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大宅参考人 おはようございます。
大宅映子です。
最初に、私の
スタンスをちょっと申し上げたい、それぞれの
立場という
お話がありましたので。
今、
評論家という肩書をいただいたみたいなんですが、私は普通、ジャーナリストと言わせていただいております。
評論家というと、何かやはり
政治評論家と思われるとちょっと困るので、私はあくまでも
生活者の目からということを
自分の
スタンスにすごくきっちり置いているつもりです。それで、「
あまから
問答」という
大臣にインタビューする番組を十一年もやらせていただいておりますけれども、それも見ていらっしゃる方にわかるようにと、こっち側に立っては絶対にいけない、見る側に立とうというふうにずっとやってきております。
今回この
参考人という
お話をいただきまして、どさっとこんな重たい資料が来ました。これを読めというのかと、もうそれで一番に頭にかっときまして、そんなあほなことができるわけがないと。私はそれだけをやっているわけではなくて、いろいろなことをいっぱいやっている。ほんの数日の間にこんな生の
法律案を読んでわかるだけの私は頭もないし、それに基づいて批判をしろと言われても、そんなことはとても常人ができるわざではない。
私は、
生活者の
スタンスを守っているというのは、普通の人が普通に
生活をしていて入ってくる
情報、
新聞なりテレビなり、私はそれ
プラス「
あまから
問答」なんかで
情報はある
程度入ってはきますけれども、その域を出てはいけないと
自分で思っております。ほかにもたくさん
専門家の方が
参考人でいらっしゃいますから、私は
自分の、普通の人の
行動範囲で得られる
情報の中でという
立場を捨てないつもりでやっている。あくまでも
生活者の
スタンスということでやっています。わかっていないようなことを言い逃れるつもりではないのでして、それが私の本当に必要なことだというふうに思っています。
政治改革なんですが、まず、ぐちゃぐちゃ言わないで早くやってください、これしかありません。長々、不退転の何とやらとかいろいろ言っちゃ、総理の首がかわってまた動かない。もう何をやっているのかといらいらが募っている。もちろん、
政治腐敗に関しての
国民の不満が募っているのは確かなんですが、それ
プラス何ぐちゃぐちゃやっているんだ、早くしてよというのが物すごくあると思うんですね。
もちろん、でもそう簡単にできる話ではないし、私
たちの
国民の将来が全部がかっているわけですから、そう簡単にやってもらっては困るのですが、でも、
皆さんが何百時間とかいろいろおやりになったのであれば、ある
程度の方向はもう既に出ているはずだと思うんですね。それを、やれ一票がどうとかだ二票がどうとかだとか、三百がどうとか二百五十、もうどうでもいい。そんなものはこれで絶対だなんということはあるわけないんですね、その
制度の
改革に関して。
そこそこのところがあるはずなので、それを早く承りまとめて、実際問題は
政治改革というのは入り口なわけですよね。それで、
政治改革をやっただけで
国民の
生活がよくなるわけでも何でもないわけです。それを早くやって、一番
政治家にやっていただかなきゃいけないのは、この本当に混沌とした世界の中で、こんな不景気の中で早くみんなが将来に明るい見通しが出て、ああそうだ、これでやっていけるんだというふうにやっていただくことが
政治家にお願いすることであって、
政治改革というのはそのゼロのスタートなわけですよね。それもできなければ、多分
景気回復とかなんとかいうことはほとんど無理だろうと思うのです。だから早くやってくれというのはそういうことです。
もしこれで細川さんが年内にできなかったらといった言質をとって、またぐちゃぐちゃやって流れましたなんということになったら、もう本当に私は腹を立てて国外に逃亡するかもしれませんので、その辺よろしくどうぞお願いしたいと思います。
もう
一つ、
政治改革イコール選挙制度なのかというのがどうしてもやはりひっかかるわけです。もちろん、いろいろなものの諸悪の根源は、全部たどっていけば中
選挙区制だという理論もわからなくはないのですが、では小
選挙区制ですかというときに、その辺の
国民に対する
説得力みたいなものがどうも欠けているという気がするんですね、小
選挙区制のひとり歩きみたいなもので。
ここへ来るまでは、やれ
並立だの併用だの連用だのと、これでもう頭みんなぐちゃぐちゃですよね。テレビであれをやるとみんなチャンネルを変えるという。わからぬと。さっきも言いましたように、わからないんだけれども、
一つ一つ多分理屈はあるんでしょうが、
