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伊藤サカヱ君 公聴会を開いてくださいまして、
皆さんどうもありがとうございました。
御苦労さまでした。
四十九年間の苦労を十五分で言えと言われたって、とても言い切れないのです。何年たっても言い切れないと
思いますけれ
ども、少しでも聞いていただきたいし、私の言うことは浪花節でなく、何でもないことを言うのじゃなくて、全部命を的に、基盤に考えて運動してきた
報告でございます。早口でございますけれ
ども、
皆さんの方でそういう
気持ちで聞いていただきたいと
思います。
原爆被害者が生死の境で死の一線を越えてきた今日までの五十年間、十年間というものは箝口令がしかれまして、どんどんどんどん身の周りの者が死んでいく中で、
原爆のことは口にしてはならないんだという箝口令は、本当に私たち今でも何よりも一番悔しい
思いでございます。
そういう中で、その後三十八年間、人間らしく物が言えるようになって、三十八年間ずっと自民党さんにお願いしてまいりましたけれ
ども、
国家補償の精神ということを言うてきたのですけれ
ども、
国家補償についていろいろな、精神とか見地とか配慮とか
責任とか、何であんなにまで
政府、行政の方が苦労してまで、言う
言葉を探されなければならないかということなんです。たった一つ、国が始めた
戦争じゃないか、だったら素直に認めたらいいじゃないか、私はそう
思います。何も私たちが
戦争をしてくれと頼んだ覚えもございませんし、三十八年間、本当に私たちが戦犯者のように自民党の
先生方にぺこぺこぺこぺこ頭を下げて、何で私たちはこんなにまでやらなければならないかと思っておりました。
そして、
政府の案が次々に出ましたが、その中身を見ますと、いかにしてこれを社会保障の中に入れ込んでやろうかとか、
一般戦災者とは切り離して扱おうじゃないかとか、それで自民党は、
戦争責任をどうして逃れられるか、金が要るじゃないか、少し金を要らないようにしようじゃないか、それで
生存者だけに限ろうじゃないか、そういうふうな知恵ばかり絞られるのですね。
私たちは人間なんです。そういう中でも、自民党さんが言われるのには、ある自民党の有力な
先生に、
先生、なぜ
援護法を
国家補償にできないのですかと言ったら、野党に負けたことになるからだと言う。そんな、政争じゃないのです、私たちは。命がけの運動なんですね。自民党の党議があるからそれに署名はできないんだと言う。党議が何ですか、みみっちい、どこだって党議はありますよと自民党の偉い
先生に言うたのですけれ
ども。それで、今は党議なんか壊れております。
また、中には七人懇の、
国民ひとしくこれを受忍しろ。受忍受忍と言って、もうそれがずっと本当に厚い壁になってきたのですけれ
ども、受忍というたって、軍人軍属は靖国神社に神様のように祭られている。それから、私らに言うときには、
一般戦災者があるからおまえらは見てやれないんだとか、社会保障で我慢しろと言う。私は、軍人軍属を何もしてあげなくてもいいなどとは言いません、してあげてもらいたいのです。四十四兆円もかけて、こういうふうに
お金をかけるほどなら、本当に世界の問題になっている核兵器の
犠牲者、今でも苦しんでいる放射能の
犠牲者に、国がもっと将来性にかけて、現在、過去でなくて、将来にかけてのこの運動にもっと目を向けて、本当に
被爆者に対してはどうしなければならないかということを、
お金をかけて受忍とは何かということを考えてもらいたいと思うのです。
一般戦災者が文句を言うから、
一般戦災者戦災者と口実には出されますけれ
ども、
政府は調査もしないのですね。それじゃ、どこをどれだけやっているのか。
一般戦災者というたって、
原爆をのけて、軍属をのけて、沖縄をのけて、学徒をのけていったら、
一般戦災者というのは少ないのですよ。その調査すらもしないでおいて、
一般戦災者、
一般戦災者と壁にするのですね。そういうような口実を見ていると、私は、
政府が一体どこを基本に置いて物を言っているのか本当にわからないのです。人間を基本に物を考えてもらいたいのですね。
それで、私たちが言うている本当に命がけの
