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参考人(
澤登晴雄君)
澤登でございます。
私は、実は、今の
JASというのはまことに悲
しい出来事だと思っておるんです。というのは、私
ども有機農業をやっておりますし、私、七十七歳になりますが、本当にもう七十年やってきたことは
有機農業だけであったんです。それが、私
どもは本当に人類の歴史以来
有機農業をずっと続けてきて、ここ三十年、いわゆるヨーロッパの
ドライカルチャーの
方式から入ってきて、
日本に明治維新以後いろんな形で入ってきた中で特に
化学肥料が入ってきました。そして土をめちゃくちゃにしてしまったから、
有機農業が目についたということだと思っております。
この点は前述の
郷田さんとか
折戸さんと全部同じでございますが、それを
JASに入れるということについて、私は何としても納得できないんです。特に、
JASについての本質的な問題は、もう
折戸さんの御
意見に尽きておると思いますので重複を避けます。
それで、私、一番の問題は、簡単に言いますと、
有機農業で売れば高くなる、非常に俗語でございますが、高く売れるからやるんだという、そのことなんです。
付加価値農業というような言い方もしておりますが、実は
農林水産省からいただいた資料の中に、「次に、この
法律案の主要な
内容につきまして」ということで、「第一に、」「
生産の
方法に特色があり、これにより
価値が高まると認められる
農林物資」についてやるということになっております。これは本当にとんでもないことでございまして、
有機農業で
価値を高めるということはまことに悲劇なんですね。当たり前のことをやる、それが
有機農業です。毒になるものを使ってはいけないことは当然です。
これは
先祖代々ずっとやってきたことです。私も、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、そういう先輩から全部やってきて、私は十歳で父を失いましたが、そのときから本当にそれ以外になかったわけなんです。それがこうなってきまして、しかも
最後はどうなったかというと、
有機農業をやらざるを得ない。当たり前のことをやらざるを得ない。それを
付加価値農業だとするところに問題があると思います。
そして、それを
審査するのに、できた
製品は全部
審査できないと言い切っておりますね、あらゆるところで。
農水当局もそう言っておられます。それで、その
生産行程を
管理する
生産行程管理者というのが物すごく重要な
立場になるように書いてあります。私、
農業生産の中で
生産行程というような言葉を、またそれに
管理者というような言葉を聞くのは今度が初めてで、非常に勉強になったんですが、これは工業化
社会の
一つの原理が入ってきたんだと。
農業をかくまでむちゃくちゃにして、そしてかくまでに
農産物を疑わなくちゃならぬという、そういうことにしたものがやっぱりこういうことになったのかと思いますが、その
管理者というのは何となく権威のある
方々がなられるということなんですね、
行政なりいろいろ関係して。これができるでしょうか。
農業生産というのは、
農業をやっている本人が、徹底的に自然の摂理に従って自分の傘とそれから
作物と家畜と全部同じ命を共有しているんだという、その
立場に立ちまして一生懸命やらないと、天候とかいつどうなるかわからない、天災地変もございます、そういう中でやっていかなければ成立しないものなんです。それを、何か
管理がどうか、どんな偉い人か知りませんが、それだけの能力のある人があるんでしょうか。
私は、くしくも、ソ連にかつて行ったことがございますが、実はこのことを聞いて、ソ連の
農業の
管理環境を思い浮かべてぞっとしたんです。こうなっていくのか、人をこれほど疑わなくちゃならぬのかと。GPUみたいなものがずっとやって、何したこうしたというやつを全部調べなくちゃならぬ、これは。調べられないんだが調べなくちゃならぬという、まことにもってこれはもう変なことだというのを通り越しておると思って、私はこれが今度のことで非常に悲しいことなんです。人を信じないということの基本線になりますね。
農業というものはそういうものじゃないんです。
農業生産をやっている
方々は、
消費者の命を預かっているつもりなんですよ。
消費者の命を保障するつもりなんです。そして、私
どもがやっておることは、提携ということを申し上げておりますが、実は
消費者は
生産者の生活を支える義務があるという、その関係がなければ
農業生産はできません。食物
生産はできません。食べ物というものはそういうものなんです。私
どもはずっとそういう関係で今までやってまいりました。
ところが、率直に言いまして、こう言うんですよ。なぜこの
JASをやるかというと、
一つは、私
どもはあらゆることが全部無
農薬で無
化学肥料でできると思っておるんですが、これができない、それは普遍性がないだろうという見解が農林当局の見解のようですね。これはまた私
ども不思議ですが、私
どもは全部やっております。先ほど
郷田さんの言われた
土づくりを徹底的にやれば
かなりのものは胸を張ってできます。
それからいま
一つは、はっきり申し上げまして、今は
化学肥料それから化学
農薬というもの中心の品種です。しかもヨーロッパから来た品種です。雨の少ないところから来た品種。そういうようなものが中心になっておる品種だから、これはやっぱり
農薬を使わなくちゃならないんですが、本当の
日本古来のものは全部
農薬使わなくていいんです。ただし、
一つの条件があります。それは土をちゃんとつくるということなのです。
ですから、その問題に徹底的に今まで農林
行政があればこんな悲劇はないはずなんです。これはまさに悲劇なんです。涙なくしては本当の
農業をやっている人としては語れないことなんだと思います。それが第一です。
それかも、その次にはこう言うんですよ。
有機農業は確かにいいんだけれ
ども、あれは労力がかかり過ぎる。私
どもは労力のかからない
方法をずっとやってきました。一番
