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三石久江君 本日は、
外務大臣、
総務庁長官、
沖縄開発庁長官の
所信を承り、ありがとうございました。私は、今回初めて
沖縄及び
北方問題特別委員会で
質問をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
さて、
委嘱審査ですので
予算に関連した
質問に入りますが、その前に少し余談を交えまして、私の
思いを込め、まず
運輸省に
質問させていただきます。
私は、一九二七年、昭和二年に
樺太の
大泊町、
サハリンの
コルサコフに生まれました。二十年近く住んで、突然戦争に敗れ、戦後引き揚げてまいりました。
親たちは全財産をなげうってやはり引き揚げてまいったわけです。内地には家もなければ土地もない、ただ親戚、知人のところへお世話になったわけです。多くの
友達も同じです。この
日本には
樺太生まれということで
全国に多くの人が手をつないでおります。年一回の
同窓会にも欠かさず
北海道まで私は参ります。多くの
友達も参ります。現在は当然
学校はなく、寂しい、悲しいことではありますが、いつかはなくなる
同窓会で涙を流しながら語らいます。
みんな年をとりました。その年齢の
人々が、せめて死ぬまでには一度は
ふるさとをこの目で見たいと言っております。そういう
思いを持つのはぜいたくではないと思うんです。
北方四島は
ビザなしで行けるのに、私
たちも
ビザなしで行けたらいいねと話しております。
北方四島への
ビザなし
渡航が
日本の
領土であるとの建前からで、
樺太とは同列にできないのはよくわかりますが、今はなき
ふるさとをせめて見るだけでもという願望なのです。
毎年一人減り、二人減りという
状況で、
樺太にももう少し簡単に行けることができないものだろうか。船で行くときは
稚内から真岡、現在のホルムスクまでぐるっと回っていかなければなりません。時間もかかります。老いの身にはつらい旅です。私も船で行ってまいりましたが、大変でした。
航空路では一
たんハバロフスクへ回らねばなりません。目と鼻の先の
大泊へ、
コルサコフへ、船であれ飛行機であれ直接行けるようにならないのだろうかと思うわけです。従来もチャーター便で
北海道から直接
樺太へ飛んだということですが、
渡航費用が高かったり
人集めが大変で簡単に行けなかったようですね。
昨年十一月二十七日、
日ロ航空当局間協議により
函館−
ユジノサハリンスク、豊原の
路線を新設することで正式に合意したということですが、具体的な
運航計画はどうなっておりますか。
実現すれば
樺太出身者にとってこの上ない幸せだと
思います。
なお、
稚内−大沼間の船の
運航はどのようになっているのか、あわせて御答弁いただきたいと
思います。