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参考人(
青木保君) 御
紹介にあずかりました
大阪大学の
青木と申します。
国際文化交流について
意見を述べろというお達してございますが、私は、一九六五年以来、
東南アジアを中心に
アジア各国あるいはオーストラリアそのほかで
文化人類学の
実地調査に携わっておりまして、その
経験から若干今考えておりますことを述べさせていただきたいと
思います。
アジア・
太平洋地域というものは、
言葉はございますけれども、実態は大変広くてつかみどころがないというのが
本当だと
思います。全くの
政治的枠組みであって、その中身はまさに
太平洋みたいに茫漠としているものだと
思います。これをいかに政治的に
枠組みをつくるかというのは、まさに
各国の
政治家、
先生方の御努力だと
思いますが、ただ、こういう
枠組みができたということは歓迎するべきだというふうに
思います。
まず、
国際文化交流という
言葉は簡単なんですけれども、それは四つのレベルで進行すると
思います。
一つは人でございます。次は物でございます。それから三番目が情報で、四番目が
場所でございます。
これを現在の
日本が置かれております状況から照らし合わせまして見ておりますと、人というものですが、これは
国際協力あるいは
国際文化交流に携わる
人材というものは非常に限られているということは事実がと
思います。また、
国際文化交流は、人においても
外国人とあるいは
自国人が一緒にやるということが不可欠でございますけれども、この
異種混合というのはなかなかできないのが現状でございます。
大学でもなかなか
外国人の
教授とか助
教授というものを採用する余地がございません。また、それができないような仕組みにもなっております。それから、一般に言われておりますが、
日本から外へ出ていく人に対して非常に
日本は冷たい、それからまた入ってくる人についても冷たいというのは依然として変わっていないと
思います。
それから、二番目の物でございますけれども、これは
世界じゅうに
日本の
工業製品ははんらんしております。
日本の生み出した
自動車そのほかの
工業製品は恐らく
世界において最も普遍的な価値を持つものではないかと
思います。つまり、
日本の
自動車は
アフリカでも南米でもどこでも出ていくわけでございまして、これは
ヨーロッパや
アメリカの持っている
工業製品とは価値のレベルでちょっと違うところがあります。
日本の製品は非常に開かれたもので、
ヨーロッパは、例えば
自動車一つとりましても
文化的な価値というものをその背後に持っております。幸か不幸か、
日本はそういうことがなくて非常に機能的な面でそれを追求する、万国で受け入れられる製品がと
思います。ただ、こういう
工業製品はあふれておりますが、
文化的なものとなりますと、先ほど
平山先生がおっしゃったように、物はございますけれども一般に非常に乏しいのが事実であります。
昨年、フランスのパリの国立社会科学高等研究所というところに招聘
教授としておりましたけれども、これは
ヨーロッパ最大の
大学院
大学でございますが、そのときにその
大学の学長とか事務局長の方とお話をしましたら、
大学間の協定とか交流協定を結びたいとおっしゃるんです。例えば、パリにあります
日本の大使館にさまざまな広報担当者そのほかがいらっしゃいますけれども、
大学について知っている人は一人もいないというのですね。
日本の
大学の実情について知っている外交官とかあるいはいろんな方がいらっしゃると
思いますが、情報が全然入ってこないということをおっしゃっておりました。ただ、時々お会いすると、すばらしいフランス料理はおごってくれるけれどもねと言っておりました。これだけ
工業製品がフランスにおいてもあふれているのに、
文化についての情報が
日本からほとんどないということです。それは残念だと言いましたら、その学長さんも事務局長さんもふふんと冷笑して、
文化はそう簡単にいきませんよと言われましたんですが、そういうことが
一つ現状としてございます。
それから、次に情報でございますけれども、その情報も、例えば
東南アジアにおりましても
日本についての情報は非常に限られたものしかございません。政治の変化とかあるいは
経済的な動きといったものについては最近では大分情報がありますが、
日本の社会の実情についてあるいは
日本の
文化についてほとんど新聞そのほかのマスメディアにも登場しないのが事実であります。ことしの夏もトルコとか学会でコペンハーゲンとか参りましたけれども、
