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1994-11-30 第131回国会 衆議院 地方分権に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成六年十一月三十日(水曜日)     午前九時三十一分開議 出席委員   委員長 平林 鴻三君    理事 甘利  明君 理事 中馬 弘毅君    理事 野田 聖子君 理事 若林 正俊君    理事 富田 茂之君 理事 山本  拓君    理事 吉田  治君 理事 伊東 秀子君       長勢 甚遠君    西田  司君       蓮実  進君    浜田 靖一君       山口 俊一君    青木 宏之君       河合 正智君    佐藤 茂樹君       中田  宏君    松田 岩夫君       緒方 克陽君    金田 誠一君       佐藤 泰介君    錦織  淳君       穀田 恵二君 委員外出席者         参  考  人         (東京大学法学         部教授)    西尾  勝君         参  考  人         (北海道大学法         学部教授)   木佐 茂男君         参  考  人         (法政大学法学         部教授)    浜川  清君         地方分権に関す         る特別委員会調         査室長     前川 尚美君     ――――――――――――― 委員の異動 十一月三十日  辞任         補欠選任   赤松 広隆君     佐藤 泰介君   網岡  雄君     金田 誠一君 同日  辞任         補欠選任   金田 誠一君     網岡  雄君   佐藤 泰介君     赤松 広隆君     ――――――――――――― 十一月二十四日  地方分権推進に関する陳情書外九件  (第一九一号) は本委員会参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  地方分権推進に関する件      ――――◇―――――
  2. 平林鴻三

    平林委員長 これより会議を開きます。  地方分権推進に関する件について調査を進めます。  本件調査のため、参考人から御意見を聴取いたします。  本日御出席願っております参考人は、東京大学法学部教授西尾勝君、北海道大学法学部教授木佐茂男君及び法政大学法学部教授浜川清君であります。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。  なお、議事の順序でございますが、まず、各参考人からそれぞれ十五分程度意見をお述べいただき、次に、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、西尾参考人お願いをいたします。
  3. 西尾勝

    西尾参考人 西尾でございます。早速意見を述べさせていただきたいと思います。  地方分権とは、これまでは国が決定してきたことを、今後は自治体決定に任せるということです。これまでは都道府県決定してきたことを、これからは市町村決定に任せるというのも分権の一環ではありますけれども、今我が国で緊急に求められているのは、このような広域自治体から基礎自治体への分権ではなしに、国から自治体への地方分権であります。  中央省庁事務権限地方出先機関に委譲するのは、国の行政権限地方分散であって、地方分権ではありません。  地方分権とは、これまでは国の国会内閣各省大臣決定してきたことを、今後は地域住民の民主的な代表機関であるところの地方議会公選首長決定にゆだねることでありまして、究極的には、それぞれの自治体を構成している地域住民の自主的な判断と自律的な選択とに任せるということであります。  地方自治とは、その字の示すとおり、地域のことはその土地の住民がみずから治めることにほかなりません。したがいまして、地方分権とは地方自治充実であります。これをもう一段分解して申し上げれば、地域住民がみずから治める事項の範囲を広げるとともに、これらの事務事業必要度について地域住民が自主的に判断し、これに対処する方策を自律的に選ぶ自由を広げることであります。  ところで、話が変わりますが、我が国都道府県市町村は、先進諸国自治体と比較しましても決して見劣りがしないほど幅広い範囲事務事業を現在既に担当しています。公務員に占める地方公務員比率公共セクター財政に占める地方財政比率は、先進諸国のそれと比べても異例に高いのであります。行政サービス提供主体として自治体異例に大きな役割を担っているのであります。  それならば、我が国は既にして地方自治先進国なのかといえば、残念ながら決してそうではありません。問題は、この広範な責任に見合うだけの一般財源を与えられていないということと、この広範な責任に見合うだけの権限を与えられていないということにあります。  要するに、我が国自治体は、住民に身近な政府として広範囲仕事を担当しているのですけれども、いわゆる補助金行政とか通達行政と言われるものを通しまして、国の中央省庁によってがんじがらめに手足を縛られながら仕事をしている。何を行うにも最終的には霞が関の中央省庁にまで陳情に赴き、これと折衝し協議をしなければならない。これが日本中央地方関係特徴となっているわけであります。  したがいまして、我が国地方自治をもう一段充実した地方自治に向上させていく際のかぎになるものは、自治体が担当する事務事業範囲をこれまで以上に広げることよりも、むしろ自治体自主性自律性を高めることの方にあると私は思います。一言で言えば、権限財源自治体に付与することが課題なのであります。  そこで、地方分権推進方策としては、補助金負担金整理縮小、国の各省庁による関与の整理縮小、いわゆる機関委任事務廃止地方事務官制度廃止地方出先機関整理縮小といったことが最優先課題にならざるを得ません。  実はこの点に地方分権改革の難しさがあるというふうに私には思われます。と申しますのは、今申し上げましたような地方分権推進方策は、いずれも地域住民自治体の間の関係改革する方策というよりも、むしろ市町村都道府県の間の関係並びに都道府県と国の間の関係改革する方策となっているわけであります。  したがいまして、住民の目には、いずれも自分たちに直接かかわることではなく、専ら中央地方政治家とお役人の世界に属する、お役所とお役所の間の関係改革にすぎないように映ってしまうということであります。この点こそ、地方分権改革の意義をもう一つ国民にわかりにくくさせている最大の原因なのですけれども、このような地方分権改革を行わなければ、地方自治を真の市民自治にしていくこともできないのだということを、広く国民各層にぜひとも正しく理解していただかなければならないと思います。  そこで、次には、現時点において地方分権推進することの目的または効果につきまして、私の考え方を整理しておきたいと存じます。  地方分権推進の直接的な第一の効果は、これまでに申し上げてきましたことからも明らかなように、国、都道府県市町村の間の連絡調整協議に必要とされてきた人手と時間の膨大な浪費を省き、中央地方を通じた行政簡素効率化を進めることであります。これは、行政改革推進であり、同時に東京一極集中の是正にもつながります。  こうして国の立法権及び執行権が大幅に自治体に移譲され、これが地域住民自治に任せられるようになりますと、そこに第二の効果が発生します。すなわち、行政サービス優先順位と組み合わせの決定自治体に任されることで、これがこれまで以上にそれぞれの地域の個性的な事情に適合したものに改善され、地域の新しい課題への対応が迅速、機敏に、しかも総合的に行われるようになるはずであります。  国の行政に本来的につきまとっている欠陥として、しばしば画一性という点と、後追いになるという点と、縦割り行政であるという三点が指摘されているわけでありますが、自治体行政ではこの種の弊害が緩められる、緩和される、全くなくなるわけではありませんが、緩和されるということであります。  要するに、地方分権推進の第二の目的は、地方自治充実であり、活力のある個性的な地域づくりの促進であります。殊に、さまざまな領域ナショナルミニマムと言われてきたものがほぼ達成され、成熟段階を迎えた今日では、多極分散型の国土を形成するとともに、来るべき高齢社会に適合した地域福祉のきめ細やかなネットワークを構築していくことこそ時代要請なのでありますが、この時代要請にこたえるためには、地方自治充実することが不可欠の前提条件になっているというふうに考えるわけであります。  こうして、地方分権が進められ、地方自治充実させられますと、ここに副次的な第三の効果が発生します。すなわち、国の中央省庁が細々とした内政業務から解放され、それだけ身軽になって、今後ますます増大することが予想されている国際調整業務にもっと迅速機敏に対応することができるようになるはずであります。そのような意味で、地方分権推進の第三の目的国際化への対応であると言うことができるだろうと思います。  さて、最後に申し述べ、皆様にお願い申し上げておきたいのは、この地方分権推進国会が果たされるべき役割についてであります。  改めて申し上げるまでもなく、地方分権推進には国の各省庁による強い抵抗が予想されます。  したがいまして、すべての省庁の同意を得た案件でなければ閣議決定にまで持ち上げないといったこれまでのような内閣運営の慣行を続けていたのでは、地方分権推進大綱方針でさえ閣議決定に持ち込めないかもしれません。大綱方針決定できたといたしましても、これに続くべき地方分権推進法案については、閣議決定に至らないかもしれません。そうであるとすれば、地方分権推進法の制定は議員立法による以外に望み得ないということになりましょう。  この点は、関係者の多くによってひそかに憂慮され、危惧されて心配されてきたところであります。いわゆる地方六団体が結束しまして去る九月に意見具申した提言書をお読みくだされば、これは私も関係したものでありますが、国会によるリーダーシップの発揮にいかに大きな期待が寄せられているか、おわかりいただけるはずであります。  また、先々週に行政改革推進本部長たる内閣総理大臣に提出されました地方分権部会専門員意見、あるいは先週に内閣総理大臣に提出されました第二十四次地方制度調査会の答申におきましても、地方分権推進法内閣提出法案にすべきだとは指定しておりません。それはなぜかと言えば、この立法はもしかしたら議員立法以外にはあり得ないかもしれないということが、あらかじめみんなの念頭に置かれていたからにほかなりません。この点にぜひ御留意をいただきたいと思うわけであります。  地方分権推進は、私の理解では、政界官界の闘いでありまして、政界官界を押し切らない限りできないものだと思われます。  地方分権推進は、国権の最高機関たる国会と、地方の民意を代表している地方議会及び公選首長との間に、いわば中央地方政治家同士の間に、強い信頼と連帯の関係が成り立たなければ望み得ないものであるということを強調させていただきまして、私の意見陳述を終えたいというふうに思います。  ありがとうございました。
  4. 平林鴻三

