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参考人(
山口力男君) ただいま御指名をいただきました
山口でございます。
私は、熊本県の阿蘇町というところで米をつくりながら牛を飼い、百姓をやっておるわけでございます。時期柄まだ田植えも終わってはおりませんけれ
ども、御指名をいただきましたので、こういう
機会というのはめったにございませんから、田植えどころではない、とにかく出かけていこうということで参りました。ふだん着なれない背広を引き出しまして着てまいりました。
ただしかし、初めての体験でございますものですから、ある程度会場なりきちっと見ておかないと、上がって全く物が言えないでは後に悔いを残すということで、実は昨日から参りました。こういうような神聖な場でもございますから、果たしてひげ面で入れるのかどうかというのは非常に不安を覚えておりましたけれ
ども、食糧庁長官を見まして非常に安心をしたような、そういう思いで出かけてまいりました。
私は、こういう場を設けていただいた
先生方に対して、まずは冒頭にきちっとお礼を申し上げなければならないと思いますけれ
ども、現場の百姓の一人として、こういうようなところでその思いの一端なりを述べさせていただくことに対して深い感謝を申し上げたいと思います。
私は、ここへ出かけてくる前に、実は尋常
農業小学校というのを今度開校いたしました。これは別に文部省の認可を受けておるわけではございません。今度出されました新
農政プランの中に、非常に私もここで感銘を受けておるわけですけれ
ども、
農業というのは必ずしも効率だとかそういった側面からだけで律することには無理があるんだということが明記されてございます。少なくとも、そういう効率だとかあるいは利便性だとかいうような社会の価値感以外に、もっと価値あるものである、もっと別の価値を見出すべきであるというとらえ方から、それはやはり
国民に対してそのコンセンサスを得るんだと。
実は、昨日の
先生方の質疑応答を聞かせていただいて、その中でも
国民のコンセンサスという言葉がよく出てまいりました。しかし、我々現場からすれば、そういうような効率だけではない
農業の価値というものをどう
国民に理解していただくか、あるいは理解していただくための方策としてじゃ具体的にどういうものが考えられるのかというのが常々疑問点として残っておりました。
ならば、ささやかであってもみずからそのことを実践すべきである。田植えのさなかにあって、それを一時やめてまで
農業小学校をやるというのは、そういうようなねらいも
一つにはございました。あえて我々が、ただ米をつくることだけに専念できなくて、そういうようなことまでやらなければならないという実情をまずは理解していただきたいというふうに考えております。
それと、マスコミも含めて、この間の
農業政策含めて
農業事情、
農業状況の流れの中で、現場の百姓は何をやっておるんだ、こういうような国際化社会の中で自助
努力を含めてあるいは自立をする
方向に向けてなぜ
努力をしないという声があることも十二分に承知をしております。しかし、あえて私
どもの
立場から言わせていただくならば、今度の新
農政プランにうたわれておりますような形の、いわゆる
担い手としての集団化というか
経営体というか、
法人化とか含めてございますけれ
ども、我々はこの仕事で生きていかなくちゃならぬということで必死です。ならば、ただ手をこまねいているだけではなくて、
法人化した方が有利であり、あるいは土地の集積できるところは集積をしながらやれることは懸命にやっておるんです。
言うならば、今度の新
農政プランは別に目新しいものではなくて、そういうものが効果的であるというところの
地域の
農業をやっている人の中で、意欲のある人はもう既に取り組んでおると思います。私も、確かにまだその実効といいますか成果を上げるには至っておりませんけれ
ども、三年前に
法人化をしました、有限会社にしました。それは私の
地域の中で米をつくり続けるためにはそれが有利であるということでやったわけであって、新
農政プランの中でそういうのが出るなんということはゆめゆめ知りませんでした。しかし、そういう形で私はやっております。
今、我々の中で一番心配しておるのは、そういうような新
農政プランの
推進をやりたくてもできない
地域をどうするんだということについて、ここでやっぱりそのことについてお伺いしたい、そういう気持ちがいっぱい私はあると思うんです。
私は、正直申し上げまして、
先生方があれほど真剣に質疑応答含めて討議をなさっておるというのは軽い驚きでもございました。私
どもは、お互い百姓同士で話しているとき、あぜ道で何を言っているかというと、我々に対しては地元では選挙民向けにああいうふうに言っておるけれ
