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1994-12-01 第131回国会 衆議院 厚生委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成六年十二月一日(木曜日)     午後三時四十四分開議  出席委員    委員長 岩垂寿喜男君    理事 衛藤 晟一君 理事 木村 義雄君    理事 鈴木 俊一君 理事 戸井田三郎君    理事 井上 喜一君 理事 石田 祝稔君    理事 山本 孝史君 理事 網岡  雄君       荒井 広幸君    小野 晋也君       熊代 昭彦君    近藤 鉄雄君       斎藤 文昭君    塩崎 恭久君       住  博司君    高橋 辰夫君       竹内 黎一君    長勢 甚遠君       根本  匠君    藤本 孝雄君       堀之内久男君    山口 俊一君       青山 二三君    井奥 貞雄君       岩浅 嘉仁君    小沢 辰男君       岡田 克也君    塚田 延充君       野呂 昭彦君    福島  豊君       桝屋 敬悟君    矢上 雅義君       柳田  稔君    米田 建三君       秋葉 忠利君    金田 誠一君       五島 正規君    土肥 隆一君       森井 忠良君    三原 朝彦君       岩佐 恵美君  出席国務大臣         厚 生 大 臣 井出 正一君  出席政府委員         外務省北米局長 時野谷 敦君         厚生政務次官  狩野  勝君         厚生大臣官房長 山口 剛彦君         厚生省保健医療         局長      谷  修一君  委員外出席者         議     員 冬柴 鐵三君         議     員 斉藤 鉄夫君         外務大臣官房審         議官      杉内 直敏君         厚生委員会調査         室長      市川  喬君     ————————————— 委員の異動 十一月三十日  辞任         補欠選任   斉藤 鉄夫君     福島  豊君   冬柴 鐵三君     青山 二三君 十二月一日  辞任         補欠選任   塩崎 恭久君     斎藤 文昭君   森井 忠良君     秋葉 忠利君 同日  辞任         補欠選任   斎藤 文昭君     塩崎 恭久君   秋葉 忠利君     森井 忠良君     ————————————— 本日の会議に付した案件  原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案内閣提出第一九号)  原子爆弾被爆者援護法案粟屋敏信君外六名提出衆法第六号)  派遣委員からの報告聴取      ————◇—————
  2. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これより会議を開きます。  内閣提出原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案及び粟屋敏信君外六名提出原子爆弾被爆者援護法案の両案を一括して議題といたします。  この際、両案審査のため、広島県及び長崎県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員から、それぞれ報告を求めます。第一班衛藤晟一君。
  3. 衛藤晟一

    衛藤(晟)委員 第一班の広島県の派遣委員を代表いたしまして、団長にかわりまして私からその概要を御報告申し上げます。  派遣委員は、岩垂寿喜男委員長団長として、理事山本孝史君、委員熊代昭彦君、委員桝屋敬悟君、委員土肥隆一君、それに私、衛藤晟一を加えた六名であります。なお、現地において、委員斉藤鉄夫君、議員岸田文雄君及び秋葉忠利君が参加されました。  現地における会議は、十一月三十日午前十時より午後零時十分まで、広島ターミナルホテル会議室において開催し、まず岩垂団長から、派遣委員及び意見陳述者紹介並びに議事運営順序等を含めてあいさつを行った後、財団法人放射線影響研究所理事長重松逸造君、連合広島事務局長小林寛治君、広島原爆被爆者団体協議会理事長伊藤サカヱ君及び全国被爆教職員会会長石田明君の四名の方から参考意見を聴取いたしました。  その意見内容につきまして、ごく簡単に申し上げます。  重松君からは、被爆五十年に向けた被爆者援護新法成立努力敬意を表し、原爆放射線人体影響に関する研究者立場から、今回の両法案調査研究の推進を図る旨の規定が置かれていること及び財政的補助法定化について高く評価できる旨の意見が述べられました。  小林君からは、国の戦争責任原爆被爆者への国家補償を条文上明記すること、原爆死没者への差別のない個別弔意を示すべきこと、及び早期被爆者に対する援護法全会一致成立させてもらいたい旨の意見が述べられました。  伊藤君からは、みずからの被爆者としての体験に基づき、政府案に関しては、前文核兵器廃絶の決意の表明、特別葬祭給付金支給対象原爆投下時までさかのぼること、所得制限の撤廃に関しては評価するが、国家補償明記がないこと、特別葬祭給付金支給対象者被爆者手帳取得者に限定していることについて認めがたいとし、改革提出法案に関しては、「国家補償的配慮」の明記特別給付金遺族のすべてに支給すること、各種手当年金と改称したことは評価できる旨の意見が述べられました。  石田君からは、同じくみずからの被爆体験から、被爆者国家補償を求める理由原爆投下国際法違反である等の意見が述べられました。  以上のような意見陳述が行われた後、各委員から、「国の責任」及び「国家補償的配慮」という文言に対する意見原爆被爆者一般戦災者との均衡の問題、特別葬祭給付金によって新たに生じる格差の可能性及び平和祈念事業に対する意見等について熱心に質疑が行われました。  なお、会議内容速記により記録いたしましたので詳細は会議録によって御承知願いたいと思いますので、会議記録ができましたならば、本委員会議録参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。  以上をもって第一班の報告を終わりたいと思いますが、今回の会議開催につきましては、関係者多数の御努力により、極めて円滑に行うことができた次第であります。  以上、御報告申し上げます。
  4. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 続いて、第二班、網岡雄君。
  5. 網岡雄

    網岡委員 第二班の長崎県の派遣委員を代表いたしまして、私からその概要を御報告申し上げます。  派遣委員は、団長務めました私、網岡雄のほか、理事鈴木俊一君、理事石田祝稔君、委員住博司君、委員冬柴鐵三君、委員三原朝彦君、委員岩佐恵美君の七名であります。  なお、現地において、山崎泉議員が参加されました。  現地における会議は、十一月三十日午前十時より午後零時三十一分まで、ホテルニュー長崎会議室において開催し、まず私から、派遣委員及び意見陳述者紹介並びに議事運営順序等を含めてあいさつを行った後、長崎大学医学部長長瀧重信君、核兵器禁止平和建設長崎県民会議議長久米潮君、長崎被爆者手帳友の会会長深堀勝一君、長崎労評センター単産被爆者協議会連絡会議議長築城昭平君、日本原水爆被害者団体協議会代表理事長崎原爆被災者協議会事務局長山田拓民君の五名の方から参考意見を聴取いたしました。  その意見内容につきまして、ごく簡単に申し上げます。  長瀧君からは、このたび内閣から提出された原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案内容について、被爆者援護について大きく前進したもので、早期成立を期待する旨の意見が述べられました。  久米君からは、被爆者援護に関する法律の制定に踏み切った政府の姿勢を評価するが、その内容について国家補償明記特別葬祭給付金支給対象者範囲拡大等を求める旨の意見が述べられました。  深堀君からは、特別葬祭給付金支給対象者範囲拡大長崎被爆地域の見直し、長崎地区における高齢被爆者向け老人ホームの整備、被爆二世に対する健康調査及び医療給付実施等を求める旨の意見が述べられました。  築城君からは、被爆者援護に関する法律成立の運びとなったことに敬意を払うとともに、その内容について国家補償明記特別葬祭給付金支給対象者範囲拡大被爆二世・三世の健康対策を行うこと等を求める旨の意見が述べられました。  また、山田君からは、原爆被害を国として償う立場に立った法律とすること、原爆死没者遺族及び生存被爆者年金を支給すること、外国に居住する者にもこの法律を適用すること等を求める旨の意見が述べられました。  意見陳述が行われた後、各委員から、内閣提出法律案前文評価改革提出法案前文評価被爆者の健康に関する調査研究課題特別葬祭給付金評価被爆者二世の健康問題とその対策被爆者援護に当たり国家補償を求める理由年金給付を行うことの必要性平和祈念事業あり方等について熱心に質疑が行われました。  なお、会議内容速記により記録いたしましたので詳細は会議録によって御承知願いたいと思いますので、会議記録ができましたならば、本委員会議録参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。  以上をもって第二班の報告を終わりたいと思いますが、今回の会議開催につきましては、関係者多数の御協力により、極めて円滑に行うことができた次第であります。  以上、御報告申し上げます。
  6. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 以上で派遣委員からの報告は終わりました。  お諮りいたします。  ただいま報告のありました第一班及び第二班の現地における会議記録が後ほどでき次第、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————     〔会議記録は本号(その二)に掲載〕     —————————————
  8. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木村義雄君。
  9. 木村義雄

    木村(義)委員 私は、ただいま議題となっております政府案について、まことに基本的な論点から大臣に御質問をいたします。  昭和二十年八月に、当時の連合軍によりまして広島長崎原子爆弾投下をされたわけでございます。この事実は、恐らく今世紀最大の歴史的な事件、否、人類史上にとってある意味最大の惨事、こう言うことができると思うわけでございます。そしてこれはもちろん、戦争という大変悲惨な国同士の争い、これがあったわけでございまして、国権の発動たる戦争が、戦後五十年をたってもまだその戦争という事実で多くの方々が苦しんでおられる、また心に傷を持っておられる、これは本当に大変残念なことでありますし、また関係者方々思いというものは、私ども戦後生まれの者にとっては、これははかり知れないものがあるのではないか、そういうような気がいたしてならないわけでございます。  その中で、戦争というのはあくまでもこれは政府政策決定であります。時の政府政策決定というものが後でこれだけ何十年にもわたって禍根を残す。当時としてはどういう政策決定がなされたのか。恐らくある意味で、当時としては合法な手段でもってその政策決定が積み重ねられていって戦争という事態になったのだろう。これは今歴史的な書物等でよく著されているようなところであります。しかしこういういっときの政策決定が何十年後にもわたって影響を及ぼすであろうということが、今この時点においても、またこれからの時点においても起こり得る可能性がある。  特に今、井出先生は、大臣という政府の大変な要職にあるわけでございます。その政府政策決定の重みというものをどのようにまずお感じになっておるのか。特にこの戦争、そして原爆投下、また今日のこういう被爆者援護法とか、そういうもの全体を見渡して、まず大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
  10. 井出正一

    井出国務大臣 お答えをする前に、昨日広島長崎大変お忙しい中御出張なさって、あちらでさまざまな陳述人皆さんの御意見をお聞きいただいてこられました両団長初め委員先生方に心から御礼を申し上げ、また貴重な御意見陳述なさってくださった方々感謝を申し上げたいと思います。いずれ会議録を私もじっくり拝見させていただく所存であります。  さて、今木村委員の御質問でございますが、実は少し問題が外れてしまうかもしれませんが、お許しいただきたいところであります。  厚生省から毎年発表されます平均寿命、ことし七月に発表されました。それは昨年のですが、男子が七十六・三歳、女子が八十二・五歳だったと思います。どちらも世界一の長寿国でありますが、今から五十年前、ちょうど原爆投下された昭和二十年の日本人の平均寿命も、厚生省の推計でございます、これが残っております。それを見ますと、驚くことなかれ、昭和二十年の男子平均寿命は二十三・九歳、女子が三十七・五歳だったということが残っております。あの昭和二十年という年、いかに戦争で多くの方が亡くなられたか、あるいは大陸から引き揚げる途中で倒れられてしまったか、さらにまた、ああいう経済、食糧事情でございますから、栄養失調とかあるいは餓死された方も、あるいは伝染病も蔓延したでしょうし、乳幼児の死亡率も高かった。  これらの平均寿命の余りの違いを比較するときに、私は、これはいつだったか、樋口恵子さんもどこかでおっしゃっていたと思うのですが、人間というのは、平和とある一定の豊かさがないと老いることすらできない存在なのだ、こういうことをつくづく感ずる次第であります。  そしてまた、五十年たっても、今木村さんおっしゃったように、その被害にいまだに苦しんでいらっしゃる皆さんが大勢いらっしゃるということを思うとき、平和というものがいかに大切か、そしてまた平和と一定の豊かさを追求することが政治に課せられた大きな課題じゃないかな、こんなふうに思っているのであります。
  11. 木村義雄

    木村(義)委員 今大臣も、まず政治家務めとして平和を求めることが大変大事だ、こういうお話がありました。まことにもっともなことでございます。  私ども、先ほど申しましたように戦後生まれの者でございます。戦争の時代に生まれてなくて本当に幸せなときを過ごさせていただいてきたわけであります。しかし、それはやはり、こういう大変な被害に遭った多くの方々の本当に艱難辛苦の大変なる犠牲の上に今我々は平和を甘受させていただいているのだ、そういうことを感じますと、こういう被害者方々にできるだけのことをしてあげたい、こう思うのはまさに当然のことでありましょう。  私どもの本委員会におきましても、今回は異例ともいうべき長時間の審議、また中央においては参考人、地方では広島長崎、大変タイトな日程の中で委員長以下多くのすばらしい先生方に行っていただきました。真摯な現地方々の声を聞いてきたところでございます。その現地方々の声の中にこういうのがございます。我々は金をくれと運動をしているのではないのだ、再び被害者を、被爆者をつくらないための国家補償、これを求めているんだ、こういう言葉がありました。これは我が岩垂委員長から私も何回も聞いた言葉でありますが、私は率直な話、この被爆者皆さん方の本当の素直な心はここにあるのではないか、お金ではないんだよ、心なんだよ、これの悲痛な叫びが何か聞こえてくるような気がいたしてならないわけでございます。  そして、まさに国家補償というのが、国がコンペンセートする、補償するという意味が、ここで言うのはそうじゃないんだ、お金でもって補償してくれというんじゃないんだ、これからずっと平和でいてほしい、今後このような苦しみを自分の子々孫々やまた多くの国民に決して与えてはいけないという、ギャランティーとかトラストとかいう意味での保証ではないのでしょうか。こんな点をまた大臣、私はその辺、ホショウという意味が違うのではないか、そういうことをお聞きしたいのでございますが、いかがでございましょうか。
  12. 井出正一

    井出国務大臣 戦争というものがいかに大勢の人たちを悲惨なあるいは惨禍に巻き込み、大変な犠牲をもたらすものであるかということは、過般のあの大戦、そしてまた御審議いただいております原爆被爆者皆さんの御状況なんかを考えるときに、私も全く同感であります。  その意味では、二度と戦争を起こさないようにしてほしい、またしなくちゃいかぬ。まさに犠牲になった皆さんも考えていらっしゃるだろうし、それを我々は決して忘れちゃいかぬ。戦争を知らない世代が確かにもう国民の過半になっておるわけでございますが、こういう我々知らない世代も、そういうことをきちっとわきまえてこれから進んでいかなくちゃならぬと思うのであります。そういった意味で、今木村さんおっしゃったように、今後二度とこういう過ちをおかしちゃいかぬという思いを持っていらっしゃると私も思います。  ただ、今回政府がこの法案提出しましたゆえんは、この筆舌に尽くしがたい、外に例を見ない苦しみを経験された原爆死没者方々に対する哀悼の思いは、これまた広く国民で共有しなくちゃならぬ、こう思いまして、今回特に、生存者被爆された方々に対しては、今申し上げましたような補償という、物的といいましょうか金銭的なものも加えたところであります。
  13. 木村義雄

    木村(義)委員 その気持ちもわからぬじゃないんですね。何かそういう、本当に御苦労をかけて大変でございました、御苦労さまでございました、これは国の責任としてあなた方の御苦労に大変感謝いたしますよ、まさに、先ほど申しましたように、今の平和国家日本をつくったその原動力、それはあなた方の本当に御苦労と御努力のおかげですよ、こういう面も相当あるんではないかな、私はそう思えてならない。  しかし、やはり私は、いつもその心根にあるのは、何回も申し上げますけれども委員長がいつも言っておられる、金ではない、何か心でもってこういう方々をお慰めをする方法はないのか、こういうところであります。  そこで、特別葬祭給付金以外の方法で、もしこれから国家補償という、先ほど言ったコンペンセートの方の国家補償という言葉を使いますと、これは大変大きな、今度はもっと幅広い問題が生じるのは、もうここの委員会議論であるいは相当議論が出たところでございます。今までのそういう議論ではなくて、まさに特別葬祭給付金以外の方法で何か別な方法はなかったのか。例えば何か、そういう御苦労していただいた方に、これは軍人の、欠格者方々には何か賞状を渡している、金杯を渡している、そういうまた別な例があるわけでございますが、そういう何かお金以外の方法はなかったのかな。そういう意味で何か大臣、お考え等がありましたら、またそれは御答弁お願いいたします。
  14. 井出正一

    井出国務大臣 今回御審議いただいております法案では、被爆後五十年のときを迎えるに当たりまして、原爆による死没者のとうとい犠牲を銘記し、かつ恒久の平和を祈念するために、原爆惨禍に関する国民理解を深めること、あるいはまた被爆体験を次の世代に伝えること、そしてまた原爆による死没者に対する追悼の意をあらわす、こういった事業を平和を祈念するための事業として法定化しようとしているわけであります。  ですから、今先生の御提案のようなこともこの平和を祈念するための事業の中でまた御検討をいただくことに相なろうかな、こう思いますが、具体的には、原爆に関する資料、情報の収集整理死没者の永続的な追悼等を行う原爆死没者慰霊等施設を設置することとしておりまして、この施設原爆死没者方々の全体を慰霊し、恒久の平和を祈念するものとなるよう、今後十分検討してまいりたいと思うところであります。
  15. 木村義雄

    木村(義)委員 私が言っているのは、それは金ではないよと。心じゃなくて物だよと言っているわけじゃないのですね。だから、その点はもう少し踏み込んだ答弁、何かありましたら。物じゃなくて別の、心。
  16. 井出正一

    井出国務大臣 今回の法案にあえて前文を設けたのも、まさに心を大事にしよう、またそれも大切だ、こう思ったからだと思っております。
  17. 木村義雄

    木村(義)委員 実は私が期待している答弁というのはまさにそういうことだったのですよ。本当に今こういう場で、やはり戦後五十年ということでこういう議論が行われること、総理を初め多くの方々が、やはり五十年として何かしなければいけない、そういう思いがこの国会を動かし、また多くの国民皆さんに感動を与えていく。そして、広島長崎御苦労された皆さん、あるいは被爆を受けながら全国に散っている皆様方御苦労感謝しようと、そういう心がつながってくるのではないか、私はそう思えてならないわけでございまして、やっと大臣から私が期待をしていた答えが出た、そう思えてならないわけでございます。  それからもう一つ、ここで感じるようなことは、この特別葬祭給付金広島長崎方々に、いろいろな仕分けがありますけれども、国債として十万円渡される。ここは非常に微妙な問題で、またこれはこの委員会大変議論をされたところでありますけれども一般戦災者方々との区別が今回随分問題になりました。しかし、私は、今回こういう形で法案で決着がついておりますけれども、やはり一般戦災者方々気持ち思いますと、あの東京大空襲、B29で大量の焼夷弾がばらまかれ、あのまさに業火のような炎熱地獄の中で今度は機銃掃射また直撃弾、こういう方々のそのときの状態を考えますと、この阿鼻叫喚、どこが広島長崎と違うのだろうか、こう思いますと、これはそう簡単に違うということでは、私は割り切れない。それは放射能とかいろいろな問題があるかもしれません。しかし、そのときのそのわずかな時間の状態、その地獄絵、これは本当に分けることができるのだろうか、これを思うと、私は何か割り切れないものを感じるわけでございます。  そこで大臣、今回は広島長崎原爆方々でありますが、一般戦災者方々、もちろんこれは大きく手を広げるわけに、今の国の財政状態、その他いろいろなことを思いますと、これはできません。しかし、そこで、先ほどの心でありますから、一般戦災者方々のそういう被害に遭った方のお気持ちに対して、大臣が何か思っているものがあれば、私はぜひこの場でお話をしていただきたい、こう思うわけであります。
  18. 井出正一

    井出国務大臣 あの戦争によって亡くなられたりまた大変な被害をこうむられた方は、今木村さんおっしゃったようにいろいろなケースがあるわけでございます。その皆さんに対しても、まさに二度とそういう過ちを犯して、そういう経験をまただれかが、次の世代がすることのないようにすることが一番の我々の務めだとは思います。そして、そういう皆さんのことも考えながら、しかし原爆という特殊な被害に、惨禍に遭われた皆さんに対して、国としてできるぎりぎりの線を考えたのが、今回の御提案を申し上げた法案内容だと御理解をいただきたい、こう思うのであります。
  19. 木村義雄

    木村(義)委員 ちょっと一般戦災者方々へのお気持ちというのを、もう少し何かございませんでしょうか。
  20. 井出正一

    井出国務大臣 この前文にも恒久平和という文言があるわけでございます。これはまさに一般被害者のとうとい犠牲をももちろん考えた上での文言だ、私はこう考えております。
  21. 木村義雄

    木村(義)委員 時間も参りましたので、どうか、これからも大臣初め多くの関係者皆様が、本法案成立を契機として、より一層平和のため、またこうして戦争等被害を受けられ、実際の傷や心の傷を受けられている方々に対し、本当に心からの感謝気持ちを、御苦労、ねぎらいの気持ちをあらわしていただきますように、また国会が、戦後五十年に当たりまして、私も戦後生まれでございますけれども、こういう歴史的な法案の中の審議に加われたと感激を持っているということをつけ加えさせていただきまして、私の質問を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  22. 岩垂寿喜男

  23. 石田祝稔

    石田(祝)委員 私は、まず申し上げたいことは、この今回の法案は、二十二日に閣議決定がされて、きょうが十二月の一日。十日間でこういうことになってきているわけでございます。これは、本来でありましたら、政府ももう少し早く提出をいたしまして、国民の内外の意見を広く聞いて、その上で私は結論を出すべきではないか、このように正直なところ実感をいたしております。  昨日、広島長崎と公聴会を開かせていただきまして、大変厳しい日程でございました。その中で、私も長崎に行かせていただきまして、いろいろな方の御意見を拝聴して今後の審議にとにかく生かしていこう、こういうことは与野党それぞれがその場でお感じになったし、また申し述べたところでございますので、これから参議院におきましても十二分に審議をされんことをお願いをしたいというふうに私は思っております。  それで、公聴会のことに触れながら御質問させていただくのでありますけれども、その前に、外務省に来ていただいております。若干気になることがございますので、お伺いをしたいと思います。  実は、これは昨日の新聞ですが、こういうふうな記事が載っておりました。記念切手の図柄に原爆キノコ雲アメリカ採用、こういう対日戦勝五十周年を記念した記念切手を出す。その中に、原爆投下後のキノコ雲の図柄を加えた、こういうことが出ておりましたけれども、これについて外務省はどのように把握をされておりますでしょうか。
  24. 時野谷敦

    ○時野谷政府委員 お答え申し上げます。  ただいま先生御提起の件は、私どもも昨日知ったばかりでございまして、事実関係につきましては現在調査中でございます。  そういうことでございますので、詳しいことを私ども承知をするに至っておりませんが、これはアメリカの郵便公社の第二次大戦中のさまざまな史実を記念するシリーズの一環として、シリーズの切手でございますが、その一環として原子爆弾投下を取り上げているということのようでございます。
  25. 石田祝稔

    石田(祝)委員 これを新聞を見て知った、私も見て知ったわけですから偉そうなことは言えませんけれども、これ余りにも外務省として、怠慢という言葉も今出ておりますけれども、やはりもう少しすべてに目を配ってやられることが必要じゃないか、このように思います。  それで、これは単なるキノコ雲の図を配しただけではありません。その下に言葉が書かれております。これをちょっと英語で読んで日本語に訳してください。
  26. 時野谷敦

    ○時野谷政府委員 私の持っているコピーはよくは読めませんが、「アトミック ボムズ ヘイスンウオーズ エンド オーガスト 一九四五」と書いておるように思います。要するに、ここに言っておりますことは、原爆戦争終結を早めるというふうに書いてございます。
  27. 石田祝稔

    石田(祝)委員 このことは、これから事実関係を確かめていただくことだろうと思いますけれども、ここまで切手の図柄とともに言葉も明確に出ております。まさしく今被爆者援護法を、日本の国とはいえアメリカから見ればこれは他国ということではありましょうけれども、今まさにこういう戦後五十周年を前にして、やはりその被爆者方々思いをいたし、私たちは政府案の中身についてはこれは十分ではない、我々の案の方がいいということで改革案を提示をいたしておりますけれども、少なくとも被爆者方々思いをいたして、この法案国会で論議をさせていただいているところでございます。それに対してこういうふうに書かれておる。これは我々がああしろこうしろと言うことじゃないかもしれないけれども、やはりこれははっきりと言っておかないと、こういうことで日本は何も言ってこない、このように誤解をされて、そのままアメリカの歴史の教えとして定着をしていくんじゃないか、これは私は大きな問題だろうと思うんです。  局長もまた審議官も来ていただいておりますけれども、日本の外務省でございますから、そこのところを踏まえてこのことに対してどういうふうに対処をされるお考えなのか、お考えをお聞きしたいと思います。
  28. 時野谷敦

    ○時野谷政府委員 先ほど先生の御質問で読みました私の英語は、きのうの日本の新聞からとったものでございますので、そのことをあらかじめお断りしておきたいと思いますが、いずれにしましても、先生御指摘のとおり、原子爆弾投下というのは歴史的事実でございますが、一方で、我が国国民にこの問題についての特別な感情があるということはこれは事実ということでございまして、私どももその点は十分認識をいたしているつもりでございます。  いずれにしましても、対応をどうするかという御質問でございますけれども、先ほど申し上げましたように今事実関係を調査中でございまして、まずは今事実関係を把握の上、どういう対応が適当であるのかということを検討してまいりたいと思います。
  29. 石田祝稔

    石田(祝)委員 事実関係の把握は、これはもう大いに大事なことであろうと思いますけれども、少なくともここまではっきり図柄も出て、説明文もこう我々が見てもわかるように拡大をして載っております。ですから、これは事実関係を確かめた上でどういうふうにされるのか、もう一度御答弁をお願いします。
  30. 時野谷敦

    ○時野谷政府委員 私が申し上げました趣旨は、まず事実関係を把握いたしまして、その事実関係に基づきましてどういう対応が適当であるのかということを検討してまいりたいと思います。
  31. 石田祝稔

    石田(祝)委員 これはもう衆議院では機会が、この委員会ではないかもしれませんが、これは参議院でも引き続きこの法案審議をされるわけですから、ぜひその間に結論を出して調査をして、やはり明確なる対応をお願いをしたいと思います。委員会中にまだ調査中だとか、事実関係を確かめているとか、そういうことで国会の閉会を待たないように、これはぜひお願いをしたいと思います。そういう声がございますが、確認をしておいた方がいいと。これは大体いつごろまでに、事実関係を大至急調べていただいて、これはこういうことだと、まあ対応は別にして、事実関係をいつごろまでに確かめられる、こういうことでどのように手を打たれておりますか。
  32. 時野谷敦

    ○時野谷政府委員 なるべく早く事実関係を把握したいと思っておりますが、具体的に何日までということは、ちょっと恐縮でございますが申し上げられません。
  33. 石田祝稔

    石田(祝)委員 これは与野党ともにこの問題はやはり大事なことだということで議論をしておりますから、できるだけ早くというお気持ちもわからないではありませんけれども、うやむやにしないようにぜひこの場でお願いをしておきたいと思います。  それから、この問題、戦後五十周年ということで、この切手だけではなくてスミソニアン博物館の展示の問題、いろいろな問題も、私、我々とちょっと違うんじゃないか、我々の感覚、感情とは合わないのじゃないか、こういうこともたくさんいろんな形で聞こえてまいりますので、そこのあたりもぜひ外務省として、日本の外務省として毅然たる態度で臨んでいただきたいというふうに思います。  それでは、地方公聴会等を踏まえまして御質問をさせていただきたいと思います。  私も長崎に行かせていただきましたのは、先ほど申し上げました。残念ながら同日の開催広島に行くことはできませんでしたけれども、この広島長崎公聴会、それぞれに与党、野党ともに御報告を受けていると思いますので、私は、まず地方公聴会を開いてそこに参加をされた陳述者の方々の、私も長崎で聞いておりまして、本当に涙がにじむ、血のにじむようなそういう陳述であった、そのように思っております。まず、政府そして改革側、それぞれ参加をされまして、どのような思い、またそこでどのような陳述がなされたのか、簡単に触れていただきたいと思います。
  34. 井出正一

    井出国務大臣 石田先生御苦労さまでございました。先ほど申し上げましたように、いずれ詳しい会議録を私も拝見させていただくつもりであります。  公聴会における御議論の中では、今回の法案被爆者に対する総合的援護対策を講ずることを評価する御意見がある一方、国家補償や弔慰金を求める御意見も出されたと承知しております。政府といたしましても、こうした御意見があることは従来からも承知しているところでございますが、今回の政府案被爆者方々の高齢化の進行を踏まえ、その内容被爆者対策の前進を図るものであり、現状では考え得る最善のものであるので、国民皆様にも御理解をいただけるものと考えております。
  35. 冬柴鐵三

    冬柴議員 私も派遣委員の一人として長崎へ参りました。まことに涙なくして聞くことのできない陳述者の御報告をあの長崎の地で聞かしていただきまして、この法律、何としてもこの国会成立をさせなければならないという決意を新たにしたわけであります。  特に、名前は申しませんけれども、その一人は、三十六歳のお母さんとお父さん、そして子供四人、その一番長男が出てこられましたけれども、十四歳であった、被爆をしたときには直爆で死んだ人はいなかったけれども、三日目に一番下の弟が亡くなり、その次の日には姉が亡くなり、その死体をそのまま置いておけないので、焼け跡から木材を拾ってきてだびに付した、その母も十日後には死んだ、壮絶な話がありました。それは戦争体験した国民、多かれ少かれ体験したことではありましょうけれども、この原爆というものの壮絶な、非人道的な一面を余りなくあらわした言葉であった。その日は非常に晴れた美しい長崎の町が外では見えるのに、ここで約五十年前にそういうことが起こったということはもう想像できないようなことでありました。  そのときに、その人たちが言われるのには、その後十四歳の少年であった人は今まで生き延びた、五人の家族は全部死んじゃったけれども、生き延びた。そしてその団体をつくって被爆者援護のために今日まで頑張ってきたけれども、そういう者を分断するようなこの特別葬祭給付金というような、手帳を持っているか持っていないかで区別するようなそういうものはやめてほしいというような、そういう発言もありまして、私どもは、この法律をつくるからには、この法律被爆者援護する法律でありますから、被爆者の心の琴線に触れるようなそういう法律でなければならないし、なぜその点が理解いただけないんだろうかというもどかしさも感じながら、残された審議の時間でこの被爆者の琴線に触れるような、もうお金の問題じゃないということもおっしゃっているわけですから、そのような法律にしていかなければならないのではないか、このような感想を持ちました。
  36. 石田祝稔

    石田(祝)委員 それぞれ政府、改革からお話がございましたが、私は長崎に参加をさせていただきまして、五人の陳述者から御意見をお伺いいたしました。それぞれに複雑な思いをされて陳述をされておりました。ある陳述者の方は、非常に苦しいという、どういうふうに言えばいいのか、今まで自分たちが長年求めてきた法案の形とは違うのじゃないか。我々が求めてきたのはこんなものではなかったはずだ、こういうふうな、これも政府案に対してだと私は思いますけれども。そういう中で、なおかつここまで何とかたどり着いた、国会審議をされ、そして地方公聴会を開くまでになった、これを何とかしたいという思いと、内容について、何十年もかけてここまで来たのに中身はこれだったのか、もう少し何とかしてもらいたい、こういうふうな思いがまざり合ったような非常に複雑な、一言一言悩みながらしゃべっているような方も中にはいらっしゃいました。  その中で、大きく三点ございました。一つは、やはり国の責任ということと国家補償的配慮、それと特別葬祭給付金特別給付金、そして手当じゃなくて年金、この三つが、大きな御不満を抱かれている方々思いではなかっただろうか、私はこのように思うわけであります。  それで、けさの新聞も何紙か読まさせていただきますと、国家補償要望相次ぐ、こういうふうなこともございました。改めて私は政府にお伺いをしたいのですけれども、これはどうしても「国の責任」というそういう前文でいいのでしょうか。やはりもう少し被爆された方々の、せっかく地方へ行って意見を聞いてまいりましたその意見が反映をされるようにこれはお考えになっていただけないものだろうか、このように私は思いますが、まず大臣いかがでしょうか。
  37. 井出正一

    井出国務大臣 今回の新法は、再三申し上げておりますが、被爆後五十年のときを迎えるに当たりまして、高齢化の進行など被爆者を取り巻く環境の変化を踏まえて、現行の被爆者対策を充実発展させ、保健、医療及び福祉にわたる総合的な対策を講じようとしておるものでございます。  新法において「国の責任において、」の表現を特に盛り込むのは、こうした制度の趣旨を踏まえ、被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確にし、原爆放射能という、ほかの戦争被害とは異なる特殊な被害に関して、被爆者方々の実情に即応した施策を講ずるという国の姿勢を新法全体を通じて基本原則として明らかにしたものでございます。  ただ、先生おっしゃるような国家補償文言法案に盛り込むことにつきましては、国家補償という用語にはどのような概念を指すものか確立した定義がないことから、被爆者に対する給付を内容とする新法においてこの表現を用いると、国の戦争責任に基づく補償意味するものと受け取られる可能性が強いことと、またその場合に、被爆者に対して国の戦争責任を認めるのであれば一般戦災者との均衡上問題が生ずること等から、ここへ国家補償という文言を取り込むことができないといいましょうか、適当でないと考えた次第であります。
  38. 石田祝稔