国家補償とは一体何かということですが、
国家補償とは、再び
被爆者をつくらないでくださいという、人間としての最高のお願いなんですね。本当に再び
被爆者をつくらないでください。こんな苦しい目に遭わさないでください。そして、死んだ人に犬死にさせないでください。
どんな死に方をしたと
思いますか。本当に黒焦げになって、耳からも鼻からもみんな血を流しながら死んだその
被爆者に、本当に線香の一本でもいいから、国が始めた
戦争なんですね、一本の金がなかったら半分でもいいのです、半分でもいいから、国が悪かった、済まなかったと言うてもらいたいのです。そして、人間らしい死に方ができなかったけれ
ども、せめて死んだ後でも済まなかったと
政府が言うのが当たり前じゃないかと私は思うのですね。金をくれろという運動をしている私たちじゃないのです。
そういう
意味で、
国家補償ということは、国が再び
被爆者をつくらないという世界に向けての宣言なんです。「国の
責任において、」という
言葉でごまかして、手のうちでくるくる丸めて飲もうが捨てようが、そういう「国の
責任」という、そんなみみっちい表現ではいけないと私は思うのです。
国家補償にして、悪かった、再び
被爆者をつくらないというこの精神、これこそが
被爆国日本が世界に示す
言葉だと私は思うのですね。
それをしないでおいて、何とかかんとかいいかげんなことを言うてごまかして、自分たちでも本当は——私は、この与党案が出るときに社会党さんはおられたんだろうか、自民党さんはどういう
気持ちで書かれたんだろうかと思うのです。
広島の議員さんがおられたのなら、
広島の議員さんの中でも、本当に肩書をもらわないで自分の本当の
政治家としての発言をしておられる人がいっぱいおります。肩書に負ける人もおります。
そういう中で、考えてみてください、この十年間のことを、私たちの身の回りで。先ほ
ども言いましたように、本当に鼻からも耳からも、私の兄なんか血を吐いて死んだんですよ。そして血便が出るんです。そうすると、疫痢だと言って家族と隔離してしまうのですね。私の家の前が救護所であったけれ
ども、いっぱいになるんですね。血便を出して死ねば、あれは疫痢だと言うのです。遠ざけるのです。血を吐けば胃潰瘍ですよ。診断書に簡単に書かれるのです。それで、
原爆によってフラフラ病になれば、あれは心臓病だと言う。そのころの医者の
先生はピカドンが何かも知らない。十年間に本当にどれだけ
犠牲者を出したか。ひどい、人間らしい死に方ができなかったか、そう思ったら。
皆さんの中で、だったら自分のところに
原爆を落としてみろと私は思うのです。そうしたら、ほんまにわかるじゃないか。アメリカだってフランスだってどこだって落としてみればいいのです。経験もしないでおいて、それで
被爆者のことをただ文字の上で、あの法令にこれは例がないから、この法令にと。法令なんか何ですか。実地に私たちを見たところの法令から法令が
生まれてくるんじゃないかと私は思うのです。あの法令にないから、この法令にないから、官公庁の偉い人はそういうふうに言われます。文字にとらわれることはないと思うのです。実際に人間がどういう死に方をしたか、どういう人間を守らなければならないかというのが
法律だと私は思うのですね。
皆さんはこのたびは与党と対案とのどっちかをとればいいと数で押されるかもしれませんけれ
ども、しかし社会党の中にも、全部じゃないのです、本当に良心を持った
先生だっておられるのですよね。そういう中で、押されてもいいと思われるでしょうけれ
ども、
国民署名は一千万を超しておりますよ、
国家補償の賛同署名が。それは
援護法をつくれという
国民署名です。
国民的合意がないと言われますけれ
ども、一千万を超しました。そして、
全国の地方自治体は七五%も促進決議をしておりますよ。参議院も衆議院も三分の二は署名しておられますよ。これでも与党の
先生方は無視されるのですか。本当に私はそう
思います。
こういうような、現実的に人間の
言葉を言うている、そして人間がどういう死に方をしている、将来どうしなければならない、今の現実は被災国の日本としてはこうしなければならないということを抜きにしてどうして
法律ができるのかと
思います。これだけの
