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深田肇君 このことで余り時間をとっていると後のことがあるので……。
そういう今
説明をされちゃうと、これまた私は
衆議院なり
参議院の
同僚も行っておりましたけれ
ども、他の
議員に対してちょっと
説明のしょうがないんですね。
例えば、今おっしゃった
言葉だけでもちょっちょっとメモしましたら、先に
約束した、
記録係
一人という
約束であった、ところが二人来たと。二人来たのはだれかというのは、
国会議員の
秘書だということを当時の
課長や
調査員の方にも身分を明らかにして、その
秘書はここで今私の
写真を撮ったりしている彼も行ったんですよ。彼もだめだというんだから。ここへ入っていますけれ
どもね。ということなんですからね。
それで、もう時間ないから、こういうことを長くやるのは私余り得意じゃないんだけれ
ども、お昼御飯が早く終わったものですから十五分ほど前に行っているわけです。そのときに確かに一人と思ったやつがあと一人二人いたということがあるかもしれませんが、そのことも含めて十分や十五分の話し合いの余地はあったわけですから。
それで一時半になって、もうこうなりゃ
大臣に直訴しておくけれ
ども、半から十分たって、一時四十分にもう決裂だから。じゃ我々帰らざるを得ないぞと言ったら、どうぞということになっちゃって帰るんですから。それで、
局長はどこにいるんだと言ったら、隣の部屋にいるんだよとこうおっしゃっているんだから、いるのなら顔を見せてくれて、まあ私は
議員の名前言ってもいいけれ
ども、うちの
議員に対してまあまあまあとこうやられりゃ、いろんなことあっただろうと思うんだな、
日本語は通じるわけだから。そういったことを今のような
答弁をされちゃうと、それはそうはいかないというふうに実は思いますね。
それからまた、
言葉のことだろうけれ
ども、先に帰られましたと言うけれ
ども、先に帰った
雰囲気じゃないですよ、今申し上げたようなことですから。片っ方はちゃんと時計見ながら、あと五分あと五分と言いながら私の
先輩が待っていて、おい
深田君、十分だ、君は
法務委員だな、十分待ったぞ、さあ帰ろうと、こうやるわけですから。それを
皆さん見ておられるわけだから、
法務省の方々は。その中でとめることもなければ、何とかしましょうという話があったわけでもないんだから。だから、それは
局長知らなかったのなら
法務省全体の問題になるし、そのことを今やるのが主目的ではありませんが、これからも積極的に会っていただいて、我々
議員や有権者の代表、代理であるメンバーが意見を言うというときにはひとつ耳を傾けてもらうということが、どうなんでしょうかね、大変これはもう最初に申し上げた
大臣の
所信とは大分遣うんじゃないかということを感じたことを率直に申し上げて、まあこのことばかりが問題じゃありませんから、次にいきたいと思います。
そこで、そういうふうに申し上げた上でちょっと、本当はここのところで少し時間をいただいて
大臣にも、もう
皆さんも御
承知のことだろうけれ
ども、もう一遍生の話を聞いてもらいたいし、そして
先輩の
議員の
皆さんにもこういうことが三十年前にあって、今こういう
状況になっているんですよということを一、二
お話ししたいと思っていましたが、思わぬところで
保護局長に時間とられちゃったものだからしゃべれなくなっちゃいましたので簡単にやります。
今、
石川一雄さんは第二次の再審請求をしているんですね。これはもう
皆さん御
承知のとおり。第二次の再審請求をしている。そういう
状況の中で、実はここで
法務省なり
裁判所との間で法律的論議をやって
手続論争をしようという気持ちは全くないんです。そこは、もっと正直なところ、もう誤解ないように聞いてもらいたいんだけれ
ども、ここにおる
市民が、私でなくて
市民が、それを
法務省や
裁判所に聞いてみてくれと言うわけですよ。同時にまた、
石川一雄さんのお父さん、お母さん亡くなっちゃったんだが兄弟生き残っているんです。その兄弟たちが聞いてくれよと。聞くと、十分待ったけれ
ども会ってもらえなかったと。ここで言うと、これは
答弁できませんと、こうなっちゃうわけでしょう。そういう
状況だから、ここまでオーバーに言っちゃしかられるかもわからぬが、
政治不信とか
検察不信だとか
法務省不信ということに広がらないとは限らないね。広がらないとは限らないね。という感じが率直にします。
例えば、
埼玉だけでなくて全国的にもあるかと思いますけれ
ども、差別
発言がどんどん出るんですね。たまたま小さな町、狭山ですが、その中でも続出する差別
発言だとか、それから、私はきょうはそのことを中心的テーマでやるつもりはないのでありますが、部落差別の問題だとかいうことについて比較的多いんですよ、最近。多いんです、
埼玉の場合は。そういうときに、どうしても狭山の
事件、
石川さん
事件というものは直接間接やっぱり影響しますね。したがって、私は決してオーバーに言うつもりはありませんが、
埼玉県や
日本全体のいわゆる
国民感情が落ちついて、そして名実ともに平和で豊かにいくためには、こういったことはもうどんどんどんどん解決していくということがなくちゃいけないんじゃないかと。それが
法務大臣、特に気をつけてそういうふうに指導していただくことが
日本の平和だろう、
日本の
国民の心が
一つになるためには一番いいことだろうというふうに痛感をした
