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参考人(
実方謙二君) 各国のシステムの違いというのは合馬先生のおっしゃったとおりでございまして、
アメリカは
刑事罰中心ということで、そのほかに連邦取引委員会の命令違反に対しては一日に幾らといういわゆるシビルペナルティー、過料的なものがございますけれ
ども、そのほかに連邦取引委員会が名義人となって不当利得を返還させる訴訟というような制度もございます。いずれにせよ
アメリカは
刑事罰中心です。
それから、ヨーロッパはいわゆる
課徴金中心型、
日本は両方併存型ということを言われますが、これは文化的な違いとか、それから
社会の許容度とかいろいろな要素がございまして、これはおっしゃるとおり違いがあるということを前提にして、可能な範囲で全部合わせて一本としてトータルとしての
抑止力が国際的水準までに達していればよいのだというぐあいに考えております。それで、無理にそのシステムを統一させるというのはかえって不可能ではないか。おっしゃるようにそれぞれのよさを生かしながら制度を求めていく。
アメリカの場合でございますが、皆さん御存じのようにシャーマン法ができましたのが一八九〇年ですけれ
ども、これは刑事
規定というのが最初の
規定の体裁からいっても当時は軽罪として処分する。それから順次重罪に変更になりましたけれ
ども、ミスティミーナ、フェロニーという言葉でございますが、最近の
改正でフェロニーの方になったわけですけれ
ども、もともと
刑事罰から沿革的に発足したものでございます。それで、DOJ、司法省が捜査しますときはFBIを使ってやるということで十分できるわけでございます。沿革的に、
アメリカの場合はとにかく
カルテルでやるのは非常に汚い。それで、黒い三角帽子をかぶりまして、何か悪党が暗い墓場に集まりましてぼそぼそ相談をして、ダーティーなことをやってこっそりと相談して
消費者からだましとるという、こういうイメージがもう定着しておるわけです。したがって、
刑事罰を中心とした
運用が可能なわけです。
欧州の場合は、むしろ戦前はある程度
カルテルというのも許容される雰囲気というのもありました。したがって、ドイツの
競争制限防止法ではそれまでいわゆる秩序罰という制度がございましたからそれを適用する。秩序罰というのは
行政措置と
刑事罰の中間的なものでございまして、
ECの場合はいわゆるファインですか、ファインというのは直訳すれば
罰金になるのですけれ
ども、
制裁金的な要素を持っている。もちろん
制裁でございますから裁量があるということでございます。
そういうことですが、
アメリカの場合は特に
抑止力の点からいえば損害賠償が非常にやりやすくなっている。これは三倍賠償で、そのおまけの二倍の分はばれる確率のところを掛けたんだという話もありますし、民事訴訟による
制裁でもあるということになっています。それから、クラスアクションというのがございますから、まとめて全部取れるというのがございますけれ
ども、
アメリカの場合は非常にそれが強い効果を持っている。ただ、
日本の場合は刑事
制裁をもちろん活用しなきゃいけないのは当然でございますけれ
ども、
アメリカほどどんどん全部何もかも刑事
制裁でやるというわけにもなかなかまいりませんので、
課徴金も先ほど申しましたように自動的に取られるということで、計算に入れていただくということで置いておく必要があろうということでございます。
そういうことで、それぞれのシステムは違いますけれ
ども、全体としてできる範囲内で工夫して、合わせて一本で
抑止力を国際的な水準、何とか恥ずかしくない程度まで持っていこう。御
指摘のように、これから国際化の時代になりますと、やはり
独占禁止法を
強化しなきゃますます相手に意地悪をされるということでございます。
これはどういう点かというと、二つの
側面がありまして、
日本では
独禁法が甘い。
企業が甘やかされている。おっしゃるように非常に
日本人はよく働きまして、経営者も先見性がある。非常にうまい経営をやるということもございますけれ
ども、向こうから見ると
独禁法が甘いんで、うまい汁を吸ってそれで外でがんがんやるのではないか、こういうぐあいに言われているわけですね。
それから今度は、
アメリカの場合は昔は
独禁法が厳しかったですから
市場が割合にオープンだった。自動車が出ていった場合も、ディーラーを探せばすぐ見つかった。
日本の場合はいろいろ沿革がございますけれ
ども、全部専売店なんてなかなかつかまらない。そうすると、来るときはうまいことをしておいて、行ったら意地悪されるんじゃこれはたまらぬわという話になりまして、そこら辺、事の実態とか評価は別にいたしまして、これからみんなと仲よくしていくためには
独禁法を少なくともきちんとやっているという姿勢を示すことが国際
社会で孤立しないためにも御
指摘のように必要であるというぐあいに考えております。