国民に向かって与党の人はどう返答されるのですか。私たちを抑えたって、
国民的なこの合意は、今はじっとしておりますが、今の与党さんの案については必ず声を出すと
思います。
ですから、私は、本当にここらで与党の
先生方が対案を出された
先生方と一緒に合意してもらいたい。公明党の
斉藤先生、来ておられますけれ
ども、これが本当の
政治家だと私は
思います。人間の本当の命のわかる、温かみを持った、人に優しい
政治とはだれが言うたのですか。そういう
意味で、私は本当に、こういう崇高なとうとい
法律だけは、与野党が一体となって、一緒になって
提案すべきだと思う。
政府の
提案が出るたびに私が泣くと、
斉藤先生が慰めてくださいました。一年生議員であっても、陣笠議員であっても、年数こそなくても、こういう本当に正しい
先生がそろっていれば、私たちは泣くことはないと思うのです。
もう五十周年も来ます。三十四万人の死んだ人に、森滝
先生にも、
援護法ができたよと持って死にたいのです。八十三歳、私が薬を飲みながら、舌下錠を飲みながらこうして
皆さんに訴えるのは、三十四万人の死んだ人の命を背負うておるからなんです。
皆さんが人間だったら、与党の
先生方も野党の
先生方、改革の
先生方と話し合って、人間らしい、調整した、少しでもいいのです、もう五十年、間がないのです。どうぞ人間らしい
政治を、
政府をつくってもらって、
政府でなかったら仕方がないのですけれ
ども、ああ、さすが被災国日本だという、世界に笑われない
法律を本当に日本の
政府がつくってください。
人に優しい
政治をどんなに私たちが期待したか。人間の心のわからない、優しさのわからない、人の痛みもわからないのは、人間らしい
政治じゃないと私は
思います。こういう
意味で、きょうおいでになっている
先生方を初め、どうぞどうぞ——私は社会党でもなく人間党です。どこから突っ込まれても私は平気です。人間党で、党籍なんかありません。しかし、社会党さんが言うてこられたことにずっと一緒になって同志としてやってきまして、ころころころころ変わる政策の中で、足をもがれ、手をもがれ、本当に自分がなくなった
気持ちでございますけれ
ども、最後の心臓まで、
援護法まで刺されるとは
思いませんでした。
特別葬祭給付金のことでも、
皆さん御存じないと思うのです。年の少ない子が両親を離れて学童疎開に行って、そして、その人からいつでも私に電話がかかってくるのです、お父さんもお母さんも死にました、四人の兄弟も死にました、私が
広島へ帰ってもだれも頼るところもなく、親類も皆死んでいるのですと。この子には手帳がないです。兵隊に行っている人だって手帳がないです、戻ってくれば家も焼けてなくなっている。今でも兵隊に行った人から相談が来ます。私自身は国家総動員法で義勇隊で出ておりました。そして、もうずるずるに焼けて、後ろから火がついて体は燃えたのですけれ
ども、一緒に行った人は二班で五十人、今二人しか生きておりませんよ。ほかの一班はもう亡くなっております。
そういう現実の中で、手帳がなかったらやらないなんて、こういう人間差別がありますか、現実として。なぜ手帳がなかったらやらないのですか。
遺族じゃないですか。
原爆孤児が
広島にうようよしておりますよ。本当にあれだけ苦しんだ
原爆孤児のことを知っておられますか、あの子たちがどんなに惨めな生活をしたか。
そういう中で私たちは、手帳がなかったら弔慰金はやらないんだというふうな、そんな薄情な、本当に今の
先生方には血も涙もないような、情けもないような、こういう
法案がよくも平気で出せたものだと思うのです。村山さんにも言うてください、肩書を持った
先生方にも言うてください、
広島の心を知っているのかと。
広島の心は絶対に、恵みなんか要りません、社会保障なんか要りません。国が悪かったと言って謝ってもらいたいし、おまえたちよ、済まなかったと言うてもらいたい。
お金なんか欲しくないのです。線香の半分でもいいのです。
どうぞ、
国家補償を、そして、どうしても参議院で通ったのができなければ、今改革が出しておられますものを、一歩でも近づきたいのです、あの世へ持っていきたいのです。どうぞ
先生方の御協力をよろしくお願いいたします。