根っこのところさえ押さえてくだされば、後はという気がするわけです。
今この
並立制でまとまって、今度またわけがわからなくなったのは、さっき言いましたように一票だとか二票だとか、一人頭何万円だとか、二百五十がどうとかとか、本当にこれは
本気で
皆さんが
国民にわかるようにやっていらっしゃるのだろうか。
根っこのところで一番問題だと思っているのは、どう考えても
政権をとる側の論理なんですよね。これをこうやると二大
政党になる、これをやると連立て何となく
安定政権にならないとか、
政権の話なんですよね。
政権の話の
権力側のところでとまっているということが多分私
たちから見てわからぬと思うし、何か、まあいいよというふうに逃げてしまう部分でもあるんじゃないかというふうに思います。
もうここまで来たら
党議みたいなものに縛られないで、どうも
新聞情報でいろいろ出てくるのを聞きますと、各党の間でもこっちだあっちだと、全部こっちとこっちがつながっていた方がいいような話がいっぱいあるようなんですね、二票制、一票制にしても。だったら、もうばらして、
本気で
皆さんで投票してみたらどうでしょうかみたいなことすら思っております。そんなことはできるわけはないだろうと言われたらそうなんでしょうけれども、こっちから見ていると、本心はこうなのに
党議がこうだからこうやっているとやっていることは、一体何なのかというのが読めないから、そこでいら立っているというわけなんです。
もう
一つ、私どうも腑に落ちないものの
一つは、
自民党政権のときに小
選挙区制というのが出てきたときに、
政権交代ができないからいけない、
政権交代というこういう結果を求めるために、逆にやるとこれは小
選挙区制でしかないというふうに出てきたわけなんですが、ずっとそのまま中
選挙区制でやっていれば
政権をとれた
自民党が、何でわざわざ
自分たちが
権力を失うような
制度を出してきたんだろうか、これはどうしてもわからない。何か裏があるんじゃないかとか、本当はそうじゃないんじゃないかとかと、いまだにそれは私にもよくわかりません。
それで、多分、もちろんいろいろなものを突き詰めていくと中
選挙区制になるんだろうとは思いますけれども、何か言いくるめているのかなとか、じゃ
本気で、本当に
自分たちの身を犠牲にしても
日本国の将来を考えて
本気なのかな。それを言っている間にあの
政権がかわっちゃったものですから、それはそれでいいのですけれども、
本気で
日本の
議会のシステムが民主的に行われて、それで
国民の支持を得て、機能しているかどうかということに立って
選挙区
制度を変えようとしているのかどうかということに関して、どうも何かいまだに腑に落ちないでクエスチョンマークのままでいるということです。
一番中
選挙区
制度がまずいといったのは、要するに金がかかるという。金がかかるからまずいというのは、これはとっても
国民にわかりやすくて、
お金が絡んでいるからみんなああやっていろいろな
疑獄事件が起きる。そうよ、金がかかるのがいけないのよ、
政治家が金ばかり集めるからいけないのよ、こう言うのはとても通りがいいわけですが、問題は、これはもうよく言われていることですけれども、
選挙民がたかっているというか、地元に利益誘導するために
お金がかかるということはたくさんあるわけで、私も去年、おととしですか、
衆議院の
議員秘書の
公設秘書を二名から三名にふやすというのの
委員をさせていただきまして、
先生方とか
秘書の方にいろいろ
お話を伺いました、
政策を考えるために
お金が要るというのであれば、私は
幾らでも出そうじゃないのと思っている人です。ところが、
議員の方の仕事の中身、それから
先生方のお部屋に伺ったときに、私は十何人だか
秘書がおりますが、
政策を考えている
秘書なんというのは一人もおりませんと断言なさった立派な
先生がいらっしゃいまして、もう私は唖然としました。
選挙区から
選挙民がいらしたら
国会も案内しなきゃいけないし、それはまあいいでしょう、
国会議員がいなきゃいけないという話になっているから。これもおかしいとは思いますけれども、まあそれはいいですけれども、
選挙区から人が来たときに、お帰りになる汽車までに時間があれば、そのお相手もしなきゃいけないとおっしゃいました。もう頭にきて、冗談じゃない、そういうのに
お金が要るんだったらとんでもない、
選挙運動なのか
政治運動なのかはっきりせいというふうに思いました。
つまり、どこまでが
民主主義の
必要コストなのかということをもっと明確に出すべきだと思うのですね。
お金がかかる、かかるというのだけばっとこれもひとり歩きしていますけれども、これを全部出したら
二つ効用があると思います。
一つは、
