか難しいという点がございます。その点では、アジアにおきましてもまず政治的な対立が比較的緩和しているということが信頼醸成措置を進めていく一つの前提になるというふうに思います。  それでもう一つの点は、アジアにおきましては、先ほども申しましたように非常に多様性に富んでおりますので、多国間努力ばかりでなくて、むしろ二国間努力で始めていくことがより生産的ではないだろうかというふうに思います。  既に、二国間の努力としてアジア太平洋地域には幾つかの試みがなされております。もちろん、これは旧敵国同士あるいは潜在的な対立国同士の間の緊張緩和ですので、そうした例を出しておりますが、まだまだヨーロッパに比べてはアジアにおけるそうした二国間の努力も非常に少のうございます。にもかかわらず、アメリカロシアアジア太平洋におきまして軍事演習を試みるとか、相互艦艇訪問をやるとかといったような試み、あるいは米中間の安保協力協議などが既になされてきております。  そうした中で、ここ数年の間、急速に多国間の努力が必要であるという試みがなされまして、この七月、ASEAN地域フォーラムというのが発足いたしました。七月、バンコクでアジア太平洋十七カ国及びヨーロッパ連合EUが加わりまして、これを入れますと十八カ国になりますが、この代表、外相レベルの代表が集まって初めてアジア太平洋の安全について協議をするという試みが始まりました。  もちろん、このASEAN地域フォーラムのできる前には、同じ小さな規模ですけれども地域的な試みはなされてまいりました。例えば一九六七年にASEANができたときも、これも一つの信頼醸成を進める多国間の努力でありました。六五年、六六年のころはマレーシアとインドネシアが相互に極度に対立しておりましたし、マレーシアとシンガポール、マレーシアとフィリピンも極度に対立しておりました。領土問題も抱えておりましたが、そうした対立国が一緒になってASEANをつくり、つくったことによってお互いの緊張をなくしていくことに役に立ちました。その後、六七年以後、ASEAN加盟国の間での武力紛争は起きておりません。そうした同じような試みは現在南シナ海においてもなされておりますし、カンボジア問題が解決したのもそうした例であろうと思います。  また、ASEAN地域フォーラムという公的なフォーラム以外に、現在それと並行して民間レベルの多国間の努力も始まりました。  ここにございますように、アジア太平洋安全保障協力会議というのが昨年の暮れにスタートしました。これはCSCAP、普通シースキャップと呼んでおりますが、日本もそのメンバーになっております。半官半民の形で自由にここで協議をし、そうした提案をASEAN地域フォーラムにも出していこうといったような試みでございます。英語でトラック・ツー・ディプロマシーという言葉を使っております。これは政府レベルの外交をトラック・ワン、それから民間レベルをトラック・ツーと言って二つ並行させた形での外交を進めることによって、この地域の信頼醸成が進むであろうという想定で行われているものでございます。  そこで、ASEAN地域フォーラムが当分のところヨーロッパのCSCEに一番近い形のものでありますし、また、スタートしたばかりであるということもあって、現在多くの注目がこれに払われております。毎年一回、恐らく七月にASEANのどこかでこのフォーラムは開かれることになります。来年はブルネイで行われます。  さて、この地域フォーラムが果たしてこの地域の信頼醸成にどれくらい役立つだろうかという点は、まだスタートしたてですので判断はしにくいわけですけれども、幾つか問題点を出してみたいと思います。確かに中国ロシア、ベトナムといったような旧敵国といいましょうか潜在的な敵性国が参加するということになった点では画期的なものでございます。しかし今後四つぐらいの点で問題点がございます。  一つは加盟国の問題です。この地域におきましては、台湾それから北朝鮮がまだ入っておりません。北朝鮮はこれに入りたいという関心を既に示しておりますが、現在のところまだ加盟しておりませんし、台湾は恐らく中国の反対で加盟は当分の間できないであろうと思われます。このことを考えますと、アジア太平洋の安全保障協力、特にシーレーン、海上における問題その他の話をする際に台湾が抜けるということは、このアジア太平洋にとっては大きな欠陥の一つでございます。中国、台湾の関係が一つの政治問題として残ります。  もう一つは議題でございます。これは後ほどの資料2のところでごらんいただければわかりますように、盛りだくさんの問題を出してスタートをいたしましたけれども、ことしの七月のフォーラムの会合で、中国の外務大臣は次のような発言をしております。二国間の問題はこのフォーラムで扱うべきではないということ、及び国内問題は扱うべきではないという発言をしております。二週間前、私は中国である会議に出席しましたけれども、その会合におきましても、参加いたしました中国の高官が同じような発言をいたしておりました。  このことは、国内問題は扱わないということになりますと、台湾問題は中国からいえば国内問題であり、香港問題もそうであり、もう一つ、南シナ海も中国の主権のもとにあるという解釈を中国がする限り国際問題として扱いにくくなってまいります。  このように、中国はASEAN地域フォーラムの議題について拒否権を持つ。ほかの国も持つわけですけれども、アジア太平洋の多くの潜在的な紛争問題の片一方中国が関係しているということになりますと、中国がこのフォーラムの議題に対して拒否権を行使するという形になってしまいます。その点で、このフォーラムの将来が非常に難しい問題を抱えていることになります。  もう一つは、名前がASEAN地域フォーラムであるということのために、しかもこの生い立ちからいきましてASEANが主導権をとっているがために、当分の間会議はASEANのどこかで開かれるということになりそうです。そうしますと、どうしてもASEAN周辺の問題をこのフォーラムが扱うことになり、せっかくロシアアメリカ中国日本、韓国が参加しておりながら北東アジアの問題が扱いにくくなってくるという問題がございます。これも今後変えていかなくちゃいけない点だろうと思います。  最後に、問題点といたしまして、こうした多国間主義の基本的な脆弱さというのが私はあると思います。つまり、こうした多国間の対話が進むためには主要国間が協調関係にある、対立関係にないということが前提でありまして、これが将来どこかの国が、大国の一つがこれに参加を拒否するということになりますと多国間主義が進まなくなるということになります。  そういう面で、多国間主義が機能するということは大国間の協調が維持されているということであり、別の言い方をするならば、勢力均衡が支配的な時代には多国間主義というのは機能しない、むしろ大国間の対立が弱く、勢力均衡という概念が余り意味を持たない時期において多国間主義がなされる。そして、今後、アジア太平洋地域あるいは世界がより楽観的に見て、いい関係にいくのか、あるいは厳しい大国間の新しい対立に向くかによって、このアジア太平洋の信頼醸成の動きの将来も、それによって占うことができるんではないだろうかということになります。  ということになりますと、こうしたASEAN地域フォーラムが日米同盟の代替となり得るだろうかという問題が出てまいります。つまり、地域フォーラムが進み、信頼醸成が進めばお互いの国が安心になるのだから日米安保も要らないのではないかという議論も理論的には出てまいります。  私は、先ほど申しましたように、多国間主義というのは基本的なもろさを持っているということを認識して、日米同盟は引き続き存続させ堅持させていくことが日本の安全には重要であるというふうに考えております。  日本も多くの形で現在信頼醸成のための努力を始めました。二国間の努力として、日ロ関係の軍事交流あるいは日ロ間での海工事故防止協定というのもなされました。あるいは、日本中国の間でも安保対話がなされました。こうした二国間の努力以外に多国間の努力もなされてきております。ここでは時間の関係で申し上げませんが、少し例をそこに掲げました。  結論として、私は、地域の信頼醸成構築に対して日本はより積極的な努力をしていくべきである、そして、そうした地域の安保対話の枠組みの中にアメリカを引きとどめておくことが日本にとっては重要でありますし、また中国に建設的な役割を果たすよう促していくことも日本の役割であろうと思います。また、ASEANの結束が乱れることはアジア太平洋の安定にもマイナスになります。そういう面でASEANの結束を促していくということも必要であろうと思います。そうした三つの努力、アメリカを引きとどめる、それから中国の建設的な役割を促す、ASEANの結束を支援していく。  こうしたことのためには、こうしたASEANリージョナルフォーラムがうまく機能していくことが前提になりますし、機能していくことがそうした役割を果たしやすい状態にもなります。また、そうしたASEANリージョナルフォーラムを通して日本は軍国主義の道を歩むのではないということの説得を諸国にしていくいい機会にもなるだろうと思います。と同時に、ASEANリージョナルフォーラムは基本的な弱さを持っているという点の認識を十分にして、日米関係を堅持していくことが重要であるというふうに思っております。  どうもありがとうございました。
  34. 沢田一精