    石田(祝)委員 ですから、最後はそこのところの議論に必ず帰っていくわけですね。要するに、いわゆる均衡論という、バランス論ということでしょうか、そこに最後は帰って、どうしてもできないんだ、こういうふうな話です。  私は先日の委員会でも言いましたが、すべての法律案というのは、提案をするときにこれは立法意思というものを明確にされていると私は思います。立法意思、立法政策というものをはっきりさせないで法律案提案するということは私は考えられないと思うのです。ですから、昭和三十二年の原爆医療法、そして四十三年の措置法、これはそれぞれ立法の意思というものを明確にして、特別なぜ被爆者方々にやるのか、それは、その被爆者方々の特殊な苦しみ、やはりあすもわからない、いつ晩発障害が出るかもわからない、そういう特殊なものに対して国としてこの法律をつくるんだ。最初からある意味でいえば一般戦災された方とは違う部分に着目してこの法律をつくっておりますよ、これはそういうことをもう三十七年前につくられているわけですね。措置法は二十六年前。ですから、その立法意思、立法政策というものを明確にしておる限り、私はそういう問題というものは生じないのじゃないか。  また、いろいろなアンケート、世論調査を見ましても、国家補償に基づく補償をしろ、こういうことも六十数%の方が賛同をされている、こういうようなアンケート結果もございました。ですから、そのことをもって、すべてのところに横に広がっていく、こういうことを心配する余り今の二法よりも後退した印象を与えるような援護法というのは、五十周年を前にしてやはりもう少し何とかできないだろうか、こういうふうな御意見も多々あったわけでございます。  ですから、ここのところ、大臣いま一度、せっかく地方公聴会へ行って御意見も伺ってまいりました。そういうことを踏まえて御質問をさせていただいておりますので、いま一度御答弁をお願いしたいと思います。
  39. 井出正一

    井出国務大臣 広島長崎でそのような訴えというか御議論があったことを承知しておりますが、再三申し上げますように、今回の政府案については、与党におきまして真摯で責任ある議論を積み重ねていただいた末の合意を受けて作成したものでもございますし、先ほど申し上げましたようなもろもろの理由によりまして、その内容は、被爆者対策の前進を図るものとしては今考えられる最善のものであるとお答えをする以外にございません。
  40. 石田祝稔

    石田(祝)委員 こういう御意見長崎でございました。要するに、日本は戦後のいろいろな問題をここまでないがしろにしてきた、そういうことが結局対外的な信用をなくしているもとではないだろうか、こういうことをおっしゃる方がおりました。私は、正直言ってそのとおりじゃないか。本当に戦後五十年の、また被爆五十周年の節目だということでやらなくちゃならない、この時期に何とかという政府思いも私はおありだと思いますけれども、私は正直言って、公聴会に参加をさせていただいて、余りにも待たせ過ぎたのじゃないか、これは正直な実感でございました。そして、その中で、なおかつ被爆者方々の本当の思いというものとずれている、若干と申しますか、いろいろな意味でずれている内容になっているのじゃないか、そういうことを感じて私は帰ってまいりました。  ですから、いろいろな方のお話を聞きますと、国の責任国家補償的配慮、また特別葬祭給付金特別給付金、また手当と年金、この三つが大きな問題であるということを私も申し上げましたけれども、特にこの三つにつきまして、改革の側で、その地方公聴会の方々の生の叫びもぜひ御紹介をいただきたいと思います。これから議事録もできてまいりますけれども、とてもこの委員会では間に合いませんので、ちょっと御紹介いただければありがたいと思います。
  41. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)議員 私は広島の公聴会に参加をさせていただきました。いろいろ御意見はございましたが、やはり被爆者団体の代表の方の御意見が最も心を打ったわけでございます。その代表の方が意見をまとめた形で委員、議員の皆さんに文書を配られました。それをちょっと、非常に短いものですから読まさせていただきたいと思います。   統一会派、改革の援護法案は、さきに閣議決定された政府案と比較した場合  一、前文に「国家補償的配慮」の文言明記したこと。  二、原爆死没者遺族に対して支給する特別給付金を、被爆者のみに限定せず、遺族のすべてが対象となっていること。  三、各種手当年金と改称したこと。   私たちは以上の三点について、政府案より一歩前に進んだものとして受け止める。   したがって、今後、真摯な国会審議ならびに地方公聴会の開催などを通じて、政府原案が修正、補強され、全会一致で私たちが求める国家補償に基づく援護法案が成立することを心から期待する。    一九九四年十一月二十五日         広島原爆被害者団体協議会         理事長 それで理事長の名前が載っております。  また、その方が非常に強くおっしゃったのは、この特別葬祭給付金が施行されれば大変なことになる、被爆者援護法は被爆者援護する法案ではないか、かえって苦しめるそのような法案を人の心がわかる人たちが出すはずがない、ここまで強い口調で申されました。それを真摯に受けとめて国会審議をしていかなくてはいけないんではないかと私は思っております。
  42. 石田祝稔

    石田(祝)委員 今特別葬祭給付金特別給付金の話も出ましたけれども、これも、やはり長崎で、ある団体の陳述者の方がおっしゃっておりました。もう私たちの団体の中で説明ができない、同じ運動をともに長くやってきたメンバーの中で、もらえる人ともらえない人が出てくる、私は、その団体を取りまとめていく者として、そういう人たちに説明ができない、こういうふうなことをおっしゃっている方もおられました。  私は、政府案も相当御苦労をされて取りまとめられたということはよくわかりますけれども、やったことがかえって、今まで何十年間か一つの目的に向かって一生懸命励んでこられた方々にそういう分断を生むんじゃないか。おれは該当しているよ、おまえはだめだよ、じゃ、何でだろう、そういうことを生んでしまうんじゃないか。ですから、そのことを大変に心配をされておりました。これはお金の問題ではないということも、そのときにそういう趣旨の話もされておりました。ですから、私は、この特別葬祭給付金というのは、どう考えても、非常に整合性がとれないのではないか、こういうふうに今でも思うわけであります。  これは、大臣、どうしてもこういう形でなければだめなんでしょうか。私は、もう、この委員会審議させていただいて、また他の議員の議論も聞いておりまして、なぜなんだろう、そこまでやって、同じ団体の中、被爆者団体の方を分断するようなことになってもこれをやらなければいけないのだろうか。これはもう率直な疑問でございます。ぜひ——答弁したかったら大臣になってしなさいよ。
  43. 井出正一

    井出国務大臣 最初に、石田委員、戦後補償の問題をうやむやに五十年してきたことが日本の対外的信頼を失わせてきたという指摘があったという御発言がございました。  そのことに関してでございますが、戦後補償のあり方問題は厚生省の所管ではございませんが、私個人として所見を申し上げますれば、確かにもっと早くにきちっとした形ができなかったものかなという気持ちはございます。しかし、もろもろの事情もこれあって、五十年たってしまいましたから、やはり、この五十年という節目の年に何らかのけじめをつけなくちゃならぬと思っております。  また、さきの戦争におきましては、すべての国民が、その生命、身体、財産等について、多かれ少なかれ何らかの犠牲を余儀なくされた事実、これは大変重いものがあると認識しているところでございます。そしてまた、こうした犠牲につきましては、基本的には国民一人一人の立場で受けとめていただくほかはないんじゃないかな、こう考えるものであります。  そしてまた、地方公聴会の方で、この法案について、特に三つの点を今御紹介くださったわけでございますが、国家補償の件につきましては先ほど申し上げました。特別葬祭給付金のことについて改めて申し上げますれば、被爆後五十年のときを迎えるに当たって、死没者方々の苦難をともに経験した遺族であって、御自身も被爆者として、いわば二重の特別の犠牲を払ってきた方に対して、生存被爆者対策の一環として、国による特別の関心を表明し、生存被爆者皆さんの精神的苦悩を和らげようとしているものでございます。したがって、こうした観点から、支給対象者被爆者健康手帳を持っていらっしゃる生存被爆者としたわけでございます。  したがいまして、これの支給対象にならない方々に対しましては、まことにお気の毒ではございますが、そういう形じゃなしに、原爆死没者慰霊施設の設置など、平和を祈念するための事業を実施することによって、国としてそのとうとい犠牲を銘記し、追悼の意を表してまいりたいと考えておるところであります。  また、諸手当を年金化すべきではないかといった点につきましては、原爆被爆者に対する諸手当につきましては放射線による健康被害という状態にある被爆者の実態に即して支給しているところでございまして、この各種手当年金化することは、被爆者の健康障害の実態を問わずに一定の給付を継続することとなるため困難であると考えまして、取り入れなかったわけでございます。
  44. 石田祝稔

    石田(祝)委員 大臣、私まだ聞いてないんですよ、そこまで。手当のことはこれから聞こうかなと思っていたのです。  いや、三つありますけれども、その特別葬祭給付金で、そういう一つの団体で一緒に長年御苦労をともにされてきた方を、もらえる方ともらえない方と分断をするようになるんだけれども、分断をしてまで、そういうことになっても出さなければいけないんですか。もうちょっとほかの手だてが考えられるんじゃないですか。  ですから、特別葬祭給付金は、御自身も被爆者、そして被爆者遺族でなければならぬ、二つの縛りがかかっているわけですね。今の昭和四十四年四月一日からの葬祭料というのは、結局、遺族でなくてもいい、本人が被爆者でなくてもいい、要するに葬祭を行う者について出すんだ。こういうところから、その空白になっている、二十年の八月六日から、九日から四十四年の三月三十一日までの間を何とかしようというお気持ちはよくわかるのですが、それが全然考え方が別個のものになってしまっている。私は、かえってそういう分断を生む、そういうことまでしていいのか、そういうことまでしてやる必要があるんですか、こういうことをお聞きをしているわけでございます。  済みません大臣、まずそこのところに絞って御答弁をお願いしたいと思います。
  45. 井出正一

    井出国務大臣 再三申し上げますけれども、この対策は、いわゆる原爆という特殊な災難といいますか、それに遭われた方々を対象とした対策でございまして、特に生存被爆者対策の一環として、国による特別の関心を表明し、精神的な苦悩を和らげようとするところから、今回のような処置をとった次第であります。
  46. 石田祝稔

    石田(祝)委員 それは何回もお聞きをしているのですよ。ですからそれは、特別措置をとるというのは、立法政策、立法意思で、それは昭和三十二年から明確になっているんですね、原爆医療法の時点で、特別のことをやりますよと。ですから、最高裁の判決でも、その根底には国家補償的配慮が流れているんじゃないか、こういうことまで判決文の中でおっしゃっているわけです。そういうことをわかっていて、援護法という名前のもとでなぜそういう分断をするような形の、わかっているものをやらなければいけないのか。わかっていても、そうなる結果が一つ見えていてもあえてそこまで踏み込んでやるのか。改革案みたいな形でどうしてできないのか、そういうことを私は聞いているわけであります。  ですから、大臣、それから大臣に続きまして、改革の提案者にもお聞きをしたいと思います。
  47. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 先ほど来大臣の方からお答えをさせていただいておりますけれども、今回の特別葬祭給付金というのは、生存者に着目をせずに死没者のみに着目をして給付を行うという、いわゆる弔慰金的な性格のものではございませんで、あくまでも生存被爆者対策という考え方で、昭和四十四年以降に支給をいたしております葬祭料と、生存被爆者対策という形では共通のものを持った制度として考えたわけでございます。  したがいまして、私どもの考え方といたしましては、生存被爆者対策という現行制度の根幹を変更しないというそういう前提で、制度としてぎりぎりの範囲内で実施をするものでございますので、今先生おっしゃっているような意味でのすべての遺族の方を対象にするという考え方はとっていないということでございます。
  48. 石田祝稔

    石田(祝)委員 局長、今違うことをおっしゃいましたよ。いいですか。葬祭料と同じ生存被爆者対策というふうにおっしゃいましたよ。葬祭料というのは生存被爆者対策ですか、これは。
  49. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 葬祭料につきましても、現に生存している——失礼いたしました。被爆者の方の精神的な不安を、死後の精神的な不安を和らげる、そういう趣旨を葬祭料にも含ませているわけでございます。そういう意味で、特別葬祭給付金というものと、生存被爆者対策という意味で共通をするものがあるということを申し上げたわけでございます。
  50. 石田祝稔

    石田(祝)委員 葬祭料の支給のところを見ますと、「被爆者が死亡したときは、葬祭を行う者に対し、政令で定めるところにより、」ここに被爆者とかそういうものは入っておりますか。これはどうして生存者対策なのですか。
  51. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 昭和四十三年の特別措置法にこの葬祭料を設定をいたしました際の基本的な考え方として、生存されている被爆者の精神的な不安を和らげるという考え方で新たにこの制度を制定したものでございます。
  52. 石田祝稔

    石田(祝)委員 私はとてもそう思えませんし、全く別個のものをつくったというふうに先日の委員会でも答弁を私は記憶をいたしております。ですから、今局長がおっしゃったように、葬祭料と同じ生存者対策として四十四年三月三十一日以前までさかのぼってやったという答弁は私は納得がいきません。しかし、ちょっと時間の関係もありますので、改革の側の特別給付金をお聞きをして、特別葬祭給付金との違いをぜひ改革の側からお述べいただきたいと思います。
  53. 冬柴鐵三

    冬柴議員 現在政府が行っております昭和四十四年四月一日以降亡くなった方に対して払われている葬祭料についての説明が、昭和四十四年八月二日の局長通達でこのように説明されております。「原子爆弾の傷害作用の影響に関連があると思われる原因により死亡した場合に、その葬祭を行なう者に対し、葬祭料を支給することにより、これら特別の状態にある被爆者の精神的不安をやわらげ、もつてその福祉を図ることとしたものである。」というふうに書かれておりまして、「その葬祭を行なう者」というのはどういう者かということの説明もあります。葬祭を二人以上の者が行うときに、そのうちの主として葬祭を行う者に対して、一人に対してだけ払う。それから、必ずしも葬祭を行う者というのは親族関係がなくてもいいということも書かれております。  したがって、現在の行われている葬祭料の支給というのはこの生存被爆者に対する対策ではありますけれども生存被爆者というのは一般的な概念であって、特に亡くなった人の親族、遺族遺族であってしかも被爆者対策であるというようなことは、この葬祭料には一切書かれていないわけです。我々の改革案の特別給付金というのはこれと全く同じ思想に立っているわけでございます。したがって、原爆投下から四十四年三月三十一日までに亡くなった方につき葬祭を行う者、もちろん一人に対して十万円を払うというわけでありまして、親族である場合が多いでありましょうけれども、ここに言われる考えと思想は全く同じであります。  それで、政府案につきまして我々と違うところは、例えば一家六人のうち一人だけが学童疎開で他府県に行っていた、そして五人が原爆によって直爆あるいはその後亡くなったという人に対して、政府案では一銭も払うことができません。なぜならば、その一人残された学童疎開していた学童は被爆者ではないわけですから、今回このような制度ができても、お父さんもお母さんも兄弟も全部亡くしているにかかわらず、これ一銭も受け取ることができないという矛盾があります。  反対に、他府県から、広島とか長崎には大きな工場がありまして、学徒動員ということで学業をほっておいて工場へ働きに来ている人があるわけです。そういう人が爆死した、この場合に、今回の政府案では、郷里にあった、例えば沖縄とか奄美から来られた方がたくさん長崎にはあったそうですけれども、この人たち特別葬祭給付金は払えないわけです。でも、我々の改革案ではその矛盾はありません。すなわち、学童疎開に行っていた子供さんにも、葬祭を行う者として五人の死者に対する五十万円が払われることになりますし、それから沖縄から学徒動員で来た人の親たちにも葬祭を行う者として支払うことができるわけでありまして、そこに適用上非常に大きな違いがあって、同じ兄弟の中でも差別があるとか、これはもう論及しませんけれども政府案とは随分違うことが起こってくるということであります。
  54. 石田祝稔

    石田(祝)委員 済みません、大臣、最後の質問をさせていただきますが、公聴会へ行きまして、大変長年にわたる、数十年にわたる思いのたけをお聞きをすることになりました。ですから私は、地方公聴会、まさしく公の声を聞く、こういうことですから、これはもう審議に反映をさせていかなければ、何のためにやっているんだ、単なる法案通過の儀式か、こういうことにもなってくるだろうと思います。ですから、その公聴会のお声を聞いて、これは大臣政府案を修正するお考えがあるのかどうか、最後にお聞きをしたいと思います。
  55. 井出正一

    井出国務大臣 先ほどもちょっと申し上げましたが、今回の政府案は、与党においてプロジェクトチームが大変真摯で責任ある御議論を積み重ねた末合意に達したものを受けて作成したものでございまして、その内容はいろいろ今御指摘のような点はありますが、それをすべて満足するようなことになりますと、大変一般戦災者の方へ波及してしまったりいろいろな難しい問題があるものですから、現状ではこれが考えられる最善のものと今でも私ども考えておるところであります。
  56. 石田祝稔

    石田(祝)委員 どうもありがとうございました。終わります。
  57. 岩垂寿喜男

  58. 秋葉忠利

    秋葉委員 社会党の秋葉でございます。広島が私の選挙区でございます。広島立場から、もう余り時間がありませんけれども三十分時間をいただきまして、いろいろな皆さんの御配慮をいただきまして質問をさせていただきます。昨日の公聴会、広島の声をお聞きいただきましたし、本日もまた広島からの発言をお聞きいただけるということで、皆さんの御配慮に心から感謝を申し上げたいと思います。  まず最初に原則論から伺いたいと思うんですけれども、国の施策というもの、当然援護法もその一部になるわけですけれども、こういったものを新しくつくる場合、あるいは変更を行う場合に、一体その方針なり内容というものは、だれに対して説得力を持つべきなのか、だれが納得することが大事だというふうにお考えになっているのか。  これは当たり前のことですけれども、基本的にだれでもわかっているところから確認をしていくということも大事だと思いますので、厚生大臣に伺いたいと思いますけれども、当然、これは国会での審議ですから、国会議員が納得することは大事ですが、その国会議員が決めることが、例えば、当然お役人のサポートを受けなくちゃいけないということもあると思います。それ以外にも、例えばマスコミにも賛成してもらわなくちゃいけない。しかし、それ以上に大事なのは、私はやはり、この法案の対象になっていると言ってはちょっと言葉が悪いかもしれませんが、被爆者ではないか。それと同時に、私たちの政治が行われているその基礎はやはり主権在民という民主的な政治形態ですから、国民に広く理解をされるということも、同時に大事であろうというふうに思います。  というところで、まず国の施策がだれに対して説得力を持つべきなのか、だれが納得すればそれが法律として、あるいは国の施策として立派なものだというふうに考えていいのか、そのあたりをまず厚生大臣にお伺いいたします。
  59. 井出正一

    井出国務大臣 被爆後半世紀が経過しようとしている今日においても、なお被爆者方々が、さまざまな健康障害に苦しんでおられるなど特別の状態にあられることにつきましては、大変重いものとして真摯に受けとめているところでございます。  そこで、今回の新法制定におきましては、こうした点を十分に踏まえ、被爆後五十年という節目のときを迎えるに当たって、高齢化の進行など、被爆者皆さんを取り巻く環境の変化を踏まえて、現行の被爆者対策をより充実発展させ、保健、医療及び福祉にわたる総合的な対策を講じようとしているわけでございまして、被爆者への思いといいましょうか、を尊重すること当然でありますし、また、国民全体の理解が得られることも大切だと思うのであります。
  60. 秋葉忠利

    秋葉委員 ありがとうございました。  二つの案が出ているわけですけれども政府案、それから改革案、広島でも長崎でも、関係者皆さんはその内容の違いについて十分認識をされているところだと思います。それも大切なんですけれども、広く多くの市民の皆さんに、一体何が問題で二つの案が出ているのか、一体どういうところが実は大事なのか。広島長崎のかなり大きな声は、両方とも不十分だという声もあるわけですから、そういったところも含めて、改めて幾つかの点について、広い支持を得るためのその確認を何点かしていきたいと思います。  その確認に入る前に、少し個別の問題について、この両案に共通の部分について、幾つか問題提起を含めながら伺いたいと思います。  まず最初に、条文の名前は政府案に従って申し上げますが、第二条のところに関連するのですが、これは被爆者健康手帳の交付手続に関連してのことでございます。  実は、私はアメリカにかなり長い間住んでおりましたが、その間に、アメリカに随分多くの被爆者が住んでいるという事実を知って大変驚きました。現在でも推定約千人、これは北米ですけれども、南米にも同じくらいの被爆者が住んでいる。北米の場合にはアメリカ市民として、しかしながら、広島あるいは長崎で、自分のお父さんやお母さん、あるいはおじいさんといったところで教育を受けていた、あるいは日本に帰っていて被爆をした帰米被爆者といったような方がおられますし、あるいは広島被爆して、戦後結婚をしてアメリカに住んでいるといったような方も随分おられます。  全部で千人ほどですが、この在米被爆者人たちの多くは、アメリカと日本の行政の谷間に落ち込んで非常につらい日々を送っている。アメリカ社会からは、パールハーバーでアメリカを攻撃した日本人じゃないか、けしからぬと言われ、そして日本からは、アメリカ、あの原爆を落とした、おまえたちはアメリカ市民ではないかと言われ、しかしながら、その被爆者としての苦しみにおいては、日本あるいは韓国、中国その他世界の被爆者と全く変わらないつらい思いをしてきた人たちがたくさんおります。  これは厚生省にも大変お骨折りをいただきまして、こういった方々に定期的に健康診断を行うという事業もやってまいりました。このことが、在米被爆者の多くの方々に心理的なよりどころを与えたという意味では、大変私はすばらしい人道的な手を日本政府としては伸べてくださったというふうに感謝をいたしております。これは一方、反面、アメリカ政府がこれらの人々に対して何もしなかったという事実と照らし合わせて考えると、考える必要はないのかもしれませんが、考えると、特にやはり日本の行政の態度として評価に値するところだというふうに思います。  実は、その被爆者からの要請で、被爆者健康手帳、被爆手帳というふうに簡略に呼ばれていることがありますけれども、この交付の申請について、広島あるいは長崎まで、その申請の手続、一番最初の申請をわざわざ広島長崎まで来なくても在外公館で受け付けてもらえないか、あるいはそれにかわる方法、それを考えてもらえないかという要請が長い間出されておりました。  というのは、実は、この手帳の交付に関しては、二週間、三週間という時間がどうしてもかかります。その間、広島あるいは長崎に滞在をして、そして十分その時間を余裕を持って待てる人というのは意外に少ないものですから、申請だけはまず外国で行っておく、そして二、三週間たって広島あるいは長崎に来て、交付までの二、三日滞在すればそれで交付が——正当な場合にです、もちろん。交付される資格のある場合には、二、三日待つだけで被爆者手帳を受け取ることができるといった柔軟な法の運用をしていただけないかという要請が、ずっと出てきております。  これは、健康診断に加えて、やはり外国にいて、そして被爆の実情その他についての理解が少ない土地で、あるいは人種差別といったようなことがある社会において、やはり必要なことではないかというふうに思います。この際、援護法が新たに制定される時点において、ぜひこういった、小さいことかもしれませんけれども被爆者手帳の交付の申請手続について柔軟な運用をしていただけないか、そのことを伺いたいと思います。
  61. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 御指摘の件でございますが、まず一つは、在外公館で被爆者健康手帳の申請そのものを受け付けるというのは、現在のこの法の適用の問題からいいまして困難でございますけれども、ただ、現在北米に在住をされています被爆者の方につきましては、米国原爆被爆者協会の協力を得まして、基本的な申請書類を予備チェックするといいますか、事前チェックをするというようなことを行っておりまして、それによって来日後の、日本に来られた後の事務負担を軽減をするということをやってきております。  ただ、その書類等が十分でない場合、若干のこの審査が必要でございますので、来日後に実際問題として面接などに日時を要するという場合も見受けられますので、今後、この問題について、さらに関係の地方団体、それから民間団体の協力も得まして、また必要に応じて外務省とも相談をいたしまして、できるだけ早く事務手続が行われるように努めてまいりたい、このように考えております。
  62. 秋葉忠利

    秋葉委員 ありがとうございます。健康診断、定期的な健康診断とあわせて非常に前向きな厚生省のお答えを伺って、安心いたしました。ぜひよろしくお願いしたいと思います。  それから、今度は三条に関連してのお願いですけれども、これは三条のところには、被爆者に関連しての原子爆弾被爆者医療審議会の規定がございますが、この中にぜひ被爆者代表を入れていただきたいという要望も、これまた非常に長い間要望として出されております。専門家ではないとお答えがあることはわかっておりますけれども、やはりこれも非常に強い希望ですし、被爆者の声をぜひ生かしてもらいたいという考え方は切実なものがありますので、何らかの形で、正規の委員ではない場合でも例えばアドバイザーといったようなものが可能かもしれませんし、何らかの形で前向きの検討をお願いできないものか。これはぜひ井出厚生大臣に、前向きに考えてやろうということを一言、言っていただければありがたいと思います。
  63. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 先生も十分御承知のことでございますが、この審議会につきましては、申請の出されました個人個人の問題として、それぞれの方の病気の状況あるいは負傷というものが被爆の傷害作用に起因するものかどうかということについての認定を行う、あるいは被爆者の医療、健康診断に関する事項を専門的な立場から審議をするといういわゆる審査機関的な性格でございますので、被爆者の代表という形で加えるというのはなかなか難しいのかな。ただ、現実の問題として申しますと、現在審議会の委員の中には被爆をされた方も入っておられるということでございます。
  64. 秋葉忠利

    秋葉委員 そのとおりなんですが、それは被爆者として入っているわけではなくて、ほかの資格で入っている方がたまたま被爆体験があるということで、実はこの問題も、例えば医療の問題についてもこれがそのまま今の時点で当てはまるというふうには申し上げませんけれども、戦後非常に長い間、放射能障害の真相が究明されなかった時代に、多くの被爆者が、ただあれはぶらぶら病であるとか、あれはただ単に怠け者なんだというような形で、放射能障害についての医療、医学的な究明がなされていない段階では、実は被爆者自身の方がその放射能障害についての実態的な知識を持っていたという過去の経験もございます。  ですから、何らかの形でそういったインプットを生かしていく方法、さらには被爆者の声も今度の援護法制定を機に政府はもっと積極的に今までよりは聞いてくれているんだという形をつくり、行政のためにも資するという姿勢をぜひつくっていただければと思いますので、これは要望でございますけれども、ぜひ前向きに御検討いただければありがたいと思います。
  65. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 今先生の方から具体的な方法といいますか、そういう幾つか例示がございました。被爆者方々の御意見を聞くということを考える、検討する中で、今おっしゃったような例示も含めて私ども検討させていただきたいと思います。
  66. 秋葉忠利

    秋葉委員 ありがとうございました。この点もよろしくお願いしたいと思います。  それから四十条についても一つお願いがありましたけれども、これは放影研の柔軟な運営の仕方ということで外務委員会の方で既に質問をいたしましたので、それでかなり前向きのお答えをこの点についてもいただきました。ですから割愛したいと思います。  四十一条に関連してですけれども、現在被爆体験の風化ということが大変心配されております。これは後世の日本人に対して被爆体験をきちんと伝える、そのことももちろん大事ですし、四十一条の中にはその趣旨の言葉がございますが、世界に向かってやはり人類共通の歴史としての被爆体験を伝えていくということもまた非常に大事な問題になってくると思います。  ただそこで、私が痛感いたしましたのは、例えばナチスの強制収容所におけるユダヤ人の体験と比べた場合に、日本の被爆体験がいまだに思想的に十分な整理が行われていない嫌いがあるという気がいたします。これは西欧の文明とあるいは日本の文化の違いというところがあるのかもしれませんけれども、そういった継承ということに特に注目した、文化的あるいは社会的、人文科学的な研究といったことにも、この四十一条の中でぜひ力を入れていただきたいというふうに思います。  これはかなり難しい、思想化というふうに言ったらいい問題かもしれないのですけれども、より卑近な例で一つだけ申し上げますと、被爆者の証言のビデオテープがいろいろなところで、放送局あるいは地方自治体、そういったところで撮られてはいるんですけれども、それがそのままになっています。それを例えば外国の人が見てもそのメッセージの内容が非常に明確にわかるように、あるいはそのメッセージの中にある、日本文化を踏まえた、あるいは日本の宗教を踏まえた哲学といいますか思想的なメッセージがきちんと伝わるような、例えば学問的な整理も必要だと思いますし、あるいはこういったものが外国のテレビ局にきちんと放映されるような形で一つのパッケージにする、例えば三十分の番組につくり上げるといったようなことも大事だと思いますし、そういった非常に幅広い意味での祈念事業、四十一条の中で、これも非常に大きな問題だと思いますので、ぜひそういった今まで余り触れられていないようなところまで含めて、四十一条の中で御検討をいただければ大変ありがたいというふうにお願いしたいと思います。
  67. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 四十一条の「平和を祈念するための事業」ということにつきましては、原爆惨禍に関する国民理解を深める、また、被爆体験を次の世代に伝えていく、死没者に対します追悼の意をあらわすというようなことを事業としては考えておりまして、具体的には死没者の慰霊等施設の設置というようなことを考えているわけでございますが、この施設におきましては、今先生の御指摘にもありましたような、国内外の情報の収集を行う、それから情報の継承の拠点とする、あるいは国際協力や国際交流というようなことを通じまして、国際的な貢献を行う拠点とするということを考えておりまして、具体的にはその内容は現在検討しております。  今先生がおっしゃいました被爆体験の思想化という意味について、私必ずしも十分理解をしていないと思いますが、今先生おっしゃいましたようなことについては、今後の内容の検討の中で議論をさせていただきたいと思っております。
  68. 秋葉忠利

    秋葉委員 ありがとうございます。ぜひ広島市、長崎市、あるいは両県その他と綿密に相談をしながら、意見を交換しながらお願いしたいと思います。  時間が余りありませんので、きのうの公聴会でも広島長崎両市でこの政府案あるいは改革案について、その違いあるいは不満といった点についても意見が出てきたと思いますけれども、それをできるだけたくさんの人にわかっていただけるような形で整理をした上でお答えいただきたいと思います。整理をすることが目的です。  私は、被爆者意見というのは広島の平和公園にある慰霊碑の碑文に要約されるのではないかというふうに思います。政府案それから改革案、違っているところはどこかといいますと、これには二つの文章があるんですが、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というのが広島の慰霊碑の碑文です。「安らかに眠って下さい」というのは、これは亡くなった方に対する弔意です。弔意を示してほしいというのが一点。それから、「過ちは繰返しませぬから」というのは、これはまず過ちを犯したということを認識した上で、その過ちを繰り返さない、被爆者は二度とつくらない、その決意を示すということでありますから、国家補償といったところ、あるいは国の責任といった部分に私は対応するのではないかというふうに思います。まずこの二点が、多くの被爆者から出されている意見として、この二つがとても大事なんだから、ぜひ援護法の中にはこの二つを盛ってほしいという声になっているというふうに思います。  そこで伺いたいんですけれども、まず、政府案の方では特別葬祭給付金ですけれども、さらには「国の責任」という言葉前文にある。政府案としてはこの被爆者の声にこたえている、十分かどうかはそこは解釈の幅があるかもしれませんが、こたえているという認識をお持ちなんでしょうか。厚生大臣、お願いします。
  69. 井出正一

    井出国務大臣 今秋葉先生、安らかに眠って、過ちは繰り返さないという碑文、私も、実はことしの八月、平和祈念式典出席のために伺って、自身も直接目にし、原子爆弾惨禍を二度と繰り返さないようにと決意を新たにしたところであります。  「安らかに眠って下さい」と入っているわけですね、「安らかに眠って下さい」と。それはそれとしまして、今回、「国の責任」という表現を盛り込んだのは、私どもとしましては、そういった意味も含めて、まさにそういう悲惨な犠牲に遭われた皆さんのあれをきちっと銘記しながら、今後二度と再び繰り返さないという思いを込めているつもりであります。
  70. 秋葉忠利

    秋葉委員 わかりました。  私は、ここにおられるほとんどすべての方あるいはほとんどすべての国会議員は、意図としては、今厚生大臣がおっしゃったことと同じように考えているというふうに確信を持っております。ただ、その意図のあらわし方が少しずつ違っているのかなという気がするのですけれども。  そこで、もう少しわかりやすくこの問題について、これまで余り関心がなかった人にもわかるように説明をしていただきたいのですけれども、この特別葬祭給付金被爆者の方に差し上げるということになって、その際に、封筒の上に「安らかに眠って下さい」という文章を書いたとしたら、これは適切な表現だというふうにお思いになりますか。
  71. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 ちょっと先生の御質問にうまく答えられるかどうかわかりませんが、かた苦しい答え方で恐縮ですが、私どものこの特別葬祭給付金というのは、先ほど来議論がありますように、生存被爆者対策ということで考えていますので、今おっしゃった言葉が、気持ちはもちろん先ほど来大臣が申し上げているとおりなのですが、非常にかた苦しいことを申し上げて恐縮ですが、この給付金の性格と合うのかどうか、ちょっとなかなか即断、即答できなくて申しわけございません。
  72. 秋葉忠利

    秋葉委員 本当はここで意見を言いたいところですが、意見は申し上げません。  改革案はいかがですか。改革案の特別給付金に相当するものを渡すときに、まあ仮にこれが法律になったという話ですけれども、その際に「安らかに眠って下さい」という言葉をつけ加えるのは、これはふさわしいとお思いですか。
  73. 冬柴鐵三

    冬柴議員 恐らく、特別給付金と書いて渡すと思います。
  74. 秋葉忠利

    秋葉委員 それはそうだろうと思うのですが、この言葉を書き連ねることが、「安らかに眠って下さい」ということを書き添えることがふさわしいかどうかということを伺っているのですが、それについてはいかがでしょうか。
  75. 冬柴鐵三

    冬柴議員 気持ちはもうみんな共通していると思うのですけれども、さきの戦争国民の大多数の人が、多かれ少なかれ、程度の差はあれ、生命、身体、財産に損害を受けているわけであります。これは、その人たちに特異な被害をこうむった原爆被災者に対して、我々が払う税金の中からこういうふうな補償をしようという、そういう趣旨をあらわすわけですから、国家の金として使う場合に、それはきちっと、特別給付金特別給付金と書いて渡すべきである、それ以外の文言を書くということは適当でないというふうに思います。心は別でございます。
  76. 秋葉忠利