    平林委員長 ありがとうございました。  次に、木佐参考人お願いをいたします。
  5. 木佐茂男

    木佐参考人 北海道大学木佐と申します。  お手元にあらかじめお配りしてございますレジュメ資料をごらんいただきながらお聞きいただきましたら幸いでございます。  私、最初にやや青臭い書生論をさせていただきたいと思っております。  今西尾参考人からのお話にもありましたように、地方分権内容につきましては、私も大賛成をしている立場でございまして、異論を唱える部分は全くございません。ただ、地方分権がそれ自体として問題なのではなくて、地方自治充実ということが現在の課題ではなかろうか。  それで、そうした観点に立ちまして、今日本が迫られております長期的課題の中での地方分権の位置づけについてお話しさせていただきたいと思います。その際には、外国、特にヨーロッパのここ数十年の動向というものの中に位置づけたいと思っております。  目下論じられております地方分権推進法ないし基本法は、具体的な立法化過程に入ってまいったわけでありますけれども、その議論の枠組み、ないし理念的な課題部分につきまして、なおあらかじめ論じておく、あるいは長期的視野を持っておく必要がある部分は少なくなかろうと思っております。そういう意味で、国際的な文脈の中に位置づけたいということを考えております。  そこで、お手元レジュメの「世界地方自治動向」でありますが、アジアや南米や中東などでも、八〇年代の末、とりわけ九〇年代にも入りまして、地方自治に向けた動きが非常に急速に広がっております。憲法の中にこのような保障規定を置く動向も、流れが非常に急になっております。  それから、いわゆる旧社会主義諸国が崩壊いたしましたけれども、その後、各国でいわゆる全体主義を反省いたしまして設けられました憲法の中には、地方自治を非常に重視する規定がどの憲法にも入っている、あるいは連邦制が入っているところもございますが、そのような新しい動きが見られます。  特にスロバキアの九二年の憲法になりますと、従来は、普通でありますと、国会行政司法、こういう順番で憲法ができるのでありますけれども、まず地方自治保障がありまして、その後国会内閣裁判所、こういう具体的な規定があり、最後に中身を、さらに細かく地方自治保障する。こういうような憲法まであらわれてきているように、各国、とりわけ旧社会主義圏では、地方自治を重視する動向が強いと言っていいと思います。  その際に、主として参考にされているのは、ドイツを中心といたします北部ないし中部ヨーロッパの、いわゆる先進諸国憲法であろうというふうに思います。  最近の動向の中で唯一例外と思われますのがイギリスでありますけれども、これについては、文献もたくさんありますので省略させていただきます。  私どもにとってとりわけ関心が大きいのは、北欧の諸国で実験されましたいわゆるフリーコミューンというような、実験を伴った後地方分権を全国的に制度化するというやり方でありまして、我が国パイロット自治体はそれをモデルにしたわけでありますけれども、残念ながら、十分な役割を今のところ果たしていないというふうに思われます。  今、我が国地方分権が問題となっておりますのは、いわゆる一極集中、あるいは国際的な課題が山積しているというところに直面して、国には他にすべき仕事があるとか、あるいは各種サービス地域に任せないとうまくやれないというのが主要な発想次元かと思いますけれども、これから御紹介いたしますヨーロッパあるいは世界動向を見ますと、いま少し違った発想で、あるいは違った次元から地方自治について考え出しているように思われますので、それについて、二番目に、ヨーロッパ地方自治憲章世界地方自治宣言について触れさせていただきます。  八〇年代の後半まで、日本憲法で定めました地方自治保障世界で最も進んでいたと思います。ところが、そこに挙げました二つ憲章及び宣言、これはお手元資料にもございますが、ヨーロッパ地方自治憲章は八五年に採択され、八八年に発効しております。  それから、世界地方自治宣言というのは、自治体連合組織国際組織であります国際自治体連合が八五年に採択し、九三年にも再度採択したものでありまして、現在は国連の理事全で審議中と聞いております。  この二つ宣言憲章をまとめて、おおよその底辺を流れている思想を申し上げます。  過去にファシズムを体験して、再びその悲惨なことを繰り返さないという目的から、人権保障して草の根からの民主主義を強化する、こういう目的を持ってとりわけヨーロッパ地方自治憲章はつくられたのであります。この民主主義を強化して人権保障するということのために、可能な限り住民参加の機会を拡大しようという立場に立っております。  これは逆に申しますと、自国からファシズムが生まれた国、逆に他国によりファシズムの脅威にさらされた国、これらの国々にあっては、戦後、地方自治を非常に重視して、下からの、草の根からの民主主義の強化を意識的に図ってきたというのが特徴であります。いわばそのような歴史の産物としてこの憲章とか宣言というものがあるということであります。  我が国との違いでこの宣言憲章にどういう内容が盛られているか、四点だけ現行憲法にないものを申し上げておきますと、これはお手元資料の新聞の「論壇」に載せましたものにまとめてありますが、二段目から三段目にかけまして、一つは、基礎的自治体に優先して事務配分をするという原則がまだ我が国憲法にはありませんけれども、これが二つ憲章宣言には載っております。それから二つ目は、国レベル政治行政に対して自治体参加をするその参加権保障という考え方でありまして、これも我が国憲法明文にはありません。それから三つ目は、権限に見合った十分な財源を付与するという考え方でありまして、これも解釈論上は導き出しておりますが、明文上は憲法にございません。それから四番目は、国と自治体との間の法的紛争裁判的な救済あるいは司法的救済に訴える権利というものでありますが、これも憲法には明文保障されておりません。  このような新しい内容を盛り込んだ憲章宣言世界一つの基準として採択されたことによりまして、その内容が、具体的には先ほど申し上げました旧東欧の諸国に大きな影響を与えているということでございます。  翻りまして、先進国の中でもこの憲章の新たな確認がありまして、例えばドイツでは、ことしに入りましてから憲法改正を行いまして、自治保障財政上の自己責任の基盤を含むという、いわば財源保障憲法レベルで行うという規定を新たに追加いたしました。これは抽象的ではありますけれども、国民的な議論を経て自治に対する財源保障するという点で注目されるものと言ってよかろうかと思います。  さてそこで、日本地方分権に当たりまして、三番目でありますが、何を考慮したらいいかということです。  先進国日本に期待される地方分権ということで、アジアモデルとしてこれまで日本地方自治相当程度韓国台湾及び中華人民共和国等影響を与えてまいりました。しかし、アジア諸国、とりわけ韓国台湾では、現在、裁判制度行政救済制度地方自治制度あるいは行政手続、私の専門領域に限りましても急速な勢いで法典の整備を行っております。大変な勢いがございます。  その細かな面を見ますと、既に我が国法制度をしのぐ部分やしのぐ実務がございまして、我々は既に隣国から学はざるを得ない部分が生まれているということに注意しなければいけないと思います。それをも超えるような地方分権を我々は行わなければ、いわばアジアの範としてやっていけない時代が来ているのではないかと思います。  次に、きめ細かな分権ということでありますが、現在提言されております事務あるいは権限の再配分案は、国の権限を可能な限り絞って、あとは概括的に自治体にということであります。私は原則としてそれに賛成ではありますけれども、ただ自治体規模が非常に異なるのは事実であります。一千万の自治体もあれば数百人の自治体もあるわけでありまして、そこで、例えば旧西ドイツがかつて地方分権を行ったときにどのようなことをやったか、一、二例を挙げさせていただきますが、例えば数百人の自治体から人口六万人以上の自治体ということで、その数百から六万の程度をさらに五段階に分けまして、規模に応じた実際にできる範囲権限を付与するというような非常にきめ細かな分権化あるいは権限移譲策をとったという歴史がございます。例えば、今では人口一方のところでも旅券を発給したりしております。  そのようなきめ細かなやり方がいいのか、概括的にやって手に余るものを都道府県とかにお願いするというやり方もあろうかと思いますが、いずれにしても、きめ細かな分権対策というのは考えざるを得ないと思います。  次に、いわゆる受け皿論にかかわる問題でありますけれども、自治体職員専門的な研修をよほど強めませんと、今後権限が再配分された後にそれを実施する能力が欠けるということにもなろうかと思います。これは既に各地の自治体で意識され始めておりますけれども、専門的な研修必要性というのはかなり強調しなければいけないと思います。  それからいま一つは、地方分権の問題は、実は私は究極的に官僚制改革の問題だと考えております。とりわけ、一つの例だけを申し上げますと、中央省庁の方がかなりの都道府県や政令市などにいわゆる天下りという形で出向されておりますけれども、そのような中で実際に地方分権をし、そしてこれを法的に争うということは非常に不可能なことでありまして、最終的には、官僚制改革こそが地方分権最後のかなめの問題ではないかというふうに思っていることだけをつけ加えさせていただきたいと思います。  終わりになりますが、将来課題としてどういうことが残っているかということでありますけれども、最初にお話し申し上げましたように、外国の実例は、より住民に身近な行政を行うということで、民主主義とか住民参加、ひいてはそれによる人権保障がキーワードでありました。最近の我が国のここ一、二年の各種提言や要綱、報告書にもわずかに住民発議住民投票などに触れるものがございます。  ただ、それのみにとどまりませんで、最近のドイツの、旧東ドイツでもそうですが、例えば十四歳から上の住民在住外国人を含みます住民地方自治法上の直接住民参加を認めるような制度を設けているところもあります。すべてではありませんが、十六歳とか十八歳に認めている国もあります。  それともう一つ参政権そのものが二十歳以上というのは、先進国で私が知ります限りほとんど例がありません。そもそも参政権や被選挙権が日本の場合非常に高いことが問題であろうというふうに考えております。  そして、レジュメには挙げませんでしたけれども、分権が進んだ後のいわば本当の地方自治保障する手段として、司法改革が同時に進まなければならないということを申し上げて、終わりにしたいと思います。  地制調報告にもございますが、国・自治体間の法律問題について、今まではほとんど、ここ数十年にわたって裁判で争われることがございませんでした。しかし今後は、地方分権が徹底いたしますと、それは行政手続法の精神と同じょうに、国・自治体間の法的問題をいわば人の目に見てわかる、いわば透明性のある手続の中で処理しなければならないと思います。  その際には、裁判過程というのは非常に重要な役割を果たすわけでありまして、今後分権制度化していった後、あるいはそれとともに、どのような場合に法律問題を裁判所に持ち出すことにするのか、その場合に、どのような審理期間——日本裁判は非常に長いわけですから、どのような審理期間で行うか、そういういろいろな、自治体の目から見ますと救済手続というものを明確にしなければならない。そういう意味では、地方自治関連法の全面的な見直しということも必要となってくると思います。  一番最後ですが、ヨーロッパ先進国を見ておりますと、地方分権推進基本法をつくったり、あるいはそのためのさらに機関をつくって地方分権を進めたという例は、私の知る限りほとんどありません。  今なぜこれが問題となっているかといえば、それほど我が国官僚制が厳しい、強いものである、あるいは中央集権制が強化されたものになっているということであろうかと思います。それだけ我が国は、憲法で最大限の保障をしているにもかかわらず、それを実態として持ってこなかったところに問題点があるというふうに思います。今議論されておりますのは、広い意味での地方自治充実化させるための一里塚、いわゆる分権問題として権限配分に主として論点を置いているのは、まさに一里塚ではないのかということを申し上げて、私の発言とさせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  6. 平林鴻三

    平林委員長 ありがとうございました。  次に、浜川参考人お願いをいたします。
  7. 浜川清

    浜川参考人 浜川です。お手元レジュメのようなものが配られているかと思うのですが、少し内容が異なっておりますが、御了承ください。  私は、地方分権あるいは地方自治の強化という点で、現在の制度上の問題を中心に、少しそれ以外のものも触れますが、主には制度上の問題について考えを述べたいと思います。  議論としては、まず第一に事務配分の問題がございます。国と地方事務配分の見直しの問題です。それから二つ目に、現在の地方公共団体の制度に関する、あるいはその規模、種類に関する問題でございます。三番目に、国による自治体地方公共団体に対する関与の問題ですが、このそれぞれについて順番に述べていきたいと思います。  まず第一に、事務の再配分の問題でございます。  内容については今申し上げませんが、若干感想めいたものを述べておきますと、この間、国の事務地方にということがしきりに言われているわけでありまして、基本的に私もこれには同意いたしますけれども、ただ、内容が必ずしも十分明確でないということを申し上げておきたいと思います。最近では、地方分権推進委員会、これは地方六団体が設けました委員会ですが、西尾先生が関係されておられますけれども、この地方分権推進委員会が比較的明確に国において処理すべき事務を列挙しているかと思います。  ところで、我が国の政策の中で非常に重きをなしておりますのは産業政策の問題がございますけれども、特に国際化の中で、日本の経済について国としてどういう政策を持つかという問題が従来から議論されているわけですが、例えばそうした問題について、この地方分権、国と地方との事務の見直しの中でどう位置づけるのか、必ずしも明確でない面がございます。  それから他方、地方事務については具体的な例示がなく、むしろ全体として地方に行うべきだというふうに言われておりますけれども、将来的にそういう方向があるということは妥当であるにしましても、今当面何が地方において必須の事務かということをいま少し議論すべきではなかろうか。  この間の経緯が示すところは、特に比較的大きな市のレベルですけれども、都市計画、あるいは、もう少し表現を改めますと、町づくりに関する市の権限の強化ということが言われてきたかと思うのです。そういうために一体どんな障壁があって、どういう制度改革をしなければいけないか、そういう具体的な議論が一方で必要だと思いますし、それから、全く議論されておりませんが、これまで地方自治法あるいは行政制度の研究者の中で問題にされてきておりました点の一つに、警察制度の問題がございます。  市町村の固有の事務といった場合に、ヨーロッパでは警察作用というものが最も典型的な例になるわけですけれども、これについての分権化提案がほとんど行われていないということも私としては大変奇異に感じるということでございます。これは内容の問題でありますので、以下、制度の問題に限定して述べたいと思います。  さて、国と地方事務の配分の問題で最も大きな制度上の障害になっておりますのが、機関委任事務の存在でございます。先ほどの地方分権推進委員会の提案でも、あるいは、先ごろ出ました地方制度調査会の提案でも、この機関委任事務の全面的な廃止が言われている。私は、これは大変画期的なことであると思いまして、全面的に賛成をするものでございます。  機関委任事務というのは、くどくど説明する必要もないかと思いますが、これは普通地方公共団体において処理をされておりますけれども、当該地方公共団体の事務ではないのでございまして、多くが国の事務ということでございます。ただ、法律によって国の事務であるものを地方公共団体の特定の機関に行わせるという規定を設けますと、自動的に、自動的にといいましても自治省の方で分類をするわけですけれども、おおよそ自動的に機関委任事務となってしまうわけです。そういう点は、国会で法律をつくるたびに機関委任事務が自動的にふえるということでもございます。  そして、この機関委任事務に関しては地方公共団体にその処理を義務づけておるわけですが、同時に、地方自治法の百五十条によりまして、これら地方公共団体の機関はあたかも国の下級機関、出先機関のように扱うことが認められ、国の各大臣あるいはその他の省庁の職員から指揮命令ができるという大変奇妙なシステムになっているわけでございます。したがいまして、この制度を今回廃止するという提案がされたことは大変歓迎すべきことであるということを、まず一つ申し上げたいと思います。  しかしながら、私として少し縣念をしておりますのは、それでは機関委任事務廃止いたしまして国の事務地方公共団体にしなければならないわけですが、例えばそういうときに考えられるごく普通の方法として、学問上言われる団体委任事務制度がございます。これは特定の機関にこの処理を義務づけるのではなくて、団体に対して、地方公共団体ですが、都道府県市町村に当該事務の処理を義務づけるというものでございます、こちらの方は表現がわずかしか変わらないのですが、機関委任と団体委任ということで。しかしながら、団体委任の方は完全に当該普通地方公共団体の事務、いわゆる自治的な事務という位置づけに一応はなるわけでございまして、先ほど申しました国の指揮命令はこれは行うことができなくなるはずでございます。  しかしながら、実際、機関委任事務廃止しまして、こういう形で例えば団体委任事務にして問題が変わるかという点に私は危惧を抱いているわけでございます。  一例を申しますと、かつて機関委任事務であって今日団体委任事務になっているものは、幾つか皆さん御承知のものがあるわけですけれども、例えば自動車の運転免許に関する公安委員会事務、あるいは風俗営業に関する同じく公安委員会事務は、かつては機関委任事務でございましたが、現在は団体委任です。しかし、ほとんどその処理の実態において自治的な処理が行われるというふうに変わったかと申しますと、私はその点に大きな変化がないのではなかろうかというふうにも思うわけでございます。  すなわち、機関委任事務廃止というのは、確かに制度上重要な問題ですけれども、ただこれを廃止すればおのずから自治体の自主的な処理が可能になるわけではないということに十分御留意をいただきたいということでございます。  さて、機関委任事務以外の、今も問題にいたしましたけれども、団体委任事務であれ、あるいはそのほか、そもそも地方公共団体において処理すべき事務、これを学問上は公共事務とか行政事務だとかいうふうに申しておりますけれども、こちらの方について問題はないのかといいますと、特に従来の法制度の運用におきまして問題になってまいりましたのは、法律と条例の関係でございます。地方公共団体が自主的に行政を行おうといたしますと、もしその行政内容が国民の自由や財産に対する規制を内容とする場合、必ず条例が必要となってくるわけでございます。先ほど少し触れました町づくりのために規制を加えようとするときには、もちろん本来は条例が必要になってくるわけでございます。  ところが、現在のこの法理論のもとにおきましては、地方公共団体の条例は法律の制定していない領域において行えるか、あるいは法律が認めた場合において行えるかのいずれかである。これを法律の先占、先占は先に占領するということですが、法律の先占の理論と呼んでおります。この議論がありますために、先ほど申しましたこととまた同じようなことを繰り返すわけですが、国会で法律をつくればつくるほど、地方公共団体における条例制定の余地はどんどん狭くなってくるわけでございます。すなわち、地方公共団体の自主的な事務を自主的に行わせようといたしますと、この問題をクリアしない限りは十分な効果を得ることはできません。単に事務の配分を機関委任から地方公共団体の事務に変更するだけでは終わらないわけでありまして、ぜひとも法律の中で地方公共団体の条例制定の余地を積極的に拡大していただきたい。これまでの法律論で、特にこれは政府の当局者が繰り返し述べているわけですけれども、法律の先占論については国会の方で明確にこれを否定するような形で法を制定していただきたいと思うわけでございます。  それから、地方公共団体の自治的な事務に関しまして、法律による自主性の制限以外にも、まだ問題がございます。それは、いわゆる国の中央省庁による行政機関を通じての関与、法律による関与を立法的関与と申しますと、これを行政的関与と通常申しております。ちょっと順番が逆になりますが、先にこれについて述べさせていただきたいと思います。  戦後の地方自治法歴史を見てまいりますと、地方自治法憲法附属法のような形で、憲法の九十二条からの地方自治の法条を具体化する、そういう大変民主的な戦後の新しい法律であったわけでございます。  しかしながら、御承知のとおり、昭和二十五年以降、数次の改正を経まして、その改正の基本的な内容は、いずれも国による地方公共団体に対する関与の強化であったわけです。今日、ごく普通に行われております助言、指導といったもの、これは自主的な事務についても行われるわけでございますけれども、形は助言、指導ですが、実際命令と受け取る地方団体の当局者あるいは職員も多いわけでございます。こういう指導、助言の制度が導入されましたのが昭和二十七年です。  それから、特にしばしば問題にされております、内閣総理大臣によりますところの地方公共団体に対する違法な行政の是正、改善の措置要求が地方自治法に明記されましたのが昭和三十一年でございます。  これ以外にも、さまざまなシステムが用意されているわけですが、機関委任事務、これは国の事務のまま地方公共団体に義務づけているものですが、これ以外に、当該地方公共団体の事務であっても、現行の地方自治法は国によるさまざまな関与を承認しているわけでございます。  私は、以前、若干の市や都道府県調査をしたことがございますけれども、その調査の中で、各職員に、あなたが処理しておられる事務機関委任事務、すなわち国の事務ですか、それとも皆さんがお勤めの団体の事務ですか、いわゆる自主的な事務ですかと、このように伺ったところ、ほとんどの職員は明確な答えがありません。法令を調べてみないとわかりませんという答えがあるわけでございまして、結局、自主的な事務でありましても、このように現在地方自治法によって承認をされています行政的関与が行われ、これが先ほど申しました機関委任事務に関します明確な、地方自治法百五十条で明確になっております指揮監督と区別なく地方団体の方では受けとめられているという現状があるわけです。  これは単に意識の問題だけではございません。この間、地方行政改革の中で明瞭に見られましたのは、各地方公共団体の自主的な事務にかかわって合理化あるいは効率化ということを国が指示いたしまして、これが十分に行われないという場合に、財政的に一定のペナルティーを科するということが行革審答申などでも明瞭に語られていたわけでございます。  したがいまして、事務の再配分を行いまして、地方公共団体において自主的な事務を本当に実現させるためには何をなすべきかと申しますと、現在の地方自治法における省庁行政的な関与の見直しも、必ずあわせて行わなければいけないということでございます。  この場合、法改正は現在の制度廃止すれば済むかといいますと、私は必ずしもそうとは思っていないわけでありまして、積極的に国と地方公共団体の間におきます対等な関係を実現するための何らかの制度を用意されてはどうか。  これはフランスでかなり広範に見られるわけですけれども、契約的手法とか協議的手法、コンセルタシオンというのですけれども、そういう名称の手法もございます。  これは現在言われております包括補助金一般財源制度とも関係をするわけですけれども、地方公共団体と国との間で政策について総合的に協議をいたしまして、補助すべき事業等について契約書を取り交わすという大変ユニークなものであります。これは単に一例でございますけれども、例えば、こういう制度を通じて国と地方公共団体の対等性というものを十分に確保することができるかと考えております。  最後の論点になりますが、時間がありませんので、私の感想だけ述べさせていただきます。  現在、地方分権と申します場合に、地方公共団体の規模の拡大論が大変多く見られます。道州制であるとか市町村連合であるとか、あるいは今回の一連の意見、答申類でも市町村の合併の推進ということが言われております。先ほど木佐さんがおっしゃられたとおりでありまして、地方分権ないし自治の強化という場合に、住民自治の強化がその前提であることは言うをまちません。  そうした場合に、規模のいたずらな拡大については私は大変色惧を抱くものであります。規模については現状のままというふうに考えてはいかがか。広域的な事務処理の必要性がある場合には、現在の団体を維持したまま、共同処理の方式をさらに検討してはいかがか。事務処理、事務組合の方式等について運用、改善の方法もあろうかと考えているわけです。  最後一言だけ申し上げますが、現在地方分権推進基本法の御提案があるやと聞いております。これは大変意義のあることであるということは、他の参考人と私は意見を異にするものではございませんが、この地方分権推進基本法をお考えになる際に、先ほども申しましたとおりでございますが、地方自治基本法たる地方自治法をどうされるのかということについて、私はむしろお考えを伺いたいという気持ちがございます。先ほど来申しますとおり、地方自治法にはいろいろな問題が戦後発生しているわけでありまして、地方自治法自体の見直しもあわせて行っていただきたいということを申し上げまして、私の意見とさせていただきます。(拍手)
  8. 平林鴻三