    会長沢田一精君) どうもありがとうございました。  それでは、最後に前田参考人にお願いいたします。
  35. 前田哲男

    参考人(前田哲男君) 前田哲男でございます。  前お二方と違って、私は専門領域や学問的な業績があるわけではございません。しかし、日本及びアジア太平洋の安全保障に関して関心を持っているジャーナリストとしてしばらく意見を述べさせていただきます。  アジア太平洋の信頼醸成という場合忘れてはならないのは、ここをつないでいる地理的環境が海によってもたらされていることであろうというふうに思います。つまり、海が安全保障の基盤であるとも言えます。自由な海、平和で安全な海を確保することが、とりもなおさずこの地域における平和で安全なあるいは繁栄の条件というふうになる。そのことを忘れてはならないと思います。ともすればヨーロッパ型安全保障ないし信頼醸成を直輸入しようとする人たちに見落とされているのはこの点であろうと思います。  私たちの地理的なイメージはアジアは大陸という観念が少し強いわけですが、しかし安全保障のベースとして見た場合、海洋ないし多島海のイメージによって描いた方が自然であろうというふうに思います。二次大戦後始まった東西冷戦がどのようにこの地域で推移したかを見ても、アメリカにおける海洋力、ソ連、中国の大陸力が半島という半海洋半大陸の場所によって激突したそのさまからもこのことは裏づけられるのではないか。中東におけるアラビア半島、シナイ半島しかり、東南アジアにおけるインドシナ半島、東北アジアにおける朝鮮半島しかりでありました。  そして、今この地域における二十一世紀構想経済構想がことごとく海洋経済圏であり、臨海経済圏として語られていることにもアジア太平洋における安全保障基盤としての海洋の重要性を見ることができるだろうと思います。  もう一つ、安全保障基盤としての海洋の特性の重要な要因として見落としてならないのが、海洋新秩序と呼ばれる新しい海洋秩序が一九八〇年代以降始まった。このことが海洋経済圏としてのアジア太平洋に豊かな未来を約束すると同時に、また反面、混乱、不安定要因、紛争の種をもたらしているという認識であろうと思います。  国連海洋法会議が採択した海洋法条約によって幾つかの従来と違う海洋秩序がもたらされました。領海の幅員が十二海里に拡大され、その外側に排他的経済水域二百海里が設定されるようになりました。そこに国家の主権が行使できるということにもなりました。つまり、国家の管轄権が自由な海を覆い始めたという状況が一九八〇年代以降進行し始めた。  さらに、深海底資源は人類共有の資産であるという原則が持ち込まれましたし、あるいは群島国家原則と呼ばれる、海洋の中の島は一番外側の線をもって国家の領域を決定することができるということも認められるようになりました。  こうした国家の管轄権の海洋への進出の結果、アジア太平洋の多島海国家、インドネシア、フィリピン、フィジー、そして先月独立したパラオ共和国のような国々は、群島国家原則を憲法の中あるいは国家の政策の中で明らかにして海洋を拡大しようとしている。こういったことがアジア太平洋における紛争の一つの潜在的な要因になっているということを認識しておく必要があるであろうと思います。  つまり、アジア太平洋の信頼醸成を考える場合に前提として置いておかなければならないことは、海の重要性、そしてそこに一九八〇年代以降及ぶようになった新秩序、この二つをベースにすることが必要であると思います。  そのことを念頭に置きますと、私は、前お二方が言われたのと同じように、軍事力による問題解決能力が次第に狭められてきた、その結果、信頼醸成をする必要性もまた可能性も大きくなってきたというふうに考えます。  冷戦時代、フランスの戦略家レーモン・アロンはこういうふうにその時代を表現しました。戦争は起こりそうになく平和は不可能である。今その言葉をもじりますと、冷戦後の情勢は、対立は不可避であるが戦争は不可能である、というふうに言えるのではないでしょうか。  ASEANの中においても、二国間戦争は起こっていないという状況、また、ASEANがSEATOと呼ばれる軍事集団自衛条約の中にいたときと、今ASEANとして経済的な相互依存を進めていく中でもたらされた民主的な蓄積あるいは経済的な繁栄を見れば、ますます軍事的な解決能力は小さくなっているというふうに言わざるを得ません。  しかし一方、前に触れましたように海洋新秩序が進行していくにつれて、従来と違った観点から、取るに足らないちっぽけな岩礁の帰属をめぐる争いが、にわかに国家間の重大な問題として浮上してくるというようなことが起こってまいりました。そこに基線を、そこから領海の幅員をはかるか否かによって極めて大きな潜在的な海底資源、海洋資源を自国の管轄下に囲い込むことができる。一種、二百海里時代の海の錬金術とも言えるような情勢がこの地域に新たな紛争の種を巻き起こしてきた。こういったことを信頼情勢を進めていく上での基礎的な要因に数えておく必要があると思います。  また、アジア各国はともすれば最近軍拡というイメージでよく描かれがちですが、確かにそのような側面がないとは言えない。しかし、これが果たして軍拡であるのか装備の近代化にすぎないのかということは、もう少し厳密な検証が必要であるだろうと思います。  アジア、特にASEANの軍事力は独立後から一九八〇年代中期ごろまでの間、主として体内に抱えた反体制勢力、国内ゲリラを鎮圧するため陸軍中心、内向きの軍備、装備でありました。それが海洋新秩序の導入も一つの要因となって、外側に向けた海空軍力に移行しつつあるという顕著な事実があるのは確かです。  しかし、中を子細に分析してみますと、確かに軍事費の増加は認められるものの、軍事力、例えば艦艇の数がふえたか主要戦闘艦艇がふえたか作戦戦闘機の数がふえたかというところで分析してみますと、横ばいないしまだ旧に復していないという側面がたくさんあります。したがって、アジアを軍拡のイメージで把握するというのは正確ではありませんし、好ましくもないというふうに考えます。  そういうふうにアジア太平洋においても、非欧州型であるとはいえ、信頼醸成システムの確立が望まれているということを前提にした上で幾つかのモデルを考えて考えてみますと、まず日本ロシアの間の信頼醸成システムが挙げられるだろうと思います。ここは二国間のモデルとして設定されるのではないか。ヨーロッパで既に進行しております信頼醸成システムをアジアで取り入れることができるとすれば日本ロシアの間であろうと思います。  ヨーロッパでは御承知のとおりCSCE、CFE、欧州通常戦力条約、そしてオープンスカイズ、三つの信頼醸成システムが動いております。オープンスカイズは調印されましたが、まだ批准を経ておりませんので、その意味ては完全に動いているとは言いがたいのですが、CSCEとCFEに関しては既に実施中であります。  CSCEに関して言いますと、そのキャッチフレーズがウラジオストクからバンクーバーまでというふうに言われるほど非常に大きなエリアをカバーしている。ウラジオストクから北海道を経てバンクーバーまでというような導入の仕方もあり得るのではないか。  ここでは軍事演習の事前通告、今一万七千人以上の陸軍の演習及び五千人以上の上陸を伴うあるいは空挺部隊の動員を伴う演習に関しては事前に通告しなければならない、同時にオブザーバーを必ず交換しなければならないという原則がヨーロッパでは行われています。さらに、要請があった場合の査察の受け入れ、飛行場の訪問、提供された軍事情報が事実であるかどうかを評価するための調査といったようなさまざまな信頼醸成措置がCSCEの中では現に実施されていて、ロシア全土からアメリカ、カナダ、北米大陸を覆っているわけであります。これに日本が参加するということは可能であり、また必要なことでもあろうというふうに考えます。  同時に、それだけではなしに、アジア太平洋型の信頼醸成をつくっていく方策として、東南アジアとの間で例えばシーレーンを安定的にがつ安全に保全するための海上保安協力のようなものが考えられていいのではないか。軍隊による、つまり自衛隊が参加する信頼醸成措置ではなしに、海上保安庁、巡視船がASEAN各国の海上警察と共同して行うシーレーンパトロール、哨戒を通じて、結果としてシーレーン防衛と似たシーレーンの保全、シーレーンにおけるプレゼンス、共同意思を発揮する、そのような努力が行われると信頼醸成にとって非常にいい結果を生むのでないか。たくさん分野があるだろうと思います。遠洋救難があります、海洋汚染の防止があります、また麻薬の密輸がありますし、ボートピープルの救助がありますし、さまざまな海上における治安確保がこの努力を通じて実現されるだろうと思います。  国連の中で既にSAR条約、サーチ・アンド・レスキューと呼ばれる条約が発効しておりまして、日本は東アジア海域における主たる責任国になっております。アメリカとの間にはSAR条約に基づく遠洋での共同行動が既に動いております。ロシアとの間でも今動こうとしています。このSAR条約の精神を踏まえ、さらにより積極的な信頼醸成措置を取り入れつつ、東南アジアとの間にシーレーン保全のための海上保安協力のようなものが実現していきますと、従来の軍事的プレゼンスにかわる非軍事的な各国の共同意思がここに実現するということになるであろうと思います。  先般の防衛問題懇談会の答申を見ておりましても、P3Cの削減というようなことが打ち出されております。あるいは、作戦用戦闘機の削減といったようなことも打ち出されております。冷戦終結後の自衛隊の再編の中で余剰になってくる、例えばP3C対潜哨戒機のようなものをこういったところに移管することによって、非軍事的な分野で共国運用、共同行動の道具にしていけば有効な活用法になるであろう、そういうふうに考えます。  いま一つは、太平洋における信頼醸成措置をどのように確立していくかということであろうと思います。ヨーロッパのような単一の陸の信頼醸成措置の基盤をつくることは、アジア太平洋はもともと無理であろうと思います。そこでは常にアジアとはどこなのかということが問われざるを得ません。トルコ以東をアジアであるというふうに言えば地理的には一番厳密なんでしょうが、しかしそこを信頼醸成の基盤とすることが困難であるのは一目瞭然であります。  そこで、幾つかのブロックに分けてさまざまな二国間、多国間のシステムを重ね合わせながら、結果としてアジア太平洋という安全保障の基盤をつくっていくわけなんですが、そこで無視してならない場所がオセアニアだろうと思います。現在、オセアニアには十四カ国の独立国があります。ニュージーランド、オーストラリアを除く十二カ国はネイティブパシフィックと呼ばれる先住民太平洋であります。マイクロステートというふうに呼ばれたりもしますが、フィジーの百万人、あるいはパプアニューギニアのほとんど大陸に等しいような巨大さを除けば、ほとんどが人口十万人以下、先月独立したパラオ共和国のように人口一万五千人といった小さな国々、島々であります。  にもかかわらず、申しましたように群島国家原則を適用しますと、大変大きな海洋をみずからの主権の中に囲い込むことができる。こういった国々が太平洋上に連なりますと、日本からオーストラリアに純粋な意味で自由な海を通って、航海自由の原則を一〇〇%享受しながら通行することはもはや不可能になったというふうに言わなければならない。もちろん、無害航行のための権利はありますから、航行の自由が脅かされるという意味ではありませんが、しかし何らかの意味で主権のもとに置かれた海がオーストラリアと日本の間に巨石のように立ちはだかっている現実は無視してはならない。そこに既に十二の先住民太平洋の国ができてきた。そことの協調関係、信頼醸成をどのようにつくっていくかということを、もっとはっきり日本の政策として直視する必要があるだろうと思います。  猪口参考人が言われましたように、過去との直面も忘れてはならない大きな要因になります。  パプアニューギニア、ソロモン、パラオ、マーシャル、ミクロネシア連邦、これらの太平洋の独立国家太平洋戦争の戦場でありました。そして、サンフランシスコ条約が締結されたときに独立国でなかったために、これらとの間には戦争を終わらせるための、決着させるための手続が欠けております。これらの国々の間には、独立を機に、あるいは戦後五十年を機に、日本に対してなされなかった戦時賠償を要求する動きもないわけではありません。こういった国々とのどのような信頼醸成が必要であるか。これは東西冷戦が終わったとか終わらないということとは別の領域における日本の過去との直面として必要なことであろうと思います。  何よりも、これらの国々は、海洋の中に点在する小さな小さな国であります。そして、独立したばかりであります。海洋主権の尊重がこれらの国と日本とのまず結びつきの第一になるであろうと思います。  公海深海底に日本が放射性廃棄物の投棄を試みようとして、一番反対したのがこの国々、島々でありました。あるいは、流し網漁法によって甚大な被害を受けているというふうに非難しているのもこれらの国々、島々であります。海洋主権を保護する、あるいは海洋環境を保護することの保障から始めていく信頼醸成もまた太平洋諸国との間には必要である、このように考えています。  以上、幾つか具体的に提案をいたしました。ほんのかいつまんだ形でしか申し上げられませんでしたので、後ほど御質問を受けて補足してみたいと思います。  ありがとうございました。
  36. 沢田一精

    会長沢田一精君) どうもありがとうございました。  以上で猪口参考人、西原参考人、前田参考人からの御意見の聴取は終わりました。  これより質疑を行います。  本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、委員には懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきます。質疑を希望されます方は挙手を願い、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。  なお、質疑及び答弁とも御発言は御着席のままで結構でございます。  それでは、質疑のあります方は私から指名させていただきますので、挙手をお願いいたします。
  37. 中西珠子

    ○中西珠子君 きょうは、三先生におかれましては、お忙しい中をお出かけくださいまして、大変貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。  私は、今、前田先生のおっしゃいました太平洋の島嶼国家に対する日本の信頼醸成の努力というものをやっぱり大いにやっていかなくちゃいけないと考えておりますが、私がちょっと最近いろいろの国際会議なんかに出まして大変困った問題というのは、台湾と中国の問題なんでございます。  台湾につきましては、非常に最近の経済発展を遂げた結果、経済力を持っている。そして、いろんなアジアの諸国に、周辺国に投資を行っているという事実がございます。それからまた、戦略的な地理的な位置というものも占めている、こういうこともございます。それから、とにかく最近国際会議、国連の会議は仕方がないとしても、民間の学術関係の会議とか、いろんなNGO関係の会議とかいろいろ出てくる傾向がございまして、そしてむげに断れないという状況があるわけです。  そういたしますと、中国の方は、自分のところの領土で主権を自分たちが持っているのだから台湾と同席するのは困ると、こういうふうに言いますし、台湾の方は、殊に台湾の野党の方ですね、DPP、これはもうはっきりと台湾は独立して国連の加盟国になるということを宣言をいたしておりますし、また国際会議の場に来てそれをアピールするわけでございます。  そういたしますと、本当中国は台湾とは同席しないということを言っていたのが、最近は少しはやわら。かくなって同席はするけれども、台湾チャイナというふうな名前ではっきりと台湾が自分の領土であるということを示した呼び方をしてくれなきゃ困るというふうなことを言いましたり、参加者は全部アルファベット順にしてくれなくちゃ困るとかそして国名とか地域名を全然出さないようにしてくれとか、いろんなことを言うわけでございます。  実際問題として日本は台湾を植民地化していたという過去の歴史もございますし、そしてまた、台湾と日本との間の経済関係も緊密だという歴史的な事実もございますし、そしてまた、それこそシーレーンなども含む戦略的な重要な地位を台湾が占めているということもございます。これはARFですかASEAN地域フォーラム、それには中国が頑張っていて入れないというふうなことでございますけれども、もっと台湾としては違う形の国際会議にあらゆる機会をとらえて出てきて、独立して国連に加盟するということを表明するわけです。  つい最近の広島でありましたスポーツ大会なんかも何とかうまくおさまったということなんでしょうけれども、これから日本の態度をいかに決めるべきかというふうな面で、台湾と中国の間の敵対関係というものが日本に及ぼす影響というのはこれから非常に強くなるのではないか。日本の態度も非常にどちらについていいかわからない。国連加盟国であるし中国の方がずっと大国であるし、中国との過去の歴史もあるし、現在の関係もあるから、何しろ一方的に中国だけに加担していればいいということも言えないのではないか非常に微妙な問題であると思うんです。  私は、日本人としてこの台湾と中国の問題をどのように考えて、どのような態度をとっていけば、政策をとっていけばいいかということをそれぞれの先生方からお伺いしたいと思うんでございますけれども、具体的にはお触れになりませんでしたので、ちょっとこの場で少しいろいろお教えいただきたいと思うわけでございます。よろしくお願いいたします。
  38. 沢田一精

    会長沢田一精君) 三人の先生にお尋ねのようでございますが、先生方、簡単にひとつお答えをいただきたいと思います。前田参考人、いかがでございますか。
  39. 前田哲男