    秋葉委員 ありがとうございました。私は、改革の提案について大きな誤解をしていたような気がいたしております。  政府案、改革案、両方とも、このお金については、気持ちとしては「安らかに眠って下さい」という気持ちがあるけれども、それを表立ってきちんと「安らかに眠って下さい」という形に変えて亡くなった方に対する弔意としてあらわそうというところでは、政府案も改革案も、どちらも逡巡せざるを得ないということがよくわかりました。この点について、両案についてそれほど差がないということが大変よくわかりました。  後半の部分について質問したいと思います。  「過ちは繰返しませぬから」というのは、これは、国の責任あるいは国の過ちを認めるというところが一番大切なところだと思いますけれども、この具体的な形として、例えば国の戦争責任を認めるとか、あるいは核兵器使用の国際法違反性を認める、あるいは賠償権の放棄についての国の責任を認める、あるいは非核三原則を世界に広める、いろいろな意味が含まれているというふうに私は具体的には思います。  時間がありませんので、本来であればこの一つ一つについて詳しく伺いたいところなんですけれども、外務省に来ていただいておりますので、この点について、特に最近話題になっております日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに関連して伺いたいと思います。  その理由として、私たちがしばしば聞いておりますのは、日本が国連の安保常任理事国になる理由というのは、日本が非核保有国であるということが非常に大きなファクターになっているということを伺っております。となると、そして今も厚生大臣からお答えがあったように、「過ちは繰返しませぬから」という気持ちがこの援護法にあるということであれば、当然、日本政府の姿勢としては、常任理事国になりたい。その目的の一つは、例えば非核三原則を、ただ単に日本の原則であるだけではなくて、安全保障理事会の常任理事国として努力をして、これを世界のものにするんだ、そのことによって核の廃絶を推し進めていくんだという積極的な姿勢がおありになるというふうに思いますけれども、外務省から、そのとおりだ、この法案を通した上で非核三原則を全世界に広めていく気持ちがあるんだ、強烈にあるんだというお答えをぜひ伺いたいと思います。
  77. 杉内直敏

    ○杉内説明員 お答え申し上げます。  非核三原則は、我が国の基本政策として堅持されてきているものでありますが、政府といたしましては、このような政策を、国内はもちろんのこと、広く国連の場においても知らしめていくことが重要と考え、国連総会を初めとして、国連軍縮特別総会、ジュネーブ軍縮会議等、さまざまな機会を通じて、この原則を表明してきております。  ことしの九月の国連総会の一般討論演説においても、河野大臣から、唯一の被爆国であり、非核三原則を堅持する我が国は、核兵器の廃絶を究極的目標とし、今後ともすべての核兵器国に対し、一層の核軍縮努力を行うよう促すとともに、核不拡散条約の無期限延長を支持し、未加入国に速やかな参加を呼びかける旨、表明しているところでございます。政府といたしましては、今後とも引き続きこのような努力を行っていきたいと考えております。
  78. 秋葉忠利

    秋葉委員 最近の国連における日本政府の積極的な態度というものは、高く評価したいと思います。  今の点について、改革の側にも伺いたいと思います。援護法の背後には、こういった、より大きな非核の願いということがあるわけですけれども、改革側は、そのうちに新・新党として党の旗上げをされる方々がたくさんいらっしゃるわけですけれども、普通の国というのは、巷間うわさをされているような、ただ軍事的なプレゼンスというものを重んじるのではなくて、現在の安保常任理事国、すべて核保有国ですけれども、その国々が日本のイニシアチブによって非核三原則を採用することこそ普通の国としての役割なんだ、そういう気持ち援護法提出したんだということをはっきりとここで言明していただければありがたいと思います。
  79. 冬柴鐵三

    冬柴議員 私は、この法案提出者としての範囲でしかお答えできないわけですけれども、我々としましても、この前文に書きましたように、  被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願する ということを前文に書いているわけでありまして、そのような気持ちでこの法案提出させていただいたことを答弁させていただきたいと思います。
  80. 秋葉忠利

    秋葉委員 大変ありがとうございました。この点についても私は少々誤解をしていた嫌いがございます。  少なくとも政府提案に関しては、常任理事国入りその他についての具体的なこれまでのステップ並びにこれからの姿勢が示されましたけれども、改革の側からは前文にある一般論だけだというふうに、とりあえず時間がございませんので、私は理解をさせていただきまして、これから先、もう少し深めた議論ができれば大変ありがたいと思いますけれども、とりあえず私の質問はこれで終わらせていただきます。
  81. 岩垂寿喜男

  82. 岩佐恵美

    岩佐委員 先ほど質問の中で出ておりましたけれども、アメリカの郵便公社が来年九月二日の対日戦勝五十周年記念日に合わせて発行する記念切手の図柄の件であります。原爆投下のキノコ雲を使うということが内定したと伝えられています。しかもこの切手の下には、「一九四五年八月、原爆戦争の終結を早める」、こういう説明がつけられています。まさに原爆投下を正当化する、そういうものになっていると思います。  この点で、被爆国日本としての大臣のお考えを伺いたいと思います。
  83. 井出正一

    井出国務大臣 御指摘の件につきましては、その経緯を実は私はまだ新聞報道でしか知りません。詳しく承知しておりませんから、この段階で所見を述べることは差し控えたいわけでございますが、原爆投下については、その絶大な破壊力あるいは殺傷力のゆえに、人道主義の精神に反するものであると考えております。
  84. 岩佐恵美

    岩佐委員 第二次世界大戦中のアメリカの駐ソ大使であったジョージ・F・ケナン氏、この方が、  歴史上ただひとり、おそるべき核攻撃の犠牲となった国民の手、その手は、現代の戦争のはらむ危機に対して警鐘を鳴らし、他の国々が破滅の断崖すれすれに近づくことのないよう抑制を呼びかけるうえで、どんな国民にもまさる抜きん出た道義的権利を備えているのです。 というふうに我が国のことを言っています。まさに我が国が核兵器廃絶にどういう行動をとるか、原爆犠牲者に対してどういう援護を行うか、このことは世界から注目をされていると思います。  この切手の件は、まだ内定の段階だと伝えられています。私は、唯一の被爆国である日本の厚生大臣として、このようなことに対してきちんと抗議をして、やめてもらう、こういうことを言うべきだとういうふうに思いますけれども、その点いかがでしょうか。
  85. 井出正一

    井出国務大臣 繰り返しになりますが、御指摘の件につきましては、その経緯を詳しく承知しておりませんものですから、現在の段階できちっとした所見を述べることは差し控えたいと思いますが、被爆者対策を所管する厚生大臣といたしましては、原爆投下については、その絶大なる破壊力あるいは殺傷力といいましょうか、そのゆえに人道主義の精神に反するものであって、二度と再びこのような事態が生じてはならないと考えております。  先ほど外務省の答弁にもありましたが、外務省もこの経緯を調べるそうでありますから、協議、相談してみたいと考えております。
  86. 岩佐恵美

    岩佐委員 アメリカのフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソンさんという方がこの問題についてこんなふうに言っているのです。   これはスミソニアン博物館での原爆展と同じ手法です。原水爆が人類を破滅に導くということを人々には知らせない。スミソニアンでは原爆関連の百枚の写真のうち日本のものは六枚、しかも死者の写真は一枚しか展示されないことになっています。その一方でアメリカ政府は人々に原爆投下は正当な理由があったと繰り返し信じこませようとしています。この記念切手発行をめぐっても国内で抗議や議論が起こるでしょう。 こういうとらえ方をしておられます。  また、被爆者の方は、  「戦争の終結を早めた」と美化するのは、許しがたい暴論です。怒りに身が震える思いです。   私たちは、「再び被爆者をつくらない」という証(あかし)として「国家補償」の被爆者援護法の制定を求めています。そうしてこそ、恒久平和をうたった日本国憲法に魂を入れることができます。   アメリカの記念切手はこの正義の要求に敵対し、被爆者を冒とくするもので、絶対に許せません。 と言っておられます。私は、そのとおりだと思います。  大臣が二回の質問に対して同じように答えられる、そういうことではなくて、事実はこの切手を見れば本当に一目瞭然ではありませんか。被爆国日本の厚生大臣として直ちにアクションを起こす、そのぐらいのことをやって当然なのじゃないですか。今、被爆者援護法が国会で論議をされている最中ではありませんか。私は、厚生大臣の本当にきっぱりとしたそういう姿勢を求めたいと思います。お答えは同じですか。
  87. 井出正一

    井出国務大臣 同じであります。
  88. 岩佐恵美

    岩佐委員 その点について、こういうアメリカ国内の声もある、被爆者の声もあります。私たち国民だってこういうのを許せないと思っています。そういう点で、一日も早くきちんとした態度を閣議の中でもとられ、日本政府としてちゃんとした対応をとられるように強く要望しておきたいと思います。  次に、細かい問題というか、具体的な問題にちょっと入っていきたいと思いますけれども政府案では、外国に居住する被爆者に対しては援護の措置が行われないこととなっているわけですけれども、これが国家補償に基づく被爆者年金となれば外国に居住する被爆者に支給されることになると思いますけれども、その点、いかがでしょうか。
  89. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 現在御審議をいただいております政府案の適用につきましては、同法に基づきます給付というのが、拠出を要件としない公的財源によって賄われるものであるということ、それから他の制度との均衡を考慮する必要があるということから、日本国内に居住する者を対象として手当を支給するということで考えているわけでございます。したがいまして、手当であるかあるいは年金という名前であるかということを問わず、我が国の主権の及ばない外国において日本の国内法である新法を適用することはできないというふうに考えております。
  90. 岩佐恵美

    岩佐委員 衆議院の法制局に聞いたところ、年金化したら外国にいても支給される、そういう説が有力であるというふうに言われています。私どもとしては、年金化してこの人たちにきちんと援護の措置をとるべきだというふうに思っております。また、被爆者が外国に居住しているあるいは外国人ということで原爆後障害の発症の仕方が変わるわけではありません。すべての被爆者援護するためにも年金支給とすべきだというふうに思います。私どもはそういう観点から修正案を出しているわけでございます。その点について改めてお考えを伺っておきたいと思います。
  91. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 現在の手当につきましては、被爆者方々の健康状況ということに着目をいたしまして手当という形で支給をいたしておりますので、年金という形で、審査ということをせずに、被爆者の健康状況ということに着目しないものにするということは私どもとしては考えておりません。
  92. 岩佐恵美

    岩佐委員 この点では私たちは本当に納得がいかないわけで、一日も早く年金にしてすべての被爆者援護する、そういうふうにすべきだということを主張しておきたいと思います。  次に、長崎の公聴会でお話があった、意見があった問題ですが、長崎の茂木、戸石、東長崎等の被爆地域拡大の強い要望が出されておりました。先日も黒い雨のことをちょっとこの委員会で取り上げましたけれども現地でも、爆風が直接来ない山の向こう側の村といいますか、そういうところで低放射線被曝でも原爆後障害が発生している、こういうことが明らかになってきているというような長崎医大の教授のお話がございました。  こういうことから見て、ここの地域はいわゆる被爆地域に地域指定されているところだったのですけれども、ただ基本懇の報告以降、この間の委員会でも申し上げたように、被爆地域拡大がされていないわけですね。今までとまた、本当に被爆被爆者との関係、もうわからないことがたくさんあるという状況でございます。ぜひその拡大を行うべきだ、どうも基本懇以来行われていないというのがおかしいというふうに思うわけですけれども、この点いかがでしょうか。
  93. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 被爆地域の指定の問題、あるいは拡大をするかしないかという問題は、今先生お触れになりました基本懇の報告にもございます、科学的、合理的な根拠のある場合に行うべきであるというのが私どもが従来からとってきた立場でございます。  長崎のことについてお触れになりましたけれども長崎につきましては、具体的なデータについて厚生省に設けました研究班において今議論をいたしております。近く結論がまとめられるのではないかと思いますが、いずれにいたしましても、科学的あるいは合理的ということを念頭に置きつつ、この問題については私どもは対応していきたいと思っております。
  94. 岩佐恵美

    岩佐委員 科学的、合理的といっても非常に未解明の部分が多い、そういう現状なんですね。それを、科学的、合理的、もうそういう証明がないから切り捨てていくということではないはずだというふうに思います。そういう点で、そういう画一的な対応ではなくて、未解明の部分が多い、そういう中でどうするかということを本当に現地意見も反映させる、そういう格好で柔軟に対応していくべきだというふうに思います。  次に、福祉事業として、ホームヘルパーの派遣、デイサービス、ショートステイ、老人ホームへの入所、これらが法定化されたわけですけれども法定化されることによって現行とどういうふうに違ってくるのでしょうか。
  95. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 今回の法案の中で、従来予算措置として行ってまいりました、今先生がお触れになりましたような相談事業あるいはデイサービス等の事業について、この補助を法定化をするということをやったわけでございますが、私どもは、そういうことをすることによりまして、被爆者対策を実施する上での国の責任というものを明らかにする、また、これまで予算措置だけでやっておりました福祉事業というものについて、法文上の根拠を与え、事業の継続性といいますか、そういうものを担保する、また、これらの措置によりまして、医療の給付及び手当などの支給とあわせまして、保健、医療及び福祉の総合的な対策を図れるということをねらっております。  もちろん、これらの事業につきまして、今後現行の事業を充実発展をさせていくということが必要であり、またそういうことをやっていかなきゃいけないと思っております。
  96. 岩佐恵美

    岩佐委員 参考人質疑委員会で私も参考人の方に伺ったことですけれども被爆者に自殺が続いている、とりわけ、乳幼児期で原爆の記憶のない人に特に多いということが言われています。原爆で死に直面をした成人被爆者、あるいは記憶がある、そういう被爆者というのは、本当に、何というか耐えていこうというか、家族の死を目の前に、友達の死を目の前にして、そういう人たちのためにも生き抜いていこうというようなそういう意志が生まれてくるわけですけれども被爆の記憶がない方については、原爆後障害の不安、そういうものがいつもつきまとって、そしてそれにさいなまれる、それに高齢化に伴う不安も出てくるわけです。また被爆された方は、結婚ができなかった、あるいは結婚されても離婚してしまう、ひとり暮らしの方が結構多いということです。  確かに、広島長崎の福祉が十分であるとは言えないというふうに思いますけれども、しかし広島長崎以外に住んでおられる方の福祉の対策というのは、本当にもう普通の老人一般の福祉対策と何ら変わりない、そういう事態に追い込まれているわけですね。そういう点について今度の法律で何か新しい対応をされていくのかどうか、その点について伺いたいと思います。
  97. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 いわゆるこの援護法の中での医療の給付あるいは手当の支給以外の被爆者対策というものは、特に福祉対策というのは地域の実情に即した対策をやっていく必要がある、したがいまして施策を実施するかどうかの判断というのは、基本的には都道府県で御判断をいただかなければいけないというふうに考えております。各都道府県におきましては、確かに広島長崎に比べれば量的には少ないわけでございますけれども被爆者援護対策として各種の事業が行われているわけでございます。  なお、相談事業につきましては、現在は被爆者の方が五千人以上の地域、具体的には十都道府県でございますが、そこで行っておりますが、来年度からは全都道府県で実施をしたいということで予算の要求を行っているところでございます。
  98. 岩佐恵美

    岩佐委員 相談事業については前進をするということだと思いますけれども、そのほかの事業についても被爆者皆さん意見を踏まえて、各都道府県が自主的にというのはもちろんいいのですけれども、やはりほかのところではこういうものがある、ああいうものがある、積極的に取り組んでほしいというような、何といいますか奨励というんですかね、そういうようなことが考えられていく必要があるんだというふうに思いますけれども、その点、大臣いかがでしょうか。
  99. 井出正一

    井出国務大臣 来年度から全都道府県に相談事業を実施したいということで今予算要求をしておるところでございますが、それが実現、実施できるようになりましたならば、各先進と言っては言葉がちょっといけまけせんが、そういうところの事例なんかも、新しく手がけるところへは提供したりするようなことには努力していこうと考えております。
  100. 岩佐恵美

    岩佐委員 それから、先ほど議論になっていた被爆者の医療等に関する重要事項を調査審議するための原子爆弾被爆者医療審議会、この問題ですけれども、今回の法改正に当たって医療審議会に絞っているわけですけれども、なぜ医療に限るのか。社会保障制度審議会の審議の中でも、なぜ原爆問題が保健医療局の担当になっているのか、そういう質問が出たようでありますけれども、医療、認定を審議するだけの審議会としないで、被爆者援護に関する重要事項を幅広く審議するため、そういう委員会とする必要がある。そして、被爆者の代表の方もその審議会に加えるというのが一番いいんじゃないかというふうに思うのですけれども、その点についてのお考えを再度伺っておきたいと思います。
  101. 谷修一

    ○谷(修)政府委員 医療審議会についてのお尋ねでございますが、今回の新法の制定というのは、原子爆弾による健康被害という特殊の健康状態に置かれている被爆者の状況にかんがみて対策を行うということで、この対策の入り口としては健康管理及び医療を基本として行われる。それから健康状態に着目して行われる福祉対策ということについては、この審議会の権限を規定いたしました「医療等に関する重要事項」ということの中に含まれているということから、現行どおりの機能としたわけでございますが、援護対策全般についてこの審議会によって対応は十分可能でございますし、また従来から、福祉の問題というようなことについても部会を設けて必要に応じて議論をするというようなことでやってきておりますので、今後ともそういうような形でやっていきたいと思っております。  それから、原爆医療審議会に被爆者代表を加えるべきではないかということでございます。  これは先ほどもちょっと申しましたように、この審議会の一つの重要な任務が、被爆者の方個々人の疾病あるいは負傷の状況について認定という専門的な判断を行うということから、審議機関的な性格を持っているということでございます。そういう性格を持っておりますので、被爆者の代表を加えるということは現在考えていないわけでございます。
  102. 岩佐恵美

    岩佐委員 現在は考えていなくても、そういう声が強いということで検討をいただきたいというふうに思います。  被爆五十周年に向けて、国として原爆被害に関する資料を集大成した原爆被害白書、こういうものをつくって広く外国に普及してほしい、こういうような要望がありますし、私どもも必要だというふうに思いますけれども、そういう点についていかがでしょうか。
  103. 井出正一

    井出国務大臣 世界唯一の被爆国である我が国が原爆被害の実態を広く伝えていくことは大変重要なことでありますし、またその責任もあると考えております。被爆五十周年を迎える来年度には被爆者実態調査を予定しておりますから、まあ十年ごとにやってきたのですが、充実した調査をやってまいりたい、こう考えております。
  104. 岩佐恵美

    岩佐委員 調査を行うのはいいのですけれども、それを原爆被害の白書という形で、それだけではなくて五十周年にふさわしいそういう調査も盛り込んだものにしていくべきだというふうに思います。  ちょっと時間がなくなってまいりましたので、特別葬祭給付金の問題について伺いたいと思います。これは被爆者でないと支給をされない。被爆者であるかないかで死没者の死を切り捨てている、こういうことはもう道義的にも許されないんだ、こういうことを被爆者の方が言っておられます。  これは私の参加をした長崎の公聴会で山田さんという陳述者が述べられたことですが、ここでちょっと紹介をさせていただきたいと思うのです。   原爆死を「過剰殺戮」と呼んだ方がいます。一人の人を何回も殺せる量の爆風と熱線と放射線が襲いかかり、人が殺されたその残酷さをこう呼んでいるのです。  あるいはまた、一寸刻み、五分刻みに切り刻まれ、長年の間なぶりものにされながら、やがては生命を奪われるという凄惨な死が、原爆死なのです。肉親をそのような殺され方をした遺族に、死んでしまえばどのような死も同じだなどといえるでしょうか。国民がそのような死を体験したなら、しかもそれが国の行為としての戦争のせいだとするならば、国は遺族に謝罪し、弔意を表すための措置をするのが当然ではないでしょうか。 そういう意味で私たちは遺族への弔慰金と遺族年金の支給を求めているのだ、弔慰金というのは死者への償いだということで、この遺族のうち被爆者に限って特別葬祭給付金を支給することとしているけれども、とんでもないことだと思う、原爆死没者遺族は自分が被爆者であろうとなかろうと同じ思いをしているのです、こういうふうに述べておられます。  また、今度の政府案前文の中でも、「国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記する」こういうふうに書かれているわけです。そういう点からいくと、せっかく被爆時にさかのぼって特別葬祭給付金が支給される、まあ私ども日本共産党は特別給付金ということでありますけれども、そういうものがまさに全被爆者に支給されるべきものであるということを、本当に改めて長崎の公聴会で感じたところでございます。大臣のお考えを伺いたいと思います。
  105. 井出正一

    井出国務大臣 今の先生の御意見、前の委員の方からもございまして、申し上げたところでありますが、今回の特別葬祭給付金は、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、死没者方々の苦難をともに経験した遺族であって、御自身も被爆者としていわば二重の特別の犠牲を払ってきた方々に対し、生存被爆者対策の一環として、国による特別の関心を表明し、生存被爆者皆さんの精神的な苦悩を和らげようとするものでございます。  したがいまして、こうした観点から、支給対象者被爆者健康手帳を所持していらっしゃる生存被爆者としたものでございまして、それの対象にならない皆さん方に対しましては、再三申し上げておりますが、原爆死没者慰霊施設の設置など平和を祈念するための事業を実施することによりまして、国としてそのとうとい犠牲を銘記し、追悼の意を表してまいりたいと考えているところであります。
  106. 岩佐恵美

    岩佐委員 私の残された時間はもうわずかになりました。私はやはり国家補償立場に立って原爆援護法はつくられるべきだというふうに思っています。そして、この原爆被爆者というのは一般戦災者と比較できない、本当にむごい経験をしているわけであります。  その点について、先ほどのアメリカの切手の件もそうですけれども、いま一度、本当に原爆が受忍できるものだったのかどうか、そうじゃないんだと、血を吐くような思い被爆者皆さんがつくられた調査があります。この調査の中から幾つか拾って大臣にしっかり聞いていただきたいというふうに思っているところでございます。  まず、  無差別な死 「あの日」の死者は二割余りを占めています。その六五%、三分の二は<子どもや女や年より>でした。 無差別な死だった、この間の参考人質疑委員会でも伊東参考人がそう言っていました。  それから、   死のむごさ 逃げるいとまもなく倒れた家の下敷きになり、助けを求めても助けに来る人もなく生きたまま焼き殺されるむごさ、とても人間の死と呼ぶことはできない死の形のむごさ  それから、   確かめようもない死 家族に看とられながら死ぬことのできた死者は、わずか四%、四二%は今に至るも行方不明のままで、遺体や遺骨によってさえ、その死は確認されていません。   「地獄」 原爆は、その極限状況のもとでは、親は子を、子は親を、夫は妻を、妻は夫を火の中に残して逃げるよりほかはありませんでした。   「その時私は、もう人間ではなくなっていた」という思いを今に残す被爆者は、決して少なくありません。「あの日のでき事が深く、こころの傷あとに残った」という被爆者は全体の二三%、四人に一人の割合に近いのです。   しかも、被爆者の「地獄」の苦しみは、「あの日」だけに終わるものではありませんでした。   死の恐怖 「あの日」以降も死者は次から次へと続き、「大けが」や「大やけど」による死にかわって、八月末までには「急性原爆症」が死因の六割を占めるに至りました。   人々は、自分のまわりの人がバタバタ死んでいくのを見つめながら、今度は自分の番ではないかという<死の恐怖>に襲われました。   遅れた原爆死 遺族の九割は、死は<遅れた原爆死>であるのではないか、という疑いを抱いています。   苦しみぬいたあげくの死 一九四六年以降の死没者のうち、亡くなるまでに、九割以上は、苦しみ苦しみぬいたあげくに「遅れた原爆死」をとげていきました。  そして、   毎日がいばらの道 「原爆が落ちたために、私の人生は百八十度変わり、いばらの道を歩く毎日になりました。何度も自殺をしては未遂に終わり、死ぬこともできず、健康な身体にもなれず、常に生活に追いまわされ、心も貧しくなります。」 本当に深刻だと思います。   不安を抱いて、   死を見つめる日々  最後に、   人間として許されぬ こうして原爆は今なお、被爆者が人間として生きることも、人間として死ぬことも許さない被害を与えつづけているのです。 こういうふうに結んでいるわけですけれども、私は、本当に国家補償立場に立って、国が起こした戦争責任を負う。アメリカがあの原爆を落としたそういうことによって起こったこの被害。私たちは決して忘れてはならないし、また、二度と再び起こしてはならない、そういう思いを込めたそういう今度の援護法にすべきであるということを私たちは主張しておりますけれども、そのことを最後に申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。
  107. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これにて両案に対する質疑は終局いたしました。     —————————————
  108. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 この際、内閣提出原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案に対し、岩佐恵美君から、日本共産党の提案による修正案が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。岩佐恵美君。     —————————————  原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案に対する修正案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  109. 岩佐恵美

    岩佐委員 私は、日本共産党を代表して、ただいま議題になりました原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案の修正案の趣旨を説明いたします。  来年、広島長崎被爆五十周年となりますが、国家補償に基づく被爆者援護法の制定は、被爆者はもとより、二度と原爆の悲劇を繰り返してはならないと誓う広範な国民の長年にわたる切実な要求です。このことは、被爆者援護法の自治体決議・意見書が二千四百六十五自治体に達し、援護法を求める署名の提出が一千万を突破したことでも明らかです。  原爆による被害は、通常兵器によるものとは違い、放射能、熱線、爆風などによって一瞬にして多くのとうとい命を奪い、生き残った人にも今なお深刻な被害を、被爆者本人はもとより、その子や孫まで及ぼしています。一九六三年の東京地裁判決が認めているように、アメリカによる広島長崎への原爆投下は、都市への無差別攻撃や不必要な苦痛を与える兵器を禁止した国際法に明確に違反する行為です。  日本は、アメリカに賠償を要求する権利があったにもかかわらず、一九五一年のサンフランシスコ平和条約で請求権を放棄してしまいました。また、原子爆弾被害は、国が国民に強制した結果生じたものです。そうである以上、日本政府が再び被爆者をつくらない決意を込めて原爆被害に対する国家補償を行うのは当然のことです。  政府案は、原爆二法を一本化し、名称を援護法として諸手当支給に対する所得制限を撤廃しています。また、特別葬祭給付金原爆投下時の死没者にさかのぼって支給することにしていることは評価できる前進です。  しかし、「国家補償」の理念が明記されなかったこと、死没者への弔意を示す特別葬祭給付金支給対象被爆者手帳を持つ遺族に限定する、被爆者年金も実現しなかったなどの問題点を残しています。戦争の国家責任を明確にして謝罪と補償を行い、将来の不戦の誓いを込めた国家補償法とするため次の修正を提案します。  修正の内容をごく簡単に申し上げます。  第一は、政府案の(前文)を(目的)に変え、国家補償として被爆者及びその遺族援護することを目的とします。  第二は、死没者遺族に対する弔慰金として、死没者一人につき百二十万円の特別給付金を支給します。  第三は、全被爆者年金を支給します。その額は、最低三十九万九千六百円とし、最高八百十万千八百円を超えない範囲内で障害の程度に応じて支給することとしています。  その他、認定疾病医療等を受けている被爆者に対し、月額十万円の範囲内で医療手当を支給します。介護を受けている被爆者に対して、十二万円の範囲内で介護手当を支給します。また、旅客会社の鉄道乗車を無賃扱いとする、被爆二世、三世に対する措置等を講じています。  以上が修正提案理由及び内容です。  何とぞ、御賛同くださいますようお願いいたします。
  110. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。  この際、粟屋敏信君外六名提出原子爆弾被爆者援護法案及び岩佐恵美提出の修正案について、国会法第五十七条の三の規定により、内閣意見を聴取いたします。井出厚生大臣
  111. 井出正一

    井出国務大臣 ただいまの改革の御提案による原子爆弾被爆者援護法案及び日本共産党の御提案による修正案については、政府としては、反対であります。     —————————————
  112. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これより両法律案及び岩佐恵美提出の修正案を一括して討論に付します。  討論の申し出がありますので、順次これを許します。鈴木俊一君。
  113. 鈴木俊一

    鈴木(俊)委員 私は、自由民主党、日本社会党・護憲民主連合、新党さきがけを代表して、ただいま議題となっております原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案につきまして賛成、改革が提出された原子爆弾被爆者援護法案に対し反対、日本共産党が提出された修正案に対し反対の討論を行うものであります。  我が国は、世界唯一の原子爆弾被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界恒久平和の確立を全世界に訴え続けてまいりました。また、被爆者方々に対しましては、医療の給付、手当等の支給を初めとする各般の施策を講じ、その健康の保持増進と福祉を図ってきたところでありますが、高齢化の進行など被爆者を取り巻く環境の変化を踏まえ、現行の施策を充実発展させた総合的な対策を講ずることが強く求められてきております。  政府案は、こうした状況を踏まえ、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原爆死没者のとうとい犠牲を銘記するためのものであります。  具体的には、特に前文を設け、国の責任において総合的な被爆者対策を実施することを明確にするほか、特別葬祭給付金の支給、平和を祈念するための事業の実施、諸手当に係る所得制限の撤廃、福祉事業の実施及び補助の法定化並びに調査研究の促進などをその内容としており、被爆者対策を大きく前進、充実させるものであります。  被爆後五十年という節目の年を迎えるに当たりこうした法案が制定されることは、まことに時宜を得たものであり、私どもといたしましては、本案に賛意を表するものであります。  次に、改革の提出された原子爆弾被爆者援護法案につきましては、「国家補償的配慮に基づき、」と同法案前文に規定されておりますが、「国家補償」という用語については、不法行為責任に基づく国家賠償を初めとする極めて多義的な意味を持つものであり、その定義は必ずしも確立しておりません。しかるに、本法案被爆という戦争による被害理由に給付を行う法律である以上、「国家補償」という言葉を盛り込むと、国の戦争責任に基づく補償意味するものと受け取られる可能性が極めて強いものであることは明らかであります。  また、改革案では、直接被爆による死没者にまでさかのぼってその遺族特別給付金を支給することとされておりますが、この給付金は、政府案と異なり、被爆者が死亡したことを理由としてその遺族に支給されるものであり、実質的に弔慰金と変わらないものであります。このような給付金を支給することは、空襲や艦砲射撃で肉親を亡くされた方々原爆により亡くなられた方々との間に法律による死の重みの違いを設けることとなり、一般戦災者との均衡上著しい不均衡を生ずることとなります。  このように、改革案は、基本的な問題を含んだものであり、私どもといたしましては、本案に反対の意を表するものであります。  次に、日本共産党の提出された修正案につきましては、国の戦争責任に基づく国家補償を前提としたものであり、他の戦争犠牲者との均衡などの面で基本的な問題を含んだものであり、私どもといたしましては、本案に反対の意を表するものであります。  これをもちまして、私の討論を終わります。(拍手)
  114. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 岩浅嘉仁君。
  115. 岩浅嘉仁

    ○岩浅委員 私は、ただいま議題となりました原子爆弾被爆者援護法案につきまして、改革を代表して、改革案に賛成、政府案に反対の討論を行います。  両法案は、現行二法を一本化して被爆者援護法とすること、各種手当所得制限を撤廃することなど、基本的な骨格では一部類似したものとなっております。  しかしながら、被爆者の最も強い要求である「国家補償」という言葉を入れる点では、政府案は、「国の責任」という意味不明の言葉で妥協を図っており、現行二法の条文を単につなぎ合わせただけの内容になってしまっているのであります。与党が政権維持を最優先し、被爆者援護法の最も重要な精神を捨て去ってでき上がったのが政府案であると言わなければなりません。これが政府案に反対する最大理由であります。  改革案は、最高裁の判例を援用し、「国家補償的配慮に基づき、」援護措置を講ずることとしており、被爆者の願いと法律の体系とのぎりぎりの接点を探ったものとして高く評価するものであります。  政府案に反対する第二の理由は、政府案は、特別葬祭給付金被爆者手帳を所持する遺族に支給することとされており、これでは、被爆者の間に支給を受ける者と受けない者という新たな不公平を生じてしまい、被爆によって亡くなったみたまの尊厳を傷つける結果となってしまうのであります。  さらに、現在の葬祭料は、遺族のうち葬祭を行う者一人に対して支給されていますが、今回の政府案は、手帳を所持する二親等内の遺族全員に対し支給するものとしています。これは現行制度と比較して著しく均衡を欠く措置であり、特別措置法以降の事案についても同様の措置を講じなければ整合性を欠いてしまいます。  改革案では、この問題を慎重に回避するため、新たに創設する特別給付金は、すべての原爆被爆者遺族に支給することとしており、政府案のような新たな不公平や問題は生じないものと考えます。政府案特別葬祭給付金は、改革案の特別給付金と同様の内容に改めるべきであります。  最後に、この法案提案に至る経緯について触れたいと思います。  被爆者援護法は、被爆者団体の要望にこたえる形で、社会党を中心とした当時の野党共同法案が何回も提出され、参議院ではその国家補償の精神に基づく法案が二回可決されたのであります。昨年の細川内閣発足に当たり、自民党政権下では実現できなかった最重要な課題として、社会党が提唱して、旧連立与党のプロジェクトチームが設置されたのであります。  改革案は、このような経緯から、社会党案を基礎にしつつ、慎重な討議を踏まえてつくられたものであり、法律的な整合性を図る観点から、国家補償的配慮に基づく援護措置を講ずるものとしたものであります。今日まで、終始この問題の解決に向けて積極的に取り組んでこられた厚生委員会の社会党の委員の長年の御努力敬意を表します。  これまでの努力を無にすることなく、被爆者の強い願いにこたえるためにも、「国家補償」という言葉を盛り込んだ改革案に賛成していただくようお願いして、私の討論を終わります。(拍手)
  116. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これにて討論は終局いたしました。     —————————————
  117. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これより採決に入ります。  まず、粟屋敏信君外六名提出原子爆弾被爆者援護法案について採決いたします。  本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  118. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 起立少数。よって、本案は否決すべきものと決しました。  次に、内閣提出原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案及びこれに対する修正案について採決いたします。  まず、岩佐恵美提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  119. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 起立少数。よって、本修正案は否決いたしました。  次に、原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  120. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 起立多数。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。(拍手)     —————————————
  121. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 この際、本案に対し、戸井田三郎君外四名から、自由民主党、改革、日本社会党・護憲民主連合、新党さきがけ及び日本共産党の五派共同提案による附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。柳田稔君。
  122. 柳田稔

