○米田
委員 という
大臣のお答えでありますが、私は、これはなかなか容易なことではないんじゃないかと思っております。しかし、この問題については、今後機会があれば、具体的な例を挙げながらまた
議論をさせていただくつもりでございます。
次に、
地方分権の問題に関しまして御質問をさせていただきます。
既に午前中の論議でも、これからの
地方分権のあり方についていろいろな角度から質疑がなされたところであります。私は、やはり
地方分権を拡充をしてまいる、そのときに、どうしても忘れてならないのが
地方財政の自主性の強化、こういうことであろうかと思うわけでございます。この問題と
地方分権の拡充を切り離して考えることはできない、そんなふうに思うわけでございます。
そこで、ひところ三割自治という言葉がはやった時期がございました。しかし、実際によく見ますと、我が国の中央と
地方の
関係というものはなかなか特殊なものがございまして、例えば国税と
地方税の合計に対する
地方税収の比率を見ますと、我が国、日本が三五・七、アメリカ四五・三、ドイツ四七・一、こういうふうになっておりまして、ほぼ、多少の差はありますが、肩を並べている。片や、イギリス五・〇、フランス一六・九。こういうところと比べれば、むしろこれは圧倒的に高いのですね。
そうすると、この
地方税の比率は決して低くない、こういう話になってしまうのですが、ところが、公共サービスの供給の比率を見ると、国と
地方を合わせた支出に対しまして
地方支出の割合は、我が国が六七・六、アメリカが五〇・四、ドイツが五三・八。つまり、
地方税収とそして支出のギャップが我が国は極めて大きい、そういう特性があるということがわかってまいるわけであります。
私は、これは一体何を意味するのだろうかというふうに考えてみたわけですが、やはり我が国の中央と
地方の政府の
関係というものが、中央から
地方へ
財政移転をして
地方に仕事をやらせている、そういう
関係である。しかも問題は、どういうサービスをどういう負担で供給するかというこの基本的な決定権を、これまた実は国が基本的には掌握をしておる、こういう
関係なんですね。
また、国、
地方を合わせた税収の三五・七を引いたところの六四・三の部分を国が占めると同時に、では、一方で、その三五・その方の
地方の
財政の財源、これはどうかというふうに見ますと、これまた国が完璧に統制、制御をしているのです。自主財源のはずの
地方税にも課税標準、税率ともに厳しい統制が加えられておりますし、また、
地方債も許可制のもとに起債統制がございます。そして、国税として徴収されてその一定割合が
地方税に分配される交付税にしても、言うまでもなく国の租税の統制下にある。特定補助金は言わずもがなでございます。
そうしますと、
地方とは名ばかりで、実際には、
地方が完璧に国の下請とでも言っていいようなシステムに我が国の中央と
地方の
関係がある、そう言っても私は過言ではないというふうに思うわけでございますが、
地方分権の拡充を語るときにどうしても忘れてならないのは、やはりそれぞれの
地方が個性ある発展を目指す。明治維新で廃藩置県が行われたわけでございますが、逆に廃県置藩を行うくらいの、そのくらいの一つの気持ちの中で、
地方がこれから個性ある独自の発展を遂げるという方向に向けることが、やはり
地方分権の拡充を考えるときに忘れてはならない視点ではないかと思うのです。
そこで、やはり権限の移譲とともに、
財政の面でも租税統制を大幅に緩和をして、自主財源の、
地方税の強化を図ること、こういう方向に踏み出すことに重点を置いた
地方分権の推進策を考えていくべきではないかと思うわけでございます。
国が隅々まで統制をする、それは逆にいいますと、
地方によっては大変便利なことでもあるわけでございまして、
地方はいかに国からお金をいただくか、これに奔走する、もだれかかる、こういう現象もあるわけであります。しかし、こういう
関係を基本的に変えていかなければ、本当の
地方分権なんというものは、私は実現できないだろう。無論、そういう方向にいった場合には、
財政力の自治体間の格差というような問題も出てまいりましょう。
しかし、自主性を持って個性ある発展を遂げようとすれば、当然自己責任というものも発生してまいるわけでございます。だから、例えば交付税も
財政力に逆
比例した配分ではなく、場合によっては行政水準の下限の保障をするといったような線に抑えて、そしてむしろ
地方の自主的な
財政の強化というものを図っていただく方向に持っていく、そんなことが長期的に見たら日本の真の
地方分権の
確立につながってまいるのではないか、そんなふうに考えるわけでございますが、
地方の
財政の自主性の強化について
大臣の基本的なお考えをお尋ねしたいと思います。