○
国務大臣(林大幹君) 石渡
先生から大変重い
質問をいただきまして、現実の
政治家として
政治活動をするということを踏まえて、今の
先生の御
質問の中における東洋思想、東洋哲学をどう見るのかということになりますと、率直に言いまして大変これ重い御
質問でございまして、私としてもこれは非常に一般論として申し上げて、そしてあと個々のことにつきましては、
それなりの
責任を持って進めていくということしか言えないと思うんです。
端的に言いまして東洋思想からいきますと、自然と人間というものはもともと
一つのものである、一体である、あるいはともに生くべき共生のものである、あるいは運命共同のものであるといったような
考えが東洋思想にはございます。したがいまして、今
水俣の皆さんが海の水の汚れというものあるいはその中からそこに生息する魚から大変な毒物を人体にうつされたというようなことにつきまして、何か神というものが一体あるのかといったような疑問にお立ちになったということについては私も大変悲しい思いでございます。
といいますのは、東洋思想からいきましても、人間は必ずひとりではないという原則があるんですね。よろしゅうございますか、こんな話してしまって。――ひとりではない、必ず複数である、それが人間である。ですから、お母さんのおなかに身ごもったときからその人はもうひとりじゃないんです。必ずこれは二人以上の
世界になるわけです。その二人以上の
世界の最小単位が家族であるわけです、まあ
一つの社会になるわけですけれ
ども。そこで、どんな人間でも必ず社会の一員であるということが原則であって、それから離れることはできないんだということから東洋哲学というものが生まれてきておりますと私は解釈しているんです。ですから、それだけの社会の中で生存する以上は社会に対する
責任を持たなきゃならない、個人個人が。
そこで、その
責任をどうして持つかといえば、一番端的なのはやはりお母さんの姿がそのままあらわれてくるということから動くわけでございますね。したがって、それは何かといえば仁です。仁愛です。愛情ですね。その仁がやはり
自分の体を愛すると同じような
気持ちで相手にもこれを、その相手の身の上を心配してあげるというこの思いやり、これがまず
基礎になるわけですね。
ところが、思いやりそのものがひとりよがりであってはいけない、独断であってはいけない。したがって、思いやることが人間社会の筋道と合致しているかどうかという、その合致している筋道を見つけるのが義なんです。正義とか大義とかいろいろ言いますね、この義ですね。つまり、私なら私がこういうことをすることがいいのか悪いのかという
判断の
基準になるものが義なんですね。ですから、仁は義の
判断によって本当の仁の姿が生まれてくる。
しかし、それだけでも十分でない。やはり大衆の
世界、社会ですからひとりじゃないんですね。一人一人はその部分をなしているかもしれない。そこで、部分と全体との調和が必要ですね。この調和する姿が礼です。ですから、きょうの環境問題を議論していただいている
先生方のグループでも、
委員長さんを
中心にして諸
先生がそれぞれお
立場を持ってやっているわけですが、これらが調和されていく姿、その秩序が礼ですから、
委員長さんの決められたことあるいは理事会の決められたことに対して、私なら私が勝手におしゃべりしたり何かして時間をつぶすということは、これは礼に欠けるわけであります。これがやはり秩序ですから、したがってそのような礼を持たなければ社会の構成はできないんです。
しかし、それだけではまだ十分じゃない。お互い同士がうそをつき合ったり、相手をだまして平気でいるというようなことがあってはならないわけですね。そうなってくると、おまえ、
水俣でどうしているのかと、まだおまえうそをついているんじゃないのかという反論が出てくるかもしれませんけれ
ども、そういうことを踏まえて私もできるだけ誠意を通してという
気持ちで貫こうとしているわけでありますけれ
ども、つまり相手にうそをつかないということが、それは社会には不動のもの、変わってはならないもの、普遍のものがなければならない。普遍の原理原則、これが信なんですね。信もってということをよく
政治家は色紙に書きますけれ
ども、信ということはそれなんです。ですから、これは信なんです。うそじゃなくて「まこと」と読むんですね。
それだけでは人間社会は進歩しません。進歩させるためには、きょうよりはあす、あすよりはさらにというような充実した人間の生活の
基礎をつくらなきゃならない、これが智でありますね。つまり、この五つが東洋哲学の基本になるものであります。
それで、私も実は
環境庁長官になりましたときも、こういう問題に対しておまえは
自分の思想、信念に恥じない行動をするためにどうすればいいのかということを四六時中
自分の心に言い聞かせております。