    ○柳田委員 私は、自由民主党、改革、日本社会党・護憲民主連合、新党さきがけ及び日本共産党を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。  案文を朗読して説明にかえさせていただきます。     原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、保健、医療及び福祉にわたる総合的な被爆者援護対策を講じるとの本法案の趣旨を踏まえ、次の諸点について特にその実現に努めるべきである。  一 平成七年度に予定されている原爆被爆者実態調査について、内容の充実に努め、原子爆弾被害の実態及び被爆者の現状の把握に遺漏なきを期すこと。  二 放射線影響研究所の運営及び予算配分について、その改善を図るとともに、移転対策を推進するよう努めること。  三 被爆者の老人医療費負担に係る地方公共団体への財政措置については、被爆者の高齢化が進展していることを踏まえ、その在り方について検討を行うこと。  四 被爆地域の指定の在り方について、原爆放射線による健康影響に関する研究の進展を勘案し、科学性、合理性に配慮しつつ検討を行うこと。  五 被爆者とその子及び孫に対する影響についての調査、研究及びその対策について十分配慮し、二世の健康診断については、継続して行うとともに、その置かれている立場理解して一層充実を図ること。  六 相談事業及び居宅生活支援事業を始めとする被爆者に対する福祉事業について、法定化の趣旨を踏まえ一層の推進を図ること。  七 原爆死没者慰霊等施設のできるだけ早い設置を図るとともに、被爆者及び死没者遺族の共感が得られる施設となるよう努めること。  八 広島長崎の医療・研究機関が放射線医療の分野において、世界的に貢献できるよう研究機能の充実に努めること。 以上であります。  何とぞ、委員各位の御賛同をお願いいたします。
  123. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。  採決いたします。  本動議に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  124. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 起立総員。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。  この際、井出厚生大臣から発言を求められておりますので、これを許します。井出厚生大臣
  125. 井出正一

    井出国務大臣 ただいま御決議のありました附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして、努力をいたす所存でございます。     —————————————
  126. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 お諮りいたします。  ただいま議決いたしました両法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  127. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕     —————————————
  128. 岩垂寿喜男

    岩垂委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時二十二分散会      ————◇—————   〔本号(その一)参照〕     —————————————    派遣委員広島県における意見聴取に    関する記録 一、期日    平成六年十一月三十日(水) 二、場所    広島ターミナルホテル 三、意見を聴取した問題    原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律    案(内閣提出)及び原子爆弾被爆者援護法    案(粟屋敏信君外六名提出)について 四、出席者  (1) 派遣委員    座長 岩垂寿喜男君       衛藤 晟一君    熊代 昭彦君       桝屋 敬悟君    山本 孝史君       土肥 隆一君  (2) 現地参加委員       斉藤 鉄夫君  (3) 現地参加議員       岸田 文雄君    秋葉 忠利君  (4) 政府出席者         厚生大臣官房審         議官      亀田 克彦君  (5) 意見陳述者         財団法人放射線         影響研究所理事         長       重松 逸造君         連合広島事務局         長       小林 寛治君         広島原爆被害         者団体協議会理         事長      伊藤サカヱ君         全国被爆教職員         の会会長    石田  明君      ————◇—————     午前十時一分開議
  129. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 これより会議を開きます。  私は、衆議院厚生委員長岩垂寿喜男でございます。  私がこの会議の座長を務めますので、よろしくお願いをいたします。  この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  皆様後承知のとおり、当委員会におきましては、内閣提出原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案及び粟屋敏信君外六名提出原子爆弾被爆者援護法案の両案につきまして審査を行っているところでございます。  当委員会といたしましては、両法案の審査に当たり、国民各界各層の皆さんから御意見を聴取するため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。  御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうぞ忌憚のない御意見をお述べいただくようお願いをいたします。  それではまず、この会議の運営につきまして御説明を申し上げます。  会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、座長の許可を得て発言していただきたいと存じます。  なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々は、委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、意見陳述者皆さんから御意見をそれぞれ十五分程度お述べいただきました後、委員より質疑を行うことになっておりますので、よろしくお願いをいたします。  それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。  出席委員は、自由民主党の衛藤晟一君、同じく熊代昭彦君、改革の山本孝史君、同じく桝屋敬悟君、日本社会党・護憲民主連合の土肥隆一君、以上でございます。  なお、現地参加委員として改革の斉藤鉄夫君が、また、現地参加議員として自由民主党の岸田文雄君、日本社会党・護憲民主連合の秋葉忠利君が出席されております。  次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。  財団法人放射線影響研究所理事長重松逸造君、連合広島事務局長小林寛治君、広島原爆被害者団体協議会理事伊藤サカヱ君、全国被爆教職員会会長石田明君、以上の方々でございます。  それでは最初に、重松逸造君から御意見をお願いいたします。
  130. 重松逸造

    重松逸造君 ただいま御指名いただきました重松でございます。  私は、広島長崎において原爆放射線人体影響に関する調査研究に従事している立場から一言申し上げたいと思います。  来年は広島長崎原爆被爆してから五十周年を迎えるわけでありますが、実は、人類がこの宇宙に放射線の存在することに初めて気づいてから来年はちょうど百年目に当たります。ドイツの物理学者レントゲンが一八九五年に発見したエックス線がそのきっかけでありますが、この百年間のうち、放射線の人体影響に関する知識の大部分は、後半の五十年間に得られたものと言っても決して過言ではありません。  その理由は、広島長崎被爆経験が最も重要な情報を提供したからでありますが、事実、老若男女を問わず大勢の人が大量の放射線に暴露した例は、広島長崎を除いて空前絶後だと言うことができます。また、このことは、原爆被爆の当時は、放射線の人体影響、特にその長期的な影響について世界のだれもがほとんど知らなかったということを意味していますが、それだけに、被爆者方々の健康に対する不安や悩みは我々の想像を絶するものがあったと推察されるのであります。  原爆というのは、もともと強烈な爆風と高温の熱線で多数の人々や建造物を瞬時に殺傷、破壊するとともに、大量の放射線を放出して長期的な人体影響や環境汚染をもたらす残酷な兵器でありますが、放射線の人体影響については今日でもまだまだ不明の点が少なくありません。したがって、前述いたしました被爆者方々の不安と悩みは、程度の差こそあれ、現在もなお継続しています。それだけに、放射線の人体影響とこれによる疾病の治療にかかわる調査研究は一層の推進が求められていると言うことができますが、今回の新法にこの点が条文に明記されていることは、私どもの期待に沿うものと考えています。  以下、現在までの調査研究概要と今後の問題点について申し上げてみたいと思います。  原爆投下時における広島長崎の人口や原爆による死傷者数等については、戦時下のことでもあり、また被害の規模の甚大さから正確なことは不明でありますが、広島長崎の人口、それぞれ三十三万人と二十五万人、計五十八万人のうち、原爆による即死者と急性死亡者の合計はほぼ三分の一、負傷者数もほぼ同程度と推定されています。  被爆者中の生存者について、長期的な健康調査が米国の原爆傷害調査委員会、略称ABCCによって開始されたのは昭和二十二年のことであります。当時の日本は連合軍の占領下にあったとはいえ、原爆投下の当事者である米国自身が調査するという矛盾に被爆者が抵抗を感じたのも無理からぬことでありますが、米国政府はABCCの運営を純粋の学術団体である米国学士院に委託し、また昭和二十三年からは、日本の国立予防衛生研究所、略称予研がこの調査に参加して日米共同研究の形をとりましたため、被爆者方々理解と協力も漸次得られるようになってまいりました。このABCC・予研時代は、日米共同研究とはいえ予算の九五%は米国側が負担していましたが、昭和五十年よりは、日米両国政府の交換公文に基づいて、日本の民法による現在の財団法人放射線影響研究所がその全事業を引き継ぎ、予算は日米両国政府が均等に負担して現在に至っています。  広島長崎における被爆生存者の調査が全国レベルで初めて行われたのは、戦後最初の国勢調査が実施された昭和二十五年十月の際でありますが、全国で二十八万四千人が被爆者と申告しました。もちろん、この時点では被爆者の大部分は広島長崎に居住していましたが、ABCCではこの両市居住者について面接調査を行い、被爆状況に基づいて十二万人を長期的に死亡の状況などを調べる寿命調査の対象に設定しました。このうち二万人については、昭和三十三年より二年に一回の割合で詳しい健康診断を行い、病気の発生状況を調査しています。このほか、被爆者の子供の死亡調査や遺伝調査なども継続して実施していますが、すべての調査に被爆者方々の絶大な協力を得られたことが世界的にも評価の高い研究成果を上げ得た最大の原因と考えています。  なお、これらの健康影響調査に加えて、ABCC時代より最も力が注がれてきた研究の一つが被爆者一人一人の被曝放射線量の推定であります。そのためには、いろいろな物理学的方法と生物学的方法が実施されてきましたが、その結果得られた信頼度の高い被曝線量推定値に基づいて健康影響の程度を解析しているのが私どものデータの特徴であります。  今日までの調査研究の結果を簡単に申し上げますと、被爆者、それも若い被爆者ほど白血病やその他のがんが増加することであります。白血病の場合は、被爆二、三年後から増加が始まり、数年後にピークに達しましたが、現在はほとんど非被爆者の方と同じ程度の死亡率になっています。一方、甲状腺がん、乳がん、胃がん、肺がんなどの固型がんは、被爆五年後ぐらいから徐々にふえ出し、現在もなお増加傾向が続いている点に注意する必要があります。白血病やがんに対する治療法は最近進歩したとはいえ、なおこれらの多くが致命的な病気であることに変わりはありません。  白血病とがん以外の病気や異常についても現在慎重に検討を進めていますが、お母さんの妊娠中に被爆した胎児の場合は知能の遅滞が見られますし、また幼少期に被爆した人々は成長や発育におくれの出ることが報告されています。  一方、同じ白血病やがんでも、慢性リンパ性白血病や子宮がん、骨肉腫などの発生状況は、今日まで被爆者と非被爆者の間で差が認められていません。また、心配されていた遺伝的影響も、幸いなことに現在までは被爆者の子供さんに特徴的なことは知られていません。もちろん、このことは放射線の影響が全くないということではなく、今日まで実施してきた調査方法では見つかっていないという意味理解すべきであります。  被爆後五十年近くたった現在、被爆者生存者のうち、半数近くの方が既に死亡されましたが、残りの約半数の方は高齢化が進んだとはいえなお健在であります。特に、被爆時三十歳未満だった人たちだけについて言いますと、八四%の方が生存中であります。前にも申し上げましたように、被爆者方々の間では、非被爆者に比べてがんがなおふえ続けていることや、被爆時年齢の若い人ほどその危険性の大きいことを考えますと、今後とも健康調査の手を緩めてはなりません。さらに言えば、高齢化の進行とともに増加する、がん以外の病気についても注意を払う必要があります。  なお、遺伝的影響については、最新の分子生物学的方法を用いて遺伝子DNAを分析することにより、突然変異の有無の検討を現在進めつつあることを申し添えておきたいと思います。  今日までに行われてきた被爆者の健康影響に関する調査研究の成果は、原爆医療法の基礎となって被爆者方々の健康管理に役立ってきましたが、同時に、これらの成果は、世界唯一と言ってよい放射線の人体影響に関する貴重な情報として、放射線防護基準の作成や放射線事故対策の策定等に国際的な貢献をしてまいりました。  放射線の人体影響については、遺伝的影響も含めて未知の部分がまだまだ多く残されていますが、それらを明らかにするには、できるだけ大勢の被爆者方々を長年月にわたり根気強く観察する必要があります。それには、信頼される研究者が精度の高い研究を実施することが大切で、そのような研究環境が整備されることを強く希望する次第であります。  今回の新法では、原爆放射線人体影響に関する調査研究を推進するための規定の整備が図られており、また当研究所に対する財政的補助法定化されたことを厳粛に受けとめますとともに、新法の適切な運用と今後一層の充実発展を願うものであります。  以上で終わります。
  131. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 ありがとうございました。  次に、小林寛治君にお願いをいたします。
  132. 小林寛治

    小林寛治君 連合広島事務局長小林でございます。  国家補償に基づく被爆者援護法制定に関しまして、私から御意見を申し上げたいと思います。  国家補償の精神に基づく被爆者援護法を求める運動に私が参画をいたしましてからは三十年が経過いたします。私自身は被爆者ではございませんけれども被爆者援護法制定に強い関心を持ちましたのは、一九六三年にいわゆる原爆判決と言われる東京地裁判決がございました。また、その三年後、六六年に日本原爆被害者団体協議会、被団協が「原爆被害の特質と被爆者援護法の要求」を発表されました。この時期、私は、被爆者援護法の制定に強い関心を持ちまして、以降、被爆者援護法制定へ向けた努力をさせていただいたわけであります。そのような取り組みの経過と、それから現在出ている法案との関係から御意見を述べたいというふうに思います。  私は、そのような取り組みの過程で、歴史的な法案制定が今実現するのかどうかという大変重要な時期にあるという状況判断をさせていただいております。それは被爆から半世紀、五十年が経過するという事情はございますけれども、むしろ、もうこれ以上待てないという高齢に達した被爆者皆さんの存在をぜひ政府皆さん方には理解をいただいて、援護法制定に努力をいただきたいという気持ちがあるからであります。  そこで、御意見の第一でございますけれども、これは国の戦争責任被爆者への国家補償の理念を法律にしっかり文言をもって明記をしていただきたいということであります。さらに、原爆最大犠牲者であると言われる死没者への弔意を示す法律としてつくっていただきたいということでございます。  そのためには、政府が戦後五十年を節目に戦後処理に当たると力を入れられているように聞いております。その際にぜひ心がけていただきたいことがございます。それは、日本が行った第二次世界大戦の評価を史実に基づいて正しくやっていただきたいということでございます。なぜなら、そこには国の戦争責任戦争被害者への国家補償が明らかになってくるからであります。  また、原子爆弾による被害については、その実態認識を十分行って法律制定の審議をお願いをしたいと思います。例えば、被爆者への心身的な重大な影響を初めとしまして、社会的にあるいは経済的な破壊をそれはもたらした実態などについてぜひ認識を深めていただきたいと思います。そこに死没者への弔意の方向が見出せると信じるからであります。  これから私が触れたい今申し上げました幾つかの観点になる理由は、次のようなところで見ることができます。  それは、政府案では、その前文中に表現されているものだけを取り上げてみますと、「国の責任において、」とか、あるいは「死没者の尊い犠牲を銘記するため、」と、その目的を表現したところなどがございます。一方、粟屋衆議院議員外六名による議員立法として提出されました原子爆弾被爆者援護法案、以降改革案と申し上げたいと思いますけれども、それでは「国家補償的配慮に基づき、」という表現になっています。「死没者の尊い犠牲を銘記」は、政府案と表現が同じになっておりますけれども、このような表現を見ることができます。  しかし、これらはいずれも被爆者団体などが求めておられる法律とは遠いものと私は判断をいたします。つまり、国家補償に基づくということが文言上記述はされていない、あるいは「銘記」と表現はされていますけれども、そうではなく、死没者犠牲を償うことを目的にと改めるなどお願いをしたいものだと考えるからであります。  申し上げたい第二点目ですが、死没者への差別のない個別弔意を示していただきたいことであります。  被爆者団体等の皆さんが強く求めていらっしゃる被爆者援護法の特徴点の大きなものの一つに、これまでの法律、つまり現行二法などで何らの補償もされていなかった者への補償を求めることがその特徴の一つでございます。死没者への個別の弔意はこれを象徴的に物語るものではないかと思います。  政府案で見ると、特別葬祭給付金の支給をするとなっている条項がございます。これは被爆者手帳のある生存被爆者対策となっており、正確には死没者及び遺族に対するものとは私は理解ができません。これまでの審議及び議論経過からは、弔慰金や遺族年金死没者に対する観点をあらわすものとして、改革案の表現している特別給付金の方が性格的には妥当性が高いというふうに私は考えます。  生存者対策は生きている者の苦労などに対するものでありまして、死者への弔意はまさに弔いであると考えます。それは性格が大きく異なる二つの立場であることをぜひ理解をいただいて審議に当たっていただきたいというふうに思います。  ところで、改革案の特別給付金にその性格の妥当性が高いということについて先ほど触れましたけれども、しかし、法案趣旨説明で当該箇所を説明したところがございます。ここでは「国家的関心の表明」とそこを説明しておりまして、弔意を希薄化している点は大変不満であります。  さらに、政府案で言及をさせていただきたいことがございます。  それは、例えば学童疎開児、両親を原爆で失った孤児、または広島近郊の人たちなどを初めとしまして動員学徒あるいは義勇隊、軍人軍属などの中には、特別葬祭給付金が受給できない場合も生じる人があるのではないかと法案で考えられます。逆に、戦傷病者戦没者遺族援護法及び戦傷病者特別援護法に関する国家補償との関連から見ますと、併給問題も考えられるのではないかというふうに思います。これらは提案されている法案の矛盾ではないかというふうに考えますけれども、これら課題の解決や対策についてぜひ明示をいただきたいものだというふうに思います。  いずれにしましても、弔意にかかわる点では、遺族の痛みにこたえる法律としてつくり上げていただきたいということでございます。  それから、申し上げたい三番目は、国家補償に基づく被爆者援護法の全会一致での成立をお願いをしたいということでございます。  七四年の野党共同提案、これは社会、共産、公明、民社の共同提案というものであったようでありますけれども、それから国会法案提案された数を数えますと、継続審議を含めて三十一回を数えるというふうに私どもは聞いております。最近では、連立政権、細川さん、羽田さん、村山さんと相次いで政局が変化をしているわけでありますけれども、この激流の中でややもすれば被爆者援護法の取り扱いが政争の具に供せられているのではないだろうかというふうに私には映ってなりません。もっと真剣に被爆者の声を聞くこのような場所だとか、あるいはたくさんの意見を聞く機会をたくさんとっていただくなど、これまであってほしかったなというふうに思うからでもございます。  さて、政府案前文に触れています「核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立」との表現は、核戦争被害を受けない権利の保障、さらに核戦争の否定を示す方向と私は理解をします。もちろん、これは改革案でも同様の表現が記述をされてございます。それだけに、国家補償の明文化とすべての死没者への弔意を示す被爆者援護法を今国会でぜひ成立させていただいて、人類の将来に生きるすばらしい金字塔を築いていただくことを強く要望をいたしたいと思います。  また、今被爆者が将来に向けて強い不安あるいは危惧を抱いているものは、二世・三世への影響でございます。現行法でもそうでありますけれども、新しく提案される法案でも私はその不安をぬぐい去ることができません。そこで、ぜひ二世・三世対策の強化が施せるような、できるような法案をつくり上げていただくように御意見を申し上げておきたいと思います。  ともかくも私の意見を以上述べさせていただきまして、特に終わりに当たって申し上げておきたいことは、私はあくまでも国家補償に基づく被爆者援護法を求めるという立場にございまして、政府案や改革案のいずれかにくみしたり、あるいは批判をするという立場でもって臨んでおりませんので、そのことは御理解をいただきたいと思います。与野党が対決法案をもって争うということよりも、歴史的な価値を持つ法律全会一致でまとめられることを重ねて強調申し上げまして、私の御意見にかえさせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  133. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 ありがとうございました。  次に、伊藤サカヱ君にお願いをいたします。
  134. 伊藤サカヱ

    伊藤サカヱ君 公聴会を開いてくださいまして、皆さんどうもありがとうございました。御苦労さまでした。  四十九年間の苦労を十五分で言えと言われたって、とても言い切れないのです。何年たっても言い切れないと思いますけれども、少しでも聞いていただきたいし、私の言うことは浪花節でなく、何でもないことを言うのじゃなくて、全部命を的に、基盤に考えて運動してきた報告でございます。早口でございますけれども皆さんの方でそういう気持ちで聞いていただきたいと思います。  原爆被害者が生死の境で死の一線を越えてきた今日までの五十年間、十年間というものは箝口令がしかれまして、どんどんどんどん身の周りの者が死んでいく中で、原爆のことは口にしてはならないんだという箝口令は、本当に私たち今でも何よりも一番悔しい思いでございます。  そういう中で、その後三十八年間、人間らしく物が言えるようになって、三十八年間ずっと自民党さんにお願いしてまいりましたけれども国家補償の精神ということを言うてきたのですけれども国家補償についていろいろな、精神とか見地とか配慮とか責任とか、何であんなにまで政府、行政の方が苦労してまで、言う言葉を探されなければならないかということなんです。たった一つ、国が始めた戦争じゃないか、だったら素直に認めたらいいじゃないか、私はそう思います。何も私たちが戦争をしてくれと頼んだ覚えもございませんし、三十八年間、本当に私たちが戦犯者のように自民党の先生方にぺこぺこぺこぺこ頭を下げて、何で私たちはこんなにまでやらなければならないかと思っておりました。  そして、政府の案が次々に出ましたが、その中身を見ますと、いかにしてこれを社会保障の中に入れ込んでやろうかとか、一般戦災者とは切り離して扱おうじゃないかとか、それで自民党は、戦争責任をどうして逃れられるか、金が要るじゃないか、少し金を要らないようにしようじゃないか、それで生存者だけに限ろうじゃないか、そういうふうな知恵ばかり絞られるのですね。  私たちは人間なんです。そういう中でも、自民党さんが言われるのには、ある自民党の有力な先生に、先生、なぜ援護法国家補償にできないのですかと言ったら、野党に負けたことになるからだと言う。そんな、政争じゃないのです、私たちは。命がけの運動なんですね。自民党の党議があるからそれに署名はできないんだと言う。党議が何ですか、みみっちい、どこだって党議はありますよと自民党の偉い先生に言うたのですけれども。それで、今は党議なんか壊れております。  また、中には七人懇の、国民ひとしくこれを受忍しろ。受忍受忍と言って、もうそれがずっと本当に厚い壁になってきたのですけれども、受忍というたって、軍人軍属は靖国神社に神様のように祭られている。それから、私らに言うときには、一般戦災者があるからおまえらは見てやれないんだとか、社会保障で我慢しろと言う。私は、軍人軍属を何もしてあげなくてもいいなどとは言いません、してあげてもらいたいのです。四十四兆円もかけて、こういうふうにお金をかけるほどなら、本当に世界の問題になっている核兵器の犠牲者、今でも苦しんでいる放射能の犠牲者に、国がもっと将来性にかけて、現在、過去でなくて、将来にかけてのこの運動にもっと目を向けて、本当に被爆者に対してはどうしなければならないかということを、お金をかけて受忍とは何かということを考えてもらいたいと思うのです。  一般戦災者が文句を言うから、一般戦災者戦災者と口実には出されますけれども政府は調査もしないのですね。それじゃ、どこをどれだけやっているのか。一般戦災者というたって、原爆をのけて、軍属をのけて、沖縄をのけて、学徒をのけていったら、一般戦災者というのは少ないのですよ。その調査すらもしないでおいて、一般戦災者一般戦災者と壁にするのですね。そういうような口実を見ていると、私は、政府が一体どこを基本に置いて物を言っているのか本当にわからないのです。人間を基本に物を考えてもらいたいのですね。  それで、私たちが言うている本当に命がけの国家補償とは一体何かということですが、国家補償とは、再び被爆者をつくらないでくださいという、人間としての最高のお願いなんですね。本当に再び被爆者をつくらないでください。こんな苦しい目に遭わさないでください。そして、死んだ人に犬死にさせないでください。  どんな死に方をしたと思いますか。本当に黒焦げになって、耳からも鼻からもみんな血を流しながら死んだその被爆者に、本当に線香の一本でもいいから、国が始めた戦争なんですね、一本の金がなかったら半分でもいいのです、半分でもいいから、国が悪かった、済まなかったと言うてもらいたいのです。そして、人間らしい死に方ができなかったけれども、せめて死んだ後でも済まなかったと政府が言うのが当たり前じゃないかと私は思うのですね。金をくれろという運動をしている私たちじゃないのです。  そういう意味で、国家補償ということは、国が再び被爆者をつくらないという世界に向けての宣言なんです。「国の責任において、」という言葉でごまかして、手のうちでくるくる丸めて飲もうが捨てようが、そういう「国の責任」という、そんなみみっちい表現ではいけないと私は思うのです。国家補償にして、悪かった、再び被爆者をつくらないというこの精神、これこそが被爆国日本が世界に示す言葉だと私は思うのですね。  それをしないでおいて、何とかかんとかいいかげんなことを言うてごまかして、自分たちでも本当は——私は、この与党案が出るときに社会党さんはおられたんだろうか、自民党さんはどういう気持ちで書かれたんだろうかと思うのです。広島の議員さんがおられたのなら、広島の議員さんの中でも、本当に肩書をもらわないで自分の本当の政治家としての発言をしておられる人がいっぱいおります。肩書に負ける人もおります。  そういう中で、考えてみてください、この十年間のことを、私たちの身の回りで。先ほども言いましたように、本当に鼻からも耳からも、私の兄なんか血を吐いて死んだんですよ。そして血便が出るんです。そうすると、疫痢だと言って家族と隔離してしまうのですね。私の家の前が救護所であったけれども、いっぱいになるんですね。血便を出して死ねば、あれは疫痢だと言うのです。遠ざけるのです。血を吐けば胃潰瘍ですよ。診断書に簡単に書かれるのです。それで、原爆によってフラフラ病になれば、あれは心臓病だと言う。そのころの医者の先生はピカドンが何かも知らない。十年間に本当にどれだけ犠牲者を出したか。ひどい、人間らしい死に方ができなかったか、そう思ったら。  皆さんの中で、だったら自分のところに原爆を落としてみろと私は思うのです。そうしたら、ほんまにわかるじゃないか。アメリカだってフランスだってどこだって落としてみればいいのです。経験もしないでおいて、それで被爆者のことをただ文字の上で、あの法令にこれは例がないから、この法令にと。法令なんか何ですか。実地に私たちを見たところの法令から法令が生まれてくるんじゃないかと私は思うのです。あの法令にないから、この法令にないから、官公庁の偉い人はそういうふうに言われます。文字にとらわれることはないと思うのです。実際に人間がどういう死に方をしたか、どういう人間を守らなければならないかというのが法律だと私は思うのですね。  皆さんはこのたびは与党と対案とのどっちかをとればいいと数で押されるかもしれませんけれども、しかし社会党の中にも、全部じゃないのです、本当に良心を持った先生だっておられるのですよね。そういう中で、押されてもいいと思われるでしょうけれども国民署名は一千万を超しておりますよ、国家補償の賛同署名が。それは援護法をつくれという国民署名です。国民的合意がないと言われますけれども、一千万を超しました。そして、全国の地方自治体は七五%も促進決議をしておりますよ。参議院も衆議院も三分の二は署名しておられますよ。これでも与党の先生方は無視されるのですか。本当に私はそう思います。  こういうような、現実的に人間の言葉を言うている、そして人間がどういう死に方をしている、将来どうしなければならない、今の現実は被災国の日本としてはこうしなければならないということを抜きにしてどうして法律ができるのかと思います。これだけの国民に向かって与党の人はどう返答されるのですか。私たちを抑えたって、国民的なこの合意は、今はじっとしておりますが、今の与党さんの案については必ず声を出すと思います。  ですから、私は、本当にここらで与党の先生方が対案を出された先生方と一緒に合意してもらいたい。公明党の斉藤先生、来ておられますけれども、これが本当の政治家だと私は思います。人間の本当の命のわかる、温かみを持った、人に優しい政治とはだれが言うたのですか。そういう意味で、私は本当に、こういう崇高なとうとい法律だけは、与野党が一体となって、一緒になって提案すべきだと思う。  政府提案が出るたびに私が泣くと、斉藤先生が慰めてくださいました。一年生議員であっても、陣笠議員であっても、年数こそなくても、こういう本当に正しい先生がそろっていれば、私たちは泣くことはないと思うのです。  もう五十周年も来ます。三十四万人の死んだ人に、森滝先生にも、援護法ができたよと持って死にたいのです。八十三歳、私が薬を飲みながら、舌下錠を飲みながらこうして皆さんに訴えるのは、三十四万人の死んだ人の命を背負うておるからなんです。皆さんが人間だったら、与党の先生方も野党の先生方、改革の先生方と話し合って、人間らしい、調整した、少しでもいいのです、もう五十年、間がないのです。どうぞ人間らしい政治を、政府をつくってもらって、政府でなかったら仕方がないのですけれども、ああ、さすが被災国日本だという、世界に笑われない法律を本当に日本の政府がつくってください。  人に優しい政治をどんなに私たちが期待したか。人間の心のわからない、優しさのわからない、人の痛みもわからないのは、人間らしい政治じゃないと私は思います。こういう意味で、きょうおいでになっている先生方を初め、どうぞどうぞ——私は社会党でもなく人間党です。どこから突っ込まれても私は平気です。人間党で、党籍なんかありません。しかし、社会党さんが言うてこられたことにずっと一緒になって同志としてやってきまして、ころころころころ変わる政策の中で、足をもがれ、手をもがれ、本当に自分がなくなった気持ちでございますけれども、最後の心臓まで、援護法まで刺されるとは思いませんでした。  特別葬祭給付金のことでも、皆さん御存じないと思うのです。年の少ない子が両親を離れて学童疎開に行って、そして、その人からいつでも私に電話がかかってくるのです、お父さんもお母さんも死にました、四人の兄弟も死にました、私が広島へ帰ってもだれも頼るところもなく、親類も皆死んでいるのですと。この子には手帳がないです。兵隊に行っている人だって手帳がないです、戻ってくれば家も焼けてなくなっている。今でも兵隊に行った人から相談が来ます。私自身は国家総動員法で義勇隊で出ておりました。そして、もうずるずるに焼けて、後ろから火がついて体は燃えたのですけれども、一緒に行った人は二班で五十人、今二人しか生きておりませんよ。ほかの一班はもう亡くなっております。  そういう現実の中で、手帳がなかったらやらないなんて、こういう人間差別がありますか、現実として。なぜ手帳がなかったらやらないのですか。遺族じゃないですか。原爆孤児が広島にうようよしておりますよ。本当にあれだけ苦しんだ原爆孤児のことを知っておられますか、あの子たちがどんなに惨めな生活をしたか。  そういう中で私たちは、手帳がなかったら弔慰金はやらないんだというふうな、そんな薄情な、本当に今の先生方には血も涙もないような、情けもないような、こういう法案がよくも平気で出せたものだと思うのです。村山さんにも言うてください、肩書を持った先生方にも言うてください、広島の心を知っているのかと。広島の心は絶対に、恵みなんか要りません、社会保障なんか要りません。国が悪かったと言って謝ってもらいたいし、おまえたちよ、済まなかったと言うてもらいたい。お金なんか欲しくないのです。線香の半分でもいいのです。  どうぞ、国家補償を、そして、どうしても参議院で通ったのができなければ、今改革が出しておられますものを、一歩でも近づきたいのです、あの世へ持っていきたいのです。どうぞ先生方の御協力をよろしくお願いいたします。
  135. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 ありがとうございました。  次に、石田明君にお願いいたします。
  136. 石田明

