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笹川委員 本日は
裁判所職員定員法の一部を
改正する
法律案の審議でございますが、私は十分しかないから、質問して答弁をもらうともう終わってしまうので、まことに申しわけありませんが、時は金なりということもありますので、私は言いっ放しになると思いますが、できたら後で文書で御返事をいただければありがたいな、こういうふうに思っております。これも
国会改革の一助になるだろう、こう思っております。
国民は迅速に
裁判を受ける権利がある、そのためには
裁判官をどうしてもふやしていただきたいということで、これを読みましたが、この
程度で大丈夫かなというような気持ちがありますが、いずれにしても、
裁判官というのは、検察官の調べたものが本当に真正で正しいかどうか、そういう
観点に立って
判決を下すわけですから、まさに
法律の専門家であると同時に、社会常識がきちっと兼ね備えられた良識家の
裁判官を育成していただきたい、これが
国民としての願いであります。いやしくもこういう
委員会で、居眠った
裁判官を罷免しろとか、したかしないかなんていって
最高裁判所の長官が謝ることのないような
裁判官をつくってほしい。このことをお願いをいたしておきます。
さて、せっかくの機会でありますが、今まで法務
委員会で質問をしようと思っておりましたが、実は法務省の方に静岡の弁護士会の会長の井口さんのものの写しをきのうお渡ししてあると思いますが、これにのっとって質問をさせていただきます。
御案内のように、今回ゼネコン
事件で非常に世間を騒がし、我々の仲間に逮捕許諾請求が出、あるいはまたそれに承諾の院の議決をいただいたわけでありますが、実は、それにかかわって金沢という元検事が取り調べの最中に暴行したということで逮捕されて、現在
裁判になっております。こういうことが過去に前例があったかどうか、ひとつ調べていただきたい。特にこの人は、日本国籍をたしか
司法研修所に入所中に取得をしたというふうに
考えておりますので、そういう例が過去にあったかどうか、ぜひひとつお知らせをいただきたい。
特にこの静岡の方の声明の中に、取り調べの際に被疑者の品位を傷つけたり屈辱的な
取り扱いをしてはならない、もしそういうことをした場合には、
政府は実施
状況を国連に報告することも義務づけられておる、こう書いてありますね。もしそうだとすると、今回のように、まさに検察官が自分の権力を濫用して、けったりたたいたりけがをさせたり、あるいはまた損害賠償の対象になって、支払うということは国も応諾をしているわけですから、私は当然この報告の義務の中に入るのではないのかなというような気がいたしておりますから、その点について報告する義務があるかどうかをお尋ねしておきますので、よろしくお願いをしたいと思います。
特にこの人は、大津でもあるいはまた静岡でもこういう
事件を起こしたということも聞いておりますし、過去に汚職
事件で相当社会的に地位の高い人が、その人から直接聞いたわけですから名前を言うとぐあいが悪いのですが、年のうんと若い検察官から、おまえそこへ立っていろ、壁に向いていろ、もっと真っすぐ立て、おまえ非
国民だとか死んじゃった方がいいとか、そういうことを事実言われたということを聞きました。私は、そういうことは今までは信じられなかったのですが、こういうことが
新聞紙上にどんどん載ってくると、それぐらいのことは言ったのかなというふうに
考えざるを得ない。
特に警察官の調べで、例えば人のものをとった
とか強盗したとか、そういうような事犯のときに多少行き過ぎた言葉を使うということはかねがね
承知をいたしています。しかし、そのときには、まさに検察官が警察の調書が間違いであるかどうかということを慎重に
検討しながら、起訴するかしないかを決めていくのだと思うのですね。そういう大切な役目を持っている検察官みずからがその禁を犯すということになりますと、これは
国民とするとだれを信じていいかわからない、こういうことになるわけでありますから、私はこのことは、この一検事の性格が、あるいは個人的なということじゃなくして、検察官全体があたかも正義の味方のようなことでやられている。
本来、正義というものは、ほとんど
世の中には存在しないものであります。正義は何かというと、勝者であります。あの戦争
裁判でも正義の名のもとにと言ったけれども、現実には、正義というのは勝った人が正義の名のもとに
裁判をしたのであって、負けた我々は何の発言権もなかったということでありますので、それは弁護士がついて弁護をすることでありますが、既に弁護士が弁護をするときには法廷であります。そうすると、法と証拠に基づいてということをよく専門家の人が言われるのですが、証拠に基づいて起訴をするならばもう調べる必要ないじゃないか、証拠があるのだから。では、その裏づけのために供述をとるのだということになると、証拠よりも供述の方がどんどんどんどん大きくなってしまう。そういうことを