選挙民の人に、あなた
たちが余計なことをいろいろ言うからこんな余計な、むだな
お金がかかるんですよというのをちゃんと突きつけられる。
先生方はみんなその票の上に乗っかって生きていらっしゃるわけだから、なかなか
選挙民にそれを突きつけられないというのがあるんでしょうけれども、
一つクッションを置いて、しかし、こういうことでこうこうこういう
お金がこうかかっていますと言えば、
幾ら何でも
日本の
国民はわかるだろう。
それからもう
一つは、本当にどこまでが
必要コストで、だったら私は本当に
お上で、
お上というか公に見て構わないと思っているわけです。でも、それがまたぐちゃぐちゃになって、家族が
秘書になって、それに全部行ってしまうとかそういう話だったら、泥棒に追い銭になってしまうわけですから、とんでもないというふうに私は思うわけです。だから、どこまでが
政治に対して、
民主主義の
政治のための最低限必要な
コストなのかというところを、これはもうちゃんと練らなくちゃいけないんじゃないかというふうに思っています。
公的助成金でも、多過ぎると言われたら減らすとか、何かかなりいいかげんで、ほとんど論拠はないんじゃないかという気がしますし、
政治活動に制限をつけないと言われると、税金で何やってもいいと言われても、それも困るよなというふうに思います。
理想的に言えば、個人が
政治家に寄附をするという形がいいんだというふうにおっしゃいますが、私は、
日本国においてそれが何世紀後に実現するだろうか、それは
理想かもしれないけれども、とても無理だろうというふうに思います。
政治家から
お金を取ろうと思っている人はいるだろうけれども、
政治家に
お金を出そうという人がそういるとは思えないので、私は、
理想かもしれないけれども、かなり無理なんじゃないかというふうに思います。
先ほども申し上げましたように、
制度というものを変えるときに一〇〇%これでよしなんということはないわけで、実はこの間税調の視察でもってアメリカとカナダヘ行きましたけれども、彼らがその
制度を変えるときの意識は、八割方よくなったらいいじゃんという感じなんですね。
ところが
日本の場合、
消費税のときにもおわかりのように、何かとんがった、すごく特別な例外的なところを持ち出して、こういう不合理があるじゃないかと言うと、ほとんどマスコミはそればかり追いかけて、
根っこのところはなくなっちゃうみたいなところがありまして、もうちょっとおおらかに、そこそここの
程度、さっきも言いましたように、我々の
議会制度を守るために、これだけこうやればこういうふうにうまく機能するんだという
根っこの八割方を押さえていただけたら、それでもう早くやっていただきたい。
ただ、私はもう
一つ政治改革といったときに、どうしてもやっていただきたいことが二つあるのですが、一票の格差の是正です。これは
日本国に住んでいる
国民としての最低の権利だと思うのですね。東京に住んでいる者にとりましては、それが三分の一でいいでしょうという話というのは、どう考えてもおかしいと思うのです。
それをある
政治家にぶつけましたら、じゃ、それで全部人口割りしたら、
大宅さん、全部都市の人に誘導する
政治になってしまいますよと言われましたけれども、でもそれは、もし
過疎対策とかいうのが必要なのであれば別枠でやればいいことであって、基本的な権利としての一票の重さというものが違うというのは、どう考えても私はおかしい。居住地によってその一票の重さが、軽さが変わるというのは、どう考えてもおかしいというふうに思います。
都市に住んでいる人はいろいろな利益代表のところに組み込められるから、いろいろな発言の場があるという言い方をなさいますけれども、逆に地方の方がしっかり組織化されていて、その
意見が通るようになっているのじゃないか。一番かわいそうなのは都市のサラリーマンだろうというふうに私は思います。一番割食っているのが都市に住んでいるサラリーマンだろうというふうに私は思います。
それからもう
一つは、これは根本的なことなんですけれども、
国会審議をまともにやっていただきたい、そういうことです。やっと対論、反論とかを、たまにおやりになるようになりましたけれども、結局
国会の場で議論されるのではなくて、見えないところで、いわゆる国対
政治みたいなものでやられるということに対しての不信感というのは物すごくあるわけですね。今のというか、この間までの与野党のなれ合い、本当は何かけんかしている風をしているけれども実はもう全部できているんだとか、そういう話というのがだんだんみんなにわかってくると、ばかばかしくて見ていられないという話になるわけです。
総理の首をすげかえただけで、
国会は