    参考人(前田哲男君) 私には少し荷が重過ぎる質問だと思います。猪口先生にお答えいただくのが一番ふさわしいと思うんですが。  日本中国の間には御承知のとおり日中共同声明というものがございまして、それが我が国中国との間の基本的な国家間の原則であろうと思います。台湾との間にはそういう関係がないということは大きな違いであろうと思います。その意味で、二つの中国を認めるがごとき行動をとることは、日中共同声明の精神及び原則に反することでありまして、それは避けるべきであろうというのが私の大まかな考え方でございます。
  40. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) 私は、中国と台湾の問題はそれらの人の国内問題であるから、これからの展開を注意深く見るのがいいのではないかなと思っております。  中国アメリカと並んで日本の安全保障にとって非常に重要な国ですから、これに百八十度反対のことをやろうというのはちょっとリスクが大き過ぎるというふうに考えております。したがって、台湾の中及び台湾と中国とのこれからの関係の展開に非常に重要な面を見つつも、当面は台湾との関係の正式化といいますか、公式化ということについてはそう焦る必要はないかなとも考えております。  台湾ではこれから二〇〇〇年までの間に議会選挙、国会の選挙が二回、大統領選挙が二回あります。これは、六年ぐらいで物すごい国民の動員が、野党民進党の方でも行われる、国民党からも行われる。民進党の場合は、一九八九年から一九九四年、過去五年間の間に、ギャラップというアメリカ系の世論調査会社がありますが、このあれで、一九八九年に一二、三%だったのが現在二七%に、一五%ぐらいの成長をしている。これからまたそういう大きな国政レベルの選挙が四つあるわけですから、もうばんばんかなり高まることは明らかです。そのときに民進党がどういうふうなプラットホームに出てくるかそして中国がどういうふうな形で出てくるかというところに非常に多くかかっていると思うんです。  これは見ているほかないというのが正直なところで、そして中国が軍事行使というようなことに訴えようとして、それを阻止できるのはアメリカ政府しかないわけですから、これについて日本は火中のクリを拾うようなことになってもしょうがないかなという気はします。  そして、民進党の進出の展望については非常にあると思います。どこの国でもある程度ありますが、一票幾らというようなことが普通なわけですがなんと言っては悪いんですが、選挙のときに国民党の一票というのが最近物すごく高騰しているわけです。民進党のは一票幾らといっても余り高くならぬのですが、国民党の一票が物すごく高くなって、要するに、民進党のシンパみたいな人はよほど高い金を出さなければ投票したくないという人が激しくふえているらしいのです。これは余りはっきりしないんですが、ギャラップの方は非常にはっきりした数字でかなり信頼のおける世論調査ですからわかります。これからの展開は本当に予断を許さないと思います。  以上です。
  41. 西原正

    参考人(西原正君) 私は、中国は台湾問題を国内問題だと言っておりますが、そういう時期はもう既に古くなってきている、台湾問題は国際問題になっている、そういう認識がまず重要だと思います。  今、台湾におけるアメリカの投資、日本の投資、諸外国の投資及び台湾自身が持つ外国における投資を見ましても、台湾は中国とは関係なく独自の行動をやっている政治体、それについての認識は中国自身持っていながら認めようとしていないというところに問題があるわけですから、私たちは、まず第一点は、積極的に中国に対して台湾は国際問題なんですということをもっと強く言うべきだと思います。  それから二番目には、日本は、最近のように、広島のアジア大会で、まず台湾から総統を招こうと言いながら、後で中国の圧力でもってやめてしまう、そして副総理クラスに変えてしまうというような一貫性のない外交はやらないようにすべきである。そのために十分な宿題が必要なんでしょうけれども、もし一たんこの人を呼ぶということを決めるならば、日本はそれをきちっと貫徹すべきであろう、でなければ中国からは尊敬されない。中国から尊敬されない外交というのでは、私は、アジアでは立派な外交は日本はできないと思います。  それから三番目には、国際問題であるということから考えますと、日本独自の外交というのはやはり新味がなくて、むしろこの際はアメリカ日本がもっと共同するとか、アメリカヨーロッパ諸国が共同歩調をとって台湾の国際的な地位を尊重するという動きをとっていくことが重要なんじゃないかなというふうに思います。
  42. 中西珠子

    ○中西珠子君 どうもありがとうございました。
  43. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 共産党の上田でございます。  まず、三先生のなかなか示唆の多い御意見に心から感謝したいと思うんです。  猪口先生と前田先生に、お触れにならなかったんですが、いただいた資料の中では触れておられるので、日米軍事同盟の問題についてまずお伺いしたいんです。  猪口先生は、いただいた筑摩書房の「世界変動の見方」の中で日米軍事同盟について触れられていて、将来の見通しの中で、「そのような日米のまずい対応が続くようであれば、一〇−二〇年のうちには日米安保条約は事実上空洞化し、消滅に等しくなるのではないか。」といただいた資料の十ページで書かれています。  それから、前田先生は、いただいた資料の二十七ページ、二十八ページに、筑摩書房の「アジアが危ない!」の序章が「安保条約は永遠か」という題になっていまして、お二人とも、村山首相は堅持のようですけれども、何か余り堅持でない見通しを書かれていらっしゃるんですね。  私は、アジア太平洋の信頼醸成措置の中で、極めてトラスチックでしょうけれども、日米軍事同盟をなくすことがアジアの安定、平和にとって非常に有効だ、そう考えているんです。  やはりアメリカ日本がどういう出方をするかということがアジア情勢で最も決定的で、例えばアメリカは、イスラエルの核開発には知らぬ顔していて、自分が核拡散対抗戦略を決めるとテストケースは北朝鮮だとして北朝鮮の核開発にはああいう物すごい態度をとって、ところがカーターが行って話がつくと一挙に鎮静するというような状況があるわけで、おととしの東京宣言では日米ともAPECをこの地域の重要なシステムにする、日本アメリカの前方展開の拠点にするというのを東京宣言で認めているような状況なんです。  ですから、私は、例えば日米安保条約をなくすということは、具体的に言うと国連の原点である非同盟、軍事同盟をなくすということと、国連総会の第一号決議の核兵器の廃絶、この非核非同盟をという国連の原点に立って日本が非核非同盟の道にアジアで大きな道を切り開くことになるだろうと思うんです。  そういう点で、今のアジア諸国は、来年戦争が終わって五十周年なんですけれども、日本の動向にいろいろ警戒的な目を注いでいるわけで、これは戦争責任の決着がついていないということもあるんです。ですから、日本アメリカについて何でもやるという状況から脱して自主的な国になれば、そしてまた非核非同盟の立場に立ってアジアの発展途上国が多く参加している非同盟諸国首脳会議にも参加するということになれば、日本に対する警戒心はなくなってむしろ信頼が極めて醸成するんじゃないか、そう私ども考えているんです。  猪口先生がおっしゃった制度主義、現実主義の中の制度主義、国連をどうするか、それから日米間をどうするかというのは、一つは制度主義の問題であるけれども、同時に現実的な道で、今のところ二番目の勢力圧倒型の、アジアアメリカが圧倒的になっちゃっているんです。そこにむしろ日本がついていることがそれをますます危険な方向に進めるので、日本がそういう独立への道を、トラスチックな道ではあるけれどもとることがいいと。フィリピンも基地をなくしましたし、日本もなくせば前方展開の拠点というのはアメリカ本国、せいぜいハワイ、グアム程度になるわけなのでそれでいいんじゃないかと思いますので、両先生の御意見をお伺いしたいと思うんです。  それから二番目に、西原先生には、少し今の問題ともかかわるんですけれども、アメリカの核体制の見直し、それから日本に対する核持ち込みのことについてちょっとお伺いしたいと思うんです。  というのは、私ども非常に重視しているんですけれども、アメリカは去年の九月一日にアスピン国防長官が戦力の徹底見直し、ボトムアップレビューというのを発表したんですけれども、ことしの九月二十二日にペリー国防長官らがその戦力見直しに続く核兵器の体制の見直しを発表されたんです。その中で、我々これは非常に重要だ、日本にもかかわると思っているのは、統合参謀本部議長シャリカシュビリ将軍が、核弾頭つきトマホークミサイルを我が攻撃型原子力潜水艦に積載し、かつこれを前進配備する能力はこれを保持する、そう述べたんです。  今までクリントン政権は、冷戦は終わったと、我々は完全に終わったと思って見ていませんけれども、戦術核兵器の艦船積載はやめるというように発表しているんです。それを今度の九月二十二日のこの発表では、トマホーク、これを攻撃型原潜に積むことをまたやると明言したわけで、これは信頼醸成措置にも逆行する非常に重要な問題だと思うんです。  ところで、日本は最近攻撃型原潜の寄港が非常にふえていまして、赤旗でも報道したんですけれども、ベトナム戦争のときよりもアメリカ原潜の横須賀あるいは沖縄に対する寄港回数がふえている。北朝鮮問題に関連して空母キティーホークが今横須賀にいて、日本は今空母二隻体制になっているんです。そのことがこういう原潜寄港もふやしているし、NLPもふえているし、高知県ではジェット機がぶつかるということを引き起こしているんだと思うんですけれども、その攻撃型原潜がトマホークミサイルを積むということになりますと、これは非核三原則を破る核持ち込みの疑惑がますます新たにふえてくるということになるんだと思うんです。  防衛研究所研究部長でいらっしゃる西原さんに、こういうアメリカの核体制の見直しの問題、戦術核兵器を攻撃型原潜に積み込むという新しい決定、それで日本には核持ち込みの疑惑が非常にふえているというようなことを日本の安全平和の問題とかそれからアジア太平洋の平和の問題から見てどうごらんになっていらっしゃるか。これはひとつ具体的な新しい問題なんですが、お伺いしたいと思います。  以上です。
  44. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) 日米安保条約についての私の考え方ですが、短中期的には、勢力圧倒によってほぼ安全保障の構図が決まっているときに堅持しないというわけにはいかないのでありまして、短中期的には堅持、その後は大いに勉強しようというぐらいな方が非常に正しいと私は思います。短中期的というのは、まあ二〇二五年ぐらいまでですね。二〇二五年以降についてはまだ何といいますか、これからどうなるともわからないというぐらいな方がいいんじゃないかなと思います。  そのくらいのタイムスパンで考えてみますと、例えば香港の九七年、香港の九七年は来てもう過ぎ去ったという議論が非常に多いわけでありまして、これはすべてもうきのうの段階、きのうの事柄になりつつあるわけです。それじゃ北朝鮮の軽水炉導入の問題はどうかというと、十年間でやると二〇〇四年、これはほとんどきょうのようなことなんです。ですから、これから十年というのは短中期ぐらいのスパンだというふうに考えてほとんど間違いないと思います。技術とか人口の動向というようなことは十年ぐらいはまだ短期のうちです。  ただ、二十五年ぐらいになると変化の兆しがあらわれてくると思います。技術でも非常に大きな革新があらわれ、それが応用される。それから経済発展も二十五年ぐらい続きますと大きくピクチャーが変わる可能性があるというように考えます。普通、政治家の皆様方が考えられることは五年、十年なんというとずっと先みたいですが、軍事技術とか人口の動態、経済発展等々考えた安全保障については、これはほんのあす、もう近未来というか、本当にきょうのような話でありまして、二〇二五年ぐらいまで考えては堅持の方がいいんじゃないかなというのが私の意見であります。必ずしも上田先生の御意見と近いかよくわからないのですが、とにかく、勢力圧倒についてはもう何ともしがたい現実であって、それは好きであろうが嫌いであろうがしょうがないのであります。  北朝鮮についてもお触れになりましたけれども、今回の米朝合意はアメリカ政府が北朝鮮政府をとにかく支援するというプログラムであるというふうに見ることも非常に可能なわけです。ですから、イスラエルは支援してピョンヤンは支援しないというんじゃないんですよ。支援体制を今つくり始めた。それは韓国、日本も動員して頑張ってつくろうと。もっと危険になるよりは、何とか中に入れて、石油もやり軽水炉もやる。まあやる金はだれが出すかというのはアメリカは知らないと言っているわけですが、そういう支援レジームが今できているわけですね。勢力圧倒のアジア太平洋で、若干認識がそこはもう違うのかなという気がしました。あれは支援レジームです。それはおどしながらやれば言うことを聞きませんから、余りにも北朝鮮の方が。それがいいか悪いかは全く別な問題ですけれども。  このアジア太平洋におけるアメリカの圧倒性については短中期では揺るがし得るところがない。揺るがすことができるとしたらアメリカの国民であって、それは気が変わって、もう嫌だと。もう政治家なんかには不信感がアメリカではみなぎっておりますし、もうこんな海外軍事基地だとか何かもう軽水炉だとか冗談じゃないというのが圧倒的になって、急に引っ込むということはあり得るわけです。  そういうことについて、僕は、どうも米日で余り好きなことをやっているとお互いに元気がなくなって、日本も孤立主義といいますか日本は内向きの平和主義ですから内向きになっちゃう、アメリカも内向きの孤立主義になる。そういうのが危険であって、十年、二十年ぐらいになるとそういう可能性は排除できないということを本の中で申し上げて、実際にここでも言っているわけで、若干見ている角度は違うのかなという気はしますが、余りいいかげんにやっておるとなくなっちゃう、そしてそれが不安定化の要因になるということについては一致していると思います。  それから、アジア太平洋諸国の多くの部分が、現在、政府レベルでは日米安保条約をなくなれと言う国はまずないのでありまして、中国も米日の間でやる限りでは非常にいいことだと。アメリカ日本の変なアシビションを抑えるといいますか、牽制するにはある程度いいんだろうぐらいに思っているらしいのです。  それから、韓国については全くそうですし、ASEANの国についても、米日がけんかをしちゃ世界経済状態もそういったときには非常に悪くなっているだろうということから考えて、米日は仲はよい、ただ米日がつるんで東南アジアを全部支配するみたいなことには嫌だと言っているだけであって、これについての支持ということについては、それは自分の国じゃないことですから、第三国同士がやっていることで、余りはっきりと明確には言わないですが、ほとんどの政府がこれを支持していると見て構わないと思います。これは短中期的にですね。  それから、これからどうなるかというのは、みんな研究したいというか、余り言わないでこれからしばらく推移していく。とにかく、二〇〇四年というのはきょうの部分なんですから。物すごく時間があるみたいですけれども、あっという間に来ちゃいます。  それで、その間に何が起こるかはっきりわからない。中国経済発展も軍事発展も気になりますし、それから東北アジアにおける核開発が、とにかく北朝鮮がこれで全部そのとおりというふうにも思えないときにアメリカがどう出るか。爆撃するといったって爆撃したって別のところに置いてあるだろうし、そしてそんなときに、また、北朝鮮のレジームが倒れたときに韓国が併合するないし緩やかな形で連邦をつくるといったときに、核技術については継承するでしょう。そんなとき日本の世論は何と言うのか等々、この十年間忙しく目まぐるしい。そうであればこそ恐らく日米安保条約というのがなければ混乱はもう倍増していくというのが私の考えです。
  45. 前田哲男