    平林委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  9. 平林鴻三

    平林委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  この際、委員各位に申し上げます。  質疑につきましては、理事会の協議にょりまして、一回の発言時間は三分以内となっておりますので、委員各位の御協力をお願いいたします。  なお、質疑のある委員は、挙手の上、委員長の許可を得て発言するようお願いいたします。また、発言の際は、所属会派及び氏名をあらかじめお告げいただきたいと存じます。  それでは、質疑のある委員は挙手をお願いいたします。
  10. 中馬弘毅

    ○中馬委員 自由民主党の中馬弘毅でございます。  きょうは、先生方、参考人として我が委員会にこうして御参加いただきまして、非常に貴重な御意見をちょうだいいたしました。心から感謝を申し上げる次第でございます。  早速に質問をさせていただきますが、私もこの地方分権推進にはかなりかかわってきたつもりでもございますし、また、現在与党の立場で政府の方に申し入れたりするいろいろなことをやっているものでもございます。ともあれ、その与党、野党の立場を超えた形で、今回このような盛り上がりができたことは非常にありがたいこと、しかし、なかなか中央官庁の抵抗があることも十分に承知をいたしております。西尾参考人が御心配されたとおりの動きでございます。  今のところ参考人の方々もそれぞれ基本法をつくることまでの御意見といいましょうか、それについては賛同を示されておりますが、そこに至る道筋も、大綱をまずは年内に発表して、そしてそれに基づいて基本法を来国会に出す、村山総理大臣も明言はいたしておりますが、そこに至るまでの道筋の中で、まずそんな組織はどうやってつくったらいいか、決まってもいないものが予算取りできるかとか、そういった形でいろいろ抵抗が出てきていることも事実でございます。また、今浜川先生が御心配になりましたように、受け皿論でこんな小さなところへ渡してもだめではないかといったような議論も出始めております。  そうする中で、まず具体的にその進め方におきまして、六団体も、あるいはまた地方制度調査会の方も地方分権推進委員会といった名称でこの推進のための組織を提言いたしております。これをもう少し先生方の御意見をちょうだいいたしたいのですが、どのような権限の組織にしたらいいのか。あるいは中曽根さんのときの土光臨調のように、かなり強力な人を持ってこなかったら物事は進まないのではないかと思っておりますが、そこに座ってもらうような人、あるいはまた組織、スケジュール、こういったことについて、それぞれのお立場で、個人的な見解で結構でございます。  これを逃がしますとまた十年、二十一世紀までできないのではないかと思っておりますから、どうしてもこれをやり遂げなければいけませんので、ひとつ具体的な、可能な方法も含めて、御提言があればと思っております。それぞれの先生からお願いいたします。
  11. 西尾勝

    西尾参考人 それでは、最初に私からお答えさせていただきます。  私は、地方六団体がつくりました地方分権推進委員会にも参加いたしましたし、第二十四次地方制度調査会委員でもございましたし、また内閣の行革本部の地方分権部会専門員でもございましたので、その三つのすべてにかかわりました。したがって、その答申の最終答申に異議を申し立てるわけにはいかない立場にございます。しかし、御承知のように六団体の意見地方制度調査会意見で微妙に違っている点もございますので、私個人の考えていることを申し上げたいと思います。  地方分権推進委員会は、私としては、本来ならば国家行政組織法上の第三条機関としての行政委員会として総理府のもとに設置されることが好ましいというふうに思っております。しかし、六団体ではそういう提言をしたのですけれども、これまでのところ、行政委員会の新設ということに対しては強い抵抗がありまして、八条機関しか認められないということであればそれでもやむを得ないとは思っておりますが、強い独立性と権限を持った機関としていただきたいというふうに考えているわけであります。  私といたしましては、ほぼ五人ぐらいの構成でつくるのがいいのではないかというふうに考えております。そして、委員は当然国会の両院の同意を得た任命と内閣による任命ということになりましょうが、そのうちの少なくとも二人は、地方公共団体の代表あるいは地方公共団体が推薦する学識経験者で構成することが重要ではないかというふうに考えております。  そして、権限といたしましては、何よりもまず内閣あるいは国会が策定します地方分権推進計画に対しまして、その指針となる意見を述べるということ、そして次には、内閣が策定します地方分権推進計画の進捗状況を監視し、適宜意見を建議することができる権限を持つということであります。この際、私としては、内閣に対して意見を申し述べられるだけではなしに、国会に対しても意見が申し述べられる機関としていただきたいというふうに考えております。これがまず第一の権限であります。  それに関連いたしまして、今度は地方分権推進計画に従って実際に分権を進めていくということになりますと、数々の法令改正を伴う作業ということになります。この法令改正が分権計画の趣旨に沿って着実になされるのかどうかということをきちんとチェックしなければなりませんので、地方自治に関連した法令の立法が行われるときには、地方分権推進委員会はそれに対して意見が述べられる、国会あるいは内閣に対して意見が申し述べられるという機能を持った委員会であってほしいというふうに思うわけであります。  そうした委員会が実際に機能するために最も重要なことは、独立した事務局を持つということだろうと思います。委員の人選も極めて重要でありまして、やはり権威のある方が委員になられませんと動かないと思いますが、それに並んで、独立の事務局を持つということが極めて重要であります。  したがって、この独立の事務局を支えるだけの予算と職員の定員が配置されるということが極めて重要であります。これがどこまで大蔵、総務庁によって認められるのか大変不安は残りますけれども、万が一、十分なものが、人間がそこにつけられないとすれば、地方団体から人を派遣してでもこの事務局を支えなければ機能しないのではないだろうかというふうに考えております。  若干余談になりますが、地方六団体で提言を考えておりましたときには、これは地方自治充実のためにつくる機関、国と地方双方でつくるような性質の機関なので、その経費の半分は地方公共団体が支出してはどうかという議論をしたことがございます。  これは私は大変いいアイデアで、ぜひともそういう提言をしようと主張したのですけれども、国に設ける機関の費用をなぜ地方団体が払うのか、そういう理屈が立つかという反論がございまして、結局なかなかそういかないものですから提言からは消えました。しかし、実際には地方団体から人を出してでもこれを応援するというような形でやりませんと、動かないのではないかと考えております。  以上です。
  12. 木佐茂男

    木佐参考人 私は、当初地方分権が話題になりました後、さらにその推進基本法、その実施のためにさらに独立性のある機関がつくられるということを聞きました際、いささかびっくりいたしました。  つまり、多少他の国のことを知っているからかもしれませんけれども、他の国で分権化するに当たりまして、先ほども申し上げましたように、このような法律をあえてまたつくり、さらに屋上屋を重ねるように機関を設けるという手法は念頭にございませんでしたので、いささか当初はびっくりいたしました。しかし、素人目ながら日本立法過程というのを多少勉強してまいりますと、そのような手法もやむを得ないかなと今のところは多少納得しているところです。  したがいまして、非常に強固な集権的システムになったものを崩すためには、他の国ではとらなかった手法もあえてとらざるを得ないという点では納得いたします。そういうことからしますと、国家行政組織法の枠組みの中でいきますと、やはり独立性が高いほど監視の機能も強まるということですから、三条機関というのがより好ましいとは言えると思います。  ただ、それに伴う弊害もあり得るかと思います。つまり事務局ですとか、それを強力に支える予算的な裏づけですとか、さまざまな問題が伴いますので、三条の機関が十分なものかどうかという点についても一応疑問がありますけれども、やはりこの期に及んで八条機関もつくらないで何かを進めるということが不可能だとすれば、八条機関として設けることもやむを得ないかな、そういう妥協的な考えを今いたしております。  本来ですと、国会にこういう委員会が設けられておりますから、後はその特別の委員会が主体になるというのが私の頭での常識でありましたので、その特別委員会がイニシアチブをとって内閣との交渉をきちっとする。議員立法でもいいですけれども、全党一致であれば閣法でもよろしい。そういう形になるのがやはり、もとに戻りますけれども、本来の筋だというふうに、若干矛盾した見解なんですけれども、今のところそういう行ったり来たりをしているというところであります。  ですから、日本の集権制度の現状を見たところではやむを得ないので、しかも日本社会においては人のつながりが非常に強い影響力を持ちますから、単に独立した機関をつくっただけでは、だれを当てはめてもいいというものではないということからしますと、やはり見識のある方。そしてこうなりますと、やはりフィフティー・フィフティーで、地方団体側と、国の官僚であった方あるいはそういう出身の方、あるいは国会議員という形で、可能な限り自治体からの委員を多く入れる、少なくとも半分は入っていただくというような原則論は持っていいのではないかというふうに考えております。
  13. 浜川清