国民に対しての責任をいつも果たさないままずるずる来てしまって、今回はそういうことがないだろうということを私は期待しているわけですけれども、もう
一つ総理のリーダーシップがないということはみんなわかっているんだし、やらなきゃいけないことの全部先送りになるわけですね。総理の座というものがかかっているので、ここで
国民に対して耳の痛いこととか支持者に対して耳の痛い
政策はやれないということで、みんなわかっているのだけれども先送り。
ウルグアイ・ラウンドにしても、米の自由化にしてもそうだと思います。米の自由化、もう随分前に、玉置さんが総務庁
長官のときに、もうほとんど決まりかかっていたように私は感じていたのですが、その後どういうぐあいかわかりません、またぎいぎいさい。現場の農民の人も、もう絶対だめだろうなと思っている。
政治家の
先生方も、テレビなんかで御一緒すると、控室にいるときは、もうそうです、テレビじゃ言えませんがねともうずっとそうなのに、もう何年もそうなのに、まだここでやっていて、まだ反対という話をしているわけです。
今回の不作のことで、一粒なりとも入れないと言っていた
日本が輸入するようになりました。私が外国の人だったら、一粒なりとも入れないと言ったじゃないか、やらないよと言うと思いますけれども、やはり
お金が絡んでいると、ぜひ買ってくださいという国が出てくるから困ったものだと私なんぞは思っております。
政治家というのは、
国民の耳に痛いことも言わなくちゃいけない、泥もかぶらなきゃいけないということだと思うのですが、何かみんなにいい顔をしようとする。これは絶対無理です。しかも、今までのように欧米に追いつけ追い越せで、それが大目標で、もう経済が最優先で効率よくやればいいという形でやってきたときはそれでもよかったのでしょうけれども、今ここまでの豊かさになって、みんなのニーズがばらばらなわけですね。
あちら立てればこちらが立たないというのがある中で、これを練った上で、こちらの言うこともわかります、こちらの言うこともわかりますが、こうこうこうで、今の状況だとプライオリティーとしてはこちらですねというような、そういうことをやるのが
政治の場だと私は思うのですが、それをやるようなシステムができ上がっていない。全然ディベートをしていない。
それがこれからずっとどうやって意思決定をしていくのだろうかというのが、外から見て
日本の顔が見えないというのは、まさにそういうことだと思うのですね。どこで何がどう決まったのかが見えない。それが見えるような、もちろん我々
国民に見えるような場でやっていただきたいし、それをやれば、多分外からでも顔が見えるということになると思います。
多分派閥という話が今までの
政治改革という話で問題なのは、個人の集金能力を超えた
お金が要るようになった。そうすると、派閥のボスはそれに輪をかけて集めなくちゃいけない。派閥のボスはその権限で総理の座をどうするかということがある。メンバーの人
たちは
大臣のポストだとかが問題であって、それがあるかないかでもって、いわゆるよく言われる許認可権だとか予算の配分だとか交付金の配分だとか、そういうものが全部絡んでいるという図式だったんだと思うのですね。
それを変えるために、一応それが全部中
選挙区のせいだということもおありかもしれませんけれども、私は税調だとか、行革審もついこの間の専門
委員をさせていただいていましたけれども、何が一番むなしいかといいますと、
幾ら私
たちが一生懸命論じても、税調のときは、今までは政府税調で出しても
自民党税調でぐちゃぐちゃっとやって、違うのですね。行革審にしても、やるやると
幾らあれしても、全然お役所側は動く気がなさそう。
私が入っていた方の部会じゃありませんけれども、特殊法人の見直しというのがありました。ところが、それにくっついていらっしゃる
先生方をかさに、ヒアリングに応じないというふうな話がありまして、全然それが行革審の中に盛り込まれなかった。
私が感じているのは、
新聞の記事が出まして、畜産事業団、牛肉が値段が差があり過ぎるので輸入は余りしないようにと書いてあるのですよね。それで
生活者優先の、
生活者重視の
政策といったって、そんなものあるかというふうに思うわけで、最初にも申し上げましたように、本当にいわゆる政官財の癒着を断ち切って、
生活者重視の
政策がとれるようにしていただくのが本当の
政治改革でして、それをやっていただくために、まだその
制度のところでぐちゃぐちゃ、もちろん
制度だって大事なんだけれども、それはもうなるべく早くクリアして、早くそちらの方に、実際の
政策面に動いていけるようにやっていただきたいというふうにつくづく思っております。
ちょうど二十分になりました。勝手なことを言わせていただきました。(拍手)