日本についての情報は何にもございません。これは非常に驚くべきことでありまして、大変残念だと
思います。
外務省の
要請で、昨年、ことし、
ロシアと北欧と
アメリカに現代
文化についての講演会に行ってくれ、講演をしてくれということがございまして参りました。各地で公開講演をいたしましたが、日曜日の午後とか
場所も博物館とか
大学なんですけれども、これが人が立ち見が出るくらい満員でございました。それはどうしてかといいますと、
日本の現代
文化について私はお話をしたんですが、これについてほとんど知るところがないということであります。それこそ漫画から映像から
宗教まで、こういうものがどうなっているかということについて情報がほとんど入ってこない、これについて非常に残念だということで、私のつたない講演ではございましたけれども大変熱心に聞いてくださった
経験がございます。情報がなかなか出ないということでございます。
次は
場所でございますけれども、
場所も、これはこれまでの
参考人の方も御指摘になっていると
思いますが、
日本の都市というのは確かに非常に
繁栄しておりまして国際都市の表情を持っておりますけれども、事実上、例えば都市を
外国人が
文化の基地として使おうとすると、またさまざまな規制そのほかがあってこれほど使いにくいところはございません。
例えば、英語が非常に
東南アジアの都市と比べましても通じないとか、これは我々は
日本語でやって非常に幸せでございますけれども、同時に国際性がないということがあると
思います。それから、
外国人は自由に
日本の都市で活動ができるかということになりますと、そういういろんな制約があってできないということがあります。
人と物と情報と
場所、これが
国際文化交流にはまだまだ整備がされていないという感じがいたします。
じゃ、国際交流をする主体の方はどうかといいますと、
政府、
国家と民間と二つのレベルがございますけれども、
政府の国際交流への取り組みは、御努力は大変されていると
思いますけれども、例えばロンドンへ行って、
日本の新聞を読んでみたいとか
日本の雑誌を読んでみたいと思ったところで、
文化センターといったものがございません。これはニューヨークでも同じです。もちろん
東南アジアの都市でも同じでございまして、これが
アメリカとかイギリスの場合と全然違うわけであります。
アメリカは
アメリカ文化センターがございます。それからブリティッシュカウンシルとかあるいはゲーテ・インスティチュートといったものがあって、そこへ行けば大体その国の
文化についてあるいは現在について知る情報を得ることができるんですけれども、これがほとんど整備されておりません。
例えば、重要なことは、今非常にAPECの地域からも留学生が
日本へ来たいと言っておりますが、その留学生の相談の窓口というものが大使館しかございません。大使館はもちろん非常にお忙しいですから一々苦情を、留学生がどういう
大学へ行って、どういう先生がいるか、なるべくこういうことをしたいのだけれどもどこへ行ったらいいかというようなことを相談に来る場合、大使館では応対できません。もちろん
アメリカではフルブライト委員会とか、この赤坂にございます日米教育委員会といった独立した機関がございまして、そこですべて教育関係は取り仕切っているということがありますし、ブリティッシュカウンシルとか、一応大使館とは別のそういう
文化情報センターがございます。そういうものをやはり
日本も整備しないと、国際交流に追っつかない事態になっているというふうに考えるわけでございます。こういう問題が
一つございます。
それから、民間でございますけれども、民間は二つのレベルがありまして、大企業そのほかのやっているメセナ活動とか、あるいはコマーシャル的な
意味を含めての広報活動とかいろいろとございます。現地にいろいろと
貢献をしたり、あるいは
日本へいろいろと
外国の
文化交流促進のための資金援助をしたりということはやっておりますが、これはどちらかというとブランド物に集中して、しかも景気に左右される。いわば継続性というのがどうも弱いということが現実として指摘されると
思います。
じゃ、草の根はどうかといいますと、これはボランティア活動でございますが、例えば最近大阪で
アジア図書館というのがございまして、そこの方が、全く民間の方ですけれども七万冊の
アジア関係の図書を準備いたしまして、それを開いて、そこへ行けば
日本も含めた