    石田明君 私は、被爆者の一人といたしまして、意見陳述の冒頭、とうとい犠牲となりました方々の御冥福を心から祈りながら、その死者たちの思いを脳裏に再現をしながら、以下意見陳述をし、委員先生方広島に対する厚い御理解をお願いをいたしたいと思います。  第一に、私の過去を語らなければなりません。  私は、十六歳の少年にして少年航空兵に志願をいたしまして、朝鮮の北端に出兵をし、聖戦として中国、アジアの人たちを殺傷することを生きがいと信じ、いわばアジアの鬼と言われたその一連の誤れる行為の一翼を担った深い反省を今持ちながらここにあるわけであります。  そして、一九四五年の七月、休暇で広島に帰りまして、八月六日八時十五分、爆心地から七百三十メートルの電車の中であの閃光を見ました。人間が炭化し、荒れ狂う炎の中に消えていった人間の阿鼻叫喚の姿を一刻として忘れることはできません。もとより、幼子もお年寄りもすべて無差別に殺されていったわけであります。  八月六日の夕方、太田川の七つの川は死者たちの姿に埋もれ、死人の流れる川となりました。放射能の傷害による吐血、脱毛、下血、全身の血の斑点の発生等があらわれまして、一緒に被爆しました兄は、九月二日昼過ぎ、どす黒い血を吐きながら冷たくなっていきました。その日から半年余り、私は意識不明の状況が続き、半年後、年も明けた二月の末にようやく意識を回復いたしました。まさによみがえって今があります。  そして、この四十九年間、原爆白内障を初めといたします数々の原爆症と言われる病気と闘い、入退院を繰り返しまして、ようやくにしてここまで生きてきた、その奇跡的でさえある私の命、そんなものにむちうちながら昨今生きてきて、ここに多くの被爆者の声を代弁をして国家補償の精神を求める意義について申し述べる機会を与えられ、私は、一言で言いまして、かくのごとき歴史を持つ一人の人間としまして、まさしく生き残った人間の自覚と責任において以下のことを申し上げたいと思います。  特に私は、厚生常任委員会、国会議員の諸先生方に心からお願いを申し上げたいことがあります。それは、何よりも、援護法議論する場において、その関係者皆さん方が精神的に被爆をし、まさしく原子砂漠に立った思い援護法のあり方について御論議をいただくことを広島の名において要請をしておきたいと思います。  次いで、第二点といたしまして、何がゆえに広島長崎被爆者たちが国家補償というこの四文字に頑固にこだわるかということの意味について、以下申し上げてみたいと思います。  つまり、このことは広島の思想化ともいうべき営為、努力でありますが、その第一に挙げなければならないのは、先ほど来重松先生等専門的な立場から御説明をいただきましたが、原爆被害の特性についての認識を持たなければならないということであります。強大な熱線、爆風、放射能による相乗的な破壊効力によって広島は消え、人間の命は絶えていった、この厳粛な冷厳な事実。しかも、攻撃の奇襲性、大量無差別、残虐性、その極限的、壊滅的な被害であったという事実であります。しかも、被害は今日なお持続し、将来にかけての二世・三世問題等の深刻な不安を我々は背負っている事実をぜひ第一に御認識をいただきたいと思います。  第二は、何よりも私は強調したいことでございますが、八月六日、八月九日の原爆投下犠牲の事実を郷土史的に見てはならないということであり、それはまた日本史的、日本戦災史的な範疇でとらえることも間違いである。広島長崎原爆被害は、まさに人類史的見地と視点に立って物を見詰めなければならないということであります。この視点を失うとき、援護法等々の論議についていささかの動揺が見られるということを私は懸念をしないわけにはいきません。つまり、核時代の認識に立つということであります。  核時代における認識に立つ場合において、戦争観、平和観は一大変革を要求されることは言うまでもありません。核兵器の使用は絶対悪であり、人類の破滅と滅亡を意味することを、広島長崎は世界と将来の人類史に向けて啓示したことを忘れてはならないと思います。つまり、広島の悲劇は人類史上最初の核兵器の使用による犠牲であるということであり、被爆者はその核兵器による人類最初の犠牲者であるという、人類史的存在としての被爆者の位置づけと認識を必要とすると私は考えます。  別な言い方をするならば、被爆者は人類最初の核戦争体験者であります。もとより、今日の巨大な核の脅威からすれば、私どもが経験をした広島の経験は原始的でさえあるものであることは言うまでもありませんが、核戦争の最初の体験であることには間違いありません。したがって、我々が、広島が、長崎がこの体験を世界に広めていくことは、まさに人類が生存をし得る可能性を追求するために避けてはならない歴史的な努力として、ぜひ国会皆さん方の御認識を賜りたいと思うのであります。  第二の国家補償にこだわることの重要な意義といたしまして、かかる原爆投下は、未曾有の非人道的・無差別の犠牲を強いる国際法違反の犯罪行為であるという認識に立たなければなりません。  昨今、IPPNWが国際司法裁判所に提訴をしたときに対する我が国政府意見陳述書によりますと、国際法、実定法上、原爆投下は必ずしも違法とは言い得ないという意味の表現をしておるわけでありますが、唯一の被爆国日本の政府国際法違反として断定をし、世界にそれを訴えずして、一体だれが八月六日、八月九日のことを人類史的に許されない犯罪行為ということを告発することが可能でありましょうか。私は、この間極めて不純な政治的な意図を感ぜざるを得ないわけでありまして、核戦争を目撃した一人の人間として、日本政府のかかる不認識について強い怒りを持つわけであります。  第三は、そのようなことを前提といたしまして、国際法違反原爆投下の第一義的責任はアメリカが負うことは言うまでもありません。そのことは、既に言われておりますように、サンフランシスコ条約によって賠償請求権を放棄した日本政府がその補償責任を転嫁して負うことは当然のことであり、従前の幾つかの原爆裁判においても明白になっておることでございます。そしてまた、このような国際法違反原爆投下に至る誘因、原因をつくったのは、ほかならぬ我が国政府の行為によって行った戦争の原因責任であることは言うまでもありませんし、その戦争原因の責任を問うとき、その戦争によって受けた被害の結果責任を負うこともまた当然の常識と言わなければなりません。  そのような意味におきまして、我々としましては、当然なことでありますが、人類史的に問われている広島長崎原爆犠牲という観点と、戦争原因の責任を明確にするという観点から、総じてこのことを国家補償という四文字の表現をもって体系化し、思想化してきたということを御理解をいただきたいのであります。したがって、とかく被爆者援護法の問題が被爆者援護、利益保護、そのようなことに短絡的に志向されることに私はいささか抵抗を感ずるのでありまして、人類史的な犠牲である被爆者の救援に国が、被爆国が責任を持つということによって、再び核兵器を使用しないという毅然たる態度の国家意思の表明、そのような意味をこの国家補償の中に含んでおることを御理解をいただきたいのであります。  そこで、一般戦災者との関係についてよく言われますが、さきに申しましたように、もとより、すべての戦争犠牲者、被害者に対して救済責任を国が負うということは当然過ぎることでありまして、そのことの前提として我々は被爆者援護をお願いをしておるわけでありまして、銭金勘定で莫大な金が要るから、それに拡大することを防ぐために国家補償はいけないという論理は、戦争はいけない、あるいは核はいけないという被爆国日本の平和政策としては反憲法的な判断と言わざるを得ないわけでありまして、到底容認ができません。  そこで、今後の国会において明らかにしていただきたいこと、私ども理解でき得ないことについて、二、三の点を項目的にお願いをしておきたいと思います。  第一は、参議院において二度可決しているにかかわらず、なぜ衆議院においてはこのことが不可能なのか、我々にはわかりません。第二は、なぜ国家補償の明文化を頑固に回避されようとするのか、その国会議員の皆さん方の意思が不明であります。三番目は、国家の責任とか、わざわざ「国家補償的」と言われて、国家補償を避けられるという意味は一体何なのか、広島は到底納得できません。四番目は、戦争責任をなぜあいまいにされるのかわかりません。次に、原爆投下国際法違反ということを唯一の被爆国日本がなぜ明言をしないのか、全くわかりません。このことについて、ぜひとも明確に、国会審議を通して国民の前に明らかにしていただきたいことを心からお願いを申し上げたいと思います。  最後に、このような観点から、片仮名のヒロシマについての認識を避け、ある場合には無知であり、戦争責任国際法違反を明白にしない立法は、広島長崎の求める国家補償の精神に立つものとは言えない。それは、未来にかけて非核三原則は形骸化するであろうし、非核の世界を構築する被爆国日本政府の歴史的責任を放棄するもの以外の何物でもない。核戦争の最初の被害広島は到底耐えがたいことであります。つまり、国家補償は人類の歴史的な要請であると私は確信をいたします。ゆえにこそ、広島長崎国家補償について寸分の妥協の余地はありません。広島は金を求めているのではありません。ノーモア・ヒロシマに徹しているということを、その真意を御理解をいただいて、一般戦災者との均衡論だの受忍論などという、まさに戦争を肯定するかのような、そのような論理が国会で論議されることについては、国民の一人として耐えがたいことであります。  私は、国家補償の精神に基づく援護法の制定という歴史的な偉業をなし遂げられることによって、人間の尊厳を永久にするこの日本国会における良識を歴史に向けてはっきりと刻んでいただきたいことを心からお願いを申し上げます。それゆえに、この種の問題は国会全会一致国民全体の合意によって核兵器のない世界を形成をしていく被爆国民の意思の結集として、援護法制定へと実を結んでいくことを心からお願いを申し上げまして、私の意見陳述を終わります。  ありがとうございました。
  137. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 ありがとうございました。  以上で意見陳述者からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  138. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 これより委員からの質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。熊代昭彦君。
  139. 熊代昭彦

    熊代委員 四人の先生方には、経験に基づく、あるいはお仕事の関係に基づきます非常に切実な御意見陳述を賜りまして、まことにありがとうございました。また、お忙しいところを御参集いただきまして、まことにありがとうございました。  非常に厳しい御体験、痛切な御体験陳述でございまして、私どもも非常に深刻に受けとめさせていただいたわけでございますけれども政治に携わる者といたしまして、政府案提出した者といたしまして、やはり政治はいろいろな御要求、いろいろな御要望をしっかり踏まえて、公平の原則というものの中にそれを整理していかなければならないということでございまして、ある面では大変に憎まれることも覚悟してやっていかなければならないという厳しい面がございます。そのようなことで政府案を準備し、推進させていただいているわけでございますけれども、この法案には恐らく二つの非常に大きな問題点といいますか岐路がある、四人の陳述者の方々が御指摘になったとおりでございます。二つの大きな問題があると思います。  その一つは、国家補償という文字を入れるか入れないかということと、もう一つは、原爆での即時の死没者に対する弔意をあらわすのか、それとも現在生きておられて健康被害のある方々に対する生存者対策であるのかという二つの大きな問題であろうと思います。  時あたかも戦後五十年を迎える前年でございまして、いろいろ御表明いただきました平和への決意、再び核兵器を使わない、そのようなお気持ちは、全く気持ちを等しくするものでございます。再び戦争を起こしてはならない、再び核兵器を使ってはならないという決意は皆様と全く同じでございますが、冒頭申し上げましたように、物事を公平の原則に従って整理するという観点から、大変失礼に当たり、厳しいことになるかもしれませんけれども、率直に議論をさせていただきたいと思います。  私自身は隣の県の岡山市におりまして、当時五歳でございまして、焼夷弾の下におりました。幸い鉄筋コンクリートの下だったので、病院に入っておりましたので助かりましたが、同じ時期のことでございまして、そのときの苦しみ、恐怖、そして怒りは十二分にわかるつもりでございます。ただ、本当に戦後五十年苦しまれた人たち苦しみはともに体験することはできない、また、それは我々の想像を絶することであるというふうに思います。  政府案の整理を言わせていただきますと、一つは国家補償という言葉に非常に多くの思いを込めて、非常に多くの内容を盛り込まれていらっしゃるわけでございまして、これまでの運動の過程の中でそれはまさしくそういうことであろうと思いますが、国の法律として使う場合に、やはり国家補償というのは何を補償するかということを考えざるを得ない、国が補償する義務があるかどうかということを考えなければならないということでございまして、現在国家補償という言葉が使われているものは、基本的には国との雇用関係あるいは雇用関係に準ずるものあるいは契約がありまして、それに国が違反した場合に補償するというふうに統一されているということでございますね。そういう意味で、言葉の非常に直接的な意味で、限定された意味で使われているということでございまして、それよりも広い「国の責任」ということで、しかし「国の責任」というのは白地で考えれば大変に重い言葉だと思います。国の責任において処理する、そういうことを使わせていただいたということだと思います。  それから、原爆の直撃によって亡くなられた方々に対する対策をどうするのか。焼夷弾で亡くなった方々、あるいはほかの戦争の原因で、機銃掃射で亡くなられた方々に対する補償とそれを区別すべきかどうかということでございます。  先ほどのお気持ちをしんしゃくすれば、難しい問題でございますけれども、しかし我々はやはり、公平の観点からこれは区別することはできない。直接に亡くなられた方はやはり同じである。すべてに補償するのか、すべてに補償しないのかという二者択一しかないであろう。しかし、今回、五十周年を境にしまして、生存者の長い間本当に苦しまれたその心をおもんぱかって、亡くなられた方に対する配慮も生存者のためにしてあげようという整理がなされたときに既存の政策との整合性はあるということでございまして、大変に厳しい整理でございますけれども、これが一番合理的な整理ではないだろうかということで、一般の戦災者対策ではない。  それから、受忍義務のお話も出ましたけれども、ひとしく国民がこれは受忍しなければいけないというふうに思うのか、ひとしくみんなに補償しなければいけないと思うのか、そういうところが分かれ目でございます。現在は主権在民でございまして、為政者が間違うのも、やはり選んだ国民にも罪があるということでありましょう。それは政治をつかさどる立場にある人間が言える言葉ではありません。それは言ってはならない言葉でございますけれども、もっと広い立場で見まして、国民全体で見れば、主権在民で選ばれたということでございますので、それは国民にひとしく受忍義務があるというのも一つの整理の方法であるというふうに思います。  戦前は、そういう民主主義の時代からするとかなり限定された面もございますけれども戦争に走った指導者を許してしまった、そういう国民の結果的な責任ではございますけれども、そういうものがあるということで、ひとしく受忍すべきであるというのも一つの考え方である。  いずれをとるかということで非常に厳しい議論が戦後五十年になんなんとして行われてまいりましたが、やはりひとしく受忍義務をとるという議論をされてきたわけでございまして、その流れの中に従っておりまして、そして五十年を迎えて、恒久の平和を念願する、再び戦争を起こさない、それは当然に原爆を使わない、水爆を使わないということを含んでおるわけでございますけれども、そのような趣旨で出されたのだというふうに私ども提案者側として理解しているところでございます。  そういう二つの考え方でございまして、こういう考え方につきましての陳述者の方々の御意見をお伺いできればと思うわけでございますが、初めに重松先生小林先生にお願いできればと思います。よろしくお願い申し上げます。
  140. 重松逸造

    重松逸造君 ちょっと最後のところ、何とおっしゃいましたか。
  141. 熊代昭彦

    熊代委員 要するに、国家補償というのは、国との雇用関係がある、それに準ずるものがある、あるいは契約がある、補償義務があるときにするということに言葉としては整理されております。ですから、皆様方のこれまでのお気持ちとしては大変に厳しい言葉の整理ではございましょうけれども、先ほどのいろいろなお話法律的にはそのように整理されている、それが一つ。  もう一つは、他の一般戦災者人たちとの均衡を図る意味生存者対策に限定したということは、政治的には非常に厳しい決断ではあるけれども、公平な決断であろうということについての御見解をお伺いしたい。
  142. 重松逸造

    重松逸造君 私の立場を超える部分もございますが、ともかく原爆と一般戦災との差というのは、先ほど申し上げましたように、俗な表現を使いますと、原爆被害というのは孫子の代まで、一般戦災は一代限り、あるいはもっと正確に言いますと、一般戦災の場合は、これは実際には一回限りということではないわけで、一度被害に遭うと、いろいろな意味で一生影響があるかもしれません。しかし、原爆の場合は、先ほど来るる申し上げましたように、放射線の影響というのはともかくわからない部分がまだまだ残されている。百年前は全くもやに包まれておりまして、今やっといろいろな意味で姿、形はわかってまいりましたけれども、まだわからない部分がある。それのために被爆者の方は一生苦しまねばならない。その意味では、私どもの専門の立場からいいますと、やはり一般戦災被害者の方と原爆被害者の方は歴然たる区別があるということであります。  それから、何といいましても被害の規模はもちろん違うわけでありますし、もっと言えば、本当は一番補償すべき方は、家じゅうの家族が全部原爆のために亡くなられている、消滅しているという方であります。その意味で、先ほどちょっと出ましたように、たまたま子供さんだけが疎開しておられた、家じゅうが亡くなったという方は本当に、これは私の立場から離れるかもしれませんが、何とか弔意といいますか、補償の対象に加えてあげたいというのが私の個人的な感情であります。
  143. 小林寛治

    小林寛治君 私の意見が求められていたようでありますけれども、先般、与党の各国対委員長にお願いに伺った機会がございました。そこでも自民党さんの考え方は、今述べられたような内容で説明がございました。そのとき強調されたのは、この法案広島長崎に地域的に限定をしてつくっているという説明がきょうの話のほかにございましたけれども、私は、先ほど触れられました国の責任補償責任は十分ある、なぜなら、それは先ほど石田先生の方からお話がございましたように、講和条約との関係から見ましても、日本がしっかりとした責任国民に果たさなければならないというふうに思っております。  それから生存者のために、生存者が持っている二重苦だとか、それら苦しみに対して行う補償について、自民党さん、つまり与党の側では考えたという説明がございました。それは一般戦災・被災などとの均衡論などを比較されて説明があったように私は聞きましたけれども、その説明に主権在民であるとか、あるいは公平を期すという話がございました。むしろ、第二次世界大戦という、あの異常な戦争状態というのは、日本が国民総動員令のもとにあって戦争に駆り出されていった。それは戦闘員であろうと非戦闘員であろうとも、お国のためという同じ役割を持って生きたのじゃないでしょうか。これは、戦闘員であれ非戦闘員であれ、国がひとしく公平に対応すべきだというふうに私は思うのです。  それから、言ってはならないと言われて、為政者を選んだのは国民だと言う。選んだ方も悪いよという説明だったんだと思うのですけれども、どうも話が逆さまになっているんじゃないでしょうか。それは恐らく国が持つ国家補償責任あるいは義務のようなものについて、あるいは被爆の実態について十分認識が及んでいないことに起因しているのじゃないかというふうに私は思いますので、ぜひ考え方を改めていただければというふうに思います。  それから、一般戦災者被爆者の区別の問題については、るる説明がございましたが、私も同感でございますので、そのことについては触れません。
  144. 熊代昭彦

    熊代委員 お二人の先生方にお伺いするだけで、時間が参りましたので、まことに恐縮ではございますが、次の方に譲らせていただきます。  ありがとうございました。
  145. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 山本孝史君。
  146. 山本孝史

    山本(孝)委員 改革で日本新党の山本孝史でございます。  きょうは四人の先生方にお忙しい中を御出席をいただきまして、ありがとうございました。厚生委員会理事もさせていただいています。  今回、この法案審議をするに当たって、ぜひ広島長崎に出向いて関係者皆さんのお声を聞いてほしいということで、改革側から要求をさせていただいて、岩垂委員長もあるいは自民党、社会党の理事皆さんの御賛同も得て、きょうこうして皆様に直接お話をお伺いできることを本当によかったなというふうに思っています。  今回の被爆者援護法プロジェクトチーム、旧連立与党の中に社会党を入れてやってまいりました。そのメンバーの一人として、私は大阪選出でございますので、皆様方のお声から少し離れたところ、と言うと失礼ですが、におります。議員になってまだ一年ちょっとでございますので、プロジェクトに入るまで、正直申し上げて、問題の深刻さの理解が少なかったと思いますが、今回、プロジェクトチームに参加をさせていただいて、いろいろと検討をさせていただきました。  きょうの皆様方お話をお伺いしていて、改革案と政府案、両方出ている法案の問題点といいますか、あるいは違い、あるいは今回の審議が何を明らかにしなければいけないかという点は、もう言葉を足す必要もないのかなというふうには思います。国家補償的配慮に基づくという我々の案も多分皆様方にはまだ不満足なんだろうなというふうには思いますけれども政府案の「国の責任」というところを追及しましても、この言葉があってもなくても同じじゃないかというふうに思うわけですが、厚生大臣答弁は、国の役割あるいは国の姿勢というのをこの言葉で明らかにしているんだということで、だったらほかの法案にもみんな入れたらいいじゃないですかというぐらいに思うのですけれども、そんなふうな思いでおります。  今、熊代先生から「国の責任」の問題については御指摘があったような整理がなされておりますけれども、結局は、来年の五十周年を前に、日本の戦争責任ということについてこれまでの政権の中で十分な議論がされてこなかったということが一番の問題なんだろうなというふうには実は思っています。正直、政府案と我々改革案とのすり合わせはなかなか難しい。全会一致を求められておりますけれども、なかなかここは難しいのかな。きょうのお話を聞いていただいている衛藤先生あるいは熊代先生初め、自民党、社会党の皆さんがぜひいま一度考え直していただける点があるのかなという希望を先に申し述べて、御質問をさせていただきたいのです。  もう一つの問題点は、政府案にあります特別葬祭給付金の制度が新たな差別を生み出してしまうじゃないか、なぜ手帳を所持している人だけに出すのだということになるのだと思います。重松先生も弔意を示してほしいというようなことをちらっとおっしゃいましたけれども、この点について、重松先生、それから伊藤先生に少しお話をお伺いしたいと思います。  重松先生特別葬祭給付金が新たな差別を生むのではないかという点について、いかがお考えでいらっしゃいますか。
  147. 重松逸造

    重松逸造君 ちょっと先ほど触れましたように、原爆手帳保持者の方だけではなくて、先ほどのような疎開児童のようなそういう例の方は、本当はそういう方こそ真っ先に救済されるべき方のように考えております。
  148. 伊藤サカヱ

    伊藤サカヱ君 政府案の中で一番びっくりしたのがこのことなんですね。政府案はまともなんだろうかと思ったぐらいです。こういうように、一般と差別をと言うてこられて、また被爆者の中で分断政策じゃないかと思うくらいに、被爆者の中でのそういう差別ですね。現実を知らないから、私は、社会党の先生とか広島先生はこの案を組む中にいなかったんだろうかと思うのです。現実を見ていたら、到底こんなことは言えません。私らから見たらこういう法案はナンセンスですよ。  現実に、自分の息子、子供、家族が国家総動員法で一軒から必ず一人召集されて、うちの町は十キロぐらい離れておりますけれども、一班、二班と計百人出たのです。その中で、家族が死ぬでしょう。そうしたら、自分は行って、家族は行ってないのですよ。ですから、自分の家族を捜しに行きたくても入れないし、その中でおじさんなんかは、いつでも死体をつるはしで山のように積んだ中へ油をぶっかけて火をつけるとその中から人が跳んで出るんだというふうなことを聞いては、おじさんは泣いておりましたけれどもね。そうやって自分の家族が国家総動員法で義勇隊として行かなかったら国賊ですからね。何でもないようでも、そのとき行かなかったら国賊ですからね。国家総動員法で、市内へ近辺の、近郷の町村から駆り出された人がどんなにたくさんおるかと思います。すごいんですよ、国家総動員法って。その人たちが家族を出して、広島で死んでどこへ行ったかわからぬ。今でも広島の川にちょうちんが、灯籠が流されますよね。観光じゃないのですよ。川いっぱいに流される灯籠は、今でも広島で行方不明になった家族を捜すのですよね。その冥福を今でも祈っているのですよ。  そういう今でも帰らない家族を自分たちが待たなければならない。自分のうちの大黒柱であろうと息子であろうと、みんな出した、その家族が手帳を持っていないから——悪かったのう、寂しかろう、生活が苦しかろうとか言うことができないのですか。そのぐらいの思いやりがないのですか。やっと生存の被爆者に目を向けてくれたと思えば、もうそこで差別をするのですね。どこまで根性が悪いんだろうかと私は思うのです。本当にあんまりだと思うのですよ、そういう差別は。同じように被爆した人の遺族なら、苦しかろう……。普通で死んだんじゃないのですよ。普通で死んだら五十年もたてば土に返るということで少しは折り合いますけれども、五十年たとうが何年たとうが、本当にそのときのことを被爆者だけは一日も忘れることはないのです。その遺族に差別をつけて、どういうことだろうかと思うのですよね。  そういう意味で、こういう不平等、被爆者を分断するような、情けを分断するようなこの法律は、絶対私たちは認めることはできないと思うのです。
  149. 山本孝史

    山本(孝)委員 ありがとうございました。  今回は法律前文を置いて、核兵器の究極的廃絶を願う、あるいは恒久平和を日本の国の責任として世界に訴えていきたいというところは、「国家補償的配慮に基づき、」あるいは「国の責任」と表現は違いますが、内容に盛り込まれていることは、前段の部分は多分御評価をいただけるのかなと思っています。それの具体的なあらわれの一つが、政府案でいくと四十一条に平和祈念事業を行うということがあります。慰霊のための施設あるいは資料を展示するようなものを広島長崎につくるという内容になっています。  私は原爆資料の展示はぜひ東京にもきちんとつくってほしいということを要望しているのですけれども、既にこちらには資料館等がございますよね。それで、この今出されている内容について御注文といいましょうか、こういうものにしてほしいのだというようなことがございましたら、小林先生、そして教職員の会の会長として、教育現場にも携わっておられましたでしょう石田先生から、そういう祈念事業への御注文がありましたらぜひお聞かせをいただきたいと思います。
  150. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 それでは、小林公述人、伊藤公述人、石田公述人の順序でお願いをいたします。
  151. 小林寛治

    小林寛治君 来年は戦後五十年、被爆五十周年ということになるわけですけれども、私は、祈念事業について、現在、国及び県、市町村で戦後という節目を受けて既に準備が進んでいるというふうに聞いています。  大変重要なことは、国民あるいは市民の意見をそれぞれの地域で吸収をしていただきたい、反映をしていただくような、そういう国及び県などの助言指導というのでしょうか、そういうふうなものをまずお願いをしたいというふうに思うのです。  それから、五十年を節目に、戦後処理と言われるのですけれども、私は国の政治、地方自治体の行政などでやってほしいことは、今私たちが議論をしている原爆の問題だとか、あるいは軍備の問題という観点から平和を議論したことはたくさんございますけれども、これからの新しい時代というのは、ピースビルド、つまり平和の基盤づくりという観点で、広い概念の平和について考えるような国の対応を求めたいというふうに思っています。  時間がありませんから、以上で終わります。
  152. 伊藤サカヱ

    伊藤サカヱ君 人の命は地球より重いといいますけれども、死んだ後の弔慰金を始末してお金が残るのかもしれませんけれども、全遺族に弔慰金をくれないでおいて、今さら施設でごまかされたくないのですよ。本当に皆さんに弔慰金を下さった後でするのならいいのですよ。それだったら私は、金閣や銀閣よりもっと立派な施設なんか要らないと思うのですよ。全部の遺族、そういう人たちみんなに完全に弔慰金を上げて、そして、皆さんを人間らしく扱った後にお金が残ったらせめて各町村に資料館をつくっていただいて、二度と再び被爆者を出さないような核兵器のあれをつくっていただきたいと思います。これは弔慰金が全部行き渡った場合、その後です。
  153. 石田明

    石田明君 私も長く現場で教職員をしておりました立場で、きょうも先生方のところへ幾つかの平和教育教材を参考までにお届けしておりますけれども、昨今、戦後五十年を迎えるに当たりまして、教科書問題等もありますけれども広島長崎あるいは戦争のことについて知らない子供が増大をしていることに大変危機感を持っております。そのため、我々はこのことを広島長崎の風化と言っておりますけれども、それにどう歯どめをかけるかということで、言ってみれば純粋な意味の平和・軍縮教育、ユネスコ等が提唱していますそのようなことについて、広島では研究所をつくるなどして努力しておるわけでありますが、何よりも我々が子孫に残す重要なことは、原爆戦争被害の事実を確実にどう継承するかということが大人社会の責任であろうかと思うわけでありまして、平和教育あるいは軍縮教育というものに対して、広範な、総合的な施策の展開が必要である。  残念なことですけれども、率直に申し上げまして、文部省の御努力はいまだ不十分ではないかというふうに思います。教科書編さん等々からも着手できることでございます。あるいはまた芸術、文化、文学、そういう分野において、いわゆる平和、芸術、文化の創造と集積ということも必要でありまして、幾つかの戦後集積されたものをネットワーク化して、体系化していく努力もまた必要ではないかと思います。  それからもう一つ、特に広島としましては、あるいは長崎も同じでありますけれども人類史上最初の被爆広島が世界にこれから有効な平和のメッセージを発信をしていく一つの試みといたしまして、すぐれた平和論、すぐれた平和哲学あるいは医学研究等々の奨励をするための記念すべき平和賞の設置の運動をしておるわけでありますけれども、この際、ぜひ被爆国日本らしい平和賞の設置ということも国として当然考えていただきたいことであります。  それから、質問にはないのですが、今先生がおっしゃったことで、反論するようで申しわけないのですが、私の率直な気持ちを一言だけ言わせていただきます。  反論という意味じゃございませんが、いわゆる「究極的廃絶」という表現について、私たちとしては、余りにも美文調過ぎまして、険しい今日の核状況からいいますと、核兵器の即時全面廃止という気持ち広島長崎の共通した理解でありまして、両案とも「究極的」という言葉を使われていることについては我々としては抵抗感を持っているということを補足させていただきます。済みません。
  154. 山本孝史

    山本(孝)委員 質問時間が終了しました。きょうは本当にありがとうございました。
  155. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 次に、斉藤鉄夫君。
  156. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 改革の斉藤鉄夫でございます。  四人の先生方、きょうは大変参考になる御意見陳述いただきまして、本当にありがとうございます。これを参考にしながら、私ども、政争の具という言葉小林参考人から出ましたけれども、政争の具ではなく、何とか政府案意見の一致を見て今国会中に被爆者援護法を成立させたい、こういう決意は強く持っております。  私ども、細川政権下で被爆者援護法プロジェクトを起こしました。十数回、延べにしますと何時間になるでしょうか、非常に長時間の議論を重ね、現在まで続いております。村山政権ができるまでは、社会党、さきがけの方も参加されておりました。そこで一番大きな議論になったのが、一般戦争被災者との均衡の問題でございます。  現行二法、原爆医療法、原爆被爆者特別措置法もある意味で一般戦争被災者と区別して取り扱われているわけで、その現行二法の理論的根拠がある。一つは昭和五十三年の最高裁判決で、現行二法も社会保障のみならず国家補償の側面も持った複合的性格を持っている、国家補償的配慮が根底にあるのだという最高裁判決。また五十五年の基本懇で、広い意味国家補償の見地に立ってという言葉で複合的性格があらわされ、また五十六年に園田厚生大臣国会で、国家補償的な側面ということも、そのときは広い意味国家補償の見地に立って現行二法が存在するという答弁もございます。  これを我々は理論的な背景にして、今回「国家補償的配慮」ということを使おう、これは前に自民党に籍を置いていらっしゃった先生方も納得してこういう成案を得たわけでございます。  また、特別給付金につきましては、昭和四十四年四月一日以降亡くなった被爆者の方には国家の関心が払われている、その国家の関心が払われていないそれ以前に亡くなった被爆者の方に特別給付金という形で国家の関心を示そう、こういうことで成案を得て、今回改革案として出したわけでございます。  まず伊藤参考人に御質問したいのですが、今回の政府特別葬祭給付金、我々の特別給付金とかなり性格が異なりますけれども、もし政府案が通って、当然伊藤参考人も申請する権利をお持ちかと思うのですが、申請をされますでしょうか。政府案が通って、我々の改革の案ではなくて、政府案特別葬祭給付金法律で制定された、そのときに伊藤参考人は当然その特別葬祭給付金を申請されますでしょうか。
  157. 伊藤サカヱ

    伊藤サカヱ君 そんなことは全然しません。もしそういうことをしたら、自分だけ金をもらったらいいじゃないかと、間違った法律で人の命までお金で買ったことになりますので、私たちは、恐らく広島の良心だったらしないと思いますよ。私たちの全町村、一〇〇%行政も促進決議もしておりますし、各町村の被爆者の会長が集まりますけれども、県、被団協、みんな私たちと心は一つです。広島の心は本当に一つなんですよ。禁も協もないのです。七つの団体が一緒になったように、この原爆に関しては一つですからね。私たちは、お金をやるよというその不公平なくれ方について、はいとうれしがってはもらわない。それは何万分の一には、被爆者で金に困っているから、働けないからということで中にはもらう人があるかもわからぬ。しかし、広島としては、皆さん受けないと思います、私自身も。
  158. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 もう一つ伊藤参考人に御質問したいのですが、今回、ぜひ来年の被爆五十周年までに被爆者援護法を成立させたいと思っておりますが、まだ政府案と我々の改革の案にはかなり隔たりがある、なかなか意見の一致が見出せない、こういう場合に、あくまでも徹底して議論をして、意見の一致を見て被爆者援護法を制定したいというふうにお考えか、もしくは、もう来年の八・六、被爆五十周年が近づいているのだから、とにかく被爆者援護法という名前がついたものを早くつくりたい、こういうふうにお考えか、その点、御質問させていただきます。
  159. 伊藤サカヱ

    伊藤サカヱ君 私は、五十年が来るからどうしてもと無理やりに、公平でないものを受ける気はないと思うのです。それは政府案が通されても受けないし、それから今後は、成立が延びても、私の命が、被爆を受けた者が生きている限りはみんな闘うと思いますよ。納得がいくまで、本当に合意ができるまで、与党と野党と一緒にできるまでやります。そういうふうに、もう五十年が来るからとか、なまはんかな問題ではないのです、皆さんは命の限りという覚悟を持っておりますのでね。こういう点でなまはんかに、それで私たちが一生懸命になっても、恐らく先ほど言うた全国の一千万署名をしてくれた人、自治体の人は黙っておりませんよ。政府はその人相手にどうするかということです。本当に大きな問題になります、覚悟の上でやってもらわないと。  ですから、先生が言われたように、やはり満場一致で、少しは不十分なところもあるけれどもこれで国家補償が入ったじゃないかということで、私たちはひとまず自分の任務が済んだのではないかと思いますね。それから後はまた今後の運動があるかもしれませんけれども。やっぱり本当に年限じゃないと思います。みんな心を一つにして、広島の心をわかってもらいたいと思いますよ。
  160. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 次に、小林公述人と石田公述人に質問させていただきます。  我々の案にあります「国家補償的配慮」という言葉意味は先ほど申し上げましたとおりでございます。社会保障という枠組みに後退させてはならないという意味で使ったわけですが、それでも、これまで被爆者援護法制定に努力されてきた御両人から比べればかなり不満足な内容だというふうに思いますが、「国家補償的配慮」という言葉に対する御意見、端的に聞きますと、これだったら何とか我慢できるとか、そういう「国家補償的配慮」という言葉に対する御意見をお伺いしたいと思います。
  161. 小林寛治

    小林寛治君 私は、改革案に示されている「国家補償的」という表現も、説明に基づいて提案されたことだろうというふうに聞き及んでいます。また、政府案の国家の責任という表現のところについても、私は余りそこには差を感じないのですね。その表現では、国家補償という立場がそこには貫かれていないというふうに私は理解している。  なぜなら、例えば政府案で見ましても、前文にその表現が入ってくるわけですけれども、その中に、例を挙げて言いますと、「世界唯一の原子爆弾被爆国」というところがございますね。私は、これがもし私どもが求めているような内容理解が及んでいるのであれば、ここは人類史初の原爆による被爆国としての記述があってもしかるべきかなというふうに考えている者の一人なんですね。  それにあらわれているように、また石田さんからも説明がございましたけれども人類史上の観点からとらえるときに初めて国家補償というところに理解が早く及んでいくのではないかと私は思うからです。それと補償との関係もまた連動しているわけですね。ですから、政府案も改革案についても、そこの表現については被爆者の要求している内容から遠いというふうに私は理解をしている。だから、そこを改めていただけないかなと思います。
  162. 石田明

