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小野委員 当
委員会初質問に先立ちまして、
教育問題と申しますと、殻を植うるは一年の計、木を植うるは十年の計、そして人を育てるは百年の大計と申しますように、
国家の大本をなす大切なお仕事でございます。今回御就任になられました
赤松文部大臣を初めといたしまして
文部省の皆さん方には、ぜひともこの大事な仕事に当たりまして、大いなる御尽力を賜りますように私の方からお願いを申し上げまして、これから質問を始めさせていただきたいと存じます。
今回は、衆議院では
赤松文部大臣初答弁の日になられるのじゃないかと思いますから、
教育の原点からまずお尋ねをさせていただきたいと存じます。
まず、それに先立ちまして、私の
教育への思いということについて少しばかり述べさせていただきたいと思うわけでございますが、実のところ、私は父も母も教員でございます。
小学校、
中学校で教職に当たっていたわけでございまして、幼少のころから
教育一家という雰囲気の中で育ってまいりました。その私が
教育という問題を本当に
考え始めたのはいつのころだろうなということを振り返ってまいりますと、
中学、
高校の
時代だったような気がするのでございます。
私は、四国にある、ある
私立学校に学ばせていただきました。ミッション系の
学校でございましたけれ
ども、この
学校の設立と申しますと、初代の校長でございます田中
先生という方がおられたのですが、この方が昭和二十八年設立をしたわけでございます。
その思いがどういうものかと申しますと、当時はまだ日本は復興のつち音の高く響いていたころでございます。まだまだ
国民生活は貧しく、日本の前途が明らかにならない。その状況の中で田中
先生が
考えられましたのは、この日本の国の復興のためにはどうしても
教育から始めなくてはならない、きちんとした立派な
人材育成を行うことなしに日本の復興はあり得ない、そして、できるだけその
教育は早い時期から始める方がいい、これが田中
先生の信念でございました。
当時、田中
先生はある
大学で教授職を務めておられたわけでございますが、この信念に立って、みずから資金を集め、みずから教員を集め、校舎等の
準備を進め、そして開校したのがその
学校でございます。その中で私も学ばせていただいたわけでございますけれ
ども、まさにそういう思いを持たれた校長
先生の
もとで学んだ関係がございまして、
教育の魂ということについていろいろと感じさせられたところがあったような気がするわけでございます。
田中
先生がよく言っておられたのは、
教育に大事なものに四つの要素があるという
お話でございました。
重要なところから申し述べますと、第一に必要なものは
教育者である、立派な
教育者を得ることなくしていかなる
教育も成り立たない、これが
先生の信念でございまして、開校時に当たりましては、立派な
先生がおられると聞けばみずから走っていって、そこでじっくりと話し込んで
教育の思いを語り、その
先生に愛光の、
学校は愛光学園というのですけれ
ども、私の学んだ
学校の教職についていただいた。
そして、第二番目に大事にされていたのが何かというと、
生徒だということでございます。教える者と
生徒、この両者が呼応し合ってこそ初めて立派な
教育ができるわけでございまして、立派な
生徒がいるとなれば、
教職員がまた走り回って、その建学の思いを説いて、
生徒を集めるということも最初の時期には随分やられたようであります。
そして、第三番目に必要なものが父母であります。いかに
生徒に対して立派な
教育を施そうといたしましても、
家庭の不和が
教育の中に存在する限り、
生徒は落ちついてその
教育の中に邁進することができない。だから、
生徒に
指導を行おうとするときには、必ず父母も一緒にそこに呼び集めて、
生徒に
指導するのと同じことを、むしろもっと厳しいことをその
学校では父母に
指導をしておりました。私
どもも
学校に学びながら、
自分たちに厳しく当たってくるその
先生方が、親にもきちんとその趣旨を伝えていただいているということに非常に安心をして学んだことを思い出すわけでございます。
そして、最後に大事なものは何かというと、できれば
整備した方がいいというのが施設であるという
お話でございまして、
教育者がおられ、そして
生徒がいて、父母の
教育もなされ、そして施設が整えば、これで初めて立派な
教育が展開できるというような
考え方で、信念を持って
教育に当たられた方でございます。
私がこの田中
先生を本当に尊敬した事件というのがあったわけでございますけれ
ども、それはどういう事件であったかと申しますと、私
どもが中高の
時代と申しますと、この東京でも数多くの
大学で学園紛争が起こっていた
時代でございます。そういう
大学紛争の影響が地方都市にも波及をしてまいりまして、私
どもの
学校の方にもやってまいったわけでございますけれ
ども、朝、
学校に行ってみると、窓ガラスが割られ、ペンキが投げ込まれてみたり、登校しようとすると入り口でアシビラを配っているようなことがあったり、
教育現場が大変混乱をいたしました。
そのときに、先ほど来御
紹介申し上げております田中校長
先生が、学内の混乱を見るにつけて全
生徒を校庭に集めまして、こんなことを言われたのでございます。
今回のこの学園内におけるさまざまな問題というのは、それぞれに理由を持ってやっていることであろう。しかしながら、この
学校の建学の精神というのは、
世界的な教養人を
育成しようとするものであって、ミッション系の
学校であるにつけても、その諸君が取り組んでいるマルクス主義とは絶対に相入れないものである。したがいまして、皆さん方がマルクス主義を信奉され、この運動を進めるというのであれば、ここで、この場で皆さんは去っていってほしい。皆さんの中に、
生徒たちの中に、経営上の問題で、学園を経営するにはみんなにやめられたら困るんだという御意見もあるだろう、私もその意見を聞いた。しかし、
教育というものは決してそのような安易なものではない。ここで仮に皆さん方がこの学園を去って、皆さんの中のたった一人だけでもこの学園に残る者がいるとすれば、私はその一人の
生徒のために全力を尽くして
教育に当たる決意である、こういうことを宣言されたわけでございます。
不思議なものでございまして、その宣言がありまして後、学園が一糸乱れず、その混乱状態がうそであったかのような状況を取り戻したわけでございまして、私は、
教育者というものの偉大さをこのときほど痛感したことはございません。一人の
人間の偉大さ、一人の
人間が人を育てるということのとうとさをこのときは本当に心にしみて感じました。
ですから、私もこの場に立ちながら、
教育の場に最も必要とされるもの、それは先ほど申しましたとおり、やはり
教育者である。
教育は人なりというのはまさにそのとおりだと信ずるものでございます。
そこで、
赤松大臣に御質問をさせていただきたいのでございますが、その偉大なる
教育者の、
教育界のトップに立っておられます
赤松大臣でございますけれ
ども、その人生観についてお教えをいただきたいと思うのでございます。
教育に対して座右の銘のようなもの、また、これが
教育に対して
自分が抱いている信念であるというようなお言葉がありましたら、ぜひともお教えを賜りますようにお願いを申し上げたいと存じます。