日本で大きな稲だってそうですね。今まで手で取っておった一番労力のかかる除草を機械化してきたし、さらに最近はレンゲソウを使いましたり、カモの改良したものを使いましたり、ドジョウを飼ってドジョウに草取りをさせて、むしろドジョウの方が稲より高くてえらいもうかったというような話があるし、また同時にコイも飼いました。それからジャンボタニシも逆に利用したんです。
そういうことがいっぱい出てきまして、不耕起でほとんど手をかけなくても、そういうものと一緒に我々が活動するというんですか、一緒に命をともにしてカモやいろいろなものとやれば、本当に実際ずっと労力がかからないようになりました。大きな
日本の大事な水田はそれができるんですよ。
それから、私は今、国立の火山灰のところでブドウを二町歩つくっておって、品種改良をやっております。それから、皆さん御存じの北海道の十勝ワインなんかのあのもとをずっといろんなことをやって、研究生も養成しました。そして現在もあの町の園芸専門
委員です。そういうことをやってきまして、
日本古来のヤマブドウを中心にして品種改良をやっていけば今の労力の本当に三分の一、四分の一でいいワインのできるブドウができるんです。ヨーロッパのまねばかりしておるとそれはできません。
ブドウでも三十何回やったけれ
どもとうとうだめだったという話まであるんです。これは無理ないですよ。アルカリ
土壌で雨が四百ミリか五百ミリのところで育成された品種を使ったら無理で、できることの方がおかしいんです。今はその悲劇の中に陥っているわけですね。大きい歴史の流れからはそうなんですよ。そのことを無視して私
どもが品種改良をずっとやってきますと、本当に巨峰の半分の手間どころか三分の一の手間で巨峰よりおいしいものができるんです。しかも無
農薬でできるんです。
そういうものができるのに、私がそういうものをつくると、これはおかしいんですが、それよりは片方の三十何回消毒する方がよいという
行政指導を本当にするんですよ。まじめにするんです、それ。それだから困っちゃうんです。まじめにするから困るんで、これ悪いと思って
行政の方がし
てくださればいいんですが、今その
体制にあるから、まじめにそうやるんですよ。それで我々が、先ほど
郷田さんが言われたんですが、まじめに
有機農業をやっている人が圧迫されたり日陰者にされたり、そういうことがいっぱいあるんです。
それから、その次はこういうことですね、収量が少ないだろうと。率直に言って収量は多くなります。今度のは理論的にもそうですよ。
有機農業ができたことは、土の中の生物なんか全部死んでしまいます。これは無理ないです。アルカリ
土壌に使ったその
化学肥料を
日本へ持ってくると、もっと酸性化して、例えば硫酸アンモニアあたりでは硫酸が残るんです。それで生物が死んでしまいます。一ミリ立方の中に何千どころか何万、何億というような生物がおるという関係で、土と根の関係、その共生や互生の関係でずっと木が育っているわけですよ。
それが断ち切られましたから、本当にこれは収量が減りました。仕方ない、病気が出ますから、弱く育ちますから、また
農薬をかける。今まで例えば一反歩に一万円かけておったのが二万円になり三万円になり、特に山梨のある農家のブドウをつくっている人は十万円
農薬を使ったと言うんです。それでもよくなかった。それで私のところへ来て、ゼロのものがあるんですかと見てびっくりしたんです。
試験場ではそういうことを言わないんですよ、実際が。ここにおいでになる方がうなずいてくださると思うんです、農林省の方が。言わないんですよ。言ってはいけないというようなことになっておるんです。それがこの五十年、特に三十年の
日本の悲劇だと思っております。ですから、私
どもは
有機農業はそういうことで生まれたものだと思わざるを得ないんです。
しかしながら、できます。私
どもの本当に巨峰の五分の一、四分の一の経費それから労力で巨峰より高く売れるものが、収量も倍も取れるものがあります。そういうことを案外
有機農業は無視しておるんです。そういうことで、私
どもは育種を無視してはこの
有機農業は成立しないと思っております。
それから、さらに提携という問題を申し上げたいと思っております。私
どもは、もう一楽さん以来提携でないといけないというふうに怒られながら、時には我々も頭をひねりながらやったが、やっぱり結論は提携なんです。提携以外に
有機農業を進めていく道はありません。これを一般
市場へ出して
販売ということになりますと、ほとんどだめなんです。というのは、先ほど
郷田さんも心配されていますが、うそばかりがずっとまかり通るんです。だって、基本的にちゃんとした
有機農業でつくったものであるという証明はできないんですからね。
実は、私
ども、ことしの八月十七日から十日間、アジアの
有機農業の各関係者が集まって大会をいたします。それは向こうの要請があったんですよ。IFOAMという
世界の
有機農業の機構がこういうような
一つの尺度をつくったのでそういうことでやろうと。アメリカあたりは物すごく細かい尺度をつくった
農業をやっておりますね、
有機農業に対するあれを。そういうことなんですが、どうもそれが、私
ども考えてみますと、最近は
日本の提携のやり方がよいから、それでないともうやっていけないところへ来たんです。
時間がなくなりましたら御質問の中でお答えいたしたいと思いますが、こういうような
一つの規定みたいなものをつくっただけではできません。まして、やるべきでない
有機農業の生鮮
食料をこの
JASへ持っていったらとんでもないことになると思うんです。もう完全に乱れて、
有機農業なり
農業そのものがだめになります。ただでも崩れている
日本の
農業が、これはもう後継者がなくて困っているんじゃないですか。本当に私は自分の村へ帰ってびっくりするんですよ。それをさらにさらに促進する作用をするということは明々白々なんです。
農村がつぶれて国がありますか。私
どもはそのことをしみじみ思いまして、悲しい中でもあえてこんなことを申し上げなくちゃならぬと思っております。
以上で終わります。また質問によってお答えいたします。