アジア関係の大体の専門知識から一般知識まで得られるというようなものをやって、七万冊持っていらっしゃるということですが、今度
中国の大連にその分室をお開きになるということが話題になっておりました。
こういう御努力は今、数はまだそんなにたくさんありませんけれども、これは予想外にたくさんございます。例えばラオスでは今、ラオス国境のメコン川にタイとラオスの間をつなぐ友好橋というのができましたけれども、これによってタイ
文化が大量にラオスに入ってきて、ラオスの
言葉とか伝統というものが失われてしまうというような危惧が出ているわけです。それに対して、
日本人の方がラオスでラオ語の絵本とか本をつくって、それを集めたり、またラオ語にいろんな
日本の本を訳したりしながら、ラオスの
文化を
保存しようとするようなことをやっていらっしゃる人もいるということでございます。そういう草の根の動きは、これはかなりのものがありますけれども、まだ全体としては少ないということは言えると
思います。
ただ、今こういうことを申し上げますとすべて批判になってしまうのですが、せっかくこれだけの
日本というような大きな国になりましたところで、それが先進
各国と比べた場合に余りにも格差があり過ぎるという実感を持っておるわけであります。
例えば、フランスでございますけれども、昨年でしたか、ミッテラン大統領がハノイへ行きまして、これはディエンビエンフーの陥落以降初めてフランスの首脳が訪ねたわけです。そのときにいろいろと言われているようなことがありますけれども、驚いたことは、ミッテランが行くとすぐに極東学院のハノイ支所というのを開いたんです。これは、フランスの植民地の
時代に極東学院という国立のものがハノイにございまして、これがまさにアンコールとかあるいはいわゆる雲南
文化とかああいうものの
遺跡の発掘から発見から、あるいはインドシナの研究というものをやって、これはもう大変な蓄積がある
世界に冠たるフランスの
文化的な業績なんです。これはもちろん植民地が崩れました後ずっといわば休息
状態にあったんですけれども、ミッテラン大統領が行きまして、一応国交をやろうということになりましたら、急にすぐこの
文化学院というものを復活させたという早わざをやっているわけで、これは、その是非は別といたしまして
大変日本にとっても
参考になることではないかと、そう
思いました。
これは、ちなみに言って、ハノイとソウルと東京にも支所が微々たるものですけれどもできました。政治、
経済だけじゃなくて
文化に対して打つ手が非常に早いです。こういうところが西側、
ヨーロッパや
アメリカの非常にしたたかさといいますか
文化というものを必ず
一つの
国家の戦略に組み込んでいるという例じゃないかと
思います。
ただ、私はここで申し上げたいのは、幾ら
文化交流といいましても、明確な目標とかそれから効果的な
手段というものを考えませんでそういうことを言っても、あるいは部分的に
お金を出すようなことをやってもしょうがないと。
じゃ、
日本の
国際文化交流というものは何を目的にするか。今申し上げましたような西欧とか
アメリカというのは、少なくとも近代西欧あるいは近代市民社会あるいはクリントンの人権外交まで延びている近代主義というものを
世界じゅうに普及させると同時に、自国が蓄積した
文化遺産というものを、あるいは
文化の業績というものを
世界各地でそれを一般に分け与える、あるいは研究の場、学習の場を与えるというような明確なものがございます。
それは、私ども現在にあってもいまだウィーン・フィルだ、ベルリン・ドイツ・オペラだというようなことを言っているわけでございまして、そういうものに対して、
経済的にはかなり減速をしたとはいっても、西
ヨーロッパ諸国の
文化については、これは依然として我々は研究の対象あるいは趣味そのほかも含めた
文化の業績として貴重なものと思っているわけでございます。
そういう点から見ますと、では
日本は何があるのかということが改めて問われると
思います。
日本にももちろんさまざまな
文化的伝統、遺産もございますし、それはそれで
世界に誇れるものでございますけれども、現在、例えば西
ヨーロッパとか
アメリカが持っているような、そういう近代主義とか、あるいは
近代化というものの原動力となるようなものが果たして
日本から発信できるかとなりますと、これは必ずしもはっきりとは言えません。
ただ、
日本の場合は、東西南北の
文化の融合地点として、しかも近代において
アジアにおいて唯一
近代化の達成をまずしたといういわば
歴史がございます。近代の