    参考人(前田哲男君) 日米安保条約が何のためにあったのかということを考えていきますと、それは言うまでもなくアメリカアジア太平洋戦略の中に不可分の一環として位置づけられてきたわけでありまして、朝鮮戦争、ベトナム戦争、一九八〇年代におけるソ連との海洋、核のせめぎ合い、これらがもし日本を基地として使うことができなかったとすれば効果的に進められたとは思えない。そういう観点から見ますと、日米安保条約がアメリカの冷戦政策の中で非常に大きな意味と意義を持ってきた、そういうふうに言えると思います。  また同時に、そのことは今日ほとんどその側面では意味を持たなくなった。一〇・二一の米朝合意はその最後のしるしであるかもしれません。米中は既に一九七〇年代に和解しましたし、米ソはああいう形で友好関係になりました。そして今、米朝が朝鮮半島において包括的な合意に達した。となりますと、日米安保条約が持ってきた軍事的な側面はアメリカにとってもう意味がなくなったというふうに見ていいのではないかと思います。  しかし同時に、もう一つアメリカにとって日米安保条約は日本の再軍備を管理するという側面があった。日本の独自の動き、軍事的な動きを阻止する、そのために条約で縛っておく。瓶のふたとか瓶の栓というふうに言われる機能があったというふうに思います。  その二つの機能が日米安保条約の本質であったと思うわけでありまして、それは私がさっき申しました海洋戦略という観点からアメリカ国家戦略を考えてみますと、日米安保条約が果たした役割はもう筆舌に尽くしがたいものだと。その意味で安保ただ乗り論というのはいささか正確さを欠く認識だというふうに思うわけですが、別の観点から東西冷戦終結後のアメリカ太平洋戦略を見ていきますと、日本以外の米軍基地は太平洋においてはほとんど閉鎖ないし大幅な縮小の一途をたどっているという事実がございます。  御承知のとおり、フィリピンの米軍基地は十九世紀以来のものでありましたがゼロになってしまいました。グアムもまた十九世紀以来、スペイン戦争の戦果としてアメリカが領有して以来今日に至るまで、その面積の三分の一まで軍事基地ないし国防省の管轄下にあるところですが、ここでも軍事活動はほとんど休止状態になっております。アメリカ西海岸のアラメダという大きな軍港がありますが、これも閉鎖されました。ロングビーチ軍港は既に閉鎖されて久しいです。こういうふうに太平洋岸のアメリカの軍事プレゼンスあるいは基地のネットワークを見てみますと、急速な縮小、閉鎖が続いています。ある意味でいいますと、これはアメリカにとって日米安保の将来を占う要因になるかもしれないと見ることもできると思います。  二つ見方ができると思います。  一つは、もはやアメリカにとって日米安保は意味を失った、日本の再軍備を阻止する、マネジメントするという機能以外必要なくなったという見方をすることもできます。ということは、日本が幾ら堅持をしようとも、どこかでアメリカがもう要らないという意思表示をしてきても不思議ではないということであります。  もう一つは、しかしフィリピンから完全撤退しグアムも事実上閉鎖する中で、太平洋における唯一のプレゼンスを日本の基地に残しておくのではないかという見方も同時に成り立ちます。その場合、日本がハワイとともにアメリカの最後の太平洋基地になる。この場合は、安保は堅持しようという日本の意思があれはこれからも続いていくということになると思います。  どちらになるのか今のところ予測はつけがたいのですが、私はアメリカがある段階で安保の終了通告をしてきたとしても不思議ではないと考えておいた方がいいと思います。そのためには、きょうのこの会のテーマであります別の枠組みへシフトしていくための準備をしていくことが必要なのではないか。  日本から廃棄通告をする必要はないでありましょう。短中期的にこれを維持するというオプションは正しいと思いますが、同時に別のものに移しかえていく。別のものは、日米の同盟の枠で言いますと、安保は前文と第二条で経済協力ということを約しているわけです。アジア太平洋アメリカが結んだ二国間条約、三カ国条約を読んでみますと、ANZUSにはこの条文がございません。米韓相互防衛条約にもこの条文がございません。米比相互防衛条約にも経済協力条項はございません。日米安保条約のみにこれがあるということは、この経済協力条項を新しい核として育てていく価値があるのではないかということであります。これは二国間条約で新たなものにシフトしていく芽であろう。  もう一つは、多国間条約にシフトしていく、バイラテラルからマルチラテラルな枠組みの中に日米のきずなを移しかえていく、移植していく努力が必要だろうと思います。先ほどの西原参考人の御意見の中でも、アジア太平洋における信頼醸成措置の制度化が進めば理論としては日米安保条約が要らなくなる状況もあるかもしれないという可能性を示唆されました。そのようなネットワーク、枠組みをつくっていくことがこれから必要なのではないか。少なくともそのことを念頭に置きながら政策決定をしていくべきだというふうに考えております。
  46. 西原正

    参考人(西原正君) 上田先生から私に出してくださいました御質問は二つあると思いました。  一つは、ことしの九月にシャリカシュビリ統合参謀本部議長が、アメリカの核兵器体制を見直してトマホークミサイルを搭載することを考えているということでございました。これにつきましては私は、検討中であるということであって、実際に配備を実行に移しているということかどうかは承知しておりません。私はまだそこへいっていないと思っております。  それから、もう一つの御質問は、米原潜及び空母が横須賀に寄港する頻度がベトナム時代よりも多くなっているのではないか、このことは地域の不安定をむしろ助長することになるのではないかという御指摘だったと思います。  私は、ベトナム戦争時代よりも多くなっているかどうかについては承知しておりませんが、最近までのアメリカが北朝鮮の動きについて持った懸念から見れば、アメリカが西太平洋におきまして一定の軍事行動をとっておったことは当然理解できるというふうに思っております。したがってまた、日本に寄港した空母及び原潜がトマホーク型ミサイル、特に核ミサイルを積んでいたとは私は思っておりませんけれども、むしろこのトマホーク型核ミサイルを統合参謀本部議長が言い出したのは、私はむしろ中東を考えてのことであろうと思っております。
  47. 沢田一精

    会長沢田一精君) 今の問題に関連しまして大木委員からちょっと。
  48. 大木浩

    ○大木浩君 自民党の大木でございます。  ちょっとよその会議の方に出ておりましたものですからおくれて来まして、きょうの先生方のお話を実は全部聞いていなくて質問するのは大変恐縮なんですが、上田先生が日米安保条約との関係で非同盟という言葉をおっしゃいましたよね。それで私は、非同盟というのは一時大変にはやりましたし、今でも非同盟という言葉をよく使われる方もあるんですが、具体的に非同盟と言っておった国々といいますと、例えばかつての非同盟のリーダーであったユーゴスラビアというのはああいう状況になっておりますし、いろいろとあのころ非同盟のいろんな機構の中でリーダーであった方々も大分いなくなってしまったしということで、非同盟という概念でこれから日本がその中でやっていくということになると、ちょっとなかなか具体的に何をするのかなと。  むしろ私は、今の安全保障という問題をアジアを中心にして考えますと、一つ日本はもちろんですけれども、あと中国だとかアメリカがもちろんおりますし、南北朝鮮とか、そういったかなり軍事的なものを持っている国の中で、まずは軍事的な意味での安全保障ということを一つ考える必要があると思う。しかし同時に、アジアのこれからのいろんな信頼醸成措置というようなことを考えますと、今言ったような狭い国々だけでなくて、もうちょっと広げたものがある。やっぱり、そこのところを二重構造みたいなことで考えた方がむしろ現実的じゃないかと思うんです。  あるいは既にお話があったかもしれませんが、その辺、具体的にどういう信頼醸成措置をつくっていくかという場合に、今ちょっと非同盟という概念が余り現実には動きにくいんじゃないかと思います。それとの関連で私の質問は、今、非同盟という、もし何か先生方で具体的にあるなら教えていただきたいし、むしろそうではなくて、現実に例えばアジアの中で問題に応じていろんな機構をふくそう的につくっていった方がいいんじゃないかなという気がしておりますので、その辺について特に猪口先生と西原先生からコメントをいただきたいと思います。
  49. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 非同盟諸国首脳会議は確かに一時ちょっと揺らぎがありましてね、アルゼンチンが脱退なんかしたんですよ。おととしジャカルタで開かれたときにはフィリピンも入って七カ国新たに加入しまして、今百カ国を超えています。日本の新聞は余り報道しないのだけれども、例えばことしの国連には、例の日本で大問題になった核兵器は国際法上使用すべきではないというのを司法裁判所に提訴しろというのは非同盟諸国のたしか百十カ国が決議案を出したんです、国連に。そういうことがあるんですよ。  そういう点で非同盟諸国首脳会議というのはかなりしっかりした仕事をしていますし、それから安保理事会の定数問題で言えば、おととしの総会で非同盟諸国首脳会議が決議をして、国連総会がそれを取り上げて、世界各国に安保理事会の再編について意見を出せというので、各国政府が全部国連総会に出して、国連が生まれたときの加盟国が五十一カ国でしたかあの時期から今百八十四になっているときに安保理事会の数はそのままじゃないかというので、非同盟諸国から、安保理事会の国の数をふやすこと、常任理事国の数をふやすこと等々、一斉に意見書が出ているんです。  日本じゃ余り報道されないからそういう御質問が出るので、一言申し上げました。
  50. 沢田一精

