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久世公堯君 時間もなくなりますので
自治省と
大蔵省に御要望を申し上げたいと思っております。
大蔵省もわざわざ来ていただきまして御苦労さまでございます。
今、補助金につきまして
自治大臣及び
財政局長からいろいろかなり詳しい御答弁がございました。補助金の整理
合理化というのは不断にやるべきものだろうと思いまして、それとともに
一般財源化を進めていただきたいと思うわけでございます。今もお話しがありましたように、こういう傾向は
地方分権とも相まってこれから大きな問題になろうかと思うわけでございます。その場合に、二つの点をぜひ御要望申し上げたい。
一つは、この補助金の整理
合理化あるいは
一般財源化に伴いまして権限移譲をできるだけしていただきたい。ことしも文部省、厚生省、通産省のそれぞれの補助金約千八十四億を
一般財源化されたようでございますが、その場合に権限もひとつ移譲していただきたい。また、
一般財源化をしたことによる国費分でつまらない新規零細補助金をつくらないようにしてもらいたい、このように思うわけでございます。今度の文部、厚生、通産の各省の国費分が一体どのようにこれから使われるのか、これはひとつ
自治省、
大蔵省によろしく
お願いをいたしたいと思います。そして、それはやはり
我が国の抱える重要
政策に向けていただきたいと思うわけでございます。
それから、特に
大蔵省に
お願いをしたい点でございますが、この
地方単独事業は今いろいろお話がございましたように地域の実情に即した成果を上げているわけでございまして、これも
大蔵省の御
協力のたまものと私は思います。
市町村長さん方とお話をしておりますと、
市町村長さん方は、国庫補助金と比べると非常に手続が簡素であって、しかも本当に創意工夫が生かされるという利点を主張しておられる方が多いわけでございます。
一方におきまして、各省庁の補助金を見ますと、その補助金の存在意義を疑いたくなるようなものが散見をされております。
大蔵省は
国家財政の健全化を図るためにシーリング制度を導入されたわけでございますが、総枠を抑制するといった点においては大変効果があったと思いますけれども、別な面において若干シーリングの弊害があらわれているのではなかろうか。
大蔵省が余り個別の事業についての査定をしない。これも非常に結構なことではございますが、そのために零細補助金のようなものが整理がつかないあるいはふえているというようなことがあるのではなかろうかと懸念しているわけでございます。
先ほど冒頭に私は
国家財政は
お父さんだと申し上げましたけれども、余り細々としたお金を配って
子供たちに干渉するようなことはもうやめて、ひとつ一家の大黒柱としてのふさわしい仕事を行うべきであると私は思っております。そのためには、
地方単独事業を従来実施していない領域につきましてさらにその輪を広げていただきたい。ただ、同時に、各省庁のお立場もいろいろあろうと思いますので、そういうことを配慮しながら国庫補助金のひとつ抜本的な
改革というものを
自治省、
大蔵省ともにやっていただきたい、このように思うわけでございます。
私は海外に出ましたときに先進諸国の中央官庁というものをいろいろと見ております。そういたしますと、先進諸国の中央官庁で、日本のように、中央の各省庁が
地方団体の事務や事業につきまして許認可、補助金、そういうもので細かい規制をしているために膨大な人数を特に本省自身が抱えているような国はございません。私が見た限りにおいてはないような気がいたします。中央官庁というのはこれから二十一世紀に向けて本当に中央官庁としてのふさわしい仕事、例えば全国的な計画でございますとか新しいいろいろの
政策の企画立案でございますとか
国際化に
対応するとか情報の収集に当たるとか、中央官庁としてやるべきことはまだまだあると思うわけでございます。そういう見地から、ぜひともこの国庫補助金の整理
合理化というものをひとつ
自治省、
大蔵省に強く
お願い申し上げたい次第でございます。
それでは、
自治大臣に少し
地方分権さらには府県、
市町村のあり方ということについてお尋ねを申し上げたいと思います。
最近、
地方分権ということが盛んに言われております。私は大変結構なことだろうと思います。ただ、どうも具体論がない。ムードあるいは総論が多いような気がしてならないわけでございます。そして、どの分権論を唱えられる方も決まり文句で、権限移譲とか事務配分、
財源配分、自主性、自律性の尊重、こういうことをおっしゃるわけでございますが、私は日本の場合、もっと社会のシステム、国民意識、国も
地方も国民も、そして政治、経済、社会、
文化すべてを
改革しなければ
地方分権というものは成り立たない、こういう気がしてならないわけでございます。
私はアメリカは分権社会だと思っております。これはもちろん連邦という差はあろうかと思います。私はクリントン大統領がまだアーカンソーの知事でいらっしゃるころ五回お目にかかっております。そのうち一回は一時間半ぐらい時間をとっていただいて二人だけで日米
関係とそれから