    石田明君 「国家補償的配慮」ということで、極めて配慮ある「配慮」という表現を使われたのですが、私は、先ほど申し上げましたように、率直に申し上げまして、ここらあたりが不透明に聞こえるわけです。改革案の説明のコメントをテレビで見ますと、この「国家補償的」という表現の中には、考え方として戦争責任まで踏み込んでいない、あるいは国家補償違反の問題についても踏み込んでいないということを前提として、あえて「国家補償的」という言葉を使ったというようなコメントを承っておりますので、やはり国家補償ということをはっきりと明文化していただきたいということであります。なぜ「国家補償的」と「的」を入れなければならないのかということが、私にとりましては、むしろ重要な関心であり疑問点であるということでございます。  ちょっとつけ加えますと、今回の国家補償に基づく援護法というのは、ある側面から見ますと人類史的な核問題に対する物の考え方を提示するわけですから、非核立法の側面を持たなければならないと私は思っています。したがって、今後の審議の過程において、国是であると言われている非核三原則をどう位置づけるかというようなことについても、当然補強、修正をしていただくことも被爆国らしい進路を示すものとして極めて歴史的に重要な意味を持つのではないか、こう思っておりますので、今の斉藤先生の御質問については、私は、以上のようなことで、さらなる御努力をお願いを申し上げたいと思っています。
  163. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 最後に、時間が余りありませんが、重松公述人にお伺いしたいのですが、放射線被曝の特殊性ということをきょう御意見で述べられたわけですが、もう一つ、原子爆弾の大きな特徴として熱線と爆風と、放射線、熱線、爆風の複合的効果ということも他の一般の兵器には見られない特徴である、こういうふうに私は勉強しておりますけれども、その点に関しまして何か御意見をいただければと思います。
  164. 重松逸造

    重松逸造君 斉藤議員の御指摘のとおりでありまして、したがいまして、チェルノブイリの原子力発電所事故の場合の放射線被害と、広島長崎原爆による放射線被害とは質的に違うのですね。  確かに戦争中ということもありましたが、同じ量の放射線のはずなのに、広島長崎の方のほうが、今の熱線とか爆風を除きましても死亡率と申しますか、死ぬ率が高いのであります。これはまさに複合の影響であります。特にこの熱線、つまりやけどと放射線が加わりますと、放射線だけならほとんど人体に影響のないはずなのが、ひどく影響が出てくる、あるいは放射線だけなら死ぬことがないのに、軽いやけどが加わった程度でも死ぬというデータも今出ておりますので、その意味でも、この原爆放射線というのは、わざわざ原爆をつけて私も申し上げた理由はそういうところにあります。
  165. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 どうもありがとうございました。時間が参りましたので、これで質問を終わらせていただきます。
  166. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 土肥隆一
  167. 土肥隆一

    土肥委員 きょうは四人の方々、わさわざ私どものために時間を割いていただきまして、心からお礼を申し上げます。  私は社会党に所属しておりますが、複雑な思い皆さんの前に立っております。社会党の被爆者基本法に関する運動というのはもう既に二十年にわたる歴史がございまして、参議院で二回通過させる、しかし衆議院で廃案になる、前回は衆議院まで法案を持ち込んだのでありますけれども廃案になりました。そして、村山連立政権ができまして、今回のこの法律の制定に向けて、本当に何と表現したらいいのでしょうか、通常、政治家は苦渋の選択と言うのですけれども、これで今後の日本の運命が決まるのではないかと思うような思いもしながら現在の時点まで歩んでまいりました。  ちょうど来年は戦後五十年、そして戦後五十年問題プロジェクトというのもつくられておりまして、やはりこれは一つのけじめでありますから、あるいはけじめというよりは区切りでありますから、いい仕事をしたい。この戦後五十年間平和を享受し得た日本、近代国家で五十年平和を保つというのは非常に難しいわけでございますけれども、そしてその平和を支えた大きな一つの柱は、やはり広島長崎皆さんの忍耐強い、そして熱心な非核の運動、そして平和の運動があったからだ、私はそれは本当にそのとおりだと思うわけでございます。もし皆さんの運動がなかったら、本当にこの五十年間平和に暮らせたかどうかということがわかりません。  さて、それでは今後五十年どうするか。私は、今後の五十年も平和でありたい、このように思うわけであります。そうした中で、五十年問題プロジェクトがつくられ、そこでいろいろな議論がされておりますけれども、そのちょうど一年前、この被爆者援護法の取り扱いが問題になってきたわけです。  社会党は、一貫して国家補償の見地、国家補償の精神に基づきということを言い続けてきたわけでありますから、これは今回の法案の生命線に当たるわけですね。何で変心したんだと言われますと、いろいろ言いわけはもうしたくございません。最初は、昭和四十四年の葬祭料の法律ができて以来のことも考え、その以前の皆さんにどう葬祭料をお渡しできるか、弔慰金と言ってもいいのですけれども、私は葬祭料というふうに呼んでおりますが、葬祭料をお渡しできるかということが最大の関心で始まりました。しかし、法案をどんどん練り上げてまいりますと、これはただならぬ法案を我々は今つくっているんだということになりまして、今日、与野党は今もこれをどうまとめるかということで悩んでおります。  私どもは、自社さの政権の中でこの法案を通したいという決意をいたしました。したがいまして、三党の合意を得なければいけませんので、もうこれはやめてしまえ、こんな国家補償が入らないような法案はやめた方がいい、後に引き延ばしたらどうだという意見もございましたけれども、私どもはここで、どんなおしかりを受けても区切りをつけたいという決意でこの法案提出した次第でございます。  そこで、私の関心は、もう一度四人の皆さんに、こういうことを言うのも失礼かと思いますが、この法案は、先ほど伊藤さんはこんな内容だったら飛ばしてくれという話でございますが、それじゃ伊藤さん以外の三人の方に、どうでしょうか、これから一日半ぐらいしかないのですが、詰めていかなければなりませんが、国の責任国家補償、これは絶対的な条件というふうに受け取ってようございますでしょうか。重松陳述人の方からお願いいたします。
  168. 重松逸造

    重松逸造君 いろいろ申し上げたいことはございますが、総合的に見れば、特に私どもの専門の立場では、政府案あるいは今改革の方から出ている対案でございますか、いずれにしましても、私ども被爆者皆さん方についてのいろいろな調査研究という点では、この法律ができれば一段と推進されるというぐあいに考えておりますので、ぜひ成立させていただきたいと思います。
  169. 小林寛治

    小林寛治君 来年五十周年ということで、そこで区切りをつける、そのためには今国会成立を自社さでやりたい、こういうお話でしたね。  私は、被爆者援護法については、五十年を言うのであれば、仏教で言うことしが五十回忌ですから、ことしの八月六日までに法案はつくってほしかった。それが私ども第一の気持ちです。  とはいえ、被爆者皆さんは、もう一日も待てない、長引かすことはできない、おくらせることはできないという気持ちでいっぱいなんです。もちろん表現はそれぞれ違っていますけれども、そういう気持ちです。そうなれば、一日も早い法の成立を求めたい。となれば、一番のチャンスはこの国会である。だから、この国会全会一致による法案成立を求めたい、これが二つ目です。  なお、それで全会一致でまとまらないのであれば、しかし、何が何でも来年の八月六日までには答えが出るように議論をまとめていただきたいという気持ちです。
  170. 石田明

    石田明君 第一点ですけれども、今国会で、被爆五十周年の節目として、待ちに待った援護法が決着され、成立するということは、だれしも否定できない長年の期待感であることは前提であります。  問題は、国家補償についてこだわるのかどうかという御質問でありますが、私は、各論における諸手当の問題等々も極めて重要かとも思いますけれども広島の五十年にとりましては、五十年後の歴史に何を残すか、その法の精神というものを重く見たいと考えておりますから、このことについて十二分な御論議をいただきたい。論議をするということ以前に、既に参議院においては二回にわたって国家補償の原理に立つ法ができておるわけですから、論議の時間といってもそう長時間の必要性はない。これは国会の議員の皆さん方の歴史経過を踏まえた英知と努力にかかっている、私はこのように思って期待をしております。
  171. 土肥隆一

    土肥委員 ありがとうごさいます。  私どもこの被爆者援護法を考えるときに、一般戦災者とどうするんだという議論は国会議員の中でしょっちゅう出てくるわけですね。これは石田公述人に御意見をお伺いしたいし、また今までも少し御意見をお述べになりましたけれども戦争というのは漠然と出発いたしまして漠然と終わるわけじゃないわけでありまして、戦争というのは、だれが決定し、だれが終結させたかということは当然問われなければならない。そういう戦争認識というものを考えるときに、当然国家補償というものが生まれてくるわけでありまして、これは一般化してはいけない、こういうふうに思います。  戦後五十年問題プロジェクトもこれからいろいろな、諸外国も含む日本の戦争責任というものをどう受けとめるか、そのことによって内容も決まってくるわけでございまして、この戦後五十年の平和、これが本当にその次の平和につながるものになるだろうか。平和を余りにも長く享受したがゆえに、次の五十年の平和を失ってしまうことにもなりかねない。石田さんは教育の分野でも仕事をなさったわけですけれども広島気持ちが、心が、平和ということの一点に絞って、日本の国民に今どのように映っている、どのように伝わっているというふうにお考えでしょうか、御感想をお聞きしたいと思います。
  172. 石田明

    石田明君 ただいまの御質問でございますけれども、五十年後における我が国のお互い国民あるいは子供たちの平和意識がどうなるだろうか、予測はなかなか難しいと思いますけれども、五十年という節目において、過去の戦争なり忌まわしい原爆の事実というものをきちっと整理をして、歴史的な事実として継承し得る、そういう基盤をつくることが第一の作業ではないかと私は思っています。事実に盲目である者は事実を伝達することは不可能であります。  その上に立って、今後の五十年以降においては、いわゆる時間的な経過による風化が起こらないように、先ほど申しましたように、壮大な平和・軍縮教育ともいうべき、ただ学校だけじゃなくて、すべての分野における平和への教育努力、軍縮教育努力といったものが必要であって、五十年以降、その中心的なリーダーシップをとるべき日本政府が今回の問題等についても戦争責任を明白にしながら、将来にわたって政府がリードして平和を形成をしていく国民合意と国民意識の形成に先頭に立つことが大事であって、先ほどお話があったように、すべて戦争政府だけの責任じゃなくて、国民みんなも責任を負うんだというような議論国会であるようでは困ると私は思うのです。だれが戦争を起こしたかということはきちっと整理をしていきませんと、一億総ざんげでは今後の日本国民の平和形成はできない、主権在民の真の意味の平和政権はできない、一方ではこういう危機感を持っているということもつけ加えたいと私は思います。
  173. 土肥隆一

    土肥委員 大変ありがとうございました。私の質問を終わります。
  174. 岩垂寿喜男

    ○岩垂座長 これにて質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  意見陳述方々におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  拝聴いたしました御意見は、両法案の審査に資するところ極めて大なるものがあり、この機会をかりて厚く御礼を申し上げたいと思います。  また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして深甚なる謝意を表する次第でございます。  これにて散会いたします。     午後零時十分散会      ————◇—————    派遣委員長崎県における意見聴取に    関する記録 一、期日    平成六年十一月三十日(水) 二、場所    ホテルニュー長崎 三、意見を聴取した問題    原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律    案(内閣提出)及び原子爆弾被爆者援護法    案(粟屋敏信君外六名提出)について 四、出席者  (1) 派遣委員    座長 網岡  雄君       鈴木 俊一君    住  博司君       石田 祝稔君    冬柴 鐵三君       三原 朝彦君    岩佐 恵美君  (2) 現地参加議員       山崎  泉君  (3) 政府出席者         厚生省保健医療         局企画課長   川邊  新君  (4) 意見陳述者         長崎大学医学部         長       長瀧 重信君         核兵器禁止平和         建設長崎県民会         議議長     久米  潮君         長崎被爆者手         帳友の会会長  深堀 勝一君         長崎県労評セン         ター単産被爆者         協議会連絡会議         議長      築城 昭平君         日本原水爆被害         者団体協議会代         表理事         長崎原爆被災者         協議会事務局長 山田 拓民君      ————◇—————     午前十時開議
  175. 網岡雄

    網岡座長 これより会議を開きます。  私は、衆議院厚生委員会派遣委員団長網岡雄でございます。  私がこの会議の座長を務めますので、よろしくお願いいたします。  この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  皆様御承知のとおり、当委員会におきましては、内閣提出原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案及び粟屋敏信君外六名提出原子爆弾被爆者援護法案の両案につきまして審査を行っているところでございます。  当委員会といたしましては、両法案の審査に当たり、国民各界各層の皆様から御意見を聴取するため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。  御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願いいたします。  まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。  会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、座長の許可を得て発言していただきたいと存じます。  なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々は、委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  次に、議事の順序につきまして申し上げます。  最初に、意見陳述者皆さんから御意見をそれぞれ十五分程度お述べいただきました後、委員より質疑を行うことになっておりますので、よろしくお願いをいたします。  それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。  出席委員は、自由民主党の鈴木俊一君、住博司君、改革の石田祝稔君、冬柴鐵三君、新党さきがけの三原朝彦君、日本共産党の岩佐恵美君、以上でございます。  なお、現地参加議員として日本社会党・護憲民主連合の山崎泉君が出席されております。  次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。  長崎大学医学部長長瀧重信君、核兵器禁止平和建設長崎県民会議議長久米潮君、長崎被爆者手帳友の会会長深堀勝一君、長崎労評センター単産被爆者協議会連絡会議議長築城昭平君、日本原水爆被害者団体協議会代表理事長崎原爆被災者協議会事務局長山田拓民君、以上の方々でございます。  それでは、長瀧重信君から御意見をお願いいたします。
  176. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 初めに自己紹介をさせていただきますが、私、現在長崎大学の医学部長でございまして、医学部には原爆後障害医療研究施設がございます。また、第一内科学教室の主任教授といたしまして、最近の十四年間、実際に被爆者方々の調査、治療を行いますと同時に、WHOの指定研究協力センター長といたしまして、チェルノブイリ原発事故の健康調査にも積極的に参加してまいりました。  このたびは長崎におきましてもこのような地方公聴会を催していただきますことに深く感謝しております。  まず最初に、放射能に起因する健康障害の特殊性についてお話ししたいと思います。  広島に続いて長崎にも原子爆弾投下されまして、二十一万人の市民のうち七万余、三〇%以上の市民が昭和二十年の十二月までにお亡くなりになりました。長崎大学はまさに爆心にありまして、教職員、学生の大半が亡くなられましたが、被爆直後の自分自身、同僚あるいは付近の住民に関する長崎医科大学の教官による医学的な報告は、被爆の悲惨な現状、未知の医学的な症状に対する不安、恐怖などを含んだ急性放射能障害の医学的な報告として世界で最も貴重な報告でございます。当時全くの未知の急性放射能障害が正確に記載されましたのは、長崎医科大学が世界で唯一の被爆を受けた医科大学であるということからも御納得いただけると思います。  大学が壊滅状態になったために幾つかの学校などの施設で分散して診療が続けられておりますうちに、昭和二十二年にABCCによる調査が長崎で開始されました。昭和三十三年に原対協及び原爆病院ができまして、昭和三十七年に原爆後障害研究施設ができますまでは、長崎大学が一貫して原爆の調査、医療の中心であったということ、そして大学がABCCと密接に協力できたからこそ被爆者方々とも十分な協力関係が保たれたということは、長崎の特徴として強調しておきたいと思います。  現在までのこのような被爆者方々の調査結果をまとめますと、最初に異常が認められましたのは白血病でありまして、被爆二、三年後から増加し始め、数年後にピークに達しました。甲状腺がん、乳がん、肺がん、さらに胃がん、結腸がん、卵巣がん、多発性骨髄腫などの悪性腫瘍は現在でもなお増加しつつあります。このように被爆後五十年近くたった現在においてもいろいろながんの患者さんが被爆者方々により多く発生しているということだけでも、放射能に起因する健康障害は非常に特殊なものであるということがおわかりいただけると思います。  次に、調査及び研究の必要性について申し上げます。  先ほどお話しいたしましたように、私は、十四年前に長崎に参りました。そして、長崎被害を外国で講演しましたところ、外国の有名な専門家の多くが我々の報告を信用していないということがわかりました。このようなことが契機になりまして、国際的に通用する方法で調査をしようと決心したのであります。  まず、放射性降下物の影響に関する調査についてお話しいたします。  原爆や原子力発電所の事故のたびに大量の放射性物質が空中に放出されまして、次々に地上に降下してまいります。現在、世界の各地で大きな問題になっているところでありまして、この放射性降下物の健康に対する影響を調べる目的で、長崎の西山地区を選びました。西山地区といいますのは、爆心地に向かう山の陰にありまして、直接の放射線は受けなかったのに黒い雨が局地的に強く降った地区であります。したがって、放射性降下物の影響だけを受けた地区ということになります。  この地区にずっと居住していた住民の方々に状況を御説明して調査の協力をお願いしましたところ、実に七〇%の方が大学に診察に来ていただけたのであります。もちろん、大学側も二十四時間体制でいつでも診察することにいたしましたし、乏しい国立大学の研究費の中で最高の技術で調査をさせていただきました。その結果、西山地区で甲状腺腫瘍の方が九名発見されまして、腫瘍が有意に多いことが証明されたのであります。この結果は、原爆における放射性降下物の影響に関する最初の報告ということになりました。  なお、念のために申し添えますが、この西山地区は当初より被爆地域と指定されている地域でございます。  次に、甲状腺疾患の調査についてお話しいたします。  医学は日進月歩、診断法も治療法も進歩してまいりますので、国際的に通用する最新の技術で甲状腺疾患の調査を行いました。長崎の放影研で追跡している方々を対象にいたしまして約二千名の方をスクリーニングいたしまして、少しでも異常のある方約八百名を大学に来ていただいて、確定診断を行ったのであります。ここでも、非常に高価な検査法もございますので、調査費用には大変苦労いたしました。  その結果判明しましたことは、現在なお被曝線量の多い方に甲状腺がん、がんが発生していること、そして被爆者方々に自己免疫性の甲状腺機能低下症が増加しているということであります。この調査結果はことしの八月にアメリカの医師会雑誌に発表したのでありますが、自己免疫性疾患が被爆者に多いということは今まで全く考慮されていなかったことであります。被爆による新しい疾患が被爆後五十年たって初めて見つかったということになり、今まで発見されなかった原因は、新しい診断法を用いたということ、また、がんよりも比較的少ない線量、すなわちピークの平均が七十ラドのところに患者さんが固まっていたからでありまして、新しい診断法の重要性とともに、比較的低い線量にも十分に注意しなければいけないということを改めて認識いたしました。  このように被爆後五十年を経た現在でもなお新しい疾患が発見されるということは、調査及び研究の重要性を示したものと思います。また、当然のことではありますが、この調査で発見されました患者さんは直ちに治療を受けておられます。  このような調査結果に対しましては、当然外国からも協力の依頼がございます。現在、我々は、この長崎で使用いたしました同じ機械と同じ調査方法で、チェルノブイリ原発事故に悩んでおりますロシア、ベラルーシ、ウクライナにおきまして調査活動を行っております。現在、世界じゅうの多くの国がチェルノブイリ事故の調査に対しまして支援活動を行っておりますが、その中でも我々の原爆被爆者調査研究に基づいた支援は最も高く評価されているところであります。  純粋な科学に基づいた正しい調査及び研究は、第一に、被害状況を国際的にも国内的にも納得させる力を持っておりますし、第二に、被爆者方々の医療の改善、すなわち認定や治療にも直ちに役立ちます。そして、第三に、調査結果は人類の知識として世界に貢献するものであります。  ただ、ここで御理解いただきたいことは、今まで申し上げましたように、長崎におきましては、放射線障害の調査及び研究は長崎大学が重要な役目を果たしているということであります。古くはABCCと被爆者の間にあって調査を円滑にしてまいりましたし、最近では、むしろ放影研との協力のもとに独自に調査を行っているということであります。国立大学の通常の予算の中では、本当に研究費の面では大変な思いをいたしますし、少なくとも長崎におきましては、放影研と同様に、長崎大学を含む研究機関にも国家的支援の御配慮をお願いいたしたいと思います。  次に、被爆者に対する総合的な援護対策について申し上げます。  先ほどからお話ししてまいりましたように、私自身、調査を通じて多くの被爆者方々にお会いいたしました。放射能障害で悩んでおられる方、それも多くは完全な治療法が確立されていない悪性腫瘍に罹患されている方、いつ起こるかわからない後障害に対する不安に悩まされている方、その大変な人生を強く主張される方もありますし、じっと耐え忍んでおられる方も少なくありません。私が死んだらどんなに体を切り刻んでもいいから、生きている間は原爆のことを思い出せないようにしてくださいと言う方もおられました。そして、この被爆者方々は、徐々に高齢化し、日常の生活にも不自由を感じている方も少なくありません。  このような時期に、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護、例えば相談事業、居宅生活支援事業などが法定化されましたことは、まことに喜ばしいことと存じます。  最後に、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律案について申し上げます。  この法案では、核兵器の究極的な廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾惨禍が繰り返されることのないように恒久の平和を念願していること、国の責任において、放射能に起因する健康被害が特殊な被害であることを認めまして、高齢化の進行している被爆者に対する総合的な援護対策を講じていること、そして放射能被曝調査及び研究を積極的に支援するなど、被爆者援護につきまして大きく前進したものと考えます。できるだけ早い法案成立を期待しているところであります。  御清聴ありがとうございました。(拍手)
  177. 網岡雄

    網岡座長 ありがとうございました。  次に、久米潮君にお願いいたします。
  178. 久米潮

    久米潮君 私は、核兵器禁止平和建設長崎県民会議、略称といたしまして、核禁会議あるいは長崎核禁、こういうふうに呼んでおりますけれども、そこで議長をいたしております久米でございます。よろしくお願いいたします。  核禁会議は、昭和三十六年に結成されましてからもう既に三十年余りを経過しておるわけでございますが、その間、核兵器の廃絶と世界の平和を求めまして運動を進める一方で、被爆者には愛の手を差し伸べる運動も一貫して続けてまいったのであります。毎年七月から八月にかけまして全国的に被爆者の救援カンパを実施いたしまして、これまでに約九億円ものカンパ実績をつくる中で、これらのカンパ金は、核禁会議の運動のために使うというのではなくして、被爆者のためにこれを活用させていただいてまいりました。  広島原爆公園の平和の灯、長崎平和公園の平和の泉等の建設を初めといたしまして、主に国内及び韓国の被爆者に関連をいたします施設や療養関係の機器充実に努めてまいりました。その中から、長崎におきましては、原爆関連の施設や団体に対しまして、今日まで約二億に上るものを救援に充ててまいったわけでございます。このように民間の団体が被爆者救援活動を具体的に進めてきたことに対しまして、私どもに対する各方面からの喜びの声、大変な評価を受けてきておるのが実態でございます。  さらにまた、当然のことではございますけれども被爆者救援活動の大きな柱といたしまして、被爆者援護法の制定を求めまして、そのための諸活動も行っておるわけであります。  さて、来年は戦後五十年を迎えるわけでございますが、そのような大事な節目に当たりまして、長年懸案でありましたところの被爆者援護法に決着をつけるべく、政府案提出いたしまして国会での法案審議に踏み切ったという政府の姿勢につきまして、まずもってこれを評価しなければならない、こう考えておるものであります。しかしながら、その中身につきましては、いささか私なりに意見のあるところでございまして、その点について、以下、若干申し述べさせていただきたいと思うのであります。  その第一の点は、国家補償に基づく被爆者救済、この点が明記をされなかったということでございます。  広島長崎被爆者団体を初めといたしまして、核兵器禁止運動を進めてまいりました政党や各種の団体は、こぞって国家補償に基づく法の制定を求めてまいったわけであります。今回の政府提案では、国の責任において総合的な援護対策を講ずる、こういうことになっておりますが、国家補償文言がどこにも見当たらないのでありまして、この点についてまず不満であることを表明いたさなければならない、こう考えるわけであります。  すなわち、被爆者は、政府案でも言われておりますとおり、原爆放射能による特殊な健康被害でありまして、他の戦争被害とは明らかに、明らかに区別ができるものである。したがいまして、国家補償の精神に基づく法律といたしまして制定されたといたしましても、広く国民理解が得られるんだというふうに私は確信するものであります。この点について、さらに踏み込んだ御検討方をお願いをしたい。  次に、特別葬祭給付金の問題についてでございます。  政府は、昭和四十三年に原爆被爆者特別措置法が施行される以前に亡くなられた被爆者、これらの方々についての措置は打ち出されておりますが、このことについては一歩前進だと私は受けとめております。しかしながら、その支給対象者生存者被爆者手帳を所持する者に限定した点について、極めて、極めて不満の意を表明せざるを得ません。みずからが被爆者でなく、手帳を所持していないがゆえに、被爆遺家族である人々が救済の枠外に置かれたという点は、どういうふうに考えましても納得いかないところであります。被爆者団体では、遺族に対する不合理な差別として不満を表明いたしております。  この点について、国会審議に当たりまして、道筋をきちんとしたものにしていただきまして、御審議いただきたいな、この点、強く、強く御要望を申し上げておきたいと思うのであります。  第三点目といたしまして、被爆地域の不均衡の是正問題でございます。  この問題につきましては、同じ被爆地でありますところの広島では問題になっておらないことは御承知のとおりでございますが、この点、大ざっぱな言い方ではございますが、広島では原爆落下中心から最大十九キロまでをもって被爆地域としてみなされておる。長崎では原爆落下中心から、約ということでございますが最大十二キロまでが被爆地域とみなされておりますが、その中で十二キロ以内にありますところの茂木、戸石、東長崎などの地点が除外されている。これは、明らかに他の地域との不均衡がありますことから、各被爆者団体ではこの点での是正をこれまで強く求めてきたところでございます。  原爆投下による特殊な放射能障害の点から考えてみた場合に、私は、被爆者団体の主張は決して無理な注文であるとは思っておりません。また、これまでも国会議員の諸先生方に対しまして陳情申し上げるたびにこの点を説明申し上げてまいりましたし、結果といたしまして、大方の理解は得ているものと推察いたしておるところであります。政治の公正化、こういった観点からいたしましても、この問題に対する被爆者団体の要望をぜひともお聞きいただきますことを、この機会に強く、強く申し上げる次第でございます。  以上三点につき申し上げましたけれども、戦後五十年を経ました今日、被爆者は高齢化する中で、残念ながら他界する方もふえてまいりました。生存者は年々少なくなってきております。その中で生存者は、放射能障害によるところの健康と生活の不安を持ちながらも被爆者援護法の制定について懸命に叫び続けてまいりました。それは、まさしく命をかけた血の叫び、こう申し上げても過言ではないと思うのであります。  さらに被爆者方々は、悲惨な過去を単なる過去形としてともすれば忘れ去られようとしておる現実、この現実を憂慮いたしまして、みずからの体験を若い世代の人々に切々と訴える中で、核兵器は絶対に使わせてはならないんだということを心から訴え、語り続けている努力もいたしておるわけであります。  委員の諸先生方におかれましては、こうした被爆者の実情を十分にお酌み取りいただく中で、ただいま私が申し上げました意見陳述に対しまして前向きに御検討をいただき、今国会において被爆者援護法がよりよい方向で制定されますことを心から、心からお願いをいたしまして、私の陳述を終わらせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  179. 網岡雄

    網岡座長 ありがとうございました。  次に、深堀勝一君にお願いいたします。
  180. 深堀勝一

    深堀勝一君 このたびの法律案の中で一番の力点を注がれている特別葬祭給付金について論点を絞りたいと思っております。  その中で、この特別葬祭給付金被爆者でない人はやらないということになっておりますけれども、私はそれはおかしいと思うのです。戦地から引き揚げられた人、引揚者、県外地から帰られた人々の中で、帰ってみたら家族全滅で、そして防空ごうの中で半年間も寝ておった人がおります。その人たちの心情を思うときに、この特別葬祭給付金制度というのは私は間違っておると思います。  そして、世間で言われる二十万とか三十万という被爆者が弔慰金をもらうような内容で、三百億とかなんとか言われておりますけれども、私は、この法案の中で新規の者を含めると二十五億だと思っています。というのは、私は、動員学徒とか女子挺身隊、徴用工を、四十年間にわたって援護法の弔慰金、遺族年金の申請をしましたけれども、この五十年間における歳月の長さに驚き入っているのです。資料を探そうとしてもないのです。だから、長崎で十万死んだと言いますけれども長崎でもらう人はわずか二万人、申請書が出るのは五千件と私は見ております。  というのは、原爆で死んだ人は法務局に登記してあります、変死だから。警察官が検視したのが長崎で二万から二万五千しかないのです。その中に、学徒動員とか軍人軍属は既に援護法でもらっているからそれは半分カットせねばならぬと思うのです。それから、原爆後二カ月、三カ月して死んだ人たちはどうなっているかといえば、赤痢だとか腎臓とか肝臓とか心臓病で死んだように死亡診断には書いてあるのです。そういった者をどういたしますか。そういうものを考えれば、昭和四十四年までの間に死んだ人の立証はどこでするのですか。現実に援護法が施行された場合はそういう問題にひっかかってくると思うのです。  カルテは五年保存ですよ。昭和二十二年ぐらいのカルテを探しに行ったって、そんなものはないと言うて怒られるのが関の山です。よく大きな病院で倉庫に行けば残っているのもあるのですけれども、まず玄関払いを食うのです。そした場合に、二十二年の十月ごろから四十四年の間までに死んだ人の、原爆で爆死したという証明は現実にとれないのです。長崎でもそういう状況です。ただ、援護局で裁定をしたのを見ると、この間は、白血病は通っておりました。長崎で百人か二百人白血病で死んだ人がおると思うのですけれども、これは通ると思うのです。ところが、あとの人のその証明はどうしてとれるかということ。ないんですよ、死亡診断書には書いたものが。そうした場合に、国費ですから、簡単に厚生省の保健医療局で金をやると言ったって、会計検査院がおるんだから、私はそういうものに渡すとは思わないのです。  そういうことで、長崎で五千件、広島で一万件ぐらいしか出ないと思うのです。広島は特に国民義勇隊というのが七千名もらっているのです。軍人軍属、学徒動員、警防団、消防団、そういう人を除いて、また国民義勇隊というのが七千名もらっているのです。だから、広島に三万人おっても一万五千から二万はそういう人たちが該当するので、実際に法務局に登記してあるのは一万ぐらいしかないと思うのです。そういう場合に、弔慰金の額が二百億も三百億も出るとは思わないのです。せいぜい出て二十億だと私は思っています。そういうことで非常に現実に即してないのです。無理してつくった関係でそういうことまで行き届いてないと思うのです。援護局と相談すればよくわかると思うのですけれども。  そういうことで、今度のこの特別葬祭給付金でもらう人が長崎で五千件ぐらいしか申請は出ないと思っています。その中で、家族全滅の人はもらえないわけです。そして被爆者以外の人も請求できない。そういう形で、本当に五十年の歳月のために、もうその資料を探すのが大変だと思うのです。だから、十万円の給付金をもらうって本気に探して回れば二十万も三十万もかかるのです。私たちのようなプロがして半年や一年探すのですよ。だから、そういうものをどういうふうにしてクリアしていくか。そういうことを考えれば、今度の特別葬祭給付金でもらうのは、法務局に登記している分と白血病などで死んだ人たちがもらうと思うのです。そういうことで非常に中身の薄いものであると私は思っております。  そういうことで、その中で被爆者である人ということを限定しないで、額は半額になっても結構ですから、やはり被爆者でない遺族の方には上げていただきたい、私はかように思っております。ほかのこういうもらわれない被爆者のために、遺族のために、私は特別葬祭給付金を請求する資格はあると思いますけれども、痛みをともに分かち合うために、私は辞退しようと思っています。それに、原爆で死のうが引き揚げの途中で死のうが空襲で死のうが、死んだということは変わりないのです。私は、あまねく戦争犠牲者に被爆者と同様な弔慰金を上げていただきたいと思います。  次に、今まで施行されている原爆二法、これはもう実に立派な法律なんです。さすがに厚生省の官僚は頭がよいと私は言うのです。非常に行き届いた立派な法律で、これによってどれだけの被爆者が助けられたことかと私は思うわけです。それは非常に中身の通った、被爆者に今非常に喜ばれている現行二法なんです。  その中に、先ほど久米先生も言っておられたように地域是正の関係があるわけです。長崎は地形が違うんですから、やはり被爆地域を是正して、少なくとも十二キロの範囲内ぐらいでは被爆者とみなしていいと思います。なお、このたび十二キロ延ばすというならば、私はあえて言いますけれども被爆者の待遇を一ランク落としてもいいから、医療費の無料だけでもいいと思うのです、そういう制度をつくっていただきたいと思うのです。被爆者のものは大体余りめり張りがきいてないものが多くて、もう少し手直しをせねばならぬところがあったのが、これができずにおったわけです。  そして、次にはもう二世をする時期が来ておるわけです。先ほど長瀧先生も言われているように、私たちが何万人という、五万人か六万人会員を持っておれば、やはり二世の方に健康状態が悪い人がおります。私は農林統計出身ですから、そのサンプルで拾ったら、大体近距離被爆者の子供、若年時被爆者の子供、原爆も大人の受けた場合と小さい人が受けた場合は全然違うわけですよ。若年時被爆者の子供とか黒い雨の地域に原爆症と思われるような疾病が非常に多発しておるわけです。そういうことで二世ももうせねばならぬ。国も財源がないとか言っておられますけれども被爆者もだんだん一世が死んでいくのですから、二世にその予算をずっとコンバートしていけばさして財源の負担になるとは思いません。  次に、ホーム、養老院をつくっていただきたいと思うのです。私は四月に広島に行ってきましたけれども広島はホームが非常に立派にできております。あの倉掛のホームなどはベルサイユ宮殿みたいなものができております。それに比べて長崎は非常にお粗末です。それは財源の関係もあろうと思いますけれども、そういう高齢化する被爆者対策、これが今一番望まれておるわけです。  だから、私たちは、こういう三点を直せば、現行法に枝葉をつければ立派な被爆者対策ができると思います。何も援護法を声高に言う必要もなくて、私たちが今言わんとするのは、今の今を助けてくれと言っているのです、今の今を援護してくれと。五十年前のことはもういい。今の被爆者の高齢化するスピードというのは、物すごいスピードでいっておるわけです。何か加齢現象が被爆者には十年あると言われますけれども、私たちの周辺でも、ほかの我々の友好団体、他の被爆者団体もみんな高齢化してしもうて、会うたびに、おい、元気にしとけ、長生きしとこうでのうとみんな言うておるのです。援護法も大事かばってん、みんな長生きしとこうでなあと、みんなそういうことを声をかけ合っているほどに被爆者の高齢化は進んでおります。そういうことで、そういう方法もあるということを皆さん方にお願いしたいと思うのです。  次に、長瀧先生も言われていたように、原爆の研究機関ですか、そういうものが非常におくれておるわけです。私は、この前国会に行ったときに金子原二郎先生に、長崎原爆はプルトニウムぞ、広島はウラニウムぞ、長崎の方が本番であって向こうはひな形だと言ったが、そういうことで長崎に国際被爆者医療センターとか研究所をつくる、原爆はプルトニウムが本番です、ウラニウムの方は、あれはひな形であって、長崎につくるべきだと私は思っておるのです。そして、炭谷課長さんにも言ったら、そのとおりだからひとつ私たちもお手伝いするから頑張ってくださいと言われたけれども、やはりプルトニウムの原爆が落ちたところに重点を置いてするのが本体であって、政治力学で広島の方が優先するというのはおかしいと思うのです。そういうことで、長崎大学を中心とした医療機関を、しっかり研究費なんかを与えていただいて、これが人類のために貢献することになれば私は幸いと思うのです。  私は家族三人。四人おりまして、三人死にまして、私一人学徒動員で生き残って、大体千三百七十メートルの地点で私が生きておるのは、その日のうちに大村海軍病院に救援列車で収容されたから生きておると思うのです。そういうことで生き残された人間の使命として、私たちが声を大にして叫ばなければならぬと思います。  そういうことで、諸先生方には耳の痛かったろうと思いますけれども、あえてお願いして、私の陳述を終わります。(拍手)
  181. 網岡雄