    会長沢田一精君) お二人の先生から御発言がございました。猪口先生、西原先生、お答えをいただきたいと思います。
  51. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) 東南アジア、ASEANの場合は、平和、自由、中立の宣言を昔やって、現在でも一応それを堅持しているわけでありまして、その立場からいっても、非同盟会議に結集するというのはそれほど不思議はないですけれども、それだけの往時の政治的な凝集力というのは意外と少ないかなという感じはします。  それから、そういう平和、自由、中立のスローガンを掲げておっても、ASEANの国のほとんどは、日米安保条約はあった方がいいと思っていることは確かであります。ですから、面倒くさい大変なことはあの二人に任せておきつつ、自分はこういうアスピレーションを実現したいというのはよくわかるんですね。  日本も、そういう大変なものを持たないで平和、自由、中立と言えたらいいなと思っている人も、日本の社会では結構内向きの平和主義的な感情が強いですから、持っているのは強いとは思いますけれども、そうやったらがたがたと一気にアジア太平洋の安全保障は短中期的には崩れると私は思います。  それでアメリカ自身が幸せだというならそうなる可能性もありますし、日本でも、だんだんみんなアメリカが嫌いになっているというかそういう面もないでもないし、あるかなとは思いますけれども、そういったときには内向きの平和主義というものがもっと侵食されて、外向きの普通の国主義あるいは外向きのかなり活発な平和主義でやるほかなくなってくるわけで、それが日本の短中期的なウエルフェアにつながるかについては若干強い疑問を持っております。  だから、日本立場から非同盟というのはよくわかるということは理解できるけれども、その存立を壊してしまうような、日米安保条約廃棄みたいな動きは短中期的にはちょっと理解しにくいなというのが私の正直なところです。
  52. 西原正

    参考人(西原正君) 上田先生は先ほど、日米安保条約がないことが地域の安定に貢献するんだという御指摘でしたけれども、私は違った見解を持っていまして、安保日米同盟が存続することがアジア太平洋地域の安定に貢献しているというふうに思います。  まず第一に、もし日本が非同盟になった場合には、恐らく独自で日本の防衛を考えなくちゃいけませんから、今よりも相当多くの軍事費を使って軍事力を増強しなくちゃいけない時代になってくると思います。そうした日本を見て韓国、中国がどういう反応をするかということを考えますと、極めて不安定な状態であるということになります。したがって私は、日米同盟は日本ばかりでなくて、地域の安定に役立っていると思います。  そして、大木先生が御指摘になられました点でございますが、私は、アジア太平洋の信頼醸成として、現在のようにASEANリージョナルフォーラムができましたけれども、これができたからといって日本の安全を確約してくれるわけではございません。日本がどこかの国から攻撃を受けた場合に、ASEANリージョナルフォーラムが助けてくれるという仕組みになっておりませんから、そういう面では日米安保条約が主であって、ASEANリージョナルフォーラムはむしろ補完的なものとしての役割を果たしていくというふうに考えるべきじゃないだろうかというふうに思います。
  53. 猪木寛至

    ○猪木寛至君 ここに書かれてあります「戦争と平和」というかこの間北朝鮮の方へちょっと行ってまいりまして、これは力道山という人を通して朝鮮半島を見たとき、この間外務委員会でも同じような質問をしたんですが、戦後日本が力道山という人の登場によって大変勇気を与えてもらった光の部分と、そして光が当たっていない部分というのが強制連行とかそういうものにつながってくる。一般的には、力道山が朝鮮人であるということは余り知られていない。しかし、やはり朝鮮半島から見たときに、力道山という存在というのは大変英雄視されている。国民に、金日成さんが事あるごとにそういうことを訴えたということで、私もその弟子だということで大変歓迎されたんです。  そういう中で、日本人というのは一体どういう人種なんだろうということを見ていくと、全くそれが見えなくなってきて、戦後経済発展の中で大変横柄な態度、それから東南アジアに我々が旅行しているときに日本人がとる態度というのはもう大変目に余る。向こうのウエートレスを呼ぶときなんかはもう口笛吹いてフューフュー。そういう日本人が、まさにアメリカに行ったときにウエートレスにコーヒーを一杯オーダーするのにおどおどした態度で非常に卑屈な態度に映る。その日本人というものが多分植民地支配のときに犯した罪というか、我々はそういうことをよくわからなかったんですが、そういう力道山という人の影の部分から見ていくと大変見えてくるものがあって、今回の日朝関係も大変出おくれているというか、アメリカの動きを見て、そら、これから行動を起こしましょうということで今月、与党三党の議員団の皆さんが行かれるということなので、それは大変結構なことなんです。  要するに、アメリカがかざしている人権外交というか、このことによって我々はそれに対する批判力を持っていないという。にしきの御旗というか、それを立てられると、はいそうですかと言う、それに賛成をしてしまう。だから、その辺で我々がもうちょっとそれに対する、やはりなぜそれを支持するのかというようなことを日本人としてアピールしなきゃ。それで、さっきアメリカ嫌いというふうに猪口先生が言われたんですが、私自身はアメリカが好きなんですけれども、何となくアメリカがやっていることに対して疑問が生じてくる。だから我々が本当アメリカといい関係を結ぶのであれば、もうちょっとアメリカを知らなきゃならない。  これはきょう時間がないから申し上げませんが、私もプロレスでずっとアメリカじゅうを何年間か巡業しておりまして、アメリカ人というものを一色で見ることができない、いろんな色がありますよね。でも、アメリカという国となったときに、やはりこれは非常に戦略的にうまいというかある意味ではアメリカが持っている地球上における自分たちの責任という自負心みたいなものがあって、それはわかるんですが、その辺がどうも我々に理解しにくいというか、もうちょっと我々が視野を広げないとそれが理解できないのかもしれない。  中東戦争、それから今回の北朝鮮問題、もう一つはキューバにおける制裁、これなんかはある意味ではもういいんじゃないかなと、非常にこれは感情的な部分というか。一方で、北朝鮮とはもう何とかこうやって交渉を進めて、アメリカも寛容にしていく。しかし、キューバ問題というのは全くそういう話し合いを持たないみたいな形で進んできていますけれども、その辺について私きょうはお聞きしたいというよりは、日本における脅威というか多分に今脅威と映る国は北朝鮮が唯一だと思うんですね。  そうすると、この間向こうの方に質問をしましたら、この委員会でもしたんですけれども、ミサイルが日本に全部向いているそうですねという話をしたら、笑いながら、いやいやお互いの信頼が醸成されれば自然に解決する問題ですよと言う。その辺は政治とやはり民間外交というか我々の外交を通じて総合的にこの信頼関係を今から醸成していかない限りは片手落ちになるのではないかなという気がしますが、その辺についての御意見は。
  54. 西原正

    参考人(西原正君) 今御指摘いただいた中で二つ私の方から意見を述べさせていただきたいんですが、一つは、両方とも共通する点は、要するに日本と北朝鮮の間で問題があるとすれば、北朝鮮は閉鎖社会であるがために我々は北朝鮮の中で何が起きているかほとんどわからない。それから、向こうの方からは恐らく日本で何が起きているかは、新聞その他を見れば国会でどんな議論がなされているか、核問題について反対、賛成、いずれも意見がわかるわけですが、我々は北朝鮮で核の問題にしろどんな議論がなされているか全くわからないという面では、ぜひ日本と北朝鮮の間でそういう信頼醸成を進めていく措置をとっていくべきだと思いますね。  そのためには、もう日本の方が、きょうの私の言葉で言えば、軍事情報の透明性から言えば日本の方がはるかに高い。北朝鮮は随分低い。そういう意味では北朝鮮の方がまずいろいろな政策をとって、透明度を高めるための策をとってもらわなくちゃ困りますということが一つ言えると思います。  同時に今度は、もう一つ先生が御指摘になった点で、日本人の振る舞い方についての不信感があるという面、これも一つの信頼醸成の問題で言うならば、疑われている方がまずもっと明らかにすべきということになりますから、もっと日本人が何を考えているかを正々堂々と外部に伝えるということも必要でしょうし、それから実際に飲食店における振る舞いの問題については、これはもう我々がみずからにもう少し厳しく当たって、いい態度で外国人と接するという訓練をしていかなくてはいけないなというふうに思います。
  55. 田英夫

    ○田英夫君 田英夫でございます。  TMDの問題、三人ともお触れにはならなかったんですけれども、アジア太平洋の信頼醸成ということからすれば、特に防衛庁が来年度予算に要求をしているという、また、日米間で既に下話のような形でしょうけれども接触が始まっている。戦域ミサイル防衛構想というんでしょうか、この問題について今アジア太平洋の信頼醸成というようなことが語られている。  一方で、猪木さんも今言われましたけれども、日本にとって、ひいてはアメリカにとって一番アジアで脅威と言われていたのは北朝鮮だと。ノドン一号がある、核も持っているのではないかと。私は持っていないと思いますけれども、そういう話が出てきている中で出てきたTMD、これが果たして軍事的に兵器として有効なものになっていくんだろうか。私が専門家の方々にいろいろ伺っていることでは、SDIと同じように構想倒れに終わって、お金ばかりかかって、喜ぶのはアメリカの軍産複合体だけではないかという話をよく聞くのであります。  もう一つは、米朝間も、先ほどお話ありましたように、一種の和解と言っていいかと思いますが、そういう状況になってきているという。そんな中でTMDというのは本当に必要なものなんだろうか。  この二つの点を専門家である西原さんと前田さんに伺いたいと思うんですが、会長、お許しいただければ後で、台湾と中国のことを中西先生ちょっと質問されてお答えありましたけれども、若干意見言ってもいいですか。
  56. 沢田一精

    会長沢田一精君) どうぞ、どうぞ今。
  57. 田英夫

    ○田英夫君 じゃ今申し上げますが、台湾と中国の問題というのは、先ほどのお三人のお答えを合わせますと私全く賛成なんですけれども、結論は。  ちょうど一九七〇年代の終わりごろだったと思いますが、中国を訪問したときに、摩承志さん、当時健在で、中日友好協会の会長ですが、彦承志さんから、私ごとですが、あなたは台湾と無関係じゃないんだから、台湾へ行って台湾の人たちの話を少し聞いてくれませんかと、むしろ頼まれまして何回か行っております。  そんな中で、李登輝総統ともかなり長時間話しましたし、いわゆる民進党の、つい去年までですか総裁をやっていた許信良という人、彼はアメリカへ亡命をしていてなかなか帰れなかったのを、逮捕されながら戻って、その結果民進党の総裁にまでなっておりますが、彼とも何回も会っております。彼は、確かにある意味での独立志向を持った人であることは間違いありませんが、民進党の中には、もっと本当の強烈な独立主義者がいることも事実であります。許信良氏以下全部がそうだというわけではないと思います。  また、李登輝総統に至ってはというか、李登輝さんはむしろ大陸という言い方をするわけですが、中国本土との人的あるいは経済的な交流がいかに盛んであるかということを、具体的な例を挙げて、総統である立場の人がこんなことを言っていいのかと思うようなことまで話をしておりまして、この辺がいわゆる漢民族の懐の深いところかなという感じを持ちました。  したがって、もちろんさっきの猪口先生のお話のように、民進党の中の独立派というのはかなり強烈でありますから、また、台湾出身者ばかりの党でありますから、台湾出身者の中で独立志向という声が今後高まっていくという可能性はあると思いますけれども、少なくとも現在の時点までのところでは、台湾側もあるいは中国の側も、暗黙のうちにこの懐の深い態度をとり合ってやっているんだということを感じております。ずばり言われたとおり、二つの中国という態度をとってはいかぬという前田さんのお話と、それから同時に台湾というものを無視するような外交は成り立たないという西原先生のお話もそのとおりだと。台湾を無視して、あるいは大陸の方も無視してということ、どっちをとってもいかぬと。この辺のところが私の感じているところです。  もう一つ、ついでに申し上げると、非同盟の話が出ましたが、これはもう皆さん御存じだと思いますが、念のために申し上げると、北朝鮮は実は非同盟諸国会議のメンバーでありまして、私はそのことで強烈な印象があるんです。一九七六年にピョンヤンを訪問したときに、今外務大臣になっております金永南氏が労働党の国際部長をやっていたころですが、今回我々は非同盟諸国会議に参加をする決意をいたしましたということを言いましたので、一対一で話したんですが、決定じゃないんですかと通訳にちょっと注意をしましたら、いや決意ですと。つまり、それほど、普通ならば社会主義諸国の側に入るべきであるのにもかかわらず、あえて非同盟諸国会議に入ったということを決意という言い方でしたようであります。  その後、何回か北朝鮮へ行きますと、北朝鮮の新聞はハングルで読めませんけれども英文のが週に一回出ておりますが、そのほとんど一面は非同盟諸国会議に、穀物をどこどこの国にどのくらい援助したとか、非同盟諸国会議との間でこういう会議があったとか北朝鮮外交というのは非同盟諸国との外交であると言っていいような印象を持つくらい極めて熱心であって、金日成主席というのは非同盟諸国会議のリーダーの一人になっていたという印象を持っておりますので、念のために申し上げました。失礼しました。
  58. 前田哲男