地方分権についてお話をしたことがございました。まず初めに川ありきというアメリカ憲法の伝統。そして、一州を治める者一国を治める。分権ということがあらゆる社会のシステムに浸透している気がしてなりませんでした。ガバナーとかメーヤーというものが本当に地域によって支えられているという実感を持ったわけでございます。昨年、選挙戦のさなか、クリントン、ゴアのコンビがプッティング・ピープル・ファースト、国民第一主義、州民第一主義、市民第一正義というものを唱えて選挙戦を戦ったこともその証左だろうと思うわけでございます。」クリントン大統領は州知事出身の十五人目の大統領でございます。しかも、人口二百三十万人というアメリカの人口から言えば百分の一にも満たない州の知事が大統領になっているわけでございます。そして、閣僚を見ますと、内務長官と教育長官は知事の出身、住宅都市開発長官と運輸長官は
市長出身、こういう
地方自治の薫り豊かな政権をつくっているわけでございます。アメリカの社会構造、政治、行政、経済、何かすべてが分権社会になっているような気がいたします。
そればかりではございません。私は大変最近感激した場面を見ました。あのブッシュとクリントンの大統領の交代式のときに、それが終わるや、ブッシュ大統領はヘリコプターに乗って故郷でございますテキサスの州にすぐ旅立たれたわけでございます。伺うところによりますと、今ヒューストンで晴耕雨読の毎日を過ごしておられると聞いております。
アメリカの大統領で現在生存しておられる方は五人と聞いておりますが、例えばニクソンはニュージャージー州のウッドクリッレイクにおきまして、またフォード大統領はカリフォルニア州のランチョミラージュにおきまして、そしてカーターはジョージア州のアトランタに、レーガンはロサンゼルスに、みんな大統領の任を終えるや郷里に帰っておられるわけでございます。私はいろんなところにこの分権社会というものが浸透しているような気がしてなりません。
その点、日本の社会システムを見ますと、例えば私は全国区でございますので全国を飛び回っておりますけれども、飛行機の時間帯なんかは全部東京が中心になっております用
地方のことを考えていない。JRだってそうでございます。みんな東京発の時間が原則であって、
地方都市と
地方都市を行く場合なんかは大変今不便でございます。こういうような例を挙げたら切りがない。そういうあらゆる社会構造が東京一極集中を促しております。こういうものを変えない限りにおいて
地方分権というものは成り立たないのではなかろうか、こういう気がしてならないわけでございます。ムードも結構かもしれませんけれども、本当の分権社会をつくるためには、先ほども申しましたように、日本の社会、経済、そして政治、行政のすべての
改革をするかにかかっていると私は思うわけでございます。
まず
自治大臣の分権についての御
意見を承りたいわけでございますが、この府県、
市町村との
関係もございますので、これも触れさせていただきたいと思っております。
私はここに一冊の書物を持っております。「新広域行政論」、「明日の
地方自治へ」という副題がついております。著者は
村田敬次郎氏でいらっしゃいます。昭和四十年
発行でございますからもう三十年近くも前の書物でございます。私はこの書物に大変感銘を受けております点が二点ございます。
その一つは、理論と実践と申しますか理想と現実といいますか、それを抱いておられる。もちろん、この書物は東海三県の統合構想があった前夜にお書きになっておられるものではございます。しかし、今なお広域行政論の古典としての地位を持っておる書物だと思っております。
もう一点は、この村田さんとともに、御一緒に
協力をされた二人の方がおられる。一人は武村正義さん。もう一人は小寺弘之さん。武村さんは滋賀県知事を経て今衆議院議員でいらっしゃいます。小寺弘之さんは群馬県知事を二期目を今やっておられるわけでございます。お二人とも若き愛知県
地方課長の
村田敬次郎さんのその
地方課におられた二人でございます。この村田さんという方が同時に教育者でもいらっしゃる。村田学校、村田教室という言葉がありますように、そういう意味において私はこの書物がそういう人材を養成しながらつくられた本であるというところに敬意を表するわけでございます。
ところで、この書物にこのように書かれております。
この著書では、府県合併、
市町村合併の方向をはっきり打ち出し、新しい行政体制としての
地方行政機構の
改革を追求しようとした。この「新広域行政論」は明確な結論と問題意識をもった作品であり、そのために
現状分析と世論の方向を相当詳細に検討し紹介するように心がけたつもりである。「明日の
地方自治へ」とサブ・タイトルをつけた
理由もそこにある。行政における積極性、合理性、近代性それはそのまま行政の広域性であり、社会開発的方向である。スローガンでもなく、感情的にでもなく、静かに、理路整然と、しかし力強くわれわれは「広域行政でいこう」と主張するのである。
このように述べておられるわけでございます。
あたかも、先般、
地方制度調査会におきましては、
地方公共団体の連合また中核市、そういう答申を出されたわけでございます。二十一世紀に向かっての都道府県、
市町村のあり方をめぐる論議にもこれは連なる制度を提言されたものと思うわけでございます。また、
市町村の合併の特例に関する法律が
平成六
年度末で期限切れになりますことから、その後の
市町村の合併のあり方等について今
自治省では検討がいろいろ行われていると承っております。
市町村の再合併を進めることや道州制あるいは連邦制などの都道府県制の
改革についても
自治大臣はいろいろとお考えをお持ちであろうと思います。
先ほど申し上げました
地方分権についてのお考え方、また今申し上げましたところの
市町村あるいは都道府県の将来、この点につきまして
大臣の御
所見を承りまして、私の
質問を終えたいと思います。