    浜川参考人 部分的に西尾先生のおっしゃることも賛成ですし、木佐さんのおっしゃることも賛成でございます。  国家行政組織法の三条の委員会として設けるかどうかということでございますけれども、三条の委員会はいわゆる行政委員会でございまして、一定の規制権限を外部的に行う、外部的にというのは地方団体であれ、あるいは個人、企業に対してであれ行う、そういうものとして一般には予定されているものでございます。したがいまして、三条の機関として置くためには、通常権限が明確に定められなければならないことは当然でございます。  ところで、今中馬議員の方から御質問がございましたのは、地方制度改正をどうするかという、そのための委員会をどうつくるかということであったかと思うのですが、これは木佐さんがおっしゃられたとおり、この地方制度改正は当然立法作業でございまして、国会の責務として行うという点からしますと、これを行政組織内部の委員会委員会というのは一種の行政庁ですけれども、こういうものとしてつくることは大変奇異な感じがするということは、私も全く同意見です。  前例がないかと申しますと、現在の人事院、かつての人事委員会が唯一の例ではなかろうかと思いますが、戦後日本公務員制度を改正するために政府が提案したのでは、余り健全な公務員制度ができない可能性がある。これはアメリカの考え方を採用してのことでございますけれども、政府からある程度独立した公務員制度改革をする機関をつくらなければいけないということで、大変奇異なことですが、制度改革を担当する三条の委員会として人事委員会、まあ三条の委員会といっても内閣のもとにあるわけじゃなくて、内閣よりもさらに強い独立性を持っておりますので、ちょっと違うのですけれども、ほぼ三条委員会と同じものがつくられた経緯がございます。地方自治制度改正のときにそれと同じことを考えるべきかどうかということに、一つ論点としてはなろうかと思います。  率直に言いまして、公務員制度地方制度を比べた場合に、どちらが重いかという表現はおかしいですけれども、地方制度の重要性ということ、地方自治制度の重要性ということは当然極めて大きなものがあるわけでございまして、この点、政府から独立した、中央省庁から独立した機関にこのような制度改正を扱わせるという趣旨でございましたら、例外的ではありますが三条委員会もあり得るかなと思うわけです。  しかし、繰り返し申し上げますが、本来三条の委員会は、明確な規制権限を持った決定を行う機関として、法律に基づいて決定を行うということを予定しておりまして、法律改正そのものを行政機関の方で担当する、そういう機関であるというのは極めて異例中の異例だということを十分あらかじめ御承知おきいただきたいというのが、私の意見でございます。  なお、これは地方分権のある一定の段階に至った後ですけれども、地方公共団体と国との間で対立が生じた場合に調整をどうするかという問題がございます。現在は国の一方的な決定によってこの調整が図られているわけですけれども、第三者的な機関をして両者の間の見解の相違について調整を回らせるという場合に、この国家行政組織法三条に基づいて設置されるであろう委員会が大変大きな役割を果たすということは、私は全く大賛成でございます。
  14. 山本拓

    ○山本(拓)委員 改革の山本でございます。  きょうは貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。  そこで、二、三点、ちょっと先生方のお考えを教えていただきたいのですが、地方分権を進めていく場合に、地方立場からしますと、私は県会議員二期ほどやってましたので財源確保、財源確保ていつも陳情してきたわけですが、そんな中で、最終的な地方分権のあるべき姿と申しますか、やはりそこのイメージをきちっとしておかないと、そこが道州制がいいか悪いかという話まではずっと先の話といたしましても、まずはっきりしなくてはならないのは、国、県、市町村、この県の位置づけですね。  これは、そこを国としてはっきりどっちにウエートを置くか。将来的にはもう県は要らない、市町村が基本になれば、国と市町村との関係になればいいという姿が好ましいのか、それとも、あくまでも県を中心としてという形になるのか、そこらあたりをはっきり明確にしておかないと、後で、国と地方の対立というよりも、逆に県と市町村の対立をそれぞれ引き起こす可能性もある。  だから、それぞれの先生方に地方分権の、これはとりあえず具体的に機関事務委譲の話はやっていきますけれども、どのような最終的な地方分権をイメージしておられるのか。確かに財源的に考えますと、これは全国三千三百の市町村がありますけれども、ある程度規模拡大しておかないと財源の面では非常に難しい点があろうかと思うのです。  しかしながら、今先生おっしゃったように、強制的にやらせるべきではないですけれども、選択肢はあくまでもそれぞれの住民に任せるとして、こちらが示すメニューとしては、どちらかというと、幅を持たせる意味で、一番意欲的なと申しますか、ユナイテッド・ステーツ、独立したがるようなそういう意欲的な市町村住民たちの意向に備えるためにも、どういうところまで幅を持たせてやるべきかということ。  当然そういうイメージのものができ上がれば、住民立場にすれば大きなメリットもありますが、当然今までと違った弊害、デメリットもあろうかと思うのです。我々は、むしろいいことはいいこととして、デメリットの部分をなるべく少なくすることも念頭に置かなければいけませんので、地方分権の行き着く先を想定した場合の心配事というか問題点、一番念頭にあるものがもしございましたら、ひとつ教えていただきたい。  最後一つだけ。地方参政権、在日外国人ですね、これはこれから日本においても非常にふえますから、在日外国人の特に地方参政権についての賛否ですね。先生方のお考えを、無条件で認めるべきだとか、その点についての御見解、ぜひともお尋ねをしたいと思いますので、お願い申し上げます。
  15. 平林鴻三

    平林委員長 それでは各参考人からお願いいたします。  まず、西尾参考人
  16. 西尾勝

    西尾参考人 第一点は、国、県、市町村といった構造について、最終的な姿をどう考えているのかというお尋ねだと思います。  私は、日本市町村というのは、先進諸国市町村の中でも十分に規模の大きい方だというふうに考えております。これはもちろん三百万を超える横浜市というところから、百何十人しかいない青ヶ島村までございまして、極めて大きな格差があるわけですけれども、市町村の平均人口、要するに一億二千万を三千三百幾つで割ればいいわけでありますが、そういたしますと、三万から四万という数字のところにあるわけですが、この市町村の平均人口が三万から四万というのは、世界の中でかなり大きな市町村であるというふうに言えると思います。  もちろんこれよりも大きな市町村になっているのがイギリスの基礎自治体でございます。ここでは一九七二年の改革で現在のような大きな市町村に統合したわけですが、それ以前の段階がちょうど現在の日本の平均人口ぐらいでありました。これを大統合をいたしましたので、現在は平均人口十五万人ぐらいの市町村になっているわけですけれども、これは世界の中で最大の市町村だろうと思います。  こうしたもちろん日本よりも大きな市町村をとっているところもありますけれども、そういった例外を除きますと、日本市町村の平均人口は大きい方だというふうに思っているわけであります。これ以上市町村を全体的に大きくする必要はないのではないかというのが私の考えてあります。  全国的に大統合する必要はないのではないかという意味でありまして、個別の地域にあっては、それぞれここは合併をした方がいいであろうというところがいろいろ残っていることは言うまでもありません。  ただ、市町村の合併という問題は、国がいわば半ば強制をしまして全国一斉に進めるというようなことは、それこそ地方自治の理念に反するのではないかというふうに思います。自治体を合併するか否かというのは、地域住民が決めることでありまして、その意味で私は、市町村合併はあくまでも自主合併であるべきだ、国がやれることは、その自主合併を支援するといったような仕組みしかあり得ないのではないかというふうに考えております。  したがって、私は、市町村を大統合いたしまして三百ほどの市にまとめようという御意見もあるやに聞いておりますけれども、そのような体制は決して好ましい体制ではないのではないか。もしそういう市町村をつくったならば、その中に旧市町村の区域がまた一団体つくられることになるのではないかというふうに考えますので、屋上屋を架すだけではないかというふうに思っております。  さて、若干のところで全国的にもう少し合併が行われてもいいとは思いますけれども、どういうふうに進めましても、中山間地のようなところにある町村というのは谷合い谷合いに入って村ができているというものが非常に多いわけであります。これを横につなげてみても、一つの町村にしてみても、実際上一体的な町村にはならないというものが多数あります。  あるいは、いわゆる離島と言われるところに、島に一つずつ村があるというようなもの、これを幾つもの島をまとめて一つの村にしてみたからといって、それほど意味はないのではないかというふうに思われますので、どういう合併をやったにしろ、弱小の町村が例外的に残るということになろうと思います。  こうしたものは必ず残るわけでありますから、そうした弱小町村の場合には、本来ならば町村が行うべきことを県が補完するという体制をとっていくべきではないかというふうに私は考えております。  そういうことも含めまして、一層制の、国の下には市町村しかないという体制は、日本の場合にはちょっととりにくい。どうしても中間の自治体がもう一段階は少なくとも要るというふうに考えておりますので、現行の都道府県の仕組みが将来ともにこの四十七という都道府県体制がいいかどうかはわかりませんが、都道府県あるいはそれにかわるものが中間にもう一段階あるという体制が一番好ましい体制ではないかというふうに思っております。  そして、現時点では、この四十七都道府県体制を無理やり統合する必要はないのではないか、しかし、もう少しこの分権が進みまして、将来の課題としてはもう一度検討に値する問題ではないかなというふうに思っております。  それから、在日外国人の参政権の問題がございましたけれども、私は自治体レベルの参政権を認めてもいいのではないかというふうに考えております。国政への参政権という問題はもうちょっと慎重に考えた方がいいかと思いますけれども、自治体への参政権というのは認めてもいいのではないかと思っておりますが、もう少し全国的に、国民レベルで議論が煮詰まってからでもいいのではないかと思っております。  以上です。
  17. 木佐茂男

    木佐参考人 いわば自治体制度が何層制がいいのかという御質問にもつながると思うのですが、私はまず先に結論を申し上げますと、今の市町村都道府県規模、これは最低二層は必要だ。政策的に必要だし、憲法上もこの程度は要求されているのではないかと考えておりますが、願わくは、かつての道州制論とは違った意味で、限りなく連邦制に近づくような形で、全国を七でも九でもいいですけれども、今国にある権限を道州的な規模に、北海道や九州は明々白々でありますが、そのような単位に、現在国の出先機関としてお持ちのもの、それと各種の企画機能で自治体で処理できるものなどを集めるという意味での、限りなく連邦制に近いものが憲法の枠内で構想できたらというのが私の考えでございます。  ただ、憲法改正を伴う本格的な連邦制は当面口にすべきではないというふうに思っております。  なぜそのように考えるかと申しますと、これは先ほど西尾参考人もおっしゃっておりましたように、データを見ましても日本市町村の平均は三万八千人、それに一番近い数字がスウェーデンの平均三万人というのでありまして、イギリスが例外だというのは別にいたしますけれども、あとの欧米先進国はこれよりはるかに小さいのが自治体であります。  なぜそういう小さな自治体でやっておれるのかということの探求が非常に重要かと思いますけれども、日本の場合、広域合併をするという必要性がなぜ生じるかと申しますと、近接市町村が同じ箱物をつくりたがるというようなことがあって、それならば広域合併して図書館やプールやごみ焼却場をその一つ自治体内につくれというふうになりますね。外国でなぜこういう小さな自治体が生きているかといえば、それらは相互の広域的な、日本的に言えば事務組合だとかそういう広域的な枠組みをつくって、そこで機能を分担して計画的に重要な大規模施設を設置し合うというような、いわばネットワークが計画の中でつくられておりますので、小さな自治体はその自治体限りで処理できることに事務を限りますけれども、アイデンティティーを持ったまま小さな自治体として生き残れるわけなんですね。  日本の今の自治体の町づくりというのは、隣町のけ落とし政策というのが非常に強いと思いますね。ですから、それを発想を変えまして、みんなが豊かになるという発想に立ちますと、全く新しい展望が開けると思います。今の自治体規模でも開けると思います。  今ヨーロッパを見ますと、EUができましたので六層制から七層制も統治機構があるところがあります。一番上にEU、それから連邦、それから州ないしはラントとかいうもの、カントーンとか、そういうレベルがあります。その次に県というのが自治体であるところがあります。その次に郡というレベルがあります。そして、郡と同格で大都市があります。その下にまだ町村があります。さらにその下にもう一つ日本でいえば小学校区ぐらいの単位で、多くのところでは公選法の適用される議員を選ぶ議会があります。これぐらい七層制をやって、それで民主的な行政がやっと保てるという国が少なからずございます。  その場合には、一つ一つの統治団体は、人員的にいいますとかなり簡素です。日本都道府県庁のように知事から主事補まで十四階級もあるとか、そのような自治体かなりありますけれども、せいぜい五階級ぐらいしかないわけです。一つ一つの団体は簡素で、しかも統治機構としては多重にあるという姿、そして機能分担とネットワークによってやっていけるということでありますので、お尋ねの、市町村を広域化して例えば数百、そして都道府県もさらに絞れればというのに対しては、私は、既に世界的な比較でいえば必要ないのではないか。  それからもう一つ、最近勉強しまして知られた点は、広域自治体を、例えば日本の一部事務組合のようなものをつくりますと、日本の場合なぜそれに反対されるかといいますと、逆に言いますと、大規模自治体の方がイニシアチブをとれますので、大規模自治体、都市が周りの自治体を吸収するような形で事務組合ができることが多いのですね。  ドイツの実例を見ますと、同一自治体がその事務組合の例えは運営委員会などにおきまして、三分の一ないしは四割の議員を派遣してはいけないというルールを持つのですね。ですから、人口比でいきますと八割を占めるところであっても四割しか議席を持たないということで、周辺の弱小市町村の声を生かすというのが民主主義なんだという立場をとりますから、単純過半数で物事を決めるとか、それから人口比例で委員を送るというようなシステムをとらないわけですね。  それによって広域行政推進できるようなシステムをどうやら設けているようでありまして、すべての地域で調べたわけではございませんけれども、こういうのがドイツのルールだというふうにヒアリングでは聞いてまいりました。  それからもう一つ、旧東ドイツが統合後、日本でいいますと、十数倍ものたくさんの市町村を抱えております。しかし、これをほとんどと言っていいほど、一定の合併はいたしますが、かなり残したままで市町村にしようと。ですから、日本人口規模でいいますと、大体十倍以上市町村が残ることになると思います。  それがなぜ残るかというと、コンピューター行政を導入することによって、出張はやらない、いわば電子会議をするとか、ニューメディアを一〇〇%使い切ることによって情報は中央に、いわば本部的な事務所で管理しても、データとか会議とか、そういうものはすべて支所でもできる。その支所単位にも小さな地域の事項を扱う議会を設ける。そういうことを想定しているようでありまして、新しい時代にふさわしい、コンピューターの発達が小さな自治体を残すという可能性を模索してやっているところに工夫の新しさを私は受けております。  そういう意味では、日本の今の自治体のかなり規模の大きいものにとっては、本当は政令市でありますと、区に議会を設けるとか、政令市になってなくても、小学校区単位に新たに議会を設けるなどのような方策がかえって必要ではないか。これは先進国に学ぶ部分としてあると思います。  それから、外国人の件でありますけれども、在留資格が実に多様な方々がいらっしゃいますので、日本で生まれた方から一時入国までいろいろですので、一概には申し上げられませんが、とりわけ日本で生まれた世代の方々には、言うまでもなく地方参政権は法改正によって認めるべきであろうと私は、世界の流れの中では思います。そして、在日でも三世、四世ということになりますと、国政選挙の可能性も、日本歴史的事情からすれば考えられる時代にはなりつつあるというふうに思いますが、短期の自己意思による入国者については、また別途の取り扱いが必要だというふうに思っております。
  18. 平林鴻三

