○高見
委員 ぜひ前向きにお願いを申し上げたいと存じます。
一九七九年に琵琶湖の
水質汚濁を防ぐために燐を含む有隣合成洗剤の使用の禁止、工場、事業所に対する窒素、燐の排出規制などを柱とする琵琶湖条例が滋賀県において制定されました。この条例をおつくりになったのが当時滋賀県知事をされておられた、現在は内閣官房
長官の武村正義さんでございます。また武村さんは、この
委員会の
理事としても活躍されておられたと伺っております。
この琵琶湖条例について滋賀県の人々から非常に印象的なことを言われたことがございます。琵琶湖条例がもたらしたものは、単に美しい琵琶湖、琵琶湖の
環境保全というよりも、滋賀県民がみずからの郷土に誇りが持てたということだ、これが琵琶湖条例の残した最大の効果、功績だったというふうな評価を聞いて、なるほどなと。地域の政治と
環境問題、あるいはもちろんこれは国政も含めてでございますが、政治と
環境問題というのはこういう観点で見ることができるんだなと非常に教えられた思いがいたしました。
ちょうどこの琵琶湖条例がいろいろと取りざたされているころ、私は、京都の空き缶条例の件で、空き缶のポイ捨てをやめさせるためのデポジットを導入しようと、関西方面で市民運動を一生懸命やっておりました。ところが、
産業界の側は、要は突き詰めると、そんなことをしたら小売業が迷惑をする、缶を回収したら店に置く場所がない、あるいは十円のデポジットをつけると売り上げが下がってしまう、そんなことより売り上げをどう上げるかということの方がずっと大事なんだというふうなことで、なかなかうんと言っていただけません。最終的には結局、健全な
産業の発展を君たちは妨げるのかというような言われ方で、ジ・エンドということになりました。その割に、この間百十円にさっさと上げられましたので、何だこれはと思っておりますが。
私は、
産業の健全な発展は、整った
環境があって、十分健康な人の命があって、美しい町があって、健全な生活があって初めて成り立つものではないのか、それがなくて、目先の利益だけを追うというようなものが本当の発展だとするのは、これは極めて偽りの発展ではないかな、そう
考えておりました。
また、
日本のかつての
環境保護運動というのは、
公害に対する
対策運動というふうな色合いのものが非常に強く、まさしく全体のトーンとしていえば、闘争、告発、反対、批判といったネガティブキャンペーンを中心とした、こぶしを振り上げるたぐいの運動が大変多うございました。しかし、運動が過激になればなるほど多くの
国民の共感を失っていくというような非常に悲しいジレンマがありました。これは過渡的には仕方のないことであったというふうに思いますが、私が最初からイメージした
環境保護活動というものは、そういう批判、闘争、告発というふうなものを超えて、ごく普通の市民が普通の暮らしの中で参加でき、そして共感していただけるシステムと場をつくること、そういう
考えで私は個人的に十七年余り
環境保全の活動に取り組んでまいりました。
これこそが、市民の本当の
意味での参加と共感を実現するという
考え方こそが、新しい市民運動の基盤になるのではないかな、それこそが実は、先ほどの琵琶湖条例ではありませんが、暮らしの自治あるいは個人の自治、地域の自治というふうなものにつながっていき、やがて本当の
意味での民主主義につながっていく動きになるのじゃないかな、そんなふうに
考えでございます。
さらに、現在私どもの経済システムでは、
環境が提供する物質や恩恵の価値のすべてを考慮に入れているとは残念ながら申しがたいと思います。また、
環境資源が減少あるいは損なわれた場合に、本来支払うべきコストも考慮されておりません。こうした
社会が持つ、
時代の持つ価値観
体系では、
環境とその
機能には限界がなく、かつ無料で入手できるもののように扱われており、これが結果的に資源を枯渇させ、生態系を劣化させ、人の命を危うくしていくということにつながっていると思います。
そこで、
環境問題の新たな取り組みを展開しようというこの
環境基本法の第四条に
基本理念の
一つとして、「持続的発展が可能な
社会の構築」というものが掲げられておりますが、
環境と経済との
関係、及び持続可能な
社会を構築するための
基本的な政策手段の方向についてお伺いをしたい、こう存じます。
また、こういった
社会の構築のための方法の
一つとして、第二十二条に経済的措置が規定されておりますが、先ほど申し上げました例えばデポジット
制度というものは、
国民の一人一人が
環境に優しい
社会の構築を意識し、
社会のシステムづくりへの自発的な参加を求めていくためにも、その導入に非常に積極的に取り組んでいくべきものだと私は
考えておりますが、いかがなものでございましょうか。当時の京都の空き缶闘争のころと比べて、大分
社会的な
環境も煮詰まってきているかと存じますが、ぜひよろしくお願いしたいと思います。