    網岡座長 ありがとうございました。  次に、築城昭平君にお願いいたします。
  182. 築城昭平

    築城昭平君 私は、長崎県労評センター単産被爆者協議会連絡会議議長の築城と申します。  私は、四十九年前の八月九日、原爆中心地より一・八キロの地点で被爆をし、九死に一生を得ましたが、全身火傷と数十カ所の外傷のため血だるまとなって隣村長与村に避難をし、翌日疎開中の家族に助け出されて、こうして生き残ることができました。しかし、現在でも体じゅうがケロイドに覆われ、また放射線の影響と思われる内臓の病気と種々の病気をしやすい体質を抱えて、現行特別措置法による健康管理手当をいただいており、文字どおり自己の健康管理に努め、現在、何とか皆様と同じ生活をしております。  ここに、被爆者立場から新法案についての意見を述べさせていただきます。  国家補償に基づく被爆者援護成立に対する強い要望は、私どもにとって四十年来のものでありました。今回やっと成立の運びとなったことにつきましては、皆様方の御努力に対して心から敬意を払うものであります。  しかしながら、新法案を読ませていただきまして、これまで私たちが叫んでまいりましたものとはいささか違うものを感じました。  まず、「第一 前文」の法律制定の目的の項の中に「国家補償」の四文字が見当たらないことであります。被爆直後、真っ黒に焼けただれた人々が、防空ごうの近くで、既に事切れている赤ん坊を胸に抱き締めて、弱々しく水を求めながら、恨みをのんで死んでいった光景が今もなお脳裏に残っていますが、どうして国はこれらの人たちに謝罪の気持ちを込めて国家補償の措置をとってもらえないのか、理解に苦しむところであります。  次に、「四 手当等の支給」の中の「8 特別葬祭給付金」の項について申し述べます。  このことは年来の要求の一つでありましたが、昭和四十四年三月三十一日以前にさかのぼって支給の運びとなったことについては、関係者の御努力に対して感謝申し上げたいものであります。しかし、支給を受ける人が「被爆者であって、」としてあり、非被爆者との間に差別を設けてあることに著しい不自然さを感じるところであります。私の近くで作業をしていた、佐賀、鹿児島、奄美大島などから動員されてきていた人たち被爆死に対して故郷の身内はどんなに残念であったかと、想像に余りあるものがあります。被爆死した身内を持った家族にとっては、無念の気持ちは皆同じであります。この差別支給は絶対にやめていただきたいところであります。また、これが弔慰金でないことも私どもの主張とは異なっており、またそれに、言わせていただくなら、金額が十万円という点については、その趣旨から考えても少し少な過ぎるのではないでしょうか。  しかし、これまでなかった福祉事業に関する項や調査研究の項や平和を祈念するための事業の項など新しく設けられ、これらについては今後の運用を見たいところでありますけれども被爆のことについてより深く考えておられるということに感謝気持ちを持つものであります。また、手当の支給に関してこれまであった所得制限の撤廃については、一歩前進を認めたいところです。  しかし、総じて今回の新法案については、私ども被爆者に対して、国家補償ではなく、やはり社会保障であることを認めざるを得ません。  さらに、当地長崎における問題ではありますが、被爆地是正の問題についてお願い申し上げます。  被爆による被害地域は、常識的に円形であるべきであり、現行のように長円であるということは不自然であります。しかも、当日の風向きを考慮しない現行の地域はナンセンスというべきではないでしょうか。一刻も早く解決していただくことをお願い申し上げます。  また、二・三世問題についても、人権問題など難しい問題を抱えているとはいうものの、現実にこの二・三世の健康問題に対して深刻な悩みを持っておられる人々がいることを数多く耳にいたしております。早急にこの問題を取り上げていただいて、速やかに解決していただきますようお願い申し上げます。  最後に、この法案に対して野党改革より対案が出され、これも読ませていただきましたけれども、もちろん、違った内容が数カ所見ることができます。しかし、これに対して私どもが恐れるのは、そのために国会の中で議論が伯仲して、被爆者不在の審議になりはしないかということであります。ぜひ被爆者の要望を十二分に生かされる方向で審議をしていただき、被爆者が満足のできる法律をつくっていただきたいのであります。  このことが核兵器の究極的廃絶の決意につながり、被爆者援護対策が確実に実を上げることになることを信じております。そして、死没者のとうとい犠牲を銘記するために、遺族への平等な補償を再度お願いして、私の意見陳述を終わります。(拍手)
  183. 網岡雄

    網岡座長 ありがとうございました。  次に、山田拓民君にお願いいたします。
  184. 山田拓民

    山田拓民君 日本被団協の代表理事の一人でありまして、現地長崎で被災協の事務局長をしております山田と申します。  私は、十四歳のとき、中学二年生のときに被爆しております。私は、その時刻に爆心地から三・三キロも離れております当時の長崎中学校の校舎の中にいたものですから、かすり傷一つ負っておりませんけれども、住まいは爆心地から九百メートルほどのところにありました。家屋は完全に倒壊し、そのとき家にいた母と姉、二人の弟たちはその下敷きとなりました。幸いほとんど無傷で脱出し、その夕方には私を含めての無事を喜び合いました。  しかし、三日目の十二日には赤ん坊だった末の弟が死に、その翌日、病弱だった姉は冷たくなりました。炎天下に遺体を放置することもできず、母と二人で焼け残った材木を集めて、二人をだびに付したのでした。当時母は三十六歳でした。夫が行方不明のままで二人の子供を亡くし、その遺体に火をつけた若い母親の心中を思うとき、私は今でも胸が痛みます。そして、その母も、やがて次第に衰弱し、それから十日も生きていませんでした。一人残った弟も、母が死んだ翌日息を引き取りました。  父は教師をしていましたが、生徒たちを引率して、今の長崎大学の場所にあった三菱の兵器工場へ行っていて、そこで被爆しました。そして、顔や胸や両手に大やけど、背中には裂傷と、瀕死の重症を負いました。父はその後、どうやら命を取りとめ、ケロイドを残しながら職場にも復帰しました。しかし、わずか十六年しか生きることができませんでした。がんのために他界したのです。思えば余りにもむご過ぎる被害でした。  この世のこととは思えない悲惨さゆえに、被爆者被爆地のありさまを地獄という言葉で表現したのも無理はないと思います。それは、我慢しろと言われても我慢できるようなものではありませんでした。戦争中のことだから仕方がないでは済まされない被害だったのです。それも、私たちに落ち度があったというのならともかく、私たちが地獄にたたき込まれたのは国が始めた戦争の結果だったというわけですから、私たちが国にその被害の償いを求めたのも極めて当然のことだと言わなければなりません。  私たち長崎被爆者は、一九五六年、昭和三十一年に長崎原爆被災者協議会を結成しましたが、その結成の呼びかけのチラシにはこう書いています。「私達長崎市民は戦後十一年にもなるのに障害者は完全治療も出来ず、国家補償も得られずに苦しんでおります。このような私達はここに団結して国家の補償が実現出来るようにする為に被災者の会を結成したいと思います……」これが、私たち長崎原爆被災者協議会結成を呼びかけるチラシの中身です。  原爆は、通常の戦闘行為では想像もできないような被害、人間を人間でなくしてしまうような残虐な被害国民に与えたのでした。それは、私たちの我慢の限度をはるかに超えるものだったのです。戦争を始めた以上、国は、国民がこうむるある程度の被害は想定していたと思います。国が戦時災害保護法を制定したのも、そうした通常の被害を考えてのことだったと思います。しかし、原爆被害は、その想定された被害を大きく上回るものでした。戦時災害保護法がほとんど機能できないような状況が被爆地にはあらわれたのでした。しかも、その戦時災害保護法の適用はわずか二カ月で打ち切られ、被爆者は文字どおり完全に放置されたのでした。  今回の政府案も、また改革の皆さん方の案も、その理念の基礎に置いていらっしゃると思われる、厚生大臣の私的諮問機関でありました原爆被爆者対策基本問題懇談会、私たちは、略してこれを基本懇と呼んでいますけれども、その基本懇が昭和五十五年に発表しました意見も、原爆被害について、原爆は「人間の想像を絶した地獄を現出した。」と述べています。「地獄」とは、人間が耐え得る限度を超えた状況を指す言葉ではないでしょうか。被爆地の状況はまさに地獄だったのです。  その基本懇の意見最大の欠陥は、その地獄としか言いあらわせない状況をも戦争一般の犠牲と同列に置いて、被爆者に受忍を求めたところにありました。人間として耐えられないような状況を受忍しろ、つまり我慢しろというのは、本来不可能なことを強要することにほかなりません。国は主権者である国民にそのような残酷なことを強いるのでしょうか。被爆から五十年目を迎えようという今こそ、国は国民をこのようにむごい目に遭わせた責任を自覚し、原爆被害を償うべきなのです。そのことはまた、再び被爆者をつくらない国の決意を国の内外に明らかにすることにもなるでしょう。  私たちが国に原爆被害補償を求めるのは、こういう趣旨に基づくものなのです。法案提出された先生方が、もう一度原爆被害の実態を見据えられて、原爆被害を国として償う立場に立った被爆者援護法にしていただくよう強く要望してやみません。  では、国として何をどう償えばいいのでしょうか。  その一つは、死者とその遺族への償いです。どのような場合にも死者は最大犠牲者です。死者への償いは不可欠です。  原爆死、原爆で亡くなっていったあの死を過剰殺りく、つまりオーバーキルというふうに英語では言われておりますけれども、行き過ぎた死といいますか、過剰な殺りくと呼んだ方がいらっしゃいます。一人の人を何回も殺せる量の爆風と熱線と放射線が襲いかかり、人が殺されたその残酷さをこう呼んでいるわけなんです。刺し殺された上に切り刻まれ、その上に油をかけられて焼かれ、さらに路上にほうり出されて、肉は犬に食いちぎられ、腐敗し、ウジにさいなまれる、原爆による死というのは、言ってみればこういう死だったのです。あるいはまた、一寸刻み、五分刻みに切り刻まれ、長年の間なぶりものにされながら、やがては生命を奪われるという凄惨な死、これが原爆死なのです。肉親をそのような殺され方をした遺族に、死んでしまえばどのような死も同じだなどと言えるでしょうか。国民がそのようなむごい死を体験したのなら、しかもそれが国の行為としての戦争のせいだとするならば、国は遺族に謝罪し、弔意をあらわすための措置をするのが当然ではないでしょうか。  私たちは遺族への弔慰金と遺族年金の支給を求めています。弔慰金は死者への償いです。そして、遺族年金は、遺族が生きている限りいやされることのない悲しみ、苦しみへの償いなのです。  政府案は、遺族のうち被爆者に限って特別葬祭給付金を支給するとしていますが、とんでもないことだと思います。原爆死没者遺族は、自分自身が被爆者であろうとなかろうと同じ思いをしているのです。  改革の皆さん方の案も、すべての死没者遺族を対象としている点では国家補償的配慮のあらわれかと思われますけれども政府案同様に葬祭料の遡及支給であり、国としての償いとはほど遠いのではないでしょうか。  葬祭料の遡及支給というようなこそくな手段ではなく、原爆死の実態に目を向け、すべての死没者遺族に弔慰金と遺族年金の支給を、それが無理なら、せめて相当額の特別給付金の支給を実現していただきたいと強く要望する次第です。  次に、生存被爆者への償いです。  私たちはこれまで、被爆したために生きている限り背負わなければならないさまざまな苦しみ、悲しみ、不安、社会生活上の困難などへの償いとして、すべての被爆者への被爆者年金の支給をと訴えてきました。政府案は全くこれにこたえていません。また、改革の皆さん方の案も、「被爆者年金」とはなっているものの、現在健康上の障害を対象に支給されている諸手当を横滑りさせたものにとどまっており、真の意味での被爆者年金とは申せません。  さきに紹介した基本懇の意見は、被爆者が抱える苦しみの特異性として、放射線による晩発障害だけを取り上げました。被爆者苦しみは、本当に晩発放射線障害だけなのでしょうか。そんなことはありません。今から十一年前に、私たちは被爆者の要求調査に取り組みました。長崎で集まった千三百余の調査票をめくっていて、被爆して悲しかったこと、苦しかったこと、困っていることは何ですかという質問に、たどたどしい鉛筆の文字で一言、「被爆したこと」と書かれているのに出会ったときの衝撃を私は忘れることはできません。被爆者苦しみは、まさに被爆者であることそれ自体なのです。単に、晩発放射線障害だけではないんです。この点に着目して、すべての被爆者被爆者年金を、障害のある人には加算して支給される制度を確立されるよう、これも強く要望しておきます。  政府案も改革の方々の案も、ともに死没者の問題にかかわった制度を創設しようとされていること、諸手当の所得制限を撤廃されていることには敬意を表します。それだけに、二つの案ともに国家補償立場に立たれていないことを残念に思います。二つの案は、それぞれに矛盾や問題点を抱えています。しかし、これらの矛盾や問題点は、国家補償立場に立ちさえすればいずれもすっきり解決できるものなのです。その一つの見本は、参議院で二度の可決を見た被爆者援護法案です。  私は、いよいよ被爆五十周年を目前に控え、再び被爆者をつくらない国の決意のあかしとなるような立派な被爆者援護法、五十年という歳月は余りにも長過ぎましたが、それでも私たち被爆者が生きていてよかったと喜び合えるような被爆者援護法が制定され、さらに外国に住んでいる方々にも全面的に適用できるよう措置されることを心から願って、発言を終わりたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  185. 網岡雄

    網岡座長 ありがとうございました。  以上で意見陳述者からの意見の開陳は終わりました。     —————————————
  186. 網岡雄

    網岡座長 これより委員からの質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。住博司君。
  187. 住博司

    ○住委員 きょうは、この被爆長崎におきまして公聴会がこうして開かれました。公述人の方々にそれぞれ貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。心から御礼を申し上げます。  長崎広島原子爆弾投下という人類史上未曾有の大惨禍をこうむってから早くも四十九年、来年は節目の五十年を迎えようとしております。今ほどお話にもありましたように、広島長崎原子爆弾は、一瞬にして三十万人とも言われるとうとい命を奪い、そして熱線と爆風、さらに放射線、さまざまな要素が絡みまして、辛うじて一命を取りとめた人たちも、想像を絶する、いわゆる生き地獄というものを体験なさって、生涯消えることのない傷跡、原爆後遺症に苦しみながら生活を送ってこられた。そのことは、本当に私どもこれからずっと心に刻んでいかなければいけないことだと思っております。  私自身も、原爆投下はまさに非人道的な行為であり、世界のいかなる地域においても、またどのような理由があっても、今後二度とあってはならない、こう考えておりますし、これから核兵器の完全廃絶に向けても、我々自身が努力をしていかなければいけないと思っております。  そういったことで、今まで原爆二法による生存被爆者方々に対する保健、医療、福祉、そういったものの対策というものが講じられてまいりましたけれども、今回の政府案、まさにこの五十年を迎えるに当たって、そういう恒久の平和を念願するということと、そして、生存被爆者に対する対策並びに国として、原爆死没者のとうとい犠牲を銘記しようという意味で制定をされよう、こういうふうに思っております。私自身も、今度与党三党間の合意をまとめるに当たって、過去のことも含めていろいろと議論をいたしました。相当意見の分かれる部分がございましたけれども、しかし、現在被爆者の高齢化が進んでいるということ、そしてまた、被爆者援護対策の推進が喫緊の課題であるということを考えれば、何としても今法律を制定することが大事である、こういう目的のもとに今回法案をまとめていったというふうに考えております。  今回のことを考えれば、例えば前文というものがありまして、被爆者対策を行うその主体として国の責任を明確化しているということがあろうと思います。そのことについて、この前文についての御評価を、よろしければ率直に公述人の方からお伺いをしたいと思います。  まず長瀧先生に、お読みになられたと思いますけれども、その前文についての御評価をお聞かせいただきたいと思います。
  188. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 評価するというのはなかなか難しいのでございますけれども、私も素直に読みまして、十分に前進したといいますか、今までいろいろと議論されていたことのかなりの部分がこれでクリアになったという感じはいたします。
  189. 住博司

    ○住委員 久米先生、お願いいたします。
  190. 久米潮

    久米潮君 私の方では、先ほど申し上げましたように、国の責任について言及をされておる、これについてはそれなりに評価しはするけれども、あと私の意見の中で申し上げておる点は、少し対応として足りない点がある。その点は何かというと、やはり国家補償という立場に立ったものとして考えてみた場合に、前文で掲げられておるような、国の責任において対応することと意味合いが違ってくるのではないか、こういう意味で申し上げておりますし、先ほどどなたかおっしゃいましたように、なかなか苦心されてつくったなという感じは確かに受けます。
  191. 住博司

    ○住委員 ありがとうございました。  深堀さん、前文についての御意見があればお聞かせ願いたいと思います。
  192. 深堀勝一

    深堀勝一君 前の法律においては私はある一定の価値を覚えておるんです。今なお置かれている被爆者の特別な状態にかんがみて、こう書いてあったんですよね。それから見たら、ほとんど前進も何もしていないと思うんです、この文章を見れば。だから、前の文章とちょっとニュアンスの違いぐらいしかなかとじゃないか。「国の責任において、」という、それが一つ入っておるだけで、あとの文章はほとんど変わりないと思います。
  193. 住博司

    ○住委員 はい、わかりました。  築城先生、いかがですか。
  194. 築城昭平

    築城昭平君 結局、「核兵器の究極的廃絶」とか「恒久の平和」とか、非常に理想を掲げてあるところはまさにそのとおりだと思いますし、また今、住先生も高齢化が進んでいる援護対策の緊急性のことを言われましたけれども、ここに高齢化の進んでいる問題を取り上げてあるということについては一定評価をしたいと思うんです。  ただ、「国の責任において、」という部分が、やはり国家補償という意味と国の責任というのは多少違いがあると思います。例えば、これは先ほど私、意見で申しましたように、社会保障的においのある法案思いますけれども、これを国の責任において実施するんだ、確実に実施するんだという言い方も可能であるわけなんで、やはり国家補償ということで要求したい、そういうふうに思っております。
  195. 住博司

    ○住委員 山田先生、お願いします。
  196. 山田拓民

    山田拓民君 やはり第一番に、「国の責任において、」という言葉が非常にあいまいであり、その点残念に思っています。  なぜあいまいかと申しますと、これは、私も日本被団協の役員の一人をしておりますので、いろいろ自民党のかなりの立場にいらっしゃる方にもお会いしましたし、社会党のそういう方ともお話ししたことがあるわけなんです。そうしますと、中身が随分違うんです。例えば、社会党の方とお話ししたときには、これは国の戦争責任を踏まえた意味であって、「国家補償的配慮」なんて言葉よりはもっと積極的な意味を持っているんだ、こうおっしゃられました。それからまた、自民党の方とお話し合いしたときには、これは国の戦争責任とは無関係だ、ただ事業主体としての責任を明確にしただけのことなんだというふうにおっしゃられたわけなんです。  そういうふうに、与党の中でも意見が違うのがそのままの形で出てきているということは、今後の運用上困ったことになるんじゃないか。しかも、先ほど申し上げましたように、中身につきまして国家補償的な立場というのが非常に欠落しているということになってきますと、これは決して積極的な意味じゃないのじゃないかというふうに受け取らざるを得ない。  そういうふうなことから、やはり、また被爆の状況をもう一度目を通していただきまして、国家補償立場に立つということを明記していただきたい、そういうふうに思っております。そういう意味では非常に不十分だ。  それからもう一つの点。これは、先ほど私の前の発言者は、核兵器の究極的廃絶を評価されましたけれども、私は究極というのは余りにも先の方に行ってしまっているんじゃないか。やはり何としても、一日も早い核兵器の廃絶ということこそが今大きな課題ではないか、そういうふうに思っております。  以上です。
  197. 住博司

    ○住委員 大変厳しい御意見もいただきました。確かに、「国の責任」というのは、私自身はやはり主体としてきちんと国が対策を講ずるんだという意味で使っているというふうに考えております。そういう意味で、実を言うと、私ども法案の策定作業等々をやっていくときに、国家補償という言葉、それだけが非常に注目をされてしまって、本来すべき対策事業がその言葉の取り扱いによっておくれることがあってはならないというふうに考えたことも事実でございます。  そして、先ほど長瀧先生から、例えば放射線による人体への影響の調査については、長崎大学が極めて先進的で、しかも鋭意取り組んでこられたというふうにおっしゃっておられましたけれども、そういったことも踏まえて、調査研究というものについて一つ項目をつくって、調査研究を促進するんだ、こう書いてあるわけです。これについての御意見調査研究、どの部分を、今までとは違った形で何をしなければならないのか、そのことをぜひ御意見としてお聞かせをいただきたいと思います。
  198. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 一般的に非常にたくさんの人を対象にしました身体検査というようなことではなかなか見つからない病気が、たくさんございます。例えば、普通の方がドックへ入って身体検査をするとしましても、本当にいろいろなところを調べようとすると一週間ぐらい入院して調べるわけですね。それぐらいいろいろな調査法、検査法、病気もありますので、普通の身体検査的なところで見つかる病気の範囲というのは当然限られてまいります。したがって、被爆の健康に対する調査というときには、やはり前もって十分な学問的な裏づけがあるプロジェクトを十分にディスカスして、そしてそのプロジェクトに関して十分な保証といいますか、医学的に十分な方法で調査をするということがなければ、単に一般的な身体検査を続けても新しい調査結果というものはなかなか出ないような感じがいたします。
  199. 住博司

    ○住委員 そうしますと、例えば今の状態ではなかなかそういう幅広いというのでしょうか、もっと奥深い研究というのはできないというふうに今先生はお考えになっておられますか。
  200. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 ですから、先ほど申しました甲状腺の病気というのはもう非常にありふれた病気ですけれども、例えば、たくさんの人をいろいろなお医者さんが診たとします。そうすると、そのお医者さんの専門に対する関心の程度によって随分診断も違うんですね。ですから、例えばある疾患を本当に病気としてあるかどうかというときには、そのプロジェクトをきちっと決めて、同じ手法で、限られた、あるいは正確な結果が出る数を決めて、疫学的にもこれは正しい、そういう議論が最初にあって、そして学問的に正確な結果が出るということを予測するようなプロジェクトに対して積極的に援助していただくということが今後、今まで問題にならなかった被爆の健康被害というものを見ていく上で非常に必要だという感じがいたします。
  201. 住博司

    ○住委員 先ほど先生お話の中にも、本当に二度とあってはならないことなんだけれども長崎被爆によって蓄積された健康被害についての知見というものは、これから想定されるであろういろいろな放射線被害についての、言ってみれば救護というのでしょうか、援護に役立つことができると思うものですから、その意味調査研究の充実というのは極めて重要なものだと思いますし、私どももそれに向けてやらなければならないと考えております。  もう一つ、今度の法律の中で、平和祈念事業というのが織り込まれております。このことについて、今までとは違った平和祈念事業としてどんなものが考えられるか、どんなことをすればいいのかということを、失礼ですけれども久米先生、もしお考えがあればお聞かせいただければありがたいと思います。
  202. 久米潮

    久米潮君 核禁会議としての平和祈念事業ですか。
  203. 住博司

    ○住委員 核禁会議として、盛んに平和祈念事業等、要するにカンパも含めて今までいろいろと事業をやってこられた。しかし、今度は国が法律の中に平和祈念事業というのを法定化してくるわけですから、それについての御意見があればお聞かせをいただきたいということでございます。
  204. 久米潮

    久米潮君 戦後五十年たった中での平和祈念事業長崎でも、いろいろ県、市等でもって来年度長崎市におけるところの平和祈念事業を考えておるところでございますけれども、私どもとしては、やはり被爆者が一番念願する点、それは世界の平和、戦争のない平和という問題点について非常に関心があるわけでございまして、私は、真っ先に、来年度平和祈念に関する行事について一番希望したいことは、そしてまた期待をかけておりますことは、来年度国連の軍縮会議長崎でいたしたいということで、大体これは決まっておることでございますが、政府として、この中に核兵器の使用禁止、廃絶、そういった国としての明らかな対応をぜひ、ぜひお願いをしたいな。これまでも非核三原則その他でもって国会決議などは確かにされておりますけれども、こういった戦後五十年にも及ぶちょうど節目のときに、国連の軍縮会議長崎でやられる、そのときに向けて政府として、核兵器を廃絶するという強い意思を示されるような対応をしていただきたいな、この点を今私は強く考える次第でございます。
  205. 住博司

    ○住委員 どうもありがとうございました。
  206. 網岡雄

    網岡座長 石田祝稔君。
  207. 石田祝稔

    石田(祝)委員 改革の石田祝稔でございます。座ったままで失礼をいたします。  きょうは、五人の陳述者の諸先生に貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございました。また、今日までそれぞれのお立場被爆者援護に取り組んでこられたことに対しまして、またその御労苦に対しましても心より尊敬を申し上げる次第でございます。  おかげさまで、被爆五十年の前年ということしに援護法が、国会政府案また我々の改革案両案が審議に付される、国会審議の場で今種々それぞれの案につきまして検討されております。きょうの皆様の御意見をまた大いに参考にさせていただきまして、国会審議も鋭意進めていきたい、このようにも考えております。  時間の関係もございまして、十分にお聞きをできない、また皆様から十分に御意見をいただくこともできないかもしれませんが、よろしくお願いをしたいと思います。  政府案と私たちの案と幾つか違う点がございますけれども、特にそれぞれ前文を掲げておりますが、私たちは「国家補償的配慮」ということで考えていこう、こういうことでこの法案をつくっております。この「国家補償的配慮」という言葉につきまして、私はそれぞれ五人の陳述者の皆様から忌憚のない御意見をまず最初にいただきたいと存じます。
  208. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 先ほど申し上げましたように、科学の場面ではイエスかノーとか、あるいは被害があるとかないとか、その因果関係があるないということは非常にクリアカットに言えるんですけれども、国の責任とか国家補償とかいう言葉になりますと、それぞれの立場でお考えも違うでしょうし、私の立場からいいますと、どちらがということは非常に言いにくいといいますか、思考過程がそういったことなんですけれども、そういう意味からいいますと、こういうことはやはり各地域、その時代、その国において多くの人が合意するということで物事が決まっていくのかなというような感じでございまして、それが現在の私の率直な感じでございます。
  209. 久米潮

    久米潮君 ちょっと申しわけありませんけれども、もう一度。先生質問の趣旨がちょっと理解できないので、耳が遠いものですから。
  210. 石田祝稔

    石田(祝)委員 済みません。ちょっと大きな声で申し上げます。  政府案も改革案もそれぞれ前文を設けておりまして、その中で、どうしてこの法案をつくるのか、こういうことが端的に述べられておりますけれども政府案は、「国の責任」ということを掲げて、総合的な援護対策をやっていこう、こういうことだろうと思います。それで、私たちの考えは、やはり「国家補償的配慮」に基づいて、こういうことを入れておりますので、先ほど住先生も国の責任ということについての御感想、お考えをお聞きしましたので、「国家補償的配慮」、こういう言葉についての御意見をお伺いしたいと思います。
  211. 久米潮

    久米潮君 私は、先ほども先生に対するお答えでも申し上げましたように、今度の与党案、確かに「国の責任」という文言は盛り込まれておるが、ずっと中身を見てみますと、私どもが長年望んでまいりました被爆者救済の立場国家補償立場での救済ということを念願してきた者からいたしますと、どうも、「国の責任」という点での表現はあったとしても、これが一般戦災者との関連においてその違う場所を見つけるための極めて苦心の作ではなかったかな、こういうふうに考えて、我々が言うところの国家補償とはいささか考え方が違うのではないかな、こういうのが率直な私の感想でございます。  そしてまた、野党側が、今度国会審議に当たりまして、対案の中では、国家補償的措置というふうなことで出されるということについて承っておるところでありますけれども、やはり私も思いますのは、一般戦災者とのかかわり合いについて随分頭に置いたことではないかな、こう感ぜざるを得ません。  私は、先生質問に若干私の意見としてつけ加えますと、これまでも一般戦災者との関係については、政府、自民党時代からの政府みずからが措置法等では区別をつけておるではないか、なぜ国家補償的とか国の戦争責任ということであえて今回一般戦災者との区別をつけなければならないのかということについて、もう少し思い切った考えでこの辺を整理されていただきたい、整理させていただきたい、整理していただきたい、これが今私の訴えましたところの率直な考えでございます。
  212. 深堀勝一

    深堀勝一君 「国の責任において、」とありますけれども、それは当たり前のことで、国が戦争したのであって、県がした、市がしたのではないわけで、国が戦争をしたら国が責任負うのは当たり前のことであって、国家補償をするのは、それは当然のことなんです。  大体日本の国というのは、戦後補償を非常にないがしろにしている国なんです。私たちが政治家皆さんに申し上げたいと思うのは、戦争被害者に対する処遇は日本が一番悪かったと思います。ですから、被爆者においても一緒なんです。国家の責任において戦争したんだから国家補償をするのは当たり前であるし、ですから、戦災者とか引揚者、あるいはアジアの各国に残っている戦争被害者たちにもすべきだと思うし、私はその点は非常に不満だったです。日本の政府に一番不満だった点は、戦後処理をちゃんとしなかったことが一番不満だったです。ですから、日本の国が、世界じゅうに行って信用がない国なんです。  ODAでは一兆数千億を経済援助で出しております。私は、経済援助なんかしないでいい、まず国家が補償として、戦争犠牲者になった他の国の人たちも内地の人も、日本人も同等に国家補償をして、それから後、経済援助をすべきだと思うのです。現在の日本のモラルの低下は、戦後補償をなおざりにしたことが私は最大の原因であると思います。
  213. 築城昭平

    築城昭平君 昨年の十二月からのプロジェクトチームのいろいろな成り行きを私たち見守っておったのですが、その中には表現がいろいろありまして、国家補償の精神とか国家補償立場に立ってとか、そして国家補償的配慮とか、いろいろ言葉が変わってまいりました。  それで、今回対案の中に「国家補償的配慮」という言葉が入ったということについては、先ほどもちょっと住先生おっしゃいましたけれども言葉だけで云々というわけではないわけなんです。問題は中身の、気持ちが問題なんで、法律上にどう生かしていくかということが大事なんで、言葉だけでこっちがいい、あっちがいいとかいうような結論はちょっと言いにくいわけでございますけれども国家補償という文言が入っているという意味からすればこちらをとるかなという気持ちも持っておりますけれども。  この「国家補償的配慮」というそもそもの意味が、例えば裁判の判決文にも使われたりしておりまして、前の二法の中にもこういうものがそういう配慮で行われるんだというような内容のこともありますけれども、要するに、審議の中でも、先ほども申しましたように、こちらがいいんだから、あちらがいいんだからというような形で審議していただくのじゃなくて、やはり言葉よりも、言葉とそしてその中身がどういうふうにして本当に被爆者を救っていくのか、そして恒久の平和を求めていくにはどうすればいいのかというようなことで審議していただきたいなということを考えております。  それから、座長さん、前の住先生平和祈念事業のことについてもちょっと私なりの意見を持っているのですけれども、時間の都合でこちらまで回ってこなかったからもう言わなかったのですけれども
  214. 網岡雄