ども、恐らく東京へ行ったらほとんど
農業のことなんかやってないんじゃないか、あるいは霞が関で
農業に対してプランを練ったりするそういう立案をする官僚の
人たちというのは、実情を含めてほとんど何もわからないまま机上でもってプランを立てる、単なるそれだけのことじゃないかというようなことをよく話題にします。しかし、きのう参りまして、必ずしもそういうようなことはないという、その一端を見させていただきました。本当にありがとうございました。並びに、これならばまだやれるという、多少お世辞も含めて、これならばやれるという思いもしたことも事実ではあるんです。
しかし、現場では、どっちにしろそういうような為政者の
先生方だとかあるいは官僚の皆さん方に任せておってもおれ
たちの将来なんというのは恐らく見えてはこぬということが話題になっておることも事実なんです。これは、私は帰りましたならば、早速、必ずしも軽率にそういう発言は控えにゃならぬぞと、実際
参議院の
農林水産委員会の中であれだけやっておられるということはそのまま私は報告をせにゃならぬというふうに考えております。
ですから、新
農政プランというのは別に目新しいことではなくて、あのプランに沿った形でやるべき人はやっておる。しかしやれない人をどうするんだというところが問題だということを先ほど申し上げましたけれ
ども、それをフォローするという意味合いでいわゆる新農
山村地域指定というのが私はあるんじゃなかろうかというふうに解釈をしております。
ところが、それではその新農
山村地域という指定を受けた
地域であのプランを実行する場合に果たしてできるかというときに、私はなかなか容易ではないと思っております。
まず、
法人化しようにも
法人の構成メンバーがいないわけですから、そのあたりをどういうふうに考えられておるのかという疑問が残ります。
それともう
一つは、たしか三
法案含めて関連
法案十一
法案でしたか、その改正なり含めてそれを読ませていただきました。読ませていただきましたというのは格好いい言い方でございまして、農水省の方から資料を送っていただきました。説もうとしておったら五分ぐらいで眠ってしまいました。なかなか難しくて読めないという部分もあります。
しかし、大体がいつまんで素人ながら解釈をすれば、非常にうがった被害妄想的な感覚になるかもしれませんけれ
ども、あの全体的なプランの中で、もうこれ以上今の百姓、今の我々に対して、
農業をあるいは
農村社会を担ってもらうというのには多少無理がある。ならば、新しい
農業というか新しい百姓を参入させなくてはしょうがないんじゃないかというようなものがあのプランの中にあるんじゃなかろうか、そういう心配をしております。それが具体的には、例えば株式会社でありあるいは
法人格の中に
農業以外の人の参入だとかというのも含めてあるのかなと。
もし万が一にもそういうようなことがあるとすれば、ちょっと待ってくださいと。まだまだ我々百姓はあきらめたわけじゃないんです、自分の手で
地域の
農地を担いながら、自分の手で
農村集落の
機能を何とか維持するために踏ん張るという意欲はまだ残っておるわけですから、ですから、そついう意味合いでは中
山間地域対策という意味でのあの新指定という部分について、もう農民では無理だろうから農民以外にということはもう少し待っていただいて、もう少し我々にやらせていただきたいというのはございます。
それで、我々でもうできないということであるのならば、例えば中
山間地域の
農地を
農業以外に、あるいは中
山間地域を
地域以外の人が担うということがあっても私はやむを得ないかなというふうに思っております。しかし、その際にしても、もしそこで出てくる利益があるのならば、その中
山間地域に利益がきちっと還元されるような形でこれを行ってほしいという願いもあわせてございます。
私は、出てくるときに、ただあぜ道でお互い百姓同士でいろんな愚痴を含めたそういうことをとうとうと述べておってもしょうがない、めったにないこういう
機会に、たくさんのことを常日ごろ思っておることを含めて申し上げたいという気持ちで出てはまいりました。しかし、出てきたら十分でやめろということでございました。思いはいっぱいありますけれ
ども、そういうような全体的に
法案の文言について是だ非だと言うことは私にはできません。
しかし、この
法案の持つ意味として、今のようなことを私
どもは考えながら、危惧するところが危惧で終わり、ねらいどおりの、うたわれておるような文言どおり
地域が
活性化し、我々百姓があすに希望をつなぎながら本当に意欲的に取り組んでいけるような、そのきっかけにこの
法案なり新
農政がなってくれるものと期待しながら、一応私の
意見の陳述を終わらせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。