立場で一、二
お話をしたいんです。そういう
意味では本当に素朴な疑問をみんなが持っているんだということを言いたいというふうに思います。
そこで、三月八日に
石川さんのところに行ったんですが、三月二十一日、新しい話なんです。三月二十一日の日曜日に狭山市、約四、五万人の小さな町なんですが、御
本人の家があったところであります。しかもそこは逮捕された場所であります。その狭山市の小学校を借りまして、こういったことはもう正式に言わざるを得ませんので名称とおり言いますと、また少し気分的に悪くされるかもわかりませんが、富士見小学校の体育館を借りて、「
石川さんの不当逮捕三十年糾弾 狭山第二次再審闘争勝利
埼玉総決起大会」というのが持たれた。糾弾するのはおかしいとかいろんなことは別にして、そういうのが
市民等々によって行われたんです。
そのときに、私はここで
局長なり
大臣にちょっと印象として残しておいてもらいたいことは、責めてもらっちゃ困るんですが、狭山の市長がその場に来られた。狭山市長が来られまして、印刷物でメッセージを読み上げられた。このときに私は市長がこういう
理解をしておられるのかと本当にうれしく思って、そのことを
保護局長にも
矯正局長にもぜひ言いたいじ、できれば
裁判所の
皆さんにも直接間接知ってもらっておきたいと思うんです。
もうはっきり
石川一雄さんがと、さんをつけてもらって、
石川一雄さんが逮捕されて三十年たちましたというのがずっとありまして、そしてその中でこうちゃんと御
本人は言っておるんですよ。私自身は行政府の一組織の長でありますから司法に直接口を差し挟むことは控えたいと思いますがとちゃんと前置きを市長なんか言っているんです。言った上で、この後がいいんですよ、この年月の重さをひしひしと感じずにはおられません、何よりも県内各地から大勢の方がこんなに集まってきている現実を私は大きいものと感じます。もう率直に言っておるんですね。その次に、きょうも少し
お話をしたかったのでありますが時間がありません、ここでしゃべっちゃいますが、元捜査員の新たな証言があったとの新聞報道、これは弁護士が引き出すわけでありますが、その新聞報道に接して、この再審請求に対して十分審理を尽くしていただきたいとの感を深めております、こう言うんですね、再審の問題。
これ、市長がそういうふうに
市民を代表する声として、御
本人の家族や千名以上集まっているメンバーの中で言う、これは
埼玉県だけのメンバーで、ほかの県から来ているわけじゃなくて。そういうところでそういうふうに話があった。しかも一番最後に、うれしかったことは、かつ御
本人が釈放されましたら狭山
市民として安定した
生活を送れるよう意を尽くしますことを込めてごあいさつとしますと、こういうありがたいことを言われているんですね。そういう
状況であることも御
承知いただいて、もうそろそろいかがなものかとい
うことを強調したいためにそういうことを申し上げます。
同時にその集会に、ここにも印刷物があるんですが、
本人ですね、
石川一雄さんからアピールが来たんです。
この中で、私は引用することがたくさんありますが、時間がありませんので二つ言います。「私
石川一雄は、地元の集会に挨拶状を出すのは今回が初めてです」、だから、三十年間にして初めてです、こう言っているんです。これは印象的な
言葉です。もう
一つは、「
皆さんにお願いしたいのは、やはり、東京高裁に事実調べを求める幅広い
国民世論の高揚をはかってもらいたい」、事実調べをしてもらいたいというんですね。私も調べてもらいたい、もう一遍調べてもらいたいと書いてあるんです。自白をしたことは、何で自白しちゃったのか、あのときどんな
雰囲気だったかということをもう一遍言いたい、言うチャン人がないんだ、聞いてもらいたいんだということを訴えているんですね。
そういったことがありましたということを申し上げた上で具体的なことを、これは最高裁にお伺いすることなのかなという感じがしますが、どこでも結構でございます。
いわゆる第二次再審請求というのをやっていると思いますが、私
ども知るところでは、一九八六年八月二十一日にやっていますから、もう七年たっちゃうんですね、七年。こんなに時間かかるものなんですかね。出した
本人にとってみても、七年間動きがない。我々それを聞いて、七年も前にやってまだかというのは、これは全部集まった人が言うんですね。これを聞いてきてくれよと、こう言われているんです。これはその機関でやることであって、ここでは
答弁できないとおっしゃるかもわからぬが、それにしても余り長過ぎやせぬかなというふうに
市民が思うことは、それは
検察であるとか裁判の
状況を知らない
市民の方の問題なんであって、こんなものは当たり前なんだということなんでしょうか。そういうことを教えてもらいたいんですよね。言ってやりたいですね、
市民たちに。
石川さんの家族たちに
説明してやりたいですね。という感じがします。
同時に、いや本当に七年も八年もかかっているんだというんなら、ほかにそんな例がたくさんあるんですか。ほかにたくさんあるんですか。
石川さんだけがだめなのか。いやもう大体そんなもんだよ、人手不足含めてそんなに簡単にできないよ、裁判長といえ
ども忙しいんだよというようなことになるのかどうかということも含めて、ほかの例もあるのかないかも聞きながら、私は時間がかかり過ぎているんじゃないかというふうに思いますが、いかがなものでしょうか。