歴史がございます。非常に小さな鎖国
状態であった江戸
時代の
日本が開国いたしまして
世界に広がっていったという、この
一つの
歴史的な過程というもの、これはその間に不幸な
歴史的な
アジアとの関係がございましたけれども、
一つのプロセスとして
アジア・
太平洋地域にも示せるものだとは
思います。
私がここで
先生方に申し上げたいことは、そういう現在の
日本が
国際文化交流をするに当たって、
日本の目標といいますか、あるいは
日本の役割というものをどういう点に置くかということでありますが、それは何といいましても、これは私も数年前から申し上げていることなんですけれども、
アジア・
太平洋地域における情報
文化の基地としての
日本という役割、あるいはその役割の自覚というものが大変重要ではないかと
思います。
アジア・
太平洋地域の
特徴というのは、すべてがマルチカルチュラルです。つまり多
文化的でございます。
日本は、今もいろいろと近隣諸国から批判もされておりますように、何かこの地域に例えば思想とかあるいは
文化を教えるというような
立場にはなかなかなりにくい、
文化遺産はあるにしてもなりにくいわけであります。というと、このマルチカルチュラルな状況で、
文化摩擦やあるいは
民族紛争、
宗教戦争といったものも散見されるこの地域において、
文化と
文化の間を媒介するような情報
文化の基地としての役割というものをはっきりと国として、あるいは社会として自覚したらどうかと
思います。
しかも、先ほども
平山先生がおっしゃいましたように、
日本文化の特色というのは、えり好みしないで外来
文化に対して非常に広い受容性を示すということであります。つまり、東西の
文化は何でも受け入れると。
ひところおもしろいことがありました。私が
大学院の学生のころに台湾からの留学生の方がいらっしゃいましたけれども、どうして
日本へ来たんだと言いますと、
日本へ行くと、例えば
日本の研究室だとドイツへ留学した先生がいる、あるいは
アメリカへ留学した先生がいる、あるいはフランスへ留学した先生がいる。その
人たちみんなが留学で得たいわば学問を出店のように
日本の研究室でそれぞれやる。だから、
日本へ行けば
外国でどういうことをやっているか全部わかるんだなんということを半ば笑いながら言っておりましたけれども、今はそんなことはないと
思いますけれども、ひところはそういうことがございました。
そういう
意味では、
文化と
文化の間を媒介する役割を担う国としての
日本というのはポテンシャルが非常に高い。
宗教的にもそれから
文化的にも余り偏見がございません。おもしろいものとかあるいはためになるものはすべて受け入れて、それを
日本の中で消化するという形がございますので、こういうところをむしろよく自覚した上で、マルチカルチュラルなAPEC地域における情報
文化の基地としての
日本ということを考えたらどうか。
結局、
日本は資源小国でありまして、今、
日本の企業がたくさん海外に行っておりますように、海外立国でもあるわけでございます。そういう点で考えますと、情報
文化立国というようなことを考える。それで、情報
文化の場合には必ずマルチメディアといいますか双
方向的な情報の交換ということを考えるわけでございますから、まさに
日本というのはいろいろな点で雑居あるいは混合、雑種を
文化的にはいとわない、しかも伝統を忘れないというような強さがございます。
しかも、情報産業も発達しておりますし、マスメディアは恐らく
アメリカに次いで
日本が一番
世界で発達しております。こんなにテレビをやっているところはございませんし、それからまた雑誌そのほかさまざまな形でのメディアというものが最大限活動できるのは
日本であり、少なくとも
アジアにおいてはほかに比べるところはどこもございません。こういうところがやはり主導をとって情報基地というものをつくったらどうかとして自覚したらどうかということを申し上げたいと
思います。
最後に、そういうことを踏まえた上で若干の御提案をさせていただきたいというふうに
思います。
これは幾つかございますけれども、まず一番目は、そういう点で、今言いましたような情報
文化立国としての
日本ということを考えた上で、
日本に
アジア・
太平洋の情報
文化センターという非常に大きなものをつくる。
アジア・
太平洋地域の
文化、社会、政治、
経済あるいは
民族あるいは地域といったものについての情報
文化をすべてここに集める。そこで、
アジア各国の人が何かお互いに知りたいことがあった場合には
