○正森
委員 私は、昭和十六年十二月八日、戦争が始まったときは中学の三年でありまして、当時は宣戦の詔勅も全部覚えるということで、今でも私は半分ぐらい、「天佑ヲ保有シ、萬世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝國天皇ハ、昭二忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。 朕、茲ニ米國及英國二封シテ戦ヲ宣ス。」そういう宣戦の詔勅を覚えております。
その中にどういうぐあいにこの問題が書かれているかというと、永野前
法務大臣の言われた言葉と全く同じなんですね。この宣戦の詔勅にはこう書いてあるのです。「中華民國政府、襲ニ帝國ノ眞意ヲ解セス、濫ニ事ヲ構ヘテ、東亜ノ平和ヲ攪乱シ、途ニ帝國ヲシテ、干戈ヲ執ルニ至ラシメ、茲ニ四年有餘ヲ経タリ。」こう言いまして、中略「米・英兩國ハ、残存政権ヲ
支援シテ、東亜ノ禍亂ヲ助長シ、平和ノ美名ニ匿レテ、東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス。剰へ與國ヲ誘ヒ、帝國ノ周邊ニ於テ、武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ、更ニ帝國ノ平和的通商ニ、有ラユル妨害ヲ與ヘ、遂ニ経済断交ヲ敢テシ、帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。」中略「斯ノ如クニシテ推移セムカ、東亜安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ、悉ク水泡ニ歸シ、帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ。事既ニ此ニ至ル。帝國ハ、今ヤ自存自衛ノ爲、蹴然起ツテ、一切ノ障凝ヲ破砕スルノ外ナキナリ。」こう言っているのです。
だから、永野前
法務大臣の、法相として最初に行いました発言は、昭和十六年の宣戦の詔勅と一緒なんですよ。だから、軍国主義
思想に深く染まったものということで、文民の資格さえ疑われるということになったわけであります。
もちろん、永野前
法務大臣の発言が、
政治家としての永野
議員の発言であり、法務省はいささかも直接の関係はないと信じておりますが、いやしくも法務省もこういう見解に染まるというようなことがあっては、日本国憲法のもとの法務省としてはもう一大事でありますから、そういうことに、幹部の中には外務省に長く行っておった人もおるようですから、特に自戒されるように希望して、次の質問に移りたいと思います。
〔
斉藤(斗)
委員長代理退席、
委員長着席〕
次の質問は、
法務大臣、
人権擁護の
行政について述べておられます。その中で、「中でもいじめ・体罰などの子供の
人権問題、」ということにわざわざ触れておられることを私は非常にいいことだと思って拝見しました。
時間がもう余りございませんので、ごく簡単に申しますが、最近、子供のいじめ、
人権について注目すべき判決や決定が次々に出ております。これらを詳しく論議するだけで随分おもしろい問題があり、時間が要るのですが、二つだけ簡単に申します。
通常よく言われる、山形のマット死
事件という問題で、新庄市の市立明倫中学校における児玉有平君という十三歳の中学一年生がマットで窒息死した
事件。保護処分決定を受けた少年三人が再抗告を申し立てたのについて、最高裁の第二小法廷が再抗告を棄却する決定をしたということになつておるわけであります。
このときには、一審の家裁の
裁判官は、三人については保護処分にしましたが、首謀者と思われたような他の三人についてはアリバイを認めて処分しないということになりました。
ところが、高裁の決定を新聞紙上等で読ませていただきますと、高裁は一審の判決をほとんど否定いたしまして、そして、どうして供述が信用できるかということをずっと引用しております。
それを見ますと、例えば、これ名前は申しませんで、新聞によってはDとなったりEとなったりしておりますが、私の今持っている新聞では、Eという子供は「トップクラスの成績で、レベルの高い高校への進学を目指しており、両親も
期待していることを述べた。そこで同巡査部長が、『一番大切なことは正直に生きることだ』と言うと、Eは涙を一粒、二粒こぼして『僕がやりました』と述べた。」というように言われておりまして、ところが後で調べられるとこれをひっくり返した、それはなぜかというと、両親の
期待が非常に大きくて、おまえはやっていないよと言われたんでひっくり返す、それからその次は