  19. 浜川清

    浜川参考人 まず、地方制度と申しますか、現在二段階都道府県とそれから市町村制をどう見るか、将来ともどう見るかということですが、私は、基本的に現在のままでよろしいかと思います。  すなわち、住民自治ということを先ほど申しましたとおりでありまして、地方自治の前提としての住民自治を確保するために小規模の基礎的な自治体が必要であるということは言うをまちません。同時に、広域的な処理をするために広域的な団体が必要であるということ、これはその限りでは、現在の地方自治法は正当に制度を設けているというふうに私は考えているわけです。  ところで、こういう二つの、二段階制度がうまく機能しないというときに、それは両面あるだろうと思うのですね。  一つは、市町村レベルでの小さな団体の場合の能力といいますか事務処理能力の問題ですけれども、それをどうするかということ。あるいは他方、事務が次第に広域化するという問題、広域的な事務、これが市町村枠を超えたりあるいは都道府県の枠を超えたりする、そういう中でどう処理をするか。広域化しても、全国的な事務ではなくて地方的な事務であるという場合に何らかの手当てが必要だ、こういう問題があろうかと思います。  まず第一の市町村の処理能力の問題ですけれども、私は、事務配分については柔軟に考えていいだろうというふうに考えております。一部で、選択的分権化という表現があるのですが、それは少し議論が残るところですけれども、それで事務配分を柔軟に考える場合に、同時に組織の問題があろうかと思います。  現行地方自治法では、地方公共団体の組織について、法律で一定の部、局等の設置について制限を、一方でこれは行政部門についてそういう制限を設けております。それから、議会について、設置はもちろん義務づけておるわけですが、より柔軟にしようとする場合に、現在あるのは一部事務組合ではなくて、いわゆる事務組合の中に役場事務組合とか全部事務組合とかいう方式が用意されておりまして、役場を置かなくても地方公共団体はあり得る、役場も議会も置かなくても地方公共団体はあり得る、こういう制度があるのですが、実際には全く運用されておりませんけれども、これ以外にもう少し柔軟な小規模市町村に適合するような方式は考えられないかということも、一つの問題になろうかと思うわけです。そういう点では、現在の地方自治法における地方公共団体の組織に関する規定の厳格さというものを考え直す必要があるかもしれません。  他方、広域的な処理の上で、現在の市町村、私が先ほど申しましたとおり、あるいは他の参考人もほぼ同意見のように伺っておりますが、現在の市町村規模を変えない。合併については、もちろん市町村住民の自主的な意見がそこにあれば、私も、それをそんなことはやめなさいと言うつもりは全くないわけでございまして、いろいろな条件がございますから、現在の市町村の区域もかなり人為的にでき上がった面もございますから、社会的、自然的な条件で合併を希望するという場合に、そうした動きは、全く自主的に行われる限り異論のないところです。  しかし、そうでない限りは、これを政府が誘導するようなことは避けるべきである、住民自治の強化の点から避けるべきである、こう申しましたが、そうしますと、市町村を超える広域的な事務の処理について直ちに問題が出る。都道府県を超える事務の広域的処理にも直ちに問題が出る。  その際に、私はそれほど明確な制度的な意見を持っているわけじゃありませんが、前提としてまず考えなければいけないのは、地方公共団体、自治体としての仕組みは変えないというふうに、この二段階の構造は変えないということをあらかじめ前提に置いたらどうか。これを変更しようとしますと、住民自治あるいは団体自治にいろいろな問題が生じます。  例えば広域的な団体を三層構造で設けますと、例えば市町村都道府県の間あるいは都道府県と国の間に設けますと、これがより下位の機関、例えば都道府県を超えるような大きな道州というふうに、これまでの提案から申しますとそういう名称になるのでしょうか、こういうものを置いた場合に、それが監督的な機関あるいは上位計画を決定してその計画に従うことを強制する機関になりかねないわけでございます。そういう点で、現在の地方公共団体のあり方、その二層構造の住民自治というもの、団体自治というものを確保したままで広域的な処理を考える、これがまず最大の前提だろうかと思います。  そうしますと、広域的な処理にどういう方式を考えるかといいますと、広域的処理が必要な限りで広域的な事務処理の仕組みをつくる。そういうものとしては、現在ありますのは、先ほども申しましたが、事務組合の方式でございます。現在は複合事務組合と、少し広がりましても先ほど申しました役場事務組合、全部事務組合は、いわゆる一部事務組合、特定の事務ないし相互に関連する事務に限定して一個の事務組合の設置を法律は要求しているわけです。これでいいのかどうかということを考えても、私はいいだろうと思っております。  相互に関連するというものをもう少し緩やかに解して、そしてこの市町村の区域を超えたところである程度一体的に多様な事務を処理するということもあり得るだろうと考えるわけです。これは都道府県を超える場合もそうです。  道州をどう考えるかという問題ですけれども、例えば一つの可能性としまして、道州制という場合に一番問題になっているのは圏域の開発問題だろうと思うのです。圏域の開発を進めるために、都道府県を超えた区域で行政として何らかの地方公共団体と仕事をする必要があるということが一般に言われているのだろうと思うのです。そうしましたら、道州というものを考えるのではなくて、開発のためのそういう広域的な機構をつくるということは一案かもしれません。これを道州と呼ぶのであれば、それはそれで構わないのですけれども、その点で事務を限定して、特に都道府県を超える団体については、機構については事務を限定して都道府県自治を損なわないように考えるべきだろうと思います。  ところで、地方公共団体の三層構造については、私はそれほど具体的な提案があるわけじゃありませんが、二層構造をどう改正するかということについては以上のとおりでございますが、地方の二層構造を考える場合に、同時に国の機関をどう見るかという問題が残ってまいります。地方六団体の分権推進委員会の提案によりましても、国の事務はかなり大量の事務が残されているわけでございまして、これをどう処理するかということでございます。都道府県に委任をするという方式が提案されているのですが、それでいいだろうかという問題があるように私は思っているわけです。  これはほかの分野でもいろいろな形で出てくるわけですけれども、余り委任ということを安易に行いますと、先ほど言いました団体委任と結局のところ変わらない。団体委任にしますと、国が決めた基準のとおり画一的にただ事務を下請的に行う、こういうことですが、これでいいのだろうかということなんです。それで、国の出先というものをどういうふうに見るかということもあわせて議論をしておく必要があるように思います。  具体的には、これまで話題になってまいりましたのは、ブロックごとの機関であるとか、都道府県ごとの機関であるとか、あるいは都道府県に置かれている、いわゆる地方事務官と言われる社会保険、年金を担当している機関都道府県にあるのですが、これは国の事務であることははっきりしているわけですけれども、そういうものをどう見るかということ。これは都道府県の将来を考える上で非常に重要な問題であろうかと思うのです。  私は、余り簡単にいかないというのが意見でございまして、国の事務をすべて都道府県市町村に、特に国の事務都道府県に委任するというふうにいった場合に、都道府県の現状は今と変わらない可能性があるのじゃないか。もし都道府県を自主的な団体とするのであれば、国の機関をむしろ整理しながら権限を限定して残すというのも一つ方策かもしれないと考えているわけです。  フランスやスウェーデンはその点、特にフランスは中央集権的な国ですので日本参考になるかどうか議論のあるところですが、フランスもスウェーデンもこの点は特異なシステムをとっておりまして、都道府県単位で国の出先と都道府県がほとんど一体化しているような並列的な関係で相互に事務を分担する。この事務の分担形式が、フランスはまだ十年ちょっとしか伝統がありませんからこれからの話なんですが、スウェーデンなんかの場合は、ある程度この都道府県の自主的な事務処理の機能が高まるという面も指摘されていて、意外に技術的には難しい問題があろうかと思います。  少し長くなり申しわけありません。  外国人の問題については木佐さんが言われたとおりでありまして、外国人というものにいろいろな種類がございます。外国の法制を見ても一つ問題になろうかと思いますのは、いわゆる定住外国人の方々の取り扱いの問題でございまして、旧朝鮮あるいは韓国台湾、中国、大陸ですが、こういうところから戦前日本国籍を有して住みついていた人、これを一般に定住外国人と言っているようですが、こういう方々について参政権を認める方向は私も賛成でございます。それ以外の定住的な外国人については具体的に制度を検討する必要があろうかと思います。  参政権という場合、選挙権と被選挙権があるわけですけれども、被選挙権についても、一定の制限を設けるということはあろうかと思いますが、積極的に考えていいのではなかろうかと思います。  関係して一言申しますが、公務員外国人がなれるかというものについても、もっと寛容に、今の外国人の区別によってですけれども、寛容に考えてもいいのではないか、こう考えているわけでございます。
  20. 伊東秀子

    ○伊東委員 きょうはお忙しいところを大変示唆に富んだ御意見、ありがとうございました。  お三人の先生ともに、地方分権が、分散ではなくて本当の地方住民の主権をより高める、要するに住民の代表である地方議会地方の首長さんと国権の最高機関である国会、この中でのより主権者である住民地方の場合、住民参加とか、あるいはそのチェックシステムとか、意思が行政に生きるシステムづくりの第一歩だというようなことをおっしゃっていらっしゃるんじゃないかと思うのですが、それのシステムをどうしていけばいいのかというのが大変大きい問題ではないかという気がするわけです。  例えば、地方分権しても霞が関が県庁に移るだけじゃないか。県庁、市町村に例えば現在ゴールドプランのプランニングを立てるようにということになれば、外のそういう請負業者につくらせて出してくるような実態があるじゃないか。一体これを、今このまま分権してしまっても、何ら本来の意味の、地方自治の本旨と言えばいいのでしょうか、地方主権というところにはならないで、霞が関が小さく、利権が地方に分散するだけだというようなそういう意見もあり、またそういう実態もなきにしもあらずではなかろうか。  そういう意味で、いかにして本当に住民の意思というか、意見というか、要望というか、ニーズがしっかり地方政治の中心に座っていくシステムというものをつくっていくかが大事じゃないかという気がしているのです。  掛川市に先日この委員会で視察に行ってまいりまして、掛川市は七万余りの市ですけれども、大変いろいろ工夫をしておられて、住民総大会というのでしょうか、それで意思を吸い上げるのを非常にきめ細かく工夫しておられるお話を伺ったのですが、三人の先生方のそれぞれのモデルというか、どういうふうにその辺を考えていらっしゃるのか、ちょっと詳しくお話を例えたらと思います。
  21. 西尾勝

    西尾参考人 かなり乱暴な言い方をさせていただきますが、都道府県市町村、いずれにいたしましても、これまでは最終的な権限が国に、中央省庁に留保されているということが多かったわけでありまして、したがいまして、これは国が既に決めているので都道府県としてはどうにもできないとか、市町村としてはどうにもできないということを首長さんは議会に説明し、県民に住民に説明するということが多いわけですし、この件も県だけでは決められない、最終的には国の承認が必要になるんだといったことで、最後の逃げ道が国に置かれている、そういう中で仕事をしてきたという現実があるわけであります。  したがって、最終責任を負い切る、住民に対して議会も首長さんも最終責任を自分で負い切る、これは自分たちが決めたことだと言い切る習慣がないわけであります、これまでは。したがって、非常にルーズなところもあるわけでありますが、これを現在そうだからといってそれに仕事をゆだねるのは心配だというのは話が逆転しているのでありまして、その人たちに責任を負わせればだんだんそういうふうに変わるわけであります。仕事を任せない限りそうはならないということがあります。  そしてまた、職員の問題につきましても、町村の職員の能力が果たしてどうであろうか。何を任せてもシンクタンクに依存して、丸投げして、提案をもらって、それでやっているという町村もあるじゃないかとよく言われます。しかし、これまた町村にそれだけの仕事責任を負わせれば、だんだんそういう職員は育つ、必ず育つのであります。少し時間がかかる、その経過期間にはいろいろな混乱が起こる、これは当然でありますが、まず任せてみなければだめだというのが、私が申し上げたいことであります。  そして次に、自治体として、これだけ地方分権がもし進んだといたしますと、それだけ自治体側の住民に対する責任は大きくなるわけでありますから、これまでのような仕組みで果たして十分なんだろうか。首長に権限集中し過ぎているのではないだろうか、都道府県市町村とも。その危惧は非常にあるわけです。国の議院内閣制とは非常に違いますので、知事が全権を持っている、市町村長が全権を持っているという仕組みでありますから、果たしてこれで十分だろうかというときになりますと、地方議会によるチェック機能というのをどうやって強化するかというのが非常に重要なテーマになるだろうと思っております。  そしてまた、どこの提言でも、情報公開制度の一層の充実であるとか、あるいは国に準じて行政手続条例をきちんとつくらなければいけないとか、あるいは若干住民投票住民発意的な制度住民参加制度も拡充しなければいけないということも言われているわけでありますが、もう一点私が強調したいことは、自治体に対する外部監査制度をきちんとこの際つくらなければいけないのではないかということでございます。  少し立ち入った話になりますが、六団体とか地方制度調査会が提言をしているような地方分権が進められまして、仮に補助金負担金というものが今よりもずっと種類が減っていったといたします。さらには、機関委任事務というものが廃止されたといたします。そうするとどういうことになるかと申しますと、会計検査院による会計検査というのは、補助金負担金が出ているところはどこまでも追っかけていって会計検査をする権限を持っているわけであります。都道府県市町村に対しても会計検査をしているわけであります。しかし、補助金負担金が減っていくということは、会計検査院の検査対象が減るということであります。  また、総務庁の行政監察局がやっております行政監察というのも、都道府県市町村調査対象にしておりますが、これは何を対象にしているかといえば、補助金負担金が出ている事業と、それから機関委任事務であれば、これは国の仕事だから、それをやらせているんだからそれを調査する、こういうことで、都道府県市町村に監察が入っているわけであります。この機関委任事務廃止されますと、監察局の監察対象は減ってしまいます。  これはいいことだと言ってそれで済むだろうか。これまでは会計検査院なり行政監察局による監察が行われていた、それが全く空白になるということで果たしていいのだろうかということであります。  ところで、地方公共団体の監査というのは、御承知のように監査委員というものが置かれまして、これが監査をしていることになっているわけでありますが、基本的には長が任命権を持っている監査委員でございますので、長からの独立性にどうしても疑念があります。これは内部監査の機構としてはそれなりに機能していると私は思いますけれども、長から独立した外部監査という機能を果たせているかといえば、果たせていないんだと思うわけであります。  したがいまして、監査委員は内部監査の仕組みとしてそのまま残すにいたしましても、純然たる、その自治体を離れた立場から監査する自治体共通の監査機構のようなものをぜひともつくり上げて、都道府県あるいは住民要請に応じて監査をするという独立の監査機構というものをぜひつくらなければいけないのではないかというふうに考えております。  いろいろお答えすべきことはあるかと思いますが、なるべく短くする趣旨でこれでやめます。
  22. 木佐茂男