日本の情報
文化センターを利用するというような、そういうことを考えたらどうかと思うんです。まあ情報
文化のディズニーランドと言ってもいいかと
思います。つまり、東京ディズニーランドができますと、
アジア各国の方はもうロスまで行かなくて東京でとまってしまったということが指摘されておりますけれども、こういうようなものが
一つ非常に重要だと
思います。
これも双
方向的でありまして、例えばバンコクの
日本の情報
文化センターの支部でアクセスをしますとすべてデータがバンコクの方から送られるという、そういうようなことは、これは
日本の得意とすることで、ファクスも実用化したのは
日本でございますし、これから電子産業、電子メール、そのほかすべてこういうものは
日本が得意なことですから、こういう情報
文化センターをつくっていただきたい。
それから、二番目は海外でございますけれども、
日本の情報
文化センター、これを少なくともAPECの拠点地域にはつくる。これはやはり現在はほとんど何にもございませんから、ここの情報
文化センターへ行きますと、
日本関係の図書とか知識がそろっている、情報がそろっているということで、学生から市民からすべてが
日本に関係するものはここでいわば情報を得るということです。あるいは同時に、図書館だけではなくて映像とかあるいは音楽とかそういう講演、シンポジウムも含めた
文化活動をする。これは、御承知のように、
アジア各国すべてが一律に
日本にこういうことを許してくれるとは限りません。向こうの国の事情もございますし、まだ
日本の情報
文化に対しては非常に警戒的な国もたくさんあることは
御存じのとおりだと
思います。ですから、それはあくまでも双
方向的な関係の中で築いていくということが必要です。
私は、香港とかシンガポールとかクアラルンプールとかあるいはシドニーとかAPECの北米の
太平洋側についても主要な都市にこういうものをつくったらどうかというふうに
思います。それで、第一番目に申し上げましたAPECの情報
文化センター、
日本にありますこれと回路を結びまして、両方で
文化と
文化の仲立ちをするような、そういうことをしていったらどうかと
思います。ただ、残念ながら現在ではそういう動きとかそういうものはほとんどございません。これはまさに
日本の政治に私ども全く期待するところでございます。
それから、三番目でございますが、これはちょっと
大学におります者の我田引水的なものになってしまいますが、高等学術研究センターというものを
日本につくるということです。
これは、
日本の
大学とか高等学術機関も国際性が乏しいということが盛んに指摘されております。
日本の
大学は、例えば
世界の一流の学者を招聘して
教授になってほしいとか言いましても、あるいはこれから
世界的に伸びるような若手の学者に
日本に来て一時期助
教授をやってくれないかと言うと、ほとんどだれも来てくれません、一回百万円以上も払うような講演会には来てくれますけれども。というのは、例えば
日本の東京
大学であろうが、そこで一時期助
教授を務めだということが、帰ってから本国あるいは
欧米各国におけるキャリアと全然ならないんです。我々が例えばハーバード
大学の助
教授をしたと言うと、これは
世界じゅうどこへ行ってもそのキャリアは評価されて、例えばイギリスの
大学で雇ってくれる、あるいは
日本の
大学でも一応評価されるということがありますが、
日本の東京
大学であろうが
京都大学であろうが
大阪大学であろうが、そういうところで一時期、若い時期に助
教授を務めたというようなことが今度はね返って業績というかキャリアになりません。
これは非常に不幸なところで、いろいろな原因はあるのでございますけれども、やはり高等学術研究センターというものをつくると。今や四十代ぐらいからほとんどの人は、このAPEC諸国のエリート層は
アメリカ留学といったものを持った人が多いんです。学者もあるいは
政府高官も、例えば向こうの学位を持っているとかそういう人が非常に中枢になってきているわけでございます。それは私は必ずしもいいことだと
思いませんけれども、ただそういう現実がありまして、
日本にもこういうものをつくる、
東南アジアとかオセアニアのエリートをここで養成する。例えば高等学術センターに一時期在籍したということがある種の
意味を持つようなものをつくって、そこにはもちろん
世界の有数な学者が常に来ていて、
日本人だけではなくて
世界じゅうから来ていて、そこで教育するというような、こういうものがやはりないとなかなか