お父さんに付き添われてまた責任を認めたら、その次の日には今度はお母さんがついてきて、それで母親が、署名をしません、子供からやったという話を聞いていないので子供にも署名させませんということを言ったというのが高裁の決定には書かれておるというように報道されております、私は詳しくは申しませんが。
こういうことについて一般の新聞ではどう言っているかといいますと、「教育現場で生徒が亡くなっているのに、その真相究明に不熱心で口をぬぐっている学校側の態度はどうしても理解できません。こうした問題を過去のことと、ほったらかしにしていては、学校はいつまでたっても良くなりません。大変でしょうが、粘り強く真実を明らかにしてください」という投書。これは一月十七日の東京新聞。
あるいは、この問題をずっと追ってきた朝日新聞の記者は、「あえていえば、教育に携わる立場の人は過ちを犯した者に名乗り出る勇気を教え、更生を見守り、あわせて学校の再生をはかる責任がある。だが、学校は「受験を控えている。早く静かにしてほしい」「『あの中学の出身だって』といわれて困る」という生徒の父母の声に後押しされるように、どうして
事件が起こったかについては、捜査や審判にゲタを預け、
事件前の学校に戻す「再生」を優先した。」というように言っているのですね。
あるいは別の新聞では、「「真犯人を含めて
関係者の人々に良心というものを感じない。法治国家とは人間の良心や良識をよりどころにして成立している。子供たちに、良心に従い、真実を述べるよう
指導すべき親や周りの大人たちの無責任な態度には失望せざるを得ない」」という意味のことを言っております。
今度は別の、中野区で鹿川君という人がいじめを受けて、それで学校の先生まで四人も入って葬式ごっこをして、お焼香までされたという
事件。
その前に、ぶん殴られたり、いじめを食らっていますが、「「まだ死にたくない。だけど、このままじゃ〝生きジゴク〟」」という遺書を残して、いじめの首謀者の二人の子供の名前を書いて、それで家出をして首をくくって自殺した。それに対しても損害賠償を求めたのに、一審の
裁判官は、まあ言うたら葬式ごっこはエピソードだというようなことを言っておった。それに対して高裁は、これはそんなことではない、いじめであるということで、中野区に賠償命令を求めたという
事件があります。
これもいろいろ引用したいことがあるのですが、時間がありませんので、また機会があればやることにして、子供の
人権というのは非常に大事で、加害者といいますか、
事件を起こした方の子供の
人権も非常に大切だ。特に、一般
事件で何らかの
事件があったときに、たまたま被疑者の一人として疑われたというような場合は、警察が功を焦って拷問したり、──検察はあんなことしないかもしれませんが、検察官にもいろいろありますから、だから油断できないということですが。
学校の現場で、山形のマット死
事件なんか体育館で五十人もおったのですからね。そんな中で殺された
事件なのに、死んだ
事件なのに、真相がわからないというようなことはあり得べからざることなんですね。それが事実上そのままにほっておかれるなんということは、文部省にも来てもらっておりますが、教育としてもこれはあってはならないことであり、そういう教師の態度は非常に問題だと私は思っております。
それで、もう時間が来たという紙が来ましたので、残念ながら結論になりますが、それにつれて少年法を考えますときに、私は決して、少年法で真相発見を優先させて、子供に何でも真実をしゃべらせろというような主張をしようとは思っておりません。けれども、例えば禁固一年以上の罪に当たる
事件では、普通の裁判では合議であります。ところが、どんな殺人あるいは傷害致死のようなものでも一人の
裁判官がやらなきゃならない、あるいは判例上は再審請求に位置づけられております処分取り消しの申し立てが保護処分継続中に限られて、それを過ぎると、これは再審ではないんだから、もうそれ以上はできないというような面を持っている。あるいは国選弁護のような制度が少年審判にはないというような数々の問題があって、法務省は検察官の審判廷への立ち会いなどを求めるというような考えを持っておるようですし、日弁連は、これに対して、保護、教育優先から刑罰優先主義に法の理念が変わってしまう
というような意見も持っておるようであります。
だから、なかなか難しい問題ですが、しかし私は、少年法のあり方というのが非常に不備な点があるということは何人も否定できないと思うのですね。
それで、
大臣が
所信表明でたまたまああいうことを指摘されておりますので、少年法の問題点についてどういうように
認識され、あるいはこれを積極的に──私、真相究明一本やりにせよと言っているんじゃありませんよ。御見解がございましたら承りまして、私の質問を終わります。