    木佐参考人 今の伊東議員のお尋ねは、結局本来の意味での主権者が自治を行うにはどういうシステムが考えられるか、こういう御趣旨だと承りまして、それを前提にお答えしたいと思います。  私はよく、日本の今までの自治憲法保障されている自治保障にもかかわらず自治権奉還現象があると言っております。大政奉還に倣った自治権奉還です。つまり、本来法律上、しかも憲法を持ち出せばさらにいろいろ可能なことがあるはずなのに、常に上級省庁にお伺いを立てるという考え方が特に市町村などにはしみ込んでおりまして、現場に行ってインタビューいたしますと、常に主務官庁とか上級庁とかそういう発想が出てまいります。  これはいわば自治の自己否定のようなところがございまして、私はよく冗談で申し上げるのですが、日本自治体の幹部の方などが一体地方自治自分たちの職員や住民にどれほど自分の言葉で説明できるだろうかと言ってよく問題提起いたします。地方自治を一番よくお話りになるのは自治省の方でありまして、中央省庁のその他の省庁では、地方自治の教育というのは研修でもほとんど一切行われていないように調査の結果では判明しています。ですから、まず国家公務員地方自治教育というのは、採用後の研修でも、本当は遅いと思うのですが、せめてやっていただきたい。  それから、これもドイツやスウェーデンなどを見ておりますと、中央省庁政治教育センターのようなところがありまして、そこから出されているパンフレットで地方自治というものがいかに重要であるかということを、いわば中央政府のレベルでも市民向けに広報活動を非常によくやっております。つまり、それが民主主義の基礎だということだからなんですね。やはり、このような主権者教育というものも非常に重要な問題だというふうに思います。ですから、今までいかにも分権的システムがなかったかのように言いますけれども、できることをできないと言い続けていた部分も少なくないことの反省が地方の側にも必要ではないかというのが私の意見であります。  そして、あとは西尾参考人の御意見と一緒でありまして、当面はシンクタンクなどに丸投げする自治体もふえると思います。これはちょうど女性の社会進出の現象と同じでありまして、他の先進国では女性比率を、例えば三割とか四割とか登用するというときに、よく女性は能力がないとかそういう形での反論がありましたけれども、まず登用しなければ何事も始まらないというところから非常に女性の進出が多くなったわけでして、それと同じように、権限を付与してまず実施することが先決だろう。その間に多少のごたごたが生ずることはやむを得ないと思います。  それから、監査機能などについてでありますが、実はバイエルン州、ドイツのバイエルンという大きな州がございますが、そこでは外部監査機構が法人として設置されておりまして、自治体出資のような形式でございます。ただ、州の法律に設置根拠がございまして、現地のヒアリングをいたしましたら、会計検査の資格を持った方、それから各技術系の資格を持った方、それからデザイン関係の方とか、非常に多様な人材を持った一種のシンクタンクとしての検査機構、監査機構がございます。これは定期的に加盟自治体に対して抜き打ち的な監査も行いますし、それから慣例として、前任首長が退陣しました後は、ほぼ新任首長が前任者の腐敗がないかどうかをきちっとチェックするというシステムをとっておりまして、私の見たところ、例えばそこの所長といいますか、事務長は法曹有資格者でなければならないという規定もございまして、非常によく機能していると思います。  ただし、例えば庁舎のデコレーションをどうするかというような自治体の施策を反映する部分についてはチェックしないけれども、きちっと会計事務処理が行われているかどうかについては、非常に厳しい調査をする。大体何人かのチームで一週間ぐらい泊まりがけで行って、その自治体を洗いざらいやるというふうに言っておりまして、これはいわば自治体が連合でやることですから、自治権の侵害にはならないだろうというふうに思います。  多々、いろいろありますけれども、工夫の余地はいろいろあるということを申し上げたいと思います。
  23. 浜川清

    浜川参考人 伊東議員の質問、私は官僚制の打破という問題の角度からお答えしますが、霞が関が県に来るだけじゃないかという、官僚制の打破については、いろいろな議論がございます。  これは、実は西尾先生の方が御専門で私が答えるのは変なのですが、よく言われるのは、参加型のモデルでこの官僚制の弊害を是正しようという考え方、それから自主管理型、そういうモデルで考えようとするそういう考え方もあります。  分権という場合は、どちらかといえば自主管理型に傾斜してこれを行おうというものですけれども、御質問の趣旨が地方公共団体内部での官僚制の打破ですから、これは自主管理型というわけに少しまいりませんので、参加型を考えなければいけないのかという具体的に制度改革議論で従来から言われておりますのは、公開と参加ということでございまして、公開については、国に比べて非常に進んでいるのが地方公共団体の現在の実情ではないかと思うのですが、これをさらに、現在の情報公開条例を一般化するとともに、単に要求があったときに公開するという方法ではなくて、具体的な行政運営の中で公開の方策をさらに工夫する必要があるだろう。これは国に比べて非常に熱心に既にやっておられるところだと思うのです。  もう一つ参加の問題です。参加の問題は、今から二十年近く前に地方公共団体の中で意欲的なところで幾つかかなり熱心に行われたことがございます。横浜とか、埼玉県の富士見市であるとか、幾つか大変いろいろな研究者の研究の対象として登場したことがあるわけです。しかし、その後余り十分に機能していないという点が大変残念といえば残念でございますけれども、例えば一つ考え方として、今後地方公共団体が独自の地域政策、地域開発政策、都市計画のための政策決定機能を持った場合に、総合的な住民参加のシステムを考えてはどうか。  これは既にそういう、今から二十年ほど前に部分的には試みられているわけですけれども、住民参加の形で委員会制度を設ける。これは実は地方議会の議員との関係が非常に問題になるわけですけれども、議会制度とは別に、行政プロセス、行政過程の中で住民参加を図る合理性は実はあるわけでございまして、関係階層を公平に代表させる、政治的なイデオロギーで代表させるのではなくて、住民の中の多様な利益で代表させる、そういうことで幾つかの委員会を複合的に設けまして、それを全体として地方公共団体の政策決定に生かす、こういうふうな方策をもっと積極的に取り入れてはどうかというふうに例えば思ったりします。  これは単に計画あるいは地域開発政策のための決定だけではなくて、条例等の制定についてももっと積極的に考えでいいのではないか。これが先ほど来御指摘がほかの参考人の方々からあります住民発案の制度、現在でもあるわけですが、これをもう少し柔軟にする。特に署名数が大変、直接請求でございますが、署名数が非常に重荷になる。比較的、条例制定請求は五十分の一ですからさほどのことはないのですが、大都市についてはやはり難しいことは変わりはございません。あるいは、現在十分に制度化されていない住民投票制度、レファレンダムですけれども、こういうものを積極的に導入する。住民発案の場合も発議だけでありまして、住民自身が住民投票決定するというふうになっておりませんから、こういったものもあわせて決定する、これは一つの今後十分に検討する方策ではなかろうかと思います。  それから、具体的にもっと申しました場合に、国のレベルで十月の一日に施行されました行政手続法地方公共団体でどうするかという問題がございます。官僚システムの民主化あるいは公開化、透明化というふうにいう場合に行政手続は大変重要でございまして、今回の行政手続法の施行によって地方公共団体は適用対象外に置かれているわけでありまして、これを各地方公共団体で早急に具体化をして進めるということは、特に利権絡みと言われることが多いわけですけれども、そういう行政の体質を変える上で私は有効かと思います。  ただ、国の行政手続法はいろいろ大変すぐれた法律であるということは私も同意しているわけですが、限界がございまして、住民参加というそういう点で非常に抑制的なところがございますので、地方公共団体の工夫次第によっては住民参加の要素を加味した行政手続条例の制定も可能かと思いまして、そういうものを通じて活性化を図ったらどうか。一般的には事務の十分な配分が行われますと様子はあらかた変わってくるというふうには期待しているところでございます。
  24. 錦織淳

    ○錦織委員 新党さきがけの錦織でございます。  今の伊東委員の御質問にも少し関連をいたしますが、一般の住民の素朴な感情からしまして、地方分権というものにどういうありがたみがあるのかという問題をひとつ考えてみたいと思います。  現在行政改革ということが言われていて、例えば特殊法人の整理統合は消費税の税率低下につながるかもしれない、あるいは規制緩和は内外価格差の解消ということで安い物価につながるかもしれない、そういう非常に、これは平たく、少し乱暴な言い方なんですが、地方分権がどういう意味住民の利益につながるのか、こういうふうに考えていきますと、これまでの地方分権役所、あるいは先ほど官僚制という言葉が出ましたが、この中央省庁とあるいは国と地方自治体との権限をどう分けるか。では、住民にとってはそれはどういう関係があるのか、こういう点からいきますと、少しやはり関心が薄くなるところがあると思います。  そこで、いろいろ住民参加住民自治ということを具体化するための御提案も先ほどからいただいているわけですが、その中で、もう少し議会の機能を強化するということと同時に、素人っぽい議会参加といいますか、普通のサラリーマン、普通の市民が議会に参加できる。例えば外国では、夜議会を開いて十分兼職もできるというような例もあるやに聞いておりますが、そういうことも含めて、何か議会を通じてもう少し住民が身近なものとしてこの地方分権をとらえるというためのお考えがありましたら、御示唆をいただきたいと思います。  それから、ちょっと欲張って恐縮なんですが、もう一点、これはあえてということで参考までにお聞きしておきたいと思いますが、先ほど浜川先生の御発言の中で、産業政策との関係ということが出たと思いますが、この全体としての工業化政策が一極集中構造を招いたというようなことも含めて、二十一世紀のビジョンの中でこの地方分権を産業構造との関係でどう位置づけたらいいのかということについて、もし特にございましたら、あわせて御意見をお伺いしたいと思います。
  25. 平林鴻三

    平林委員長 では、順次お願いをいたします。西尾参考人
  26. 西尾勝

    西尾参考人 第一点でございますが、私が冒頭の陳述の中でそのことを非常に問題にして申し上げたとおりであります。この地方分権の問題については、そんなに重要な問題であるにしては国民世論が一向に盛り上がらないではないかというふうによく政治家の方もおっしゃいますし、何よりも報道機関の記者の方たちがそういうふうに言われるわけです。市町村でさえそんなに真剣に考えてないのではないか、ましてや国民世論がぐっと盛り上がってくるというような気配が全くないじゃないか、もっと住民、国民に直接わかるような説明の仕方を考えなければいけないんじゃないかというおしかりも受けるわけであります。  したがいまして、提言をするときには何かそういうわかりやすい表現がないものかと随分知恵を絞ったつもりでございますけれども、これがなかなか難しい。  なぜならば、この今度の地方分権が行われたならば、これまで市町村が全く手がけていなかった仕事、これを手がけるようになるんだと、それだけ住民の生活には非常に便利になるんだと、目に見えるようなものがあるだろうかといいますと、それほどないということなんです。  例えば、掛川市がパイロット自治体一つとして旅券の発給を市町村でやらしてほしい、そういうのがもし、今までは都道府県でやっているものが市町村におりてくれば、地元でとれて非常に便利だ、すぐ住民にわかる、こういう例があるわけですけれども、そういうようなものがどのくらいあるか。全くないわけではないと思いますが、非常に少ないんだと思います。  なぜかといいますと、これまでも幅広く市町村仕事しているんです、もう既に。やっているんですが、自分で最終決定権を持っていないというだけでありまして、幅広く手がけているわけですから、その部分がそんなに変わりはしないということになりますね。そうすると、何が変わるのかというと、これまでは県庁との協議がたくさん必要だったものが余り要らなくなる。霞が関まで出かけなきゃならないというものがなくなる。それは市長さんや議員さんたちあるいは職員たちにとっては非常に大きく仕事やり方は変わるだろうけれども、住民たちにとっては何が変わったのという気がするという問題なんだと思うんです。ここがなかなか、国民に地方分権の大事さということを説明することの非常な難しさだというふうに私は思っております。  しかし、分権がなされてくれば、今までは県に行ったりあるいは国にまで行ったことが、例えば市町村の中で完結的にそこで仕事が終わるということは、市長と市議会に対して物を言い、そこを押さえていれば物事が決まるということがふえるということですね。それだけ市長とか市議会に対して物を言うことに意味が出てくるということだと思います。  その結果、じゃ、何がよくなるかといいましたならば、住民の生活に一番身近な市町村が、一番新しく出てきた問題にいち早く気がつく、そしてそれに何か手を打たなければならないという意味では、身近な政府が一番反応が速いわけです。そして、国がそれにようやく対応して何か法律改正をしなきゃいけないというのは、相当に全国的に問題が広がったときに初めてほっておけないということで法令改正になるわけですね。しかし、自治体はどんどん出てくる問題に対応しなければいけませんから、そこで何かの工夫をしてやろうとし始める、その反応が速い、新しい問題に対する反応が速くなるということが一つです。  それから、国の行政はどうしても縦割りの各省別になっていますから、なかなかそれを有機的に横につなげて、組み合わせてうまくやるということが難しい。しかし、市町村までおりできますと、すべての仕事が市長のもとにあるわけですから、これを調整をしてやれという、総合的に仕事をするということが一段と進むであろうというふうな、そういうような効果が出てくるということを住民に説明する以外ないのではないかというふうに、第一点についてはこう思っております。  これは、ただ、住民の中でもそういうふうになかなかわかってくださらないのは、役所に行くのは証明書をとりに行くときだけというような住民の方から見るとなかなかわからないということでありまして、もっと、事業をやっておられる方、あるいは何かの法人の設立をして福祉事業をやっていらっしゃるような方とか、農協の方とか、そういう方たちは、県庁に陳情し、霞が関に陳情したといったくさんの経験を持っていらっしゃるわけですね。その間に何年かかったとか、このたった一つのことに幾つの書類をつくらされたとか、うんざりする経験をたくさんしていらっしゃるわけです。そういう経験を持っていらっしゃる方にはすぐわかるわけです。  しかし、一般の方々になかなか理解してもらえないということが、この地方分権の難しさじゃないだろうかというふうに思っております。  二番目の問題については、議会の機能を強化する、特に、市民が気軽に参加できるような議会に何とかならないかというのは、全く賛成でございます。議員もおっしゃいましたとおり、アメリカの議会、市町村の議会などはほとんど夜間で開きますし、そしてそれがしょっちゅう公聴会、パブリックヒアリングのような形で行われていて、住民はだれでも参加できて、そして住民と議員が論議していくわけですね。住民もいろいろな意見の人がいろいろの意見を述べる、それに対して議員も質問したり討論をするという、住民と議員が議論をするという場が多数設けられているわけであります。  そういうことからいいますと、これまでの日本地方議会は少し国会のパターンに倣い過ぎているんじゃないか、もう少し地方議会らしく柔軟に気軽にやれるような議事手続と習慣をつくり直すべきではないだろうか。夜間開くのも、夜間開くとお決めになればできることなのでありまして、どうしてそうしないのかというだけのことでありますから、まあ若干、あるいは法律上手当てをしなければできないこともあるんですけれども、議会がそういう気になりさえすれば、工夫の余地は幾らでもあるんじゃないかというふうに思っております。  最後の御質問は、浜川先生に対する御質問だと思いますので、私は返事を遠慮します。
  27. 木佐茂男