    参考人(前田哲男君) TMDについてのお尋ねでありました。TMDに関しては、それが日本の安全保障にとって必要なものであるかという情勢認識の側面と、また技術的にそれが有効であろうかという兵器としての性能の観点とあろうかと思います。  兵器そのものの有効性の観点について私の意見を少し述べさせていただきます。  ノドン一号という中距離ミサイル、弾道ミサイルが日本に対して向けられているというところからこのTMDの議論は起こってきたわけでありますが、ノドン一号なるミサイルが果たして日本に脅威となり得るか、脅威を与え得るかというきちんとした議論がなされていないのではないかという気がいたします。  ノドン一号の原型は、旧ソ連時代に北朝鮮に供与されましたスカッドA、スカッドBと呼ばれるミサイル、短距離ミサイルであります。射程百八十キロないし二百八十キロ程度のものであります。開発の時期が一九五七年と一九六〇年、太古の時期に属するミサイルシステムであります。さらにそれをさかのぼりますと、第二次世界大戦中にドイツが開発したV2と呼ばれる対英攻撃用に使われたロケットがこの祖先といいますか直系の技術的な系列になる、そういうものであるわけなんですね。北朝鮮はこれを改良して射程を一千キロ程度に延ばして、日本に脅威を与え得るようになったという説が流れているわけです。  しかし、一つのケーススタディーとして、湾岸戦争の中で同じように旧ソ連から供与されたスカッドA、スカッドBをアル・フセイン、アル・アッバスという独自のミサイルにしてイスラエルに向けて発射したイラクの例がありますが、戦後の調査で明らかになったように、私たち知っておりますように、ほとんど影響、効果がなかった。アル・フセイン、アル・アッバスに関しては兵器として運用をし得なかった。ほとんどが空中分解してしまうようなものでしかなかった。唯一兵器としての効果が認められたのは、スカッドA、スカッドBをそのまま、ないし若干の延長をした程度のものであったと、イスラエルに命中したのはそれなんですが。しかし、記録を調べてみますと、イスラエルに向けて発射されたイラクのスカッドA、スカッドBは百二十発以上であります。落下命中したのが一けたにしかすぎない。その程度のものでありました。  アメリカの専門家たちは、アメリカのパトリオットミサイルがなぜイラクのアル・フセイン、アル・アッバスあるいはスカッドA、スカッドBに対してその程度の迎撃力しか発揮し得なかったかという理由を問われて、余りにも性能が不安定で弾道が不規則だったので我が方の精密誘導迎撃能力が発揮し得なかった、そういう弁解をしているわけであります。  ということを考えますと、TMDがいかに繊細、精妙な技術システムとして完成したとしても、北朝鮮のノドン一号が湾岸戦争で立証されたとおりの性能、その程度の性能しか持ち得ないものとしますれば、せっかくの巨大な投資もほとんど意味をなさないということになりかねません。  もう一つ技術的な側面でTMDの有効性を検討してみますと、TMDなるものがそもそもまだ概念上の産物でしかない、できたものとしてはない。ついにSDIとは何たるかということをアメリカは示し得ませんでした。一九八三年にレーガン大統領がスターウオーズ演説という有名な演説で示したSDIと、冷戦直前にアメリカの戦略家たちがコンセプトとして示していたSDIは似て非なるものでありました。つまり、SDIなるものはついに一度も存在し得なかった。定義し得なかった。強いて定義しようとすれば、SDIフェーズ1からフェーズ4までいろんな案が出たとしか言えない。  同様にTMDは今、海のものとも山のものともわからない。TMDなるものはないと言っていいと思います。ある人は、TMDはパトリオット、航空自衛隊が現有、保有しておりますが、これの延長型である、改良型である、それで十分である、したがって高射砲延長型であるというふうに言います。しかし、アメリカから提示されている案はそうではなくて、パトリオットも使うけれども、しかしイージス戦闘システムを搭載した護衛艦をプラットホームとして使うという案が出ております。このTMDとパトリオット延長型のTMDは区別して論じなければならないと思います。  さらに、アメリカの産軍複合体といいますか軍需産業が提案しておりますTHAADという超々高空で、宇宙空間で弾道ミサイルを撃破するという新たな技術システムがTMDだとしますと、ここにまた別のTMDが出てくるということになります。どれがTMDなのかということが定義されていない。それで議論されているところに非常に不透明かつ問題があると思うんです。  政治的な問題点を言いますと、例えばTHAADのようなものがTMDであるとしますと、宇宙空間の軍事利用という問題と直接絡んできます。また、イージス戦闘システムのようなものを、つまり前進プラットホームを日本海、公海の上に置いてそれで迎撃するということになりますと、当然のことながら、韓国、アメリカ日本との共国運用が前提になってこざるを得ないと思います。そこでは集団的自衛権の行使に日本がかかわるか否かの問題も出てこざるを得ません。そういう意味で、TMDとは何なのかということをまず定義した上で議論しなければなりませんし、また技術的な有効性のみならず政治的な問題点も議論しなければならない。  現に、アメリカではTHAADという超々高空で撃破するタイプのTMDは、ソ連との間に結んだABM条約、迎撃ミサイル制限条約に違反するという説が出ておりまして、ロシア政府の了解なしにこの種のTMDを推進することはABM条約違反になるという説も出ているわけですね。そういったことも含めて、しかし日本の防衛庁はアメリカ政府と研究開発、研究に参加するという形で進めでいっている。これは少し問題があるのではないかというのが私の考えてあります。
  59. 西原正

    参考人(西原正君) 私もTMDが現在日本で、現時点で必要だというふうには思っておりません。  特に、米朝関係が一段落したといいましょうか緊張緩和をした段階であることとかあるいはTMDが持ついろいろな効果、技術的な効果の問題、それから政治的な問題というようなことを考えますと、日本でこのTMDをすぐに配備するというような決定をするのは政治的にもいろんな面でも問題があって私は適切でないと思っております。  特に、北朝鮮がもしミサイルを、上手なものを開発したとして、もし日本に向けて撃ったとしましても、日本に八、九分で到着するという非常に短な期間であります。したがって、これに対抗するための技術というのはまだまだ研究されなければならないと思いますから、早い段階で日本が配備を決めるというのは私は適切ではないと思います。  にもかかわらず、ミサイルというのは世界の低開発国の多くの国が今や開発をし始めておりまして、したがって将来ミサイルによる国際緊張の高まる可能性は依然として私は強いと思います。したがって、それらに対する研究をしておかないというのは日本の防衛にとっては私は不利になると思います。  今のTMDで非常に質の高いもの、つまり宇宙を利用してというのは、配備をするには十年ぐらいかかるんじゃないかと言われておりますが、十年ぐらいたって日本がその必要に迫られたときではもう遅いかもしれません。したがって、私は技術の研究は続けてやっておくべきではないだろうかというふうに思っております。
  60. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) TMDについて、私の考えを。  今、TMDが技術的にフィージブルであるとか安全保障に資するところがどのぐらいあるかということについては、前田先生と同感するところが多いんですが、日本の防衛努力というのは、自衛隊ができてからはそんな隣国のロシアアメリカ中国の莫大な軍隊に対峙して何か安全保障力を高めるという観点はほとんどないのでありまして、そうじゃなくて、何かいろいろ口実にして、自衛隊の装備の力をある程度よくするぐらいな、まあちんまりしたかわいそうなぐらいな感じで、ロシアだったら、ソ連でしたら胸をかりて、ほんのちょっとだけでも防衛力を伸ばそうぐらいなところが多分正直な防衛庁の腹構えだろうと思います。  それで、装備局長の、ことしの春ですか私的懇談会というのが軍事技術についての何か報告書を出しておるんですが、そこにもちゃんと書いてあります。  要するに、少しでも何か技術開発をできるだけ最先端にする努力をすることによって、何かあったときにはある程度使えるかもしれないぐらいな近くにいようというこの意欲、涙ぐましいといいますか努力をほぼ心の中に置いてやっているわけでして、そこは達成するかどうかじゃなくて、だんだん仏教的といいますか禅のお坊さんみたいな感じで頑張りましょう頑張りましょうと、胸をかりて頑張りましょうと。どこまで行くかわからない。ましてや安全保障に役立つなんて考えたこともないぐらいなところが実際問題として本当のところで、TMDもそこまで考えているんじゃなくて、技術開発に少しでも進歩できる何かきっかけになればいいんじゃないかというのがまず第一。  それからあとは、対米協力というのがあって、そこら辺まで協力して、余りアメリカとの関係をだめにしない。だめにすることに資するような形で対応するんじゃなくて、余り悪くしない形でという。  その二つの考慮がいっぱいあるものですから、何といいますか、若干どうにもならぬようなものにどうして金を出すかという疑問もまことに本当なんですが、そういう考慮が多分政策当局者には非常に強いということを指摘したいと思います。  それから、イスラエルについても、これは何もなかったような気もするんですが、ちょっと技術進歩があったことと、それからソ連のゴルバチョフ氏はいやに気にして恐れをなしちゃって萎縮しちゃったんですね。それで、軍縮協定が物すごく促進されたことは確かなことでありまして、その政治的効果たるや物すごかったというのが、やっぱりSDI関係をプッシュした、技術について何もわからなくてもプッシュした人はいっぱいいるわけです。それはだから、政治的効果は非常に高かったというのがこの関係者のあれで、技術の進歩とかアメリカの安全保障とかそういうことについては余り大きなメリットはなかったということだったと思います。  TMDについても、やっぱり北朝鮮が核武装しているかもしれないとか、するかもしれないといったときに、何もないんだけれども何かやってる、やろうやろうというみたいなスローガンという面も若干ないではないわけで、皆すぐ即効を求めるとかいうんじゃなくて、安全保障の世界というのはとりわけ技術については、まあ何か先を見ながらの化かし合いみたいなところが結構多いですから、若干そういう面も見たらわかりやすくなるんじゃないかなというのが私の感想です。  それから、先ほど猪木先生が一つアイデンティティーアジア人の心について言われて、ちょっと話す、触れることができなかったので簡単に触れたいんですが。  私自身もアメリカに留学して、アメリカ本当に偉いなというかすごいなというのはいつも思うのでありまして、いろんな分野でとにかく力量がすごいですね。  ニューヨークに外交問題評議会という何かシンクタンクがあるわけです。これで、大きなプロジェクト、アジアの安全保障のプロジェクトをばんと打ち上げているわけですよ。私、安全保障についての第一バッターといいますか十日ぐらい前にそれについての発表をする機会があったんですけれども、やっぱり何というか度量がすごいですね。別に私、大統領補佐官とかアメリカ政府に入ろうとかそんな何かアポイントされたいと思っているわけでも何にもないんだけれども、てんで関係のない国の人に、アメリカの安全保障政策についてとにかく何かでっかいペーパーを書いて皆に発表しろとかと言うんです。こういう器量、度量というか、すごいなと思いますね。しかも、たまたまなんでしょうけれども、そのプロジェクトのリーダーというのは韓国系の米国人ですからね。すごいなと思いますね、それだけでも。  それから、非常にオープンでフランクなことを言って、いやだめだ、ああだこうだとみんな好きなことを言う。こういうところを見ると、僕は、軍事力だけじゃなくて、やっぱり短中期的にはとにかくアメリカの力量はいつもすごいなと思いつつも、猪木先生とちょっと若干似ておりまして、やっぱりアジアの人といる方が何か打ち解けやすいといいますか話しがやりやすいなと思うときもあるんです。アメリカ人の方がばっと好きにしゃべりますから、直接的に話しますから理解は高いときもありますけれども、何となく情緒とか気分とか時によってはアジア人の方がわかりがいいというところがあるんです。  ところが、日本の外交、安全保障についてはアメリカというのはとにかく前面に来ざるを得ないんですね。ですから、親アジア的な感情というのはある程度抑圧せざるを得ない面もある。と同時に、何といいますかうまくそれを表現することが日本人も下手で、何かアジアとの疎遠な感じが非常に高いままずっと経緯しているというところが本当だと思うんです。  実際問題として、私も中国語とか韓国語とかインドネシア語と学んだことはあるんです。中国語は普通に読めますし、韓国語はこれはちょっと激しく一ページに何時間もかかってだめなんですし、インドネシア語に至っては一ページ三時間ぐらいかかるんですけれども。  いずれにしろ、やっぱり言葉がわかるということ、日本アジア外交といいますか、国民外交でも何でもいい、市民外交でもいいんですが、そういった面からもアジアの人との心の交わり合いを高める努力が、こういった非常に軍事的なあるいは安全保障の面での努力と並んで、もっと促進されるべきだという点では全く同感であります。
  61. 細谷昭雄