日本の国際的な地位というものは高まりません。
これは、例えば
アメリカのタフツ
大学のフレッチャー・スクールといったものが、
各国の
政治家あるいは
経済ジャーナリストあるいは学者というものを意識的に集めて、そこで学位を取ったり、一時期そこで研究活動に従事していた人が今や
世界じゅうのリーダーになっているというようなことで、
アメリカはいろいろな問題があってもそういうところは持っております。また、イギリスのオックスフォードとかケンブリッジとかロンドンとか、あるいはパリにおいてもそういうところがあって、一時期そこにいたということが、そこへ一時期来た人が本国へ帰った後の
影響力、これは非常に大きなものになる。
例えば、よく出てきますシンガポールのリー・クアンユー首相はケンブリッジ
大学を一番がなんかで出たんですが、ハーバードでも研究いたしましたけれども、それが今でもフォーリン・アフェアーズなんかですぐインタビューができるという素地をつくっていて、しかも非常にきついことを平気で言うわけです。こういう
人材がやはり
日本のそういう高等学術研究センター経由で
各国に育つ、あるいは交流するということが非常に重要だと
思います。
あと、時間がなくなりまして、簡単に申し上げます。
しかも、こういう学術研究センターは、単なる研究だけするのではなくて、いわば地域の監視所みたいなウォッチャーとしての役割、
民族紛争、地域紛争、
経済摩擦そのほかのこういうものをウォッチして、いわば事態についての声明書とかあるいは報告書を常に出して
世界に知らせるということ、そういうことができないかなと
思います。
あと二点でございますが、あとは、
日本の
一つの役割としましては、
文化創造に寄与をするということでございます。伝統
文化の
保存ということも大事でございますが、現代
文化の発展ということも大事であります。これは映画とか音楽とか文学とかいったようなこと、特に
アジアにおいて
日本はほとんど唯一の言論、出版の自由が保障されている国であって、これは大変大きな
意味を持っているわけであります。
日本へ行けば一応自由に物が言える、書けるあるいは発表できるということでありまして、これを我々は
文化交流のときに非常に活用するべきだというふうに
思います。
今や映画といったものも東
アジアが
世界で一番先進国になっておりまして、
中国映画が香港や台湾の資本あるいはプロデューサーのもとにできて、しかもカンヌ映画祭でグランプリをとるというようなことが出現しておりますので、こういうことを
日本でもできないかなと
思います。
それから、あと簡単に一分ほどで申し上げます。
一つは留学生の受け入れでございますが、留学生はやはり
文化の橋渡しをする非常に重要なものであって、これについては
平山学長もおっしゃっていると
思いますけれども、やはり本格的に社会と
国家が取り組んで留学生対策をする
時代であると。受け入れというのはもちろん重要であります。せっかく来たのに反感を持って帰るということがよく報告されておりますが、私もフルブライトでハーバード
大学に留学いたしましたけれども、この体験が非常によかったんです。ですからやっぱり
アメリカはどこか憎めないところがございまして、そういうものがいろんなことがあっても残るということがあります。もちろん、知識とかハーバード
大学そのもののすばらしさとかそういうこともあるんですけれども、やはり地域が非常によくしてくれたということがあります。
それからまた、
日本人の学生をAPECの諸国に派遣するというこのシステムももっと開発されていいと
思います。
文部省には
アジア諸国派遣留学生制度というものがございまして、実は仏その第一回に選ばれましてタイに二年ほど留学いたしました。これはできてからもう二十年ぐらいたちますけれども、今
日本で一応助
教授以上の
アジア研究者のほとんどはこの制度で一回留学したことがあると
思います。そういう点では大変効果的で、自分のことは別といたしまして、すばらしい学者あるいは研究者あるいは
アジア通というものを生み出しているわけであります。一番効果的なものじゃないかと思っておりますが、こういうものをやはりもっと充実させていただきたいと
思います。
最後は
国際協力の充実ということでございまして、これはやはり初等教育あたりから異
文化についての教育というものをやる。それから、
日本でしたらやはり
外国語として少なくとも英語と
中国語をぜひ義務教育で義務づけていただきたいということ。ちょっと長くなりましてどうも失礼いたしました。