    木佐参考人 最初の点は、二つの論点はほとんど西尾参考人がおっしゃってしまいまして、私はもう少しわかりやすい例を仮に挙げておくといたしますと、例えばパスポートが市町村役場でとれますというのが先進国の事例でありますから、許認可、今までほとんど町村役場でとれていたもの、住民票などそう大きく変わりませんので、新たにそういう証明書類でとれるとすればパスポートぐらいなものなどが念頭に浮かぶかなと思いますが、もう一つわかりやすい例としては、東京行きの飛行機の切符がとりやすくなりますというのが地方分権一つ効果ではないかと思います。  ただ、役所内部ではいろいろなシミュレーションができると思います。と申しますのも、例えば人口が四、五千人の町や村で今都道府県庁から統計の要求が非常に多くて、全く同じ統計をそれぞれの馬とか部に対して出さなければいけないけれども、その都度時期が外れて来るために、補助金の申請書類と大体統計づくりで、わずか八十人、九十人しかいない職員のかなりが手間をとられているわけですね。恐らくこういうものも減ってくると思います。  ですから、予算とか人員などの点でシミュレーションをしていきますとこういう削減効果があるということはわかっていくのではないかと思いますが、本当に住民の方々に具象的にわかるというのはなかなか難しいだろうと思います。  それから、議会については西尾参考人がおっしゃったとおりですが、私は世界じゅうの地方議会がどのような人によって構成されているか関心を持って調べておりまして、ドイツの場合ですと、地方議員になるのに大体一円もかかりません。首長選挙に出る場合でもせいぜい五十万円ぐらいです。学会用につくった今までのヒアリングの資料がきょうは手元にありますが、時間の関係で申し上げませんけれども、州レベルの国政選挙に出る場合でもせいぜい百万円ぐらい。それ以上自己負担があったら、だれも国会議員になりたい人はいないというのが、ドイツでの発想なんです。  ほとんど政党選挙だということもありますし、およそ地方議会の場合は名誉職で行われていますね。日本のように職業議員が地方とか都道府県レベルどこでも一般化しているというのは、世界的にはほとんどありません。ごくまれにアメリカで議員数が少数であって有給化しているところがありますけれども、そういうところでは、すべてではありませんけれども、別に補助スタッフ、政策スタッフをつけることが許されておりまして、つまり一人の公選有職議員に対して一人の秘書がいる。そこで政策立案が行われる。  クリーブランド市の例を直接地元の責任者から聞いたことがありますが、半分の条例は議会提出のものが通過する。日本では考えられないわけですよね。日本では首長部局から提出されるものが圧倒的だそうですけれども、大体半々の割合で議員立法ができている。それはやはり有給化して専業化するとともに、秘書をつけて、いわばシンクタンク予備軍のような人たちがいるということで可能になるだろうと思います。  翻って我が国の場合は、公務員にほぼ全面的に被選挙権を奪っているわけでして、これは恐らく有給職であることとの両立を許さないことからの配慮なんですが、私は、居住地と勤務先が違う場合におよそ被選挙権を奪っていることについては、憲法違反の疑いがあるのではないかと思っております。  なぜそう思うかと申しますと、他の国の地方公務員というのは、非常にバラエティーに富んでいるのですね。私はたまたまドイツ人口八千人ほどの、二十一人ほどいる議員の職業別の資料を持ってまいりましたが、医師が何人も入っておりますし、小学校の校長や弁護士や裁判官、銀行の支配人、それから主婦、浄水場管理人、例えばこういうふうにあらゆる階層の方が、しかも高学歴の方、博士号を持った方が二十一人のうち一五%いるのですね。そういう方が名誉職で夜間の議事活動をやるとなりますと、知能職員と対等な議論あるいは対等以上の議論が進むわけであります。  今西尾参考人がおっしゃったとおり、我が国地方議会は余りにもワンパターンの議場の構造になり、国会モデルにし過ぎておりまして、もっとひざ詰めで議論ができる雰囲気ができないことには、地方自治の活性化というのはないだろうというふうに思っております。特に、弱小の市町村にとっては、今の議会制度の抜本的見直しといいますか、あるいは選択的な制度の採用の余地も認めるということまで今後展望に入れないと、少し国会型の議事運営に過ぎてはいまいかということを感じております。  最後の点につきましては私もよく存じ上げませんので、省略させてください。
  28. 浜川清

    浜川参考人 議会のあり方の問題は、私も公務員について立候補を禁止していることをひとつ考えてはどうかと言おうと思っていたのですが、これは今おっしゃられたとおりで、私のフランスの友人、国の通産省の役人ですけれども、小さな市の助役をしておりまして、なかなかうまく機能しているというのを私も経験したことがございます。大変むだなことだと思うのですね。公務員を議員資格から排除して、議員の対象から排除しているということは大変むだなことだと思うわけです。  それから、分権のメリットと産業政策を私はそれでは一緒にして議論しますが、国の産業政策の最大の問題は業界別の産業政策であるということは、もう御承知のとおりだと思うのです。業界各分野ごとに産業政策を進めてまいりまして、それぞれの原局と言われる各省の局、部で産業担当をしているというのが、我が国の基本的なスタイルであるわけです。  それぞれの原局あるいは部というところは産業がうまくいっておけばいいわけでありまして、地域の振興と必ずしも結びついた発想をしているわけではございません。そこで、地方分権のときにこの産業政策について日本のこれまでのあり方をやはり変えるということを特に強調する必要があるのではないか。地域の振興を考えるのは国の省庁の産業政策によっては不可能であって、地域における独自の決定、誘致、さまざまな努力が必要だろうと思うのですね。  私は、分権の一番の大きなメリットは、地域の振興と地域の町づくりだ、住民が住みやすい環境と住民が安心して働ける町をどうつくるかということに結局は帰着するのだろうというふうに思っております。  ところで、国の産業政策についてこれを地域ごとに考える、業界別ではなくて地域別に考えるのだというふうに申しましても、圧倒的な財政力を持っているのは国でありまして、国を度外視して地方の産業振興政策がうまくいくわけではないわけです。その点で国の産業政策の機能と地方公共団体の側の産業政策の機能、主体は都道府県になろうかと思うのですが、その機能とのかかわり合いをどう見るかということも検討の対象にしなければいけないのではないか、こう考えているところでございます。産業政策そのものの基本方向の見直しをやはりあわせてやる必要があるのではないかというのが私の意見でございます。
  29. 穀田恵二

    ○穀田委員 日本共産党の穀田です。  先ほど来お話を聞きまして、本当にありがとうございます。  私は、今お二方、前者二人からお話あったように、地方分権という場合、どうしても地方自治の拡充という意味で使われるのが本筋だろうと思うのです。  そうした場合、先ほどもお話あったように、憲法による地方自治の本旨というのは、本来住民自治と団体自治二つのものと通常解釈されています。したがって私は、先ほどの先生方のお話で興味深く思ったのは、住民の目には関係ないように映るという西尾参考人のお話もありました。それからまた、木佐参考人から草の根民主主義ということで、将来の課題とはちょっと遠いような問題にあったわけですが、私はこの間の一連のそういう地方分権推進に関する答申だとかその他の諸文書を見てみますと、どうも肝心の柱として住民自治をどう強化するかということについて言えば少し少ないと思っています。しかも、お話あったように、例えば住民の発議だとか参加の一般論については一定述べているわけですけれども、住民自治の強化拡充についてどのように位置づけるべきかというあたりをもう少し深くお聞きしたいのが一つてあります。  それから、浜川参考人、先ほどお話ありましたけれども、やはり行革の文献その他で見ますと、ナショナルミニマムだとかあるいはシビルミニマムはある程度達成されたという論調が盛んなわけですが、先ほど先生が権限の限定その他について、国と地方権限の問題について言っておられましたが、私は、本来、社会の発展に伴って社会保障などのナショナルミニマム自身も全体としては発展するのではないかと思うのですね。そういう見地からして、やはり国の行うべき仕事を純化するというような言い方だけではまずいのではないかと思うのですね。その辺の原理的といいますか、先ほど先生がおっしゃった、国と地方の業務分担についてはもう少し正確にすべきじゃないかという意見のもう少し突っ込んだ話をお聞きしたい。  最後木佐参考人に、自治体への中央からの天下りについて述べておられて、他の方の論文でも真の地方自治の確立は困難という形で指摘されています。ですから、この点についてもう少し、短い時間ではあろうかと思いますけれども、お話しいただければと思います。
  30. 西尾勝

    西尾参考人 最後の三点目は木佐先生に聞かれたのでしょうね。  まず第一点の地方自治の拡充、地方分権というのは地方自治を拡充するためである、その際、各種の提言では団体自治の方の充実に力点が置かれていて、余り住民自治の強化のことについて議論されてないのではないかという御指摘で、その点についてどう考えているかという御質問だと思いますが、これはやむを得ないことなのですね。  住民自治が大事でないなどとだれも思ってないのでありますが、今課題は、どうやって分権をさせるかということが課題なのでありまして、したがって、それも今までの流れからいえば、国の各省に対してもう一段分権を考えろとやりますと、これまで都道府県にさせていたことを今度は市町村にさせますという回答ばかり出てくるのですね。国が握っているものは手放そうとはしないというのが従来の流れであるわけです。したがって、今度はどうしても国が握っているものを都道府県にいかにおろさせるかということがすべての課題だというふうに理解しておりますので、その限りで分権ということに議論の焦点を置いているわけですから、勢い団体自治の問題に焦点が行っている、そういうことだと思います。  そこで、ただ、だれしもが意識したことは、そうやって団体自治が強化されるということは、自治体責任がそれだけ重くなるということであります。住民に対してそれだけ今以上に責任を負わなければいけないということであります。ということは、その限りで今度は住民自治をいかにして充実したらいいのかという課題が残りますが、今一生懸命我々がそのことを議論しますと、今の自治体は十分な自治体になってないという議論ばかりになってしまうわけです。改善を要するところが多々あるという話、どうしてそれで分権を進めることができるかということでありますから、私は、いろいろまだ多々十分でないところがありますが、分権を進めていただけば一層よくなりますというふうに、ひたすらそう申し上げているということであります。以上です。
  31. 木佐茂男

    木佐参考人 簡潔にということですので、ごくわずかだけ申し上げます。  住民自治充実強化が不可欠だということについては、るる申し上げましたので繰り返しませんが、今西尾参考人がおっしゃったと同じ配慮において、私も、今この時点での分権化策を足とめさせないために、余り大きな課題をつけ加えて重荷にしない方が得策であるという技術上の配慮から、きょうも過度には申し上げませんでしたが、全体としてはそれが基調をなすべきものであるというために冒頭にこの点をお話しさせていただきました。具体的に言えば、住民参加の低年齢化というようなことがぜひ必要だと思っております。  それから、ナショナルミニマムにつきましては、私も基本的に国レベルで最低限行うべきものの水準が上がっていくということについては、全く同感でございますが、それをどういう基準をつくるのかということと、基準どおりに例えば福祉サービスが受けられない人の救済をどのようなシステムで考えるかということとは、一応分けて考える余地があるわけですから、そのナショナルミニマム行政地方に任せる、そのときに不幸な方がいて、その救済制度はそれが裁判制度か不服審査制度かオンブズマンかとか、いろいろな選択肢がありますので、多少別途議論をしてもいいかなと思っております。  それから、天下りの問題は、非常にこういう場で私申し上げにくいのでありますが、究極的には、外国と比べてみますと、日本のように国家公務員の方が地方にいらっしゃるということが少ない。それから、いわゆる自治省外郭団体というのが非常に多うございまして、そこのほとんどの事務局長の方は自治省の出身の方や出向の方でいらっしゃる。それから地方六団体も同様であるということで、自治体連合組織あるいは自治体のシンクタンクという意味では世界に例のないパターンをつくり出しているというのが、私がすべてヒアリングでお尋ねして体で感じているところでございまして、それをどうするかというのは、まさに自治体の首長さんや議長さんたちの連合会でみずからお決めになれるかどうかという、まさに自治権の思想を体現するかどうかというところにかかわっていると思います。有能な方がパーマネントに身分を国家公務員から移して事務長になられるのは一向に構わないと思います。それがすべてであっては、やはりどこかおかしいというのが私の意見です。  以上です。
  32. 浜川清