    ○細谷昭雄君 お三人の先生方がそれぞれの立場から大変多様なアジア太平洋地域のいわゆる信頼関係、これの御提案、大変何といいますか、今までと違った意味でさまざま変わった立場、違う立場からのお話、大変興味深く拝聴いたしました。    〔会長退席、理事大木浩君着席〕  そこで、私思いますのに、我々の現在生きている今の時期、この時代というのは今までちょっと考えられなかった大変な激動の時代というふうに私たち自身がひしひしと感じているわけですね。これを人によっては第三の日本の開国だ、そういうふうに位置づけておる方々もおるようですし、私もまさにそう思うわけです。恐らくこの期間というのは二十一世紀の初頭までやっぱりこういう混乱といいますか混沌といいますか、そういうのは続くと思います。  そこで、お伺いしますが、そういうふうに歴史観をそこに視点を置きますと、今までと違った意味のいわゆるアジア太平洋地域の信頼関係、これを築かざるを得ないというふうに思うんです。確かに今は軍事的には日米安保を中心にしまして安全保障体制という一つ枠組みができておりますね。さっき猪口先生のお話がありましたとおり、中短期的には軽水炉ももうすぐそば、多少二〇二五年というお話ありましたが、少なくとも長期的に考えた場合には、今の枠組みを完全にこれは壊さなくちゃいけないんじゃないかというふうに思うんです。  そこで、我々も憲法の問題を持ち出すとすぐいわば内向きの平和論と言われがちですが、何といいましてもやっぱりそういう信頼関係の底にあるのは平和の追求だと思うわけですね。午前中は平山先生、青木先生からいろいろ文化の交流という観点でのいわば信頼関係、これの増進について大変造詣の深いお話をお伺いしました。きょうのお話の中には、こういう信頼関係の醸成というのは単にこれは一つのものじゃなくて、経済文化、軍事も含めますけれども、そういう政治交流、いろんな交流を通じて総合的に行われているようなお話もございました、平山先生から。全くそうだと思うんです。  そこで、新しいこういう時代、全く違った時代に向けてどういうふうないわばスタンスを置くのかということが私たちが求めている、これから求めようとする問題だと思うわけですよ。今までの枠組みがいずれやっぱり崩れなければならないと思うんです。そういう点でお三人の先生方はどういうふうにお考えになっているのかというのが第一点。  第二点は、これは西原先生の論文がちょっと去年のことですので、大分情勢が変わっているということは十分踏まえた話ですが、私は今までのお話を聞きましても、日本の今後のアジア太平洋地域における信頼関係の中心というのはやっぱり中国を度外視しては考えられない、こういうように思うんです。  西原先生もその論文の中で中国が今後どういう方向に進むかということをおおよそ三つぐらいのもので述べておられます。  一つは富国強兵でいきますとこれは富国強兵中国経済で言うとこれは中華経済圏の道、それから今度は群雄割拠になると中国連邦というふうに、以上三つの道を予想されておるんですが、車ほどさようにやっぱり中国を除いて日本の我々の運命というのも考えられないのじゃないかというように思うんですよ。  したがって、今は枠組みは日米、これはもう好むと好まざるとにかかわらず、猪口先生のお話のとおりそうだと思うんですが、この後の長期的な展望に立ちますとやっぱり基軸はもう中国、この中国ということは争えない事実ではないだろうか、こういうように思うんですが、その点について今後の構築、中国との構築をどうしていけばいいのか。この点の二つの点で質問したいと思います。
  62. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) 前者の問題についてはやっぱりこれからの世界、どんなふうなスタンスで日本は取り組んでいったらいいのかということですが、私は三つぐらい大きな原則が短中期長期にかかわらずあると思います。  一つは、やっぱりとにかく安全保障については紛争の平和的解決を各国がとるような基盤をできるだけ日本がつくるのに手助けする、長たらしく言いますが、そんなに万能じゃないことをよく知れば知るほど、ほんのささやかな努力しかできないことを知れば知るほど、そういうふうなことにならざるを得ないんですが、紛争の平和的解決をどの国もとりやすくする基盤をつくる。  そのためには、やっぱりみんなが信頼を持ち合う信頼醸成措置とか、それから余りおなかが減ってはすぐけんかしないとも限らないので経済発展に手助けするとか、そういった面の努力が日本は必要だと思うし、国連の安全保障理事会常任理事国になったらいいかどうかということは別として、例えば人口とか技術とか経済とかそういったものもしっかり考えることが安全保障に、平和につながるというふうに日本が考えるんだったら、そこに、どういう資格であれ頑張って紛争の平和的解決に、できるだけそういうふうになるように努力するというのがまずしっかりしたスタンスとしてなきゃならぬと思います。  第二は、国内的なものです。  やっぱり市場を中心にできるだけプラグマチックにやるんだけれども、余りそれに市場の力を極端に進めるといろんな弊害が起こるわけです。その弊害をできるだけ緩和するようなやり方については日本は、途上国の多くに対して、自分がつい三十年かそのぐらいまでは途上国だったわけですから、たくさんのアドバイスといいますか役に立つことを一緒にやれるんじゃないかなと私は考えて、それも非常に日本の長い間の基本的なスタンスになるべきだと思います。  市場の力を主にするんだけれども、その弊害についてはできるだけ緩和するようないろんなやり方があるわけです。そういったものについて日本は発言をもっとすべきだと思います。  それから三番目は、やっぱり国内の統治といいますか、そういうことです。  だんだん民主化ということはどこの国でも進んでいくと思うんです。民主化というのはまた、好きなことを勝手に言うグループも出やすいものですから、そこら辺はやっぱり、日本式と言うとなんですが、コンセンサスといいますかよくみんなで納得してから動こうやという感じのやり方を、それは受け入れてもらえるかどうかは知らないですけれども、日本としてはそういう形でできるだけ独断専行にやらないように、国内的にも。そういうのがいいんだと。  それは民主主義と言おうが何主義と言おうと何でもいいんですが、そういうことが、日本経験を踏まえて、しかも国際的にも平和と繁栄につながる大きな原則だということを忍耐強く訴え、しかも実践して一つの例を示していくことが日本の長期的なスタンスになるべきだなと私は思います。  それから、中国の方に行きます。  中国については、経済発展はとにかくモメンタムがある程度ついているものですからいくんですが、非常にまた別なシナリオが書けるわけです。民主化し、しかも脱規制化といいますか、社会主義的、官僚主義的な、今までのというか今でもそうなんですが、非常に規制が多い経済なわけですが、それを全部外して民主化し、脱規制化していくということを日本が推進ないし促進することによって中国がどういう方向にいくかというと二つ考えられるんですよ。極端に違うわけです。  一つは、ちょうど日本の占領から六〇年代にかけての日本と同じように、民主化し脱規制化すればするほど生産性も高まり、競争力も高まって、もうエネルギー満点になるという感じの議論はできると思います。  それに対して、全く逆に、民主化し脱規制化すると、中国ではもう混乱がきわみにたどりつき、不安定化し、国内で不安定化ならいいですけれども、地続きの国、海続きの国ばっかりですから、まあ当たり前ですが、もう地域全体を不安定化するという議論にもつながると思うんです。  それで、日本としては中国をどうするかといったら、余り経済的に激しく強大化したり軍事的に強大化するというのはやっぱりこちらとしては元気が出ないわけですね。しかし、民主的になってほしいと思うし、しかし、中国共産党の天下を崩したときの中国社会というのはどんなかなと。今でさえもう勝手連の天国みたいな感じになってきているなんて言うと悪いんですけれども、そういう面が非常に大きいときに、僕の感じではやっぱり中国自身の好みといいますか希望というのも常に尊重しつつ、穏歩前進といいますか、そういう形で経済協力でも民主化促進でもいくんじゃないか。  そう余り内政介入的に民主化を促進するということにしても、どっちに転んでも、エネルギーがたくさんついても困るような気もするし、かといって中国大陸がめちゃくちゃになっても困るような気がするので、そこら辺は中国自身の希望を手助けするような形の民主化、それから脱規制化についても、そういう方向がいいんじゃないかなという気がするんです。  ただ、要するにそういう中間的な折衷路線がかえって中国共産党の崩壊につながりやすくなると言われると困るんですが、当面は中国共産党の天下による支配を容認といいますか、当たり前なんですが、容認しつつ、余りめちゃくちゃにやらないということをできるだけ要請していくと。ODA大綱などに準拠しつついくというほかちょっとまだ様子を見るほかないんじゃないかなと思います。  いずれにしろ、極端なシナリオを考えやすいところで、とにかくあれだけのモメンタムとあれだけの力量と、それから日本人と違うところはやっぱり一人になると物すごく才能がある人が多いですから、これは本当に予断を許さなくて、つい十年ぐらいすぐたっちゃいます。  そういった極端な可能性も念頭に置きつつ、当面は、やっぱりあちらの希望を手助けするという形で、国内の政治の民主化、あるいは国内経済の脱規制化。つまり、世界経済への参入がどのぐらいまでいくかということについて、あちらの希望に沿った、余り百八十度違った形でいってもしょうがないと思いますし、それがかえって大混乱に結びついても、あるいは物すごい力量のついた、日本の百倍の力量のついた民主中国経済大国中国になっても困るかなという、困るなんと言っては悪いんですけれども感じがするので、今のところはちょっと中途半端ですけれども、それで一応また推移を見るというのが一番妥当じゃないかなと私は考えております。
  63. 西原正

    参考人(西原正君) どうもありがとうございます。  第一点の御質問で、アメリカの役割が今後うんと変わった場合に新しいシステムというのを考えていかなくちゃいけないのではないか、そのためにどういうことを日本がすべきかという御指摘でした。  確かに、もしアメリカの役割が変わればこのアジア太平洋のシステムは大分変わると思うんです。しかし私は、アメリカアジア太平洋における役割は当分の間余り変わらないであろうというふうに思うわけです。  なぜかといいますと、アメリカ自身が大国で海洋国である。したがって、世界にシーレーンを持っている国が日本との関係をなくすことによって国益を阻害されずにやっていけるだろうかというと、むしろ大変難しいわけです。  つまり、アメリカが西太平洋における影響力を下げたいと思うためには二つ三つ条件がありまして、一つは、アジアにあるこれだけ大きなアメリカのマーケットがほかのところ、例えばラテンアメリカにもっとより大きな魅力的なマーケットができてアジアとの貿易をやらなくたって十分だ、それから日本との貿易もやらなくても十分やっていけるという自信がアメリカ側にできたとき。それからもう一つは、日本の基地を失っても、つまりそうしますとアメリカの防衛ラインはホノルル、サンディエゴの方まで下がるわけですけれども、それでアメリカが自国の安全に対して自信を持てるとき。それから最後は、そういう世界のシーレーンが危ぶまれても自分の国は大丈夫である、つまり西半球の中でひっそりとやっていけるという姿勢に変わったときには、私は西太平洋におけるアメリカの存在は変わると思いますが、当分それは考えられないんです。したがって、当分私は今の状態が続くのではないかというふうに思います。恐らくまだ二十年ぐらいそうなるんじゃないかと思います。  そこで、もう一つ中国とのよい関係なしては日本は将来危ないんではないかという御指摘でした。私もそう思います。  隣国にこれだけ大きな国があって、その国との関係が不安定であるということは、日本にとって極めてマイナス条件であろうと思います。したがって、中国との友好、中国との相互理解、そのための信頼醸成をどうしていくかということを真剣に考えるべきである。  そのためには、我々は、中国にもっと軍事情報その他の面で透明度を高めてもらいたい、国防白書を毎年出すようにしてもらいたい。それから、中国国内で核実験をやったときに、中国ではどういう議論があるのか我々にもっと知らせてほしい。全員が賛成しているなんて思いませんが、全員が反対しているとも思いません。少なくともどういう議論がなされているか我々は知る権利があります。それから国防費、これも相当伸びているようですけれども内容はどうなっているのだろうかそれについてもっと知りたい。我々日本は国防白書をしっかり出しているわけですから、それを見てもらえば相当日本のことはわかるわけですけれども、逆に中国のことはわからない、そういう状況。そしてまた、例えば尖閣列島についても、将来は中国の海軍の増強がなされれば今よりも緊張が高まる可能性があるわけです。そうしたときにお互いに誤解のないようにするためには、中国日本との間に早目にホットラインをつくっておく。そして、日本の指導者と中国の指導者が緊急のときには話し合って問題が解決できるような仕組みをつくっておくとかといった努力が私は日中関係をよくしていくのに役立つだろうと思うんです。  にもかかわらず、中国の今の姿を見ておりますと、経済の過熱がもたらすあらゆるマイナスの要素、腐敗であるとか貧富の差の拡大であるとかといったことから考えますと、中国がいろんな面で大混乱を起こす可能性もあるわけです。そういう国と信頼関係をどうやって結んでいくかというのは極めて重要な問題になってまいります。途方に暮れるような問題かもしれません。したがって私は、中国との友好を進めるのが難しい場合には、やはりアメリカとの関係あるいは日本と韓国、日本とASEAN、中国の周辺国との関係をよくしておくことが日本自身に安心感を与えることにもなるというふうに考えております。
  64. 大木浩