    網岡座長 一分だけで。
  215. 築城昭平

    築城昭平君 私なりにこの問題について考えているのですが、特に具体的に、平和祈念事業はこうなくてはいけない、こういうこともある、こういうこともあるという具体的な案は持っているわけじゃないのですけれども、ただ、これが何か慰霊碑を建ててお祭りをするとかそういうものじゃなくて、これがやはり世界に平和を訴えていく一つの大きなものになるようなものを考えていただきたいな、そういうふうに、私に回ってきたらこうお答えしようかなと思っておったところでした。
  216. 山田拓民

    山田拓民君 前の方が発言されたように、問題は中身だと思うわけなんですね。国家補償的、「国家補償」の四文字が入っているからいいとかそういうことじゃない。端的な言い方をしますと、国家補償言葉がなくてもいい。条文の中で、私が先ほど申し上げましたように、死没者遺族に対してきちんと補償ができるようになっている、生存被爆者に対して補償がなされるということであるならば、その四文字がなくても一向に構わないと思う。ただ、中身がそういうふうなことになりますと、当然、国家補償立場に立ってとかなんとか、そういう言葉が浮かび上がってはくるでしょうけれども、そういう言葉自体で評価できる問題ではない。ですから、これはこのままであっても一向に差し支えありませんので、中身の方をもう少しそこまで、確かに配慮された痕跡は見えるわけなんですけれども、それをもう一歩国家補償に近づけていただきたい、そういう思いです。  それからもう一つは、国家補償の精神に基づいてという言葉が、実は参議院で通りました法案でも使われておりましたし、これはもう本当に、二十年来国会へ出されておりましたいわゆる野党の共同提案で使われてきた言葉だったわけなんですね。なぜそれでいけないのか。それからまた、これは軍人軍属の援護法についても使われている言葉なんで、そこにやはりそれをあえて使わなかった根拠があるのだろうけれども、私たちとしては、やはりそこのところがむしろ知りたいというような気持ちです。  以上です。
  217. 石田祝稔

    石田(祝)委員 それでは、時間の関係で最後になりますけれども、長瀧陳述者にお伺いをしたいのですが、先ほど調査研究を進めていくといろいろと今までわからなかったこともわかってくる、ですから被爆五十年たっても新しい疾患がある、こういうことで、新しい診断法を用いたということによって新しい病気もわかった、こういうふうな御発言がございましたが、そういたしますと、今後調査研究をさらにお金もかけて進めていかれると、まだやはり、こういう御病気も持っていらっしゃったのか、こういうことも出てくる可能性があるのでしょうか。
  218. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 私自身は非常にそういう可能性が多いと思っております。といいますのは、ことし、先ほど自己免疫性甲状腺疾患が初めて見つかったということを申し上げましたけれども、例えば、がん、肺がんが見つかった、そうすると当然ほかのがんもふえているのじゃないかという、がんという一つの大きな範疇の中にいろいろな病気が入ります。それで、自己免疫性疾患といいますと、やはりがんと同じようにいろいろな病気を含んだ疾患でございますので、例えば膠原病であるとかリューマチであるとか小児の糖尿病であるとかそういうたぐいの、自己免疫性疾患としての一つの範疇に入るいろいろな病気がございますので、その病気が、放射能が引き金になるということであるとしますと、それ以外の病気を全部調べれば幾つかは当然放射線との有意の相関が出てくる可能性はあると思っております。
  219. 石田祝稔

    石田(祝)委員 どうもありがとうございました。
  220. 網岡雄

    網岡座長 冬柴鐵三君。
  221. 冬柴鐵三

    冬柴委員 改革(公明党)の冬柴鐵三でございます。  きょうは、陳述人皆様方には大変貴重な、また体験に基づく、涙を禁じ得ないようなお話を伺わせていただきまして、感動するとともに、ここへ来てよかった、そういう気持ちでおります。  私も、細川政権当時の連立与党の中につくられたプロジェクトチームの一員として、今先生方から疑問を呈された、なぜ「国家補償的配慮に基づき、」というような言葉が選択されたのか、それは政府案の「国の責任において、」とどう違うのか、このような点について若干私の、協議の中の運びを御説明したいと思うのですが、先ほど築城陳述人もおっしゃいましたように、また山田陳述人もおっしゃいましたように、「国家補償の精神に基づき、」という言葉が適当ではないかという社会党の方々の御意見もありました。また、参議院でもそのようにいたしましたし、二つの法律にもそのような言葉が使われている。しかし、それに対していろいろ抵抗があったのは、これは国と雇用関係のある、特別権力関係にある軍人、そういう人たちに対する補償のために使った言葉であるので適当ではないということがいろいろありまして、この「国家補償の精神に基づき、」という言葉が今回の法案の中に盛り込めなかった一つの大きな理由でございます。  当時の連立与党、いろいろな立場の人がありまして、全部に納得してもらうためにはいろいろな意見の総合、考慮が要ったわけでございます。中には、「広い意味における国家補償の見地に立って」という言葉も出ました。ところが、これに対しては、先ほど来言われた基本懇に使われた言葉で、多少これにはアレルギーがあるという人たちの御意見もありました。  ここでこういうことを言うのはなんですが、私が、それでは最高裁判所で使った言葉国家補償的配慮に基づきという、こういうこともあるし、どうだろうという話で、手あかもついてないし、最高裁という有権判断もあり、そういう言葉が最終的に合意ができた、そういう経緯がありました。  では、それは言葉の遊びかと言われると、決してそうではありません。我々が言っていたように、政府が今までとってきた原爆被災者に対する対策は非常にきめの細かいものではありましたけれども、しかし、それは、現在被爆者が置かれている、疾病あるいは耐えることのできない、被災を受けたがゆえに孤独で、そしてまた年老いて不安にさいなまれてというそういう立場に着目した社会保障的な政策、その中に閉じ込めようとしてきたといういきさつがありました。したがいまして、我々はそうじゃなしに、なぜそういうふうに置かれた立場があるのかということをわかっていただくためには、戦争、さかのぼれば戦争という国家の行為があったではないかという、そこを離れてはこの対策というのは考えられないんじゃないか。国家の戦争遂行行為というもの、それを違法とか不当とか言うことは、評価はさておいても、そういうものが及ぼした結果というものを無視するわけにはいかない。  これをどういうふうに整理するかというと、国家補償という言葉がそこに、一つの講学上、学問上国家補償法体系というのがありますから、そういう言葉を使うべき分野だ。政府が今使われている「国の責任」というのは、社会保障を行う主体、事業主体が、国が行うんだ、地方公共団体ではないんだ、こういう位置づけで使われているわけで、私は不満だ。やはり原因にさかのぼってということをということで、いろいろなそういう議論を経由して今日ある。決して言葉の遊びではない。法律の精神として、私は、社会保障だけに徹した法律ではいけない、こういう考え方でこういうふうな結論に至ったわけでございます。  ここを言い出しますと、これはいつも同じことばかりになりますので、きょうは五人の先生のうち四人までの方が特別葬祭給付金について論及されました。私もこれは、余りにも他の一般戦災者に波及することを恐れてか、非常におかしな形になってしまったな、ぜひこれは直してほしいなという感じを持っている一つでございます。  例えば、先ほども挙げられましたけれども、この被爆地である長崎にたまたま沖縄とか奄美から学徒動員で来ていて亡くなったという方は、その御親族は被爆者ではありませんので、政府案による特別葬祭給付金というものは受けられないということになります。これは国民として耐えられるだろうか。また先生方に後で聞きたいと思います。  それからまた、たまたま学童疎開で他府県に行っていて災を免れたけれども、一家が全滅してしまったという人についても、その疎開に行っていた人は被爆者でないので健康手帳を持っていないので、今回の政府案ではこの特別葬祭給付金がいただけないということになる。この結果は認められるだろうかということを考えなければならないと思います。  もう一つは、時間的な問題ですけれども、大変、山田陳述人から涙なくして聞けないお話を伺ったんですが、もしその御親族が亡くなった時点がずっと後になりまして、四十四年四月一日だったという場合と、その前日だった、三月三十一日だったというときとで、扱いがめちゃくちゃに変わってくる、政府案では。三月三十一日であれば、被爆者手帳を山田さんもお持ちだと思いますけれども、亡くなった御親族、五人ですかについてすべて受けられることになりますが、四十四年四月一日以降であれば金額が変わってしまう。そしてまた、もし先生がたまたまこのときに県外へ出ていられて災を免れていた場合には、その結果は物すごく違ってくる。三月三十一日では一銭ももらえない、しかし四月一日になれば、当時は一万円ですけれども、五万円を受け取る、そういう差が出てくる。  こういうことを政府案は結論するわけですけれども、こういうものについて、ひとつ、長瀧先生は違うと思うんですけれども久米先生以下四人の方々に、今私が指摘した三つの案件についてそういう矛盾と申しますかをはらんだ政府案特別葬祭給付金というものについて、どのようにお考えになるか、御意見を伺いたいと思います。  久米先生からお願いしたいと思います。
  222. 久米潮

    久米潮君 先生に私の方から趣旨について、私の理解した点でこれで間違いないか、もう一回、質問はいけないということでございますので、確認していただければなと。ちょっと耳が遠いものでございますから、そういう意味で申し上げるわけですが。  簡単に申し上げまして、先生のおっしゃる点は、現在の野党として、国家補償的配慮に基づいた文言を掲げながら提案をしていることについて若干の考え方を述べられ、私どもにその点どういうふうに考えるかという点をお尋ねになったと私は思っておるんですが、それでようございますね。
  223. 冬柴鐵三

    冬柴委員 特別給付金について。
  224. 久米潮

    久米潮君 そういうことでようございますかね。
  225. 冬柴鐵三

    冬柴委員 まあ、どうぞ。
  226. 久米潮

    久米潮君 申しわけございません。質問はできないということでございますが、間違えてお答えしてもならないというふうに思いますので、今若干申し上げたわけでございます。  率直に申し上げまして、私の気持ちといたしましては、よりよいものを国会審議をし、玉成していただきたい、こういうふうにお願いをいたしております観点からいたしますと、やはり与党、野党、それぞれが審議を尽くすという意味で、両案を出されまして、御審議いただきたいな。  その中で、私の感想はと申し上げますと、ぜひ与党の先生方も野党側の言っておる分についても前向きに受けとめて、できれば、新・新党と申しますか、今度の新しい政党、新進党で出されたような線でもってまとまれればベターではないかな、こういうふうに思っております。これが一〇〇%というわけにはまいらないにしても、すべてベストではなくてもベターを求めていくという方向からするならば、私はそういうふうにしていただきたい。これはあくまでも私の希望であって、やはり与党は与党側の考え方を主張されるでしょうから、私の気持ちとしては、ベターな線をというのは、まあ新・新党が出されるであろう対案ではなかろうかな、率直にそう思ってはおります。
  227. 深堀勝一

    深堀勝一君 私は、特別葬祭給付金というものは、冒頭にも触れたように、非常に急いでつくった関係で、非常に無理があると思うんですよ。といいますのは、即死者だけがもらえるような状況になりはせぬか。そうして、調べてみれば、昭和四十四年の四月一日は葬祭料制度をつくって、特別被爆者だけ一万ですよと。特別被爆者は大体全体の二割ぐらいしかおらない。それで、そのほかの被爆者はもらえなかったんです。それが、昭和四十七年ぐらいになって、そういうことが一万六千円になったりなんかして、その経緯が複雑に入り組んでいるんですね。だから、もう制度をつくられても、これは、厚生省の課長さんも見えておりますけれども、非常に施行令をするときに難しいものができるし、また申請する側も大変なものだと思います。  だから、私たちは、いつもそういうことでなく、そういう矛盾を解消するためにはもう全員にやってくださいと言わざるを得ないんです。だから、それを、遺族を分断したこと自体が不合理だと思うし、余りにも政党の駆け引きが優先して、本質を忘れていると私は思うんです。そういう意味においては、全体にやってください。そうしなければ、もうあっちにもこっちにもバランスが崩れて、私たちは団体を抱えておりますけれども、かえって遺族が分断されて、非常に迷惑なんですよ。つくられた側は自分たちでよかよかと思ってつくっているが、こっちは大迷惑しておりますよ。同じテーブルに並んでおって、ある人はもらえ、ある人はもらわぬというたら、そういうことで、私は政党の駆け引きが優先したものだと思って、それはもっと、そういう政争の具ではなくて、本気になって被爆者を助けてやろう、戦争犠牲者を援護してやろうという気持ちですれば、おのずからそういう問題は解決できると思うんです。そういう点で、余りに国会議員の政争の具にしないで、もう本当にそういう意味で、被爆者援護するとか、そういうやり方でしていただきたいと思います。
  228. 網岡雄

    網岡座長 恐縮ですが、できるだけ簡潔にひとつお願いをいたします。
  229. 築城昭平

    築城昭平君 実は、対案の中にあります「昭和四十四年四月一日から昭和四十九年九月三十日まで」云々というこの項は、最初に読んだときに、政府案になくてここの対案の中にあるということで、よく意味がわからなかったんです、最初は。今の御質問でよくわかりました。  それで、今急に考えて、ただ私の気持ちだけを述べるということになりますけれども、まあ技術的にいろいろあるでしょうけれども、差別のないような形でこれをまとめてもらいたいなという気持ちを持っております。しかし、それよりも、やはり、前の方がずっと申されましたように、この給付金の問題については平等にやってもらいたい、差別をしないでほしい、そのことをもう本当に強く、強く訴えたいと思います。
  230. 山田拓民

    山田拓民君 先生御指摘のような問題点、そのとおりだと思うんです。  私たちもいろいろ地方で説明をするんですけれども、今度は私たちの方がかえって、何でそんなことになったんだと言われて、そんなこと知るかと言わざるを得ないんですけれども、そういう立場にさえも立たされてしまう、非常にこの点については被爆者の怒りの的になっている、そういう実態を申し上げておきたいと思います。
  231. 冬柴鐵三

    冬柴委員 どうもありがとうございました。
  232. 網岡雄

    網岡座長 三原朝彦君。
  233. 三原朝彦

    三原委員 もう私で今四人目ですね。重複することを極力避けて質問させていただきたいと思います。  皆さん方本当に長年御苦労いただいておること、そしてまた体験に基づいたお話を聞かしていただいて、本当に何とその感じを表現していいのかわからないような気持ちもあるわけであります。国会の場では、これまで、先に質問された方々が言われたようなことがいろいろ議論になる、補償の問題と責任の問題、今冬柴先生が提起された特別葬祭給付金の差異、政府案と改革案の差異の問題等々が常に議論の対象になるわけですけれども、私の場合は、皆さん方陳述をされた意見に基づいて少し勉強もさせてもらいたいと思うわけです。  長瀧先生、目に見えるとかいろいろ検査してわかるような場面の原爆被害による患者さんの点は、今先生から御説明があったように腫瘍、がん、そういう点により起こりやすいような問題など、白血病の問題も含めてありましたが、目に見えないというか精神的ダメージから生ずるようなそういう問題点というのはあるんでしょうか。  私が思うのは、先生たちのような専門家がいらっしゃる長崎とか広島にお住まいの方ではそういうことがより明確にわかるかもわからないのですけれども、それが日本国じゅうに、被爆された後散っていかれたようなことで、そういう面での問題点みたいなことがありましたら少しお教えいただきたいと思うのです。
  234. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 御指摘のように、精神的な障害というのは、一般に災害についてディザスターサイコロジーという分野がございまして、現実に放射能に関しましても、今チェルノブイリの事故につきまして身体的な調査と一緒に精神的な調査をWHOが一つの柱に取り上げたとか、あるいは現在我々としても精神科の先生と一緒に県の調査もしているし、被害の状況を調べているという状況でございます。  ただ、これは身体的なものと一番大きく違いますのは、社会の状況といいますかによって非常に大きく影響される。例えば、非常に景気がよくて十分に補償もされているという地域の場合の精神的な障害と、非常に不満に思って暮らしておられる、少なくともコンペンセーションということに関してですね、そういうことで非常に大きく左右されますので、必ずしも被害と精神的な症状と一対一に対応できない。どうしてもそこで第三者的な社会の状況ということが関与してまいりますので、必ずしも単純にはまいりません。  私が伺ったところによりますと、被爆者の方についてのそういう精神的な状態も時代によって非常に変化しているみたいでございますね。ある種の病気が、無力症といいますか、何もしたくないというふうな患者さんが非常にたくさんいた時代がございましたけれども、また社会の景気その他の状況によってそのパーセントが非常に違ってくるということもございます。ただ、全体として非常に大きな問題でありますし、系統的なアプローチが必要であるということは間違いないと思います。
  235. 三原朝彦

    三原委員 調査研究の点でも、我々のこの法案の中でも書き込んでおりますけれども、それに対して、将来にわたって、これまでの原爆被災者の方々に対する我々の対応ということはもちろん忘れてはならないことですが、これから先の問題として、チェルノブイリがあったり、これは被害がなかったスリーマイル島の問題があったり、そういうことが、科学を利用する我々の地球上において将来新たな問題点として大いに強調しなければいけない場面だと思うのです。そういう面では被害を受けられた方々から学ばしてもらうというのですか、そういう面で私は、長崎広島がそういう調査研究、そしてまた科学的な対応策の中心になるようなことをこいねがわずにはいられないということで、我々もこれから大いに、我々ができることといえば予算の面で頑張るということなんでしょうか、しなきゃいけないということを今切々と感じたような次第であります。  それと、二番目に久米先生にお尋ねしたいんですが、問題点を挙げられましたが、その三つ目のところで被爆の地域を問題になさいました。他の方でも言及された方がいらっしゃいましたが、三つの問題と言われたその中の一つに強くおっしゃいました。その点で、私は大体中心から円を描けばと思ったのですが、長崎の地形からすると山に囲まれてというようないろいろな状況があって、長崎では地域的な面でちょっと変化があったのかもしれませんが、何か三つの地域を述べられて、それは不合理な面だということをおっしゃったんですが、その地域で、明らかに他の被爆地域として認められている地域と同じような病状、症状の方がもうたくさんいらっしゃるということなんですかね。それはどうなんでしょう。
  236. 久米潮

    久米潮君 今お尋ねになった点でございますが、私、被爆者の救援団体の議長という立場ではおりますけれども、実は私、被爆者ではないわけです。したがいまして、被爆地域の見直し問題等についてそう詳しく承知する者ではありませんが、そういう被爆者方々お話を聞きながら、私はああなるほどなということでもって今の意見の中につけ加えさせていただいたというのが、まず私の正直なところでございます。  そこで、この地域の見直しについては、最初決められたところと、それから次々に改正をされていっておるわけですね。そして三回、初めと二回ほどの改正でもって盛られたところの見直し地区で、その残りが、そことの関連においてまたこれは不合理を生じてきておるというふうに私は承知するわけです。そういう意味で、不均衡というのはやはり是正をしなければならないなという、単なるそういう考え方でございます。  なお、先生には被爆者の方もいらっしゃいますし、築城さんもそういう点を強調されておりますので、専門的に御調査なさっておる築城さんの方からでもお答えいただければ幸いだ、こういうふうに思います。
  237. 三原朝彦

    三原委員 じゃ築城さん、ちょっとその点に関してお願いします。
  238. 築城昭平

    築城昭平君 特に専門的に調査しているわけではないんです。ただ私が主張しているのは、とにかく被爆地域を決めるんだったら同心円で決めるべき問題だということを主張したいわけなんです。  被爆による病気が、特別に、これは原爆病と口では言いますけれども原爆病というんじゃなくて、がんだとかなんだとか、普通の原爆を受けてない人も起こる病気が起こるものですから、その地域の人ががんになったとしても、だからこれは原爆病だと言えないと思いますけれども、とにかくその地域の人はその点については物すごく悩んでおられるんです。だから調査結果じゃないんです。私の耳にしたいろいろなことで言うんですが、その地域の人の話によると、自分たちも同じ病気をしているのにちっともその恩恵を受けられない、非常に悩んでおる。  二年ぐらい前に、長崎市でプルトニウムの調査をやったんです。その結果が余りはかばかしくなかったんですけれども、私は、あの結果から結論を出して果たしてそれで結論になるのかどうかと思うのですが、問題は、そういう人々の病気の種類を調べたりなんか、そういうことによってやはり判断をなすべきじゃないかなと思っているんです。  ただ、一番最初に申しましたように、その地域の人々も私どもと似たような病気があるということを私は耳にはしておりますし、総合的に見まして、これを細長く指定地域をとるということはやはり不合理だなということを感じて先ほど申し上げたわけです。
  239. 三原朝彦

    三原委員 深堀さん、特別葬祭給付金の話とか地域の話をされました。それともう一つされたものの中に、被爆二世の今後の問題のようなことを言われましたが、その点もうちょっと。これから先の法改正の中で、地域の是正、被爆二世、被爆ホームの話をされましたが、アイデアがおありになるか、どういう考えをお持ちになっているのか、その点をもうちょっと教えていただけませんか。
  240. 深堀勝一

    深堀勝一君 私のところで二世の調査をしたわけですよ。サンプルを千二百とった中で千四十三を生かしたのです。私は農林統計出身だから農林統計のOBの専門家を連れてきてさせたわけです。厚生省にも前の課長さんあたりに持っていきましたけれども、階層別調査をしなければいかぬと思うのです。原爆といえども被曝線量は全然違うわけですよ。爆心地におった人と距離で全然違うわけです。距離別にまず出す。それから年齢別に出さなければいけないのです。被曝線量は三歳で受けた人と三十歳で受けた人では全然違うわけですよ。その被射体が影響するところが違うわけです。  それで距離別、年齢別、それから年代別、例えば原爆後すぐに妊娠した人は流産をたくさんしたのです。それはなぜかというと、体の中に放射線の障害が残っているから。しかし、そういう人でも五年たち、十年たてば立派な子供を産むんです。そういう形で距離別、年齢別、年代別、性別。性別でも違うのです。女の方がひどいんですよ。私たちが中学生で、女学生の会員を見ると、女学生の人はもうたくさん死んでいるのです。男の三倍ぐらい死んでいます。また死んだ、また死んだ、がんで死んでいった、女性の方がひどいんです。そういう性別でも違う。距離でも違う、年齢、年代でも違うんです。  そういう形で、私たちは階層別調査をしたわけです。そして一番悪かったのが、近距離被爆者の中で三年以内に生まれた子供が一番ひどいんです。七七%疾病があったわけです。普通は一一%か一二%の疾病率が七七%あったわけですよ。だから、やはりこれからはそういう人たちも、近距離被爆者とか若年時被爆者とかありますけれども、まず手始めとするなら近距離被爆者の子供にとか若年時被爆者の子供に、まず二世に対する援護対策をして、その後にほかの被爆者に広げた方がいいと思うのです。もう被爆二世の段階ですよ。被爆者対策はもう被爆二世の段階に来ております。被爆五十周年にもなっているんですから、もう私たちはどんどん死んでおるわけですから、これからは被爆二世の対策をなすべきであり、それから、やはり二世のために国際放射線学会あたりをしっかり利用して、世界に放射線被害の実態を知らせていただきたいと思います。
  241. 三原朝彦

    三原委員 もう時間が来たものですから、最後の山田さんには質問できなくなりましたけれども、いろいろ教えていただきまして、ありがとうございました。
  242. 網岡雄

    網岡座長 岩佐恵美君。
  243. 岩佐恵美

    岩佐委員 本日は、意見陳述者皆様にお忙しいところ、ありがとうございました。  まず最初に、長瀧先生にちょっとお伺いをさせていただきたいのですが、先ほど、黒い雨地域に着目をされて調査研究された、これは非常に興味深く伺ったのですけれども、どういう動機でこういう調査をされることになったのか、その点を伺いたいと思います。  それから、比較的低い被曝線量の被害ということがわかったということですけれども、今までは割と被曝線量が高い方々との相関関係、因果関係ということが言われてきましたけれども、それとの関係がどういうことなのかということを伺いたいと思います。
  244. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 まず最初の御質問で、どうして始めたかといいますと、これは、被爆弾の実験であるとか原子炉の事故のときに放射線降下物がどこでも出てまいりまして、ちょうど四十何年間ずっと世界じゅうの動物の甲状腺の放射性物質をはかっている先生がいらっしゃいまして、それを見ますと、もうどこの国で核テストをやったかとか事故が起こったかというのが一目でわかるぐらい世界じゅうに灰が降っている。  そうしますと、大量の灰を浴びた方が十年、二十年、三十年とたったときにどうなるかといいますと、原爆被爆の方が一番明らかにその結果が出るわけです。ところが、原爆の場合は直接の放射線と降下物と両方とも浴びていらっしゃる、平地にいらっしゃれば。たまたまその西山地区というのはお一人も直接の被爆を浴びてない、山の陰にあったので。しかも、そこに集中的に黒い雨が降ったということがございましたので、そういうことで、適当なといいますか、そういう意味では調査にいい場所だということでしたけれども、現実には三百人しかもう人がずっと住んでいらっしゃいませんで、本当に協力していただいて感謝しております。  それからもう一つの、低い放射能というときに、放射線について高い低いというのが非常に、私も先ほどちょっと七十ラドという言葉を使いましたけれども、高い低いというのは印象で非常に違いまして、例えば、普通の自然放射能の一万倍だと言うと、わっというような感じですけれども、胸の写真一枚撮ったぐらいだと言うと、まあそんなもんかというふうになるように、比較的単位で申し上げなければいけないと思います。  それで、非常に今反省しておりますのは、こういう病気が多いかどうかというときに、最初に、一次的に調べるときには、コントロールで全然浴びてない方と例えば百ラド以上浴びた方と比べまして、何人かサンプルをとって調べる。そうすると、例えば、がんの中のある種類のものは確かに百ラド以上の方に多かった、そんなことで結果を出していく。たまたま今の甲状腺機能低下症といいますのは、百ラド以上になりますとコントロールと同じになってしまうのですね。むしろ、百ラド以下の七十ラドぐらいのところにピークがある患者さんの集団が多かったということでして、普通、線量が多ければ多いほど病気の起こり方は強いんだというのは、がんの場合には成り立つのですけれども、どうもその自己免疫性疾患の場合にはそうではなくて、ちょうど起こしやすい線量があるみたいだということでございます。
  245. 岩佐恵美

    岩佐委員 そうすると、原子爆弾被爆者との関係でいうと、いろいろな医学的な解明というのも、先ほどからも話が出ていましたけれども、まだまだ未解明の部分が多いということが言えるのでしょうか。  そして、そのことについて、お金、予算もつけることも必要ですけれども、例えば、総合的に、先ほど言われたように、個々の、個別の病院におかかりになる方、そういう方々のデータも一カ所に集められて総合的な研究というのがやはり組織的に行われていかないといけないのだろうというふうに思うのですけれども、そこら辺のことも含めて、どうしていかれたらいいのかというお考えがあれば伺いたいと思います。
  246. 長瀧重信

    ○長瀧重信君 ちょっと適当かどうかわかりませんが、今チェルノブイリの調査に関していろいろな国が入り込んでおりまして、それでお互いに調査を比較するときによく使いますのが、ヒューマニタリアン的な調査であるのかサイエンティフィックな調査であるのかということがよく言われます。その人道的支援という場合には、ただ機械を持ってきたり薬を持ってきたりということになりますけれども、プロトコルがないと、ちゃんと科学者が集まって、絶対にこういう方向でやればこういう、ここまでイエスかノーかの結果が出るというような前もっての計画案があるかないかということが、サイエンスかどうかということになります。  ですから、今後どういう調査をやるかということにつきましても、それはそのプロトコルのつくり方で、百人調べればもう十分結果が出てくるものもございますし、一万人調べなければ結果が出ないというプロジェクトもあるということで、前もって専門家による非常に詳細なプロジェクトの検討というのが今後必要であろうし、そのきっかけとなりますのは、今新しい病気でたくさん見つかってくるとしますと、先ほど申し上げました自己免疫性疾患というのは今まで報告がございませんし、ほかの今までの病気の仕組みからいってもかなり可能性は高いものであるというふうに思っておりますので、そこら辺が、とりあえず取りかかるとすれば一つの疾患群ではないかというふうに考えております。
  247. 岩佐恵美

    岩佐委員 久米先生にちょっとお伺いしたいのですが、先ほど御意見の中で、国家補償に基づく被爆者救済が明記されなかったことについて不満である、他の戦争被害とは異なる特殊なものなんだ、だからこの点、国家補償に基づく被爆者援護法ということで人々の理解が得られるんだ、そんなふうにお伺いしたわけですけれども、その点、他の戦争被害とは異なる特殊なものなんだということについて、どういうふうに久米先生としては主張をされるのか、その点お伺いしたいと思います。
  248. 久米潮

    久米潮君 一般的な戦災者と被爆者との区別の問題でございますが、私も先ほどこれについて申し上げたと思うのでございますけれども、一九六八年と申しますから昭和四十三年でございますが、原爆被爆者特別措置法が四十三年の九月に施行されておるわけでございますけれども被爆者が特殊な兵器によって傷つき病気になった場合にこれが施行される範囲内と、一般戦災者のそういう形での救済というのは合っていないわけですね。  だから、原爆被爆者なればこそこの救済を受けておるというこの事実をもってしても、もう既にそこのところで一般戦災者との区別がついておるので、今回長年の懸案であったところの原爆被爆者援護法というものをせっかくつくろうということ、これに決着がつけられるということであるならば、それは一般戦災者との関連だけを頭に置いて骨抜き、骨抜きという言葉が適当かどうかわかりません、先生たちに失礼でございますので。私の考え方を率直に申し上げまして、骨抜きにしなくてもいいではないか。長年私たちは国家補償に基づく被爆者援護法ということを申し上げてきたので、率直にその辺のところをとっていただきたい、こういう意味で申し上げたわけであります。
  249. 岩佐恵美

    岩佐委員 山田公述人に伺いたいと思いますけれども、改めて、なぜ国家補償を求めるのかということですね。原爆の死と一般戦災者の死、これはどう違うのか、先ほども言われましたけれども、改めて伺いたいと思いますし、それから、全被爆者年金をというそういう御主張がございました。私どももそう考えているのですけれども、その辺について、どうしてそういうことが必要なのかということを御説明いただきたいと思います。
  250. 山田拓民

    山田拓民君 基本的に申し上げまして、戦争被害、これは国は放置していいとは思っておりません。つまり、一般戦災者の場合にしても、単に戦災だけじゃなくて戦争により国民が受けたさまざまな被害、これはあの状況、私もまだ中学二年生というような時代ではありますけれども戦争に反対するということがあの時代どういうものだったかということはわかっておりますし、そういう中で戦争へ本当に巻き込まれていった国民犠牲を放置していいはずはない。つまり、そういう戦争被害に対して国はきちんと償うべきだという考えを持っています。  その中で、じゃ一般戦災者原爆被害者は同じかというと、やはりさまざまな特質があると思うのです。それは、一言で言えばその残虐性ということだと思いますけれども、しかしその残虐な殺りくが瞬間的に起こった、しかも非常に無差別に発生した。これはもう原爆の性質上そうならざるを得ないわけなんで、五百メートルの上空で爆発させるというようなそういう手段でしたから、無差別性というのは非常に明らかなことです。それからまた、被害が非常に長期に継続する性質を持っている。そういう意味から、もう絶対にこれは許せない兵器だ、たとえ戦争中であっても許せない兵器、そういう気持ちでおります。  したがって、原爆被害者に対して、しかもこれまで調査も一定進んでおりますし、国家補償ができる基盤はもう既にあると思うのです。したがって、早急に国としては国家補償立場からの対策を講じてほしい、こういうことなんですね。  原爆死の特徴についてはさまざまなことが指摘されておりますけれども、先ほど私が申し上げたのはその一端であったわけですけれども、やはりこの残虐さというのを、これはもう放置できないんじゃないか。それを認めるということになれば、また原爆が落とされても仕方がないことだ、核兵器が使われても仕方がないことだということにつながっていくおそれがある。そういうつもりで、絶対にこれは容認できない、受忍できない被害だというふうに思っているわけです。  なお、被爆者全員への年金の問題につきましては、先ほども申し上げましたけれども被爆者の健康上の問題というのは意外にクローズアップされるんですけれども、それ以外の問題が表面に出てこない。例えば、これは診察してもなかなかわからないことですし、本人がそれだけに苦しんでいる問題でもあるわけなんです。  今度の政府案で一つの特徴は被爆者遺族である被爆者ですね、被爆者遺族としての苦しみがあるんだ、晩発放射線障害以外に遺族としての苦しみもあるんだというところに目を向けられたというのは、非常に大きな前進だと思うんです。ならば、なぜ遺族であることだけに目を向けるのか。もう少し検討していただくならば、被爆者被爆したために、被爆者であるというただそのことのために、さまざまな苦しみ、悲しみを背負って生涯を送っているということにも目を向けていただけるんじゃないか。そういう意味で、被爆者年金の制度がどうしても必要だ。  これは誤解があってはいけませんけれども、弔慰金は弔慰金できちんとした上で、被爆者に対する施策はそれなりにする。これを生存被爆者だということで混同されてしまったところに、今度の場合の非常に大きな問題点があるんじゃないか、そういうふうに思っております。
  251. 岩佐恵美

    岩佐委員 きょうは本当に貴重な御意見をお伺いさせていただきました。皆さんの御意見を反映するようなそういう審議を進めていきたいというふうに思っております。  どうもありがとうございました。
  252. 網岡雄

    網岡座長 これにて質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  意見陳述方々におかれましては、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  拝聴いたしました御意見は、両法案の審査に資するところ極めて大なるものがあり、厚く御礼を申し上げる次第でございます。  また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、深甚なる謝意を表する次第でございます。  これにて散会いたします。     午後零時三十一分散会