    浜川参考人 自治の拡充の中で住民自治と団体自治ということでございますけれども、少し論点が違うかもしれませんが、私は、もう少し具体的な議論をぜひしていただきたいということを一点申し上げたいと思います。  非常に華々しく権限の移譲論が行われておりますけれども、先ほど私、冒頭に申しましたとおり、必ずしも具体的中身が明らかでない。したがいまして、先ほど質問いただきましたように、分権のメリットがどこにあるのかという疑問も当然出てくるかなとも思ったりするわけです。そこで、都市計画に関する権限であるとか、あるいは警察にかかわる権限であるとか、そういったものを具体的に見ていかなければいけないのではないか、こういうふうに考えているわけです。国の事務地方事務をそういう脈絡で考えるべきでありまして、国として一体何を行うべきかということを具体的に——これは地方六団体の意見の中にかなり具体化されているわけですけれども、それをさらにもう少し具体的に見ていく必要があるのではないか。例えば、基準策定を国の事務とするということが幾つを言われておりますが、その基準をどこで実施するかとなりますと、当然また地方公共団体で団体委任、機関委任という問題、あるいは機関委任という言葉を使わないでも、それに類する問題が起こるかなというふうに考えているわけです。  住民自治の問題については先ほど申し上げましたので、今は行いません。  それから、行政改革との関係一つだけ申し上げておきたいと思いますのは、先ほど来私申し上げましたとおり、分権一つの大きな役割は、地方における自主的な町づくりの問題である、自分たちの住みやすい町をどうつくるかということにある、こういうふうに申しましたが、そのためにこれまで、特に市や町では開発指導要綱という方法をとって苦労してこられたわけです。ところが、この行政改革の中、特に規制緩和の議論が非常に盛んになりまして以降、この地方公共団体の開発指導要綱に対する批判が大変強うございます。これは確かに一理あるわけでございまして、条例によらないで行政指導を通じて開発規制をするということは、法治主義の見地からは問題があることはもちろんのことですけれども、地方自治という点、地方公共団体が自主的に町づくりをするという点の問題を抜きにしたまま、単に行政指導で行っている開発指導要綱はやめるべきであるというのでいいのだろうかと思っているわけです。一方でこういう議論が非常に全般に行われ——これは、行革審の答申でこのことが非常に強く言われてまいりましたし、あるいは政府の行政改革推進本部で決定されております規制緩和推進方策の中でも再三言われていることであるわけです。そういうことが一方でありながら、他方で地方分権と言うのはどうもつじつまが合わないのではないか。そういうことで、行政改革、規制緩和の問題と分権の問題を慎重に取り扱っていただきたいということでございます。
  33. 佐藤茂樹

    佐藤(茂)委員 改革佐藤茂樹でございます。  残り時間も短いようですので、質問を一問だけ一人の先生に絞らせていただいてさせていただきたいと思います。  西尾先生にお聞きしたいのですが、要するに、国からの権限移譲の主体は、二層制でいいますと、都道府県がふさわしいのか、市町村がふさわしいのかということをお聞きしたいのですが、三委員会または調査会に全部がかわってこられて、大体このアウトプットとしては、まず当面は都道府県権限移譲させるのが現実的、または効果的であるという趣旨だと思うのですけれども、最終的には、私は、やはりこれからの行政ニーズの多様化とか、または高齢化社会に対する地域福祉にこたえていくためには、より住民に近いところに当然権限移譲はなければいけないと思うのです。  このアウトプットというのは、まず国から引っぱがすことが大事なんだという、そういう観点で出てきていると思うのですが、その点を一点確認したいのと、もう一つは、都道府県に来たときには、最終的に市町村に移すときに、またこの都道府県市町村との闘いというか、こういう権限をめぐる動きというのが出てくるんだと思うのですが、それについては一切、例えば答申なんかについても触れていないのですけれども、そのあたりをどのようにお考えなのか、一点だけお聞きしたいと思います。
  34. 西尾勝

    西尾参考人 非常に重要なことをお尋ねになったと思います。  おっしゃるとおり、今度のは、国から都道府県以下におろさせるということに重点を置いて議論をいたしましたので、都道府県市町村関係について余り細かい議論をしていない、どの機関でもそれをしていないということがございます。  そこで、これからどういう形になるかと申しますと、基礎的な自治体である市町村を重視するという考え方は、みんな関係者では共通していたと思います。ただ、今回は、国から都道府県へまずおろさせるということが課題だということに重点を置いたというにすぎません。  そこで、これから実際に権限移譲が行われるときには二つのパターンが起こると思っています。  一つは、提言の中で、包括的な法改正、あるジャンル、分野を一括してつかまえまして包括的な法改正をして、立法権まで自治体に移譲するというような分権をやってもらわなければいけないということが六団体の提言にも出ておりますし、地方制度調査会の答申にも出ております。  そして、そういうジャンルというのはどういうことが考えられていたかといいますと、それはいろいろあり得るのでありますが、一番典型的なものは土地利用規制関係であります。浜川先生が町づくり、地域づくりに最も重要なことだとおっしゃいましたが、全くそのとおりであるわけです。先進諸国市町村と比べまして日本市町村に比較的与えられていない権限というのは、典型的なものは土地利用規制関係であります。逆に言えば、土地利用規制関係に関しては国に権限を留保してきたのが日本の仕組みだった。都市計画という制度も国の制度としてつくられてきているという歴史であるわけです。  したがいまして、法律を挙げれば、国土庁所管の国土利用計画法、国土総合開発法から始まりまして、建設省所管の都市計画法、建築基準法、道路法、土地収用法、運輸省所管の港湾法とか、農水省所管の農地法、農振法というのは極めて重要な問題であるわけです。これは全部関連しておりまして、この分野に関しては、それぞれの法律を抜本的に改正していただかなきゃいけない。  その際には、その改正の中で、機関委任事務であったものはそれを廃止する、国が関与をして留保をしていたものは大幅に縮小していただく。そして、それと同時に、これまで国の法律というのはかなり細かなことまで決めていた。さらにはその下で、政省令でさらに細かいことをびっしりと決めている。あれを簡素な法律にしていただく。どうしても全国的に統一的に決めなきゃいけない最低限のことを決めた法律に変えていただく。そして、それ以上にもし細かな規制が必要だとすれば、それは都道府県条例以下で決めるというような仕組みに変えていただきたいというようなことを言っているわけであります。  で、その際、例えば都市計画法が改正される、建築基準法が改正される、農地法が改正されるというときになりましたならば、今まで国が持っていた、大臣が留保していた権限は、今後は都道府県権限としますよ、しかし、これまで都道府県に与えていた権限は、この際市町村権限としますよ、そういう法改正がなされるであろうと思うわけです。法改正がなされるときには、初めから、これは都道府県、これは市町村という改正が必ず行われるであろう、その関連で、市町村にもこれまで以上に権限がおりることになるであろう、こう考えています。これが一つのルートです。  しかし、もう一つのルートは、この際、国からともかく都道府県におろしますという形でおろされた、さあ、それから先、それを市町村にまでおろすのかおろさないのかという判断は、各都道府県に任される、都道府県とそこの市町村との協議に任されるという問題も出てくるのではないかと思うのです。  しかし、多くの問題については、初めから法改正のところで都道府県市町村のそれぞれの範囲というものを決める形になるのではないだろうか、こういうふうに考えております。
  35. 緒方克陽

    ○緒方委員 一つだけ、西尾先生にお尋ねしたいのですが、それは、住民政治参加という問題です。  実は私ども、二年前に四名の市会議員の、汚職議員のリコールに取り組んだわけでありますが、その中で幾つか問題がありました。  一つは、公職選挙法では代理投票ができるのですけれども、直接請求では代理署名ができないということになっておりましたが、これは問題だということで、国会でも私何遍も質問をいたしまして、ようやくさきの国会で、地方自治法七十四条の第六項に「身体の故障又は文盲により」という、文盲は問題と思いますけれども、これを修正して入れて、ようやく四十年ぶりに手の不自由な人も代理署名ができるようになったのです。  それは一つの問題で解消したのですけれども、もう一つ問題は、やはり人口の多いところでは解職の署名をやるのに大変な金と作業がかかりまして、四名の議員の署名をとるのに、全部書類に判こを押す必要がありますから、大変な作業で、前段作業だけで人間を何十人も動員して一週間ぐらいかかる、それから署名をやりまして、実際に提出したときには、人口十八万の都市ですけれども、四トントラック一台で運ぶという状況でして、五十万とか百万の都市では、とてもじゃないが直接請求で解職なんというのは事実上できないということで、一カ月間の署名運動をもっと延ばすとか、それから金の問題なんかももっと考えないとこれは有名無実ではないかということで、私も国会でも質問してきたのですが、これは、法修正というのは我々の仕事ではありますけれども、事実上、住民が大都市では参加できないような、そういう制度の問題について審議会でも議論されたような話も聞いておりますが、そのことについてどのようにお考えでしょうか、お尋ねいたします。
  36. 西尾勝

    西尾参考人 これは木佐先生だったか、浜川先生がもう触れられた問題だと思いますが、私が触れていなかったので私にお尋ねがあったんだろうと思います。  おっしゃるとおり、大都市では、解職請求あるいは条例の制定改廃請求にいたしましても、その請求権の署名数を集めること自身が非常に大変になっておりますので、これを緩和するという必要はあるのではないかというふうに思います。特に、今後さらにそういう請求権の直接参加制度を拡充していくというときには検討しなければならない重要な問題だと思っているのです。  また、地方選挙における投票率がだんだん低下してきているということが大きな問題ですけれども、逆に申しますと、選挙の投票率さえどんどん下がってくるというときには、この署名に必要な数というのはもっと下げなければ実情に合わないというふうになるんだろうと思いますので、そういうことも含めて検討する余地があるのではないかと考えています。  ただ、もっと根本の問題に立ち返りますと、国会の先生方に御検討いただきたいのでありますが、国政選挙と地方選挙をあわせて公職選挙法一本で決めているという仕組みが果たしていい仕組みなんだろうかというのが、私のかねがねの疑問であります。財政法にしても、ちゃんと国の財政法と地方財政法は別であり、公務員法も、国家公務員法と地方公務員法は別であり、それぞれ別にみんな決めているわけですね。ところが、これを一本で決めているというのが公職選挙法という非常に例外的な法律であります。  しかし、国政選挙の仕組みと、先ほど来ある地方議会を活性化させるための地方議員の選挙と、あらゆる選挙運動から何からの手続がほとんど同じということが必要あるのだろうか。もっと違ってもいいのではないだろうか。  あるいはさらに、地方の場合にはこういう住民投票制度的なものがある。あるいはさらに、リコール制度的なものが加わっているわけでありまして、国の選挙制度、投票制度とは違うものも入っているわけですね。そのときには法令を別にして、自治体のための選挙法というのは国の選挙法とは違うという考え方でつくられてもいいのではないかと私は考えております。
  37. 中田宏

    ○中田委員 改革の中田宏でございます。  私も手短に西尾先生にお聞きをしたいのでありますけれども、先ほど来どの先生方のお話を聞いても、地方分権の中にあって、根本的には権限財源というお話になるわけでありますけれども、その権限分権をしていくということに当たって、現存の都道府県市町村、この構造というものを崩さずにやっていく方がより現実的だろうというお話がきょう全般にお伺いをしたお話だと思うわけでありますね。  これに関して、権限はそれでもいいと思うのでありますけれども、一方で財源の問題が残ってくる。財源もきちっと分権をしていかないと、結局は、権限分権したけれども、ひもつきになってしまうのでは、それは最終的には達成はし得ない。  同時に、財源に関して言うならば、どうしても自主財源というものを獲得できない地域というのは必ずあるわけでありますから、これを今のままの都道府県市町村、そして国、ましてや今のように東京一極集中というような現状においては、果たしてそのままでおいて権限分権というのはできるのかなという気がしてならないわけであります。財源に関しましては、先ほど来先生がおっしゃったように、都道府県市町村を残したままの構造で分権をやっていく上で、財源の分配というのはどういうふうにしていくのか、この件をお聞きをしたいと思います。
  38. 西尾勝

    西尾参考人 手短にお答えいたします。  まず、何よりも大事なことは、補助金、補助負担金を整理、縮小することだと考えるわけです。これが地方自治をゆがめている一番大きな問題でありますから、これを縮小していく。そうすると、廃止をいたしますと、そこで浮かび上がる国庫のお金があるはずでありますが、これが地方財源に回されなければならないというのは当然であります。  その際、回し方はやはり二つになるであろう。一つは、自主財源として与えるという形で、地方税の徴収の範囲なり徴収率なりを引き上げる。新しい税種目をつくることになるかもしれませんし、税率を動かすことになるかもしれませんが、要するに国税と地方税の今の配分関係をかなり抜本的に変えて、地方税で徴収する分をふやさなければならないだろうと思われます。  しかし、すべてをその方法でやったのでは地域間格差が大き過ぎまして、いかにそういう権限が与えられても、課税対象がろくにないという自治体があるわけでありまして、それですべて解決することは到底無理であると思います。したがって、地方交付税交付金のような制度は依然として残らなければなりませんし、それを充実しなければならないであろうと思うわけです。ですから、一般財源のふやし方としては、地方税を拡充するということと地方交付税を拡充するという両方向で進むことになるのではないかというふうに考えております。  ただ、地方交付税もだんだん算定基準が細かくなってきておりまして、ここまで細かくなってきますと、何かひもがついているような感じになってきているわけですね。極端な言い方をいたしますと、第二補助金的になってきているのではないかという面もございます。したがって、私は、交付税を拡充すると同時に、交付税の算定方式というものをもう一度簡素化することが重要ではないかというふうに考えております。  以上です。
  39. 平林鴻三

    平林委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の方々には、御多用中のところ御出席の上、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御札を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時三分散会