考えると、まさに日本は民主国家になったわけでありますので、こういうことを
委員会で質問をされたりすること自体が私は余り日本の国益のためにならないような気がしてならないわけであります。
少なくともこれは弁護士会という法曹界の団体が会長名で抗議文を出したわけでありますから、これは大変重く受けとめなければならないな、こう
考えております。特にこの件については検察庁の中で処分をされたということも聞いておりますが、戒告とかなんとかという処分というのは、もともと役人が受けてもほとんどもう出世には
関係ないですね。戒告処分受けたからもう途中でだめになったという人は余り聞いたことない。特にこういう人を採用したということになると、採用した人は物すごく大きな責任があります。
例えば、日本の場合には医者になるのには国家の医師試験を合格するとなれます。しかし、アメリカでは教授が推薦しないと絶対なれない。そのとき、なぜかというと、まず最初に一般の教養学部を卒業して、円満な良識ある社会人としてこの人が医者になることがふさわしいのだと言って初めて医学部に入れるわけであります。ところが、日本の
司法制度そのものは、普通の上級職の試験と違って、まさに専門家だけを養成するわけでありますから、どうしても人間的に偏り過ぎる嫌いがあるのではないかというような気が私はいたします。ぜひひとつその辺を十分に
考えて、もし私の言ったことが違うということであれば、ひとつ後日御返事をいただければ結構であります。
さて、死刑の廃止問題で、実は私も議員連盟に入れというお誘いを受けて入りました。もちろん
法務大臣は、死刑賛成か反対かと聞いてもこれはなかなか答えられません。現実には法が存在する以上、そこに所属する人間は忠実にその職務を遂行をする、当たり前の答弁でありますから、
法務大臣にお聞きをしません。
ただ、死刑と無期というものが余りにも差があり過ぎる。無期というのは、大体、平均十八年八カ月たつと出所してしまう。またそこで何か犯罪を犯して、殺されると、まさに
国民は地球よりも重い命を奪われることになるということでありますので、私はぜひ仮出所のできない修身刑というものを新設してもらって、そして
死刑制度を廃止していく方が、国際世論にも合致しているし、冤罪ということになると、これは絶対に防止ができるということにもなるだろうと思うのです。
特に、今は外国人の犯罪が非常に多発しておりまして、もしも外国人が、盗人とか強盗
程度はいいけれども、連続殺人だとかあるいは複数の殺人を犯したときに、当然今の日本の刑法でいけば死刑
判決が出ると思うのです。出たときに、これを執行したときに、これは大変な問題になる。そうなる前になるべく法を
改正していただきたいと私は思うのですが、法務省としては、自分の方から言い出しにくいのか、あるいは国際世論に基づいてするのか、議員立法で変えていくのか、あるいは法制審議会に聞かなければわからないというようなお答えになるか、この辺はこれから議論になります。ぜひひとつ統一した御意見を聞かせていただきたい、こう思っています。
一般社会人の常識からしますと、無期懲役というともう出られないというふうに
考えています。しかし、
法律の専門家に言わせると十八年八カ月で出ているのですから、二十年の懲役の満期でいるよりは早く出ているわけですね。これはもう非常におかしい、こういうふうに私は思っておりますので、特に外国人のそういう犯罪というものがこれからどんどんふえていくということを
考えて、ぜひひとつ御意見を承りたいと思います。
さて、さっきどなたかが聞いていただいたと思うのですが……。
では最後に
一つだけ。
千葉刑務所に在監中の石川一雄さんの早期仮出獄を求めるという署名が来たわけでありますが、これを読んだら、刑が確定して十六年済んでいる、しかも、未決勾留日数が加算されると何と三十一年も拘禁されている、それなのになぜ、平均十八年八カ月で出られるのに、この人が出られないのかという全く素朴な質問が出ます。
しかし、実際、刑務所側からいうと、本人が罪を悔いて反省をしながらその刑に服したのならば十八年八カ月だ、しかし、やってないやってないということになると、これは反省していないんだから、それはもう十八年だめですよ、無期なんだから、言葉のとおり無期入ってもらわなければならぬという答えが恐らく返ってくるんじゃないかと思うのですが、それはどう
考えても社会常識、一般
国民が
考えることからするとちょっと答えが違うような気がいたします。
無実を訴えるということは、その人の固有の権利であります。その人が中で暴れたりなんかしたら別だけれども、普通に刑を受けている、しかも拘禁、拘束されているということになると、私は、ほかの人と同じような扱いをしてあげる方がより社会的に妥当なんじゃないのかなという気もいたしますので、ぜひひとつ御返事をよろしくお願いします。
生まれて初めて十分で終わるという質問、本当に大変だということを御理解いただいて、質問を終わります。