    ○理事(大木浩君) ありがとうございました。  実はまだ三人側質問予定者がありまして、時間が二十分ぐらいですので、ひとつなるべく御質問の数とそれから御質問の長さを簡潔にしていただきたいと思います。
  65. 成瀬守重

    ○成瀬守重君 猪口先生と西原先生にちょっとお伺いします。  実は、アジア地域の安全保障という問題につきまして、私、ことしの七月にウィーンで開かれたCSCEの会合に出席しまして状況を見聞したわけですが、その間において本当にこういう多国籍の会合に自国の安全保障というものをゆだねることができるんだろうかというものを感じたわけで、ましてロシアの代表としてジリノフスキーなんというのが来て、ロシアの政策に反対するような者はもう抹殺せよなんというようなことまで平気で公言するような状況の中で、本当にそういった信頼関係というのが構築されるのかということを感じたわけです。  そういった意味において、このアジア地域においても、日米との安全保障体制というものは、先ほどのお話の中にも衰退しつつあるというかあるいは消滅する方向へという御意見もあるようですけれども、私は現段階においてはまだまだ日米の安全保障というものはやはり我が国の安全保障のために必要じゃないかと。  そういった意味において、いきなりこのアジア地域にCSCEのアジア版のようなものを持ってきても、私はすぐにそれに乗るということは難しいんじゃないかということを思うんですが、いかがでしょうか。
  66. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) まあCSCEもそんなによく機能していないわけでありまして、戦争抑止とか安全保障、そのメンバーカントリーのすべてに防ぐというようなことは成功していないわけですし、ましてやCSCAなんということは、当面は何といいますか余り期待できないと思うんです。  要するに、信頼醸成措置構築ということのすべての出発点は、とにかく一緒になって少しでもしゃべる、会うという機会をつくろうということですから、さっきのTMDと同じで、ちょっと同じような意味で、何でも実効性がないからどうしようもないという議論に走らない方がいいんでありまして、ちょっと定期的に会いましょう、ちょっと言いたいことを言いましょう、これがいいのでありまして、若干僕は、信頼醸成措置というのは余り過大評価してはいけないけれども、過小評価して——やっぱり定期的に会っていると気心がだんだん知れてくる場合が多いのであります。  どうしようもない人もいるかもしれない、あるいは自分がどうしようもない人かもしれないけれども、でもそう言っちゃ何にも始まらないから、少しずつ心を、何か心のわだかまりといいますか、かたくななところを取るために役立つかもしれないというぐらい、それだったらまあ一年に三日ぐらいいいじゃないかというのが私の考えてあります。
  67. 西原正

    参考人(西原正君) 私も、CSCEのアジア版に今一番近い形で存在しているのがASEANリージョナルフォーラム、地域フォーラムでございますね、ことしスタートしたばかりですので余り期待はできないと思います。しかも、十七カ国、アジア太平洋地域から集まって、それで今後どういう取り決めができるか知りませんが、それでもって日本の安全はもう安心ですというわけには決していかないという面では先生と同じ意見を持っております。  例えば、国防白書をアジア太平洋地域の国は全部出すようにしようじゃないかと言っても、今出せますという国は非常に少ないですね。民主主義国だけが出していて、いわゆる閉鎖体制の国は書けないですから。ASEANの国でも、本当は隣国が少し心配なので国防白書でそういうことを書いたんでは国際関係がかえって悪くなるということで、実際に何か信頼醸成措置をとろうと思っても大変難しい点があるという点を考えますと、御指摘のように私はまだ日米関係の存続が重要であると思います。
  68. 種田誠

    ○種田誠君 社会党の種田と申します。  私も議員に送っていただいてからアジアの国を大分徘回してきたんですけれども、やはりアジアの国の状況というのは非常に複雑で、しかもこれから経済発展を遂げなければならない。国民の物の見方も、そして各国の共通の認識もなかなか持ち得ない状況に今あるわけですね。そこで、日本的な状況の中において、日本的発想でこれを求めていくというのはなかなか難しいんじゃないかこう思うんです。ただ、しかしそこで一つ重要なのは、やっぱりアジアのかなりの方々は、いわゆる安全保障の場面において、先ほど先生方からもお話があったように、やっぱり日米の安定した体制、こういう安全保障というのを前提に考えておる。  で、日米安保条約について我が党はかつて廃棄すべきだと、こういうような提言をしてきましたけれども、これは米ソ冷戦構造の中における一つの力関係として政治的に出てくる結論だろうと思うんです。それが終わった今、私は、日米安保条約は総合的にもっと強化された形で、アジアの安全保障を位置づけていく上で今極めて重要な役割を果たしている、また果たしていかなければならないんじゃないかと思うんです。  とりわけ、それは中国の今日の状況、これからの状況、これはアジアの国民はかなり中国の脅威というか、中国に対する畏怖というかそういうのを今ひしひしと感じている。これらに対して、一体、日米安保条約がこれからもっと総合化され強化されていく中で、中国との関係をどう取り組んでいくか中国をより国際舞台の中に共鳴させていくかこういうのをやっていく今位置にあるんじゃないかなと思うんですね。  問題は、アジアの場合に、先ほど申し上げたようになかなか共通の土壌がない、共通のコンセンサスがつくりにくい国々が多いわけですね、それは先ほど申し上げたように途上国としての限界があるわけですから。そういう中で、そういうアジアの集団的なまさに地域共通の安全保障をつくっていこうという方向に向けて、まず、大きな基軸としては日米が一つの安定した形の中で中国との接点をどうつくっていくかということをやりながら、その方向を目指していく必要があると同時に、アジアの場合にはインフラの整備、例えばアジアハイウェーにしろ、アジアの川における多国的な川ですから、こういうインフラ、下水も町づくりもそうですけれども、こういうのをいかに共通の課題としてこれをなし遂げさせるか。  例えば、アジアハイウェーをつくる場合に、今までちょっと米ソ冷戦構造の中で眠っていたESCAP、アジア太平洋経済社会委員会、こういうところが本格的に多国的なODAみたいなものをつくって、そして日本が事業主体の中に大きな役割を持ちながら各国から参加していただいて、アジア銀行あたりから金を出してもらって、そして多国的な事業に対応していく。こういうのをつくりながら並行してやっていかないと、アジア本当意味での信頼醸成というのは生まれないと同時に、アジア本当の安定した国づくりに供する安全保障はできないだろうと思うんですが、その辺のところ、猪口先生、西原先生、ちょっとお願いをしたいと思います。
  69. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) はい、同感です。  やはり、経済的な利害が一緒になる部分が大きくなればなるほど同じような考え方をするというのもありますけれども、共同事業で実際汗水流してやるということは非常に重要で、しかも国に限られた課題についてじゃなくて、国境を越えて、またがって大きなプロジェクトを一緒にやるということは、共同の気持ちといいますか感情を出すために非常に役立つわけですね。こういうものは積極的に進めるべきだと思います。  それは、ただ要するに、言うはやすく行うほかたしで、川でも、例えばネパール、インド、バングラデシュの川なんてもう、利害が錯綜して、どういうふうにやったら皆まとまるのかちょっとわからないぐらい複雑なんですね。こういった問題とか、あるいはハイウエーでも、これは物すごく難しいと思います。それから電気通信なんかでも、やっぱり何といいますか、どの会社が一番いいところをとるかとか、そしてその国の権益と結びついできますから物すごく難しいですけれども、そういったことがやれなければ、結局は平和というのもなかなか保ちにくいという意味で、そういう国際的な課題というものをどんどんこなしていくということに日本の安全保障はかかっているというぐらいに思うことには全く同感です。
  70. 西原正

    参考人(西原正君) 私も賛成でございます。  安全保障といいましても、軍事だけじゃなくて外交も重要ですし、また、それのもとになる経済的な安定というのは非常に重要だと思いますね。そういう面で日本が果たし得る役割は、軍事力というのは非常に限られておりますけれども、むしろ経済力を得意とする分野ですから、その面での貢献をし、アジア地域の相互依存度が進めば、それだけ緊張が起きなくて済むであろうというふうに思います。
  71. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 公明党の荒木でございます。きょうは私で最後でございますので、どうも御苦労さまでございました。  西原先生に一点お伺いしたいと思うんですが、きょうはアジア太平洋地域における信頼醸成の構築ということで具体例も踏まえて大変興味深いお話を聞かせていただきました。  先ほど来、アジア地域においてはCSCEのような枠組みはすぐには妥当しないというようなお話であったかと思いますが、こういう地域における枠組みの一方で国連という機関があるわけですね。アジア太平洋地域における信頼醸成並びに安全保障という面で、国連をどのように使っていくのか、あるいはどういう機能を果たすべきなのかお考えがありましたら最後にお伺いしたいと保思います。
  72. 西原正

    参考人(西原正君) 国連は、我々日本人にとっては何かロマンチックな感情さえ抱いているぐらいに非常に重要なものであり、また大きな役割を果たし得るという期待感があります。  しかし、私は、アジアにおいては機能するために幾つかの条件がある、その中で一つ重要なのは、中国がどういう態度をとるか、中国が国連の動きに協力するかどうかがアジアにおける国連の役割がうまくいくかどうかを決するものだと思います。  なぜならば、常任理事国の唯一のアジアのメンバーは中国であり、中国の同意なしては国連の平和維持機能はアジアではうまく機能しないという点がございます。また、アジア太平洋地域における多くの潜在的な紛争問題を見ますと、ほとんどのことに半分中国がかかわっております。したがって、国連でアジアの紛争問題を取り上げると必ず中国が反対する可能性があります。しかも、常任理事国であれば拒否権を発動する。となりますと、国連がアジアの安全保障問題で解決できる問題は限られてくる可能性が非常に高い。  カンボジア問題はうまくいきました。これは中国が拒否権を行使しなかったからですね。しかし、南シナ海の問題、あるいは将来香港にしろ台湾にしろ朝鮮問題にしろ、中国がどういう態度をとるかが非常に重要になってきます。その点では、日本がもし常任理事国になった場合、もろに中国とこういう問題でぶつかる可能性が大いにあります。  そういう面を私は、常任理事国に日本がなりたいという場合に、その可能性あるいはシナリオを十分研究しておくべきだと思います。
  73. 大木浩

    ○理事(大木浩君) 猪口先生が何かコメントがあるようですから……。
  74. 猪口孝

    参考人(猪口孝君) 私、実は国連大学のアフィリュート・スカラーでありまして、若干一言だけ宣伝させていただきたいと思います。  要するに、若干日本社会では評判が悪いんですが、日本で一番大きな大学出版会に国連大学出版会というのがあるんですが、国連大学出版会は年五十冊ぐらい本を出しているんですね、立派なアカデミックブックス、学術書を。学術書を英語で出している。年間四冊しか出していないんですよ、全然日本は。国連に入っているメンバーのいろんな研究、科学技術経済発展それから平和と安全保障の問題についてさまざま。年間五十冊、しっかりした学術書。  もちろん、ある程度政策的に偏ってといいますか、政策的な意識、政策形成に何か役立つようにというのも少しありますけれども、学術書を五十冊も出して、世界である程度しっかりした学者を集めてやっているのでありまして、国連大学というのはこの信頼醸成のための一つのビークルであるというふうにお考えになって、さらなる御支援をお願いできたら幸いだなと思います。  どうもありがとうございました。
  75. 大木浩

    ○理事(大木浩君) それでは、三参考人に対する質疑はこの程度といたします。  猪口参考人、西原参考人、前田参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙の中、長時間の御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十五分散会